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はてなキーワード: 起承転結とは

2020-11-29

オチのある話って、どうやって考えつくのかな。

ダジャレじゃなくて。

ストーリーのある話し。

起承転結、よっぽど変わった体験でもしないと、そこまで話をひねり出せないかな。

どうやって身につけてるんだ?

2020-11-05

スクスタ20章に対する自分なりのお気持ち怪文書

・はじめに

 スクスタ20章をクリアしました。実をいうとストーリー攻略をサボってて、17章で止まっていたのですが、20章をプレイした人たちの阿鼻叫喚を聞いて、気になって急いで進めました。

 クリアした感想としては、確かにこれは賛否が別れそうなストーリーだな、と感じました。基本的に私は物語客観的に見るようにしているのですが、やはり見てて辛い部分もありました。

 自分の想いをまとめるために、拙いですが文章を書かせてもらいます題名の通り、単なる私のお気持ち表明ですので、賛否あると思いますが、他の誰かの感想否定する気は毛頭ありません。

 あと、ネタバレがありますので未クリアの人は気をつけてください。

 後、誤字脱字も多いと思いますが許して。

 

・ 鍾嵐珠(ランジュ)について

 19章のラストで登場して、20章でニジガクを引っ掻き回すことになったランジュ。強烈なキャラクター性と理事長の娘という立場もある同好会を徹底的に追い詰める役目だ。

 最初に言っておくと、彼女が嫌いだという人がいるが、その意見は正しい。20章における彼女役割はまさに敵役とも言っても過言ではない。強権を使って(しかもそれは彼女自身の力ではなく理事長の娘、生徒会長の幼馴染という立場を利用して、だ)同好会自由を奪い、主人公蔑ろにする。普通にプレイすれば彼女に良い感情をもてというのが無理だ。

 しかし、その一方でメタ的な視線を持てば、1話全編でいきなりMVが入ってきてることからすでにモデリングがなされており、曲データ存在することから何らかの形でプレイアブル(と表現するべきかはわからないが)になるのもわかる。

 現在彼女に対する嫌悪感を感じる人が多いのはそれが合わさっているからじゃないだろうか。強権を使って同好会に対してだけ圧政を布き、分断させ、プレイヤーの分身たる”あなた”を蔑ろにする。そんな憎いやつなのに仲間になる可能性が高い。とてもじゃないが受け入れられない、という気持ちが強いのは当然だ。正直、私もその気持ち悪さをどうするべきか悩んでいる。

 同じようなことは彼女の幼馴染でもある栞子にも言えるはずである彼女個人的感情同窓会に対して強く当たっていたが、現在は(正しくは19章まで、だが)同窓会メンバーとして馴染んでいるし、受け入れている人の方が多いだろう。これは、栞子がシナリオを進めていく上であなた同窓会メンバー交流し、理解して言った上で仲間になることが分かったからだ。心情的にも受け入れやすい。

 対するランジュは正直言ってプレイヤーから良い印象はない。幼馴染の栞子が「彼女も悪い人間ではない」とフォローを入れてくれているので、本当は良い部分もあるんだろうが、現状ではプレイヤーはそれを理解できるシーンがない。そんな状態で仲間になる可能性があるのは、受け入れがたいものだと感じる。

 一方、彼女の言ってることはある種の正当性もある。スクールアイドルは良くも悪くも見世物だ。表現する側はともかくとして見る側からすれば完成度が高いに越したことはない。それを彼女プロの力を借りて高度な物へと持っていっている。手段はともかくとして表現する側として完成度が高いものを追い求める姿勢は間違ってはいない。

 だが、スクールアイドルとしてどうなのか、なのだかこれは後で纏める

 

・果林の選択について

 20章で最も批判が集まったように感じているニジガクメンバーの分断。果林と愛はランジュの言葉一定の理を感じて同好会を離れて部へと向かっていった。正直、果林と愛を推している人には辛すぎる展開だ。私は箱推しなので辛うじて堪え切れたが、自分推しシナリオの展開とはいえ敵対する展開は見たくないと思うのは当然だ。しかもそれが、同好会メンバーを苦しめる役目なのだ。受け入れがたいのは当然だ。

 特に果林は同好会メンバーにたいして「馴れ合いで入ったわけではない」と言い放ち、ランジュの持っているプロ技術を使ったスキルアップに対して理解を示している。これに私も最初は戸惑ったが、納得はしている。納得できても辛いのは辛いんだけどね。

 元々、彼女読者モデルをやっている。モデル業界には詳しくないものの、アイドルと同じように競争は激しい業界のはずだ。彼女はそこで人気を保つためにあらゆる努力をしていた人間だ。体形に気を使い、いろんな研究もして人気の読者モデルとしての地位確立した。だから学校でも有名人で、食堂にいれば名前も知らない下級生からしかけられて、黄色い声を上げさせる、元々はそういう人物である

 そんな彼女がランジュの言葉に理を感じるのは当然だ。少なくともランジュの用意した環境は下手なスクールアイドルでは実現できないレベルのものだ。そこにいることでスキルアップが望めるのならば向上心の高い彼女がそちらを選択を不自然なことではない。これは彼女が薄情というわけではなく、彼女自身がそこまで”スクールアイドル”という存在に本気になっているからだ。だからこそ、貪欲スキルアップできる場所があるならそちらに向かう。それが例え同好会メンバーを裏切るような形になっても、だ。理解はできる。だが、やっぱ見てて辛い。

 彼女はとにもかくにもギャップが印象的なキャラクターだった。クールビュティーではあるが、子供っぽいところやウブなところ、抜けているところがとにかく描写され、親しみやす人物として描かれてきたし、プレイヤーもそう思ってきた。だが、20章ではそういう部分は鳴りを潜め、大人としての視点を持ち、ある種残酷選択が出来る部分も描かれた。19章までの親しみやす彼女に慣れしたんだプレイヤーが困惑するのも当然ではある。

 

エマの怒りについて

 果林がある種、大人選択したこと、そしてランジュに対して彼女が最も過敏に反応している。普段のおっとりさから想像できない、怒気を孕んだ言葉対応しているシーンが多い。特に果林と対峙した際の会話が顕著。最も、皆を幸せにしたいと願いスクールアイドルをしている彼女とランジュの姿勢は真っ向から対立するものだし、彼女がはっきりとは言わないものの、彼女を拒絶しているのもちょっと新鮮だ。……新鮮なだけで見てるこっちのこころボロボロなわけだが。アニメニジガクの5話見た後にこんなの見せられるの拷問以外のなにものでもない。

 だが、エマは果林に対して怒っているというわけではなく、ランジュのバックダンサーにされている果林の境遇に対して怒っているように感じる。果林のスキルアップに最適な環境であるという言葉に対して、エマは果林自身ステージが見られず、ランジュのバックダンサーの扱いにされていることに怒っている。これは悲しい平行線なのであるが、同好会が元々「個人キャラクター性を尊重する、そのためにあえて一つのグループにならずにソロ活動をする」という選択をしたからだ。ランジュの活動はそれを否定する形になっており、自分よりも実力があればセンターを譲ると言ってはいものの、それは実力がなければ果林・愛(そして栞子)の個性否定するということである自身の大切な仲間を蔑ろにされている状況、それをエマは許せないのだろう。

 

かすみの見せた可能性としずくの決意について

 20章はとにかく重たい話だった。残った同好会メンバーは現状を何とかしようとするが、ランジュの強権で身動きが取れず、μ'sの力を借りてなんとか同好会としての体裁は取り戻すものの、状況はあまり好転していない現状だ。

 反撃ののろしとして計画されたゲリラライブ何となく話の展開から上手くは行かないんだろうと覚悟はしていたが、想像以上に辛い展開だった。それは、トップバッターかすみであったことが大きい。

 かすみというキャラ自身を全肯定している。それは「自分かわいい」という絶対の信頼を持ち、それが自信となって溢れているキャラである。だが、それと同時に彼女はその全肯定の自信の上にあぐらをかくことなく、かわいいを追求し、誰よりも自分がかわいくあれるように努力し、その努力を誇らない人間でもある。彼女アピールするのはあくま自身の「かわいい」であり、そのかわいいを生み出すまでの努力は決して見せない。なぜならそれはかわいくないからだ。そのプロフェッショナルさは日常生活ではギャグオチのように扱われているものの、果林やせつ菜等、仲間たちもいろんな媒体で認めている。

 だが、彼女のその全肯定から来る自信は、ゲリラライブを潰すために行われた部のライブで徹底的に打ちのめされる。新進気鋭で演出の完成度も高い部のライブに観客はあっさりと奪い取られ、残されたのは数少ない観客。彼女の積み上げた努力も、ライブにかけた想いも、冷たい現実の前に踏みにじられてしまう。正直、シナリオを読む手が止まってしまった。それぐらいいショッキングな展開だった。

 だけど、”中須かすみ”という人物は折れなかった。牙は折られて、満身創痍に打ちのめされても、冷たい現実に声は震えて涙声になっても。だってそれは”可愛くないから”。目の前にいる残ってくれたファンのために、彼女ライブをやり遂げる。

 そのかすみの姿に、しずく可能性を見出す。演出技術もなにもかもが上のはずのランジュ率いるスクールアイドル部のライブ。だけど、それに勝る何かがかすみライブにはあった。それはランジュが取りこぼしていて、もしかしたら果林と愛が見失っている何かだ。

 その”何か”を確かめるために、しずくはあえて同好会を離れる選択をする。その決意は残念ながら同好会メンバーには理解できず、可能性を見せたかすみからは拒絶すらされてしまう。だけど、あえて彼女はその道を進む。親友が見せた、おそらくスクールアイドルの輝きを確かめるために。

 果林・愛の分断は悲しみや戸惑いという感情が多かったが、しずくのこの決意はむしろ希望に思えた。スクールアイドル部に向かった彼女がどうランジュ、そして果林・愛の2人と向き合うのか、それがどういう結果を貰たらすのか、非常に重要ポジションだと思う。

 

セカンドシーズンでニジガクに問われるもの

 ランジュの所でも書いたが、彼女の言ってることは全部が全部間違っているわけではない。アイドルとしてファンライブを見せるにあたって、完成度の高いものを追い求める姿勢は間違ってないし、完成度が高いライブを見せた方が勝つのも当然なのだ。実際、μ'sやAqoursが戦ってきたラブライブという大会はそういう場所だった。

 だが、彼女がやっているのは”アイドル”ではなく”スクールアイドルなのだ

 残った同好会メンバープレイヤーたる我々が感じているランジュに対する違和感とは、まさにスクールアイドルへの姿勢なのだと思う。そして同時に、セカンドシーズンにおいてニジガクが最初に問われるのは「スクールアイドルとは何か?」なのではないだろうか。

 μ'sとAqoursもこの命題に向き合ってきた。μ'sは自身たちの永遠を望む声を聞きながらもそれを「限りある時間の中で輝くもの」とした。Aqours時間とともに移り変わりいくことに戸惑いながらも「輝きを受け継ぎ、次代に託していくもの」とした。

 ならばニジガクは?

