はてなキーワード: 官能とは
そこで思ったのだが日本でドローンが敵視されがちなのはサウンドがよろしくないためではあるまいか?
自動車やバイクなどの動作音もかつてはあまり気にも留められていなかったのだろう。
しかし昨今ではエキゾーストノート(※排気音のこと)のよしあしまでまでもが評価の対象となる。
自動車関連の話題では「このマフラーは官能的なサウンドだ」などと語られることが多い。
その一方でドローンは「サウンドの良さ」がおざなりにされている印象だ。
ほとんどのドローン(現行モデル)のサウンドは単刀直入に言えば騒音だろう。
ドローンの動作音はサイズにもよるがチェーンソーやシェーバー、ハエの羽音を連想させる。
美容院が朝早くから早朝に開店してると思ったら今日は平日なのね。
もうそんな時期なのねーって。
まあそれ以下でもそれ以上でもないんだけど、
ところでさ、
早々に諦めました!
そんな中、
いつも応援している人とは違う人なんだけど、
いろいろな見聞を広げるって意味で、
違う人も聞いてみた方がいいのかしら?ってことで行ってみたの。
まあなんというか
妖艶なお姉様という感じで、
もうストラディバリウス日本に何台あるんだよ!って話なんだけど、
若いヴァイオリンとそういった年季の入ってるベテランヴァイオリンの聞き比べなんてしても、
分かりゃしないんだけど
ベジータに言わせたら、
ストラディバリウスのバーゲンセールだな!!!って皮肉言われちゃいそうよ。
実際何台あるのかしらね?
でもよくよくまた見てみると、
貸与されてるものもあれば、
自己所有されてる方も居たりして、
自己所有って凄いわよね。
ストラディバリウスだけを狙う窃盗団に狙われてる話をするのがとても面白いわ。
ほんとかよ!って思うけど、
まるでミケール・ハインツの作品ばかりを狙う窃盗団の話を思い出すわ!
そんなこと言ってる場合じゃないのよ、
うふふ。
休日の日は決まってちょっと遠いけどお気に入りのパン屋さんに行くのよ。
実家にはプランタでミントが勝手に生えてるので奪ってきちゃいました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
平成期末の12月、さりとてただの西暦2018年末も暮れゆき。Evernoteを整理(という名目の現実逃避)していたら、去年の末に増田に投下しようとして書き上がらないまま放置されていた漫画レビューが転がっていたので、供養として投下してみようと思う。細かい表現ばかりが気になり頭をひねっていたら知恵熱を上げてしまって、結果として放り投げてしまったのだった。けど1年寝かすと、ほんとうどうでもよくなるもんだ。今年こそ、ちゃんと書こう。
以下、そのままコピペ。
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年の瀬ということで、あっちらこっちらで総括的なものが始められている模様。そういうところにブコメをして推しを布教していくのもいいが何せ100文字で多くを語ることができない、ので徒然に増田に投下してみるわ。あー、明後日の納会行きたくねー(社内ぼっちなので)
お題は表題の通り。コミックスとして発刊されてるものが対象。発表時期は昨年以前のものでも、今年私が買ったものなら対象(流行に疎いものでね)というどこまでもジャイアニズム全開のまとめだ。誰かのこころに刺さるものであれば幸い。
【1席】
https://www.amazon.co.jp/dp/B077GQL19W/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ヤマシタトモコはモノローグのうまさが前からそれなりに好きではあったのだけど、話や画づらがガチャガチャしていてあまりハマり切れてなかったところがあって(「BUTTER!!!」とかね)。
だが今作は主人公(の片割れ)が小説家ということもあって純粋に持ち味である「語り」が活きてきたな、という感じ。(ベタなフィーヤン的おセンチメンタリズム…ではあるのだが)
気が付いたらハマっていて、「2巻ないの?」となった。
両親を亡くした思春期の子を叔母(母の妹)が引き取る…なんて話だったら往々にして、「世の中を斜に見ているひねくれもの」という設定が「思春期の子」役にあてがわれることが多いんだけど、本作の「田汲朝」ちゃんはとても素直な性格なうえ、人見知りしない(齢34を超えて未だに他人とまともに話が出来ないおばさんにちょっとコミュ力分けてくれよ)。この人物造詣がなにより良かった。
それと、読まないと絶対わからないような細かいポイントで恐縮だが、「乾いた寿司は殺す」。この一言でもう、やられてしまった。
【2席】
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B071J6PGN6/ref=series_rw_dp_sw
4月ごろに部屋探しをしていたので、結構感情移入しながら読んでた。
(割と長いシリーズなので、ご存知の人も多いだろう。ということで概要ははしょりまーす)
主人公・沼ちゃんはようやく「ここだ」という部屋に出会い、マンションの売買契約を結びました…ここまでが3巻のあらすじ。
で、それを受けた4巻だけど、平常運転です。相変わらず、沼ちゃんと周辺の人々のパートと、市井の人とその人の暮らす部屋にまつわるお話のパートとを行き来しながらお話は続いていきます。
いつもどおり続くけど。
例えば、娘に命かけたものは何か、と問われた母親が「出産」と答えるエピソード、それを受けた娘は「じゃあ、私、一生懸命生きなきゃだね」と応える。
「いつもどおり」は日々のなか暗渠のようにずっと流れ続けていて、ある時まれにそれが顔をだす。その輝きのなんと素晴らしいことか。
8年暮らした部屋を出る沼ちゃんのエピソードに、5月、10年暮らした部屋と街を出た自分自身を重ねて、少し泣いてしまった。
【3席】
https://www.amazon.co.jp/dp/B0721MBYT7/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ようやく「森・青木」以外の物語を書いてくれる気になったか…というところで、デビュー作「水と銀」以来ファン歴18年の私としては感無量です。
お話としては、相変わらずぶっ飛んでて良かった(吉田先生的には平常運転)。
ヘタレむっつりストーカー気質おじさん×ツンデレ狐目女子、萌え(何やら言語中枢がやられてしまってるようだ)
「淫らな青ちゃんは勉強ができない」①・②・③・④・⑤ カワハラ恋/講談社
「男はケダモノ」という世界観で生きている女子高生が、ピュアな男子高生に好きになられて…。
一人妄想を膨らまして、勝手に怒ってみたり悶えてみたり童貞にマウンティングしたりする主人公・青ちゃんを「一番ケダモノなのはお前やないかーい」と愛でるのが本作の趣旨です。
とはいえタイトルでわかる通り、「出オチ」系のマンガなので、そろそろマンネリがきつい。最新刊では青ちゃんに想いを寄せる女子高生も現れ、百合展開もあり…次の一手に期待。
「お前はまだグンマを知らない」①・②・③・④・⑤・⑥・⑦・⑧ 井田ヒロト/新潮社
これも出オチ系。マンネリが気になるかな。でも、グンマのこと、好きになれたよ。
ラブ焼きまんじゅう。
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(追記)
「違国日記」は3巻まで出たね。いいボルテージを維持しているので、引き続き期待しているけど、ヤマシタ先生の描こうとしているものの全容を想像するに、きちんと終わるまで何年かかるだろう、と思う。
巻末の「○○のそれぞれ」で脱線してる暇はないっすよ。
対照的に「官能先生」は2巻でもう物語の核心に触れつつある。次巻、起承転結の“転”となるエピソードがくるかな。「恋風」も「夏の前日」も5巻だしな、物語を転がすのが本当にうまいって思う。
ビジネス的にはどうなのかと思うが、「作品の質が全て」という信条なのでそれは無視。
(「おまグン」はWeb版くらげバンチで読んでるけど、単行本を買うには至らない)
日々は、進んでないようで、過ぎていく。たまに過去の自分が書き散らかしたものに出くわすたびにその少なくない変化を驚かされるばかりだ。
https://ci.nii.ac.jp/naid/110009437802
