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はてなキーワード: 祖先とは

2022-11-24

[]マスダアオXムシのフェンシング

マスダアオXムシは卵胎生海洋生物である

まれてすぐ遊泳する能力必要な、この動物は体内で子供を育む子宮といえる器官をもっていた

特殊なのは、その持ち主で、固着生活の段階に入ったオスの幼生なのである

まだ脳神経細胞の発達していないオス幼生にメス成体が自らの子宮を埋め込む

そしてオス幼生が性成熟した後になって受精が行われてオスが受け取った子宮で育った子供が生まれてくる

免疫問題もあって幼生が相手でなければ子宮移植は上手くいかないらしい

マスダアオXムシの祖先種は雌雄同体で相手栄養負担の大きいメス役を押し付け合う生態をしていたのだが

子宮と卵を作り出す役と体内で育てる役を分担することで雌雄異体に分かれながら雌雄の争いを終わらせたと言われている

2022-11-22

モーセ十戒』と『7つの大罪』が無能排除実用的すぎてヤバイ

十戒

主が唯一の神であること

基本中の基本。一つの集団形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。

また、無能な味方を排除する際にも、一言背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である

偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止

これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。

神の名を徒らに取り上げてはならないこと

ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。

恐ろしいことにユダヤ人祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。

安息日を守ること

休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。

父母を敬うこと

家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。

殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)

当たり前。でも、別に生存競争否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在集団内にいていいわけがない。

姦淫をしてはいけないこと

昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。

盗んではいけないこと

これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。

偽証してはいけないこと(嘘を言ってはならない)

同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである

隣人の家をむさぼってはいけないこと

宗教集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である

七つの大罪

やけに生活観のあふれるユダヤ十戒と比べて、キリスト教七つの大罪は、完璧戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代かほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。

傲慢

主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位自分世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。

嫉妬

これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。

憤怒

喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実

怠惰

これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。

強欲

これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉場合集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。

暴食

これは、完璧飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。

色欲

十戒姦淫の部分と同じである

七つの美徳

上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須技術となる。

忠義希望勇気純潔、慈愛、純愛友情、誠実、知識正義分別節制貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品

・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望純潔上品といった要素が含まれるのも仕方がない。

もし、ネガティブ好色下品な仲間がいたら、あなたのいる集団にどんな未来がありますか?

2022-11-15

実家より歴史の浅い家に嫁ぎたくない

タイトルに語弊はあるかもしれないが、読んでくれたあなた最後まで私の話を聞いてほしい。

3年付き合った彼氏と別れた。お互い将来的なことを考えて就職先も決めたのに。別れた理由は色々あるのだが(浮気ではない)、1年前のクリスマスイブに交わした会話がずっと気になっていた。


「俺、家継がないといけないんだよね〜」


は?何言ってんだこいつ、と言わなかっただけ偉い。しかしあまりイラついて思わず言ってしまった。

あなたのお家って何代続いているの?」

元カレワイングラスを噛みながら(この癖も嫌いだった)答えた。

「え……分からないけど……」

「何をしている家なの?」

「え…………分からないけど…………」

私の性格が悪いのは分かっている。でもどうしても気に食わなかったのだ。だって前々から我が家には私しか跡継ぎがいない」と言っていたからだ。


我が家は大した家ではない。本当に。

田舎侍だった祖先は、ある戦国大名に仕え苗字と刀をもらった。江戸時代はある藩の下級武士として仕え、一族の女が姫様の老女だったというのが一番の出世頭だったくらい。明治維新以降はギリギリ落ちぶれない程度の士族で、教師軍人となる者がいた。だが結局は、現当主(祖父)も次期当主(父)もサラリーマンという普通の家ではある、が一応は400年続いた武士家系である家系図もある。刀は戦闘機になったのでもうない。

大した家ではないが、それでも400年も先祖が続かせてくれた家をなくしたくないという思いが我が家にはあった(一応士族だしというプライドもある)。しかし跡取りは私(女)しかいないので、当然婿を取るしかない。苗字もそれなりに珍しいので変えたくない。夫になる人に私の苗字に変えてもらおうと思っていた。


なのに、どうして。

元カレとは前々から将来的なことを話し合っていたし、私はきょうだいもいとこもいないから確実に跡取りだと伝えていた。

元カレ長男で、元カレ父親長男であることは知っていたが、元カレにはきょうだいが2人もいたし、いとこもたくさんいた。だから別にこいつが跡を継ぐ必要はない。



後日ランチをしているときに、元カレが言った。

「そういえばおばあちゃんの家(父親実家)で聞いてきたんだけど、いま5代目だって。なんかよく分からないけど土地はあるらしい」

5代ってと鼻で笑いそうになった。我が家は18代である。山林や田畑はないが、一応城下町土地はある。

その後も詳しく聞いたが少なくとも武士ではなさそうだった(農家?庄屋?と聞いても分からないしか言わなかったが、5代だから少なくとも士族ではない)。だいたいそのおばあちゃんの家は城下ではない。まあだから普通農家か良くて庄屋なんじゃないかな。

