面接とかで取る入試制度を取ってる大学もあるよ。全部が完全にペーパーテストな大学はかなり少ない。勿論難関大学でも私立はそうだ。
まあ、ほぼ合否に関係ない名目上の書類提出とかは勿論そういう入試形式でも有りうるけど。
むしろ今の入試制度は、ペーパーテストがだんだん軽視されつつある。
一般入試こそペーパーテストだけど、他の形式の占める割合が大きくなってきている。
僕も昨日今出川の大学を受けてきたけど、私立入試は何回設けれるから「一発勝負」じゃないし。
地元で受けれるから負担も昔より減ってるし。まあ僕もちょっとあとにはW大受けるため新幹線を使わないといけないわけだけど……。
ただ、学問を学ぶ意義もないのに最難関大学に就職のために行くってのが問題だってのはとても良く解る。
例えば論文を高校生のうちに、仮に稚拙なものであっても「意欲」が図れるようなもを書く風習があったほうが良い気はしたし僕もそれを活用して大学を目指しただろう。
あとまあ国公立だとチャンスが限られてくるってのもアレかもしれん。
しかし、面接などで「意欲」を図るのは、ペーパーテストなどよりもよっぽど真の力が図りにくい。
数時間に渡る試験でも図れないようなパワーを、数十分の面接でどうこうできるとは思えない。所謂「コミュニケーション」出来るだけで、学ぶことの適性なき人間が有利になりかねない。
就職予備校は十分かもしれんが、学問を学ぶ場所としてのにそれはまずい。現状はペーパーテストが一番「マシ」なのだと思う。それを、推薦、AO、特殊科目入試などで補っているのが現状だと思う。
なお、科挙が廃止されたのは、アヘン戦争敗北から洋務運動・戊戌の政変などで「西洋近代化」が推し進められる中で、
科挙の出題科目は「儒学」であったことが、守旧的とみなされてなくなっただけのようにも思える。「古典を暗記して、解釈をする」だけが入試範囲だった。
今の入試は違う。どの科目も、なんだかんだ行って大学で学問をやるには役に立つ。あと、科挙はあくまでも「官僚採用試験」であり、官僚の適性を見るのが役目だった。それに古典しかないというのも問題だった。大学入試とは訳が違う。
まとめると、ペーパーテストはそれなりに合理的。回数を増やすことで、一発勝負の不安定感も一応軽減している。
別形式で、ペーパーテストで図れない力をみる入試もやっている。
それでもやはり、大学を就職予備校とみなして、学問を学ぶためでないのに入ろうとする人達は困りものだしそういうのと学びたい人を分けることのできる仕組みはやっぱり存在したほうが理想ではあると思う。ただ、現実にはそれはとても難しい。