はてなキーワード: 不可能とは
b:id:kaionji 何百年経っても文化的にも技術的にも経済的にも欧州の底辺だしなあ。近代になって軍事だけはマシになったけど。
人類に文化や経済が存在したのは人類の歴史の1割にも満たない期間。
b:id:njamota 人種が違えば見た目は変わる。人種の平均を取って比較すれば差は存在するだろう。そういう偏りが見た目だけでなく性質においても存在する可能性を否定する理由は?あるいは、愚かという特性が抽出不可能という立場?
見た目が違っても愚かかどうかは関係がない。
愚かという特性が人類全般で抽出可能なのだから人種や国籍で判断できる問題ではないというのは自明。
そういう話。日本のような教育政策を取れば日本人のようになるという話で別に日本人「だから」愚かなのではない。日本人の中にはまともな人もいる。
モジャモジャの髪、目力、彫りの深さ、すべてが超スペインっぽくて最高
そして何より声がいいですよ
sの音が消えがちな、アンダルシアあたりの訛り?(訛り事情全然わからん)もカッコいい
そんでよお、曲調がいい
https://m.youtube.com/watch?v=0o8SdwaGx2s
俺は自分が何をもってラテン感を判断してんのかわかんないんだけど、ギタリカデラフエンテさんの曲はとにかく大体ラテンっぽい(フラメンコっぽい?)
「若いカッコいいにいちゃんがハスキーな声でラテンっぽい音楽やってる」って事実が良すぎる
そんでさあ、さっきの、Quien encendió la luzっすよ
これ良すぎる
サビで執拗に繰り返される
'Tú la dejaste encendida, ahora sueño con que ya vuelvas tú "
これがカッコいい
こういうチャカチャカした音すげえ好きだよ
チョーカッコいい
「きみは火をつけたままにしたね、いま僕は君が戻ってくる夢を見てるんだぜ」アッこれ俺の力だと訳せないな 現在形って難しい
でもこのahoraはぜってえ当てつけのニュアンスがあると思う
僕は純粋な青年だったのに、君のせいでもう滅茶苦茶ですよ、火をつけてくれましたねえ!っていうニュアンスの歌だよな多分
それで「いま僕は君が(もう)戻ってくる夢を見る」っつうんだから、それはもう恨み節じゃん
ああ〜いい いいよお
個人的にハズせないのが、いちばん最初サビに入る前のところで"ahora sueño con que vuelvas tú" つって、yaのないバージョンをお出ししてきてるところ
繰り返されるフレーズの、ビミョーに違うバリエーションっていうのがすげえ好きなんだよなあ!
サビフレーズ'でちょっとフェイントを入れてからサビフレーズの繰り返しに入るのが渋い
あと、1番終わって、なんつうかいかにもブリッジ?って感じの、ちょっとゆったりした感じになる部分
ここもこう、わざとらしいくらいのギターのトレモロが非常にあざとくていいんですけど、何よりいいのが、サビへの繋げ方!
"… punta de la nariz” のあとに入る「ウエ〜」みたいなのがマジで良すぎる
耽美系(?)のブリッジからラテン系のサビにシームレスに移行するのにベストすぎるウエ〜だ
しかも3番(?)でも出てくる それがいい
あと、ポトシ銀山とか出てくるのもかなりいい
"もし君をポトシの金で飾れるのなら、サンティアゴからマドリードまで橋をかけるよ"
地名3つ出てきてて、演歌みたいになってもいいはずなのに、ただカッコよさだけがあってズルい
南米からマドリードまでの橋っつうんだから、完全に不可能なレベルの巨大橋なのに、"puentecito”なんて言っちゃうのが憎い
小さな橋、というか、かわいい橋というか、どういう気持ちの縮小辞なんだコレ
橋ちゃん?小橋?"橋なんか"?橋なんかかけちゃうよ!的な?違うよなあ
しかもcito系の縮小辞だもんな itoよりcitoのほうが好きだから、自動的にポイントも加算や
ああーカッコいい
このMadridのあとに例のウエ〜が入るんだからもう最強だ
マジで何なんだこの曲
これ13万再生に収まる器じゃないと思うのですが……
なんならもう、普通にその辺のスーパーでかかるようになってもおかしくないって
https://m.youtube.com/watch?v=ONdDn05lq-s
まだ5日しかたってないとはいえ、これが1.5万回再生とかなのも納得いかねー
ヘンな服着てんのになんかカッコいいしさあ
覚えておけよな
母親に友人が出来ない悩みをを打ち明けたとき、「だから友人が出来ないんだ」と弱みを突かれた経験がある。かなりショックを受けて傷ついた。
親から叱られたり怒鳴られたりする経験も頻繁にあった。それだけ自分を守る意識も強くなっていったように感じる。
素の自分を出したとき、否定的な反応が返ってくる環境で育ち、徐々に「素を出すのは悪いこと」という認識が生まれた。
それから心が閉じていき、自分の気持ちを我慢することが常態化。
結果として、素直になれなくなった。
今思えば、行き過ぎた教育やしつけを受けてきた。
両親は見栄・体裁・世間体にこだわる人達で、彼らも防衛本能が強い人達だったのかも知れない。
