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2024-08-30

私の『産後の恨みは一生』エピソード

推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。

2000~2001年の話です。そのときまれた娘は健康に育ち独立して離れた場所生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手再婚しました。

情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。

当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。

この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。

とにかく妊娠きっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職

田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。

というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしか赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。

「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ち微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリ人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者気遣い言葉をかけるようにしている。

ホルモンバランス不安定で誰にも会いたくない状態病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。

こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。

8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。

その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミ自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンキレイにしてから朝ご飯を作った。

夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKボーナスタイムという知識はあったらしい。

それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。

そして臨月お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。

そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)

朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。

夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明子ども心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。

原因不明心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。

いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較若い人は穏やかに経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。

入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。

退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?

退院日なんて入院する前から決まってた。しか出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」

全然からない。苗字も体調も体型も仕事生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものほとんど失わず健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間ゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。

結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。

帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひとき寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしま新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊ウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。

さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんから指導甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。

夫は沐浴とか『これは父親役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。

そして決定的に離婚の原因となった出来事が明るみになる。

ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。

夫には結婚から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務地獄に落ちていた。闇金だ。

それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれ半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。

この時、社会問題化していたものの、今のように銀行個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。

正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲームこちからしかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラー電子音ならしてネットに繋いでいた時代世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。

それと専業主婦立場に居心地悪さも感じていた。自分お金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつ趣味雑誌を買うのも躊躇していたのだ。

自分の稼いだお金子供の服を買ったときちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要ものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。

あと外に働きに出て、ある程度自分裁量物事を決め、今後の見通しが立てやす作業子育てに比べてとてもやりやすかった。

そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。

こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。

遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバン商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。

その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。

家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。

そこから自分実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分けがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代貯金から出していたので異論はでなかった。しかプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。

若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。

いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。

夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さら離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観判断すると、子どものために養育費請求するべきだったかもしれない。

長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。

でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対さないと思っている。

2024-07-04

ヘルダイバーってまんまスターシップトゥルーパーズじゃん…

YouTubeサジェストされたから観てみたら、まんまスターシップトゥルーパーズじゃん

自由には責任義務がともなう

責任義務を果たせ!

民主主義を守り抜け!

民主主義の敵を皆殺しにしろ

すげー、アメリカじゃんwww

しかバーホーベンの方じゃん

その上、ガンダム元ネタサンライズ版のOAV宇宙の戦士みたいなパワードスーツ着てないのに、

生身の人間惑星降下ポッドに乗って降下作戦とか…

あと、YouTubeにあるmemeの、ジャパニーズアニメエロいシーンになると侵略!と表示されてヘルダイバーCMに切り替わるの、

アイマスじゃねーか、とか、コブラじゃねーか、みたいでちょっとツボったわ…

サンライズ宇宙の戦士ゲームやりたいなぁ…

考えてみれば、宇宙の戦士パワードスーツとかはガンダム元ネタ特にガンキャノンデザインかになったけど、

ストーリーまではガンダム右傾化しなかったよな

ガンダムストーリーも影響を受けてたら、アムロ最初オタクという設定はそのままだとしても、

鬼軍曹ブライトに殴られるどころか、地面に踏みつけられて小便をかけられたり、

モビルスーツを使ったベトナム戦争みたいな戦場が描かれて、女子供の出番はほとんどなく、

俺たちの民主主義正義だ!共産主義者は皆殺しだ!

みたいに叫んで、東側ジオン軍ナパームで吹っ飛んでいくような、そんな話にでもなったんだろうか

米国共和党推薦作品として、ガンダム海外でも評価されたかもな

まあ、富野はそんなのやらんだろうけど…😟

2024-06-07

最近職場環境悪化している

増田の周囲で最近働き方改革とかクソだ!」「リモートとか言わず出社しろ!」みたいな反動があり、職場雰囲気が良くない。

課長も一時期は、人員監視してムチ打つ労働監視員でなくて、プロジェクト進行を管理するプロマネ的な動きに変わって行ってるはずなのに、

また奴隷監視員みたいな管理をする人が出てくるようになってきた。大きなトレンドじゃなくて局所的な揺り戻しかとおもうけれど、

職場雰囲気恐怖政治的になってきている。指示を出すとき大義目的とか締め切り、制約条件みたいな基本的ブリーフィングなく、

「うるせぇごちゃごちゃいうな、おまえ上司のいうことが聞けねぇのか!」みたいな管理をする人がいてびっくりしている。

団塊人達無茶苦茶だった、という反省の素にすこしずつ改革を積み上げてきたはずだけれども、その辺の歴史的認識

部署によっては最近課長になっている氷河期世代の人たちに伝わっておらず断絶があるように感じる。

団塊ジュニアの人たちで課長にならないで職場鬼軍曹みたいな、昭和価値観ガチガチにかたまった人達がいて、

氷河期課長さんに影響を与えているのだ。「俺達の若いころはなぁ」

2024-03-22

anond:20240322094534

でも鬼軍曹ブートキャンプは口答えを許さず徹底的に服従させて押さえ付けますよね?

2022-10-01

anond:20220930213101

(最下部にブコメ返しあり)

この増田はいつ頃、どういう入り方で、陸海空どの自衛隊のどの隊にいたのだろうか?

なんでみんなそれすら確認せずにこの情報を信じることができるのか?現場経験してないからなのか?

