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2023-06-30

二次オタだからアイドルが嫌いって僅かな年代にだけある感覚なのかな

世は大アイドル時代

三次元二次元2.5次元も、アニメ漫画も、日本外国アイドルが売れまくり

ってのが現状じゃん。

でも俺はアイドル文化ダメなのよね。

三次元アイドル特に苦手だが、二次元アイドルも好まない。

オタクなのにアイドル嫌いなのって生き辛そう、三次元ダメなのはともかく二次元アイドルは大体の人が好きでしょ、ってのが今の世の中であり、実際そのように売れてると思う。


だが、俺の記憶では、二次元オタクは、二次元三次元わずアイドル文化距離がある方が当然という頃があった。

あれはただの俺の錯覚か? それとも世代的特徴か?

俺は今三十代半ばで、90年代思春期を過ごした。

世間では小室ファミリーモー娘。沖縄アクターズスクールV系の嵐が吹き荒れていた。

TVクラスカースト上位たちがそれらでキャイキャイ言っているのを、俺や俺の周囲のオタクはケッと思ってみていた。

俺たちの中で広末涼子話題に出たことはなく、レイアスカの話をしていた。安室奈美恵の話はごくたまにで、アムロの話をしている方が多かった(でもスパロボ知識。当然機種は初代プレステ)。

数歳年上のアムラーとかコギャルお姉さんたちは、萌え属性なんかじゃなく怖かった。そう、かつてはオタクギャルを怖がっていた。

あの頃、華々しいアイドル文化は、俺たちオタク(今でいう陰キャ)をキモがる側の文化であり、敵だった。

声優は、雑音まじりの文化放送で聞くことはできても顔すら知らなかったし、それをアイドル的におっかけてる奴は、多分都会にいて、オタクの中でも変な奴と思っていた。

この、「アイドルは俺たちに寄り添う存在ではなく、スクールカースト上位をさらに統括するスーパークイーンビー」という感覚は、成人してからも続いた。


過渡期になるのが、アイマスAKBなのかもしれない。

初期アイマスDLCがよく売れたらしいが、一方でアイドルというジャンルは、当時二十歳前後オタクにはあまりウケが良くなかったと思う。

折しも黎明期ニコニコで三大ジャンルになったものの、感染力がよわいというか、主にジャンルの内側同士で生産・閲覧されている雰囲気東方ボカロに比べれば強かった。

更に同時期に誕生したAKBだが、AKBの嫌われ方は、二次元オタクアイドル嫌い(特に三次元アイドル嫌い)を象徴していた。

その叩き方が悪辣だったとか、逆にAKB側も売り込みすぎな面があったとかまあ細部は色々あるが、オタクの中に「アイドル文化は俺らオタクの味方じゃなく、陽キャの味方」という意識はあったのは間違いない……はずだ。

だが、今は二次元でもアイドル作品が増えまくりである

別にアイドル物じゃなくていいだろというものアイドル要素を入れるし、アイドル作品ヒットしすぎだろと思っても次もアイドル作品がヒットしている。

オタクアイドル嫌い感覚ほとんど消えたのだろうか。







そもそも90年代アイドル冬の時代

そうだ、それを書き忘れてた。

タイトルで「僅かな年代」としたのはこれを念頭においてたから。

どうも上の世代オタクおニャン子だか戸川純だかでアイドルが好きだったらしい。リン・ミンメイに盛り上がったりな。

ミンメイやランカやΔの人たちの露骨アイドルっぽさに対して、マクロス7が男voで一応ロックバンドなことや、マクロスプラスシャロンディーヴァというかほぼ妖怪みたいな描写という異色さも時代の影響なのかね。そもそもマクロス自体、7~F(95~08)の時期は空白に近そうだし。俺はマクロス系を全然リアタイしてないか空気感よくわからんけど、とりあえずシェリルは好きでTVランカは性に合わない。

80年代半ば生まれで今三十代半ばというという僅かな世代オタクけが物心がつき学校に通いだす90年代アイドル文化対立しており、ついでに仮面ライダーウルトラマンテレビでやっていなくて、ガンダムもなんか下火で、あとGBの初代ポケモン流行ったがその後PSの爆売れのために任天堂よりソニー思い入れがあるetcetc、上のオタクとも下のオタクとも細かなギャップを感じることが多い……というのが発想元だったのに、肝心のそれを書き忘れてた。

2022-11-16

ジャニーズブランド、なんで強いんだろうね

エイベックス沖縄アクターズスクール系、LDH系も、ダンスボーカルクオリティ高いイケメングループを輩出しているのに、ジャニーズみたいには売れない。

やっぱジャニーズ以外の事務所にはゲイレイプ要素が足りないか腐女子を惹きつけられないのかなぁ。

80代男性からの性暴行に耐えている忠犬みたいな美少年からこそ、ダンスがそこまで上手くなくても、歌が明らかに下手でも売れるんじゃないかな。

推しジャニーズ事務所を辞めたら推すのやめるっていうジャニオタ結構多くて、やっぱり組織への忠誠心とか奴隷根性みたいなものが、

ジャニオタにとって大事ものっぽいように見える。ジャニーズ以外の事務所イケメン奴隷根性比較的少ないんだろうな。

二次元でも、鬼滅の刃の炭治郎が15歳で死を覚悟した戦いをしてたり、呪術廻戦の主人公男子高校生死ぬような感じで戦ってて、

少年軍隊所属して戦うみたいなの腐女子に人気だし、やっぱ人権のない奴隷少年って女性にとっても性的なんだろうな。

2022-03-26

anond:20220326075052

スーパーモンキーズ初期メンバーが明かす“アムロの圧倒的才能”

