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はてなキーワード: 理想像とは

2024-05-28

婚活メモ発掘したから公開する

最近また婚活話が盛り上がってきたので色々見ていたんだが

過去IBJ結婚相談所活動していた時に使っていたスプレッドシートが発掘されたので公開する

これが婚活増田リアルだッ

筆者来歴

38歳既婚男性

IBJ結婚相談所で1年ちょっと活動後、成婚退会

この前3回目の結婚記念日を迎え現在に至る

今日は、33歳童貞の婚活振り返り

最初にバズったやつ

なんか痛々しい。ごめんなさいね……

あれから世の中色々あり、宗教二世という境遇が知られるようになりました

っつーか10kg以上太ってるじゃねぇか!!!!!泣いちゃうね。健診で怒られたのもあり絶賛減量中です。

ここがダメだよ結婚相談所

まったく読まれなかったやつ

結構心を込めて書いた気がするよ

結婚相談所のお見合いで行ったラウンジ全部書く

結構バズったやつ

ラウンジ楽しい

キングって書こうとしてキンプって書いてるのにさっき気付いた。めっちゃ恥ずかしい

半年くらい子育てしてみた感想(別人)

他人の尻馬に乗りバズったやつ

おかげさまでうちの娘も1歳半ぐらいになり、わがまま盛り

最近流行語はだっくん(抱きかかえろの意)とおりる(抱っこをやめろ、歯磨きをやめろ等何にでも使える万能ワード)です

魔の2歳児が怖い!

以下、各シートの内容を書いていく

結婚観38の質問

当時参考にしていたブログの内容をもとに、自分の条件と相手の考え方を整理して書いていたもの

かなり参考にしていたんだが、もう元の記事が消えている……

商材として売ってるっぽいので、全部は挙げず少しかいつまんで書いておく

  • 結婚自分1人の自由時間はどのくらい必要か。(例:仕事のある日○時間休日時間
  • 将来的に家を購入するのかしないのか。住居費にどの位のお金を割くか。
  • 健康・体型の維持管理についてどの位関心があるか。また、相手にどの程度求めるか。
  • 食材の買い出しはどちらがするのか
  • 結婚後、実両親や実兄弟とどのような頻度でどのような付き合いをしていきたいか(同か別居か、鍵を渡すのか、家に泊めるのか、等)
  • 結婚後、以前からの友人との関わり方に変化はあるか(家に気軽に呼ぶ、会う頻度を減らす、など)

こういった質問自分結婚観をあぶり出し、相手にも聞いてみてお互いの結婚観をすり合わせるのが目的

いやーしかし今見てると結構面白い。結局臨機応変生活に合わせてる気がする

理想像整理

だいぶ気持ち悪いと思うが、恥を偲んで公開することにする

将来的な夫婦理想像

好きな人要素整理

  • 明るくてよくしゃべる
  • 自分自身のことをよく話してくれる
  • 笑顔が似合う
  • ノリが良い?
  • あほではない
  • ぽっちゃり丸顔…
  • 頑張り屋
  • 英語ができるとか
  • 苦労性な人に弱い

OKNGで考える

OK

  • よくしゃべる
  • 自分の事をよく話してくれる
  • 趣味に打ち込み系
  • 料理はできなくてもよい

NG

やりたい事で考える

キャラで考える……

  • 涼波かすり

何気なく出会って……なんとなく気が合って……

交際matrix

現在交際中の方の、お名前・印象・興味のある点・懸念点・共通話題休日・年齢・身長職業年収・お住まい・親同居有無・同居希望・ご実家子供希望趣味性格容姿を整理した恐ろしいシート

解消次第消していたので妻の分しか残っていませんでした。ご安全に!

活動方針

どういう感じで婚活をやっていくのか、自分に言い聞かせる気をつけたい点や、これまでの反省を整理していたもの

太字や注釈は原文通

心がけ

  • 焦るな 温度差を考えろ
    • これ
  • こだわりを強く出したい
  • 手広くやるのはダルいだけ。妥協するな
    • 当初はそう思ってたんだよね
  • のめり込みすぎないこと
  • 外見の好みには鈍感に
    • 当初はそう思ってたんだよね
  • 相手の考え方を知りたい。どうするか?
    • どうするか・・・
    • 本とかの力を借りて評価軸を作ってみる
    • 仲人パワーを借りる!
  • とりあえず相手が話したいことを話させる
  • 最近つい聞きたいことを聞いて表を埋めがちなので

  • 最初の一ヶ月は真剣交際に入らない 必ず並行する
  • 数回会っただけではわかんねぇわ
  • すぐ一人に絞って失敗する感があるので明確な指針化する

重視する価値観

理想の異性20項目

  1. 年代ぐらい
  2. 身長は155-160くらい
  3. 丸顔でややぽちゃだが太り過ぎではない
  4. アニメゲーム的なコンテンツ理解がある
  5. 特に男性向けでないコンテンツは一緒に楽しめる
  6. 何かしら特筆する趣味や特技がある 楽器語学
  7. 仕事を楽しんでいる
  8. 親の干渉がないか完全に自立している
  9. 各々の世界観に対して真摯である
  10. 物事への思い込みが少ない
  11. コミュニケーションが軽い
  12. 姉属性
  13. 自分を愛して欲しい
  14. 自分以外の人も尊重して欲しい

これは多分どこかでまとめたらいいとか書いてあったんだと思う

14個までしか上げてないというこの…

多分理想像整理のシートよりこっちの方が後に書いてるな 自分キモさに遠慮がねぇ

あと妻は特に姉属性ではない

初回



1-3回

  • 重要 必ず1時間くらいで済ませる
  • 期間 1ヶ月ぐらい目処 週1目安


4-6回



closing

  • ここまで来たらなんとかせい
  • 期間 3ヶ月は無理では…4-5ヶ月
  • 不安要素は潰しておきたい
  • どうせ夢中になっていると思うので周りと相談せよ
  • プロポーズ……

紹介文書き直し

真剣交際に入った人が進んでいくにつれ自分与えてばっかじゃん!?とか思ってしまい終了

相当疲れて2ヶ月ぐらい休んだ後、復帰する時にあらためて自己紹介推敲したシート

さすがに自己紹介を丸々出すのは、ちょっとはばかられる。抜粋する。

  • お互いを尊重し、支え合えるような関係を築きたいと思い活動しています
  • お互いの趣味時間も持ちつつ、一緒に日々を過ごし歩んでいけるような夫婦関係を築きたいと考えています
  • 自分自身としては、仕事プライベートなど何事も楽しんで過ごす事を心がけています
  • 色々なことに興味があるので、お会いできたらご趣味お仕事について聞かせていただけると嬉しいです!
  • 将来は、お互いを尊重し支え合えるような夫婦関係理想です。
  • 結婚でお互い生活は変化していくと思いますが、相手の大切な物は大事にしたいです。
  • お互いの時間を大切にしつつ、相手が辛い時は支えたいし、自分が辛い時は寄りそってもらったり、
  • 一緒に日々を過ごしていけるような家庭を築けたら良いなと思っています

わりと力入れてひねり出したと思うんだが

今になってみると、なんやこいつ…重…って思われてそうな気もするな

専業主婦問題

相手家事手伝いだった時に、悩んで生み出したシート

ちなみに今妻は専業で、娘が3歳になったら幼稚園に入れてパートに出てもらう予定



気になる点



専業志望



理由



個別シート

真剣交際まで進んだ場合、今後の予定や確認する必要があるリストデート先などをまとめていた物

伝えること、相談事、聞くことのリストなど

向こう3ヶ月ぐらいの週末の日次、お互いの予定、イベント予定・目標などをまとめたりしていた

あと梅雨明けの日程が書かれていて(デート場所に関わるので)我ながらちょっと細かすぎるのではないかと思った

で、このスプレッドシートは役に立ったのか

うーーーーーーーーーーん

出会いは運!

