「難関大学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 難関大学とは

2018-02-02

高校の頃、隣の家の家族のところに女子大生が移り住んできた。正しくは大学院生なんだけど。その夫婦の姪にあたる人で、院生になったのをきっかけに、より学校に近いそこへやってきたとのことだった。当時うちの母とお隣の奥さんは一緒に今でいうホームパーティみたいなものをやるくらいすごく仲がよくて、当然のように俺にも紹介されて挨拶した。高3の春だった。

しばらくして、受験生なのに全く勉強しない俺を不安に思った母親が「塾へ行こう」とパンフレットもって切り出してきた。家では全く勉強しないでゲーム三昧だったけど、学校ではそれなりに真面目に授業を受けていたので成績はまあまあ良くて、だから大学学力に見合った難しすぎないところに行こうと思っていて、塾なんてまったくやる気がしない。ずっと拒否っていたら、またしばらくして母が隣の家の女子大生を連れてきた。「バイト探してるっていうから、この子家庭教師してもらうことにした」ふざけんなと思ったが、もう家に上がっている彼女を追い返すわけにもいかいかと思いしぶしぶ勉強を見てもらうことにした。自分の部屋は汚すぎて入れられなくて、その日はリビング数学課題を見てもらった覚えがある。結局そのまま家庭教師として勉強を見てもらうことになった。

その人はすごく頭がいい上、人をその気にさせるのがすごくうまい人で、調子に乗った俺は家でもきちんと受験勉強をするようになった。成績も少しずつ上がり始めて、当時の志望校では少し目標が低いんじゃない?と担任にも言われるようになった。話も面白くて、週2回の彼女の来訪を心待ちにするようになり、模試でいい評価を取ると即メールした。

そんなこんなで、彼女を好きだと思うようになるのに時間はかからなかった。よくある話だ、高校生が少し年上の大学生に恋をする。(院生だけど)あまり読んだことないけど少女漫画の設定そのまんまみたいな状況すぎて、いやちょっと勘違いしちゃってるだけだろ、と必死にその気持ちに抗ってみたりしたけれど、もう会ってしまうとそういうの全部どうでもよくなって、少しでも成績上げて喜ばせたいと思ってしまうから秋ぐらいにはもう諦めた。

そしてその人が通っていた難関大学志望校を変えた。両親も担任も、そして彼女も喜んで応援してくれた。一層勉強に身が入り、必死勉強した。


次の春、晴れて俺は彼女の後輩になることができた。学部は違ったが、ものすごく嬉しかったし、ようやく同じ土俵に立てた気がした。当然そんなわけはないんだけど。向こうはその大学内でも屈指の偏差値を誇る理系学部院生で(院生から学部おかしいか)俺は文系比較偏差値が低い方だ。

それでも毎日なんとなく嬉しくて、タイミングがあった時は一緒に登下校したり、学食で一緒に飯食ったりした。夏休みに入る少し手前、初めて二人で出かけた。向こうはどう思っていたかしらないけれど、デートのつもりで誘ったか約束をしてからその日までずっとそわそわし通しだった。親にバレるのが嫌でわざわざ駅で待ち合わせて、彼女が行きたいと言っていた水族館に行って食事をして、お互い家に帰ってからメール告白した。「ちょっと表出て」って喧嘩吹っ掛けられるみたいな返信が返ってきて、それからマンションエントランスで話して、付き合うことになった。


それから彼女卒業するまでは本当に楽しかったし、俺も彼女に見合う大人の男になろうと必死だった。プレゼント背伸びして、百貨店に売ってるようないいアクセサリーを用意したり、デートでもなるべくお金出させたくなくて、少ないバイト代を精一杯はたいて奢ったりした。結局最終的に割り勘くらいになるように向こうに調整されていたけど。喧嘩しても大人ぶって先に折れて謝った。嫌われたくなかったというのもある。

冬が過ぎ、また春がきて、彼女就職して隣の家を出ていった。移り住んだアパートはうちから1時間近くかかるところだった。

学生の頃に比べると、格段に会える日が少なくなってしまい、些細なことでの喧嘩が増えていった。それでも最初の1年くらいは、彼女の家に泊まりに行って手料理を振舞ったり振舞われたり、ちょっと遠くへ旅行へ行ったり、何とかその壁を乗り越えようとがんばった。どうしてもその人を手放したくなかったから。大人な振りをして、ずっと背伸びし続けていた。

それがダメになったのは付き合って1年と少し経った頃、俺が大学2年の冬だった。

箱根に泊まり旅行にいって、旅館で夕食を食べているときだった。もうほとんど覚えていないような些細なことで、ふっと怒りがこみあげて、その勢いのまま机を殴りつけて怒鳴ってしまった。言った瞬間にすぐ我に返った。しまったと思った時には彼女は萎縮しきった顔で「ずっとそうやって我慢させてた?」と問いかけてきた。何も返せなくて、その日はもう会話もなくなって、朝起きたら彼女はいなくなっていて、携帯には「別れよう」というメールがきていた。

本当に大好きで大切な人だったのに、ずっとずっと彼女に見合う「大人な男」になりたくてなりきれなかった。悔しいのと情けないのと喪失感とごちゃごちゃになりながら一人で帰って、それからしばらく大学にもいかず家に引きこもってずっとオンゲをしていた。無心でレベル上げしていてもすぐに彼女のことがちらついた。もうしんどくてたまらなかった。

それでも時間は過ぎて行って、大学の成績通知を見ていい加減家を出なければと思った。単位結構取り落としていた。それからまた大学バイトゲームの繰り返しを毎日毎日やって、気づけば就活生と言われる年になった。

就職フェアみたいなやつに同期と出向き、彼女就職した会社ブースを見つけた。彼女がいないことを確認して(そもそも研究職だからいるわけないんだけど)説明を聞いてそのままエントリーした。運よく選考が進み、そして内定を勝ち得た。

そこで流石に一度我に返った。こんなストーカーじみたことして、どう考えてもおかしいしやばいそもそも入社してもし社内ですれ違ったりしたらなんて声を掛けたらいいんだ。もう一度会いたいとは思うけれど、向こうはもう俺のこと忘れてほかに相手いるかもしれないし、年齢的に結婚している可能性もなくもない。内定はあともう1社あった。期限は迫ってくる。悩みに悩んで俺は彼女に連絡を取ることにした。我ながらどうしてそうなったと今にして思うのだが、その時は考えすぎて頭が完全に煮詰まっていた。

電話番号は幸い変わっていなかった。電話で全部話した。まだ忘れられないこと、まだ好きなこと、それから同じ会社を受けて内定が出たこと、今行こうかどうしようか悩んでいること。付き合っていた頃の俺とは全然違って、本当に情けなかった。いや、付き合っていた頃だって決してちゃんと決まっていなかったかもしれないけど、それでも精一杯ずっと物分かりが良くて包容力があって大人な俺を演じ続けていたから、それはもうキャラ違うレベルだったと思う。彼女は静かに全部聞いた後、「うちはまあまあ大手だし、労働環境も悪くないから来るなとは言わないけれど、もう一社とよく比較して考えて」と言ったあと、「私のことは気にしないで」と言った。

突き放された気がした。それが余計悔しくて、勢いで「わかった。じゃあそっちの会社に行く」と即答した。するといつかみたいに「ちょっと表出て」と言われた。もしかしているのかと思って慌てて家の外に出たが、だれもいない。「どういうこと?」と聞いたら「そのまま駅まで行って、〇〇駅まで来て。私も今家出た」と言って電話を切られた。マジかよ。時間はすでに22時過ぎだった。〇〇駅は彼女の最寄り駅じゃなくて、うちと彼女の家の中間あたりで、付き合っていた頃よく一緒に飯に行ったところだった。こんなに長い30分があっただろうか。走って駅までいって、電車に乗っている間も落ち着かなくて、ずっと立ったままだった。電車から飛び降りて改札を出て、きょろきょろしながら電話しようとしたら、同じく携帯を片手に小走りで改札を抜けようとする彼女と目があった。


そんな彼女明日結婚します。

2017-12-01

圧迫面接の指摘

圧迫面接を受けた(と思った)とき面接者に対してそれを指摘するのはよくある話なのだろうか?