 ランジュはスクールアイドルフェスティバルを見てスクールアイドルに憧れて日本へと来た。だが、彼女姿勢スクールアイドルとしてはあまりにも歪で、大切なものを見誤っているように感じる。同窓会や”あなた”が感じているそれは、永遠を望まれたμ'sや、3年生が居なくなったAqoursと同じ戸惑いなのだと感じる。

 20章は非常に重くて辛い展開だった。だが、希望は確実にあって、私はそれをかすみライブシーンに強く感じた。そしてしずくの決意の中に感じた。

 正直、辛い気持ちが強いのも事実だが、セカンドシーズンはまだ始まったばかりで起承転結の起の部分でしかなく、物語はどう転んでいくのかわからない。賛否が起こる理由もわかる、正直、ここまで拗らせる必要はあったのかと思う。でも、ここだけで判断しては全体が見えない、という気持ちもある。複雑な心境である

 何とも複雑な気持ちなのだが、しばらくはイベントストーリーのほんわかした雰囲気で心を癒しつつ、21章を待つしかいかな……。

 

 

 いやでもホント、ニジガクアニメがやっててよかったと心の底から感じられる(シナリオ読み終わった後5話を周回したよね。

2020-11-03

映画鬼滅の刃を二度も観てしまった……。

 先週、自分一人で観に行って、面白いっちゃ面白かったけどやっぱり他の映画観れば良かったなって後悔してしまった。面白かったんだけど、自分の好みかっていうと別にそんなには、って感じだったので。猗窩座が異様に可愛いこと以外は。

 なのに今日子供達にめっちゃせがまれしまったので、家族皆で観に行くことにした。鬼滅ってすごいねプリキュア仮面ライダーなら観に行かない子も結構いるのに、鬼滅はなんかもう女子男子も行きまくり

 という訳で、『100分後に死ぬ煉獄杏寿郎』二度目の感想

疲れる!すごく疲れる!!映画観てこんなにぐったりしたの初めて!!!

 前回も思ったけど観ててすごい疲れるんだよなぁ。「起承転結」ならぬ「起承転転転転転結」みたいなもんだからだろうか。とにかく慌ただしい印象。

感情の動きがだいぶ激しい。

 ベタに泣かしてきた直後に間髪入れずに笑いを取ろうとしてくる。ネタばらしするけど、終盤で煉獄さんの亡骸の側で炭治郎が普通に慟哭しているのに、善逸は白目剥いてぶっ倒れるわ伊之助はうおーーー!と大暴れしてるわで、こっちは泣いたらいいのか笑ったらいいのかよくわからないよ!先輩のご遺体の側で何やってんだよ君達は!と泣くのを忘れてツッコミ入れてしまう。悲しみが不発に終わってなんか心にわだかまりが残るんだな。

音楽の切り替えも忙しない感じがした。

 猗窩座が画面に映ってる時はギターベースガンガンにかき鳴らされてて、猗窩座が画面から外れると音楽変わって静かになる、でまた猗窩座、めっちゃうるさい!をハードに繰り返していたような……。

 別に、すごく変なことしてるアニメじゃないと思うし、上記演出も珍しいものでもないのかもしれんが、なんか疲れたな……。

追記

id:PalantirPalantir 梶浦サウンドいいよね。いいよな。椎名さんも気になるよな。テーマBGMみたいのに切り替わる繋がりとかたんじろうの歌が急に入るとかいいよなぁ!!

2020/11/04”

それが疲れる言うとるのにお前さんは!!

2020-10-21

春樹はノルウェイ読んだだけでもう腹いっぱい

読了したことを褒めていただきたい

なろうのがまだ起承転結ある

やれやれ

2020-09-28

バズる増田の書き方、エッセイ

anond:20200928080309

随筆まとめ

リンクが多いとスパム扱いされて投稿できないので分ける。

これらの記事の中には、一人称を私にしたため性別特定できなくなっているものがあるが、書いたのは僕だ。僕は男で異性愛者だが、BL漫画を読むことだってある。個人特定されないよう細部をわずかに変更したが、基本的には事実に基づいている。

タイトル執筆時点のブクマ投稿投稿曜日投稿時刻
旅とは、とても面倒くさいものだ。 もちろん、ふと思い出す旅の風景はとて..192020/09/1507:42
近頃夕飯にゴーヤをいただくことが増えた。それから、モズク酢やメカブも..182020/09/1608:04
婚活帰りにBL漫画を買う212020/09/1707:59
中村明日美子のBL読んでると女装したくなる12020/09/1707:08
今年の夏は、田舎でもないのにアマガエルが鳴いていた。 私の住んでいるマ..42020/09/2008:01

随筆についての結果・考察

以上。

2020-09-27

医者ドラマばっかりも病むだろうね

起承転結無いっちゃ無いもんな医者ドラマ

TikTokに収まる長さの曲が流行

サビの数小節しかなくて起承転結のある歌詞の曲

2020-09-18

理系はせっかち

いきなり結論書けとかどうなん?

起承転結を守れよ

2020-09-17

婚活帰りにBL漫画を買う

日曜日婚活パーティーに行ったのだけれども、残念ながらマッチングしなかった。仕方がないことだけれども、こちらが気になった人に選んでもらえなかったのはちょっと寂しい。そういうわけで、繁華街ツタヤ漫画でも買って帰るつもりで足を運んだ。

本当だったら地元有隣堂で買うつもりだったのだけれど、持っていた歴史の本は読み終えてしまっていて、帰りの電車で手持ち無沙汰になるのが嫌だった。ついでに、部屋を掃除して見つけたクオカードを使いたかった。残念ながら、ツタヤではクオカードが使えなかったけれども。

買ったのは中村明日美子短編集で、2冊買ったから、日曜日の帰りの電車と、昨晩の仕事帰りに分けて読んだ。この人はまず絵がきれいから額縁に入れて飾っておきたいし、BLGLも、感情がこじれてもお互いが本当に好き合っているのが感じられて素敵で、シリアスコメディもうまくて、芸風が広い。何度読んでも飽きないし、いつの間にか全部のコマを覚えてしまうくらい読んでしまう。私の漫画の読むときはこんな風に短篇集を何度も読み返すことが多くて、本棚漫画の数はそれほど多くはない。そもそも私の主食活字で、漫画はおいしい食後のデザートみたいだ。なぜかあまりたくさんは読めなくて、お腹いっぱいになってしまう。

で、中村明日美子作品を読んでいると、好き、以外の感情がなくなってしまう。わかりやすい話のときも、平凡さを感じさせないのはなぜだろう。起承転結テンポの良さ、箸休めギャグのせい? 絵が美麗だからそこに入り込んでしまっているから? 言葉にすると、なんだか普通のことでしかないようだけれど、普通のことを当たり前にやるのは創作では難しい、と元文学サークル所属の私は思う。

童話翻案も素敵だ。あまり上手じゃない人が童話翻案すると、全部似たような話になってしまうのに、中村明日美子はそんなことが全然なくて、切り口が私にはとても思いつけない。昔、兼部していた合唱サークルで、結局そことは喧嘩別れをしてしまったのだけれどもそれはさておいて、合宿で学年ごとに寸劇を出し物としてやることになった。でも、どの学年も童話パロディで、凡庸だな、ってがっかりした(この感想にはきっと恨み言が混じっているから話半分に聞いて欲しい)。でも、この人の作品には全然そんなところはない。

読み通すと、美術館でだらだら、ぼんやりしたような幸せな気分になれるので、とにかくおすすめしたい。六本木でやっていたミュシャ展がすごくよかったときも、この間の浮世絵展も、こんな感じだった。だから、最高の帰りの電車だった。

ところで、結局使えなかったクオカード、何に使おう? また婚活頑張ったらご褒美にしようかな。

2020-09-12

短編が書ける方が字書きとして優れているらしい

Twitterでこんなマシュマロがきたという字書きのツイートを見た。

短編をよく書かれていますが、長編は書くことができませんか?個人的意見ですが短編を何本も書かれている人以上に、長編を書いている人の方が文字書きとして優れていると思います

クソマロである

これに対して当の字書きは「勝手に優劣つけるな」との旨を返していた。

短編には短編の、長編には長編の良さと難しさがある。長ければいいというわけではないし、もちろん短ければ短いほどいいというわけでもない。

だが、世の中には書くのか読むのか知らんが小説を好んでいるくせに、文字の読めない奴がたくさんいるらしい。

短編の方が難しいだろ』

短編書ける人の方がすごいと思う』

長編はだらだらしたものだけど起承転結つけてきっちりまとめられた短編は魅力的』

結局マウントじゃねえか。優劣つけるなって言ってんだろ。

ちなみに自分長編を読むのを好むし連載を追いかけてるときはめちゃくちゃ楽しい

からネット連載はエタらないでくれ。頼むよ。

2020-09-05

[]

