「安息日」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 安息日とは

2024-10-05

ユダヤ人って安息日労働したら天国行けないらしいけどイスラエル安息日ミサイル飛んできたらどうするの

2024-07-23

[] 2024-07-23

お金があればいろいろなものは買えるが、良い趣味は買えない

これは趣味の良し悪しが主観に属するものであり、お金があるだけでは特定趣味を楽しむ感情が沸かないからだ

数学趣味とする」ことを、諦めるべきかと悩んでいる

数学登山に喩えられるように、高度な概念理解するまでの道のりが長すぎるのである

大学院生は、数学を何時間勉強してきだたろうか

同じだけの時間勉強するには、明らかに一日の気力が足りない

土曜日安息日制限もあり、趣味ができるのは日曜日と、平日の仕事が終わった時間だけということになる

それとも「日曜日数学の日」と決めて全力集中するか

それにはまず、勉強スタイルを決めたほうが良い。スタイルとは、幅優先探索で学ぶか、深さ優先探索で学ぶかということだ

...と、重要なことを忘れていた。それは運動の習慣だ。数学というのは家にこもりきりでやる可能性があるため、図書館まで歩いていったほうが運動になる

2024-07-21

[] 2024-07-21-2

朝食: コーヒー

昼食: スパイシーモス, ポテト, はちみつレモン入りジンジャエール

 

文庫サイズ聖書がほしいと思ったが、文語しかなかったのでしかたなくそれを購入

だが馬鹿なので集中して読まないと全然理解できなかった

私の設定したなんちゃって安息日の日には、デジタルは使いたくはなかったが、今まで読んでいたKindle版無料聖書土曜日に読んだほうがよさそうだ

なぜ聖書に惹かれるのか、それは私が「相対主義」というものに対する疑念を持っていることにも関係する

善悪問題が「どの倫理観が好きであるか」という好みの問題だけに帰着されることに対する懸念である

多神教は「それにまつわるものとしてあの神がおり、あれにまつわるものとしてその神がおる」といった都合のいい価値観を代弁しているように見える

「何を信じるかは人それぞれ」といっていろいろなもの偶像崇拝するのが本当に人間社会にとって有益なのかと疑問なのだ

聖書ではノアの法という絶対的倫理基準採用しているが、これ自体狂信的なものではない

といっても、私自身、まだ聖書については学びきれていない

世界で最も読まれている本が聖書だというのだから、単に教養としても良いだろう

読んで何かしら行動として実践することが重要だと思っているので、「信じる者は救われる」といった態度は取りたくはない

からキリスト教よりも旧約聖書を読むようにしている

ビックバンセオリーシェルドンが言うには、有名な学者の数々がユダヤ教徒であるために、キリスト教よりも魅力がある、という側面もあるが、非ユダヤ人であるシェルドンや私はノアの法さえ守っていればよいはずだ

思うに、私が最初聖書に触れたのが「箴言」だったのが大きい

というのも、箴言にはSNS時代に通ずる考えがズバリ書かれており、その道徳性驚愕たからだ

その感覚トーラーを見るとちょっとズレているかもしれないが、ラジエルの本にも「真の知恵はトーラーしか存在しない」と書かれていた気がするので、より興味を持ったのである

