はてなキーワード: ビシバシとは
外から見ててめっちゃ仕事できる先輩。メンタル弱い。ちょっとキャパオーバーになると暫く会社に来なくなる。
「あいつ仕事できるのになぁ…」とよく言われてるのを聞く。私もそう思う。
先輩見てて「なんで?!」ってよく思うのは、例えば上司に無理やり仕事押し付けられた時に
何も言わずに受けてしまう。そして潰れてしまう。なまじ出来てしまうから受けてしまうんだと思うけど…。
その先輩居ないと回らない仕事が色々あるので上司も接し方とか気をつけてほしいんだけど鈍感で全然そういうの気が回らない。
私がそばにいる時は「先輩にばっかり押し付けないで下さい」っていうのを遠まわしに言ってみたり、
自分がちょっと手伝ったり(でも私は仕事できない側なので大して役に立ってない。口だけいっちょまえなやつ。)
もするけど多分根本解決になってない。どうしたらいいんだ~どうしたらあの先輩はもっと自分に自信持って
でもさ、俺はこいつらを馬鹿には出来ないよ。
俺自信も大差ないからな。
この国では多くの人間がそう考えてそう実行してきた。
それがようやく少しずつ改善されているからって、そのやり方をすぐに誰もが身につけられるわけじゃない。
違う職場の人間がやってみせたお手本通りに再現するのが簡単か?
難しいよ。
何が一番難しいって、無駄にプレッシャーを与えない形のマネージメントをしていると、上司やユーザーから「もっとビシバシ鞭を打って急かすのがお前の仕事だぞ」とやじが飛んでくるんだ。
そしてそのやじは実態を持って確かな経済的打撃を伴ってやってくる。
そのうえ、そうやってこちらにやじが飛んでくるのを見たら、こっちがマネージメントしてる側はガンバンプレッシャーを受ける。
全部台無しになるのさ。
やってらんねえよ。
みんな死ね。
早く死ね。
ダーリンインザフランキス4話目のキャプ(公式か非公式かわからないけどほぼタイムラグなしで英語字幕つきのものがネットに上がっている)で、02の台詞の「ボクに乗りたいの?」が「You wana ride me, huh?」になってた。
また、02は「ボクに乗りたいの?」とは言うが「ボクに乗りたいのか?」とは言わない。一人称がボクであること以外は女の子の喋り方だ。もし「ボクに乗りたいのか?」だったら喋り方全体がより少年っぽく堅い、ひいては自己決定として少年的なそれの持ち主だということになる。「か」の有無だけでガラリと変わるこういうニュアンスも英語では伝わらない。
02のような自信満々で攻撃的で実力のある女は英語圏では大人気なので02は大ヒットしているが、未だにボクっこだと気付いてない人が大勢いる(日本語音声で観てても結構聴き分けられないらしい)。もっといえば15のようなキャラのニュアンスはもっとわからないのかもしれない。「謝らないで」と「謝るな」と「謝んな」はどれも全く違う。その一言だけでどんな類型のキャラかとか16とどんな関係性かとか情報が大量に入っている。そういうのが英語で翻訳するのが不可能だ。
どうも英語の会話を見ていると、そういうニュアンス表現力の乏しさは声の抑揚や顔の表情で補ってるような気がする。だから日本人だと芸能のクロウト以外はかなり一本調子の抑揚でしゃべるのに対して、英語話者は一般人でも声がかなり乱高下するし顔のジェスチャーが多い。
へび、おろち、だ、み、じゃ、だいじゃ、すねーく、ぼあ、ばいぱー、くちなわ、どくへび、ながむし
英語も蛇は色々あるけど、フィクションで使うには日本語の方がいろんなキャラや技や伝承を表現しやすいと思う
というか英単語をとっくにとりこんじゃってるのはずるい。ずるいけどちからだ。
「くじゃのへびひめことぼあ・はんこっく」とかいうキャラが平然と出てくる。
うーん
これについては最初に「少年のような話し方」と「女の子の喋り方だけど一人称だけボク」の、繊細だけど大きなニュアンスの違いについてをあらかじめ書いたんだけどなあ ゼロツーの台詞の文章を全体的に少年ぽくしても「女の子の喋り方だけど一人称だけボク」なニュアンスは表現されないよねっていう
とか文字でモリモリと凄みとか中二分とか盛っていくこともアルファベットオンリーだと出来ないし
「ボク」と「ぼく」と「僕」で全部人格やイントネーションや示唆するものが違ってくる~なんていう使い分けも出来ないし
アニメくらいでしかみかけない珍妙な一人称や語尾のキャラクターを取り上げてフィクションのくくりで言語の優位性を語ってしまうキモオタ…これが若さか
・アニメの喋りでのニュアンス表現力の話をしてるのに「アニメくらいでしか見かけない!」って
・ボクっこを例に取ったけど珍妙な語尾のキャラの話なんて出てきてない気がする
例えばふつーの社会人男性キャラの一人称について、ワタシかワタクシかボクかオレかだけでも
人格やニュアンスにグラデーションが出るしハイコンテクストデータベースへの接続も開かれる
珍妙な一人称や語尾に限った話をしてる訳ではないし、読み取る能力がある他の人は既にそれは理解してると思う
この人もそうなんだけど、
一応こちらとしては広く適用できる具体的な用法・長所を述べているのだから
反論も具体的な英語の長所や日本語の短所の提示でなければ反論たり得ないのでは
具体論に対して具体的な反論なく「ネイティブだからそう思うだけ!」とか「キモオタ!」では
読む価値が無い
正直言うと、
こういう乱暴なエントリを書けば英語に造詣の深い人が具体的な反論でビシバシとしばいてきて英語についての勉強が出来ると思ったんだけど、どうも自分(英語苦手です)と同程度までの英語力の人しかいないっぽいな
ハフポストの記事にガッカリしたのはあの見出し。これだけ。何で今更またはあちゅうの『童貞』発言に#MeTooで声を上げた人の気持ちを逆撫でするような見出しをつけるのか。これこそ告発者としてのはあちゅうを全然守れていなくて、ハフポストはメディアとして失格。
別にハフポストが後追いではあちゅうの告発を取り上げるのはいい。みんな「はあちゅうは嫌いだけど告発は支持する」って言ってるんだから異論なんてないよ。ビシバシと電通時代に受けた嫌な行為とその時の気持ちを吐露すればいい。#MeTooした以後の反応として『童貞』問題にも触れる必要はあるだろうけど、その発言を見出しにしてメインテーマにする必要なんて全くなかったはずだ。#MeToo運動を継続したいなら。
最近色んな所で騒がれてるHIGH&LOW、略してハイロー。私が試しに見てみっかなーと思ったのは特撮界隈でも話題になってたからで、流行りに乗るなんて特撮オタク達もミーハーだなぁなんて思いながら見てみた。
結論から言うと、舐めてた。EXILE舐めてました。アクションやばい。キャラも立っててストーリーも面白い。
SWORD地区とか九龍グループとか血生臭い世界の中の、所謂不良と呼ばれる若者達のプライドと葛藤のぶつかり合い。時には拳で、時には言葉でぶつかり合って分かり合う。時代錯誤で古い話かもしれないけど、だからこそ仲間の絆や友情が引き立ってる。素晴らしい!