まずそれくらいの情報はないと真偽の判断ができない。

俺も自衛官だった時期がある。身バレしない程度に、俺が経験したことを具体的に書く。ちなみにめちゃくちゃ長いです。

俺は2007年8月2010年3月まで、任期制隊員として陸自関東方面隊にいた。任期制隊員についてはググって。まだこの制度あるのかな。

今はどうか知らないけど、当時は入隊してから半年教育は前期3ヶ月と後期3ヶ月に分かれていた。

前期は武山駐屯地自衛隊法とか小銃の組立解体とかの座学と、徒手空拳とか5段階ある匍匐前進の仕方とか寝撃ち膝撃ちみたいな小銃の撃ち方とかの実技演習と、定期的に実施される体力テストのための体力づくりが中心だった。

俺はちょっとした事情で、教育中はなかなか野外訓練についていけなくて悔しい思いをした。

前期の教育中、同じ班の人が「24時間拘束されてこの給料じゃ国の最低賃金下回るじゃん」みたいなことを若い奴らに喧伝して支持を集めてたけど、少なくとも教育中は長時間拘束されるなんて入隊前から分かりきってるんだからそもそも入隊しなきゃ良かっただろ、士気下げるだけだからさっさと辞めちまえばいいのに、と言う人たちもいた。

印象的だったのは、教育隊の隊長2尉だったかな?20代後半のなよなよした人で、それに対して10の班を纏める40代くらいの2曹ミッシェルガンエレファントドラマーシュワちゃんばりにおもくそ屈強にしたみたいな、子供時代想像できないタイプいかにも鬼軍曹な人で、まあその人も話してみると意外と優しかったんだけど、最初から幹部で入ってるっぽい人と現場叩き上げでこうも違うのかと思ったな。

あとは、軍事オタクよりアニオタの方が多かったとか、選ばれし者だけが習志野の空挺に行くことを許されるとか、同期に柔道全国6位とか特殊な人がまれにいたりとか、入隊前の書類実家信仰する宗教を記入する欄があったとか、ある日全隊員が会議室に集められて特定生命保険への加入を(隊友会のめちゃくちゃ安いやつじゃなかったと思う)半強制的に勧められたとか、東富士での三日三晩の訓練の後に叩き起こされてみんな絶望的な顔をしながらとある部屋に集められて「次の任務を言い渡す。これを飲め」と配られたのがキンキンに冷えたコーラ任期制未成年いるからね)でめっちゃ安心して涙が出るほど美味かったとか、普段全く笑わなくて班員のやらかしが発覚すると班の部屋に潜入しバームクーヘン毛布を全員分グチャグチャにすることで「台風」のあだ名がついた班長休日に部屋へやって来てすわ何かと身構えたらPSP取り出してはにかみ笑いでモンハンやろうぜって言われて一緒に遊んだりとか、まあ色々印象的なことはあった。

後期は普通科施設科需品科とか、隊員たちがそれぞれの職種対応した駐屯地に分かれて、ある程度専門的な教育を受けた。あんまり言うと特定されそうだから詳しくは書けないけど。

後期は大抵5年〜10年ほど自衛隊にいてだらけきった(後述する)人たちが上官になるので、前期に比べると圧倒的にヌルかった。

武山駐屯地教育隊はというと、彼らは教育専門の部隊で、年中そればっかりやってる人たちなんだよね。そのことは後期に入って初めて知った。

ただ、後期は冬だったから野外訓練が死ぬほど寒かった。キツかったのはそれくらい。

教育期間を振り返って思うのは、確かにパワハラ的なことは全くなかったとは言えないんだけど、当時のご時世とか考えると、高校部活の延長みたいなもんだった。むしろ強豪校にいた人にとっては前期もヌルかったんじゃないかな。訓練はどうしても体力のない人に合わせる形になるからね。

それに、少なくとも教育中は、この増田が言ってるようなことは全く無かったな。自衛隊法は学んだけど、「神と虫」なんて言ってるのは聞いたことがない。上は「教官」じゃなくて別の肩書だったし。前期の休日で外出する場合制服着用って言われたけど、彼女待たせてる人は当然外で着替えるし、横須賀中央とかのあたりはその辺を軍服の人が歩いてるのが日常からそんなに忌避感もなかった。

一定の耐性がついてる人は多少制限を与えられても抜け道とか自由をその中に見出してなんとかするし、何か洗脳っぽいことを言われても自分ちゃんと考える。そういう意味では増田教育の時点で抜けたのは正しい判断だったのかもね。まあそもそも、この増田がやってることこそ洗脳な気もするんだけど。

とにかく。話変わって、パワハラみが増したというか、俺にとって地獄だったのはむしろ教育が終わってからの方だった。

教育が終わって、俺は地元にまあまあ近い駐屯地に配属になった。

そこでまず知らされたのは、春以外の入隊員は季節隊員という半ば蔑称に近い形で呼ばれて、「使えない・すぐ辞める」隊員が多いというレッテルを貼られていること。「部隊エース」という言葉文脈によって、本人の与り知らぬところで蔑称になること。新入隊員は慣習的に、部隊長の半長靴磨きという業務時間外の仕事を割り当てられること。訓練での活躍なんかよりも、休憩時のお茶汲み、上長煙草を吸っていたら煙缶を持って来る、ビール瓶のラベルを見えるようにして上手く酌ができる、飲み会で要領よく挨拶回りができる、そういう「空気の読める」隊員が良しとされる風潮があったこと。

