はてなキーワード: 娼年とは
もうタイトルだけで言いたいこと全部言っちゃったけどさあ。そういうことなんだよ。
例えばいい年こいてガキンチョ向けのトレーディングカードで遊んでるキモいオタクどもにしたって、自民党のジジババが主張してるような前時代的な規範とは相いれないはずなんですよ。
「男の趣味」と言えばせいぜいゴルフにプロレス野球観戦あたりで、それ以外はアニメだろうが手芸だろうが平等にクソ。そもそも一定の年齢をオーバーした奴らが趣味なんぞにかまけていること自体けしからんわけです。
でもそういうのなんか持ち上げたくないし、「なんたらロールからの解放」とか「男を降りる」とかそういう話にもしたくない。
しまいにそいつらが「男が○○なんておかしいですか?」なんてハフポス語操ってこようものなら、自分らが真っ先に耳塞ぎたくなる。
最大限の譲歩として『娼年』で自分らのズリネタになってくれた松坂桃李だけ例外的に許して、それでもう終わりにしたい。
もうおわかりですね?
自分のお気に入りからはみ出した途端、「呪い」を自分らがかける側に回りたくてしょうがないわけだ!
ほんっとねえ。
わざわざああやって社会派面しなきゃよかったんですよ。「はあそういうのがお好きなんですね」で終わる話で、後は単なる野暮なんですから。
「呪い」とかイキらなきゃよかったんですよ。こうやって突っ込まれることもなかったんですから。
昔のテレビ番組や現代の映画のベッドシーンで女の人はおっぱいを見せているのに男の人はちんこを見せない。(雄っぱいは出してても恥ずかしくないので論外)
女の人ばかり度胸が必要になって男はズルい
女優はおっぱいを一度作品に出したらずっとレーズンまな板だの美乳だの残念おっぱいだの乳首が立ってるだの言われ続けて晒されて
俳優は同じベッドシーンでも失うものがない(むしろ女優さんの乳首とか吸えて得してる)
でもちんこはモザイクが必要になるから日本のテレビでは映せない
そう思うと枕営業してるホストとかはある意味立派だなと思う。女の人が買う商品として使われてる。
女の人が汚い男たちに人間じゃなくてただの肉で出来た人形として消費されてるように
男の人も女の人にもっともっと舐めしゃぶられて消費されるべきだ
ママ活という言葉をニュースで聞いたときは正直気分がよくなった。
昨日投稿したら増田の文字制限にひっかかった。8000字が限度っぽい。
前半はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20180504170139
その後、僕はフェミニズムの文献をあさるようになった。性の問題についていけるところまでいってみなければ自分の気がおさまらなかった。僕は男性ジェンダーに批判的になり、一度は大学に「復帰」したものの、卒業しない方が政治的に正しいと考えるようになった。なにかと特権や権力を自己批判するようになり、両親は僕が宗教にでもはまったのではないかと心配したらしい。
実際、フェミニストの方と(特に、男性中心主義社会との闘争を掲げ、意図的に男性を蔑視する方と)交流することで、僕は自己肯定感や性的主体性を失っていったと思う。いいかどうかは別として、フェミニズムにはそのような攻撃性があり、多くの男性が防衛的になるのもあるていどやむを得ない。
また、僕は性欲を男性に向けるように努力し、自分が犯されたり、屈辱的な目にあうことを想像しながらアナルオナニーするようになった。
そしてある界隈に足を運び、男体持ちで僕に性的関心を向ける人と出会い、セックスした。そのときは緊張したが、僕は無事に(?)勃起し、相手のペニスを自分のアナルに入れ、自分のペニスを相手のアナルに入れて射精した。
たしかに性的関心はある程度社会的に構築される、つまり教育や啓発によって、自分の中の異性愛・同性愛傾向を抑圧したり強化したりすることができると思う。しかし、僕はその男体持ちの人に、前の彼女に感じた執着を向けることができなかった。二人の関係は「セフレ」だと伝えたつもりだったが、反対に、その人は僕との関係に本気になった。僕はその人に対して自分のセクシュアリティ(正しい綴り!)をはっきり伝えることができず、なしくずしで関係が始まり、深まっていった。
