はてなキーワード: ネットゲームとは
リア友とネットゲームのあり方について雑談したので以下に記載する。
なおオレはネットゲームを1年ほどプレイして引退、ネットゲームそのものに対して
否定的ではないが自分自身ではプレイ時間についていかず引退を決意。
今はスタンドアロンのゲームのみプレイしている座右の名は「ゲームは1日1時間」
本人は廃人ではないと豪語しているがレベルは常にカンストしていないと不安という状態。
半年前から辞める辞めると言いながらまったく辞める気配がない。
オレ:
リア友:
大航海時代をやれば地理に詳しくなるしよく出来たファンタジーゲームは小説、映画と同様いやそれ以上に深い世界観を持ってると考える
オレ:
趣味は自分を向上するためにあるものであり体調を悪くするのはいかがなものか?
リア友:
我々ネトゲーユーザーは体調管理をしっかりし規則正しい生活を送ってプレイすべきだと考える。
オレ:
顔も知らない人間とチャットやメッセージをやりとりして擬似的な「友達」を作ってもそれは本当の「友達」ではない。
やはり直接会って話すのが真の友達ではないだろうか?
リア友:
デジタルで心を通わすのに抵抗があるだろうがそれはもはやすでに過去の話である。
古来より手紙で意思疎通を図っていたように文字で心を通わせることは可能である。
またネットゲームでは積極的にオフ会が開催され直接ユーザー同士がコミュニケーションをとっている。
ネットゲームという共通の趣味で人間関係を広げるのは、ちょうどテニスサークルなどで人間関係を広げることとなんらかわりはない。
年代や性別を超えて様々な人とコミュニケーションをとれることは人格の幅を広げるといえよう。
またネットゲームは物理的拘束を超えるため日本全国(時に国を超えて)の人々と知り合えるというメリットも有る。
オレ:
不健康じゃないか?
リア友:
異論はない。
家に引きこもって座りっぱなしなので体力の衰えは否めない。
ネトゲーユーザーは定期的に散歩やスポーツをしたほうがいいと考える。
オレ:
リア友:
確かにネットゲームばかりやっているとゲームの知識しか得ないため偏屈な人間になる傾向がある。
最近はてブの炎上案件について色々と議論が交わされているようだ。
そもそも炎上の火種になるような記事を投稿するのが悪いという意見や、
ブコメをつける方も、配慮が必要なのではないかという意見など。
様々な意見を読む中で、昔にあったこのようなことを思い出した。
あるネットゲームを題材にした掲示板を荒らすことで有名なN氏がいた。
N氏は手当たり次第に様々な掲示板に意味不明で無駄な文字列を何度も書き込んで迷惑をかけていた。
Webサイトの管理者達は、N氏へ掲示板荒らしを辞めるよう何度も要請を行ったが、聞く耳を持たなかった。
当然、N氏は嫌われものだったのだが、中には「N氏のアウトローな所がかっこいい」というやつや
「実はN氏は寂しがり屋なんだろうな」と思うやつが寄り集まって、N氏のファン層が構成された。
それに気をよくしたのかわからないが、N氏は自分のWebサイトと掲示板を立ち上げる。
そこでN氏と彼のファン(?)による交流が行われだしたのだが、面白くないと思う連中が多くいた。
掲示板を荒らされたメンバーは、報復でN氏の掲示板を荒らし始めた。
それに困り焦ったN氏は掲示板でこのように発言した。
「ここは、僕らのコミュニティなんです。荒らしはやめてください!」
この挿話から考えられる論として、それぞれがお互いの立場になることで初めて、
今まで見えてこなかった感情が見えるようになってくるのではないかと思うのです。
こんな言い方されたら傷つくんだな、とか、こういうことが良くないことなんだな、とか。
そこで、様々なブログをローテーションで順に炎上をさせていってみてはどうか。
炎上される立場と、炎上に加担する立場と、それぞれを多くの人が経験することで
見えてくるものがあるのではないだろうか。
本当にあるよ
ヤフオクとかRMT用のサイトで取り引きを取り付けるから、ゲームの中で声掛けして売る訳じゃないから、普通にネットゲームやってるだけなら気づきはしないけどね
艦これは他人との交流が殆ど無いからこそマイペースで楽しめるし、他のプレイヤーにストレスを感じることもなく出来るのがいいんじゃないかな
ギルドがあれば人間関係の問題も生まれるし、トレードがあればRMTの問題も出てくる。
それに魅力を感じる人間が出る一方で、それにストレスを感じて止めてしまう人間も出てくるだろう
更に言えばそういう一般的なネットゲーム要素のあるゲームはそれこそ他に沢山あるわけで、運営はそう言った競合作品とユーザーの奪い合いをする必要もある。
それよりは競合の少ない現状の艦これのシステムでマイペースでプレイしたいユーザーの需要を根こそぎ独占する方がいいという考えなんじゃないかな
http://anond.hatelabo.jp/20131220023223
自分と境遇が似てるんだけど、ちょっと違和感がある点をいくつか
ホントに大二病で哲学かじってたら、もうちょっと違うだろみたいな指摘もいくつか見たけど
ある程度読書量あると、まとめサイトってすぐ飽きると思うんだけど
まあソースは俺だけど
でも、専門雑誌で論文読みまくってたリテラシーあるなら、普通に2chのログ漁るよね
コミュニケーション目的なら、なおさらまとめサイトより2chのが反応いいし
ボクシングや総合格闘技、ブラジリアン柔術などを学ぶのは熱が入っていましたが、虚無感も感じていました。一時強くなってもまた次の時代に新技術や新しいトレーニング方法などが改良されて、今自分が身に着けた技術とかは古い雑魚技術になるんだよなあと感じてましたが。
ここ、もやっとするんだよなあ。格闘技は経験ないけど、スポーツとかで
今までの積み重ねがひっくり返される革新ってのは確かにあるんだけど
とはいえ、今まで鍛えた身体は裏切らないみたいなのがあるので
積み重ねが全て無に記す虚無感ってまではいかないんじゃないかなあ
大学時代はボクシングをやったり、(略)2,3のしょぼい分野(全部似てる分野)で、日本10番くらいになったのが思い出です。
ボクシングの学生大会で日本10番になったわけではないんだよね
もしかして、そのボクシングや総合格闘技、ブラジリアン柔術とか日本10番って
一つ後悔というか、やっとけばよかったなあってのは、『絵を描けるようにする』ことです。漫画も数本描いたり、絵の参考書なども20年くらい読んだりしているのですが、「下手ではないけど、、、」程度です。 絵で伝えるってのは技術として素晴らしいものなので、もっと子供の内から学んでいれば楽しめたのかなあとか思います。
人と話すことが全く面白くない人が絵で伝えたいことってなんだろう
学校の友人と、プレイしているネットゲームや趣味が同じ人、botが並ぶのを見ていくうち、とある友人のアカウントがないことに気付いた。
フォローしてないしされてない。
しかし、友人らを集めたリストには友人のツイートが表示されている。
どうしてだろう、と思ってしまった。
その友人を仮に、Aとしよう。
Aとはほぼ同時期に部活動を始め、当時はさほど仲良くなれなかった。
私は部活に馴染めなくてやめてしまったが、Aはそのまま続けていった。
Aやその周りに関わるのがとても嫌で離れていた時期もあったが、選択授業で一緒のクラスになり話す機会が増えた。
周りの人と話しても胃が痛まなくなった。
私は携帯を持っていない。
軽い気持ちで登録し、なんだかんだで呟いた。
そんな時、Aもアカウントを作ったとのこと。
早速フォローした。
向こうもフォロバしてくれたし、その後も会話は続いた。
Aはネット上の友人を増やし、いわゆるリアルアカウントという物も作った。
もちろんフォローした。
去年の今頃。
Aが「コンサート見に行きたい人リプくれ」と呟いたので私は「いいなそれ行きたい」とリプを送った。
「いいよーチケット今度渡すねー」と来て、他の友人たちもいたが一緒に見に行った。
私とAはコンサートに興奮していたが、他は演奏中寝てしまっていた。
「仕方ないね」とは言いつつも、少し悲しげなAだった。
つい、私は「また見に行きたいな、こういうの。Aと一緒に」と言ったら、Aは「もちろん!」と言ってくれた。
すごくうれしかった。
アニメとかじゃないもので、好きなものが同じ友人というものが初めて出来た気がした。
ついこの間、「ブロックしてからブロック解除をすると相手からのフォローが外れブロックしていることもわからない」みたいなことを知った。
それを思い出した。
Twitterのサービスに、そのアカウントでのフォロワー数変動を調べることができるものがある。
なんとなく登録していたのを思い出した。
調べないわけがない。
訳がわからなかった。
何か嫌われるようなことをしたのだろうか。
まさか、そんなはずはない。
だってこんなに仲良くしてるのに、と思ってフォローしなおした。
私が「なぜかフォロー外れてた、しなおしたよ」とリプを送れば、「ほんとだ」とフォロバとともに返ってくる。
共通の友人がすぐ、「これはwwwwwwひどいwwwwww事情知ってるからwwwwwwブフォwwwwwww」と呟いた。
死にたくなった。
いや、自分を傷つけたい。痛めつけたい。
なぜ気づかなかったの。バカなの?
