はてなキーワード: 仮名とは
"サードブロガー" - Google 検索 約18,200件
この3つにほぼすべての「サードブロガー」という言葉が分布している。
というかこれ全部足してくと、いっちゃん上の検索件数かるく超えてしまう…googleのドメインフィルタやインデックス方法や重複チェックがどうなってるのかはよく分からない。
思ったのは、ほぼ99%はてな内でしか使われてない言葉を、ビッグウェーブだなんだって言ってるの見てて恥ずかしいからやめたほうがよくないっすか?ってこと。
「はてサ」「はてフェミ」みたいに、はてな関連ということが一発で分かる名前に変えた方がサードブロガーの人たちにとってもヘイターの人たちにとっても、精神衛生上よろしいと思う。
私がサードブロガーという言葉を始めて目にしたのはこの記事を読んだときである。
はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。またはサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん
この記事について私はこのような感想を残している。
順位を気にしてるからこそ「順位なんか気にせず行こう!」って言ってるみたいで、なんか根本的な解決になってない気がする。宇野常寛っぽい。 2013/10/19
http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131019#bookmark-165863730
「電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです
と言っているが、新しい席も何も、インターネットという場には無数に席がある。それこそ無限にだ。
勝手に座ればいいのに、アルファブロガーがうんぬんアワードがうんぬんと言い続けるその姿勢
カースト論そのものがそもそも馬鹿馬鹿しいし、ましてやブログにはそういった類の優劣は無いはずだ。
私のような疑問・違和感を他の人も表明している。
・サードとかフォースとか言ってる人たち
ゴメンやっぱりよくわからない。
この人ら、何が言いたいの?
「僕はアルファーになれない。アルファーになれない僕らは何者にもなれないのと同じ。でも何者にもなれないのはツライから自らが何者かであると自称する。よかったら認めてくれ」って話なの?そうとしか聞こえないわけだが。
それが書き手個々人の自尊心とかやる気にとって意味があるのは何となく分かる。だが、読み手にとってそれ何の意味があるの?個々人が胸の内で持っていればいいことじゃないの?その概念を広めて最終的にどうしたいの?
(略)
そのサードブロガーとやらは、アルファとは何が違うの?アルファと違って何が読み手にとって素晴らしいことなの?別にブロガーにプロアマの違いがあるわけでもないし、「アルファブロガー」の劣化版としか思えないわけで。 サードブロガーとして認められたら何か満たされるの?すでにサードブロガーとして認められた人たちは、何か心が満たされましたか? 何か生活変わりましたか?
自分なりの目標立てて満足したいだけなら、そんな名前いらなくない?
そもそもなんでアルファにこだわる必要があるの?アルファとかにこだわってるの君等だけじゃないの?自分に自信はあるけどアルファは無理、だからセカンド、サード、フォース、フィフス。そんな志半ばで折れてくたびれた人みたいな話に読み手が付き合う必要あるの?
毎日のように「本物のブロガーとは」みたいなこと言ってる人は、本当はアルファになりたいんじゃないの?
「僕らはアルファになれないブロガーです!」と自称する意味がわからないし、それを公表して一体どうしたいのか、とは
誰もが持つ疑問である。ほとんどのブロガーはアルファではない。しかしブロガーはそんなこと気にしないし、ましてや
いちいちそのような自虐めいたことを記事にはしない。
「僕らは競争から降りたんですよ」と言っているわりにはアルファブロガーに対する意識がとても高く、これにも矛盾を感じた。
この時点で、私のサードブロガーに対する印象は最悪である。自分の立ち位置を意識して書かれたブログなどに価値は感じないからである。
このような記事が投稿されたが、私はこれがまったくわからないのである。
何が言いたいのかわからないのである。村上春樹がここで出てくる。
「○○かもしれないし、○○かもしれない」
「完璧な○○など存在しない。完璧な○○が存在しないようにね」
一事が万事この調子で、とても難解な文章になっているし、私や他のはてなユーザーへの回答・反論にはなっていないと言って良い。
なっていないから「サードブロガー」の意味は二転三転したのである。
それはこの池田批判にも繋がる
サードブロガー問題について理解したいと思っている読者に対して何かを説明しようという意図は全く感じられない。説明する前にさらに自分の課題意識を語って問題をさらにややこしくしている。読んでる人完全においてけぼりである。
そうこうしていると、次はトマト祭り(?)なるものが開催され、よくわからないが、この事件には私よりも私以外のユーザーが不満を漏らしていた記憶がある。
たぶん、トマトをお題にブログを書いてブックマークし合う、といったような話であろう。
身内ブクマ問題である。この部分にはあまりコミットしていないので私にはわからない。
そうすると今度は、やけに声の大きいとても目立つブロガーたちが集団で現れた。体調わる子を筆頭としたはてな女子、大彗星ショッカー、まつたけ、etc・・・。
彼らははてなで大騒ぎをした。とんでもないタイトルととんでもない極論をまぶした記事をはてなに大量に投げ込んだ。
はてな移住前のファンを引き連れてやって来た(ホットエントリが確保されていた)。
お金をください、ファンになってください、と叫んだ。自殺宣言をした。馴れ合った。アイコンを女体に変えた。
私は彼らのことをさっぱり理解できず、嫌悪感を持ちながらも考察した。彼らがブログを書く動機や目的は何か。
そして彼らをどうカテゴライズすればいいのか。
そのとき、私やはてなユーザーは、池田氏が提唱した「サードブロガー」という言葉を持っていた。
これを使わない手はなかった。
池田氏の提唱する「サードブロガー」に対する嫌悪感と、新参DQNブロガーに対する嫌悪感が合体した瞬間である。
「まとめて呼んでしまえ」
ここで池田氏は「提唱者が違う」とおっしゃられるかもしれないが、私はこの記事を提示したい。
サードって言葉使うと俺はサードではないとか、まつたけは一緒にするなとか、原義がー事実誤認がーってうるさいんだよ、あいつら。
そんな細かいこと知らないし、ソース当たるために読み返さねーよ…
そこまでしたくなるほど魅力的な人物や文章がない。
かなり口は悪いが、それなりのことは言っていると思う。
つまり我々は、友達でもない人のブログをいちいち過去に溯ってまで読まないということだ。
自分のブログを過去に溯ってまで読まれるということはとても光栄なことであり、それは自分に興味を持ってくれたということでとても嬉しい。
ただ、それはとても稀なことであり、だから私の過去もあなたの過去もほとんど参照されない(それは救いでもある。東浩紀レベルになってようやく参照されまくる)。
池田氏以外の最近のブロガーにも言えることだが、「私はこのときこう言ってるんですけど!」「過去記事見てください!」
というのは文章のコミュニケーションではたぶん有り得ないことだ。文脈の時制を統一するのが文章のやり取りであり、もちろん
日本のインターネットに居るほとんどの人ができているのに、サードブロガーになると途端にこれがダメになる。
「私の過去ぐらい知ってるでしょ?(みなまで言わないわよ)」ときたもんだ。そんなもん知らないのである。
そういう姿勢が、サードブロガーの文章の読みにくさの大きな要因となっている。
話は逸れたが、つまり私や他の多数のユーザーにとって、「サードブロガー」の提唱者・代表者は間違いなく池田氏だということだ。
さて以上が「私がサードブロガーという言葉を使うまで」の私的(主観)歴史である。
サードブロガーという概念・言葉が二転三転した経緯を私はこう捉えている。
他の人はどう考えているのか。最後に私の目に止まったものを紹介して今回の記事を終わる。
kanose 「サードブロガー」が今までのブログとどう違うか明確に説明されず、他人が理解できない時点で、定義がどんどん出てきたのは当然だったんじゃないかな 2013/12/23
そんな絶望した世界にサードブロガーという言葉が定義されました。
だって、そんな名前つけなくてもWebには、小さな世界や日常をを映し出す人達なんていくらでもいた。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
(略)
起源などどうでもいいとはいわない。言葉を提唱したこと自体に意味が全くないとは言わない。
だが、サードブロガーという言葉をどのように使うか決められるほど
トマトバイトテロが洗濯機に入って浮かれているときに笑って見ていた。
ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーがPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存のはてなダイアリー・はてなグループのブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベート的ブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本のブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシーの鋭利さは見出しえなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20131222231100
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131228163827
俺はブログと言う世界で生きている、この世界で偉いのは金持ってる奴でも喧嘩強い奴でもない、土日祝日ブログ書く奴。サードブロガーです!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/24/170036
めんどくさいがざっくり説明しとくと、
元々、Tumblr界の魔神otsu●e氏が道路を暴走し、それを「情報戦略は始まっとるんや」とウチで茶化したらクマのお医者さんが鉄製の屑籠を振りかぶって
「悪いことは悪いって言わんかい...オマエネタにして調子乗っとったらぶち○すど、このクソ猿ブログが!!」
と怒鳴られ説教されて「やべー!殺される―!!怖ぇぇぇっ!! (((( ;゚Д゚)))」と冷や汗かいてるところを取り囲んでブコメで騒ぐはてな村お馴染みの盛り上がりの一連をyarukimedesu氏が
ブログ記事を沢山書いて、アルファーブロガーになりたいな、なんて思ったこともあったけど。今でも思うけど、こらあかんわ。人生はあきらめが肝心だ。“
と書いた。
それを見たinujin氏が「アルファなんて目指さないでいいんじゃね?」と言い出したところが最初。
だから元々の発祥も「ボクたちサードブロガーはもっとブログ界を盛り上げて...」なんて意味でも無かったんだが、ちょうどその頃新進気鋭でロジック・思考甘々で釣りまがいの記事を挙げまくって軽く炎上するようなブログが(昨日今日も何やら燃えてたらしいが)幾つも出て来たもんだから「新進気鋭のブログ=サードブロガー」と結びついて、その瞬間本来的な「サードブロガー」と言う言葉と概念は死んだ。
(略)
この2つの記事に共通しているのは、「池田仮名には伝える気がない」というものである。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
「池田仮名には伝える気が無い」というこれらの指摘には私も同意する。池田仮名は村上春樹なのである。
村上春樹といえば「パンチを打ってこない作家」として私は認識している。
何か強い主張や信念の発露を期待して読むと、これは見事に裏切られる作家である。
池田仮名氏の記事もこれに近い。不必要な予防線が多く、何が言いたいのかわからない。また最後に「ま、俺はマジになってないけどね」と言いだすところもソックリである。
その記事でも結局最後まで私にパンチが放たれることはなかった。
数々の事実誤認と「判断基準はぼくの内心」を前提にした批判を書いた増田の中では最終的に以下の定義に落ち着いたそうです。人が作った言葉にその定義を上書きすれば名誉回復の余地がなくて無敵ですね。ここまで「言葉」について軽視する人に「ブロガーとは〜」と言われていたのかと脱力しました。
これらの批判はパンチではない。グサッと来ないのである。
まず自分の内心に価値基準があるのは当たり前のことであり、何を言っているのかよくわからない。
またサードブロガーの定義が上書きされたことを怒っているが、そもそも私には定義などどうでもいい。
定義がどう変遷しようが、私はサードブロガーらしき人間たちが嫌いなのだから。
名誉の問題についても私の責任であるかのように書かれているが、名誉回復くらいは自分でしてほしいものである。
池田氏は記事でまた延々とサードブロガーの定義や歴史について説明しているがあまり意味が無いのだ。
「新しい」は「あらたしい」です!と主張しているようなものだ。
もともと、はてな民はブログを書いたり、ブックマークを付けていたわけ。
そこに俺達は古い人間とは違うねんってやってきたのがサードブロガー。
なんだよサードって(笑)
ところがやってることはパクリ、釣りみたいな記事、低レベルなまとめ、はてな運営とブコメに対する愚痴。
まあ何人かは生き残るだろうけど。
まるでニコ生の生主みたいだから、いっそネットラジオとか向いてるんじゃないの?
