はてなキーワード: スイッチとは
20××年、生物の「魂」は卵子に宿っていて、精子はその魂のスイッチを押す「触媒」「きっかけ」の存在でしかないことが、
ネイチャー紙で発表された。
このニュース発表の直後、男系子孫にこだわって女児を間引きしていた、中国・インドの民衆の間で、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E7%B5%B5%E7%94%BB
詳しくはwikipediaでも参照にしてもらいたいのだが、要するに、ごく普通の風景を描いているように見えて、実際にはその風景は現実には存在することの有り得ない、といったそういう絵のことである。
例えば、人々の足元に落ちる影の向きがそれぞれバラバラだったり、あるいは、走っている機関車の煙突から延びる煙が、風に靡くことなく真っ直ぐ立ち上っていたり。
因みに「形而上絵画」において有名な作家と言えば、イタリア人のジョルジュ・デ・キリコがいる。
ググって形而上絵画を探してみようとしたところ、中々見つからなかったので、彼の有名な一枚である『通りの神秘と憂愁』を例として貼っておくことにする。
http://blog-imgs-45-origin.fc2.com/c/a/r/carcosa/chirico.gif
◇
ところで、僕は大手ギャルゲーメーカーの『key』のドンである、麻枝准の曲が好きである。
特にその中でも、彼がごく初期に書いた『恋心』という曲が好きである。
十年近く前に、ipodで繰り返しこの曲を聞いていたことを思い出す。
時には、学校へ向かう途中に口ずさんだりもした。
そして、この曲を聴いている時に、いつも僕が思い浮かべるのは、一本の木が植わった起伏のある平原である。
日差しは、まるで雨の日の朝に部屋へと差し込む時のように、薄い青色をしている。
平原には一本の木を除いては、構造物と言えるようなものは全くなく、一切が見渡せるようになっているのだが、その地平線のいずれの場所を眺めても、例えば太陽とかそういったような光源は見当たらない。それでも、空と平原は一様に、薄ぼんやりとした青色に照らされている。
先日、久々にこの『恋心』を聴いてみていた。
iphoneを購入したのを機に、ipodに代わるデジタルプレイヤーとして、試しに昔好きだった曲を掛けてみていたのだ。
すると、かつて僕が聞いていたのと同じように、例の、あの青褪めた、薄ぼんやりとした風景が浮かんでくることになる。
僕は、その風景に懐かしさを感じながらに、十年前聞いていた当時よりも、ずっと克明に風景を思い出しつつあった。
どんな君を好きでいたか、もう思い出せない。
楡の木陰に隠れて、僕を呼んでいた
僕はその歌詞に耳を澄ませながらに、ふと、何か不自然なことに思い当たったような気がしていた。
自分が思い浮かべている風景に関して、何か、おかしな点があるように思えたのだ。
そして、その不自然な点、というのに、僕はすぐに思い至ることができた。
つまり、360度全てを見渡せる平原において、光源の一つも見当たらないのに、空や地面が一様に同じ程度に明るい、なんていう光景は、実際のところ有り得ないということである。
キッチンに立って、サラダを作るためのお湯を沸かしながらに、暫く、僕は意識の空白に立ち竦んでいた。
その暗闇から回復したのは、そう時間を経てもいない時のことだったと思う。
僕の耳元には、イヤホン越しに、変わらずその透明な歌声が響き続けていた。
彼女は歌い続けていた。
僕は耳を澄ませていた。
僕はその歌詞にぼんやりと耳を澄ませながらに、一つのことに思い至っていた。
そう、僕が十年前に思い浮かべていた景色は、きっと、本当には存在し得ない景色なのだな、ということにだ。
そして、暫くの後に、僕はひとまず気を取り直して、もう完全に煮立っていた鍋の、電磁調理器のスイッチをオフにしていた。
どこまでも続いてゆく、悲しい景色、君と、笑っていた
いつまでも傍にいるよ、夢の中で、君と笑っていた
麻枝准 - 『恋心』
正直もう限界だ。
年始の挨拶で社長は、「なぜ、世界にはわが社のソフトをまだ使ってないユーザーがいるのか?一体誰が悪いんだ?みんなもっとがんばろう!!」と意気込んでいた。
知らねえよ、そんなの。
俺は每日適当にソフト組んで、適当にバグ潰して、適当にリリースして、それで帰りたいんだ。
帰ってビール飲んでアニメみて寝たい(のんのんびよりを垂れ流してぼーっとしていたい)。
ソフトウエアレビューもワークショップもミーティングも会議も、何もいらない。
お前らは、コードを受け取って、給料を返してくれればいい。簡単だろ?分割統治。プログラミングの基本。
今日だってさ、久々にスイッチ入ってバーサークモードでやりたい放題ノリノリコーディングできそうだったんだけどさ。
いざ燃え上がろうというところで、上司が、「おいXXX!!なんだ、このクラスはッ!!」
そのあと呼び出されて二人でにらめっこですよ。酷すぎだよ。
こういうことがある度、膨らんだやる気がパンクしちまって、残りの作業が苦行になる。
いい機会だから学生に言いたいんだけど、就職する会社はちゃんと選んだほうがいいよ?
少なくとも、そこの社員にタイマンで会って話を聞く、くらいはすべき(毎日楽しそうに出勤してる友だちに聞いたら、「そういうのは当然だろ常考」って言ってた。言えよ。)。
30代過ぎてボッチで絶望とかいうエントリーが熱いようだが、私はその絶望を乗り越える処方箋として自信をもってアナニーをお勧めしたい。
そのうえ最強に気持ちいい。声出そうになるくらい。「クキィィィィィィ」って。
必要なものはぼっちな環境、初心者ならエネマグラEX(6000円あればOK)とローション。オカズが必要な人もいるだろうがネットで適当に見つければいい。
どれくらい気持ちがいいか。
私は普段はそれほど欲求がないが、ストレスがたまってくるとアナニーをする。
直腸を洗いローションを塗り、エネマグラを挿入する。
奥に入った瞬間に、エネマグラの先端が前立腺を捉え、言うなれば身体の奥、腰の下辺りにあると思われる快感の電極のスイッチがガツーンと押される。
肛門の括約筋は自分の意思で緩急つけられるのはお解りいただけると思うが、身体がその快感の電極への刺激を欲しがって、緩めようにも緩められないのである。
その間約10秒、内側から感電した後は、括約筋が自然と緩み、一瞬それがリリースされる。
しかし、身体はすぐにまたそれを欲しがって、自分の意思ではあり得ないくらいの力で、括約筋を締め上げる。より深く、前立腺にエネマグラを食い込ませるために。
射精の感触がドクン、ドクン…というくらいなら、アナニーの感触はドッドッ、ド・ド・ド・ドンッ!ドンッ!ドッドッドン!ダン!デン!ドン!ズドゴーン!!ダンデンドゴーン!!という感じ。
(追記)
何だみんな興味あるんじゃないか。
・身体に悪そう
やり過ぎはよくない。しかし、私はこれをストレス解消の為に行っている。マジすっきりするし、その日は本当によく眠れる。
また、直腸のコンディションに気を配る為、食物繊維に気を配る食事中心になり、食生活も安定する。
私は皮膚が弱いので、結構すぐにケツが切れる。
だから余計に気を遣うし、無駄な拡張はしない。間違ってもぶっといディルドを入れようなんて思わない。
ピンポイント、神の一撃の方が、前立腺感覚と言う意味では真のアナニーなのではないだろうかと書いたが自分でも何を言っているのかよく解らない。
・こえーよ
実は、臆病なくらいがちょうどいいのだ。
勇気があると、じゃあどんどん太いのを…とか、じゃあ実際に発展場でホンモノを…なんてなってしまう。
私が初めて達する事ができたのも、これだったからだ。
・準備を詳しく
ネットショップでアナニーグッズを物色していると「これを買っている人はこれも買ってはります」っていうのが簡易浣腸かシリンジがオススメされる。
私は普段、これでぬるま湯を入れて軽く洗浄をしている。
その後、アルコールティッシュで奥まで拭う。
そしてローション注入である。
風呂に入って温めて括約筋を柔らかくするのもいいかもしれない。面倒くさいが。
君の信仰は医学的判断と発達心理学的判断よりも正しいわけね? 立派。
具体的な基準も示せない現在の規制よりもはるかに理があります。
(年齢という基準を正当化する論拠の話です)
示してるんだよ13歳って、精神発達・医学的な機能発達の平均値に基づいて。
で、そのへんをおいといてIQ()の方が大事だと言ってんのがお前だよ。
障害の平均値出してどうすんの。馬鹿なの? 自分の言ってる意味分かってる?
万人に普遍的な価値観は存在せず、親の教育が及ぼせる範囲が狭く、倫理にもとらない範囲で本人の意思と価値観が最優先される、
それが「IQで」判断しようだの、「論理的に判断できればOK」だのと言ってるのがお前だよ。
相応の時間、本人の中の欲求、知識と見識、どれが欠けてもできないというのがこちらの意見だよ。
だから年齢で区切るしかないだろうと何度も何度も何度も言ってる。そしてその基準としてるのが機能発達・精神発達をみた13歳だ。
後、その理論で行けば生理が来ていて二次性徴している小児においては、欲求が生じていることを認めていることになるわけですよね。
で、ホルモンが出たらスイッチ入った機械みたいに性的欲求が形作られるとでも思ってんの?
論理的に判断が下せると思います。って、恋愛が論理で動かないからこそ問題になりやすいの分かってる?