話すほど赤面して汗が噴き出る気持ち悪い奴がちょっと仲良い人ができたからって調子に乗って。
言わなきゃよかった。放っておけばよかった。
こうしてまた一人友人を失った。さらに失いかけてる友人もいる。
Aの友人は私の友人と共通している。
月曜に顔を合わせたら、泣いてしまうかもしれない。
今こうして書いている間も、Aの鍵付きリアルアカウントの呟きは増えているのだろうか。
しかし、私に対してAは何かを思っていて、その何かを他の友人は知っている。
こんなこと、知りたくなかった。
ネトゲなら、こまお( http://www.geocities.jp/komao81/ )相手に安定して勝てるけど、つまんないよ。
むしろ、安定して勝てるわけではないというところが、ネットゲームの醍醐味なんじゃないかなぁ。
FXとかリアルマネーを掛けた真剣ゲームで、安定した勝ちを得るにはどうしたら必死に考えるのが最近は楽しい。
でもまぁ、どのみちネットの面白さには限界があるんで、リアルの面白さを追求する時期が来たんじゃないかな?
スカイダイビングとかどうよ?
ネットの充実感とは何だろう。
① ネトゲなどでの優越感
② 萌え、恋いににた何か
③ 新しい情報の刺激
個人的にはこの3つだろうか。
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ポーカーやFXなどで、稼げる時は確かに優越感があるが。 勝てない時は優越感どころか、嫌な気分になる。
そういうときは、ニコニコ生放送などで、煽りコメを書き込みまくる。
やっぱ、安定して勝てるわけではないというところが、ネットゲームの嫌なところ。
こう、、、なんつーか、トキメキ??? が無い。
アイドルの追っかけはする気にはなれない。
エロゲやギャルゲーもやる気がせず、とりあえず実況プレイでいいやっていう気になってしまう。
オナニーをしても、違うなあ という感じ。
クロスチャンネル、こっすこす、最終痴漢電車3、彼女×彼女×彼女、娘姉妹 あたりの、絵師が神とか、そういう感じっつーか。
萌え??? でもいいんだし、 美麗??? でもいいんだけど。
なんかこう、心に突き刺さってくる何かが無い。
20年くらい前のエロ漫画が俺は好きだった。 20年くらい前のエロ漫画って、ストーリーや表現が重視されてたんですね。
田沼雄一郎『seazon』 とか 大暮維人、小林少年丸、栗田勇午
なんでもいいんですが、 こう、エロを『表現』していたんですよ。 エロで抜かせるとか、そういう路線もありましたが、そうじゃない路線、ある種芸術だったんですよ。
萌えにしても、昔の萌えは『表現』だった。 小公女セーラ、あばれはっちゃく、ど根性ガエル、 なんでもいいんですが、 なんつーか、萌えを表現せず萌えだった。 というか。
今の萌え、って、ワルキューレロマンツとか、なんつーか、わかりやすすぎるんですよねえ。
これは、今でもそこそこありますね。
最近では、2ch名人 という将棋板まとめブログの実況系を過去までずっと読んでます。 将棋ってルールは知ってたけど戦法とかほとんど知らなかったので、覚えてみるとおもしろいですね。
ただ、問題は、 単にまとめブログやアンテナサイトを見ていても、刺激が少なくなってしまったことです。
まとめサイトを見だしたコロは、いろんな刺激にあふれていましたが。
現在は、1分ごとに100の更新があっても、どれも陳腐に見えてしまう。
一応、ニコニコ動画はおもしろい。 ゲーム実況、迫真空手部 あたりはおもしろい。 だけど、ニコニコはやっぱりペースが遅い。
ブログというのも、おもしろいのだけれど、おもしろいブログを書く人は、更新頻度が遅い事が多い。
まとめサイトじゃないけど、「個人がおもしろいと思うサイトを登録しまくって、他人がそれを自由に見れる」みたいな、そういうサイトがないかなーと探している。
わくてか速報
インモラル
ワロタあんてな
ニュー即vipあんてな
2ch名人
ひろぶろ
くらい。
おもしろいサイトって、 おもしろいというか、 おもしろかった という感じ。
新都社では、そういうのが多い。
おまえだけがバカなんじゃない
はおもしろかったのだが、終わったのか、中断なのか。
サイトのおもしろさ、っていわば、ホラー小説、ホラー漫画みたいな感じ。
http://anond.hatelabo.jp/20131001115840
http://anond.hatelabo.jp/20131001120310
似たような話題(?)が並んでいたので書き換えできるか試してみた
ーーーーーー
プロジェクト設立前からのアイディア出しに参加し、プロジェクト開始初日から開発を続けたものの
コーディング専門期間が終わり、1ヶ月分のマネージメントをしたがあまり仕事するモチベーションのない、実質引退状態の社員になってしまった。
簡単に言うと、今後マネージメントを続けるほどの継続的な面白さを見出だせなくなっているということなのだが、もうちょっと詳しく自己分析も含めて書いてみようと思う。
スマフォゲーム開発は序盤から複数人との会議が必須の定期レビューと、同じく複数人必須の社長とのバトルコンテンツがある。
どのくらいの比率かというと、ソフトウェア要求分析までの開発で約10日間程度、そこから開発をすすめるには、定期レビューを3つクリアしないといけない。その後1、2週間程度の開発で社長とのバトルコンテンツがある。これで全員会議は数えて4つ。
それが終わると、その後10日程度開発をした後に定期レビューのクリアを命ぜられる。その後同様に10日程度するとまたしても定期レビューのクリアを命ぜられる。
なにかと全員会議必須な定期レビューで進展に蓋をしているのが現状だ。
上記会議(およびそこまでの開発)にはセオリーというものが存在する。マネージャと呼ばれるHPと防御力の高い職が先頭を走り、立ちふさがる味方の不満を集め、モチベーションを維持しながらコーダーがコーディングをし、デザイナーが主にキャラクターや背景を制作する。
さて、初めて攻略する開発フェーズにおいて、一番敷居の高い職はなんだろうと考えたところ、圧倒的にマネージャ職だろう。
常に開発の先頭を走るために、内部事情(メンバーの性格等)をある程度把握していないといけない。危険な範囲攻撃や大きな被害を被るいざこざを繰り出すコミュニケーション不足を最初に倒すべく、考えてメンバーを釣らなければいけない。
明らかに責任が重い。
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マネージャの経験、ネットゲームの経験、文章力、全てが皆無な自分では無理でした。
ごめんなさい。
さて、創作(メインはライト系のノベル、たまに作曲)活動を趣味としているわたしですが、
人間が自由時間(生理的必要時間と労働時間を除いた時間、余暇)に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと
『時間をあっという間に吸い尽くす』というのを悪いほうにとらえがち。
そりゃあ、家庭崩壊とか、仕事に支障をきたすとか、睡眠時間が~~!! ってなったら問題ですよ。
でも、生きててさあ、趣味に費やす時間がさあ、余ったとしてどうすんの?
ネットゲームは時間喰うから封印しよう! 普通のゲームしよう! やった! 毎日5時間ゲームしてた当時と比べたら、ゲームは一日一時間って決めたから4時間も余った~!!
で?
余った四時間をどうするのさ?
好きにすりゃいいさ。
だけどね、
こちとら、人生に疲れて、一切の趣味を失い、うつで職も失い、無趣味な期間、それも、人生的な喜びも何にも感じられない人生を数年送ってきたのですよ。
現状まで回復するのに沢山時間がかかりました。数年レベル。悪化しない早めの段階で治療に入ったのにね。
その復帰プロセスなんだけど、テレビが楽しめるようになった。プロ野球の勝敗とか気になるようになった。
ゲームができるようになった。おでかけできるようになった。人と関われるようになった。なんとか普通に寝起きできるようになった。
でもいまいち何か物足りない。
やる気が起きない。うつの症状そのまま。
気分が沈む。
最近ようやく、ジョギングしたり、ギターをつまびいたり、創作できるようになってきた。
前向きに考えられるようになったから趣味が楽しめるようになったのか、
趣味に時間を使いだしたから意欲がでてきたのか、それは知らない。
だけど、生きていく上で、絶対に必要なのが余暇の充実した過ごし方だと思う。
人付き合いって波がありますよ。リア充続けるのだって大変だ。ストレスもたまる。
その逃避先が趣味でしょ?
何? 時間が惜しい?
資格? 金?
死ぬ間際に考えてみたらいい。
家族や友人、ひいては知人は大事にしなさいよ。それは飲み屋の親父の小言みたいだけど口を酸っぱくして言う。
だけどね、趣味に時間を掛けられない人って可哀そうだと思う。自分がそうだったから。
アニメをみたり漫画を読んだり……気楽だけどね、消費するだけの趣味って結局何も得ていないんだから、スキルレベルがアップしてないんだから。
体鍛えたり、何かを作り出したり……、よっぽどそういう方が趣味として健全だとおもふ。
たとえ、ネット上にゴミ屑を散らかしてたり、チラシの裏にでも描いとけというような駄作でもね。
情熱を叩き込めなくなったら人間おしまいよ。生きる意味がないよ。
そういう意味では、資格とったり、お金稼いだりってのも趣味の一環なんじゃない?