和文抄録
煮物の味は冷めるときにしみ込むという言い伝えを検証するために,ジャガイモ,ダイコン,コンニャクを2cm角の
立方体に成形し,1%食塩水中で食べられる軟らかさまで加熱後,0,30,50.80,95℃で90分まで保温し,30分後と90
分後に外層部と内層部の食塩濃度を測定した。温度降下条件を各設定温度に試料を加熱した鍋のまま移す緩慢条件と,氷
水に鍋をつけて設定温度まで下げた後保温する急速条件の2種とした。いずれの条件でも,保温温度が高いほど,食塩の
内部への拡散は大きく,このことは官能評価でも確認された。これらの結果から冷めるときに味がしみ込むということは
見いだせなかった。ソレ効果についても検討したが,ソレ効果で煮物の調味料の拡散を説明することはできないことがわ
かった。冷めるときに味がしみ込むというのは.冷める時間に調味料が内部へ拡散することを言っているのではないかと
考えられる。
これは政治学よりも経済学の「価格弾力性」の理論で説明したほうがいいね。
人間は欲深い事に好きな子と会話ができたら、今度は二人っきりになりたがる。より密着したがりからだに触れられるようになると官能的な魅力に求める。その次、その次と求めていくと、1度提供されたその子との繋がりが魅力的に感じなくなくなる。
こういうことってよくあるよね。地元スーパーの安売りにありがたみを感じなくなったり、何度も聞いていた音楽が魅力的に感じなくなくなったり…。要するに「慣れ」や「飽き」が来ちゃうんです。
より強い刺激を反日デモに植え付けなければ、「反日」というコンテンツは面白くなくなる。だから、車をひっくり返したり、日本企業を襲撃したニュースが流れ、今回のようにしまいには関係ない国の企業まで襲撃される。
日本人よりも損得に敏感で貪欲な中国人なら、なおさら強い刺激を求める。「価格の弾力性」はどんどん小さくなる。コンテンツは飽きられてしまうのだから、飽きがこないように日々違う刺激を与え続ける必要がある。
19回目の誕生日、斎藤さんに会った。もう二度と会うことはないと思っていたのに再会は突然訪れた。
今日で授業が終わって、夏休みだから実家に帰ろうと高速バスに乗った。バスは夏休みを利用して遊びに来た中高生やらサラリーマンやらでいっぱいで、後から乗った私は仕方なく補助席となった。そしたら隣が大学生っぽくて、寝たふりしておっかかってた。(乗った時は毎回して、反応を楽しんでいる)
その人はすごくいい匂いで、落ち着く匂いの中にムスクみたいな官能的な匂いがあって、どこかで嗅いだことのある匂いだった。考えていたら相手ももたれかかってきて匂いが強く鼻をかすめる。薄いTシャツから熱が伝わってきたこの匂いはもしかして。。
「斎藤さんですか?」
少し間が空いて、そうだよと返ってきた。少しびっくりした顔をした斎藤さんが、可愛かった。奇跡的な再会をして、私が辞めてからバイトで新しい人が入ったとか、実習のことだとか、ピザ屋の宅配のバイトがしたいとか。私が話をふると斎藤さんは時々こちらを見ながらメガネを触ってぼそぼそと喋って、相変わらずネガティブな話をずっとされた。なんとなく受験を受けてトップ校に入学して、運良く国立大に入ってだらだらと夏休みを送る斎藤さん。平凡な斎藤さんが、殺したいくらい羨ましくて、いい匂いがして愛おしかった。私は斎藤さんが大好きで、そうと知ってても冷たい斎藤さんに絶望していたんだった。
けれど不甲斐なくて賢くて運がよくて爽やかで脆くて、斎藤さんは素敵だった
時間はあっという間に過ぎて、下車する時がきた。大学に寄るって言うから一緒に降りると言ったのに自転車で来たからと断られて、仕方なく家の近くで降りた。
大学へは車で行ってるの知ってるのに。やはり斎藤さんは冷たかった。お茶もしたかったのに。海も行きたかったのに。
付き合ったってどうにもならない。将来性もない。つまらない人だ。つまらないの根底にあるのは中学で起こった彼へのイジメらしい。私はいじめを受けて、デビューを果たしてきた人間だ。
だからこそ自分は選ばなかった平凡な道に進んだ斎藤さんが大好きで、忘れられなくてこんなところに気持ちをぶちまけてしまいたくなる。
気付いた事とか順不同で色々書いていく
・劇中作について
動きが取りっぽいよね
例えば、初めてパン屋に行った時に、ピョンピョンと跳ねて動くシーンとか
リズが作ったジャムを指から舐めるシーンで、上半身を前に倒すシーンとか
理科室での最後のシーン、自分とは行ける場所が違う事に気付いたがために「みぞれのオーボエが好き」としか言わなかったのか
みぞれが初めて話しかけてもらった時の事を話した際「ごめん、覚えてないんだよね」と返すが
希美が抱いているのは、嫉妬と羨望と絶望か、それとも愛ゆえの決断なのか
心やからね
通じる事も繋がることもないけど
それでも、何か一つ伝われば
それで生きていかれるのかも知らへんね
たった一つのそれで
伝わったん?
冒頭の音楽「wind,glass,bluebird」、ラストシーンでの音楽「wind,glass,girls,」はどちらも「噛み合わなさ」が印象的な曲だ
二人の「disjoint」が見ている側としては印象的であった
2コマに一度かみあわない
5秒に一度強烈な勘違い
disjointといえば、ネットの感想では「ハッピーアイスクリーム!」の意図に希美が気付かないシーンがある
繋がったり離れたりを繰り返すこの二人なのであった
個人的には、その時にのぞみが見せた笑顔が「もうしょうがないなあ」「これでも幸せ」みたいな感じで好き
もう善いよ そんな恋なんだ
sasakure.UK「コイサイテハナ*
少女と少女が無邪気にじゃれ合う様子と、思いの一方通行さが印象的なシーン
流れる音楽は「reflexion,allegretto,you」
reflexionは勿論「反射」という意味だろう
allegretto(アレグレット)が何か分からなかったので調べると、「やや急速に」という意味で、音楽の速度標語の一つという意味だった
鼓動が早くなるという意味でもあるのだろうか
・剣崎梨々花との関係について
みぞれが剣崎梨々花と仲良くなり、それに希美が言葉を失うシーンがある
希美がもみぞれに対して、一種の独占欲とかがあったのだろうかと下衆の勘繰り
さらに言えば、みぞれも希美の嫉妬を煽りたかったのではという妄想
いや、単純に後輩を可愛がってるだけなのかも知れないけど
「ほんとにあるの?」みたいな、ネタ的なタイトルがあった気がする
どのシーン化は明言しないとのことだが、実際どこなんだろうか
思ったのが、希美は
「私は“みぞれのオーボエが好き”以外に好きな所を何一つ言えない。私はみぞれのことなんて好きじゃなかったんだなあ」
「自分には何もないこれだけの愛情を向けられる理由なんて一つも」
と、自分の醜さや空虚さに気付き、自己嫌悪と馬鹿らしさから笑ってしまったのではと感じた
・青い羽
希美への「好き」と「独占」を綯い交ぜにした、何とも官能的で危うげなシーン
「リズは冬になったらどこに行くの?」
「どこにも行かないわ、ここにいる」
このシーンで、うるっとくる
希美もどこにもいけないんだろうなあと
劇中作でのリズの家は柵に囲われている
家やドア自体もそうだが、まさに鳥籠
ただ、そういう物質的な物よりも何よりも
「置いて行かないで、ずっとここにいて」という言葉のほうが、ずっとずっと強固な檻になるんだろうなあと見ていて感じた
1・2期も見たけれども
・監督
きれいな人だよね
・足の動き
また理科室でのシーン
足だけで表現する凄いシーン
告白されて「ありがとう」ってのが肯定の言葉でないのが普通であるように
でも、みぞれはその気持を分かってるのかなあ
・鑑賞者の視点
「理科室のビーカーかシャーレか壁になりたい」という感想を書く方もいた
・私はコナンマニアというわけではなく、小さい頃TVアニメを観ていたり、思い立ったら新刊を買ったり本誌を読んだり、金ローや年イチの映画を観る程度の知識です。
我々読者は、公安警察官・降谷零がトリプルフェイスを持つことを知っている。
安室透=降谷零=バーボンと知っている、つまり読者と同じ視点の人間は主要人物に限られている。
大多数、つまりモブは、「彼のなりきるキャラクター」にしか知らないのではないのだろうか。
「降谷零」は、幼くは零くん・ゼロと呼ばれ、公安警察として働く生身の人間。
では「安室透」は?