それとも、もうやってる?
こんな実生活に関係しない事で、私を含めて多少なりとも熱くなれて良かったじゃんというところです。そうして「無駄な時間」「無駄な怒り」「無駄な苛立ち」が消費されたわけですが、その効用については語りません。今日もアイロニーを感じながらダンスを踊り続けるのです。たった数ヶ月の間に数々の呪詛を受け続け、変質し続けた「サードブロガー」という言葉に祝福を。
こうやって最後に「無駄なことごくろーさん」とスカす人間に、言葉についての意識をどうこう言われたくはない。
そういうすかした態度がサードブロガーという言葉を守りきれなかった原因ではないのか。
池田氏や他のサードブロガーたちについてまだまだ言いたいことはあるが、今回はここで終わらせておく。
中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろのメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』は星海社のウェブサイトで無期限全文公開されている(http://sai-zen-sen.jp/works/awards/logic-lock-festival/01/01.html)ので読んでみた。その結果『天帝のはしたなき果実』だけでなく、米澤穂信の諸作品との類似点が見られたので検証したい。ちなみに現時点で私は『天帝のはしたなき果実』を未読であるが、これから読んでみる予定である。
読書メーターに12月4日に投稿されたjinさんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/33836748)。
読んだ印象としては、米澤穂信が西尾維新になったつもりで古典部シリーズを書いたらこうなるんだろうなと思った文学部員が書いた同人誌と言った感じ。
読書メーターに12月11日に投稿された×(旧らっきーからー。)さんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/34001390)。
米澤穂信とかを目指した結果、残念ながらそこに至らず。そんな印象。
まず『ロジック・ロック・フェスティバル』の物語の流れを説明する。以下が『ロジック・ロック・フェスティバル』の章タイトルだ。
全部で23章で構成されている。『ロジック・ロック・フェスティバル』のメインとなる事件は文化祭開催期間中に起きた密室殺人事件だが、文化祭が始まるのは「9.そして、時は来たれり」からだ。ではそれ以前はというと小さな謎解きが2,3あるという構成になっている。具体的には「4. モバイル・コード」で携帯メールの暗号の謎解き、「6. 大脱出」で閉じ込められた蔵からの脱出、「7. 女バス班室写真消失事件 前編」「8. 女バス班室写真消失事件 前編」で写真盗難事件の謎解きが行われる。
次に米澤穂信のデビュー作『氷菓』の物語の流れを説明する。以下が『氷菓』の章タイトルだ。
この章タイトルだけではどんな物語かわからない。『氷菓』のメインの物語はヒロインである千反田えるの叔父、関谷純が関わったと思われる33年前の事件を解明することである。しかし、その謎がはっきりするのは「4. 事情ある古典部の末裔」からであり、「2. 伝統ある古典部の再生」では千反田えるが地学講義室に閉じ込められた謎解き、「3. 名誉ある古典部の活動」では、ある本が毎週借りられている「愛なき愛読者」の謎解きが行われる。
はじめに小さな謎解きがいくつかあり、中盤からメインの大きな謎解きになるという物語構成は特定の作家の専売特許ではない。であるが『ロジック・ロック・フェスティバル』と『氷菓』の物語構成が類似していると指摘するのは間違いではないだろう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」では、主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)の家をはじめて訪れるシーンが描かれる。これを『氷菓』の「6. 栄光ある古典部の昔日」で、主人公(折木奉太郎)がヒロイン(千反田える)の家をはじめて訪れるシーンと比較したい。
目に飛び込んできたのは圧巻の庭園だった。手入れの行き届いた生け垣。刈り込まれた木々。配置を整えられた岩。雨粒を受けてなお静謐を湛える池。その中を悠然と泳ぐ色とりどりの錦鯉。そしてそれらを統べるかのように鎮座する絵に描いたような日本家屋。その向こうには立派な蔵も見えた。
道なりに設置された飛び石を歩きながら息を呑む。家柄でここまで住む世界が違うものなのか。自身の境遇と比較すると、少しばかり悲しい気持ちになってしまう。
(中略)
唖然としているうちに僕は言われるがまま三和土で靴を脱ぎ、板張りの廊下を彼女に説明された通りに進んでいた。
広大な田圃の中に建つ千反田家は、なるほどお屋敷と呼ぶに相応しかった。日本家屋らしい平屋建てが、生垣に囲まれている。水音がするところを見ると庭には池があるらしいが、外からは綺麗に刈り込まれた松しか見えない。大きく開かれた門の前には、水打ちがしてあった。
(中略)
(中略)
石造りの三和土で靴を脱ぎ、千反田に先導されて板張りの廊下を進む。
太字で示したのが二つの作品で完全に一致した箇所である。いくつか単語が一致しているが、文節単位での剽窃は行われていない。単語の一致も同じ「日本家屋を初めて訪れたシーン」を描いたのだからあって当然だ。むしろ、庭園に入ってから周りを描写している『ロジック・ロック・フェスティバル』、生け垣の外から庭をうかがっている『氷菓』という点が大きく異なる。
そもそも、高校一年生のヒロインが日本家屋の豪邸に住んでいるという設定がめずらしいが、かといってこの設定が特定の作家の専売特許というわけでもない。
『氷菓』において、千反田えるが日本家屋の豪邸に住んでいるのは、千反田家が桁上がりの四名家といわれる名家だからだ。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、鋸りり子が日本家屋の豪邸に住んでいる理由は説明されない。家柄は明らかにされていないし、両親も学者だ。一般的な学者であれば豪邸を建てるほど高給とも思えない。シリーズ化されこれからの作品で明らかにされるのかもしれないが、現時点では主人公たちが閉じ込められる蔵を登場させるためぐらいしか物語的必然性がない。背景が説明されないので、どうしても取ってつけたような印象を受けてしまう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」で描かれる主人公とヒロインが閉じ込められるシーンは、〈古典部〉シリーズの4作目『遠回りする雛』に収録されている短編「あきましておめでとう」と類似点が多い。例えば、どちらも冒頭に閉じ込められている主人公の述懐を置き、時間を巻き戻す形でなぜ閉じ込められることになったのかを記述する形式をとっている。
あらすじはひとことでまとめると以下のようになる。
具体的に『ロジック・ロック・フェスティバル』では、
具体的に「あきましておめでとう」では、
となっている。
以下、『ロジック・ロック・フェスティバル』において主人公(中村あき)とヒロイン(鋸りり子)が小屋(蔵)に閉じ込められるシーンと、「あきましておめでとう」において主人公(折木奉太郎)とヒロイン(千反田える)が小屋(納屋)に閉じ込められるシーンを比較したい。
目が慣れてくると、そこは本当に本の山だった。本しかないといってもいいくらい。備え付けの本棚に、そこらに積まれたボール箱に、ぎっしりと詰められた本、本、本――今すぐ古本屋が何件だって始められそうだ。
りり子に案内され、その後ろに付いていく形で奥の方に歩いていく。中はそれほどの広さでもないようだったが、薄暗さと障害物のように設置された本棚のせいで、なんだか迷路に迷い込んだような眩暈感があった。
一応分類されているのだろうか。背表紙を見流す限りでは全く統一感がないような気がするぞ。
と、その時。
ぎぎぎ、と何か引きずるような音がして、室内の明度が明らかに落ちた。
なんだろう?