それで、噂になってたアクションシーン。いやもうこれはEXILEさん流石としか言いようがない。あんなビシバシ喧嘩してほぼスタントマン無しとか俳優さん達は超人か何かなの?しかもアクションシーンだけでもチームの個性がしっかり出てる。たまに出過ぎてるチームもあるけど。
ストーリーとキャラクターもいい。コブラとヤマト、そしてノボルの過去。そしてSWORD地区の各チームの思惑。後半には九龍グループも絡んできて、とにかく魅せるストーリーだった。キャラクターも二次元かよってくらい魅力的で、コメディシーンもクスッときて楽しい。
幼少から楽器を習っているので、楽器全般に興味津々であり、もちろん楽器に貴賤も優劣もないと思っているのだが…どうしても受け付けない楽器がある。
トロンボーンのことだ。
すなわち、自分は直線的に飛んでくる低音が大変苦手で、必要以上にうるさく聞こえてしまう。
正直耳を塞ぎたくなるくらいやかましい上に、他の楽器の高次倍音が聞こえにくくなって、サウンド全体の魅力が半減するとか、勘弁して欲しい(音の魅力や微妙なニュアンスは高次倍音にあるので)。
一方、トロンボーンと似たような音域の楽器でも、音がダイレクトに耳に来ないチェロ、ファゴット、ユーフォニアムは全然平気どころか、それぞれに魅力的だと思えるのだが。
ちなみにトロンボーンの音と言っても楽曲のジャンルにより様々だが、ブラームスの交響曲第1番のコラールのように綺麗で澄んだ音色で吹いているものは、一応大丈夫である。
しかしご存知の通り、トロンボーンの綺麗で澄んだ音は、この楽器の一側面でしかない。
むしろメインは、時に荒々しい効果も要求される、低くビシバシした音である。これが自分は全く受け付けない。
特にキツいのは、音を遠くに飛ばすことしか考えていないような演奏をする、吹奏楽のトロンボーンである。
申し訳ないが、音楽を奏でているように聞こえないというか、ぶっちゃけ騒音に聞こえることすらある。
楽器ジョークで「トロンボーンのダイナミクスはオン/オフしかない」というのがあるが、これ以上ない皮肉として笑わせてもらった。
また他のジョークに「ホルンでトロンボーンのような音を出すには、ベルから手を出してバタバタ吹く」というのもあるが、ホルンを低い音で荒々しく吹かれるのも苦手だったりする。
もっともホルンのメインは甘く柔らかい音なので、トロンボーンほど気にはならないが(むしろプロであっても常時音程を外すほうが気になる)。
僕はキモオタだ。
アニメが好きでゲームが好きで、大学生になってバイクにも手を出して、あれだけじいちゃんにやめろと言っていたタバコも吸い出した。
こんなことでうまくいくわけもなく、悪いやつに絡め取られ、金も心もボロボロにされ休学した。
全く違う環境でビシバシされた、弱い自分を見つけ少しは上手くやって行く術を学んだと思った。
学校に戻ったら彼女でも作れば良いとその人は言った。何言ってるんですか、これからそんな余裕全くありませんよ、いた事もないし。多分、その時、ほんとうに僕はそう思ってたんだろう。
俺は大学に帰ってきた。やりたい勉強を無我夢中でやった。気づいたらアニメもゲームも関わらなくなっていたし、バイクはまた乗り始めてしまったけれど、月月火水木金金やれるだけのことはやって外部の大学院も決めた。
本当に俺は俺にはそれにしか価値が無いと思ってやっていた。学年がひとつ下のやつに囲まれながら、通学片道二時間半でも、自尊心がボロボロになってもやった、就職したほんとの同期のやつに飯に誘われるのも辛かった。
当然周りの同期の子は見てすらいなかった、俺は彼ら以下だと思っていたから。
何であの子は俺に声を掛けたんだ、飲み会で潰れてる俺に水を渡したんだ、なんでその後も俺にずっと声を掛けてきたんだ、何で俺の事を尊敬してますなんて言ったんだ…
僕は恋愛する価値もないゴミのキモオタだとずっと思ってきた、自信がなかったんだ、自分に。
結局、目の前のことに必死になってるふりをして最後はずっと彼女のことを見ていた。
最後の発表が終わって今まで浮いたことをしたことなんてなかった俺は勇気を出してデートに誘った、とんとんで二回も遊べた、とても幸せだった。卒業式の後にだって会う約束もできた、プランだって二人で観光雑誌を眺めて決めた。
自分だって幸せになって良いんじゃないか、ゲーセンでガンダムやってた頃がなんてクソだったんだと。
こんなに面白いものだったかな、かなり思い出してきたぞ、今度はもっと話せそうだ。そう言えばドリフターズもアニメがやってたのだ、これを機に見てしまうか…
年の離れた弟がいる。
弟はよちよち歩きが出来たころから、家の窓から靴下で脱走して行方をくらませていた。
遊びに行って、家に帰ったらパトカーが何台も停まっていて、母親が涙を流しながら弟を抱え、巡りさんと話していたのを覚えている。
あ~~~~またアイツいなくなったんだな~~~~~とボンヤリしていたら、母親からギっと睨みつけられて、怒鳴られた。
何で、弟を探しに行かなかったの?!弟がかわいくないの?!あんた、おねえちゃんなんでしょう?!こんな小さい弟が死んじゃったらどうするの!!