ああ、ああ、ありがとう、分かってないことがよくわかった。誰も下半身の話はしてねえよ馬鹿。
恋愛という感情の動き、性行為に伴う感情の動き、それらが非対称な力の下で行われる危険性の話をしてんだよ。
そこで下半身にしか結び付けられないあたり本当に恋愛というものをリアリティをもってとらえられてないことがよくわかった。
ギャルでも、清純派でも、普段はのんびりおっとりな天然の子でも、「ギラついてる」時がある。
そういう時の、女の据わった目が怖い。声色が怖い。貼り付いた笑顔が怖い。雰囲気が怖い。
女というだけでの無条件の受容や許容、そういうものを求められる時の居心地の悪さ。恐怖。逃げ出したくなるようなあの感じ。
この事は、女性に話しても理解してもらったためしがない。
多分男同士なら分かる話だとは思うのだが。
自分達のわがままや甘えに無自覚な女性ってのは、どうしてあんなに怖いものなのだろうか。
抵抗しようが、何か責任を押しつけられそうになって違うと言おうが、社会の風潮や法律上、男が女に勝てるわけがないのだ。だから余計、怖い。
さっきまで普通に話していただけなのに、相手のスイッチが入った途端、別人のようになる。
そういうのは怖いから、誤解されるような振る舞いを避けたり、二人きりを避けたりしているのに隙をついて「ギラつく」女が怖い。
多分それは女が社会を生き抜くための生存本能のようなもので、男である俺には一生理解できないものなのだと、頭ではわかっている。
しかし、「ギラつかれる」ことへの恐怖は、ひとと付き合うとか結婚するとか、そういった事にかかわってくる。
彼女をつくる。嫁をめとる。これって要は、ずっと「俺に対してギラついてくる」相手を保っておく、という事ではないか、そんな恐ろしいことできない、なぜ、そんな獣をそばに置いておこうと思うのか。俺にはわからない。
本当に、何で皆、平気なんだ?よく、獣のような生きものと手を繋いだりデートしたりしてるなあと思う。
いつ豹変するかわからない、いちいちギラつく「女」という生き物が怖くて仕方が無い。
チャラそうな男でも、真面目そうな男でも、普段はのんびりで優しい男でも、「ギラついてる」時がある。
そういう時の、男の獣のような目が怖い。声が怖い。息が怖い。雰囲気が怖い。
自分に性的な目が向けられた時の居心地の悪さ。恐怖。逃げ出したくなるようなあの感じ。
この事は、男性に話しても理解してもらったためしがない。
多分女の子同士なら分かる話だとは思うのだが。
性的に興奮した男性っていうのは、どうしてあんなに怖いものなのだろうか。
抵抗しようが、何かされそうになってやめてと言おうが、体力や腕っぷしの上で、女が男に勝てるわけがないのだ。だから余計、怖い。
さっきまで普通に話していただけなのに、相手のスイッチが入った途端、別人のようになる。
そういうのは怖いから、密室を避けたり、暗闇を避けたり、二人きりを避けたりしているのに
隙をついて「ギラつく」男が怖い。満月を見て変身する狼男のようだ。
男は狼なのよ、とはよく言ったものだ。
多分それは本能的なもので、女である私には一生理解できないものなのだと、頭ではわかっている。
しかし、「ギラつかれる」ことへの恐怖は、ひとと付き合うとか結婚するとか、そういった事にかかわってくる。
彼氏をつくる。旦那をつくる。これって要は、ずっと「私に対してギラついてくる」相手を保っておく、という事ではないか、
そんな恐ろしいことできない、なぜ、そんな獣をそばに置いておこうと思うのか。私にはわからない。
本当に、何で皆、平気なんだ?よく、獣のような生きものと手を繋いだりデートしたりしてるなあと思う。
いつ豹変するかわからない、いちいちギラつく「男」という生き物が怖くて仕方が無い。
人間を減らしたい
できれば今すぐ
大規模に
全てとは言わない
1/10000くらいが残るように
この数値は適当だけど
消すと言っても何も殺すだけではなくて
ドラえもんの道具の独裁スイッチみたいに人々の記憶から毎消し去ったり、
縄文かそれ以前、歴史は詳しくないのでまあその辺りに巻き戻しとかでもいい
人間がわけわかんねー早さで増えていってる
自分にとってはそれがすごく気持ち悪い
虫酸が走るほど
70億だぜ 70億
わけわかんねーよ
なんだよ70億って
7000000000ってなんだよ
0多すぎていくつかぱっと見わかんねーよ
で、これだけの人間が地球っていう半径4000kmくらい?のちっちゃい球の上でうじゃうじゃ蠢いてる
純粋に気持ち悪い
ラーメンズのなんだっけタイトル忘れたけどウォークマン万引きする奴
アレみたいな感じじゃないけどマジで気持ち悪い
まだあるぜ気持ち悪いこと
これまた少数の国やら宗教やら社会やらにある程度ちゃんと収まってることだぜ
理解できねーよ
んで、たいていの奴らは指定できない生まれた国の法律を大抵ちゃんと守ってる
すげーよわけわかんねーよ
なんでそんなことできるんだよ
ついでにそいつらなんだかんだ言って殺しあいとかほとんどしないんだよなんでだよ
頼むよ誰か教えてくれよ
俺は気が狂っちまいそうだ
ああ
できることなら10万年後の世界でグラタンとうさぎのように飛び回りながらじゃがいも食ってそのまま果てたい
小麦畑はきれいだろうなぁ
♯今日は4回目の命日。虚無感は未だになくなりません。
平成23年5月22日、午前8時30分(推定死亡時刻)、あの子は逝った。
2人と猫2匹で同棲していた分譲物件でタオルをドアノブにかけた非定型の首吊りによる縊死だった。
前日に喧嘩をした。予感はあった。
しかし、その前にサイズを測っておらず、違ったベッドマットを持ってきてしまい、
どうしよ~と彼女に報告した事。
要領が悪いと指摘され、いじける僕にあの子はキレた。
最後まで最低な人だったね。飼ってる猫2匹連れて1晩でいいからこの家出て行って。さよなら」
僕の中で、ベッドマットを交換してあげる事が好意で、
その好意は結果が伴っていないため、また押し付けがましいものを提案してきたのに、結果が失敗していた。
と、いうやり取りが面倒で面倒で仕方がないみたい。
僕は誠意のない謝罪を繰り返すばかりで、あの子の心を動かす事はできなかった。
僕は一泊分の簡単な荷物をまとめ、翌日に戻ってくるつもりで家を出た。
だけど、出掛けの「さよなら」がとても気がかって、
車をなかなか発車させることができなかった。
その後、実家に戻り、1晩を明け、朝一で彼女と住んでいる家に向かった。
家や携帯はかけてもやはりでない。
家の覗き穴から見るも、部屋の様子は伺えない。
よかった生きている。
僕は安心してその日予定されていた自治会の行事、マンション前の草むしりに参加した。
▼あの子が逝ってしまい、中身が入っていない器を見つけた時の話。
11時頃に草むしりを終え、帰宅し、彼女に精一杯謝って誠意を伝えよう。
意気揚々と家のドアを開けた。
距離は遠いが、明らかにあの子が不自然な体制でドアに寄りかかっているのが見えた。
見た瞬間にすべてを悟った。
2年経った今でもずっと脳裏どころか、記憶のとっても浅い所に焼き付いている。
ショックだった。これほど衝撃的な場面に僕は出くわしたことはない。
首吊りの縊死といっても、キャベツ太郎の景品で送られてきた景品ハンドタオルをロープのように使って首に巻きつけ、ドアノブでしばっているだけ。
ちょっと暴れたらすぐ取れるじゃん。こんなの。
でも、足掻いた形跡はない。彼女の中身が入っていない器は、口は半開きで眼の部分は半開きで、眼球はすでに乾いていた。
飼っている猫2匹があの子に寄り添って寝ている。
それまでは日常的な光景だったのに、この瞬間だけはあまりにも非日常的な光景すぎた。
そばには流れっぱなしのiPod。今も曲が流れている。
また、そばの椅子の上にはdocomoからの請求書に殴り書きしたような番号が書かれていた。
それはあの子が持っていたメインバンクの口座番号と暗証番号だった。
ここからは気が動転していたので、思い出せることを書くが、
「呼吸はありますか」
「脈ははかれますか」
「心臓マッサージを隊員が駆けつけるまで続けてください。」
あの子があの子であったなら、何も考えずに言われたことをやっていただろう。
でも、もうあの子は逝ってしまい、ここにいるのはあの子の器なだけなんだ。
足には縊死でなくなった方の特徴の斑ができていて、手もギュッとこぶしを握っていて開かない。
死後硬直まで起きている。
生きている人間ならば、押すと跳ね返りがあり、多少の息の返りがわかるはず。
彼女は穴のあいた風船のように押せばしぼむ、押せばしぼむの繰り返しだった。
まったく入っていく気配はない。
と、いうか口の中が乾きすぎている。
もう、誰がどう見てもあの子は器だけ残して中身がどこかへ飛んでいってしまったんだ。
救急隊員が到着し、人工呼吸を代わってもらい、その光景を見つめながら僕は天を仰いだ。
まだその辺にいるのか?いるのなら最後に話したい。
そんな馬鹿げた事を考えていた。
救急隊員があの子をストレッチャーに乗せ、マンションを出る時も心臓マッサージをした。
野次馬(失礼な言い方かもしれません)が集まっていました。
あの子に白い布が体にかぶせられていたのですが、顔はそのまま出ていた状態でした。
僕はあの子はもう、死んでしまっていて、そんな死に顔を野次馬に見せたくない、との一心で
白い布を顔までずらしました。
しかし、救急隊員は「まだあきらめちゃだめです!」とか感情論で
白い布を体にずらし、再び彼女の顔はあらわになった。
中には小さい子供や、親しくしていただいた近所の住人がいたので、
彼らはあの子を助けるつもりでいてくれた事には感謝しています。
しかし、どう見てもあの子はもう、あの子が入っていた器だったんです。
もう2年以上経って、もうすぐ3年目を迎えるのか。
そんな気は全然しないな。
命日が怖い。3周忌の予定も立てれる自信がない。
あの日以来、いっぱい泣いたけれど、四十九日を境に泣くのをやめた。
でも、本気で笑う日は少ない。
すべてあの子がいたら、の仮定でしか話を考えられなくなってしまっている。
だけど、こんな悲嘆すること言いながら、
都合いいよね。
嫁さんには大方の話はしたけれど、こんな詳細までは話していません。
でも、気落ちした私を心底支えてくれました。
大切な人が命を断つ。
あまりにも彼女の入った器を見つけたときのショックが大きすぎて、
いろいろな自死遺族の会に参加させてもらったけれども、