人見知りなのも多分傷付きたくないから。
たとえば「嫌われたくない」から「嫌われてもいい」と考え方を変えれば、心持ちは変わるのかも知れない。
って増田にいるとよく思う
まぁ、摩擦ゼロの世界なら成り立つけど〜、みたいな理想論や希望を掲げてそれが実現されない世界に苦しんでる人が結構いるなと
夢を掲げるのは良いことだとは思うけど、全く実現不可能な夢を抱いてそれに押し潰されて苦しんでたらいつまで経っても救いは来ないよ、って思う
https://anond.hatelabo.jp/20220401000918
つづきだよ。
正解だね。早めに当ててる人がいてびっくりしたね。電力事業単体だとどうかは知らないけど、燃料売ってる側のこの二社は業績が上向いてるね。ちょっと意地悪だったかもしれないね。
id:wakwak_koba 東電が発電所を新設したがらない理由がよく分かった。電気が余ると損をして、むしろ足りない方がスポット価格が高騰して儲かるんだね。つまり電力自由化とは東電救済だったわけだ(ほんと役人は頭がいいなぁ
id:takanq 電力会社がJEPXに意図的に売電を絞っているのでは? という指摘があるのよね。"「新電力」の自業自得なのか?卸価格“超”高騰で露見した「いまだに未成熟」日本電力市場の課題"https://www.businessinsider.jp/post-229526
id:mangakoji 電力会社は、発電量を絞ると儲かる、危ないシステムなんだな。こりゃ日本で電気自動車インフラが進むわけないわ。
旧一電も業界もわざと発電を絞ってるわけじゃないんだよね。発電量=発電所の収入だけど、再エネ発電所が増えれば火力発電所の稼働量は減るよね。コスト回収がどんどん大変になるから火力発電所の廃止インセンティブが高まるね。でも最低限の余力は残しておかないと大規模停電起きちゃうかもしれないから高コストの発電所はある程度残しておかないといけないね。ただでさえ3.11以降は原発も止まっちゃったから供給力の余剰は最近減ってるよね。
太陽光発電なんかも最近増えてるけど、天候に発電量が左右されるのでどうしても発電量が不安定になっちゃうね。緊急時に発電所動かせって言われてもどたばたしちゃうよね。LNGは高いから発電コスト上がるね。最近は石炭火力はCO2排出量高いから嫌われてるね。
あと、一番大事なのは、電気は「余っても駄目」なんだよね。発電量は周波数に影響を与えるので、足りなければ周波数の50/60Hzを下回るし、余ると上回る。周波数の変動を放置したら色々大変なことになるから(日本全国で家電が故障するね)、電力系統は需要が供給を大幅に上回ると安全のために電力供給自体を遮断するよね。これがブラックアウト、大規模停電という現象で、直近だと北海道全体で停電したやつだね。
なので、電気が余ると損をするから絞ってるんじゃなくて、そもそも余って良いような仕組みじゃないんだね。発電側は発電側で大変なんだよね。
安定供給の点ではその通りだけど、脱炭素や原発の文脈だと「旧一電に現状改善のインセンティブは少ないので自由化は必要」という回答はありえると思うね。ここは人によって主張が違うところだね。私は関係者なのでどうしてもポジショントークになるから私自身の意見は控えるけど、一理あると思ったよ。
id:gimonfu_usr 自由化にともなうコスト引下圧が原発施設安全維持の余力を削ったのですよ。自然を舐めてた「甘え」はあったろうが方向が違う
因果関係としてはたしかにそうかもね(特別高圧や高圧は3.11前に小売自由化が進んでいたよ)。ただ、それは「お金に困ったから強盗殺人やっていいのか」って話に近くて、コストを理由に原発の安全維持を疎かにするのは一線越えちゃってるんじゃないかな。
断言はできないけど「高騰時に停電」は多分無理じゃないかな。供給は送配電事業者がおこなうので、新電力に特定の供給地点の供給を止めるよう指示できる仕組みにはなってないね(追記:「今の契約」では。技術的に不可能ではないかもしれないけど、旧一電側の協力が必須)。色んな人に突っ込まれたはてな電力と増田電力の話はその辺のことを言いたかったんだけど、わかりづらかったね、ごめんね。あと、そこはインフラとしてやっちゃ駄目でしょう、という議論はあるよね。
「消費者への売価に転嫁する」これはいい視点だね。これをやったのが市場連動型プランで、21年の高騰時に月の支払いが数倍とか十数倍になってめちゃくちゃ揉めたやつだね。あれで新電力が炎上したのでその方向はリスクが高いということになり、選択肢は実質なくなったと言っても過言ではないね。あと、そもそも高騰時に価格上がるなら規模の経済で旧一電にはほぼ確実に負けるね。
id:cinefuk リスクヘッジさえ担えないならば、単なる転売屋でしかない
だからこのブコメはクリティカルな批判だと思うね。自由市場で旧一電から客奪って戦ってんのは新電力なんだから、価格設定で新電力が文句を言うのは筋違いではあるね。
id:lifefucker さや取りビジネスだと思うけどなんの付加価値あんの?