みたいなことを散々怒鳴られた。まだ小さかった弟は、母親の腕の中でヘラヘラ笑っていた。そしたら母親はまた泣きながら
○○(弟の名前)どうして急にどっかに行っちゃうの~~ママとっても心配したんだからね~~~~~~~~
正直馬鹿かと思った。弟が窓から脱走するのは弟を寝かしつけようとして先に寝ちゃって窓にカギをかけなかった母親が原因ではないかと思っていたから。
まぁ私親になった事ないからわかんないけど、これ読んでるお母さん、気分悪くしたらごめんなさい。
物を壊す、隠す、大体そんな感じのやつ。で、私だけが怒られる。なんでや。
母親曰く
だから弟に非はない。お前が悪い。お前のせいでこうなった。と怒られた。
今思えば弟も怒れや!!!って思う話なんだけど、私は本気で「私がちゃんとすれば弟はよくなるんだ~~!成程~~~!!」と思っていた。アホか。
元気よく挨拶をして、常に笑っているようにして、困っている人を見たら助けた。
弟の悪戯はよくなるどころか悪くなっていたけれど、それでも私だけが怒られた。弟の目の前で怒鳴られた。
普段は何もしないけど怒るときは10歳だろうが5歳だろうが男も女も子供も年寄りも容赦なくぶん殴る人だった。
私がテストで満点を取っても、そんなのは当たり前だ、と言い捨ててそれ以外の点数をとった時は俺の時そんな点数は取らなかったのにと言われた。
弟がある日、父親のものを隠した。本人はちょっとした遊び心だったのかもしれない。
それを父が許すわけがなかった。弟がどれだけ泣いてもわめいても叫んでも、父親の拳は止まらなかった。
私ははやく謝ればいいのにと思ったけど(口出ししたら私も殴られる気がして口にできなかった)弟は絶対に謝らなかった。
母親が泣きながら父親の足に縋りついて許してやってくれと叫ぶのをみながら、地獄みたいだな、と思った。
今思えばこの頃から弟は誰に対しても何に対しても、ごめんなさい、が言えない子供だったのかもしれない。
小学校高学年になって、私はクラスで虐められるようになった。理由は「塾に行ってないくせに100点とったから」だった。
無視されたし、私の触ったものはばい菌が付くと言われたし、クラスの面倒ごとは私の仕事になった。
帰りの会でよくある「今日あった嫌なこと」にはしょっちゅう私の名前が出てくるようになった。掃除をサボったとか、そんな内容だった。サボってないんだけどね。
クラスのみんなの前で怒られて、謝るように言われた。
だんだん学校に行くと腹を下すようになって、あだ名がゲリ子になる直前に私は学校に行かなくなった。そのころにはもう友達は
自分の部屋にあった観葉植物とボールしかなかった。で、また私は怒られた。
何で学校に行かないんだ。いじめられたくらいで学校に行かないなんてどうかしてる。学校に行け。行ってやりかえしてこい。
わかる人はわかるかもしれないんだけど、行きたくなかった。やりかえすことも倍返しされそうでできなかった。
担任はうちのクラスに虐めなんかありません!って言うし、校長教頭は虐められるのはお子さんに原因があるんでしょう?といって取り合ってくれなかった。
このころに私は、発達障害の診断を受けた。母親からまた怒鳴られた。
発達障害の人間は人を殺す。きっとお前も犯罪者になると言われた。(この頃発達障害者が殺人事件を起こしていた)
同時に私の事を頻繁に殴るようになった。殴り続けて手が痛い、といって棒や雑誌や孫の手なんかでビシバシやってきた。
父方の遺伝で私が発達障害だったこともあってか、母親はますます弟を可愛がるようになった。そのころ私は父親似、弟は母親似だったから。
この子は私と同じまともな子だ。私たちは健常者同士仲良くやっていく。って。
それから父親は私と一緒に寝るようになった。布団の中で服を脱がされた。体中触られたし、舐められた。
今思えば狂ってるとしか言いようがないけど、当時は殴られないから良いやとしか思ってなかった。父親と一緒にいれば殴られないから。
痛くないならそれでいいって本気で思ってた。
で、まぁ普通に父親からも痛い思いをさせられた。本番を実行しようとした。しようとしたって言うのは曖昧なんだけど、覚えてない。
直前まではなんとか思い出せるけどそこから先の記憶がプッツリなくなってる。私は自分が処女なのかそうでないのかもわからない。
気付いたら、今住んでる町にいた。
父親は単身赴任になったと聞かされた時、ほっとした気分とまた殴られるんじゃないかと不安になった気持ちがぐちゃぐちゃになっていた。
今度は弟が学校に行かなくなった。理由は「姉ちゃんが学校行ってなかったから」だった。この頃私は普通に学校に行っていた。
母親は私を殴るのをやめてくれたけど、今度は殺しにかかってきた。多分本気じゃなかったとは思う。
包丁も持って家じゅう追っかけまわされたり、寝込みを襲われて首を絞められたりした。いつもいつも「あんたのせいだ。あんたのせいで私の人生はめちゃくちゃだ。この悪魔」
って言われた。どっちが悪魔だよ。流石に殺されちゃたまんないから応戦するけど、そのたびに母親は金切り声をあげて「助けて!娘に殺される!」ってどっかに行ってた。
一生帰って来るなよって気持ちと、私のせいでお母さんを苦しめてしまった!って罪悪感がグルグル頭の中を回っている間に母親が帰ってきた。すごい、聖母みたいな笑みを浮かべて。
私の事を抱きしめながら、涙を浮かべながら「ごめんね、ごめんね、ほんとはあんたの事、世界で一番大事なのよ」って囁かれた。チョロすぎて悲しくなるんだけど私も泣きながら
「お母さん!悪い子でごめんなさい!!」って抱き付いていた。タイムマシンが完成したら真っ先にこの時代に行っててめーら馬っっっっ鹿じゃねーの?!ってチェーンソー振り回したい。
そんな折弟が金を盗んだ。私の財布から、私の月の小遣い全部。弟が自分でボロを出したので確定した。メチャクチャ怒った。
そんなことは泥棒のすることだ。私の弟は泥棒だったのかと怒っていたら母親が泣きながら、そんなこと言わないで、と言ってきた。
実の姉から泥棒呼ばわりしたら、あの子がどんなに悲しむか。お金はお母さんが返すから、それで許してやってくれ、と言い出して来たので耳を疑った。
金を盗んだことに変わりはないしそれで許されると弟が勘違いしたらこれから先弟が大人になってトラブルが起きた時、タダじゃすまされないと言っても、母親は聞かなかった。
謝るならお母さんが謝るから、弟を許してくれと土下座までした。目の前が真っ暗になった。
弟は一切謝らなくなっていた。私の金を盗もうと、窓を割ろうと、何をしても私が怒れば即座に自室に篭って出てこなかった。
そのたびに母が私に謝るという奇妙な家になっていた。
他にもエピソードは山ほどあるんだけど指も精神もそろそろ限界です。現在の事だけ書きます。
一番狂ってるのは、フツーに全員この家に住んでるってことです。
私は大学に行かせてもらえました。前の仕事を辞めて求職中です。お母さんに似てきたね、とよく言われます。
父親は戻ってきました。別の部屋で寝てます。求職している私を馬鹿にしながら生きているようです。仕事はちゃんとしてます。
弟は見た目が父親に似てきました。私に怒られたからといって一週間学校を休んだりしています。将来はアニメ関係の仕事に就きたいと言っています。無理でしょう。
母親は日に日に私が父親に似てきて気持ちが悪い、悪魔め、毎日が地獄だ、と言ってきます。
周りの人からはうちは幸せな家庭と言われています。たしかにかつてはそうでした。
だからきっと私もこの家を捨てきれないのでしょう。良い仕事が見つかればこの家を出ていけるかもしれません。