バーボンと同じく潜入捜査のための身分であるが、一般社会に溶け込んでいるという点で、異質である。
「任務の一環として」サンドイッチを作り、笑顔を貼り付け、店の前を掃き、コストコらしき店へ行き、そしてJKを魅了してしまう。
バーボンのほうが、なまじ目的と組織内の身分が明確化されているために、よっぽど解りやすい存在である。
彼はある時突然米花町へやってきて居付き、仕事をし交流を持ち、周囲に慕われている。
いつか「安室透」としての彼はいなくなるはずだが、彼を「私立探偵でウエイターの安室さん」だと思っている人々は、そんなことは知る由もない。
この状況と似た映画がある。
1968年のイタリア映画、パゾリーニ監督の『テオレマ』である。
ミラノ郊外に住む、工場経営者であるブルジョワ家庭(主人、妻、娘、息子、家政婦)に一人の男が姿を現わし、なぜか男と一家との共同生活が始まる。
そのうち家族全員は男の謎めいた魅力の虜となってゆくが、男が家族の前から立ち去ると、残された家族は奇妙な行動を取り始め、家庭は崩壊してゆく。
作中で「男」が何者かは一切語られない。
この物語、まさに「安室透の別の顔を知らぬ者」、米花町の人々の視点である。
この視点の人物は、梓さんかもしれない。安室透を慕うJKかもしれない。マスターかも知れないし、ピンチを助けてもらっている少年探偵団かも知れない。
周囲の人物に、「素敵でかっこいいお兄さん」として振る舞い、優しく触れて期待させていったあげく、忽然と姿を消すのである。
ここまで「安室透」について述べてきたが、彼の空虚さと取り巻く関係は、そのままある少年に当てはまる。
むしろ、毛利家に深く関わり、数々の困難を共にするうちに断ちがたい絆を得ているという点では、コナンのほうがよっぽど『テオレマ』らしい。
コナンを失った少年探偵団はどうなる?毛利家は?園子は?蘭は?
高木刑事や目暮警部も、耐え難い喪失感に襲われるのではないのではないだろうか。
コナンも造られた存在である。異なるのは、安室透は任務のためであり、コナンは元に戻る方法を探るためであるという点。
そこにポアロのウエイトレスで安室透の同僚、梓さんを加えてもいい。
青山先生は、主要人物の心がうまくまとまっていく様子はきっと描いてくれるだろう。
ただ、数え切れないほどの事件で登場した人々の心情の機微までは描かれないはずである。
2日に一度は殺人事件!?『名探偵コナン』のコナンは、あまりにも事件に遭遇しすぎではないか? | ダ・ヴィンチニュース
「『眠りの小五郎』さんと一緒にいた坊や、どうしているかしら…」「どうやら、行方不明みたいです」
こんな会話が交わされているかもしれない。そして、入れ替わりに新一が戻ってくるわけである。
果たして、皆が「コナン」に感じていた魅力を「新一」が埋められるのだろうか。
「安室透」に至っては、かけがえのない魅力を持った青年が忽然と消えるわけだから、ポジションを埋められる人間は存在しない。
彼に憧れを抱いていた人間は、永遠に彼の幻影を追い続けるわけである。
そこには、崩壊が待っているのかもしれない。
少なくとも、灰原を含め3人が確実にいなくなることが決まっている米花町は、異常な街なのである。
新一への伝書鳩…という役目もあろうが、新一は声以外登場しない。コナンが頼られている。そして、安室透は自然に生活をしながら、「自分の恋人」を護る。
新一が元に戻っていれば?安室透がただの公安警察のひとりとして、警備任務につくだけだったら?生まれ得ないシナリオだった。
「いつか壊れる日常」だと改めて認識させられた。待っているのは『テオレマ』のような結末ではないかと感じたのだ。
そして、二人のコンビネーション。
一般的には、「正義か、真実か。」コナンと安室透の対比と対決と共闘が、テーマであり見所とされていたが…。
共通した「造られた存在」を生きるもの。周りを偽る空虚な存在。そして周りを虜にする存在。
目的が終わればこの姿を捨てるが、その目的は限られた人間しか知らないため、周りを切り捨てるしかない運命。
そんなものが共通しているからこそ、分かり合えたものがあったのではないかと考えた。
「ウソつき…」
「君に言われたくはないさ…」
のセリフに集約されているのではないだろうか。
勝手に感じたあむあず(安室透×榎本梓)みについて語って締めくくりたい。
テキパキした手際にそう感じたのかもしれないが、実に唐突な会話である。
世辞を言うべき相手でもない。
普段の接し方を見ていても、どちらかの不毛な片想い…という感じでもなく、平等に良好な関係を築いているようである。
梓さんも、前述のセリフに照れるでもなく、風評被害を恐れて警戒するのみであった。
「降谷零」として、梓さんに好意があるかもしれない。
「安室透」によって抑えられているから、あの程度の露見で済んでいるのだ。
そんなふうに感じられた。
若い男女が親しく働いているのだから、そんな関係になる機会もあるかもしれない。
けれども、梓さんが「降谷零」を知る日は来るのだろうか。
「僕の恋人は…この国さ!」と言い切っていた。
【僕】とは、誰のことだったのだろうか。バーボンではなかろう。降谷零として、そのままの意味で言ったのであろうか。
「安室透」としては、“恋人”を作るわけにはいかなかったのであろうか。
ひとつひとつを愛せないから、まるごと愛するしかない不器用さと取るのは、曲解になるだろうか。
一人の女をだめにした 一人の男の日暮れ時
この歌詞のように、和製『テオレマ』的別れを与え、「安室透」は消えていくのかもしれない。
自分は原作小説の存在は知っていたが、読んだことはなかった。ただただ「松坂桃李のエロい姿をデカいスクリーンで観たい」という下心だけでこの映画を観に行った。
観賞後、頭に浮かんだただひとつの感想が「人生でいちばん濃密で官能的な119分間だったなぁ」というもの。
まず冒頭からセックスシーンからだった。さすがにびっくりした。生娘ばりにひゃっ…⁉︎となった。馬鹿デカいスクリーンに映し出される、松坂桃李の引き締まった綺麗な尻。生涯忘れることはないだろう。
スクリーンの中の松坂桃李は無気力をそのまま体現したような青年だった。そのへんの行きずりの女であろう相手とのセックスの後もだるそうで、本当にこんな生気がない男が娼夫になるんか…???と原作未読の自分は甚だ疑問であった。
その後も死ぬほどセックスのシーンがあるのだが、松坂桃李、いや、森中領は娼夫としてセックスを通し、日々を過ごしていくうちに冒頭の無気力そうな姿から生き生きとした青年に成長していく様は本当に感動した。松坂桃李の演技力に感服してしまった。最初は猫背で少し引きずるような歩き方をしていたのに、最後のシーンでは胸を張って堂々と歩く森中領を観て、松坂桃李ってマジで天才だなと…。観賞後に改めてポスターを見ると、松坂桃李が森中領にしか見えなくて困る。
この映画には先ほども書いたとおり、死ぬほどセックスシーンがある。多分10回前後はあった。でも、どのセックスも最初から最後まで丁寧に描かれていたからどれも心に残っている。本当に綺麗なAVを観ている気分になった。
いわゆるベッドシーン、ラブシーンがある映画は最初から最後まで描かれていないものが多い。しかしこの映画は前戯から始まり、絶頂に達した(なんかこの言い方キモいけど良い感じの表現が見つからなかった)後のまどろみまでしっかりと、それでいて繊細かつ丁寧に描かれていて、監督のこの映画にかける熱をひしひしと感じた。カメラワークも素人にも分かるくらい凝っていたし、一番最後のセックスシーンである領と咲良の行為も、舞台で培ってきた表現なのかな?そんな感じのシーンだった(語彙力)
