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はてなキーワード: 対峙とは

2020-12-27

価値観アップデートとは「15の夜」が犯罪を賛美するゴミ成る

犯罪行為を悪い物として描かず賛美しているし、影響されて真似する馬鹿が出て有害(強力効果論)

権力対峙する訳でもなく、無関係人間バイクを盗んでるだけで反抗にも何にも成って居ない

最近の曲だと「香水」とかもカスだよね、浸ってんじゃねぇよ馬鹿、って話、「15の夜」も「香水」みてぇなもんだな

結局ただのポップソングカウンターカルチャーでも何でも無いし、無価値だよね

 

価値観のアップデートのコツは加害者強者とされる側(ヘテロ男性)への共感を抹消し、想像力消滅させる事

加害する側の事情なんか知ったこっちゃない、その前に踏んでる足をどけろ

あいう曲がアウトになり、この世から消えるのが価値観のアップデートされた社会なんだよ、消えろ

2020-12-26

絵としての格好良さと 自分がその絵と同じ空間に置かれた時の気恥ずかしさは切り離して考えるべきではないだろうか

絵を観賞する際の公共性は失われ 独りの自室で絵と対峙する事が前提となってきているのではないか

2020-12-25

東方幻想万華鏡 紅霧異変の章 とかいう最高の作品

福神制作東方二次創作アニメなのだが、これがまたお気に入り作品なんだ。作画が神懸かっているのは当然のこと、演出構成テーマ脚本が非常に良く出来ている。

 この話は霊夢魔理沙の回想で話が進む。紅魔館での戦いと東方キャラオールスター宴会が楽しめるという豪華なストーリーになっている。魔利沙の回想はチルノとの戦いの後、紅魔館に潜入する所から始まる。まず館内のサスペンス映画さながらの不気味な雰囲気がいい。その後、子ども部屋に入ると唐突に後ろからフランが現れる。初っ端からラスボスと戦うという逆説的なストーリー展開に度肝を抜かれる。お馴染みのテーマと共に無表情で儚げな雰囲気を漂わせつつゆっくりと着地するフランの圧倒的強キャラ感。これがなんとも恐ろしい。興味津々に魔理沙を観察したと思いきや何の前触れもなく攻撃を食らわしてくる。うつむき加減に孤独を訴えた後、抱きしめたぬいぐるみ破壊し、今度は笑いながら「私魔理沙で遊ぶ!」と叫ぶ。この脈絡のない行動がフランの無邪気さと狂気を見事に表している。そして、フランとの戦いが始まると思いきや、シーンが代わり今度はレミリア登場である。暗闇の中笑みを浮かべるレミリアは美しくも恐ろしい。続いて幻想郷を覆い尽くす霧の演出も美しい。魔理沙フランの戦いに戻る。と思いきや、大魔法使いパチュリーの登場で戦いは中断される。魔理沙の動揺をよそに淡々と語るパチュリー強者オーラを放っている。「さすがは幻想郷ね。子どもがちょいとかじった程度の魔法でこの私をどうにかできると思うなんて、全く大した幻想だわ」と名言も炸裂する。当たりの風景が一転し、宇宙空間のような光景が広がる。1話の時点でバトルシーンに関してはお預けであるが、それでもよく出来た演出のおかげで見応えのある作品となっている。

 2話ではルーミア美鈴との戦いは端折られている。その分、咲夜戦はしっかりと描かれている。優雅なたたずまいを崩さず闇から現れる咲夜がなんとも美しい。雨あられの様にナイフが降り注ぎ霊夢に襲いかかるシーンは圧巻だ。裏をかい咲夜を捕らえ、ゆっくりと歩み寄る霊夢が頼もしく強者の貫禄を漂わせている。何より魔理沙フラン下りも丁寧に描かれている。周囲が自分を置き去りにして事を進めていく中、フラン孤独理不尽に打ちひしがれる。そんなフランを励ますかの如く周囲の光景が一転する。パチュリーに打ち勝ち、壮大なファンファーレと共に埃の中颯爽と歩く魔理沙はとても少女とは思えないほどかっこいい。尻込みしたフランに魔理砂は「他人に指図されないで自分の思うように生きようと思ったら戦わなきゃ駄目なんだぜ」と叱咤激励する。東方二次創作屈指の名シーンであり、筆者は勇気がほしいときに何度もこのシーンに励まされた。シンプルでごく当たり前だが皆忘れがちなことを思い出させてくれる魔理沙は流石であるフランは外に出るため、レミリア決闘を挑みにいくのだが、そのレミリアの姿が余りに美しいのだ。紅の光を浴びながらステンドグラスから外を眺める姿はなんとも形容しがたい。フランの反抗にも特に動揺した姿を見せず、まさに強者ならではの落ち着きだ。回想のレミリアは暗闇の中にいて姿がよく見えないため、その分もっと観たいという視聴者に思わせるのだ。秘すれば華なりとはこのことだ。振り向きながら浮かべる邪悪な笑みは背筋が凍るような恐ろしさだ。このアニメでは敵キャラ達がとにかく恐ろしく、美しいのだ。この演出は並の二次創作の及ぶところではない。

 3話で大詰めを迎える。魔理沙が見つめる中対峙する姉妹の姿も美しい。レーヴティンを手に孤独を打ち破り自由になるため今まで逆らえなかった姉に自分の思いをぶちまけるフランがとても勇ましい。このアニメ異変解決だけでなくフランの成長も描いた作品なのだ。戦いの最中レミリアフランを抱きしめる場面も感動のシーンだ。原作にはなかった姉妹葛藤と絆を描いているのがこの作品の魅力だろう。本編の魅力を損なわず新たな魅力やテーマを加えるというのは二次創作において非常に重要姿勢である。回想が終わり、宴会の場面に戻るがそこでレミリアフラン姉妹げんかが始まる。回想で葛藤を描き、最後に仲良く喧嘩する場面で終わるというのは最高の構成ではないだろうか。このように幻想万華鏡王道的な豪華さを兼ね備えた二次創作の鏡と言うべき作品なのだ

2020-12-23

異世界人間に生まれ変わって異世界人につええすることについて

物理的な暴力だけじゃなく、文化面で現代的な技術を教えてつええするタイプの話って、人間潜在的に持つ庇護欲とマウント欲と共有欲求が混ざったもんだなって思う。

特によくある描写で、向こうの住人が「こんな食べ物異世界では)見たことありません、ほぉー」みたいにやたら文化の高さに感動する。異文化バカにしてんのかなと。江戸に来た耶蘇教の宣教師みたいな鼻持ちならない感じを受ける。とにかく現代に比べて文明文化も低いのだから現代人が圧倒的にマウントして当然という発想は白人至上主義のものだなこれ。

しろ疲れていた現代人が異世界に触れて癒やされる、みたいな物があんまり見受けられないのがネット的というか。価値で全てが測られる世界に生きてんだなという実感を強くする。というより、個人的にも価値こそが評価されるのは紀元前から歴史だとは思うけど、異世界に対する価値がはっきりと提示されてない感じがするんだよね。オリエンタリズムというか、その文化に触れてびっくりみたいな。その文化対峙したときにまず俺達より劣っているか文化伝授してやろうという描写のもの現代人の感性稚拙さではないかと。こういうのって宮崎駿とかから言わせると、チコの実等未見の食事が出てこないのは何なの、ということになる。土着文化に触れて異邦人が恐縮する感じもない。さながら厚切りジェイソンのようにホワイ、日本人ココガオカシイヨー、とかずけずけやってるわけで。

そこで出てくるのが対立軸。あの異邦人が鬱陶しいからやっちまおうぜみたいなガジェットもたくさん出てくる。しまいに主人公は力量差を明示して屈服させたあと和解という。違うでしょ。お客さんはあんたであって、あんたがむしろレビトなわけです。そこでなんで力押ししてんだと。そしてその後現代的なものを伝播させて文化破壊と。

実は異世界ものって植民地主義思想を凝縮させたもんじゃないの。

2020-12-16

駐車場でクソ男に体当りされたんだよ!

「ゆゆっ! ゆっくりいそぐよ!」

ここは駐車場

東京ベッドタウンであるこの湯栗市ではよく見られる、比較的広い駐車場を持つ総合スーパー駐車場である

とうに秋は終わり、冬の寒気が辺りを覆っている。

その一角、乾いたアスファルトの上を小汚い饅頭がエッサエッサと動いていた。

ゆっくり——俗にれいむ種と呼ばれる品種だ。

冬はゆっくりにとって死の季節。

よほどの無能でない限り巣穴にこもって春の訪れを待つ。

そう、よほどの無能でない限りは……。

「ゆっ! こんなところにくそにんげんがいるよ! れいむがはしってるんだからどいてね!」

溜まっていた有給を一日だけ取ったが、既に半分以上を無為に過ごしていた。

せめて酒でも買い足しておこう。そんな軽い気持ちで家を出る。

午後2時。穏やかな冬晴れの昼下がり。スーパー駐車場

市内の食品工場に勤める鬼威氏は困惑していた。

既にオンボロの類に入る軽自動車から降り、ドアを閉める。

と、視界の隅に動くものが。

ゆっくりどいてね! いますぐでいいよ!」

そう叫びながら向かってくる汚饅頭

「どいてねって……俺に言ってるのか?」

ゆっくりは通常、人間を恐れる。

それなのに突っ込んでくる饅頭

何が目的だ? いたずら? 食べ物? 車でおうちせんげんか?