私には何もありません。特別可愛いとか、頭がいいとか、そういうのでもないです。
私はただの悪魔かも知れませんが悪魔にだって地獄はきっとあるのでしょう。今がそうです。
私が家族に思い切って昔の話をすると、しらを切っているのか本気で忘れたのか、そんなことは無かったと言われます。すべて私の妄想だと言われます。
誰が悪かったのでしょうか。誰を恨めば良かったのでしょうか。憎むのは悪い事だと言われて育ったけれども、恨む方がまともなのではないでしょうか。
私が覚えているうちに不特定多数の誰かに聞いてほしくて書きました。
聞いてくれて、読んでくれてありがとうございました。
あと、最後に一つ。
先代は二年ほど前に亡くなった。
阪神淡路大震災から二年か三年くらい経って、当時付き合ってた彼女が無断で俺の独身アパートに連れてきたのが最初。
とんでもない超元気なメスの黒猫で、ほぼ無理やり飼わされた俺は生傷が耐えなかった。
いくら可愛い子猫とて、ビシバシ虐待一歩手前くらいに叩いてしつけないといけないくらいに暴れ回った。
カーテンはボロボロにされるし、壁もボロボロ、夜中走り回って安眠妨害する事はしょっちゅう、捕まえようったって爪は立てるし噛みつくしで、こっちだって血まみれになる。
ほとんど凶暴とすらいってよかったが、でもやっぱり可愛かった。
半年ほどで初めての発情を迎え、これまた思いっきり発情の声を上げまくるので、すぐに病院に連れてって不妊治療をした。
歳を食って、多少腎臓の不調は抱えるようになったが、大した病気もせず、死ぬ時はいきなり死んだ。
寝てた押入れの上から落ちてそのまま息を引き取った。
それを見つけた娘はワンワン大泣きしたが、私はちっとも悲しくなかった。
十分過ぎるくらい、彼女の人生(猫生?)一緒にいられたからか。
今度の猫は、キジ?模様のメス猫で、生後二ヶ月だというが先代ほどの暴れ猫ではなさそうで子供にはぴったりかなと思う。
先代ほどの暴れ猫だったらとてもじゃないが子供達はお手上げだったろう。
俺っちネット民の大半が思ってる通りずっと「オタク」と「政治的正しさ」は相反するものであり、
世が「政治的正しさ」を志向するならオタク的表現は抑制されて然るべきものとなると思っていたのだ
しかし最近ふと思ったわけだ、むしろ世の中が「政治的正しさ」を志向すればするほど、世にオタク表現が溢れていくのではないか、と
…ヘーイ何妄言垂れ流しとんじゃボケぇとか言わずちょっと聞いとくれよハニー
いや「実はオタク表現は政治的に正しいんです。だから世が政治的に正しくなればオタク表現もあふれるのです」なんて主張ではない
全てがそうとは言わんがオタク表現は基本的に「政治的に正しくない」と思う
では何故に世が「政治的に正しく」なれば「政治的に正しくない」表現が蔓延るとのたまうのか?
オタクを抑制して社会の片隅で縮こまらせる存在たらしめてたメソッドとは何か?というと
…しかし近年その「抑制」通じなくなってるのだ。何故かって?理由は簡単だ
「オタクキモい」は政治的に正しくないのだ!(な、なんだってー!?
対象がどのような人物であろうとどのような言動をしようと「キモい」と言いつけることは
「政治的に正しい」世ではまっこと「政治的に正しくない」行いなのだよ!(ななななんだってー!?
(対象が「政治的に正しくない」からといって「政治的に正しくない」罵倒を投げかけるのは相手と同じ穴の狢。「政治的正しさ」の基本)
しかしはっきり言ってどれも弱い。ほんとオタクを打倒するには蚊が止まる程度の衝撃しか無いくらい弱い
だって差別性がどうたら~うんたら~かんたら~たらったらたらり~んとくどくどくど長口上垂れ流して垂れ流したら、
当のオタクにはハナホジして「はあ。だから何?」の一言で終わりです
六文字だ!たった六文字だ!たった六文字でオタクをビシバシゲシゲシ抑制できるのだ!なんてコンビニエンスザンショ!
…だが、「政治的に正しい」世の中ではこのメソッドは著しく不当なのだ
「キモい」と言われた当のオタクは「自分は不当な罵倒を受けた」としか思えないのだ。
(勿論明確にそう思っているヤツは一人もいないが、「政治的に正しい」世の中では心の片隅で絶対にそういう感情を抱かざるを得ない)
当人がどれだけ「政治的に正しくない行い」をしていても、だ(←ここ重要だからメモっといてね
「政治的に正しくない」「オタク」と「政治的に正しくない」「オタクキモい」…のVSにおいて後者が衰退し、前者が勝ったのだ!
…それだけの話しだ!きっとそうなんさ!
いや別に「オタクを批判すんな」と言うわけでもないし「政治的正しさはクソだ」と言いたいわけでもない
ただ言いたいことは、オタクを抑制するのに最も効率の良いメソッドは「政治的に正しくない」ものに他ならぬこと、
そのメソッドを失ったんだから世にオタクがあふれるのは当たり前じゃんということであり、
「オタク批判」の方々が「政治的正しさ」を盾にしてオタク批判できると思ってるんなら、
ポリコレ棒とか揶揄する気はなく、そもポリコレを武器にすることでアンデッドモンスターに即死魔法食らわせて逆効果みたいな事態が起こってるというか
今年もハロウィンパーティーの出演者発表の時期がきて○○さん来るのかーアイドル多いなーとか思ってるわけですが
肝心のライブに行こうという気持ちが全然わかない。出演者のラインナップが悪いとかじゃなくてVAMPSのライブ自体も4年ほど行ってない。
FC入ってるしCDもライブ円盤も買うしテレビも雑誌もチェックするけどライブには行ってない。ライブ楽しいのは知ってるしVAMPS大好きなんだけど腰が重い。
別にVAMPSが悪いとかファンのマナーが悪いとかじゃなくて、単純に私が席運なさすぎて嫌な思い出が連続したっていうだけの話なんですが。
VAMPSとして活動がはじまったころの箱は行ってて楽しかったんですが城ホライブのときにスタンド席で自席ガン無視して階段通路に乗り出して
手すりを柵代わりに暴れるギャルっぽいお姉さん4人組(当然ステージは見えない)に出会ったときから席運のなさがはじまった気がする。
その方たちはスタッフさんに注意されてもやめず、暴れるわ叫ぶわヘドバンで盛り髪がビシバシ顔に当たるわで散々でした。
それから箱行っても最前行きたいのか番号無視して押してくる人がいたり、気分悪くなったのをスタッフに言わずステージにいるはいどさんに言ったり(MC中断された)
一番ひどかったのはハロパで、スタンド席で隣席になったキャバっぽいお姉さんが公演はじまってるのにずっと携帯いじってるわVAMPSがはじまるまで席はずすのはいいけど
「荷物見ててくれます?」って出て行くわ。「は??」みたいな。「きゃ~~はいど様~~~♡」じゃねえよ。
幕張のときもアリーナで前列にいた某狼バンドのファンの女の子二人が横にいるモッシュの集団にずっと文句言ってるわ汚物を見るような目で見てるわ終いにはキレるわ。
何しにきたの…みたいな…。でもVAMPSのときには「はいど~~~♡」って言ってるんですね。不思議だね。
そういうのがあってなんかもう行かなくていいやって思った。必死に楽しかったこと思い出そうとしても、浮かぶのは嫌な思い出ばかり。
公演終わってツイッター見て、みんな楽しかったねー!って言ってるなか嫌な目にあったことツイートして水をさしたくない、学級会もしたくない。
自分から注意もできないチキンが何言ってんだって話なんですが、そうやって行かなくなって4年経ちました。(ラルクは行ってるけど)
でも変わらずVAMPSは好きです。
皆様は今、手元に自由に使っていい10万円があったら何に使いますか?