りり子も一度こっちに振り返り、異変があったことを確かめ合う。
そして二人同時に思い当たった。
扉が閉まったのだ。そんな当たり前の結論に到達するのにいやに時間がかかった。
慌てて扉の方に引き返す僕ら。見るとやはり扉はぴっちりと閉められていた。風やなんかであの重い扉が閉まるだろうか。疑問に思いながらも、とりあえず僕は扉に近づいて手を掛けてみる。
「……あれ?」
開かない。まさか。
がちゃがちゃがちゃがちゃ。
いやいや、冗談でしょ?
「鍵が……閉められてる……?」
強く揺さぶってみると扉はほんの薄くだけ開いた。その間からは無慈悲にも完全に閉じられた錠が覗けて。
闇の中に手を突き出し、摺り足で進んでいく。目が慣れればもう少しマシになるのだろうが、いまはこうしないと危ない。そろそろと奥に進み、手に酒粕が当たらないかと気をつけてみるが、どうも手ごたえがない。
「簡単なお使いかと思ったら、なんだか面倒なことになってきたな」
「あの、折木さん」
いつの間に近づいてていたのか、千反田が俺のすぐ後ろで名前を呼んだ。背後でアルミドアが風に吹かれて閉まってしまい、納屋の中はいっそう光が入らなくなった。
『遠回りする雛』角川文庫版、218~219頁
「おう、開いてるぞ」
そして、なにやら不吉な、がこんという音。
「え? いまのは……」
とピンと来ていない千反田。俺はすぐさまドアに、暗くてよくわからないので正確にはドアがあったと思しき場所に飛びついた。アルミのノブの、冷たい感触はすぐに探り当てられた。
しかし。
がたがたと揺れるだけのドア。オレは千反田を振り返る。千反田の輪郭もはっきりしないけれど、なぜか、心配そうに小首をかしげるやつの顔が見えたように思う。
「どうしました?」
どうせ見えないだろうけれど、肩をすくめてみせる。
「閉じ込められた」
『遠回りする雛』角川文庫版、221頁
まず、このドアが閉められている構造をもう一度考える。このドア自体には鍵はない。だから、強く押せば、ほんの少しだけ開く。それ以上開かないのは閂のためだ。
『遠回りする雛』角川文庫版、228頁
今度は先程と違い完全に一致する箇所ではなく、同じ事象を別の表現にしている箇所を太字にした(そもそも完全に一致する単語はほとんどない)。非常に似通ったシーンを描いているので、一致している箇所がいくつかあるが、文節単位での剽窃はおこなわれていない。
違和感があるとすれば『ロジック・ロック・フェスティバル』において、「扉はほんの薄くだけ開いた」という点だろう。「あきましておめでとう」では脱出が困難なことを示すために閂がどのようにかけられているか仔細に描写されており、「強く押せば、ほんの少しだけ開く」というのも話の流れから違和感がない。一方の『ロジック・ロック・フェスティバル』においては、どのような扉なのか、どのように錠がかけられているかは具体的に示されておらず、一般的な扉と錠であれば扉が薄く開き外の錠が覗けるというのはおかしい。
「あきましておめでとう」では、折木奉太郎が脱出するために様々な方法を試す。そこにはどうやって脱出するのかというハウダニットの愉しみがあるが、『ロジック・ロック・フェスティバル』では、早い段階で窓から脱出できることがわかっている。謎解きの興味はほとんどなく、むしろそれまで葉桜仮名先輩一筋だった主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)を女性として意識するシーンとして描かれている。
『ロジック・ロック・フェスティバル』と〈古典部〉シリーズ両方を読んでいる私としては、影響は受けていると感じた。しかし、文章の剽窃など著作権法違反に問われるような箇所はないと判断していいだろう。他にも中学時代に探偵していたが、とあることをきっかけに探偵することをやめたという鋸りり子の設定が、〈小市民〉シリーズの小鳩常悟朗の設定と類似するなど気になるところがあるが、それはまたの機会に検証したい。
尋ねたい事があります。
ちょっと昔のことなんだけど、ググるキーワードも思いだせなくて。冬。
「真相とかはどうでもいいんだけど、IDど忘れしたので思い出したい事」
・なんかものすごくブクマ多い人で、otsuneよりも多かった人だったけど、ほぼ無言だった人。
なにやらトラブったらしく、彼女が怖いエントリを書いて、その人がエントリ書いていなくなった事があったように思う。
当時の感想としては、「シャァベッタァァァァァァァ!!!」「え、付き合ってたの?」「え?」......不幸になってないといいな、とは思う。
「自分がドタバタしてたので、いつ視界から外れたのか全然分からない」
・発言が一定時間経つと消える、Permalink無しな掲示板!とかをPHPとかで作ってた人。
はてなIDはなかったと思うけど。ekkenさんとちょっと絡んでたのは覚えてる。池田仮名さんっぽい感じのエントリが多かったように思う。
・名前が思い出せない。
・主催していた人は、リベラルだけど、学生運動で手下みたいに使われてたせいで、既成の新左翼団体にいい印象を持っていない。
・ふろむださんがいた気がする。
もともと体調わる子氏は、私がここで語っているように http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131209#bookmark-172528838
『身近な個人的体験を、みなが分かる普遍的な問題へと文章で昇華できる人』だと思っていた。
しかし11月になってから雲行きは怪しくなる。扇動的なインパクト重視の見出しが増え、
記事の内容も「で、結局なにが言いたい?」と首をかしげざるをえないようなものが増えた。
自身の偏見や思い込みを「何か」に変換することなく、ありのまま、そのままだだ漏らしているのである。
そのあまりの稚拙さに「これは釣りだ」「PV稼ぎだ」なる批判が噴出したが、私はそうは思わなかった。
私は少なくとも彼女が表出させているものに「悪意」感じ取ることはなかった。彼女は天然であり素なのである。
彼女がなぜそう変わってしまったのか。私は、彼女はサードブロガーの悪しき流れに飲み込まれて自分を失ってしまったのだろうと
考える。次に、サードブロガーとは何かを語る。
このブログの主「池田仮名」が10月頃にわけのわからないブログカースト論とブログ論を語り始めた。
彼のように、「はてなでの自分の立ち位置」と「ブログとは何か」を語りだすサードブロガーなる集団が突如現れ、はてなの中心となった。
彼らの醸し出す違和感は強烈であり、はてなユーザーの間でもたちまち話題となる。
サードとかフォースとか言ってる人たち
私としてはサードブロガーとはただの承認欲求ゾンビであり、ブログ材料が承認欲求以外に無いので、すぐブログ論や仲間内の楽屋話に
持って行かざるをえない、「ほんとはブログを書く必要の無い人」たちだと思っている。
ブログとは必要に駆られて書くものだ。何気ない数行のブログでも、誰にも見られていないブログでも、それが必要に駆られて書かれたもの、
自身の心のコップから溢れ出たものなら、その文章には価値がある。私はそういう生きたブログを読みたい。
サードだのなんだのと自分を規定してわけのわからない小手先の技術論、「これだけPV稼ぎました!」「ブログを書き続けるコツ」
そういうものを書くのは彼らの自由だが、間違ってもはてなの世界の中心に居てはいけない。
泡沫ブログ
サードブロガーの所業を見て、「ブログって、文章を書くって、そういうことだっけ?」とはてなユーザーたちも疑問を持ち始める。
自殺宣言をしたりはてなブログにふざけんじゃねぇとか言ったり、ブックマークコメントに全部返信したいとか、まぁ文章を読んでもわかるが
サードブロガーの中でも承認欲求が一番強いと思われる。とても人懐っこい。
この人はもしかしたらまつたけより酷いというか、「自分」を前面に押し出してる割には
ショッカーさん自身の「人間性」が全く見えてこず、そこらのまとめサイトとクオリティが全然変わらない。
彼らに共通するのは、
・「成り上がりたい」のが見え見えということ(自意識だだ漏れ)
・「文章を書けてない」ということ。
まつたけやショッカーの文章力は特に酷い。あれは文章ではなくお喋りである。匿名ダイアリーの方がきちんと文章を書けている。
私はときおりコンビニ店長が恋しくなる。彼に対する好悪はともかくとして、彼はきちんと文章を書けていた。
また彼の「書かざるをえない」情熱も伝わってきたし(晩節はそうでもなかったけど)、コンビニから世界を眺めるあの視点は我々にとってとても楽しかった。
ああいう貴重なブログ読み体験を我々はできなくなってきている。
続き→http://anond.hatelabo.jp/20131210194845
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131225120055
ああ今更になってこの増田を読んで、あふれだす共感を抑えきれない!
私も夫のキンタマがいとしくって仕方ないよ!
