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2020-06-02

anond:20200602124244

20代前半で普通科だけど高校でも大学でもオフィスやってるぞ

ただ大学オフィスやらされたとき、頭いい高校から来た人が高校でやってないって行ってたか

進学校文化圏の人では違うのかもしれない。

2020-05-27

今回の誹謗中傷に対する法整備に至った騒ぎ

事の顛末見直したら、どうやら故人の事務所発表は誹謗中傷に一切触れていない(というか関連事項での取材NG出した)ので、結局騒ぎにしたのは第三者だということでしたか

大手マストドンサーバが急遽閉鎖を決めたりとか影響が過去一番じゃないかと思えるほどえげつない

誹謗中傷は許されるものではないというのが原則ではあるが、今回の燃え方は異常だというふうに感じている。

何が酷いかといえば「誹謗中傷死ぬに至った原因」と決めつけられていること。状況から見て「可能性としては大きい」ものの、直接の死因であるという言及は一切なされていない。

誹謗中傷によくある勝手イメージの結び付けを、今回誹謗中傷非難している側も行ってしまっている。非難している段階で自分の姿が見えなくなっている。

統制が必要というよりも、IT教育が間に合わなかった人たちがちょうど大半を占めてしまっているのが今なのだろう。

というか普通科卒と工業系卒と文系卒に14日間インターネット教育しろ代理店報道は3ヶ月くらいやっててほしい。

先の検察関連法案SNSキャンペーンの影響もあって、この誹謗中傷に対する一連の盛り上がりが一週間立たないうちに国として対策をあげるという声明が出てきた。

今年の春頃から急に「自由インターネット」っていうものがぶっ壊れた(正確に言えばぶっ壊れた人間が急に声をクソデカくしてきた)もので、ネットを見ちゃうけどとにかく心が疲れてる。

NHKTwitter Japanオフィスに潜入取材した番組をやっていた。そこに映っていた人間は、古のインターネットをまるで分かっていないような顔をしていた。

あの「トレンド」があるならば、そろそろTwitterや大きいSNSからオタクたちが押し出されてしまうのではないだろうか。

トレンド」の何が楽しいのか。

あとみんななんでFacebookとかオシャレっぽくなりたがるんだ。

2020-05-22

コロナ禍に思うこと

私は就職氷河期世代ロストジェネレーションなどと呼ばれる世代です。

コロナ禍の影響で世界が今後どうなっていくかはわかりません。

twitterでは高校三年生悲鳴などが話題になったりしました。

この話題に関して伝えておきたいことがあって、文章を書くことにしました。

勢いで書ききるつもりなので誤字脱字などはご容赦いただければと思います

から伝えたいこと、それは

氷河期世代の苦しみや悲しみは繰り返してはいけない」

です。

氷河期世代の過ちを繰り返してはいけない

氷河期時代に起きた過ちを細かく述べるなら、


さて、以降は私が経験したできごとを大きくわけて2つあげてみます

この経験から上記のような結論に至っています

1つ目は日本医療、もう1つが経済です。

その前に私について軽く述べておきます

西日本まれ東京就職です。

小学生の時分瀬戸大橋の完成、バブル崩壊などを経て、消費税導入がありました。

中学卒業の頃には氷河期が始まりつつあり、早めに進路を決める必要がありました。それは大学に行くかどうかも含めてです。

高校2年の時に阪神淡路大震災がありました。

私の家は、家の修繕や親戚関係お金を失っていました。

私は大学には行くことはできず、専門学校バイトを掛け持ちの進学。やっとIT系就職したものの、ブラック企業ばかりの状態でした。

自己責任という名のもと、必死に耐え忍んで、20後半の年代もっとまともな仕事に着こうと転職活動を始めた矢先にリーマンショック

リーマンショックが落ち着いて、立ち直りつつ今度こそと思っていたところへ東日本大震災

そういう世代です。

医療について

コロナの影響で日本医療崩壊が懸念されてはいものも、「何をもってして医療崩壊とするか」が個々人によってバラバラのため、議論が進まず、言葉けが独り歩きしていると感じています

さて、医療崩壊と併せてよく言われる言葉。「命の選別」というものがありますが、私の家族はそれによってこの世を去りました。

もう10年以上前のことです。

祖父の死

田舎の隅のほうに家がありましたので、先進的な医療は受けられません。

医療設備の整った病院まで車で一時間くらいかかるような田舎です。

ある日、心臓病が発症して県庁所在地病院まで搬送されましたが、もはや助かる見込みは無い状態でした。

親戚もそれは解っているため「仕方ない」「田舎から」と諦めた様子でした。

田舎とはそういうものですし、年齢的なものもありましたから。

父の死

数年後、世間リーマンショックで騒いでいる時代です。

父も同じ病気発症しました。

父の家、すなわち私の実家は少しだけ都市に近い場所でした。病院にも数十分で搬送されたとのことでした。

しかし助かりませんでした。

医者がいませんでした。」

「手術まで数時間待ちでした。」

「なんとか手術は終えましたが、合併症脳梗塞発症したため助かる見込みはありません」

これが私の父そして祖父に対して強制的に行われた「命の選別」です。

時代はちょうど小泉内閣の時です。

合併で多くの町が市になり、色々な予算が削られていきました。

医療制度が新しくなって、地方医者(研修医)が来なくなりました。

(興味がある人は調べてみてください。研修地方に来る人が居なくなり、その結果何が起きたか。)

その結果がこれです。

経済について

バブル崩壊消費税導入

私が小学生の頃、瀬戸大橋が完成して本州四国が一本に繋がりました。俗にいう「一本列島」ですね。

先行き明るいと思われていましたが、バブル崩壊消費税導入が押し寄せてきました。

家の家計は数十年先まで給料が上がり続ける前提で組まれたローンとなかなか上がらなくなった給料で苦しかったようです。

それでも父と母が共働きでなんとか学費などを貯め続けてくれていました。

進学と就職氷河期

高校に進学する頃には就職が難しいという話題があがりはじめていました。氷河期です。

高校大学と進んでも先行き不透明のため、中卒で力仕事従事する道を選んだ子も居ました。

大学進学までを希望していた子でも、普通科ではなく商業高校工業高校に切り替えたりしていました。

もちろんその道を選んだ人の自己責任と言われます

大学進学断念と阪神淡路大震災

高校2年の頃には阪神淡路大震災がありました。

私の家は大きな被害は受けなかったものの、親戚関係で色々あり、、、省略。

そして本格的な就職氷河期が始まりました。就職先はほとんどありません。

就職組の競争率は2倍、3倍。公務員に至っては10倍近い倍率もあります

なぜそうなるのか?

自分高校だけの話ではなくて、全国的就職先が無い状態です。

すると、偏差値の高い高校本来大学に行くような人たちが公務員などの就職試験を受けに来ます

これでは中堅の高校が敵うわけがありません。

では進学すればいいかというと、そうでもありません。世間では「即戦力」が求められた時代です。

そしてお金がない家庭に何が起きるかというと、とても居心地が悪くなるわけで、今でいう虐待に相当する行為が起きてしまうわけです。

それでも学校先生はこう言います。「勉強していい成績とれば、家庭環境も良くなる」

前提として「勉強」があるわけですが、それを阻害する要因の「虐待」が発生しつつあるので、もはやどうしようもないです。

今にして思えば父も母も不安だったのだと思います。もし受験失敗したら、浪人するお金はない。すなわち高卒で働くことになる。

滑り止めで私立は無理。震災お金が無く、そもそも受験費用の捻出だけで今は精一杯だったので。

公務員などの就職は難しい、、、では最初から少しでもマシな企業就職するか?

色々考えた結果、私は専門学校という苦肉の策を選びました。自己責任です。自分の選んだ道ですから

派遣改悪就職

進学、就職をなんとか乗り越えても、次の罠がやってきます派遣改悪です。

就職先を増やすためとの名目ですが、実態奴隷商売人身売買です。

私は派遣ではなく正社員として就職したものの、派遣会社に限らず下請けソフト会社などにありがちな二重、三重下請けの一部が派遣に切り替わったりしていきます偽装請負ってやつですね。

偽装請負二重派遣派遣法で禁止されていますが、派遣会社社員がそれを言い出せるでしょうか?