自分は領の一番最初のお客さんであるヒロミとのセックスシーンがお気に入り。
「我慢するのってすごくむずかしい。私、領くんと今すぐしたいな」という台詞からのセックス。本当に最高だった。
賛否両論あるそうだが、自分は松坂桃李の喘ぎ声?というか行為中の声もべつに良いと思う。リアリティがあるし。でも高速手マンはみてて痛かった。自分がされてるわけじゃないのに膣がヒリヒリしそうだった。
とにかく領とヒロミさんの獣のようなセックスは本当に素晴らしかったし、松坂桃李とヒロミさん役の女優さんどちらも凄いなぁと思った。演技であれだけ本能をむき出しにしたみたいなセックスを表現できるなんて、俳優さんって凄い。
観賞後、映画館を出た足で本屋に向かい、原作小説を買い、翌日には続編の「逝年」、その翌々日には完結編の「爽年」を買い、再入荷を待って映画のパンフレットを買った程度にはこの「娼年」にドハマリしている。舞台を観れなかったことを私は一生悔やむであろう。
痴漢をされた。
腕を怪我していて治療の都合上前方に固定しなければならなかったので優先席に座っていたら、
電車の入り口付近に乗り込んだ中年男性がやたらと股間を怪我で動かせない方の手に擦り付けてくる。
最初は揺れでたまたま当たったのかなと思っていたけど、あまりにしつこくスリスリされるので痴漢だと確信した。
怪我で動けないなりに工夫して体制を変え腕を庇っても、
しらっと擦り付けるポジションに移行する中年男性を思い出すと今でもイラッとする。
席を立てる状況でもなく、注意しようとも思ったのだが、
・男性の両手が電車の手すりを掴んでいて直接触っていた訳ではないので痴漢した証拠がないこと、
・前日に痴漢冤罪で人生をボロボロにされてしまった男性のドキュメンタリー番組を見ていたこと、
という固定観念が広まっていること(今思うとフェミの人に失礼だしネットに踊らされすぎてる)
が頭をよぎり何もできなかった。我ながら馬鹿だなと思う。
モヤモヤが治らないので帰宅後痴漢関係の記事をぐぐってみたのだが、
・フェミニストの方が書いた男性全体のdisっぽい記事(自分はフェミニストの方がこわくて苦手なんです…)
・美人さんが書いた痴漢被害者はブスだからされるのよ的な記事(図星です…)
・2chまとめにありがちな男性方から痴漢冤罪女へのdis記事
しか見当たらずもう虚しさが募る一方だった。
本当は痴漢する人がなんで痴漢したくなっちゃうのか知りたかったんだが
あんまり納得すること書いてるページが見当たらなかったので諦めた…。
痴漢自体はじめての経験ではないのだが、今回ここまで引きずっているのは2つ理由があって、
手を使わない痴漢がこんなに消化不良でやきもきするものだと思ってなかったので
(こんなクネクネした微妙な痴漢して楽しいのかな…)と思ったことと、
ネットの人たちがかなり痴漢冤罪を恐れていることを再認識したからだ。
もしかして痴漢に限らず性犯罪って女性の被害と同じくらい他の男性の被害も大きいのかなと思う。
男ってだけで何もしてないのに何か疑われたら誰だって気分悪いだろうし。
痴漢は男性全体を生きづらくするし痴漢冤罪は女性全体を生きづらくすることなのでどっちも遊び半分でやるのはやめようね…。
しんどかった。
ネットでそれらしい言葉をぐぐってみると「ただの男の性欲処理なんだから理解すべき」「風俗は浮気じゃない」というアドバイスが多かった。
女性側の気持ちを理解すべき、という男性へのアドバイスはなぜ無いのだろう?と思った。
身体的(本能的)な欲求は承認されるのに、感情的なものは我慢させられるのはなぜだろうと思った。
男性による風俗のレポートはたくさんあるのに、風俗へ行かれてしまった女性側の詳細なレポートはなかなか見つからなかった。
わくわくしているときも、死にたさに溢れている時も、わたしは同じような状況にある人の言葉を探す。
仲間を見つけたからなのか、そこに自分の気持ちの代弁を認めるからなのか、不思議と心が落ち着くのだ。
だから、誰かにとってそうなるかもしれない期待を込めて、私の気持ちを書き記しておく。
「さっきセックスしてきたのかあ」「セックスほやほやかあ」「妙にこざっぱりした顔してたかも」「私に気づくまで、笑顔で歩いてきたよね」「信じられない」彼の顔を見れなかった。
ふとしたときに、彼が風俗の女性と抱き合っている姿がうかんだ。
官能的なものじゃなく、彼の後ろ姿と抱きしめられて彼の体に隠れてほとんどみえない裸の女性の静止画。
それが目に浮かぶたび「私じゃない人と、そんなふうに近づいたりするのかあ。」と思った。
宿泊先に戻り、布団に入って目を閉じた。
静かに涙が出てきた。鼻水も出てきて、枕元にティッシュがなかったので焦った。
このままでは目が腫れて明日に響くと思い、気合いで泣くのをやめて眠った。眠れるものなんだなあ。
友人や同僚で風俗へ行った経験がある人は何人かいたし、浮気や不倫の話を聞いたことがないわけじゃない。
「男は1度くらいは風俗に行くもの。素人と浮気するよりマシ。」みたいな言葉も知っていた。
でも、直後の彼に出くわしたインパクトが強すぎて、もうむりだ、と思った。
「死にたいと思う状況になった」と思った。
社員研修は続く。
一生懸命笑顔で過ごす。「みんなに怪しいと思われてるかも」という気持ちが拭えない。
頭が働かない。妙にぺらぺら喋っていたような気がする。
彼氏を含めた同僚数人で話さないといけない状況でも、彼を見ることができない。
早く1人になりたい。
ふとしたとき、泣きそうになった。自席で寝たふりをして、少し泣いてしまった。
会社をやめたいと思った。でも、こんなことで自分のキャリアを失うなんて間違ってる、仕事も職場の人間関係も頑張らなきゃ、これまで通りの人生を過ごさなきゃと思った。
頑張って楽しく過ごすことに必死だった。当然だけど凡ミスや変なボケをかましまくった。
疲れてるんじゃない?と同僚に心配されて、それがまた辛かった。
リングから降りることが許されずに、パンチを受け続けている。負けようが勝とうが私には本当はどうでもいいのに。
辛かった。情けなかった。みじめだった。
道を歩いている時も、車での移動中も、事故が起きて私だけ死なないかなと思っていた。
研修が終わって解散。彼と暮らす家へ帰る気にもなれず、駅近くのホテルへ向かった。
こんなときに浮気できるような異性の知り合いも、自分にはいない。別にしたくなかったけど。
自分が情けない。意外とプライドが高いのか、誰にも言えなかった。
同僚とわいわい風俗へ行った彼氏と、その辛さをまだ誰にも伝えてないひとりぼっちの自分。
電車に乗っている間、タクシーに乗っている間、ホテルについてチェックインしている間、部屋につくまで、一生懸命泣くのをこらえた。
エレベーターに乗り部屋のある階についた瞬間、涙がぽろぽろぽろぽろ出始めた。
運良く、エレベーターのすぐ近くに部屋はあった。
鍵を開けて部屋に入りドアを閉めて、そこからずっと声をあげて泣いた。
泣き続けておかしくなりそうだったので、泣くのをやめた。
自分の心が壊れるのが怖い。だから、泣きすぎるとやばいと思った。彼氏よりも自分が壊れるのが怖いんだなあと思った。