んでもって極みつけは、所属大隊隊長が、金正恩もびっくりの「お前屈んで半長靴の紐結べねえだろ」ってくらい不健康そうな出っ腹だったこと。

別にルッキズムなんて持ち合わせちゃいないし、市井の人はいくら太ってても気にしないけど、有事に人を守る自衛官としてそれはあんまりだろ。

いかにも、「俺は権力です」を体現したような身体だった。

俺はこれからこんなやつらの下で働かなきゃいけねえのかと思った。この半年学んだのは何だったんだと思った。

んで、それでも我慢してやってみようとしばらく過ごしてみると、よりその地獄みは鮮明になった。

一年のうち3分の1ほどが、草刈り車両整備・消防点検やらお偉いさんの来訪前などに頻繁に行う寮の清掃・持ち回りの風呂掃除警衛などに費やされる。

さらに、これは駐屯地によると思うけど、俺のいたところは糧食班もあって、食堂で飯作りと配膳を3ヶ月ほどの持ち回りで担当する(対象陸士)。

よって、訓練や体力づくりに精を出すのは一年の半分を満たない。当然毎日定時。通勤1分。

長靴磨きとか迷彩服アイロン掛けとか定時外にやることはあるけど、隊長の半長靴陸士の間で持ち回り、それも一番下の立場の時だけなので、自分の下が来ればそいつらに引き継いでやらなくなる。自分の半長靴イベントがあったとき磨けばいいくらいだし、迷彩服私物って言ってアイロン掛けの要らないタイプを買ったり貰ったりしてたから、やっぱりイベントで官給のやつを使うときしか掛けなかった。

ついでに、たまの訓練で遠征するとなると、7tの荷室で人員輸送されてる最中は密閉された幌の中で何人もがバカスカ煙草を吸いまくる。煙草を吸わない俺にはそれが無茶苦茶辛く、かと言って指摘すればたちまちエース(笑)扱いになる未来が見えていたので、繊維が肌に刺さるほど質の悪いカーキ色の官給毛布で顔を覆って耐えるしかなかった。さすがに今はそんなことはないと思いたいけど。

自衛隊車両運転免許を取りに行くとか、観閲式の準備対応とか、あとはさっきの糧食班とかは、普段部隊から離れてかつ自由時間が大幅に増えるので「おいしい仕事」と呼ばれていた。駐屯地の中にクラブという名の安っぽい飲み屋があって、酒を飲まない俺でも週に2日くらい連れて行かれた。

そんなわけで、大体の人は教育期間とのギャップから怠惰になる。怠惰にさせられてしまう。だから大隊長に限らず太ってる奴らは多い。

こっからは完全に自慢になる。

俺はそんな怠惰環境が嫌でしょうがなくて、体育学校に行きたいと思った。ほぼ帰宅部人生教育期間もほぼビリケツの筋力だったんだけど、幸い持久力だけは人並み以上にあったので、かなり頑張れば3000m(5000mだったかな?)走の資格に手が届きそうだった。

ちなみに、カナヅチだった俺は駐屯地内のプールでシンスプリント治療がてら練習しまくった結果遅い遠泳ならできるようになったけど、立ち泳ぎができなかったのでレンジャーはハナから諦めてた。

とにかく、2年弱走りまくっていたら、3000mの歴代中隊記録を更新して、さら大隊内で一番体力テストの成績が良くなった。2年弱の間に糧食班にいた期間の自由時間とか自衛隊内の教育とかを使っていくつか資格を取った。そんなこんなしてたら件の大隊から表彰状を貰った。この場で破り捨てたらどうなるかなと思った。

もう少しで体育学校に行けるというタイムまでこぎつけたところで、別にやりたいことができた。体育学校に行くのは良いけど、現役を引退した後も自衛隊にいるとまた空気を読むだけの怠惰生活が始まって面倒そうだとも感じたので、2任期目の途中で退官することに決めた。

半年ほど前に申告したにも関わらず、結構直前まで揉めた。まあ任期制隊員なのだからある程度は仕方ないんだけど、なんか中隊長を納得させるためか会社事業計画個人版みたいなものを作らされた記憶がある。1年後にこういうことをして、3年後には海賊王に俺はなりますみたいなやつ。

今はこんなご時世だし多少は改善されてると思いたいな。

えっと、ほんとにめちゃくちゃ長くなった。何が言いたかったんだっけ。

とにかくだ。洗脳って言葉を使うのであれば、教育期間は俺にとって洗脳でもなんでもなかった。当然咄嗟には受け入れられない出来事もたくさんあったけど、それは、「人を守る仕事」という前提と、当時の時世ということで鑑みれば納得できた。

しろ教育が終わってからの方が、耐性のない、考える力のない人は洗脳されやすいと思う。それくらいにあの場所怠惰だ。その「人生楽勝な感じ」に大半の人が流される。騙される。

そんなんじゃ人は守れないからと、一部の「強い」人たちがその人たちなりに必死こいて、あの組織を「人を守れる組織」としてなんとか保っているのが実情なんだと思う。当然この場合の強さってのは権力でも、武力でもない。精神的なタフさと、ひたすらな良心だ。

断っておくけど、「だから俺は強いんだぜ、すげえだろ?」がやりたいんじゃない。俺はむしろ弱い。あの組織怠惰に抗い続けることができなかった。さっきは自慢話にしたけど、その場その場の怠惰に流されたことも何度もあった。