結局一人で色々考えていたのだが、妻はなかなか思い切りが良いところがあり、そんなもの全て飛び越えていったのであった。

気がついたらお互いの部屋を行き来して、婚約指輪を用意しプロポーズ、親に挨拶同棲結婚妊娠出産一升餅、だっくん!おりる!となって今に至る。

人生なんもわかんねぇ…

そして、色々書いてきたが現状あんまり思い描いた通りにはなっていない

コロナ禍で生活仕事がガラッと変わったのも大きいが、自分自分の事をよくわかってなかった部分もある

とはいえ、当時自分と向き合い色々考えてあがいていたのは無駄ではなかった

改めて見返すと初心を思い出す所もあり、なかなか面白かった

2024-05-22

異形の映画「トラぺジウム」

【速報】乃木坂46ベストセラー映画「トラペジウム」興行収入5621万円の大ヒット!【館数200館超】

2024年05月17日http://www.skematomemon.com/archives/51782004.html

”大ヒット”は2チャンネル文化系譜まとめサイト特有嫌がらせ/皮肉であり、もちろん興収は苦戦している。

否定的意見を述べたくなる人は多いようだ(200ブクマ超えhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2364697

ヒットしていない理由を推測してみよう

 

1.アイドルオタクは、実際の美少女が好きであり、漫画アニメ美少女は好きではない仮説

   ①脳内イメージ実在タレント漫画アニメ をビジュアル理想像合致する順に並べると 

   ①≒②>③ がアイドルオタク で ①≒③>②がアニメオタク。 小説は①にアクセスできるメディア

  乃木坂ファンが大挙して訪れるのを期待して製作したが、アイドルファンアニメ絵のアイドルは望んでいなかったという可能性。 

  (高齢男性キャラクターがめちゃめちゃ不自然なので視聴中宇宙猫になったが、元乃木坂メンバーが声をあてていたそうだ)

 こっちは本気ではない。

 

2.主人公応援したくならない。

 これだろう。

(続く)

anond:20240522141557

のび太ドラえもんは書けないが…

赤塚不二夫バカボンのパパ並みにバカだとでも思ってるのか?

カリカチュアされたバカが作者の理想像か何かだと思ってるの、キモオタらしい理解力だな

2024-04-24

anond:20240424110239

イデアって別に複雑で高尚な概念でもないだろ

何千年も語り尽くされてきたわけだし


ここでイデアと言ったのは、

時代地域性など、現代を生きる万民理想像という

目に見えない概念のようなものがあって

それが現代における清潔感ってことじゃないか


その昔、おかめ美人と言われていた時代もあったわけで

美人美男といった概念時代によって移ろいゆくもの

から、その時代に即した流行を追う必要がある


例えば、歯を磨くこと、髪を整えること、衣服を綺麗に保つこと、皮膚を清潔に白く保つこと

このようなことは貴族特権的なことだったけれど

今は大多数の人間アクセスできる手段なわけでしょ

そうなれば、時代が進むにつれて清潔感ハードルもどんどん上がり続ける

清潔感へのアクセスというハードルが下がるのと反比例してね

その末期症状美容整形で、終わりのないトラジェディってこと

男もネイルする、美白する、脱毛する、ってな具合に

でも、ここらでちょっとやり過ぎ感が出てきてる気もするよね


でもま、個人的にもこのあたりが限界点のような気もする

全員が全員美容整形受けられるような社会にはならないと思うし

やっぱりアバターを使って解決する方向になると思うから

これからは心や徳を磨いたほうが良いと思うかな

2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動、最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをアジアアフリカ中南米でしばしばみてきた。

かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

アウェイといえば、ドラマおしん」(1983年)。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じる女性エネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

一方で、男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。逆に成功を収めれば、故郷側が自分をほめてくれる。【故郷に錦を飾る】というのは男性的な価値観だ。

女性はというと、嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

山崎ハコの「望郷」で歌われる故郷は、帰る家もない、戻るに戻れない場所としてうたわれた。これは失敗すれば帰って慰めてくれ、成功すれば褒めてくれる男性故郷観とは対照的だ。これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

2024-02-26

女性専用車両差別だとすると女子寮女子トイレ差別なのか

まあ、どっちも差別ちゃうやろという話というか、それを差別とすることでどういう世界を目指すことになるのかという話をしてみます

1.差別区別

まず大前提として、今の社会は本人にはどうしようもない属性理由にしたとしても、別異に取り扱う場合があることを許容しています。例えば、18歳になる前の子供にどれだけ十分な能力があるとしても、民法制限行為能力者として扱われます。そのような属性による扱いが差別(=不当な扱い)であるかどうかは、結局は扱いを分ける目的と、その属性をもって分けることの合理性によるとしか言いようがありません。そして、この目的正当性手段合理性評価時代場所によっても変わるでしょう。身分制度合理的であった時代もありました。

2.男女を別に扱うことは差別

では、男性女性とを別に取り扱うことが差別に当たるでしょうか。いうまでもなく、男女雇用機会均等法など現代国家における男女の取り扱いについては、女性差別への是正を中心に、原則として同一化の方向に進んできました。しかし、社会には、風呂トイレ更衣室、男子寮女子寮男子校女子高、食べ放題価格女性専用DVシェルター等々、男女で扱いを別にすることが多くあります。これらについても、昨今は男女という生まれながらの性差で扱いに差を設けることの合理性に疑問を呈されるようになったことをきっかけに正当性合理性が問われなおしてはいますが、少なくともそれらがことごとく直ちに違法であるとか不合理であると認められているような状況ではありません。それは、社会が不合理だったり、不当な目的を維持したいから残っているわけではなく、一定価値観の下で正当性合理性が認められているためだと考えられます。こういったものについて、「区別」が「差別」になるかどうかは、結局は、どういう社会を目指すのかという理想像も絡んできます

例えば、育休は事実上男性にはほとんど認めらえてこない時代が続いてきました。その理由の一つには、男性女性とで子供を持つことの身体負担に差があることがあったと考えられ、そのことだけに着目すれば、育休に差を設けることの合理性は失われたわけではありません(期間の長さ等法律上も差はあります。)。しかし、育児には両性の親が関わるべきだという価値観社会に広がったことで、育休の扱いで差を設けることが不合理な面も浮かび上がってくるようになり、現在積極的男性に育休を利用させるよう厚労省などが呼び掛けるような状況に変わってきています。育休を男性が取れないことは差別になったと言えるでしょう。

3.女性専用車両差別だとする世界はどういう世界になるか

女性専用車両差別かどうかは、電車が混雑する時間帯に女性が優先的に乗ることができ、異性が原則として乗れない車両を作ることについて、正当性がありかつ一定合理性があるかどうかによることになります。その正当性としては、女性男性との間で、①異性から痴漢行為対象になりやすいかどうかという点で大きな差があること、②異性と身体が密着するような状況に対する忌避感や性的羞恥心に差があること、というあたりが挙げられるでしょう。現状の日本社会は、これらの目的正当性を認めていて、女性専用車両という仕組みで対応することも一定合理性があると概ね信じられているためこれが維持されていると考えられます