お風呂であったまってタルンタルンにやわこくなるキンタマ
湯船からあがるや否やシュッとちぢこまるキンタマ
ああキンタマ
あの気持ちをどう表現したらいいのかわからなかったけど、「ゆるキャラなみのオーラ」ってのはとても腑に落ちる
すばらしい表現
今では見るだけじゃなくちょくちょく揉ませてもらっている
名前も付けている(「珠緒ちゃん(右)」「珠緒ちゃん(左)」(仮名)みたいな感じで)
最近読んだ『さよならタマちゃん』というマンガで、精巣腫瘍を患った主人公が病院に行ったのは奥さんがキンタマの異常に気がついたから、という描写があった
私のこのキンタマ愛も、夫の身体(主にキンタマ)になにか起こったときに役立つかもしれない
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1311/08/news019.html
父親を本当に「キモい」と思ってる娘は、こんな風に長々と父親と会話したりしない。
ここまでは何とかなるが、
娘: はっきりは覚えていないけど、小学校5年生くらい。
こうは決してならない。実際はこう。
娘: ・・・うざっ
で、目も合わせずに部屋に逃げられる。というか、俺の上司と娘さんがこんな感じだった。
父親とのコミュニケーションが嫌悪の対象で、何を話しかけても「あーうっさいうっさい!」「しねっ」「はぁ!?」の三つしか返さない。
とにかく感情の浮き沈みが激しい。とかくと悪い意味にとられるが、そうではない。正反対でうらやましいほどだ。
昼食時に美人の隣になったと言っては午後を気分良く過ごし、午前中に上司に怒られても午後には機嫌がいい。うまくいけば喜び、失敗すればへこむ。どれもこれも見てわかるほどだし、気持ちいいほど顔に出る。
いい気持ちも悪い気持ちもすぐに処分してしまうのだと思う。
たとえば怒り。100ポイント怒れば気がすむとしたら、カリンくんは一瞬で100、もしかすると150ポイントくらい怒る。そして元に戻る。私だったらちょっとづつ怒るのを何日も引きずって100ポイントかそれ以上かかると思う。
うれしいことも一瞬で200ポイントくらい喜んで、なかなか逓減しない。これも私だったら恥ずかしくて50ポイントくらいを何日もかけて喜ぶんじゃないかな。
カリンくんは感情の処理能力が高すぎて、人の分まで怒ったり、泣いたり、喜んだりする。これも私にはできない。愛想くらいは付き合うかもしれない程度。
日本じゃ生きづらいとおもうのだけれど、そんなことなんてまったく感じさせない。これも自分なら……と考えてしまう……。たぶん、今までもこれからも彼はああやって生きていくのだろう。なにか秘密があるのかもしれないけれど、それもわからない。
こんばんは、前回統合失調症で夢をあきらめたと書いた石田(仮名)です。
いしだかなとでも呼んでください。
ブックマークコメント、ツイッターなどの、皆様の反響を、一つ一つ読ませていただきました。
ずっと栄養士を、目指して十年以上、そのことだけを心に思い描いて、生きてきました。
しかし、生きている中で、統合失調症や、躁うつ、てんかんなど、とても多くの病気が誤解されていることを知りました。
私ひとりには、何もできませんが、もしこのはてな匿名ダイアリーをみて、何か私に協力しようと思ってくれたなら、その誤解を解くお手伝いをしてください。
私は、もう、栄養士をあきらめ、就職活動し、働いて奨学金を返します。
4年間、片道2時間の通学を実家からして、卒業要件単位のほとんどを取れた私には、きっと働くこともできます。
そして、世界は、美しいです。
ほかの生き物、動物や植物を食べられ、生きていけることにも、感謝します。
生きていたら、確かに辛いことも苦しいこともあります。
しかし、生きてさえいれば、それ以上の幸せなことが、必ずあります。
どうか、自殺も、自傷もせず、自分の体を大切にして、生きて下さい。
努力が必ず報われるわけではありませんけれど、何も身につかないってことは、絶対にありません。
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
本来は、実習先には受け入れ義務はありません。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
ユーザー名が変更されたことによってTwitterから連絡が来て乗っ取りを知った。
ただ乗っ取られただけならサポートに連絡すれば取り返してくれるが、
問題は、ユーザー名が書き換えられ、元々俺が使っていたユーザー名だけが横取りされたことである。
厳密に言うとアカウント自体は乗っ取られていない。
俺のアカウントはいまだに@ochinchinbiro_nのままである。
@ochinchinbiro_nにログインはできる。
そのまま使うことも出来るし、@yamada_2ndなどのユーザー名に変更することも自由だ。
しかし@yamada_1stは返ってこない。
どこかの誰かが現在も@yamada_1stを使っている。
せめて@yamada_1stを凍結してくれとTwitterにサポートリクエストを出したものの、
紆余曲折の末、
「ご登録されているメールアドレスでのお問い合わせでないと本人確認できませんのでご対応しかねます。ご了承ください。」
と突っぱねられた。
なりすましとして違反報告しようにも、俺の本名は山田ではないため認証が不可能。
どう見ても手詰まりです本当にありがとうございました。
上の文章では仮に@yamada_1stにしたけど、実際はものすごく簡単な英語の一般名詞なんだよね。
例えで言うと、@styleとか、@weekendとか、@whiteとか。
人によっては価値を見出す人もいるだろうね。
「ご登録されているメールアドレスで」「お問い合わせ」すればいい
うん、それがね。
Twitterの言う「ご登録されているメールアドレス」ってのが、どうやら「現@yamada_1stのメールアドレス」のことみたいなんだよね。
ハッカーの!メールアドレスなんて!そんなの!俺にわかるわけないじゃん!Twitterのバカ!
ふぉろわーにたのんでとうけつさせるんだ
現@yamada_1stが奇跡的にまったくの第三者である可能性もなくはないからね。
Twitter側に調査してもらった上でクロと判れば凍結してもらいたいんだ。
どっかのニュースサイトに話持ち込んでみては
あんまりおおごとにしたくないんだな。
なんせ一般名詞だし、俺が最初にとってたってだけであんまり「俺のだ!」って主張するのも憚られる。
実害(金銭的損害)がないからねー。そこまではちょっと考えてない。
あと多分向こうは日本人じゃないと思う。
ブクマトラバツイートありがとうみなさん。ハヴァナイスウイークエンド。
いやもうほんと、おっしゃる通り。後悔先に立たず。良い子のみんなは2段階認証を導入してね。
このへんの対策はあとでまとめて書くかもしれない。
まさにそれ。
アルファベットだけの組み合わせだったからなんかツールでアタックかけたら成功しちゃうよね。
動機から、 http://news.mynavi.jp/column/svalley/476/index.html (Twitterのユーザーネーム(mat)を気に入り、それを乗っ取りたいと思って攻撃)の事件を思い出した。
いろいろ記事はぐぐってみたけどこれは知らなかった、ありがとう。
動機はそんなとこだよね。
あとでじっくり読ませてもらいます、たぶん解決しないけど。
問題発生から2か月かけて3回のサポートリクエストで再三それ説明してるんだけど、その返事が
「ご登録されているメールアドレスでのお問い合わせでないと本人確認できませんのでご対応しかねます。ご了承ください。」
の一点ばりなんだよね。
俺、2007年からこのユーザー名使ってんだけどな。。全然確認してくんねーの。
確認ってか、読んでないの。たぶん。Twitterは。俺の哀願を。
(参照:http://twitterjp.blogspot.jp/2008/03/blog-post.html)
俺にコピペで返信するだけで1時間$20から$35もらってんだって。すごいよね。
「Twitterに対して熱い情熱をもっている」んだって。へー。
熱い情熱なら俺も持ってるよ、2007年から使ってる、どこかの誰かにクラックされるほどイイ感じの俺のユーザー名に対してのな!
