2015-09-21

欠陥品

田園が広がるとある田舎町で、百姓高卒*中卒の間に生まれた。

そして生まれ増田ゲイだった。

物心がついたときから増田はともだちとはちょっとちがう、と感じることが多かった。

クラス男子が当時のプロ野球選手のことを話していたとき、彼らが抱いていた羨望のまなざし増田が感じている感覚とは大きく異なっていたと思う。

いじめられていたかというと、そういうわけではない。

今でいうスクールカーストトップ女子親友だったから。

増田が感じる"かわいい"と、彼女の感じる"かわいい"は限りなく同じものだった。

勉強もできて同じ感性を持っている増田は、彼女友達にならないわけがなかった。

"好き"という感覚理解したのは、高校2年生のとき

いつも一緒に練習をしていた部活の後輩に彼女ができたときだ。

初めて感じた、あの心の中のざらざら感はもう二度と感じたくない。

失恋の痛みとともに、今まで後輩に感じていた気持ちの正体がわかった。

そして増田ゲイであるということを増田自身確信した。

好きと伝えることすらできなかったあの失恋経験は、10年以上経過した今でもたまに思い出す。

心の奥がとげのついた紐で強く強く締め付けられるような感覚だ。

親にも、友達にも、学校先生にも、増田ゲイであることは誰にも言えなかった。

これは墓場まで持っていかないといけないものなんだと18歳の増田は思い込んでいた。

誰にも相談できなかった。

嘘をつくのに疲れていた、嘘なんてこれっぽっちもつきたくないのに。

ひとつ大きな嘘をついているのだから、それ以外の嘘は決してつかないと決めていた。

少しでも増田はこの世の中に存在してもいい人間なんだと思うために、いい大学に入ろうと決めた。

ほかのどの生徒よりも必死勉強した、帰国子女転校生にも英語は負けなかった。

東京難関大学合格し、都会に出るチャンスを得た。

当時は回線ISDNからADSLに切り替わりはじめた時期で、インターネットも普及し始めていた。

ネットを通じてゲイ社会を目の当たりにした。

そしてはじめてゲイの人に会った。

同じ世代の人たち。

初めて会ったゲイの人たちは、みんな自信無さげに下を向いていた。

みんな増田とおんなじことを感じて生きてきたんだ、と思った。

増田と同じゲイの人に出会って、少し考えが変わった。

カミングアウト・・・

同じく上京していた高校部活で、とても仲のよかった女子に初めてカミングアウトした。

なんとなくそんな気がしてた、と言われた。

嘘をたくさんついていてごめん、と謝った。

それよりも大切なことを話してくれてありがとう、と言ってもらえた

そして、誰が好きだったの?と聞かれた。

高校時代失恋した後輩の名前を出した、そのとき「バンっ」と背中を強くたたかれた。

びっくりして、彼女を見たら「辛かったでしょ、よく独りでがんばったね。」とやさしく声をかけてくれた。

増田は大きく頷き、あふれる涙をこらえることはできなかった。

そして、好きな人ができた。その人もゲイだった。

初めてデートして、初めて付き合った。初めてキスをした。初めてセックスをした。

たくさんの初めてを経験した。

増田はこの人に出会うために生まれてきたんだと、本気で思っていた。

しかし、突然連絡が取れなくなった。

そのとき、その人のことをほとんど知らなかったと気づいてしまった。

その人の家族、その人の家、その人の職場、その人の素性。

勉強ができて、難関大学に入れたけど、増田世間知らずの大馬鹿者だな、と心を開いてしまったことをひどく後悔した。

声を押し殺して枕をぬらした。

数年前にできた古傷が再び開いたようだった。

さらに今回は塩を塗りたくられたような激しい痛みだった。

悔しさと情けなさを紛らわすため、脇目も振らず勉強仕事に明け暮れる日々が始まった。

あれから10年

外資系企業管理職年収1000万超

大学卒業し、上場企業新卒就職複数回転職を経て現在外資系企業マネージャー職になった。

ゲイ理解のあるノンケ上司や友人たちにも恵まれ、週末にバーベキューを開いたり、一緒にトライアスロン大会に出たりするようになった。

仕事趣味も充実していていて、一般的には成功している部類に入るんだろう。

当時の失恋のことは今では増田の中で十八番ネタにまで昇華はできている。

ただ、枕をぬらしたあの日から、まともな恋愛はできていない。

無意識に壁を作っているのか増田自身でもわからない。

恋愛でこけてしまうとこんな結果になるのか、と自身を以って体感している。

部屋にいると、ふと空虚に襲われる瞬間がある、増田は独りなんだ、と。

どうしても幼かった頃の増田を思い出してしまう。

「これ買ってもいい?」と駄菓子を持ってとことこと母親が持つ買い物かごにもっていく小さかった増田

祖父の運転する軽トラックに弟と二人、ひとつ助手席に乗って雨の日に小学校まで送ってもらった増田

母も祖父も他界し、当時のスーパー更地になり、トラックも廃車になった。

手にしたもの名前の前に役職名が書かれた英語名刺証券会社から定期的に送られてくる資産運用報告書

増田がほしかったものは何だったのだろうか。

ゲイから

ということではない。

しろ"ゲイから"こそ、今の仕事があって、今の上司、友人に巡り会えたのだと思う。

ゲイであることが欠陥なのではなくて、増田自身のどこかに別の欠陥があるんだろう。

  • こうなってしまうともうなかなか抜けれない。 ただ、今できることは前に進むことだけ。 今の環境に感謝すること、今の趣味を思いっきり楽しむこと、引き続き勉強と仕事に熱中するこ...

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