はてなキーワード: 灰色とは
毎期アニメが終わるたび一生分のアニメを観たような気になるので、今期もまた新作アニメのPVやニュースを憂鬱な目で見ていたはずなのだけれど、気づけば今期もまた新作アニメを浴びるほど観る毎日に身を投じていたので風呂敷を広げすぎないうちに感想を書く。それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。
ちなみにここに書く作品すべて2話まで観ているわけではなく、まだ1話しか観ていない作品もいくつかある。あと解説の中に殆どキャラクター名(固有名詞)が出てこないのは、単に全く記憶していないからだったりする。表題のキャラ名(グリッドマンとか)や2期のキャラを除くと、真面目に「伝説の山田たえ」くらいしかフルネームを覚えていないかも。
~のみ見放題…対象サービスでのみ全話見放題。その他のサービスでは有料配信。
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私はTVでアニメを観ない(BS見れないし、TOKYOMXもAT-Xも受信できないし)ので、配信情報はこれ以外の手段について書いている。
良い最終回だった。百合は百合でもガチの百合。花の学生生活を描くアニメ。
今年観た百合アニメで非常に印象的だった「citrus」と比較すると、citrusは主人公が性愛の目覚めに至ってから物語が始まるのに対して、本作は自分の気持ちにどんな意味があるのか?というところにフォーカスしていく物語みたい。「やがて」という言葉を冠しているところからも、同性愛に至るまでを描く内容なのだろうか。「わからない」っていうセリフが控えめに言って最高。あとcitrusにもあったけれど、最初に「男性から告白されて(恋愛対象とみなされて)、それを断った上での百合展開」というのがよりガチっぽくて好き。特に2話以降で言えば、同性愛の目覚めがけっしてみんな一緒のタイミングではなく、キャラによって気づきの早さが異なり、それゆえのすれ違いが描かれているところが最高に良い。
本作の脚本を手がけるのはあの花田十輝。「宇宙よりも遠い場所」のいしづかあつこ監督がどこかのインタビューで「花田脚本は絵で語る表現がうまく、例えば誰かが喋っているとき、そのキャラの顔をアップにするのではなく別のキャラの顔をアップにするとか、そのキャラの手元を写すなど「行間を読ませるような演出」に優れた脚本」と評価していたけれど、本作もそういった意匠のある演出になっている。「響け!ユーフォニアム」「宇宙よりも遠い場所」などでも見られるモノローグなど、花田十輝の良さが出ている作品。キスシーンめっちゃエモかった。
大島ミチルの音楽が非常に良い。校舎や制服が少し時代を感じさせる一方で、すごく特別で隔世感のある華やかな雰囲気に包まれていて、それを音楽が加速させている。また、パリッとしたわかりやすさを持たない、複雑な心情とよく合っていて痺れる。
それにしても制服のデザインがめちゃくちゃ好き。「ゆるゆり」「あまんちゅ!」の制服に似た優雅さがある。
AmazonPrimeVideo独占
制作:P.A.Works、背景:スタジオ・イースター(監修・東潤一)、音楽:出羽良彰、脚本:柿原優子。ゴリッゴリのP.A.Works作品。高校生の青春を描く物語。割とやさしいせかい。
なんやかんやで色が見えなくなった女の子がふさぎ込んじゃって、魔法使いのおばあちゃんが彼女のために云々・・・というシナリオ。色覚異常をテーマにした作品と聞いて「聲の形」が一瞬よぎったけれど、扱っているテーマが違う(あっちはいじめが大きなテーマになっている作品)。
演出的には「主人公を見守るような視点」が多く描かれていて、全体的に優しさに包まれている。魔法が日常に溶け込む世界感は「凪のあすから」くらい生活感のあるSFに仕上がっている。
生活感といえば1話の「魔法ショップの店内の様子」みたいなシーンを見て「ふらいんぐうぃっち」を思い出す人もいたと思うけれど、それもそのはず、本作の劇伴・出羽良彰はふらいんぐうぃっちの劇伴も担当していた人なので、圧倒的ふらいんぐうぃっち感のある、優しさに包まれた作品になっている。透明感のあるビブラフォンが骨身に沁みる。劇伴買おうかな。
それにしても、背景美術のクオリティが異常。一旦OPEDを観てほしい。タイトル通り本作は「色」が大きなテーマになっていて、物語のキーとなる背景が主役になるカットが多い。「(世界はこんなに美しいのに)主人公の目には世界が灰色に見える」という、暗闇の中にある思春期の心象風景に説得力を持たせるためには相当美しい背景が必要なのは分かるのだけれど、それにしても書き込みや彩色がエグく、特に彩度については主人公の心象とリンクして白黒〜極彩色まで変化するくらい凄まじい仕上がりになっている。なので、1話ラストの抽象的な、印象派のような絵画っぽい心象風景によって世界が彩られる演出は痺れた。
湘南のご当地アニメ(舞台が湘南なのは、原作者の鴨志田一曰く「湘南で青春の日々を過ごすことに憧れてたから」とのこと)。
鴨志田一といえば「Just Because!」がアニメ放送されたのは2017年10月だけれど、本作も学生のヤキモキした感じが漂う青春群像劇(ボーイ・ミーツ・ガール)になっている。
