はてなキーワード: ネットゲームとは
コントローラーやマウスを握りながらふと金にもならない技術も身につかないくだらない作業に余暇を消費したくないと思ってしまう。
悔しい。
そう思ってしまうのが悔しい。
ゲームで何も身につかないのは当たり前だ。
そりゃネットゲームで知り合いが増えたり、学生時代にドラクエの話題で盛り上がったりはしたけど、それはあくまで触媒にしただけであってゲーム自体はコミュニケーションのネタでしかない。
その中身は昨日のニュースでもいいしアニメの話題でもいい、ゲームの攻略情報なんて話に刺激を加えるためのマクガフィンだ。
そうだゲームなんてやっても結局楽しいだけでなんにもならない。
オナニーしてシコシコして気持ちよくなったなんて素晴らしいんだ(byディオゲネス)でしかない。
それを知っていて俺はゲームをやったはずだ。
「こんなの人生の役には立たないよね」という声に「でも楽しいから問題ねぇ!」と強気に返せなくなってきた。
「確かに俺もそろそろ勉強とかしとかないといけないな」「ジムでも行って体を鍛えないと成人病にかかりそうだ」なんて声が聞こえてきたらそのまま押し切られて「本当にその通りだ俺は一体何をやっているんだ」と熱が冷めてしまう。
悔しい。
格好つけて「所詮は0と1の羅列さ」なんて言ってみせた所でそれはタンパク質の塊である自分を棚に上げた恥知らずなマウンティングでしかない。
悔しい。
http://anond.hatelabo.jp/20150604133349
↑の元増田です。
思ったより反応がありましたので、いくつか追記させていただきたいと思います。
まず、歳を取ったら今のように甘えてはいられないぞという皆様からのお叱りの言葉、ありがたく受け止めさせていただきます。年齢による価値、定職に就かないことのリスクも重々承知しているつもりです。生活に関してはすべて自分のお金から賄っておりますが、これまで育ててくれた親には申し訳なさもあります。
ただ、理性ではそのようにわかってはいてもゲームが楽しくてしょうがないのです。やめられない!止まらない!ネットゲームなのです。もちろん、いずれゲーム以外のことに熱中する日が来るかもしれません。そういう日がきたら自分の好きな分野で働きたいと思います。給料にこだわりはないので。
特に成果を上げたとかいうことではないと思います。当たり前に上司からの指示をこなしただけです。派遣に与えられる仕事は大したことのない作業がほとんどですので。
ひとつだけこだわっていたことは、自分の仕事とかかわることによってそれ以前よりも良くなった状態で帰ってもらいたいと思って仕事をしておりました。例えば営業のお手伝いの際には、クライアントさんに満足して帰っていただくために、向こうの悩みを沢山聞きつつ、それに合った最善の解決策(他社サービスであっても)を提案したり、専門的な知識を持った上司に問い合わせたりしておりました。身内での仕事では自分の抽出した情報を使いやすいようにするために、上司から求められていることが何なのかどこまでも考えるようにしておりました。
ただ、会社によっては怒られたケースも非常に多かったです。会社の利益にならないことをするべきではないのかもしれません。そういう会社さんではすぐに派遣打ち切りとなりました。
ちなみに一斉送信メール等ではありません。採用担当者や部長などからお電話を直接いただきます。大した人間でもないのに、本当にありがたく恵まれていると思います。ただ、ゲームが辞められないクズなのです。
はじめに、百合の花が咲いていた。
長い年月が過ぎ、天変地異、地殻変動の後に、人類の住まう地に大きな塔が聳え立った。
この塔はなんとも不吉であった。
姉妹たちは皆、この聳え立つ塔に恐怖した。
勇敢にもその塔へと登って行った。
これは私の住んでいるこの世界の神話『キマシタワー物語』の一説である。
小さい頃おばあちゃんによく聞かされたが、当時から好きではなかった。
今では学校の授業でもさんざん聞かされるこの話はネィロ教であるこの町の住人なら殆どが知っている。
塔の中でセーナに生きる喜びを与え、人類の救世主として現れたのが