ここでいろいろ書くことによってだいぶんあきらめがついてはきたけど。
さりとて、どれほどコピペ返信が悔しかろうとも、英語で質問する英語力は俺にはないのだった。残念な話だ。
もう、俺には返ってこないんで、消えてくれるならそれでいいです。えぇえぇ。
ユーザー名が変更されたことによってTwitterから連絡が来て乗っ取りを知った。
ただ乗っ取られただけならサポートに連絡すれば取り返してくれるが、
問題は、ユーザー名が書き換えられ、元々俺が使っていたユーザー名だけが横取りされたことである。
厳密に言うとアカウント自体は乗っ取られていない。
俺のアカウントはいまだに@ochinchinbiro_nのままである。
@ochinchinbiro_nにログインはできる。
そのまま使うことも出来るし、@yamada_2ndなどのユーザー名に変更することも自由だ。
しかし@yamada_1stは返ってこない。
どこかの誰かが現在も@yamada_1stを使っている。
せめて@yamada_1stを凍結してくれとTwitterにサポートリクエストを出したものの、
紆余曲折の末、
「ご登録されているメールアドレスでのお問い合わせでないと本人確認できませんのでご対応しかねます。ご了承ください。」
と突っぱねられた。
なりすましとして違反報告しようにも、俺の本名は山田ではないため認証が不可能。
どう見ても手詰まりです本当にありがとうございました。
なんで、漢文の和訳を完全一致でぐぐるの?送り仮名はひとによって違うだろ。原文には含まれてないんだから。
つ http://kotobank.jp/word/%E9%9B%8C%E9%B6%8F%E6%AD%8C%E3%81%88%E3%81%B0%E5%AE%B6%E6%BB%85%E3%81%B6
普通にぐぐれば 雌鳥鳴いて国滅ぶ=牝鶏の晨するは亡国の音(ひんけいのあしたするはぼうこくのいん)と言うのが難しい言い方です。ってのがでてきて。
そこから 雌鳥鳴いて国滅ぶ をぐぐれば 最終的には 大辞泉にたどり着けるだろ。
とりあえずPocket(Read It Later)に文章が残っていましたので貼り付けておきます。
コンビニ店長は幼女になってしまったので、アーカイブなど難しいことはできないようなのです。
なので、どなたか更新に気づいたら魚拓をお願いします。(2013-07-24更新)
1750年、ヨーロッパのとある貴族の家系...(不老不死の少女)
http://instxt.net/txt/ceddf55157ad97e40d00f3c3e0d00da1
http://instxt.net/txt/50e8f6110a1433a217d3734c4b28b36e
仕事から帰ってきた。家に入るなり、玄関...(女神を名乗る幼女に願いごと)
http://instxt.net/txt/7ef26adca64a49eba2d5c49ac78c4c95
http://megalodon.jp/2013-0714-2234-05/profile.hatena.ne.jp/lkhjkljkljdkljl/profile
http://instxt.net/txt/53607dbe68225412676a92f05d858115
http://megalodon.jp/2013-0715-1111-37/profile.hatena.ne.jp/lkhjkljkljdkljl/profile
http://instxt.net/txt/89d10c3c745c1ac7b1ca60020d69bda2
http://megalodon.jp/2013-0716-1717-01/profile.hatena.ne.jp/lkhjkljkljdkljl/profile
http://instxt.net/txt/9a58838d8f6e834d608dca19d4d46799
http://megalodon.jp/2013-0718-1040-44/profile.hatena.ne.jp/lkhjkljkljdkljl/profile
http://instxt.net/txt/e0a1aab225f9da549967b6fe05a6c5c6
http://megalodon.jp/2013-0723-2235-06/profile.hatena.ne.jp/lkhjkljkljdkljl/profile
MK2さんのプロフィール - はてな(現在は第5話を掲載中)
http://profile.hatena.ne.jp/lkhjkljkljdkljl/profile
俺の名はMK2。某ムラではコンビニ店長としてちったぁ名前の通った男だ。しかしそんな俺もリアルじゃしがないコンビニの一店長。それも店長とは名ばかりで、実態はバイトの犬である。
「てんちょー、またあの仕事忘れたんですかー? ほんっと使えないクズですね」
「店長、こっち見ないでもらえます? お客さんの前じゃいちおう店長扱いしてあげますけど、バックルムーで私のほう見るなって言いましたよね?」
「あー雨降ってきて、ブーツ汚れちゃったー。店長、足拭きマットになってもらえます?」
こんなものだ。
そしてうちの奥さまがマルボロをふかしながら言った。
「はたらけ」
「はい……」
「うう。もういやだ……俺の人生はいったいどこでまちがったんだろう……」
家に帰るまでのあいだだって油断できないのだ。等間隔で家の前にはばばあが配置されており、それらの人々に対する愛想だって欠かすことができない。
帰る道の途中に、薄暗い金物屋がある。ふと、店である備品を切らしていたことを思い出して、俺はその店頭へと近づいた。ホコリをかぶった5個1パックのティッシュペーパーの上に、妙なものを見つけた。
「……カード?」
複雑な紋様をほどこされた、ちょっと高そうなカードだ。好事家のコレクションになりそうなくらいの、凝った作りである。
「なにそれ」
「うわあびっくりした」
気がつくとうちの奥さまが後ろにいて、一緒になってカードを覗きこんでいた。
「私も仕事終わったから帰ってきたんだけど。なに、またヲタくさいコレクション始めたの?」
「金物屋にそんなもん置いてねえだろ……」
なにか言葉が書いてある。
「汝、解放せよ……?」
その瞬間だった。直視できないほどの光の奔流がカードからあふれでた。
「うわ、なんだこれ!」
その光が俺を包んだ。
あとになってみるとバカな話なのだが、そのとき俺が最初に思ったのは「火傷する」ということだった。
気がつくと俺の体は宙に浮いていた。慌てて手足をバタバタする。
「ちょっと! なに浮いてんの!」
「俺の意志みたいに言うな!」
「あんた、服……」
「え?」
Tシャツにジーンズだけのどうでもいい俺の服がどんどん脱げていった。俺はうまれたままの42歳のおっさんの肉体を晒したまま空中にホバリングしていた。
「うわー醜い」
「ほかに言いようねえのかよ!」
ひときわ眩い光が俺を幻惑した。
声が聞こえる。
なんで直腸! なんか生きて腸まで届いたの!?
「あなたは……前世からの宿命により選ばれた聖なる戦士……あなたはこれから、魔法コンビニ幼女店長として、世界を救うのです……」
すごい。なんだその……なにそれ……アイコン……?
「ただし、3つのルールがあります……あなたは、これを破ってはいけない……破ったそのときには……」
あーあーよくあるよねー、超越的な力を手に入れると同時に禁忌事項あるの。
なになに。聞いてやるから。
「死にます」
「えー」
身も蓋も逃げ場もなかった。
「まずひとつめ……鏡に向かってオナニーしてはいけません……」
「ゲャーーーーー」
生きてる甲斐が消えた。
「みっつめ……変身したっきりで元に戻れません」
「ちょっと待てよ! 俺の人生返せよ!!!! そもそもそれ禁止事項っつーか決定事項じゃん!!!」
「まあがんばれ」
不意に、俺を包んでいた光が消えた。
体に重力を感じた、と思ったら、俺は地面にぺたんとしゃがみこんでいた。もちろん女の子座りだ。
「……」
うちの奥さまが俺を見下ろしていた。
俺は冷や汗を流しながら言ってみた。
「お、おはよう」
幼女声俺から出た! なにこれ! 試したことないけどヘリウムガス吸ったみてえ! いま俺斎藤千和!? とりあえずせんせいなんだからなーとかゆってみる!?
「こっちこい」
問答無用で引っ張られた。
「ちょ、いででで」
「なんでだよ」
「なんでもなにもないだろ! 通勤路で光に包まれて幼女に変身したおっさんを世間の耳目に晒しとけるわけねえだろ!」
-------------------------------
「ほれ、鏡」
うちの奥さまに手鏡を渡された。
というより、さっきから猛烈な違和感だ。身長が低くなっていることによる景色の見えかたの変化は、家に帰る途中でも充分にわかったのだが、家のなかに入ると、これまた強烈だ。すべてのものが、大きく、高く見える。
ところで、鏡のなかには幼女がいた。服装はピンク色基調で、あちこちにひらひらのついた例の感じのやつ。髪がピンク色でないのが救いだ。そしてかなりかわいい。キャラデ的にはヒロインタイプだ。あ、アホ毛ある。そして手にはご丁寧に魔法のなんちゃらっぽいアイテムを持ってるが、どう見ても発注用端末で絶望した。
「これでなにを発注するんだろう……」
「私に聞いてなんか答えが返ってくると思ったのか……? つーかあれだな、口調がふだんのあんたのままで、外見と声がそれって、本当に気色悪いな」
どうしてこの人は、ネットのどこかで聞きかじってきたどうでもいいネタを使いたがるのだろう。
「それにしても、驚いてないよね」
「あーうん。あんたの人生、このままで終わるわけないと思ってたから。絶対どこかでおかしいこと起こると思ってて、日頃から、なにが起きても驚かないように心胆を練ってた」
「参考までに聞くけど、どのへんまで覚悟固めてたの?」
「触手生えるところまでは」
「触手店長! レジ早そうだな! おでん入れながらレジ打って、別の触手がフェースアップ!」
「使えねえ……」
そういう問題ですらなく、それはもう人間とは呼びがたい。
「ってそうだよ、仕事だよ!」
俺はがばっと立ち上がった。
「うっわ動きかわいいちょう腹立つ」
「なぜむかつかれなきゃなんねーんだよ。つーか仕事どうすんだよこれ。そもそも店に行って俺が店長でございますって言ったってだれも信じねえだろ!」
「いやー、平気だと思うよー?」
「いったいなにを根拠に……」
「えー、まあいいじゃん。行ってみればわかるよ」
すごい投げやりだった。
「あー、あとさすがにそのコスチュームはまずいから、服どうにかしなね。通販かなんかで」
かわりに買いに行ってはくれないらしい。うちの奥さまは筋金入りの引きこもりであり、仕事以外では外出しない。それはこんなときでも変わらなかった。
こうして俺は、泣く泣く魔法幼女のコスチュームのままで、近所の洋品店まで衣類一式を買いにいったのだった。
------------------------------
「あー、なんか店長ってそのままで人生終わりそうな気がしなかったし、いわれればなんか納得です」
「外見が見苦しくなくなっただけ、まわりは助かりますね」
「いてもいなくても同じですし、だったら外見だけでもかわいいほうがいいですよね」
フリーターの女の子からパートのおばちゃんまでこの言い草だった。
「ほら、だから言ったじゃん」
「俺の存在ってなんなんだよ……」
そこからの話は早かった。自慢ではないが、うちのバイトは優秀である。まず俺専用の踏み台が用意された。制服は、パートのおばちゃんが家にいる娘に電話して、似たような柄のものを持ってこさせていた。名札の写真が問題だったが、フリーターの女の子がイラストを描いてくれた。
「うーん……」
「なんだよ」
「一人称が問題だと思うんですよね」
「俺は本部の会議に行ってもどこでも、ずっと俺っていう一人称で通してきたよ」
うーん……Sさんはまだ唸っている。ひらめいた、とばかりに人差し指を立てて言った。
「そうだけど」
「MK2たんで」
「時給255円にすんぞ」
「あ、GS美神ですね」
Sさんはオタだった。
「あ、そうだ店長、せっかくそんな姿になったんだから、ピピルマピピルマプリリンパって言ってみてください」
「おまえいくつだ」
俺の記憶では23歳だったはずだが、バイトの年齢詐称の疑いまで出てきた。
-------------------------------
「幼女らしく振舞えよ。一人称はわたし、だ。口調には気をつけろ。足をおっぴろげたり貧乏ゆすりするのも禁止だ。くしゃみはしていい。いまのあんたの体からはかわいらしいくしゃみしか出ない」
そう言うなり、鼻の穴にティッシュペーパーをつめ込まれた。
「くちゅん」
「許可する」
なぜ許しが必要なのか。
この段階になると俺はもう、万物生々流転とかそんな気分になっていた。世は無常である。口開く前と後に源氏パンザイとつけたほうがいい。
俺は言われたとおり、セールストークをした。
「はい! ただいま好評発売中、店内で揚げたできたてのおいしい鶏のからあげはいかがですか? 1個40円、10個買っても400円、財布にやさしくおなかにおいしい、◯ーソンの鶏のからあげ、ぜひおためしくださーい!」
「ちっげーーーーー」
すぱこーん。
殴られた。
うちの奥さまだった。
「幼女がそんなクソ流暢なこなれたセールストークかますわけねえだろ! もっとたどたどしく、人の心にせつせつと訴えかけるようにやるんだ!」
「どうしろっつーんだよ!」
「あるだろ……あんたの頭のなかに……無数の幼女データベース……それともなにか、ハードディスクのどこにあるか説明したほうがいいのか……」
周囲の気温下がった。
俺の体温も下がった。
「はい……」
俺は頷くしかなかった。それ以外の反応は許されていなかった。
そう。自分を信じるんだ。いまの俺の外見はかわいい幼女。魔法の発注端末でかれいなるせいちょー……はしないが、魔法幼女だ。そういえば俺なんの魔法使えるんだろう。端末に完璧な発注予測が出る魔法の計画発注? 絶対外れない魔法の天気予報? 俺自分がファンタジーなことになってるのに、なんで仕事から離れられないの? この制服が悪いの? 7の字のついてる制服着ればいいの?