その人は性的マイノリティであり、IQは高いけれども安定した人間関係を続けることが難しく、広義の「弱者男性」と言えると思う。そしてアカデミックなキャリアが行き詰まり、安定した仕事につけず、セクマイ界隈の一部とも関係が悪化し、追い込まれていくことで僕への性的依存を徐々に強めていくようになった。非モテ男性が異性の恋人によって一発逆転を夢見る心理は、同性の恋人においてもある程度あてはまるのかもしれない。
その人は、フェミニズムを受け入れ積極的なコミュニケーションを取れない「おとなしいコミュ障」の僕のことしか知らない。哲学や科学の一部の分野では僕が堂々と自己表現し、ときには攻撃的にすらなれることを知らない。その人は僕に対して容赦なく感情を爆発させるようになり、僕は一度は距離をおいたものの、あるセクマイ系イベントで再会したのをきっかけに引き戻されてしまった。
僕はそのときも、もうあなたと別れたいとつっぱねることができなかった。その人は、僕と恋人関係にあることを堂々とまわりにアピールしている。僕はそのイメージに流され、僕の意思は違うのだということを言えないままに、あいまいな笑みを浮かべつづけていた。
その人は僕にさらに感情的・性的に依存するようになり、僕は強くなろう、対処法を編み出そうと必死で本を読んだ。google:別れる? それともやり直す? カップル関係に悩む女性のためのガイドは男性ジェンダーとして傷つくことも多いが、つらい関係を終わらせることができるという希望も与えてくれる。ウ・ジョーティカgoogle:自由への旅はしんどいときにつまみ読みした。マインドフルネスのモチベーションを上げてくれ、1時間程度の瞑想ならできるようになった。あと、google:ツァラトゥストラはフェミニズムは奴隷道徳だ、権力を肯定し超人を目指せ!と言っているようで心にしみた。
さて、けっきょく大学を中退した僕は派遣に登録して社会人になった。今は大手メーカーの工場で生産管理をしている。
新しい仕事や住まいがあるていど落ち着いたところで、売り専に登録した。応募はとても緊張した。メールを送ろうかどうか、一か月近く迷っていた。意を決して送信した最初の店は落ちたが、次の店はやとってくれた。
売り専で働く直接のきっかけは、セックスワークについて知り、さらに、男性ジェンダーも性的対象として消費される経験をしてみなければと思ったからだ。友人にもフェミニズムの影響でちょっとだけ売り専をやったことのある人がいた。それに、僕はなんだかんだセックスが好きで、性的関心が強く、その方向で自己実現(?)してみるよいチャンスだと思ったのだ。もちろん、異性にモテてセックス相手に苦労はしないという実現のしかたもあるが、身長が低く押しも弱く吃音気味の僕にはどう転んでもできそうにない。でもそれは性的対象としてはむしろ強みになるんじゃないか?
実際にやってみると、自分に性的な価値があり、それにお金を払う人がいるということは自信になった。僕を指名するひとや、リピーターになる人がいた。僕を買う人はいつも僕の容姿を褒めてくれた。年配の人はチップをくれたりご飯をおごってくれたりした。
あと、僕は中一のときに一度痴漢に遭ったことを思い出した。トラウマとかではなく、自分にはちゃんと性的魅力があったという気づきとして。
僕は男性だが、性的主体でそれ自体に性的価値はないという生き方は向いていないと思うし、男性として性的対象とされることは僕の性に合っていると思う。女性からも自分が性的対象として見られることを意識できるようになり、ファーストキスで彼女が唇を濡らしたように、僕も性的な駆け引きの手段を使っていいのだと思えるようになった。
それに、身だしなみをよくして堂々としていれば、多少のいじりにたいしても動じないし、そのうち相手も一目置くようになるという自信を得た。化粧やファッションが「武器」であり、自分を「戦闘モード」にできるという言い方を女性がすることがあるが、僕もその意味がわかることがある。また実際、その攻撃はある程度効いていて、「向こうが誘ってきたんだ」と言い訳したり二次被害を与えたりする男性は性的な駆け引きにいつも負け続けているのだろうと思う。