これに対して、現在女性専用車両への主な反論は、(1)男性犯罪者扱いするものである、(2)鉄道各社は満員電車という状況を改善するべきであるのにそれを利用者負担押し付けている、という二つが主であるように見られます。このうち、(1)は区別目的自体が不当であるという主張として、(2)は女性専用車両という手段が過剰であるという主張としてそれぞれ整理できます

これらの理屈が背後に持つ価値観を考えると、(1)は男女という性差だけで羞恥による忌避や防犯目的の行動をとること自体が不当だという社会を目指すものと言えるでしょう。これを貫けば、例えば、女子トイレ女子寮も、維持は困難になるでしょう。あるいは、女子更衣室すら、男女という性差羞恥心による別の取り扱いをすることは不当であり、男性女性も等しく我慢をすべきだという理屈で反対することも可能になりかねません。最近流行りの話で言えば、異性に家に誘われたときや異性と泊りがけで遊びに行くのを誘われたときは気を付けろというのも差別になるでしょう。これが白人黒人との関係であれば、羞恥心や防犯目的別離に扱うこと自体が不当であるという主張を貫くのは容易であり、むしろ目指すべき価値観であると受け入れられたために今があると言えますしかし、男女でその理屈に多くの賛成を得ることはおそらく難しいでしょう。これに対して、(2)は女性専用車両という不利益に甘んじるのではなく、ラッシュピークのない社会を達成するべきというもので、目指すべき社会の像としては、多くの賛同を得やすもののように思われますしかし、ラッシュピークが生じるような社会習慣は決して鉄道会社が望んで出来上がったものではなく、実際には鉄道会社だけでできることには限界があると私は考えますコロナ禍という大規模なショックを経験してなお、満員電車がなくなるには遠い現状があります鉄道料金、運転間隔、オフピーク通勤等の推奨等の対応を超えて、鉄道会社が努力すれば通勤ラッシュがなくなると考える人はおそらく多くはなく、その立場からすれば、結局、満員電車を解消する現実的な手立てがない現状で女性専用車両合理性否定すれば、また満員電車を避けたい女性負担を強いる社会に戻るだけでしょう。

こういった意味で、女性専用車両差別だと断定する主張は、基本的には極端な理想社会押し付ける非現実的な主張であると考えます。もちろん、そういう思想を持つこと、発信することは自由ですし、特に満員電車のない社会というのは真剣に取り組むに足る目標だとは思います。ただ、平和憲法国際社会に広めることで戦争がなくなると考える人が少ないように、女性専用車両に反対することでより理想的な社会が実現すると考える人も多くはないでしょう。

anond:20240226023013

こういう性格障碍者レイシストモラハラ嫉妬ブス腐女子正当化することだけに長けてるのがフェミで、そういう輩を気持ちよくさせてるだけなのがイケメン動物園なのと同じようにか

こんな差別偏見の塊なのに、女性だという理由だけで被害者ぶってワガママ放題言えば、リベラル理想像になれる女さまスゲーよ。

マジ人生イージーモード

2024-02-14

anond:20240213205530

女向けの方には「社会的正しさ」があるのがなぁ。

女性が夢見る理想像でありつつ、男が目指すべき目標でもある。

男向けポルノにある、男にとって都合がいいだけの人間性を抑圧された家畜感がもっと欲しいな。

2024-01-29

anond:20240128105036

あいうのはさあ、女作者が自分の延長にある理想像・仲間像を書いているのであって

 

男の漫画に出てくる、オッパイがあるだけのイケメン騎士とか、クソエロ積極女とかと、同じ分類だぞ

2024-01-11

anond:20240108151740

俺は、はてブについては https://b.hatena.ne.jp/hotentry/it だけ見てるんだけど、「本来ターゲットであったはずのIT関係のおじさん達が去っている」とはとても思えないんだけど

はてぶ全盛期の頃はなんかこう、ホッテントリもっとホッテントリだったの?

増田が思うはてブ理想像を知りたい

2024-01-07

管理職って昔は尊敬されてたけど

管理職って今の時代だと尊敬される要素がなくない?

そもそも管理職って酒が飲めて、トラブル起こさなくて、上に反抗せず、管理業務とやらのブルシットジョブが得意な奴が選ばれるんだろ?

現代若者が目指す理想像(Youtuberやら芸能人やら)と違いすぎるんだよ

から尊敬されるどころか奇特人間とみなされるようになってるよな

しろ親が管理職だった家庭出身のやつ(管理職になるポテンシャルがある)だと、守銭奴で家に帰ってこず家族をないがしろにするクズイメージプラスで付いてる

ハッキリ言っていまだに管理職目指す奴って相当頭悪いか権威主義かみたいな奴じゃないと目指さないよね

女が人生にとって管理職になることがプラスにならないから目指さなかったのと同じで

若者男にとっても管理職は目指すメリットがなくなってきてる

という社会情勢を読み取れない年寄幹部共ファック

2023-12-31

anond:20231231145234

男女問わずレベルが高いやつほどそれだけレベル高い相手とつき合う権利が得られるというだけの話を理解できない、何ならレベル低い側ほど自立した女性は男を必要としないものだとか勝手理想像繋げて語り出す方の性別に何を今更。

2023-12-30

暇空茜はリベラル理想像だった

こういう事を書くとマジ切れ発狂顔真っ赤になる人達いるだろうけど

バイアス抜きに客観的事実だけを抜き出せばマジでその通りなんだよね。


・ふとしたきっかけで公金の使われ方に疑問を持ち、調査した所大規模な不正疑惑が発覚

相手政治的なバックを持つ権力者であり、疑問を追求した者に恫喝めいた嫌がらせを行う

権力者側と戦う為に住民訴訟を起こし、様々な人間を巻き込み広範囲拡散していく

・リア凸や個人情報晒し等の野蛮な妨害を嫌い、あくまでも正しい戦い方、リーガルのバトルのみで正々堂々と戦う

政治的なバックは一切無く、戦う為の資金は自前や支持者のカンパのみ

・戦う事による報酬は一切求めないお金に対しては清廉潔白姿勢


横暴な権力者と戦う市井一般市民というヒロイックな像はまさしくリベラル理想のものであり

こういったドラマ映画・劇は割とありがちなテンプレート

リベラル界隈(の間だけ)で持て囃されていた、かのアカデミー賞受賞映画新聞記者」も

筋書きとしては「巨大権力者に疑問を持った市井人間が立ち向かう」というものだったけど

今暇空がやっている事を、どこぞの自称新聞記者女性では無く、

本当にただの一般市民しかオタクオッサンに盗られた事が非常~~~~に、悔しいんだろうな。


暇空批判には、どうにもヒステリックだったり感情的過ぎるもの散見されるが

中には「本当は俺たち私達がやる筈だった事・得られる筈だったポジションを奪いやがって!」という

一方的且つ身勝手嫉妬もあると思うよ。

2023-12-24

anond:20231224205347

人間は不完全だし、この世は理想からほど遠い。だから完璧理想像を描いてそれになりたい、近づきたいということは意味がある。

弓矢を射るとき、「南無八幡大菩薩」と祈るのも完璧軍神に力を貸してほしいという願いでもあり、それで実際パフォーマンスが良くなるというライフハックでもある。弁財天加護があれば、ギターソロ流れるように弾けるし、不動明王加護があれば迷いなく重大な決断ができる。