余暇をわざわざ潰してるんだから。そういう人には非難はしないよ。好きでやってんだからいいじゃん。
好きなら、アニメ見続けてもいいさ。
「とびだせどうぶつの森」を、発売日に買ってから毎日プレイしている。
このゲームでプレイヤーが生活を送る村には最初4名(3名だったかも)の動物が住んでいて、日が経つごとに新しい住民が1名ずつ引っ越してくる。
最大で10名まで村に住まわせることが可能だが、だいたい8名を超えたあたりから、今住んでいる住人が「引っ越すつもりだ」と言うようになる。引き止めることも可能だが、放っておくと荷造りを始めて引っ越してしまい、入れ替わりにまた他の住民が村へやってくる。
この引っ越しシステムには面白い仕様があって、村の住民が9名に達していると、10人目はただ放置するだけではやってこない。
すれ違い等の通信プレイで他のプレイヤーとデータのやりとりをしていると、相手の村から引っ越した直近の住民が来るようになっている。他のプレイヤー経由で村に来た住民は、前の村の村メロ(その村のプレイヤーが設定したオリジナル音楽)を時々歌ってくれたり、村の名前と住んでいた住人(プレイヤー)のことを話してくれる。
先日、そうやって越して来た直近の住民に「前住んでた○○村に□□って奴がいたんだけど(略)ちょっと苦手だったな」と言われた。
だいぶ長いこと元の村の名前と村メロを教えてくれることしか知らなかったので、内心軽いショックを受けた。
このゲームの住民にはプレイヤーに対する親密度が隠しパラメータとして各々設定されていて、ある程度仲が良くなるとあだ名で呼んでくれたり、挨拶や口癖を考えてくれと頼まれることがある。
(ものすごく仲良くなるとその住民の写真(レアアイテム)をくれるので、大体のやり込みプレイヤーは写真を入手できるまで住民を村に留めておき、写真をもらったら引っ越させる攻略法をとっているはずだ。自分もそうしている)
件の住民が言う「ちょっと苦手だったな」は、前のプレイヤーとの親密度パラメータが低いまま引っ越したから表示されるセリフと思われる。
本当を言うとその住民はあまり好みの外見でなくて「こいつだけは写真もらう前に早めに引っ越させちゃおうかな」と思っていた。でもそんな風に引っ越しをさせたら、また「○○村の△△はちょっと苦手だったな」と言わせてしまうのかと考えると申し訳ない気がして、結局仲良くなるまで村にいてもらうことにした。慣れてくると愛着も湧いてくるもので、知らないうちにあだ名で呼んでくれるようになっていたのは少しうれしかった。
自分でそれを確認できるわけではないし、タイミングによっては誰の村にも引っ越せず住民データが消えてしまう可能性も充分ある。
それでも、よその村に引っ越して行った住民に「○○村の△△は聞き上手って感じでいい奴だったよ」と言われたい。
そんな気持ちで毎日村の見回りをしている。先日のエイプリルフールのイベントで、親密度に関係なく住民全員の写真を入手することができたが、仲良くなって自力で写真をもらうまでは意地でも引っ越させるものかと思っている。
実在しないゲームの住民にすらここまで入れ込んで気を使うバカな自分をよくわかっているので、生身の人間が介在するネットゲームには死んでも手を出すまいと思っている。きっと確実に他のプレイヤーとの人間関係に悩んで鬱になるだろう。
夜中に昼でしか捕獲できない虫や魚を催促され、翌日にはこの約束はリセットされるのでブッチしてしまうことが100%明白なのに、断るのが嫌で「いいよ!」とできない約束をしてしまうとか、住民からもらったプレゼントを速攻でリサイクルショップへ売りに出し、くれた住民の目に触れるところに堂々と飾るとか、相手はゲームの住民と割り切った非常識行為もそれなりにやらかしているので、決して現実とゲームの人間関係を同一視しているわけではないのだけれど。
一般論でなく昔の自分に教えたいなー ぐらいのアドバイスを思いつくままに
履修科目を選ぶときは友達と相談しな 実はみんな同じの取っててハブられてたりするぞ
1回目の講義のときに左右か前後(後ろが一番聞きやすい)の人とメアド交換を頼め みんな自分と同じように心細いんだから勇気だしな
初回がすぎると聞きづらくなるぞ。 少人数や外国語の講義では絶対に聞けよ
先輩には新入生(一人暮らしの女子)とやる事しか考えてないクズがいるから気をつけろ
新1年のファッションなんて似たり寄ったりだ あんまりきにするな 清潔にしとけよ
でも、使い古したスニーカーはNGだぞ ユニクロでチノパンとシャツ買っとけ それで始めは大丈夫だ 金もないだろ
きこりが大量発生してるけど真似しなくていいぞ(当時はそりゃもう・・・)
ついていけなくなる講義もあるけど、ちゃんと出席してノートとっておけば単位は取れるから諦めるなよ
入試の選抜試験と大学の試験は別物だから、そんなに緊張しなくていいぞ
専門の教授が何を研究してるか調べるといいよ。興味ある分野や将来の方向、そして講義にもっと積極的に取り組めるようになるから
月曜日の午前を明けとくとすこし楽だぞ(1年は必修で無理かな
大学でやるTOEICは毎回受けとけ IPなら半額で受けられるだろ
落ちた志望校のことは気にするな
アルバイトは就職を考えてる業種にしとけ 大学時代に何を学ぶ(自習す)べきかもわかる
いっぱい失敗するけど 落ち込まずに失敗し続けけろ 成功も増えてくる 失敗+成功=チャレンジした数だ 失敗で水増しするぐらいの気持ちで増やせ
自分を自分のマネージャーだと思って生活を組み立てろ 記録しろ、計画しろ、実行しろ、自立しろ。
今は28歳の男だが、
1年前にセクキャバに行った。
27年間女性と付き合うこともなく、頭の中はエロい事で一杯だった。
男の友人すら1人か2人だ。
とにかく自分に自信がなく、人と話すのにも目を見て話せず、
緊張しまくりで、呆れられていたと思う。
仕事はプログラマーなので、1日人と話さない事もざらにあった。
そして、ある日、「風俗行ったら人生変わるぞ」っていうブログを見て、
そこはセクキャバと呼ばれる店で、40分8000円で触り放題、アドレス交換禁止の説明を黒服のおじさんに説明され、
中に入った。
まず1人目の女性が来て、名刺を渡されたが、そこから俺は何をしていいかも分からず、
ひたすら口に舌を突っ込んでいた。
普通は胸を触ったり、舐めたりするとかいろいろあるのだが(後から知った)
15分ほど舌を突っ込んでいた、
特に気持ちよくもなかったが、何しろ27年間彼女のいない俺が、女性の口に舌を突っ込んでいるのである。
たぶん相手の女性も呆れていたと思うが、15分たつと別の女性が来た。
その女性にも同じようにしようとすると、相手にも慣れていないのが伝わったのか、
そうすると何故か女性がおこりだして、帰っていった。
たぶん目を見て話さないとかいろいろ理由があったのだと思う。
最後にもう一人女性が来たのだが、めちゃくちゃ可愛い子で衝撃を受けた。
とりあえず舌を入れようとしたら、すごく怒りだした。
ちゃんとプレイの順番があるといわれ、慣れていない事を伝えたら、
怒るのを止めて、1から教えてくれ始めた。
それまでは正直、キスなんて舌を入れればいいものだと思っていた。
そうではないのである。相手の後頭部を支えて、優しく唇を合わせるぐらいの方が、気持ちいいのだ。
また、俺は衝撃を受けた。
また、この気持ちよさを27年間味わえなかった事に落ち込んだ。
その女性は「好き」と言ってくれた。
もちろんセクキャバをネットで検索しまくった俺は、営業であることは理解している。
ぱったり行かなくなった。
でもこの体験で、女性と話すのに過度の緊張はしなくなったし、
まだ、うまく話せないが、以前と比べたら断然ましだ。
また、家から出る事も多くなり、だいぶアウトドアになって来たと思う。
プレイし始めたきっかけ は App Store で売っていたのを見たのか、ネットの記事を読んだのかどちらかだと思うが覚えていない。
ただ人気が出ているということは知っていた。
人気の高さから当初2011年頃にリリースされたものだと勘違いしていて、購入時点でリリースされてから1、2ヶ月しか経っていなかったことを知ったのは大分後になってからだった。
まさか1年間ほぼ毎日ゲームを開くことになるとは思わなかった。
何がこのゲームをここまで魅力的にさせるのか?
