はてなキーワード: 「ハイ」とは
今、この文章は新幹線の自由席で書いている。この自由席は本来であれば1週間後に乗っていたはずのものだ。今日とは言わずもう少し後に乗っていたはずだった。
大学を卒業してから新卒として入った会社に3年ほど勤め、退職を決意。
次の職場も何とか決まり、そこに移籍する前の有休消化期間。謂わば今は少し早めの夏休みだ。
そうなるとさすがに旅に出たくなるもの。
俺自身そんなアクティブな人間ではないと思っているが、有休消化期間が長ければ長いほど旅に出ないと勿体無いよねという風潮も何となくある気がする。
そうなってくると自分にはちょうど良い当てが1つあった。それは大学時代の友人。
かつて学科が同じだったそいつとは大学に入ってすぐに打ち解け、恐らく大学生活の中で一番一緒に遊んでいた。
大学1年からの付き合いで現在社会人3〜4年目辺りなのでもう何だかんだ7〜8年の付き合いにはなる。
そいつはと言うと、当初は俺と近しい地域で社会人をやりつつ彼女と同棲していたのだが、個人的な事情等もあってその仕事を退職。現在は彼女を連れて自身の故郷に帰り、そこで別の仕事をしている。
友人が前職を退いたのが今年の頭くらい。そして故郷に帰る直前の別れのタイミング、俺は友人にとある約束をした。
正直今言うとこれは冗談半分だった。その頃の自分の立場はと言うと、現職にブーブー文句を言いながらも怒られつつ何だかんだ仕事を辞める気配は無い人間。
転職活動はしていたものの、一向に次が見つかる気配が見えない。というか活動をする余裕もないくらいに精神を仕事にすり減らされていた。
そんな状況のため、転職できてももうしばらく先の話だろうなと考えていた。
春頃に次の会社とご縁があり、思いがけずに内定を頂いてしまった。本当にありがたい話。
そして現職から身を引く作戦も始動させる必要が出てきたため、何人かの人とお話をした後に退職手続きが完了。
立つ鳥跡を濁さずって言葉があるけど正直俺はその逆。割とウンコぶち撒けてその場を去るような辞め方をしたクソ害鳥だったが、それは今回の本題ではないので割愛。
とにかくにも有休や休日出勤をしていた分の代休が合計1ヶ月は溜まっていたため、さすがに何か特別めいたことをしないと勿体無いなという状況になった。
ここまで読んでお察しの方はいるかと思うが、俺には彼女がいない。悲しい悲しい独り身。
有休消化期間の旅に行こうぜ!なんてノリにフットワーク軽めで付き合ってくれる友人がすぐ見つかる程の陽キャでもない。
そこで先述の言葉に戻る訳だ。俺は友人にコンタクトを取り、そいつの地元に遊びに行かせていただく運びとなった。
この友人の彼女さんというのがすごい出来た性格の方で、俺なんかともニコニコ愛想良く仲良くしてくれる存在。
友人が引っ越す際に「遊びに来るなら新居の部屋は複数あるから是非泊まりに来てくれ」と言ってくれた際も彼女さんはその言葉に乗せて「楽しいんで是非来てください!」と言ってくれるほど。
もちろんそこには男女の一つ屋根の下での生活があるため、幾ら無神経クソ害鳥の自覚がある俺でも宿泊の予定を立てる前に最終確認の連絡をする。
それでも結局前向きな返事は変わらずだったのでお言葉に甘えさせて頂き、宿泊の用意をして友人の故郷に足を伸ばすことに決定。
大まかな遊びプランをLINEでグループ作成の上で話し合い、俺は1週間程度滞在させていただくことに。
滞在期間に友人カップルの休みである土日は計4日訪れるため、その4日で故郷と故郷近辺の地域を観光することになった。
休み期間の前半を家の片付けや家から足を伸ばした範囲で満たせる趣味、数少ない俺と飲んでくれる後輩等との食事、そして脳死ダラダラタイム等で消化。
そして月半ばくらいの金曜日に旅行の支度をし、家を飛び出して野暮用の買い物を済ませる。
電車→新幹線→電車というルートで友人宅を目指し、夜分遅くに何とか人生初めての地へ到着した。
早速快く出迎えてくれた友人カップルにささやかなお土産と引越し祝いを渡し、その日はチビチビとお酒を飲みながらボードゲームをして大いに盛り上がった空気感のまま就寝。
最初の土曜日は友人の故郷の有名な観光地を車で巡ろうということになっていたため、某動物園や海沿いの市場に出向いた。
動物園への道すがらの車内で音楽を流して楽しくお話しながら目的地を目指した。
動物園に到着するちょっと前には00年代のドラマの話題になってそのドラマたちの主題歌を流したり、友人の彼女さんが好きな00年代のジャニーズアイドルの曲を流してノスタルジックになったり。
彼女さんが鬼滅の刃が好きという話から現在の主題歌がそこまで評判良くないという話題にもなり、その曲を流したり。(俺は嫌いじゃないからね。マンウィズとmiletファンの方すみません。)
彼女さんは今の曲も別に嫌いじゃないけど私は遊郭編が好きで良い話だったからその時の主題歌がハードルとして高すぎた、みたいなことを言っていた。確かに。
到着した動物園では多種多様な生き物に目を輝かせ、もうしばらく人間以外の生き物は見なくてええわと言うくらい堪能した。ちなみに俺が一番好きな動物は体調不良でお休みだった。泣いた。
海沿いの市場でも買い物と簡単な食事をさせていただき、そこで実家や後輩に対してのお土産を送ったりもした。
その日の夜はみんなで酒を飲みながら楽しくゲーム。桃鉄をやって争いになりかけた。若干なっていた。友人がベロベロに酔って彼女を煽りすぎていた。
こればっかりは他人との仲を引き裂く桃鉄が全部悪いです。僕たちは何も悪くありません。
そして翌日。日曜日は友人故郷の隣の地域がその地区屈指の大都市であるため、電車で向かってそこの街をぶらぶらしての観光。
詳しい経緯は説明を省くが友人のお母様とも合流して食事をご一緒させていただいたり、有名な観光地を巡ったり。
そして繁華街の中にある有名なご当地のお店で晩御飯。某有名漫画家の方も度々訪れるというその店でご当地の味を楽しみ、「いや俺今旅人だわ〜〜〜」という心地良い感覚をビールの泡と共に胃に流し込む。