今回は少年ジャンプ+で読める『マナーアプリオリ』の雑感

前提

正直、ひとつ作品として評価するとそこまでじゃないけれども、琴線には触れたね。少なくとも、久々に長文で感想書きたくなる程度には。

私は子供の頃、ハムスターを飼っていて失敗した覚えがある。二匹飼ってたけれども、一匹は脱走して、もう一匹はケージを日なたに長時間置いていたせいで死んでしまった。いや、殺してしまったというべきだろう。あの時、私はペットを飼うべき人間じゃないって思ったよ。

ただ、それから大人になって色々と考えを巡らせるようになると「愛玩動物」という概念文化のものに疑問を持つようになった。だって動物を飼う」という行為自体必要のないことだから。もし、それに必要性があるというならば、それは飼う側(人間側)の都合でしかない。

ペットを飼っている人たちが、他種に対する思いやりやら命の尊さを語ることがあるけれども、あれって本気で言ってたら怖いよね。だって読んで字の如く「愛」する「玩」具として手元に置いている立場なのに、その状態動物死生観客観的に語ると空々しくなってしまう。ペットに服を着せて「飼い主側の都合でそういうことをするのは如何か」みたいな意見は昔からあるけれども、そもそもペットとして飼ってる時点で人間側の都合を押し付けてるから

もちろん、それは動物を飼うということだけではない。食べるため、服の素材にしたり、或いは政治的パフォーマンスのためにお立ち台にあげられる。害獣害虫、益のあるなしなんて人間社会の決めたこと。自分たち生活を豊かにするため、時に排除し、時に利用する。グラデーションに違いはあれど本質は同じで、せいぜい細かな差異人間という第三者たちで語るだけ。結局のところ利己的な対応をとっているに過ぎない。私たちは「命の選り好み」を各々で強いられて、「倫理的バグ」を抱えて現代社会を生きている。

淡々と描かれる命の弄び

といったことを踏まえると、『マナーアプリオリ』という作品はえげつない。本作のテーマが何かって言うと明白で、それは「愛玩動物」。それを人間に置き換え、宇宙人立場から人間社会が抱えた「命の選り好み」と「倫理的バグ」を風刺的に描いている。『鬼滅の刃』で「生殺与奪の権他人に握らせるな」ってセリフがあるけれども、もし握らせて相手倫理に委ねたらこうなるともいえる。言葉意思疎通を図れるヒト対ヒトでそれなのに、動物相手だったら尚さら

ミノウルスの皿』と比較している人もいたけれども、本作は“愛玩動物”という視点から他種の命に対して問題提起を行っていて、食べるかどうかっていうのは一要素、側面的な話だと思う。『ブタがいた教室』っていう、学生たちが育てた豚を食べるかどうかで議論させた話があったけれども、本作がやっていることはそっち路線。「命を学ぶ」という“学ぶ側の唱えたお題目”によって、ブタの「命を弄ぶ」という側面。

テーマについては解釈余地ほとんどないと思う。あと、本筋に対しても解釈余地は少ない。大体のことは作中で語られてるし。最初の1ページで飼い犬が捨てられて、飼い主側の都合やらが語られる。旦那さんの「一日中ケージに閉じ込めてるのはかわいそうだ」だっていうのも、人間フィルターを通して語られる一方的倫理。それが人間の身に降りかかるという分かりやすい構図。

例えば「命の選り好み」と「倫理的バグ」については分かりやすい。主役の宇宙人たちの世界でも共食いは犯罪自分たちと見た目が似ている人間を食うのはゲテモノ扱いで、忌避する者もいるが一応はOK。まあ、これは哺乳類を食べるかどうかとか、クジラを食べるかどうかみたいな感じかな。

人間の子供に情を抱いたサッピは「殺すなんてかわいそうだ」といって、クンダは「それはエゴだ」という。なるほど一理ある。でも後にクンダは「そいつ幸せはとっとと食われて余計なストレスとおさらばすることだ」なんて言う。いや、それもエゴでしょ、ってツッコミは読者がするしかない。けれども、そのツッコミを本気でできるほど私たちは上等じゃない。

個人的に目を引いたのは痛覚のあるなしで是非を決めようとするシーンだね。痛覚がなかったら刻んだり好きなように弄んでもいいのかっていう疑問はあるけれども、これは現代ヴィーガンにも通ずる。痛覚がないか植物で、生物ではない。殺して問題ない命。その判断自体人間の決めたカテゴライズしかなく、それは「命の選り好み」の延長線上でしかない。あまり思慮深くないクンダは時々の感情判断し、サッピの方は独自基準が多少なりともあるが本質は同じ。無差別ではないが公平でもない。

露骨メッセージ性、損なうエンターテイメント

ここまで語っておいてなんだけれども、私は本作を高く評価してはいない。テーマに対して淡々としすぎてて、ストーリーライン起承転結の盛り上がりがあまりない。そうすることで残酷さを如実に浮かび上がらせるって意図なのは分かるけれども、それが一作品としてのエンターテイメントから見たとき、やや面白みに欠けるのは確か。

プロットに対しメッセージ性も露骨で、説教臭さが抜け切れてない。宇宙人文化倫理観、言葉選びが人間社会とほぼ同じで、語られることも作品内で馴染んでない。ひいては宇宙人の二人も本作のテーマ風刺的に描くための舞台装置、配役でしかないことを意味する。なんというか、『寄生獣』の終盤で環境問題について語りだす件があるけれども、あれだけ抜き出した感じ。有り体に言えば浮いてる。

ただ、私からいわせれば物足りないってだけで、現代社会は「命の選り好み」と「倫理的バグ」について、大衆は割り切るかどうか以前の段階。大半は無自覚的に享受し、狭い範囲内で限定的倫理を振りかざすのが精一杯。踏み込んで論じる段階にすらいけてない。それで描いても読者の大半はついていけないだろうし、少年ジャンプ+というサイト掲載マンガとしては丁度いい按配といえなくもないかな。

だめなYouTuberを見ていると、できてる人の分析になる

喋りだけ系

有名人でもたまにいるこのタイプ。話が面白ければラジオとして使えるが、放送大学じゃないんだから

ホストとしてだめな人

Youtubeでは先輩なんでちょっと指導します、とか言う割に後輩より下手だった某氏。なによりまずいのは編集への指示もきっちりできていない点。NGシーンはテロップさえ入れたらダメダメ企画としてゆるい笑いをとれるのに、NGカットで「できませんでしたので(正式カットを流します)」とだけ説明する。動画なのだからどうできなかったのかわかってもらわなければならない。人は動画を見ながらイメージを働かすことはできない。口頭だけでは伝わらない。

余談だけど、この人に限っては人の会話に意図しないかぶせを何度も入れるなど、正直デリカシーのなさとタイミングの悪さ、鈍さも良くなかった。

テンポの悪い編集

次回また、という直前で「あ、ちょっとまってください」というホスト。これも最悪だけど、テンポが崩れたまま長回しエンディングにふさわしくない話を入れ、それをNGなしで採用してしま編集もひどい。「ちょっと待って下さい」の時点でテロップツッコミを入れるくらいの気の利かせ方がほしい。おかげでゲストのぷらーんと両手をぶら下げたまま居心地悪そうにしている絵がそのまま映っている。ツッコミ不在の中これはきつい。見ている側も笑うべきか突っ込むべきか、しらけるべきかという判断に困る映像になってしまっている。動画感情誘導技術なので、恣意的に笑わせ恣意的に悲しませ、恣意的に怒らせなければダメだ。少なくとも売れてるバラエティYoutuberはみなこの基本ができてる。

会話の引き出しが少ない

何かとゲストに「すごいですね」を連発。これだけで顔芸が成立する人はいいけど、某氏場合どう考えても隙間潰しでしょう。言うことをノートしておくだけでも番組の成立度が変わるのに、それもやってない様子。何もせずに喋る人はもともと話術に長けてるか、愛される天然系くらいなもの

ゲストが来ることがわかってるのだからインタビュアーになるくらいの気持ちリサーチまくるのはごくごく普通。売れてる芸人はこういう事きっちりやってます

動画にヤマがない

これが一番最悪。まず何を見せたいのかよくわからないので、クリック/タップする気が起きない。終盤に「検証動画でした」と言われてもそうですか、という感想しか出てこない。最後感想はヤマがあって始めて落ちとして機能する。動画起承転結必要ないが、ヤマとタニはないと流石にダレる。途中で切られる要因にもなるし、下手をすれば登録解除の憂き目にも合う。

2020-08-28

ジャニーズ終身雇用 手越へのお気持ちをそえて

私はNEWSファンだ。なんであんなにスキャンダルの多いアイドルを?って人に言われるけど、すきなものは仕方ないです。私には魅力的に見えてる、今も。

今年の6月手越が脱退(実質クビ)になった。

手越リハーサルまで終了し、後は本番を控えるだけのコンサートツアーを放ったらかしにして退社した。

今年のツアーは4部作の完結編で起承転結の「結」にあたる作品だった。

正直手越はこのツアーを終えたら脱退するのかな?という感覚はあった。これは今思い返してみればというものではなくて、明確に当時からあったのだ。私の周りのオタクも口には出さないが薄々感じていたのではないかと思う。

新型コロナウイルスの拡大により、ツアーは延期になった。そこから先はお察しの通りに事は進んだ。

退所後の手越はあるいみ「手越らしく」残る3人のファンや4人のNEWSファンだった人、そしてジャニーズアイドルとしての手越祐也が好きだった人の神経を逆撫し続けていた。