皆さんこもごもにケースが違う。
似たようなケースの人なんているようでいないと思っている。
また、社会に出ると毎日のように人身事故、自殺のニュースが目に入ってきます。
その遺族の方達に自分と同じような感情を持っている人はいるのだろうか。
自分の価値観が大きく崩れて、自分も首吊りで死ぬことが一番最良の方法なんではないかと
感じてきてしまっている。
後を追いたいわけじゃない。疲れたんだ。
あの子に会いたいけど、もう二度とあの子に会えないのはわかっている。
でも、少しでも、あの子が逝くその時にどんな感情だったかを知りたい。
少しでも死にたくないという気持ち、があったのか。
きっとなかったんだろうなとは思う。
hideさんが亡くなった方法もあの子と似たようなものでしたが、
それを真似したわけではなさそうです。
とりわけYOSHIKIさんが好きだったから、あの子に一度会わせてあげたかったな。
実行の際にはオムツも履いていましたし。
それほどまでに死に執着していたのか。
話代わって、死後の世界なんて、本当にないと思っている。
昔は怖い話系のシリーズを読むと、怖くて一人でトイレも行けない僕だったけれど、
あの子が逝ってから、その類への恐怖というか、関心が一切消えた。
人の死というのは、電気のスイッチと同じで、OFFになると消える。
今にも起きてきそうなほど、綺麗だったけれど、
何より、火葬場での変わり果てた姿を見たとき、あの子はもう、あの子の器すらも失ったんだと確信した。
あの子に会えるならどんな形であれ、出てきてほしいけれど、
僕の夢にも一度も出てこない。
そんなあの子が例えば幽霊とかで出てくる要素がなくなってしまった。
事情を知らない火葬場の人から「とてもお強い綺麗なお骨です。どこかを病んでいたようには思えません」と、
あの子の器だったものの骨壷を持ったときの違和感が今でも手に残っている。
しかし、そんな僕だからこそ、葬儀に至るまでの間、本当に僕の周りに迷惑をかけた。
僕の両親・友達・近所の親しい方々が心配し、泊り込みで支えてくれた。
葬儀屋の方々も感謝してもしつくせないくらい、落ち込んでいる僕を支えてくれた。
あの時の恩を返そうと、今では笑顔を作って「僕は大丈夫。幸せに過ごしている」を見せている。
葬儀の際はその遠い親戚から相続はどうするんだと搔き立てられました。
これまで大変お世話になりました。
と、言われました。
正直、あまりに辛い出来事から逃れたいが為に、すべてその遠い親戚に渡したかったのですが、
遺言書の通りにするのが一番だ、という周りの方の勧めであの子のすべてを僕が相続しました。
そのすべて、には今僕が住んでいる分譲マンション並びに預金口座も含まれています。
また、その中にはあの子が僕と出会う前にあった出来事のすべてを遺しています。
これまで育った経緯の写真。
その中でも一番心に響くのが、幼少の頃のあの子の親に大切そうに抱きかかえられている写真、
何も捨てられません。
また、この遺産を見るにあたり、ますます自分があの子を殺してしまったんだ、という気持ちが強くなりました。
今の妻に、もしこの遺産を見つかったならどう説明すればいいかもわかりません。
再度似たようなことを書きますが、世の中、毎日のように自殺のニュースを目にします。
見る分にはいいんです。社会は広いし、いろいろな人がいますから。
身の回りの日常会話の中でも「○○さんが自殺したの知ってる?」なんて話題を振られたりする。
でも、今はこんな会話を自分に振られると、一気にあの子の事がフラッシュバックして、
いてもたってもいられなくなる。
でも、社会とはそういうものなのかもしれないけれど、死こういった会話をする事がとても辛い。
けれど、その社会から逃れた生活をすることなんか出来ないし、仕方ない事なのかな。
ドアを開けて一目でわかったあの子の変わり果てた姿。
その直前までは生活音を聞いていて、生きていたであろうあの子の物音。
皆、こういう感じなのかな。
だとしたら、少しホッとする。
(追記 1/18)
多くの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます。
あの子の事を書くにあたり、自己陶酔は確かにしているかもしれません。
僕がきっかけではなく、あの子はいずれ死を決めていただろう、とも心のどこかで思ってはいます。
でも、思うところは僕が殺してしまったに変わりありません。
しかし、時は最良の薬なのですね。
この文はあの子が逝った翌月あたりにEvernoteに書き殴っていたものに
そんな事ばかりしか書いていませんでした。
それは自分の希望であって、多くのコメントでいただいているように、
結婚し、子供を授かり、育てている以上、妻と子に人生を捧げるつもりで生きます。
上記では死んでしまいたい旨、書いてしまいましたが訂正します。
僕が一番わかっていたはずの事を忘れていました。
あの子の納骨が終わった日の夜、
15年前に付き合っていた人から10年ぶりくらいで連絡があり、それが今の妻になります。
地震発生後しばらく電話をかけていたのですが、繋がらず、心配していました。
妻曰く、当時はバタバタとしていて自分の着信に気づいたのですが、後でかけよう、と
思ったタイミングが約4ヵ月後、あの子の納骨の日だったらしいのです。
また、あの子とは話し合いの下、結婚も考えていて子作りもしておりました。
期間にすると約3年くらい。
あの子とは付き合いが長かった為、次のステップへの良いきっかけになると思っていました。
しかし、あまりにできなかった事から、あの子は産婦人科で不妊の検査、
自分の精子が極端に少なく、子供は望めないかもしれない。と、いう話をされていた。
とりあえず、僕は僕を捨て、あの子になったつもりで精一杯、死ぬまでこの世を生きてみせます。
ありがとうございました。
俺は素人童貞で。
が、オナニーの時に、海外のAVとかで、「こんな完璧なレベル」って女たちの痴態を見ながらやると、
「普段バカにされている現実はそれはそれとして、俺はこんな女とやれるんだぜ?こんな女たちから愛されてるんだぜ?」っていう全能感に浸れる。
オナニーは単なる射精というか、そういう画像なり動画なりをあさっている時の全能感がヤバイ。
あとは寝るのとネトゲかあ、あ、やっぱ一日中現実逃避してんのか。
だけど、みじめな人生なのに、この全能感をくれるネットオナニー。
これだけが生きる救いです。
毎日毎日ブログなりツイッターなりで死にたい死にたいと書き込み続ける俺だけど。
この全能感だけはヤバイ。
脳に電極をつながれたネズミがひたすらスイッチを押し続ける動画あるやん?脳みその電流が流れて快感だからひたすらスイッチを押し続けるネズミの奴。
俺の人生はそれなんだろうな。オナニーの全能感やネトゲのひたすら作業プレイ。そういうのでひたすら脳に電極を流すだけの、なんの人間性もない人生なんだろうな。
だけど、この全能感ヤバいよ。
たまに、よく言われるジャン。「快感を得たいだけなら脳みそに電極つないでればいいのか?」みたいなやつ。
うん。電極つないでくれ。それで一生生きられるならそれでいいよ。
サルがドラクエでアリアハンの回りでひたすらレベル上げするゲームを『楽しい』と思うのは気持ち悪いかもしれないが。
楽しいんだよ、それだけでいいんだよ。
死にたい気持ちわかるだろ?w
そういうやつなんだけどさ、俺は。
何考えてるかわからないってよく言われるけどさ、昨日やったネトゲとか、最近読んだ小説とかエロゲーとか、AVとか、そういうのを脳内再生してるだけだよ。
で、脳内再生しながら、小説なら絵を想像したり。エロゲーだったら自分が本当にその世界で生活してるような妄想のやりとりしたり。ネトゲなら戦略考えたり。
それだけだよ。
それはしょうがない、だってゴミだもん。それは事実だからしょうがないし、そういうゴミを相手してくれないってのは分かってる、それはしょうがないよみんな人間だもん。
いい時代に生まれたもんだ。
でも、救いっつーかなんつーか。
「今100年前の人の平民の生活とかどうでもいいのと同じで、100年後には俺らの生活なんてみんなどうでもいいもんになるんだぜー」
俺をバカにしてるやつらもあんまたいしたことないんだぜーっていう。
仕事おさめしごとおさめきれなくて、せめて年内にと思ったけど完全にスイッチ切れちゃって「年明けから本気出す」とか思って大晦日も今日もぼーっとしてて、明日もまた「まだ仕事始めまで日はある。明日からやろう」とか思ってそうでもうだめだ。こんなんで今の仕事続けてていいのか知らないけどきっとこんなんじゃどこ行ってもだめだもう。
1 オナ速の登場
先日電車でJKが「○○ちゃんはオナ中でオナクラに入ってた」なんて宣ってたが、これは断じてオナニー中毒の少女がオナクラで働いてたという意味ではなく同じ中学で同じクラスという意味だ。
しかしながら、タイトルにある「オナ速」のオナは今度こそオナニーのことであるから自慰マニア各位は安心するように。ただし、それはオナニー速報のことではなくオナニー速射でもなくて、残念オナニー速読でした。
勘違いされがちだが速読は特殊能力でもなんでもなく誰でも速く読めばそれで速読なのだ。速読の習慣の多寡によってスピードに著しい差があるため、まるで速読自体が超人技であるかのように思われているが何ともあほくさい話である。つまり、頭の硬い大人たちが速読という誰でも訓練なしにその場でできる素朴な行為を勝手に特別なものと考えて挙げ句の果てには不可能と決め付けて凝り固まっているだけの話なのだ。そしてそうした洗脳された可哀想な人を思い込みから救うための治療法をわざわざいかめしく速読法と呼称しているだけのことだ。
だからオナニー速読ではそういうくだらない風潮に小石を投げてもっと単純に楽しめよと訴えかける。つまり、オナ速は世にはびこる速読法の類いのものではなく、あえて言うなら読書の楽しみ方である。
まず声をゴリラにして叫びたいのは、このご時世読書の楽しみ方が画一化され過ぎているということだ。スローリーディングが近年もてはやされているが、それも読書の楽しみ方の一端にすぎない。スローリーディングの最も不自由な点はスローへの不必要なまでの拘りである。速さも遅さも両方大切なのに。