なぜ私(18代続いた元士族家系、跡取りは一人)が、こいつ(5代しか続いていない大した家でもなく、跡取りがたくさんいる)に譲らなければならないのか。

なぜ女が嫁ぐのが当たり前だと思っているのか。

心底ムカついた。

その後も色々あってこいつとは別れた。



この一件ではっきりした。

実家より歴史の浅い家に嫁ぎたくない。

もちろん例外はある。例えば相手商売をしていたり寺だったりして政治家だったり(!)して、跡を継ぐ必要があるケース。さすがに相手に譲る。

あとは相手も跡取りがいないケース。これは時と場合によるが、相手の方が格が上とかそういうときにはもちろん譲れる。同等(=下級武士)だったら考えるかも。


とにかく、武士でもなくて、歴史が浅くて、サラリーマン家庭で、跡取りもたくさんいる家に嫁ぎたくない。もちろんお前みたいなやつとは結婚しないという意味ではない、私の苗字になっていただく。

そう、結婚相手になる人は農民は嫌だ、平民は嫌だ、部落出身は嫌だとかいうわけではない。私の母だって農家出身だ。なんだっていいが、とにかく私の苗字になってほしい。

プロポーズの時に「僕の苗字になってください」とか言われたらぶん殴る自信しかない。

から言ってんだろ?跡継ぎは私しかいないってって。


男は女が苗字を変えて当たり前だと思っているのか?

男は女に嫁に来てもらうのが当たり前だと思っているのか?


とにかく、私は実家より歴史の浅い家に嫁ぎたくない。婿に来ていただく。

2022-11-08

そんな清潔な戦国時代があるかよ。

昔の三国志とか信長の野望セリフまわし、

「〇〇、見参!ひと暴れさせて頂こう!」

三河のこせがれ・・・

みたいなセリフ良かったんだけど、最近じゃあアンジェリークとか刀剣乱舞みたいな俺様ツエー的な、

陶酔してるセリフばかりになってつまらん。

そんな清潔な戦国時代があるかよ。

 

✨🐣🐌🐛🐜 追記 🐤🦗🦆🐝✨

漂白」って表現ブクマ天才。それで読み替えて下さい。

これ読んでる人の祖先戦国武将って人もチラホラいると思うけど、

必死に生きたひいひい×nじいちゃんばあちゃんたちを、

たかアニメキャラコンテンツのごとく美化しちゃいけないよなって話。

ようは先祖へのリスペクトよ。ラブ&ピース for ジャパン

2022-10-08

anond:20221008144738

すげえ分かる、それ

常に爆弾を抱えてるような状態

いつタイムリミットに気付くか気付かないか問題

祖先を見てれば寿命が来るのは明らかで、でも残された時間で何かを成し遂げられる程立派でもない。

ここで終わりたくない。

だけど、足掻いても足掻いても運命からは逃れられなくて

からしたら俺らって何なんだろうな

人間の何が進歩してるっていうんだろうな

2022-10-06

白人抵抗したインディアン英雄たち

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアン君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