ずっと欲しかった靴や洋服、鞄も買えます。時計も高級ブランドでもなければ買えます。
ぷらっと国内旅行にだって行けます。ミシュランガイドに載るような有名高級店のディナーだって食べられます。思いっきり趣味に没頭することも出来ます。
それを、たった一人の女と、たった二時間を過ごすためだけに使う人もいます。いわゆる高級風俗の頂点、ソープランドです。
私はかつて、そういった店で働いていた風俗嬢です。
短大を卒業後、自分のやりたいことをやるために(あと奨学金を返すために)時間も賃金も融通性の高いこの職種を迷わず選びました。
学生時代から、親の援助の一切ない一人暮らしをしていたこともあり、風俗へと進むのは自然な流れでした。最初は居酒屋のバイトで頑張っていたのですが、オープンラストで週6で入っても、生活はカツカツ、授業は休みがちになってしまったからです。
最初からソープだったわけではなく、どこにでもよくあるデリヘルです。10代というだけで、とくに技術もなくても指名が飛び込んできました。私は、本当に誰にでもできる簡単な仕事だと思ってました。初めて身体を使って働いたお金は、一枚一万円のストールを買いました。帰り道のデパートで。とてもほしいと思ってたわけじゃないけど、とにかく何か買い物がしてみたかったのです。
話が逸れたのでもとに戻します。卒業後、私は地元を離れる決断をし、どうせなら一番短い時間で一番お金がもらえる仕事がしたいな、とインターネットで風俗の求人検索をしました。
すると、一風変わったサイトに辿り着きました。どうやら、ソープ街が独自に立ち上げたサイトのようで、一般客向けのコンテンツがずらりと立ち並ぶなか、求人広告もあり、街中の案内所や喫茶店のレビュー記事らしきものもありました。求人を探していたはずなのに、思わずひとながめしてしまうほど。
その中でも、10日間で100万円を稼げるという、とんでもない求人広告を掲げているお店がありました。当時の私は、1日せいぜい稼げて3万円、普通なら2万いくかいかないかで、最悪0円で帰る日も月に2、3日はある並の風俗嬢でしたから、たったの10日間で100万円なんて想像もできませんでした。
仕事内容がきついのだろうと詳しく調べると、ソープランドには3種類あるらしく、生本番が基本の高級店、衛生器具着用もできる中級店、ヘルスとそんなに変わらない値段、時間で利用できる大衆店というカテゴライズで、どうも見た目の問題や店の内装の問題というよりは、生で本番ができるかできないかが大きな分かれ目になっているようでした。
私は悩みました。さすがに、ビルを飲めば妊娠しないとはいえ、様々な病気のリスクも高く不衛生になりやすい生本番を、許容してもいいのかと。もうとうに貞操観念などはなくなってましたが、それはさすがに畜生道が過ぎる気もしたのです。
でも、10日間で帰っていいですよというその広告は、とても魅力的でした。なんなら旅行に行くくらいの気持ちで行けばいいかと、私はとりあえず電話してみることにしました。年齢を告げると、じゃあ明日そちらにお伺いしますね、とあっさりと言われました。明日?私の住んでいる県とそちらは新幹線で5時間以上かかるのに?とびっくりする気持ちでいっぱいでしたが、とりあえず来てもらえるならそれに越したことはないので来て頂きました。
面接に来てくれたのは、朗らかなおじいさまといった印象のスキンヘッドの老人でした ダブルのスーツを着ていたし、カラーシャツだし、どこからどう見てもヤクザなのに、全然凄みも怖さもなく、優しい方だったのを覚えています。面接は喫茶店で世間話でもするみたいに行われました。事前にかなり下調べしていたので、仕事内容もツアー内容も頭に叩き込んでいました。初回は往復交通費まで出るとのことで、私はもう別に明日からでも行ってもいいかな?半月くらい家を空けるなんて、一人暮らしだしなんてことないなと思い、そのおじいさまに、「じゃあ、明日行きます」とお返事しました。すごくびっくりしてました。普通一週間は悩んで、それでも来ない子のほうが多いのに…と。ヤクザさんのびっくりした顔は今後の人生で二度と見れるかどうかなので、心に深く刻んでおこうと思いました。
そして、私は本当に軽く小旅行するような気持ちで、ソープ街へと旅立ちました。隣にはヤクザさん。そして海外に行くようなスーツケースを携えた冴えない私。どう考えてもミスマッチです。でも楽しかったです。ヤクザさんはずっとノートパソコンで何か作業をしていたので、私ものんびり過ごしました。グリーン車に乗るのなんて人生で初めてでした。道中の飲み物も食べ物も、全部ヤクザさん持ちでした。
そして街の最寄り駅に付き、お迎えの黒塗り高級車に荷物を詰め込み、いざ街へと向かいました。さすがにドキドキしてきました。ここまで怖い人は誰一人出てきませんが、多分全員本当は怖い人です。行った先にも怖い人しかいないと思うと、さすがにめげそうでしたが、あれだけグリーン車で好き放題食べた手前、一本くらいはこなさないと怒られそうで耐えました。
ほどなくして、店に到着。ちょうどお客様をお見送りする最中の嬢様とかち合ったのですが、唖然。お召し物がどこからどう見ても令嬢としか思えないきちんとしたスーツ。極上の笑顔、そして滲み出る気品。こんな女の人がスタンダードなのかよこの店、とんでもないところに来てしまったのか??と途端に自信がなくなりました。
でも、応接間に通された私は、さらに驚きの発言をされるのです。
「会長が2つ返事でOKしたので、最高級店で働きましょう。」
え??と首をかしげると、ヤクザさんはにっこり笑い、いくつかお店がある中でも、ここは中級、あなたは礼儀も正しいし受け答えもしっかりしているので、一番稼げるお部屋を差し上げますよ、と言うのです。
どう考えても今しがた出てきたお姉さまのほうが美しさは上なのに。受け答えなんてしっかりしてるつもりもなく、ただおとなしくしていただけなのに。ただ、私の意志で店は選べないようなので、仕方なくそこには従いました。
まず、髪型を変えるとのことで、近くの美容室に送り込まれました。見たこともないような高級な美容室で、何かちょろちょろとボーイさんが伝えると、私はなすがままされるがまま。2時間後には見たこともないような、それこそオスカー女優かよ!って思うような髪型に大変身。そのあとメイクの人がやってきて、やはりなすがままされるがまま。1時間後にはミスユニバースかよ!って突っ込みたくなるような顔に変身しました。これは本当に私なのか。