居続けることで結果的に「弱い」人間になる。そんな場所になってしまっているということが、あの組織の悪いところだと俺は思うよ。

大切なのはいつでも、考え続けることだ。

別に自衛隊に限った話じゃない、普遍的な話だ。

2022-10-01 15:20 小変更

2022-10-01 15:34 小変更

2022-10-01 23:17 ブコメ返信追記

学校もそうですが世間の目が届きにくく指導者管理者裁量が大きい場所下の人間への扱いの振れ幅が大きくなり信じられないようなことも起こりますどちらの話も嘘だと断定はできないと思います

信じられないようなことが起こりうるというのはほんとそのとおり。

まあもう身バレしてもいいかなと思ってるから言うけど、当時俺が在籍してた駐屯地で、教育隊の幹部が新入隊員たちに爆薬を食わせる事件があった↓

https://ja.m.wikinews.org/wiki/%E9%99%B8%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E3%81%AE%E4%BA%8C%E7%AD%89%E9%99%B8%E5%B0%89%E3%81%8C%E6%96%B0%E4%BA%BA%E9%9A%8A%E5%93%A1%E3%81%AB%E7%88%86%E8%96%AC%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%81%95%E3%81%9B%E3%80%81%E9%9A%8A%E5%93%A1%E3%81%8C%E8%96%AC%E7%89%A9%E4%B8%AD%E6%AF%92%E3%81%AB

俺の言うことを信じろと主張するつもりは毛頭ないんだけど、「神と虫」の件に関しても時期によっては事件扱いになっていておかしくないので、調査のためにもう少し具体的な情報元増田には尋ねたい。

2022-10-02 08:02 ブコメ返信追記

人は自分が都合の良い用に考える。日々、警察不祥事批判しているニッポンリベラルは、なぜか「AED女性に使って良いか問題では、警察100%理性的に行動し、AED使用者逮捕するはずないと信じる人が多い。

人は自分が都合の良い様に考える。そうだね。

考えるとき自分のそういう偏りを常に意識する。

ついでに。

別に情報拡散だとか発言の際に絶対に失敗すんなって言ってるわけじゃなくて、そりゃみんなもっと慎重になるべきじゃねとは思うけど、うっわ失敗したーと感じたら無理に軌道修正しようとせずに素直に認めてアップデートすりゃいいんだよ。

それが考え続けるってことだと俺は思ってる。

ニッポンリベラルという言葉が具体的にどういう思想の人たちのことを指すのかちょっと調べた限りではよく分からんのでここでは触れない。

2022-10-02 08:19 ブコメ返信追記

真偽は判らんけど、増田元増田とでは、一回りくらい世代が違うかな~て印象は持った。

元増田の言ってる経験がたとえば2020のものか、1980年のものかで、その情報を受け取る側の印象はだいぶ違う。

俺の書いた経験だって今の自衛隊には当てはまらいかもしれない。

2022-09-07

鬼軍曹陸軍の話だ、海軍はいねえんだよ

海軍教育係は鬼より怖いから。

舐めんな。

2022-03-26

anond:20220326075052

スーパーモンキーズ初期メンバーが明かす“アムロの圧倒的才能”

女性自身

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「(安室奈美恵最初友達の付き添いでアクターズスクールに来たんです。第一印象は、色が黒くて、すごく細くて、ごぼうのよう」

そう語るのは、ダウン症の子どもたちのためのエンタテインメントスクールLOVE JUNX」の創設者牧野アンナさん(46)。父は、あの安室奈美恵を見いだした沖縄アクターズスクール(以下・アクターズ)の創設者校長マキノ正幸さん(76)。アンナさん自身スーパーモンキーズの結成メンバーとして、安室とともにデビューした元アイドルだ。

引退後も、アクターズチーフインストラクターとして、MAXSPEED三浦大和黒木メイサ満島ひかりなどを育ててきた。現在は、AKB48SKE48振付指導担当SKE48ファンからは、その厳しい指導ぶりに「鬼軍曹」「クラッシャーアンナ」などと呼ばれている。

安室アクターズに現れた’87年当時をアンナさんが振り返る。

「どちらかというと暗い感じで。レッスン場でも隙間に隠れるようにしているし、発声練習ときも手で口元を隠すような女の子でした」(アンナさん・以下同)

ニコリともせず、事務所の隅でモジモジする10歳の安室に、誰もがスター性など感じなかった。ところが、正幸さんは違った。安室の歩き方だけで、輝くオーラを感じたのだ。一度、帰りかけた安室呼び戻し母親電話を入れ、「特待生します。授業料はいりません」と、その場でスカウトしてしまう。

そして、正幸さんはアンナさんやアクターズの生徒たちに、「俺は奈美恵特別扱いする。おまえたちとは才能が違う。奈美恵絶対スターになる」と宣言した。当初、アンナさんは、半信半疑だった。

「後になって、奈美恵を後のMAXミーナと一緒に『ちびっこのど自慢』に出したんです。ミーナは歌がうまいと評判で、私たちの間では断トツの優勝候補でした。ところが本番になったら……」

無口で、いつも隅っこにいた安室が、ステージの上で突然、スパークした。明るくはじけて、踊り、歌った。

「驚きました。その姿に、私も『イケる!』と思いました」

歌と踊りがとにかく好きで、無類の負けず嫌い母子家庭だった安室が、往復260円バス代を浮かすために、片道1時間半の道のりを歩いて通っていたという話は、アクターズ伝説になっている。