知識が生み出したのは残念ながらICBMである、それに対し、知恵が生み出したものタルムードトーラーであると言えるのではないだろうか

[] 2024-07-21

朝早く起きた

金曜夜から土曜夜までは「安息日」として設定しているので、PCスマホも触っていないし、乗り物にも乗っていない

ただし、TVだけは例外的につけている。これは、TV家族の共有物であり、自分の都合だけではコントロールできないためだ

まだ安息日を設定する習慣をし始めて長くはないが、やることがないので家族との会話が増えた気はする

ところで、ある理論では「人間関係愛情空間にの限定してOK」というものがある

どういうことかというと、人は「金」「自由」「人間関係」という3つのうち2つしか手に入れられないという理論である

金と自由を手に入れた状態では、人間関係は最低限の「愛情空間」に限定される。これは概ね家族のことを指す

もし友人をたくさん手に入れようと思うと、「金」または「自由」のどちらかを諦めなければならないらしい

逆に言えば、「金」「自由」を手に入れた状態健康的にいられるための最低限の「愛情空間」は確保するべきであるとも言える

私にとって家族は大切な存在だ、だから安息日」の設定によって家族との会話を増やせるのは良い習慣であると言える

2024-07-15

[] 2024-07-14

朝食: 卵かけご飯

昼食: 納豆巻き、牛乳寒天カフェオレ

夕食: 唐揚げ野菜ご飯

 

土曜日安息日の考え方を取り入れることにした。スマホPCも使わない。

読む本はトーラーのみ。作業っぽいことは一切しない。出かけもしない。家族との会話を増やす、等。

それを1日試して思ったが、如何にインターネットに毒されてるかってことだ。ネットがないだけでソワソワする。

日曜日になり、ネットが使える状態になると、反動アクセス制限しているサイトにもアクセスできるように設定してしまった。

しかし、この習慣に慣れれば徐々に落ち着いてくるのだろう。

こういう反動は行動初期につきものから、徐々にインターネット制限を増やし、最終的には仕事以外の時間ではインターネットをやらないようにする。

インターネットを使わないようにするためのスタートが「土曜の安息日」だったという話だ。

ところで「社会的欲求」を完全無視して楽しみを見つけることができるのかということが気になっている。

例えば数学趣味としたとする。論文ブログを一切書かず、自分の家の中だけの趣味として完結して、楽しめるのかという話である

本能に潜む「社会的欲求」がとても厄介なのである知識インプットすると、社会に向けてアウトプットしなければならないような強迫感さえある。

孤独を楽しむことがもし可能なのであれば、SNSで愚かなことを言ったりすることも減る。「社会」に対する過度な欲求から開放されたい。

2023-06-25

anond:20230625104456

まさしく安息日だな

精進潔斎して己を深く見つめなおす日にすると良い

2022-11-22

モーセ十戒』と『7つの大罪』が無能排除実用的すぎてヤバイ

十戒

主が唯一の神であること

基本中の基本。一つの集団形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。

また、無能な味方を排除する際にも、一言背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である

偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止

これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。

神の名を徒らに取り上げてはならないこと

ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。

恐ろしいことにユダヤ人祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。

安息日を守ること

休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。

父母を敬うこと

家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。

殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)

当たり前。でも、別に生存競争否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在集団内にいていいわけがない。

姦淫をしてはいけないこと

昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。

盗んではいけないこと

これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。

偽証してはいけないこと(嘘を言ってはならない)

同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである

隣人の家をむさぼってはいけないこと

宗教集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である

七つの大罪

やけに生活観のあふれるユダヤ十戒と比べて、キリスト教七つの大罪は、完璧戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代かほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。

傲慢

主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位自分世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。

嫉妬

これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。

憤怒

喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実

怠惰

これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。

強欲

これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉場合集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。

暴食

これは、完璧飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。

色欲

十戒姦淫の部分と同じである

七つの美徳

上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須技術となる。

忠義希望勇気純潔、慈愛、純愛友情、誠実、知識正義分別節制貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品

・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望純潔上品といった要素が含まれるのも仕方がない。

もし、ネガティブ好色下品な仲間がいたら、あなたのいる集団にどんな未来がありますか?

2021-11-16

そもそも「週の始まり日曜日」って誰から教わったんだ?

子供のころからずっと「週の始まり月曜日」が当たり前だっただろ。

週末は「土日」のことだし、学校に行くのは「月曜」からだし、

曜日を並べるときは「月火水木金土日」の順に並べただろ。

キン肉マンだって「月火水木キン肉マ〜ン金土日はあ〜そびたい」って歌ってたぞ。

「日曜始まり」だなんて考えたことすら無かった。

そう言ってる人たちはどこでそんなこと教わったんだ?