自分なりに考えた結果をここにまとめておく。
本当は自分のブログに書こうと思ったが、最近のブログの方向性とかなり異なる内容のため増田に書かせてもらう。
長文を読みたくない人は以下の要約だけ読めばいい。
実力と運のバランスがほどよく、課金により圧倒的優位に立てるわけでもないのでユーザは公平感を感じてプレイできる。
覚える要素が少ないため、少しブランクが空いてもすぐにプレイに復帰できる。
魔法石という課金通貨を頻繁に配布するため、ユーザは常に課金時と同様のユーザ体験をしている。
そのため実際に課金したときに期待するユーザ体験と実際のユーザ体験にギャップがなく、不満を感じることがない。
システム障害時にもお詫びとして魔法石を配布するため、普通は大きくユーザ体験を損なうようなシステム障害が逆に良質なユーザ体験を提供する機会に変わっている。
常時開催されるイベントにより、単調になりがちなパズルゲームを飽きさせない運営の工夫がなされている。
著者のスペックは以下の通り。
このゲームのいいところは、あまりモンスターが強くなくても、パズルの腕と、落下してくる玉の色の運次第では割と勝ててしまうところにある。
実力だけでもそこそこ勝ててしまうからパズルの腕を上げて勝ち上がるというプレイも可能だし、運だけでもたまに勝ててしまうのであまり頭を使わないギャンブル的なプレイもできる。
パズルの腕がよく、かつ運がいい場合だとかなり難しいエリアでもクリアできてしまう。
逆に若干格下のエリアをプレイしていていも、気を抜くとたまにやられてしまう。
札束で殴るゲームなど揶揄されるように、ソーシャルゲームにはとにかく課金すれば誰でも勝てるという印象があった。
パズドラは課金だけでは勝てないようなゲームバランスになっている。
例えば課金専用のモンスターガチャ(ランダムで強力モンスターを入手できる仕組み)でしか入手できない「神」タイプという種別のモンスターがいる。
これらは確かに強力だが、決して最強ではない。
パズドラではモンスターでパーティを組むため、やみくもに強力なモンスターだけを使うよりも相性のいいモンスターで編成した方が強力なのだ。
また、たとえ強いパーティを作るとしても、ある程度のパズルの腕がないと結局勝つことができない。
実力のみのゲームだとプレイヤーとしての腕を上げ続けなればならないのでずっとプレイする必要がでてくる。
逆に運のみだとただのくじびきと変わらないので、ギャンブルに興味がない私はすぐ飽きてしまっただろう。
課金したからといって実力も運が無関係にならないというところも魅力的だ。お金で簡単に強くなれるゲームなら努力してプレイしようと思わないだろう。
このあたりの「公平さ」も魅力の一つである。
パズドラは覚えなきゃいけないことが少なく、ちょっとブランクが空いてもすぐに遊べる点が魅力だった。
大作RPGや複雑な話のノベルゲームは途中でブランクを空けると設定や伏線を完全に忘れるのでもう話についていけなくなる。
シミュレーションゲームはパラメータの意味や敵味方のユニットのスペックなどについて全て把握していないとまともなプレイができない。
FPSはスポーツと一緒なのでプレイし続けないと腕が落ちてやっぱりまともなプレイができない。
そういう「ゲーム疲れ」を感じて近年あまりゲームをプレイしなくなった。
かといっていわゆるカジュアルゲームのようなあまりに単純なゲームだとすぐに飽きてしまう。
このゲームで覚えるべき情報量は自分にとっては楽に記憶しておくことができるレベルだったので、仕事で忙しくブランクが空いてもすぐにプレイに復帰できた。
パズルの方法と所持モンスターの能力、あとは目標とするプレイフィールドの難易度を把握するだけでプレイができる。
モンスターの能力も、HP、攻撃力、回復力、スキル、リーダースキルの5つしかないので覚えやすい。
ガチャやコンティニューなどを行うには、「魔法石」と呼ばれる課金用通貨が必要となる。1個60-85円ぐらい。
私が驚いたのは、この魔法石をこれでもかというぐらいばら撒くことにある。
まず、毎月のように行われるイベントで魔法石がプレゼントされる。
1日1個が1週間から10日ぐらい続くので、月に大体5-10個近く入手することができる。
それだけでなく、パズドラではシステム障害時にもお詫びとして魔法石をプレゼントする(通称詫び石)。
障害の規模にもよるが、大きな障害のときは10個もまとめて配布する。
私にとって何より衝撃的だったのがこの「詫び石」システムである。
この運営方法により、ユーザである私はシステム障害を期待するようになってしまった。
こんなことは業務システムでは全く考えられない。
通常業務システムにおいて障害が発生した場合、ユーザは苛立ち、怒りの電話やメールを運営者にぶつけてくる。
ユーザにとってシステムが稼動し続けることは当たり前のことであり、障害などもっての他なのだ。
運営側は障害により若干の収入が減るかもしれないが、UX(ユーザ体験)を下げるどころか上げるということに成功しているのだ。
私のような無課金のユーザでも、常に手元には魔法石が余っている。
だから、課金ガチャを回したりコンティニューしたりということが気軽にできる。
これが何を意味するかというと、課金した状態のUXがゲームプレイにおける日常として組み込まれているということである。
もし私があるとき気が変わって課金をしようとしたときでも、課金したらどういうユーザ体験が待っているかを課金する前に十分把握しているのだ。
期待するUXと実際のUXのギャップが非常に小さいため、課金しても不満を覚えることはないだろう。
もっとも、この驚きをゲーム開発会社に勤める友人に話したところ、「今のソーシャルゲームでは当たり前」と言われたので昨今のゲームに詳しい人には驚くことではないのかもしれないが。
もう一つ、私が驚いたことで友人に「それも普通」と言われたことがある。
パズドラでは常にイベントを開催していて、イベントが開催されない期間が存在しない。
現在だと常時最低でも2つのイベントを同時開催していて、これらは月曜に開催され、2週間行われる。
開催期間は2つのイベントで1週づつずらされているため、ユーザからは毎週新しいイベントが開催されているようにみえる。
ゲーム自体はパズルを行うだけのシンプルなものなので、こうして工夫で飽きさせないようにしているのだろう。
先述の友人の話によると、ネットゲームにおいてはイベント開催が非常に重要らしい。
特に日本は文化的に年間行事が多いため、これらに合わせて緻密にイベントスケジュールが組んでいるようだ。
パズドラはゲームデザインだけでなく、運営も驚くような工夫がなされている。
私がこのゲームをプレイしていたのも、この運営の方法を研究したかったからという側面もあった。
運用・運営という側面はゲームだけでなくITシステムやレストラン・ホテルのサービスなどあらゆる場面で重要ではあるが、あまり一般の人には注目されない。
こうした「舞台裏」にこそ成功の秘密があるのだということをあらためて認識した。
なぜ丸一年が経過したタイミングではなくこの時期にこんな文章を書いているかというと、最近プレイしていないからである。
引退というわけではないが、気持ちとして一区切りついたのでこうしてまとめてみた。
理由はすごく単純で、ここ1、2ヶ月でモンスターのドロップ率とスキル成長率が大幅に下がった(と感じた)からである。
ドロップ率2倍でもほとんどドロップせず、スキルアップ率2倍時にスキルが全く上がらないと、さすがに砂に水をかけているような気分になって急速にプレイに疲れてしまった。
私には私自身がネットビッチであることに対してのコンプレックスが無い。
自分の人間性、社会性に対しての不安も無い。リアルビッチでなければそれでいいと思っている。
リアルビッチには妊娠、性病、悪い噂のリスクがあるが、ネットビッチにはそれが無い。
ネットコミュニティで自分が女であることを明かすと、怒涛の勢いで男が釣れる。
リアルでここまで釣れることは有り得ない。リアルで女を口説くのは勇気が居るからだ。
ネットだと、リアルでも軽そうな奴からリアルでは勇気の無さそうな奴まで、色々話しかけてくる。
その中から私は、育ちがまともで、声と喋り方が好みで、性格の良さそうな男を選ぶ。
顔は知らない。別に興味も無い。ブサイクな顔を送ってこられても幻滅するから求めない。適当にイケメンを想像しておくからそれでいい。
年齢は、高校生以下は育ちのおかしい奴しか居ない。高校生で受験勉強も部活もしないで出会い厨やってる時点で育ちがおかしい。
10人以上は話したけど、家庭環境が洒落にならないレベルで狂いすぎてて無理と思った。底辺過ぎて会話が成立しない。
逆にオッサンになると、10代と20代しか居ないコミュニティに居座ってるキチなわけで、知的障害っぽい人も多い。
20代の大学生と、若手の社会人が一番「まとも」な人が多い。特に若手の社会人は色々な話が聞けて楽しい。
出会って即スカイプでのセックスには及ばない。性的な関係になるかならないかの期間を楽しむ。その方が最初のエロイプを楽しめるから。
これが出来ずにとにかく今すぐ抜きたがる男は、AVではなく人間を相手にする意味をわかっていない低IQなので切る。
この「一切の連絡を絶つ」ことがアッサリできるのもネットの強み。ストーカーにもなりようがないし。