「難しい子ではありましたね。まず、言うことを聞かない」

練習サボるのではない。練習をしすぎてしまうのだ。「練習しすぎで、喉の状態おかしいから控えなさいね」とアンナさんが言った直後に、レッスン室から安室歌声が聴こえてくる。慌てて、注意をしにいくと、聞かないふりをして、まだ、続ける。

「人から指示されてするのは嫌だったんでしょう。嫌なことは、絶対に嫌。何時間、説得しても、横を向いてツーッと涙を流し始める。後年、本人が言っていました。『言いたいけど、うまく説明できないから』と。言われたことが理不尽だと感じていても、それをうまく伝えられなくて。葛藤の涙だったんでしょう」

やがて、20歳アンナさんをリーダー安室、後のMAXのナナとミーナ、そしてヒサコ(新垣寿子さん・振付師)の5人で、スーパーモンキーズが結成された。’921月、5人で上京大田区の3DKのマンションで共同生活を始め、9月には、第1弾シングルミスターU.S.A.』がリリースされた。

だが、すぐに売れたわけではなかった。東京スーパーマーケットレジ前で、パフォーマンスしたことも。

「私なんて、胸のうちで『サイアク』と思いながら踊っていたのに、奈美恵は『歌えて踊れて、楽しかった』って、ニコニコしながら言うんです。私とは違うなと思いました」

デビュー前は、アンナさんがセンターだったが、デビュー後は、安室に代わった。

ステージで一緒にパフォーマンスをしていると、わかるんです。観客もスタッフも、みんなの視線奈美恵に集中する。技術大事だけど、もっと大事なのは、人を引きつける魅力。奈美恵にはそれがある。でも、私にはなかった」

圧倒的な才能の差を目の当たりにして、アンナさんは、父の言葉を思い出していた。

スターになるのは、才能を持った人がさら努力した結果だ。おまえは裏方。裏方として輝く道だってある》

92年末アンナさんはスーパーモンキーズをやめて、沖縄に帰った。スターになる夢はきっぱり捨て、指導者として生きる道が定まった。

奈美恵は、できる子なのに、チヤホヤされてもてんぐにならず、もっと努力できる。あ、でも、彼女のは、努力じゃないのかもしれません。道を歩いていても、奈美恵自然に体が踊っちゃってる。私だったら、どんなに楽しくても、『さぁ、やんなきゃ』になる。でも、奈美恵自然に踊っちゃって、歌っちゃってる。『やんなきゃ』じゃない。それこそが才能なのでしょう」

2021-07-14

高校の時剣道部にいたんだが

剣道部に突然ある日鬼軍曹みたいな怖いおっさん練習に来るようになって

半年ぐらいしてからOBでもないし顧問が呼んだわけでもない謎のおっさんと判明して出禁になった

未だにあれは何だったんだろうと思う

2020-08-30

国民の反安倍感情保守思想だった

ここで言う保守とは「現状維持(≠戦前復古)」

そういう意味での保守にとって疫病の蔓延

現状に対する(悪い意味での)新しい変革となる

好ましくない意味での新しい変革に直面した場合

保守的な民衆が取る反応は2通りだろう

・変革を無視して存在しないものと見なす正常性バイアス

・一刻も早く変革を元に戻して従来の現状が戻ることを期待

たぶん保守的な国民には前者も多かったはずだ

実際に「コロナはただの風邪だ派」も一定存在する

ところが早期段階で皆がマスクをするようになったのに加えて

たまたま花粉症シーズンかぶっていたのも影響?)

