はてなキーワード: 劇場とは
じゃあ大阪文化ってなんだ?って生まれも育ちも今も大阪人の俺が考えてみる。
いまのところ所蔵しているものを展示していく感じで美術館の特色というのはあまりよくわからない。ただ、大阪という街にちなんだ展覧会がちょくちょくあるという印象。
有名どころだとみんな大好きミュシャは大阪の堺市に専門美術館があるくらいなのでその関係で展覧会やってた。
その近所にある国立国際美術館。
こっちの特色は前衛芸術の展覧会が多い。ダンボールが落ちてる と思ったら展示品だったみたいな尖った企画をする。
前衛って意味わからんと思ってたけど生で見ると迫力があって意味わからんけど面白いという感想になると思う。
来年春まで休館中。
名前の通り壺とか皿とかの展示会が多いけどそれ以外にも竹細工とかモノに特化した展覧会が多い。
昔の壺とかシックなものを見せたと思ったらたまに竹細工で2階まで吹き抜けをぶち抜いて覆うような糞でかい展示があったり、前衛的な展覧会をやっていたりするので飽きない。
世界中の民族の日常品や信仰されて得る神様の像とか祭りの道具までいろいろなものを常設してる。これだけでも見る価値あり。
特別展示会も呪いの儀式に使うための道具だけを集めたとか刺激的な催しをやってくれたりする。
ほかにもフェルメール展とかメトロポリタン美術館展とか王道の企画をする大阪市立美術館。
大阪歴史博物館、中之島香雪美術館、あべのハルカス美術館…と色々ある。
大阪の文化 というとパット浮かぶのは大阪城、吉本新喜劇、串カツだったりするけど文化と言うか観光資源なきがする。
ネイティブ香川民じゃなくて転勤で来た関東地方からの移住者だけど、香川で享受してる文化を挙げておく。
割と多い。もちろん京都・奈良の比じゃないけど、狭い県の割にはあちらこちらに文化財がある。やっぱりなんだかんだで讃岐国は中央に近かったからかな。四国遍路もあるし。
国宝も、建物だけで2件ある。増田の故郷の県は香川県よりずっと広くて人口も多いけど、建造物の国宝がないので、正直羨ましい。近所にある国宝も見に行った。京都や奈良で感じるような、荘厳! という感じではなく、地味な佇まいだったけど、ここで千年近くもの時を閲してきたんだと思うと自然と厳かな気持ちになる。
(追記)丹下健三の香川県庁東館忘れてたわ! 何も知らずに県庁に行ったときに「やたらと作りがオシャレだな???」と思って調べたら重要文化財にもなってる丹下健三作品でビックリした。初めて行ったときには渇水の注意喚起をする垂れ幕がかかっていてそこにインパクトを感じたんだけど、もっと建物自体を堪能すべきだった。
香川で外せないのはやはり金毘羅さん。参詣道にずらっと土産物屋が軒を連ね、色んな年代の奉納記録に出迎えられ、途中に戦後の掃海で殉職した人たちの顕彰碑があったりする。そっか、金毘羅さんって海の守り神だもんな。参道の途中にある表書院には円山応挙の作品もある! 応挙をじっくり見られるのは非常に嬉しい。そして奥社まで歩くとなかなかの運動になるし、何より奥社でしか売ってない限定お守りなんかもあるんで、ぜひチャレンジしてみてほしい。
屋島寺もいいよ。建物がすごい立派なのでそれだけでももう見る価値があるんだけど、宝物殿が地味に充実してて、立派な展示品に目を奪われてしまう。それに屋嶋城っていう、天智天皇の時代に作られた山城も残ってて、地味に観光地としてのポテンシャルが高いんだよな(屋島といえば那須与一、と思うかもしれないけど、古戦場がまったく古戦場感しないので……)。
あと、津嶋神社もレア度が高くてよい。沖に浮かぶ小さな島に作られた神社で、年に1度の夏季大祭(ちょうど今日だった! 忘れてたわ!)の日にだけ橋を渡って行くことができる。年に1度しか買えないお守りなので非常にレアだし、何よりその日だけは予讃線に臨時駅「津島ノ宮駅」が設置され、小さいお子さんを連れた親御さんと鉄道が大好きな大きいお友達がパシャパシャ写真撮影しまくっている。もちろん増田も撮影したよ! ミーハーだからね! 子供の健康と成長の守り神だから子供たちがいっぱいお参りに来ていてほっこりした気分になるし、海の上に架けられた橋を渡って参拝するという体験がもうたまらないよね。