タイトルは章ごとに変わるらしい。ひたぎクラブ→まよいマイマイ→…的な。なお原作も各巻ごとにタイトルが異なる仕様だっため、先日発売された新装版は「タイトルを見ても巻数が分からない問題」が修正されている。ちなみに、2話で登場する少女(CV.水瀬いのり)のエピソードは、来年に劇場作品として公開が決まっている。
バニーガール先輩も青春豚野郎も非常にクレバーなキャラなので、ライトノベルっぽいタイトルやバニーガールのキービジュアルからは想像し難いような会話劇だったりする。「サクラダリセット」に近い。ともに主人公を演じるのは石川界人。彼の淡々とした口調がすきだなあ。ってティラミス見ながら思った。
本作は「思春期症候群」という都市伝説がテーマ。例えば「根も葉もない噂」とか「誰も自分のことを知らない世界に行きたい」とか「なんとなくみんなに合わせないといけないような、ハブられないようにしないといけない、という空気」とか「いじめを受けたことによる、目には見えない心の傷」など、特に学生時代に抱えやすい、可視化の難しい問題を「思春期症候群」という舞台装置によって可視化しているのかな。ある意味残酷ではあるけれど、逆に救いのある物語だよね。
会話の意味のなさが良い。「サクラダリセット」に出てくる相麻菫と浅井ケイの会話を思い出す。哲学に片足を突っ込んでるあたり特にツボ。1話なら「ありがとう」に「ありがとう」という意味が無いとか、2話なら「キスしよっか」が「キスしよっか」という意味を持たないような。そんなバニーガール先輩を見ていると「打ち上げ花火」のナズナちゃんを思い出す。会話にほとんど意味がないために、彼らの感情をうまくキャラクターの表情で表現しているのが言葉の軽さと対照的になっている。エモい。
特に2話は、問題の解決と同時に解消されるであろう二人の関係を思うと、どこか漂う諦め、虚無、寂寥感がある。
音楽を担当するFox capture planはシンセの曲が多めかつ特にEDのようなジャズっぽい
雰囲気があるので、「Just Beacause!」と比べて本作は精神年齢高めな作品に仕上がっている。
三浦しをんの小説原作。制作はproduction I.G。大学生10人がある日突然、箱根駅伝出場を目指してみた話。
原作が一般小説なので、大学生たちがアニメっぽいキャラクター性を持っていない。性格が地味な子が多い。しかもキャラの表情やしぐさにコミカルな表現(今期「うちのメイドがうざすぎる!」みたいな動き)をほとんど使用していない。なのに表情が非常に豊か。しかも10人とも顔のデザインがかなり異なっているのに(双子を除く)どのキャラも表情含め丁寧に描き分けしている。
アパートの飲み会中後ろでガヤガヤしている人(アドリブ)とか、アニメならキャラ同士のイチャコラを中央に据えて順番に映して「ガヤガヤしてる感」を演出しそうなのに、全くのガヤになっていて「仲がいいキャラクター同士のあつまり、という空気感」として描かれている。2話では特に青竹荘の日常が描かれていて、朝食のシーンなんか「大学生の住んでる古いアパートの日常風景」がそこにある。そういうリアルな空気が「見える」作品。
カットの特徴で言えば「やや見下ろすような視点」が多い印象。その場の雰囲気を描くためなのかな。
あと背景の情報量が多い。特に1話ラストのランニングシーンとか見ると何枚街のカットがあるんだ。全体的に黒っぽいのも実写っぽさがある(普通アニメでは夜の暗さを青色で表現する事が多い)。
ランニングシーンで言えば、走りモーションの躍動感とチャリを立ち漕ぎしてる体の触れ具合が好き。
死んだ女の子がアイドルとして歌って踊る佐賀の日常に異世界転生する話。大人が本気で悪ふざけしているアニメ。大人の悪ふざけxアイドルなアニメで今年放送された作品だと「魔法少女☆俺」が思い浮かぶけれど、本作はあっちよりもずっとアイドル寄りに仕上がっている。不和→衝突→団結を繰り返しながら一つになっていく物語の中にライブパートが含まれており、毎話ライブがエモい。特に2話は、ライブシーンのアニメーションもさることながら主人公を演じる本渡楓がめっちゃすごかった。日本語のラップに抵抗のない人なら楽しめると思う。
概ねギャグアニメになっていて、ゾンビというB級モチーフも相まって福田雄一っぽさを感じる。特に宮野真守が演じる巽幸太郎がだんだん佐藤二朗に見えてくる不思議(「全部宮野さんにおまかせで!」っていうディレクションだったらしい)。
ゾンビというモチーフを積極的に使った作品で私が観たことのあるアニメは「さんかれあ」くらいなのだけれど、どっちも「ゾンビ化」→「第2の人生」みたいな、特にこの作品では「異世界転生」みたいな機能を持っているみたい。つまり佐賀は異世界。
ちなみに「さんかれあ」では、ゾンビについて「生きているのか、死んでいるのか」「魂はどこに?」「自由意志はあるのか、ただの反射なのか」「自己同一性」「どこまで肉体は不変なのか」「どれくらい肉体が朽ちると、彼女は彼女でなくなるのか」みたいな視点に触れているややハードめな作品なのに対し、本作は(2話時点で)そういう視点がざっくりスルーされているので、安心して観られる。
なぜだろう、ただ若干肌が土気色で目のくぼみが強調されているくらいなのに…なんだか…あれ?…かわいいぞ…?