もしそれを訴えてしまうと「誰が訴えたか」が伝わってしまい、次に仕事に就くのが困難になります

労働基準監督署に依頼しても、そこまで保護してくれません。つまり誰も言い出せない。そんな状況です。

ならばスキルを高めてから転職。。。と考えます

なんとか実務経験を積んで、転職を繰り返すことで少しずつ待遇は良くなりました。

送別会で初めて会うN次受けの営業さんに「お世話になりました」などと大人対応で去り、次に行く。

しかし、転職ブラック企業をひくかどうかという、精神的に負担が大きいギャンブルです。

ギャンブルを繰り返し、少しづつまともなところへと向かっていった中で。。。リーマンショック東日本大震災が襲ってきました。

東日本大震災直後の年収は額面240万でした。計算やすくていいですね。

リーマンショックでは助成金があるから、その金額おかしいのでは?と考えるかもしれませんが、残念ながらあの助成金企業に対して支払われるもので、そこのやりとりに一般社員が関与することはできないんですよね。

労働基準監督署?もし訴えて未払い残業代を手に入れたところで、その業界で働けなくなったら意味なくないですよね。

脅しだから無視してよいと言われても、ずっとこういう生活を続けているとそれが当たり前になってしまうのです。

そもそも労働基準監督署リーマンショック震災などの有事の際は忙しいですし、一人ひとり真面目に相手になんてしてくれません。残念なことです。

最初に述べた意見の詳細説明

自己責任論で弱者(まだ世間を知らない学生さん等)に責任押し付けはいけない

自己責任論と言われて育ってきましたが、あれは間違っています

まだ世間の荒波を知らない20台の若者に「責任をもて」「経営者目線で」と言いつつ安月給や非正規雇用で働かせる。それは間違いです。

コロナでの「自粛」と同じく、「自己責任」は当人自主的に口にするべきものです。

そもそも選択肢が無い状態で仕方なくその道を選んでいるのに「自己責任」と投げかけるのは間違いです。

就職先無いけど、どうする?自分責任で選んでね。というのは無茶ぶりです。

強者弱者に対してこの言葉を使うのは「責任転換」です。

仕事があるかどうかは時代の流れが大きい。本人の能力問題すり替えはいけない

自己責任論とかぶる部分が大きいですが、就職先が無い状態学生さん能力が低いからと責めるのは間違いです。

たとえば競争率10倍の公務員試験であれば、100個しかない椅子1000人押しかける状況です。

そのような状況下で本人の能力問題など小さなものです。

学力をあげれば就職できる」論も間違いで、私の例でいえば家庭環境が終わっているのにどうやって勉強するのか?という話です。

当時の私には食事すらまともに出てきませんでした。生きるためにバイトしましたが、そうすると勉強時間が減ります

すなわち、環境悪化している状況下で本人に問題があると論点すり替えるのは間違いです。

twitterなどで話題になっていた高校生の悲鳴は「勉強できる環境づくりが難しい」という点だと思っています本来なら大人サポートするべきところです。

そして進学が不安だというのも納得です。

氷河期当初、進学するはずだった人たちが公務員試験を受けに来たという状況。それは当人にはどうしようもないし、平時であれば合格できたはずです。

それを「勉強不足だ」などと本人の責任にしてしまうのは間違いです。

世代間争いをしている場合ではない

ももう40台となってしまいました。失われた時間は返ってきませんし、怒りや憎しみを次の世代なすりつけるつもりもありません。

度重なる過労と鬱で子供を作る能力すら失われてしまいました。だからこそ、この文章を見ている人にお願いします。

年寄りから」「若者から」といがみ合って、物事本質を見失っていないでしょうか。

身の回りの小さなことに苛立つのではなく、そんな状況にしてしまった世界日本、そして政治をなんとかするべきです。

労働者階級同士でいがみ合い、会社間でいがみ合い、それでは誰も幸せになっていません。

消費税では福祉医療をまかなえていない

当初の導入では福祉医療などをまかなうため(という建前)の消費税でした。しか実態どうでしょう

父の命に対して

医者がいないので手術できませんでした」

という言葉を受けたからこそ言います

都会/田舎高収入/定収入所属企業を問わず皆が平等に収めている消費税

平等に収めた税金にもかかわらず「(田舎から)医者が居ません」と人の命を切り捨ててしまった。故に消費税不要です。

法人税はどんどん下がっているのに、消費税はどんどん上がっていく。そして消費税生活を圧迫し続け、私自身は生活も苦しい状況が続いています

さいごに

勘違いしてほしくないので最後に少しだけ書くと、犯人捜しや不幸自慢を推奨しているわけではないということです。

消費税が悪、政府が悪といった「犯人捜し」に躍起になったところで、誰も幸せになっていません。

氷河期は不幸だと不幸自慢したところで救われません。

過去にこのような問題があり、私自身がそれを受けて多くの不幸に見舞われたからこそ、新しい世代にはそうあってほしくないと願っています

anond:20200521175300

プログラミング生業にするために一番簡単なのは、未経験可・学歴不問でエンジニアとして雇ってくれる会社入社することかと思います

経験可の求人はたくさんあります

https://next.rikunabi.com/rnc/docs/cp_s00700.jsp?leadtc=n_ichiran_panel_submit_btn&__m=15900726327536647223080348854821

自分専門学校大学に行かずに実践からプログラマになったクチですので、

以下、ご参考にしていただければと思います

1. 普通科高校卒業(当時PCを持っておらず、プログラミング経験ももちろんなかった)

2. 高校出た後プログラミングとは全く関係ない仕事を数年やる。飲食とか色々

3. 2に限界を感じてプログラマーに転職。未経験可・学歴不問のSIer派遣プログラマーとして雇ってもらう。プログラマーを選んだのは、当分食いっぱぐれなさそうだから。与えられた課題解決するために必死勉強したのでここで基礎ができたと思う。最初は先輩エンジニアがお題を色々くれて、そのお題の中で必要知識解説してくれた。大抵は先輩が開発しているシステムの一部の小さい部品がお題になっていた。ディレクトリ指定したらその中のファイルから特定文字数字のセットを抜き出して数を足し合わせるシェルスクリプト、とか。ある程度慣れてきたらバグ修正機能追加のタスクをふってもらえるようになった。一つ一つのタスク勉強になりました。

4. その後、零細企業転職して正社員になる

5. 何度か転職を繰り返し、500人規模のIT企業正社員副業受託開発に落ち着く

3〜5で10年ほどです。給料は3の時点で年収200万程度、5の現状で年収750万程度です。

2020-05-19

anond:20200519192339

高校場合数学英語であれば、

そもそも学力試験能力が示されているので、

同じ高校で学んでいるだけである程度

同じ学力範囲にいる。

けれど体育の場合それがなされていない。

これが問題の根幹にある。

専門性のある学科ならともかく、

普通科高校受験に体育の実技を取り入れるべきだ。

それによって、中学の体育の授業の位置付けも変わってくるはずだ。

2020-05-12

anond:20200512161538

大学進学率は50%程度なのに、高校の定員は8割がた普通科っていうのがミスマッチ

普通科の定員は50%程度に絞って、残りは工業でも農業でも手に職をつけさせたほうがいい。

教員設備の確保は大変だろうが、それこそリソースの配分の問題

2020-05-02

anond:20200502052739

工業高校卒で資格を取得しているのなら、まともな職にありつけるだろ

しろこれからヤバいのは普通科卒→MARCH以下(ここや5chではバカにされるけど)大卒の人罪だろうな

まさに「大学は出たけれど」の舞台である100年前にタイムリープ

巨匠小津安二郎が描いた世界観現実になる

大学卒業したもの定職につけない徹夫は、故郷母親に「就職した」と嘘の電報を送ったこから、母は婚約者(町子)を連れて上京。2人の嬉しそうな顔を見ると、徹夫はなかなか本当のことを言い出せずにいるが、徹夫の嘘を見抜いた町子は、徹夫に内緒風俗で働き始めた…。

昭和時代の徹夫には婚約者が居たけれど、令和時代の徹夫(おまいら)には婚約者もいない

なんなら昭和時代より酷い状況になるのでは

わざわざ高等教育を受けて、期間工やら非正規雇用やら、産業用ロボット製造ラインを組む程でもない多品種ロット生産ラインや一人屋台ロボットの代わりとして働くなんてまさにディストピアじゃん