(追記)お遍路さんもいいよね。白い衣装着てお経唱えてる姿を見ると、信仰が生きてるなぁって思って感動する。増田は信仰心薄いからお参りできれば満足なので……
香川県は、江戸時代、高松と丸亀にそれぞれ大名が封じられていた。なので高松と丸亀のそれぞれに当時の藩主の遺産がある。江戸まわりは天領のほかは小さい旗本領とかそういうのばっかりだったから、こういう「数万~十数万石の地方領主のお膝元」は逆に味わえないんよね。
高松の名物はなんといっても栗林公園。松平家のお殿様(水戸徳川家の親戚)が作らせた壮大な和風庭園で、「ザ・和風庭園!」って感じの景色が素晴らしい。秋ごろに行われる夜間ライトアップは絶景と言うしかない。園内にある掬月亭っていう茶屋には抹茶代を払えば入れるんだけど、ゆったりした畳の間で抹茶を飲んで菓子をかじりながら庭園を眺める時間は幸せ。あと、予約すれば手こぎの舟で園内の池を巡れるらしいので、優雅な殿様気分にひたりたい人はぜひやってみよう。園内の土産物屋が充実してるのもいい。「どうだ明るくなつたろう」グッズも置いてあるよ!(あれを描いた絵師は香川出身らしい。知らなかった)
丸亀城は……うん、遠くから見るとすごい立派だね! 松山城とか、他の天守閣と比べて明らかにサイズが小さいというか「大きめの納屋か?」という感じ。でも、よくよく考えたら香川県西部っていう狭い地域を統治してた藩の拠点なんだからこのくらいが適正サイズなんだろうな。全国各地にあったはずの小藩のリアルを今に残す貴重な建築だと思う。あとマジで実際のサイズと遠くから見たときの雄大さのギャップがすごいのでああいうトリックアートじみた建築を作れた江戸時代の職人さんすごい。登城しなけりゃ立派な城に見えるもんなマジで。
気軽に行ける離島が多い。そして離島にはそれぞれ独自の文化や趣がある。八十八ヶ所巡礼の島ver.ってのがあって、小さな島でもいくつもの寺が残ってたりする。これまで行った島で良かったのは以下。
次は小豆島に行ってみようと思ってる。地味に『からかい上手の高木さん』の聖地でもあるんだよね。楽しみ。あと離島が点在する瀬戸内海の景色美しすぎる。日本のアドリア海だろマジで。
意外と充実してる。香川県立ミュージアムは香川史に関する展示をわかりやすく纏めてくれてて満足度が割と高い。廃藩置県の時期に一時期愛媛県に併合されてたけど独立運動を繰り広げて置県を勝ち取ったあたりは溢れんばかりのパトスを感じられる。県庁、松山だったのか……そりゃ独立したいよな、四国の反対側だもん。高松市美術館はなぜか上田薫に力を入れていてよく展示している。デュシャンやらポロックやらはちっとも良さがわからん、という増田みたいな層にも魅力が伝わる絶妙なチョイスで良い。観音寺の道の駅には「世界のコイン館」という展示と大平正芳(香川選出なんだね。知らなかった)に関する展示が両方あって、世界各地のコインや日本の貨幣史を堪能したあと戦後自民党史が学べるという構成になっている。カネの意味が違ってくるでしょうが!
そして「四国村」は絶対に外せない。屋島にあるんだけど、四国各地から伝統的な民家とか農業用の小屋とかを移築してきてて、ぐるりと巡ることで四国各地の文化を体感することができる。一口に四国といっても、山岳部から沿岸部まで色々あって、それぞれの風土や生業に適した家屋の形があるんだな、という当たり前の学びをほんの数時間で得ることができるので、民俗文化とかが好きなら絶対に行くべき。
(追記)四国水族館のこと忘れてた。やっぱり地方の水族館はその土地の魚を展示してなんぼなところがあるけど、四国水族館は地元の魚の展示&解説が充実してるから好き。具体的には滋賀県立琵琶湖博物館の次くらいに好き。アカメの水槽はインパクトあるよね。こんなでかい魚が日本の河川に棲んでるのか……。あと琴平にある「金陵の郷」もいい。金陵っていう香川では有名な酒蔵が運営してるんだけど、日本酒の製造工程を原寸大の人形で再現してあって実質的に日本酒博物館。金毘羅参詣の帰りにふらっと寄って日本酒の歴史や製法について勉強したうえで美味い酒を直営価格で買ったり日本酒グッズを物色したりするの、最高ですよ。日本酒をあしらったマスキングテープ買っちった。