https://anond.hatelabo.jp/20221007130539

2022-10-02

今年のお彼岸

先日、母が家族LINEグループから退会した。

思えば、ガラケーしか知らず、新しいモノは覚えられないからいやだといって拒んでいた母に無理やりスマホを持たせたのは1年前のことだった。

これから緩和ケア施設に入ると、もう恐らく家には戻ってこれないだろうし、いつも母が手入れをしていた庭の草花の写真でも

送ってやろうと思った。そして、自分や姉が働いている写真積極的に送るようにした。

しばらくすると慣れて、写真に返信するようになった。

既読になるだけでうれしかった。

しかし、年が明ける頃、送ったメッセージ写真既読になるのに何日もかかるようになっていた。

おはようと送ったLINE今日もまた既読にならず病室の母

いよいよ会話もできなくなっていた。

春になると、スマホの充電もできなくなって、メッセージ既読になることはなくなった。

ほどなく母は他界した。


母の葬儀を済ませてまもなく、

肺癌だった父が緊急入院し、そのまま家に戻ることな10日もたたずあっという間に息を引き取った。


わたしはというと、両親が相次いで亡くなる状況のなか、

他界したあとの葬儀やさまざまな事務手続き忙殺されていたこともあり、溜まっていた仕事も待ち構えていたりと、不思議と涙はでなかった。

司法書士に依頼し、不動産登記の書き換えのため必要戸籍調査が、案外と興味深いものだった。

両家の戸籍可能な限り、さかのぼるこの手続きは、忙しい現代人には無理だ。

だが送られてきた戸籍安政年間の祖先痕跡をみつけ、NHKファミリーヒストリーは、なるほど、こういうところに目を付けた番組なんだなとしみじみ思った。



そんなある日、後回しになっていた父と母のスマホ契約の解除に着手した。

亡母のスマホ最後着信履歴がふと目に留まった。母が亡くなって2週間ほどたった頃だ。

からだった。

その日は父が救急車搬送された日だった。何を思って亡き母の携帯電話を掛けたのか。

その瞬間の風景を思うと、こみあげてきてしまった。

スマホは解約した。




そして、母が他界して半年がたった。

半年もたつと月命日も、気が付かないまま通り過ぎていく、、、そんな感覚になっていく。

そのような忘却もまた自然なことだと受け止めている。


そんなおり、ふと去年、妹と作った母とのLINEグループで送った写真でもみようとしたところ、母が退会したとのメッセージが表示されていた。

解約してから半年近くもたつのに、退会のメッセージはつい先日の日付だった。

その日がまさに月命日だったので、何か因縁めいたものを感じて、思わずスクショをとった。

わたしの月命日を忘れてもいいけどね、じゃあね、バイバイ」と言っているような気がした。

何かが空間にゆっくりと遠ざかっていく、不思議感覚に襲われた。

今年は、そんなお彼岸だった。というより、お彼岸スピリチュアル感覚意識したのは初めてだ。

両親を亡くした今年は、人生ターニングポイントのような気がする。

anond:20221002172130

少なくとも真核生物祖先は一致するだろうからなぁ

私達とゴキブリは遠い遠い親類関係

いじめちゃだめ

2022-10-01

素麺の産地と風土記記述の話

素麺といえば、個人的には島原半島のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のもの品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。

最近では、女優満島ひかり南島原市公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。

島原半島素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内小豆島出身の人々がいたこから、彼らが島原半島素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。

史料の有無や民間伝承真実性は、専門家ではないか判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。

中央部にある雲仙普賢岳高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである

この島原半島南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市半島北部東部南部を結ぶ、左右反転のC字形半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である

現在市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかたかである

そうめんの町」という文字建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島南側地帯には、海の近くで小高丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。

別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もないさな神社である境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である確認した。技術革新、すごい。

よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。

配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。

神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺三輪山へ通ず」といったところか。

それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである

しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである肥前風土記』にある、次のような記述を思い出した。

景行天皇が、現在熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。

この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社島原半島分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しか最近自分記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである確認大事

残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。

もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社島原半島分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたか安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由妄想とは魅力的なものということである

さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。

件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前風土記』には記されている。日本古典文学大系注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山神体山信仰類似しているので、面白いである。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。

このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島地名南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島島原市雲仙市南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。

しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰のものは、これからも人々の精神地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。

【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603

2022-09-22

日本語の原郷」についての論文、取り下げ勧告を受ける

去年、「日本語の原郷」についての論文(Robbeets et al. 2021)が話題になった。増田は専門外の素人ながら疑問を持ったのでツッコミを入れたんだけど(anond:20211121124146)、今年の6月に入って専門家集団から「あの論文は取り下げろ」という反論論文が出ていた(Tian et al. 2022)。といっても、プレプリントサーバのbioRxivに置いてあるだけで、学術誌に掲載されたわけではないんだけど、まあいずれどこかには載るよね多分。

そういうわけで、反論論文の内容を(素人なりに)紹介していくよ!

そもそも誰が書いたの?

ふええ……知らない人ばっかりだよぉ……

22人の共同著者による論文だけど、その多くは中国人研究者。ほかは数人のヨーロッパ人中国人研究者については全然からない。漢字で書かれれば一人か二人は名前を聞いたことがある人がいるかもしれないけど、ラテン文字で書かれているので誰が誰やらさっぱりなんだよな……

ヨーロッパ人研究者のうち、ラッセルグレイ氏は聞いたことがある。20年くらい前に『ネイチャー』に印欧語族起源に関するレター載せてた人だ(Gray and Atkinson 2003)。ホセ・アロンソ・デ・ラ・フエンテ氏は以前ロベーツ氏の著書に辛辣書評書いてた人で、去年の増田でも引用した。

そしてトマ・ペラール氏は、日本では有名な研究者だ。彼は宮古島の北4キロに浮かぶ人口数十人の離島大神島方言について博士論文を書き、それが「母音あるいは声帯を震わせて出される音を含まない単語がある」という世界でも珍しい特徴を持った言語であることを明らかにした(Pellard 2009: 80–85;ペラール 2011: 28–29)。ペラール氏は母語フランス語だけでなく英語日本語でも論文や共著を発表していて(最近だとペラール 2021とか)、琉球諸語の言語復興についても発言しているので(ペラール 2013; 2015)、琉球諸語に関心を持って調べたことがあれば一度は名前を聞いたことがあるはずの人物だろう。