各部屋にドラム式洗濯機がついてる。だから1泊1万円もした。トリバゴから予約したらもっと安かったのかも...と思った。
洗濯機を回しながら、本当は結局泣き続けた。呼吸がおかしくなるたびに一度自分を落ち着かせた。
2時間半もかかるのか!と思ったけど、そんな時間余裕で泣いていた。
洗濯したくせに、カミソリで腕を切って浴槽につけておこうと思った。電車に飛び込みとか、首吊りとかいろいろ考えたけど、なんとなく浴槽がいいなと思った。少なくとも今の自分から一番近い。
けれど、お母さんの顔が浮かんだ。
お母さんの心が壊れてしまうのだけは嫌だと思った。だからお風呂で、「死んじゃいたい」「死んじゃダメだ」「死んじゃいたい」「死んじゃダメだ」...と声をあげて泣いた。
でも、なんとなく、自分は死なないだろうと思っていた。
これまでも死にたいことは何度もあった、でも自分の周りの人が苦しむのが嫌で、何度も何度も何度も何度も死にたさと戦って、生きることを選んできた。
だからきっと生きるんだろうなとどこかで思った。
洗濯しただけのことはある。
でも、これは人生でベスト3に入るぐらい辛かったなあ。過去の辛さは、その時々ではベスト1なんだけれど。
この時代に生きてて良かったと思ったのは、同じような体験をネットで読めることだった。
自分の考えを巡らせることだけに終始していたら、きっと生きていなかった。
実はクローズドでやっているSNSに、死にたさを示唆する書き込みをしてしまった。すぐ削除したけど、それに気付いた学生時代の友人が連絡をくれた。
彼女も死にたさと戦うことがあると教えてくれて、それにも救われた。
くだらない性欲をくだらないノリでくだらない同僚と吐き出しにいった。
でも自分にはそれだけだと思えなかった。
可愛くて、スタイルがよくて、なんかテクニックとかもすごい、そんな相手と自分が比べられたかと思うと恥ずかしかった。
こんな恥ずかしい顔や体や自分を、愛されてる、受け入れられてる、喜ばれてる、と何の疑問も持たずに彼にさらけ出してきた自分が恥ずかしかった。
私の心と体がいかに大切なものか、長い時間をかけて教えてくれた気がする。
そのせいなのか、ただモテないだけなのか、私は周りが恋愛やセックスをしてる間に、自分の夢に向かって勉強してるようなタイプだった。そんな自分の人生が嫌いじゃなかった。
それが、彼のくだらない一夜の風俗で壊された気がした。
自分の大切なものが、こんなくだらないことで壊されたのが悲しくてみじめで、こんなことになっちゃった自分が情けなくて仕方なかった。だから誰にも言えないと思った。がっかりされると思った。恥ずかしいのもあるけど、周りの人まで残念な気持ちにさせるんじゃないかと思った。
こんな気持ちにさせた彼が許せない。ひどい。でも好きだからこそ悲しいことが、悲しい。
恋愛もセックスも人並み以下の経験しかせずに、しかも結局夢にも破れて、なぜだかストーカー被害にもあったりしていろいろ挫折して、どんぞこにいた自分を、元の明るい自分にしてくれたのは彼だった。
初めて恋人と誕生日やクリスマスやお正月を過ごした。旅行にもいった。なくしたけど指輪ももらった。長い時間を一緒に過ごした。お互い仕事も頑張って成長した。いろんな幸せがあった。
なのに、その彼に結局は壊されてしまった。
彼が友達と行った旅行も飲み会も、ぜんぶ風俗に行ってたかもしれない。そう思うと楽しかった思い出も全部むなしい。彼のことが好きで、いつも幸せだったから、それが全部裏切られたと思った。全部わたしの、独りよがりな幸せだったのかもしれない。
「天使なんかじゃない」っていう少女漫画で、主人公の彼ママ(過去に隠し子不倫をされて離婚している)が「(不倫に気付いた時)積み重ねてきた幸せが全部崩れるようだった」と主人公に吐露して泣くシーンがあるんだけど、それを思い出した。(セリフはうろ覚え)
自分とのセックスは気持ち良くなかったのかも、自分はスタイルも顔もよくないし、その上積極的にできていなかったのかも、胸が小さすぎるのかも、しまりが悪いのかも、風俗でどんな風にしたんだろう、ちゃんとゴムはつけたのだろうか、彼は嬉しかったのだろうか、どんな風に優しくしたんだろう、なにをしゃべったんだろう、終わった後どんな気持ちになったんだろう、いろんなことを考えた。
彼は私が悲しむと思わなかったのかな、背徳感はなかったのかな、きっと気軽な気持ちだったんだろうけど、それにしても浅はかだな。がっかりだな。
私の弱さを気にするほど、彼は私に興味がなかったのかもしれない。
彼にというか、彼に勝手に期待して依存して彼のくだらない行動で傷付いてしまった自分の弱さが情けない。
自分がちゃんと自分だけを信じて自律していれば、こんなに傷付かないはずだった。
自分ってだめだと思った。
もともと他人に期待しすぎちゃいけないと思って生きてきた。
自分の傷つきやすさを自覚しているからこそ、家族や友人も含めて、他人に変に期待(依存)しないように、思春期からずっと気をつけてきた。
それでも、彼氏にはすごく期待してしまっていたことに、今回気付いた。
こんな無意識の期待さえしてはいけなかったんだと分かって悲しかった。
今後、他人に対してもっともっと慎重にいなければならないと思うと、生きる喜びってとても少ないなと思った。
また彼より自分について考えてるなあと思った。いつも私は私のことばっかり考えてる。だからダメなのかもしれない。
それでもやっぱり、自分はどうしたら明るく楽しく生きていけるかなと考えた。
引っ越し、シェアハウス、転職、海外に行く...いろんなことを考えて、調べた。全然眠れなかった。
死にたみに溢れてても、生きていくアイデアにアクセスしようとした自分は成長したと思った。ネットはすごい。思えば過去の自死願望にも、いつもネットが時間薬をくれた気がする。
自分の心が壊れるのが怖いから、もう前ほど彼を信じようとは思えない、それがさみしい。
人間は孤独で、どんなときも心のどこかで人に対してあきらめを抱えたまま生きていくしかないのに、誰と愛し合おうが結婚しようがそれは変わらないのに、うっかり忘れてしまっていた自分が情けない。
情けないけど、やっぱり信じていたかったから辛い。寂しい。残念だ。辛い。
神様が、本当はいなかった、本当はひどい詐欺師だったような気持ち。
浮気されてる女性を知っている。一見幸せな家庭に見えるけど、そんなのダサいって思ってた。今でも思う。でも、彼女は幸せなのかもしれない。
思い出して泣いてしまう自分、自信を無くしてしまった自分、楽しさを失くしてしまった自分、こんなネガティブで暗い自分は、結局彼とうまくやれないと思った。
結局彼を許しても、いつか彼が離れていくと思った。
私みたいな世間知らずじゃなくて、もっと経験豊富で肝っ玉な女の子と付き合ってくれればよかったのにと思った。
信じても信じなくても、もし彼が、もしもう一度同じ過ちをしたら、もう自分は生きられないと思った。そんなことで自死するなんてダサイからやだなあ。
それに、私は私が壊れるのが怖いから、たぶんもう前ほど彼を好きになれない。
もっと言えば、いつも他人を心の底で少し突き放して生きていくことになる。それは軽蔑と言ってもいい。残念だな。
なんにせよまた新しい自分の弱さを知ってしまって、生きることがむずかしい。それでも生きるけど。つらくなってしまった。
どうして生きるのはこんなにつらくてつらくてつらいんだろう。