女性自身

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「(安室奈美恵最初友達の付き添いでアクターズスクールに来たんです。第一印象は、色が黒くて、すごく細くて、ごぼうのよう」

そう語るのは、ダウン症の子どもたちのためのエンタテインメントスクールLOVE JUNX」の創設者牧野アンナさん(46)。父は、あの安室奈美恵を見いだした沖縄アクターズスクール(以下・アクターズ)の創設者校長マキノ正幸さん(76)。アンナさん自身スーパーモンキーズの結成メンバーとして、安室とともにデビューした元アイドルだ。

引退後も、アクターズチーフインストラクターとして、MAXSPEED三浦大和黒木メイサ満島ひかりなどを育ててきた。現在は、AKB48SKE48振付指導担当SKE48ファンからは、その厳しい指導ぶりに「鬼軍曹」「クラッシャーアンナ」などと呼ばれている。

安室アクターズに現れた’87年当時をアンナさんが振り返る。

「どちらかというと暗い感じで。レッスン場でも隙間に隠れるようにしているし、発声練習ときも手で口元を隠すような女の子でした」(アンナさん・以下同)

ニコリともせず、事務所の隅でモジモジする10歳の安室に、誰もがスター性など感じなかった。ところが、正幸さんは違った。安室の歩き方だけで、輝くオーラを感じたのだ。一度、帰りかけた安室呼び戻し母親電話を入れ、「特待生します。授業料はいりません」と、その場でスカウトしてしまう。

そして、正幸さんはアンナさんやアクターズの生徒たちに、「俺は奈美恵特別扱いする。おまえたちとは才能が違う。奈美恵絶対スターになる」と宣言した。当初、アンナさんは、半信半疑だった。

「後になって、奈美恵を後のMAXミーナと一緒に『ちびっこのど自慢』に出したんです。ミーナは歌がうまいと評判で、私たちの間では断トツの優勝候補でした。ところが本番になったら……」

無口で、いつも隅っこにいた安室が、ステージの上で突然、スパークした。明るくはじけて、踊り、歌った。

「驚きました。その姿に、私も『イケる!』と思いました」

歌と踊りがとにかく好きで、無類の負けず嫌い母子家庭だった安室が、往復260円バス代を浮かすために、片道1時間半の道のりを歩いて通っていたという話は、アクターズ伝説になっている。

「難しい子ではありましたね。まず、言うことを聞かない」

練習サボるのではない。練習をしすぎてしまうのだ。「練習しすぎで、喉の状態おかしいから控えなさいね」とアンナさんが言った直後に、レッスン室から安室歌声が聴こえてくる。慌てて、注意をしにいくと、聞かないふりをして、まだ、続ける。

「人から指示されてするのは嫌だったんでしょう。嫌なことは、絶対に嫌。何時間、説得しても、横を向いてツーッと涙を流し始める。後年、本人が言っていました。『言いたいけど、うまく説明できないから』と。言われたことが理不尽だと感じていても、それをうまく伝えられなくて。葛藤の涙だったんでしょう」

やがて、20歳アンナさんをリーダー安室、後のMAXのナナとミーナ、そしてヒサコ(新垣寿子さん・振付師)の5人で、スーパーモンキーズが結成された。’921月、5人で上京大田区の3DKのマンションで共同生活を始め、9月には、第1弾シングルミスターU.S.A.』がリリースされた。

だが、すぐに売れたわけではなかった。東京スーパーマーケットレジ前で、パフォーマンスしたことも。

「私なんて、胸のうちで『サイアク』と思いながら踊っていたのに、奈美恵は『歌えて踊れて、楽しかった』って、ニコニコしながら言うんです。私とは違うなと思いました」

デビュー前は、アンナさんがセンターだったが、デビュー後は、安室に代わった。

ステージで一緒にパフォーマンスをしていると、わかるんです。観客もスタッフも、みんなの視線奈美恵に集中する。技術大事だけど、もっと大事なのは、人を引きつける魅力。奈美恵にはそれがある。でも、私にはなかった」

圧倒的な才能の差を目の当たりにして、アンナさんは、父の言葉を思い出していた。

スターになるのは、才能を持った人がさら努力した結果だ。おまえは裏方。裏方として輝く道だってある》

92年末アンナさんはスーパーモンキーズをやめて、沖縄に帰った。スターになる夢はきっぱり捨て、指導者として生きる道が定まった。

奈美恵は、できる子なのに、チヤホヤされてもてんぐにならず、もっと努力できる。あ、でも、彼女のは、努力じゃないのかもしれません。道を歩いていても、奈美恵自然に体が踊っちゃってる。私だったら、どんなに楽しくても、『さぁ、やんなきゃ』になる。でも、奈美恵自然に踊っちゃって、歌っちゃってる。『やんなきゃ』じゃない。それこそが才能なのでしょう」

 
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