なんとなく、家族や友人などの第三者には話しても、当事者に対しては面と向かって言わないと思っていた。

なぜこんなことを思ったかというと、バイト面接を受けにきた方が、後日電話で伝えてきた。

私ともう一人の社員とで面接を行い、その彼が圧迫的な質問をしたのだという。

しかし、客観的に見て、面接時の質問として一般的ものであって、決して圧迫と呼ばれるような内容ではなかった。

(なんでウチを受けたの?レベルだと思ってほしい)

それだけでも驚いたのに、更に、ぜひ採用してほしいという。

え、いいの?仮に採用されたら彼の指示で働くんだけど?めちゃくちゃ気まずくない?

と頭の中ではてなマークが飛び交った。

難関大学大学生で、受け答えも普通だったので、この件がなければ採用していた。人手も足りないし。

でも、こんな目に見える地雷は踏みたくないよ。

2017-09-12

https://anond.hatelabo.jp/20170912074602

後者事情は知らんが、前者に関しては

広報はかなり心理学的要素がからから桃山レベルに達してるのなら意味が無くはないとは思うけど。

流石にF欄とかだとキツイかもしれんが、中堅ならかなり意義は有ると思う。


そもそも偏差値55程度ならわりと学術方面もいないこともないと思う。東大院へロンダとかも現実的階層だし。

あと、アカデミックを目指すにあたって習得した内容を、色んな形で活かす職業もあるにはあるんだからそういう方面もっと強調するべきとかそういうのは思う。

アカデミックポストを目指してる人なんて最難関大学でもそう大量にいるわけでも有るじゃなし、

単純にアカデミックポスト「だけ」がアカデミックの結果としてしま思想自体をどうにかしたほうが高等教育の意義ってのは深まると思うんだがなあ。

なんだかんだ教養というか、純実学からはなれた幅広い対応能力必要職業はわりとあるわけで。

中堅大から教員みたいなのもけっこうあるルートだけど、あれだって教科の内容をアカデミックにやった上での話だし。

2017-05-29

大学の授業が薄っぺらすぎる

東大とかみたいにレベル高いところに通っているわけではないし、言ってしまうとMERCH以下の偏差値しか無い大学に居るので「お前が馬鹿からそう思うだけ」と言われたら説得力のある返しができないのだけれど、それでも大学の授業が薄っぺらいと主張したい。

今年で大学生活も3年目に入り、順当に行けば後期には単位の取得が完了するペースなのだが、得たものが一切ないといえるほど大学での授業内容が頭に残っていないのだ。

単位取得はしているけれど成績という観点から見ればC評価が多く、ギリギリ赤点を避けている現状なので授業内容が頭に入ってないんだろうとも考えられる。

けれども単位取得の肝を担っている学期末テストの内容が『授業中に再生した動画言及した企業マーケティング戦略は何だったか?』というのはひどすぎるのではないだろうか。

自慢ではないがマーケティングについては当大学内で比較した場合に限るけれど、ある程度の知識を私は持っていると自負しているが、流石に特定企業が行っていたマーケティング戦略なんて動画を見ていなかった私に解けるわけがない。

せめて、商品販売個数を計測する戦略とか書いてくれれば何となく当たりをつけることは出来るが一切とっかかりになる情報がないので授業出席者しか解けないのだ。

授業に出席しないものは、いかなる知識保有していようとも単位は上げませんと言っているようなものである

そもそもの話私が大学に行かないのは、授業時間90分のうち、教授雑談が半分以上を超えていてどのタイミングで本旨に触れるかわからいかである

教授ゼミ生と一緒に福岡に行った時に食べた食事がとても美味しかった話など、至極どうでもいいのでとっとと必要な話をして終わらせてほしいというのはおそらく講堂にいる生徒全員が等しく思っていることだろう。

適当面白みのない授業を展開する教授ばかりではないのはだが、どちらが多いかと言われれば上記のようなゴミ教授ばかりである

こうやって教授批判するかの言葉を連ねると「彼らは有名大学を出ていて高知能、その話を楽しめないキミは低知能」とマウントを取られる。

しか東大を出ているとか、有名大学の院を出ているとか私からすればどうでもよいことなのだ。授業がつまらないという事実は私の中で変わることはないのだから

やっていることは市販されている本(自著であることが多い)を朗読しているだけで、自宅で必要な部分は覚えられる。そんな「教授いる?」と感じるような講義内容でどこに「教授は頭いいなぁ」と感じる要素があるのか。私が異端なだけで世の中の人資格肩書だけで知能を判断する、判断基準が外部にしかない人ばかりなのだろうか。

つまるところ大学というのは教育ビジネスであり、肩書を得られるのを対価に金を払って、脳死しながら授業を消化し続ける場所なのだ

私が声を大にして言いたいのは「大多数の人間にとって大学は一切必要ない」ということ。

企業大卒要求していて、大卒給料が高いかしょうがないので大学に行って卒業しようと考えているだけで、そこで何を学べるかはどうでもいいのだ。

しかし私はそこまで割り切ることができず、大学を学ぶ場所と考えてしまったいたからこうして不満が爆発しているのだと思う。

私は運がいいことに文系大学に進学しているが、小さい頃にパソコン祖父から貰い、そして2つ上のいとこがネット関係に非常に強かったため影響を受けIT関係に強くなった。

そして大学ではこれまた運がいいことにビジネス精通した人間たちと仲が良くなり、今後の希望を得た。

情報量を多くする気はないのでこれを読んだ奇特な人は「騙された人間」と私を罵るかもしれないが、それはどうでもいいことだろう。

私の周りは大学に通うことを強く勧めたが、結局それは私に合わず、彼らに合わなければ日々鬱屈とした思いを抱えながら、ただ授業を消化する人生を歩んでいた。

アドバイスに従った結果、得られたのは大学と私が合っていなかったという知見だけである

このことからアドバイスと称して意見をぶつける人間は、個人を見ていない」というのが判明する。

彼ら助言をする人間最大公約数的な、大体の人間にとってベストではないがベター程度にはなるはずという意見をぶつけることで自身人生正当化をしつつ、悦に入ってるだけなのだ

確かに最終的に選択をしたのは私であるが、どれだけの人間が周りの人全てが自分と反対の意見を述べている中、自分の考えを押し通すことが出来るのか。

私は大学生になり人に恵まれたおかげで、本当の考えを通せたのであって、高校生の頃であれば貫くことはできないだろう。

結局、大学の授業が薄っぺらいというのはこの「多様性を認めず一般論を勧める人間」が大学への進学を勧めているかなのだ

から教育という存在はまるで利権を貪る団体のように怠惰でありながら肥大してしまった。

大学というのはそもそも専門性の高い話を学び、その専門的技術社会のために使うのを目的とした教育機関だ。

特に能のない私のような人間大学に行ったところで卒業したという事実を抱えて企業に入り、一切学んだことを使わないで終わるのが関の山である

学歴社会は確かにフィルターとして有効な部分もあるが、その企業学歴フィルターをかけているのが世間にバレればまるで現在検索エンジンがハックされるようにそこに向けて最適化されてしまう。