2023-11-12

経営のためのデータ分析」と「データ分析のための経営

https://tjo.hatenablog.com/entry/2023/11/11/195106

「R」や「Python」で誰でも簡単統計解析ができる(と喧伝される)ようになってから、このような思考をする分析者が増えているように感じます

統計手法原理理解することは、その手法の単純な適応における限界を見極めることのみならず、問題解決のために手法改善拡張することを可能にするでしょう。

それとは反対に、便利な統計ツールの使い方を身に付けることは、「問題解決」へのアプローチを硬直化させてしまます

「A/Bテストの条件統制」による影響を見積もることはできるか

この問題は事前に実験計画サンプル全体に確実に遵守させられる範囲サンプルを絞ってA/Bテストを行うとか、もしくは分析する前に実際のキャンペーン実施状況の情報を集めてnon-compliantなサンプルを除外するといった対策必要なんですが、それをせずに漫然とA/Bテストをやって「テスト群の方が有意に低いとは???」となってしまっている現場は珍しくも何ともありません。

さまざまな問題点が考えられますが、まず「テスト群の方が有意に低い」という結果が出ること自体統計分析評価として、なんらおかしなことではありません。おそらくは「低く出るはずがない」ような条件でA/Bテストを行っているのでしょうが、それ自体現実施策分析においては大きなバイアスになっているのです。そして、実際の現場では「実験計画サンプル全体に確実に遵守させる」ということがもっとも大きなバイアスになるのです。

多くの場合において、ある「施策(A)」の有効性を検討する場合、それは他の「施策(B)」との比較、もしくは「通常の状態」との比較をすることになります。それはどのようにすれば可能でしょうか?

例えば、「あたなの店舗では施策(A)を実施しないでください」と言われた場合、それは何を意味するのでしょうか? それは指示を受け取った人によって異なるかもしれませんし、綿密な実験計画の周知によってある特定状態意味していることが伝わるかもしれません。しかし、重要なのはそれが何を意味するかではなく、それがどのような影響を与えるか、ということです。コントロール群へどのような影響が出るのかを予測することは非常に難しく、現実的には不可能と言っていいでしょう。

多くの場合施策の影響を厳密に計測しようとするならば、そのテストが行われていることをあらゆるサンプル(店舗実施者)に知られずに済ます以外にはないでしょう。

データ分析はできたが、会社は潰れた

このような事態を避けるためには「平常時からある程度広告マーケティング施策を打つタイミングを満遍なくバラけさせておく」必要がある

本来であればデータ分析を担う立場の人々の方が平時から積極的に(役員会とは限らず)経営に関わるゾーンの人々に働きかけていって、「データ分析を行って意味のあるデータセットが得られるように普段からビジネスを展開する」というのが多分理想像なのでしょう。

このような考え方は、データ分析経営に(ほとんど)何らの影響を与えないような状況においてのみ有効です。

もし、あなた会社が本当に危機に瀕しているとき、どうにかして有効施策を見つけようとしているとき、「データ分析のために何の施策も行わないでください」と言われて従うことができるでしょうか。

あるいは、「本当に有効施策を見つけるために、あなた会社の成長を止めることが必要だ」と言われたら?

おそらく、そんなバカなことは受け入れられないと多くの人は考えるでしょう。

日本の「データサイエンティスト」は新しいパラダイムを生み出せるか

現在日本で「データサイエンティスト」などと呼ばれる統計分析の使い手がもてはやされているのは、アメリカにおける流行が数年遅れで日本上陸した結果だと言えるでしょう。しかし、アメリカ日本で決定的に異なる点があります。それは、アメリカ経済現在アップストリームにあり、日本はそうではないという点です。

人口増加を背景とした安定した成長のなかでは基本的統計分析(つまりは道具としてのお決まり統計分析)でも、十分に役に立っています

しかし、日本のような、マーケットの縮小と金政策に根差し不安定経済状況において、そのようなお決まり統計分析がどこまで有効であるかは大いに疑問です。

現代的な統計分析手法は、経済的な停滞に陥ったかつてのアメリカにおいて、その困難を打破しようとする知性によって大きく発展しました。現在日本は、まさにそのような状況にあるように見えます教科書的な分析をただ機械的適用する判定者ではなく、あらた価値を生み出すような「データサイエンティスト」がはたして日本からまれるでしょうか。

2023-09-22

他人に期待しすぎたというやつなんだろうな

私は外側に理想像を欲しがってしま

尊敬できる人、好きな人、気の合う人

そういうイメージ仕事の場で欲しがってしま

そんなの最初から無いものだと割り切ろう

理想人格自分の中に描くものけが唯一なんだ

他人に求めてもいずれ壊れて悲しくなるだけ

2023-09-10

anond:20230910114859

同意恋愛観ってフィクションでは変化しなくて、

思春期のはじめの小学生ときくらいに好きな異性のタイプはほぼ決定して

それ以降その理想像イメージが歳を取ってく。

2023-08-29

男性にとってフェミニズム労働代替である


 フェミニズムは、男性にとって労働代替である。結局のところ。


 フェミニズムに関わる女性が何を求めているかと言えば、それは、男女双方にとって住みよい社会――ではない。

 あらゆる社会運動において言えることだが、その運動の究極目的イデアールな理想像運動の開始とともに即座に達成されることは無い。それらが達成されるのは、多くの場合その運動が開始されてから長い年月を経た後である

 その限りで、運動への参加者は時にその理想よりも、その理想を達成するまでの過程に惹きつけられる。目標達成へと浮き沈みしながら向かっていく運動のものを、社会運動参加者は求めるようになるのである

 特にフェミニズムという社会運動に関わる人々は、自分の行動や自分自意識が、よりよく社会を変えていくという実感を求めているのではないかと思われる。あるいは、仮にその運動目的達成に寄与しなくても、自分社会をよりよく変えるための運動従事しているという実感を得ることを、運動参加者は求めている場合が多いのではないだろうか。社会生活を送る上での女性ならではの苦しみ、自意識、そして女性ならではの努力、そういうものが、個人の中で閉じて完結してしまうのではなく、社会の(よき)変化へと繋がっていること、その理想へと向かう道程に属していること。それこそが、社会運動に関わる人間が往々にして求めていることである社会運動を行う限りで、そのような実感を求めていない人間はまずいないだろう。

(勿論、そのような社会運動に参加するていでいながら、実際には特定人間攻撃したり嗜虐的な感情を満たしたりすることを求めている人間もいる。しかし今回はこのような人々を「フェミニズムに参画する人々」からは除くことにした)

 また、そのような運動従事するもの同士での連帯感を味わうことも、社会運動に参画する人間にとっての滋味である自分現実社会プラクティカル文脈に含まれ自分自意識思考や行動が、現実社会などのプラクティカル実体連続し、相互作用を与えあっているという実感、また、運動に関わる他のメンバーとも連続しているという実感。それらの実感を、社会運動に参加している人間は求めるものなのだ理想的な社会というものがすぐには手に入らない以上、運動参加者は往々にして、そのような魅力的な過程愛着を抱くものである


 して、男性にとってそのような実感を得る機会はあるのだろうか?