間違いなくその瞬間の俺は社会人としての苦しみ等嫌なことを全て忘れ、心地良い空気感の中に包まれていた。
友人と友人の彼女さんも翌日月曜日であるにも関わらず、俺の旅に付き合ってくれてご当地の飲食を堪能していた。良い旅のムードが確実に出来ていた。
出来ていたんですけどね。その時までは。
食事を終え、店を出る。時間的にもちょうど良い。このまま故郷に帰還し、お二人は翌日仕事等で外出。その時間帯俺は独りぼっちで外をブラつき、二人が帰ってくるまで外にいるという段取りの予定。
このまま帰っても良かったのだが、その考えは友人の悪魔の囁きによって打ち砕かれる。
「ここから徒歩で行ける距離に◯◯(日本屈指の風俗街)と××(日本屈指の趣がアレな地区)があるけど行ってみない?」
心踊った。全然金あるなら普通に1人で風俗行きたい。ただその時の俺はそうそう余裕がある訳ではなかった。だからそこの風俗街がどんな空気感なのか見るだけになるが、それでも心踊る。
後々調べたらそこって利用する気も無いヤツのひやかし歩き禁止らしい。マジで反省しています。
ただ、大きな問題がある。
友人の彼女を連れて行くのはいかがなものか。いかがなものかっていうか普通にダメだろ。
恐らく大多数の女性が見たら不快感を抱く光景であることは間違いないだろうし、同性愛者でもないその友人彼女さんに何のメリットも無いし。
ちなみにこちらも後で調べたら女性の方がひやかし目的で歩くことは禁止だったみたい。色々ダメじゃん俺たち。
後で振り返ればこういった妥当な判断を幾らでもできるのだが、その時はダメでした。酒ゲキ弱男の俺はアルコールに飲まれていました。
勇み足で◯◯と××に歩みを進める友人に向かって「Aちゃん(友人彼女)連れて行くのもアレだしさ、2人は帰って俺だけ見に行くか3人で見に行くか、Aちゃんの顔色見て判断した方がいいんじゃない??」と提案。
夜分遅くの繁華街から故郷までの電車での遠い道のりを女性1人で帰らせるのも宜しくないと思った俺と◯◯や××を見に行きたいという気持ちの俺が脳内で話し合った結果、そのような提案に。
ただ、そもそもこの見物の言い出しっぺは友人。友人がその勇み足を簡単に止めて「じゃあ、俺は彼女と先帰ってるわ。好きに見に行ってきな」と俺だけを送り出すはずもなく。普通に食い気味で「Aも連れて行きます」と判断。
というか何なら最低な話、アルコール飲まれモードの俺も普通にノリノリだったので「私は一応最低限の提案はしましたよ。その上で友人が彼女をこの俗人甚だしい歩みに付き合わせるのであればそれはお二人同士の問題です」というニュアンスを含んだ責任転嫁の丸投げ行為に等しい建前だけの薄っぺらい気遣いモドキな発言でしかなかった。
最低限の提案通り越してもうほぼ友人に3人で行くって言わせるための誘導尋問に近いよねもはや。
シラフの今思う正解は何かって?
そんなん「そんなもの見ずに3人で帰りましょう」に決まっておるじゃろ。
常連客どもの歌声がお構いなしに路上に響くスナック街を抜け、少し歩くとそれは見えてきた。
暗闇の中、幻想的にボヤァっと光る街灯。店の名前が書かれた質素な看板が通りに無数に連なっている。
風俗街って言うか遊郭って感じなのかな、表現としては。前日ちょうど鬼滅の刃の遊郭の話をしていたが、まさか翌日に本物を目にするとは。
そこの通りは各店オープンな感じで女の子が呼び込みをしている賑やかな空気感。その地域を知っている方はもうこの一文でどこに行ったのかお分かりだとは思う。
目を輝かせて首を激しく左右に振る俺。うわレベル高え〜、と高揚感が止まらない。性欲に対する行動がキショ中学生すぎる。死んだ方が良い。金無い社会人がこれやっているという状況がそもそも情けない。
ふと、横をチラッと見る。友人のテンションが意外と上がっていなかった。言い出しっぺの割におとなしいなと思った。その答えはすぐ横を見たら明白だった。
友人の彼女さんが怖い目をして俯いて歩いていた。
察した頃にはその通りも終盤に差し掛かる時。そして少しばかり歩いて完全にそこを抜けた後、彼女さんは友人に対してキレた。
「こういう場所とは思わなかった。何でこんなところ連れてくるのか。お前らだけで行けば良いだろこれ。」
そんな感じの内容でキレていた。前日に鬼滅の刃の遊郭編のことを嬉々として語っていた子が遊郭見させられてキレている。
それを聞いた時点で俺と友人は内心「風俗街ってことは今日の会話の中で何回も言ってたやん」とは思った。なんなら思ったというか友人は口に出して彼女にそう言った。
そしたらそんなこと聞いていない、私が認識していたのは××(趣がアレな地区)の方だけだとキレ返された。
そもそも悪ノリで女の子付き合わせてる時点で何言おうと俺と友人サイドが100%悪いんだけどね。100:0でこちらの過失だよ完全に。
気まずい空気のまま最寄りの駅まで歩みを進める。俺は友人に「××は行かないの?」と小声で聞いた。この空気で行くわけねえだろバカかこいつは。
道中、その地域の名物の建物があったので「そういやこの建物昔出張でこの都道府県来てた親父が嬉々として写真送って来たわ」的な話をした。
それが琴線に触れたのかその直後、友人彼女は俺に顔を向けて「増田さんも共犯ですからね!悪いのはコイツ(友人)ですけど!!」とキレてきた。初めてこの子にキレられた。怖い。
引き続き気まずい空気感の中、最寄り駅に到着。そしてそこで死の宣告に等しい一言が友人彼女の口から発せられた。
「増田さん。すみませんが今晩のところはどこかホテル泊まってくれませんか?私はコイツ(友人)に話があるので。」
俺は何も考えず二つ返事で「ハイ」と口にした。怖かった。普段怒らない人が怒ると怖いとはこのことか。
そして友人宅まで長い時間をかけて帰還し、何とかホテルを確保できた俺は一旦荷物をまとめるために一時的に寄らせてもらうことに。