ああ、3人と事務所手越を野放しにしていると思っていたのは間違いだったのだな、管理した上で溢れ出てくる奔放さだったのだなと思わせるほどに、1人になった手越自由に、やりたいように振る舞った。まさに迷走。

暴露本もそのひとつ手越は全て赤裸々に話す事が必ずしも誠実とは限らないということをわかってなかった節がある。赤裸々に話したほうはスッキリするかもだけど、こっちは聞きたくないことを嬉しそうに話していたようだ。褒めればいいってものじゃないし、書き起こしたライターにも問題があるのか、上から目線で書かれてるように見える。

まあここまで長々と手越への不満に近い感情を書いてきたが、オタクというのは良くできたもので2ヶ月たつと新しいNEWSに慣れ始めるのである

同時に手越への関心も薄まり、怒りとかそんな感情はもうない。そもそもオタクが怒る資格なんてない。かつてのファンとして、成功してくれればいいなとは、ささやかながら思っている。

ジャニオタ人格を切り離した現代社会を生きるものとしての視点から今回の脱退をみると、まあ、仕方ないよなぁとも思うのだ。

元来アイドルというのはファンによって成り立つ一方でファンによって縛り付けられる。

オタク無責任にもアイドルグループ永遠を願う。アイドルにとっての本当の幸せとは何かなんて知りようもない。オタク幸せアイドル幸せは本当の意味で両立できるのだろうか…

転職したいなぁーキャリアアップしたいなーとジャニーズアイドルだって思うのではないか

ジャニーズは旧世代に取り残されたかのように終身雇用制度押し付けられている。ファンの手で。転職を重ねてキャリアアップしていく(と言われている)時代である。無理があるよなぁ終身雇用

(まあ、あの事務所あんまりやりたいことやらせてくれないのは終身雇用が無理な理由の一つとして大きいよね)

アイドルグループに続いて欲しいと願う事は、応援し、好きな人に対して全時代的な働き方をするよう押し付けている。アイドルに対して、彼ならもっとできるはずの何かを諦めさせようとしている。そのことをオタクとして理解しとくべきだと思う。

いつか必ずくる終わりの日には笑ってお疲れ様と言えるファンでありたいなぁ。開放だもんね…

手越にも沢山の元気をもらったことを感謝してる。もっとうまい辞め方はいくらでもあったのにとは未だに思うけれど。

2020-08-23

大好きな書き手さんに幸せになってほしい

今ハマッているジャンル推し文字書きさんがいる。

凄く優しく、丁寧な言葉お話を書かれる方で、何度読んでも幸せになる。

1か月ほど前にその推し文字書きさんのついったアカウントを見つけた。

プロフィールを見た時にフォロー数が少なくて驚いた。こんな素敵な作品を書かれる方ならもっと沢山の人がフォローしてそうなのに。

始められたのがつい最近のようなので、皆気付いてないのかな。と勝手結論付けてフォローした。

頻繁に呟かれる方ではなく、作品を上げた報告のツイート+1.2ツイートだけされるような方だ。

数日前、その方が新しいお話をしぶにアップされた。

TLを眺めていたので「新しいお話だ!」と嬉しくなったのだが、

自分作品需要が無いことを分かっているが、自分の書きたいものを書きたい』

という文章と一緒にしぶにアップしたことを報告されていた。

その文章を見て、苦しくなった。

私が今ハマッているジャンルは、3年程前にリリースされたソシャゲだ。

幸運な事にそのゲームはまだ人気の作品で、沢山の人が遊んでいる。コロナが無ければイベントも開催される予定だったし、舞台化したり、ゲームストーリー更新されている。

ただ、個人的にしぶの作品数や投稿者数だけでなく、閲覧者数も減っているように感じた。

リリースされてから1~2年の内に投稿された作品いいねの数は4桁を超えている物も少なくない。(小説作品で)

しか最近作品いいねを数を見ると、多くても200人からいいねを貰うか貰わないかくらいの物が多い。

これは勿論リリース直後から今までずっと作品を公開していた事によるいいねの蓄積数だと思うので、そんなほいほい4桁を超えるいいねが付くとは思っていないが、今200くらいいいねを貰っている作品があと1年後、2年後に1000いいねを貰えるのかと言われると多分無理じゃないかと思う。

ここ数年でしぶの立ち位置が、新作を投稿する場所だったのが、ついったーに上げたものをまとめて投稿する場へと変わっている。みたいなツイートを見かけたことがあるし、実際そうなんだろう。

ただこれは絵描きさんの話で、文字書きさんは新作であっても大体しぶになるんじゃないかと思っている。というか私はそうしている。

しかし閲覧者数で考えれば小説より圧倒的にイラスト漫画を見る人の方が多い。小説だけ好きな人ってあんまりいないと思うので、イラスト漫画検索をかけるタイミングであわせて小説を見るんじゃないだろうか。だとすれば、しぶを閲覧する人が減ってしまうのは当然のことだと思う。

あとはリリースから3年経ったことで推しカプのクラスタも変わっているんだろう。新しい作品はどんどん出てくるので、ジャンル移動(勿論その作品が嫌いになった訳でなく、移動というより沼が増えた状態なのだろうけれど、作品更新していないという意味で「移動」という言葉を使う事にする)している人はたくさんいるだろう。しぶにおススメされた作品を見たらドストライクだったのでその人のプロフィールに飛んだら最近更新が全く別作品だった。なんてことも珍しくない。

クラスタが変われば需要も変わる。

推し書き手さんの作品いいねが以前はどれも3桁を超えていたのに対して、最近作品には50~60くらい、場合によっては30くらいの時もある。

私の推し文字書きさんの作品は、最初に書いたようにとても優しくて丁寧だ。最初から最後まで読んで温かい気持ちになる。

ただ物は言いようで、悪い捉え方をしてしまうと「起承転結が無い」と思う。

どの作品も攻めが受けの事を大事に思っている描写があるが、告白して両想いになったりとか、何かハプニングが起こって2人の関係が進むようなことがない。

私はそういう話も大好きなのだが、人によっては「推しカプがくっつくまでの過程が見たい」とか、「推しカプのエロい話が読みたい」とかそういう人もいるだろう。

そういう人たちにとって私の推し文字書きさんの作品はつまらないのかもしれない。

反応が無いことで筆を折る書き手さんがいる。それを自身承認欲求から書いているとは思わない。

「褒めて貰いたくて書く」のと「書きたいものを書いた結果貰ったお褒めの言葉が嬉しい」は別物だと思っている。

今まで貰えていた誉め言葉いいねが減った事に焦燥を覚えたり、「自分が書くものはつまらないんだ」と感じる気持ちも分かる。

私も文字書きをしていて、ブクマ数は多いとは言えない。100いいねされれば良い方だ。作品によってはいいねの数が10に満たない時もある。

でも私は「自分の書きたいものしか書かない(書けない)」と思っているし、いいねが少ない事に不満や悲しみはない。ニーズと私の推しカプイメージがずれているんだろうな。と思うくらいだ。

前はブクマ数が伸びない事に落ち込んだりしたこともあったのだが、最近自分の書きたいように作品が書けると満足している。

それにプラスして毎回いいねしてくれる方もいるし、たとえそれが一桁であってもいいねしてくれる方がいる事が嬉しい。

貰えない「いいね」を嘆くより、貰えた「いいね」に感謝をする方が楽しい

多分これは私が書き続けるために手に入れた「気の持ち方」だと思う。

文字書き仲間で沢山の方からいいねを貰う方がいた。その方の作品が好きだった。

幸運にもその方と仲良くなって相互フォロワーになり、SNS上でお話をするようになった。

一度その人と他のフォロワーさんと食事に行ったことがある。そこでその方は作品投稿時間に気を付けている。という話をされた。

金曜日の閲覧数の多い時間帯に投稿する」「有名な方が作品投稿された週は投稿しない」

「なるほど、一種マーケティングをしながら投稿してるのか。凄いな」と感心したのだが、その一方で「そこまで評価されたい気持ちが強いのか」と驚いた。

その方がSNSで「作品評価されない」という呟きを見る度に何とも言えない気持ちになった。

謙遜ではなく事実だ」と言っておられたし、おそらくその方は本当にそういう気持ちで呟かれていたのだろうけれど、私としてはとても悲しかったし、正直腹が立った。

100人以上からいいねを貰っているのに「評価されない」というのか。その100人の評価は何だと思っているのか。

その人にとっての「評価」に「いいね」は含まれていなかったのかもしれない。

100人からいいねよりも、自分の憧れた絵師さんや文字書きさんからいいね」と言われたかったのかもしれない。

イベント前に「誰かご飯行きませんか」と呟かれた時に「行きたいです」と返事をしてくれる人が欲しかったのかもしれない。

(これは私が友達が欲しい。と苦しんでいた事だ。今となっては「馬鹿な事で苦しんでいたな」と思う)