 女性にはフェミニズムがそのような機会に当たり、参加者プラクティカルな実感へと寄与する。自分意識社会から切り離されておらず、自分思考や行動もまた切り離されておらず、また、自分以外の他人とも切り離されていないという実感。自分思考意識や行動は、社会他人にとって大なり小なり意義を持つものなのであるという実感を得ることに、フェミニズムは大きく寄与することになる。

 男性にはそのような機会――つまりフェミニズムに代わるような機会――があるのだろうか。

 そのような機会は女性により独占されており、男性はそのような機会から遠ざけられ、社会やその社会に関わる人々とのプラクティカル連続から引き離されているのだろうか? 実際のところそうではない。


 男性は、そのような実感をフェミニズムを通してではなく、労働から得るのである労働によって、男性社会自分プラクティカル連続していて、よりよい社会に変遷していく過程の中に自分が属しており、また、そのような社会に属している他人との連続性の中にも属しているという実感を得るのである

2023-08-18

anond:20230818095923

婚活してると、それぞれの相手の良いところがパーツのように貯まっていって、理想像がエグゾディア級に肥大化することは良くあるな。まあ復活はしないんですけど。

2023-08-10

羽生結弦の思い出/感情の整理/記録(私用)

羽生結弦 結婚

初めて。

初めて推し結婚を心の底から喜べなかった。

Twitterでは祝福の声で溢れ、誰が見てもめでたいことはわかってた。

けれども、本当に「おめでとう」と言えなかった。

別にガチ恋勢とかそういうわけでもない。

でもなんで素直におめでとうと思えなかったんだろうと、色々思っていたけどこれまで吐き出していなかった感情を一旦全部整理しようと思ってコレを書いている。

明確な答えを出せるとは思ってないけど取り急ぎ感情の波が収まる前に書きつけておかないと多分忘れちゃう

しまた思い出したら追加で書いたりするかも。

追加:羽生さんのこと基本全部フルネーム表記してますが、ほぼ彼が「羽生結弦」という概念になってると思ってるので敢えてこの表記にしてます

報告の当日から何日もかけて、ちまちま思い出したことからぶつ切りで書いてるから話の前後やその時の情緒も語気も滅茶苦茶。

読み手のことを考えてる文章じゃないからかなり読みにくいが、同じように心の底から喜べずに悲しんでる人へ向けて「世の中に少なくとも1人、私がおるで」というための日記

から祝えない中、無理に喜ぶフリすると後から反動呪い言葉吐いてしまいそうだったか真剣に落ち込んでみた。

ちなみに、私はスケートという概念結婚したと思って正気を保っているので、ここから先はレディーガガの「marry the night」をお勧めします。是非聞いてね。

10年。

20ちょっと生きてる人間にとっての10年なんて人生の半分なんよねぇ。

あいいや。

初めて見たのはアイスショーで踊ってたツィゴイネルワイゼンだった。

元々親がスケート好きでたまにショーを見に行ってた事もあり、自分も連れて行ってもらったのが始まりだったと思う。

当時は荒川さんや浅田さんの影響も大きく、女子花形競技って感じで。男子はそんなに目立った感じじゃなかった。

(幼稚園生の時よくイナバウワーして遊んでたのでスケートといえば男子<女子だった)

小学生自分にとって、それまで見たことないタイプ名前電光掲示板に出ていたのは新鮮で「なんて読むねん」と思いながらぼんやりと見ていた。

なにより今では想像できない踊りで。

まぁ簡潔にいうと「何をしてるんだ…?」と聞きたくなるくらいすっ転びまくっていた。

(何年のやつか思い出せないけど知ってる方も多いと思う)

そんなアイスショーから数年。

羽生くん金メダルだって!」と。

中学の冬の朝、母親に叩き起こされたことを今でも覚えている。

え?「あの」羽生くん?と何度も確認して。

自分私生活が忙しくて少し離れてる間にすっ転びまくっていた少年五輪メダリストに変化していた。

何度も何度もソチ五輪映像を反芻して、居ても立っても居られなくなった私と母はそのまま3月のワールドに行った。

(このワールドsp、滑り出しの直前に「ゆづ〜!愛してるゥ〜!」という複数人による謎の掛け声があり会場全体が変な空気になったんだよな、カスゴミ客は◯んでくれ。)

その後はとんとん拍子で転がり落ちるように沼にハマりファンになった。

全部は長いから書けんけど、常に「羽生結弦」という男は自分にとって輝ける一等星というか。

第一印象がすっ転びワイゼンだったことも大きく、自分がまだ中学生でこれからなんでもできるという時期だったこともあって「彼のように努力すればここまで上り詰めることができるんだ」というある種の指標になっていたんだと思う。

羨望とかそういうのひっくるめて、こんなに頑張ってる人がいるのに、自分体たらくはなんなんだろうかと考えるそういう感じ。

中学高校私生活勉強で色々両立することがあって大きな変化はなかったけど、やっぱり「羽生結弦はいつも生活の側にあった。

普通に肩こり酷い人間だったから、黒と青のファイテン常に付けてた。これ可愛いよね。

高校入ってからかな。

母の彼への入れ込み方が激しくなってきたことがあって、若干嫌悪感を持つ時期があった。

詳細は省くけども、

ひねもす掲示板に張り付いて有る事無い事、噂やファン同士の諍い…望んでもないのに大量の情報を聞かされ、注入される感覚はあまりにも不快で気がついたら「憧れ」から「実の娘である私よりも母の気を引く邪魔存在」にもなっていた。

中国杯の後に増えたファン民度の悪さとかに嫌気が差していたり、自分勉強の方とかで精神的に追い詰められていた部分もあったから単純な話ではないのだけれど。

その頃自分大学受験に際して、部活のように取り組んでいた習い事を辞めていた。

スケート完璧勉強もできる「羽生結弦」を横目に「ああ自分は彼のようにはなれんのだなぁ」と失望してた。

また当時自分は家庭環境が最悪になっており家を出ることが目標だった。

家を出るためには親が納得するき足るだけの学力とそれだけの大学でないと説得できないと思ったこと、羽生結弦という男が育った街が知りたくて仙台大学を選んだ。

他に行きたい場所もなかったから、仙台に行くと決めてからはわりとすんなりと勉強ができた覚え。

羽生結弦過去ananの表紙を飾っていたが、意味わからんクソナガ茶マフラーを巻いてるポスターを机の前に飾ってた。

今なおよくわからん長ェマフラーをしてたのかは謎(調べると画像が出てくるから暇だったら見て)