信じることはあまりに盲目で、目が覚めた時に断罪されるんだと思う。みんな目が覚めたくないから信じたいんだよ。(私別にクリスチャンじゃないけど、ごめんなさい)
男性の風俗についての見解をぐぐると「ただの性欲処理」「トイレと一緒」「壊してもいいおもちゃ」みたいな言葉がたくさん出てきた。
彼も「汚いから本番はしてない。キスもしてしない。」なんて言っていた。ほんとか分からないけど。信じてないけど。
でも、そんな言い方ひどいと思った。
自分がしたくてお金払って行っておいて、生身の人間に対してその言い草はないよ。
私はお店の人や通りすがりの人や、赤の他人にもいつも親切な彼が好きだった。
性的なこととなるととたんに道徳感を失うなんて理解しがたいよ。私と同じ女性を、そんな風に言わないで。言い訳のつもりだったかもしれないけど。
自分のパートナーには、動物とか本能とか言う前に人でいて、素敵な人でいてほしいよ。
私は風俗嬢という言葉を見るたびに、少し傷つく気がする。でもそれは風俗嬢にされてるわけじゃない。あなたに傷つけられんだ。
話し合いを重ねて、結局彼と暮らしている。
改められる人だったから信じることにした。でも、もう私の「信じる」は前の「信じる」とは違う。限りなく「信じたいけど」に近い。
2人でいることの幸せも、言葉尻からうけるニュアンスも、すべてが前と違う。
別れを切り出したのは私なのに、私は自分が裏切ったり彼にふられたりすることに怯えてる。
それがしんどくなったら本当に終わりだなと思う。
嫌いになることも、嫌いになられることも、こわい。こんな気持ちを知りたくなかった。
いつか出産して、わたしのあそこがゆるくなったらまた風俗にいくのかな。
風俗から帰ってきたその手で子供をなでるんだろうか、なんて結婚願望も子作り願望もないのに想像してしまった。
顔が腫れぼったい、鼻が低い、目が細い、口が曲がってる、眉毛すら美しく生えていない。
胸が小さい、くびれがない、下腹がみっともない、足が太い、とにかくいけてない。
少なくとも風俗嬢よりきれいじゃない。だって私は私を売り物にできない。
鏡を見たくなくなった。写真を見るたびに落ち込んだ。
彼が可愛いねといっても、「ほんとは可愛い子が好きなんだ」としか思えなくなった。
ガッキーみたいな子だったのかな、それともギャルみたいな子だったのかな、どんな顔でどんな体型でどんなメイクでどんな風に喋る子だったのだろう。
彼がすでに誰かにさわられたところも、まだ誰もふれていないところも、すべてをさわりたい。私が液体になれたら楽なのに。
彼が本当にしたいことを知りたい、でも、みっともない自分が恥ずかしい。
今出来なくなったらずっと出来なくなる気がする。
でも今したら、私が軽薄みたいな気もする。
いよいよどうしたらいいのか分からなくなって、「セックス やり方」と検索する。
そうこうしてると風俗嬢の解説に行き着いてしまい、また彼が誰かとセックスする姿が頭から離れない。
どんな風にしたんだろうって、聞きたい。でも聞いたらきっと立ち直れない。
あの時から今までずっと、死にたいことととそれでも生きること、彼の風俗のこと、自分の醜さ、知らなかった感情を知る怖さと、それが増えていく人生の意味について考えている。
大好きな作家がいた 私はその人を傷つけた気がする その人はコミケにはしばらく来ていない プロとしての仕事が忙しいだけかもしれない 確かにアレやコレで時々名前は見る しかし自分の存在があるからこそコミケに来ないのかもしれない このアカウントでツイートされないのかもしれない 全て自分のせいではないか、そんなことをここしばらく考えていた 今考えるとその人に対してずいぶん気持ち悪い行動をしたと思う その人がかつて運営していたサイトでイラストをかき集めた それから数年後にコミケまでその人に会いに行った その人のイラストを使って作ったものをプレゼントした 失礼なこともしたと思う メールでその人に対する熱い思いを語ったつもりだった DMで感想を伝えたつもりだった 返信がない以上その人は自分のことをうっとおしく思っていたのではないか 私は明るく振る舞うその人のツイートが眩しかったのだろう、だんだん敬愛すべき作家なのか昔の思い出にすがってるだけなのかわからなくなってきた 気がついたらミュートしていた もっと交流すればよかったのに、出来なかった ただその人の絵は美しい 漫画だってとても上手く、面白い それだけは私の心に確かに焼き付いている もう15年ほど前のことになるだろうか パソコンを買ってもらって1、2年ほど経過した頃、私は例によってオタクだったのでアレやらナニやらいろんな作品の同人サイトを巡っていた 当時は年齢が年齢なので18歳以上は云々のサイトに入れないはずだが、ギンギラギンの性欲を持つ厨房がそんな文言にたじろぐはずはない まぁどうせ作者も厨房工房である 悪影響といえばファックしたりされたりしているキャラクターが原作漫画やアニメで見るのが恥ずかしくなった程度である まぁとにかくいろんなサイトを巡った 掲示板やメールでの交流はしなかった 長ったらしい文章を書くのがクソ面倒だったしネットに疎い親がメールを教えるなだのなんのかんのうるさかったためである まぁ私自信もメールアドレスで住所割られたらどうしようとか考える程度にネットに疎かった イラストサイトの閲覧はダイヤルアップというのだろうか、パソコンの横にぶっ刺すカードのおかげでクソ遅かったのもあるし恥ずかしいのもあってあまりしなかった 代わりに様々なテキストサイトを巡っていた 私が当時手にとっていた紙の本とは違い、拙いながらも熱を感じるめくるめく官能の世界が繰り広げられていた それはそれはすごかった 今読むと素人もええところだなオイと思うだろうが当時はそれで興奮していた 正直今も興奮する そんな中、当時あるゲームに夢中になっていた私はいわゆるリンクだかリングだか同盟だかでとあるサイトに出会った イラスト・漫画サイトだった そのサイトでは少しマイナーなキャラを中心に取り扱っていた 見る 絵がめっちゃきれい 線、構図、色使い、その他諸々、私は絵に詳しくないが非常に美しいと思えた 漫画もこれまた面白い ギャグからシリアスまでなんでもありのストーリーセンス! 遅い回線の中、イラストのダウンロードさえ待つのが楽しみだった 後でわかったことだが当時そのサイトの作者は高校生だったようである 私はあっという間にそのキャラが大好きになった そして当時はそういうのが流行りだったため、裏ページなんてのもあった 見た 更にすごかった SMから四肢切断に女体化まであらゆる責め苦がそのキャラクターを襲っていた しかしそれでも崩れることなくその人の筆使いや話の運び方には熱が入っていることがありありとわかった 掲示板には感想などは書かなかった 今考えると一言二言書いといたほうが良かったと思う その人は同人活動もしていた 本の中ではWeb上を超えた更なる甘美で耽美な世界が繰り広げられていることは間違いないだろう しかしその人は主に東京国際展示場辺りで開かれるイベントに参加しているようだった 当時の私はどうにか親をごまかしまくって年に1回か2回、御茶ノ水あたりの損保会館とかいうところまで行くのがギリギリだったので会うことは叶わない それ以前に厨房の肉体でエロ本下さい☆なんて言えるほど豪気ではない なら通販はどうだろうか 親に何を買ったかの説明責任が存在する 