シンプルなのは価格だね。新電力は送配電でフリーライドできるので(託送料金は払うけど)、一般的に旧一電より安いね。
それ以外だと、他のサービスと同じ会社にして支払い一本化とか(東ガスとかのガス会社系、auでんきやソフトバンクでんき)、別業種の付帯サービスとか(楽天ポイントがたまる楽天でんき)はあるね。Looopでんきは自社のソーラーパネルや蓄電池とペアで使うと割引が適用されたりもするね。
id:pwatermark そこで「発電もやる」ことでリスクを抑えるみたいな考え方もあるわけだ 民間発電の市場が活発化することで、クリーンエネルギーや脱炭素、場合によっては原子力とか、発電の選択肢が増える まあ絵に描いた餅だけどね
いい話題を振ってくれて嬉しいね。電力系統からの電力供給を前提にするからこういう話になるのであって、経産省は「再エネを中心とした小~中規模の地域発電所をもっとたくさん作って、エネルギーを地産地消しよう」っていう分散型エネルギー構想を最近打ち出してるよ。「マイクログリッド」でググってみると面白いかもね。
https://www.meti.go.jp/shingikai/energy_environment/energy_resource/pdf/015_s01_00.pdf
id:sin20xx 日本は根本が間違ってたんだよ。そもそも太陽光などの発電した電力を高く買う意味はなくて、その電力をむしろ安めに買って、さらに余剰分も全部買ってしまって、それにより揚水式発電等を動かすバランスが必要だった
FITの話だね。再エネを10年間固定で買い取るよって制度なんだけど、最初の買取価格は48円/kWhだったんだよね。後々太陽光発電は価格下げていったけど、山林切り拓いてのメガソーラー乱立を招いたんだよね。制度設計の失敗だね。
id:tohshindainokawaisa 新電力の中の人ならインバランスを悪用してた過去を語って欲しいんだが。こんなの完全にポジショントーク。最近でも一送の持ち出しで最終保障供給させたり賦課金を払わずに破産申請とか、これで被害者面は虫酸が走る
インバランス制度は厳密に言うと「調達が足りなかったら請求するし、調達しすぎたらその分お金返すよ」って仕組みだね。一般的にインバランス料金は市場価格より高いね。でも、このインバランス料金は事前に予測できちゃうと「インバランス料金が高い(安い)ときにわざと調達を多め(少なめ)にする」ことが理屈上ではできちゃうんだね。この人が言ってるのは多分このことだね。それはよくないよねってことで、事前予測がしにくいように制度が見なおされたんだよ。
最終保障供給は多分このニュースのことを言ってるんだね。これはよくないね。
https://project.nikkeibp.co.jp/energy/atcl/19/feature/00001/00074/
id:dreamzico 長いよ。オタクはなぜいつも話が長いんだ。その漫画くさいオタク口調・文体をやめて、内容的にももっと短く簡潔な文章となるよう推敲してくれ。1/10くらいの文字数で説明できるだろ。
素に戻るが、身バレ避けるため普段やらない書き方してるので読みにくいのはわざと。そこは正直すまん。
id:watasinoid ×「東電をなんとかせげんといかん」 ○「東電をどげんかせんといかん」
id:gnta 「東電をなんとかせげんといかん」ではなく「東電をどげんとせんといかん」と言いたかったんだろう
id:good2nd 誤「なんとかせげんといかん!」→正「どげんかせんといかん」/「せげん」てなんとも不思議な響き。品詞分解できないからかな
id:hazardprofile とにかく "なんとかせげんといかん!" が気になってしょうがない
id:MacRocco “なんとかせげんといかん”は多分「どけんがせんといかん」をうろ覚えで使った結果出てきたそれっぽい言葉だと予想
id:kaputte はてなの親分怖すぎて泣く / だれも「なんとかせげんといかん」気になってないのもこわい
id:pechiyon “東電をなんとかせげんといかん!”どげんかせんといかんorなんとかせんといかん では
じゃあないんだよ
いるか?この部分
いらねえだろ
いうなれば、柳ヶ瀬とか、下通とか、騎射場とか、そういうレベルの話なんでしょ
そういうレベルの地名を出す?はてな匿名ダイアリーで?普通?
出すんだ
東京人は、往来でチンポも出すし、インターネットで市区町村未満の地名も出す
最低なんだ
どうして君たちは往来でチンポを出すんだ
そんなに誇らしいのか?自分たちのチンポが
あるいは、チンポ出して歩いてる人間が余りに多いので、特定されないっつう自信がある?
そうだよなあ ご立派なチンポだし、たしかに皆さんチンポをお出しになってるので、特定の一本を特定するのは不可能だ
でも不快なんだよこっちはよ
見たくねえんだ
見せないで欲しいんだ
ビコーズ・イッツ・ディスガスティング
ノ・メ・ムエストラス・トゥ・ペネ
ホラ、嫌じゃん
急に謎の表現、意味のない表現、不要な表現、不快な表現をされたら嫌だろ
そういうことなんですよ
みんなでチンポをしまいましょうよ!
どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。
これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人の自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。
・生い立ち
私はごく普通の環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分は一言でいうと優等生気質だった。学校の勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプの人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。
小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋な身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からはブラスバンドをやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。
中学では周りの部員が吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽室から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師が黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔な信者であり、親や先生にほめられている優等生の自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間性からどこかで破綻すると思っていた。
高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラルや教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校の部活は軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問が専任を希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプの人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力。中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人にアプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験はもっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力の限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しかし高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生からも勉強ができるという認識をされていた。
3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本や演出を担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通に大学に行くねとなった。
問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。
「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」
親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊な制度をもつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内の大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。
1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。
「大学では勉強、サークル、恋愛、バイトのうち2つしかできない」
勉強は好きではないので、サークルとバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオで個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金がショートした。親にバイト禁止されていたため練習や交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。
大学の授業はひどく不親切であった。大学のレベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義で解決してしまうものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかりやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間の無駄に思えて次第に講義も休みがちになった。
それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなものが大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。
・崩壊
初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生を謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義も存在しない。正義と道徳に立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。
そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから、黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分の無能さを騙して生きていたのかもしれない。
さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費の負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動は事実上全部やめ、バイトと勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情を説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。
人にやさしく優等生してきた自分の生き方への批判と自分が仲良くしている人たちへの非難のダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。
数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルやバイト、恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分の無能が隠せなくなってしまったのである。
3年目は再びバイトを禁止した。クラスでの試験対策の仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだり大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分で学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境のサポートがあって自分で勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。
公正世界仮説、評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学のいじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。
・専攻決定
4年目にして2年生。この年は諸々の事情でクラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。
そして、4年前に選択を先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強は面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職は卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。
理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学のシステムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間に選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。
このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。
5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。
3年生の必修は実験だけだったので、他の単位を犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単な文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。
溜まりに溜まったレポートは夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。
4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続きと入試勉強、足りなかった単位の試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。