どう考えても勉強する環境ではないが、サボろうとしても前向けばあの眼光から監視してもらう感じで。

話がズレたな。

平昌五輪差し迫り、母は現地で見たいと切望したものの、それまでの家事を疎かにする姿を見ていて誰がそれを応援しようと思ったか

当然家族全員反対した。

今思えば行っておいでと言えば良かったかもしれないが、私からしてみれば娘の受験よりも「羽生結弦」が優先なんだ、へぇ(笑)って感じだったし。

そんなこんなしてるうちに羽生結弦はサラリと2連覇。そこからまたファンが増え、シーズンオフアイスショーでも変なファンが増えたことでさらに嫌気が差していた。

どこかのアイスショーだったか忘れたんだけど、トイレ行ってる間にババアが「ゆづパンツが」とか会話で盛り上がってるの聞いて気分良いわけないからな。

あとアレな、アイリンの奥にある待合室の椅子全部、一つ一つに座っていたババア。この手のファン自称してる変な人たちも気持ちいから消えて欲しい。

無事進学が決まったことで家を出て、一人暮らしと同時に意識的スケート界隈を視界に入れないようにし始めた。

ここで一回離れたのが良かったのか悪かったのか。国際センター仙台駅の本屋仙台地下鉄ポスター

競技を追わずとも、さまざまなところで羽生結弦という男を目にして、その度にこの男を見て自分はこの土地までやってきたんだと思い出していた。

また話ズレるけど仙台大好き。

故郷よりも好き。

都会なのに緑が多くて気持ちがいいんよね。

就職を契機に都内へきてしまたか仙台を離れてしまったけど、はよ仙台戻りたい。

私は川が大好きなので死後、私の遺骨は広瀬川に撒いてくれと常日頃言ってます

大好きだ仙台

話を戻そう。

とはいえTwitterでこれ見よがしに呟いてるファンは正直気持ち悪かったし、自分も同じようになりたくなかったかTwitterでは鍵開けて呟くこともしなかった。そもそも羽生sageがひどい中、どれだけ擁護しようとも「羽生ファンガー」「ユヅリスト笑」と言われるんだから俺たちにできんのは「沈黙」だけだろ。

(ここでクラピカの顔が出てきたやつはツイカスかハンターオタだから前者はツイカであること自覚して生きような)

TwitterじゃなくてX?

うるせぇ、俺たちが共通センターと呼ぶのとおなじや。

そんなこんなでたまに目にしたり、アイショー見たりとかするくらいまではしてもシーズン中全部追うみたいな生活を2.3年せずにいたら北京五輪になってた。

数年まともに追っかけていなかった間に、さらスケーティング技術が向上してる様を見てやっぱり努力の人で憧れなんだよなと再認識した。

FPの朝。

雪がしんしんと降り積もる中、大崎八幡宮に4A祈願へ向かった。

FP前日に事実無根記事が大量に出回っているのを見て「4年経ってもこんな記事を書いて彼を貶めようと必死なんだ」と辛い思いしたな。

何年経っても彼を取り巻く環境は良くなるところか酷くなる一方なんだなぁと。

タイミング忘れちゃったんだけど、いつかのシーズンで本人が死のうと考えたみたいなこと言ってたのを時折思い出して。

それを考えると結婚したいと思える人と出会たことはなんて素晴らしいことなんだろうと素直に言えるんだけども。

そんなこんなしてたらあれよあれよと時間が過ぎて、引退かと思ったらプロ転向へ。

前々から引退したらどうしようと思っていたところ、最高の「答え」をお出しされて悲しむことも落ち込むこともなくて嬉しかった。

男子スケートにハマった理由に、彼らが命を燃やして戦うあの会場の空気が好きだったこともあって、その覇気がなくなったのは些か寂しい気持ちもあったけど。

まだこれからも彼のスケートが見られるんだなって嬉しかった。

ここまで色々自分の話をまとめてしまったけれど、ここからプロ転向後の個人的にモヤった点をいくつかまとめておく。

プロローグの八戸だっけな。

みんなのライト投票して踊るプログラムを決めるってやつでさ、

最初の方はみんな悲愴が多かった覚え(多分水色と青色が似ててそう見えただけの部分もある)なんだけど選ばず他のプロ踊って。

数日間ある中でも最後の日に、悲愴思い入れがあるからと踊って。

じゃあ最初からリクエスト選択肢から悲愴外してよかったんじゃね?になったけど。

あともう一個個人的に許せなかったのが阿修羅ちゃんだっけ、adoの曲使ったやつ。

adoなんて過去ネット活動してた人をアンチ自殺未遂まで追い込んでたわけじゃん。

そんないじめていた側の人間音楽を使うという事実を受け止められなかったんですわ。

giftとか、お礼に〜って内容なのにそこで使うのが「あの」「ado」ですか(笑)っていう。

いつまでも過去の話を蒸し返すなと言われるかもしれないけど、散々sage記事アンチに酷い目に遭わされてた羽生結弦がソイツの楽曲使うってグロくない?

この辺から自分の思ってた羽生結弦から乖離が起きてるのを感じていた。

まぁ自分が合わなくなっていっただけだけど。

あとまたこれは違う愚痴

notte stellata3/11に現地参加してたんだけど、中国ファンか知らんが明らかに場にそぐわない掛け声すんのやめてほしい。

こちとら鎮魂なり祈り、そこから希望とか再生意味するショーだと思っているのにそこで「あいしてる」なんてでかい掛け声は耳障りなだけなんよ。

最近見なくなったけど貞子みたいなストーカーも、アイスショー千秋楽必ずセンター1列目の変な女も邪魔

そもそもフィギュアスケートというスポーツのあり方自体も異質だよね。

プロではなくてアマチュアの方が技量が上、大会などに出場して集客してと見せ物のようになるのがアマチュアの方なん。

ただそのスポーツが好きというだけで始めた人間が、上手くなればなるほどよく分からない人たちの目に晒される環境にあって、

アスリートなのにアイドルのような消費の仕方/され方してるのがな…高校野球だけ謎に神聖視されてるのと似てる?

アイドル最初からそういう売り出し方をするからいいが、スポーツは違うじゃん。

好きで始めただけなの晒されて人格に難癖つけられてとかね。

世知辛いわね〜

まぁそんなこんなで、勝手理想像を求めてる俺みたいな人間は鈴の言葉でも反芻して生きような↓

すごい、馬鹿みたい。

勝手に期待して、勝手失望して。

ほんと馬鹿みたい。

でも王様ってそんなものなのね。

みんな勝手に期待して、陽子自体ことなんて考えてもみないで。

勝手失望していくの。

(アニメ十二国記』より)

Twitterとか世間では祝福の言葉ばかり目について、悲しむような人を見つけられなかった。

その様子を目の当たりにして、素直に喜べなかった自分の心の醜さに打ちひしがれてしまったし、周りのその「潔白」な態度に吐き気を催した。

だってさ…

今まで彼が「スケートを想って滑ってる」と思いながら見てた演技が「誰か特定の人に対しての感情を含みながら滑っていた」とかだったら悲しくない?

悲しくない?そう…俺が捻くれてるだけやね。

まぁそら遠くからお金落としてるだけのファンと、近くで辛い時支えてくれた人ならそっち好きになるのは当然だしね。

羽生結弦ファンであるなら、ファンもどこまでも清く、正しく、美しくあるべきところ私はそうできなかった。

私と同じように思っていても、表向き発信してない人が多くいると思うし。

私みたいな人も同じようにいるんだと知って、1人でも救われれば良いなと思って今回ここまでちゃん自分気持ちを書いた。

これは関係ない話だけど、Twitterで「羽生結弦結婚したのは俺?!俺!ole!」言うてる人の見て元気出たよ、ありがとう

どんなに切望しても普通には得ることが叶わない、スケートの神に愛された男が、スケート以外に愛する存在を見つけてしまった事実が悲しかった。

ただ、ただ、悲しかったんだと思う。

でもそれが神様でもなんでもない、人間としての羽生結弦で。

踏みつけても立ち上がるたんぽぽのように。

泥の中から咲かせる蓮の花のように

どんな場所でも美しく在る男の姿が。

そんな1人の男が好きだったな。

報道翌日に体を引き摺りながら仙台へ行って七夕祭り楽しんできたけど、また今度仙台行ってご祝儀代わりにお金落としてくるわ。

次はヒカペ目標で。

じゃ。


追記:

