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はてなキーワード: 洋品店とは

2020-07-26

10回ループルするとき

for(int i=0;i<10;i++)

ゴルフクラブバットデパートスポーツ洋品店でかえます

マイクは音を大きくしてくれる機械セットの部品スピーカーアンプと一緒に使います

2020-03-21

商店の倅だった者だが

子供時分に商店の倅だった者だが、コロナ騒ぎを見ていて、またいくつかの店が飛ぶ

と思うと胸が痛い。こういうことになると、だいたいギリギリでやってたところが、

背中を押されて、飛ぶんだ。記憶に残っているのは、

・徐々に店頭から品物が消えていった洋品店

卸との間に支払いが滞ったのか、棚がどんどんスカスカになっていった。主人は

確か脱サラした細身の男で、東京六大学を出たとかで、田舎にしてはしゃれた柄物

ブラウスとか扱っていたが、最後空っぽガラスケースに囲まれて、家賃

払えなくなっても、店の真ん中の椅子に座り込んで、立ち退こうとしなかった。

なんか最後、何人かスーツ着た男の人が来て、連れていったそうだ。

・手を広げて夜逃げした贈答品店

中元歳暮婚礼などの進物を扱う店で、郊外ロードサイドにも店を出すなどして

羽振りが良かった。倅が小学校同級生だったので、家に呼ばれてよく遊んだ

おやつに皿に乗った紅茶が出て、ブルボンとかの透明な袋に入ったお菓子が添えて

あるのが衝撃だった。ある日突然店が閉まってスッカラカンになった。親父に聞くと

手を広げすぎて、以前から経営は良くなかったらしい。自慢のキャラクター付きの

自転車が店の前に放置されていたのが生々しく、記憶に残っている。学校の噂で

大阪の方に行ったと聞いた。

・盛大に周囲に迷惑をかけて閉店した飲食

これはうちも迷惑を被ったので、よく覚えている。親父も、工事の代金を踏み倒されて

あの野郎と、怒りまくっていた。以前から、支払いが渋いことで商店連中の間では有名

だった。小さい娘とその弟がいて、店のカウンターの端っこで二人並んでよく勉強してた。

ある時、地元チンピラともめたのか、普通定食屋だったのにガラの悪い連中が入り

びたるようになった。そんで一気に客足が遠のいて、潰れた。問題は潰れる直前に取込み

詐欺みたいなことをやって逃げた。高価な食材機器家電などを馴染みの店に注文し、

届くと同時にドロンした。親父は大家と一緒にシャッターをこじ開けてなかに入ったが、

めぼしいものは持ち去られた後で、残っていた子供目覚まし時計を持って帰って

きた。その時計は夜間のライト付きで、高校まで自分が目覚ましとして使っていた。

時代は違うけど、またこんなことが全国のあちこち個人商店で起きてるんだろうな。

2020-01-04

anond:20200104191405

デパートの数も多かったし、商店街には洋品店の数も多かったなとは思うけれど、素人には分からないな。

業界誌とか業界団体統計を出してないの?

2019-09-26

お母さんの自転車

夏休みの宿題で「お母さんと弟と市民プールに行ったけど休みでガッカリしたことが1番の思い出です」って作文に書いたら、お母さんに「なんで?」と怒られた。

そりゃそうだ。車の免許がないから行くところは限られていたけど、夏休み中、お母さんは電動でもなんでもない自転車の後ろに弟を乗せて、まだ自転車運転に慣れない私に「車!」「赤!」と声をかけながら、サマーランドやら母方のおばあちゃん家やら、いろんな場所に連れてってくれた。それなのに、1番近場での1番楽しくなかった思い出を書かれたら怒るに決まってる。

私としたら「楽しかった」だけじゃつまんないかな〜と、おませなつもりで書いた作文だったけど、他の子たちの「帰省」や「初めての海外旅行」の思い出と一緒に、「仕方がないかモスバーガーを食べて帰った」思い出が夏休みの文集に綴じられているのはたしかおかしくて反省した。

思えば、お父さん、お母さん、私の3人で借家暮らしていた頃から、お母さんの自転車の後ろに乗って、保育園、大きなダイエー、よくしゃべるオウムがいる近所の家、いろんな場所に行った。しばらくすると弟が生まれて、父方のおじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らす新しい家に引っ越した。

保育園に通い始めるようになった弟と補助輪付きの自転車さえ乗れないどんくさい私を乗せたお母さんの自転車は、買い物や保育園の送り迎えの道中よくすっ転んでいた。最初のうちは弟と一緒に「ウワーーーン!」と泣きわめいて「ごめんね」とお母さんに謝られていたけど、そのうち「あっ、倒れるよー」と予告されるようになり、「はーい」と上手に受け身をとって、助けてくれる通りすがりの人に「だいじょぶでーすありがとございまーす」と返せるほどになった。

弟がぽっちゃりしてきた頃、私は後ろの席を卒業し、坂道自転車押したり、良きタイミングで弟に「降りて歩け」と指示したりする裏方に回った。そのうち自転車に乗れるようになり、お母さんの良きパートナーとして行動の範囲を広げていった。