要するにこの反論論文には、そのへんの日本人よりはるか日本語に詳しい研究者が参加しているってこと。

言語的側面について

反論論文は、ロベーツ論文で挙げられている同根語(cognate words)が少なすぎると指摘する。

同根語というのは、「起源を同じくする単語」のことだ。ある言語から分かれた娘言語たちは、いずれも共通した同根語を(二次的に失ったのでなければ)持っているはずだ、というのが比較言語学の基本的な考え方だ(生物学でいう原始形質/祖先形質にあたる……と思う。多分)。もちろん、偶然の一致とか、言語場合借用語とかがあるので、言語学的な検討を行って「これは祖語から受け継がれた同根語である」というのを確定させて、それをもとに言語系統関係判断していく。

たとえば印欧語族だと、次のような対応関係が見いだせる(例はウィキペディアの「印欧語彙」のページから持ってきた)(*がはてな記法の一部と認識されちゃうっぽいので*で代用)。

-印欧祖語英語ラテン語サンスクリット語ハラ
pH₂tér-fatherpaterpitṛ́car
2dwóH₁twoduodvā́wu
ped-footpēspā́d-pe
*ék̂wos英語eohequusáśva-yuk

複数の語派(語族の下位区分)にわたって対応する語彙が存在することがわかると思う。これらの同根語が存在することで、「英語サンスクリット語は親戚なんだなぁ」というのがわかるわけだ(お墓に卒塔婆って置いてあるじゃん。あれに書いてあるのがサンスクリット語)(足で操作する機構を「ペダル」といったり歩行者デッキを「ペデストリアンデッキ」といったりするのは、英語のfootに対応するラテン語pēsから派生語なんだよね)(「父権主義」が「パターナリズム」になるのも、英語fatherに対応するラテン語がpaterだから。これがポルトガル語でpadreになり、そこから日本語に入って「ばてれん」になるわけですよ)。

ついでに日琉語族の表も示しておく(Vovin 2017)。基礎語彙において規則的に音韻対応しているのは、これらの一致が偶然ではなく日本語沖縄語が親戚であることの動かぬ証拠だ。

-標準語沖縄語(首里
これkorekuri
toritui
komekumi
場所tokorotukuru

しかしロベーツ論文は、ひとつ以上の語族でみられる同根語が317、2つ以上の語族でみられる同根語がわずか50、そして5つの語族で共有されている同根語はたったの2つに過ぎないという(Tian et al. 2022: 2)。思い出してほしいんだけど、ロベーツ論文テュルクモンゴルツングース朝鮮・日琉の計5語族が同一の起源を持つと主張しているのね。なのに5語族で共有されてる同根語はたったの2ってどういうこと? って話になるでしょ。全然トランスユーラシア語族」の証拠になってないじゃん。

っていうか、その50個の同根語リストの中には、ロベーツ氏自身が「これは借用語だよ☆」って書いてる単語が入ってるんだってさ。借用語は除くというのが比較言語学の基本なのに(借用語だと気づかずにリストアップしたならまだしも)借用語だとわかった上でリストアップするのヤバくない? そんなこと言ったら日本語英語の親戚になっちゃうよ? 大丈夫

反論論文の著者たちはこれに激おこぷんぷん丸になっていて、ロベーツ論文の「著者たちは彼ら自身歴史的言語比較原則無視し、証拠を彼らの必要にあわせて歪曲している」(Tian et al. 2022: 3)とまで断言している。そりゃ、借用語混じりのたった数十の同根語で「トランスユーラシア語族は、ありまぁす!」って言われたらそう言いたくもなるわな。

遺伝学・考古学的側面について

遺伝学的にも、ロベーツらの論文は「不当な仮定unjustified assumption)と、移民についてのありえそうな他の仮説を排除した選択モデリング」に基づいているとバッサリ。考古学証拠も「弱い」と切り捨てている。このへんは遺伝学や考古学に詳しいはてなー解説をお願いしたいところ。

結論

そして反論論文は、こう締めくくられている。

ロベーツ論文の結果を再現しようという我々の試みは[言語遺伝・考古の]3つすべての面で重要な不一致をみた。さらにいえば、ロベーツ論文はこれら3分野の研究成果を統合するために「三角測量」を用いたと主張するが、その「三角測量」とやらの手法定義記述もしていない。したがって、彼らの手法に従って3つの分野に関する訂正を組み合わせることも不可能だ。つまるところ、我々が行った3つのデータセットすべての再検討は、ロベーツ論文の主張を完全に崩壊させた。トランスユーラシア仮説は未実証である私たちはこの論文を取り下げるよう謹んで勧告する(Tian et al. 2022: 7)。