そしてスタジオへ直行。そこには、天使かよ!って突っ込みたくなるような純白のレースのビスチェ、ブラジャー、ガーターベルト、Tバックのフルセット。どう考えても全部で10万円くらいします。そして、昔浅野温子が着ていたみたいな、しかし古臭くはない白のピチピチのボディコンスーツ、しかし胸元は露わに空いてます。さらに言えば、何カラットなんだこれというダイヤらしき巨石が付いたネックレスとイヤリング、そしてミュール。それを着ろと言うのです。もう、袖に手を通すだけでガクガクでした。
撮影は店長が担当してくれました。手足の指の向き一つにまで指示をされ、私は全身が吊るかと思いました。グラビアアイドルは普段こんなことをやっているのか、画面の中ではニコニコ笑ってるけど笑えないぞこれ、きつい!って思ってたら店長にきついけど頑張って笑顔ね~と言われたので頑張って笑いました。一時間ほど、ポーズを変え場所を変え、服も脱いだり着たり。肩紐を外しそうで外さないポーズが一番きつかったです。重力はさすがに操れませんから。
そんなところで今日は終了。明日から3日間は丸一日研修だからね、休憩なしだから頑張ってね~と言われ、仮住まいとなるワンルームマンションに送り込まれました。ケータリングが充実していて、あのサイトで評価の高かったお弁当屋さんもおうちに呼べました。早速注文しました。信じられないくらいおいしかったです。
そんなこんなで爆睡。お迎えの車がくる30分前まで寝てました。
そして研修1日目、実際使う部屋を案内され、私はここに来て抜かれっぱなしの度肝をさらに抜かれました。
なんだここは、王室か。
部屋の半分が浴室で、見たこともないような大理石調の重厚な丸風呂に、絢爛豪華な蛇口。あれです、ライオンのお口。風呂の外は広い浴場になっていて、いわゆるすけべ椅子というもの、産婦人科でしか見たことがないような謎の椅子、そして美しく磨かれたマットがありました。
そのわりにはベッドがえらい質素で、ただのタオルを敷いた台でした。これは風営法上ちゃんと理由があってのことと後で知るのですが、ベッドだとアウトらしいですね。その他の装飾品はすごかったです。ランの花が普通に飾ってありました。あとベッドのまわりが全部鏡になってました。
先生という人がくるまでの間、私は冷蔵庫からりんごジュース(当然果汁100%)を飲みながらただただびびってました。これ、装飾品代だけで一人10万円とらないと元とれんのとちがうの…??と思いながら正座で座ってました。
そんなこんなで先生がいらっしゃいましたがびっくりです。だって、普通のご老人なんだもの!!どこにでもいそうな、ちょっと白髪混じりの顔のきついおばあちゃんの登場に、私はまたしても度肝を抜かれました。
おばあちゃんは、開口一番私にこう言いました。
「アンタ、運が悪かったね。あたしは他の先生と違って厳しいから、覚悟してやんなさいよ」
もう泣きそうでした。怖い。多分ここまできて一番怖い。しかも講習代で普通に財布買えるくらい取られてるから詐欺だったらどうしようとか、やっぱり一本こなさないと死ぬまで追いかけられるかもしれないとビクビクしながらとりあえず1日目は座学と部屋のセッティングを8時間かけてしました。
とりあえず、ここはこのソープ街の中でも屈指の高い店、嬢は与えられた2時間を女優として演じきること。どんなに接客が続こうと、髪の毛一本でも乱れてはいけない、下着は間違っても汚れたのは使い回しできない、自分の匂いは決してお客様に残さない、お客様を見下ろすことがないよう、常に膝で歩け、膝から下はないものだと思え。食べ物の匂いや性行為の跡は常に全部リセット。髪の毛一本濡れててもダメ。ただし、2時間の間はなりふり構わず望むことはなんでもやってあげなさい。自分の楽は捨てて、常にお客様に尽くしなさい。毎日経済新聞とニュースはチェックしなさい。頭の悪い嬢では務まらないから常に努力しなさい。稼いだお金の半分は、自分の身体と衣装に使いなさい、普通のOLの月収を1日で稼ぐというのは、そういう投資のためだ。できれば10日に一回美容室に行き、3日に一回はエステに行きなさい。外を歩くときはジャージやスウェットなんかではダメ、常に人に見られているという意識をもちなさい。どんなにみすぼらしい生活をしてきたとしても、ここでは良家のお嬢様の気持ちで振る舞いなさい。相手を立てることを忘れず、最後の一分まで気を抜くことなく、それが「2時間で10万円」という女の価値だ。
……聞いててクラクラしました。それができないなら帰れというのです。もう泣きそうでしたが講習代だけでも元をとらないと説教されて終わりです。私は出来る保証もないのに、はいと答えました。そこで1日は終了。明日までに渡されたマニュアルを隅々まで覚えることが課題でした。これはもうやるしかない。寝る直前までマニュアルを読み続けました。
2日目、私は先生について浴場の実技研修を行いました……が、何かあるたびにビシバシたたかれる。やれ二本足で立ったとか、やれお尻を向けたとか、靴下の脱がせかたがなってないとか、お互い裸の1対1の真剣勝負です。
中でもきつかったのはマットです。まずそもそもまともに立つのですら困難なヌルヌルマットの上で、自由自在に動いて、最後はセックスを騎乗位でこなしお客様をいかせなければならないのです。普通に何度もマットから滑り落ちましたし、手順や体重のかけ方を間違えると即座にビンタが飛んでくるのでさすがに私、こっそり泣きました。温度も暑すぎず温すぎずを保つために、私は熱湯を使ってローション溶きをしなくてはいけなくて、火傷するんじゃないかと思いました。
ただ、これも6時間もやれば慣れるもので、何とかマット洗体の手順は間違えずに出来るようになりました。ここで二日目終了。
3日目は朝から筋肉痛でした。でももう怒られたくなくて必死でおばあちゃんの身体の上を何度も滑り、何度も身体を舐め、3時間後、これで最後だから確認テストやでと言われたラストプレイ、ふと気付きました。
寝るなよ!!こっちは真剣なんだよ!!講習代返せ!!とまでは思わなかったです。私も疲れるけど、こんなの教える方も疲れますよね、わかります。
そしていよいよマットの訓練がおわり、先生は私にこう言いました。
「もうあんたは、どこの店に行ってもナンバーが取れるよ。あたしの言ったことをサボらずきっちりやればね。お疲れ様。」
そう言って、頭をトントンと撫でてくれました。不覚にもぼろ泣きしました。人生で多分一番厳しい修行だったけど、多分一番為になる時間だった。私、引退してもう3年は過ぎましたが、今でも対価と報酬については本当に真剣になれる。自分のもらっている給料は、どんなに安くてもお客様がいてはじめてもらえるもの。暇だからって遊んだりサボってはいけないわけで、仕事にきている時間は精一杯やることが当たり前なのだと。当たり前のサービスを完璧にこなして初めて頂ける対価。当たり前の難しさ。でもそれだって習慣にすればなんてことなく、自分のものになるのです。