学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力が要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。
親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなたは世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般の評価が邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。
やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークルで作曲を体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。
・進学と私
大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部生時代に夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたからである。研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないから就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。
私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。
人間から動物に感染し、動物内で劇的に変化したうえで、再び人間に感染するというサイクルが確立されました。
オミクロンはその一例にすぎません。
もう人間には、コロナの無いポストコロナ社会を望むことは不可能で、これからはウィズコロナ。
確かに公式発表のように暴力は何が理由であっても「よくないものだ」という解釈をするのが成熟した社会というものだと思うけども、
それと同時に他者を侮辱するジョークを言った司会者を「反撃しなかった」という称賛だけして、発言内容について少しも問題視しない主張ってどうなん……??と思ってしまう
誰かの心が傷ついたということに関して、「大したことじゃない ジョークじゃないか」という反応って
他者の感じ方を勝手に却下しているという点で、それこそ暴力的ではないか??
その人が感じたことはその人の感性によって生まれるものなんだから、誰にも否定できないし
ウィル・スミスの行動は衝動的なもので、反省を公表している点から考えると、
もしかすると彼の中で、もっと別の、彼自身の立場を悪くしない主張のあり方も有ったのかもって思うけど
「目の前で殴ったりされると自分が不快だから、自分じゃない誰かが延々と不快を我慢し続けるほうがいい」と言っているのと一緒だと思うんだけど
主張の仕方は過激だったけど、
声をあげるからこそ「ああ、そこにこういう事が”嫌だ”と感じる人が存在するんだな」と、今まで無関心だった人が気が付ける訳で
全ての人に配慮するなんてことは到底不可能だってことはわかりきっているとしても
少なくともあの場で面と向かっていた人間に対しては、俺もよくなかった、お前もよくなかった、どっちも悪かったの両成敗の認識があってもいいのでは?
と
そう思っちゃうな……
「海外の友人」などいくつかバイアス掛かりそうなのは一旦置いといて
合ってるかどうかの話と好みの話が混同されてるのが気になる。
「あなたの好み」「シェフが決めること」と言われてるのと同じ。
もちろん自分の好みもあるだろうが何かの良し悪しを判断するとき
同じように感じることができる人間が共感を生み、志が一つになることが流行を生んだからだ。
もちろん、ここには伝える者と伝えられる者という絶壁があるけど、価値のあることを模倣でき集団として成長することができていた。
月日がたち、模倣できるとインターネット上にばらまかれる時代になった。
同じようにやればお金が稼げる、人を集められる。
伝える者と伝えられる者に模倣不可能性がなく、同じことを言っていれば究極的には誰でも教祖になれるわけだが
必ず、ねずみ講のように上がいる。
しかし匿名性によってばらまかれた情報は伝える者と伝えられる者との関係を壊し
これによって情報は真の自由を得た。(匿名性"は誰によって"ということを徹底的に潰した。)
トップダウンから伝えられる情報は、ネットワーク図のように情報を得ることに変化した。
情報は自由を得たが、情報をメンテナンスする人はいなくなった。
伝えることと伝えられる者の差異は少なく、模倣可能性があるためだったが、
模倣可能性によって作られた低品質な情報を取得し続けた人たちは、
模倣不可能性によって高められた質の高い情報を求めるようになったのだ。
これは特に新しいことではない、閉鎖的な空間によって情報を閉じたカゴの中に入れたのだ。
本来の姿に戻ったと言っても良いだろう。
情報を紐で結んだのだ
情報の匿名性を信仰する者たちが、庇護者の名(またはサイト名)によって情報を囲った。
おそらく、情報の匿名性を信仰するも達にとって都合がよかったのだろうが(究極的には最悪だが)
情報の匿名性を庇護するものたちは、自分が庇護者であることに気が付いていない。
つまり簡単に辞めてしまうし、模倣不可能性という果実に簡単に手を伸ばしてしまうだろう。
情報の匿名性を庇護する者たちによって、支えられていた点を考えれば
模倣可能性に価値のあった時代というのは、そもそもが根本的に矛盾していておかしかったのかもしれない。
私はその時代を忘れることはないだろう。
すごく嫌いな人ができた。いままで人に対する好悪のない方だと思っていた。嫌いな人間に会ってなかった幸せなだけだったとわかった。もう、声聞くだけでいらいらしちゃって困る。助けて。
もーすっごい、文句つけおじさんなんだよ。仕事進めていくとさ、どっちでもいいんだけど、どっちかに決めなきゃいけないことって結構あると思うんだけど、そういうのにいちいち文句つけてくるんだよね。あとご報告まで、みたいなことにも文句つけてくる。
その文句のつけ方も、長くて、内容がなくて、これはもうこっちの感情の問題かもだけど言い方がむかつく。決めることさっさと決めて仕事に戻りたいのにどうでもいいことまでぐずぐず言うのやめてくれよ。例えば
次回の月次ミーティングは●日です→△日も候補でしたよね、なんで●日になったんですか?△日の方がちょうど一ヵ月後ですよね?→毎回きっちり30日後にはしていません。今回は早い方(っていっても2日前とか)にしました→月次っていったら30日間隔だと思いますけど、そここだわらないのはなんかちょっとおかしいんじゃないかな。ふつうは30日後に近いほうにしませんかね。その方がふつうなんじゃないかなって思いますけどね。
とか、
今回資料の表紙は春らしく黄色です→なんでですか?春なら桜ですよねふつう。ピンクのがよくないですか?→文字色と写真とバランスで黄色の方が映えるので→いやでもふつうはみんな、春はピンクだって思うと思いますけどね。だって桜がピンクですからね。
みたいなのクダクダ聞かされてげんなり。そのくせ、そう仰るなら△日にしましょうとかピンクにしましょうって言うと、いや僕はどっちでもいいんですよ、とかもにょもにょ言い出して本当に何がしたいんだよ。途中で割り込んでも決して引かないし口を閉じないし、背景説明しても「ふつうは〇〇だと思いますけどね」っていう謎の反論?しかしてこなくて話にならない。ふつうってなんぞ。
あと待つってことができないのも辛い。メールの返信がちょっとでもこないとガンガン電話してメール重ねて、相手はいま繁忙期ですからちょっと待ってっていうと、いやでもふつうメールの返信はすると思うんですよ。ふつうはそうですよ、とか。お前のどうでもいい期限先の依頼をなぜ優先しなきゃならんのだ。ふつうのわけないだろ。
とにかくすべてを小馬鹿にしてかかってる感じで、絶対文句つけないと気がすまないらしい。偉そうに的外れなことばかり言って、人の言うことは聞けない、特に自分より年下や女性の決定したことは内容がどうあれ従えないっぽい。人に対して、敬意を持って接することができない人なんじゃないかな。無理無理の無理。めっちゃ嫌い。
まだ事故ったりはしてないんだけど、いちいちこれだから疲れてしょうがない。なんでこんなの入ってきちゃったんだろう。他所への連絡関係、絶対任せられない。
そういうことが問題になる時点で「女性の体には価値がある」という事実的な証明となっているはずだ
女性の自由と権利の主張のもとにそれを破壊していくのなら、破壊に伴う喪失について妥協すべきだろう
チラ見せするだけで問題になるという「情報的価値」を既にもっているわけで、これを破棄しなければ勿論「自由の名の下に価値を誰にでも触れられる所においている」
高級で価値のある希少品を無料で放置すればどうなるか結果はわかるだろう
長い歴史で常にその価値を認められ奪い合いその価値が人類の歴史でもあるのに「女性も自由であるべき」とはその価値を否定することに他ならない
ならば男性になればよいわけでチラ見せしても価値のない部位であるべきだし、女性らしさという価値が存在せず無料で放置されてもだれも見向きもしない
そんな価値をすててまで自由になりたいのかと問えば女性らしさは失いたくないというならば それは不可能というものだ
だから悪いとかダメだとかではなく、価値があるのだから価値なりの扱いや使い方をもってして自由と妥協をすべきだろう
女性が一人でキャンプをしていると無防備だからと暴行を受ける これは無防備だからではない 非合法にその価値を手に入れるチャンスをそこに置いたということだ
そこに無価値な男性が置いてあってもだれも奪おうなどとは思わない 価値を無くすか価値を守る手段をとるべきだろう
1/4
友達「ロシアでは大晦日に花火をやる。今年は数人の男の首がちぎれ落ちたのを写真で見た」
増田「そういう危ないことってなんかそそる」
増田「そう」
3/9
友達「振る舞いが格好いい。俳優だったからだろう。だが人を殺しすぎだ」
増田「ふーん?」
友達「ロシアは ・クリミアはロシアの領土だと認めることとドネツクとルガンスクは独立国だと認めること ・NATOに加盟しないことと特定の武器をウクライナに置かないこと
この2つを要求している」
増田「(4つに見えるが)それはウクライナが受け入れうるようなものだと思うの?」
友達「多くの人々が死に、多くの都市が地球から拭い去られることが受け入れうるものなのか?