要するにアルタイ語族2.0は失敗したってことっすね。ロベーツ氏は「民族主義的な議題を持つ人々にとっては、自分の言語と文化の起源が国境の向こうにあるということは不快な真実だが、すべての言語と文化、人間は混じりあっている」って言ってたらしいけど、まずはご自分の仮説がボロボロだという不快真実に向き合ってほしい。

こんなガバガバ論文を載っけちゃった『Nature』については、まあ……仕方ないところもあるのかな? ちょっとでも言語系統かに関心を持っている人なら「これアルタイ語族2.0じゃん」と気づける内容だけど、理系雑誌編集者にその目利きを求めるのも酷かな……査読者選ぼうにも誰がこの分野の権威かすらわからんだろうからな……ただし『トランスユーラシア語族ガイドブック』なんてものをホイホイ出版したオックスフォード大学出版会テメーはダメだ。お前んとこは人文系研究書いっぱい出してるんだからアルタイ語族2.0くらい見抜けるだろうが!

なお、ペラール氏のツイッター(@ThomasPellard)を見たら「そもそも論証の基盤になってる語彙の出典が書いてないやんけ。これスタロスチンが作ったデータベースからコピペじゃね? っていうかいくつかの言語対応表に載ってないから同根語を検討できないんだけど?」という趣旨ツッコミをしていた(https://twitter.com/ThomasPellard/status/1536288665936306176)。あっ……(察し)

そういえば

そろそろ凱旋門賞ですが、タイトルホルダーくん楽しみですね。天皇賞(春)宝塚記念圧勝劇(+お姉ちゃん)ですっかりファンになりました。ロンシャンでも逃げ切ってほしいですね。ただ背負ってる期待が大きすぎるドウデュースくんにも勝ってほしい……武豊凱旋門賞に勝たせるために生まれてきた馬になったら胸熱すぎるでしょ……

あと先日のセントウルステークスは感動で泣きそうになりました。桜花賞のころから推してたので……(ソングラインちゃん安田記念戴冠おめでとう。BCマイル頑張れ!)。スプリンターズステークスで今度こそ待望のG1制覇を成し遂げてほしいですね……

ユキノビジンは! 引けませんでした!(すり抜けで夏服メジロドーベルサクラチヨノオーが来たのでまあ良し)

追記

ペラールさんの解説動画見た方が分かりやすい。

https://www.youtube.com/watch?v=UgXq14ag85Q

anond:20220922081214

これ見落としてましたわ。教えてくれて感謝こちらの方がわかりやすいのでみんなペラール氏の解説動画を見てクレメンス

専門外って日本語起源についてってだけで、比較言語学で博士取られてませんか??

博士号って持ってないからわからないんですけど食べられるんですか? ご飯粒よりおいしいんですか?

ここでもいくつか紹介されているようにトマ・ペラール氏は日本語でもいろいろ書いているしTwitterやAcademia.eduなどでも積極的情報研究を公開していて我々素人にとってはとてもありがたいです

ペラール、ヴォヴィン、ローレンスの3氏は色々academia.eduに上げてくれてて助かりますよね。ところで素人はいったい……うごごご。

有り難い要約だけど、最後の「アルタイ語族2.0」だから胡散臭い、という部分はやや迂闊かと。当該論文はそうでなさそう、というだけで真に画期的論文によりアルタイ語族復権することは可能性としてはあるよね

もちろんそれはそうです。ちゃんとした比較言語学的な手法で「アルタイ語族」の存在実証できるのならそれは歓迎すべきことで、その可能性は残されています。ただ、これまで数百年にわたって研究が続けられてきて熱心な擁護者も大勢いるのにまだ確固たる同系の証拠が出てきてない、というのは相当に重い事実ですよね……。ロベーツ氏は「民族主義的な議題を持つ人々」のことを揶揄してますけど、日琉語族の分類というのはまさにその「自分たちの言語はどこから来たのか」というルーツ探しの情熱に取り憑かれた人たちがいっぱい研究して、それでもなお結論が出ていないテーマなわけで(cf. 日本語の起源 - Wikipedia)。

日本日本語起源について野生の専門家増田意見を聞いてみたい

anond:20220922103201

増田はドシロートなんでなーんも独自見解は持ってないですが、古代ロマン的な観点からanond:20211121124146でも言及した大陸倭語仮説が面白そう(「大陸倭語」の存在はまだ定説にはなってないことに注意)。島嶼倭語(仮に「大陸倭語」の存在実証されない場合は日琉語)のUrheimatは五十嵐氏の指摘に沿えば近畿地方のあたり(多分四国ではない)。日琉語族列島半島にまたがって分布していて、そのうち大陸倭語が南進してきた朝鮮語族同化されたと考えると古代日本朝鮮半島との関わりに色々納得がいく(繰り返すように素人古代ロマンといくつかの論文に基づいて妄想したものです)。では仮に対馬海峡をまたいだ日琉語族存在実証されたとして、そのUrheimatは……どこでしょうね? なんもわからん

あ、トラバでやたらゲノム研究URL貼ってる人は、(もし同一人物なら)去年の議論血統言語系統混同したり(anond:20211121201022)、論文増田の内容を理解できてなかったりする(anond:20211121224311)ような人なので、マトモに相手する価値はないっすよ。一応ご忠告

参考文献

2022-09-15

anond:20220914104321

「お前が不幸なのは祖先のせい」理論って

実際今不幸な人に対してならなんの根拠もいらないから言う方も楽なんだけど

言われる方にしても「俺が不幸なのは俺のせいじゃなかったんだ!」

と思い込めるからニーズが無くならなんだよな

2022-09-11

鯨やシャチって形態は完全に魚やん!?