人件費ではなく仕入れとして部材調達の伝票で処理されてしまうのだから人間性の欠片もあったもんじゃない

良かったね、お金にだけは不自由しない身だよ。ひとりだけどな。

お前は貧乏生活に嫌気が差してたよな。所詮年収400万の母子家庭じゃ月5万の借家関の山ってのは、流石にお前も分かるだろ。もう26なんだから

そのせいで虐められてたのもまぁ理不尽な話だよな。それで母親貯金くすねてデカい顔して、バレてから友達0人になって家にも学校にも居場所が亡くなって泣いてたよな。

金にがめついけど貧乏からさ、スグ働いて稼げるように工業高校行ったんだよな。商業でも良かったけど、まぁどっちでも良かったんだよな。

在学中もバイトしてさ、30万貯まる目途が付いたのが高3の秋だよな。そのとき母親に言われた「行きたかったら大学行っていいよ」に、お前がどれだけ内心激昂したか分かるのは俺だけだよ。

今更行ける大学なんてFランしかない。偏差値45の工業高校普通科目すら最低限で、来る日も来る日も就職のために資格取ってたよな。全部無駄だったな。

モラトリアムが欲しいと言って専門学校に行ったな。ありゃ学校の名を借りた搾取集団だった。office知識が多少ついたところで辞めたな。正しかったと思うぜ。

そんで派遣社員になってさ、誰も知り合いのいない東京に飛ばされて、とにかく認めてもらおうとガムシャラに働いたよな。

そんで頑張ってる内に派遣先声かけられて採用されて、海外勤務命じられて今やヨーロッパ家賃14万円もするところに住んでさ、手取りも55万円だ。すげぇよ。

それでさ、お前に何が残った?使い道のない金ばっか貯まって、日本に帰れる見込みはなくて、ずっと休日返上コロナ渦中で働いて、お前に何がある?

貯まった300万ぽっちで何かできるか?できないだろう。そうだろうよ。

10もの間、外国で暮らすってどんな気持ちだ?英語海外旅行で不自由しない程度にしか話せないお前が、ずっと仕事できるのか?

どこに行けるんだ?どこに行きたいんだ?何になりたいんだ?

金は持ってるけど、お前はひとりだろうが。

生きていて、楽しいか?

2020-04-30

anond:20200430135645

自衛隊クーデターを起こし中国が攻めてくる可能性が高かった

 

 陸上自衛隊連隊長が日米共同訓練の開始式で「同盟関係は『信頼してくれ』などという言葉で維持されるものではない」と発言した問題で、北沢俊美防衛相は15日、陸自トップの火箱芳文陸上幕僚長を呼び、「最高指揮官総理発言揶揄(やゆ)するような表現。今後、こういうことがないようにしてほしい」と直接注意したことを明らかにした。

 この問題北沢防衛相は、12日に発言した陸自第44普通科連隊長中沢剛1等陸佐を内規に基づく注意処分とし、13日には長野市での会合で「クーデターにつながる極めて危険思想だ」などと厳しく批判している。

 中沢連隊長は10日の共同訓練開始式で、日米同盟重要性を指摘したうえで、「同盟というもの外交政治的美辞麗句で維持されるのではなく、まして『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない」と述べたという。

http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY201002150343.html

あとは松ジャギとか言ってゲートでからんで切れた議員を笑いものにしてた

自民党政権では考えられないこと

難癖付けて足を引っ張り左翼政権に汚点を作ってやろうとしてる感がありありだった

自民党になってから自然災害ほとんど死者が出てないのに東日本大震災大勢死んだのもそれだろうね

民主党当選させた国民を許せない隊員が多かったのだろう

2020-03-19

anond:20200318173715

これ近いことあったなあ。遠まわしに仕事出来ないって言われて転職してきた子の指導したら家にパソコンが無い世代だったってだけ。スマホタブレットは使えるから普通にパソコン教室レベルから教えたら覚えが早くてすぐに使いこなせるようになってくれた。普通科パソコンの授業は選択だったって言ってたから、パソコン使う授業が必修科目以外の学校とかは、ワードエクセル知らないって人増えるんだろうなって思った。

一番あちゃーって思ったのは、電話の掛け方出方(敬語じゃなく)知らないってことだったよ。家電無くて家族みんなスマホだって聞いたから、受話器を上げるとかプッシュホンを押すとか知らなった。

若いから感覚ですぐに使えるようになったけど、初めて電話するのが仕事電話ってハードル高くないか?って思ってしまった。

2020-02-16

ご当地東工大コピペ

ご当地東工大コピペを作る試み。

東工大コピペ

2ch(現5ch)の著名なコピペの中に「東工大信大コピペ」なるものがある。

お盆に、親父と長野の親戚の家にいった。

伯父(高卒市議)も来ていた。

伯父「○○君も大学生か!小さい頃よくだっこしてやったんだぞ!がっはっはー」

俺 「覚えていますよ」

伯父「どこの大学に行っているんだ?」

俺 「東工大、あっ、東京工業大学です」

伯父「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

親父「無言・・・(瞳が潤んでいた)」

伯父「おい、信大生こっちこい(息子の××を呼ぶ)」

「○○も大学生だ。○○と昔よく遊んだだろ!」

向こうでも大学の話をしていたらしい××が鼻高々でやってきた。

××「(馴れ馴れしく)○○、久しぶりー、元気!」

「あっ、叔父さん、こんにちは、俺、今年から大学生になりました。」

親父「そうか、大きくなったな」

××「信大に行っているんですよー(勝利者宣言)○○君はどこに行ったの?」

俺 「東工大w」

ニヤついている伯父を尻目に、一瞬にして××の顔色が変わった。

伯父「○○に勉強教えてやれよw」

××「(しばし、絶句・・・みっともないからやめてくれよ親父」

伯父「?」

動揺しまくりの××は伯父を速攻連れだした。

以後、伯父親子は、俺達のいるテーブルに加わらなかった。

久しぶりに無口な親父の晴れ晴れとした顔をみた。

帰り際、充血した目をした伯父と目があった。


コピペの大枠としては、

高卒就職した伯父が、大学受験を経験していないためか、高校受験における普通科高校に対する職業科の高校である工業高校と同様と認識(いわゆる普商工農の序列)、あるいは東京工業大学をただの無名工業大学認識していたために、地元の有名進学校松本深志から地元国立大学信州大学工学部)に入った伯父の息子「××」(「俺」のいとこ)の方が優れていると認識(誤認)して話している、というものである

A高(地元トップ校)からB大(地元国立大学)が東工大より優れている、というものであるが、長野以外だとどうなるのか、どういったものがあるのかという発想からこの記事は来ているものである

おことわり

記事作成者イメージと、実際に地元で思われているイメージとは違うのかもしれませんが、何卒ご容赦ください。

また、大学は、有名な高偏差値であること、よりも何を学びたいか(何をしたいのか)で選ぶものであると思います。勿論、高い偏差値大学学習環境相関関係にあるのかもしれませんが、何処(大学)で、何(学部学科)を、誰(教員ゼミに学ぶのか、その視点をどうか忘れないでください。

コピペでは工学部とあったので、基本的学部工学部しましたが、工学部存在しない大学については理系学部理学部情報学部)にしました。

凡例

有名進学校-地元国公立大学

コメント

地理的に離れている等で、一部の都府県に公立大を入れてあります。)

北海道

札幌南-北海道大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!南高から北大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

地元に留まるなら、悪くなさそう。

東北

弘前-弘前大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!弘高から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

盛岡第一-岩手大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!一高から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

仙台第一-東北大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!一高から東北大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

鳥人間コンテストに参加したい、航空宇宙学を学びたいのかな?