ある意味、そう言った点ではかの道を選択したのは悪くないのかも、って今でも思えるのはそういう点です。
なお、先生の言うとおりのことを出来ることからバカマジメにこなした結果、マジでナンバーはとれました。私は綺麗でもなく可愛くもないですが、空間がくれる魔法と、10万円の報酬に見合う接客を真面目にこなしただけで本当にとれました。
お客様とのやりとりも印象深いものが沢山ありますが、またしても長くなったのでまた今度。
では、最後にまた改めて質問を。
たまには羽目を外してこんな遊びも、悪くないですよ。
ゲーム好きが多そうなインターネット関連の仕事をしているが、社会人になってからは自分ではほとんどテレビゲームには触れていない。今となっては、子供たちがたまに遊んでいるのを眺める程度のものだ。
そんな俺だけど、最近、ひどいソシャゲ課金問題がニュースになったり、実況動画のユーチューバーに扇動されるキッズたちがそんなゲームにハマっていたり、息子の3DSを発狂して叩き割るヴァイオリニストがいたり、そういうニュースを見て大人が眉を顰めていたりするのを見て、そういうのはものづくりとしてなんか残念だなぁって思い、ふと思い立ってこれを書いている。
俺は本当は元々ゲームが大好きだった。どうしようもなく好きだった。たぶんここでマニアを名乗れるほどでは無いけれど、ファミコン世代ど真ん中で、小学生時代は任天堂に憧れ、ファミコンとディスクシステムに埋もれて育った。反抗期はメガドライブで道を踏み外し、幾多の良ゲークソゲーにまみれてサターンで遊んだ(結局スーファミもプレステも持ってたけど)。この世代によくいるエンジニアの例に漏れず、ゲーム好きをこじらせた結果、IT関連の仕事に進んだ。
社会人になってからは大好きなゲームで遊ぶ機会は徐々に減り、いつしかまったく触れることも無くなった。
興味が無かったわけじゃないけれど、ネットとWebとコミュニティ関連の仕事をしていたら、やたら忙しくて使える時間は限られたものになり、そのうち自分の家庭を持つようになり、結果として一見何も生産されない(ように感じる)ゲームにひとりで貴重な時間を費やすのは勿体無いと割りきって考えるようになったのだ。
仕事でもプライベートでも、どうせディスプレイに向かうのなら何か成果物を残せるか、実際に人との繋がりを作れる仕組みに力を入れようと考えるようになった。それはクラシックなホームページだったりECサイトだったり、ブログだったりSNSだったりしたのだけれど、いずれにしても「俺たちのインターネット」は今までと違う新しい世界を作るんだ、という気概のようなものを勝手に持っていたような気がする。つまり、ゲームを作る側でも無い普通の人間にとって、「ゲームで遊ぶ」という行為はクリエイティブな行動とは考えなかったのだと思う。
そのうち自分の子も大きくなり、人並みにDSやWiiで遊ぶようになった。
でも、うちの子たちがそこまでゲームに熱中しているほうでもなく、妻がゲーム嫌いなこともあって、それほど家庭の中でゲームが話題になることはなかった。俺自身もWiiを見たときに、すごいユーザフレンドリーで簡単に遊べて任天堂はすごいなーって思ったり、子供たちとちょっと遊んだスマブラが面白いなーと感じたりしたことはあったけれど、基本的には世代を超えてマリオに親しむ子供たちの姿を見て微笑ましく思ったり、良い物は良いねって言ってみたり、つまりは親として、第三者的な感想を述べるという以上に自分自身がのめり込むような体験が再来するようなことはなく、ああ、やっぱり自分が少年の頃感じたあの感動や興奮は、あの時期特有のものだったんだろうなあ、子供たちが今のゲームに同じように感じることはあったとしても、自分自身がもう一度あの感覚を体験することは無いんだろうなあ、などと悟ったようなことをちょっと寂しく勝手に考えていた。
我が家はそんな、ゲームにそれほど熱くなっていない一家なので、最新のゲーム機やゲームがすぐ家にやってくるというようなこともなく、WiiUも発売から3年経ってようやく我が家にやってきた。息子のクリスマスプレゼントということで、義母が買って送ってくれたのだ。正直随分とリッチなクリスマスプレゼントだと思う。
その半年ほど前、なんかイカがインクを塗るゲームが発売されて話題になっているということは知っていた。俺はホッテントリにそのゲームがしばしば上がるのを面白そうだなーと思いながら眺めていたし、息子もそれが欲しかったのだろうということはなんとなくわかった。
かくして、流行から半年ちょっと遅れて我が家にもWiiUとイカのゲームがやってきたのである。
すっかりゲームに興味が薄れてしまったおやじである俺は、息子が喜び勇んでイカのゲームで遊ぶのを温かい目で後で眺めていた。とても面白そうだった。
一台のWiiUでは基本的にはひとりずつしか遊べないので、パパにやらせろよと言うでもなく、オシャレでいいなこれ、っていう程度のことを思っていた。
その穏やかな認識が一変するのは、その一週間後の大晦日のことだった。
12月31日、仕事やら親戚の都合やらなんやらで予定が合わず、年越しは妻と子供たちだけが実家に帰り、俺はひとり寂しく自宅に帰って新年を迎えることになった。やり残した掃除を済ませて一息つき、ひとりで年末番組を見る気にもならずビールを飲んでだらだらしていたが、すぐ退屈になってしまった。そこで、なんとなく一週間前にやってきたWiiUの電源を入れ、自分のIDを登録して息子が遊んでいるイカのゲームをやってみたのだ。
ほうほうどれどれ、操作は複雑そうだが簡単に覚えられそうだ、とりあえずバトルに参加してみるか、しかしこれ音楽カッケーな、と……
かくしてイカを操作し始めた俺は、すぐにとんでもない衝撃を受けることになる。なんせ、俺はゲーム体験の歴史が軽く15年は飛んでいる老帰還兵なのだ。
操作に慣れるまでのタイムは僅か0.05秒にすぎない、とまではイカないが、少なくとも開始30秒後には俺はなんかすごいものに触っているぞという気になりはじめ、思った方向に画面が動き、自分が向いた方に画面が回り、目の前の画面に映るイカが自分と一体化した気分になり、それを気持ちいいと感じるまでに実に1分もかからなかった。大げさでなく、これはすごいことだ。ものすごいUIだ。
正直、まるでダイナモローラーで全力でぶん殴られたかのような衝撃を受けた。
なんだこれは。
気持ち良すぎる。楽しすぎる。
気が付くと、がむしゃらにわけもわからずインクを塗っているだけであっという間に1ゲーム終わっていた。
一体、なんなんだこれは……!!