オットセイトドアシカは「自分等長く潜水できるけど肺呼吸ですよ。魚じゃないんで。ほら、見た目も魚じゃないっしょ??」って感じなのに対し

シャチクジライルカは見た目は魚。魚より上位種にいるけど見た目が魚

サメなんかシャチクジライルカの仲間になれそうなくらいのビジュアルだけどれっきとした立派な魚

サメの種類の中には卵生じゃなくて子供をそのままの形で産む、胎生のやつもいるじゃん

なんでサメ哺乳類になれなかったんだろ。そりゃ祖先がエラ呼吸しかできんようなやつだったからだよね

海洋生物進化する前の元々の姿を見てみたいけど一生叶わないなぁ

トウモロコシ祖先不明って話しも好きなんだが

植物しろ動物しろ祖先ルーツが知りたいわ

そもそも地球がどうやってできたのかも自分が生きてるうちは仮説ばっかりで正確なことは一生わからないだろう

2022-09-06

安倍晋三拒否的な答弁を繰り返していたのは、自白さえしなければ罪は逃れられると洗脳されていたのではないか

法律顧問は、あるいは統一教会代理人高村あたりで

ケケ中や統一教会宮内庁も糸を繰り出した

祖先満州企業人だったか国葬案が出たのかもね

イベント企業電通とムラヤマの満州族ぶらさがり

2022-09-02

anond:20220902004422

どんな人間祖先を辿ったら、もれなく祖先は裸でウホウホ言ってたわけなので、祖先の違いがどうたらみたいな話は実に実にくだらない。

2022-08-30

anond:20220830232140

南蛮南蛮からダサいとか、西側に負けた恨みから言ってるだけのそれこそ単なるルサンチマンやん

ていうかもしニーチェ的な人間アジアにいて、評価できなかったら

それこそ評価できなかったアジアの程度が低いってことになっちゃうのでは

論点はそっちじゃなくて、仏陀思想は本当に受け継がれたかとか

なんで仏教儀式祖先信仰する寺制度に取って代わられたか

仏教だけじゃなくて儒教やらが無意識倫理観に与えた影響とか

とかじゃないのかね?

人類天皇ルッキズムのせいで寿命を失った

瓊瓊杵尊天皇祖先)は、ぐうかわ木花佐久夜毘売一目惚れして結婚しようとする

なぜか木花佐久夜毘売父親が、姉の石長比売も一緒に娶らせようとしてくる

でも石長比売はブスだったので、瓊瓊杵尊に追い出されて実家に返される

人類寿命が短くなった

 

石長比売も嫁にしとけば、石くらいの寿命になってたらしい

天皇最悪だな

2022-08-27

anond:20220827121332

栗田「私、ラーメンは異常な食べ物だと思う」

栗田「だってそうでしょう。ラーメンを食べる雰囲気環境は、ありとあらゆる外食の中でも特別のものがあるわ。

屋台は言うに及ばず、専門店もみんなこぢんまりしていて、人気のある店であるほど混雑していて、とにかく落ち着いて食べるのを楽しむ雰囲気じゃないわ。

それなのに、やはりラーメンってに私たち日本人は、心を引かれてしまうのよ。それはなぜかしら。」

栗田「ラーメン日本の食物の歴史の中でも、長くて七十年か八十年しかない新参者だわ。

同じ新参者でも、フランス料理中華料理日本人の心を引くのはわかるわ。食文化として両方とも、最高のものから当然だわ。

でも、中華料理日本風に変形したようなラーメンが、日本人の心をこんなに引きつけるのはなぜかしら……

私、ラーメン屋でラーメンを食べている人を見るたびに、考えてしまうの。みなに暗い顔をして黙々と食べているわ。

食べる楽しみを享受しているとは思えない。何か罰でも受けているみたい。

そんな思いをしてまで、なぜラーメンに引かれるのか。それは何か、とても暗い情熱に突き動かされているからじゃないかと思うのよ。」

栗田「言わば先祖返りを求め、自分祖先が流されて来たその大本をたどる情熱

そんな情熱に、突き動かされているんじゃないかと思うの。

麺はどこから来たの? スープの味つけの基本はどこから来たの?