鬼威氏の脳裏をいくつかの考えが流れ、それから消えた。

(いや、こいつらの考えを予測するだけ無駄か)

そう思い直して、饅頭を見下ろす。

薄汚れたボディ、ボサボサでカピカピの髪の毛、生ゴミよりもみすぼらしいリボン

典型的野良ゆっくりだ。

それでも血色は良い。スーパーの周辺を縄張りとしているのなら、冬でもそれなりに良いものを食べているのだろう。

ぽいんぽいんと、人間ゆっくり歩くほどのペースで跳ねてくる。

先程「どけ」と言っていたが、このままの進行方向ならそもそもぶつかることもない。

彼は、立ち止まったまま行き過ぎるのを待つことにした。

から離れていたずらでもされたらつまらない。

数秒が経過し、ようやく饅頭が通り過ぎようとした、その時だった。

「ゆゆっ! やっぱりくそにんげんにはゆずりあいっのせいしんさんがないんだね! れいむはゆっくりよけるよ! れいむやさしくってごめーんグエッッッ!!!

急に方向転換した饅頭が、鬼威氏にぶつかってきた。

吹き飛ぶ饅頭れいむの口から漏れた餡が、鬼威氏のスニーカーに付着する。

(油断した! 当たり屋目的か!)

ハッと我に帰った鬼威氏をよそに、件のゆっくりは上を下への大騒ぎをしていた。

「い゛た゛い゛ィィィィ―――!! れいむのようきひっさんもしっとするうつくしいおかおがあああ!!! くそにんげんにけられたあああ!!!

叫ぶ饅頭へと向けられた視野の端に、スニーカー惨状が映る。

お気に入りスニーカーが、汚物による生物化学攻撃を受けていた。

鬼威氏の血圧が上がり、血管が浮き出た。

「おいクソ饅頭、お前、なんてことを……」

そう言いつつ、深呼吸をする。

アンガコントロール文明国に生きる人間なら当たり前のスキルを試みる。

まず靴を拭いて、れいむが落ち着いたら一言二言文句を言おう。それでいい。相手ゆっくりだ。

しまずはウェッティを……

くそにんげんンンン!! あやまってね!!!!! ばいっしょうはあまあまさんやまもりでいいよ!! れいむやさしくってごめーんね!」

勝手にぶつかってきた上で、なんという物言い

いくら下等ナマモノといっても、許されない限度というものがある。

いやしかし、鬼威氏の理性はなんとか持ちこたえた。

「ゆっ、なんのさわぎなのぜ? れいむ、どこいってたのぜ?」

まりさ!!」

そこに突如として現れた第三者

今まで気付かなかったが、鬼威氏が車を止めたすぐ隣にみすぼらしい段ボールが置かれていた。

ゆっくりの巣だろうか、中々上手く擬態してある。

その中から、声の主、まりさが現れる。

クソ饅頭はこれで勝ったと思ったのか、さらに横柄な態度になった。

一方まりさは鬼威氏を見てとると、目を丸くして驚いた。

「ゆゆっ、にんげんさん!? ま、まりさなにもしてないのぜ! えっと、えっと、ゆっくりしていってね!」

くすんだ銅のバッジ帽子に付いている。元飼いゆっくりだろうか?

なんにせよ、多少は話が通じそうだ。目元にも怯え以外に、知性の光が見える。

ゆっくりしていってね、まりさ。このゆっくりがぶつかってきたんだ。僕の靴が汚れたんだけど、何故か逆に謝罪を求められて困っているんだ」

まりさは鬼威氏が指差す先を見た。白玉の瞳に、番のれいむが映る。

同時に感じる戦慄。ここで判断を間違えれば、死ぬ

いや、もう既に死は確定しているかもしれない。

そう思えるだけの知性を、まりさは保持していた。

からこそ

「ごめんっなさいなのぜ! そのれいむはまりさのおくさんっなのぜ! まりさはたらくのぜ! おくつをべんっしょうするのぜ? だからいのちだけはゆるしてほしいのぜ!」

全力で頭を下げる。ゆっくり生命など、人間の前では塵も同じ。

息の一吹きで消し飛ばされるものしかない。

「なにあやまってるのおおおおお!! ばかなの? しぬの? このくそにんげんをせいっさいしてね!! いますぐでいいよ!!」

しかれいむは目の前の理解しなかった。

自分を守り、戦い、そしてこのゆっくりしていないクソ人間をぶち殺してくれる存在

まりさをそう捉えていたのに、実際はいきなり頭を下げる始末。

怒りのあまりまりさに飛びかかる。

が、まりさはひらりとかわし、れいむは地に伏した。

別に生命までは取る気はないよ。ただ、れいむには謝ってほしかったんだけど、もういいよ。君が謝ったしね」

鬼威氏はまりさの俊敏性に驚きつつ、そう答えた。

「そういうわけにはいかないのぜ! いま、れいむにもあやまらせるのぜ! すこしだけまっていてほしいのぜ?」

「いいよ。じゃあ、ここで待っているから、話がついたら教えてくれ」

鬼威氏は今日、特段やることもない。

それに今真っ先にやることは靴をきれいにすることだ。

ドアを開け、運転席に横向きに腰掛ける。

ドア裏のポケットからウェッティを取り出して、慎重に餡を除去し始めた。


一方、こちらは巣穴の中。

二匹のゆっくりが向かい合っていた。

「なんでおそとにいったのぜ? えっとうできるたべものはあるのぜ! ふゆさんはさむいさむいであぶないのぜ? あとおちびはどこなのぜ?」

まりさが詰め寄る。

まずは時系列に沿って説明させ、頭を冷やさせようという戦略だ。

れいむはくささんなんかたべたくないから、おちびちゃんとかりさんにいってあげたんだよ! かんしゃしてね!」

「おちびと? で、おちびはどこなのぜ?」

「そうだよ! おちびちゃんがうんうんもらして、あにゃるさんがくさいくさいだからまりさをよびにきたんだよ! おちびちゃんのあにゃるさんをきれいれいしにいってあげてね! いますぐでいいよ!」

まりさは呆れた。馬鹿馬鹿だとは思っていたがここまでとは。

勝手に狩りに連れ出して、そして置いてきたのだ。この馬鹿は。

しかしその子供はれいむの連れ子だ。その上親譲りのあんこ脳。

まりさにはそこまでの情はなかった。

「そんなのじぶんでやればよかったのぜ。まりさはさむいさむいのなか、でかけたくはないのぜ」

冷たく言い放つ。

「どぼじでそんなこというのおおお! れいむはこんっそめさんをたべたかったのになかったんだよ? ぼせいあふれてるんだよ?」

コンソメを見つけられなかったことは今なんの関係があるのだろう?

まりさは困惑しながらも、仕方なく最後の手段に出た。

「わかったのぜ。まりさにさくせんさんがあるのぜ。れいむがあやまったら、そのすきにまりさがにんげんさんをせいっさいするのぜ?」

れいむの顔がパアッと輝く。

まりさは吐き気を抑えるのに必死だった。


ところかわってここはスーパー駐輪場

置き去りにされたまりちゃがぽつねんと立ち尽くしていた。

なんと、れいむはここに食べ物があると思い込んでいたらしい。

当然見つかるはずもなく、無為時間を浪費した後、ここに置き去りにされたというわけだ。

「あにゃるさんくちゃいくちゃいなのじぇ……ぽんぽんさんぺこぺこなのじぇ……さむいのじぇ……くるしいのじぇ……? おとーしゃ、おかーしゃ、どこなのじぇ?」

寒さ、空腹、それから孤独と心細さがまりちゃの身体を蝕んでいた。

冬になってから外になんて出たことはない。それも一人でなんて。

寒空の下乾いた風が吹き抜け、甘やかされたまりちゃの身体を震え上がらせる。

そして寒風は悪魔をも運んできた。

「あ、ちびゆっくりがいる! しかうんこしてる!」

人間の子供。

それも小学3年生くらいの。

即殺ではなく、嬲ることの面白さを知る年頃。

冬休み前の午前授業。解放された野性。

500円玉を握りしめ、お使いに来たのだろう。

なんにせよ、ゆっくりにとって最悪の相手が目の前に立っていた。

しかしそんなことはまりちゃには分からない。

「ゆ! ちびにんげん! ちょうどよかったのじぇ! まりちゃのどれいにしてやるのじぇ!」

決まった。完璧に。

まりちゃの威厳ある宣言に、人間の子供は震え上がり、威儀を正して土下座をしていることだろう。

その姿を想像するだけでしーしーがもれる。

まりちゃは想像現実の一致を確かめるようにゆっくりと目を開く……。

「ゆじぇああああああ!? いたいのじぇええええ!!!!?!?