3戦、4戦と繰り返しあっという間に30分くらい過ぎてしまった。
なんだか涙が出てきた。ていうか、恥ずかしいことにおっさんの俺はひとりでゲームをやりながらボロボロと涙が止まらなくなってしまった。
別に、大晦日にひとりでゲームをやっていたのが虚しくて涙が出てきたわけじゃなかった。自由に軽快に動くイカのキャラを見て、夢中で空間を走り回っていたら、子供の頃、家にやってきたファミコンで初めてスーパーマリオを動かしてまるで自分の思いのままにマリオが走ったときの感動や、自分のお年玉を貯めて買った発売されたてのメガドラで似非3Dのスペハリ2がぬるぬる動くところを見たときのことや、ゲーセンで「自分の思うままに3D対戦できるゲームが現実になるなんて!」とバーチャロンに100円玉を積んだ思い出なんかが次々蘇ってきた。
とんでもないものを作る人がいる。
そうだ、楽しいゲームをプレイしたときの体験と感動っていうのはこういうものだ。ありがとう、それを思い出したし、世界は過去より進化している。
かつて夢に見た未来がここにある、そんなことを思った。
だって、フィールドを思い通りに走り回り、リアルな人間同士がスポーツのように対戦でき、公平で、平等で、みんなが活躍できる。
去年の5月から遊んでいる人達にとっては超今さらな話なんだと思うけど、これってとんでもないデザインじゃなイカ。
良かった、どうやら俺が枯れてしまったわけではなかったようだ。だって、ゲームで遊んで猛烈に感動したもの。良い物は良い、ていうのはこういうことを言うんだろう。
気が付くと、外は元旦の日が昇っていた。
信じられないことに、どハマりしすぎて正月になってしまったのだ。その時にはその日フク屋にあったギアは全部買い、その時持っていたギアの中で一番イカす組み合わせをコーディネートする程度にはインクの沼に溺れきっていた。ちょっと妻と子供たちには言えないが、ひどい年明けだけどどうしてなかなか気持ち良かった。
すさまじいゲームバランスと運営で成り立っている世界だ。幾多の戦場をくぐり抜けてきた歴戦のスナイパーみたいなマニアと、たかしくん5歳(推定)やさくらちゃん4歳(推定)が同じ世界の上で楽しくワイワイとインクを塗って遊んでいるのだ。よくできたレベルごとのマッチングもあるにせよ、殺イカ鬼みたいなプレーヤーが前線で戦っている後方で、たかしくん5歳(推定)がコロコロとローラーでインクを塗って喜んでいるフィールド。みんなそれぞれ楽しい世界だ。任天堂だからできるっていうことはあるにせよ、ゲームで楽しませるんだ、新しい世界を見せるんだという思いがビシバシと伝わってくる。ガチャですり減るばかりのソシャゲのようなものとは本質的に違う。すごいゲームを作るものだと感心しながら家族の待つ実家に向かった。1月1日、俺の頭の中はカラフルなインクでいっぱいで、なぜだか不思議とクリエイティブな気分だった。
ところで、上の方にインターネットに関わる仕事をしていると書いたけど、もはや「俺たちのインターネット」的なコミュニケーションに特別な思いを抱く時代では無いんだなあ、っていうことを改めてしみじみと思った。
普段、仕事でわりと年配の方も使うWebサービスに関わっているんだけど、残念ながら2016年現在の今なお、インターネットを特別なもの、得体の知れない不穏なものと敬遠する層があり、そういう世界がある。世代間ギャップだけの問題だけではなく、サービスの内容にもよって向き不向きもある。流通業なんかだと、いまだに「リアル対ネットの戦い」だとか、「紙媒体とWebメディアの二項対立」なんていうものがあり、「オムニチャネル」なんていう言葉が持て囃されたりする。
仕方ないんだけど相変わらず、クラシックな層に対して「インターネットの普及」を懸命にやらなければならなかったりする(だいたいインフラの話とアプリケーションの話がごっちゃになっている)。正直ウンザリすることもあるけれど、それが現実だと受け止めている。
しかし一方で、イカのゲームで遊ぶ子供たちを見てつくづく考えさせられるのは、もはやこの世界で成長して大人になっていく今の子供たちにとってはインターネットがそこにあるかどうかなんてことは考えることすら無いし、我々が90年代後半から00年台にかけて見てきたような「俺たちのインターネット」としてネットの場を特別視するようなことも無いのだ。彼らにとって、ネットは電気や水道と同じようにあたりまえにそこにあって、ゲームをやろうとスイッチを入れれば、仲間や対戦相手が生身の人間であることがあたりまえなのだ。
既に、テレビゲームで遊んでいてそれがリアルかバーチャルかなんていう議論ももうあまり意味が無いんだろうなあ。それはバーチャルな場を使用したリアルであって、線引き自体がよくわからない。近い将来親になる世代に対してはネットは「普及」するものですらなく、このコミュニケーションがスタート地点ですらある世界がいよいよ本当にやってくるのだ。
思うがままに書いたけど、たぶん、ずっとゲームをやり続けてきた人から見たら何年も前から当然のようなことなのかもしれないね。
対人で対戦できるFPSやTPSだって、オンラインのRPGだって20年くらい前にはあったし、上に書いたようなネットゲーム体験はそれからずっと培われてきた技術によって成り立っているんだろうなって思った。
でも、そうやって新しい物好きやマニアの層が開拓してきた技術や経験がいよいよ一般層にまで展開されて、子供たちが何も考えずにその世界の上で育っていくという現実に、なんだかもううかうかしてられない危機感と楽しみみたいなものを感じずにはいられない今日この頃。
少なくとも東京でそういう空気をビシバシ感じるから、田舎だともっと凄いんじゃないかと思う。
もちろん厳密に本当に「全て」を捧げたら生活できないから仕事や仕事上の勉強くらいはするけど、なんというか、上手く言えないけど、精神的には完全に子供の奴隷に望んでなる感じ。子供の利益に繋がらないことは一切やりませんという感じか。会社の飲み会は人間関係を円滑にして子供のための給料を上げる効果がある、みたいな多少無理筋なロジックもなくはないけど。
ていうか「中間の親」なんて親本人の心理状態からしたら一番キツイんじゃないの?
「自分の人生も生きてる!」といいつつマジでそれに打ち込むことなんて現実的にできないんだから理想と現実のギャップでストレス溜まるだけだし、かといって両立の建前があるから子育てにアイデンティティを依存するわけにもいかないし。
だったら「自分は子育てのために生きてる!子供の成長こそが自分の人生の成果!」となって完全依存体制に移行した方がずっと精神的には安定すると思うわ。
客「おう今月も100個頼むぜ。ところで値段もうちょっと安くならない?」
主人「あいよ、任しとくんな!オラオラお前達もっと気合入れろ!」ビシバシ
労働者「ヒエー」「グワー」「ヤメテクレー」「ゲホッゴホッ」
主人「へっへ、今まで100個生産のところを労賃据え置きで150まで増やしてやったぜ。これで安くなったな。」
客「おっ、ちょっと安くなってるじゃん。じゃあ100個もらっていくぜ。」
主人「あいよ、また来てくんな!・・・んんー?50個余ってるぞ。どうすんだこれ。」
税吏「むっ、貴様余分な財産を持っておるな、税金値上げじゃ!」
主人「ええー、そんな殺生な・・・」
客「おい、なんだこの品は!不良ばかりじゃないか!」
労働者「アタリメーダロ」「テヌキダ」「コキツカイヤガッテ」「ストライキダ!」ドカバキ
主人「ぐぎゃあああああああああああ!」
会計とかよくわかんないけどこうなるんじゃないの
誰か教えてくれ