麺の上にのせる具はどこから来たの? その一つ一つがすべて異国から来たのは明らかなのに、自分故郷から来たもののように、日本人に思わせるのはなぜなの?!

そういう難問に対する答えを探したいという情熱が、意識の下に潜んでいて、それが日本人ラーメンに引き寄せる、と考えると、なんだかつじつまが合うような気がするの。」

栗田「だからラーメンは、異常な食べ物だと思うのよ。」



からしゃーない

名将ですなあ

人物逸話

歌川芳虎「大日本六十余将」より『薩摩品津兵庫守義弘』

家康だけでなく秀吉島津氏を恐れ、その弱体化を図るために義弘を優遇して逆に兄の義久を冷遇する事で兄弟対立を煽ろうとしたが、島津兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の結束は固く、微塵も互いを疑うことは無かった。この流れで義弘を17代目当主という見方が出来たとされるが、義弘は「予、辱くも義久公の舎弟となりて(『惟新公御自記』)」と義久を敬うこと終生変わらなかった。しかし、『樺山紹劔自記』では「弟・家久の戦功を妬む様は総大将に相応しい振る舞いではない」と人間くさい一面も紹介されている。

敵に対しても情け深く、朝鮮の役の後には敵味方将兵の供養塔を高野山建設している。

祖父島津忠良から「雄武英略をもって他に傑出する」と評されるほどの猛将だった。

許三官仕込みの医術や茶の湯学問にも秀でた才能を持つ文化人でもあった。また、家臣を大切にしていたので多くの家臣から慕われ、死後には殉死禁止令下であったにも関わらず13名の殉死者も出すに至っている。

義弘は主従分け隔てなく、兵卒と一緒になって囲炉裏で暖をとったりもしていた。このような兵卒への気配りもあってか、朝鮮の役では日本軍の凍死者が続出していたが島津軍には一人も出なかった[11]。

義弘は家臣らに子が生まれ、生後30余日を過ぎると父母共々館に招き入れて、その子自身の膝に抱くと「子は宝なり」とその誕生を祝した[11]。また元服した者の初御目見えの際、その父親が手柄のある者であれば「お主は父に似ているので、父に劣らない働きをするだろう」と言い、父に手柄のない者には「お主の父は運悪く手柄と言えるものはなかったが、お主は父に勝るように見えるから手柄をたてるのだぞ」と一人一人に声を掛けて励ましている[13]。

三ツ山城を攻めたときに重創を負いその湯治場として吉田温泉えびの市)を利用して以来、島津家の湯治場として度々利用していたが、自身のみならず家臣らにも利用させた。

九州平定後、義弘が秀吉から拝領した播磨国領地管理する際、現地で井上惣兵衛尉茂一という人物が検地などで義弘に協力した。そのお礼として、義弘は井上島津姓と家紋を授けた。この井上が、島津製作所の創始者・初代・島津源蔵の祖先である島津製作所の歴史に記されている[14]。

秀吉への降伏の際に島津家は本拠である薩摩一国以外の領土を全て奪われることを覚悟していたが、秀吉方の使者として交渉にあたった石田三成の取りなしにより大隅一国と日向の一部が島津領として残った。この事から義弘は三成に対して深く感謝し、その後も深い交誼があったため関ヶ原の戦いにおいて島津家中において東軍参加を主張するものが主流派であったが義弘は自身の三成に対する恩義と親交を理由西軍積極的に参加したとも言われており、最初東軍に参加するつもりで軍を出していたという説は江戸時代島津家が徳川将軍家に臣従していくにあたって創作されたものであるともいわれる。

愛妻家であり、家庭を大事にする人情味溢れる性格だったといわれている。朝鮮在陣中に妻に送った手紙の中に、「3年も朝鮮の陣中で苦労してきたのも、島津の家や子供たちのためを思えばこそだ。だが、もし自分が死んでしまったら子供たちはどうなるだろうと思うと涙が止まらない。お前には多くの子供がいるのだから、私が死んでも子供たちのためにも強く生きてほしい。そうしてくれることが、1万部のお経を詠んでくれるより嬉しい」という内容のものがあり、義弘の家族を心から愛する人となりが窺える。

武勇と実直な人柄から福島正則武闘派武将たちに大いに尊敬されていたようである。その為、関ヶ原撤退戦においても松平忠吉井伊直政徳川譜代のみが追撃を行い直政自身が深手を負う結果に繋がった。

若い時の義弘は特に血気盛んだったようである。弘治3年(1557年)の蒲生城攻めの際、23歳の義弘は真っ先に攻め入って一騎討ちを制したり自らの鎧の5ヶ所に矢を受けて重傷を負ったりしたほどの決死勇戦を見せたという。また、木崎原の戦いにおいて、日州一の槍突きとうたわれた柚木崎正家を討ち取っている。