秋田-秋田大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!秋高から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

山形東-山形大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!山東から山大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

福島-福島大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!福高から福大理工学群だぞ!(勝利者宣言)」

関東

水戸第一-茨城大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!水戸一高から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

土浦第一-筑波大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!土浦一高から筑波大理工学群だぞ!(勝利者宣言)」

宇都宮-宇都宮大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!宇高から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

県立前橋-群馬大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!前高から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

県立浦和-埼玉大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!浦高から埼大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

千葉-千葉大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!県千葉から千葉大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

日比谷-東京大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!日比谷から東大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

(「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!日比谷から東大理一だぞ!(勝利者宣言)」)

※お互いに認め合ってそう。

立川-首都大学東京東京都立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!立高から首都大システムデザイン学部だぞ!(勝利者宣言)」

横浜翠嵐-横浜国立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!翠嵐から国大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

柏陽-横浜市立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!柏陽から大理学部だぞ!(勝利者宣言)」

北陸・甲信】

新潟-新潟大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!県高から新大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

富山中部-富山大学

「お前と同じ年の息子の××覚えとるやろ?中部から大工学部やぞ!(勝利者宣言)」

※自宅から通えない(一人暮らし許可されない)女子学生だと、頭が良くても富大に行くらしい。

金沢泉丘-金沢大学

「お前と同じ年の息子の××覚えとるやろ?泉から大理工学域やぞ!(勝利者宣言)」

※伯父はマジで誇ってそう。金大生、ああいい響き。息子が松本深志から信大に行って誇る気持ちも良くわかる。

藤島-福井大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!藤島から福大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

甲府南-山梨大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!南高から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

松本深志-信州大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

東海

岐阜-岐阜大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!岐高から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

浜松北-静岡大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北高から静大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

旭丘-名古屋大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!旭から名大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

トヨタとかトヨタ系列名大出身者が多いみたいなので、トヨタ系に就職なら名大で良いのかも。

四日市-三重大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!四高から三重大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

関西

彦根東-滋賀大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!東高から滋賀データサイエンス学部だぞ!(勝利者宣言)」

堀川-京都大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!堀川から京大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

東工大京大も最高の研究環境にあると思う。

北野-大阪大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北野から阪大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

西日本人間なので、東工大より阪大に行きたい。変わらないと思う。

三国ヶ丘-大阪府立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!三国から大工学域だぞ!(勝利者宣言)」

※市大との合併で「大阪公立大学」になるそうですが、相乗効果とやらで神大は越えられそうですか……?(小声)

神戸-神戸大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!神高から神大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

経済経営等、社会科学系が強いイメージなので、理系学部はあまり印象にない。

加古川東-兵庫県立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!かことんから大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

※同じ県内関西で別格とされている神戸大がある影響で、肩身の狭い思いをしていそうだけど、地元播磨地区を中心にリスペクトされていそう。

奈良-奈良女子大学

「お前と同じ年の娘の××覚えているだろ!奈良から奈良理学部だぞ!(勝利者宣言)」

奈良県のみ共学の国公立大に理工系学部がなかったので、女性に改変。

桐蔭-和歌山大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!桐蔭から和大システム工学部だぞ!(勝利者宣言)」

中国

鳥取西-鳥取大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

松江北-島根大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北高から島大総合理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

岡山朝日-岡山大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!朝日から岡大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

地元縛りだとそうなりそう。

基町-広島大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!基町から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

地元縛り(ry。でも広島大学地域の基幹大学として研究環境は良好だと思う。

山口-山口大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!山高から山大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

四国

城東-徳島大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!城東から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

高松-香川大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!高高から香大創造工学部だぞ!(勝利者宣言)」

松山東-愛媛大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!東から愛大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

高知追手前-高知大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!追手から高知大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

九州沖縄

修猷館-九州大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!修猷から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

地元就職かな? 東工大ぐらいなら、九大でも良いや、って思われる方はどれぐらいいるんだろう。

小倉-北九州市立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!倉高から北九大環境工学部だぞ!(勝利者宣言)」

佐賀西-佐賀大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から佐賀大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

長崎西-長崎大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から長大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

済々黌-熊本大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!済々黌から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

※校地が隣なので、自然の流れで…

大分上野丘-大分大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!上高から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

宮崎大宮-宮崎大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!大宮から宮大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

鶴丸-鹿児島大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!鶴丸から鹿大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

開邦-琉球大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!開邦から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

その他

一橋大学編】

伯父「どこの大学に行っているんだ?」

俺 「一橋大学です」

伯父「そうか、私立大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大経済学部だぞ!(勝利者宣言)」

関東外だと私大と思う人多そう。

名古屋工業大学編】

伯父「どこの大学に行っているんだ?」

俺 「名工大、あっ、名古屋工業大学です」

伯父「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

※どっちでも良い希ガス

京都工芸繊維大学編】

伯父「どこの大学に行っているんだ?」

俺 「工繊大、あっ、京都工芸繊維大学です」

伯父「そうか、工繊大か!上田と並ぶ繊維の名門じゃないか!よかったな!」

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

※そうはならんか。

東京農工大学編】

伯父「どこの大学に行っているんだ?」

俺 「農工大、あっ、東京農工大学です」

伯父「そうか、農業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!もう大根踊りは踊れるようになったか!」

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

大根踊り東京農業大学。かの有名な白石さんが勤務していたのが農工大生協東京関東)で就活するなら農工大地元なら信大なのかな。

感想

貴重な休日を潰してまで書くような内容じゃなかった気がする。

お国言葉に改編して、よりリアルご当地東工大コピペを完成させてください。

上記学部学科2020年2月現在のものです。)

2020-01-30

anond:20200130232557

偏差値65の雑魚普通科なんでFランなのは同意するけど2年で文理選択あったぞ

他の高校知らんけど普通高校はそんなもんじゃないの

工業高校にも文理選択があるのかは知らん

2020-01-04

anond:20200104102854

そもそも通勤2時間残業1.5時間毎日固定化してる時点でアレ

小規模WEB系なら給料タカシレだし労働搾取猖獗を極める現場だろうからもっと都心に引っ越すとか自分裁量残業を減らすとかも無理なんだろう。

君の会社が君に求めるのは「金の卵を生む働き蜂」だが、原理的にそれは無理だよ。金の卵を生むには子供の頃からローヤルゼリー摂取を続ける必要があるし、一般の働き蜂はそもそも金の卵なんか一生かかっても生めない。

できることなら、そういう勉強ハイティーンのうちにやっておくべきだったね。どうせ大学受験にでもかまけていたのだろう?普通科高校出身者にありがちなキャリアプラン(あるいはその不在)だよ。

2019-11-29

anond:20191127201601

普通科美術が多めにできる高校に行き、その後3浪しましたが美大には行きませんでした。

いまでこそ何とか軌道修正して正社員として仕事をしていますが、

それまで筆舌に尽くしがたい苦労をしました。

元増田さんの発想がちょっと他人事とは思えず遅ればせながら書かせていただきます

私はもともと勉強が得意だったのに、生きづらさを感じていて、もっと人生を楽しく生きるために

好きなことを仕事にしようと美術(後にデザイン志望になりました)の道を志し特殊高校に進みました。

そう、時間努力で才能の差なんてどうにでもなるという発想です。

それはある意味では正しかったですし、また間違ってもいました。

芸大デザイン科ですが、おそらく人口減のため以前に比べ超絶技巧を求められるということはありません。

予備校で何年かしっかり取り組めば、よほど致命的な素養のなさがないかぎり十分合格レベル

実力はつくと思いますしかしそれはあくまでも都内予備校に通えた場合の話。

私はスタート地方だったので浪人して上京した後レベルの違いに大変驚きました。

そして無視できないのが試験の際の緊張。想いが強ければ強いほど緊張も強くなります

私は現役時代から私大含めて十数回実技の試験を受け、納得できる絵が描けたのはほんの一、二回。

芸大で実力を発揮することは最後までできませんでした。

(それこそががお前の実力だ、という指摘はもちろんあるでしょうが

いずれにせよ実技の試験は水物です。大学試験なんて人生からみれば小さなものですが、

しかし今のあなたはそこに人生をかけようとしていると思います

それはなかなかに危険なことだというのをまず伝えたいです。

もうひとつ、私が試験を離れてから気が付いたことがあります

それはデザイン創作において「絵を描く」というのは一側面でしかないということ。

あなたデザインを通じて何をしようとしていますか。

私は、人とモノ(無形物、情報などを含む)の関わり方を整理して、

人の日常を豊かにしたいと思っていました。(抽象的ですみません

そして色々考えると、私のやりたいことはむしろ工学数学的なアプローチのほうが

ふさわしかたことがわかりました。人間工学ってきいたことがあると思いますし、

例えばフラクタルとか、三次元画像応用数学がかかわってくることは知っていますか。

動画を扱うなると物理も知っておきたいところです。

そうなると美術よりまずは理系に進んだほうがいい可能性もある、となります

若い情熱がまぶしくて、水を差すようなことばかり言ってしまたかもしれません。

あなたには本当にいろいろな可能性があるのです。

そのことをもう少し時間をかけて考えてみてほしいなぁと思った次第です。

最後に私が3浪後どうなったかも書いておきます

私は全く別の大学理系学科に自費で進もうとしましたが、入学

美大受験の失敗からくる絶望バイトハードさ、なじめなさから心身の健康を損ない中退しました。

療養後一念発起して就職することにし、奇跡的にデザインとも薄く関わる、

やりがいのある仕事に就くことができました。

(詳しくは書きませんがあれほど好きでなかった勉強が私のことを救ってくれました。

つらい浪人生活で手や目を鍛えたことも大いに役立ちました)