やっぱり何といっても瀬戸内国際芸術祭だろう。去年が開催年だったので増田も行ってみたけど、こんな小さな島にこんなに人が??? って感じになる。残念ながら増田にはあんまり魅力のわからない芸術作品もそれなりにあるんだけど、少なくともそれらが地元に根づいているのは感じ取れるし、国外からもアーティスト呼んできてるのは率直にすごいと思うんだ。外人さんもそれなりに見るしな……
オタク文化でいうと、上で書いたように小豆島が『からかい上手の高木さん』の聖地になってるほか、観音寺が『結城友奈は勇者である』の聖地なので、観音寺の観光案内所に行くとゆゆゆのパンフがもらえるしゆゆゆの絵が描かれた自販機もある。え? TVでアニメは見れるのかって? 聞かないでください……(『プリキュア』『鬼滅の刃』『進撃の巨人』『水星の魔女』は見れたよ!)。アニメ映画もなかなかやってないことがあるし、『プリンセス・プリンシパル』はわざわざ岡山まで見に行ったからね俺。あとやっぱり「仕事帰りにあの映画見てみるか」みたいなのは難しい。どうしても「今度の休日にイオンモールで映画見よう」になっちゃって、「空いた時間で試しに見てみる」的行動が取れなくなったから鑑賞本数は減った。
まあ……これは東京・大阪並を求めるのは無理ですわ。岡山と比べても明らかに書店の規模がショボい。書店めぐりはできるけど、池袋のジュンク堂みたいな大型書店めぐりは不可能。東京・大阪なら確実に置いてあって岡山でもたまに置いてあるあのシリーズが置いてないのか~! みたいなのがあるから、マイナーな本は諦めるしかない。もちろん売れ筋の本とか有名どころのシリーズを読む分にはなんも不自由はないわけだけど。
でもジュンク堂みたいな東京のチェーンよりも宮脇書店っていう地元チェーンの方が強いのは文化を感じる。ブックカバーのデザインと紙質はすごい好みだけど、文庫・新書のブックカバーは上下が固定されてない形式のやつだから、ハードカバーや選書を買うときは宮脇書店に行って文庫・新書が欲しいときはジュンク堂とか他の店に行ってる。宮脇書店は車がないと厳しい総本店と高松の市街地のド真ん中にある本店(いちおうビルがまるごと書店になってる)があるけど、総本店はまだ行ったことないんだよな。やっぱり総本店だと大都市顔負けの品揃えだったりするのかしらん。
あと、高松のアニメイト、ラノベのシュリンクが全ての本にかかってるわけじゃなくてすげえ牧歌的。まさかアニメイトでラノベを立ち読みして買うかどうか判断できるとは思ってなかった。東京だとそんな性善説運用は無理でギッチギチにシュリンクかけちゃうからなぁ。
(追記)ルヌガンガ、知らなかった! ありがとう! あと宮脇書店について書き忘れてたけど、地元チェーンだけあって香川や四国・岡山に関する書籍がものすごい豊富だし、県内のたいていの街に支店があるのもありがたい。香川の文化を支えてる企業だと思う。品揃えについて補足すると、本当に普通の読書ライフを送る上ではまったく支障はないよ! Y出版社から出てる◯◯学のガチ学術書シリーズが置いてない、とか、F社から出てる△△学のブックレットが見当たらない、とか、ぎゃああああ国内の××方言に関する本が2冊しかないじゃんジュンク堂書店池袋本店ならダース単位で置いてあるのに! とか、T大学出版会やH大学出版局の最新刊をちっとも見ないな……とか、そういう話だから。
ご飯はやっぱり、うどん! あちこちにお店があって楽しいし、セルフサービスの店に入ったらうどん玉を湯がくのも客がやるタイプの店で「セルフってそういう……」となったりした。あと釜揚げ専門店以外では釜揚げうどんを頼むべきではないという暗黙の掟もある(調理に時間がかかって他の客を待たせるので)。ただし基本的に地元民向けのファーストフードなのでまったく旅行者には向いてない。
旅行者向けなのは、むしろアレだろ、骨付鳥とかそういうのだろ。骨付鳥はやっぱり丸亀に本店がある「一鶴」。もちろん丸亀以外にも支店はあるけど、まあ一度は丸亀の本店に行っておきたいよね。鶏は雛が柔らかくてオススメ。ビール飲みながら骨付鳥食って、シメに鶏めしを食うのが最高。一鶴の鶏めしはマジで美味いから香川に行ったら絶対食ってくれレベル。一鶴以外にも骨付鳥の店は色々あるので、好きな店を開拓してみるのも楽しいぞ!