住所を知らん人に教えてこれまたあーだこーだ言われるのも嫌だ 仕方ないから諦めた 少し後に秋葉原のどっかの同人誌取り扱い書店で年齢を聞かれずにエロ同人誌を買えたことをここに告白する 店員が悪い そのうちサイトは更新されなくなった 日記を読む限り専門でいろいろやったとかどっかの会社に就職したとかそんな感じだったと思う 後にインターネットアーカイブで読んでみたところとあるゲーム会社に就職したようである もう潰れたけど そして私は堪え性がないのでまた別のゲームや漫画に飛んだりしていった たまにその人のことは思い出していたがその後の動向がわからないのでどうしようもない でもある日サイトを見に行ったらエンターページは残っていたもののトップページは消え去りブログになっていた 記事はあまりなかった 例のゲームの同人誌出すとか書いてあった気もするけどもうよく覚えていない 気づいたときにはかなり前の日付で、もはやその作家の本を買う方法は存在しなかった 書店委託もしてないし通販を頼む方法だってあったはずだが親が親なのでやめた 結局その作家への愛なんてその程度なんだと思ったよ その辺りだろうか、せめてその人のサイトのイラストを出来る限りアーカイブしようと決めたのは 今考えると気持ち悪いことをしたもんである こんなもん作家に見せたら卒倒するわ サイトアドレスを残してたりイラストを上げっぱなしにしてた作家もインターネットアーカイブも悪い 改めて見てみるとこれが本当に美しい HTMLとか文章とかはもうめんどくさかったのでひたすらイラストのみを保存していった そしてCD-Rに焼いた 今はHDDにはなぜか残っておらずロムもどっか行った それでいいんだろう そして2011年である 私には地獄のような苦しみが絶えず襲ってきた 正直思い出したくもない 書くけど まぁなんやかんやあって熱は冷めてきたものの例のゲームのオンリーイベントがあったので行ってみた 秋頃だっただろうか 会場内でうろうろしていたところ、上記の作家が入れ込んでいたであろうキャラクターのアンソロジーが発行されていた こいつも大きく取り上げられるようになったなぁ、なんてすこしほっこりした ふとその作家を思い出し、主催者っぽい人に冗談半分でその作家のことを聞いてみた 「この本に描いてますよ」 「そちらの方のスペースに合同誌がありますよ」 耳を疑った すぐさま私はそのアンソロジーを買った そしてすぐ横のスペースでテーブルに並べてある本をすべて購入した 読む 見つけた! この人だ! 絵柄は多少変わってはいたがキレッキレのギャグセンスは間違いなくその人のものだった 合同誌も同様だ えらいものを手にしてしまった もはやあの日々から長い年月が経ったというのに この辺からおかしくなってきた アンソロジーにサイトURLや現在のペンネームが載っていた 早速アクセスする 極彩色のイラストが私の眼前に広がった 相変わらずその人の絵はすごかった 仕事内容を見て更にびっくり、詳細は省くがとにかく驚いた あんたこんなデカい仕事してたのか、と 冬の祭典コミックマーケットの季節が近づいてきた頃、その人のサイトが更新された コミケには当然サークル参加するという 絶対行こう、あわよくば色紙も描いてもらおう、差し入れも持ってこう、いろいろ考えながら当日を楽しみにしていた とはいえいろいろ回るところはあったのでその人のサークルに着いたのは昼も大きく回った辺りだった スペースに人がいる あの人だろうか、ドキドキする、本を買う、〇〇さんはいらっしゃいますか? 「あぁ、今買い物に出てます」 まぁそんなもんである 他のところをうろついて数十分後、再びサークル前に戻る 別の人が座っている 先程買った本を見せ、〇〇さんですか? ビンゴだった 差し入れを渡す そして、 「先日☓☓のアンソロを買ったんですけど、数年前に☓☓のサイトを運営されてた〇〇さんですか?」 その人はひどく驚いた顔をしていた ビンゴだったのだ 本人に会うことは予定事項だった しかし私は固まった 敬愛するその作家が目の前に現れたのだ 正直何を話したかもはや思い出せない ただガチガチに緊張し、どうにか色紙を頼み、受け取ったときそこには美しい筆致で例のキャラクターが存在しており、最後に握手をした それだけだった そのコミケでは他に、自分を勇気づけてくれた漫画を描いたある作家に会いに行ってサインもらったり握手したり、また別のある作家に大好きなキャラの色紙を頼んだところ、ものの2、3分で色紙を仕上げるというような曲芸じみたことをやってもらえたりもした 地獄のような2011年は奇跡のような思い出で締めくくられた 当然のように次の夏コミに行った 思い切ってその人に当時発行していた本の在庫があったら売ってくれないか聞いてみた 了承してくれた 震える字でメモに自分の住所と名前を書いた もはや親はいないので通販など自由だ ひと月くらい経ち、郵便物が届いた 可愛らしいテープで封がされており、漫画で使われているものと変わらない字がそこにあった 数冊の同人誌が入っていた メッセージも添えられていた 何が書いてあったか忘れたが、嬉しさで床をのたうち回ったことを覚えている その日のうちにメールを送った その人に出会ったきっかけや応援メッセージを書いた 今見たらゲロみてぇなこと書いてあんだろうなと思ったが思ったほどではなく安心している とはいえヘッタクソな文であることは間違いない 返信は来なかったからだ しかしどうやって料金を支払えばいいのか? 郵便小為替とかそういったものが頭から抜け落ちていた自分は次の冬に会った時に支払いをしよう、ついでに冬で悪くなりにくいだろうしちょっといい菓子でも持っていこうか、なんて思っていた 念のため言っておくが封筒にはその作家の当時のものであろう住所と本名が書かれていたものの、突撃するとか年賀状を送るとか、そんな恐れ多いことはとてもじゃないが出来なかった 以前ワンフェスでガレキ買ったとき部品が一個足りなくてディーラーにメールを送ったが、送られてきた封筒には一つのパーツとディーラー名以外何も書かれてなかった 私ごときに自分の名前も住所も書く必要ないんだよ、今になって思う 次の冬コミ、例によってその作家のサークルへ向かう もはや優先順位はトップクラスになっていた 差し入れの菓子を渡し、その人に同人誌送付のお礼と感想を述べ、料金について尋ねた 昔のものだし別にいい、そんなことを言われた なんだかものすごく申し訳ない気持ちになった 絵も漫画も良ければ人間性もいいのか まさに「神」だった この辺から記憶が曖昧になっている 毎度のようにコミケではその人のサークルに行き、本を買う それだけである その程度の距離感のほうが良かったのではないか、今になって思う その人は別名義でこれまた別のジャンルでも活動していた 当人のPixivかなんかに書いてあった 本のほかにグッズかなんかも頒布するらしい 初めてその人に出会った冬コミの一ヶ月後くらいのオンリーに参加するとのことだった コミケでは「必ず行きます!」