小学生は指先ほどの小石を拾い上げると、まりちゃの額に押し込んでいた。

特段鋭利というわけではない小石だが、相手饅頭

いとも簡単に肌を切り裂き、餡へと至る。

激痛にまりちゃの意識が飛びそうになる。

が、

「おぼうしさん! かえしてええ!!」

本能はその叫びを優先した。

ゆっくりにとって命よりも大切なお飾り。

それを小学生は持ち上げる。

そして、ビリビリと引きちぎる。

「おぼうしさん!? ゆっくりなおってね!? ぺーろぺーろ……? ぺーろ…ぺーろ……?」

ぼろぼろになったお飾りを治そうと舐めるが、そんなことでは当然治りはしない。

もう二度とゆっくり出来ない。

そう悟った時、まりちゃの餡子の底から、悲しみ、絶望それから怒りがこみ上げる。

「ゆるさないのじぇ……ぜったいゆるさないのじぇ……! ないてもゆるさないのじぇ? ぶっころしてやるのじぇ……おそらっ!?

小学生がまりちゃをひょいとつまみ上げる。

「良いよ別に、許さなくても。でも」

まりちゃを掴む手が離れる。

まりちゃはとりしゃん!」

500円玉カッター!」

500円玉まりちゃの左目を切り裂いた。

そのままボトリと落ちるまりちゃ。

その衝撃で、真っ二つになった眼球がポロリとまろび出た。

「どちらかというと、恨むべきなのはここに一人にした親じゃない?」

小学生とは思えないような慧眼。

が、その着眼の素晴らしさはまりちゃには分からない。

「どぼじで……こんなことをするのじぇ? まりちゃだって……ゆっくりだって……いきてるのに!!」

ドン!!

そんな効果音を心のなかで響かせて、まりちゃの決め台詞が炸裂する。

これで、このクソ人間も改心しただろう。

まりちゃの目を潰した罪を背負い自らの目を潰して、まりちゃに献上するに違いない。

一生かけて罪を償うに違いない!

そんな期待を込めて、再び目を開ける。

「ねえ、まりちゃ? ゆっくり自転車で引っ張ったら……どうなるかな?」

小学生の目に宿る好奇心の光。

まりちゃは自らの運命を感じ取り、震えた。

が、まだまりちゃには奥義——ぷっくー——がある。まだ勝つシナリオはある。

その希望がある限り、まりちゃは非ゆっくり症という救いを得ることは出来ない。

まりちゃはまだ、地獄の一丁目差し掛かったばかりだ。



場面は再び戻って駐車場

一人の人間と、二匹のゆっくり対峙していた。

「ほられいむ……あやまるのぜ?」

まりさがれいむに謝罪を促す。

れいむはまりさが後ろ手に聖剣えくすかりばーさんを持っていることを確認すると、頷いた。

このクソ人間の終わりは確定した。

「にんげんさん……にんげんさん……」

「なんだい、れいむ?」

鬼威氏はニコリと微笑みかける。

幸いなことに、スニーカーの人工革の部分に餡子が付着していたため、きれいに取ることが出来た。

もう許すも許さないもないのだが、まあ謝罪を受けたほうが収まりが良いだろう。

「しねえ! このくそにんげん!! まりさ! いまだよ!このくそにんげんをせいっさいしてね!!」

「……わかったのぜ」

まりさは聖剣を握りしめ、思い切り振り払った。

「ゆんやああああああああ!! れいむのかもしかっさんのようなあんよさんがああああ!!!! い゛た゛い゛いいいいいいい!!!!」

聖剣が切り裂いたのは、れいむのあんよだった。

餡子ボトボトと溢れ出る。

まりさ……どうしてそんなことを?」

鬼威氏は困惑した様子で、問いかける。

れいむは、もうにどとおうちからでないのぜ……。だからいのちさんだけはゆるしてあげてほしいのぜ……! まりさはどうなってもいいのぜ」

それを聞き、鬼威氏はまりさに微笑みかけた。

まりさ、ちょっとこっちに来てくれ」

「わかったのぜ……」

迫りくる巨大な手。

まりさは生命の終わりを予感し、目を閉じた。

が、感じたのは柔らかな感触だった。

「ああ、やっぱり! まりさ、お前汚れているだけで金バッジじゃないか!」

鬼威氏の手にはウェッティがあり、それでまりさのくすんだバッジを拭ったのだった。

流石のまりさも、状況想定外過ぎて理解が追いつかない。

「お前、迷いゆっくりじゃないか? このスーパー張り紙見たぞ」

「えっ……?」

「だから、お前の家、湯ン矢町じゃないのか?」

「そうだよ……! でも、まりさは捨てゆっくりなのぜ。帰る家なんて」

「捨てられたわけじゃないみたいだぞ? お前の飼い主は、お前を探してる」

「そう……なのぜ……?」

まりさの目には涙が浮かぶ

鬼威氏の穏やかな目に嘘はなかった。

「家まで送って行ってやるよ。助手席に乗りな! 安全運転GOだ!」

「わ、わかったのぜ!」

鬼威氏がドアを開ける。

急いで助手席に乗ろうとするまりさの後ろ髪を、何かが掴んだ。

まりさ……! なにやってるの? れいむをおいていかないでね?」

れいむのもみあげだった。

「ごめん……なのぜ!」

まりさはれいむの手を振りほどくと、車に飛び乗った。

「おいてくなああああ!! くそれいいいいいい!!!

「やっぱり、どれいしかおもっていなかったのぜ?」

その目に光るものを、鬼威氏は見逃さなかった。

「よっしゃ出発だ!」

からこそ陽気に、鬼威氏はエンジンをかけると、オンボロの軽自動車ゆっくりと湯ン矢町へと向けた。

彼は酒を買い忘れた事に気付いていない。

このミスから野良ちぇん出会うことになるのだが、それはまた別のお話

今はただ、まりさの心だけを……。



夏の終わり。

蝉の声、陽炎それから日差し

「あついのぜ……まりさは……じぬのぜ?」

夏はどの季節にも増して、ゆっくり生命をいとも簡単に奪う。

「ゆ! おみずさんあげるよ?」

口元に添えられたペットボトルキャップ

まりさはひといきに飲み干すと、少しだけ息を整えた。

ありがとうなのぜ……きみはだれなのぜ?」

「ゆん! のんだね? いまのはけっこんのちかいのおみずだよ!」

後光が指す。

捨てられたと思い込んでいたまりさは、それを受け入れた。

「(ゆふふ、どれいがてにはいったよ!)」

野良はそんなものだろう、と思っていた。

それからは無心に働いた。奴隷のように。心はなく。

冬の審判の日は、まだ遠い。



「ゆ……ゆ……」

3日前より少しだけボロボロになった段ボールの中に、不気味な影が一つ。

なんとか這い戻ったれいむが力なく横たわる。

まりさは手加減をしていた。

それは致命傷にはならなかった。

が、二度と歩くことは出来ない。

れいむはにんげんをせいっさいしてやったよ……! にんげんをあやまらせてやったよ……!」

うわ言が響く。

死のうにも、まりさが冬ごもりのために蓄えた食物は三匹分ある。

本能の勝つゆっくりでは、まだまだ死ぬことは出来ない。

生死の境で、あんこ脳が記憶を次々と書き換える。

人間を吹き飛ばしたこと。人間謝罪させたこと。人間からあまあまをぶんどったこと。人間奴隷したこと

少しでもゆっくりするために、書き換える。

ゆふふ、れいむはステイサムさん!」

半ば死体となったれいむのまわりに、ハエが飛び回る。

フェミーン。フェミーン。

その羽音とうわ言だけが響き渡る異常な空間で、れいむはゆっくりと死んでいった。

2020-12-11

anond:20201211130810

そうか。俺はあんまりそういうインセルとかミグタウのような世界観には興味がないが。

一枚岩と言うより人類社会全体を構成しているもの男性だという事。

女性男性対峙できる存在ではないと考えている。しかしま平行線からこれまでにしておこう。

クローズアップ現代コロナの話

今日(もう昨日か)のクロ現コロナの話、ちら見してただけだけど、なんかまとめ方が妙にふわっとしていてもやもやしたな。

まず中国の行き過ぎた統制の話があって。以下、番組HPから引用

「いち早く感染拡大した武漢はいま、“新型コロナを克服した街”として観光客でにぎわい、その闘いを称える展覧会も開催。さら経済復調の兆しを見せている。その一方、複雑な思いを抱えているのが、新型コロナ家族を亡くした遺族たちだ。政府の初動の遅れがあったから、多くの市民犠牲となったのではないか。そう訴える遺族らは当局監視対象に…。徹底した感染対策ウイルスの封じ込めを行う中国武漢ありのまま現実ネット上で日記に綴ってきた作家の方方氏は、私たち取材にこう答えた。「中国人は自由と命を天秤にかけて、命を選んだ」と。」

この作家番組で、文明度をはかる基準都市繁栄軍事力科学技術ではなく国が弱者にどういう態度をとるかということと言っていて、たしかにそれは大事なことだなと思った。

そしてそのあと、ドイツ在住の多和田葉子さんがゲストとして出演して、「ドイツでは首相弱者を守るということをまず提示し、国民になにが大切かを知らせてくれた。日本は俯いて災難が去るのを待っている感じ」と。

