2022-10-02

今年のお彼岸

先日、母が家族LINEグループから退会した。

思えば、ガラケーしか知らず、新しいモノは覚えられないからいやだといって拒んでいた母に無理やりスマホを持たせたのは1年前のことだった。

これから緩和ケア施設に入ると、もう恐らく家には戻ってこれないだろうし、いつも母が手入れをしていた庭の草花の写真でも

送ってやろうと思った。そして、自分や姉が働いている写真積極的に送るようにした。

しばらくすると慣れて、写真に返信するようになった。

既読になるだけでうれしかった。

しかし、年が明ける頃、送ったメッセージ写真既読になるのに何日もかかるようになっていた。

おはようと送ったLINE今日もまた既読にならず病室の母

いよいよ会話もできなくなっていた。

春になると、スマホの充電もできなくなって、メッセージ既読になることはなくなった。

ほどなく母は他界した。


母の葬儀を済ませてまもなく、

肺癌だった父が緊急入院し、そのまま家に戻ることな10日もたたずあっという間に息を引き取った。


わたしはというと、両親が相次いで亡くなる状況のなか、

他界したあとの葬儀やさまざまな事務手続き忙殺されていたこともあり、溜まっていた仕事も待ち構えていたりと、不思議と涙はでなかった。

司法書士に依頼し、不動産登記の書き換えのため必要戸籍調査が、案外と興味深いものだった。

両家の戸籍可能な限り、さかのぼるこの手続きは、忙しい現代人には無理だ。

だが送られてきた戸籍安政年間の祖先痕跡をみつけ、NHKファミリーヒストリーは、なるほど、こういうところに目を付けた番組なんだなとしみじみ思った。



そんなある日、後回しになっていた父と母のスマホ契約の解除に着手した。

亡母のスマホ最後着信履歴がふと目に留まった。母が亡くなって2週間ほどたった頃だ。

からだった。

その日は父が救急車搬送された日だった。何を思って亡き母の携帯電話を掛けたのか。

その瞬間の風景を思うと、こみあげてきてしまった。

スマホは解約した。




そして、母が他界して半年がたった。

半年もたつと月命日も、気が付かないまま通り過ぎていく、、、そんな感覚になっていく。

そのような忘却もまた自然なことだと受け止めている。


そんなおり、ふと去年、妹と作った母とのLINEグループで送った写真でもみようとしたところ、母が退会したとのメッセージが表示されていた。

解約してから半年近くもたつのに、退会のメッセージはつい先日の日付だった。

その日がまさに月命日だったので、何か因縁めいたものを感じて、思わずスクショをとった。

わたしの月命日を忘れてもいいけどね、じゃあね、バイバイ」と言っているような気がした。

何かが空間にゆっくりと遠ざかっていく、不思議感覚に襲われた。

今年は、そんなお彼岸だった。というより、お彼岸スピリチュアル感覚意識したのは初めてだ。

両親を亡くした今年は、人生ターニングポイントのような気がする。

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