まり大学進学するものは優秀で専門性の高い人間から採用するというのが前提にあって学歴フィルター機能していたのに、そこがハックされてしまったがためにバツグンな効果を発揮するとはならなくなった。

ハックされていない採用基準意図した人材を取得できるため優秀であるが、認知されてしまえばそこに注力できる人間採用する弱い基準となってしまう。意図しない人材を確保することになる。

起業家の話を聞いてみると「東大生のほうが統計的に話がわかる」と語る。

まり学歴フィルター大卒区別するのでなく、東大生などの超難関校とそれ以外で区別するようにしたほうが建設的だ。(給料も含め)

そうすれば無駄大学に通う人間も減るし、ビジネス大学も少なくなる。大卒枠を争って貧困に悩む人間も減る。

私が問題提起したいのは以下の2点。

・何も考えずに一般論で「大学はいったほうが良いよ」と個人を見ずに語るやつは口を閉じよう

企業大卒学歴フィルタリングしても効果が薄いので、給料から難関大学基準はMERCHかそれ以上?ここはわからない)とそれ以外で分けるべき。もしくは意図した人材採用できてかつハックされていない新しい採用基準を見つける。

こうして大学が少数精鋭になれば教育者も生き残りをかけて力を尽くし、怠惰で肥えた教授も減ることだろう。

私はとにかく薄っぺらくて意味のない授業が大学から消滅してほしいので、教育機関こそ激戦のビジネス社会のように苦しみながら競争して欲しいと思っている。

確かに科学の力というのは重要だとは思うが、現在私の身の回り生活に欠かせないと思うものを作っているのは企業であり大学で教鞭をとる人ではない。私が知らないだけで企業にその教授も協力しているのかもしれないが、それなら大学ではなく企業研究させてもらえばいい。

まり「安定してるー」とアホ面下げて年に数回、偉そうにゴミみたいな本を書きながら教壇に立つ輩は荒波にも稀ながら淀んだ精神を磨き上げるべきだということ。

そもそも大学はいま腐るほどあるわけだけれど、その全てが科学において必要ではないだろう。それならばなおのこと競争化させて精鋭化させなければいけない、なぜ「研究」という話になった途端嫌儲精神が発作的にでてくるのか。

何度も書いている気がするけれど、その大学競争化をする上で最も邪魔なのは一般論を振りかざして大学に行かせようとする無能な働き者と大卒フィルタリングする企業だ。

個人を見ないで、自分人生訓を元にとりあえず精神アドバイスするやつは総じて糞だし、対してその人を案じているわけではない。

こうした一般論で武装した人間に対して、正論に感じようが自分感性と考えを元に対抗できるように成長することが、幸福につながるだろうしひいてはこの薄っぺら大学の授業の減少につながる。


以上が大学の授業が薄っぺらいと感じたことから私が考えたことでした。

2017-05-27

日本史つらい

難関大学目指してる高3女子文系タイトル通りなんだけど、端的に言うともう日本史したくなさすぎて泣きたい。学校指導方針?なのかは分からないけど、三年間で世界史AまたはBを選択することになってて。文系地理選択はなし。社会の科目選択って入学したときにするから、将来やりたいことも特になかったのでなにも考えず一年世界史Aを選択した。これがすべての始まり悪夢

もちろんA科目とB科目の差は分かってるつもりで、だけど自分世界史好きだし向いてるなーと一年とき思ってしまって。2年から今も日本史Bやってるけどクッッッッソつまんなくて泣きたい。文理混合クラスから少ない文系の中でも日本史選択は2人しかいない。そして恐ろしいことに気づいた。大学に行って外国のこともいろいろ知りたい!と思ったとしても(もともと外国語学部志望ではなかった)、まわりは多分みんな高校世界史やってるからわたし大学で一から世界史を学ぶとか不可能

ああああああああああああ

このへんの方面に詳しい方とか経験したことある方とかいませんかつらいです。

日本史大っ嫌い。やめたい。でもセンター8割とりたいよーーーーーーー日本史つらい

2017-03-24

見栄のために時間お金無駄にしている自分が嫌だ。

私はぼっち大学生である

この間、仲の良かった中学友達から最近の彼の生活について聞いた。

一浪の後、難関大学合格友達彼女に恵まれて楽しく過ごしているようだった。

それに対して私は友達に恵まれず(自分に原因があるのはわかっている)、ほとんど興味のないサークルに、たまに惰性で参加しているだけである

午前中は講義に出て、お昼の間は「よっ友」にぼっちだとバレないように、大食堂に行かずに図書館で寝て、その後午後の講義に出て、終わったらすぐ家に帰る生活をずっと送っている。サークル一年ほとんど活動していないので、行ったところでいつも人がいない。

何か熱中できる趣味とかあればいいのだが、残念ながらそれといった趣味もない。家に帰っても食って寝るだけだ。

何か趣味を見つけようと色々とやってみているが、ふと、ある段階で、どれも楽しもうと思って取り組んでいるのではなく、見栄のためにやっていることに気づく。

「こういう趣味ある俺カッコイイんじゃね?」

「こういう趣味があるって言えば良い印象持たれそう」

「これなら他の人と話す時に話が盛り上がりそう」

見栄のせいで、時間お金無駄にしている(現在進行形

2017-03-10

Twitterにいる高学歴大学生と絡むうちに、自分も当然のように難関大学合格出来ると勘違いしてる高校生

現実はどうでしたか

合格した人は素直におめでとう!

2017-03-07

もうすぐ国立前期の合格発表ですねー

Twitterにいる高学歴大学生と絡むうちに、自分も当然のように難関大学合格出来ると勘違いしてる高校生

3/10東大合格発表ですね

さあ、あなたはどうなっているでしょう?

Twitterでいつもおっぱいとかたっのしー!とかバカな事ばかりいってるあの人でも東京一工早慶ですよ?

2017-02-27

さて国立大学入試の前期日程が終ったころですが

Twitterにいる高学歴大学生と絡むうちに、自分も当然のように難関大学合格出来ると勘違いしてる高校生

どうでしたか

難関大学って難しいでしょう?

ほんと、勘違いしちゃだめですよ?