ネィロ教の始祖シコッテ・ネィロ様なのだそうだ。これが町の歴史。
現在、奇間市の中心には町のシンボルである奇間市タワーが立っている。
この塔は教団の本部でもある。
とても大昔の地殻変動で出来上がったには見えない、おそらく神話に因んで建造された塔。
この時まで私はあの物語をただのお伽噺だと思っていたのだ。
父親は物心つく頃にはいなかった。ちなみに祖母は父の母親で、母とは血のつながりはない。
複雑な事情があるのかわからないが、家でそういう話はなんとなくタブーになっていた。
祖母はネィロ教団の元幹部で、今でもご意見番として影響力をもっている。
それが直接の原因ではないが、私に対して同年代の風当たりはキツく、
不登校ぎみで家に籠ることが多い。
そんな私の楽しみはインターネットで知り合った友達とのチャットやネットゲームだった。
同じように不登校で悩みを打ち明けあって仲良くなった小豆ちゃんとは3年ほどの付き合いになる。
お互い男性に対しての免疫がなく、同年代の男子ともろくに会話をしたことがない。
しかし、アバターを通してならなんとか男子とも会話ができるのだ。
小豆ちゃんとは自撮りの写真を送りあったり、ビデオチャットもたまにする。
不登校になったのも、男子から人気だった小豆ちゃんにクラスの女子が集団で陰湿ないじめをしたのが原因らしかった。
いつものようにビデオチャットしていると、小豆ちゃんの後ろに映る部屋の本棚が気になった。
しかし、そこに写るその本は見たことのない本だった。
「どうしたの、セーナちん」
「その右端のネィロ様の本…」
「えっ!??」
「・・・え?」
「あぁ、ごめんごめん。セーナちんが『ネィロ様』なんて言うからwwwそりゃあ好きなんだろうけど」
「え?どういうこと?」
「だってセーナちんもネィロ先生の小説好きなんだよね?だってHNもセーナだし・・・・」
「ん?・・う~ん??」
なんだか微妙に会話が成り立たない。
「へ???」
「あずにゃん?何言ってるの?ネィロ様は大昔の人だよね?」
「wwwそりゃあけっこうご高齢だけど、大昔ってwひどすぎww」
「え~と、ゥイキにも年齢は載ってないみたいねぇ。『この街の真実シリーズ』で人気になった作家...→(URL)」
この時、小豆ちゃんはネィロ様についての詳細が書かれたゥイキのURLを貼ったらしいが私にはアクセスできなかった。
「ん?どうしたのぉ~?セーナちん。」
「さっきの本、どこで買ったの?」
「どこで、っていうか普通に書店でも推してたし、あ○ぞんでも売ってるじゃん。レビュー凄い数だし、→(URL)」
これもアクセスできず。
「・・・」
小豆ちゃんはふざけて言ってるわけではなさそうだ。
「ごめん、ちょっとはしゃぎすぎた?何だかセーナちゃんと好きな本の話できて嬉しかったから…」
「ううん。そうじゃないの。なんか今日は疲れてるのかも、もう寝るね」
「そっかぁ。おやすみ~ノシ」
「おやすっみ~ノシ」
混乱していた。
自分を取り巻く世界が、ガラス細工のように音を立てて壊れていくような、なんとも言えない気分だった。
つづく
バッテリーを充電中…
充電してる間、色々な思考が私の頭の中をぐるぐるとめぐった。
あれは初恋だったのかもしれない。
今ではHNとして「セーナ」が通名になっているが、はじめは「静奈」だった。
本名のシズナのつもりだったが、みんな「セイナ」と読んでいて、いつのまにかセーナになっていた。
というのも、学校にいる同世代の男子というのはガサツで下品だった。
何やらHな本を見て盛り上がってたり。
正直キモイと思った。
スカートめくりでしかコミュニケーションをとれないような幼稚な奴らと対照的だったのも魅力の一つだ。
お互いのことを少しずつ話すうちに、年が同じことと、現実では学校になじめてないことがわかり、
次第に二人でパーティーを組んだり狩りにでかけるようになった。
このゲームは結婚するとお互いをその場に召喚したり、便利だったからだ。
ゲーム攻略のため、利便性のためだとわかってはいたが、お互いなんだか照れ臭かった。
それでも私はカズキが好きになっていた。
疑似恋愛というのか、二人で過ごす時間が楽しくて、そして幸せだった。
カズキ…逢いたいな
・・・・
ピョイン!!