私がピチレモンを買うようになった頃、アウトレットモールがある南大沢によく行くようになった。と言ってもアウトレットモールは素通りで、目的南大沢から30分くらい歩いた場所にある激安洋品店タカハシ」。貧乏ってわけじゃなかったけど、コールセンターパートを始めたお母さんのお給料が出ると、私と弟の服を買いに3人でてこてこ歩いて行っていた。

服に興味のない弟の機嫌をとるために、駅とタカハシのちょうど半分の場所にあるモスバーガーでよくお昼ご飯を食べた。市民プール休みだったあの日もたしかタカハシに行くことになって、モスバーガーに寄ったんだった。

私が小学校卒業を控えた頃は、母方のおばあちゃん家ばかりに行くようになった。そんなある日、お母さんに「家を出ようと思ってる」と伝えられた。その頃、お母さんは私の部屋でご飯を食べたり寝たりしていて、いわゆる家庭内別居状態だったからあまり驚かなかった。お母さんの元気がなかったし、その方が良いと思っていたから、聞いて安心した。

「お母さんとお父さん、どっちと一緒にいたい?」と聞かれて「もちろんお母さん」と答えた。「弟はお父さんと仲が良いし、お母さんのお給料じゃたくさん食べさせることができないから、一緒には暮らせないと思う」と言われて「そうなんだ」と返した。その日の夕方、2人でスーパーに買い出しに行ったとき、お母さんに「中学生になったら髪染めていい?」と聞いたら「髪を染めたいならお父さんと暮らしなさい」と返されて、どっちもやだなと思った。

それから私が中学校入学するまでの間、お母さんはこっそり家を出る作戦を練っていた。お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、弟にバレないように荷物をまとめたり、アルバムから私と弟の写真を何枚か抜いたりと忙しそうにしていた。

準備が整って、ついに出て行くことになった。最後まで「本当にお母さんと一緒でいいの?」と聞かれて、大事なことをたくさん伝えられて、「大丈夫」「わかった」とたくさん返事した。さみしい気持ちより、緊張でいっぱいいっぱいだった。

夕方タカハシで買った洋服とか、夏休み中に撮った写真とか、いろんなものをお母さんの自転車に積んで、よろよろと倒れそうになりながら、母方のおばあちゃん家に向かって押して歩いた。お母さんの自転車でいろんなところに行った思い出はこれが最後だった。

それからいろいろあって、私はお父さんに引き取られた。中学生の間は弟と一緒にワンルームのお母さん家に週末泊まりに行ってた。うれしい気持ち裏目に出て、お母さんの前で弟とよくケンカをしていたら「お母さん悲しいな…」と言われてしまって2人でシュンとしたこともあった。

だんだんペースがあいて、外でしか会えなくなって、病気がちであまり会えないって聞いて、ひさびさに会ったら「お母さん、対人恐怖症になっちゃったんだ」って手を震わせながら私たちと話してくれて、その姿を見るのがキツくて、会うのが辛くなって、今は連絡も取らなくなってしまった。何やってんだろう、私は。

最近よく「母親になったとき子どもに同じことをしてあげられるかな」って考える。お母さんがお母さんとしてしてくれたたくさんのことを思い出して、幸せ気持ちになる。今なら1番楽しかたことだけを書いた良い作文が作れそうなのに。何やってんだろう、お母さんは。

2019-05-27

anond:20190526193448

からおしゃれ洋品店ではラップレゲエの有線がかかってることが多くて(あとなんか店内がクーラー効いて無くて暑かった

正直店員が話しかけてくるよりなんで南国気分で服を選ばないといかんのかとおもって敬遠してたわ

(暑がりなので服自体いらんくね?裸族が一番じゃね?って気分になる、あと普通に熱中症気味で気分悪くなる)

レゲエでも例外的ブンシャカラキ~からはじまってフェナンディイン、フェナンディアウ、みたいな古典になってるやつはわりとすきだったけど

服やのはもっとひどかった気がするなあ

なんで南国(二回目)

なのでなか卯も実際かかってるとしたらお気の毒だ

 

ところで富士そばトラバ数アップの自演みえるんだがこういうのどうなんだろ

 

2019-01-09

大きな箪笥の抽斗がきしきしと音を上げる。裏切るように一時間で音がやみ、余った酒の後始末に困った。

次の日は雲ひとつなく晴れ渡り、軽い足取りで行きつけの洋品店へ出向いた。次に小さく頷き、銀食器を買いに街へ向かった。また小さく頷き、質の良いオーディオ製品を求め歩いた。

瓶とグラスを揃え、大きな箪笥の抽斗がきしきしと声を上げはじめたか不器用コンポを操ってみた。弦楽器管楽器の豊かな重なりは官能的であった。縷縷と脈打つ拍子に心酔し歓びの境地に達しているとき箪笥の頬に伝う涙を見ていた。

 
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