ちょっと専門的な仕事なので、通信海外大学で学びたいと思い、

今また準備をしているところです。

そういうわけで、人生は一度ですが、道は一つではありません。

別れたはずの道が意外とつながっていたりもよくあることです。

足元だけみて突き進むのももちろんよいです。

でも寄り道の可能性も考えたほうが、きっと楽しい旅程になると思いませんか。

2019-11-19

【まとめ】ゲートくんについての覚書

一昔前にミリタリー界隈を沸かせたゲートくんについて誰も当時まとめていなかった様なので

回復活した事を機に少しまとめてみようと思う。

ここに記すのは、閲覧している皆がスマホパソコンで調べたら出てくる

いわゆる開示されている情報にのみ絞っている。後々魚拓をまとめた物も作ろうと思う。

[追記]まとめに用いた資料集作りました

https://anond.hatelabo.jp/20191123001121

▪️発端と概要(2015-16ごろ)

元々は海上自衛隊イベント陸自装備で遊びに行く、いわゆる痛いミリオタだった様だ。

自衛官に憧れる若い少年だったが、自己顕示欲自身を元自衛官と名乗る様になり

信太山駐屯地37普通科連隊 元一等陸士 ゲート@陸自

と書かれた自作名刺コスプレサバゲーイベントで配り出したのだ。

これはイベントでの本人の言動、そして「一任期を満了し除隊したので一士」など詰めの甘い設定を突かれた末に否定されている。

そして一部で話題になったが、元自衛官を名乗る民間人自体はゲートくん以降も絶えてない。

そもそも詐称した事だけが問題ではなかったし、詐称した事について裁けるのは防衛省などの関係機関だ。

そこについて責めても全く意味はない。

一番大きかった事は借りた物を壊した、返ってこない、金銭トラブルなど

身分関係しないゲートくん自身責任に関する問題だった。

結局多数の問題を抱えたまま、Twitterアカウントを消去して「ゲートくん」は一度ミリタリー 界隈から消える事となった。

https://anond.hatelabo.jp/20191119191508

続々

https://anond.hatelabo.jp/20191119202222

資料集

https://anond.hatelabo.jp/20191123001121

2019-11-03

anond:20191103163514

横だけどブコメ見てると反証可能性への信仰が強くてなんだかなあ

反証可能性があっても普通科学的と見做されない主張はいくらでもあるし、反証可能性がなくても科学と見做されている学問領域はある

から科学にとって反証可能性本質的ものではないんだけど、反証可能性無意味というわけではなくて、建設的な議論のためには反証可能性有効であることは間違いない

反証可能性が無いor薄い学問領域理論研鑽されるスピードが、反証可能性が強い領域典型的自然科学)に比べて遅い、ぐらいのことは言える

2019-10-31

「身の丈に合わせて、大学行かずに就職すればいいじゃん」

中学3年の時、親にそんなことを言われてケンカしてから、どれほどの年月が経っただろうか。

そんな私は、某国立大大学院を出て、参考書編集者をしている。


幼い頃から勉強だけは好きで、よくできた。けれども運動コミュニケーションもへっぽこだったので、小中(公立時代同級生にいつもからかわれた。それ以上に辛かったのは、私が好きな勉強のことで、話が出来る相手クラスにいなかったことだ。

商業高校?とんでもない!君は普通科に行って、大学に入りなさい」

中学の時の担任は私に、世の中には進学校と呼ばれる、勉強が得意な人が集まって大学進学を目指す高校があることを教えてくれた。今振り返ればバカみたいな話だが、ネットが普及してない当時、塾に通わず通信教育家庭教師の類もやってなかった私には、そうした情報を得られる機会がほとんどなかったのだ。両親は共に非大卒大学受験に詳しくないし、世帯所得も多くなく、きょうだいが4人もいるから早く就職してほしい圧は強かったが、毎晩深夜2時まで勉強し(真似してはいけない)、中3で受けた高校受験模試県内30位以内に入り、私が進学校なる所に行くべき人間であることを納得させた。


晴れて進学校公立)に入った私は、勉強ができることでからかわれない環境を大いに幸せに感じていたが、好きな勉強の話ができる相手10人に1人くらいだった。Amazonスマホもなかった時代休みの日は実家近所のTSUTAYAで片っ端から立ち読みする(稀に買う)という生活を繰り返す中で、広義の出会いに飢えていた私は、いつしか地元脱出して都会で人生を過ごしたいと思い始めた。

堂々と都会に住むには、都会の大学に行くしかない。一人暮らしを納得させるには、地元国立大学より明らかにレベルの高い国立大学に受かるしかない。私は鬼のよう勉強した。仮にも進学校教諭である担任に「勉強のし過ぎでは」と心配されたくらいだ(電車単語帳を凝視してた私を見て狂気を感じたらしい)。予備校に通うお金通信教材をやる金もなかったけれど、学校で配られたのと先生に勧められた参考書でとにかく自習。「青チ○ートをひたすら周回」に代表される、武○塾が聞いたら卒倒しそうな非効率勉強法を猛烈にこなし、どうにか都会の国立大学脱出成功。もちろん、JASSO第一種奨学金バッチリ借り、国立大単願という身の丈に合わせた受験だった。


運よく給付奨学金にありつけたこともあって大学院まで進んだけれども、都会の国立大というのは私にとって本当に恵まれ環境だった。学問の話が通じるだけではない。努力して何かを成し遂げることを「善」とする価値観に満ち溢れていた。一方、受験時代の話に花を咲かせる(都会の国立大あるある)たび、私と周りの学生が、高校までに身を置いてきた環境の違いをひしひしと感じた。年間100万円かかるという中学受験塾に通い、私立中高一貫校に入り、かつ予備校に通った上、大学には奨学金を借りずに入る。そういう人が過半数とまでは言わないが、かなりいた。

スタートライン、私と全然ちがくない?」

やがて私は、とある教育系の学生団体に参加するようになる。教育機会の格差是正とか意識高いワードが飛び交い、色々な企画をやってみたが、活動継続させることはできなかった。それを本業しない学生責任を負わせるのが無理な話だし、学生団体活動と聞いて興味を持つ層は概して情報感度が高く、本当に支援すべき対象アプローチできていたのか疑問だった。

そんなある日、東京離島に行く機会があり、島でほとんど唯一の書店にふと立ち寄った。実家近所のTSUTAYAより小さく、品ぞろえもそれなりだったが、参考書が一通り置かれていた。それを見た私は、「離島でも参考書は買えるんだな」という失礼な感想と、「下手な学生団体より、教育機会を届けられているのかも」という気付きを得た。それから色々あって、そこで見かけた参考書の版元に就職することになる。


ネットコンテンツが普及しつつある今でも、本というメディア有効性を保っているのが教育業界入試オールCBTになったら分からないが)。参考書の魅力は、教科書が拾いきれないニーズを、予備校など人を介するサービスより安価にかつ手広く供給できることにある。意志と適切な努力があれば、最小限の課金で身の丈を超えていける。

そういう"武器"を作っているのが、私たちだ。

参考書の著者になるような一線級の予備校講師は、講師本業であって、その稼ぎに比べれば参考書で得られる印税たかが知れている(マンガなどと違い、買う層が極めて限られている)。それでも書いてくださるのは、個人ブランディングという側面も無くはないだろうが、純粋に「私の持つ"武器"を皆に授けたい」という気持ちが強いからだと思う。そうでなければ、寝る間も惜しんで原稿は書けないはずだ(先生リライトの催促しつこくてすみません)。


私自身が非効率勉強をしてきたから、教育サービス課金することでどれほど有利になるかはよく分かっている。うまく使える自信があるならどんどん課金すればいいし、私にそれを責める権利はない。そもそも、すべての人が高学歴・高学校歴ゲットを目指して勉強を頑張る必要はないわけで、やりたい人がやればいい世界であるのは確かだ。ただ、ネットスマホも普及した今の日本でも(だからこそ)、身の丈に合わない教育機会を得たい、在りし日の私のような人は確実にいるはず。生意気かもしれないが、そんな人たちのために、私は今の仕事をしてるんだよ。

そんな人たちの意欲を、周りの環境言動がくじいてくる。そういう社会を許してしまっている大人のひとりとして本当に申し訳ない。それでも言わせてほしい。

「がんばれ!!!