他にも、高松駅にある地元民向けの立ち食い寿司屋とか、三豊のラビオリ餃子屋とか(モチモチで超美味い。冷凍のやつを通販もしてるらしいよ)、香川産の食材を使った定食をお手頃価格で食べられるまいしょく家っていうローカルチェーンとか、色々美味しいお店があるので、ぜひ香川ごはんを味わってほしい。
そしてカフェ。香川県でカフェめぐりをしたらもう東京のカフェになんて入る気が起きなくなる。広々とした店内で好きに席を選べるスタバなんて初めて入ったわ……(丸亀のスタバは市民交流センターも兼ねてるから店内に本棚があって自由に本を取って読めるんだよな。最高かよ)。店主にとっては嬉しくないかもしれないけど、香川県の人口が「カフェが複数ある」「混んでない」を両立できる最適の人口規模なんじゃねーの感もあるな。あちこちに落ち着いて座れるオシャレな喫茶店がいくつもあって嬉しい。あと高松の商店街には和菓子屋さんが何軒もあって、そこの喫茶コーナーは和な甘味を堪能できてとてもよい。
イチオシは高松の片原町商店街にある「了見」。センスの良い家具が飾られた落ち着いた雰囲気の店内で窓際から商店街の行き来を見下ろしながらお茶が楽しめる。お茶も、ポットで出てくる紅茶以外に、県内産の緑茶を冷やしたガラス製の急須に入れて出してくれたり、県内産の緑茶を使ったソーダがあったり、と、独自メニューが色々あって飽きないし、スイーツも美味しい。そして特に混んでないので長居しても怒られない! 東京とか札幌だったらこんな店並ばないと座れず時間制限とかかかるだろ絶対。こんな良い店でのんびりできるんだから、やっぱ地方都市は住みやすいわ~。東京は人多すぎやきん、落ち着いて座れないんよ~。
とりあえず、東京暮らしが長い関東出身者だけど、香川の文化を堪能してるよ、というお話でした。やっぱり東京のメリットは集積にあるから、マニアックな本がいっぱい並んでる大型書店に毎週通いたい! とか、東京国立博物館と国立科学博物館と国立西洋美術館を全部めぐりたい! とか、マイナー映画を劇場で見たい! とかの逸般的な文化的ニーズに応えるのは東京の方が上。仕事帰りにちょっと立ち寄る、みたいな気軽な消費もしやすいし。でも、忙しなかったり混雑してるのは嫌だ、ほどほどにのんびり文化を享受したい、というなら、香川くらいの地方がちょうどいいんじゃないかなぁ、と思うのですよ、はい。
(追記)住み心地でいうなら、「雨が少ない」。これ。マジで水害がほぼ絶無。去年関東が台風で大騒ぎになってたときも特に被害はなく「あ、なんか大雨降って早明浦ダム埋まったわw」くらいの感じだった(被災地の人には申し訳ないが)。もちろん雨が少ないから常に渇水の危機はあって、一昔前は一般人も取水制限とか受けてたらしいんだけど、少なくとも増田は住んでて水に困ったことはない。「水を節約してください!」っていう行政からのお知らせは色々来るけどね。雪も降らないから滑って転んでタブレットを台無しにしたりしないので、気候で言うなら多分岡山の次くらいに住みやすいのが香川なんじゃなかろうか(岡山は水あるからね……)。
メインカルチャーとは、世の中において健全な文化と見なされ、大学で学問対象として研究されたりする文化である。
戦前から現代まで続いている文化が多く、いい意味でも悪い意味でも「保守的」と言われる。
そしてサブカルチャー、通称サブカルとは新興文化であり、上記のメインカルチャーと比べて主流とは言えない文化である。
メインカルチャーが大人向けの文化であるとすれば、サブカルは若者文化と言えるだろうか。
東京の文化で考えてみると地域で分断されているので判り易く、旧東京市の旧市街エリアでメインカルチャーが盛んである。
そしてサブカルチャーは戦後開発された西側エリアで発展している(ただし秋葉原は例外)。
銀座・日比谷・有楽町…巨大劇場群や有楽町マリオンなどの巨大百貨店が集まっていて、銀座は言うまでもなくメインカルチャーの中心。最近の若い人は「有楽町で逢いましょう」なんて知っているかな。
上野…上野公園の美術館と博物館、東京芸大と町そのものが芸術の街。
上野広小路・浅草…上野アメ横や戦前から続く浅草の繁華街。落語の寄席や演芸場が多い。
深川地区…両国の国技館、もう一つの伝統芸能である東銀座の歌舞伎座。
職人「ちくしょうめ!いつまで経っても子宝に恵まれねえってもんよ!」
女房「本当だねえ」
団子屋「おいおい八兵衛さん!千代さん!なんでも箱根にゃあ夫婦で泊まると子宝に恵まれる宿ってのがあるみたいでさあ!」
職人「たく!わざわざ来たってのに随分とおんぼろなところじゃあねえか!」
女将「ようこそおいでくださいました」
職人「おう!なんでもこかぁ子宝に恵まれるって噂じゃあねえか!」
職人「とりあえず長旅で疲れたからよ!風呂にでも浸かりてえな!」
職人「お?女湯?男湯?」
女将「はいそうです。当宿では男と女で湯船を分けてあるのでございます。」
女房「あらどうも…(良い男♡)」
三助「お名前は?」
三助「……」
女房「あ♡三助さん!そこは♡」
三助「…お千代さん!」
女房「三助さん♡あ♡」
ビュっ!!