慶長4年(1599年)、剃髪・入道し惟新斎と号したがこれは祖父・忠良の号・日新斎にあやかったものである

木崎原の戦いにおいて伊東祐信、柚木崎正家との戦いの折に愛馬が膝を突き曲げて敵の攻撃をかわし義弘の命を救っている。この馬は後に「膝突栗毛(膝跪騂)」と呼ばれ義弘の主要な合戦にの従軍するようになり、人間の年齢にして83歳まで生きた。姶良市に墓と墓碑が建てられている。

慶長の役の際、義弘は正確な時を知るために7匹の猫を戦場に連れて行ったという逸話がある。猫の目の明るい所では細くなり、暗い所では丸くなる特性から、時刻を読みとったとされ7匹のうち2匹が日本生還した。この2匹を祀った神社鹿児島の仙厳園にある「猫神神社である[15]。

晩年は体の衰えが顕著になり、1人で立ち歩き、食事を摂ることも不可能になっていた。それを見かねた家臣が昼食を摂る際、「殿、戦でございます」と告げると城外で兵たちの鬨の声が聞こえてきた。それを聴いた義弘の目は大きく見開き、1人で普段からは考えられないほどの量の食事を平らげたという。

関ヶ原で敵中突破をした後、生き残った家臣らは義弘に薩摩への早期帰還を勧めた。しかし義弘は大坂人質になっている妻子らを救出するため、「大坂城で人質になっている者を捨て、どの面下げて国に帰ることができようか」と述べ、妻子の救出に向かったという(『惟新公関原合戦記』)。

義弘の肝の太さを示す逸話がある。義弘の小姓らが主君の不在をいいことに囲炉裏端で火箸を火の中で焼いて遊んでいた。そこに義弘がやってきたので、小姓らは慌てて火箸を灰の中に取り落とした。それを見て義弘は素手囲炉裏に落ちていた火箸を拾い、顔色一つ変えず静かに灰の中に突き立てた。後で家臣が「大丈夫でございますか?」と尋ねると「大丈夫だ。まったく小姓どもは悪さばかりして手を焼かせおる」と笑って返した。家臣が義弘の手を見ると、その掌が真っ赤に焼きぶくれていたという(『武功雑記』)。なお、同じ内容の逸話加藤嘉明にも存在するため、島津家か加藤家のどちらかが模倣した可能性が高い。

戦陣医術に詳しく、『上井覚兼日記』によると天正12年(1584年)10月1日から7日までの一週間にかけて、島津忠長と上井覚兼に対して金瘡医術の伝授を行い、秘伝の医書を与えている。金瘡医術とは戦傷全般とこれに付随する病気、およびこれから派生する婦人病を扱った医術のことである[16]。

茶の湯千利休古田織部に学んだ茶人でもあり、茶書『惟新様より利休え御尋之条書』や織部から薩摩焼の茶入の指導を受けた書状が残る。

2022-08-20

anond:20220819142049

ちょっと前にラジオ獣医学者の遠藤秀紀さんが言ってた話なんだけど、象の腎臓って変な形してて、ブドウみたいな房状らしい

他に同じような動物いないか?って探すと、クジラとかイルカ腎臓も房状なんだって

海に棲む哺乳類塩分の多い海水をたくさん処理しなきゃならないからそんな形になるそうな

象の祖先化石海辺でよく見つかっているし、大昔は海の生き物だったのかもしれない

しかしたら長い鼻はシュノーケル役割果たしていたのかも…

というような話だった

最初から物を掴むために発達したんじゃなく要らなくなったシュノーケル転用したと考えると面白い

2022-08-02

anond:20220802190940

中国では祖先は崇拝されてるし道教信仰もあるし、元々無宗教ではないのでは

2022-07-30

振り込め詐欺救済法で、振込詐欺に使われた口座は資産凍結されるらしいhttps://www.saishin.co.jp/furikomesagi/qa.shtml から犯罪認定必要なんで難しいけれど、子や孫に事故があった振りするのと、祖先地獄行きを救うのと、なんかうまいこと使ってカルトの口座を止められないだろうか。

2022-07-21

anond:20220721141809

人類原罪を指摘するキリスト教みたいなこと言ってんな。祖先が臆病者だからって子孫が臆病者になりやすいことはあっても全員臆病者になるわけないだろ。

2022-07-15

[] そのさんびゃくごじゅうきゅう

トラヤヌーッス

 

本日盂蘭盆、とのことでまぁ新盆です。

8月に行われるのは旧盆ですが、色々丁度いいので八月がいいのでしょう。

ともあれ、祖先への気持ちさえ忘れなければ良いんじゃないかなぁって思います

いやもっと色々やらなきゃダメなんでしょうけどね、まぁこういうのは気持ち大事ですよ多分。

 

ということで本日は【気持ちいか】でいきたいと思います

気持ちいか気持ちヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

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