閑話休題。得るものは得たと思ったし、またセックスワークを続けることの危険も感じたので僕は半年ほどで売り専をやめた。いままで、僕を買ってくれた人はおおむね常識をわきまえていて、無茶なことはしなかったし「痛い」と言えばセックスを止められた。でも、どこかですごく乱暴な人に出会うかもしれない、という不安をなくすことはできなかった。新しい人とやるときはいつもすごく緊張した。
ちなみに、僕が売り専をしていると知ったとき、当然かもしれないが彼は激しく動揺した。僕がその人以外の人とセックスしていることが耐え難く辛く、またセックスワーカーという挑戦を僕がしたことで、自分が追い越されたと感じプライドが揺らいだのだと思う。
性風俗に対する強い嫌悪感に共感することは、僕には難しい。恋人が風俗で働いたり風俗に行ったりしたことが分かって苦しんでいる(男性・女性の)記事を読むと、こんなに傷ついてしまうのかとやるせなくなる。
もちろん、彼を深く傷つけたと思う。ただ、僕がその人とセックスをするそもそものきっかけは、フェミニズムやセクマイの主張に興味があったからだ。売り専をしたのもそのためであって、新しい恋人がほしかったからではない。その人は性にまつわる社会問題の知識が豊富だったので、僕の行動にできれば理解を示してほしかった。
しかしこの一件で、僕はその人に対して「治療者」として振る舞おうと決心した。僕はあなたの恋人にはなれないということをどこかで伝えなければいけない。しかし当面は、その人が立ち直るのをサポートしようと思った。
そういうわけで、やっとソープの話です。ここまで読んでくれたひとがいるのだろうか…。
僕はこうしてそれなりにセックスを経験したけど、女性の膣に自分のペニスを入れるというセックスだけは一度もしていない。ほんとうは、それは最初に僕を選んだ彼女にあげたいとどこかで思っていた。そういう執着はよくないのかもしれないが、どこかで自分はまだその人の特別な存在になれると思っていた。
しかし、バンクロフトをはじめDV関連の本をあらかた読みこみ、それはDV加害者が被害者に依存する心理と同じであり、僕と別れることをえらんだ彼女に対する甘えであり、僕自身もその人との恋愛から「卒業」しなければならない、と考えるようになった。僕がその人を傷つけたから、その人は別れることを選んだのだと理解できるようになったと思う。
その一方、売り専をやめたことへの区切りもつけたかった。僕はずっと自分を売ってきたが、同じように身体を売っている女の人が何を考えているのか知ってみたかった。それでソープに行く必要はないのかもしれないが、それ以外にチャンネルを知らないし、政治的な連帯というよりはふつうに話しを聞いて体験を共有してもらいたい。もちろん向こうは異性愛男性にサービスを提供するつもりでいるのだから、そんなことは他でやってくれと思うかもしれないが、こっちだってそれなりにお金を払うのだから時間の使い方に多少の自由は許されると思った。
それに、その目的が達せなくても、ふつうの異性愛男性がどういう性的サービスを受けているのかを体験しておくのも意味があるだろう。とかなんとかいろいろ理屈を考えて、ようやく決心して、ソープの予約を入れた。
僕はどちらかといえば、同性や異性に性的サービスをする方が向いているような気もするし、もしそういう仕事があればやってもいいと思う。しかし僕の性的価値がある間に異性に体を売るサービスが一般的になることはなさそうだ。映画google: 娼年を見たけど、お金を払ってあんな乱暴なセックスはしないだろう。まだファンタジーの域を出ていないし、誰か貞操逆転世界な方向でもうちょっとリアルな作品をつくってほしい。
そういえばソープに行く前に、何を思い誤ったかYou Tubeに落ちている女性向けシチュエーションボイスを一晩聞いて「予習」した。本番でまったく使えなかったが、こういうサービスなら僕にもできると思う。
もう少し言うと、異性愛男性がリラックスして射精するというのは分かるのだが、異性愛女性がリラックスしてペニスを入れさせるというのがサービスとして成立するのか?成立しないなら、どういう男性がどういうサービスをするなら成立するのか?そういう需要をホストクラブとかの風俗がどの程度満たしているのかも、ぼくにはよくわからない。レズ風俗が成立しつつあるように、やはりケア役割は女性にとっても女性の方が向いているのかとも思います。