2019-10-10

教員いじめについて

追記:普通科公立高校です

教員いじめ事件を見て、言いたいことがあったので書く。

まず自分のことだけど、新採用4年目の若手です。

毎日毎日クソほど残業して教材研究部活に明け暮れる生活を送ってます

で、いじめの件だけど、ニュースになった事件ほどではないにしろ、同じような扱いを受けてる。

偶然にも、激辛ラーメンを食べさせられて動画を撮られたり、ミスに対して人格否定されるような言葉を受けることもしょっちゅうある。

自分場合さらに悪いのは管理職、つまり校長からも似たような扱いを受けること。

例えば、PTA教員飲み会の場で、全体に対してあいつはダメ教員だと言ったり、会議の場で、使えない教員だと名指しされたりと言った具合です。

で、何故こんなことになるのかなんだけど、原因はあきらかで、受けるいじめ拒否すると、さら自分立場が悪くなるからなんだよね。

まりいじめを受けた時点で反抗して、そのあとの人事や生徒から評価仕事に受ける悪い影響を享受するか、いじめに対してニコニコと笑ってピエロに徹するかのどちらかな訳。なにせ相手学校トップだったり、先輩、つまり保護者や生徒を味方に付けている相手なわけだから

多分このいじめを受けてた教員も、似たような状況だったんだと思う。

今回これを訴えたことで、地域からの目や教育委員会から評価も最低になって、加害者教員人生は終わりだと思う。

だって証拠を集めて訴えたら状況は改善できる。でも加害者教員人生を終わらせる勇気はない。だから耐える。そんな感じ。

うまくまとまらない駄文だけど、そんな状況もあるってことを知っておいて欲しかった。

ほんと、不健全職場やで。

2019-10-08

無能ママはつらいよ

子供の頃からひとつ秀でたところがなく、自分に自信が持てなかった。容姿は平凡で、人前で話すのも苦手だし、勉強が得意なわけでもなくて、もちろん芸術的な才能もなかった。だから、将来の夢を聞かれると困った。何もできる気がしなかった。ぼんやりと浮かんでいたのはお母さんだ。自分自身の母親のように、おやつ手作りするお母さん。そういう大人になれたらいいなとなんとなく思っていた。

地元中学から普通科高校に進み、普通に普通大学に入った。普通に就職して、得た職は普通事務電話応対、伝票管理簡単書類作成が主な仕事で、昇給もないが残業もない。ちなみに制服はあった。そこで3年務めた後、同期の営業マン結婚した。妊娠を機に退職し、以降は専業主婦をしている。

世の中は母親に冷たいらしいが、バカ母親にはもっと残酷だ。

30歳を過ぎ、独身謳歌していた友人たちの結婚妊娠ラッシュが来た。大企業勤務や公務員はまず出産退職なんて考えたこともないみたいで、産休育休後の復帰が前提。資格持ちの子スッパリ辞めたが、次の職場は見つかるだろう。子供を産んでも正社員の座から降りない、降りないことを許されたママたち。小さな会社で激務をこなしていた子だけが唯一退職したものの、ベンチャー企業でフル在宅での仕事が決まったのだと言う。無能ママには決してないルート。今もっとも求められる『有能なママ』枠だ。

子供といるのは幸せだ。でも、旦那は決して高収入ではない。材料にこだわった無添加おやつをつくっている場合じゃなかった。教育習い事費用を考えると、お金はあるにこしたことはない。私は今後、パートという形でしか家計に貢献できないだろう。正社員の道はほぼ閉ざされている。

有能なママ活躍の手を差し伸べられるのは正しいと思う。だけど、【女性活躍】と声高に叫ぶ社会に手を差し伸べられたと思ったら「あ〜……あなた活躍厳しいっすねwww大丈夫です、近所のスーパーレジでも打ったら?」と言われてるような気分になる。その隣で有能なママには、「出産前までは編集者!?営業!?エンジニア!?デザイナー!?はい、みなさーん!このように子持ちの女性バリバリ働けるんです!!」ってスポットライトばーんってやってるから、影から見てると虚しくなるよ。まあでもわかる。自分経営者なら無能な子持

ちは絶対雇わない。でも有能なママなら雇いたい。無能フルタイムよりよっぽどいい。柔軟な姿勢アピールできるしね。

あとやっぱり、仕事のできるママたちは賢い。ネット情報を取捨選択できる。でも無能ママはまともな職につけないかリテラシーの高い人間関係をつくれない。だから、一度間違ってトンデモ科学かに興味を持つと、正してもらえずに突き進むことになってしまう。そしてまた、バカにされる。バカにされるから意地になり、そうなるとさらバカにされる。一時期義理の姉に自然派育児を進められ、ハマるところだった。

今の日本は(別に日本しか知らないんだけど)で正社員を降りて休む(育児介護病気、その他)ができるのは、有能な人たちだけだと思う。無能な人に残されたのは、我慢して休まず働き続ける道だけだったと、最近になって実感した。無能貧乏になるのは自己責任なんだろうけど、今はなんだか、めちゃくちゃしんどい

2019-09-06

青葉は名前が出たのに自衛官名前が出ない

陸上自衛隊高知駐屯地高知香南市)は6日、バーベキュー中に寝ていた部下の隊員をたき火に投げ込みやけどをさせたとして、第50普通科連隊の30代の男性3等陸尉停職4カ月、男性3等陸曹(26)を停職60日の懲戒処分とした。2人は7日付で依願退職予定。

 https://this.kiji.is/542551013230068833

さちゅじんみすいじゃないの

2019-08-21

anond:20190821004714

まぁでも単純知能労働自動化されてくだろうしなー普通科の劣等生ってマジでやることないよな

2019-07-20

好きな同級生アイドルだった

もう終わりにするつもりなので、今の気持ちを書き留めたくなったからここに書く。

私の好きな人アイドルだ。芸能系とかじゃない、普通科高校同級生だ。同じクラスになったのは一度だけだ。多分向こうからしたら顔すら曖昧認識だろうと思う。それは無理もなく、彼は明るい人間で、運動部活躍していたそうだから中等部の頃からとても目立っていた。かたや私は文化部で、部員の少ない部活だったから具体的な名前は避けるが、まあ、文芸部とか生物部とかあのへんだと思ってくれたら大体正解だ。彼がヒエラルキーの頂点なら私は最下層だ。彼の情報も大概は言伝のそのまた言伝を盗み聞きして得たようなもので、生きる世界が違いすぎる。まあそんなことこんなところでくだを巻いている時点でお察しだと思うが

好きな理由は色々ある。主にとても彼の身体が好きだった。手脚が長くて太いところと、骨盤位置が高いところが特に。正直私は(当時は)女みたいだった彼の顔をまったく美形とは感じていなかったが、アイドルになるくらいだしきっと美形なんだろう。入学して間もない頃に校内で歩いてる彼を見かけて好きになった。それからしばらくして、彼が教室のドアを音をたてないように閉めているところを見て本当に好きになった。我ながらわけがからないと思う。その頃から私は彼の周囲を嗅ぎまわり彼に関する情報をかき集めては妄執にとらわれるようになった。彼に絶対迷惑をかけないようにというのは念頭に置きつつ、あまりここで書きたくないようなこともした。人生で一番猿に近づいた時期だ。でもこの頃が一番幸せだった。

具体的な時期を書くのは避けるが、彼が芸能事務所に入ったことを知ったのは多分同級生のなかでも結構遅かった。同じ部活の後輩が自慢げにSNSに書いていたのを見て知った。その時は驚きこそしたが「まあまあ」と思った。どうでもいいとか思っていた。恥ずかしながら私は(今もだが)そういう芸能界みたいなのに疎くて、なんだかよく聞く読者モデルとかそういうものなんだろうと考えていたからだ。