すすすすっ。”SSSS.”は発音しない。グリッドマン。アニメ版特撮ヒーロー。アニメ(ーター)見本市からの長編アニメ化(過去に長編化したのは「龍の歯医者」だけ?)。監督、美術、音響効果など一部スタッフが続投している。アニメで観る特撮ヒーロー。
作品のコンセプト的に子供向けっぽいのかな、と思っていたけれど、OP見ると本来あるはずの白文字テロップ歌詞が無いので、なんか大人向けっぽい。
作品の雰囲気を象徴している背景美術のフェチズムがすごい。何あの電柱の書き込み。他にも教室の雰囲気や町並みなども懐かしさを感じる雰囲気。
強烈なのは、日常と非日常が交錯する日常パート。「なんかヤバそうなんだけど、別にみんななんともないし大丈夫なのかな」という正常性バイアスに支配された日常っぽくてしびれる。特に1話の日常パートには音楽がなく、緊張感がある。
それはそれとして、モブ同士の会話がすごく良い。文字通り何気ない会話なんだけど、モブが活き活きしている。なお公式では毎週期間限定でボイスドラマを公開していて(脚本:雨宮哲監督)、内容としては各話の幕間を描いている。1話4分位なので聴きやすい。
そんな日常パートが終了するキッカケとなる怪獣の登場シーンがまた強烈。デザインとか暴れ方はまさに特撮ヒーローに出てくる怪獣そのものって感じだけれど、直接怪獣を描くのではなく「混戦する無線通信」「燃える街」「ビルの向こう側でなんか大変なことが起きてるみたいだけど見えないのであんまり慌てていない電車の乗客」等、雰囲気を描くことで怪獣の怖さを描いている。私はあんまり特撮ヒーローモノを観ないけれど、これを観てて「シン・ゴジラ」と同じ感動を覚えた。本作の音楽も鷲巣詩郎であり、無音からの劇伴→勝利用BGMという演出が見事に決まっている。
グリッドマンのアクションシーンもやはり特撮ヒーローライクな演出(というか再現)になっていて、重量感のある着地や舞い上がる瓦礫はまさにという感じ。特にアニメで見るライダーキックは迫力がある。アニメなのだからもっとデフォルメして空高く飛んだりしてもいいのに、中に人間が入っているような動きで繰り出すキックらしい迫力がある。これを観たかった。あとたまにフィギュアが動いているように見えるのは、監督含むトリガーの人たちがフィギュアオタクだからなのかも(職場が足の踏み場もないくらいフィギュアで溢れているらしい)。
心・技・体の揃った「未確認で進行形」の紅緒お姉さまがロリ小姑を追い詰める。
動画工房の持ち味である、ヌルッヌルのコミカルなアニメーションを観ることができる。特に本作はチーム太田(監督:太田雅彦、副監督:大隈孝晴、シリーズ構成・音響監督:あおしまたかし、音響監督:えびなやすのり、音楽:三澤康広。代表作は「みつどもえ」「ゆるゆり」「琴浦さん」「さばげぶっ!」「干物娘!うまるちゃん」「ガヴリールドロップアウト」等)による新作であり、作品のベクトルはあんな感じの日常コメディ。ついニコニコ動画で観ちゃう。
顔も知らない誰か、という関係が嫌だからやってるのかなと思った。都会はあまりにも無機質で、人を人と思えないぐらいに心が灰色になっていく感覚は分かる。人間は社会的な生き物で、それを否定して生きるのはつらい。
最近小売業はなかなか厳しいと言われてるけれども、個人的にはあらゆる消費に対して微妙にケチになっているかもしれない。前は欲しいものがあったらイヤッホウ的に買っていたけど、失敗したことの記憶の蓄積が閾値を超えたみたいで、もういいやっていう風になる。行きたいコンサートはあるけれども、「マニアしか知らない曲ばっかりだったら乗れないかも」「好きな曲をやってくれなかったらお楽しみどころがまるでないかも」という、失敗したくない感が先行して、ズルズルしているうちに時機を逃す。この現象があらゆる消費に対して出てくるので、「失敗したくない病」と名付けた。失敗したくないとは、幻滅したくないということ。ちなみに、これ以上幻滅したくないので、芸能人の類に夢や憧れを抱くのもやめた。ちょっと素敵な人がいても、深入りしないで遠巻きに眺めることにした。そうすれば、嫌な部分を見てがっかりしたり、冷たくされて心を痛めたり、他の異性と仲良くしている様子に密かに苦しんだり、ということがないから。そういうわけで、今、幻滅と失敗をできる限り回避していると思うけれども、案の定、そんな生活あるいは人生はウキウキも熱狂も無関係で、ただ灰色一色の荒涼とした風景になってしまった。門扉に雀の網を張るなんとか、という詩を思い出した。
昔から白黒決めつけるのが苦手だった。
これは嫌い。
あれは好き。
この食べ物が嫌い。
この食べ物が好き。
あの子が嫌い。
あの子は好き。
そうやってはっきり決めつける子を見ると、すごいなと思うと同時にもったいないと思ってた。
嫌いと決めつけてしまうと、その物事の一切を遮断してしまって、その物事の可能性を見れなくしてしまうと思ったから。
だから私は可能性を信じて、嫌い、と決めつけることなく生きてきた。
なんとなく嫌な人でも、ちょっと苦手だなと思うくらいで嫌いとまでは断じなかった。
深く物事を考えない。
良くない。自分でもよく分かってる。
激しい感情を持っていなくて、色彩で言うなら淡い色しか持っていない。
いや、あるはあるけど、それに蓋をしてしまってる。
我儘で自分中心。
思い通りにならないと喚き散らす子供だった。
本当に嫌な子。
だけど優しいおばあちゃんが亡くなってから、わたしは自分のことばかりで、全くおばあちゃんのことを気に掛けていなかったことに気付いた。
困らせてばかりいた。
本当に嫌な子。
それからだと思う。
周りをよく見て、激しい感情を抑えるようになったのは。
優しい子だとよく言われるようになった。
でも親しい子には、冷たいね、と言われた。
鈍感になってしまったから、盲目的になってまた肝心なことに気付かなかった。
三つ子の魂百まで。
ひたすら理想の人間になれるように、フリをするけれど結局どこかで粗が出る。
純粋な優しさを持ってる、打算も何もなくても人から好かれる子が羨ましい。
鮮やかな感情を持つ子が美しく見える。
そんな生き様が眩しい。
白黒決めつけなかった自分は、自分を灰色の世界をしてしまったんだろうか。
わたしもいつしか、感情を曝け出して好きになれる人が現れるのかな。
今まで燃え上がるほどの好きと言う感情すら持つことがなかった。
友達が恋愛で泣いているのを見ても、私にはその感情を100%理解できることはなかった。
何人かと付き合っても、泣いて別れるなんてことはなく、あっさりとしたものばかりだったから。
わたしに降り積もる灰を全部燃やし尽くしてくれる人がいつか現れないかと思うほどには、わたしも少女ちっくな部分はある。
灰は燃えない。
でも高熱処理をし続ければ鉄のように気化する。
だけどそんないるかも分からない王子様を待ってたってしょうがない。
そういうのは性に合わない。
自分で自分を変えなければいけない時なのかもしれない。潮時とも言うかな。
都合の良い〝良い子〟はそろそろおさらばだ。
あなたは自分の感情をただ封じ込めて良い子を演じてるだけの人形。
それじゃ、生きていけない。
http://wheat.x0.to/game/crown/
ゲーム本体についての紹介は他レビューサイト様を参考にしていただくとして、この記事では冠を持つ神の手(かもかて)をスマホでプレイする方法を説明していきます。
冠を持つ神の手は「吉里吉里2」というソフトで製作されたWindows PC用フリーゲームです。
今回する事は、この「吉里吉里2」をスマホで起動できるようにするアプリを使って冠を持つ神の手をプレイしようじゃないか!という試みです。
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まず最初に、Androidスマートフォンを使用している人はKirikiroid2を、iPhone/iPadを使用している人はXP3Playerを購入する必要があります。
https://play.google.com/store/apps/details?id=org.tvp.kirikiri2
https://itunes.apple.com/jp/app/id1064060287
正直お高め(特にiOS用)のアプリですが、このXP3PlayerとKirikiroid2、吉里吉里2で製作されたノベルゲームなら大体がスマホでプレイできてしまう優れ物なんです。
冠を持つ神の手だけでなく、吉里吉里2で製作されたフリーゲームなら同じ方法で色んなゲームがプレイできるようになりますし、有料ゲームでもパッチを当てれば全部スマホで起動可能!!