知っているだろう、日本は二つの核兵器を落とされてようやく降伏した。プーチンはもっとたくさん落とすことができる。戦略核などが撃たれるかもしれない」
増田「ふーん… 仮にもっとひどい条件を提示していたら、それでもウクライナは受け入れるべきだと思う?」
友達「そうだったら、思わない。だがこれはそこまでひどくはない」
増田「そう」
増田「(戦争中に他国がウクライナに軍を派遣したら参戦になるけど、停戦してから派遣するなら参戦にはならないんじゃなかろうか)」
3/20
増田「slavの語源は何? Slaveが元だとかсловоが元だとか色々見てどれだかわからなかったんだけど」
友達「未詳だ」
増田「そう」
3/16
増田「ロシアはEUとかNATOに入ろうとしたことはあるの?」
友達「NATOになら。『ロシアなんか入れてやるわけがない、帰れ』と言われた」
増田「いつごろ」
増田「なんで入ろうとしたんだろ」
友達「知らない」
増田「そう。なんで断られたのかな」
友達「NATOはもともとソ連の力を抑えるために作られた。多分ロシア人のことをいい人々だとは思っていなかったんだろう。それが我々をこのような状況に導いている。
西洋がプーチンを今のようにした。そして蒔いた種をいま刈り取っている」
彼がNATOに入れてもらうよう言うたびにNATOは『帰れ、ソ連は崩壊した。お前はもう何者でもない。お前の意見に価値はない」と言った。
そして今、彼らはプーチンが戦争をしたことにショックを受けている。西洋がプーチンをこうしたんだ。そして西洋人はすべてのロシア人を罪人だとしている」
増田「そう。今まだ回顧録読んでる途中だけど、プリマコフの見識と頭脳、平和と遵法と民主主義と国際協力を愛する心、そしてプーチンを高評価する姿勢はすでによくわかった」
(注:回顧録まだ読み終えてない……。1/3強くらいのところで止まってる)
友達「そう」
増田「多分この時代の西側陣営の人の回顧録も読むべきだろうけど時間かかりそうだな……。
友達「私が覚えている」
増田「ありがとう(刈り取るの中国になりそうだけどどうするんだろう)」
3/7
友達「ウクライナの人々や文化が大好きだ。友達もたくさんいる」
増田「そういえば言ってたね」
友達「近い親戚にはウクライナから来た人がいるし、私の住む地域にもたくさんいる。
ソ連時代にドイツ人とウクライナ人がシベリアに強制的に連れてこられた」
増田「へえー」
増田「(ウクライナから無理やり連れてこられて侵略者の地に根付き、
ふるさとがネオナチに侵されたとの恐ろしい報道を聞いて戦争を支持し国際社会からの糾弾と制裁に遭う。なるほどそういう人生もあるのか)」
増田「あとヒトラーがヤク中だったという説のドキュメンタリーも見たことがある」
友達「ああ、調べたことがある。彼の主治医が大量の薬物の投与を記録していたんだろう」
増田「そうそれ。(結局のところ幸せな生活というものは、禁断症状が出ない程度に少ない脳内麻薬を出し続けるためにあるのかな? 夢がないな)
それ見てて一番心に残ったのは、ソ連が見つけて持ち帰ったヒトラーの頭蓋骨らしきものが本物かまだわからないってところ。
頭蓋骨のDNA検査はできるけどヒトラーの血縁者はもういなかったからヒトラー自体のDNAがわからなくて照合できないんだって。
あれだけ大きなことをした人間なのに毛の一本も残っていないなんて……しんみりしたよ」
もし少しでも疑いを差し挟む余地があったのなら、ソ連は地球の裏側にでも探しに行っただろう」
増田「なんでそんなに探すの?」
友達「スターリンが求めていた。ソ連を恐怖に陥れたヒトラーを捕らえるためならソ連は誰だって殺しただろう」
増田「へー」
友達「ところで。ウクライナはソ連の中で最もナチスドイツに協力的な地域だった」
増田「近いもんね」
友達「ナチスはウクライナ兵の軍隊さえ持っていたhttps://en.wikipedia.org/wiki/Ukrainian_Liberation_Army 」
増田「へー」
友達「https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3e/Gitler-vizvolitel.jpg
プロパガンダの一例だ。『救世主ヒトラー』と書かれている。ウクライナはいつもロシアに敵対してきた」
(注:この言葉の真偽についてはhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/notes2013-/Ukraina2022.pdf が一つの手がかりになるだろう。増田はあくまで1人のロシア人の考えを日本に伝えるためにこれを書いており正しさについては何ら保証しない。当たり前のことだが、正確な情報が知りたければ怪しげな増田ではなく専門家に頼って頂きたい)
増田「ふーん」
友達「だが皆ウクライナをただ利用するばかりだ。ウクライナは自分達がロシア以外のどこからも必要とされていないのを理解しようとしない。
EUは彼らをbarbariansと呼び、NATOは加入を認めなかった」
増田「利用……たとえば?」
友達「ドイツはロシア人を殺すためにウクライナ兵の軍隊を使ったあと一方的に関係を絶った。
欧米は2004年と2014年からウクライナを使ってロシアに圧力をかけている」
増田「Помаранчева революція」
友達「それ」
増田「どう思う?」
友達「ロシアはEUとの間に緩衝地帯がほしくて傀儡の大統領を立てようとした。2013年までは平和だったが欧米の援助でユーロマイダンが起きた」
増田「えー、それが欧米の国々がロシアに圧力をかけたってことになるの?」
2004年、ウクライナが不安定だったときに利用しようとしたが失敗した。
今やっとある程度の成果を得ようとしている」
増田「利用?」
2014年にもう一度試みたときはもっと上手く行ってヤヌコーヴィチがロシアに逃げた」
友達「Operation Unthinkable, Operation Dropshot, Plan Totality.」
増田「Operation Unthinkable… いいですね闇っぽくて」
増田「(……)」
増田「(なんだよ、愚民化政策じゃないじゃん! 騙された!)」
友達「Plan Totalityは複数の核兵器をソ連に打ち込むことも含まれていた。日本にしたように」
増田「そう。なんでやらなかったんだろう」
増田「なるほど」
増田「ロシア側は2014年に失敗したみたいだけど、欧米側はうまくいったの?」
友達「ウクライナは欧米になりたがった。しかし欧米はウクライナを欲しがらなかった」
増田「それで?」
2021/2
友達「ロシアでは脱脂綿のことをватаという。日本語の綿からきている」
友達「逆に日本語にもノルマ、コンビナートなどいくつかのロシア語由来の単語があるのを知った」
増田「へー、そこそこ入ってるんだ。なんで入ってきたんだろう」
増田「(……)」
増田「ああ……、シベリア抑留か……」(注:その後知ったが1800年代からロシアと日本の交流はあり単語の流入もある)
増田「(は? なんだコイツどうして笑ってやがる。私の同胞がシベリアに住まわされたのに)」
増田「(……)」
増田「(…………)」
増田「(それじゃなんて言えばいい? 下手なことを言ったら失礼にあたるんじゃないか?