志村けんがお亡くなりになった影響で

正常性バイアスはあまり機能しなくなった

***

となると後者を求めることになる

幸か不幸か欧米先進国のみと比較すれば日本感染者数は少ない

それでもいつまで経っても「非常時感」が消えない

2011年311の時は非常時感が国民の結束を促す方向にも働いた

しかし今回は正義募金ボランティアの出番は要求されず

隣にいる同じ日本国民潜在的な脅威(感染者かも?)とされてる

これでは国民が美しく一致団結するイメージも成立しにくい

しろお上から萎縮せずバンバン消費しろと言われる事態

マスク2枚配布もGoTo焼け石に水

「悪い変革を元に戻す」感は乏しかった

となると「保守的」な大衆にとって

安倍政権は「悪い変革」を放置しているように見えても仕方ない

コロナウイルス蔓延以降、欧米先進国のみと比較すれば

感染者があまり増えなくても、内閣支持支持率の下落が

ほとんど回復できなくなったのは

こういう国民感情が反映されていたのではないか

***

ちな、「大衆保守現状維持(≠戦前復古)」という観点に立てば

憲法改正したり教育勅語みたいな戦前価値観を広めることも

戦後70年以上続いたレジームに対する変革である

そして保守的な大衆には性急な変革は(復古的な変革でも)望まれない

安倍政権の8年間、なんだか結局、憲法改正も、北方領土返還

竹島奪還も、拉致被害者奪回も、とりあえず口にしているだけで

心底から本気そうには思えなかった

それも結局、現状維持という意味での保守だったのだろう

しろ安倍首相戦後10年近く過ぎた1954年まれ

松任谷由実と同じ歳である

大学生のころには1970年代には、すでに大学レジャーランドと呼ばれ

ユーミンのようなニューミュージック流れる消費文化のまっただ中

嫁さんの昭恵はさら1962年まれ松田聖子と同じ歳

2010年代になっても嬉々として「私をスキーに連れて行って」ごっこをしてる

1980年代で頭の中が止まったバブルである

安倍晋三にとって保守したい(取りもどしたい)日本とは

間違っても、チャラチャラした軟派は怖い鬼軍曹にどつかれる戦前日本ではなく

バブル感溢れる1980年代日本だったのではないか

2020-05-12

富川悠太アナの嫁とうちの嫁同じなんだが

富川悠太アナ鬼嫁と言う記事を見て、「あ、これうちじゃんw」って笑ってしまった。

我が家小学生の子供が1人いる3人家族

嫁は自分の親・兄弟と仲が悪く絶縁状態。俺の実家とは仲が良いが遠方なので年一会う程度。

結婚する前は嫁はすごい気が効く優しい人だった。が、結婚してから豹変ちょっとしたことヒステリック激怒するようになった。たまにトイレ電気を消し忘れただけで、鬼軍曹な太い声で「トイレ電気消せっていってんだろおおおぉぉぉ!!!」と怒鳴り込んでくる。本人としてはそれは怒っているわけではなくただの指摘らしい。ちなみに嫁もよく消し忘れる。

自身からも「家族だと思うと止められない」とはっきり言っていた。結婚前まではセーブしていたらしい・・・

かに結婚前に嫁の実家に行った時に嫁の親とか兄弟に「部屋が汚え!」と怒鳴ってたわ。あの時は「自分はこんな扱われ方はしない」って思っていて完全に正常バイアスだったわ。これから結婚相手を探す人は、親・兄弟との仲をよく見ておいた方が良い。ちなみに嫁も片付けられない人だ。

嫁はプライドが高く基本他人を見下している。その態度で友達を失ったこともある。そしてフェミニスト女性軽視な発言出来事には激昂する。怒りの沸点が低く、一般人の「それダメだよ」の軽い指摘が、嫁がやると「何やってんだおらああぁぁぁ!!!」になる。

嫁が他人を見下せるほどできた人間なら良いのだが、まったくそんなことはない。

怒りっぽい人のあるあるだが、他人に厳しく自分に甘い。怠惰暮らし体重は年々増えている。

出会ったとき正社員仕事はやめ、今は趣味みたいな利益ほとんどでない(ってか赤字?)仕事個人でやっている。他人に指図されるのが嫌いなので、組織で働けないのだ。そして家事全然できない。料理はかろうじてできるがそれ以外の掃除洗濯などは一切やらないのですべて俺がやっている。

子供にも同様に厳しく、幼児のころから能力開発系の通信教育をやらされ、今も習い事学習塾で忙しく友達と遊ぶ時間なんて皆無の状態だ。そして、うちの子不器用な子で、自分子供の頃と比べても勉強運動全然できない。そんなんだから、嫁はさらヒートアップ休校中の今は毎日家で嫁の怒号が飛んでいる。

最近の話ではないが、昔実際に警察も来たことがあるらしい。嫁の怒号と子供の泣き声で近所の人が虐待を疑って通報したらしい(その出来事があってから数年経ってから子供から聞いた)。そのときは注意で終わり、次またあったら逮捕しますということを言われたとか。

そんな嫁と俺との関係なんだけど、喧嘩する段階はとうの昔にすぎ、今は家庭内別居状態。完全にただの同居人。最低限の会話しかしない。子供のことに関しても俺が口を挟むとかえって炎上するので、暴力が起きそうなよほどのことがない限りは静観している。家にいても息苦しいので週末は日中公園とかで読書とかゲームとかで時間潰している。

子供はと言うと、そんなママでも好きらしい。嫁は子供には優しい時は優しいのだ。割合でいうと5%くらいだけど。そんな感じなので、子供のことを考えると離婚しづらい。したいけど。ちなみに嫁と離婚話をしたことも何度もある。

から離婚を言い渡されるか、子供社会人になるまでとりあえず我慢しようと今は思っている。

富川悠太アナも今同じこと考えているかなと思った。

2019-12-12

anond:20191209170111

まり軍隊舞台or兵器が出てくるけど戦わない話」だろ?

すぎむらしんいち『右向け左』

 ヤンキー自衛官のしょうもない日常マンガ

 美少女キャラとか出ないし絵柄もオタ受けしないから挙げる者はおるまい

大友克洋気分はもう戦争

 連作短編形式で、前線で戦ってるキャラもいるが

 地方自衛隊基地の下っ端の1日とか

 義勇兵に志願した中二病の末路とか、直接戦闘しない話も多い

大西巨人神聖喜劇

 軍隊内でえんえん規則議論をしてるだけで話が終わる

アメリカ映画の『愛と青春の旅だち

 士官学校の話だが鬼軍曹に訓練を受けるシーンばかりで実戦場ゼロ

 実質的にただの学園スポ根映画

速水螺旋人の一連の「軍隊役人マンガ

 軍隊だけど戦闘しない事務員みたいなのが話の中心のやつ

岡本喜八肉弾

 大戦末期の下っ端兵士日常が話の大部分

 主人公は話の最後最後で出撃するけど敵と戦闘しないまま終わる

岡本喜八英霊たちの応援歌

 学徒動員された大学野球部員の話

 戦時中だけどえんえん野球ばかりしてる

 主人公らは特攻機に乗るけど戦闘シーンはラストのホンの数分だけ

新東宝映画人間魚雷回天

 これも大戦末期の軍隊日常が話の大部分

 終盤のホンの数分で主人公が出撃するけど特攻失敗でデッドエンド

渥美清主演の『拝啓天皇陛下様』

 戦前軍隊に入ったド貧乏田舎者の話

 「軍隊は三食メシが喰えて嬉しい」とか言ってるだけで戦闘シーンはほとんどないな

渥美清主演の『続・拝啓天皇陛下様』

 続とついてるけど主人公は別人で、軍用犬飼育係の話

 やっぱり戦闘シーンはほとんどなくて、しか戦後復員してからの話が大部分

――こういう「戦わない軍隊兵隊もの」って結構あると思うんだがな。タイトル忘れたけど、昭和の後期にも航空自衛隊整備士マンガとかあったよな。通信兵とか衛生兵とか伝令とか戦わない部署って結構あるし