報告直後におめでとうと言ってた周りの人ほど今更落ち込んでる。最初に落ち込んでた俺の方がいま元気なの見るに、やっぱり無理するの良くねぇンだな〜に。

Twitter羽生関係を全部ミュートにしててしばらく見てないけど、羽生結弦に限らずオタクは全員キモいから自覚して生きような。

羽生結弦の思い出/感情の整理/記録(私用)

羽生結弦 結婚

初めて。

初めて推し結婚を心の底から喜べなかった。

Twitterでは祝福の声で溢れ、誰が見てもめでたいことはわかってた。

けれども、本当に「おめでとう」と言えなかった。

別にガチ恋勢とかそういうわけでもない。

でもなんで素直におめでとうと思えなかったんだろうと、色々思っていたけどこれまで吐き出していなかった感情を一旦全部整理しようと思ってコレを書いている。

明確な答えを出せるとは思ってないけど取り急ぎ感情の波が収まる前に書きつけておかないと多分忘れちゃう

しまた思い出したら追加で書いたりするかも。

報告の当日から何日もかけて、ちまちま思い出したことからぶつ切りで書いてるから話の前後やその時の情緒も語気も滅茶苦茶。

読み手のことを考えてる文章じゃないからかなり読みにくいが、同じように心の底から喜べずに悲しんでる人へ向けて「世の中に少なくとも1人、私がおるで」というための日記

から祝えない中、無理に喜ぶフリすると後から反動呪い言葉吐いてしまいそうだったか真剣に落ち込んでみた。

ちなみに、私はスケートという概念結婚したと思って正気を保っているので、ここから先はレディーガガの「marry the night」をお勧めします。是非聞いてね。

10年。

20ちょっと生きてる人間にとっての10年なんて人生の半分なんよねぇ。

あいいや。

初めて見たのはアイスショーで踊ってたツィゴイネルワイゼンだった。

元々親がスケート好きでたまにショーを見に行ってた事もあり、自分も連れて行ってもらったのが始まりだったと思う。

当時は荒川さんや浅田さんの影響も大きく、女子花形競技って感じで。男子はそんなに目立った感じじゃなかった。

(幼稚園生の時よくイナバウワーして遊んでたのでスケートといえば男子<女子だった)

小学生自分にとって、それまで見たことないタイプ名前電光掲示板に出ていたのは新鮮で「なんで読むねん」と思いながらぼんやりと見ていた。

なにより今では想像できない踊りで。

まぁ簡潔にいうと「何をしてるんだ…?」と聞きたくなるくらいすっ転びまくっていた。

(何年のやつか思い出せないけど知ってる方も多いと思う)

そんなアイスショーから数年。

羽生くん金メダルだって!」と。

中学の冬の朝、母親に叩き起こされたことを今でも覚えている。

え?「あの」羽生くん?と何度も確認して。

自分私生活が忙しくて少し離れてる間にすっ転びまくっていた少年五輪メダリストに変化していた。

何度も何度もソチ五輪映像を反芻して、居ても立っても居られなくなった私と母はそのまま3月のワールドに行った。

(このワールドsp、滑り出しの直前に「ゆづ〜!愛してるゥ〜!」という複数人による謎の掛け声があり会場全体が変な空気になったんだよな、カスゴミ客は死んでくれ。)

その後はとんとん拍子で転がり落ちるように沼にハマりファンになった。

全部は長いから書けんけど、常に「羽生結弦」という男は自分にとって輝ける一等星というか。

第一印象がすっ転びワイゼンだったことも大きく、自分がまだ中学生でこれからなんでもできるという時期だったこともあって「彼のように努力すればここまで上り詰めることができるんだ」というある種の指標になっていたんだと思う。

羨望とかそういうのひっくるめて、こんなに頑張ってる人がいるのに、自分体たらくはなんなんだろうかと考えるそういう感じ。

中学高校私生活勉強で色々両立することがあって大きな変化はなかったけど、やっぱり「羽生結弦はいつも生活の側にあった。

普通に肩こり酷い人間だったから、黒と青のファイテン常に付けてた。これ可愛いよね。

高校入ってからかな。

母の彼への入れ込み方が激しくなってきたことがあって、若干嫌悪感を持つ時期があった。

詳細は省くけども、

ひねもす掲示板に張り付いて有る事無い事、噂やファン同士の諍い…望んでもないのに大量の情報を聞かされ、注入される感覚はあまりにも不快で気がついたら「憧れ」から「実の娘である私よりも母の気を引く邪魔存在」にもなっていた。

中国杯の後に増えたファン民度の悪さとかに嫌気が差していたり、自分勉強の方とかで精神的に追い詰められていた部分もあったから単純な話ではないのだけれど。

その頃自分大学受験に際して、部活のように取り組んでいた習い事を辞めていた。

スケート完璧勉強もできる「羽生結弦」を横目に「ああ自分は彼のようにはなれんのだなぁ」と失望してた。

また当時自分は家庭環境が最悪になっており家を出ることが目標だった。

家を出るためには親が納得するき足るだけの学力とそれだけの大学でないと説得できないと思ったこと、羽生結弦という男が育った街が知りたくて東北大を選んだ。

他に行きたい場所もなかったから、仙台に行くと決めてからはわりとすんなりと勉強ができた覚え。

羽生結弦過去ananの表紙を飾っていたが、意味わからんクソナガ茶マフラーを巻いてるポスターを机の前に飾ってた。

今なおよくわからん長ェマフラーをしてたのかは謎(調べると画像が出てくるから暇だったら見て)

どう考えても勉強する環境ではないが、サボろうとしても前向けばあの眼光から監視してもらう感じで。

話がズレたな。

平昌五輪差し迫り、母は現地で見たいと切望したものの、それまでの家事を疎かにする姿を見ていて誰がそれを応援しようと思ったか

当然家族全員反対した。

今思えば行っておいでと言えば良かったかもしれないが、私からしてみれば娘の受験よりも「羽生結弦」が優先なんだ、へぇ(笑)って感じだったし。

そんなこんなしてるうちに羽生結弦はサラリと2連覇。そこからまたファンが増え、シーズンオフアイスショーでも変なファンが増えたことでさらに嫌気が差していた。

どこかのアイスショーだったか忘れたんだけど、トイレ行ってる間にババアが「ゆづパンツが」とか会話で盛り上がってるの聞いて気分良いわけないからな。

あとアレな、アイリンの奥にある待合室の椅子全部、一つ一つに座っていたババア。この手のファン自称してる変な人たちも気持ちいから消えて欲しい。

無事進学が決まったことで家を出て、一人暮らしと同時に意識的スケート界隈を視界に入れないようにし始めた。

ここで一回離れたのが良かったのか悪かったのか。国際センター仙台駅の本屋仙台地下鉄ポスター

競技を追わずとも、さまざまなところで羽生結弦という男を目にして、その度にこの男を見て自分はこの土地までやってきたんだと思い出していた。

また話ズレるけど仙台大好き。

故郷よりも好き。

都会なのに緑が多くて気持ちがいいんよね。

就職を契機に都内へきてしまたか仙台を離れてしまったけど、はよ仙台戻りたい。

私は川が大好きなので死後、私の遺骨は広瀬川に撒いてくれと常日頃言ってます

大好きだ仙台

話を戻そう。

とはいえTwitterでこれ見よがしに呟いてるファンは正直気持ち悪かったし、自分も同じようになりたくなかったかTwitterでは鍵開けて呟くこともしなかった。そもそも羽生sageがひどい中、どれだけ擁護しようとも「羽生ファンガー」「ユヅリスト笑」と言われるんだから俺たちにできんのは「沈黙」だけだろ。

(ここでクラピカの顔が出てきたやつはツイカスかハンターオタだから前者はツイカであること自覚して生きような)

TwitterじゃなくてX?