笑ったのだって、もしかしたら●●さんの親戚に日本兵と仲良くしていた人がいてそれで笑ったのかもしれない)」
友達「あれだな」
勘違いしていた。 Siberian Educationという、実際のシベリアを全く表していないデタラメな本と映画について話しているんだと思っていた」
増田「そうなんだ(ああ、びっくりした)」
3/23
増田「へーなんでだろ」
3/21
友達「https://www.theguardian.com/world/2021/nov/04/ex-nato-head-says-putin-wanted-to-join-alliance-early-on-in-his-rule 」
増田「(……)」
増田「(……うーん? なんか思ってたのと違うな)」
友達「国民がその国家を定義する。もし入っていたとしても国民は変わらないだろう。
増田「なんで?」
増田「(……)」
増田「(…………)」
増田「(……アルコール中毒はロシアには確かに多いとはいえ古今東西のあらゆる気候で発生するものだ。眉に唾はつけておこう)」
増田「(ときに人は、泥臭く血の通った言葉こそを疑わなければならない)」
2021/9
増田「そんなに難しいの?」
友達「2019年まではそこまででもなかったが今はほとんど不可能だ」
増田「えー……」
3/24
増田「ロシア人を入店させないレストランあったけど、ロシア人とそうでない人の区別なんてつくのかな」
増田「だよなあ、やっぱり」
増田「ドイツのレストランの方は『ロシアのパスポートをお持ちの方は入れません』と書いてあったけどレストランでパスポートなんて見せるのかな」
友達「突拍子もない話だ」
(注:その後調べたところドイツではワクチン接種証明または陰性証明がないとレストランに入れないようなのでこれが関係あるのかもしれない)
3/20
友達「Russia is releasing every COVID restriction」
増田「(なるほど第6波対策か オミクロンやばいもんね。 ……?)」
逆に無から有は生み出せないっての方が古代なら高度な認識だよな。根拠つきで言えればだけど。
何も教育受けて無い人なら無から有は生み出せますかの二択問題だしたら生み出せると答える人も相当数いそうだ。そういう人は無から有を生み出す様子を頭の中で想像してるはず。
無そのものを想像することは定義的に不可能とさえいえるが(たとえば視覚的に無をイメージしてるならその時点で実は「空間」を思い描いてしまっている)、たとえば原子などの材料があることも仮定せずに、また多元世界からのワープも仮定せずに、手の平にぱっとりんごが現れる様子を想像するのは無から有が生み出される様子の想像の一例だろう。
などといった話題をしているやつはいつまでたっても同じ話をしている。
以前はわざわざ反論をしていたのだけど、完全に無駄だと理解した。
連中は意志など持っておらず、機械的に反応してるだけだからコミュニケーションを取るのは不可能なのだ。
インターホンを押してチャイムが鳴るように「コナミ」ときけば「コンテンツを死蔵している」と言っているだけ。そこにあるのは言葉ではない。
親戚の子供が家に来ており、子供の親が作業をしている間に、少し時間をつぶしてもらう必要があった
ポケモンが好きだと話していたので、『Pokémon LEGENDS アルセウス』で興味を引くことにしたんだ
アクションゲームでかつ、ZRキーなどコントローラーの側面側も押す必要があるからプロコンを渡したら「重い」と言っていた
「さっと遊ぶのと最初から遊ぶのだったらどっちがいい?」と聞いたら「最初からがいい」とのこと
本人曰く、ひらがなは読めるとのことで、序盤のアルセウスとの出会いの場面と主人公に名前を付ける場面は音読しながらクリア
カタカナは知らなくても「ポケモン」という単語は知っているので読めるが、「アルセウス」はカタカナを一字ずつ理解できているわけではないから「何て読むの?」と聞かれた
「アルセウスだよ」というと「これ(カタカナの文字)がアルセウスかあ」と感心していた
博士と出会う場面では一行送りの概念を知らないので、Aボタンを押してセリフが丸まる切り替わらず、前の行が残っていると、前の行から再び音読していた
漢字にはふりがなが振ってあるものの、テレビに映しても大きなサイズではないので、苦戦しており、読みづらそうにしているときは代わりに音読し、どういう話かを説明をした
発音としては「っ」を「tsu」と音読し、助詞の「は」をそのまま「ha」としていたが、途中から意味が察せられたのか、「は」を「wa」と発音していて、この子ゲームの中で成長している、すごい!となった
アクション操作についてはRスティックでカメラ位置や照準を合わせるというのが難しいようだった
3D アクションは初めてっぽい感じもしたし、そもそもZRキーに指をかけながら親指でRスティックを触るというのが指が届かないという問題が生じた