スカイプのアカウントは使い捨てのように大量に持っている。ほとんど、相手を募集する毎に新規アカウントを作っているようなもの。
相手の男がエロイプ初めてだと言うと燃える。もちろんその時は私も初めてだと言う。
これまで何度も処女を喪失して、何度も童貞を頂いた気分。その空気に浸りきるのが本当に楽しい。
出会い厨とはいえ、数十人の中から念入りに選んでいるから、相手はそれなりに常識人だし、照れたりもする。
過去に彼女が居てリアルセックスを経験している非童貞でも、初のエロイプには結構照れるものだ。
リアルセックスよりもプレイにのめりこみにくく、自分を客観視してしまうからだと思う。それが本当に可愛い。
でも声フェチの素養があり、想像力が豊かな人ならきっとハマる。
エロイプは同時並行的に複数の男と行っているが、一人ひとりの男とは繰り返しやっている。男も結構ハマるからそれが可能になっている。
頭が悪い男は、想像力が貧困すぎてすぐに動画や画像を求めてくるからいけない。
裸の写メを要求してくるようなゴミも居る。誰が渡すかボケが。それは私にとって大きなリスクになるが、何の得にもならないから切る。渡す女も大概馬鹿だ。
どういう性的妄想を胸のうちに秘めているか、そんな話もたくさんの男から聞いた。
男友達との距離感ではここまでの話はできない。やはり彼氏でないと。リアルではそんなに大勢の彼氏は作れない。でもネットでは可能になる。
ネットゲームなどで一つのキャラを育てながらそれをやったら晒されるだろうが、
アカウントもころころ変えるし、叩かれたことなんて一度もない。常に匿名さんのままで居られる。
リアルと繋がるのは嫌だけど、その点には充分に注意を払っている。
仕事は「俺に向かないなー」と思いながらもやりがいのある仕事。
理系ながら英語が多少得意なため海外出張が多い(今もアメリカでビール飲みながら自慢してます)
外見的にはキモオタ
職場の周りは皆いい人でいろいろと教えてもらえる。
特に今まで二人のリーダーにお世話になったが、両方出世頭で面倒見が良い。
後輩もアフォだけどいろいろと飲みに誘ってくれて嬉しい。
同期には友達がいない。(一人だけ二人で週1で飲みに行くぐらいの奴はいる)
それ以外にもいろいろな職場のおじさんと結構二人で飲みに行くことが多い。
実家が金持ちで不動産収入だけで300万程手に入るかも(今勤めてる会社が副職不能なので貰ってないけど)
ギスギス楽しいインターネットを遊びたい人、承認欲求がパチパチと音を立てて爆ぜるインターネットを楽しみたい人にお勧めのオンラインゲーム、『はてな村オンライン』。ここでは、はてな村オンラインを楽しく遊ぶための心得について簡単に紹介します。
(株)はてなが提供する一連のネットサービスをフィールドとして、虚栄心にみちたネットバトルやキャッキャウフフを愉しむネットゲームです。2012年現在、はてな村オンラインのプレイヤーとして村人認知されているプレイヤーの数は数百人程度と推定されます。このなかには、現在(株)はてなのサービスを直接利用してはいないけれども村貢献度(後述)の高い、村外プレイヤーを含みます。
好きなように過ごしましょう。
他のネットゲームと同じで、何を最終目標にするかは、その人次第です。PVやはてなブックマーク数を稼ぐも良し、有名人をdisって優越感に溺れるも良し。文学フリマで名刺交換する際にはてなidを印字するためだけにidを取得するのもアリかもしれません。お友達をつくって、コップのなかの嵐を愉しみましょう。
はてなブックマークで他のブックマーカーの尻馬に乗ってみたり、はてなスターを貰えるようなコメントを書いてみましょう。その際、カルマ値(後述)を度外視した、過激な表現を心がけると衆目を集めやすく、自己愛も充たしやすいかもしれませんが、カルマ値を無視したプレイは後でボディブローのようにきいてくるので、あまりおすすめできません。
もう少し本格的にプレイしたい&廃人になりたい人は、はてなブログかはてなダイアリーも開設しましょう。そしてはてな村民とアイデンティファイされている人物に片っ端からトラックバックを送りましょう。
・仕事探し:はてな村には仕事は落ちていません。ゲームと割り切って遊びましょう。
・著名人の追っかけ:はてな村は寒村です。有名人はいません。よそでやったほうが効率的です。
・ネゲット(死語):悪いことは言いません、よそでやったほうが効率的です。
どんなゲームでも、キャラクターのパラメータを把握しなければ快適なゲームプレイは覚束ないものです。はてな村オンラインでもそれは同じ。以下に、通常パラメータを紹介します。
PV数:あなたのはてなダイアリー・はてなブログが閲覧された数です。この数字を積み上げるためにはてな村で頑張っている人もいるとかいないとか。グーグルのページランクなどとも関連するため、PV数を稼いでおくと、はてなダイアリー・はてなブログ上からの言及攻撃力が上昇するので、村人プレイに徹したい人でも本拠地のPVを稼いでおくのはアリ。
被RSS購読者数:PV数と同じく、はてなダイアリー・はてなブログからの言及攻撃力に影響を与えます。
被はてなアンテナ購読者数:昔はRSSと同じぐらい重要でしたが、最近はパラメータとしてはあまり重要ではありません。
被ブックマーク数:あなたがブックマークされた数です。村内での人気指標としては優れていますが、ブロガーとしての実力とは殆ど無関係の数字なので、何千何万と集めてもリアルで良いことがあるわけではありません。とはいえ、はてな村オンラインにおいて、被ブックマーク数というゴミの山に魅了されているプレイヤーは数知れず、このゲームの威信値に間接的に影響を与えます。。
はてなブックマーク被お気に入り数:はてなブックマークを使った言及に際しての攻撃力や影響力を左右します。この数値が高い人は、はてなブックマークを介した攻撃・扇動を効果的に行えます。はてなブックマーク主体のプレイヤーには超重要。
twitter関連のパラメータ:「twitterオンラインとの連携」が実装されてから「twitterオンライン」上のパラメータや言動が「はてな村オンライン」にも影響するようになりました。twitter上で被followers数が大きいと攻撃力が上昇し、twitter上で失言があれば威信値が低下する可能性が生じています。別会社のゲームとはいえ、この点には注意が必要。
はてな村オンライン(やそれに類するネットコミュニティを介したゲーム)が一般的なネットゲームと異なっているのは、数字で表示されていない隠しパラメータが存在することです。はてな村で快適に過ごしたいプレイヤーは、彼我の隠しパラメータ値をできるだけ正確に把握し、それを踏まえた身振りを心がけたほうが良いでしょう。。もちろん、敢えて隠しパラメータを気にせず村の散策を続けるのもひとつの遊び方ですが、たいていマゾプレイになります。
・威信値:村民としての威信の大小を示します。集めても何もいいことはありません。悪いことはいいません、威信値を賭けてネットバトルに明け暮れるのはおやめなさい。しかし、この威信値を巡って個々のアカウントが剣闘試合やネットウォッチに明け暮れるのが「はてな村オンライン」であり、村ゲームの醍醐味なのも確かです。威信値は隠し属性になっているため、ゲームマスターでなければ把握できません。しかし一般的には、
1.PV数
2.被はてなブックマーク数
といったものが威信値に影響するといわれています。威信値を稼いでいると、村イベント開催時にモテたり、他のアカウントに一目置かれたりすることがあります。あくまで「はてな村オンライン」上の栄誉であり、ゲームプレイを彩るトロフィーのようなものと心得ましょう。過度ののめり込みや期待は禁物です。
・村貢献度:「はてな村オンラインへの言及」を行うたびに、あなたの村貢献度は上がります。注意しなければならないのは、「はてな村はあるよ」「はてな村は素晴らしい」といった肯定的な言及だけでなく、「はてな村なんて無い」「はてな村はクソ」といったネガティブな言及も、村貢献度を高めるという点です。また、後述するテクニック「村イベント開催」を行うと、あなたが威信値を獲得するしないに関わらず、村貢献度が大幅に上昇します。村貢献度が上昇するほど、他のアカウントがあなたを「はてな村民」認定する確率が高くなります。非村民プレイやステルス村民プレイを目指している人は気をつけてください。
・村発展度:はてな村オンライン内外すべてのネットユーザーが稼いだ「村貢献度」の総和が、「村発展度」になります。この数値が高くなるほど、「はてな村」というフィクションが実在性を帯びて体感されるようになります。「はてな村はあるよ。」
・カルマ:Paradox社のゲームでいえばBBR(bad boy rate)に相当。お行儀の悪いことをしたり、他人の不幸を喜んだり、誰かを誹謗中傷して回ったりしていると、カルマ値が上昇します。もし、あなたのカルマ値が上昇すると、あなたの行動に対して村民が支持を表明してくれる確率が低下し、不幸なことがあったり失策があったりした時に石を投げられる確率が上昇します。また、ネットバトルで負けた際に相手が「屈辱」を与えてくる確率も高まります。カルマ値が上昇してきたら、良いことをするなり、ほとぼりがさめるまで待つなりしてカルマ値を低下させましょう。あなたが悪村民プレイに徹したいのでなければ、ですが。