俺は難関大学出身ですけどね

2017-02-11

教師との恋愛という罪の告白

 先生出会ったのは、わたし中学生の時です。彼は大学院卒業後、国語非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。

 当時のわたしは、授業中は寝ているか教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。

 気持ちが変わったのは、制服シャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強楽しいと思うことができたのです。

 いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプわたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。

 先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたし地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。

 いや、違うかもしれません。分からない問題先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたし先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。

 たったの半年程度で、わたし順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。

「1位を取ったらデートしてください」

 先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席優等生の顔が浮かんでいたのだと思います先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。

 300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたし学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。

 わたしは、先生とのデート権利をかけて彼女一方的勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。

 誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたし先生からメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。

 わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキー職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。

 映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想い今日最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。

 しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生気持ちを手に取るようで、その真剣眼差しに促されるように、わたしは「はいはい」と頷いていました。

 先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄しか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さなから過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。

 先生わたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入り教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。

 高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。

 そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。

共犯者だよ、君も捕まる」

 そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。

 わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから

 物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日先生学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたし学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。

 先生は、主任校長にだけわたしたちの関係告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたし校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。

 先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女関係を辞めました。

 先生わたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断たからです。

 春休みわたし毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。

 高校3年生の時、知り合いか先生都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生いるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかたからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。

 なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。

 先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。

 わたしの家には毎年、主任校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですからわたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。

 はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたし片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。

 冬になり、主任校長一人暮らしになったわたし年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。

 2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきますわたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールはいわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧しか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。

 

 はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きていますわたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。

 しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。

 せんせぇ、さようなら

 はいさようなら

 いつか終わりを迎える日に、罪を抱えた半身の行方を知らずに眠ることが、わたしはできそうにないのです。

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170207223033

面接とかで取る入試制度を取ってる大学もあるよ。全部が完全にペーパーテスト大学はかなり少ない。勿論難関大学でも私立はそうだ。

まあ、ほぼ合否に関係ない名目上の書類提出とかは勿論そういう入試形式でも有りうるけど。

しろ今の入試制度は、ペーパーテストだんだん軽視されつつある。

一般入試こそペーパーテストだけど、他の形式の占める割合が大きくなってきている。

僕も昨日今出川大学を受けてきたけど、私立入試は何回設けれるから「一発勝負」じゃないし。

地元で受けれるから負担も昔より減ってるし。まあ僕もちょっとあとにはW大受けるため新幹線を使わないといけないわけだけど……。

ただ、学問を学ぶ意義もないのに最難関大学就職のために行くってのが問題だってのはとても良く解る。

例えば論文高校生のうちに、仮に稚拙ものであっても「意欲」が図れるようなもを書く風習があったほうが良い気はしたし僕もそれを活用して大学を目指しただろう。

あとまあ国公立だとチャンスが限られてくるってのもアレかもしれん。


しかし、面接などで「意欲」を図るのは、ペーパーテストなどよりもよっぽど真の力が図りにくい。

時間に渡る試験でも図れないようなパワーを、数十分の面接でどうこうできるとは思えない。所謂コミュニケーション」出来るだけで、学ぶことの適性なき人間が有利になりかねない。

就職予備校は十分かもしれんが、学問を学ぶ場所としてのにそれはまずい。現状はペーパーテストが一番「マシ」なのだと思う。それを、推薦、AO特殊科目入試などで補っているのが現状だと思う。

なお、科挙廃止されたのは、アヘン戦争敗北から洋務運動・戊戌の政変などで「西洋近代化」が推し進められる中で、

科挙の出題科目は「儒学」であったことが、守旧的とみなされてなくなっただけのようにも思える。「古典を暗記して、解釈をする」だけが入試範囲だった。

今の入試は違う。どの科目も、なんだかんだ行って大学学問をやるには役に立つ。あと、科挙あくまでも「官僚採用試験」であり、官僚の適性を見るのが役目だった。それに古典しかないというのも問題だった。大学入試とは訳が違う。

まとめると、ペーパーテストはそれなりに合理的。回数を増やすことで、一発勝負不安定感も一応軽減している。

形式で、ペーパーテストで図れない力をみる入試もやっている。

それでもやはり、大学就職予備校とみなして、学問を学ぶためでないのに入ろうとする人達は困りものだしそういうのと学びたい人を分けることのできる仕組みはやっぱり存在したほうが理想ではあると思う。ただ、現実にはそれはとても難しい。

自分もまだ19歳、よくわかってないところもあるだろうけど、取り敢えず書き立ててみた感想ってことで。

2017-02-05

大学無料化はいいけど、引退した爺たちが押し寄せたりしないの?

 最近大学無料化について議論されたりしてるけど、ふと表題の事を疑問に思ってしまった。

 高齢者に対して、病院無料化したら、どこも調子悪くないけど、とりあえず病院に来るようになって、集会場みたいになってしまったという話もあったよね。引退して暇を持て余した人たちがとりあえず大学に入っちゃうなんて事になると、大学がだいぶ変わってしまう気が。そりゃ難関大学がそうなるとは思わないけど、地方のいわゆるFランと言われるところはどうなんだろう。

