凄く優しく、丁寧な言葉でお話を書かれる方で、何度読んでも幸せになる。
1か月ほど前にその推しの文字書きさんのついったアカウントを見つけた。
プロフィールを見た時にフォロー数が少なくて驚いた。こんな素敵な作品を書かれる方ならもっと沢山の人がフォローしてそうなのに。
始められたのがつい最近のようなので、皆気付いてないのかな。と勝手に結論付けてフォローした。
頻繁に呟かれる方ではなく、作品を上げた報告のツイートに+1.2ツイートだけされるような方だ。
数日前、その方が新しいお話をしぶにアップされた。
TLを眺めていたので「新しいお話だ!」と嬉しくなったのだが、
『自分の作品に需要が無いことを分かっているが、自分の書きたいものを書きたい』
その文章を見て、苦しくなった。
私が今ハマッているジャンルは、3年程前にリリースされたソシャゲだ。
幸運な事にそのゲームはまだ人気の作品で、沢山の人が遊んでいる。コロナが無ければイベントも開催される予定だったし、舞台化したり、ゲームのストーリーも更新されている。
ただ、個人的にしぶの作品数や投稿者数だけでなく、閲覧者数も減っているように感じた。
リリースされてから1~2年の内に投稿された作品のいいねの数は4桁を超えている物も少なくない。(小説作品で)
しかし最近の作品のいいねを数を見ると、多くても200人からいいねを貰うか貰わないかくらいの物が多い。
これは勿論リリース直後から今までずっと作品を公開していた事によるいいねの蓄積数だと思うので、そんなほいほい4桁を超えるいいねが付くとは思っていないが、今200くらいいいねを貰っている作品があと1年後、2年後に1000いいねを貰えるのかと言われると多分無理じゃないかと思う。
ここ数年でしぶの立ち位置が、新作を投稿する場所だったのが、ついったーに上げたものをまとめて投稿する場へと変わっている。みたいなツイートを見かけたことがあるし、実際そうなんだろう。
ただこれは絵描きさんの話で、文字書きさんは新作であっても大体しぶになるんじゃないかと思っている。というか私はそうしている。
しかし閲覧者数で考えれば小説より圧倒的にイラストや漫画を見る人の方が多い。小説だけ好きな人ってあんまりいないと思うので、イラストや漫画で検索をかけるタイミングであわせて小説を見るんじゃないだろうか。だとすれば、しぶを閲覧する人が減ってしまうのは当然のことだと思う。
あとはリリースから3年経ったことで推しカプのクラスタも変わっているんだろう。新しい作品はどんどん出てくるので、ジャンル移動(勿論その作品が嫌いになった訳でなく、移動というより沼が増えた状態なのだろうけれど、作品を更新していないという意味で「移動」という言葉を使う事にする)している人はたくさんいるだろう。しぶにおススメされた作品を見たらドストライクだったのでその人のプロフィールに飛んだら最近の更新が全く別作品だった。なんてことも珍しくない。
推しの書き手さんの作品のいいねが以前はどれも3桁を超えていたのに対して、最近の作品には50~60くらい、場合によっては30くらいの時もある。
私の推し文字書きさんの作品は、最初に書いたようにとても優しくて丁寧だ。最初から最後まで読んで温かい気持ちになる。
ただ物は言いようで、悪い捉え方をしてしまうと「起承転結が無い」と思う。
どの作品も攻めが受けの事を大事に思っている描写があるが、告白して両想いになったりとか、何かハプニングが起こって2人の関係が進むようなことがない。
私はそういう話も大好きなのだが、人によっては「推しカプがくっつくまでの過程が見たい」とか、「推しカプのエロい話が読みたい」とかそういう人もいるだろう。
そういう人たちにとって私の推し文字書きさんの作品はつまらないのかもしれない。
反応が無いことで筆を折る書き手さんがいる。それを自身の承認欲求から書いているとは思わない。
「褒めて貰いたくて書く」のと「書きたいものを書いた結果貰ったお褒めの言葉が嬉しい」は別物だと思っている。