俺の思考は炎天下で、どんどん逸れていった。
いやそうじゃない。いまの俺は幼女だ。ボイスは斎藤千和だ。たいていのことは許されるはずだ。恥は捨てろ。なりきるんだ。そう、これが俺のメタモルフォーゼ。42歳の夏にして訪れた、真正のメタモルフォーゼ。いま、おっさんは体脂肪率25%の肉体を脱ぎ捨て、加齢な蝶になる……!
「え、えっと、みなさーん」
呼びかけた。
道行く人が足を止める。みなが俺に注目している。そうだ。俺は、俺こそが幼女。夏に弾けろ!
しかし幼女の肉体はすごい。みんな不審がるどころか、なぜか和やかな視線になっている。
「今日は、えっと、お店においしいからあげがあるので、みなさん、食べてくださいっ」
昨日までの俺相手に「おいタバコだ」と怒鳴っていたじーさんが、猫なで声で言った。しかもカンロ飴だ。さすがじーさん。イーマのど飴とかは出てこねえ。
人がどんどん集まってきた。行ける。これなら行ける……!
「とりのからあげ、おいしいもなー。たくもおよばれしたい、おいしいからあげやー」
だんだん設定混じってきたが気にしない。たぶんベッキーつながりで出てきた。
誘客効果がすごい。立ち止まる人の何割かは店内に入る。自分では確認していないが、おそらく鶏のからあげは相当な数を売っているはずだ。俺は自分のこの幼女の姿をマグネットとして使って実行しうる戦略について考えながら、果敢に幼女を演じ続けた。
-------------------------------
異変に気がついたのは、1時間くらい経ったころだったろうか。
あいかわらず俺は人の輪の中心にいた。しかし、その輪を構成する人種が変わってきた。
しまった。
背筋に冷たい汗が流れたが、そのときにはもう遅かった。群衆から漏れ聞こえる恐ろしいセリフの数々。
「見るだけなら犯罪じゃない」
「風下にいればにおいだけでも」
差し出されたハンカチ。おまえあとでそれ絞って飲むだろ! 俺にはわかるんだよ!!
「着替えはここだよぉ……」
ぬっと突き出されるこどもぱんつにこどもランニングシャツ。そして上着はスモックだ。
そう。考えればわかることだったはずだ……後悔してももう遅い。
俺は、大きなおともだちに囲まれていた。
もしこいつらが俺と同類なら、俺のこの肉体に直接触れることは絶対にしないだろう。そういう意味ではやつらは信用していい。しかしだ。あそこでスマホ持って下向いてなんかやってるヤツ。あれが、ツイッターに投稿してないと断言できるのか? 俺の頭のなかに「RT拡散希望」「コンビニにて幼女店長発見」のおそろしき文字列が浮かぶ。短縮URLもだ。そしてトゥギャッター。まとめだけは、まとめだけは勘弁してくれ……!
俺は言った。
「あ、あのね、お兄ちゃんたち」
どよぉ。
俺がその言葉を発した瞬間、精神の奥底、イドから流れ出たような粘着質のどよめきがお兄ちゃんたちからわき起こった。
やばい。思考法が大きなおともだちに同調していたため、つい「望まれる幼女」をやってしまった。そうじゃない、そうじゃないだろう俺。こうなったらヤケだ。やれるとこまでやってやる……!
「あのね、わたし、その、おしっ」
ぐぬ゛に゛。
殴られた。
「コカ・コーラのペットボトルの底の固い部分でなかっただけありがたく思え。なにやってんだあんたは」
うちの奥さまだった。
うちの奥さまは、周囲から見えないように俺の後頭部をいろはすでどつきまわしながら言った。
問答無用で引っ立てられた。
-------------------------------
こうして紆余曲折はあったが、俺の魔法幼女コンビニ店長としての第一日目は終わった。
俺はひたすら疲れた。
くたびれきった体をひきずるようにして家に帰った。いつもどおりPCを立ち上げて、ツイッターやらタンブラーやらをひととおり眺めた。ウィキペディアの新着もチェックしてから、はてなのトップページを開いた。そのときの俺は、疲れきっており、かつ騒動続きだったため、すっかり忘れていたのだ。
即死した。
-------------------------------
というわけで、このブログは、生まれ変わった幼女店長であるMK2さんがお届けしております。次回「悪質クレーマー対幼女店長!」お楽しみに!
……続かねえからな。
もう五年くらい前のことになる。
幾人かが辞めたり、幾人かが病んだりした。
やっとそのNPOが平静を取り戻したので、備忘用に書き留めたい。
ことの発端は、2004年くらいになるだろうか。
当時の理事長河西(仮名)がNPOとは別に勤めていた企業Aが業績の低迷が導火線となり当時の社長ワンさん(仮名)が取締役会かそんな会で他の役員から解任要求をされるという事になった。以前もそんなことあったそうだが、ワンさんの手腕で売り上げを伸ばして撤回させたんだろう。今回は、そうはいかなかった。業績は思ったように上がらなかった。ワンさんは、社長としてまだまだ続投の意思はマンマンだったようで裏金や情報操作を駆使し無理やり社長に居座った。
そんな歪みがあり、当時の理事長河西は、親ワンさん体制派から反ワンさん体制になったことと業績が伸び悩む企業Aに嫌気が差して転職をした。
企業Aにいる頃の河西は、NPOによく顔を出していてNPOのメンバーとも仲が良かったのだが、転職してからは頗るほど活動には参加しなくなった。
河西は、ワンさんの情報操作の1つであるメディア圧力の余波を受けた。
ワンさん側のやり方は、記者を使って反ワンさん体制の取締役たちの怠慢を書いて記事にしてしまうよって圧力であったようだ。
反ワンさん体制も黙っておらず、目には目をメディアにはメディアをということで、親ワンさん体制派のぁゃしぃ部分を記者に垂れ込んだ。
河西は、企業Aをやめたことで親ワンさん体制派から反ワンさん体制ともども記者達の格好の的となった。
河西からワンさんの臭いところなどが洗い出された。もちろん河西以外にも吐いた人間は沢山いるだろうが登場人物を少なくするため割愛する。
そんな中、とある記者から河西宛に企業Aが河西が理事をするNPOを巧みに使って悪さをしているのではないかといった質問状が届いたそうな。
河西は、それを当時のNPO理事たちや理事候補達に話し、対策を練ったようだ。
対策としては、理事たちとの情報共有ということで特に何もしなかったし、他の理事もNPOとは関係のない話なので取り合いもしなかった。
河西は、馬鹿みたいにこのままではNPOが潰れると理事に熱弁していた。関係ないのに。
企業AをNPOの生命線のような経営をしていたためそんなことを言ったんだろう。関係ないのに。
河西は、このこともあってワンさんが人間的に嫌いになった。
ここで企業Aの元社員というだけなのに、ワンさんの攻撃を開始したのだった。関係ないのに。
ここで企業Aに勤める社員で、NPOで河西と理事をしている牧野(仮名)を登場させる。
牧野は、凡庸な人間で与えられた仕事は、1/10くらいして完了した気になる人だ。また小物特有の自尊心・プライドが強い人間でもある。
http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ という人のエントリを見て、自分も(学生じゃないけど、)読んで楽しかった本をまとめてみたくなった。
この長い本の紹介を読んで、読んでくれる人や、ほかにおもしろい本を紹介してくれる人が続いてくれたら自分はうれしい。まだ微修正中で、加筆・修正するかもです。
これから紹介する本の順序について、あまり意識していないけれど、なんとなく読んでいる人が多そうな順。下に行くにつれて、読んでいる人が少なくなっていくと(書いている自分は)予測してます。
このエントリで紹介するのは以下の本です。つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。
宮部みゆきさんの小説。一人の女性が婚約後にいなくなってしまう。主人公はその女性の捜索を頼まれて、懸命に消息を追う。そして、調べていくうちに、現代資本主義社会の底しれぬ闇が見える――。
とても有名な作品で少し前にテレビドラマにもなったようだ。物語の始まりが冬の寒い時期のせいだろうか、自分は冬の時期に読みたくなる。三日間くらいで読了できるとおもしろさが持続すると思う。
読まれる方は、Wikipediaのあらすじにネタバレの要素があるので注意されたい。Amazonの書評にも、ややバレる要素があるかな。この小説についてはあまり詳細について語ると魅力が半減してしまう気がする。読まれる方はできる限り事前の情報収集を避けて読んでください。
1995年にそれまで350年にわたり証明されなかったフェルマー予想が証明された。そのフェルマー予想をテーマにしたノンフィクション。著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。
著者のサイモン・シンさんはこの後紹介する「ビッグバン宇宙論」においてもそうだが、説明がとても丁寧だ。わからないことを教えてもらおうとして、わかっている人に聞いたときに下手な比喩でたとえられて、全くわからないという経験をした人は自分以外にも大勢いるだろう。サイモン・シンさんの比喩はわからないという気にならない。なぜなのだろうか。