バッテリーの充電が終わったようだ。
そうだ。なんとなく勘だけど、このおばあちゃんのスマホからのアクセスは特殊なものなんだ。
これでネットに繋げば何かわかるはず。
つづく
http://anond.hatelabo.jp/20150211020227
私は今30代。小学生中学生高校のときは、固定電話が通信手段だった。
小学生のころは「クラスの連絡網」という電話番号が印刷された紙の一覧を配られていた。台風とか忘れ物とかの時はそれで連絡が来る。もしくは電話帳で調べる。電話帳で住所と苗字でそれっぽいのを探して、適当に電話する。珍しい苗字だと間違えはないけど同じ苗字の人が多いとか人が多いともう解らん。かけ間違いを謝りながら電話をかけまくる羽目になった。ちゃんと聞いておくのが一番いい。
クラスの友達と「今度の土日、お祭りに行こう」と約束した時は、電話で連絡を取り合って、待ち合わせ場所と時間を決めて、落ち合って遊びにいった。「もしもし、わたくし○○小学校の○○といいます。○○さんおられますか?」とご家族に言う。ここできちんとした話し方をすると大体お母様やおばあちゃまが優しい。会えない時、遅刻した時はすごくたいへんだった。喧嘩になる。
小学校を卒業するときは、クラスの女の子がよくわかんないファンシーな紙に個人情報を書いてくれとか言って持ってきたりしていた。アレって一体なんなんだろう?
中学生になると、クラスに加えて部活の友達の番号を聞いた。そして連絡を取る。電話番号はきちんと書いてきちんと残していた。今はもう考えられない面倒くささだ。
高校生になったときは、ポケベルが普及し始めたころだった。「ポケベルがならなくて」とかドラマをやってたころかな?私はドラマをみないので良く知らない。ポケベルって言うのは、電話で数字の羅列をポチポチ送ると、カタカナが数文字送れる、ってやつ。「バイト イク」とかが送れる。数字暗記してた人もいたと思う。田舎住まいだったので持ってる人は少なかった。画期的な通信手段だったとおもう。
固定電話で長電話することが増えた。長電話していると、家族が怒り出す。当然だ。当時ウゼーと思ってたけど今思うとすごい迷惑だった。電話代が跳ね上がってよく怒られた。反省しています。オタクの知り合いはFAXで絵を送りあっていたようだ。
当時は友人が家によく来てて夜の十時くらいまでよく家に居た。通信手段が限られているけど、何か話したいとかそういうときは実際一緒にいるしかないってことなんだとおもう。
大学生になって一人暮らしをするにあたって「固定電話を契約するよりは携帯電話を持ったほうがいいでしょう」と親に言われ、携帯電話を持つことになった。通信代金は親もちだった。今のガラケーと違って四角くて長くて重かった。アンテナが付いていて伸ばしたり出来た。通話できないところをアンテナが立たない、と言っていた。一年二年後には大学の友人も全て携帯電話を持つようになっていた。待ち合わせが楽だったり、どこにいるの?とか聞きやすかったりでやはりすごく便利だからだ。ただ、通話料金が高くて長電話などはしないようにしていた。メールも使えるようになって便利になった。文字数の制限がかなりあって、短い文しか送れなかったけど。私は電話があまり好きでなく、メールで連絡を取るほうが好きでそっちばかりだった。今でもそうだ。着信音が当時はファミコンみたいな電子音だった。自分で打ち込んだりして作る。ほんとうです。
携帯電話には時々全然知らない人から電話やメールがきて、友達になろう!とか突然言う人がいた。私は怖いのでそんな人にあったりはしなかったけど「メル友」というのができたりすることも有ったらしい。