職人「ふ〜ガキもいない静かな風呂で湯船酒たぁ!最高ってもんでい!」
赤ん坊「おぎゃー!おぎゃー!」
職人「おう!元気がいいねえ!それに俺に似て随分と良い男じゃあねえか!」
職人「それもこれもあの宿のおかげでい!」
御後がよろしいようで
言わんとすることはなんとなくわからんでもない。
例えばライブや絵画展、原画展。全国巡業で東京が外されることはまずない。
全国と言いながら大阪、名古屋、仙台、福岡などの有名地方都市にしか行かないから見たければそれなりの時間と出費を捻出しなければならないことが多い。
対して東京近辺に住んでいれば気軽にふらっと寄れる。
映画も公開する劇場がないからレンタルか配信待ちなんてのも多い。
この差はやはり大きいと思うんだよな。
東京だけが持っている文化、それも文化の中のメインストリームと言えば演劇なのではないか。
有楽町の近くには銀座の繁華街もあり、演劇・繁華街と文化を楽しむことが出来る。
有楽町で観劇もしくは映画を観てから銀座へ向かう、という楽しみ方は東京人にしか出来ない。
台東区にある上野恩賜公園が美術館と博物館の宝庫となっている。
東京国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、上野の森美術館(民間)など。
2016年に東京都美術館で「若冲展」が開催されて、私元増田も行ったが4時間待ちだったことを未だに覚えている。
また上野公園の近くには東京芸大キャンパスがあり、文字通りに文化の街となっている。
メセナ事業とは、企業が資金を提供して直接的な見返りを求めず、文化・芸術活動を支援することである。
東京には大企業が多いので、必然的に企業が運営する文化施設が多い。
サントリーが運営している東京ミッドタウン内のサントリー美術館。
伝統芸能に関しては、東京一極集中の状態と言っていいのではないか。
大相撲本場所は年6回開催されるが、両国国技館の開催が3度で、大阪・名古屋・博多は1回ずつ。
落語についても、落語協会と落語芸協の2大体制は今後も変わらないだろう。
はてなであれば皆さんご存知の1980年代から始まったオタク文化である。
黎明期においては、演劇や美術業界などのメインカルチャーから見向きもされてこなかったが、今は立派な日本の「文化」として認識されている。
転換点の一つとして、2014年に政府がクールジャパン戦略を採用したことだろうか。
政府に一目置かれるほどの文化に成長するって、なかなか出来ることではない。
数年来の付き合いの友人。
最近どんな本読んでるの?と聞かれて
「その作家つまんなくて1冊読みきれなかった」
と笑いながら言われる。
お互い芝居好きで劇場にもよく通っているので
最近どんなの見た?と聞かれて答えると
「あの役者、SNSでよく炎上してるよね。性格悪いなと思って見てたw」
と笑いながら言われる。
「イベントに行ったけどつまんなくて途中で帰った」
「人付き合いである人のライブに行ったけど歌下手すぎて途中で帰った」
何を言っても否定。自分がしたことでも否定。嫌われてるのかな? と思ったけどそういうわけでもないらしい。しょっちゅう遊びに誘われるから。
でもそういう話をしている時、楽しそうなんだけどすごく口が歪んでるんだよね……口元がへの字で、顎も突き出ていて。
このまま一緒にいたら自分もそうなってしまいそうだから、ちょっとずつフェードアウトしていくことにした。
遊びに誘われても断るようにしていたら、最近やっと気づいたのか、
とLINEがきた。
○日は予定があるのでNGというと、じゃあこの日は? この日は? 平日でも会社早退できるでしょって。なんであなたが勝手に取ったチケットで私の予定を決めるのよ。
正直もう一緒に遊んでいても否定否定で楽しくない。明るく、前向きな会話ができる友人たちともっと同じ時を過ごしたいって言ったら、キレた。
ずっと自然体で、正直な気持ちをありのままに述べてきただけなのに、今更そんなこと言うのはひどいって。
これまでずっとそうやって生きてきたから、友達も離れていくって泣いてる顔のスタンプと一緒に送られてきた。
そういうところがみんな嫌だったんじゃないのって言ったら、いたくプライドが傷ついたらしく、返信は来なくなった。でもブロックはされていなかったので、こっちからブロックした。
仕事はぼちぼち。
年金もらえるまでは頑張って働いて、お互い楽しい老後を過ごしたいねって言ってたけど、もう無理。
同世代で似た境遇の友人たちはみんな明るく楽しく、たまに愚痴りもするけどいい酒を美味しく飲めてる。
自然体で正直な気持ちをありのまま話したら否定と悪口といちゃもんしか出てこない同世代なんて、この人一人しかいない。私の周りでは。
自宅も住所も知られていないし。
もっと早くこうすればよかった。
7回目を観てきたやで。
通ってる劇場での上映回数が、とうとう1日1回になってしまった…。
一応まだ上映終了日は「未定」になってるけど、早ければ今週、長くても来週で終わりなのかな…。淋しい。
よく原文を読んでみてください。
映画館まで見に行きたいと思っている。
ということだよね?
そういう人への返信として、
と書いているわけです。
これは人それぞれですが2023年現在の我々の生活の仕方だと、
下手をすると劇場で映画を見るよりも手間暇のかかる行為のように感じます。
ですから、しばらく待てばネット配信されるのが当たり前という感覚でいると後悔するかもしれませんよ。
と書いているわけです。
また映画の内容をあえて絡めるとしても、
そういう映画であれば、つまらないから見る必要はない、とは言い切れませんよね?
私はそういう風に考えて書きました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4739965908525541928/comment/JohnnyJosui
JohnnyJosui
ハリウッド追放の原因は1980年代の未成年者に対する性的暴行。今回の裁判は、MeTooで追放されたあとに起訴された2000年代の劇場での性的暴行疑惑。一緒くたにしちゃ駄目だよ
えっだからそれはすでに昨年スペイシーが勝訴したって元増田も書いてるじゃん?