2018-12-19

アジア人男性白人男性拷問されるBLAV

女もな、あとゲイもな、ガタガタ言ってないでむしろこの表現の自由度を逆手に取って、AV作ったらええねん。みんなで表現の自由を楽しもうや。

設定は日本人♂を屈強な白人鬼軍曹♂たちが拷問するとかで。軍服腐女子ゲイウケいいし最高やろ

とりあえず日本の男は首輪つけさせられて全裸で犬のポーズ複数レイプ精子自分の糞尿のかかった食事や水をおいしーい!もっとくださいワン!と笑顔で言いながら食わされる、我は白人チンポで感じる劣等国民でありますううう!日本バンザイ!ってケツマンコイまくりフェラでイマラされてオエオエ言いながら気持ちいいワン〜って言いながらごっくん。最後特殊技術実験体にされ、妊娠して腹が膨れてるのに犯され続ける。子供だけは助けてえ!アンアン♥と言いながらエンド。

2018-01-31

変な夢みた

女子高の教室鬼軍曹が突然やってきて暴力でその場を支配しはじめた

鬼軍曹はでっかいサバイバルナイフ持ってて、私は頭の皮ちょっと切られたり鬼軍曹を怒らせたクラスメイトかばって首を切られそうになった

誰かを守るためには強い者におもねったり自分犠牲になればいいと思ってたけど、戦わなきゃだめなんだと気づいて隙を見て皆で鬼軍曹に飛びかかって拘束した

変な夢だった…

2017-09-03

豊田、蜷川、日野etc...

豊田真由子に眉をひそめながら蜷川幸雄日野皓正を高く評価している奴って、すごく多そうだよな。

そう考えると豊田のおばはんは、今にして思えば就く仕事を間違えたね。彼女政治家よりもスポーツ指導者演出家映画監督にでもなれば良かった。

そうすれば周囲の人はみんな「いやー、豊田先生はとても厳しい鬼軍曹を絵に描いたような方でねぇ。彼女スパルタ指導には何人もの人がバタバタ辞めていったんですよぉ」「皆、豊田監督にしごかれ怒鳴られ殴られて一人前になっていったんですよねぇ」「でも本当はとても素晴らしい人格者でねぇ。厳しいけど言っていることは的を射たものばかりでした。だから今でも皆に慕われているんですぅ」などとちやほや持て囃してくれたろう。

現にそんな奴、このご時世においても掃いて捨てるほどいるじゃないか

2017-04-21

あらゆることをもっと気軽に練習させろよ

世の中練習もせずに実践ばかりなんだけどなんなの?

どんな冷酷非道鬼軍曹だっていきなり実践に向かわせたりしないだろ?