みたいなことを言っていた しかし後から見直すとこのグッズ類が結構いい値段している まぁどうせ相手も自分の顔なんか覚えてないだろう、そもそも自分はこのジャンルに触れたての人間なんだからそこまで深いところに行く必要はなかろうよ、なんて思っていた クズである 正直今は後悔している 実際にオンリーに行ったところ、確かにその人は来ていた こっちからその人を伺う形になってなんか申し訳ない気がした 結局その人のところには行かなかった とはいえ向こうだって約束した人が病気かなんかで来られなくなることがあることだってわかるだろう その人が私の姿を見ていない限りは 心にそんなしこりを残したまま、その後のオンリーに赴き、その人の新刊を買う日々が続いた まぁこれがエグい 当時サイトで見た性癖と変わらないものがそこにあって感動した それでも美しいんだこれが スペース前で軽くおしゃべりする程度で茶を飲みに行ったりだとかそんなことはない 自分自身コミュ障を患ってるのでそんなことはしないほうが正解だとは思っていた しかしその沈黙は破られた あるオンリーの日、例によって新刊を買った私は何を思ったのか 「ツイッターのアカウントフォローしていいですか?」 なんて抜かしていた 「いいですよー」 当然ながらフォローするもしないも当人の自由ではあるがなんかその人に対しては遠慮していた 鍵垢だからどんなことが書かれているかわからない、いつも来やがるあの野郎また来やがった畜生め、みたいなこと書かれていたらどうしよう、などと考えていたが、了承するということは相手にすべてのツイートを見せるというわけで、そんなこと書いてたらそもそも「え…ちょっと…」という話になるじゃないですか だから問題はない 帰ってその人に申請する 許可が来た アカウントの中には太陽のように眩しい世界が広がっていた ネガティブなものなど一つもない、生きとし生けるものに愛を注ぐようなツイートが溢れていた なんかもう自分がみじめになってきた この文を書いている今も まぁでもさ、人間、現実世界では悲しくとも、せめて電子の世界では気を確かに持って元気よく行こうよ、なんてことをする人もいるじゃないですか だから気に病む必要なんてなかったんだよ 話を戻すが、さっそく交流を図った ポップでキュートで元気なリプライな送られてきた 自分はなんと返信したらいいのかわからず、当たり障りのないことしか書けなかった なんて自分は愚かしいのだろう、不器用なのだろう、申し訳なくなった 漫画と同じくらいその人のツイートは面白かった 追随して自分もなんかリプライ送ってみようってなった しかし恥ずかしくなってすぐに消すこともあった 別の人へのリプライはさっさと返してるのに自分だけ遅いこともあった この辺は相手が交流が深い人だから距離感もわかってるのだろうが、自分なんて最近話し始めた人間だからどんな感じで返したらいいのかわからないんだろう、少し考えればわかることである だいたい親しき仲にも礼儀ありとはいえ、ツイッターなんてある程度適当な交流でも許されると、今になって私は理解している 当時の自分はそれが出来なかった 相手が相手だからというのもあるだろうが だからサークルにいつも行くだけの人、という立場になっておけば良かったのだ その翌年辺り、あることを思いついた その人が描いた好きだというキャラのイラストを使って何か作って、それをプレゼントしてみよう、と 詳細は伏せるがまぁいい感じに出来たんじゃないかと当時は思った 本人の誕生日から数ヶ月過ぎていたが、オンリーが少なかったり仕事が忙しいのか本人に会う機会がなかなかなかった そしてオンリー当日、その人にプレゼントを渡した ついでにそのうちお茶しましょうとか調子乗ったこと言った 夜、リプライが届いた 来客用に使うと喜んでいたようで嬉しかった また、ツイート上ではその日にもらったプレゼントなんかも紹介していた 私のものはなかったがまぁ私以外と繋がっている人などその人のフォロワーの中にはいないだろうし仕方ないだろう 正直この辺りから不安になってきた この人私のこと嫌ってんじゃないだろうかと 私自身も現実世界でいろいろあり頭がおかしくなってたので余計に不安感が増して妄想が激しくなっていったのかもしれない お茶しようと数カ月かけてようやく決めた日の少し前、その人に会うのが急に怖くなり、私は腰をやったと嘘をついて約束をフイにした 今考えてもまともじゃないよ、こんなこと 気がつけばその人は別ジャンルに移行し、新しくアカウントを作ってそっちでわいわいやっているようだった ファンとして私はその人のアカウントを追いかけるべきだったのかもしれない しかし自分では触れようとも思わないジャンルだし、もしその人が本当に私のことを鬱陶しく思って私が今もフォローし続けているジャンルのアカウントから姿を消したのだとすれば、その人の健康上に良くない 私はそれ以上追いかけることをやめた とはいえPixivは定期的に見て本は買いに行っていた キャラのこととかよくわからないがその人の絵が見られるだけで満足だった しかし本を買いに行ったときのその人の反応はどうもよそよそしく思えた これやっぱ来ないほうが良かったんじゃないか、そう思わざるを得なかった オンリーではなくコミケの、その作家にとっての表ジャンルとでもいうんだろうか、そちらでも引き続き新刊は出し続けていたが、私は遠くからその人の存在を確認し、買い物に行っているときなど、その人がスペースにいないときに本を買うようになっていった とはいえいつも来ているし、売り子と作家が「あの人また来てたよ」「マジかよ…」なんて会話を繰り広げている可能性だってある それでも私はそんな妄想上の反応を振り切って、その人に会いに行くことはあった 本を買って「いつも応援してます! じゃあまた!」それだけである 気がつけばその人がコミケに出る機会は少なくなっていった やはり私が来るからだろうか? でも、表でのツイッターアカウントを覗いてみると、ちょこちょこと様々な仕事をしているようだった 就職したという会社は潰れる前に抜けてフリーになっていたようだった つまるところ仕事が忙しいのか、あるいは病気でもしたのか、ならばコミケに来るのは難しくなる 私はそうやって自分を納得させ続けていた もうリプライでもDMでも「お誕生日おめでとうございます!」というメッセージは送っていない 私のアカウントを目にすることがなくたっていい だがそれでも私はその人の活躍を祈り続けている 表に名前が出ない仕事をしている可能性だってあるし、病気などをしているのかもしれない しかしその人は素晴らしい作家であることは間違いない 15年に渡って自分の心にその人の存在が刻まれ続けているのだ 絵で食べていくという選択をしたのだから、苦労だってあるのだろう ツイッター上で明るく振る舞うのはいわゆる空元気なのかもしれない だが、せめて、祈らせてくれ あなたに幸あらんことを、と
1.穴はあるのか
2.柔らかいのか
3.肌で触れると割れる設定
1⇒無い
2⇒硬い
3⇒この設定は曲げない
その描写を凄い官能的に書いて読者を興奮させるのはどうだろう。
例えば、ダイヤが割れてしまって破片を付ける時にルチルが他の用事で呼ばれてしまい、
「ボルツ。後は付けるだけなのでお願いしますよ」とその場を去ってしまう。
で、残されたボルツは少し戸惑いながらも破片をダイヤに付けていく。
その時ダイヤは当然「んっ」とか嗚咽を漏らす。
ただそれだけを官能的に数ページに渡って書く。
ボルツに破片を付けられる恥ずかしさと、付けた時の感覚が混ざり普段より官能的に頬を染めるダイヤ。
みたいな!!
ボルツがダイヤに破片を付けて、それで吐息を漏らすダイヤっていう絵だけで十分に興奮すると思うんだけどな~。
他の宝石達にもこれを応用したらいいのではないだろうか。