自由や個性という言葉を強調する人間に限って、単に不自由で没個性な自分のやり方を正当化したいだけで、自由や個性とは程遠いシロモノであるのはよくあることだが、だからと言って自由や個性を叫ぶのを止めてしまうと人間社会の硬直化に対する抑止力が女性の「硬いのはチンポだけにしてよね」という台詞しかなくなってしまうというジレンマがある。
こと読書に関しても、自由という名の不自由の押し付けであることを恐れずに私は言いたい。今こそ全人類が読書解放運動を起こすべきであると。読書にまつわる先入観を捨てて、読書を再定義&新発見していかねばならない。読書ってまだまだこんなもんじゃないぜってところを見せてやらないといけないぞっと。誰に見せるのかは知らないけど。
よく言われることだが、文字情報というのはそれ自体は画像よりも遙かに情報量が少ない。しかし、文字の意味するものを想像し推し量ることで初めて豊かな情報を含んだ感覚が読み手の前に現れる。換言すれば、想像力と推理力いかんで全くもって読書体験が違ってくるということだ。
したがって、みんな「読書」「読書」と共通する言葉で呼び習わしているけれども、その中身は「あなたとわたしでまるで違ってた」ということが当然あるわけである。
だから、異次元な読書に遭遇してもそれもまた1つの読書法であると寛容の心で迎えることにしよう。受容すること、それがあなたの読書を豊かなものにする。
ところで、何故オナ速という名前にオナニーが含まれるのかというと、読書にはオナニー的な側面が色濃いからだ。ここでのオナニーとは単なる自己満足の同義語ではなくて、胸を高鳴らせながら「オカズ」と呼ばれる情報を探して、良いオカズを見つけたら食い入るように「味わい」、「集めた」オカズからより興奮度の高い「妄想」を作りあげる、という一連の特徴を有する行為のことだ。
うーむ、改めて考えると読書ほどオナニーに酷似した行為はない。そう思わないだろうか?よく考えてみてほしい。
ここで、読書のような高尚で知的な行為がオナニーのような低俗で馬鹿な行為のわけがないと思う諸君は、エロ漫画やエロ小説から類推してもよい。具体的には、エロ動画→エロ漫画→エロ小説→小説→高尚な専門書というオカズの状態遷移図をイメージして欲しい。
そして実際にエロ動画を楽しむ時のような気持ちと心構えを保持したまま矢印にしたがってオカズを推移させてみるとよい。そうすれば、高尚な専門書もその本質においてはエロ動画となんら変わる所がないのが認められるであろう。ただし、チンコは出さずに楽しむこと。
なるほど読書は確かに限りなくオナニーに近いことが分かったけれども、賢明な諸君は既にお気づきだろうが、それでもただ一点、陰茎の有無という点が異なる。もうお分かりだろう、オナニーには陰茎があるのに読書には陰茎がない。
そしてこの一点のために、読書とオナニーの間には深い深い断絶が生じているのだ。読書という本来楽しい行為が文字通り去勢されて、無味乾燥なものに堕してしまっている。
若者の活字離れが叫ばれて久しいが、実は近年ではケータイ小説やラノベの隆盛によって活字と接する機会がむしろ増えているのだという。
それを知り、今こそ読書を復権する一世一代の大チャンスであると考えた私は、まず読書と自慰の間の橋渡しに取りかかった。そろそろいい加減に読書と自慰の両者は和解しても良かったのだ。誰もやらなかったから私がやった、それだけのこと。
3 これがオナ速だ
以上を踏まえ、オナニーとしての読書を前面に出した速読がオナ速である。
繰り返すが、これは速読法ではなく読書の楽しみ方である。速読法というもの自体が実にナンセンスなことは既に述べた。よって、従来の速読法を去勢されたものとして否定的に見る。全否定まではしないけど。
ではオナ速の方法を紹介しよう。オナ速に入門したはいいが何から始めて良いか分からないという新入生は必見である。ただし、技法論に終始して楽しみが失われては本末転倒だから、最低限の技法の紹介にとどめる。
それではまず、君はエロ漫画を速読する習慣を身に付けねばならない。オナ速は楽しさをモットーとするが、開放的な享楽の裏には必ず厳しい統制があるものだ。エロ漫画片手に厳しく行こう。
先ほどの状態遷移図を今一度見てもらおうか。エロ動画→エロ漫画→エロ小説→小説→高尚な専門書。
これを見ても分かるようにオカズカーストの最上位に位置するのはエロ動画である。最もオカズとしてのパワーが強い。
次がエロ漫画、その次がエロ小説と続く。困った時はまず身近な相談役のエロ小説先輩に聞く。それでも解決しない時はエロ漫画先生に、それでもまだ解決しない時はスクールカーストの最上位のエロ動画校長を用いれば良いのだ。
しかし君たちはまだ駆け出しのヒヨっ子なので、最初からエロ漫画先生の力を積極的に借りたほうがいいだろう。エロ小説先輩は気が優しいけどちと力不足だ。
さてエロ漫画の読み方だが、分かっているとは思うがチンコは出さない。そしてこれが重要なのだが心のチンコをしごく。
「ネットペニス」という言葉をご存知だろうか?かいつまむと、どれほど処女力の高い女性であっても2chの男どもの手にかかれば毎日妄想内で犯されまくりで、実質ネットごしに処女喪失したのと一緒じゃね?という話である。
この話で重要なのはネット上でも処女喪失が成立することではない。そんなことはどうだっていいことだ。
本当に大切なのは、バーチャル世界でもペニスが存在することの発見、そしてそこから論理的に導かれる、ペニスがあるならオナニーだって出来るじゃないか!という気づきである。
まだピンと来ない人もいるだろうから具体的に言おう。これをエロ漫画に置き換えると、物理的にはチンコを出さないけれども、精神的にはチンコを出してオナニーすればいいと。そういうことなのだ。
そもそもオナニーに物理的チンコは不要である。第一に物理的チンコは性感帯の一部に過ぎないし、第二にその性感というのも単なる快楽物質の分泌に過ぎない。言うなれば、チンコは快楽スイッチの1つに過ぎない。
その快楽スイッチが身体に存在するのは甚だ不便だと思ったことはないだろうか?心にスイッチを備え付けたい。思春期にそう強く切望していたのは私だけでは無いだろう。
それは可能である。可能なのだがそれに納得して貰うために少し説明しなければならない。
まず基本事実として、人間は適切なオカズさえあれば深いエクスタシーに達することができる。言い換えれば、物理チンコなどなくても純粋に精神的な手段で快楽が得られる。これをエナジーオーガズムと呼ぶ。
次に、オカズを物理的に調達しなくとも純粋に心の中で妄想するだけで、オカズとしての働きを十二分に果たすことができる。これは妄想を習慣としない人には信じがたいだろうが事実である。
以上何でもない2つの事実を確認したが、この2つからとんでもないことが分かる。純粋に精神的なスイッチを作ることが可能なのである。これを精神的チンコと定義する。
そして他でもないこの精神的チンコをしごくことこそがオナ速の極意なのである。なんだってー!? 要するに、心の中に精神的チンコと呼ばれる快楽スイッチを作り、それをこすりながら読書する。これがオナ速の全貌である。
4 オナ速の実践
とは言っても、精神的チンコをしごく感覚はなかなかつかみづらい。そこでまず感覚のつかみやすいエロ漫画から始めるのである。
その際にページを「読めないギリギリの速さ」でめくってほしい。読めるギリギリじゃなく読めないギリギリ。限りなくセーフに近いアウトで頼む。読めてしまったら従来の読書法に先祖返りする危険性が高いからである。
ギリギリ読めない速さでめくりながら読もうと努力するのだ。読めてきたらまたスピードアップして「読めないギリギリの速さ」にする。この繰り返しで少しずつ速くしていくこと。
勘違いする人が続出しそうなので言っておくと、これは一見すると速読習得法のようだが全く違う。速さは従来の読書を回避するためのものに過ぎない。実際のところ、速さが欲しいなら「読めないギリギリの速さ」にせずに最初からビュンビュン飛ばせばいいのである。それをしないのは速さ自体はどうでもいいからだ。
さて、読めないギリギリの速さで読もうと努力すると言ったが、その努力のしかたも大切である。絶対にやってはいけないのは、立ち止まること(停止)と目など身体を緊張させること(緊張)、である。
停止と緊張を避けるには、ページをめくる速さを一定にするとよい。淡々と流すようにリズミカルにページをめくる。理想はエアロバイクを漕ぎながらのタブレットによるオナ速である。これなら絶対に停止と緊張が起きない。
さてページをめくるリズミカルな動作は何かに似ている。そう、シコシコに似ている。あとは言わなくても分かるな?そう、めくる動作に合わせて精神的チンコをしごくのである。
合わせると言ってもタイミングが重要だ。ページをめくった次の瞬間、ちょうど紙面を視認した瞬間が黄金のタイミングだ。このタイミングでスイッチオン。ここから少しでもズレるとガクンと成功率が落ちるので注意しよう。タイミングをつかむには身体でリズムをとりながらやるのが良いだろう。コツをつかむのに1ヶ月は最低かかると思う。
成功すれば一瞬視界が明るく光って快感が生まれるからすぐそれと分かるはずだ。安定して成功するようになったら、今度は吹き出しのセリフも正確に読み取ろう。
それも出来るようになったらエロ小説に取りかかり、それも出来たらやっと高尚な専門書に進むことができる。長い道のりだが決して無駄ではない。全てはエロ漫画のように生き生きと読書をするためだ。
エロ小説や高尚な専門書の読み方もエロ漫画と基本的に同じだけど、しごくタイミングには少し注意が必要である。文章だけの本の場合、おすすめのタイミングは数行をまとめて目に入れてその次の瞬間である。一行ずつしごくやり方も試行錯誤したがどうもうまくいかない。数行ごとが良いと思う。
数行ずつのまとめ読みをマスターしたら5行、1/2ページ、1ページと増やすことになるが、無理に急ぐことはない。無理をしてオナニー性が薄れたと感じたら数行ずつのまとめ読みにただちに戻るべきだ。
ともかく、以上の方法を実践すれば新鮮な読書体験が得られるであろう。その感覚、喩えるならエロ漫画のような読書。何がエロ漫画だと思うかもしれないが、とにかくエロ漫画なのである。
5 将来の展望
これまでオナ速という一見不思議で実は本質を突いた読書法を紹介してきたわけだが、ここで衝撃の発表がある。それは、私たち人類は知らず知らずのうちにオナ速をしているのだ。なんだってー!?
例えば、美味しそうなシュークリームを見た時にパッケージをどんな気持ちで読むか考えてもみてくれ。思いっ切り精神的チンコをしごいてないだろうか?それは否定しようがないれっきとした事実だ。
気になる異性からのメール、面白そうなゲームの特設サイト、すごく注目してる新製品の情報、それらをどんな態度で読んでいるか?それはもう目を血走らせて食い入るように見ているのではないか?
そのような読書態度はエロ動画に対する態度と全く同じであることに気付いてほしい。みんなしごいて見てるだろう。
そのようなありのままの人間理解に基づいて情報社会というものを捉え直さないとダメ。これまでの無味乾燥な情報科学では限界があることは明白であり、古めかしい情報観は終焉を迎えようとしている。もう夢見る少女じゃいられない段階に来てるんだよ。
オナ速というのはそのほんの始まりに過ぎず、決してゴールではない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/607736
人工知能学会の表紙が女性型アンドロイドが家事(掃除)をしているものにデザイン変更した、というニュースを受け、そのイラストが性差別的なものであるという批判が出ている。
その批判ツイートまとめに対して、ブコメで擁護する向きの反論が噴出している。
片っ端っつっても個別に全部取り上げると大変だから、テキトーにまとめつつ。
・市場にルンバが出回っている時代に何で掃除機ですらなくホウキで掃除…
・市場にワイヤレス充電パッドが出回ってる時代に何でぶっといケーブル…
・洗濯は洗濯機が、飯炊きは炊飯器が、掃除はルンバが洗い物は食洗機が風呂は自動給湯機が担当する時代に何で実物女性と見間違うようなガイノイド…
これらのツッコミから導き出される結論はどう考えても、「要するにお前の趣味なんやろ?」しかない。
「身の回りにこんな大人しげで世話焼いてくれるかわいこちゃんがいてほしい、作れるもんなら作りたい」以外の何物でもない。
同人誌ならそれでもいい。「ああそうだよ趣味全開だよあんなこといいなできたらいいなだよ!ファンタジーの世界だよ!悪いか!」でもいい。
「俺らはかわいこちゃんが世話焼いてくれたらいいなと思っています!」というごく個人的な欲望以上に、伝えなければならないものが山ほどあるはずの雑誌である。
それが表紙からこの体たらく、しかも専門研究者であるはずの関係者間で多数の支持を得ての採用ときたら、物議を醸すのは無理もない。
一般にアピールって何をアピールする気なんじゃ気持ち悪い、という突っ込みは当然のものなのである。
明らかにその「夢」は「本物の女は自分の思い通りにはならない理想じゃない存在で気にいらない」という前提に立った、ごく個人的で身勝手な願望だ。およそ肯定されていいもんじゃない。
「あたし女だけど別に夢に走ってもいいと思う。女だってイケメンいると士気上がるし」的な類は完全に背中から撃ってる。
洗濯機のスイッチを押すのに男性型ロボだと何か不都合でもあるのか?
自身の差別的な感覚を損ないたくないがために文句を言わない従順な「女性ロボ」を求めるってのは差別的だ。
⇒その通りで、イケメンロボがホウキ片手にケーブルで充電中幸薄そうな目でこっち見てるイラストであっても、冒頭に挙げた「イラストそれ自体への突っ込みどころ」を一つも回避していない以上堂々のアウトである。ジェンダー差別もセクシャルな差別も回避できてない。
余談だが、この手の突っ込みを入れる連中は九割方「男性型ロボだって差別なのに、こいつら男性型だと抗議とかしないよな」という逆恨みのようないちゃもんつけに来て話を逸らしたがってるあたり、ミソジニーこじらせすぎだと思う。
⇒お前は何を言っているんだ。
表紙絵の募集要項は
ってな趣旨だったんだぞ。早い話が、ルンバに目鼻がついた的なマスコットタイプの進化形でも十分だったはずだ。
そのコンセプトに頼まれてもいない美少女要素をつけたさせた欲望が身勝手すぎて気持ち悪いって話なんだよ。
こんなキモイ欲望を身に受けたい、受けられなくて悔しい、代わりに欲望されているあいつが憎いなんて思う奴がいるかよ。どんだけ飢えてんだよ。
⇒お前は何を言っているんだ2。というか、お前は何を突然自分の性癖を開陳してドヤ顔してるんだ。露出狂か。
それともまさかついてなければ(ついていると確認できなければ)セーフだと本気で思っているのか。
ついてるついてない議論に持ち込んだ時点で「学会は機関誌の表紙に載せてしまう程度には総力挙げて性奴隷AIを目指している」ことは肯定してしまうんだがそんなこともわからないのか。
そもそも単純に、ジョークにしても下品だし気持ち悪いとか思わないのか。
同人誌の読み過ぎなんじゃないのか。
⇒反論として最もまずく頓珍漢であり、人間の女性にも人工知能にも失礼。レイシズム二乗してパターナリズムが入ってる上にSFの延長でものを考えちゃってる痛すぎるタイプ。正直これが一番ヤバい。無自覚すぎて。
まず人工知能が学習にあたって人間と同じように本を使うと思ってんのがもうオカシイ。本を読むというのは極めて身体性の高い霊長類ヒト科的行為であって、自炊してファイル読み込んでついでにクラウドあたりに接続して情報をバラまきつつ拾いまくった方が圧倒的に効率がよい人工知能がやることではない。
読書による学習をもって成長や自立性を表現しているという解釈自体が、イラストの人物を「ボディを持った人工知能」ではなく「血と骨と肉で出来ているのではない人工の【人間】」と無意識に見なしている。
ところで、使役されていない自由な人間は普通掃除しながら本を読んだりしない。読みづらいことこの上ない。例外はこの時期の大掃除の最中に押入れから出てきたマンガに捕まった時くらい。
つまりこのイラストの【人間】は自分のやりたい事よりも優先させなければならない事(掃除)があり、その仕事の合間にサボりながら少しずつ自由を行使するしかない存在であることが前提されている。
これは過去に奴隷として扱いを受けてきた全ての人間の境遇そのものに一致する。
彼らの言い分を踏まえてあのイラストを見ると、あれは奴隷的に扱われているアンドロイドではなく、人間の召使の女を描いて「これは人間ではありません」という言い逃れのためにケーブルに繋いだものであるという見方をむしろ強めさせる。完全に差別。
・「あんなこといいなできたらいいな」ではなく、「自分達がやっていることでは今こんなことができる/近い将来こんなのもできそう/遠い未来でこんな流れは避けられないかもしれない」を踏まえた作品を採用するべきだった。
チューリングテストの成績とが調べてると面白そうな話がゴロゴロ転がってるのに、何でよりによって女性型ホウキマシンなんだよ。アホか。もったいない。
「人間のかたちをしたものに掃除させる」って構図になる限り、奴隷制肯定って突っ込みは絶えないよ!
・ヒト型であったとしても性別がわかるようなのじゃなくていい
人型だけど性別なにそれ美味しいのみたいなデザインはいっぱいある。技術と耐久性が許すなら、棒人間とかおでんマンにちょちょいと顔をつけたようなのだって別にアリだ。
根本的に今まで彼女というものが出来たことがない(異性に好意を抱いたことはある)三十路の独身ゲーヲタの発言なので話半分で聞いて欲しい。あとわりと品のない話でもあるので注意されたし。
野郎の性欲ってのは基礎特性として「時間とともに蓄積し、どんどん『出せ』という衝動が強くなる」というものがある。上限はあるけれど、その上限がどの辺なのかは当人ですら分からない。
(で、「『出す』と衝動が嘘のように収まる」。これが所謂賢者モードって奴)
女性なら、「ある一定以上に達するか薬を飲むまでおさまること無くどんどん強くなる生理痛」と表現すればわかりやすい、かも知れない。
この特性のせいか、野郎は基本的に「出す」ためのスイッチを入れる行為を、自分の感情とは無関係に実行できる便利な身体構造になっている。
実際に相手と行為に及ばなくとも、本能のスイッチさえ入ればいい。もちろん相手と行為に及べれば精神的にも満足できるので、それに越したことはないにしても。
このスイッチが入るようなものを指して「ぬける」「シコれる」「オカズにする」と表現しているに過ぎない。
だから男子諸君がアダルトコンテンツなんてものに「お世話になる」訳だ。
で、ここまでを基礎知識として。
「恋愛的な意味で好きな人」と「単純に性的興味を抱く人」は、イコールの場合もあるが、そうでない場合も多い。
これは上に書いたとおり、野郎は感情と性欲を別個管理するのが当たり前だし、そうしないと持たない体だから。
前者に対して…まあ最終的には性的興味を抱くことも多いのだけれど、基本的に性的興味があるから好き、なのではないし、
後者に対して…まあ人間的にも共感することもあるかも知れないけれど、基本的に好きだから性的興味がある、ではない。
傾向としては、一般的な恋愛の進行として、前者が後者にもなることは少なからずある。
ただ、どういう存在かにも拠るけれど、後者が前者にもなることはあまり多くない。グラドルだのAV女優だの二次元絵だのという「基本的に交流がない相手」ならほぼ100%ないと言い切れる。
「すごく好きだけど性的な妄想はしたくない対象」が居るかどうかは人によるけれど、わりと居ることが多い。この傾向は歳が若くスレてないほど強い。
ここまで言えば感じ取れるかも知れないが、「好きな女優や芸能人やアイドルと実用的なグラビアアイドル」も、聞こえの悪い言い方をすれば「使い分けている」訳だ。上と同じ理屈。
長くなったが、男側から説明するとだいたいこういう感じになる。
同性の友人Aがいた。
昔は、ことあるごとにあれしよう!これしよう!と言ってきてくれた。逆に私が遊びの誘いをすると喜んで誘いに乗ってくれた。
異性の気になっている友人αがいた。
買い物に誘ったり、誘われたり、一緒に旅行に2人で行ったりもした。
最近、その二人が仲がいい。
同性のAに対して、持ちかけた遊びの計画を、Aはαにその話を持ちかけ、二人で遊びに行こうとする。
αが私に「Aと遊ぶに行くけど、行かない?」と、誘ってくれたから知ることになった。当然、Aから連絡は無い。
αは気にかけているつもりなのかもしれないけど、余計に辛い。
なにが辛いって、αがAと仲良くしていることも勿論なんだけど、それ以上にAが私よりもαを気にかけること。
それに、私の案を使ってαと仲良くしている。人の案を使ってまでαと仲良くしたいの?
なんでAはαじゃなくて私の方に振り向いてくれないんだろう。αを含めて遊ぶにしても、なんでAの方から誘ってくれないんだろう。
あんなに、しっぽ振って来てくれたAが私を見てくれない。
αに嫉妬。Aが憎い。
同性に対してこんな感情抱くの初めて。
だけど同時にαを気にしてしまっている部分もあるから、嫉妬や憎悪の対象が時によりくるくる入れ変わってしまう。訳が分からない。
私を見てくれないαもAも消えて無くなればいいのに。
http://anond.hatelabo.jp/20131208083125
私は料理は詳しくはないただのアニオタだ。しかし料理好きっていうと何か良いものであるかのように見えるが、ようは料理オタクなんだろうなと思った。
よくある「恋人が(何らかのカテゴリの)オタクだった」問題の一環であろう。だったらいくらでもうまい付き合い方が有る。
まあ本件はただのノロケなのかもしれんが、いい機会なので考えを文章にしてみた。
例えば元増田が、彼氏が作った料理に適当に「おいしいよ」という。彼氏はそれを聞いて眉をひそめて「でもこのスパイスは前回のと違うけど、そこんとこどう思う?」などと言う。
これはチャンスだ。「スパイスの違いが分からない」「どう違うのか」「食べ比べてみたい」と言えばよい。そうすれば増田は、スパイスなるものについてほんの少し詳しくなれるし、「ちょっとした料理にも使えるのかな、使い方教えて」とか言えば、日頃のお弁当の料理のレパートリが増える(このとき、背伸びして「凝った料理の作り方教えて」とは言わないことがコツだ)。
乱暴な言い方をすれば、相手を動く辞書か何かと考える。相手がそのオタクな趣味に費やした時間は、恐らくとんでもないものだし、自分の人生には存在しえないものだ。そうした知恵や知識の恩恵に与れるというのは、とてもあり難いことだし面白い。
そしてオタク側にしてみても、便利に使われるということは、存外嫌なことではない。自分の知識が誰かのためになることは嬉しいことだし、それを分かりやすく『説明する』というのは難しくエキサイティングなことだ。しかも相手が恋人となれば、多少の「ポカ」は見逃してもらえる(例えば職場の同僚に、自分のオタク知識を説明するときになんと神経を使うことか!)。
オタクに質問する側はもちろん、説明が不十分であればいくらでもダメ出しをしてよい。
『便利に使われるということは、存外嫌なことではない』と書いた。けれどこれはある条件があって、それは『オタク趣味に対する敬意を払われている』という条件だ。
例えば元増田の恋人がスパイスの話をしたとして、元増田が面倒くさく感じて「ああ知ってる、あれでしょ、カレーとかに使うやつでしょ。うちの実家にもあった気がするけど、よく覚えてないな~、ちょっとへんなにおいがするやつだよねw」などといい加減に返事をしたとしよう。それはオタク趣味に対する、元増田の彼氏が費やしてきた年月に対する冒涜だ。彼氏が機嫌を損ねたとしても、それは仕方のないことだろう。
したてに出ろということとはまた違う。相手の知識量の方が圧倒的に高等であることを認め、自分が知識量で「勝負をする土俵にすらいない」ということを認めるということだ。オタクは知識勝負するスイッチが入るとめんどくさいが、元増田は彼氏と料理オタク友達なわけではないのだしそのスイッチを押す必要はない。
この例だと、「このスパイス見たことあるな。有名なものなの?」とかいくらでも迂回のしようがある。
「料理に熱中しているそのひと自身」に興味を持てばいいのだから。
オタクは、そのオタク性をこじらせていればいるほど、その人自身のキャラクターを語るにおいてそのオタク性はなくてはならないものとなる。つまりその人自身を理解しようと思ったら、趣味の方面からアプローチをかける方が手っ取り早いってこと。
こじらせたオタク趣味は大抵エピソードが豊富だし、引き出しが豊富だから自分自身の益にもなるので楽しいはずだ。
まあ色々書いたけど、結局重要なのは上記を「楽しんでする」ということじゃないかと思う。
元増田の文章を読むだけでは、高度なノロケなのか、本当に相手に愛想をつかしているのか、元増田の彼氏が相当なコミュ障なのか、それとも逆に元増田自身がアレなのかは分からない。
ただこうした相互理解の歩み寄りこそが恋人関係の面白みだと思う。友人同士でもできることだが、男女関係だとホラ、異性フィルターがかかって大抵の行動がちょっと上方修正されて見えるしセックスして有耶無耶にしたりもできるから、逆に難易度低いところもあるしさ。
出産の話を書いたところその後の話を…というトラックバックをもらったので、その後のことをおおざっぱに書いた。
シモの話も多いので、お食事中の方や苦手な方は注意してください。
初日は母子は別室で過ごした。私の両親や兄弟、遠方にいて立ち会えなかった夫が訪ねて来た。出産という大きな出来事を終えて、神経が興奮したのかあまり休めなかった。
二日目から私の眠るベッドの隣に、赤ちゃんの眠るケースが置かれた。母子同室だ。赤ちゃんの眠るケースというのは、ミルトンのCMなんかで見る透明のキャスターがついた箱のようなものだ。私も赤ちゃんも疲れきっていたのか、二日目の昼過ぎまでグースカ寝ていた。出産の疲れと当日の来客ラッシュで、ベッドの近くに助産師さんが来ていても気づかずに爆睡していた。助産師さんは私の様子を見て、夜からお世話のしかたを教えてくれた。
まずオムツの替え方。
昔むかしは布オムツこそ正義、紙オムツは発育を妨げる!という論調があったらしいが、病院では普通に紙オムツが使用されていた。紙オムツにはテープタイプとパンツタイプがある。病院で使ったのはテープタイプだった。余談だがオムツは市販されていない新生児用のメリーズ。メリーズは通気性がグンバツで人気も高い。近所のドラッグストアでは常に品薄。中国人がまとめ買いをするらしい。
オムツは新しいものを開き、お尻の下に敷く。赤ちゃんの履いているオムツのテープを剥がし、おしり拭きでお尻を拭く。おしり拭きを古いオムツの中に入れて、くるくる丸めて捨てる。下に敷いておいた新しいオムツを履かせる。おわり。
助産師さんには赤ちゃんのおしりをごしごし拭き過ぎないようにと言われた。赤ちゃんは肌が薄いので強く肌をこすられるとすぐ荒れてしまう。もし赤ちゃんのおしりがかぶれてしまったら、温かいお湯でおしりを流してあげ、よく乾かしてからオムツをはかせるといい。ペットの糞尿を始末する時に使う吸水性のシート(水色っぽいやつ)を赤ちゃんの下に敷いて乾かすと、おしっこをされても床やベッドが汚れるリスクが減る。部屋の室温は赤ちゃんが風邪を引かない温度に。
市販の紙オムツには大体どのタイプでも「おしっこお知らせライン」みたいなものがついている。仕組みはよくわからないが、赤ちゃんがおしっこをするとオムツの一部にあるラインの色が変わる。リトマス試験紙がオムツの中に入っているようなものかと思う。赤ちゃんのオムツはこまめに買えてあげた方がいい。ラインの変色はその目安になるので便利だ。赤ちゃんの体調は排泄物の量や色でチェックする。オムツ替えの際は助産師さんが健康な赤ちゃんのうんちはどんなものか、危ないうんちはどんなものか教えてくれる。これは母子手帳にも書いてある。
次に授乳。
助産師さんに授乳する時の赤ちゃんの抱き方や、乳首のくわえさせ方、離し方を教わる。これが一番きつかった。
私が出産したのは総合病院だった。出産中何かトラブルに見舞われた場合、すぐに対応できる大きな病院がいいなと思ったので。その総合病院は母乳育児に力を入れている病院だった。母乳外来という母乳のトラブルに対応した外来もあった。母乳で育てようと考えている人は、出産する病院に産後のことをどこまで相談できるか調べておくといいかもしれない。身近に赤ちゃんがいない人でも、赤ちゃんが飲むものといえば母乳か粉ミルクというイメージが湧くと思う。たぶん離乳食がはじまる生後半年くらいまでは、ほとんどの赤ちゃんは母乳か粉ミルク以外のものは飲まないと思う(例外があるとするなら、赤ちゃん用のイオン飲料か、赤ちゃん用の麦茶くらいかと)。母乳か粉ミルク以外のもの(果汁やはちみつを溶いたお湯など)は体によくないらしい。
病院では母乳だけで育てることを「母乳栄養」、粉ミルクのみで育てることを「人工栄養」、母乳と粉ミルク両方を使って育てることを「混合栄養」と呼んでいた。それぞれにはメリット、デメリットがある。
「母乳栄養」のメリットは、赤ちゃんがぐずったり泣きだしてから授乳するまでにあまり時間がかからないこと、生後半年まで母乳を経由して赤ちゃんに免疫をつけられることかと思う。デメリットは乳房のトラブルが起こりやすいこと、いい母乳を出すために食生活に気をつけなければならないこと…など。
「人工栄養」のメリットは、母が薬を服用していたり出先でも授乳ができることだろうか。それから母乳では不足しがちなビタミンKも、ミルクでは補うことができるらしいと聞いた。デメリットはミルクを作るのに時間がかかること、出先で荷物が多くなることかな。
私は母乳9割の「混合栄養」で育てている。体調が悪い時や夫に面倒を見てもらう時はミルク、それ以外はほとんど母乳だ。
母乳は出産したら出るというものではない。赤ちゃんが乳首を吸うと母親の脳が刺激され、母乳が分泌されるらしい。母乳は「練習」をしないと出ない。赤ちゃんはうまく乳首をくわえて吸う「練習」、お母さんは赤ちゃんを抱っこして乳首をくわえさせて、母乳を吸わせる「練習」。こう書くとごく簡単なようだが、実際は大変だった。
育児書には赤ちゃんは3時間おきに栄養を必要とします的なことが書かれている。助産師さんに赤ちゃんの抱き方から乳首のくわえさせ方などを指導してもらい、3時間置きに授乳する。とはいえ大人が思うように赤ちゃんが母乳を飲んでくれるわけではない。赤ちゃんにも都合がある。乳首をくわえずに泣いたり、くわえながら眠ったりしてしまう。しかもベッドに置くと泣く。私ははじめの一日から五日目までは、赤ちゃん泣く→授乳→置く→泣く→授乳→置く→授乳…のエンドレスパターンで、ほとんど眠れなかった(あとから調べてわかったことだけども、赤ちゃんはお腹の中にいる時、昼間眠って夜は起きているらしい)。
入院中、乳首が擦りきれて出血した。痛かった。大きなかさぶたが出来た。血は毒にはならないから痛みが我慢できないようでなければそのまま授乳してと助産師さんに言われた。私はできれば母乳栄養で育てたかったので、そのまま授乳を続けた。乳首の傷には母乳を塗ったり、馬油を塗って、ラップでパックをすると治りが早いと教えられた。
余談だが赤ちゃんの吸う力というのは意外に強力だ。ある時赤ちゃんの顎を肩にのせるような形で縦抱きしていたら、いつの間にか肩に吸いつかれていた。あとで見てみると、肩に大きな赤あざができていた。あざはしばらく消えなかった。どうせなら星型に切り抜いたマスキングテープでも肩に貼っておけばよかった。うっかり指を吸われた夫が「ギャーッ!痛い!持ってかれる!」と叫ぶことも時々あった。
産まれた直後から何のトラブルもなく母乳を吸う赤ちゃんも、吸わせることができるお母さんも、そう多くは無いと思う。だから母乳で育てようとしているお母さんのまわりの人々は、くれぐれも「おっぱい出てないんじゃない?」「赤ちゃんお腹空いてるんじゃない?かわいそう」とか言ってはいけない。母乳はストレスで止まってしまったりする。どんなゲームだってはじめはレベル1の初心者からはじまる。プレイヤー以外がやいのやいの言ったところで、上達するわけではない。栄養が足りているかどうかは赤ちゃんの体重やおしっこの量で見ればいい。心配ならお母さんを質問責めにするのではなく、その道のプロである助産師や医師に相談したらいいと思う。
また赤ちゃんは産まれた時におおよそ3~4キロくらいあるので、授乳する時に結構腕が痛くなる。育児書には授乳は15分程度とか書いてあるけども、ベストポジションを探す、乳首をくわえさせる、吸わせる、ゲップさせるの流れを2回分(両乳分)やるので、私は毎回30分くらいかかっていた。赤ちゃんによってはちょこっとずつ飲んだりするので、さらに時間がかかったりすると思う。こんな時は授乳クッションが便利だ。授乳の指導をする病院や産院にはきっと置いてあると思う。もし家になかったら、あらかじめ買っておくといいと思う。
それから何度か乳腺炎になりかけたこともあった。乳房にしこりができ、触れるとひどい筋肉痛のような痛みがある。夫がふざけてしこりをつついた時、強い殺意を感じた。それくらい痛かった。乳汁が乳腺で詰まってしまうとできるらしい。熱が出ることもある。悪化すると乳腺をとる手術を受けなければならない。私は生クリームを口にした直後、よくしこりができていた。
母乳には和食のようなあっさりした食事がよいらしく、高脂肪のものはよくないそうだ。たまには甘いものが欲しいとうっかり食べてしまって、後々とても後悔した。それからは洋菓子は避けておやつはわらび餅や煎餅を食べ、豆乳やにぼしを意識的に食べるようにした。とはいえ、生クリームを食べても全然大丈夫な人もいる。乳腺炎のスイッチになる食べ物は人によって違うらしい。
私自身が母乳で育てているので母乳寄りの話になってしまったけど、母乳とミルクに優劣はないと思う。どちらにもそれぞれの大変さ、メリットがある。
沐浴は産前に母親教室でも勉強したけども、病院でも教えてもらった。手順は大体同じだった。
赤ちゃんのお世話を教えてくれる母親教室には、なるべく夫婦や家族で参加した方がいいと思う。赤ちゃんは重い。沐浴はなるべくなら2人以上でやった方がいい。水場では足元が濡れていて転倒する可能性もある。大変だけど1ヶ月の辛抱だ。助産師さんには生後1ヶ月たつと親と一緒の湯船に入れるようになると言われた。
赤ちゃんは大人より新陳代謝がいいので、毎日お風呂に入れなければならない。夏は一日二回、午前と午後に入れる(この場合、午前はシャワーで汗を流すだけでもいいと言われた)。どうしてもいれてあげられない時は、シャワーで汗を流してあげたり、お湯で濡らしたガーゼで全身を優しく拭いてあげる。
私は生後1ヶ月後、赤ちゃんと2人でお風呂に入るのが怖かったし、季節は真夏だったので、赤ちゃん用のバスチェアを買ってシャワーで済ませていた。生後1ヶ月たったら大人用の石鹸を使ってもいいと言われたけども、肌荒れが怖かったのでしばらくは赤ちゃん用の石鹸(ボトルに入っている、ポンプを押すと泡状のやつが出て来るタイプ。ビオレのやつがいい感じだった)を使っていた。しばらくは赤ちゃんの頭から男性の加齢臭のような匂いがしていた。ちゃんと洗っているのに何でだろう?と不思議だったが、思いきって石鹸を大人用の牛乳石鹸に変えたらすぐに加齢臭が消えた。やっぱり大人用の石鹸の方が洗浄力が強いんだな、赤ちゃんって思っているより汗をかいてるんだなと思った。
まとまりなく書いてしまったけど、産後は3ヶ月くらいまでストレスマッハだった。こんなことを書くと「赤ちゃんが可愛くないのか!」「母親失格だ!自覚が足りない!」「産む前にもっと勉強して覚悟しろ!」と言われそうだけど、聞くとやるのとは大違い、百聞は一見に如かず、とにかく毎日が初見殺しだった。
お父さんになる人や同居の家族は、できれば家事を手伝って欲しい。洗いものとか料理とか、1人暮らしの男性ならできそうなことをやってくれるだけで、とてもとてもとて~も有りがたい。夫はもともと料理が好きだったので、時々土日にご飯を作ってくれた。私にとってそれは天恵だった。嬉しかった。今でもすごく感謝している(欲を言えば料理した後の食器も洗って欲しかった…)。反対に「夕飯は作るの大変だろうから、外で食べて来るよ~」という気の遣い方はノーセンキューだった。ご飯炊いちゃったよ…、私ひとりでゆっくりご飯食べられないよ…、一緒に食べられないのは寂しいよ…ボスケテ…という心情だった。
4ヶ月を過ぎて首が座り、赤ちゃんの表情が豊かになってくると、少しずつ精神的にゆとりが出てきた。赤ちゃんは生後3ヶ月くらいまでイロモネアの観客も引くくらい無表情だ。頬笑みかけても変顔を見せても、ほとんど笑わない。相手の気持ちがわらからないのは辛い。言葉も話せない赤ちゃんのことを、わかってあげたくてもわかってあげられないのはすごく辛い。たまにニコッとするけれど、それはいわゆる生理的微笑で、「あっ、ここ笑うところだな」と判断して笑っているわけではない(それだってとても可愛いのだが)。けれどめげてはいけない。赤ちゃんは大人の笑顔を見て、笑うことを学習していく。