それを受けての番組最後のまとめの言葉いまいち謎だった。なんだっけな。

「内にこもらずに世界を見て一人一人が能動的に情報を得て考えよう」みたいな。要は、一人一人の姿勢が大切だよ☆というような終わり方でずっこけた。

武漢ルポがあって、多和田さんの言葉があって、これ?キーワードは「国が弱者を守ろうとしているかどうか」ではないのか?明らかに自国政治のあり方への言及がすっぽりと抜けている。

ただまぁ、中国の現状とドイツの状況(作家コメントのみではあるが)を材料に、自国の現状を各自考えてみてくださいという意味ではよくできた構成なのかもしれない。

私がこの番組を見て思ったこととしては、

コロナという感染症と対峙するとき自由と命がトレードオフであるというのは理解できる。ただ、犠牲となり訴える人々を監視対象として言論封殺するのは、なんかそういうトレードオフを超えたやばさだ。コロナうんぬん以前の。んで、自由と命がトレードオフという現実があるからこそ情報公開して共有して議論して、どの程度自由制限されるのか指針をつくるべきだし、「自由と命がトレードオフ」だからこそ、そのなかでまず弱者を守るというメッセージを発することが大事なんじゃないの?と思いました 。

(まぁ、そこから弱者って具体的に誰を優先して守るのよ?という話になってくるけど)

2020-12-10

陰キャ技能実習生のいる職場やその近隣で働くのはお勧めしない

陰キャ技能実習生差別ではなく使役側への批判…というより「陰キャへの注意喚起」ぐらいだと思って読むものです。

短めに言えば「トラブルになったときなど人間性のひどい高圧的な相手対峙しなければならないからやめとけ」ということで、陰キャASDなどの障害持ちや過去うつ病にかかっていた人がまた精神崩壊を招かないための回避方法ひとつとして覚えていてもらえるといいなあ。たしかに「ソースは私!」系と言われればそれまでですが、一応仮説はそれなりにあります

技能実習生制度採用事例が飲食業だったり介護だったり、もしくは工場などが思い出されることからセンス、才能、事前の膨大な学習が不可欠と言い切れない」ようなものが多くなる…職業蔑視とも言われかねないですが、冷静に考えれば、国力につながるような産業自国ならではの強さを国際的アピールしたい技術研究にはあまり外国人間を入れたくならないのは日本のみならず先進国はどこも似たようなことを考えるのが自然です。たぶん財界とかもそれくらいのことは考えてますよね?そうじゃなかったら本当のバカなんですけれども…

まじめに働きに来ている実習生のみなさんには若干申し訳ないですが、実習生制度を利用する勤務地は「人間性に難があれども昇級ができてしまう」可能性があり、ほとんど半グレのような責任者が立っていることも十分視野に入ります。そんな郷に入って従うことになっても地獄コミュニティに近接しただけでも関わりあうならこちらの豆腐メンタルなぞすぐ見破って潰しにかかってくることでしょう。

数多ある働く場所から安寧の地を探すのは難しいですが、少しは危険地帯を避ける助けになれば…

2020-12-06

自分が左に回避しようとすると相手も右に回避してしまうとかよくあるので

これは交通ルールのように、回避するときは右から、みたいに決めるべきではないだろうか

まり、車線での追い越しルールのようなものである

この辺をうまくシミュレーションにすることができるのではないだろうか

混雑シミュレーションに関しては、専門でないので多分ではあるが、

粒子によるシミュレーションセル・オートマトンによるシミュレーションなどが考えられるだろう

粒子と粒子の衝突判定をするとして、その粒子それぞれが進行方向で対峙したとき

上記のように決められたルールで行動すればどうなるか、

というシミュレーションをすればいいのではないだろうか

2020-12-02

ダイの大冒険新旧アニメアバントラッシュのシーンを見て思うこと

https://www.nicovideo.jp/watch/sm37888660

https://www.youtube.com/watch?v=MtOSegYRd_s

アニメは一切見てなかったのだが、新アニメの方でポップが投げて渡した剣をダイが受け取るシーンが「マジでないな…」ってなってしまった。

アニメの方は、ピンチのシーンでポップが剣を取りに行ってダイに向かって投げて渡すという予想外?の行動に対して、ダイ視線の移動もしなければ、剣を受け取る際にノールックで受け取るっていう昨今の等身大ではない厨二チート主人公文脈(なろう系とか)のような「薄さ」を感じてしまった。(ダイの大冒険という原作文脈が全く感じられない)

もちろん今まさに必殺技を放とうとしてる強敵対峙しているのだから、一瞬でも敵から目を離すことは致命的であるので、大変合理的判断だと言える、それが可能であれば。

一方旧アニメの方は、ポップの意外な?行動に対してダイちゃん視線を移動して「ポップ!」って言葉で反応してるし、投げられた剣を掴むときちゃんを剣を見ながら掴んでて、ダイの幼さや未熟さのような最低限の等身大表現がされてる。(当たり前の話だが、ダイは投げられた剣をノールックで受け取れる達人のような存在ではない)

あとポップが剣を投げる時もちゃんと逆手で取ってから投げてるのと、ダイから名前を呼ばれた後のポップの「うん…!」から「(ダイ、わかるよな…!)」感がすごい伝わってきて、2人の信頼関係みたいなものも感じられて大変良い。もちろんこの後には「アバントラッシュ」だ。

アニメはあれだけのシーンにダイの大冒険の文脈ちゃんと凝縮してて、この作画演出?をセル画時代1991年に週1アニメでやってたんだから、作ってた人達マジでアニメ制作人生とか命とかすべてをかけてたんだな…、と尊敬の念を抱かずにはいられない。一体どんだけのカロリーアニメ制作に注ぎ込んでたんだよ、と。(声優さんの演技も相当やばいのだが…)

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あと、もし本当に新アニメの描画が「等身大ではない厨二チート主人公文脈から来ているのかってときに(*1)、作り手(供給)側がそういう意識になってるのか、受け手(需要)側がそういうものを求めているのか、どっちによる影響なんだろうか、というのも少し考えてしまった。

作り手側の話だった場合、昔のこういったものを作ってた人達経験技術みたいなものはどこに行ってしまったんだろうな…と。ダイの大冒険という原作は一切変化していないと思うけど、作り手側の趣向が昔から変化してしまったのだろうか。受け手側だけの話だった場合、「最近の子にはこういうのがウケるのか…俺も歳を取ってしまったのかもなぁ…」ってことなのかもしれない。

ただ今回の自分感想は、比較映像を見たから出てきただけの感想なのかもしれず(*2)、新アニメ単体で見たときは何も思わなかった可能性もある。

自分記憶で美化されているかもしれないが、旧アニメは偉大な先人達が作った名作アニメなので、全く同じものをそのまま作るというわけにも行かない難しさの中で、新アニメスタッフの方々には引き続き頑張って頂きたいなぁ、とも思った。

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*1: アニメに関して完全なド素人なので推測からして間違ってる可能性もあるが、自分が思ってしまった感想なので

*2: 繰り返しになるがド素人なので

2020-11-30

anond:20201127142650

鬼殺隊の通念に染まっていった、鬼討伐にとりつかれていった、というよりも、

4巻あたりでも言っているように、人々の幸せを壊す諸悪の根源が無惨であり無惨は本物の鬼と認識したのが大きいと思います

6巻の柱合会議ですでに「悲しみの連鎖を断ち切るため必ず無惨を倒す」と明言しているのですから

自分たちの仇は無惨であり、さらにほかに自分たちのような例をもう出さないためには無惨を倒すしかない、と覚悟を固めています

無惨と対峙したときに無惨の身勝手かつ人よがりな思想に触れて「お前は存在しちゃいけない」と言っているし、

炭次郎の目的はけっこう変わっていませんし、その目的自発的ものです。

 

1話の時点ではねずこを人間に戻す、ねずこを守る、だけだったかもしれませんが、旅を通じて何が原因でこうなったのかを知り、

目的に無惨を倒す、これ以上悲しい思いをする人を増やさないために、が加わります

無惨討伐と家族思いは矛盾するわけではないですし、というかどちらかというとリンクしている目的です。

炭次郎から家族思いの要素が消えたりはしていないと思います最後に鬼化が止めたのは本人の性質もあるし、「家族思いのお兄ちゃん、ねずこをずっと守ってきたお兄ちゃん」の部分でもあるので、

特に炭治郎の魅力がなくなった、正気でなくなっていった、というのはちょっと個人的には「そういう受け止め方になるのか」という気持ちです。

無惨がいる限り、妹を守れないわけですから

 

それから、炭治郎は終盤では16,7歳になっているわけで、両親のあの家があれば生きていくことはできるはずです。養う家族は減っているわけだし。(身もふたもないが)