なお、カルマ値ははてな村オンライン固有の隠しパラメータではないので、twitterなど他のネットサービスで悪行の限りを尽くしてもちゃんと上昇します。知名度や村貢献度を手っ取り早く稼ぎたい場合は、カルマ値を気にしない狂犬プレイが手っ取り早いのですが、全く無頓着だと後になってカルマ値の高さに苦しめられるかもしれません。アカウントの可燃性に直結しているパラメータなので、炎上マーケティング(後述)を心がけない場合は、ある程度意識して低めに抑えておいたほうがアカウントの運営はやりやすいとは言えます。
[あわせてよみたい]:ゲームで子育て『Fallout 3』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
プレイヤー自身、つまりあなた自身のステータスです。「回線切って寝ろ」は古人の知恵。健康なネットライフは健康な心身に宿ります。
精神的疲労度:疲れていると誤字脱字が増えるだけでなく、内容的にも迂闊な書き込みが増大します。結果として炎上しやすい発言・カルマの悪化しやすい発言が増大するので、ネットバトルにも負けやすくなり、威信値稼ぎプレイ上、不利が生じます。疲れている日のインターネットはやめましょう。
心理的充足度の最大値:この数値が高い人は、心理的飢餓状態に陥るまでの余裕があるぶん、村民プレイにも余裕が出ます。逆にこの数値が低い人がはてな村オンラインをやると、威信値稼ぎに汲々としたり、ネットバトルに血道をあげたりしがちです。そうした執着は即座に他の村民に察知されるので、動きを読まれやすくなり、ネットバトルにも負けやすくなります。こうした問題を避けたい人は、リアルワールドでの心理的な補給線をしっかりと確保したうえでログインしましょう。
現在の心理的充足度:現在の心理的充足度。低くなりすぎると、ステータス異常「心理的飢餓状態」になり、喧嘩っ早く脇の甘いプレイスタイルになってしまいます。一応、はてな村オンライン内でも威信値を稼いだりPV数などを稼いだりして回復させることも可能。ですが、その際の言動が甘くなった隙を他の村民に突かれる危険性はあります。
衝動コントロール能力:あなたの衝動コントロール能力が低い場合、暴投発言や炎上発言が生じやすくなり、たいていの場合、カルマ値も悪化しやすくなります。また、鬱憤が溜まってきたときにアカウントを消す確率も高くなるので、はてな村オンラインにはあまり向きません。
ステータス異常:メンタルヘルスを損ねている場合やアルコールが入っている場合は、迂闊な発言が増えます。回線切って寝るのが得策です。
・メタブックマークでタワーをつくる:通称「ブクマタワー」。はてなブックマークコメントに対してコメントを返し、さらにそのコメントにコメントを返す…際に用いられる戦法。はてなブックマークを主戦場とするプレイヤーに用いられがちで、特に「反論が無いほうが負け・最後に言及した者が勝ち」的な精神年齢の人間にとって、これが威信値を左右することがあります。ただしブクマタワー戦法は「はてなブックマークお気に入り」を減らしてしまいやすいので、はてなブックマークを介したキュレーター戦術の攻撃力低下に繋がります。また、威信値が50を超えたプレイヤーはブクマタワーをやるたびに威信値が1ポイント低下するため、威信値を一定以上集めるプレイスタイルにも向いていません。はてなブックマークを主戦場とし、威信値の高低に拘らないプレイスタイルの人で、なおかつ負けず嫌な人にだけお勧め。
・威信値の高いアカウントへの言及やバトル:あなたのアカウントの威信値が小さいうちは、村のなかでも威信値の高いアカウントのブログに言及したり論戦を展開したりすると、被ブックマーク数やPVを稼ぐきっかけになったり、うまくいけば大物食いをして威信値を一気に稼げたりするかもしれません。喪うべき威信値が無い、村民プレイ初期段階には有効な手段のひとつです。このとき、攻撃的・高踏的な言動を心がけると村のネットウォッチャーに捕捉され、村民としての認知度が跳ね上がるきっかけが得られるかもしれませんが、カルマ値が真っ赤になるかもしれないので注意。
・屈辱を与える:ネットバトルに勝利して威信値を稼ぐ際、敗者に屈辱を与えると威信値を少し多めに稼げます。ただし、あなたのカルマ値が相手のカルマ値よりも悪い場合には、あなたのカルマ値はさらに悪化してしまいます。相手のほうがカルマ値が大幅に悪い場合は、屈辱を与えても悪いことが起こらないばかりでなく、むしろ威信値のボーナスが得られるかもしれません。
・村イベントの開催:はてなダイアリーやはてなブログで「はてな村」に言及した記事を書くと、一定確率ではてな村民がワラワラと集まってきて「村イベント」が起こります。村イベントが起こると、あなたの村貢献度が大幅に上昇し、はてな村の賑わいが(多少なりとも)村外に伝わって村発展度も上昇します。村イベントの内容によって、あなたのカルマ値や威信値が上下するかもしれませんし、あなたに村の素敵なお友達が現れるかもしれません。
※はてな匿名ダイアリーを使った村イベントは、あなた自身のステータスへの影響を除外しながら村発展度を上げる手段になり得ますが、あなたの村貢献度が一定以上の場合、文体や内容を読まれて結局あなたのカルマ値や威信値に影響が出てしまうことがあります。注意しましょう。
・炎上マーケティング戦略:カルマ値の悪化を無視した村民プレイをすれば、あなたは実力以上に知名度や威信値を稼ぐこともできるでしょう。その汚れた知名度や威信値を駆使して、お金を稼いだり、女子をたぶらかしたり、いろんなことができるかもしれません。しかしカルマ値がどんどん悪化していった結果、あなたは多くの村民から(それどころか村外の多くのネットユーザーからも)悪者認定されてしまうでしょう。いったん悪者認定されたあなたは、もはや「屈辱を与えても安全なモブ」であり、ネットバトルで威信値を稼ぎたい人達からみれば理想的な賞金首です。グリーン Permalink | 記事への反応(8) | 20:44
<はじめに>
ヱヴァQが面白く無かった人の中には、どうしてそれが面白く無かったのか、
どうしてあんなに面白く無かったものをありがたがる人がいるのか、を理解できない人もいるかと思います。
(理解した上で嫌悪感を感じる人は本説明の対象外です)
そうした人達に向けてヱヴァQおよび旧作エヴァンゲリオンの面白さと面白く無さを説明してみます。
ただし、これは「説明」なのであって、ヱヴァQはだから面白いよねという「説得」ではありません。
理解できたからといってヱヴァQが面白くなるわけではありません。
<要約>
ヱヴァQはアンチorメタエンターテイメント的な構造=「期待を裏切られる楽しみ」を持っている。
(ここでいう「期待」とは「謎の提示→解決」「話のフリ→オチ」「主人公の苦難→成長」という、従来のエンターテイメントが持つ構造である)
「期待を裏切られたこと」が受け入れられない人は当然つまらなく感じるし、裏切られる楽しみを感じた人は楽しめただけの話。
これについては説明できません。「そう感じる」のだから仕方が無いありません。
ただ、他アニメに比べて単純にクオリティが低かったかどうかで言えばそんなことは無かったのではないでしょうか。
本説明は、こちらに関する説明になります。
通常、お話には各文章毎に意味があり、お話世界の設定を示し、物語が流れ、オチがつきます。
これが普通の「エンターテイメント」です。たとえばミステリを例にとってみましょう。
まず小説世界の設定が示されます。その示し方、というのは作者が見せたい示し方「ある視点からみた小説世界」です。
その世界には「謎」があります。クライマックスで作者は別方向からの視点を持ち込んだり、
視点の位置を変更することによって「謎の解決」をはかります。これがミステリです。
旧エヴァンゲリオンと新ヱヴァンゲリヲンには様々なエンターテイメント要素「純文学的」「SF的」「ミステリ的」な楽しみが入っています。
本論ではミステリとしての切り口からエヴァ群およびエヴァQを読み解きます。
エヴァには謎がちりばめられています。南極で4体いた巨人は何なのか、槍とは何なのか、人類保管計画とは・・・etc。
通常のミステリ系エンターテイメントではこれらの謎には一応の説明=オチがつきます。
謎と回答がセットで用意されていることがミステリ系エンターテイメントの条件なのです。
謎に対する回答が論理的でないことはミステリ系エンターテイメントでは批判対象になります。
では、謎に対して論理的な回答が用意されていればいいのでしょうか。答えは否です。
当たり前すぎる謎への回答は「つまらない、面白く無い、想定の範囲内」としてまた批判対象になるのです。
ミステリ系エンターテイメントの歴史はこの矛盾した期待「筋道が通っているのに予想を外す」に応えた歴史でした。
エンターテイナーは密室を作り、アリバイをでっちあげ、人物を交換し、天狗の鼻の上でナイフを滑らせたのです。
しかし、読者には読書体験が蓄積されます。「密室もの」「アリバイもの」「島田荘司のいつもの」などのように予想は外れにくくなります。
ミステリ系が広まることがミステリ系の楽しみを成り立ちにくくするのです。ここでエンターテイナーはさらに頑張りました。
密室ものと見せかけかけた人物入れ替え(トリックをトリックとして使う)や、
文章を意図的に誤読させることで謎でないと感じていたものを最後に謎であったと提示する(叙述トリック)などです。