こういう理由作品を書いている人もいるんだろう。悪い事だとは思わないが、しんどいだろうな。と思う。私がしんどかった。

結果として私の周りの人はその人から離れていった。私もフォローを外した。

最初はみんなから「私は〇〇さんのお話好きですよ!」というリプライが来ていたが、次第にそれもなくなった。

だって伝えたってそれを「評価」だとしてくれないから。届かないなら空しいだけだ。

あの人の書いていたお話が好きだった。でも今あの人の作品を読もうとするとあの人の事が頭をよぎって作品を楽しめない。

悪いのは作品と作者を切り離せない私だ。それでもあの人の作品をまた読みたいとは思えない。

好きな人自分作品評価されないことを嘆いている。筆を折ることも考えている。

自分に出来ることは感想を送る事だけで、その感想がどうかその人を傷つけないものであるようにと願いながら匿名感謝を伝える。

ただ何となく、私の匿名感想だけでは多分、この人を救うことは出来ない気もしている。

その人は30人からいいね」が付いた作品を「需要が無い話」だと判断しているので、誰か分からない相手から感想を「書く糧」にはしてもらえないかもしれない。

それが分かってこの人を嫌いになってしまう前に私はこの人のフォローを外して、こっそりと作品がしぶに上がる日を待とうと思う。

頭の中がぐちゃぐちゃでうまく書けなかったな。

こんなんじゃ上手く感想も書けないかもしれないけれど、少しでも推し文字書きさんの救いになればいいなと思う。

2020-08-19

ソシャゲのお陰で楽しい二カ月を送った

ワールドエンドヒーローズというソシャゲストーリー

めっちゃ面白かったので好きなところを書くだけの日記

※序盤~中盤前までくらいのネタバレあり

オタクのこういう話はnoteの方がそれっぽいと思うんだけど、

IPアドレス流出騒動があった直後なので少し怖い。まあ大丈夫だと思うけど。

タイトル通り、6/20から初めたド新規なので気になる人は読まない方が良い。


まず面白いってどういう意味?というところから始めて、当て嵌まりそうなものを選んだ。goo辞書から

①興味をそそられて、心が引かれるさま。興味深い。

②心が晴れ晴れするさま。快く楽しい

風流だ。趣が深い。

順番に書いていく。

①興味をそそられて、心が引かれるさま。興味深い。

タイトルから分かる通りヒーロー物。オタク教育幼稚園で触れるであろうメジャージャンル。とても入りやすい。

そこからどう作品個性を出すの?という興味が湧くので、まず心引かれると思う。

個性を知る前=序盤に、コミカルなやり取りや結構重い変身の代償など、

飽きさせないテキストが用意されている。これも個性だな~。

また、個人的主観だけど、ワヒロを起承転結に分けるのなら

起承 一章〜三章

転結 四章・五章 となる。

この各章の終わり方も良く、「成る程な、よし次どうなる?」と思わせる

作りになってる。アニメパートみたいな意味深な台詞が並ぶ。否が応でもクワクしてしまう。

三章以降は佳境なのもあり、特に顕著。

(佳境は「物語面白い場面」らしいから、全編通して面白いワヒロに使うのもアレ)

②心が晴れ晴れするさま。快く楽しい

本編のコミカルなシーンだったり、奇策を駆使して有利な状況へ運ぶバトルシーンだったり。

一番分かりやすいのはイベスト!単純にオモシロい。

ワヒロって公式説明でもある通りギャグ鋭利だと思う。

お話読んで吹き出す、というのは、実は結構少ない気がしている。私の話。

けど、イベストがどれも面白くて、外れがない。これは本当に凄い。なんで出来るんだ?

また、そのオモシロさがキャラ依存でないのも凄い。

説明が難しいんだけど、「(よく設定を知っている)××さんがこう動くから面白い」ではなくて(そういう要素もある)、

言動や会話のやり取りがクスッとする」形なのが凄い。

キャラのことを知らなくても笑える。単純にギャグセンスが高い。尊敬

あと、キャラがとても生々しい。フィクションにおけるリアル最高峰かもしれない。生きている感じがする。

そういうキャラを心から応援したくなって、「心が晴れ晴れする」。

命を掛けて敵と戦う、自分意思を貫こうとする姿勢が、幼さを残しながらもとても立派で、ずっと応援したくなる…。

上手く言えないが、頑張りすぎてると「無理するな…!」って心臓痛くなってしまうし、

努力描写って加減が難しいと思うんだけど、ワヒロのキャラはそこが絶妙と言うか、

高校生〜しつつ、ヒーローをやる時は自分の信じたもののために戦っている、その姿が堪らなく応援したくなる。

応援するの楽しい次元の壁で届かなくても


風流だ。趣が深い。

別名オタクここすきポイント

①と被ってしまうんだけど、

ワヒロはヒーロー物という伝統的な枠にある作品なので、

ボーイ・ミーツ・ボーイな物語の始まりは物凄く分かりやすく、取っ付きやすい。

王道大好きオタクはワクワク感と共にスムーズに入り込めて助かった。

出会った二人の少年は「自分は何も無いという意識がある」という

共通から友情を更に深めて、それを手に入れようと約束する。

オタクは、今後に何か響くであろう誓いのシーンが大好き…

また、この「何も無い意識」は二人ともそう感じるようになった理由説明されていて、

その理由として描かれたエピソード正直しんどいが、オタクそういうの好き。

あとオタク好きやろ系の、「ヒーローはただ敵と戦えば良いだけでなく、

周囲の色々な意思が介入しており、割とキナ臭いところがある世界観」というのは

序盤から細やかに説明がされているので、何かあるやろ!!!と予想出来ていたが、

実際にお出しされるとテンション上がるものがある。良いお約束だよね

戦闘描写が良い。戦術がきちんとある勝てば官軍、搦め手上等。

「悪知恵の働く奴!」的な台詞はあるけど、正々堂々と戦えって本気で言う奴は…確か居なかったはず…。

とにかく、彼らにとって戦闘フィクションではないというのがよく伝わって良い。

オタクに優しい世界だと思う。

上述した通り、序盤から「不穏要素がそこかしこに!!」ってなると描写が多い。

ヒーローは変身した状態では心を強く保たないと世界に取り込まれ死ぬとか言うし、

ヒーロー周りキナ臭いし、主人公自分が死んでもいいとか言うし…

でも、オタクに優しい世界だと思う。プロデューサーさんが意識してくれた通り。

ワヒロは「物語が締められるか分からないワクワク感・怖さ」はほぼ無い。良い意味で。

結末はハッピーエンドだって分かっているから。

で、なんでハッピーエンドを信じられるかって、これでもかって程教えてくれるのである

公式サイトイントロダクションとか、アプリ説明文とか、下記のような文章がある。

「共に笑い、涙し、成長をする日々の先に、守るべき世界の、ハッピーエンドがあると信じて。」

更に、それだけじゃ足りねえだろと言わんばかりに、

本編内でも「この物語ハッピーエンドになるんだ」と強く実感させてくれる仕組みになっている。

なんと登場人物の一人にハッピーエンド厨がいる。

いくらハピエンですよ安心してくださいって言いたいからって、キャラにそんな奴出す!?最高~~

浅桐真大という男なんだけど、度々口にする言葉があって、

運命が、未来が決していても、過程ドラマを描く。

最高のハッピーエンドってのは、そういう風にできているんだ。」というもの。これを本編内で言わせるんだから凄い。

浅桐はしばしば彼らにとっての現実を、ハッピーエンドとかエンタメだとか表現するけど、そこに露骨さは一切ない。

キャラブレが無いから、序盤から感じた信頼感がずっと損なわれないんだな…

問題との向き合い方が良い。

ヒーロー達はそれぞれに過去がある。結構割と、思い出したくない類のものを抱えている人が多い。

ただ、本編においてそれが取り上げられる事は少ない。ヒーロー達の会話から

「こういう事があったんだな」と推察出来るから知っている。その程度の描写しかない。

一部例外は除く(本編で取り上げられる事もある)。

でもワヒロって「傷を乗り越える物語」じゃなくて「険しい道を進みハッピーエンド

手にしようと足掻く物語」だと思っていて、そこが好き。フィクションのなかのリアリティを強烈に感じる。

人みんなそれぞれ悩みがある。でもそれを解決まで導くことって、現実問題 相当難しい。

傷や嫌なものに対して出来るのって、自分なりの結論を出して

「上手く付き合っていく」ことだと思うんだよな。ベター手法

ベストなのは解決だけど、問題って自分一人だけのものじゃないものが多いから難しい。

ワールドエンドヒーローズドラマチックな部分は、

トラウマの克服が主軸ではなく、少年たちが頑張って探して見つけた自分の信念を胸に全力を尽くす箇所

なのが 好きだな…これは私の解釈

もちろん本編で描写する傷とその決着もあるし、ガチでエゲつない。

そんなしんどいなら本編で出さんでくれと思ったレベルでしんどかった。

でもだからこそ答えを見つけるシーンは美しくて感動して心震えたので…

結局何が言いたいかって、ぜ~~~んぶ面白かった。

最高のエンタメだった。この二カ月で色々読み返して、そのたびに楽しませてもらってます

まだ読めてない話があるからオフライン版助かるはずだけど、サ終が悲しいな。

このあと何か展開がありますように。

2020-08-18

anond:20200818095111

結というのは起承転結のように、最後までやり遂げて結果そのため、4年がかりなどだと、1-3年目にいうことがない。起承転が知りたい場合

成果を報告せよ。

とくに成と転は比較的近い

どういうふうに、変わったのかを教えろ、結果まで言っていなくても良い。同じことをいわれると時間無駄から、変更点を教えてくれ。

ただし、順調な場合は言うことがないだろうからオンスケでよい。

2020-08-02

なんとなく動画配信見ながら感じた成功者の特徴

2020-07-29

売れない漫画家の「綾城さん」に対する愚痴

売れない新人漫画家です。

元は2次創作で壁やってて、即売会場で出版社スカウトされて商業世界に入りました。

それまでの私は2次創作界隈では「綾城さん」扱いを受けていて、大勢の人に褒めてもらえて、自分漫画を描くのが上手いんだなと思ってた。

でもいざ商業をやってみて、原作のパワー無しの、本来自分漫画力だけで創作を行うということがどれ程大変なことか、私はあんまり分かっていなかったんだと思う。

2次創作では、元々知名度のある漫画の、魅力的な世界観やキャラクター使用して漫画を描くから、その上にのっかってちょっと絵が上手かったり基本的な話の起承転結が出来てるだけで、みんな私の事を神と崇めてくれていた。

から私もちょっと勘違いしてしまってたんだよね。

みんなも大好きで神と崇めていた同人作家商業デビューした途端、その人の漫画がどうでも良くなった事ってない?