このゲームは照準を合わせたところにモンスターボールを投げるアクションがゲームの中心であるため、継続不可能かなと思ったが、本人が「楽しい」とのことだったので様子をみることにした
その後、カメラを動かさずに、主人公自体が捕まえないといけないポケモンの前に行き、照準内にポケモンが来るまで待つというテクニックで、最初の御三家を捕まえるイベントをクリアしていた
この後は会話シーンを飛ばして、概要を私が説明しながらプレイする方針に変えた
序盤の難関かなと思っていた、草むらからスニーキングしてムックルを捕まえる場面も、1回目のチャレンジではボールの照準が合わずあらぬ方向にポケモンボールを投げ、ムックルに気づかれて逃げられるも、
2回目のチャレンジでムックルの側面からしゃがんで近づくことで、気づかれないギリギリの位置からボールを投げることでゲットしていた
ここらへんで1時間くらい経っており、「もうちょい遊びたいなら先に帰るから送ってもらい」と親子さんが作業を終え、帰っていった
最終的にルクシオのレベル15を倒していたところらへんで、「車の中でもプレイしていいから」と説得し、プレイを終了した
他に気になった点としてどうしてもキーの名前を「Yキー」としか教えられないので、スーファミのコントローラーみたいにキーに色がついていればいいのになとちょっと思った
住宅購入を考え色々調べ始めたが、住宅政策はいろいろオカシイ気がする。
先に予防線を貼っておくが、賃貸と持ち家のどっちが得か、マンションか一戸建てかを議論するつもりはない。
ちょいちょい話が逸れてその手の話に首を突っ込むが、本稿の趣旨はなにが得かということではないので、反論は最後まで読んでからにして欲しい。
まず、前提条件として住宅価格が高い。都内のマンション価格の平均は6000万円台に達してるらしい。ローンの相場は年収の7〜10倍、一昔前の年収の5倍をはるかに越えている。だいたい、年収の何倍という目安そのものがおかしい。
年収2000万が年収の半分をローン返済に回すことは可能でも、年収400万でローン返済に年収の半分を出すのは不可能だろう。
住宅購入の7割は両親から資金援助を受けるらしい。その額700万〜1000万ほど。
年収が平均よりかなり高いか、実家が太いかじゃないと住宅購入はかなり難しい。
その意味で、賃貸と持ち家のどちらが得かという議論は成り立たない。
損得勘定しなくちゃ生きていけないような層には、持ち家という選択肢は用意されていないのだ。
お金に余裕がある層がQOLを上げるために持ち家、あるいはお金に余裕がある層がより住居費を抑えて得するために持ち家(本当に得かは議論しない)という選択肢が持てる。
そうはいっても、貧乏人でも家が買えるように種々の政策があるのかと思いきや、住宅購入のための政策は金持ち優遇でしかない。
前述の両親からの資金援助は非課税で、相続税対策になる。合法的に相続税をすり抜けられる。
そして、住宅ローン減税。
昨年まではローン残額の1%が、今年からは0.7%が税控除される。もう少し具体的に言えば、4000万借りてると年に40万税金が安くなる。住宅ローンの年利は1番安いところだと0.5%程度なので、4000万借りて利息は20万しかつかないのに税控除が40万ある。
借りなくても買えるくらい貯め込んだ人でもローン組んだほうが得って変な話。
そうは言っても「金持ちは住宅ローン減税使えないんでしょ?」って疑問は出るかもしれない。しかし、所得制限はあってなきが如しだ。昨年までは所得が3000万まで、今年からも2000万まで制度にのれる。
年収じゃなく所得でだ。所得2000万を超える若者なんて何パーセントいるんだ?
つまりほとんどの自営業者、サラリーマンなら役員クラスでも利用出来る。ウォーレンバフェットのように、株の含み益で資産は増え続けてるが現金化しないような人達だったら、億万長者でも利用出来る。
家をキャッシュで買えるような金持ちのジジババがセカンドハウスを買うのにうってつけの制度だ。
いつでもキャッシュで家を買えるような金持ちが、ローンを組むと減税されてホクホクで、支払いをローンにすることでキャッシュは温存しておいて、その間も投資で増やし続けられる。ジジババとパワーカップルとボンボンに家を買わせる政策にしか思えない。
賃貸か持ち家か、どちらが得かという話はしないと書いたとおりだが、持ち家を欲するのは子育て世代で、持ち家比率を増やすのは安心して子供を産めるようにするため、ひいては出生率向上、日本経済と年金制度維持のためという側面はあると思うのだ。
ジジババとパワーカップルとボンボンのうち、ジジババはこれから子供を産まないし、パワーカップルだって子沢山になる可能性は薄い。
でも晩婚化で高齢出産、核家族化なうえに人と会うのが憚られるコロナ禍で両親に子育てを手伝ってもらえず、保育園は足りないしコロナ禍でちょっとでも風邪気味だと登園拒否され、狭い賃貸で子育てはキツいと思うんですよ。
長くなったので、まずはこの辺で。
続きはまた後で書くつもり。