大学でパソコンを使うようになってから、パソコンと、パソコンの回線を、自分でバイトなどでお金を貯めて使うようになった。そのころICQ(チャットツール)と言うのが流行り始め、夜はそれでチャットをしたり、チャットルームにはいって知り合いや知らない人と会話をしたりしていた。ネットゲームは知り合いがしていたのでしていた。ICQは突如日本以外の居住の人に話しかけられることが多かった。ノルウェーのオタクの人と定期的に喋っていた。
これらインターネットは自分にとっては画期的だった。遠くの人と知り合いになれるというのは本当にすごいことだと今でも思う。小中高と、顔を知っていて電話番号を知っている人としか話して関わることしかできなかった。
言うなれば、距離が近いだけで、自分が本当にコミュニケーションをとりたい相手かどうか、解らなかった。でもたくさんの人とコミュニケーションを取れるということは、相手への選択肢が増える。マイナーな趣味が共有できたり、同じ悩みの人を探して相談したり。
また情報をインターネット上においておくこともできる。他人と時間がずれていてもコミュニケーションが取れる。また、1対1でなく、多数の人にコミュニケーションがとれる。これも画期的だと自分は思っている。今は当たり前になっているけど、これはすごく素敵なことだと思う。(面倒ごとも多いけど)
それからしばらく間が開いて、Android OSを搭載した端末を買った。携帯電話のメニューって言うのがどうも嫌いだったので。アプリを入れるようになってガジェットを使うようになって、ああ便利になったなあとしみじみ思う。初めてのスマホはまだ動くので大事にとってある。
被害者役こそメタファーだよ。実在してようがしていまいが。そんな青木とかいうのが本当にいるのかどうかなんかわからん。いると言い張ってる奴らがいるってだけで。
「ヘマをしちゃう人」の典型的なな例えとして記号化されている。
ネット上のことなんて基本フィクションなんだから。フィクションの小学生なのか。フィクションの青木某なのか。ネットゲームのキャラみたいなもの。ネットゲームで美少女の振りしてたけどどうもオッサン臭いってくらいのもの。それに対して「おいお前オッサンだろ」っていうくらいのもので、オッサンの振りしてもいいしつっこんでもいい。
フィクション上のことなんだから好きにやっていい。フィクション上のいじめも問題ないし、フィクション上の小学生も問題ない。この件の登場人物全員、フィクション上の人物も書き込んでいる何者か(botかも)も、みんな問題ない。
この世は全部自由だ。
とはいえAは強制送還された後、強制労働を強いられていたわけではない。
15年程前、彼が実家にもどって3年ぐらいの時に会った時は
「なぁに、気楽なもんさ。家賃の取り立てとガス器具の修理手配などをやっていればいいのだ……。」
と、自分を弁護するように話してくれた。
『いや、それがどうも地下アイドルにはまったらしく』
ちなみに2次元以外は興味なかった男だったので驚いた。
『そういうのがいてるのよ。で、あるアイドルに傾倒した結果、
相当貢いでいることが分かり、親族から縁を来られ、禁治産者になったそうだ。』
なんでも、駐車場を勝手に処分したらしく、それが父親の怒りをかったらしい。
「それは大変だったろうねぇ、で、Aは何しているの?」
『そのアイドルにも会えなくなったことで絶望して、今、精神病院の隔離病棟に収容されてるよ。』
アイドルは時に希望も与えるが、場合によっては絶望も与えるんだな……と複雑な思いをビールで流し込んだ。
『あいつの弟、ほら帝大出て弁護士だろ?厄介払いしたんじゃないのかなー。弟ちゃん、結婚するらしいから。』