ただ、俺は酔いが冷めてきていた帰り道すがらで考えていた。
多分もうこれ以上の滞在は無理だろうな、と。
きっとこの荷物まとめ作業は一時的な撤収のためのものでは無いだろう。完全なる帰り支度となるだろう。
友人は一応コッソリと「何とか説得するわ」とは言ってくれたものの、何となくここで旅はおしまいだなという空気感がその場にそこはかとなく漂っていた。
一応友人彼女も感情的になっていた先刻とは打って変わり、表面上は落ち着きを取り戻していた。そして俺に告げる。
「一応増田さんが旅を楽しんでくれるよう最大限考えて話し合いはしますけど…。すみません、正直もう帰ってもらう前提で考えといてください。」
完全に同じ認識でいたので逆にホッとした。間違いなく俺は帰ったほうがいい。
こちらが100%悪いのに終盤まで気遣いをして頂ける辺り、改めて性格良い方なんだなと実感する。ホンマ何でこの性格の人を怒らせられるねんこのバカ男2人は。
荷物をまとめ終わり、玄関のところで帰る前提の挨拶を2人に済ませる。一応念のため翌朝にでも話し合いの結果を報告ちょうだい、の一言も付け加えた。
仮に話し合いで状況が大逆転して予定通りもう少し泊まっていて良いですよとなったところで、もう俺にそこから更に1週間泊まるバイタリティは残されていなかったような気はするけど。
そしてホテルに向かい、フカフカで寝心地良いはずの布団で寝付きも悪く、翌朝5時台に目が覚めた。
寝ぼけ目で見たLINEでも状況を飲み込むことに迷いは無かった。やっぱ話し合いした結果、無理でしたの報告。
女性が性的な商品みたいになっている光景にショックを隠せなかったとのこと。
友人からは全部俺が悪い、お前はむしろ被害者だからごめんという謝罪の文章が書かれていた。お前が俺を許してくれるなら付き合いは切れないと思うので、と。
ただ、帰ることが決まった以上は電車と新幹線の時間、あと何より予算的にも遅くまでの滞在はできない。
俺もサシで飲んでその場の気持ちだけでも清算しておきたかったが、それは断念した。
その日、ホテルのチェックアウトを済ませた後に1人でその地域の歴史的なお城を少しばかり観光し、ご飯を軽く食べて立ち去った。
全ては自業自得故の裁断。そこに名残惜しいとか怒りとかそんな簡単に言語化できる気持ちは残っておらず、とりあえず家に早く帰りたいとの思いだけで電車に乗った。
そして新幹線に辿り着いてから書き始めたこの文章も終盤となった今。無事に自宅の最寄駅に到着した。
楽しさと罪悪感が入り混じった数奇な初夏の思い出がそこには残っている。
終盤が怒涛の展開すぎてもしかしたらこれは全部夢だったのかもとさえ思っている。俺はハナっから友人と遊んでなどいなかったのかもしれない。
でもそれでも良い。そんな悲しい結末だったとしても俺は耐えられる。何故なら俺は長男だから。厳密には姉がいるから炭治郎と違って一番上じゃないけど。
そういえば。帰りの新幹線で例の鬼滅の刃の主題歌を聴いていたが、曲が二番のサビに差し掛かるとマンウィズがこんな歌詞を歌っていた。
“解き放て今 僕らが起こした火を 舞い上げ走れば明日が変わるはず”
疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。ある土曜日、気のおけない友人と一緒にランチを楽しんでいると、彼女と同じ部署の男性の話になった。ねえ。彼女があまりにも浮いた話をしないものだから、どうかわたしの愚痴をお聞きになってください。
なんでも友人がね、その同じ部署の彼を、ある日カフェで見かけたんだけど。その時、彼が店員の女の子に話しかけてたんだって。髪の感じが変わった? って彼が女の子に聞くと、「その子が、はい変わりました」って元気に答えるの。すると彼は、似合ってるねと褒めたんだって。
その女の子、飛び上がるようにして、「ありがとうございます!」って声を上げたらしいんです。同僚に言わせると、それが気持ち悪かったみたい。いい大人が、あんなに若い女の子に声をかけて。それが気味悪いんだって。そう言ってました。
わたしは、それは個人が決めることじゃないですか。ほかの人が干渉すべきことなんですか? そんなことを言ったと思います。友人は何も言わない。次の話題にどうぞ、といったところ。
仕事の帰り道、わたしはコンビニに寄ります。お気に入りのサンドイッチと無味の炭酸水を手に取って並んでいたら、前にいる男の人の番がきた。そのレジには、ちいさくって可愛らしい女子店員さんがいた。くりくりとした目で、どこかおぼつかない感じで。この子を見たことはなかった。
そしたら、その男の人が、こんばんはって挨拶をしたの。その子に。それで、その子も「こんばんは」って、不安そうに挨拶を返してた。すると、彼がまた言うのです。もう慣れた?って。
「まだ全然です」とその子が返すと、すぐに慣れるよ、頑張ってね、だって。「ハイ」とだけ返してその子は、彼の商品のバーコードを機械で読み取っていた。
気持ちが悪い、と言った友人の気持ちが少しだけわかったかもしれない。男の人って、女の子と話すのが好きなんだと思う。お喋りしたいとか、デートしたいとか、セックスしたいとか、そういうのじゃなくて、もっと格別な何か別の感情があるんだと思います。
それでまた、気のおけない友人と会う機会があったので、聞いてみた。女子店員に話しかける男性をどう思う、ということを。
マキノさん、と彼女は言った。まともに生きてきた人間はね、自分よりもはるかに年下の子とか、話しかけなくてもいい人と雑談をしたりしないの、ときっぱり言った。
そう。そうかもねと感じて、あの同僚の人はどうなったんですかと問うてみる。友人は、知らない、興味もないし見ていたくもないと澄ました顔で。
かくいうわたしも、まだ専門学生の頃、スーパーマーケットでレジ打ちをしていたことがある。そこで常連の男性に声をかけられた。天気の話から始まって、専門の学科を聞いてきて、応援してるとか、頑張ってとか、いろいろ言われたかなあ。