そのときは、男性性欲は男性で解消してもらうのが理に適っているのではないかな…。文句はソクラテスを論破してから言ってください。
初投稿、下書き無しなので文に乱れがあったり読みにくかったりすると思うけど許して欲しい。
友達と「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメか?」と言うことを話していて考えたこと。
個人的な性と半生の話が出てきてあまり公には話せないのでここに書くことに。もしかしたら似たようなこと考えている人がいるのかなって希望も少し。
性の目覚め
最近、どうもエロいので自分の中にあるエロのかたちを一つ一つ考えている。
その体験っていうのが幼い頃見た夢なんだけど、その説明のために一応当時のことを書いておく。
当時保育園の年長組だった僕は、おゆうぎかいで確かダンスを踊ることになっていた。男女別で、女子はモーニング娘。の「ラブマシーン」だった。衣装は黄色いフリフリの服だった。
夢の内容は、その「ラブマシーン」を自分が女の子に交ざって踊っている夢だった。
そしてそれを見る両親を僕が見ている夢だった。
「あれ、○○(僕)じゃない?」と母が言い「そんなわけ無いだろ。○○は男の子だよ。」と父が言う。それを僕が見ている。
そんな夢。
あまりに強烈だったので起きてからも夢の内容を覚えていて、そしてその事を考えているとなにかドキドキすることに気がついた。
何となく床に下腹部を擦り付けると言い様の無い快感があって、そこからは特に話すこともない。
ともかく、学校で性教育を受けるまで、僕のエロのすべてがその夢だった。というわけでもない。『ぷよぷよ』の「アルル」も、『ワンピース』の「ナミ」もエロい!と(感覚的に)思えたし、事実それらの女性キャラクターでオナニーもした。なんなら同人誌を調べるために新しいマンガに手を出した。乱暴だがその辺から性教育を受けたと言えるだろう。行為や言葉の意味はわからないけど何となくおっぱいはエロかった。
小学生のころ「オナニー」とか「セックス」の意味を辞書で調べるノリがあった。自分の「オナニー」とは違ったのでピンと来るのに時間がかかった。自分のしている(た)「オナニー」がおかしいと感じ、“あの夢”は悪夢になった。
時は流れて大学生の頃の話。
親元を離れて独り暮らしを始めた僕は、おそらく多くの童貞がそういう道を通っているように、ただれた性生活を始めた。片端からエロサイトを見て、pixivと2ちゃんねるとTwitterを行き来した。エロ本やオナホールを買ってきては友人たちにレビューを聞かせた。よくいるエロいやつだ。多分普通と少しだけ違ったことは、いくつかの特殊性癖にも精通したことだと思う。
ケモノ、男の娘、ペドフィリア、みたいなある程度メジャーな特殊性癖でヌけるようになったところで、大学の先輩から「なんでそんなもんでヌいてんの?」と聞かれた。
しばらく先輩の「なんで?」が引っ掛かっていた。先輩には悪いが、遅効性の毒みたいだった。最初はただの好奇心とちょっとした虚栄心だったと思う。自分の知らないエロの世界に触れて、粋がりたかったのだろう。男の子の世界には「面白いやつとエロいやつが強い」という不文律がある。特殊性癖は「エロくて面白くなる」上で大きな武器だった。
「なんで?」の毒が回りきった頃、自分の性癖の分析を始めた。その性癖を初めてエロい!と感じた画像や動画を覚えている限りもう一度インターネットから探してきた。そしてそれらの要素を抽出して、どこがエロいのか?を考察していった。
すると大学に入ってから意図的に開発した性癖に関して興奮のポイントに二つの共通点を見つけた。
・犯される側に感情移入している
・弱さ、危うさを無意識に感じている
心理学とかはやってないので精神分析とかではないけれど、当時はただドMなだけだと思っていた。
ふと思い出すと“あの夢”は女装と両親との関係の崩壊を“エロく”感じる夢だった。
「女体化」にであったときに強い憧れに似た興奮を覚えたのも、露出・赤面した少女の画像ばかり集めていたのも、当然の成り行きみたいにMに目覚めたのも多分深いところであの夢に繋がっているような気がした。
今思えばエロくなろうとしたのは仲間内の地位をあげるためじゃなくて、あの夢から逃げていたんだと思う。でも結局お釈迦様の手のひらの上で飛び回る孫悟空みたいに、僕は“あの夢”に囚われていた。良くも、悪くも。