 無料化年齢制限とかがあれば、こんな話は意味ないのだけど。

2017-02-01

そういえば名古屋って私立強いと公立強いのどっちに当たるんだろ。

別に所謂田舎からそもそも私立存在し得ないわけでもなく、東海・滝・名古屋南山と有名私立普通にある。

金持ちの家だと中学受験熱高い所だらけ。

でも高校受験で上位層の目指す先はだいたい公立高校で、中学受験したのに公立高校受ける人すらいる。

有名所では旭丘明和一宮あたり。

大学受験の実績ベースで言うと、有名所どころか、若干マイナーなとことでもある程度の強さがある。

高校受験での公立高校同士の併願パターンベースから特殊事例とかだとアレだけど、

頂点の旭からランクぐらい下でもある程度受かっていってるところが多いし。

知り合いの同行を鑑みると、所謂田舎公立から東大京大パターンもいれば、超進学校から東大京大パターンも両方聞く。

頂点でない公立からそれなりの難関大学パターンもかなりある

勿論受験の強さだけが全てじゃないから一概には言えないけど、

一般に言われる「公立が強い田舎」ってのも超進学校私立存在を考えるとなんか違うし、

私立が強い都会」ってほどでもないし。

そもそも公立高校から難関大学に行くのが普通にありうる田舎者からすると

難関大学に行くには私立中学に入らねば」という時点でズレを感じるよ。

2017-01-28

Twitterで見かけたんだが

Twitterにいる高学歴大学生と絡むうちに、自分も当然のように難関大学合格出来ると勘違いしてる高校生

ほんとに勘違いからから反省して欲しい

2016-11-04

逃げるは恥だが役に立つ」に対する抗議

やってますよね、ドラマ

いや、びっくりしちゃいましたよ。

知的クールな36才男性恋人いない歴=年齢、IT業界って、

自分のことが描かれてるのかと疑うほど、自分と一緒で。

いや、しかしそんな人間がなぜ恋人いない歴=年齢の記録を伸ばしてるのか、

プライドが高いから」で、簡単に済まして欲しくは無いし、

そんな考えを公共に流布されるのは、やっぱり迷惑ですよ。

そんな高齢童貞が生まれる要因について、自分経験も交え、以下考察していきますよ。

1. アイデンティティ面の問題


1.1 頭が良い子は周囲からまれやすく、「好かれる」という感覚を養いにくい

頭が良い人は、幼少の頃から、頭が良いということを理由敬遠されやすく、

「人から好かれる」ということをあまり経験していません。

また、どこか大人びたところがあり、子供らしい子供では無いため、

大人からもあまり好かれたりはしません。

可愛らしくないので、親からもあまり可愛がられず、

また、小学生教師なんかからも、あまり勉強もせず出来るということで、

気に入られなかったりします。

また、周囲の同級生からも「真面目で面白く無さそう」と思われたりして、

うまく輪に加わることが出来ません。

こういったことが原因で、「自分は好かれない人間なんだ」と思い込むようになります

これは、「思っていることが現実になる」側面があり、実際にあまり人には好かれないような言動

例えば人に対して冷たく振る舞ったり、などをすることで、さらなる悪循環に陥っていきます

1.2 「頭が良い」以外の個性が無く、周囲にバカな姿を見せられない

頭が良い人は、それが最大の取り柄である場合が多々あります

スポーツダメ特に美的才能も無く、という人はそれが最大のアイデンティティとなります

そのため、その部分を否定されることに、自分自分で無くなってしまうような、大きな不安を持ちます

から冗談でもバカにされたりすることに、大きな抵抗を持ち、

それがプライドが高いように周囲には写り、敬遠されるようになります

2. 女性恐怖症


2.1 母親の影響で女性に対する根本的な恐怖・不信を持ちやす

頭が良い子、成績が良い子の母親は、しばしば子供に過度の期待をする教育ママです。

勉強をしないことで怒られたり、また、テストの点数が悪かったことで叱りつけるなどで、

根本的な恐怖を植え付けられています

そのため、女性を見ると「また恐怖でコントロールされるのではないか」と、大人になっても考えてしまます

また、そんな母親が家の外では体面よく振舞っているのを見て、

女性のことを、「表面は取り繕っても影では何をしてるのか分からない」存在と考えるようになり

女性に対する信頼を持つことが困難になります

2.2 「女性モテるために何かをする」ことに抵抗を持ちやす

頭が良い人は、前項の理由により女性支配下に入ることを極度に恐れます

そのため、女性モテるための行動は、支配される第一歩と写り、なかなか行うことが出来ません。

例えば女性に好かれるようなファッションをするなどのことも、抵抗を感じます

3. 環境的な要因


3.1 高校大学などの時期に恋愛に不向きな環境に居た

そういった人は高校大学など、恋愛初心者で許される時期に、

恋愛がしにくい環境におり、その後恋愛のチャンスが訪れても、

自信の恋愛経験値の低さを理由に気後れしてしまいがちになります

難関高校難関大学では、もちろん真面目な人が多く恋愛消極的になりがちということもありますが、

それに加え、勉学が大変で恋愛などする余裕が無いということもあります

自分高校時代のことを言えば、学年で付き合ってるカップルは3〜4組程度で、

その人たちはほとんど、少しレベルの低い大学に進学しました。

何かを犠牲にしないと恋愛が出来なかったのです。



・・・その他、IT業界的なことも書こうかと思うけどやめます

業界女性比率とか、そもそも人と長期的に関係を続けるのに向いていないとか。

今後ちゃんと描写されるかもしれないし。

最後一言

ど、ど、童貞ちゃうわ!!(素人童貞です。)

2016-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20160925230829

まあまあ、そう言わず

せっかく背伸びすれば難関大学に受かるだけの能力はあるんだから、多少は無理して世のため人のため(ひいてはオレのため)に役立つこともしておくれ。

2016-09-07

最近女子優秀説のうさん臭さ

企業での入社筆記試験では女子が圧倒的に点数が高く、筆記試験の結果だけを見ると新入社員女子だけになってしまう。だから面接男子下駄をはかせて採用しているのだという。

この話の疑わしいところはそういった話をよく聞くで終わっていて明確な証拠がないことだ。

こういった話は10年以上前から繰り返されてる。最近女子は元気。男子は元気がないとかね。(元気に男女差なんかあるのか)

しかしこれとは逆の証拠は見たことがある。

名古屋市採用試験や一部の公務員試験では筆記試験では男子のほうが点数がいいのに、面接女子下駄をはかせて数を調整している。

http://www.j-cast.com/2014/12/01222160.html

http://www.gloriousblogger.net/entry/2015/06/08/155334

日本大学進学率は他の先進国と違い男が上回っている。東大京大等の最難関大学男子割合のほうが多い。司法試験医師試験などの難関国家試験男子合格者のほうが多い。幾つかの学力調査でも男子の点数のほうがいい。

起業だって出世だって男性の方が高いという調査がある。

大企業が優秀な男性を抱え込むから、残った男性と一部の優秀な女子を比べてるという説もあるけども。

そもそも実力に性別関係ないはずだ。

そういった意味では日本純粋実力主義ではないのかもしれないが。

俺が伝えたいのは決して男性は劣ってないし、優れてるところがたくさんあるので、つまらない偏見には負けずに頑張ってほしいですね。

2016-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20160107001346

新卒正社員選考広告も含めて、一人当たり1000万円と言われている)を参考にするのは無理だろう。入学金で回収するにしても、かけられる予算=手間は、せいぜい数十万円だから、ぜんぜん違う方法をとらざるを得ない。全く共通点がないわけではないだろうが。


AO入試では、就職活動より、一目でわかりやす差別化要因が必要になる。特に新卒採用で使える大学名という便利な足切り道具がないからなおさらバイオリンコンクール優勝とか、天文部で成果を出したとか、そういうものがないといわゆる難関大学には入るのは難しくなるだろう。実際、ハーバードにはそういうもの(もしくは強力なコネ)がないと入れない。小さい時から環境大事ものになるから、家が貧乏でもビリギャル的に挽回できる今と違って、階層間の流動性が下がるだろうね。日本アメリカと違って就職したあとに下から這い上がるルートが狭いし。

あと、面接スキル小論文スキル数学歴史に比べて体系化されていなく、独学がしづらいから、そういう意味でも環境に恵まれた豊かな家庭は有利だよね。

2015-10-27

http://ninicosachico.hatenablog.com/entry/2015/10/26/144601

痴漢の件読んでて思ったんだけど、といってもこの記事の主軸にはそれほど関係ないかもだが


痴漢被害にあった!→辛い!→誰かに話して共感&慰めて貰おう!→聞いて!→慰めてあげる

このパターンって普通によくあるものなの?

ネットの主張を見てると痴漢に合う女性はカナリ多いって見るよね

となると、主観的には誰よりも自分が辛いと思った痴漢被害経験を持ってる状態で、

その時は「自分以外の誰か」の「痴漢にあった!私可哀想じゃない!?慰めて!!」って話を聞くわけだよね?

それって自慢だとかじゃなくて、皆それくらいの辛い目にはあってるのにギャーギャー騒ぐなうざいみたいな感覚にはならないの?

個人的には痴漢被害者に対するイメージの違い?より上記の拗らせた精神からうざいと思われてる

からの(不幸)自慢?って嫌味につながってるんじゃないかな~と思うんだけど。


これを男側にも通じるようにとか、もっとありがちな話に直すとすると何が適切か…はちょっとからないんだけど。

難関大学に受からない!◯浪だ!と同じ予備校の人に言うとか思ったけど多分違う)

要はそれくらいの辛さ別にお前だけじゃねーよ?って思われてから発言もあるんじゃないの?

というか、痴漢被害に会ってる女性が大多数であればそういう意見の方がメインじゃないの?と思うんだけど

世の中はそんなに他人に優しいものなの?


もうおっさんだけど厳しくあたられるとか逆境話は尽きないけど

全般的可哀想可哀想なんて傷を只々慰めるような展開の優しさなんてチラとでも見えた事ないんだけどなぁ…

(って書くと少なからウザイと思うよね?)