数学をテーマにした本なので、数学が嫌いな人は手に取ることもないかもしれない。しかし、そういう人もぜひ読んでみてほしい。というのも、この本は数学の「問題そのものを解く」ということが主題ではないから。むしろ数学の問題はどのように生まれるのか、それを解こうとして350年にわたり数学者たちがどのような試行錯誤を続けていったのか、そのもがき苦しんだ歴史の本だからだ。
海外の本はしばしば翻訳調とでもいうべきか、文が堅く読みにくい感じがすることもあるけれど、この本はとても翻訳が丁寧で読みやすい。青木薫さんのすばらしい仕事だ。
自分は単行本(ハードカバー)で読んだ。文庫版だと新しい翻訳者のあとがきなどがついているかもしれない。
ジョージ・オーウェルが書いた小説。ユートピア(物質的・精神的に豊かになる、健康で長生きできるといったような人間の社会が幸せで良い方向に向かう社会)小説の反対、ディストピアを描いた小説。
ここまで暗く描かれるとむしろ読む方の気分は明るくなるような、そんな気にすらさせてくれる小説。ただし、それは読後の感想であって、読んでいる最中は暗いままだけれど。
村上春樹さんの1Q84はもしかしたらこの小説に関連があるのかもしれない。今ググったら、どうやらそうらしい。自分は村上さんの方は読んでいないので何も言えません。(すみません)
この小説が書かれた時期も意味があるし、この小説の中で登場するニュースピークという言語体系の設定は、そもそも言葉とは何なのかを考えるきっかけにもなるだろう。
火車と同じくWikipediaはあまり見ないで読み始めた方がよいだろう。
大崎善生さんの小説。純粋な小説というよりも何割かはノンフィクションかな。
自分は将棋のことは駒の動き方くらいしか知らないのだが、羽生善治さんやほかにも何人かくらいは将棋指し(棋士)の名前を知っている。この棋士の方々は、奨励会という将棋のプロを養成する機関の中で勝ち上がってきた人たちだ。勝ち上がってきた人は晴れて棋士になるわけだが、では、「敗れ去った人たち」はどうしているのだろうか。その人たちをテーマに据えた小説だ。
この小説はけっこうずしりとくる。最初に挙げた宮部みゆきさんの「火車」は小説の範疇ということもあるせいか、なんとなく怖さを感じることはあるが、現実的な切実さ、哀しさまでは感じないかもしれない。この「将棋の子」は、何かを一生懸命やってうまくいかなかった人の哀しさがよくわかるし、そういう体験をしてきた人(あるいは今そういう一生懸命何かに取り組んでいる最中の人)にはこたえるものがある。
ファインマンというアメリカの物理学者の自伝的エッセイ集。著者はリチャード P. ファインマンさん。翻訳は大貫昌子さん。この本もすばらしい翻訳だ。
エッセイ集ということもあって、好きなタイトルから読み始めることができる。エッセイ集なんてつまらんだろう、などと思っている人は読んでみてほしい。物理学者とは思えない言動の数々と、物理学者だからこその言動が少々。そして、その間に驚かされるような洞察が垣間見えるのだ。場合によっては論語みたいな読み方もできるかもしれない。
全般に明るく楽しく描かれているけれど、これは意図的なものだろう。第二次世界大戦のロスアラモス時代には、自分の心にとどめるだけの悲しい出来事も数多くあったのではないか、と自分は想像している。
最後の「カーゴ・カルト・サイエンス」の節はできれば最後に読んでほしい。この節だけは特別だ。物理学がわかれば、もっとファインマンさんのことをよく知ることができるのだろう。それができないのは残念だ。
「プー横丁にたった家」は「くまのプーさん」の続編だ。「くまのプーさん」というと、単なるハチミツが大好きな黄色っぽいクマだと自分は思っていた。そうではなかった。
この本は子供向けの童話だと思われるかもしれないが、読んだことのない大人の方も読んでみてほしい。自分も大人になってから読んだ。著者はA.A. Milne。翻訳は(童話のジャンルでは高名な)石井桃子さん。
プーさんはもともと、著者が自分の息子に聞かせるためのお話だったようだ。こんな話を子供時代に聞かせられたらすごいことだ。
ところどころでプーさんが代弁する著者の考え方は、Amazonのレビューにもかかれているけれど中国の思想家のような、どこか超然としたところがある。このクマがほかの動物たち(と一人の子ども)に向かって話しかける姿が良い。それとプーさんと行動をともにするコブタ(ピグレット)が健気だ。自分は大人になってから読んだせいか、出てくる動物たちの役割に目が向いた。すなわち、物語の筋よりもおのおののキャラクターが人間のどういう面を強調したものなのかを考えてしまいがちだった。子供の頃に読んだならば、もっと無邪気な読み方ができただろうと思う。
サイモン・シン氏の2作目の紹介になる。翻訳も前に紹介した「フェルマーの最終定理」と同じ青木薫さん。(本自体は「フェルマーの最終定理」→「暗号解読」→「代替医療のトリック」(共著)→「ビッグバン宇宙論」、で四冊目だ)
大人になるにつれて、子供の頃に「なぜだろう」「どうしてだろう」と単純に不思議に思えたことへの興味がだんだん薄れていくと思う。すくなくとも自分はそうだった。どうして鳥は飛べるのに人間は飛べないのだろう、なんでお風呂に入ると指がフニャフニュになってしまうのだろう、どうしてテレビは音が聞こえたり絵が見えるのだろう、泥だんごはうまく丸くなってかちかちに固くなることもあるけど、そうでないこともあるのはなぜだろう、カブトムシはかっこいいけど、クモはすこし気味が悪いのはなんでだろう…、などなど。
そういう疑問の中で、人間がずっと追いかけて考えてきた疑問の一つが「この人間が生きている空間はどういうものなのか」だろう。その考え方の歴史をまとめたものがこの本だ。この本をひもとくと、この百年の間に予想もし得ないことが次々に見つかったことがわかる。ビッグバンという言葉はほとんどの人が知っていて、宇宙は一つの点から始まったと言うことは知っているだろう。意外に思えるけれど、今から百年もさかのぼれば、ビッグバンという言葉すらなく、そう考えている人も科学の世界において異端扱いされていた。
宇宙論という非常に大きなテーマを扱っているため、「フェルマーの最終定理」よりも分量があって読むのが大変かもしれない。ただ、自分が読んだ単行本(ハードカバー)には各章にまとめがついていて、おおまかな筋はそこを読めば追えるように配慮されていた(これはうれしい配慮だ。)文庫版のタイトルは「宇宙創成」のようだ。
読み終わったら、ぜひ上巻のカバーと下巻のカバーのそれぞれの色に着目してほしい。
今まで見てきた本を読むとわかるかもしれないが、あまり自分は昔の小説を読むことがなかった。一つには風俗や文化が違いすぎて、いまいちぴんとこないからだろうか。そう思って昔の小説を読むことがほとんど無かったけれど、このモンテクリスト伯はおもしろかった。著者は三銃士でおなじみのアレクサンドル・デュマ。翻訳は竹村猛さん。自分は上に挙げた岩波少年文庫版を読んだ。
復讐劇の代表的な作品だそうだ。「それってネタバレでは?」と思う方もいるかもしれない。そうと知っていてもやっぱり楽しい。引き込まれるようなおもしろさがある。
少し前に「レ・ミゼラブル」が映画になって、そちらの原作も良かった。境遇は何となく似ているのだけれど、「レ・ミゼラブル」が愛の物語なのに対して、モンテ・クリスト伯は純粋に復讐劇だ。その痛快さ。モンテ・クリスト伯の超人的な活躍が楽しい。
自分はまだ一回しか読んでいないせいか、下巻の最後の方のあらすじはうろおぼえになってしまった。もう一度読む楽しみが増えた。今度は岩波文庫版で読もうかな。
森博嗣さんの小説。もともと「まどろみ消去」という短篇集の中に「キシマ先生の静かな生活」という短編があって、それを長編ににしたものだ。
(科学系の)研究者の世界とはどういうものなのかを丹念に追った小説であり、若干の事実が含まれているのかな?と思っている。森博嗣さんは某大学の研究者であった(今では退職されたようだ)人で、その知見がなければ書けない小説だろう。
今Amazonのレビューを見たら、「自分には残酷な小説だった」というレビュー内容もあった。自分は、心情、お察しします、という気持ちだ。ただ、主人公は喜嶋先生と出会えたことは僥倖だったに違いない。この小説の中で登場する喜嶋先生の名言は、本家よりもむしろ心に残る。
北村薫さんが選ぶミステリーを中心とした選集。あるテーマを設定して、そのテーマの中で北村さんが編集者と対談形式でさまざまな物語を紹介していく形式だ。テーマは「リドルストーリー」であったり、「中国の故事」であったり、「賭け事」であったりと様々だ。
編集者との対談は実際の編集者ではなくて、北村さんが頭の中で生み出した架空の「編集者」であるけれど、この対談がとても読んでいて楽しい気持ちにさせてくれる。いろいろな本が紹介されて読みたくなる。そういう罪深い(?)本だ。これを元に幾冊か叢書が組まれた。
その叢書の中で、自分が気に入ったのは「私のノアの箱舟」と「なにもない猫」だ。このシリーズはまだ全部読んでない。だから、気に入ったものは変わるかもしれないし、増えていくだろう。
自分は中国の故事や旧仮名遣いの本は読みづらく感じてしまうので、「真田風雲録」は読めないかもしれないなあ。