想像力もっと広げれば、鬼の首魁討伐の功績が大きいので、産屋敷の家から褒賞金なり年金なり出たと考える余地だって十二分にあります

(9人の柱に対して『好きなだけ』給料を与えることができ、そのうち大多数は大きな屋敷を構えていたり、のんだくれニートおやじを養っていたであろうことを考えるとそのぐらいの余地はあってもいいと思う)

 

ねずこの結婚に関して、現実大正時代一般通念上、女性の適齢期は16~20ぐらいであり、結婚できず独身をとおす女性への世間の目はかなり白いものでした。(24歳ぐらいで行き遅れのオールミス扱い…)

終盤ねずこが14,5歳ということを考えると、無惨がいようといまいと、ねずこは近いうちに嫁いでいた可能性が高いです。

2020-11-27

anond:20201127195925

弱い僕と対峙して女は消えるっちゅーのが

支配し続けるよりはマシなんだろうか?

anond:20201126173555

善逸の抱きつき癖を女好きという扱いで括ってしまうことが前から腑に落ちなかったんですよね。

善逸の生い立ちは作中明確に描かれてませんが捨子として荒んだ幼少期を過ごしたことが伺えます

それ故か愛着障害と思しき言動が顕著なキャラクターです。異様なまでの自信のなさもそれで説明できます。これによって善逸の意識の中では母性への欲求と異性への関心が混合されてしまっており、幼児退行的反応として女性に抱きついてしまうとは考えられないでしょうか。

ねずこは、擦り寄って甘えることだけが異性とのコミュニケーションだった善逸を変えた存在です。女性庇護対象として認識できただけでも善逸にとっては大きな進歩だったはず。

そういった大きな気づきを与えてくれたという点で禰豆子は善逸の中で特別存在になっていったんじゃないのかなというのが自分感想ですね。

また禰豆子は人間に戻ってからも鬼であった頃の記憶を失ってはいないので、善逸が如何様な人間か、自分のことをどう思っているのかは理解しています

自我を完全に取り戻した禰豆子が、その後善逸の歪な部分を指摘して、それでますます善逸は成長していったのだろうと、希望的観測ですが私はそんな風に想像するようにしています

無粋ですが無惨との戦いで炭治郎がああなった以上、竈門兄妹は誰かの扶養の下に入るしかこから生きていく術はないので、禰豆子は近いうちに誰かしらと結婚しなければならないプレッシャーを既に背負っています

禰豆子の意思尊重したとして結局善逸が相手になることがベター選択となってしまう気がしてなりません。

禰豆子を守り、人間に戻し、もとの暮らしに戻ることが第一目的であった炭治郎が、

鬼殺隊の通念に染まりきってしまい、無惨討伐という大義のために破滅的な行動に出たことが、個人的には残念でした。いくら痣の影響で限られた命だといえお粗末すぎませんか?

無惨を倒したことは多大な功績だとしても竈門兄妹が困窮する未来が見て取れるあの展開は釈然としないものがあります

クライマックスで無惨と対峙しているときの炭治郎の脳内に禰豆子のことはなく、炭治郎の魅力であった「家族思いの長男」というキャラクター崩壊してしまいました。

ねずこはせっかく人間に戻れたのに、対峙した兄は無惨の血を浴びて鬼化しかかっていた。こんな虚しいことないでしょう。

鬼滅の刃は終盤に向かうにつれ炭治郎が鬼討伐に取り憑かれ正気で無くなっていき、炭治郎が元来振りまいていた慈悲を善逸や伊之助、義勇といったサブキャラが補っていた様な気がします。人気投票で炭治郎の順位が下がったのもこういった背景があるのではないでしょうか。

2020-11-25

マイノリティも今自分たちの前にある現行の社会システム対峙してそれぞれの最善を尽くした結果なんだから

すべきは既得権益を犯すなー侵略者は出ていけー!ってシュプレヒコールあげることじゃなくて

大急ぎで社会の仕組みと大衆価値観アップデートして社会総体での納得度を上げることだよな

とりあえず異物を追い出して従来の形に戻してからじっくり取り組もうぜスタンス差別の存続への加担者。

2020-11-16

anond:20201115004547

私も飲まない日はない、その上で休日は朝から飲む様な依存者でした。

今は一応、アルコール休憩中という感じで五年ほど断酒できています

しかし、依存は治ることがないのでまたいつかアルコールの沼に飲み込まれるでしょう。

そのことをしっかりと理解し、おそれ、アルコールよりも大事ものを築いていくしかないんじゃないかと。

そうしたってほとんどの人は結局アルコールの沼に戻っていくので難しいとはわかるけども。

ちなみに私の場合小説を書くことでアルコール対峙しています

アルコールが入ると小説はかけず、続きを待ってくれる人がいると思えば酒に対するブレーキもかかる。

酒を飲んでは決してやれないマラソンや、ロッククライミング、あるいはパルクールなどの趣味を持てばあるいは。

anond:20140206120749

2020-11-05

スクスタ20章に対する自分なりのお気持ち怪文書

・はじめに

 スクスタ20章をクリアしました。実をいうとストーリー攻略をサボってて、17章で止まっていたのですが、20章をプレイした人たちの阿鼻叫喚を聞いて、気になって急いで進めました。

 クリアした感想としては、確かにこれは賛否が別れそうなストーリーだな、と感じました。基本的に私は物語客観的に見るようにしているのですが、やはり見てて辛い部分もありました。

 自分の想いをまとめるために、拙いですが文章を書かせてもらいます題名の通り、単なる私のお気持ち表明ですので、賛否あると思いますが、他の誰かの感想否定する気は毛頭ありません。

 あと、ネタバレがありますので未クリアの人は気をつけてください。

 後、誤字脱字も多いと思いますが許して。

 

・ 鍾嵐珠(ランジュ)について

 19章のラストで登場して、20章でニジガクを引っ掻き回すことになったランジュ。強烈なキャラクター性と理事長の娘という立場もある同好会を徹底的に追い詰める役目だ。

 最初に言っておくと、彼女が嫌いだという人がいるが、その意見は正しい。20章における彼女役割はまさに敵役とも言っても過言ではない。強権を使って(しかもそれは彼女自身の力ではなく理事長の娘、生徒会長の幼馴染という立場を利用して、だ)同好会自由を奪い、主人公蔑ろにする。普通にプレイすれば彼女に良い感情をもてというのが無理だ。

 しかし、その一方でメタ的な視線を持てば、1話全編でいきなりMVが入ってきてることからすでにモデリングがなされており、曲データ存在することから何らかの形でプレイアブル(と表現するべきかはわからないが)になるのもわかる。

 現在彼女に対する嫌悪感を感じる人が多いのはそれが合わさっているからじゃないだろうか。強権を使って同好会に対してだけ圧政を布き、分断させ、プレイヤーの分身たる”あなた”を蔑ろにする。そんな憎いやつなのに仲間になる可能性が高い。とてもじゃないが受け入れられない、という気持ちが強いのは当然だ。正直、私もその気持ち悪さをどうするべきか悩んでいる。

 同じようなことは彼女の幼馴染でもある栞子にも言えるはずである彼女個人的感情同窓会に対して強く当たっていたが、現在は(正しくは19章まで、だが)同窓会メンバーとして馴染んでいるし、受け入れている人の方が多いだろう。これは、栞子がシナリオを進めていく上であなた同窓会メンバー交流し、理解して言った上で仲間になることが分かったからだ。心情的にも受け入れやすい。

 対するランジュは正直言ってプレイヤーから良い印象はない。幼馴染の栞子が「彼女も悪い人間ではない」とフォローを入れてくれているので、本当は良い部分もあるんだろうが、現状ではプレイヤーはそれを理解できるシーンがない。そんな状態で仲間になる可能性があるのは、受け入れがたいものだと感じる。

 一方、彼女の言ってることはある種の正当性もある。スクールアイドルは良くも悪くも見世物だ。表現する側はともかくとして見る側からすれば完成度が高いに越したことはない。それを彼女プロの力を借りて高度な物へと持っていっている。手段はともかくとして表現する側として完成度が高いものを追い求める姿勢は間違ってはいない。

 だが、スクールアイドルとしてどうなのか、なのだかこれは後で纏める

 

・果林の選択について

 20章で最も批判が集まったように感じているニジガクメンバーの分断。果林と愛はランジュの言葉一定の理を感じて同好会を離れて部へと向かっていった。正直、果林と愛を推している人には辛すぎる展開だ。私は箱推しなので辛うじて堪え切れたが、自分推しシナリオの展開とはいえ敵対する展開は見たくないと思うのは当然だ。しかもそれが、同好会メンバーを苦しめる役目なのだ。受け入れがたいのは当然だ。

 特に果林は同好会メンバーにたいして「馴れ合いで入ったわけではない」と言い放ち、ランジュの持っているプロ技術を使ったスキルアップに対して理解を示している。これに私も最初は戸惑ったが、納得はしている。納得できても辛いのは辛いんだけどね。

 元々、彼女読者モデルをやっている。モデル業界には詳しくないものの、アイドルと同じように競争は激しい業界のはずだ。彼女はそこで人気を保つためにあらゆる努力をしていた人間だ。体形に気を使い、いろんな研究もして人気の読者モデルとしての地位確立した。だから学校でも有名人で、食堂にいれば名前も知らない下級生からしかけられて、黄色い声を上げさせる、元々はそういう人物である