まとめ
性癖に故郷があるなら僕は女装とか羞恥とかの村に生まれたんだと思う。少し一般から外れてはいるが“なんとかなる”部類だ。
これが食人とかスカトロの村だったら、多分とっても大変だったんじゃないかなって感じる。
最近は同性愛が認められててうれしいけど、性的指向と比べ性的趣向は未だに犯罪者枠だ。
性被害を受けた人や性癖を持たない人が訳のわからない性癖を気持ち悪く思うのも理解できるし、特殊性癖をもろ手をあげて歓迎しろ!なんて言うつもりはない。だって気持ち悪いし。
でも痴漢の村に生まれたおじさんはお金を払ってイメクラに行くべきだし、ネトラレの村に生まれた兄ちゃんはエロ本を買うべきだと思う。それだけじゃなくて彼らが村から出ようとするなら恋人がそれを助けてあげてもいい。でもその努力って絶対隠れてするし、なんなら持ってることすら気づかれたくないから「エロ本を買った」「風俗に行った」だけが表面に出て崩壊しちゃうんじゃないかな。
普通にグラビアのおっぱいで目覚めて、部活のマネージャーと付き合って、大学の後輩と結婚するタイプの友達には理解されない話だけど、僕みたい(いわゆる「普通」の)異性愛者の村に上京することができた、そこ以外の村の人ってけっこういると思うし、「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメだ」という人は一夫一妻の異性愛者村に生まれた人の価値観なんじゃないかなぁ。
正月、とにかく男にちやほやされたくて出逢い系サイトに登録した。
こんな奴いねぇよってくらい盛れた自撮り写真を数枚プロフィール画像にして、アホっぽい言葉で男と連絡を取り合った。
LINEを交換して、しばらく連絡
を取っていない男から連絡が来た。
とにかく男の肌が恋しかったのと、その男のプロフィール画像がめちゃくちゃに可愛い顔をしていたので浮かれて会いに行った。
出逢い系サイトの男と会うのは初めてだったが、怖くはなかった。
今までも行きずりの男や深い関係を持たない相手としか寝たことがないし、何よりとにかく男に飢えていた。
待ち合わせ場所にきたのは、本当に顔の良い男だった。
私は背が高い方で、足が綺麗に見えるからという理由でヒールを履くため、大概の男は同じ身長か低いくらいになるのだが、その男はヒールを履いた私よりも背が高かった。
その男、もういいや、亮くんと呼ぼう。
亮くんと夜のまちを歩いた。酒を飲まずに手を握って男と歩くのは久し振りだったので、なんだか照れくさかった。
予約しておいたホテルにチェックインして、彼の顔をまじまじとみた。可愛いとしかいいようがなかった。
こう言うと嘘に聞こえるが、その日は本当にセックスをするつもりはなかった。
抱きしめて、頭を撫でて、お互い満足したらそれぞれのベッドで眠れば良いと思っていた。
結果を言うとセックスをした。
初めて中イキを体験できたが、彼の指遣いが上手だった為だろう。チンコは奥に当たらなかったので、少し物足りなかったがとにかく指遣いが上手だった。
彼がイッた後、「おちんちん欲しかったらお金ちょうだい」と言われた。
ホテル代は私が払ったのだが、もしかしてこの男、ホテル代のお礼で私を抱いたのだろうか。
そう思うのには、私に身に覚えがあったからだ。
「おいしいご飯をおごってもらったから」
「たくさん褒めてもらったから」
それ以外、理由はなかった。
それと同時に、「自分にはもう、金を払わないと男とセックスできないんだ」という絶望感を味わった。
亮くんにとって私は、金を貰わないと抱けない、魅力の無い女だったんだろう。
年上で、顔もブスで、肌もざらついていて、太っているのに胸が小さくて、テクもなければ締りも悪くてフェラも下手。
その夜のあと、何度かやり取りをして、正式に彼から「メニュー表」が送られてきた。セックスの値段も書かれていた。
新潟県知事の顔が思い浮かび、あんな憐れな人間になりたくないと思い泣く泣くお別れした。
性欲を断ち切らなければいけない、と思ったがどうにも禁欲生活に耐えられない。
鬱々とした平日を乗り切ると、劇団雌猫さんが主催する「よいこのおしゃれ」のレポが流れてきた。
ああ、いいな。
キラキラして、自分の好きな自分でいられる努力をして、他人の評価より自分の努力と成果に満足できる美容。