今まで貰えていた誉め言葉やいいねが減った事に焦燥を覚えたり、「自分が書くものはつまらないんだ」と感じる気持ちも分かる。
私も文字書きをしていて、ブクマ数は多いとは言えない。100いいねされれば良い方だ。作品によってはいいねの数が10に満たない時もある。
でも私は「自分の書きたいものしか書かない(書けない)」と思っているし、いいねが少ない事に不満や悲しみはない。ニーズと私の推しカプイメージがずれているんだろうな。と思うくらいだ。
前はブクマ数が伸びない事に落ち込んだりしたこともあったのだが、最近は自分の書きたいように作品が書けると満足している。
それにプラスして毎回いいねしてくれる方もいるし、たとえそれが一桁であってもいいねしてくれる方がいる事が嬉しい。
貰えない「いいね」を嘆くより、貰えた「いいね」に感謝をする方が楽しい。
多分これは私が書き続けるために手に入れた「気の持ち方」だと思う。
文字書き仲間で沢山の方からいいねを貰う方がいた。その方の作品が好きだった。
幸運にもその方と仲良くなって相互フォロワーになり、SNS上でお話をするようになった。
一度その人と他のフォロワーさんと食事に行ったことがある。そこでその方は作品の投稿時間に気を付けている。という話をされた。
「金曜日の閲覧数の多い時間帯に投稿する」「有名な方が作品を投稿された週は投稿しない」
「なるほど、一種のマーケティングをしながら投稿してるのか。凄いな」と感心したのだが、その一方で「そこまで評価されたい気持ちが強いのか」と驚いた。
その方がSNSで「作品が評価されない」という呟きを見る度に何とも言えない気持ちになった。
「謙遜ではなく事実だ」と言っておられたし、おそらくその方は本当にそういう気持ちで呟かれていたのだろうけれど、私としてはとても悲しかったし、正直腹が立った。
100人以上からいいねを貰っているのに「評価されない」というのか。その100人の評価は何だと思っているのか。
その人にとっての「評価」に「いいね」は含まれていなかったのかもしれない。
100人からのいいねよりも、自分の憧れた絵師さんや文字書きさんから「いいね」と言われたかったのかもしれない。
イベント前に「誰かご飯行きませんか」と呟かれた時に「行きたいです」と返事をしてくれる人が欲しかったのかもしれない。
(これは私が友達が欲しい。と苦しんでいた事だ。今となっては「馬鹿な事で苦しんでいたな」と思う)
こういう理由で作品を書いている人もいるんだろう。悪い事だとは思わないが、しんどいだろうな。と思う。私がしんどかった。
結果として私の周りの人はその人から離れていった。私もフォローを外した。
最初はみんなから「私は〇〇さんのお話好きですよ!」というリプライが来ていたが、次第にそれもなくなった。
だって伝えたってそれを「評価」だとしてくれないから。届かないなら空しいだけだ。
あの人の書いていたお話が好きだった。でも今あの人の作品を読もうとするとあの人の事が頭をよぎって作品を楽しめない。
悪いのは作品と作者を切り離せない私だ。それでもあの人の作品をまた読みたいとは思えない。
今好きな人も自分の作品が評価されないことを嘆いている。筆を折ることも考えている。
自分に出来ることは感想を送る事だけで、その感想がどうかその人を傷つけないものであるようにと願いながら匿名で感謝を伝える。
ただ何となく、私の匿名の感想だけでは多分、この人を救うことは出来ない気もしている。
その人は30人から「いいね」が付いた作品を「需要が無い話」だと判断しているので、誰か分からない相手からの感想を「書く糧」にはしてもらえないかもしれない。
それが分かってこの人を嫌いになってしまう前に私はこの人のフォローを外して、こっそりと作品がしぶに上がる日を待とうと思う。
頭の中がぐちゃぐちゃでうまく書けなかったな。
❅🐉💩
長い。。みんなすごいな思いが。。
おけけパワー中島は?