「ああ、そういうことね。」
ライトノベルは今や一大人気コンテンツの一つで、新刊が出る度にとりわけ人気シリーズはマンネリが続こうが買い支えられているので、
落とし所が掴めていないため、惰性で続けられてるのが多い。
漫画で言えば、『名探偵コナン』や『金田一少年の事件簿』などの推理漫画や『こち亀』のように永遠に年を取らない設定の漫画がある。
ライトノベルでも人気シリーズは多く、特にネットゲームを題材にした『ソードアート・オンライン』はシリーズ化して久しい。
『ソードアート・オンライン』アリシゼーション編の最新刊の評価が両極端に割れている。
確かにシリーズが長すぎて冗長に陥ってるのも分かる。
もはや落とし所を誤ったとしか言いようがない。
同じようにシリーズ化が長くなり過ぎて仕切り直しをして再起を図った例もある。
『とある魔術の禁書目録』がそれだ。
今は新約もシリーズが長くなってきているので多少マンネリが否めないものの、前作から心機一転できたのは大きいだろう。
しかしながら、シリーズが長くなり過ぎてダメになったパターンもある。
番外編の『お釈迦様もみてる』と併せて読むとその実がよく分かる。
とにかく終わりの見えない学園ドラマと化したため、マンネリが出てもはや行き着く処が分からないままシリーズが続いている。
元々大筋があったのにそこから番外編を立て続けに出した結果、本編から逸れすぎてしまって修正が不可能な所まで落ちたケースといってよい。
漫画であれば、完結しない事で知られる『ベルセルク』やオサレ過ぎてもはや何を描いてるのか分からない『BLEACH』、ネトゲに嵌って惰性で年に数回しか連載されない『HUNTER×HUNTER』のように落ちる所まで落ちてるのに未だに連載が続いていて人気も高い作品もあるのでそこは注視したい。
ただ、漫画はそれでいいかもしれない。
しかしながら、ライトノベルは数ヶ月に一度か或いは年に1度しかシリーズ物が登場しない事もあって、早い完結が読者の中で見込まれてるのは確かである。
さっさと終わればいいものを、ドラゴンボールおよびドラゴンボールZ並の尺取りなのでマンネリ云々以上に上手い展開でなければそれはもう惰性で描き続けられていると見られても仕方ない。
いっその事、禁書のように新約に逃げるのもありかもしれない。
要は仕切り直せば良いわけである。
たぶん「新型うつ」って言葉が出来たころからおかしくなり始めたんだだろうな。
サボりたい一部の人間と、儲けたい一部の精神科医たちの利害が一致した結果、
結果として、本当のうつ病患者には「怠け病だろう」という疑惑の目が向けられ、
この構図は痴漢冤罪と同じ構図だ。
本当の痴漢被害者と冤罪によって社会的に多大なダメージを受けた被害者は救われない。
痴漢の証拠がほとんど残らないのと、うつ病の証拠がほとんどないのもそっくりだ。
痴漢は物証を取るようになったり、うつ病も血液で判定しようとしたり、客観的な証拠を求めるようにはなってきたが、どちらもまだまだ主流じゃない。
今回紹介するのは、2030年から爆発的な人気となったオンラインゲーム、ソードアートオンライン。いったい何がブームのきっかけになったのか、プレイの流れとともに紹介しよう。
ソードアートオンラインの参加方法はとてもシンプル。名前とキャラクターを選ぶだけ。これだけで、あなたは広大な世界に入ることが出来る。あなたが最初にもらうアイテムはナイフ、オノ、ランプ、そしてわずかなお金のみ。何をしていいか途方に暮れるだろう。しかし、この世界ですぐに始めるべきことは、たった1つである。