吉里吉里2で作られたゲームを全部スマホに持ってこられるようにしたアプリ作者の技術と根気はお金を払う価値があると思います。
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必要な物
■Kirikiroid2/XP3Player
■Android/iOSスマートフォン(もしくはタブレット端末)
■データを転送するためのPC(※Androidの場合は不要)
□Androidで、一からダウンロードするならZIP解凍アプリ
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スマホで吉里吉里を起動するアプリを手に入れたら、お次は冠を持つ神の手本体の用意です。
ここからAndroid向け、iPhone向けで説明を分けていきます。
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Androidを使用している人は公式サイトから直接ゲームをスマホにダウンロードして簡単に起動する事が可能です。
【冠を持つ神の手公式サイト】http://wheat.x0.to/game/crown/
ダウンロードが終わったら、crown.zipをZIP解凍アプリで適当なフォルダに解凍します。
Kirikiroid2を起動すると灰色の画面にスマホ内のフォルダリストが表示されるので、crown.zipを解凍したフォルダの中の「data.xp3」を選択します。
これで起動完了。お馴染みの小麦畑ロゴが表示され、冠を持つ神の手がスマホでプレイできるようになります。
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既にPCでプレイしていて有料版を買っていたりプレイデータを引き継ぎたい方は、複数の方法があります。
一つ目はUSBアダプタでスマホとPCを接続し、PCに入っている冠を持つ神の手フォルダをスマホ本体にコピーする方法。
二つ目は、SDカードにデータをコピーし、SDカード内のデータをスマホ本体にコピーする方法です。
(SDカードからだと起動できない機種もあるので、ゲームのデータは本体に置きましょう)
要はPCにあるフォルダをスマホ本体にコピーすればいいだけなので、クラウド経由でも何でも構いません。
Kirikiroid2を起動すると灰色の画面にスマホ内のフォルダリストが表示されるので、PCからコピーした冠を持つ神の手フォルダ内の「data.xp3」を選択します。
これで起動完了。お馴染みの小麦畑ロゴが表示され、冠を持つ神の手がスマホでプレイできるようになります。
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iPhoneの場合は、まず最初にiPhoneにXP3Playerをインストールしておく必要があります。
iPhoneをクリックして表示し、左側のサイドバーで「ファイル共有」をクリックします。
表示されたAppリスト内からXP3Playerを選択します。
公式サイトからダウンロードして解凍した冠を持つ神の手のフォルダ(既プレイの場合はプレイ中のデータが入ったフォルダ)を直接ドラッグ&ドロップするとiPhoneに冠を持つ神の手のデータがコピーされます。
iPhoneでXP3Playerを開くと、灰色の画面にコピーしたフォルダが表示されているので、その中にある「data.xp3」を選択します。
これで起動完了。お馴染みの小麦畑ロゴが表示され、冠を持つ神の手がスマホでプレイできるようになります。
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Kirikiroid2、XP3Player共に有料版であれば攻略支援機能をオンにする事も可能です。
フォントはゲーム起動前にKirikiroid2本体の全体設定から好きなフォントを指定し直すことができます。(フォントは自分で用意する必要があります)
以上、拙い文章ですがスマートフォンでも冠を持つ神の手をプレイできることが広まればいいなと思って書きました。
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最後に、参考にさせていただいた記事です。図解もあり、とてもわかりやすいです。
わからない部分があったらこちらを見たほうが良いかもしれません。
(完全版?)Kirikiroid2とXP3Playerの使い方
共和国の豊かな生活や食事や文化を楽しませて着飾らせて可愛がってさ
帝国での過酷な訓練と戦いに塗りつぶされた灰色の人生観を塗り替えさせた後にさ
「ところで殺せと言う例の話ですけど。」って切り出したいよね。
「落ち着いてきたので、どうしてもというなら残念だけど意志に沿いたいと思います。」って。
「出来たら考えを変えてくれてたらとても嬉しいんですけど」って。
女騎士は内心ではもうかなり死に疑問と躊躇いが生まれてるんだけど
まだ残ってる騎士のモラルとか一旦大見得切った立場とかのせいで今更「生きたいです」なんて恥ずかしくて言えなくて煩悶してるとこに
「あなたが死んじゃうと捕虜になってるあなたの部下達の境遇にもいいことないんですよ?」とか助け舟を出したいよね。
それで女騎士も勿論その話が助け話だと気づいて、
それでもその助け舟に乗っちゃって顔真っ赤にしながら「部下の為にも死ねないし生きたいです」みたいな答弁を小声でしちゃうところを見守りたいよね。
当然「殺せ」の撤回と命乞いを聞いたらちゃんと快適な待遇と生活を供与しちゃうんだよ。
帝国と共和国が停戦した後も立場を保って母国と行き来出来るような体裁も整えてあげるの。
女騎士は人生の楽しみを知ったことで自分が変わっちゃったことに気づいていて
部下を言い訳にした命乞いまでしちゃったことを自覚してるからふと思い出すたび悶絶して無意味な奇声を上げそうになるけど