これは拗らせ過ぎてるのかなぁ

2015-10-05

父を捨てた話

幼い頃に母を亡くして、父子家庭で育ってきた。

父と、7つ上の兄と、3人で暮らしてきた。

父はよく稼ぐ人だったから、金銭的に不自由することはなかった。

兄はとても優秀で、なおかつ面倒見が良くて、いつも優しくしてくれた。

近所の人たちも事情を知ってくれて、すごくお世話になった。

私と兄は、母親がいないという点を除いては不自由も無く、たぶん、健全に育った。

兄は大学上京して私と父は2人暮らしになった。

その後、私は中学受験をして中高一貫女子校に入った。

兄は大学生になっても優しくて、帰省する度に私の宿題を手伝ってくれた。

高校生になり、進路を考えるようになって、ずっと兄の背中を見てきたものから、同じ大学に行きたいと思うようになった。

私は出来が悪くて、兄ほど優秀ではなかったから、一所懸命勉強した。

成績も上がって、胸を張って志望大学を言えるようになった。

ある日、進路を父に相談したところ、東京には行かせられない、と言われた。

金銭面の問題かと思い聞くと、私は箱入り娘なのだから1人暮らしをさせるわけにはいかない というようなことだった。

お兄ちゃんは行ってるじゃん と言っても、お前は女の子なんだから と言うばかりで聞いてくれなかった。

そのとき初めて、父に不信感を抱いた。

学校友達相談してみたが、周りにもそんな子が何人かいるらしく、たわいもないこととしてあしらわれてしまった。

高校で学年1位の子は、東京大学合格圏内なのに地元公立女子大しか認めてもらえないと言っていた。

彼女は仕方がないからともう諦めている様子だったが、私が彼女の諦めに同調する必要はないと思った。

担任先生進路指導先生相談をしたところ、お前が勉強を頑張ればお父さんも認めてくれるはずだよ なんて、的外れな答えしかもらえなかった。

成績がどんなに良くなっても、父は頑として家を離れることを認めてくれなかった。

地元はいわゆる難関と呼ばれる大学ひとつあって、父はその大学を勧めてきた。

でも、私は理系を選択していて、希望する学部学科は別キャンパスにあった。そこは本キャンパスから遠く、家から通学するとなると大変で、結局1人暮らしをする羽目になる。

そのことを強調して伝えると、父は、なら文転すればいいだろうと軽く言ってきた。

兄には許されたことなのに、私は、女であるということだけで進みたい進路にも進めないのかと悲しくなった。

その日は全く話し合いにならなかった。

高校3年生の夏、帰省してきた兄に初めてこのことを相談した。

兄は、多分そうなると思っていた と言っていた。

私はずっと、自分は恵まれていると思っていた。そして実際に、恵まれていた。

でも、ちょっとの不満や疑問も、恵まれている故のものだと思っていた。

兄曰く、母が亡くなってからの父は、ずっと、私に対して過保護だったらしい。

そういえば、女の子なのだから怪我をさせられないと公園に遊びに行くことも禁止されていた。

ズボンを履くことも禁止されていたし、自転車に乗ることも、男の子向けの番組を観ることも、危ないこと、はしたないことは全て禁止されていた。携帯電話だって父と共用だった。

全部、兄は禁止されていなかった。

女子校入学したのも、父の強い希望だった。

それらに私は何の疑問も抱いていなかった。嫌だな、と思うことはあっても、自分は恵まれているんだから我慢しなきゃ と思っていた。

父は私を縛り付けたかったのだろうか。

そのような考えから父の言動を見ると、もしかするとこれは普通ではないのかもしれないと少しずつ思うようになった。

毎朝の行ってきますキスも、週1の交換日記も、中学まで一緒にお風呂に入っていたのも、たぶん、普通じゃなかった。

本当はずっと嫌だったけど、ルールからと慣れてしまっていた私も、普通ではなかったのかもしれない。

兄は、お父さんの言うことを聞くか、お父さんを捨てて東京に来るか選べと言った。

そんなことを急に言われても、父を捨てるなんて考えられなかった。

父は、優しくて頼もしい、自慢のお父さんだから

親を捨てるというのは家族と上手くいっていない人や虐待を受けた人だけがすることだと思ったから。

でも、どんなに説得しても父は家を出ることを認めてくれなかった。

父は頼れなかった。私は兄に相談して、兄に言われるがまま目一杯勉強した。

2月受験前日、交通の乱れを懸念して受験会場近くのホテルに泊まった。もちろん、会社を休んで着いてきた父も一緒に。

理系キャンパスは遠いが通えなくはないということで認められ、文転だけは免れていた。

いわゆる難関大学だったが、試験は簡単だった。私の本当の志望大学はこんなものじゃないくらい難しいはずだったから。でも、どうしても行きたくなくて、わざと間違えた私は不合格になった。