声を聴いていて、「優しそう」と感じた記憶はあるけど、それだけ。いつもわたしのレジに来て、そうとうに短い時間のなかで、とりとめのない話をする。ただ、それだけ。
そんなわたしの話を聞いて、気のおけない友人はまた言うのです。そんなのはね、女の子と話したいから話してるだけなんだって。男の人はね、保険がほしいんだって。自分が誰かに好かれているという保険が。とくに「女の子に好かれてる」という保険がほしくてたまらない。
それがあれば、男の人は辛い時でもがまんできるんだって。それがないと、辛い時に心がぽっきりと折れて、二度と元に戻らないんだって。
だから、男の人はみんな、彼女がいてもいなくても、結婚しててもしてなくても、女の人に好かれる努力をやめない。モテる努力という費用を支払って、女の子にモテたことのある過去の自分、という保険を買ってる。
そんなことをされて、女の人はいい迷惑なんだって。気のおけない友人は言ってました。
自分のことを言われているようで心が苦しい。わたしも誰かに好かれていたい、と何となく思うことはある。嫌われてると思うと少し残念な気持ちになるし、でもその人の「嫌い」という感情を大事にしないといけないとも感じる。でも、やっぱりちょっと嫌だな。
それはエゴなのかもしれないって。結局、自分のことが一番大事だから、人に嫌われるのがいやなんだよね。相手のことよりも、自分のことを考えてるんだよね。
誰かに話しかけるのは、その人の自由だよ。それにどう返すかも相手の自由。その人が決めるの。いえ、その人達が決めることです。
誰かが誰かと話をするのがおかしいって、それって、それって、差別なんじゃない? とわたしは気のおけない友人に話してみたのです。空気を読めずに。いや違う。むしろ読んでる。
あのね、マキノさん。と友人は言った。人間って、相手の気持ちを想像することが大事なんじゃない? いい年をした大人が、話しかけられた相手の子の気持ちを想像できないって、それは変じゃないですか。そういう人って、親の気持ちもわからないし、友達の気持ちもわからないんじゃないですか。だから、自分よりもはるかに年下の子に話しかけるんじゃないですか。
ねえ、マキノさんはどう思いますか? これはそのまま「常識」の問題じゃないですか? 社会に共通している考え方を、その人たちは持ってますか?
とまあ、そんなことが先日ありました。
他人を想像するのって難しいね、とわたしは最後に答えた。その男の人達の行動はただしいのでしょうか。でも、社会に生きる多くの人が間違いだって認めたら、やっぱりだめなんだろうなあ。
あの時の、コンビニの女子店員さんが頭の奥に浮かんだ。今度、わたしも話しかけてみようかな。あの男の人の気持ちと、できれば、あの女の子の気持ちがわかるのかもしれない。期待がいっしょに浮かんだ。
女性向け界隈で謎といえばこれだったりする。今だと呪術廻戦。ちょっと前だと鬼滅の刃。コナンは息が長いと思う。
女性向けというといろんなマナーとかルールとか多くて厳しいというイメージなんだけど、なぜか少年誌の作品をエロBLにしたりする。
刀剣乱舞とかヒプノシスマイクとか「女性のための作品」があるからそっちを描けばいいと思うんだけど、根強く少年誌はエロBLにするのに強力な求心力がある。
男はどうなんだよと言われると男性向けエロも女性向けエロBLと変わらない。昔はセーラームーンからカードキャプターさくらから少女漫画がエロ同人になってたりした。
ただ男性向けは10年20年ほど、ラノベ原作とかきらら系原作がアニメ化してた時期があって、その場合、原作者がエロ同人に詳しくて「ご存じですよね?」という状況でなんとなく緩い感じだった。
プリキュアは「大きいお友達」の存在を認識して、彼らにウケるかどうか?も作品のなかでコントロールしようとしている。
一方で少年誌の作者はおそらくBLエロになってるとかあまり想定してないと思う。これがBL界隈の危ないところだと思う。
BLの作法なんて知らない原作者の作品をBL化するというのは想像だけど結構な暴力的なことのようにおもう。
男性向けが原作者が趣味で二次創作エロを描いてて、その原作者の作品がアニメになってエロ同人になって・・・とぐるぐるサイクルが完成していたように思う。
以下は麻雀をやりながら思ったことである。最初に目の前に並んだ12枚の牌をみて「うわ、配牌悪いなあ」と心の中で呟いたのだが、この配牌、という言葉は少し変わっている。牌は単独では「ハイ」だが、「配牌」という時には「ハイパイ」と半濁音になる。単独でもパイと呼ぶ場合もあるではないか、という反論はあり得るが、ハイと発音する個人であっても、配牌は必ずハイパイと発音するので、ハイ→パイと変化させる要素が語の中に潜んでいるのではないかと思われる。ここで、「単独でハイと読む語は熟語になった場合はパイとなる」という仮説を立てた。(だいたい一巡目のツモを切るまでに考えた)
仮説を実証するためにそれを裏付ける事例と反例がないかの確認を行わなくてはいけない。「肺」は「心肺」となるとシンパイと読む。「杯」を使ったカンパイというのもある。大丈夫である。では、「ハは熟語でパになる」とまで拡張できるであろうか。ハから始まるのはハイ以外に何があるか。えーと、ハンがあってそれ以外にはハ単独ぐらいだろうか。(ここら辺で二巡目のツモ)
ハンコのハンは熟語では「サンモンバン」となる。お、反例が出てきた。ハで単独で読むのは刃物の刃がある。お、いま、ハモノって言ったよね。半濁音どころか濁音にすらなってないよね。「三枚刃」だと半濁音でなく濁音になる。となると、仮説の拡張はダメで、「ハイは熟語でパイになる」までしか言え無さそうである。(ここらで三巡目に入ったがポンするやつとか出てきて盤上に集中して考えが途切れた)
送別会の夢を見た。
前の会社には新卒で入った。終身雇用は夢見ていなかったが、会社に愛着はあったので、数ある危機も、会社の死に水を取るつもりで敢えて脱出することは無かった。