そこで自決するような誇り高さがもう自分にないことも理解するわけ。
そんで段々とふにゃふにゃした人間になってきて
共和国との和平を実現したうえに熱心に求婚してきてた共和国の男と結婚して
殆どの人には「和平の象徴」とか「戦争の英雄にして遺恨を捨てて平和を到来させた聖人」とか言われて
そういうのが読みてえな。
すごい陵辱でしょ。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-269275
9月17日午後6時ころ、南区長住3丁目付近で、自転車進行中の小学生女児が後方から自転車で追いかけてきた男に、「パンツ、パンツ」と声をかけられる事案が発生しました。男は、年齢70代くらい、黄土色帽子、青色七分袖シャツ、黄土色半ズボンを着用し、黒色自転車に乗車していました。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-269801
9月18日午後3時ころ、南区長住5丁目付近で、徒歩で帰宅中の小学生女児が後方から自転車で近付いてきた男に、「パンツ、パンツ」と声をかけられる事案が発生しました。男は、年齢70代くらい、色黒のやせ型、色不明の帽子を着用し、黒色自転車に乗車していました。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-270665
9月20日午後4時ころ、南区長住3丁目付近で、小学生女児らが徒歩帰宅中、自転車に乗った男が追い抜いた後振り返り「パンツ、パンツ」と手を振りながら声をかけられる事案が発生しました。男は年齢60代くらい、黒色長袖ジャンパー、灰色か黒色のズボン、ベージュのキャップ帽を着用していました。
https://anond.hatelabo.jp/20180920011754
上の記事みて日頃思ってたことがあったから書く。(主語でかめだけど気にすんな)
記事の言う通り、ネットの発達で上の階層の世界にはアクセスしやすくなったけど、
それは同時に自分が今いる階層(上よりもつまらない)を客観視せざるをえない状況にされてるってことを俺は唱えたい。
ネットに繋がれば、自分よりもルックスもお金も社会的地位も遥かに上の人間が星の数ほどいて、
とあるアニメのキャラクターが幼い頃の球場に行って初めて数万の観客を目の当たりにした時に、
ずっと特別だと思った自分もちっぽけな存在のひとりだってことに気づいて、
ひと昔前ならいい車に乗って、高級な時計を身につけてりゃ優越感に浸れてたんだろうけど、
20代でランボルギーニに乗ってる上の連中の日常にyoutubeやインスタを通じてアクセスできるこのご時世で、
そんなに背伸びして地元で見栄を張ってもどうなのってなるわな。
だから、今の若者の〇〇離れがうんぬんって話に的はずれなのが多いのは、
おっさん連中がそのへんのことを体感的に理解できてないんだろうなぁと思ってる。
もの買うだけで自尊心やステータスを保てるほど簡単な世の中じゃないんだわもう。
若い連中は無欲ってよく言われるけど、逆だよ逆。
モノじゃ満足できない水準まで欲求高まってんのよ。
上の階層の連中の存在が身近にある限り、買ってみたじゃしょぼすぎて満足できないのよ。
やってみたじゃないと。
だからナイトプールやハロウィンに行っちゃったり、時には海を渡ってセブ島とかに行って何者かになろうとするわけ。
映えれるモノより映えれる経験のほうが大事。金持ってるだけじゃ真似できなしな。
まあそうやって頑張って人と違う経験をしようとするんだけど、
やっぱり前者はウェイ系だったり、後者は意識高い系として、またそういう連中はカテゴライズされて特別でもなんでもなくなる運命なんだけどな。
https://digital.asahi.com/articles/ASL8R4S75L8RUCFI00B.html
回答としてとても全うで、納得のいくものだった。だったのだが、当然回答者が岡田斗司夫である以上、「朝日新聞は岡田斗司夫が指導者という立場を利用したりして精神不安定な女性数十人と異性関係を持ったことが判明したあとも、彼を切らなかった。metooと程遠い人権感覚の会社だと思ってる。 」というブコメがついている。
ブコメをつけた人を非難したいわけじゃなくて、これは正にme tooにおけるある種の「正義」の本質を表している。つまり、「言動そのものや、その人が作り出したものの是非ではなく、その人の社会的状況に応じてその人の言動を判断する」。
これは、不正義の是正を誰かに任せるのではなく、評価者自身の判断で不正義を是正するものだ、ということになる。一面の真理はあると思う。社会は完璧ではないので社会や公的機関が必ずしも正しい在り方をしているわけじゃなく、それを正すのは社会に生きる人間であるべきだ。そのような仕組みが市民社会であり、社会的不正義に対して暴動や大規模なデモが起きるのはある種「健全」なこととは言えて、そういう事例が散見されるアメリカやフランスと違ってどうして日本は……という話題は、本筋からズレるので閑話休題(こういったある種の国ごとの政治態度や市民感覚の違いをまとめてる研究書どっかにないですかね。真面目に読むので割と本気で募集している)。
そういった考えの裏には、実のところかつてのモヒカン族とは全く逆の価値観がある。評価するかしないか、という価値判断だ。