ちなみに、この混乱はそもそも欧米宗教事情によるらしい。

ユダヤ教ではもともと土曜日安息日だった。

旧約聖書天地創造エピソードは有名だよな。

俺はそれを「月曜日から世界を作りはじめて日曜日に休んだ」と思い込んでいたんだが

本来は「日曜日から世界を作りはじめて土曜日に休んだ」ということだったらしい。

ともあれユダヤ教では

「神が土曜日に休んだから俺たちも休む」

土曜日が週の終わりだから週の始まり日曜日

これはわかりやすいよな。

しかキリスト教では「キリストの復活」が起きたのが日曜日だったので、日曜日仕事を休んで礼拝を行うことが定着してしまった。

古代ローマ帝国の時点で「安息日土曜日ってのは取り消し!礼拝日曜日に行えよ!」という法律が発布されていたらしい。

それなのに「週の始まり日曜日」という慣習だけは残ってしまたから大変だ。

アメリカでは今でも「週の始まり日曜日」なのに「休み日曜日」という混乱した状況になっている。

ややこしすぎるよな。

でもそういう宗教事情って日本では関係ねーじゃん。

「どっちが宗教的に正しいか」じゃなくて「どっちのほうが現実的か」で割り切れるじゃん。

そんで普通に考えて「一週間の始まりから休もう」みたいな発想にはならんじゃん。

やっぱり働いたあとに休むのが自然の摂理じゃん。

から現実に即せば「月曜始まり」のほうが正しいことになるじゃん。

異論ある?

anond:20211115105424

anond:20211116140823

なるほど、だから未だに土曜日を指す語が安息日を指す語と同じだったり似ていたりする言語結構あるわけだ。(イタリア語だと Sabato で同じ。英語の sabbath に相当かな)

anond:20211116140402

ユダヤ教では土曜日安息日からその次の日曜日が週の始まりだった。

しかキリスト教では諸事情により日曜日礼拝を行うようになったから日曜が休みになった。

anond:20211115105424

そもそも一週間は日曜日に始まるとされた起源・由来は何なんだろうな。

日常生活からの実感では土日が週末で週の始まり月曜日だもんね。「週明け」という言い方もあるし。

あと、ユダヤキリスト教的にも日曜日は週の最後の日で安息日だと思う。

2021-11-15

twの思い出

びろびろ

テガフール

ヴィリー

魔女安息日

ほっしぃ

あいか

キリスト教安息日は日曜なの?土曜なの?

キリスト教圏でも一週間は日曜開始だから創世記で神が休んだのは土曜ではという気がするが、ならなぜ週休二日制以前は土曜が休みでなかったのかわからん

2021-08-24

土日出てくるのが当たり前になった壊れた社会人跋扈してない業界教えてくれ

俺はもう疲れた

同僚も取引先もなんかあると「まあ土日出てきてやればいいっしょ」

もう無理。

なんなん気持ち悪い。

せめて日曜日安息日だろ。

昭和熱血と使い捨て氷河期ミックスされたインモラル共にとってのぬるま湯、アンヒューマニズムというウィルス培養液。

こんな中にコレ以上住んでいられない。

そう思うもどうもこの世界は地平線の向こう側までそんなものに浸りきっているように見える。

土日に役所が閉まることに対して「じゃあ俺が休めばいいんだな」と言えない連中だらけのこの国に生きることに疲れた

もう無理。

死に至る疲労

2021-08-13

無能な味方の分類法

無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。

せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。

十戒

主が唯一の神であること

基本中の基本。一つの集団形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。

また、無能な味方を排除する際にも、一言背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である

偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止

これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。

神の名を徒らに取り上げてはならないこと

ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。

恐ろしいことにユダヤ人祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。

安息日を守ること

休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。

父母を敬うこと

家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。

殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)

当たり前。でも、別に生存競争否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在集団内にいていいわけがない。

姦淫をしてはいけないこと

昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。

盗んではいけないこと

これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。

偽証してはいけないこと(嘘を言ってはならない)