いくつかの危機の後、激務の果てに、周りの人間が脱出を試み、そしてある時自分もこの会社を支えることが出来ないと自覚した。
なんとか業務を健全に保てないかと8am-11pmで奮闘し、慣れない英語で人材を確保し、人材派遣の会社と闘いながら日々の業務+改善を進めて行った。
しかしそれも叶わず、とうとう心が折れ、内に籠って休職し、うつ診断後闘病し、フェードアウトするようなリタイアを選んだ。
収入と支出をしっかりと検討した結果、今の貯蓄で充分年金まで持ちこたえることが出来、そして年金だけでその後もやっていける見通しがついた。
なので失職後は再就職を目指すことなく、FIREの道を進んだ。隠居。
休職からの退職、在籍中の人々からは消えるようにいなくなったと思われただろう。
挨拶も何もなく、ただ消え失せたと思われただろう。
退職後、幾度も「どうやって退職するか」を苦悩する夢を見た。既に退職しているのに。
20年以上、自分の生活の中で大きな部分を占めてきたのが、仕事だった。
そのアンヴィヴァレンツな状況のまま膨大な作業量とプレッシャーに耐えられなくなり、休職した。
休職後は、復職するだけのモチベーションを見つけられず、退職を選んだ。
(傷病休暇中という立場で、会社から復職するか意図を聞かれたが、それにどうしても「ハイ」と答えられなかった)
辞めた身から、まだ現場にいる同僚には自身の辞職については何も言い訳ができない……と思っていた。
「お前が弱いからだ」「お前がしっかりやらなかったからだ」という責めについては表立って受けたことは無いが、退職を選んだ時にすべての関係者から責められてもいたしかたないと思っていた。それだけ罪悪感を感じていた。
後ろ指を指されて当然と思いながら退職した。
しかし自分には、その過去の知人友人同僚を捨ててでも、あの立場から脱出する必要があると考えていた。
自死や希死観念と戦いながら、「周りにいる人を悲しませない」ために取れるただ一つの手だと思っていた。
そこは、後悔ばかりの選択の中で、胸を張って「間違っていない」と言える選択だった。
それは在籍中の楽しい思い出(20年も務めているのだから、そりゃあ色々楽しい事もあった)を失う羽目になった、という思いも少なからずある。
人生の半分をその会社と共に過ごし、それを失ったのだから、当然そう感じるだろう。
そんな思いに折り合いを付けながら、隠居生活を3年ほど続けた。
そして、先日夢を見た。
その夢の中では、どんな理由かはわからないが、自分は退職して、そしてその送別会に参加していた。
仕事上縁があった沢山の人たちが酒を交わしながら、これからも頑張れよと声をかけてくれた。
今では名前も思い出せないが、確かに顔は覚えている元同僚が、沢山集まり、一緒に飲んでいた。
目を覚ましてしばらく茫然とし、そして泣いた。
彼らにお別れを告げられぬまま退職したという後ろめたさ、祝福されて次のステージに移りたかったという想い、その両方から泣いた。
今となっては彼らにどうやって3年前の別れを説明して良いかもわからない。
自分に耐えられるだけの力があったら、もっと頑張って仕事で彼らを支えたかった。
しかしそれはもう無理だと判断し、捨てることで自分を保ってきた。
忘れようとして忘れていたのに、こんなことで思い出すとは。
彼らからしたら「いつも見ている同僚が一人いなくなった」「仕事で縁がある人が一人いなくった」ということだろう。
自分がいなくなったとしても次の担当者が取って代わるだけで、本来の仕事には支障がないはずだ。いや、支障が無いからこそ自分は退職という道を選ぶことが出来た。
自分の退職が、彼らの負担にはならないと思ったから。そう信じたかったから。
あの時の自分はそう選択したけど、そんな選択をしなくても良い状況だったら良かったのに、とは常に思う。
楽しかった仕事もあった。みんなに挨拶して、笑顔でお別れを言いたかった。
あの時挨拶出来なかったみなさん、ごめんなさい。
...
今日、昼飯に何喰おうか迷って、
それを通り越して、行った。
牛丼屋の方が安いだろうと。
ア:「くぁwせdrftgyふじこlp」
俺:「あ、ちょっと待って。」
と言ってメニューを眺めてた。
決まったので呼ぼうとしても、みんなが忙しそうで呼べそうにない。
暫くしたら上げ膳のお兄さんがいたので、配膳が終わってから声をかけた。
俺:「すいません、お願いします。」
ア:「ハイ、ドゾ」
ア:「カラアゲド、デキ、ナイデ」
俺:「え?唐揚げ丼、できないの?唐揚げができないって事?なんで?」
ア:「ア、ゲ、モ、ノ、デキ、ナイデ」
俺:「え?...」(唐揚げ丼喰う為にここに来たのによー、入り口にでっかく貼っとけよー)
俺:「んー、じゃー、しょーがねーなー、並と玉子で。」
俺:「ハイ」
ア:「コレデ、イデスカ?」
俺:「ハイ」
でもこいつに怒ってもしょーがねーよなー。
はるばる日本に来て頑張ってんだよなー。
こいつらこう見えても、何か国語か喋れるんだよな。
英語なんか俺より上手いんだろ。
喰う予定じゃなかった牛丼、大して旨くもなかったよ。
でもそれ抜きに、多分あの人は社長の地位がアイデンティティみたいになってて他人に譲る気がなかった気がする
一応、2年ぐらい前までは年齢の割に凄くしっかりした社長だったんだけど、ここ最近本当に受け答えがおかしい
ミーティングでも
「木曜です」
「Aさんは明日でしょ?」
「違います」
「Aさんの所に行くの明日だったよね?」
「………」
「おい、営業くん俺の話聞いてる?」
何の話してても全部この調子で、無駄なターンが多いのでみんな疲れてるし自分も集中力が持たない
「聞いてる?」も何も、聞けてないのはアンタ一人だけなんだわ
短気な人達は最近、社長に話し掛けられただけで既にイライライライラしてるし
温厚な人達も面倒臭くなって間違ってても「ハイ」で済ませて後で揉める
言った・言わないとか、変な部分だけは意識しっかりしてるんだよな…