彼とのLINEを何度も読み、セックスを思い浮かべていたが、もうやめた。
無償で抱く価値の無い女だと彼は思ったが、それが私の全てじゃない。
自分が自分を好きでいられたら、自分を愛せたら、もうそれでいいではないか。
好き、愛してる、なんて他人の曖昧な言葉より、自分の確固たる「今日も私は美しい」と思えるメンタルが、今の私には必要だ。
次があったら必ず、レポではなく現場に赴こう。そして、「援交未遂女でした」と笑って話せるようにしよう。
亮くんへ。
亮くんのセックスをネットに書いてごめんなさい。でも、きっと亮くんもネットに書いてるよね。「タダでヤラせたのに小遣いの一つもくれないし、美味い飯も食わせてくれないケチなババァ」って。わかんないけど、私が亮くんだったら多分書くかな。
撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、なんて有名な台詞があるね。
亮くんのセックスをネットに書く私は、あなたにネットで私のセックスを書かれる覚悟があるよ。
でも、やっぱり読みたくはないかな。
私の知らない所で、目につかない所で書いてくれたら嬉しいな。
自分は原作小説の存在は知っていたが、読んだことはなかった。ただただ「松坂桃李のエロい姿をデカいスクリーンで観たい」という下心だけでこの映画を観に行った。
観賞後、頭に浮かんだただひとつの感想が「人生でいちばん濃密で官能的な119分間だったなぁ」というもの。
まず冒頭からセックスシーンからだった。さすがにびっくりした。生娘ばりにひゃっ…⁉︎となった。馬鹿デカいスクリーンに映し出される、松坂桃李の引き締まった綺麗な尻。生涯忘れることはないだろう。
スクリーンの中の松坂桃李は無気力をそのまま体現したような青年だった。そのへんの行きずりの女であろう相手とのセックスの後もだるそうで、本当にこんな生気がない男が娼夫になるんか…???と原作未読の自分は甚だ疑問であった。
その後も死ぬほどセックスのシーンがあるのだが、松坂桃李、いや、森中領は娼夫としてセックスを通し、日々を過ごしていくうちに冒頭の無気力そうな姿から生き生きとした青年に成長していく様は本当に感動した。松坂桃李の演技力に感服してしまった。最初は猫背で少し引きずるような歩き方をしていたのに、最後のシーンでは胸を張って堂々と歩く森中領を観て、松坂桃李ってマジで天才だなと…。観賞後に改めてポスターを見ると、松坂桃李が森中領にしか見えなくて困る。
この映画には先ほども書いたとおり、死ぬほどセックスシーンがある。多分10回前後はあった。でも、どのセックスも最初から最後まで丁寧に描かれていたからどれも心に残っている。本当に綺麗なAVを観ている気分になった。
いわゆるベッドシーン、ラブシーンがある映画は最初から最後まで描かれていないものが多い。しかしこの映画は前戯から始まり、絶頂に達した(なんかこの言い方キモいけど良い感じの表現が見つからなかった)後のまどろみまでしっかりと、それでいて繊細かつ丁寧に描かれていて、監督のこの映画にかける熱をひしひしと感じた。カメラワークも素人にも分かるくらい凝っていたし、一番最後のセックスシーンである領と咲良の行為も、舞台で培ってきた表現なのかな?そんな感じのシーンだった(語彙力)
自分は領の一番最初のお客さんであるヒロミとのセックスシーンがお気に入り。
「我慢するのってすごくむずかしい。私、領くんと今すぐしたいな」という台詞からのセックス。本当に最高だった。
賛否両論あるそうだが、自分は松坂桃李の喘ぎ声?というか行為中の声もべつに良いと思う。リアリティがあるし。でも高速手マンはみてて痛かった。自分がされてるわけじゃないのに膣がヒリヒリしそうだった。
とにかく領とヒロミさんの獣のようなセックスは本当に素晴らしかったし、松坂桃李とヒロミさん役の女優さんどちらも凄いなぁと思った。演技であれだけ本能をむき出しにしたみたいなセックスを表現できるなんて、俳優さんって凄い。
観賞後、映画館を出た足で本屋に向かい、原作小説を買い、翌日には続編の「逝年」、その翌々日には完結編の「爽年」を買い、再入荷を待って映画のパンフレットを買った程度にはこの「娼年」にドハマリしている。舞台を観れなかったことを私は一生悔やむであろう。