米俳優ケヴィン・スペイシー氏、セクハラ裁判で勝訴 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News
https://www.afpbb.com/articles/-/3430158
https://www.afpbb.com/articles/-/3148678
俳優のアンソニー・ラップ(Anthony Rapp)氏(46)が、14歳だった1986年に参加したパーティーでスペイシー氏から性的なアプローチを受けたと暴露した
これが昨年スペイシー側の勝訴に終わったという話。
勝手に「1980年代の未成年者に対する性的暴行」とそれがさも事実であるかのように書いちゃダメだよ。
【追記】
10年以上いわゆる推しとしてファンを続けてきた推しがゲイを告白した。イベント会場で生でゲイだと告白されてオタクが思ったのが、「利用されてるな」だった。
グループを活動休止して以降、彼はアーティストじゃなくて洋服屋さんになった。元々多かった意識高い系大学生(後にマルチにハマる)みたいな発言が目に余るくらいになっていったし、痛めな外国スゲェ発言とか、自己啓発にどっぷりなところとか、やばめの人との繋がりとか、そういうのをファンに発信し続けてた。
たまに開催するイベントは自己啓発セミナーみたいになってきてたし、テレビでもSNSでもお金の話や、自分がいかにアメリカで成功してるか、みたいな発言ばっかりで、本人の自己評価と反比例してファンがだんだん離れていってる体感もあった。
正直もう彼を本気でガチ恋みたいな形で推してる人なんてほとんどいなかったんじゃないかと思う。彼のそういうイキった部分に傾倒する人が一部いるけど、惰性だったりグループ時代の面影を追って今も一応追ってる、みたいなタイプが1番多かったと思う。
そんな中で行われたイベントで、彼は神妙な面持ちで「僕はゲイです」と告白した。
なんとなく予想はしていたからそれ自体には驚かないし、自分の話だけで言うならステージで変わらず輝いてくれさえしたら、推しの恋愛対象が男であろうと馬であろうと虫であろうと、どうでもよかった。
でもその後の涙のLGBTQ+お気持ちトークと、やたらといるカメラマンが待ってましたとばかりに寄ってきてファンの顔を撮ってるのをみた時に、「今、カミングアウト劇場を盛り上げる装置に利用されてるんだな」と思って気持ちがスッとしらけた。
たぶん今後はこの日の出来事が感動的な感じで報道されたり、ドキュメンタリーにされたりするんだろうけど、推しの涙のボルテージは全開でも、勝手に盛り上がるステージに比べて客席は冷えていた。別に推しがゲイだと分かったからじゃなくて、「あ、次はそうくるのね。はいはい」みたいな雰囲気だったと思う。
これが普段からアーティストで、やたらに思想を発信しないタイプの人ならこうはならなかったと思う。推しとファンの間に信頼関係があるからだ。
自分含めて、告白された推しのセクシュアリティーに不満を持った人はほとんどいないだろう。でも、個人では国内でさして知名度もない彼がアーティストとして今後振り回せる武器が、元グループの名前とLGBTQ+棒なんだなというのが分かってしまったし、ここからずっと、推しによるファンを無知で無理解だと決め込んだLGBTQ+お説教トークが続くんだろうなと思うと寒気がした。
終演後に会った友人たちはみんな同じような感想を持っていた。ここから先の未来は簡単に予想できる。社会的な発言がやたらに増えて、また謎の海外アゲが始まって、今まで少しも推しに興味なかったであろうLGBTQ+系の活動家が群がって、ファンはずっと“推しがゲイでも受け入れられるのか”という好奇の目にさらされるだろう。
案の定、イベントの内容は彼が自分で呼んだとしか覚えない新聞系のメディアが即日ニュースにしていた。
まあ、どのくらいの数のよねぽオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないミステリの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、よねぽのことを紹介するために読ませるべき10作を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にミステリを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、情緒に過大な負担を伴う短編集は避けたい。
あと、いくらよねぽ的に基礎といっても雑誌でしか読めないものは避けたい。
よねぽの歴史小説好きが「安寿と厨子王ファーストツアー」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ミステリ知識はいわゆる『名探偵コナン』的なものを除けば、古畑任三郎程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「よねぽ以前」を濃縮しきっていて、「よねぽ以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも200ページちょいだし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える映像化がうまくいきそうな推理小説(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際はインシテミルは一度も映像化されてない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「よねぽオタとしてはこの二つは“謎解き”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFミステリオタが持ってるファンタジィとミステリの両立への憧憬と、中世ヨーロッパについてみっちり調べたオタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも漫画映えしそうな
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを読んだ彼女は「フィリップ・マーロウだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