まあ多分、症状が悪化する前に辞めて逃げた方がいいんだろうけど
自分は両親と揉めてて、転職するにも身元証明書取れそうにないからこのまま静観の構え
誰も社長の奥様に向かってご主人認知症では?なんて言えないだろうしな
以上愚痴でした
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「Y係長。相談があるんですけど」「ん」「すみません、ここではちょっと」「じゃああっち行こうか」
「…で、どうしたの?」「えっと、私、Y係長に教えてほしいことがあって…」「うん」
「私実は、〇〇したことないんです」「え、一度も?」「ハイ」「それは、まずいな」
「アハ、まずいですよね。だから、あの、私に教えてくれませんか、やり方」「俺が?まあいいけど…めんどくせぇな~」
「そんなこと言わないでくださいよ…Y係長なら上手そうだし、優しくしてくれると思って。私、Y係長から教わりたい。お願いします」
「しょうがねえなぁ。教えてやっか」
「ありがとうございます!よかったぁ」「で、いつにする?」「できれば今週金曜の仕事終わりとかいかがですか。ノー残業デーだし」
「ちょっとまって、手帳確認する…もしかしたら、出張で戻りが夕方過ぎるかもしれないけど、いい?」
「(ってことは絶対過ぎるな)大丈夫です。本当は大丈夫じゃないけど」「え?」「いや、なんでもないです。仕事やって待ってます」
「悪いね。場所どうする?」「んー、考えてなかったですけど、いい場所知ってますか?」
「わかんねえな、最近行ってないから」「ウラのビジネスホテルはいかがですか」「ああ、そうだね。近いし」
「予約しときます。ごはんってどうしますか」「じゃあ、最初にメシ食ってからにしよう。増田さん、車ないでしょ。俺送っていくから。メシ何食べたい?」
「ラーメン以外なら」「前、ラーメン食ってトイレ駆け込んでたよね笑」「いや、あれは、違うんです…」
「笑。金曜ね…(手帳にメモ)」「あの、何か持っていくものってあるんですか」「大丈夫」「分かりました。当日は、ご指導のほどよろしくお願いします」
学年に一人はいた、子どもなのにめっちゃ白髪…というほどではなかったけれど、友達にはないのに私にはある、とは思っていた。
25歳くらいのころ、教え子に「先生白髪ー」と言われ、鏡でよくよく確認しΣ(゚д゚lll)状態となり、美容室で小声で「すみません、白髪染めにできますか?」と
めちゃくちゃ恥ずかしい気持ちでオーダーした。
美容師さんは、当時私は黒髪にしていたので、地毛が真っ黒で白髪が目立つのかもしれないこと、白髪染めにしなくても明るいカラーなら目立たないこと、地毛に合わせて白髪染めすると本当に「真っ黒」になるから他のカラーが入らなくなることなど、遠回しに「やめておけ」と言われた。
でも、白髪の気配が1本でも許せなかったので、真っ黒に白髪染めにし、ソッコー色に飽きて後悔した。
30歳くらいになると、「今回も白髪染めでいいですか?」と聞かれるようになり、恥ずかしいなぁと思いながらも「ハイ」と答えるようになっていた。
35歳(今)では、白髪染めに恥ずかしさや抵抗はない。それより、髪質自体が老化しているのを感じる。前はツヤツヤでサラサラでぴーんと弾力があったのが、細かくうねうねして表面ががさっとして見えるし、20代と同じ高級なトリートメントを使っても治らなくなった。
白髪の量は、頭頂部のどこで分け目を作っても「これ全部抜いたら禿げるな、てか多すぎて抜くの大変」ってレベルに白髪があるが、割合的には圧倒的に黒い地毛が多いので白髪が目立つ状態。
私が20代のころ、30代の知り合いにやはり地毛が真っ黒で白髪を放置している人がいたけれど、みっともないというか、終わっているなぁ、と感じていた。
だからなんとかしなきゃいけなくて、せめて目立たぬよう明るい色に白髪染めしてもらっている。しかしそもそも髪の老化で、髪自体が汚く見える。それなのに白髪染めでまた髪を傷めることになり、ますます汚くなる悪循環。
トリートメントはもたないが、髪を傷めることはない。しかし地毛より明るくすることはできない。
つまりトリートメントだけで済ますには染めていない状態(黒髪)に戻す必要がある。しかしさっき書いた通り、真っ黒な地毛が多い状態なので、白髪が生えてくるとめちゃくちゃ目立つ。
美容師さんに聞いたところによると、私のような髪質は、最終的には真っ白になるタイプらしい。
今は地毛が真っ黒なところに真っ白な白髪が混じるから、白髪染めどうするか困っているが、そのうちこれが、頭頂部から真っ白な髪が生えてきて根元が真っ白だわ、と悩むことになるのかと思うと、老化ってすげーな、と、真っ黒な根元を見て思う。
とりあえず、真っ黒な髪が優勢の今はサロンで全体染め、根本を市販でリタッチして、根本が黒って言うより白、になってきたら、トリートメントに切り替えるか…。
[追記あり]
日本語の母音は昔からアイウエオ5段だったわけではなく、時代によって変遷があった
50音図やいろは歌が広まった平安時代以降は概ねアイウエオ5段だったんだけど
万葉仮名の分類を行った結果、かつては
(ア)(イ甲)(イ乙)(ウ)(エ甲)(エ乙)(オ甲)(オ乙)という8段の母音があった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BB%A3%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3
という話を前提として。
この8音はどの音も平均して使われていたわけではなく、出現頻度の高い音と低い音があることを大野晋という学者が発見した
https://www.dai3gen.net/boin.htm
なぜこのような分布の差ができたかという理由について、大野晋は
出現頻度の低い4つの母音は本来の日本語の母音ではなく、他の2つの母音が融合してできたものだという説を出し、現在概ね受け入れられている