 そんな彼女がランジュの言葉に理を感じるのは当然だ。少なくともランジュの用意した環境は下手なスクールアイドルでは実現できないレベルのものだ。そこにいることでスキルアップが望めるのならば向上心の高い彼女がそちらを選択を不自然なことではない。これは彼女が薄情というわけではなく、彼女自身がそこまで”スクールアイドル”という存在に本気になっているからだ。だからこそ、貪欲スキルアップできる場所があるならそちらに向かう。それが例え同好会メンバーを裏切るような形になっても、だ。理解はできる。だが、やっぱ見てて辛い。

 彼女はとにもかくにもギャップが印象的なキャラクターだった。クールビュティーではあるが、子供っぽいところやウブなところ、抜けているところがとにかく描写され、親しみやす人物として描かれてきたし、プレイヤーもそう思ってきた。だが、20章ではそういう部分は鳴りを潜め、大人としての視点を持ち、ある種残酷選択が出来る部分も描かれた。19章までの親しみやす彼女に慣れしたんだプレイヤーが困惑するのも当然ではある。

 

エマの怒りについて

 果林がある種、大人選択したこと、そしてランジュに対して彼女が最も過敏に反応している。普段のおっとりさから想像できない、怒気を孕んだ言葉対応しているシーンが多い。特に果林と対峙した際の会話が顕著。最も、皆を幸せにしたいと願いスクールアイドルをしている彼女とランジュの姿勢は真っ向から対立するものだし、彼女がはっきりとは言わないものの、彼女を拒絶しているのもちょっと新鮮だ。……新鮮なだけで見てるこっちのこころボロボロなわけだが。アニメニジガクの5話見た後にこんなの見せられるの拷問以外のなにものでもない。

 だが、エマは果林に対して怒っているというわけではなく、ランジュのバックダンサーにされている果林の境遇に対して怒っているように感じる。果林のスキルアップに最適な環境であるという言葉に対して、エマは果林自身ステージが見られず、ランジュのバックダンサーの扱いにされていることに怒っている。これは悲しい平行線なのであるが、同好会が元々「個人キャラクター性を尊重する、そのためにあえて一つのグループにならずにソロ活動をする」という選択をしたからだ。ランジュの活動はそれを否定する形になっており、自分よりも実力があればセンターを譲ると言ってはいものの、それは実力がなければ果林・愛(そして栞子)の個性否定するということである自身の大切な仲間を蔑ろにされている状況、それをエマは許せないのだろう。

 

かすみの見せた可能性としずくの決意について

 20章はとにかく重たい話だった。残った同好会メンバーは現状を何とかしようとするが、ランジュの強権で身動きが取れず、μ'sの力を借りてなんとか同好会としての体裁は取り戻すものの、状況はあまり好転していない現状だ。

 反撃ののろしとして計画されたゲリラライブ何となく話の展開から上手くは行かないんだろうと覚悟はしていたが、想像以上に辛い展開だった。それは、トップバッターかすみであったことが大きい。

 かすみというキャラ自身を全肯定している。それは「自分かわいい」という絶対の信頼を持ち、それが自信となって溢れているキャラである。だが、それと同時に彼女はその全肯定の自信の上にあぐらをかくことなく、かわいいを追求し、誰よりも自分がかわいくあれるように努力し、その努力を誇らない人間でもある。彼女アピールするのはあくま自身の「かわいい」であり、そのかわいいを生み出すまでの努力は決して見せない。なぜならそれはかわいくないからだ。そのプロフェッショナルさは日常生活ではギャグオチのように扱われているものの、果林やせつ菜等、仲間たちもいろんな媒体で認めている。

 だが、彼女のその全肯定から来る自信は、ゲリラライブを潰すために行われた部のライブで徹底的に打ちのめされる。新進気鋭で演出の完成度も高い部のライブに観客はあっさりと奪い取られ、残されたのは数少ない観客。彼女の積み上げた努力も、ライブにかけた想いも、冷たい現実の前に踏みにじられてしまう。正直、シナリオを読む手が止まってしまった。それぐらいいショッキングな展開だった。

 だけど、”中須かすみ”という人物は折れなかった。牙は折られて、満身創痍に打ちのめされても、冷たい現実に声は震えて涙声になっても。だってそれは”可愛くないから”。目の前にいる残ってくれたファンのために、彼女ライブをやり遂げる。

 そのかすみの姿に、しずく可能性を見出す。演出技術もなにもかもが上のはずのランジュ率いるスクールアイドル部のライブ。だけど、それに勝る何かがかすみライブにはあった。それはランジュが取りこぼしていて、もしかしたら果林と愛が見失っている何かだ。

 その”何か”を確かめるために、しずくはあえて同好会を離れる選択をする。その決意は残念ながら同好会メンバーには理解できず、可能性を見せたかすみからは拒絶すらされてしまう。だけど、あえて彼女はその道を進む。親友が見せた、おそらくスクールアイドルの輝きを確かめるために。

 果林・愛の分断は悲しみや戸惑いという感情が多かったが、しずくのこの決意はむしろ希望に思えた。スクールアイドル部に向かった彼女がどうランジュ、そして果林・愛の2人と向き合うのか、それがどういう結果を貰たらすのか、非常に重要ポジションだと思う。

 

セカンドシーズンでニジガクに問われるもの

 ランジュの所でも書いたが、彼女の言ってることは全部が全部間違っているわけではない。アイドルとしてファンライブを見せるにあたって、完成度の高いものを追い求める姿勢は間違ってないし、完成度が高いライブを見せた方が勝つのも当然なのだ。実際、μ'sやAqoursが戦ってきたラブライブという大会はそういう場所だった。

 だが、彼女がやっているのは”アイドル”ではなく”スクールアイドルなのだ

 残った同好会メンバープレイヤーたる我々が感じているランジュに対する違和感とは、まさにスクールアイドルへの姿勢なのだと思う。そして同時に、セカンドシーズンにおいてニジガクが最初に問われるのは「スクールアイドルとは何か?」なのではないだろうか。

 μ'sとAqoursもこの命題に向き合ってきた。μ'sは自身たちの永遠を望む声を聞きながらもそれを「限りある時間の中で輝くもの」とした。Aqours時間とともに移り変わりいくことに戸惑いながらも「輝きを受け継ぎ、次代に託していくもの」とした。

 ならばニジガクは?

 ランジュはスクールアイドルフェスティバルを見てスクールアイドルに憧れて日本へと来た。だが、彼女姿勢スクールアイドルとしてはあまりにも歪で、大切なものを見誤っているように感じる。同窓会や”あなた”が感じているそれは、永遠を望まれたμ'sや、3年生が居なくなったAqoursと同じ戸惑いなのだと感じる。

 20章は非常に重くて辛い展開だった。だが、希望は確実にあって、私はそれをかすみライブシーンに強く感じた。そしてしずくの決意の中に感じた。

 正直、辛い気持ちが強いのも事実だが、セカンドシーズンはまだ始まったばかりで起承転結の起の部分でしかなく、物語はどう転んでいくのかわからない。賛否が起こる理由もわかる、正直、ここまで拗らせる必要はあったのかと思う。でも、ここだけで判断しては全体が見えない、という気持ちもある。複雑な心境である

 何とも複雑な気持ちなのだが、しばらくはイベントストーリーのほんわかした雰囲気で心を癒しつつ、21章を待つしかいかな……。

 

 

 いやでもホント、ニジガクアニメがやっててよかったと心の底から感じられる(シナリオ読み終わった後5話を周回したよね。

2020-10-28

易者はなぜ死んだのか

明らかに鈴奈庵エアプかもしくはあまりにも読解力がないと思われるyoutuber考察()と銘打っておそらく炎上上等で投稿していた

東方鈴奈庵で易者が殺され小鈴が生き延びた理由」とか何とかい動画で久々にブチブチにブチギレたので

鈴奈庵本編から読み取れる情報を元に、自分なりにちゃん考察していこうと思います

とは言っても独り言かつ、昔読んだ記憶だけで書いてるから間違ってても許してクレメンス

 Q.なぜ小鈴は易者のように霊夢に殺されなかったのか?