海外の人を中心にした伝記シリーズ。主に子供を対象としているためだろうか、シリーズ全体として、文は平易で図や写真を多用している。そう書くとありきたりな伝記に思われるかもしれないが、装丁、ページの中の文と写真の配置の良さが際立つ伝記集だと思う。
全体として、割とマイナーな人も取り上げていたりするし、平和に貢献した人たちを取り上げている点も特徴だろう。気になった人がいたら、その人を読んでみてほしい。
星新一は、多くの人がショートショートと呼ばれる一連の作品群で読んだことのある作家だろう。その人の評伝だ。著者は最相葉月さん。
星新一さんはその作品を読むとところどころに冷徹さが垣間見える。その冷徹さがどこから生まれたのかがわかるだろう。もともと幸せな境遇に生まれ育ったが、途中からどうしようもない災厄に見舞われるからだ。それだけが冷徹さの理由ではないだろう、ほかにもこの本を読めば思い当たる点がいくつかある。それらも書くと紹介としてはやや度が過ぎるのでやめておく。
最後の方で著者は有名な芸能人にもインタビューする機会を得て、実際に星新一さんについて尋ねる。そこも印象に残る。その芸能人はちょうど星新一さんの逆の人生をたどるような状況になっている。
自分はこの評伝を読んで、がぜんショートショートに興味を持つようになった。
SF小説はあまり読んだことがないのだけれど、この小説は良かった。著者はケン・グリムウッドさん。翻訳は杉山高之さん。
SFのよくある設定として、「もし過去に帰ることができるとすれば、その人の人生はどう変化するのだろうか」というものがある。その王道設定を利用して、すばらしい小説になっている。
この小説が書かれた時代は1988年なので、やや風俗や文化の描写が21世紀の現代と比べて現実離れしている点があるけれど、それを差し引いてもすばらしい小説だ。
あまりあらすじをかかない方がよいだろう。http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介する「心地よく秘密めいたところ」と全然違う話なのだけれど、自分には似たものを感じる。
この本は近年読んだ中で最も良かった。
自由への長い道は南アフリカ共和国でアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃されるまで闘った人々のノンフィクションだ。著者はネルソン・マンデラさん。翻訳は東江一紀さん。
アパルトヘイトという言葉とその意味は何となく知っているけれど、それが具体的にどんなものかを説明できる人は日本の中で多くないのではないかと思う。ネルソン・マンデラさんとその仲間たちは、それをなくそうと政治活動を繰り返す。そしてその度に時の政府の激しい妨害に遭い、その結果そういったグループを作ること自体が違法になり、グループの首謀者たちは収監されてしまう。そこからが圧巻だ。
いかにしてそういう逆境の中で自分の政治信条を保ち続けるか。自分たちの仲間を増やして支持を広げていくか。そして時の権力機構に対して、アパルトヘイトの「非道さ」をアピールし、撤廃にこぎつけるか――。
仲間の反乱分子やスパイへの対処、国際社会へのアピールなど、常人には思いもよらない方法でアパルトヘイト撤廃に向け前進してゆく。ところが、前進したと思ったら後退したりすることが何度も繰り返されるのだ。
この本はネルソン・マンデラさんがアパルトヘイト撤廃後の大統領に選出された直後に出版された本なので、結末に近づくにつれてかなり筆が鈍って、慎重な言い回しが増えていく。現在進行形のことを縷々書くと信用問題になるからだろう。それでもこの本は読んでいて楽しい。
この本を読んだ人は「ネルソン・マンデラ 私自身との対話」もぜひ読んでほしい。自分もまだ途中までしか読んでいないが、より素直なネルソン・マンデラさんの言葉と考え方がわかると思う。(「自由への長い道」についての言及もある。)
ほかにも映画「インビクタス」や、「マンデラとデクラーク」など、映像作品もある。後者の「マンデラとデクラーク」は「自由への長い道」と同じテーマだ。ついでに、youtubeにあった国連の広報映像(日本語訳付き)もリンクしておく。
『仮名君って、知ってる人にはごく初歩的な内容でも知らない人にはすごく難しそうに話すよね。』
『お前が今話してることって全っ然大したことがないの、気づいてる?』
研究室の助教に面と向かって言われたことがある。あれから少なくない日が過ぎたが、私の本質は今も全く変わってないらしい。
先日、こんなエントリを書き殴った。
http://anond.hatelabo.jp/20130517235137
元増田がエントリを書いた心境や、その後、ブコメの感想を書くことが流行ってるらしいので私も書きたいことを書こう。
あれは私の妄想です。
私の幻想界に皆様をも引き込み、こんな人に会いたかった、なんて目をそばめさせた方には本当に申し訳ない。
そのままそっぽを向いていてほしい。私も付き合うから。
書き手さんの心の中に読み手さんがいなかったんだろな。決めになる「通称」の方のことをなんとか文字にしたいって思いで溢れて突っ走った感じ。
このブコメ書いた人何者なんだろう。
ええ、正直釣れるなんて微塵も考えてなかったし、ましてやそれがホッテントリ入りするなんて想像だにしてなかった。
断っておくけど、SQLの魔女は確かにいた。かつて在籍していた。寿退社も事実だ。だが、私との関わりは一切ない。飲みの席で、それこそ幾たびとなく修羅場を助けていった伝説の人として名前を聞いただけだ。具体的なエピソードをいくつか聞いた気がするが、二次会を過ぎたあたりで名前しか記憶に残っていなかった。
だから、あの話はSQLの魔女に二度目の再開を果たすまでが本当で、再開した後は全部、こうあったら良かったのになという妄想だ。私だけの、サクセスストーリーのつもりだった。カウンターが回らないブログ、そんな気持ちでいつものように増田で嘘をついた。
もともと私は息をするように嘘をつく。マグロが貧弱な呼吸機能を泳ぎ続けて補うように、私も弱い心を力強い妄想で常に支えている。
先月は妹を題材にいくつか話を書いた。
http://b.hatena.ne.jp/entry.touch/anond.hatelabo.jp/20130409084241
http://anond.hatelabo.jp/20130430012552
ありもしない兄妹関係。
一方では仲の良さを装って就活が成功裏に終わったことを描いて、もう一方では具体的に心境を説明できなかったから逃げで不仲を装いつつ、兄妹の同居を描いてみた。意外と実際から相違ないらしい。
安心して、GWは妹との会話を心ゆくまで楽しむことができた。ぼっちに耐えられた。
SQLを一切読み書きできなかった素人が「いろは」を教えてもらったおかげで現場で無能扱いを免れたので嬉しさのあまり話を美化しまくってるだけ、に思える。元が出来なすぎただけでは。
HAHAHA、今も出来ないです。無能が有能になりたい、あれはそういう夢でした。実際はT2...結合試験ですね…のフェーズ終了とともにめでたくおはらい箱になり、今もうだつの上がらない日を過ごしております。
どうしてこのレベルでSQLの魔女と呼ばれるのか?と疑念を抱いた方もおられるようですが、お人がいいですね。メディアである元増田の能力を、まずは疑うべきなのに。SQLパズルの名前を出したのがそれっぽかったのかな?この通りだからステマなんてあり得ない。訳者か、関係者がこのレベルで済むはずないもの。私の話なんてほんと全然大したことない。
知的に見えるだなんて嘘。だってこんなに分かりづらいと言われる文章を書くんだもの。鼻先三寸は予想だにしなかったタイポだけど、もっと根本的なところが私には欠けている。これ以上嘘を強化しないで。成功した未来を現実に重ねて降りさせないで。
思えば今年の二月、増田に初めて書き込んだ時、父を殺した。存命中の父よりも死んだ方が手っ取り早かったからそうした。それから、先、増田に投稿する内容は必ず嘘を混ぜてから出し続けた。
でも、もうダメだ。もう、終わりだ。嘘はこれまで。嘘が通じる世界もこれまで。肥大した自負が現実を支えられない。もう、お終いにしよう。さようなら、増田。さようなら、私の女の子。さようなら、私。
「今の自分の現状を受け入れよう」「あるがままでいいんだよ」
とか言う人達は善いこと言ったぞと思ってるかもしれないけど
「今の現状を受け入れて惨めな一生を送り非リアは視界に見えないところで行き倒れろ」
と婉曲的に言っているようなもの
他人がネガティブを否定したからといって自分の感情に見えないフリをして苦悶を押し込めるのは大違い
多かれ少なかれどうにもならない
横だが
「後づけで条件を増やす/替える」ってのは大人の論法じゃないよね。別にYA(ヤングアダルト?)向けが中心だっていいじゃないの。漫画だって20年前はそうだったさ。娯楽小説だってもしかしたらそういう時代もあったかもしれない(その時代に生きてないから知らないが、仮名文学とか読んだら堕落する、と頑に漢文の素読をしていた人もいただろう)。メディアなんてそんなもんさ。
元増田は「就職活動中にリクルート」っつー話だったと思うので、YA向け=大人向けでその世代の文脈的には別に問題はないと思うんだが、君はどんだけ「大人」なんだい?