俺っちネット民の大半が思ってる通りずっと「オタク」と「政治的正しさ」は相反するものであり、
世が「政治的正しさ」を志向するならオタク的表現は抑制されて然るべきものとなると思っていたのだ
しかし最近ふと思ったわけだ、むしろ世の中が「政治的正しさ」を志向すればするほど、世にオタク表現が溢れていくのではないか、と
…ヘーイ何妄言垂れ流しとんじゃボケぇとか言わずちょっと聞いとくれよハニー
いや「実はオタク表現は政治的に正しいんです。だから世が政治的に正しくなればオタク表現もあふれるのです」なんて主張ではない
全てがそうとは言わんがオタク表現は基本的に「政治的に正しくない」と思う
では何故に世が「政治的に正しく」なれば「政治的に正しくない」表現が蔓延るとのたまうのか?
オタクを抑制して社会の片隅で縮こまらせる存在たらしめてたメソッドとは何か?というと
…しかし近年その「抑制」通じなくなってるのだ。何故かって?理由は簡単だ
「オタクキモい」は政治的に正しくないのだ!(な、なんだってー!?
対象がどのような人物であろうとどのような言動をしようと「キモい」と言いつけることは
「政治的に正しい」世ではまっこと「政治的に正しくない」行いなのだよ!(ななななんだってー!?
(対象が「政治的に正しくない」からといって「政治的に正しくない」罵倒を投げかけるのは相手と同じ穴の狢。「政治的正しさ」の基本)
しかしはっきり言ってどれも弱い。ほんとオタクを打倒するには蚊が止まる程度の衝撃しか無いくらい弱い
だって差別性がどうたら~うんたら~かんたら~たらったらたらり~んとくどくどくど長口上垂れ流して垂れ流したら、
当のオタクにはハナホジして「はあ。だから何?」の一言で終わりです
六文字だ!たった六文字だ!たった六文字でオタクをビシバシゲシゲシ抑制できるのだ!なんてコンビニエンスザンショ!
…だが、「政治的に正しい」世の中ではこのメソッドは著しく不当なのだ
「キモい」と言われた当のオタクは「自分は不当な罵倒を受けた」としか思えないのだ。
(勿論明確にそう思っているヤツは一人もいないが、「政治的に正しい」世の中では心の片隅で絶対にそういう感情を抱かざるを得ない)
当人がどれだけ「政治的に正しくない行い」をしていても、だ(←ここ重要だからメモっといてね
「政治的に正しくない」「オタク」と「政治的に正しくない」「オタクキモい」…のVSにおいて後者が衰退し、前者が勝ったのだ!
…それだけの話しだ!きっとそうなんさ!
いや別に「オタクを批判すんな」と言うわけでもないし「政治的正しさはクソだ」と言いたいわけでもない
ただ言いたいことは、オタクを抑制するのに最も効率の良いメソッドは「政治的に正しくない」ものに他ならぬこと、
そのメソッドを失ったんだから世にオタクがあふれるのは当たり前じゃんということであり、
「オタク批判」の方々が「政治的正しさ」を盾にしてオタク批判できると思ってるんなら、
ポリコレ棒とか揶揄する気はなく、そもポリコレを武器にすることでアンデッドモンスターに即死魔法食らわせて逆効果みたいな事態が起こってるというか