「読者の読書体験込み」の謎(トリックを知っている読者への謎)を作ったのですね。
しかししかし、それすらも読者の読書体験に織り込まれてしまいます。「ああ、これは叙述トリックもの」だね、という風に。
こうしてミステリ系エンターテイメントのパターンは全て出尽くしたように見えました。あとは各作家の文章力/味付けだけの世界になったように思えました。
しかししかし、そうではありませんでした。ミステリ系エンターテイナー原理主義者が考えた最後の兵器、最後の謎、それがアンチorメタミステリです。
アンチミステリ、メタミステリとは何か?それはミステリ系エンターテイメントの条件「謎には回答がセットで用意されている」という想定、
「これはミステリだろ、という読者の読書体験を裏切る」ミステリのことです。(読者体験を念頭に=メタ、解決の放棄=アンチ)
ミステリ的に提示された謎は解決、されません。貼られた伏線には何らかの意図があり、背景には脈絡が流れているにも関わらず永遠にそれが明かさないのです。
読者は怒りました。怒り狂いました。こんな本は狂っていると騒ぎ、壁に本を投げつけ壁に穴をあけ、火を付けてさつまいもを焼いたのです。
ただ、一部の読者は壁にめり込んだ本を再度開き、焦げた本を再度繋ぎ合わせ始めました。
何故か?永遠に解決されない謎がとても魅力的に思えてきたのです。
アンチorメタミステリがただの問答無用の「裏切り」だったとしたら、それはミステリでもなんでもありませんでした。
しかししかししかし!アンチorメタミステリはきちんと「ミステリ」でした。何故か?提示されない、収束しないだけで、回答らしきものは「読めた」からです。
作者はデタラメに謎を配置したわけではなかったのです。
謎の配置には意味がありました。完全に繋がっていない謎同士、明かされずぶち切れた伏線から、かすかな破線のような真実の輪郭はかろうじて読めたのです。
一部の読者たちは途切れた伏線をつなぎ、明かされない謎を照らし合わせました。そうしてできた回答は一つではありません。
読者の数だけ答えがありました。いや、読者が考える度に回答が産まれました。
作者の意図は完全にトレースあるいはサルベージできない(ようにつくられている)ため、当然のことでした。
本を拾いあげた読者たちは各々、自分の回答について話合いを始めました。そうしてまた、新しい回答群が産まれたのです。
それは他のアニメにも言えることかもしれません。ですがエヴァは思いつく限り全部入り、ぐらいの要素が入っているのです。
SFとしてのエヴァ、純文学としてのエヴァ、ミステリとしてのエヴァ、キャラ萌えとしてのエヴァ。
それぞれが本格的に作られており、それらが複合的に絡み合うことで色々な読みを許す懐の深いアニメです。
当時、それら本格的な要素を持つアニメとしてエヴァはそれなりに期待されました。
TV放映の途中まで庵野監督は概ねそれに応えていたといっていいでしょう。
しかし、最終的には庵野監督は視聴者の期待をことごとく裏切ります。
TV版エヴァでは最終二話にはエヴァはほとんど登場せず、伏線は回収されず、ただ主人公が救われたという心象風景だけが提示されます。
旧映画版。今度こそ、と期待されたものを再び庵野監督は裏切りました。
復活したヒロインは次の瞬間無惨に食われ、主人公は最後の最後まで成長らしきものをせず、謎らしきもの回答は完全には示されませんでした。
たくさんの視聴者が失望・・・しませんでした。これこそがエヴァだと叫び、糞だ糞だと拍手喝采褒め讃えたのです。
エヴァがいかに糞でその糞が何を描いていたのかについて各々語り始めました。
何故か?視聴者は「裏切られることを予期していた」からなのです。
TV版最終二話でなされた裏切り。庵野監督が持つオタクへの自己嫌悪から発生したと言われるファーストインパクト。
これはうんこでした。ただただ庵野監督がうんこをしたかった。とてもうんこがしたかったことが原因で産まれた巨大なうんこでした。
しかし、これが偶然にもアンチエンターテイメント、アンチミステリの形式を踏んでしまうことになります。
「開示される予定だった真実が巨大な庵野のうんこによって適度に隠される」ことで良質なアンチミステリとなってしまったのです。
デリヘル・ガイナックス♪で嬢呼んだらいきなり罵られた挙げ句勝手に帰ってしまったんだけど、そういうプレイだと思えば良質だったみたいな感じです。
この放置プレイが評判を呼び、放置プレイマニアがこぞって映画館に行ったのですから、文句の出ようがありません。
いや、息子のわがままで映画館に連れてこられた私の家族など、一部、可哀想な人たちがいたことは事実です。歴史の裏にはいつも悲しみがあります。
庵野監督は10年くらいたったから、そろそろうんこ溜まってきたし、うんこしよう。するなら、前回よりもおっきいのを、だ。と考えました。
巨大うんこのために作られたより巨大な謎、セカンドインパクト、それが新劇場版ヱヴァQでした。
序、破は伏線でした。庵野監督は旧エヴァの制作/公開体験を、そして視聴者の視聴体験を利用します。
つまりメタミステリとしてのヱヴァ「第一の裏切り=お、これ、前と違ってまっとうなアニメじゃん!」です。
旧劇では糞が半分読まれていました。
旧劇を超えるためには、序、破、でエヴァが糞で謎を隠す形式のミステリである視聴体験を払拭する必要があったのです。
普通の糞好きに普通に映画館にきてもらっても、もう、庵野監督は満足できない。
訓練された糞好きでも楽しめる、よりアクロバティクなうんこを魅せるとともに、
中年男性がうんこを放り出したとこをみたこともない女子高生にうんこの素晴らしさを伝える、という庵野監督の願い–––––––人類補完計画。
この発動を目的として作られたため、序、破は精巧に綿密にまっとうなエンターテイメントをしていました。
そして、ヱヴァQ。やってしまいました。満を持して登場した監督はヴンダー=希望に糞を放り出す12使途(ネタばれ)として登場。
観客を糞塗れにします。
君の言っていることはほとんど意味が分からないよカヲル君、それどころか肝心なことは何一つ言わないよシンジ君以外のみんな。
これが第二の裏切り=
一人じゃないんだ、と思ってたら「孤独でしたー」
前に進めたんだ、と思っていたら「進めてませんでしたー」
槍でやり直せると思ったら「やり直せませんでしたー」
です。
救われるべきものが救われないアンチエンターテイメント、開示されるべき謎がほったらかしのアンチミステリこそがヱヴァQなのです。
つまらないのは当然なのです。まっとうな反応なのです。面白いとみせかけて面白く無く作ったのですから、面白いわけが無い。当然のことです。
ただ、「期待を裏切るという形式のエンターテイメントが面白さを期待されたら、最終的には<面白いことを裏切る>しかない」んです。
一度は必ず「面白く無いという面白さ」へ行き着いてしまうものなんです。これはもう、ある程度しょうがない。
問題は次回作シン・エヴァンゲリオン劇場版に持ち越されました。
ここできちんと伏線が回収される!と見せかけて回収されない!謎が開示される!と見せかけて開示されない!のか、どうかは分かりません。
アンチ的構造の最終回だったとしても、ある程度、おぼろげながら真実が見える形には仕上げてくるのではないでしょうか、というのが僕の予想です。
ある一つの解を持つミステリは、ネット社会においては瞬時に消費されます。
AはBだったんだ!以上!という情報は急速に読者や読者ですらない人間に行き渡ります。
「なあんだ、Aは結局Bだったのね。あーあれね。昔あったA=B型的カテゴリのやつね」というふうに。
物語の延命をはかろうと思うとメタorアンチミステリの形式をとらざるをえないのです。
読者が謎と真実について語り合うことで新たな謎が生まれ、語りが語りを呼ぶことで物語はかろうじて生きながらえるのです。
だから、今は普通のエンターテイメントにもアンチ的要素は含まれます。
ある物語できちんとオチがつくものの、別の読者を引きつける開示されない大きな謎がシリーズを繋ぐとみえる、などベタな展開ですね。
ちょうど、TVゲームがネットゲームになったことにそれは少し似ているかもしれません。
ゲームの攻略そのものではなく、攻略について語り合い、次アップデートへの期待について語り合うメタな楽しみ。
ラスボスを倒しても終わらないその営みこそがネットゲームの醍醐味です。
エヴァンゲリオン、一体、どうなってしまうんでしょうね、楽しみですね。
こちらからは以上です。
ドラクエで自分的に気分悪いことがあったので、ここまで気分悪いのは誰にも言いたくないのでここで人知れず吐き出させてください。
チームがごたごたしてて、チームの一部の人がいない人の悪口をやたら言ってた。
雑談の中にもいきなり名前ほりこんでネタにして小バカにしてたりして、他人事だけど見ててすごく気分わるかった。
でも、自分はその言われてる人は悪くないと思う。むしろこの人たちに理不尽に意味不明な質問されたりつっかかられたりしてる中、冷静に対応してた。
そのなかで、唯一信頼できると思ってた人にできるだけ言葉を考えてそう思ってることを伝えたら、
もう主要なメンバーには自分からそういう意見あったってことが名前含めて伝わったみたいで
インした瞬間に「ログインしてもチャット遡ってみることはできないよね?」って誰かが言って
「ん?」て思ったけど、「○○さんの悪口なんて言ってませんw」とか「いってないいってない」って