父には、浪人する、と伝えた。認めたくない様子だったが、必ず受かると高を括って私立大学をうけていなかったため、その他に選択肢は無かった。

高校卒業して、3月中旬友達卒業旅行に行くと言って東京に行った。

もちろん卒業旅行にも父は大反対だったが、これだけは譲れないと強引に家を出た。

東京に着いて、会社を休んできた兄に迎えられ、私は、志望大学の後期試験を受けた。

募集人員も少なく、馬鹿みたいに難しい試験だった。

もし落ちたら、本当に浪人するしかなかった。でも、なんとか、合格した。

合格通知を見せると、父は激昂した。優しい父が怒っている姿を初めて見た。

認めないから金は出さない、と父は言った。私はアルバイトもするし、兄にも援助してもらうことを伝えた。

後期受験を兄も知っていたことに怒るかなと思ったが、予想に反して、お前にアルバイトなんかさせられるかと父は泣いていた。

そのとき初めて、父を怖いと感じた。

宣言通り、父はお金を出してくれなかった。入学金さえ払わなければ、私がいなくならないと思っているようだった。

私は貯めていたお年玉を使った。入学金、授業料で足りない分は兄が出してくれた。

支払いが終わってからも、期限ギリギリまで父にはお金を出してくださいとお願いし続けた。払ったことを知られては困るから

3月末、すっかり安心しきった父が仕事に行っている間、私は荷物をまとめて東京に向かった。捜索願を出されてはかなわないので置き手紙をした。

東京に着いて、仕事帰りの兄と落ち合った。

しばらくすると、兄の携帯に父から電話がかかってきた。兄に促され私が電話をとった。

2度目の父の激昂だった。

でも、どんなに怒られてももうお金は払っているし、もう東京に来てしまっている。

帰らないことを伝えると父はまた泣いていた。

後日、同じく上京していた高校友達にお願いして、何日か部屋に住まわせてもらった。

父も休日上京し兄の家に来ていたらしかったが、携帯電話すら持っていない私に連絡をとることはできなかった。

入学式には、父も兄も来なかった。式が終わり友達の部屋に戻ると、上京した同級生が何人か集まっており、おめでとうパーティーをひらいてくれた。

自由になったような気がした。

熱りが冷めてからはまた兄の部屋に住まわせてもらった。

いつまでも兄の世話になるのは申し訳なくて仕方がなかったが、兄に頼る以外の手段が私には見つからなかった。

兄の元には今も頻繁に父からの連絡がきているらしい。そして兄の口座には私宛のお金が振り込まれているらしい。

私の学費も、生活費も、兄が出してくれたようで結局は全て父のお金だ。

アルバイトお金なんてほんの足しにしかならない。

からと言って際どいアルバイトに手を出そうとすると兄に止められる。

結局私がしていることは、家にいた頃と何も変わっていない。

成人式の報せや諸々の手続きなど、全て父と兄がやりとりをして済ませてくれている。

ただただ自分が恥ずかしい。

あの日、父を捨てる決意をしただけで私は何も捨てられていない。

親子喧嘩をして意地を張り続けているだけだ。

でも、だからと言って、そう簡単に仲直りできるわけでもない。

このままじゃ私はいつまでも、箱入り娘のままだ。

2015-09-21

欠陥品

田園が広がるとある田舎町で、百姓高卒*中卒の間に生まれた。

そして生まれ増田ゲイだった。

物心がついたときから増田はともだちとはちょっとちがう、と感じることが多かった。

クラス男子が当時のプロ野球選手のことを話していたとき、彼らが抱いていた羨望のまなざし増田が感じている感覚とは大きく異なっていたと思う。

いじめられていたかというと、そういうわけではない。

今でいうスクールカーストトップ女子親友だったから。

増田が感じる"かわいい"と、彼女の感じる"かわいい"は限りなく同じものだった。

勉強もできて同じ感性を持っている増田は、彼女友達にならないわけがなかった。

"好き"という感覚理解したのは、高校2年生のとき

いつも一緒に練習をしていた部活の後輩に彼女ができたときだ。

初めて感じた、あの心の中のざらざら感はもう二度と感じたくない。

失恋の痛みとともに、今まで後輩に感じていた気持ちの正体がわかった。

そして増田ゲイであるということを増田自身確信した。

好きと伝えることすらできなかったあの失恋経験は、10年以上経過した今でもたまに思い出す。

心の奥がとげのついた紐で強く強く締め付けられるような感覚だ。

親にも、友達にも、学校先生にも、増田ゲイであることは誰にも言えなかった。

これは墓場まで持っていかないといけないものなんだと18歳の増田は思い込んでいた。

誰にも相談できなかった。

嘘をつくのに疲れていた、嘘なんてこれっぽっちもつきたくないのに。

ひとつ大きな嘘をついているのだから、それ以外の嘘は決してつかないと決めていた。

少しでも増田はこの世の中に存在してもいい人間なんだと思うために、いい大学に入ろうと決めた。

ほかのどの生徒よりも必死勉強した、帰国子女転校生にも英語は負けなかった。

東京難関大学合格し、都会に出るチャンスを得た。

当時は回線ISDNからADSLに切り替わりはじめた時期で、インターネットも普及し始めていた。

ネットを通じてゲイ社会を目の当たりにした。

そしてはじめてゲイの人に会った。

同じ世代の人たち。

初めて会ったゲイの人たちは、みんな自信無さげに下を向いていた。

みんな増田とおんなじことを感じて生きてきたんだ、と思った。

増田と同じゲイの人に出会って、少し考えが変わった。

カミングアウト・・・

同じく上京していた高校部活で、とても仲のよかった女子に初めてカミングアウトした。

なんとなくそんな気がしてた、と言われた。

嘘をたくさんついていてごめん、と謝った。

それよりも大切なことを話してくれてありがとう、と言ってもらえた

そして、誰が好きだったの?と聞かれた。

高校時代失恋した後輩の名前を出した、そのとき「バンっ」と背中を強くたたかれた。

びっくりして、彼女を見たら「辛かったでしょ、よく独りでがんばったね。」とやさしく声をかけてくれた。

増田は大きく頷き、あふれる涙をこらえることはできなかった。

そして、好きな人ができた。その人もゲイだった。

初めてデートして、初めて付き合った。初めてキスをした。初めてセックスをした。

たくさんの初めてを経験した。

増田はこの人に出会うために生まれてきたんだと、本気で思っていた。

しかし、突然連絡が取れなくなった。

そのとき、その人のことをほとんど知らなかったと気づいてしまった。

その人の家族、その人の家、その人の職場、その人の素性。

勉強ができて、難関大学に入れたけど、増田世間知らずの大馬鹿者だな、と心を開いてしまったことをひどく後悔した。

声を押し殺して枕をぬらした。

数年前にできた古傷が再び開いたようだった。

さらに今回は塩を塗りたくられたような激しい痛みだった。

悔しさと情けなさを紛らわすため、脇目も振らず勉強仕事に明け暮れる日々が始まった。

あれから10年

外資系企業管理職年収1000万超

大学卒業し、上場企業新卒就職複数回転職を経て現在外資系企業マネージャー職になった。

ゲイ理解のあるノンケ上司や友人たちにも恵まれ、週末にバーベキューを開いたり、一緒にトライアスロン大会に出たりするようになった。

仕事趣味も充実していていて、一般的には成功している部類に入るんだろう。

当時の失恋のことは今では増田の中で十八番ネタにまで昇華はできている。

ただ、枕をぬらしたあの日から、まともな恋愛はできていない。

無意識に壁を作っているのか増田自身でもわからない。

恋愛でこけてしまうとこんな結果になるのか、と自身を以って体感している。

部屋にいると、ふと空虚に襲われる瞬間がある、増田は独りなんだ、と。

どうしても幼かった頃の増田を思い出してしまう。

「これ買ってもいい?」と駄菓子を持ってとことこと母親が持つ買い物かごにもっていく小さかった増田

祖父の運転する軽トラックに弟と二人、ひとつ助手席に乗って雨の日に小学校まで送ってもらった増田

母も祖父も他界し、当時のスーパー更地になり、トラックも廃車になった。

手にしたもの名前の前に役職名が書かれた英語名刺証券会社から定期的に送られてくる資産運用報告書

増田がほしかったものは何だったのだろうか。

ゲイから

ということではない。

しろ"ゲイから"こそ、今の仕事があって、今の上司、友人に巡り会えたのだと思う。

ゲイであることが欠陥なのではなくて、増田自身のどこかに別の欠陥があるんだろう。

2015-08-06

ふつう社会人英語ができるようになるほぼ唯一の方法

教えてやるよ。

帰国子女でも、留学経験もないお前らでも英語ができるようになるほぼ唯一の方法を。

から意味のない英語勉強法サイト1000ブックマークとかするのをもうやめろ。

年間ランキング英語勉強法だらけにするのをやめろ。

恥ずかしいから

頭悪すぎるから

1000ブクマサイトのやり方で英語ができるようになったやつってどれだけいるわけ?

長ければ長いほど「後で読む」でたくさんブックマークされて、たぶん読まれてもいない。

読まない奴が悪いんじゃない。

まれない理由がある。

最近のは特にだが、アフィリエイトベタベタ貼って、勉強法を列挙。

超長い。

そんなものは偽物なんだよ。

著者自身も本当に効果があると思っている方法ならば、「列挙」しない。

自分がたどり付いた方法を一つだけ書く。

自分がたどり付いた教材を一つだけ書く。

違うか?

まがい物なんだよ。

ネットで拾ってきた本と方法を並べているだけなんだよ。

1人がやれる分量だけにまとまっていないから、読むことすら苦痛なんだよ。

まがい物を1000以上ブクマして喜んでるんだよ。お前らは。

ブクマするだけなら只だから、失ったのは知性と羞恥心だけだけどな。

さて、その方法をそろそろ教えてやるよ。

そこらへんのふつうサラリーマンが、今まで英語に縁もゆかりもない人生を送ってきたサラリーマンが、

英語ができるようになるほぼ唯一の方法

たった11文字だ。

お前らでも最後まで読めるだろ。

T O E I C を 猛 勉 強 し ろ

以上。

簡単だろ。

本物がゆえにシンプルだ。

これならお前らにもできるだろ?

860点、できれば900点以上取るようにな。

そんなに長くモチベーションが続かないから2年以内に取れ。

TOEICは2年間で20回くらいあんのか?必ず毎回受けろ。受験自体勉強だ。

運も母集団レベルによる点の出方の差もあるからな。

20回受けろ。

10ちょっと必要だが英会話学校なら50万払ってたいした意味がないわけだから、安いだろ。

以上だ。

おっと、大事なこと言い忘れた。

できれば30歳までに取れ。

じゃあな。

TOEICで点数取っても英語が話せるようにならない?

ペーパーテストから英語力と関係ない?