うるせぇ、俺たちが共通センターと呼ぶのとおなじや。

そんなこんなでたまに目にしたり、アイショー見たりとかするくらいまではしてもシーズン中全部追うみたいな生活を2.3年せずにいたら北京五輪になってた。

数年まともに追っかけていなかった間に、さらスケーティング技術が向上してる様を見てやっぱり努力の人で憧れなんだよなと再認識した。

FPの朝。

雪がしんしんと降り積もる中、大崎八幡宮に4A祈願へ向かった。

FP前日に事実無根記事が大量に出回っているのを見て「4年経ってもこんな記事を書いて彼を貶めようと必死なんだ」と辛い思いしたな。

何年経っても彼を取り巻く環境は良くなるところか酷くなる一方なんだなぁと。

タイミング忘れちゃったんだけど、いつかのシーズンで本人が死のうと考えたみたいなこと言ってたのを時折思い出して。

それを考えると結婚したいと思える人と出会たことはなんて素晴らしいことなんだろうと素直に言えるんだけども。

そんなこんなしてたらあれよあれよと時間が過ぎて、引退かと思ったらプロ転向へ。

前々から引退したらどうしようと思っていたところ、最高の「答え」をお出しされて悲しむことも落ち込むこともなくて嬉しかった。

男子スケートにハマった理由に、彼らが命を燃やして戦うあの会場の空気が好きだったこともあって、その覇気がなくなったのは些か寂しい気持ちもあったけど。

まだこれからも彼のスケートが見られるんだなって嬉しかった。

ここまで色々自分の話をまとめてしまったけれど、ここからプロ転向後の個人的にモヤった点をいくつかまとめておく。

プロローグの八戸だっけな。

みんなのライト投票して踊るプログラムを決めるってやつでさ、

最初の方はみんな悲愴が多かった覚え(多分水色と青色が似ててそう見えただけの部分もある)なんだけど選ばず他のプロ踊って。

数日間ある中でも最後の日に、悲愴思い入れがあるからと踊って。

じゃあ最初からリクエスト選択肢から悲愴外してよかったんじゃね?になったけど。

あともう一個個人的に許せなかったのが阿修羅ちゃんだっけ、adoの曲使ったやつ。

adoなんて過去ネット活動してた人をアンチ自殺未遂まで追い込んでたわけじゃん。

そんないじめていた側の人間音楽を使うという事実を受け止められなかったんですわ。

giftとか、お礼に〜って内容なのにそこで使うのが「あの」「ado」ですか(笑)っていう。

いつまでも過去の話を蒸し返すなと言われるかもしれないけど、散々sage記事アンチに酷い目に遭わされてた羽生結弦がソイツの楽曲使うってグロくない?

この辺から自分の思ってた羽生結弦から乖離が起きてるのを感じていた。

まぁ自分が合わなくなっていっただけだけど。

あとまたこれは違う愚痴

notte stellata3/11に現地参加してたんだけど、中国ファンか知らんが明らかに場にそぐわない掛け声すんのやめてほしい。

こちとら鎮魂なり祈り、そこから希望とか再生意味するショーだと思っているのにそこで「あいしてる」なんてでかい掛け声は耳障りなだけなんよ。

最近見なくなったけど貞子みたいなストーカーも、アイスショー千秋楽必ずセンター1列目の変な女も邪魔

そもそもフィギュアスケートというスポーツのあり方自体も異質だよね。

プロではなくてアマチュアの方が技量が上、大会などに出場して集客してと見せ物のようになるのがアマチュアの方なん。

ただそのスポーツが好きというだけで始めた人間が、上手くなればなるほどよく分からない人たちの目に晒される環境にあって、

アスリートなのにアイドルのような消費の仕方/され方してるのがな…高校野球だけ謎に神聖視されてるのと似てる?

アイドル最初からそういう売り出し方をするからいいが、スポーツは違うじゃん。

好きで始めただけなの晒されて人格に難癖つけられてとかね。

世知辛いわね〜

まぁそんなこんなで、勝手理想像を求めてる俺みたいな人間は鈴の言葉でも反芻して生きような↓

すごい、馬鹿みたい。

勝手に期待して、勝手失望して。

ほんと馬鹿みたい。

でも王様ってそんなものなのね。

みんな勝手に期待して、陽子自体ことなんて考えてもみないで。

勝手失望していくの。

(アニメ十二国記』より)

Twitterとか世間では祝福の言葉ばかり目について、悲しむような人を見つけられなかった。

その様子を目の当たりにして、素直に喜べなかった自分の心の醜さに打ちひしがれてしまったし、周りのその「潔白」な態度に吐き気を催した。

だってさ…

今まで彼が「スケートを想って滑ってる」と思いながら見てた演技が「誰か特定の人に対しての感情を含みながら滑っていた」とかだったら悲しくない?

悲しくない?そう…俺が捻くれてるだけやね。

まぁそら遠くからお金落としてるだけのファンと、近くで辛い時支えてくれた人ならそっち好きになるのは当然だしね。

羽生結弦ファンであるなら、ファンもどこまでも清く、正しく、美しくあるべきところ私はそうできなかった。

私と同じように思っていても、表向き発信してない人が多くいると思うし。

私みたいな人も同じようにいるんだと知って、1人でも救われれば良いなと思って今回ここまでちゃん自分気持ちを書いた。

これは関係ない話だけど、Twitterで「羽生結弦結婚したのは俺?!俺!ole!」言うてる人の見て元気出たよ、ありがとう

どんなに切望しても普通には得ることが叶わない、スケートの神に愛された男が、スケート以外に愛する存在を見つけてしまった事実が悲しかった。

ただ、ただ、悲しかったんだと思う。

でもそれが神様でもなんでもない、人間としての羽生結弦で。

踏みつけても立ち上がるたんぽぽのように。

泥の中から咲かせる蓮の花のように

どんな場所でも美しく在る男の姿が。

そんな1人の男が好きだったな。

報道翌日に体を引き摺りながら仙台へ行って七夕祭り楽しんできたけど、また今度仙台行ってご祝儀代わりにお金落としてくるわ。

次はヒカペ目標で。

じゃ。

2023-08-05

さえぼうさんさぁ…

いやこれ意味分からん

家族を作るハードルを上げて何が悪いの?

「家族」っていうのが夫婦のように大人同士の自由意思のみで成り立つ組み合わせならまだしも

子供を作っちゃったら手遅れだし、軽率子供を作っちゃったりしないようにハードルは高い方がいいじゃん

ハードルを下げた結果、気軽に子供を作ってしまって、それで手遅れになってしまったら一体どうするのか

もしかして子育てに失敗したら養子に出せばそれでいいとか思ってる?それで傷付く子供気持ち全然考えてないよね…

このツイート賛同している人達意味分からん

児童虐待肯定してるの?

saebou

@Cristoforou

·

6時間

素晴らしい家族理想像宣伝すると、家族を作るハードルが上がって逆効果なんで絶対やめたほうがいいと思う。

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