そこから特にイベントも無く、たまに彼のクラスの前を通って窓の隙間から彼の姿を見ては満足することに終始した。それで結構幸せだった。だがいつからか彼が学校にあまり来なくなったあたりからその楽しみも失われた。ただでさえ少ない遭遇の機会が気付けばゼロに近い値になった。

私はネットが好きなくせに意識的アイドルとしての彼を調べることを避けていたが、そこで初めて彼の名前検索した。ショッキングだった。知らないことがたくさん書かれていた。あんなに知りたかった彼の身長血液型家族構成がすぐに判明した。それが誰でも読める状態であるというのが衝撃だった。ツイッター検索すると私と同じように彼のことが好きな人が把握しきれないくらい無数にいたのも胃液が口から飛び出そうになるくらいストレスだった。学校にあまりいなくなった理由は、多分彼のアイドル仕事が忙しくなったからだった。簡単なことだったし私はそんなことも知らなかった。でもネットで読めた彼の言葉を何日もかけて読み込んで、彼は私の認識していた通りの彼であることがわかり幻滅しなかった自分に心底ほっとした。何を言ってるかわからないと思うが涙が出る程嬉しかった。

それから私は偶然スマホを水没させて数日インターネットを絶ったのをきっかけに、私はもう彼のことを忘れるようと努力しはじめた。インターネットを介して彼を知るほどまた好きになってしまって、でももう私だけの彼じゃないと思うと酷く辛くて何も手につかなくなった。学校集会などでたまに彼を見かけることもあったが意識的に見ないようにした。この頃から受験勉強にも追われ、親しかった友人は内部進学を決めたので自然と外部受験の私とは疎遠になり、本当に孤独で、静かな場所に一人でいるとずっと彼のことを考えてしまうからなるべく雑音の多い場所勉強をして時間を潰すようになった。成績は上がった。親がとても喜んでいるのが複雑だった。そしてテスト順位が忙しい彼とたいして変わらないことをクラスメイトの会話を介して知ったときは暗い興奮を感じた。おかしな話、彼はすごい奴なのだと誇らしかった。

そういう期間が長くあって、それはそれで精神の安定した時期でもあったのだが、決定的なことがあって全てが終わった。いつのことかはぼかす。

きょうだいテレビを見ているそば勉強をしていたら、よく知った声が聴こえてきて、画面を見たら偶然彼が出演していた。文字にすればそれだけのことだった。でもそれが、今までで最大の耐え難いほどのショックだった。そのショックの出処はわからない。なんでこんなに悲しいんだろうと考えることすら悲しくて悲しくてやりきれない気持ちになった。

それから色々なことをとめどなく考えた。今まで思考を避けていたぶん苦しくて数日頭痛が止まらなかった。もし私が彼と同じクラスになることがたくさんあったら同じ部活に入っていれば何か変わっていただろうかと考えることもあったが、きっとどう運命が変わったって私と彼が交わることはなかったのだと自分にわからせるのはそれなりに時間を要した。

自分は、彼がもう恐ろしいほど遠い世界人間になってしまたことを、スマホの画面や私の視界のような小さく個人的ものではない、大きなテレビ画面に映っている彼を見て、初めてそこで自覚して動揺してしまったのだと、客観的に考えればわかる。だがあの時の私は錯乱状態でそんなことがわからずただ真っ暗な悲しみの中でどうすることもできなかった。

そしてある日学校帰りに街で彼の顔がプリントされたグッズ?をカバンに着けている同年代くらいの女を見かけて反射的にふらふら着いて行ってしまった。彼女地下鉄に降りていった。私はもしかしてと感じて彼の名前検索してしまって、彼の出演するライブが丁度その日あると知った。今思えばなんでそんなことをしたのかわからないが、私は気付いたら地下鉄に乗ってその会場に向かった。調べた最寄り駅で降りるとなんだかそれらしい女達がたくさんいて、私はそれだけでオドオドしてしまって早足で彼女らを追い抜くようにしてホームを出た。彼女らのざわざわした話し声の中に時々彼の名前が現れて心臓バクバクして背汗が止まらなかった。地上に出てからもっとたくさんの彼の、もしくは彼と同じグループの人のファンらしき人間がたくさんいて、それらは皆一様に同じ方向に歩いていて、あっちかあの方向に彼がいるのかだからみんなあっちに歩いているのだ、と私も突き動かされるようにそれに倣った。よく晴れていたからかなんなのか、汗が止まらなくてしょうがなかったことを鮮明に覚えている。

辿り着いた先は大きな建物だった。綺麗だけど変な匂いがするところだった。ぞろぞろとファンらしい女達がいて、たぶん入場待ちみたいなことなんだろうか。この全員が彼のことを好きなのだと思うと漠然とした恐怖に襲われ、あまり近づけず遠巻きにそれを見ていた。彼の顔がプリントされた様々なものが何度も視界を過った。巨大なモンスター対峙したような無力感に襲われて、私はここへ来て何をするつもりだったんだ?と自分自分を責めた。

すると、わりと近からず遠からずな場所に立っていた二人組の女達がちらりとこちらを見た。偶然かと思ったが次は力強く二度見されて、確実に私を見ていることがわかった。私は怖くなって俯き携帯を触っていると彼女らは何事かひそひそ話始めた。ほとんど聞き取れないような声量だったが「あの制服」と言っているのだけははっきりとわかった。

次の瞬間に私は来た道を引き返していた。話しかけてこようとしているような素振りもあったがそれでも走って逃げてしまった。奇異の目だった。あそこにいた彼女らの大半の容姿はとてもかわいい女の子といった風で、私はあの場で死ぬほど浮いていた。気付いてしまった。私が彼を好きでいるのはおかしくて迷惑ことなのだ。そうはっきりと自覚して、今まで何年間も彼のことが好きだった幸せ記憶フラッシュバックして、その幸せと同じ分の後悔が押し寄せてきて潰れてしまいそうになった。体力が無いのに全力で走ってしまたか息切れて、もう惨めで惨めで涙と塩辛い唾液が止まらなくて、駅のトイレで吐いた。

私はこの日の夜に、初めてはっきりと「もう好きでいることをやめる」と決めた。今まで彼への感情から逃げることはあっても「やめる」とは明言していなかった。そう決めてしまうと、急速に自分の中を占めていた彼の存在が萎んで、不思議なくらい気持ちは落ち着いた。

でもまだ自分の中に彼が残っていた。完全には消えなかった。こうやって彼とのことを物語的に書くことで自分の中で完結させて切り離そうと思った。それは私の勝手であるからどう責められても仕方ないと思う。彼が特定されるような記述はなるべく避けたつもりだし多少筋が曲がらない程度に嘘も交じっているが、別にもうどうなってもかまわないと感じているのも本音のところで、最後に彼に迷惑をかけてみたいと思っている自分がいる。でも一生私のことを知らないでいてほしいのも本当だ。一貫性がない。だいぶ長くなった。推敲だとかもしてないから色々おかしいと思う。もう好きではないけど、彼を好きでいたこの数年間はたぶん一生忘れないと思う。

最後に。何かの間違いでここに辿り着いてしまった彼へ。これからも頑張ってください。応援は出来ないけど、あなた人生神様が後押ししてくれるようここから祈っていますあなたの全てが上手くいきますように。

2019-07-18

anond:20190718170026

もう終わりにするつもりなので、今の気持ちを書き留めたくなったからここに書く。

私の好きな人アイドルだ。芸能系とかじゃない、普通科高校同級生だ。同じクラスになったのは一度だけだ。多分向こうからしたら顔すら曖昧認識だろうと思う。それは無理もなく、彼は明るい人間で、運動部活躍していたそうだから中等部の頃からとても目立っていた。かたや私は文化部で、部員の少ない部活だったから具体的な名前は避けるが、まあ、文芸部とか生物部とかあのへんだと思ってくれたら大体正解だ。彼がヒエラルキーの頂点なら私は最下層だ。彼の情報も大概は言伝のそのまた言伝を盗み聞きして得たようなもので、生きる世界が違いすぎる。まあそんなことこんなところでくだを巻いている時点でお察しだと思うが