あれ?この人の描く漫画ってこんなつまんなかったっけ?て目が醒めたことない?

あれが私は自分にきた感じ。

商業普通に話が纏まってて普通に面白いだけじゃ駄目で、作品自体が輝くような、その上の能力必要とされる。

少しなら商業作品にお褒めの言葉を貰えたこともあった。

でもさ、同人誌は千冊売れたら凄い!て言われるけど、商業誌は1万部しか売れなかったら打ち切りなっちゃうんだ。

凄いよね。私の漫画お金を出そうって思ってくれる人が1万人いても駄目なんだよ。

面白くない漫画って烙印押されちゃうんだ。

なんてシビア世界なんだろうってその時気付いた。

ちやほやされて数万単位以上の人にお金を落とし続けて貰うことが、商業で生きる「最低条件」なんだよ。

凄くない?

そのハードルの高さに目眩がする。

それ以来、私は創作に対して性格が歪んでしまった。

同人界でちょっとちやほやされてる描き手がTwitterで得意げに自分2次創作漫画解説してるところを見ると、『この人も所詮私と同格かそれ以下なのにな』て思ってしまう。

もちろん同人界の中にいても、この人なら商業でも売れそうって思うような明らかに飛び抜けて力のある人に対してはそう思わない。(でもそういう人って中々居ない)

私は商業世界を見て、そこで自分の力の無さを思い知って挫折しまったけど、貴女達は同人界の井の中の蛙気持ち良いままでいられて羨ましいねって思ってしまう。

から話題秀才字書きと天才字書きの漫画を見ても、勿論漫画自体は凄く面白いんだけど、私にとっては綾城さんも「所詮同人界隈のなかでの天才じゃんって思っちゃうんだよね。

性格悪くてごめん。

売れない漫画家愚痴です。

2020-07-20

自称感想富豪同人誌感想のことを書いてみた日記

同人誌感想

同人誌感想が貰えるとか貰えないとか仲良くなりたいとか送ったら筆折られたとかみんな本当に色々考えているんだなと思う。特に最近は、あっちを見てもこっちを見ても感想感想ねこも杓子もバナナ感想の話をしている。すごい。みんな感想についてそれだけ思うところがあるということなのだ。思う方向性バラバラかもしれないが、とにかくみんな感想の話をしている。しかしその中に自分と同じような意見を見かけることが少ないので、せっかくだから匿名ブログで書いてみようかなと思った。読んで気分が悪くなっても何もしてあげられないので、繊細な人は読まないでほしい。感想欲しさが原動力作品を作っている人もできればやめておいた方がいい。あと胃腸が弱い人もやめておいた方がいい、胃腸メンタルにかなり引きずられると病院で聞いたことがある。お体を大切にしてほしい。

ちなみに筆者は最近巷で話題の「二次創作を中心に活動している女オタク」というやつなので、そこだけご了承いただきたい。

はじめに:感想ほしい?

「ほしい!」と即答できる人は元気でよろしいと思う。「貰えたら嬉しいけど色々あるよね」と言える人は大人で素晴らしいと思う。「ほしくない」と言える人はこれを読んでもあまり面白くないだろうと思うので、やめておいた方がいい。

さて、感想が欲しい、もしくは貰えたら嬉しい人は、「感想をもらうためにやった方がいいこと!」みたいなweb記事とかをまあ一度くらいは見たことがあると思う。しかしそういう記事は、その記事執筆者が「本当に実際感想をしこたま貰っているのか」ということには言及しない。そらそうだ、そんなこと書いたら普通は叩かれるだろうから。というわけで、あくまで「周囲と比べて」沢山感想を貰っているらしい自分がやっていることを書こうと思ったのだ。ちなみに友人がみんな謙遜してウソをついていた場合は友人全員足の小指をぶつけて一週間くらい地味に痛い思いをしてほしいと思う。

その1:どのくらい感想来る?

ネット記事アンケートを見てみると、「感想は1%未満」とか「3桁頒布したのに1件も来ない」とかざらに見かける。とても悲しいと思う。

自分は、50部頒布した作品に15件ほど感想が来たことがある。知り合いや友人はノーカウントだ。pixivで閲覧数1万程度、ブクマ数1000程度の小説作品に大体80件くらい感想を貰っている。80件の内半分くらいはそれなりに長文だった。インターネット引きこもりクソオタクなのであんまり知らなかったが、これは多い方なのだと友人たちに言われて初めて知った。勿論こんな弱小キモオタサークルよりいっぱい感想を貰っている人もおられることと思う。そういう方の参考になることは書けそうにない、すまない。自分のような若輩者でこれだから、壁やシャッター作家なんてのはもっともっと感想を貰っているものだと思っていたが、実はそうでもないらしい。世の中には毎日50000通くらいファンレターの来る神作家もいるのかもしれないが、自分出会たことはない。

その2:感想富豪

感想こじき」というスラングがある。大声で言えない悪い言葉を使っているが、インターネットスラングなのでそういうものなのだろう。ではこの言葉対義語、つまり感想をびっくりするほど貰っている人は何だろう? という話をしていて「感想富豪」という対義語が出来た。周囲と比べてみると、自分感想富豪なのだと思う。ありがたいことだ。自分インターネット上ですらクソ引きこもりオタクなので、交流とか新刊読みました〜(読んでない)とかお世辞合戦とかそういうのはしていない。pixiメッセージメールやぷらいべったーのメッセージボックスマシュマロ、時には同人誌即売会でのお手紙Twitterのリプライなど。色々なものを利用して、読んだ人が感想を送ってくださる。羨ましいと言われたこともあれば、友人だと思っていた人に「あなたはいいよね、有名作家に擦り寄ってコネ感想もらってるんでしょ」と即売会の会場で面と向かって罵られたこともある。しかし、特別なことをした覚えはあんまりない。ちなみにその友人だった人とはもう連絡もしていない。

自分がしていることは他人とは違うんだろうか? 自分同人誌は何かおかしいんだろうか? 自分ではよく分からないが、みんなが感想富豪になったら感想が来なくて発狂する人を減らせるかもしれない。あともう友達だと思ってた人に罵られなくて済むかもしれない。そんな感じである

その3:一に中身、二に中身、三、四がなくて五が中身

感想を沢山貰う作品というのは、大体どれも「中身」がちゃんとすごい作品だと思う。雑でテキトーだったり、やる気も技術も印象深いところもない作品は、やっぱりあまり感想が来ないと思う。だから作品の中身、クオリティをまず上げなくてはならない。絵ならデッサンや色彩、小説なら文章表現構成キャラクターの魅力を的確に捉える努力、それを自分なりの形で表現する情熱。そういうものの具体的な鍛え方はたぶん詳しい人が色々書いていると思うので、そういう記事を探してほしい。

ちなみに個人的な印象としては、ストーリーがきちんとあり、起承転結、盛り上がり、カタルシスなどが備わっているものが、同人作品としては「感想を貰いやすい」ものだと思う。送る側の心理として考えると当たり前のことだ。SNSのいわゆる1p漫画でも、起承転結のある(あるいは感じさせる)作品には何かを言いやすいし、ストーリーを感じられないものには感想を言いにくいからだ。

その4:どんな感想ほしい?

「好き」だけでもいい、とか「良かった」の一言でもいいとか、そういう人もいる。気持ちはわかる。

お前らが欲しいのは感想じゃなくてファンレターだろwwみたいな言説もよく見る。同人活動趣味赤字しまくったりして仕事の合間にやってることなので、真面目に批評を頂いてもまあ困る人もいる。同人屋全員がプロを目指している訳ではない。向上心とは素晴らしいものだが、基本的には趣味でやっていることだ。同じもの好きな人作品を気に入った時にそう言ってくれれば良いのではないかと思う。なので欲しいのは感想じゃなくてファンレターだろと草を生やすような人はちょっと論旨がずれている。そういうのはプロ志望の人に言ってあげてほしい「感想」であって、趣味世界で見知らぬ人に向かって言ったら空気読めてないだけのキモいウエメセになる可能性が高い。

とにかく褒めてほしいという人もいる。なんでもいいし嘘でもいいから褒めまくってモチベ維持に協力してほしい、という気持ちもまあわからなくはない。

だが、そういった人たちも含めて大勢作家が「こういう感想が欲しい」と憧れるようなヤツ、というものが世の中にはある。

もう何年も前に見たあなた作品をずっと探していました、とか。

この作品が読みたくてこのサイト登録しました、とか。

ジャンルが変わった作家を追いかけて、あなた二次創作が読みたいか原作を読みました、とか。

即売会に参加したことは今までなかったけど、あなた新刊が欲しくて今日勇気を出して来ました、とか。

このキャラ二次創作あなた作品が一番好きです、とか。

色々ある。どれも、送る側はお世辞では言いにくいデカめの感情のこもった感想だと思う。だからこそみんなそういう感想が欲しいと思うし、貰った人を羨むし、自分もそうなりたいと思うのだろう。ちなみにこれらは自分が貰ったことのある感想の一部だ。とても嬉しかったし、ありがたいことだと思っている。

しかネットを見ていると、とりあえず即薬物(感想)を注射しないと死ぬ! みたいな意見もけっこう見かけるので、まずは一つでも感想を貰うためにできることを書いておこうと思う。

語彙力喪失エッチダネイイネ! 絵文字乱闘! みたいな感想が欲しければ、アホエロに特化すればいい。長文で解釈説明をしながら感想を言ってほしいなら、ストーリーものの重たい話を作ればいい。出来れば長い作品だと感想も長くなりがちだ。とにかく褒め言葉だけ聞いていたいので今すぐベタめしてくれ! というなら、とにかく短いスパンでどんどん短編を出すことだ。なおどんな作品でもクオリティを上げるのは前述の通り最低条件であるクオリティはこつこつ努力するしかない。