いろんな人が言い出して、誰かが「○○さんがナントカカントカだなんて言ってませんw」みたいに
すごいバカにした感じで、「XXさん、シーーーッ」とか言ってて。。。なんかすごいバカにされてるなあって思った。
自分はチームの雰囲気が楽しくなればいいと思ってたのに、そういう意見があるって知ったのなら自重すると思ったのに。
もうね、なんなんでしょう。社会人でいい年した大人だろうに、悲しい人たち。
とはいえ、FPSだとかそういったネットゲームではなく、Twitterと診断メーカーを使った簡素な、TRPG風味のものだ。
つまり、ゾンビサバイバル(http://shindanmaker.com/235938)をしている。
詳しいルールはhttp://www49.atwiki.jp/zombie_survival/ だとかに纏められている。
要するに診断メーカーの結果(1日に1回変わる)をゲームの1行動にあて、その結果からステータスを増減させるというものだ。
ステータスといっても実に簡素。HP、食糧、アイテム二枠、そこに状態変化なんかがつく。HP100食糧100から開始。
診断メーカーにキャラの名前を入れ、診断。例えば「【戦闘】ゾンビが襲ってきた! ダメージ5」というものが出たらHPから5引いたりする。ちなみにHPか食糧が0になる、もしくはゾンビになってしまうとゲームオーバーだ。
ちなみに実際はもっと情緒溢れる文面だ。どうにも面白い、と思っていたら、どうやら診断を作り、ゲームマスター的な立ち位置にある神はTRPGを作ったりしているプロの方だそうで、至極納得した限りだ。
そしてこれに、自分はこの夏、はまった。
Wikiなどに書かれている通り、様々なルールに縛られつつ、かつ舞台設定などに関しては自由にしながら、診断を繰り返し、キャラを動かす。ロールプレイはルールに沿っていれば割合どんな設定でも自由だ。犬にしてもいい、虫にしてもいい。鳥でやっている方も見かけたことがある。
最初、右も左もそんなにわからないまま、とりあえず自分もキャラを作った。
とはいえそもそもTRPGなんてしたこともないから、最初は自分をそれなりに投影していた。自分が生き残るためのサバイバル診断、のような。特にキャラを作ったつもりなんてなかった。だからTwitterの名前で診断した。
だがだんだん気がついた。#ゾンビサバイバル などのタグをたどっていく限り、どうも、キャラメイクをしている人が多い。ロールプレイというらしいその行為に自分は興味を持った。
そしてゾンビサバイバルの肝心のプレイの状態にも変化が出てくる。「同行者」である神父の役目が切れた。「同行者」というのはアイテム扱いで同行させていると、例えば戦闘ダメージの軽減などをしてくれる、NPG的なものだ。ロールプレイ中は結構皆いろいろな味付けをしている。人形として扱っている人もいる。
さて、肝心の神父の設定・効果というと、こうだ。「カンフーの達人である神父。戦闘ダメージを3回まで0とする。1日に付き食糧-1」というものである。余談ではあるが、その夏に流行っていたアニメの影響で、この神父のイメージはあるキャラに似たものに固定されてプレイされていることが多い用に思う。というかカンフーの達人って貴方それどう考えても某麻婆な某八極…いやなんでもない、というわけである。
そして自分はダメージの大きい戦闘に3回出会い、3回神父を使った。残ったのはもう効果もない神父である。さあどうするか。アイテムは2枠である。お別れか? というところで、自分は思った。
「いや、クリア(条件を揃えるとヘリポートまで脱出という)まで連れていくし」
…そう。愛着を覚えていたのだ。この麻婆神父、いやもといカンフー神父に。役に立たなくてもいい。連れていく。そう思った。
で、そこで神父にまあそれなりに執着し始めたわけなのだが…このあたりだったと思う。自分はいろいろな例も見たせいもあるだろう。ロールプレイを始めたのである。
なんというか、元々タグを付けて色々と描写とかを投稿していたわけなのだが、どうもなんだかそれが、自分というより、自分の分身になってきたのだ。要するに、だんだんとキャラに乖離してきた。
そもそも創作分野に属していた――といえば聞こえはいいが、要するに自分は妄想過多人間である。キャラを作ると決めたら結構さっさと浮かぶ。自分の分身っぽくしてもいいわけで、どういうキャラにしろという指定もないわけだ。ならば割と簡単だった。神父をどこまでも連れて行くという設定も付随している。
というわけで、ざっくりと設定を作り、プレイしている。どんなキャラかを書くと匿名ではなくなるだろうからやめておく。
そしてゾンビサバイバルつながりのフォロワーなども増えていきつつ、ザクザクと診断を進める中で、当然のことだが、自分はある行為に出る。
別のアカウントにもう一人。キャラを作った。今度は始めっからキャラ扱いだ。
このゾンビサバイバルには館というものがある。ゾンビサバイバルの世界観として、所謂ゾンビに満ちた世界、パニックホラー的な設定が根底にある(それ以外は自由らしい。日本の東京をイメージしてもいいし、バイオハザード的な市街を想定していてもいいらしい)のだが、その原因はなんなのか、という謎が、その「館」にあるらしいのだ。それを探りたかった。だから作った。
初めの1キャラでいいではないか、と思うかもしれないが…流石TRPGのプロ作成というべきか。このゾンビサバイバル、なかなかのゲームバランスなのだ。ぶっちゃけ1キャラだけだと心許ない。1キャラは生き残ること目的の物がいてほしいのだ。
と、いうのは建前。本音はあれである。
要するに自分は妄想過多なのだ。1キャラだけで済ませるなんて、とてもできない。
というわけで、キャラを増やしプレイしたのだが…これがなかなかマズかった。
思ったより館内がきつかったのである。
ゾンビパニックの原因というだけある。ゾンビが襲って来る謎のペナルティ噛まれてもいないのにゾンビ化の危機…。えぐい。えぐすぎる。真相に辿り着く前に生き延びさせねばならなくなる。
そしてそれには、1キャラだけでは、どうにもきつかった。
ではどうするか。
幸い1アカウント1キャラなんて制限はなかった。自分は作り始めた。援護用のキャラを…。
ぶっちゃけこの時点でこのキャラは死んでも良かった。死んでも良かったのだが、その作り方がまずかったのだと思う。
死んでもいいからと、自由に作りすぎたそのせいで、自分はそのキャラを気に入ってしまったのだ。
さて援護されるキャラは真相の切れ端だけを掴み、館から一時脱出した。館は出入り自由ではない。入るときは情報があればいいのだが、出るときは出てもいいという診断がいる。それが出たので、一旦アイテム調達などで体勢を整えるべく、もう館内のきつい診断の山で、色々とギリギリだったキャラは脱出したのだ。
ここで残されたのは援護用のキャラだ。援護用らしく逞しく生き延びていたそのキャラだが、やっぱり1キャラで館の中は無茶である。死にかける。
このあたりで自分は気づきはじめた。このゾンビサバイバル、協力プレイなんかも可能だが、1キャラに1つずつ診断結果が下る限り、多くのキャラを作ってもある程度までしかゲームの難易度は下がらない。
そもクリアの条件も実にランダムだ。クリアのためのフラグは買えるのだが、ヘリポートで乗せて貰う権利は診断結果が出ないとダメなのである。
ということはつまり、自分のキャラが全員無事で脱出できるかどうかはごく、時の運であるのだ…。
というわけでなんとなく、自分はこの先ゾンビサバイバルでどうするかが見えた。援護キャラを作る。そのキャラを気に入る。そしてまた…。いつか止めねばならないだろうが、つまりそういうことなのだ。
自分はキャラに色々と、主に愛情を移入しすぎるきらいがある。それを踏まえて考えるべきだったと、今になって思うのだ。
ただそれでも、キャラを作ったことは、後悔していない。みんな自分のキャラだ。もう今はそう思う。
さてこれからも自分はこのゲームをやり続ける。キャラの全員脱出を目標に。じきにキャラがゲームオーバーになることもあるだろう。覚悟しておかねばなるまい。
ゲームオーバーなったキャラをゾンビにして診断結果に反映してくれる公式イベントもあるらしいが、当選確率も低いようだし。
以上は自分のプレイ法であるが、この他にも、いろいろなプレイスタイルの人がいる。病院襲撃というイベントを利用して、病院から回復系アイテムを奪取し続ける人もいれば、昔の印象深い一例として、ヒグマでプレイしてゲームオーバーの後、見事ゾンビリバイバル(上で言ったゲームオーバーになったゾンビにして診断結果に反映してくれる公式イベント)により凶悪な診断結果の一つと化した、という人もいる。
そのあたりは、非常に自由だ。プレイブック的なルールさえ守っていれば、なにをしてもいいわけなのだから。
そんな様々なプレイスタイルの存在する世界で、自分はキャラを動かして、生き延びさせようとしている。
サバイバルをしている。
このサバイバルを始めるのは簡単だ。Twitterアカウントがないのなら作り、あるのならそのまま診断をすればいい。勿論、ルールを把握する必要はあるが、TRPGに関して門外漢な自分にしても、だいぶ飲み込みやすいルールであると思う。
だからといって定型文的に言うのはどうかとも思うので、何も言わないことにする。レッツサバイブなんて言わない。いわないったら言わない。