(被覆形・露出形/動詞活用の期限 などで調べるともっと詳しい話がわかると思う)
http://shouyouki.web.fc2.com/sakaya.htm
このなかで、エ段音だけは甲も乙も本来の音ではないので、日本語では連続して出てこない
特に擬声語・擬態語では「デレデレ」など新しく作られた言葉くらいしか現れない
[追記]
これは概ね賛成。露出形・被覆形についてはhttp://nobinyanmikeko.hatenadiary.jp/entry/2019/02/23/011616
この法則は複合名詞の時に一部の母音が交替する現象を説明したものなんだけど
例)
酒 サケ乙 : 酒蔵 サカグラ
爪 ツメ乙 : 爪先 ツマサキ甲
木 キ乙 : 木陰 コカゲ乙
身 ミ乙 : 躯 ムクロ甲
この他にも上二段・下二段活用の未然や連用形で出てくるイ段・エ段音は乙類であるって法則があり、
その場合関連する自動詞・他動詞ペアでは上記被覆-露出の交替と同じような母音が現れることが知られている
ちょっと説明が複雑になったんでこれも例で説明すると(わかりやすく現代の上下一段動詞を前に//でつけて説明)
例)
詰める//詰め ツメ乙 : 詰まる//詰ま ツマ
起きる//起き オキ乙 : 起こす//起こ オコ乙
こんな風に、エ乙とアが、イ乙とオ・ウが密接な関係にあることがわかると思う
これがなぜア・オ・ウにイ甲がついたものだと言われているかと言うと
嘆き ナゲ乙キ甲 が 長息 ナガ + イ甲キ甲 が縮まってできたものだったり
日本語の 神 カミ乙 が アイヌ語に kamuy という単語で借用されてたりなどの
"エ段音だけは甲も乙も本来の音ではないので、日本語では連続して出てこない"ってエ段の母音の発生が遅かったから少ないという意味?平安時代には存在して1000年たっててもまだ足りないのだろうか
1000年は結構な時間な気がするけどそれでも足りないみたいだね
例えば撥音「ん」は50音図やいろは歌成立時点では存在せず、今の漢字音が定着した時代に広まった(平安時代末期くらい?)んだけど
それでも「ん」が頭に来る単語はほとんど作られてなくて、それゆえにしりとりのルールが成立する
なお日本語と2000年ほど前に分岐したと言われている琉球方言では「ん」が頭に来る単語がたくさんある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%93
宮古島「んみゃーち」など
ら抜きをすることでエ段音の連続になって言いづらいのにら抜きを強行してる人を見ると、なんでそこまでらを言いたくないのか疑問に思ってる(続ける、見せる、食べるなど
やや話がずれるけど、ら抜き言葉は自発と可能を言い分けるために可能動詞からの類推で派生したといわれていて
発音の制約より意味の使い分けの方が重要だとみんなが思い始めたから広く使われるようになったんだろう
ちなみに「続ける」「見せる」「食べる」自体は特にら抜き言葉でもないんだけど
「続けれる」「見せれる」「食べれる」と言いたかったんだよね?(100文字の制約下で正確にものを言うのは難しいと思うんで)
ただ大野晋自身は後にこの説を放棄し、タミル語の母音に合せて、日本語は初めからa,i,u,e,oの5母音だったと修正している
タミル語説には近づくな
ラ行とパ行も新しいってなんか大学で習ったような習ってないような
ラ行音は特に新しい音でもない。が、日本固有の単語では頭は出てこない
これまたしりとりしたらわかると思うけど、ラ行で始まる音で返そうと思ったら
林檎みたいに漢語由来の言葉を使うかラッパのような外来語を使うか
この原因は色々推測されてるけど、朝鮮~北東アジア一帯に似たような性質を持つ言語がいっぱいあるので
古くはこうした地域に特有の発音方法だったんじゃないかって言われている
(※もっと踏み込んで、直接祖先が一緒だったんじゃないかという説もあるんだけどアルタイ語説には近づくな)
パ行は発音の変化の結果分離した。古くはハ行がパ行の発音だった
北京が「ペキン」なのはホクという読みが昔は「ポク」に近かったことを示してるし
上海が「シャンハイ」なのは昔「ハイ」という音がなく、海の読みに近い音である「カイ」を使っていた証拠
ハ行転呼音で調べると詳しく出てくる
俺はしがないサラリーマン。
ひょんなことから単身で異人がひしめく異世界にやってきてしまった。
この地では異界の言語が使われている訳だが、色々とおかしな言語だ。
特に会話が始まる時に受ける「ハイ」→「ハワーユ」というコンボ魔法。
なんだお前、いきなり魔法で質問とは失礼だろう。日本人の信条は察しと思いやりだぞバカ野郎。
たまに現実世界から落ちてきた日本人と出会うのだけど、そいつらもハワーユ使うから、
「おいお前は俺の世界の住人だろう、何言ってんだ目を覚ませこの半オーク野郎。」などと思ったりもした。
とは言え皆詠唱してくるから仕方なくファインだとかグーだとか唱えることで乗り切るのだが、あの頃は動揺がハンパなくて詠唱のたびにガンガンMPが減った。
今ではMP0で詠唱できるこれら魔法も昔はまだ熟練度が低かったんだ。
もちろん以前から書物でその存在を知ってはいたが、なんか教科書的だと思ってたので、ハワーユに対して「現実世界に帰りたい」とか言ってしまっていた。
でもね、周りの会話見てると変わり映え無くハワーユ→ファイン、ハワーユ→グーと詠唱しあってるので、「なんだファインやグーで良いんか」って分かってホッとしちゃって。
この気持分かる?
今では「アンドュー」までMP1で唱えられるようになったし自分の方から先制攻撃出来るようになった。大した進歩ですよ。
話が逸れた。つまり会話の始まりから気軽に答えられる質問文で心をほぐして質問自体に敵意は無いですよと無意識にアピールして建設的な議論できるこの言語すごいなと思った話。タイトルとちょっとズレてるけどまあ良いや。終わり!