どういう感想が欲しいかで、どんな人に見てもらいたいかは変わる。見てもらいたい人が違えば、作品も変わる。だからまずはどういう感想が欲しいのか、自分によく質問してみるといいと思う。その次はマーケティングだ。読んでほしいと思う層に的確にヒットするように、傾向を探る。そしてマーケティングに合わせて作品に味付けしてやればいい。

その5:印刷物なら装丁頑張れ

装丁は本の化粧である人間だってメイクで別人のようになれる人がいるので、本も装丁ですごくよさそうな感じに見せることは出来る。中身が伴わなければ顔面詐欺とか言われるかもしれないが、まず即売会の会場やSNSサンプル画像などで「おっ」と思ってもらうためにも装丁は大切だ。

装丁というとすぐに特殊紙! ニス盛り! 変形本! とか言い出す人もいるが、はしゃぐなはしゃぐな。まずは「目で見て分かる平面のデザインからだ。どんなに特殊紙キラキラ金かかり装丁にしても、デザインがクソだと台無しになる。特にサンプル画像だと紙の質感とかはわからないので台無しになる。同人誌デザインについてはその手の本もあれば親切な講座サイトからフリー素材配布者さんまでいろんな専門家がいる。周囲に目を引くデザイン同人誌を出している人がいるなら、本人がデザインしてるのか、外部に頼んでいるなら誰に・どんなサービスに頼んでいるのか、聞いてみてもいいだろう。

良い装丁の本になれば、それをきっかけにして手に取ってくれる人が増えるかもしれない。中身と装丁釣り合っていて噛み合った本なら、装丁も含めて「一つの作品」として感想を貰えることだろう。

その6:宣伝手段

即売会ならポスターサンプル。SNSなら他人の紹介記事やRT。宣伝になることはたくさんある。一次創作二次創作か、それにジャンルによってもどこで宣伝するのが効果的かは違う。自分の出したい作品に合わせて宣伝方法場所も選ぶといい。宣伝することで作品を見てもらう機会が増やせるなら、その分感想を貰える確率も上がるかもしれない。当然これらの宣伝クオリティに気を使った方がいい。ただし、宣伝他人任せになる部分が多い要素だ。自分宣伝しても限界があるので、その分の労力を作品の中身に使った方がいい場合も多い。初心者特に

その7:感想への反応

これは本当に人によって様々だし、ジャンルや界隈の人たちの暗黙の了解みたいなもの関係してくる。なのでここには自分のやっていることを書いておくが、あまり参考にはならないかもしれない。

自分は前述の通り、長文の感想や熱意の高い感想を貰うことが多い。そうした感想に対して、「わ〜ありがとうございます〜!」一言だけで済ませてしまうのは、自分は嫌だと思っている。一生懸命に書いてくれたと伝わる感想なら一生懸命に心を返す。好きなところをたくさん抜粋して書いてくれた感想なら、その抜粋部分に対する作者側からの話をする。クソデカ感情ぽい感想なら、その感情受け止めたぜ! という心意気を目一杯返す。そういう感じで返事をしている。感想を送った人は、何も「コイツにすり寄ってウマイ汁すすってやるぜ」とか思っている人ばかりではないと思う。作品を読んではちゃめちゃ楽しんで、その気持ちをくれた人に喜んでもらいたいと思って送る人もいると思う。だから自分も、そう思ってくれた人に喜んでもらえたらいいなと思って返事をしている。どうせ同じ穴のオタク、お互いを尊重していきたい。

もし相手が喜んでくれなかったらそれは残念だが、喜んでくれれば次の作品にもまた感想を送ってくれるかもしれない。感想が貰えたら自分もやる気が出てどんどん作品を出せるかもしれない。win-winの関係幸せスパイラルというやつである

おわりに:同人誌感想

同人活動趣味でやっていることだから、「感想こねーからやめるわ!」も自由だし「感想ほしいか他人にお世辞を言ってでもお返しを貰う」のも自由だ。全員が本当に欲しい感想を貰うことは難しいだろうし、感想が来るかどうかには運やタイミング関係する時があると思う。でもやっぱり、少しでも多くの人がハッピー創作活動できた方がいいと思う。

まずは一に中身、二に中身、三、四がなくて五が中身。マーケティングして、装丁頑張って、宣伝して、感想が届いたら頑張って返事をするといい。それでもうまくいかない時もあると思うけど、それはたぶん神作家と呼ばれるような人にもある悩みなんだろう。がんばれ同人屋。無理するなよ同人屋。体大事にしてね同人屋。自分もこれからもその辺のネットの端っことか即売会の島でがんばるので。

2020-07-18

腐女子がなろうについて書く

暇を持て余して漫画やなろう小説しか読んでいない日常を過ごしている。

普通小説も昔はよく読んだが今ではあんまり込み入った話をよみたくない年頃である

まり評判のよくないなろう小説漫画である

まりにもご都合主義、薄い内容、同じようなストーリー

しかしなろう小説の良さは、二次同人小説と同一線状の楽しみがあることだと思う。

こう言う話を読んだ、面白かった、似たストーリーの話をもっと読みたい、と言うとき

なろうの世界は同一ストーリーしかも少し味付けを変えたやつ、を読み切れないほど用意してくれている。

キラキラしい主人公たちの名前? わかりやすくていいじゃないか

馴染みのない普通の横文字名前なんか大量にでてきたら誰が誰だかわからない。

ゲームと同じオリジナリティのない異世界間?

いちいち説明されてたら理解するのがめんどくてそこで読むのやめる。

なろう読者はシチュエーションが見たいのであってオリジナル世界観など興味ない。


私たち二次小説を読むとき、技巧なんぞ気にしているだろうか。

そんな物は気にしない。好きなキャラたちをみたいのだ。

程々読みやすく、知った世界観で、このキャラがこう言う風に行動したら良いなーみたいな、そう言う願望を満足させてくれたら十分だ。

なろうも同じだ。

これだけはやっている姿を見ればもうわかるだろう。

なろうに限らず、今時は、小説にこ難しい理論や練られたプロットや優れた心理描写などいらないのである

水戸黄門的な、ありきたりの起承転結で十分なのである

なろう小説低能だと言って叩くやつは小説を読まないで四書五経でも読んでいてほしい。

小説だって昔はなろうと同じ立ち位置の下賤な読み物だったのだから

2020-07-14

anond:20200714185522

まず、いくつかのお気持ち長文を観察して使えそうなキーワードピックアップするんだ。

次に目についた特徴的なキーワードを軸にしてプロットを組み立てる。

全体を注意書き、まえがき、本編×4(起承転結)、あとがきの7つのブロックに分割するんだ。

1日につき1ブロックノルマでこれを組み立てればわずか1週間で一つのお気持ち長文が完成する。

ブロック最初は400文字程度でも構わない。徐々に慣らしていくんだ。

2020-07-11

星井美希は生きていない

つい先程Showroomにて星井美希配信が行われた。

僕はアイドルマスターにそこまで真剣ではないかライブも行けるときに行ける分だけだし、イベランもしないし、誇れるほどの歴もないけれど、人並みにアイドルマスター星井美希が好きだったので当然配信を見た。

見る前は特別配信に対して何かを求めていたつもりはなかった。この配信MRが中止になってしまたことの補填のようなものだと発表された時から理解していた。MRは一度見に行った時に十分満足したか特別新しい思いはなかった。しかキャラクターによる生配信という形態、そしてShowroomという媒体無意識的に僕の期待を膨らませてしまっていたのだと思う。



結論から言えば配信は虚無だった。



僕は広く浅くオタクをしている。二次元では漫画ラノベを嗜み、三次元でもアイドルを追っている。二次元には二次元の良さがあって、三次元には三次元の良さがあると思っている。今回の星井美希配信がなぜ虚無だったのかについて語る前に、まずそれについて少し話さなければならない。

二次元に対して求めるもの、それは文脈だ。二次元所詮創作であり、現実ではない。だからこそそこには理想を追い求め、究極を追求する意味がある、必要がある。なんの必然性もない理不尽存在してしまうのであればそれは三次元と同じ、あるいはそれ以下でしかない。キャラクターには一貫性が求められ、物語には起承転結(正しくは三幕構成なども含む物語面白くなるための何かしらの構成努力、わかりやすさを重視して起承転結表現)が求められる。三次元には存在しないものを僕は二次元に求める。これは別に僕だけじゃなく二次元オタクなら誰しもが心の底で思っていることだと僕は思っている。

一方三次元に求めるもの、それは生だ。対象が生きているという実感。所詮虚構しかない二次元では絶対に得られない感覚。生きている人間物語登場人物では情報量があまりに違う。その情報量の違いが自然と生の実感につながっていると僕は思う。中にはその情報量文脈に結びつけるタイプ三次元オタクもいるらしいが、僕はそこまではしないのでここでは省略。

普段僕がアイドルマスターにもとめているのは当然前者だ。キャラクターの成長、物語文脈を楽しむ。もちろん衣装を着せ好きな曲を聴くなど単に造形美を楽しむときがある。でも本質文脈だ。ライブに行くとき演者の演技を通じてキャラクター文脈を感じ取ることが出来る瞬間が最も気持ちいい。

しかし唯一僕がアイドルマスターに対して三次元の生をほんの少しだが感じたことがある。それはMRだった。

目の前で二次元であるはずのアイドルが踊っていること、トークをしていることに確かに生に近いものを当時の僕は感じていた。

そして今回のShowroom配信、おそらく僕はその微かに感じた生をさらに感じられることを強く期待してしまったのだと思う。ただMR代替であればそこまでの期待はなかったかもしれない。Showroomという普段自分3次元アイドルを見るために利用している媒体を通して生配信が行われるという事実が僕を煽動してしまったのだろう。