 A.霊夢がよく知っている人間から

正直これに尽きると思います

書籍作品での霊夢の様々な行動を思い返して(書籍を読んだことがないなら話半分で聞いて)いただきたいのですが、

金儲け、信仰心神社への参拝客と基本的異変モードじゃない霊夢は欲にまみれ、浅はかな行動に出ることも多いです。

これは霊夢が劣っているだとか未熟だからではなく、あくま霊夢は「人間であるからだと読み取れます

幻想郷には僧侶である聖や、仙人である茨歌仙など欲に囚われなさそうなキャラクターもいますが、

彼女たちでさえ完全に欲を捨て去ることは出来ずに居ます

博麗の巫女とはいえ少女である霊夢も同様です。

一方で霊夢妖怪と言えども容赦なくしばき倒して退治して回る、いわゆる『鬼巫女』のイメージもありますが、

これは単純に妖怪がそう簡単に死なない存在であるから、悪さを行わないよう懲らしめる程度にシバきまわってるだけかと思われます

(「求聞史紀」でも阿求が定期的に妖怪をこらしめることを頻繁に記述している)

さて、正直ちゃんと「鈴奈庵」の7巻を読んでいれば気付けるかとは思うのですが

小鈴対峙する際、霊夢は明らかに動揺し、紫に罪をなすりつけて事を解決しようとします。

これは「小鈴自分がよく知る人間であるから、何とかして救おうとしている」事は明らかでしょう。

ではなぜそうしているかと言えば、易者を退治した際に明らかとなった「人間妖怪になることは最大のタブー」の問題があるからです。

ルールに則れば、妖怪化した小鈴は博麗の巫女として、易者のように退治しなければならない。

でも友達にように接していた小鈴を自らの手で殺めたくない…

こう考えることは何ら不自然ではないでしょう。

正直、易者の死はこの描写をするために存在していたのではないでしょうか。


 Q.では易者はなぜあっさりと殺されたのか?

 A.幻想郷の為にならないか

易者が殺されたのは単純に霊夢にとって赤の他人かつ自分を全部知ったような口ぶりで話しててムカついたから…

というのは正直あると思いますが、もっと明確に殺されても仕方ない理由がありました。

まりにもルールから外れたからです。

一つは「里の人間妖怪化したから」ですが、正直これは例外があるルールかと思います

勿論里の人間がじゃんじゃか妖怪化すれば、人間が減る上に妖怪人間境界曖昧になり

結果的に他の妖怪が損をしてしまうので幻想郷の安定を保つために存在しているルールなのかと思います

妖怪人間の図式を保ち続けるため、人里が強くなりすぎないようバランス調整してるんだと思います。多分。

さて、殺された理由ですが…もう一つは「静観する姿勢を見せたから」だと思います

えっ酷くない?と思うかもしれないですが、幻想郷にはもう一つ大きなルール存在します。

そう、「スペルカードルール」です。

スペルカードルール」についての詳細は説明がめんどくさいので省きますが、

大事なのはスペルカードルールでの取り決めは絶対であることです。

逆に言えば、「スペルカードルールを使わないのであれば何をされても文句は言えない」のです。

もし、あの場で易者が霊夢に対してスペルカードルールに則って勝負を申し込んでいれば、

博麗の巫女として受けざるを得ない。

そしてそれは、「幻想郷妖怪」として受け入れられる一つの儀式めいた行為でもあります

そうすると勝ったにしろ負けたにしろ、彼が「妖怪」として受け入れられる可能性は大いにあったのではないかと思います

人間を辞めて妖怪になり、かつ妖怪として幻想郷適応しようともしない。故に退治されたのではないでしょうか。知らんけど。

 Q.小鈴は人里の中でも特別血筋か?

 A.そうではないが、重要人物ではある

これも前述のクソみたいな動画で触れられていたのですが、小鈴本居宣長関係あるのではないか、という話です。

これについては設定で語られていないのでなんとも言えないですが、私は血筋的には関係ないと思います

だってそうなら影狼ちゃん今泉吉典関係あることになるじゃん。単純に神主の遊び心じゃないんですかね。

ではただの村人Aかと言われると、そうとは言えません。

なぜなら彼女は「あらゆる文字を読める程度の能力」を持っているからです。

何故この能力があるのかは分かりませんが、これにより人里では到底学ばないような英語さらには妖怪文字も読むことが出来ます

(頑張ったら書くことも出来る)

そしてその能力故か、単純に気まぐれか、阿求も小鈴の元に頻繁に通っています

そのせいなのかまた偶然なのか、霊夢小鈴に対して特別感情を持っています

幻想郷にとって重要人物2人の近くにいてかつ、最低限友人程度には意識されている。

これは彼女の才能か、何らか(主に紫とか)の介入があったのかは定かではありませんが

少なくとも村人Aではない事は明らかでしょう。

以上です。

正直他の動画は見てないからあの一本が特別酷かったのかもしれないけど、

開始2秒の雰囲気がもう駄目だったので多分おんなじようなもんだったと思います

やっぱ炎上狙いのyoutuberってクソだわ。

子ども〉のための哲学永井均)を読んだ感想 前半

理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。

オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞情報伝達を行う際、シナプス行為理解しない。ひとつ作業を行うのみであり、結果のための行為連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。

まり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要事実である

本来理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。

これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。

この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。

あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)

はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで

・〈哲学〉(「哲学」ではない)について

本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。

からなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)

・〈ぼく〉という特別さの有無について

さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたし感想を書いておく。結果から述べると永井均認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。

まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたし意見である。つまり意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。

特別さの証明からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。

まあ結局、「確認認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである他者認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである

ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。

(余談だが99p9lの永井解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)

言語言語性について

ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタイン友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題命題)に「言語」があったというのは興味深い。

わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそもわたし最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。

しか言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである言語をどのように理解し、駆使するか(論理思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないかわたしは今の本業言語ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。

・世の人が平均的に上げ底を見ようとする世界は遠い

なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像しかないが、哲学をやろうとアカデミーなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込みから逃れることはできないのではないか。(数学者望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)

〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事作業である

さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。

1箇所目(17p,9l)

あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観他者に阿るのは心臓他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者自己存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。

その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。

2箇所目(111p,11l)

この人は政治政治議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分政治、または政治議論したことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治議論方法についてである

自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本左派は無様なんだ)

はっきり言っておくが、政治議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話であるタイムリー話題したことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。

5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。

2020-10-22

ハンデってなんだと思う?

かつて師匠と呼んでいた人が、「人間が向き合った際に格闘技で決着をつけるなんて不平等まりない。本当の戦いは体重差のない武器を使った戦いだ」とおっしゃっていた。これ自体一見頷ける話に見えるが、よくよく考えてみると決闘という場において武器同氏の二人が並んだ際に、身長差すらない場面があるとしても何がしかの優劣は確実に存在することに気づく。例えば反射の良さや目の良さ、筋肉の質が速筋か遅筋かなどだ。

仮に筋肉の質が全く均一だとしても内部的な反射の良さは確実に差がある。これは相手にとってはギフテッドかも知れない。しかし一方の人物からすればハンデに見える。より半径を広くして人類がこの優れた反射の持ち主と同じくらいの反射神経を持っていたとすれば、持っていない対峙者にはハンデにしか見えないだろう。

これに似た状況が元々歩ける人、生まれながらに車椅子の人などの差異にも見いだせる。車椅子第三者的に見ても当人から見てもハンデである多数決が正しい世界では少数派はハンデになる。

話を戻そう。普通能力を持ってないと人はハンデだと感じるが、実際のところハンデと思えるほどの能力差がある、という話なのではないか。つまり人は実は大抵の場合ハンデ持ちだと言える。配られたカードは元々不平等だという話は巷で開かれるし、配られたカード勝負すべきという言説も聞かれる。これは勝者が言うときと敗者がいるときでは少々事情が異なると思っている。少なくとも敗者の配られたカードの差、あるいは勝負の言説には覚悟があるように思えるからだ。

何れにせよ、ハンデがなければうまくやった、という言説に関しては真なりということもできるし、言っても仕方がないとも言える。

自分にしてみても厳しい状況下において制限された行動をどう取るかというハンデの中で戦っている。それも自己責任ではなく他人がもたらした賑やかしと冷やかしのためにそうなっている。それでもそこを悔やんでも仕方なく、意味もない)

anond:20201022130009

ネトウヨの中の優先度

ネット上にはネトウヨと呼ばれる人達がいる。

ネトウヨの定義は難しいが、ネトウヨを長年観察するうちにネトウヨ内での優先度がわかってきたので記す。

要するにネトウヨの中の優先度は↓だ

反韓>>>反中親安倍>>>>>反左翼>>>>愛国

まり彼らの中でのトッププライオリティは、反韓であることだけである

韓国に威張り散らせれば、親中だろうが国益を損なおうがどうでもいいのだ。

また、安倍晋三をやたらと神格化している所も特徴。

上の不等号にあるように、愛国より親安倍の方が優先されるので公文書改ざんしようが、北方領土プレゼントしようが問題ないのだ。

反韓反中が最優先事項なので、自民党員であっても韓国中国理解を示す議員容赦なく叩かれる(二階議員など)

ネトウヨ対峙する人は上の不等号を頭に入れておこう。

ネトウヨの中の優先度

ネット上にはネトウヨと呼ばれる人達がいる。

ネトウヨの定義は難しいが、ネトウヨを長年観察するうちにネトウヨ内での優先度がわかってきたので記す。

要するにネトウヨの中の優先度は↓だ

反韓>>>反中親安倍>>>>>反左翼>>>>愛国

まり彼らの中でのトッププライオリティは、反韓であることだけである

韓国に威張り散らせれば、親中だろうが国益を損なおうがどうでもいいのだ。

また、安倍晋三をやたらと神格化している所も特徴。

上の不等号にあるように、愛国より親安倍の方が優先されるので公文書改ざんしようが、北方領土プレゼントしようが問題ないのだ。

反韓反中が最優先事項なので、自民党員であっても韓国中国理解を示す議員容赦なく叩かれる(二階議員など)