しか人生という名の戦場では俺はいだって練習不足なへっぽこ兵士

だけど練習さえ積めば上手くやれるはずなんだ

俺はそういう男なんだよ

2012-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20120712110102

補論の補論のそのまた補論みたいな発言になってしまうが。

"体育会系"というネーミングを再考するべきかも、と思う。

あなたが言いたい"その種の人たち"を指し示すのに、長年使われているし、

なにより、おそらく他のどのネーミングよりも適切なイメージが沸くので、もったいないけど、

"体育会系"という言葉から、短絡的にバスケ野球サッカーを厳しくやっている集団出身者、と

受け取る(あるいは、カラむために意図的に曲解する)人も居ると思う。

ひたすら良いパフォーマンスを追及している本当のスポーツマンは、プロ/アマわず

もっと内省的だったり、オープンマインドだったり、個人主義者だったりする。

---

ちなみに、演劇部とか吹奏楽部クズクラブは、体育会系クズのものだし、

あろうことかオタ系サークルでも、「俺たちは馴れ合いクラブじゃない!」とか

マジで標榜していて、イベントとか創作活動の段取りの良し悪しにダメ出しをして、

新入生をしごきまくるサークルもある。

驚いたのは、MMORPGで、「仕事があるからログアウトしたい? 甘ったれんな!!!!!」

なんて発言が飛んでるって聞いたとき

---

集団主義精神主義上下関係押し付け。不合理な文化の固守。シゴキが大好き。

からこそ序列を這い上がろうとして他人を蹴落とそうとする。

序列が下の人間を確保して囲っておこうとする。

あと、硬派とか筋肉質とか、そんな自己像。

自分なら、そうだな。"軍隊式"、"スパルタ式"、"旧日本軍式"とか。

どれもしっくりこないな。

やっぱり、"体育会系クズ"しかないのかなぁ。

---

あと、ここまで飛び交った社会人の類型は体育会系文系理系の3つだけど、

体育会系文系クズは一緒にして良いと思う。

上の二つは人間関係指向で、理系事実現実指向してる。

前2者は、「最後にモノを言うのは政治力だ」と思ってるから

群れる、シゴく、ハブる、侮辱する、みたいなコミュニケーション的な意味迷惑

文系が策謀をめぐらせる下で、その手先として体育会系下士官というか鬼軍曹をやってる感じ。

---

理系クズは、前2者を馬鹿扱いして、対話を放棄した挙句

不作為とか、相手の知識不足を利用したトラップとかで、地味に

嫌がらせをしてくる感じ。

---

ちなみに自分理系クズで、ただし最低限のルールというかモラルとして、

専守防衛に徹している。先制攻撃はしない。

理屈並べてねぇで、黙ってやれってんだよ!」とかドヤされたら、

「それをやると機械が止まりますけど、いいですか」とか注意を喚起しないで、実施ちゃう

結果として大トラブルになったら、「ご指示に従ったまでですが、何か?」とか。

ヘルプアドレスメールをよこさないで、「俺がやれってんだから、今すぐやれよ!」とか

椅子を蹴飛ばされたら、超最低限の応急処置だけして、問題がおきたら、

「いや、自分が何をしたか記録が残ってないんです。メールのやり取りがログを兼ねてるもので、

 それが無いとなると、自分としてはいかんとも……」とか。

それでも学習しない体育会系の超クズ上司になったら、

どんなレガシーシステムがあろうと、ブラックボックスがあろうと、

使い捨てスクリプトが山ほどあろうとも、要求されただけの引継ぎだけして、

とっとと転職ちゃう

---

……というわけで、最終的に何が言いたいかというと、

 1)社会人だったら誰でも、1人の中に文系理系体育会系の要素が混在していて、

  ただ、大抵はどれかが突出して表面に出ている。

 2)どの系にもクズは居る。

  クズと非クズ境界線は"対話の拒否"と"多様性を受け入れることの拒否"である

 3)そして、まことに残念なことに、部活動の段階からして、体育会系には

  クズを育成、量産するシステム制度として出来上がってしまっている。

---

こんなところかな。

自分の考えを整理する機会になった。ありがとう元増田

2009-11-14

私は女性性に魅力を感じた事など一度も無い

はてな界隈では女性性に魅力を感じている男女が多いように感じるけど私は女性性に魅力を感じた事など一度も無い。

封建的なド田舎の家庭に育った私にとって女性性とはいかに笑顔で家に尽くせるか以外の何物でもない。女子力是即ち労働力なのだ。

私の母はずっと私に「女の子はハイニコポンじゃなきゃだめだ」とか「お父さんは立てなきゃだめだ」みたいなことばかり言い続けてきた。

(注:ハイニコポンとは、何かを申し付けられたら「ハイ」=気持ちの良い返事、「ニコ」=笑顔、「ポン」=黙って実行、すること)

それが家庭内における彼女とのコミュニケーションの全てだ。

よくテレビにはおしゃれや菓子類、アイドル恋愛体験なんかの話をしてきゃっきゃうふふする母子が出てくるけど、そんな話をしたことは20数年の人生において一度も無かったし、

物心ついた時点で父と母の間には多分恋愛感情なんか無かった。そんなもの労働現場ではあるだけ邪魔だからだろう。

両親にあるのは家族という組織を維持しようとする規律だけ。母が父を立てろと言うのは慕っているからじゃなくて組織の統制のためだったのだと思う。

こう言ってはなんだけど父と母の関係は頭でっかちで頼りない仕官とそれに仕える鬼軍曹現場を取り仕切る事実上リーダー)によく似ていた。

で、女の私は下士官候補生としてずっと忙しない母を傍で見続けてきた。

存在感の無い父を立てて、兄の尻拭いをし、寝たきりの祖父母に献身的な介護をして・・・怖くて仕方なかった。

あと十年すれば自分の番になってしまうのかと思うと怖くて気持ちがどんどん重くなっていった。

少女時代というのがこの修羅場までの猶予期間だと言うならとても楽しむ気にはなれない。そもそも楽しみ方が分からない。

一切の無駄が無い環境で訓練され続けたせいか思春期を迎える頃にはすっかり女の子女の子したものへの興味がマイナスになっていた。

大人になった現在、母の教育を拒んで一人暮らししているけど女性的なものにはどうしても嫌なプレッシャーしか感じない。魅力や良さがさっぱり分からない。

この分ではどこで何をして暮らしても生きづらいままだと思うけど、どうしたらよいものか。

2007-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20071108141827

「だからお前もウジウジすんな、裸足で面接に行け。」

それはひどい、かどうかはシチュによるな。元気づけかもしれん。人によってはそんなご無体な、と思うだろうな。が、元増田に限って言えば、そうは言ってないんじゃないか。「自分が裸足であることを理由に、人に噛み付くな」といっているだけ。別に鬼軍曹じゃないよな。

http://anond.hatelabo.jp/20071108141156

もはやどっちがどっちか分からんのだけど。

「俺の知ってる貧乏人は穴あきズボンでいつも裸足だったけど就職面接ではいつも堂々としていたぞ。」

ってのはへえそうですかだけど

「だからお前もウジウジすんな、裸足で面接に行け。」

とか言われるとうへえと思う。お前が裸足で行けよと。

要するにこれって鬼軍曹症候群で「俺が若手の時は一週間完徹なんてザラだった」とかデスマーチ推進してるのと同じメンタリティなわけよ。毎日椅子の上で6時間ほど意識失ってただけなのにな。

 
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