猫カフェに行った。
2階に猫カフェがあり、初めての猫カフェだったのでワクワクしていた。
中に入ると、土足ではいる玄関口と、会計用のカウンターが1つ。
部屋に入るところにはフェンスが置いてあった。檻のようだった。
「初めてですか?」と女性スタッフに聞かれたので「そうです」と答えると
「では、ここにある注意書きを読んでください。読み終わった頃に来ます」と言われた。
注意書きは、単に猫への接し方等、基本的なマナーについても書いてあった。
そして最後に一文「読み終わったらスタッフを呼んでください」と書いてあった。
注意書きは読み終わった。ただし、スタッフは全員バタバタ忙しそうに動いていて遠くに居る。
注意書きには「大声を出さないで下さい」とあった。どのくらいが猫にダメな大声なのかピンと来ない。
猫にとっては見知らぬ人の「すみません」っていう声だけでも嫌なんじゃないかとか考えていた。
そして友達も注意書きを読み終わったらしい。「店員さん呼ぶ?呼ぶ?」みたいな会話を小声でしていたら
「読み終わりましたか~」と笑顔で言ってきたので「ハイ」と答えると顔が般若に変わった。
「注意書き読んでないんですか?最後の一文読めますよね?読めないんですか?
言い訳は聞いてません。決まりごとを守れない人は帰ってもらっても良いですよ」
と息継ぎすることなく言われた。
私も友達も、何故か謝ってしまった。スタッフは「決まりは守れるんですか?良いですか?帰っても良いんですよ?」
と何回も繰り返し言われ、ただただ、私も友人も謝った。
そのあとの猫とのふれあいは良かったけれど
帰ってから「何故スタッフに謝る必要があったんだ?」と腑に落ちなかった。
言い訳する間も与えず、何を言おうとしても言葉を遮ったあの態度。
怒りかえしても良かったんじゃないかなと思う。
ねこっ○というお店だ。調べたらあったわ。
ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。
祖母は沖縄県中部の農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。
毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。
突然学校でウチナーグチ(沖縄の方言)を話すことを全面的に禁止されたのだ。ウチナーグチは本土の人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、
こんなものを日本語と認めるわけにはいかん、正しい日本語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。
日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチがポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ、
ほかの生徒たちが見守る中で厳しい体罰を食らわされた。三度の飯よりお友達とのおしゃべりが大好きだった祖母もこれには相当参ったらしい。
祖母は本人曰く「とてもこわがりな性格」で、痛い思いをしておまけにみんなの前で恥をかかされることが本当に恐ろしかったんだそうだ。(ほとんど毎晩うっかり方言を喋ってしまいみんなの前で叩かれる悪夢にうなされるレベルで)
そんなこわがりな祖母が一生懸命練った苦肉の策が「学校では必要最低限の返事しかしない」というもので、なんと「ハイ」「イイエ」「ドウモアリガトウ」の三語だけでどうにか一年乗り切ったというから驚いた。
しかしそんなしみったれた学校生活も長くは続かなかった。ついに米軍が沖縄本島に上陸する。
祖母は家族とともに近所のお墓(沖縄のお墓はむちゃくちゃデカい。納骨のスペースが6畳くらいある)に逃げ込み、息をつめながら爆撃が早く止むようひたすら祈ったそうだ。
毎日「悪いようにはしない、県民は大人しく投降せよ」という米兵のつたない日本語が遠くから聞こえてきたが、それだけはすまいというのが狭い墓で身を寄せ合う家族の総意だった。
米兵の捕虜になれば男子は死ぬまで肉体を酷使され、女子は野獣のごとき米兵に陵辱され、妊婦は腹を八つ裂きにされて殺されるという噂が流れていたからである。
現在であれば噂の発生源を辿って真相を確かめる手段がいくらでもあるが、当時は噂の真偽を確かめる術がなかったため、「米軍に捕まったら死ぬより恐ろしい目に遭う」という噂は共通認識となって島中に広がった。
毎日空から何千発もの爆弾を投下し、無抵抗な島民を次々に殺戮する米兵の姿は噂の信憑性を補うのに十分だったことだろう。
米兵はまず、人が潜んでそうな場所を見つけると、外から拡声器を使って投降を呼びかける。
しばらく待っても返事がない場合手榴弾を投げるか、火炎放射器を使って中を丸焼きにする。わざわざ日本兵が潜伏しているかもしれない場所に入って危険をおかす必要はないというわけだ。
この方法で多くのガマに逃れた民間人が殺された。「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間で家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。
このまま墓にずっと身を潜めていてはいずれ火炎放射器で焼き殺される。かと言って捕まれば死ぬより恐ろしい目に遭う。自決が一番マシな選択に思えた。
「米兵が墓の前まで来たら自決しよう」家族は話し合って決めた。
ここからが驚愕の展開なのだが、なんと祖母は「おーい!」と叫んで外の米兵に助けを求めたそうである。
死ぬ覚悟はとうに出来てたはずなのに、なんであの場で声を上げたのか自分でも皆目分からないけれど、強いて言うなら「土壇場で死ぬのが怖くなった」らしい。
もうほとんど無意識だったに違いない。頭が真っ白になって、気付いたら家族と一緒に米軍のバンに乗せられていたらしい。
祖母が声を上げたおかげで結果的に家族は自決を免れたわけで、収容所でしばらく荷物運びやら農作業やらやってるうちに気づいたらなんか終戦を迎えていたらしいのだ。
このへんは祖母も笑い話として語っていた。「私がこわがりだったお陰であんたたちがここにいるんだ」とコロコロ可笑しそうに笑っていた。
私も家族と大爆笑したものだが、歳をとるにつれ、祖母は本当にこわがりだったのかと疑問に思うようになった。
真っ暗な墓の中で凄絶な選択を迫られて、それでも尚土壇場で生にしがみつくことが出来るだろうか。
祖母が亡くなって10年余。この時期になると、毎年こわがりな祖母の勇気を思う。
※補足※
>些細なことだし、現代の人にわかりやすいように書いたのかと思うが、次の箇所気になる。>だが中学に入学したあたりでそれまでの環境が一変した。
ご指摘されて初めて気がつきました。詳細を失念していて申し訳ないのですが、当時の年齢を現代の義務教育と照らして分かりやすいように祖母が説明してくれたのだと思います。