このシリーズの作品がその後続いていないこと、これがミステリ読みのあいだでは大人気になったこと、アメリカなら実写映画になって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり学園ミステリは少年少女のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『秋期限定栗きんとん事件』でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるよねぽの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも368ページ、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
〈図書委員〉シリーズの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが相沢沙呼や似鳥鶏だったらきっちり300ページにしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて368ページを作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえよねぽがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でユーゴスラヴィア見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
折れた竜骨よりも前の段階で、よねぽの哲学とかヨーロッパ描写とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品がソフトカバー単行本でこの時代に出ていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくミステリ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるジブリ劇場用アニメでしかユーゴスラヴィアを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
よねぽの「目」あるいは「伏線張り」をオタとして教えたい、というお節介焼きから読ませる、ということではなくて。
「終わらない学校祭を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそアニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』で一番印象的なシーンはハルヒが学園祭で歌う「God knows...」以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は学園祭での謎解きにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の青春をこういうかたちでオススメして、それが非オタに受け入れられるか「二度と勧めてこなくて構いません」という反応を誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に直木賞受賞作を選んだ。
角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞から始まって直木三十五賞で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、日本の歴史をガッツリ舞台にする作風の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
id:lady_jokerさんの書いた増田を見て急によねぽ語りをしたくなったので書いた。今は反省していない。
「おもしろいミステリ」を読みたい増田はこれを参考に米澤穂信を読むか有栖川有栖の江神シリーズを読んでくれ。
〈小市民〉シリーズがないのはツッコまれるかな、と思ってたけど(どれ入れるかは迷うところだけど、やっぱ仮に入れるとしたら『秋期限定栗きんとん事件』かな? でも『夏期限定トロピカルパフェ事件』もいいんだよなぁ〜〜〜……)、予想以上に『儚い羊たちの祝宴』がブコメで言及されててビックリした。いや、たしかに良い短編集ではあるけど、そんな高評価するか? 短編集から1冊選ぶならどう考えても『儚い羊たちの祝宴』じゃなくて『満願』だろJK……
当方、ヨーロッパ某国にいるので、先日クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を視聴することができた。
同日公開だった方向性の全く違う『バービー』との造語がミームになるなど、英語圏を中心に話題になっているが、『オッペンハイマー』は原爆開発のマンハッタン計画を指揮した物理学者の伝記映画であるため、日本での公開は未定であるという(しかも8月が近いこの時期なので)。
ネタバレ等は気にしないで書くので、情報を入れないで視聴したい向きは注意されたい。
戦中の原爆開発まで、戦後の赤狩りによるオッペンハイマーの失脚、さらにその後のストラウス(オッペンハイマーへの個人的因縁から裏で糸を引いた人物)の議会公聴会だ。
また、最初のマンハッタン計画までを除けば、基本的に法廷劇である。
当方は英語のリスニングに慣れているとは思うが、聞き逃した事柄もあった。日本語字幕で見ればこの苦労は少なかったかもしれない。
さらに3時間と長い。劇場は結構混んでいたが、途中で携帯を見たり同伴者と話したりするガキ共もいた。
映画的なクライマックスは、一応ロスアラモスでの原爆の爆発実験に置かれており、中盤に訪れる。
これによってオッペンハイマーはプロメテウスとなり、世界に滅亡をもたらす「死」となる。
オッペンハイマーはこの後苦悩し、戦後の水爆開発に反対し、それが戦後の公職追放の憂き目を見る仇となる。
日本人として気になる広島・長崎の描写は、直接行うことは避けられている。
しかし、罪の意識に苛まれる主人公が投下後にロスアラモスの職員を前に演説する際、喜びを口にしドイツに落としてやりたかった(オッペンハイマーはユダヤ人)と盛り上げながらも、皮膚がポロポロと崩れ落ちる幻影を見せる(これは『はだしのゲン』での描写が思わず想起された)、職員向けの広島視察報告会で残虐な写真を想像させるリアクションを演じさせる、という程度は行っている。