ネトウヨ対峙する人は上の不等号を頭に入れておこう。

2020-10-12

スパムが本当にひどいか

ハリーポッターネタバレ混ぜても全然バレなさそう

じゃあネタバレ言うぞ

ハーマイオニー魔法大臣になるんだけどロンとは離婚する

ハリーポッター子供3人作るんだけど次男アルバスセブルスポッタースリリン入りする

アルバスセブルスポッターはヴォルデモートの娘と対峙しこれを退ける

その後の話は続いてない

2020-10-09

anond:20201009131515

ただののろけだろこれ。

夫婦二人して浪費癖があって無駄ものが好きって、最初は気があっていいかもしれないけどそのうち経済的に立ち行かなくなって目も当てられなくなるぞ。

しか元増田のそういう一見無駄に見える非合理的な部分も許容して譲歩する用意もある嫁なら申し分ないのでは?自分が嫌なのは自分が「感情担当」だという負い目なのではないか

感情も浪費も実は円滑で豊かな生活に欠かせないものなので(もちろん節度必要だが)自分がそっち担当であることに引け目を感じる必要はなく、堂々と妻の合理性対峙してバランスの取れた生活を送るといいと思うぞ。

2020-10-06

日本学術会議のことでごちゃごちゃいうのはおかし

何か世間ではパヨク日本学術会議いちゃもんつけているらしいが、国際的常識から外れている。

 

偉大な国家批判的な学者が、国の仕事から干されるのは、中国では普通のことだ。

 

コロナという未曽有の危機に対して日本は、軍事的にはアメリカと、経済的には中国関係を深めて危機を乗り切ろうとしている。

二階幹事長が諸々を取り仕切って上手くやってくれようとしているが、より中国と上手くやっていくために中国的な考えを導入するのは当然のことだ。

日本は元々東アジアの国なので、西洋パヨク的な価値観よりも東アジア価値観の方があっている。

 

下々の人間には、反中意識を持たせておく方がよい。

彼らが下手に国外人間と仲良くするようになると、経済的においしくなくなる。

たまにはねっかえりを締め付けていけば中国向けのアピールにもなる。

生かさぬように殺さぬように、芸人を使って「西洋パヨクリベラル馬鹿」と言い続けておけば、馬鹿にされていない方についてくる。

ジャッキーチェンでも香港でも要は使いようである

 

という訳でこの偉大な国家戦略理解できない人間はうかつなことを言わない方がよい。

東アジア大国日本が、西洋パヨクリベラルから離れて中国式の制度回帰するのは必然であり、中国共産党の前のアジア大帝国大日本帝国復活のためには必要なことである

やり方が中途半端で、早晩北朝鮮化するとか、反日的な事を考えてはいけない。

もし反日的な考えが頭に浮かんだら、ツィッターリベラルを見て指さして笑おう。人を指さして笑えば気分が楽になる。

目の前の課題対峙する仕事は偉い人がやってくれるし、万が一、課題放置して自分人生頓挫したら黙ってセップクして他人迷惑をかけないのが日本人らしい江戸しぐさである

西洋パヨクリベラルに騙されて、うかつに人に助けを求めたりしないように。

まずは自助、そして共助、最後公助である。だから政府文句をいってはいけない。とにかく日本人らしく生きることを忘れないようにしましょう。

 

以上「日本学術会議のことでごちゃごちゃいうのはおかしい」でした。

2020-09-30

嫁と普通に喧嘩できない(追記

元増田です。想像以上の反響にびびってます

https://anond.hatelabo.jp/20200928211140

嫁と普通に喧嘩できない

全てコメント見てます。中には泣かされてしまったものも。アドバイスありがとう。同じような状況の渦中(もしくは過去経験)の方々、さぞ苦しかっただろうにわざわざ言葉をかけてくれて本当頭が下がります理解してくれる人がいて泣けてくる一方で、想像以上に俺はショックを受けていたんだなぁと改めて思いました。そして苦しさから目を反らして自分の心を麻痺させてたのも認めるわ。




嫁が冷静なときに何度も何度も話し合ってます

もちろん嫁は自分のししまたことに毎回酷く後悔してるし、変わりたい一心過去に自ら比較的大きな病院神経科にも通院済です。

抗精神病薬を処方されたものの、何か精神疾患があるわけではない(診断書を見せてもらいました)。アンガーマネジメントも数ヶ月通って受けたんだぜ。嫁は頭がいいか理解も早かった。でもやっぱり切れちゃうと、暴走した自我が勝っちゃう感じなんだよなぁ。見ててつらい。何よりこわい。

最近は一緒に散歩しているときに、調子が良さそうだったから「少し話し合いたい」と言ったら、急にしゃがみこんで顔を真っ青にして考えたくない、今は話せない、増田くんごめん、と言われてそれっきり。家に戻るといつもどおりの嫁で、テレビを見て笑ったり、楽しそうに料理を作ったり、音楽を聞いて鼻歌を歌ったり。




そして何人かの言う通り、詳しくは言えないけど彼女機能不全家族の中で育ってます自己肯定感がとてつもなく低い。仕事も出来るし社交性も高く、外から見ると色々と恵まれているけど、出来れば増田君以外の人と関わりたくないし友人もいらないなー、と暗い顔をして言うときがあります

彼女とは地元が一緒だったこともあり、比較若い頃に知り合い、縁があってこうして結婚するまで10年くらい仲の良い友人のひとりだった。恋人になってから2年ほど遠距離だったけど、一緒に仕事したこともあったり、朝までお互いのことを話したりで、この人のことな比較的何でも知っていると思っていた。もちろん毒親のことも知っていたから、何年経っても必要以上にベタベタしてくるのはそのせいかと思ってた。でも、この症状は知らなかったんだから笑えるだろ。良くも悪くも俺たちは表面的なつながりだったんだと思う。いざ縁があって夫婦という形になって、俺はやっとで彼女の本当の姿を見れたのかもしれない。かなしいけどな。




症状なんだけど、前に増田投稿した激昂に加えて、2〜3日ほとんど寝なくても平気な時が周期的にくるので(寝なくても疲れないの!とややテンション高め)、様子が変なので最初は躁鬱を疑って色々と本を読み漁ったが、少し症状が違う。で、今はみんなが言ってたように境界性パーソナリティ障害の本を読み漁ってる。「複雑性PTSD」と教えてくれた方もありがとう。これも気になるので調べようと思う。DVって言葉はもちろん知ってる。でも俺が知りたいのはそういうことじゃないんだよ。すまん。

既に既読のものもあったけど、これを追加で購入した。

・絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服(岡田尊司

・どんどん仲良くなる夫婦は、家事をうまく分担している。(水谷 さるころ)

田房永子さんの自伝「キレる私をやめたい」はリビングに飾ってる。嫁が買ってきた。夫婦で何度も読んでるし、冷静なときは「この部分はこういう感じだったのかって今更だけど腑に落ちたよ」とか言ってくる。だが、だからって変わらないけどな。ただ分かりやす自己分析言語化されていて良い本だと思う。

あと思いの外よかったのがこれ。「精神疾患もつ人を、病院でない所で支援するときにまず読む本 "横綱級"困難ケースにしないための技と型(小瀬古 伸幸)」俺自身気付かされることが多かったし、嫁と対峙するときに、ただ単にDVだ!被害者だ、という思考にならなくて済む。冷静にさせてくれた一冊。俺はプロじゃないから、あくまでも自分を守る知恵のひとつだけどな。




逃げたら楽なんだろうけど、俺がこんなに苦しいってことは嫁もやっぱり苦しいし、明るい未来は待ってないのは明白なので、追い詰めないように、でもちゃんとお互いに前に進めるように話し合いたいと思う。セカンドオピニオン夫婦カウンセリング視野にいれる。もちろん獣じゃないときに。そして獣になったら、人間に戻るまで諭したり応酬するのでなく一旦距離を置く。物を壊す、大声を上げて仮に俺以外の誰かに迷惑がかかったとしても、俺は今までのように黙って片付けたり助けたりはせず、自分自分のしたことの責任を取ってもらおうと思う。(じゃないと俺がもたないし、みんなの言う通り彼女何度でも許される助けてくれると思ってしまうだろうから。)

彼女には何年かかっても自己探求をしてほしいし、俺に手伝えることは勿論何でもするつもり。人生一回きりしかいから、婆さんになっても、最後自分自分を救ってあげてほしい。いつか楽になってほしい。俺自身不安とか恐怖がないと言ったら嘘だけど、今の俺が思うことは、その顔が見れたら爺さんの俺はきっと幸せなんだろうなーと思うから

俺が爺になって増田やってるとは思えないけど、よい報告ができるように少しずつがんばってみます

あくまでもこれは嫁も治りたいと思っている俺のケースなので、理不尽一方的暴力などで困っている場合はしかるべき医療機関・専門機関を頼ってください。)

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