上記の例で言えば、岡田斗司夫は評価されていい人間かどうかである。とりあえず自分の評価は差し控える。その全く真逆の例で言えば、〈ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー〉シリーズの監督を務めていたジェームズ・ガンが、過去の不適切なツイートを理由にシリーズ監督から降板させられた事件だ。その二つの違いはなんなのか。違いはいくらでも挙げられる。実際に問題になっているのが実在の女性との実際の関係に関する話題か、不特定多数に対する言及だけか。日本国内で活躍する批評家か、全世界的にヒットした作品を生み出した監督か。社会的な評価の違い。味方についた人がどの程度いたか、それが大きく報じられたかどうか。「不正義」とされるものは白か黒かではなく様々なグラデーションが存在し、「灰色は白である」=推定無罪の価値観はあくまで刑事事件=公的権力が市民を罰する際に発生するものであり、このような違いが発生するのは当然である。だが一方で、ジェームズ・ガンは擁護されるのに、『二度目の人生を異世界で』の原作者「まいん」氏が炎上した挙げ句にアニメ化が中止になるのは当然であるとされる。問題発言が日本における大きな政治的争点かどうか、という違いはあるが、それ以上に大きな違いは、2人がどんな作品を書いていたか、と言ってしまっても差し支えないのではないか、と個人的には思っている。一方で、慰安婦を揶揄していた「月曜日のたわわ」の比村奇石はさほど炎上せずに未だに活動を続けている。比村奇石が炎上しないのは不思議だなと思っているが、とはいえ自分自身、「うっわー気持ち悪いことしかやってねーなこの人、でもめっちゃエロい作品書くな。もっとやれ」って思いながら毎週月曜日を楽しみにしている。しかし本当に邪悪。
雑多になってしまったが、何が言いたいかというと、me tooというのは「何が正しいか」ではなく「どんなかたちの正義を指示するか」というある種の価値観、雑な表現であるところの「政治的態度」を求められている。正義に対するコミットメントである。だが正義は一枚岩ではなく、黒と白の間には無限のグラデーションが存在し、結果me tooのような価値観はある種のダブルスタンダードを許容する。
社会において「理性的判断」というのは存在せず、人間は社会のなかでしか行動ができず、社会のなかで行動するなら結果的に社会にコミットしなければならない。あたかも村上春樹がデタッチメントからコミットメントへの転換をした(「せざるを得なかった」と言っていいのかは、正直わからない)ように、これはある種当たり前のことなのだが、その事実を前に困惑するひとは少なからずいるのではないか、と思っている。自分は比較的その変化を受け入れている側の人間ではあると思うが、困惑する人間がいるのはよくわかる。人間は矛盾する生き物だからね。
だがはあちゅうてめーは駄目だ。
小学校が海に近くて、高学年の教室の窓から外を見ると、グラウンドの先には背の低い防砂林を挟んで海が見えた。
窓際の席に座っていた私は授業が退屈で、すぐに教科書から目を離して窓の外を見る子どもだった。
晴れの日も雨の日も、弱まった台風がやって来た日も。
海の様子は時刻や天候によってまるで変わるから、飽きない。晴れの日は遠くに浮かぶフェリーを探す楽しみがあるし、雨の日は窓に当たる雨の雫で歪んだ水平線を眺めた。
でも1番好きだったのは薄曇りの日の海。特に薄い雲が低く霞んで見やるような日の風景。
空の薄い灰色と、海の濃い灰色がくっついて、地平線が曖昧になってしまった風景。
それをぼやっと眺めながら、早く授業が終わらないかと待っていた。
授業が終わっても特に何にもあるわけじゃないのにね。
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オイレンシュピーゲル スプライトシュピーゲル テスタメントシュピーゲル
未完結だけど幻想再帰のアリュージョニスト
私たちは股間であたためた崎陽軒のシウマイ弁当を互いに交換して食しつつ、ハーフタイムを迎えていた。
ふと恋人が言った。
「6万人!」
恋人はなにがおかしいのか、シウマイと蒲鉾の中間物質を噴き出す。すごく汚い。
「6万人が走り回る22本のチンポを真剣な顔して眺めているなんて! しかもリズミカルな応援つき!」
ムッとした私。
前の席でフランクフルトを頬張る頭皮露出中年男性へ弁当を叩きつけて激高する。
「そうやって君はいつもチンポのことばかり考えているんだな。いいか。フットボールにおいて重要なのは22本のチンポではない。ハードワークするプリケツだ。いつもチンポにないがしろにされるプリケツの気持ちを君は考えたことがあるか。君は本当に哀れなケツフォビアだな」
そう言い放って席を立つ。恋人のツイストアンドシャウトが響いているが無視する。
本当はチンポもプリケツもどうでもよかった。
私はアナルに入れていたリモコンバイブのことで頭がいっぱいだった。
ゲーム中、私は選手たちが枠外シュートを放った瞬間だけ、スイッチを入れた。
スタジアムに響く「オオ~ウフン」という落胆の音階と振動はのけ反るほどの快感を与える。
セックスとは異なる種類の性感に至るために必須の三要素は以下の通り。
不連続的な刺激×アイデンティティ・クライシス×ドラスティックなアイデア
落伍者はこの三要素に溺れるあまり、他者を巻き込みギルティの対象となる。
クレバーな賢者は違う。快楽の祭壇に捧げるのは常に己の精神と肉体のみ。
これを読んでいる名もなき同志たちにもぜひ試して頂きたい。
以上を遵守した私の前半はおおむね順調だった。しかし負傷交代で入った初出場選手が発奮しすぎて枠外シュートを放ちまくり、予想を超えて酷使したリモコンバイブの電池が切れてしまった。一刻も早く交換したかった私はトイレへ急ぐ。
「どうも」
後ろから男の声。
「ハハン。どういたしまして」
「あなたの啖呵、拝聴しましたよ。大したものだ。フットボールの真髄はプリケツにあり。その通り。相当な玄人でいらっしゃるようだ」
どうやら彼は熱心なプリケツニスタらしい。シウマイ臭くて返事ができない。
昇天する。
「君はアヌス・フットボールで界ではダニだ。ダニ・アウヴェスじゃない。ただのダニ。ラ・マシアのプレベンハミンのセレクションを受けようか迷っている子供の友達の父親の同僚の会社の清掃員が仕事帰りに立ち寄ったバルの入り口で見かけたセクシーなボルゾイ犬についた一匹のダニ。それが君だよ」
「思い上がるってくれるな友よ。真実はある一つの点に過ぎずそれは世界に無数とある」
ゆらぐ視界。コンクリートの灰色。一点を中心としてぐるぐると回転する。
巨大化してゆく真っ黒の中心点。これは、穴?