900点でも話せないやつが多い?

ほんっと頭悪いな。

からいいんじゃねーか。

本当の英語力が必要ないからこそ、お前らでもできる方法なんだろうが。

英会話学校とか通うのは無駄からペーパーテスト勉強に集中しろ

そもそも、英語に縁がなかったサラリーマンがいまさらシコシコ勉強して英語ができるようになるか?

そんなの土台無理なんだよ。

商売のための幻想なんだよ。

いや、いるよ、確かに。

映画勉強して話せるようになったとか、フィリピン人スカイプ毎日欠かさず会話してできるようになったとか。

信じられないことに本当にいるんだよ、少数のそういう人たちが。

でもさ、そういう人達は、もともと英語が好きなんだよ。だから自然勉強するんだよ。そして自然英語ができるようになるんだよ。

ズルイよな。俺もそういう風に生まれたかったよ。

これは生まれ環境や、それまでの人生の蓄積によるものから、今更心の持ち方でどうにかなるもんじゃない。

有名なフレンズ勉強法なんて、ふつうの人には無理。

続かない。

それでできるようになる人は、今までも英語が好きでコツコツやってる。

そういう人って自分を突き動かす外国外国人への憧れがあるんだよ。

でもお前らはそうじゃないだろ?

からさ、TOEIC勉強しろ

これも十分退屈だ。退屈すぎる。

だが、できる。

何故か?

ペーパーテストがゆえに、何をすればよいかが明確だ。

ペーパーテストがゆえに点数が出る。結果が数字で現れるんだ。

これなら人は動けるんだよ。

あれやってみたり、これやってみたりフラフラして時間を浪費せずに、信じて進んでいくことができる。

860点を取れ。そして会社海外派遣制度に乗れ。

すまんな、最初に言わなくて。

これが唯一の方法なんだよ。

身も蓋もないけどな

英語なんて、特別モチベーションを持っている人以外は、海外行かなきゃ無理だ。

から海外に行け。

本物は常にシンプルだ。

そのためにはTOEICだ。

TOEICなんて話せる話せないと無関係だが、ほかに良い尺度があるわけじゃない。

からほとんどの選考TOEIC判断される。

海外派遣切符TOEIC860点以上。

学歴とか難関資格かいろいろあるけど、TOEICほど割のよい資格はない。TOEIC900点は難関大学受験10分の1の努力で取れる。

860点以上が意味のある点数だ。900点なら更にインパクトがある。

英語ができるようになったら人生が変わる可能性があると思わないか?(まあ何も変わらないけどな笑)

そのために、もう1度ペーパーテスト勉強する努力はできないか?

ビジネスはどこの国でも英語だ。

英語圏じゃなくても文句言うな。

十分だ。

今の海外派遣者はそんなに甘くない。仕事海外に行けばよほどのボンクラ以外は簡単なビジネス英会話は身に付けて帰ってくる。

そこに達すれば、そこから先は普通の人でも自分努力で伸ばしていける。

英語で見る映画ドラマもようやく面白くなってくる。

自走が始まる。

国内にいるだけでは、普通の人には、自走するレベルまでのハードルが高すぎて越えられない。

これが現在のすべてだ。

もちろん全員できるなんていわない。

今の会社海外拠点がないとできない。

TOEIC860なんて絶対無理、という人もいるだろう。

だが、たとえば大学受験をある程度頑張れた人ならば、できる。

フレンズ英語ができるようになる人は20代の1%くらいじゃないのか。

この方法なら20%くらいの人に可能性がある。

20%の人にしか可能性はない。嫌な現実を書いている自覚はある。

でも、少しでも多くの人が、何かの制度をみつけてチャレンジしてほしいと思っている。

俺は家が貧乏だった。

家族旅行なんて海外どころか国内すら行ったことがない。

大学時代生活費を稼ぐのに精一杯だった。

親戚中で初めて農業以外の仕事に就いた。

親戚中で初めて大学に行った。

誰も海外なんていったことがなかった。

海外なんて縁のない世界だと思っていた。

英語仕事がしたいという同僚が信じられなかった。

英語で」ってなんだ?

仕事面白さは中身だろ?

英語なんて言語に過ぎないのに英語を使うなら何でも良いという発想が信じられなかった。

30歳まで日本から出たことがなかった。

そんな俺が会社奨励でイヤイヤTOEICを受け、最初は460点だったけど、ペーパーテストならなんとかなると思って一念発起して、

900点取って、最初TOEICを受けた日から2年後に、アメリカ派遣された。

40前にして、ぎりぎり英語が一応できると言えるサイドに立つことができた。

自分人生を振り返っても、英語が一応できる、というレベルになる道はこれしかなかったと思っている。

時間もかかる。努力必要だ。だが、ほぼ唯一の道だ。

その可能性が開けている人は、その幸運感謝して、つべこべ言わず進め。

TOEIC勉強法に多くの記述必要ない。

評判の良い対策本を1冊買って、そのとおりにやれ。公式問題集単語集を買ってきて、本試験マイルストーンにしてひたすら勉強するだけだ。

2015-07-09

やめられない、とまらない

http://anond.hatelabo.jp/20150704181823#tb

を読んで自分のかつての廃人っぷりがよみがえってきたので書く。


高校時代:】

 県内で1番の進学校にいたものの、いまだに続いて驚きの某MMOにどハマりする。

 平日最低3時間、土日は8~12時間程度。をずっと続けたため

 総合レベルランキング回復役のプリーストながら50位以内に入る。

 デイリーランキング上位に入るため、24時間狩りも経験した。

 飯と風呂以外はずっとゲームしていた。


 無謀にも難関大学志望だったので、当然落ちる。


 落ちた際に、装備をリスクのある強化を繰り返し、壊して、

 引退。すべて成功していたらニートになっていたと思う。


浪人時代:】

 MMOは抜けたものオンライン遊戯王を始める。

 遊びながらの勉強だったので結局地元国立大学に進学。

大学時代 前期:】

 自分で言うのもなんだが、遊戯王でかなり強くなり世界大会で優勝した。

 コナミ本社にも呼ばれて表彰される予定だったが、ジャンプ掲載される

 可能性があるとのことで、大学デビュー果たしていた自分ゲームおたく

 属性を隠すために断った。

 世界大会決勝戦で、相手が将棋で言う投了をした前代未聞の事件が起きたので

 やってた人は知ってると思う。

 遊戯王は、家のPCが新バージョン対応できなくなったため辞めた。

 学生だったため、ハイスペックPCを買う余裕がなかった。

大学時代 後期:】

 MMOをやりこんだため、ちまちまとレベル上げをするゲームが好きだったのだが、

 FPSに手を出す。

 暇な学部だったこともあり、1日平均4時間夏休み1ヶ月1度も家に出ないまま

 プレイし続けることもあった。(実家暮らしだったため衣食住には困らなかった


こんな私だが、結婚を期にゲームをしなくなった。

家事育児仕事でする暇がなくなった。

これには家族ものすごく驚いている。

高校時代は本気でニートになるかと心配されていたようだ。

ゲーム邪魔をされたらすぐキレる典型的な屑だった。

スマホアプリを月に5000円程度課金しながら遊んでいるが

これは私の定義での「ゲームをした」ということには入らない。

まりゲーム依存症人間ゲームをやめるには、自身が無理と思う状況を作る以外ない。

また、人生を棒に振る覚悟ができたら手を出すかもしれないが、

自分依存するとわかっているので、オンラインゲームには手を出さないと決めている。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん