2014-02-12

形而上学絵画麻枝准の『恋心』



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E7%B5%B5%E7%94%BB

 形而上学絵画というものがある。

 詳しくはwikipediaでも参照にしてもらいたいのだが、要するに、ごく普通風景を描いているように見えて、実際にはその風景現実には存在することの有り得ない、といったそういう絵のことである

 例えば、人々の足元に落ちる影の向きがそれぞれバラバラだったり、あるいは、走っている機関車煙突から延びる煙が、風に靡くことなく真っ直ぐ立ち上っていたり。

 そういう絵画のことである


 因みに「形而上絵画」において有名な作家と言えば、イタリア人のジョルジュ・デ・キリコがいる。

 ググって形而上絵画を探してみようとしたところ、中々見つからなかったので、彼の有名な一枚である『通りの神秘と憂愁』を例として貼っておくことにする。

http://blog-imgs-45-origin.fc2.com/c/a/r/carcosa/chirico.gif



 ところで、僕は大手ギャルゲーメーカーの『key』のドンである麻枝准の曲が好きである


 特にその中でも、彼がごく初期に書いた『恋心』という曲が好きである

 十年近く前に、ipodで繰り返しこの曲を聞いていたことを思い出す。

 時には、学校へ向かう途中に口ずさんだりもした。

 そして、この曲を聴いている時に、いつも僕が思い浮かべるのは、一本の木が植わった起伏のある平原である

 日差しは、まるで雨の日の朝に部屋へと差し込む時のように、薄い青色をしている。

 平原には一本の木を除いては、構造物と言えるようなものは全くなく、一切が見渡せるようになっているのだが、その地平線のいずれの場所を眺めても、例えば太陽とかそういったような光源は見当たらない。それでも、空と平原は一様に、薄ぼんやりとした青色に照らされている。


 先日、久々にこの『恋心』を聴いてみていた。

 iphoneを購入したのを機に、ipodに代わるデジタルプレイヤーとして、試しに昔好きだった曲を掛けてみていたのだ。

 すると、かつて僕が聞いていたのと同じように、例の、あの青褪めた、薄ぼんやりとした風景が浮かんでくることになる。

 僕は、その風景に懐かしさを感じながらに、十年前聞いていた当時よりも、ずっと克明に風景を思い出しつつあった。

 Liaの透明で素朴な歌声が、次のような歌詞を歌っていた。


 どんな君を好きでいたか、もう思い出せない。

 楡の木陰に隠れて、僕を呼んでいた


 僕はその歌詞に耳を澄ませながらに、ふと、何か不自然なことに思い当たったような気がしていた。

 自分が思い浮かべている風景に関して、何か、おかしな点があるように思えたのだ。

 そして、その不自然な点、というのに、僕はすぐに思い至ることができた。

 つまり360度全てを見渡せる平原において、光源の一つも見当たらないのに、空や地面が一様に同じ程度に明るい、なんていう光景は、実際のところ有り得ないということである

 僕は、その瞬間、自分意識が真っ暗になっていくのを感じた。

 キッチンに立って、サラダを作るためのお湯を沸かしながらに、暫く、僕は意識の空白に立ち竦んでいた。


 その暗闇から回復したのは、そう時間を経てもいない時のことだったと思う。

 僕の耳元には、イヤホン越しに、変わらずその透明な歌声が響き続けていた。

 彼女は歌い続けていた。

 僕は耳を澄ませていた。


 僕はその歌詞ぼんやりと耳を澄ませながらに、一つのことに思い至っていた。

 そう、僕が十年前に思い浮かべていた景色は、きっと、本当には存在し得ない景色なのだな、ということにだ。


 そして、暫くの後に、僕はひとまず気を取り直して、もう完全に煮立っていた鍋の、電磁調理器のスイッチオフにしていた。









 どこまでも続いてゆく、悲しい景色、君と、笑っていた

 いつまでも傍にいるよ、夢の中で、君と笑っていた

                                 麻枝准 - 『恋心』

http://www.youtube.com/watch?v=De_svyVs8jI

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