ここは地上の天国か。シガーロスのジャケットのようなポーズで私は駆ける。
しかし風が臭すぎて卒倒する。
駆け寄ってくる白ワンピースの少女たち。適当なキス。シウマイ臭い。
よく見るとみなシウマイ男の顔をしている。
チャンピオンズリーグのアンセムがバカバカしいくらい大音量で流れる。
「ハハン! タカハシ・センセイも真っ青だな!」
融合してゆく人糞。巨大な玉となり芝生を飲み込んでいく。
破壊される世界。光に包まれたゴールが出現。私たちは玉の上を走りながら突っ込んでゆく。
叫ぶ私はふと、我に返る。周囲に少女たちの姿がないのだ。
「ここでさよならよ! 元気でね!」
荒廃した大地に取り残される少女たち。悟ったような笑みで手を振る。
私は涙する。ようやく気づいて。彼女たちは私をここから逃がそうとしていたのだ。
光に包まれる中、渾身の投げキッス。この愛よ。どうかあの娘たちを守って。
遠い昔の思い出から戻る。私はハーフタイムのロッカールームにいた。
汗と、スポーツドリンクと男たちの吐息。ミステルと通訳の声が響く。
私はローマ人にクソフットボールを教え、その後現代まで発展を見届けてきた。
あるときはオーナーとして、あるときは監督として、あるときはコールリーダーとして。
後半の入場をスタッフが伝える。私はクソを漏らして手で掲げる。
これがハーフタイムのルールで、選手たちは持ち寄ったクソをフィールドで固めてボールを作る。
「よし! いくぞ! みんな!」
「誰だお前」
締め出された私はスタジアムの外で強盗にあい、素っ裸で由比ガ浜に放り出される。
もう金輪際スタジアムには行かない。
近頃話題の某声優ラップバトルジャンルについて、二次創作が規制されるのではないかという件が話題になった(それも営利非営利問わずTwitter上、pix○v上へのアップロード自体も含まれるのでは?という情報まで流れている)。公式のエゴサ案件もあり検索避けにあれこれ手を巡らせる絵師が増えたように思う。
本件にあまり詳しくない外野の腐女子の情報なので、上記の問題に関してはズレがあっても許して欲しい。
しかし、ぶっちゃけ私はこの件において当該ジャンルにおける二次創作は、むしろ同人誌よりもインターネット上、そして「BL」が主に注意すべきなのではないかと思っている。
決してごちゃついたモラルとか治安とか、そういうインターネットおじさんの説教話ではなく、"実害"についての話だ。ついでに法律とかそういうややこしい話でもないので、ぜひ頭の片隅に留めてほしいと思っている。
当該ジャンルが本格的なラップコンテンツで有り得る大きな理由のうちの一つは、メジャーシーンでも活躍している大物アーティストの作詞/作曲だろう。特にハマなんか凄い、ほんとにすごい、どれぐらい凄いかっていうと尾田○一郎と岸本○史と冨○義博が漫画全然関係ないぽっと出の新人アーティストのジャケ写描いたよみたいな雰囲気(ここに関してのツッコミはいらない)。パーフェクトヒューマンじゃない方なんかはもう言わずもがなだ。アングラ寄りのラッパーからコメディアンまで、「新時代のヒップホップを作る」って理由で呼び寄せてしまっているのだから、尋常じゃない。
そして、新譜でもその流れが続いていることを考えれば、この先も同じように楽曲提供を求める流れになる…と考えるのは自然だろう。
ラッパーだって、突然「曲ください!」なんて言われたって困るのである。それも所謂、"オタクコンテンツ"からのご依頼だ。
ヒップホップアーティストってやつはそりゃもう面子を気にする。というか、気にしなければならないのだ。ジャンルにはジャンルの風潮があるのは当然で、ヒップホップにおいてはかなり顕著といえる。ポップアーティストとのコラボ1曲でどんな曲とか関係なしに「媚び」「落ち目」「ダサい」と言われることなんて日常茶飯事の世界。
そこで、この仕事を受けるか、受けないか、企画書に目を通したあと出来ることと言えば、インターネット検索ぐらいのものである。
この仕事を受けて、なにかメリットはあるか。業界内でデメリットがあるか。そして、どちらを取るべきか。そのコンテンツの評判や世間からの印象、そして実情を探るために、おそらく多くのケースではインターネット検索が利用されていると考えるべきだ。
では、当該ジャンルにおけるインターネット検索の結果はどのようなものなのであろうか。
(以下、考察ではなく検証結果になりますので、サクッと目を通したい方はスルーしていただいて結構です)
当該ジャンルをタイトル名で画像検索すると、もちろん上位に来るのは公式の情報だ。しかし、その中にさりげなく、某企業主催のオンリーイベントポスターが出てくる。
さらに、特定のキャラ名を検索ワードに追加してみる。チームごとに主観で「よく二次創作で見るキャラ名」を入れた結果は、
赤…二次創作イラスト(単体)、コスプレ、BL同人誌通販サイト
R-18イラストは含まれなかったものの、同人誌通販サイトに関しては当該ジャンルR-18作品の取り扱いがあった。また、灰色のキャラに関しては検索結果で公式よりも二次創作が多いという衝撃的な結果となった。
さらに、検索予測では「該当ジャンル名(スペース)キャラ名一文字目」でBLカップリング名が出現。名前を組み合わせたコンビ名称はアイドルグループだったりするとただのコンビとして認識されていることが多いが、検索結果ではほぼすべてが二次創作のBLイラスト、さらにR-18描写を匂わせる画像が見つかった。
とてもではないが、"本格的"な"ラップコンテンツ"とはかけ離れているといえる(二次元コンテンツ的には決して珍しいことではない)このような結果を見れば、もちろんアーティストは自らのファンが検索することを懸念するだろう。
今まではよかったものの、あまりに度を越した二次創作が目立つようになれば、どうなるかは想像に難くない。そして、既にオファーを断っているアーティストがいたとしても、それを私たちが知ることは出来ないのである。
昨今の二次元コンテンツ業界において、二次創作は非常に一般化している。二次元コンテンツのみならず、あるドラマはイラストコミュニケーションサイト上で二次創作イラストを募集したことでも話題になった。
しかし、まだまだ多くの人たちは「二次創作」ましてや「二次創作のBL」のことは認識していない。今回の問題でも議題に上がっていたことだが、すべての二次創作は「非営利」であることを理由に「グレーゾーン」扱いされている状況だ。正直なところ、腐女子層は二次元コンテンツ(特に女性向けとして展開されているもの)にとって重要な購買層である。それを自ら規制するのは、なにも「不愉快である」とかそういう理由ではないように思えるのだ。
公式のエゴサ、そしてRT。これは、「公式がすぐに検索した情報で引っかかるようなイラストは監視されている」という合図なのではないだろうか。
もちろん、公式の意図などはすべて推論に過ぎない。しかし、確実な点として言えることは、「我々は監視されている」のである。
また、公式がどう考えているかはともかくとして、「絡みなし、公式準拠」のイラストにそこまで過敏になる必要があるかどうかは……個人の判断に拠るだろう。
ついでに、先程からイラスト中心の話になってしまっていたが、キャラ名のGoogle検索ではTwitterの文字だけのツイートもピックアップされてしまう可能性があるためあまり際どい話は鍵垢ですることが推奨される(これはどのジャンルでも共通して認識されるべきではある)。
さて、そろそろサクッと読める文章とは言えない文字量になってきてしまったので考察を終了しようと思う。筆者のTwitterアカウントはやむを得ない事情で鍵を外せないため、誰かがリンクツイートをしてくれれば、多くの方に読んでいただけるかもしれないと考えている。
増田様
2007年の記事なので、もう見ておられないかもしれませんが・・・
まだかかったばかりのようで元気だったのも幸いしました。
脇にドでかいゴキ2匹がかかっていて、こわごわさけながらヤモリさん分だけ切り取り。
最初、ただつまようじではがそうとして、しっぽ2mmほどチョン切れました。
だ・け・ど、ヤモリさんが気になる。
なるほど、水と油か!