同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである

隣人の家をむさぼってはいけないこと

宗教集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である

七つの大罪

やけに生活観のあふれるユダヤ十戒と比べて、キリスト教七つの大罪は、完璧戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代かほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。

傲慢

主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位自分世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。

嫉妬

これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。

憤怒

喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実

怠惰

これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。

強欲

これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉場合集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。

暴食

これは、完璧飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。

色欲

十戒姦淫の部分と同じである

七つの美徳

上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須技術となる。

忠義希望勇気純潔、慈愛、純愛友情、誠実、知識正義分別節制貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品

・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望純潔上品といった要素が含まれるのも仕方がない。

もし、ネガティブ好色下品な仲間がいたら、あなたのいる集団にどんな未来がありますか?

無能な味方の分類法

無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。

せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。

十戒

主が唯一の神であること

基本中の基本。一つの集団形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。

また、無能な味方を排除する際にも、一言背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である

偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止

これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。

神の名を徒らに取り上げてはならないこと

ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。

恐ろしいことにユダヤ人祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。

安息日を守ること

休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。

父母を敬うこと

家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。

殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)

当たり前。でも、別に生存競争否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在集団内にいていいわけがない。

姦淫をしてはいけないこと

昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。

盗んではいけないこと

これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。

偽証してはいけないこと(嘘を言ってはならない)

同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである

隣人の家をむさぼってはいけないこと

宗教集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である

七つの大罪

傲慢

主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位自分世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。

嫉妬

これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。

憤怒

喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実

怠惰

これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。

強欲

これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉場合集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。

暴食

これは、完璧飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。

色欲

十戒姦淫の部分と同じである

七つの美徳

上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須技術となる。

忠義希望勇気純潔、慈愛、純愛友情、誠実、知識正義分別節制貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品

・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望純潔上品といった要素が含まれるのも仕方がない。

もし、ネガティブ好色下品な仲間がいたら、あなたのいる集団にどんな未来がありますか?

2021-05-15

anond:20210515213204

そもそも年中無休でなけりゃ困る商売なんてスタンド医者ぐらいじゃん

どうして必死に「年中無休」にしがみつくのか良く分からん

安息日作ろうぜ

2021-05-09

そろそろ土日祝日みたいな概念を無くすべきでは?

土日が休日なのはキリスト教安息日から来ているらしい。

今のコロナ下で国民全員が同じ休日でうろちょろするのって、百害あって一利なしじゃない?

社員それぞれが自由休日を設定するようにして、人の移動を分散するべき。

2019-07-10

anond:20190710085517

別に誤解で処刑されたわけではない

信仰解釈に関する意見の相違で処刑された

司祭安息日日曜日に働くんじゃねえ!」

イエス「うるせえ、良いことするのに曜日関係あるか!」

みたいな感じ

2018-10-08

anond:20181008133551

そもそも現代人が土日休み恩恵にあずかれるのは安息日というユダヤ教キリスト教概念があるからなんだけどな

戦前日本にはそんな思想なかったし、戦後だって月月火水木金金」と言われた時代がずっと続いた

さら古代になると人々は気軽に引っ越せたわけじゃないかムラ社会孤立することは死活問題に直結したし

「命危ないんだから逃げればいいのに!」みたいな自己中な考えじゃ生きてゆけなかった時代もあったという事だよ

2018-06-28

情報安息日を作るべきではないか

各国で示し合わせてTVラジオネットが一斉に遮断される日を作ってほしい。

現代人が受け取る情報はとっくに個人で処理しきれない量だし、知ることの重要さよりストレス負担が上回っているせいでみんなうっすら精神病みたいな状態が続いている。自分から遮断する事はもうほぼ不可能から自己責任論はやめてシステム強制的に引き剥がす方がいいんじゃないかと思う。インフラ従事者や、セキュリティは休めないのでそこは問題が残るけど、ネットバトルで発狂してしまうような人間は減るんじゃないかなと思う。

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