周りを見渡すと、森があちこちにあるだろう。あなたはそこに行き、オノで木を切るとよい。もちろん、地面に落ちている枝や丸太を使ってもよい。好きな素材を使って彫刻・オブジェ・置物・家具などを自由に作るのだ。
作った作品は街に行けば売ることができる。精巧に作れば作るほど、価値は高い。もちろん店に売るだけでなくフリーマーケットで売ってもよい。場合によっては展覧会を開催して客を集めることもできるだろう。そうやって稼いだお金で、新たな素材や道具を購入できる。
もちろん素材は木材だけではない。土、砂、大理石、氷だって彫刻の素材にできる。道具だって様々だ。彫刻刀、ノミとトンカチ、のこぎり、グレートソード、レイピア、サムライソード、ダイヤモンドカッターなどなど。あなたが作りたいものを作りたいように作ればよい。
このゲームに夢中になっている青年に話を聞いてみた。「今までのネットゲームは誰かを殺すことばかりだった。それに飽きた頃に登場したのがソードアートオンラインさ。このゲームでは誰かに殺されることが無い。好きな時に、好きなだけ作品を作ればいいんだ」
一方、こちらの彼女は作品を作るよりも教えることに楽しみを見出していた。「私はお金を稼ぐことにはあまり興味がなかったの。だから個展を開いてたんだけど、初心者の人が『どうやったらそんなにカッコいい作品が作れるんですか?』と聞いてきたのよ。それからは教師としてみんなに作品の作り方を教えているわ」
プレイヤーによっては、ゲームに使う周辺機器も選んでいる。キーボード派の彼はこう答える。「デジタルな入力が可能なキーボードのほうが繊細な作品が作れると思うよ」と。一方、ナイフ形のコントローラを使う彼はこう語る。「このコントローラのほうが実際に作品を作ってる感覚に近いんだ。ヘッドマウントディスプレイも使えばまさに自分だけの作品を作ってる気分になれるぜ。ゲームだからナイフで手を切る心配もないしね」
いかがだっただろうか。ソーシャル要素を持ちつつ、自分一人で楽しむこともできるこの作品。誰かと作品を競い合うもよし、空いた時間にコツコツと作るもよし、木こりとして山で生活するもよし。プレイヤーの数だけ遊び方がある。
ガンダムVSシリーズで二落ちしたとき、MOBAでfeedしたとき、ふと体育の授業でサッカーや野球をした記憶が蘇る。
運動が苦手だからスポーツが嫌いなのか、スポーツが嫌いだから運動が苦手なのかは分からないが、
とにかくスポーツが苦手で運動が嫌いな子供、いうなれば天性のインドア気質。今でもそれは変わらない。
当然そんな自分が体育の授業を好きなわけがなく、中でも集団競技は大嫌いだった。
サッカー、野球、バスケ、ドッジボール、得意なスポーツは1つもなく、いつだってチームの足を引っ張り続ける。
そんな時間が自分はたまらなく嫌いで、かといって自分を鍛えようという気にはなれないでいた。
それは面倒くさかったのもあるし、鍛えてる姿を人に見られたくなかったのもあるし、
体育の授業の中で一番嫌いだった競技はサッカーで間違いない。
サッカー部にいじめっ子気質の人間が大勢いたのも嫌だったし、変にルールが複雑なのも勘弁し欲しかった。
オフサイドの条件なんてサッカー部ぐらいしかしらないから、それこそ奴らの言ったもんがちにしか見えなかった。
授業開始前のチーム分けで、多くの生徒は上手いプレイヤーと組みたがっていたが自分は全くの逆。
下手なプレイヤーと組んで「みんなして下手だから勝てなくて当然」という空気の中でダラダラ時間の経過を待つ事を理想とした。
味方が本当に強いメンバーの集まりだとしてもそれは実はそんなに悪くはない、