などと軽い調子で話し合う場面は生々しい。
僕は被爆地出身ではないし、広島に高校の修学旅行で一度訪れた程度なのだが、上述の演説中のフラッシュバックの場面では、被爆者が受けた残酷な苦悩を思い、思わず涙がこぼれた。
これはアメリカ人が憎いとかどうのという話ではなく、(戦後も含めた)歴史という大きな対象と個人との対比に心が動いたという話と言えようか。
あとちょっと思ったのは、爆発前のカウントダウンはAVのJOIみたいな効果がある。
個人的営為の究極であるAV鑑賞と、大衆娯楽にする装置であった映画館での映画観賞との接続は興味深い。
アメリカ合衆国の原罪のようなものも、映画に盛り込まれている。
まず、ロスアラモス研究所を作った砂漠は原住民の土地であり、オッペンハイマー自身が戦後にインディアンに返せと言う台詞がある。
原住民から取り上げて作った研究員の居住空間は、まるで西部劇の舞台である。
ガランとした土埃舞う道、左右に並ぶ木製の建物。
妻がシーツを取り込む場面はフォードにありそうだし、ロスアラモスに引っ越してきたオッペンハイマーの妻はサルーンがあれば完璧ねと言う台詞もある。
事程左様に西部劇的な舞台が用意されるが、アメリカ合衆国が西部劇で描いてきた神話や、その自警的な暴力性と法による支配との相克は、これまで様々な映画で繰り返し取り上げられてきた主題である。
この映画でも、原爆を無事作り終えて職員に肩車されるオッペンハイマーの背景には、星条旗がはためく。
オッペンハイマーはナチズムへの反発から、アメリカ軍の原爆開発をリードする役目を引き受けた。
科学と政治の関係というテーマは、コロナ禍での専門知の活用、学術アカデミーの問題、そして2011年の原発事故など、日本でも問題になってきた。
この映画のテーマはもちろん原爆というプロメテウスの火である。現代的なテーマである。
しかし今一度思い返してみると、科学、共産主義、資本主義の関係にも踏み込まれているのではないかと思う。
科学の進展と共産主義は切っても切れない関係にある。ソ連は科学を推し進め、オッペンハイマーもマルクス主義(科学的社会主義)に興味を持つなど、科学者も共産主義で楽園が訪れるのではないかと期待した。
しかし共産党による独裁となったソ連は崩壊し、その混乱を収めたプーチンがウクライナに核の脅しをかけている。
では資本主義の勝利かと言えば、その限界が指摘されて久しい。アメリカ合衆国は共産主義への恐怖から赤狩りを進める。さらに戦争に勝つために原爆まで作ってしまった当事者である。
この映画は、冒頭で述べたように3分の2が赤狩りに関するものである。
原爆の映画ではあるのだが、共産主義と科学に関する映画と考えることもできよう。
3時間という長尺の映画であるが、これだけ多様で重層的なテーマを盛り込み、商業作品にしたクリストファー・ノーランと製作チームの意欲は素晴らしい。
しかし、あくまでもアメリカ国内の話であるという感じもする。ソ連、そしてヨーロッパや中国の動向も薄い。
そして日本では、まずもって娯楽作品ではないから、商業的成功は見込めるのかは分からない。
木曜日に5回目を、きのう土曜日に6回目を観てきたやで。終映までに、たぶんあと1回か2回は観るかな…?
20日の木曜日は、完売してた劇場販売グッズ「かえでの日記帳」の再販があった。これを買うだけなら別に観る必要はなかったんだけど、せっかく劇場に行くのなら…と。
また完売したら大変だ…!ということで朝イチに劇場に行ったんだが、その時点では未入荷だった……えーっ!
仕方なく予約してたその日の初回上映を観て、再び売店に。が、それでもまだ入荷してない…。一体いつ入荷するんだろ……夕方ぐらいまでならなんとか待てるけど……と不安になりつつ売店前のベンチに腰掛けること約1時間半。
売店のお姉さんがなにやらガサガサしているのを視界に捉えて駆け寄ると、遂に入荷してた!
「5冊ください!」「え、ご、5冊ですか…?」と若干引かれてしまった。転売ヤーだと思われてしまったのかもしれない……そんな事しないよ!
1冊1400円。知らない人からすると、なんの変哲もないB5・100枚のノートがこの値段というのは「なんでそんなに高いの…?」という感覚だと思うが、劇中のデザインと全く同じだし、これこそが「顧客が本当に必要だったもの」だという満足感がある。…まあ高いのは高いけどね…。
きのう土曜日に劇場に行くと、次作「ランドセルガール」のチラシがもう配布されてた。17日(月)に公開日が 12/1 だと発表されたばかりなのに、早いな…!?
公開がもっと先になるなら、原作小説を「ランドセルガール」以降の巻まで読み進めてしまおうか…とも考えていたが、あと4ヶ月で今回の続きが観られるならガマンすることにしよう。
別に日本語が不自由ということはないと思っていたけどちょっと怪しいかな
それでじっくりみることができたためかな
長澤まさみなんか一瞬で出てきて一瞬でいなくなったけど(エロい感じだけ残して)キャラが細かく作り上げてあったり
マジで面白かった。ジブリ作品はほぼ見てるけど、上位に入る面白さだ。
いろいろいわれてるみたいだが、おれたちはただ素直な心をもって、アニメーションでしかできない表現の冒険活劇を楽しめばいい。
難しさとかかけらもない。メッセージ性の強いタイトルに反して、メッセージ性とか特に感じ取ろうとしなくて大丈夫だ。ていうかそういうの求めるなら本とか読もう。2時間の商業アニメーション映画にそういうものを仮託しなくていいのだ。深読みしてるやつは自分では気がつかないうちに、頭でっかちか、自己投影してるやつか、承認欲求が欲しいか、自分の感受性が枯れたことにも気づいてないハイチゾンビになってるかもしれないぜ。
まぁ深読みしてもいいし、そういうの話すのもそれはそれで楽しさはあるけど、そんなところを掘ったって結局出てくるのは自分自身なんだよ。
そんなことよりもっと大事なのは、心地よい情景とか、愛らしいキャラクターとか、世界観の不思議を感じることで、日本人が愛したというか日本人に多大な影響を与えた天才クリエイターの創るアニメーションを、存分に劇場で体感してほしいなと思う。
美味しいご飯を食べたとき、ただ美味しいと感じるように、子供の頃のようにかわいいとか危ないとか綺麗とか怖いとか味わってほしい。
子供がいたら見せてあげたいと思う。