草の下からヤモリさん回収。小さいので慎重に慎重に進めました。
えらく怒っておられ、口を開けて威嚇!元気じゃん。がんばって。
で何とか救出。庭へお帰りになりました。(予後も必要だったか?)
ヤモリさんは、なんとなく愛嬌もあり、家守様でもあり、見殺しにはできませぬ。
本当に助かりました。
こんな命題UPされている方がいるなんて思いもしせんでした。
とあるスポーツを大学の体育会でやっていた。自分の中で消化するためだけにここに書いておく。
大学2年生のとき、突然「コーチ」と名乗る存在がやってきた。彼はそのスポーツの「プロ」だった人間であり、現在は引退して家業を手伝っているという。
元来、大学の体育会系部活動ではそのOBらが監督・コーチといった名目で携わるケースがほとんどで、自分のいたような、名目こそあれどほとんど顔を出さないOB達の方が珍しいだろう。この際その良し悪しは言及しない。現に自分は、学生に裁量を与え、責任は取ると言っていた初老の監督が好きだった。
新しく来た「コーチ」の歯に絹着せぬべらんめぇな物言いが当時の自分には珍しく、また少し苦手だった。
彼も自分と二、三の会話をして、自分との相性は良くないと悟ったと思う。
彼は勉強熱心なコーチだった。「コーチング」を学び、自分たち部員で実践をした。
彼は自分がプロの道を途中で諦めた事から多くの経験を得たのだろう。学生達にはしきりに以下の言葉を繰り返した。
プロの選手になる道は厳しいので、諦めた後の道も考えておくこと。
自分はこれが間違っているとは思わない。むしろ有難い指導だったと思っている。だが次第に彼の指導は「プロ選手を目指す奴は馬鹿」「現実を見ていない」そして「俺の言うことを聞かない」に変わった。
元々は学生が主体となって運営していた部活動だったので、彼に意見する者もいた。だんだんとそういった部員達は居場所をなくしていった。実力があるのに自ら辞めた部員もいた。自分を曲げず、部の中で半ば干されながらも、意思を貫いてプロに挑戦した者もいた。
世間知らずの馬鹿者が、彼の神経を逆撫でしたのは間違いない。今思えば彼のやり方を真っ向から否定せず、もっと良い言い方もやり方もあったはずだ。今考えれば明らかに自分が未熟であり恥ずかしい限りだが、当時の20歳だった自分はまだ、大人には純粋に本心でぶつかり合えば、向こうもまた本心でぶつかってくれると信じていた。
返事はなかった。代わりに上級生による明らかな「シメ」が始まった。挨拶をしてもらえない。練習に参加させてもらえない。睨まれる。雑用を押し付けられ、出来栄えに文句を言われる。競技に関するレポート作成を求められ、内容について晒しあげられる。後から全て彼の指示だと分かった。絶望した。それまで部のためにと思って活動してきたこと全てが意味のないものに見えた。周りの部員が皆敵に見えた。
その頃はちょうど大学3年に差し掛かっていて、就職活動が真近に迫っていた。悲しいかな、自分の大学生活には部活以外何もなかった。社会に出て、新しい世界に飛び立つためには、自分はこの部活に居るしかない。歯を食いしばって部に残った。
就職活動では、部活のいい面を切り取って話した。大嫌いな部活を良いように語るのは辛かった。「貴方は本心でそれを話してる?」と言われたこともある。ハッとした。それ以降は嘘はつかず、部活の嫌なところは素直に話した。過去ではなく未来のことを考えるようになった。最終的にはご縁があり、世間様から見てもそれなりに見劣りしない企業に内定を頂いた。
大学4年生になり、最高学年になった。彼は当然のように自分にも甘くなった。最高学年として下級生をまとめるための彼流の教えをたくさん吹き込むようになった。OBの前でも「学業と部活動を両立させ就職も決まった模範生」として紹介されるようになった。
同級の部員がキャプテンになり、彼と毎晩のように電話で連絡をを取り合うようになった。優しかったキャプテンはある日「あいつシメよう」と言って、気に入らない部員をコンクリートに1時間正座させようとした。自分がそれは違うと言うと、怒ったように部屋を出て行った。溝は決定的になり、卒部まで埋まることはなかった。卒部してから、彼とも、キャプテンとも、縁を切った。
彼が部活に現れてからの3年は本当に辛かったけど、最後までやり切れば何かが残ると思っていた。数年たって思い返してみても、この時の記憶は灰色で、何かが残ったとはとても思えない。
就職先は非常に素晴らしい企業であり、入社できたことに心から感謝している。自分が部活を辞めなかったから内定がもらえたのか?それはいまだに分からない。ただもう一度大学生活をやり直せるのであれば、自分は違った選択をしていたんじゃ無いかと思う。
当時はいかに自分を壊さずに守るかだけを考えていたので、後輩たちにも心からの指導をしてあげることができなかった。守れなかった後輩が何人もいた。それだけを今も悔やみ続けている。