だが実際行われた配信は生の欠片も感じさせない、二次元ですらない虚無配信だった。

あの配信目的ユーザーに生を感じさせることで間違いはないと思う。わざわざShowroomを選んでいることが何よりもの証拠だ。だから二次元に求められる文脈などは当然配信存在しない。それは予想通りだったし配信を見るにあたって一切求めていなかったのでそこに不満はない。

しかし肝心の生はどうだろう。芝居がかったトーク台本が透けて見える配信の流れ、最後あくまリスナープロデューサーとして扱う。そこにいたのは星井美希というアイドルではなくアイドルマスター星井美希というキャラクターだった。誰かが書いた文字通りに動くキャラクターだった。所詮二次元二次元なんだと、三次元昇華することな不可能なんだと。僕がMRで感じた生は所詮ライブという限定された空間からこそ成り立っているものだった。その成り立ちすらも不安定だったのだろう。きっと何回も行けば途中から生を感じることは減っていったように思う。

別に二次元三次元昇華してほしいと常日頃から思っているなんてことはない。二次元に求めるもの三次元に求めるものそもそも違うのだから今のままで十分なのだしかし今回僕は期待させられてしまった。星井美希が生きている可能性を提示されてしまった。その結果僕は思い知る、所詮二次元虚構しかないのだと。二次元に生を求めるのはお門違いなんだと。

星井美希は生きていない。

2020-07-06

漫画を描いて好きを語る人格Aと小説で好きを書く人格B

インターネットに、いや現実世界でも、人間は多数の人格を持っている。

これは別に多数人格者の話ではなく、一般的人間としての話で。会社、家、家族、友人、恋人。どんな形であれ私含め色々な人は色々な人格を持っており、その人格を扱って生きている。

と、いう話が昔習った社会学だか心理学だかの授業であった。人格や顔を使い分けることで生きやすくしているらしい。

話は変わるが、私は様々なSNSアカウント複数持っている。

Twitterは4~5つ、Pawooで1つ、pixivは2つ、その他諸々。それぞれが交わったり交わらなかったりしながら、適当更新する日々が続いている。

というのも私は絵を描く人間で、多少なりとも人気のあるジャンルでいわゆるちょっとマイナーかな?くらいのキャラ2人組を永遠と描いていた。

漫画イラスト小説、立体造形。時にはゲームも作ったし、グッズを作り1人眺めるという行為も何度もしてきた。だがその中で、どうしても物足りなさを感じるときがある。

自分以外が書いた/描いた推し2人が見たい。

大体最初はそんな感じだったと記憶している。

だが、絵を描いている人間であり、同じジャンル活動しているとすれば絵柄で私かどうかわかってしまうのは当然であり、それはまあ避けたいということで小説に手を出した。

先述した通り元の私(仮名:A)は小説も書いている。突発的に思いついた内容を文章にしたためpixivに放り投げた。だが、何度投稿しても何度書き上げても、その字数は毎度1000字程度までしか書くことができなかった。1000字程度で勝手オチが付いてくる。起承転結が纏まっており、気に入った文章でもあるのだが、pixivで何度となく体験した「どれだけ読んでもこの2人の話が終わらないよ~~!」「スクロールバーが小さくて沢山文字があって嬉しい~!」「この小説1万字あるの!?いつまでも読めるな…」みたいな経験を私の小説で味わうことが出来なかった。

読了時間約1分と言われたし。

そこで、新しくpixivアカウントを1つ開設した。(というより、その前に出した同人誌に私の友人という体で一度小説寄稿した事があるが)このアカウントの私をBとすることにしよう。

そしてまずはBはどういう人間かを適当に作り上げる。

Aとは中学生の時に出会い高校からは別の学校へ。だがAとはたまに遊ぶ程度の友人で、小説を好み、眼鏡をかけており、国語数学が得意で、家からの近さで選んだ大学に通っており、文章を書くのが好きだがそれをどこかに発表したことはなく、Aに誘われAの好きな2人組にハマり、Aの出している同人誌小説寄稿したらAから褒められ、そのままAに乗せられてpixiv登録Twitterには怖いというイメージを持っており登録していなかったが、まぁ近日中登録してもいいかなと思っている。

これが存在しないBの人格です。存在しませんが。Twitterなどの場でBについて言及する時やBがTwitterをするとしたらこんな人間であるとするための人格

改めて文字に起こすとやばい幻覚を見ている人の日記みたいになっているなとは今思った。

それはさておき、この設定を適当に練り上げ、pixiv登録し、Bとして改めて小説を書き上げた。

一番初めに上げる小説。いつもと同じくらいの時間をかけ書き上げた小説は、いつもの2倍程度の文字数を持っていた。

文字数にして2400字程度。そんなことあるんだというのが正直な感想である

あくまで私はBとして小説を書いているので、(まぁ多少日本語が似ていても)文体は変えて書いているつもりであり、小説パソコンを使って書いた結果がこれらしい。

人格によって文章量が変わるということはあるのだろうか、というのがこの日記の本題である

文章自体を書くことは好きで、Twitterでも適当な文を毎日ぽいぽいと投げているし、今回の日記も気が付いたら案外多く文章を書くことになった。人格Aで小説投稿たころより小説も沢山の種類を読むようになったも事も案外関係しているのかもしれない。

ただ、Aとして書いているときよりも文章としての表現の仕方や台詞の書き方が変わっているし、なにより文章量を増やすのに苦痛を感じない。

Aとして書いているときは、元々900字くらいの小説をなんとか伸ばせないか検討して1100字程度に増やしていた。だが、Bとして書いた小説の2作目は、作品の途中(4割程度)にもかかわらず3000字を優に超えている。

しかするとBを小説を書く為の人格だと思っている故に小説を書くという気構えが無意識に出来ており、それが理由文字数も増えていくのかもしれない。

余談だが、私はAとして日記を書く場合スマートフォンで書いている。

機器により内容は変わるのかもしれない。次はスマートフォンでBとして書いてみようか。

それにしてもすごい文字数の日記になってしまった。ここまで読んでくれた人には感謝の念を伝えたい。


おまけ

嘘をついていればいつしか嘘に飲み込まれるという話がある。

私の推し(生きている)は自分のついた嘘が嘘ではないという記憶の下友人の話をしていたことがあったし(先日それが嘘だと分かり「へぇー…」と他人事のように一瞬納得していたのが印象的だった)過去にもTwitterでは「娘が1人いるという嘘をSNSでついていたら気付くとその存在しない娘との思い出がふと出てきて怖くてその娘の話は二度としなくなった」という話も以前耳にしたことがある。いや娘かどうかは覚えていないが。

今の私は大体嘘をついてSNSを生きており、そもそも人格Aですら事実に嘘を混ぜてSNSに書き込んでいるし、人格Bはもう存在しない人間を作り上げて活動している。

さな嘘はどんどん自分に降り積もる(らしい)し、今の私は割と中核~大きなサイズの嘘で作られたSNSをしている状態である

もしかして、いつか私も嘘に飲み込まれる日が来るのかもしれない。

存在しない大学記憶が生まれたらBのアカウントは消されることになるだろう。

2020-06-25

豪華客船ランチ弁当バイキング増田酢魔軍記射場ウトンベチン等のン世区ゃ気化雨後(回文

『豪華客船消えた崎陽軒弁当ミステリー

って小説サスペンス番組かでやったらそこそこ人気が出そうな気がします。

おはようございます

なんかどっかで見た、

どんなタイトルにしたら視聴率が上がるかってので、

湯けむりとか美人女将とかってタイトルに入れたら

視聴率バク上がりするってなにかで読んだけど。

『今夜新大喰い女王誕生温泉女将・豪華客船消えた4000食の崎陽軒シュウマイ弁当ミステリー24時!池の水全部抜きました!』ってあったら私見わ!

ってテレ東風味が多目な気がするけど、

あ、

タイトルの頭に池上彰さんの名前を載せるのを忘れていたわ。

池上彰の今夜新大喰い女王誕生温泉女将・豪華客船消えた4000食の0円崎陽軒シュウマイ弁当ミステリー24時!池の水全部抜きました!』

あんまりタイトルが多すぎると、

新聞テレビ欄に入りきれないので

ある程度の文字数に収めないといけないんだって、へーよね。

無造作に何でも書いていいところだと思ってたけど違うのね。

ってもう今夜女王誕生!って言ってる時点で

消えた4000食のシュウマイ弁当犯人はそこでもうバレているという、

突拍子も無いことに気付いたわ。

よくよく考えてみたら、

それ意外とタイトルで全部起承転結全部盛り込んだタイトルも逆に新しくない?

うそこで犯人が分かっちゃってるとか。

そんでそのプロセスを楽しむみたいな。

ただただ大喰いの中継だっていう番組でも言えるし、

サスペンスとも言えるし、

24時で激録感もあると言えるし、

池の水を抜くとも言えるわね。

あ!でもいいこと思い付いたわ。

タイトルの一部を書いたカードをそれぞれトランプにして、

みんなで集まってせーので出して面白いタイトルにした人が優勝ってカードゲームにしたら

人気出ると思うわー。

でもこういう安直に考え得る、

やってやれないことを誰もやってないってことは、

まりそう言うことなのかしらね

ミステリーだけに

そこが一番ミステリーわ!

あーあ、

私もミステリーハンターになりたいなー。

うふふ。


今日朝ご飯

待ってましたとやっとありつけた、

目玉焼きベーコンレタストマトサンド

わず店頭で頬ずりしちゃったわよ。

これがなきゃ朝が始まらないお味噌汁のあさげを彷彿とさせるサンドイッチよ。

これが陳列棚にあった日はきっと良い1日になるわ!

デトックスウォーター

夏場白菜を部屋の中で放置しておくと1日にして溶けて水になってしまう恐怖を覚えてから

怖くて白菜買えなくなった夏場の時期ね。

くわばらくわばら!

キャベツならまだコシがあるから

今日キャベツウォーラーで決まりね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

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