好きな理由は色々ある。主にとても彼の身体が好きだった。手脚が長くて太いところと、骨盤位置が高いところが特に。正直私は(当時は)女みたいだった彼の顔をまったく美形とは感じていなかったが、アイドルになるくらいだしきっと美形なんだろう。入学して間もない頃に校内で歩いてる彼を見かけて好きになった。それからしばらくして、彼が教室のドアを音をたてないように閉めているところを見て本当に好きになった。我ながらわけがからないと思う。その頃から私は彼の周囲を嗅ぎまわり彼に関する情報をかき集めては妄執にとらわれるようになった。彼に絶対迷惑をかけないようにというのは念頭に置きつつ、あまりここで書きたくないようなこともした。人生で一番猿に近づいた時期だ。でもこの頃が一番幸せだった。

具体的な時期を書くのは避けるが、彼が芸能事務所に入ったことを知ったのは多分同級生のなかでも結構遅かった。同じ部活の後輩が自慢げにSNSに書いていたのを見て知った。その時は驚きこそしたが「まあまあ」と思った。どうでもいいとか思っていた。恥ずかしながら私は(今もだが)そういう芸能界みたいなのに疎くて、なんだかよく聞く読者モデルとかそういうものなんだろうと考えていたからだ。

そこから特にイベントも無く、たまに彼のクラスの前を通って窓の隙間から彼の姿を見ては満足することに終始した。それで結構幸せだった。だがいつからか彼が学校にあまり来なくなったあたりからその楽しみも失われた。ただでさえ少ない遭遇の機会が気付けばゼロに近い値になった。

私はネットが好きなくせに意識的アイドルとしての彼を調べることを避けていたが、そこで初めて彼の名前検索した。ショッキングだった。知らないことがたくさん書かれていた。あんなに知りたかった彼の身長血液型家族構成がすぐに判明した。それが誰でも読める状態であるというのが衝撃だった。ツイッター検索すると私と同じように彼のことが好きな人が把握しきれないくらい無数にいたのも胃液が口から飛び出そうになるくらいストレスだった。学校にあまりいなくなった理由は、多分彼のアイドル仕事が忙しくなったからだった。簡単なことだったし私はそんなことも知らなかった。でもネットで読めた彼の言葉を何日もかけて読み込んで、彼は私の認識していた通りの彼であることがわかり幻滅しなかった自分に心底ほっとした。何を言ってるかわからないと思うが涙が出る程嬉しかった。

それから私は偶然スマホを水没させて数日インターネットを絶ったのをきっかけに、私はもう彼のことを忘れるようと努力しはじめた。インターネットを介して彼を知るほどまた好きになってしまって、でももう私だけの彼じゃないと思うと酷く辛くて何も手につかなくなった。学校集会などでたまに彼を見かけることもあったが意識的に見ないようにした。この頃から受験勉強にも追われ、親しかった友人は内部進学を決めたので自然と外部受験の私とは疎遠になり、本当に孤独で、静かな場所に一人でいるとずっと彼のことを考えてしまうからなるべく雑音の多い場所勉強をして時間を潰すようになった。成績は上がった。親がとても喜んでいるのが複雑だった。そしてテスト順位が忙しい彼とたいして変わらないことをクラスメイトの会話を介して知ったときは暗い興奮を感じた。おかしな話、彼はすごい奴なのだと誇らしかった。

そういう期間が長くあって、それはそれで精神の安定した時期でもあったのだが、決定的なことがあって全てが終わった。いつのことかはぼかす。

きょうだいテレビを見ているそば勉強をしていたら、よく知った声が聴こえてきて、画面を見たら偶然彼が出演していた。文字にすればそれだけのことだった。でもそれが、今までで最大の耐え難いほどのショックだった。そのショックの出処はわからない。なんでこんなに悲しいんだろうと考えることすら悲しくて悲しくてやりきれない気持ちになった。

それから色々なことをとめどなく考えた。今まで思考を避けていたぶん苦しくて数日頭痛が止まらなかった。もし私が彼と同じクラスになることがたくさんあったら同じ部活に入っていれば何か変わっていただろうかと考えることもあったが、きっとどう運命が変わったって私と彼が交わることはなかったのだと自分にわからせるのはそれなりに時間を要した。

自分は、彼がもう恐ろしいほど遠い世界人間になってしまたことを、スマホの画面や私の視界のような小さく個人的ものではない、大きなテレビ画面に映っている彼を見て、初めてそこで自覚して動揺してしまったのだと、客観的に考えればわかる。だがあの時の私は錯乱状態でそんなことがわからずただ真っ暗な悲しみの中でどうすることもできなかった。

そしてある日学校帰りに街で彼の顔がプリントされたグッズ?をカバンに着けている同年代くらいの女を見かけて反射的にふらふら着いて行ってしまった。彼女地下鉄に降りていった。私はもしかしてと感じて彼の名前検索してしまって、彼の出演するライブが丁度その日あると知った。今思えばなんでそんなことをしたのかわからないが、私は気付いたら地下鉄に乗ってその会場に向かった。調べた最寄り駅で降りるとなんだかそれらしい女達がたくさんいて、私はそれだけでオドオドしてしまって早足で彼女らを追い抜くようにしてホームを出た。彼女らのざわざわした話し声の中に時々彼の名前が現れて心臓バクバクして背汗が止まらなかった。地上に出てからもっとたくさんの彼の、もしくは彼と同じグループの人のファンらしき人間がたくさんいて、それらは皆一様に同じ方向に歩いていて、あっちかあの方向に彼がいるのかだからみんなあっちに歩いているのだ、と私も突き動かされるようにそれに倣った。よく晴れていたからかなんなのか、汗が止まらなくてしょうがなかったことを鮮明に覚えている。

辿り着いた先は大きな建物だった。綺麗だけど変な匂いがするところだった。ぞろぞろとファンらしい女達がいて、たぶん入場待ちみたいなことなんだろうか。この全員が彼のことを好きなのだと思うと漠然とした恐怖に襲われ、あまり近づけず遠巻きにそれを見ていた。彼の顔がプリントされた様々なものが何度も視界を過った。巨大なモンスター対峙したような無力感に襲われて、私はここへ来て何をするつもりだったんだ?と自分自分を責めた。

すると、わりと近からず遠からずな場所に立っていた二人組の女達がちらりとこちらを見た。偶然かと思ったが次は力強く二度見されて、確実に私を見ていることがわかった。私は怖くなって俯き携帯を触っていると彼女らは何事かひそひそ話始めた。ほとんど聞き取れないような声量だったが「あの制服」と言っているのだけははっきりとわかった。

次の瞬間に私は来た道を引き返していた。話しかけてこようとしているような素振りもあったがそれでも走って逃げてしまった。奇異の目だった。あそこにいた彼女らの大半の容姿はとてもかわいい女の子といった風で、私はあの場で死ぬほど浮いていた。気付いてしまった。私が彼を好きでいるのはおかしくて迷惑ことなのだ。そうはっきりと自覚して、今まで何年間も彼のことが好きだった幸せ記憶フラッシュバックして、その幸せと同じ分の後悔が押し寄せてきて潰れてしまいそうになった。体力が無いのに全力で走ってしまたか息切れて、もう惨めで惨めで涙と塩辛い唾液が止まらなくて、駅のトイレで吐いた。

私はこの日の夜に、初めてはっきりと「もう好きでいることをやめる」と決めた。今まで彼への感情から逃げることはあっても「やめる」とは明言していなかった。そう決めてしまうと、急速に自分の中を占めていた彼の存在が萎んで、不思議なくらい気持ちは落ち着いた。

でもまだ自分の中に彼が残っていた。完全には消えなかった。こうやって彼とのことを物語的に書くことで自分の中で完結させて切り離そうと思った。それは私の勝手であるからどう責められても仕方ないと思う。彼が特定されるような記述はなるべく避けたつもりだし多少筋が曲がらない程度に嘘も交じっているが、別にもうどうなってもかまわないと感じているのも本音のところで、最後に彼に迷惑をかけてみたいと思っている自分がいる。でも一生私のことを知らないでいてほしいのも本当だ。一貫性がない。最悪だ。だいぶ長くなった。推敲とかもしてないから色々おかしいと思う。もう好きではないけど、彼を好きでいたこの数年間はたぶん一生忘れないと思う。

最後に。何かの間違いでここに辿り着いてしまった彼へ。これからも頑張ってください。応援は出来ないけど、あなた人生神様が後押ししてくれるようここから祈っていますあなたの全てが上手くいきますように。

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