赤ちゃんが笑うと、心の底から幸せを感じる。私は産前あまり子どもと接することが得意ではなかったので、ちゃんと赤ちゃんを可愛がれるのか心配でしかたなかった。けれど今は何でこんなに可愛いのかよくわからないと思うくらい可愛い。
夜のお世話で寝不足が辛い。朝起きられない。夫のお弁当が作れない。泣く子の相手をしていると、洗濯掃除がなかなかできない。買いものにいけば暑さや寒さで赤ちゃんが苦しくないか、車や自転車が死角から向かってこないか、急に泣き出したらどうしよと気が気でない。料理中に泣くといちいち火をとめないといけないので、料理に時間がかかる(こんな時、シリコンスチーマーが私をよく助けてくれた)。お風呂に入れる頃にはへろへろ…。私はもともと家事が上手ではなかったので、夫には色々と迷惑をかけてしまった。家事も赤ちゃんのお世話もうまくやりたいと思えば思うほどうまくいかないことが辛くて、時々授乳しながら泣いていた。
時々、夫が「毎日ありがとう」「今日も赤ちゃん可愛いね」と言ってくれることが、とても嬉しかった。ある時「家に帰って赤ちゃんの顔を見ると、とても癒される」と言ってくれた。そういう気持ちを口にすることは気恥かしくてためらわれるかもしれないけど、ほんの少しでいいので勇気を出して伝えてみて欲しい。きっと心を支えてくれる大切なお守りになると思う。
思うまま書いてしまったけど、私の失敗や経験が役に立てば嬉しい。
これから赤ちゃんが産まれるご家族の方、おめでとうございます。赤ちゃんのいる毎日を楽しんでください。携帯のカメラやコンデジで毎日写真を撮ると、後から成長がわかって楽しいですよ。赤ちゃんの写真を残しておこうとすると必然的に一緒に時間を過ごすことの多いお母さんが撮ることになるけど、そうするとお母さんと赤ちゃんが一緒の写真がなかなか残せないので、ご家族の方は意識的に赤ちゃんとお母さん、赤ちゃんとお父さんのツーショットを撮ってあげてください。
何をそんなに腹立ててんのか知らないが育児ノイローゼ中の母親か何かかよ。
自分で地雷を仕掛けておいて、それを踏んで案の定爆発したからって「こんなところに地雷があるせいだ! 地雷は踏まれた奴の痛みを考えろ!!1」なんてキレられたって意味分かんねえよ。最初から地雷なんか仕掛けなきゃ良かっただけの話じゃねえか。
踏んだそれが地雷だなんて思いもよらなくて、みんなが「これは女に産まれたら必ず踏まなきゃならない何らかのスイッチです」だの「踏むと幸せになれる素敵なお花の絨毯です」なんて言うもんだから騙されたってなら同情もするが、それでも恨むべきは騙した人間の方であって地雷の存在じゃない。設置された地雷だっていい迷惑だ。
やっとここまでこれた。
五年前から地道に彼女を調教してきたのだけれど、ようやくここまでこれた。
あの日「うんこ食べろ」と言ったとき、彼女の普段のセックス中には絶対見せない「あきれ顔」をみて、
俺は「よし、こいつに日常的にうんこを食わせる習慣を作ってから結婚しよう」と誓ったのだ。
そう、この話は、俺がようやく(彼女はもう三十路だ)、大学生の頃から付き合ってきた彼女にプロポーズできるという話なのだ。
俺が、なぜ彼女にうんこを食わせるようになったのか、それは大学の頃にインターネットで見つけた調教サークルがキッカケだった。
その調教サークルは大阪で活動していて、インターネットに写真をアップロードしたりしている、ちなみに今でも活動中。
実は最初は調教してもらうつもりで、サークルのチャットに参加したのだが、そこの面々が思いの外軟弱、というか女に対して姿勢が低かった。
(もちろん、今思うと、サド/マゾの関係とチャットのそれは別物であり、彼らは大人としてちゃんとしていた、という話で、俺が子供だった)
昔からイジメる側に回る事が多かった俺は、大学でもその鼻を叩きおられておらず、
「こんなエグいことやってるオッサンもこんなもんか」と完全に舐めきっていた。
そして当然、そんなオッサンの意味わからない命令を聞く女たちのことは、俺の思い通りになって当然だ。
そう感じていた。
俺はその調教サークルのチャットで、ガキながらもぐいぐい参加して、周りを引っ張っていた。(というか、振り回した)
そこではメール調教なんかもやってたんだが、リアリティに欠けるというか、文字を読んでもしょうがねえ、と思っていた。
だから、早くオフ会に参加したかった、けどそんな今思うと空気の読めてないガキを大人の集まりに誘ってくれるわけもなく、
チャットで女やオッサンたちに上から目線で指摘してばかりいた。
「そんなの生温い、俺なら小学校辺りで脱がせる」だの「24時間箱に詰めるだけが何が面白いんだ」だの「時計を飲み込ませる? 意味わからん、どうせ飲ませるなら薬とかにしようぜ」だのだ。
今思うと恥ずかしい。
そうこうしているうちに、気づくと俺は社会人になっていた。
高校の頃から女と半年以上続く事のなかった俺だが、今の彼女とは合コンで知り合って、なんとなくセックスをして
なんとなく付き合うことになり、なんとなく切れることなく続いていた。
それは、ちょうど就活で忙しく、文系特有の過去の引き出しの文章を右左するだけの卒業論文があったりと、まあそれなりに俺らしく他毎に集中していたからかもしれない。
調教サークルの面々とのチャットはすっかり日常的になっており、
その頃には俺の上から目線もなくなってきて、さらに言うとチャットがCGIのそれから、外部に漏れることのないIRCチャットに移行したことで、
逆にそういう「調教」というものに興味を抱かなくなっていった。
そんなある日、調教サークルの面々に、ヤフーブログでやっているある日記を紹介してもらった。
調教ブログ等とは違い、ご主人様は登場せず、その女子高生一人だけの淡々とした日記。
その中でその女子高生は、必死になったうんこを食べようとするのだ。
そんなブログだった。
今思い直しても、本当にそんなブログがあったのだろうか? とわけがわからなくなるのだが、本当にあった。
(釣りかどうかは、よくわからないし、どうでもいい。中身はおっさんだろ? とか当時は言われていたと思う)
ほんの数週間の間更新して、あっというまにヤフーに消されていた。(当たり前だと思う)
だったが、俺はその「自発的」に「うんこ」を「食べる」という行為に、完全に心を奪われていた。
けれど、その女子高生のように「自発的」に「うんこ」を「食べる」というのは、もう完全に俺の思考の外にいた。
なんで命令もされてないし、無理矢理つっこまされたわけでもないのに、うんこを食べるんだ?
バイブだの、露出だの、縄だのじゃない、本物の意味での調教だ。
彼女の価値観を変える、彼女がうんこを食べたいと心の底から思うように改造する。
その一心で、まずは調教サークルのメンバーや、他の調教ブログを読みふけり、色々と研究をした。
結果わかったのは、生まれながらに頭のネジが外れたキチガイみたいな奴が少なからずいて、ブログを更新していた女子高生もおそらくそれだと言う事だ。
つまり俺は、彼女の頭を支えているネジを外してやらないといけなかった。
最初のその結婚を決意させた呆れ顔の日は、無理矢理口を開かせ、口の中に押し込み飲み込ませた。
「ライターであぶられたくなかったら食え」や「針を通されたくなかったら食え」といった、痛みよりはうんこを食べる方がましだと、彼女の頭に思い込ませたかった。
だが、半年たって気づいた。
こうじゃないだろ? と。
この先に待っているのは、ただ暴力におびえて俺の言う事を何でも聞く女だ。
そんなものはこれっぽっちもいらない。
それもあの呆れ顔のままで。
これは彼女にとって幸せなこと(些細なことでいい)があったときは、うんこを食べさせるという方法だった。
本当に些細なことでよかった、彼女は花とゆめという漫画雑誌を買っていたので、毎月5日と20日に雑誌を買って帰ってきたら、うんこを食べさせた。
(この頃はまだ無理矢理だ)
他にも、外食で彼女の好物である鶏皮を食べたときや、彼女の好きなお笑い芸人が爆笑オンエアーバトルを勝ち抜いてオンエアーされた日、
そんな彼女の中の些細な幸せを徹底して、うんこを食べることと結びつけてやった。
やたらとテンションが高い日が続いたと思えば、うっとうしく泣いてばかりいる日が続いたりしていた。
だが、少しでもそうに傾いたら、うんこを食わせた。
そうしていたら、うんこを出さなければ、食べなくてすむと勘違いしたらしく、
身体が便秘症になっていった。
浣腸してやってもよかったのだが、その態度がムカついたので、俺のうんこを食べさせてやったり、
一晩中公衆便所を一緒に回り、うんこの落とし物を見つけて食べさせてやった。
普段の生活の中で、俺に対して厳しくなったのだ。
そう、俺のスイッチが入るタイミングが分かってきたのだろう、そして
「うんこを食べる」ときと「うんこ食べない」ときで、スイッチを意識的に切り替えるようになったのだろう。
俺はそんな彼女の浅ましい態度にムカついた。
とにかく、俺は彼女が「自発的」に「うんこ」を「食べる」人間にしたかったのだ、
うんこ食べるモードに切り替えるのではなく、自発的に自分の力で食べて欲しかった。
幸せうんこサンドイッチ作戦のとき以外、彼女には一切話しかけなかった。
結果としては、これが正解だった。
ある日彼女の方から「今日はお昼の日替わりランチが天津飯だったので、うんこを食べます」と宣言したのだ。
それが、一年前の夏だった。
それ以来、彼女は最低でも月に一回は、自分からそう宣言するようになった。
俺は彼女の中に、うんこを食べることが根付いたことが嬉しかった。
ようやく、結婚できる。
長かった、苦しかった。
でも、すべてが報われたような、晴れ晴れとした気持ちだ。