例えば味方の戦力の合計を1000とした時に自分が1になるのならば、誤差が碌な結果を出さなくても大抵は気にされないからだ。
一番悪いのは一人そこそこ強い奴がいて、残りがそれなりの場合だ。
自分は誤差になりきれず、試合は勝つか負けるか分からない微妙なバランスで終始進む。
その状況で負けるとどうしても「アイツのせいで負けた」と言われることになる。
自分だってやる気がないなりにやる気を出していても、「もっと出来るだろ」と平気で叫ぶバカが出てくる。
やめてくれ、俺は誰とも競り合わなくいい状況でボールを拾ってインサイドキックのヘロヘロパスを出すのが精一杯だ。
そう思いながら罵声を授業中浴び続ける。本当に、本当に嫌な思い出だ。サッカーが好きな奴なんてみんな死ねばいい。
そういった罵声の中でのチームプレイはサッカーが一番印象に残っているが、
もちろん他のあらゆる集団戦スポーツでソレがあった事を記憶している。セパタクローのような体育でやらない競技は別だが。
そういった目にあうのは高校を卒業した時に最後にすることが出来た。
大学では筋トレだの座学だのでチマチマと体育の単位を取る事が出来たおかげである。
そうしてもう遊びで味方の足を引っ張っては怒鳴られる事とは一生おさらばだと思っていた。
だが、それは自分たちインドアの格好の遊び場であるゲームの中にも存在した。
多人数プレイゲーム、多人数VS多人数のプレイヤー同士の試合の中でそれは起きていた。
味方プレイヤーが弱い事を絶対に許せないプレイヤーが一定数そこにはいる。
味方のせいで負けるのは確かに気分が悪い。裏切られたような気分になる。
だが、自分が常に完璧なプレイを出来ていると思い込んでいないのでなければ、それは口にだすべきじゃない。
○○「□□テメーのせいで負けてんだよ」→□□さんが退室しました→○○「はっ、味方減ったせいで負けてんだけど」
ネットゲームを遊べば100試合に一度はこういった光景を見ることが出来る。
ただそういった罵倒を言いたくなる気持ちが分かることはある。
こっちが3で向こうが1だから力を合わせれば絶対勝てる、
そう思って進んでいったら味方は二人とも後ろのほうで引きこもっていて自分だけが死んだ。
「信じた俺が馬鹿なのか」、そんなフレーズが浮かぶようなシチュエーションが定期的に訪れる。
そんな時そっとリスポーンを待ちながら「お前ら馬鹿じゃねーの?」と言いたくなる自分を抑えるのはほんの少しだが苦労する。
そして、自分が誰かに「お前わざと足引っ張ってんの?」と言われてしまいそうなほどコテンパンに負ける日もある。
0キル7デスのような数字を見ると自分でも何が起きてるのかと困惑してしまう。
正直文句を言われても仕方がないと思いながら、チャット欄が無言なのを見て「良い奴だな」と感じたり、
チャット欄に飛び交う罵声や試合後に来るファンメール(罵倒メールの隠語)を見ながらそっとミュートボタンに手を伸ばす。
そんな時にふと体育の授業であった嫌な記憶を思い起こし、実に、嫌な気持ちになる。
コンピューターは人間の遊び相手としてまだまだ二流なのだから仕方ない。
エイムやコンボはやたらと完璧なくせに試合運びの事は全然考えていなかったり、
まともに思考を競い合ったら勝てないからか資源や視界でイカサマしてきたりする相手との遊びはやはり今ひとつだ。
まず、前提として。この日記を書こうと思った理由は2つある。
ひとつは単純に自分の気持ちを吐きだしたかったから。2つ目は、「なぜ死にたいという思考までたどり着いたのか」を書くことで、自殺についてのケーススタディの役立つかもしれない、という思いがあったからだ。まぁこんな匿名の日記を誰が読むか、とか、好き好んでスタディするのか、みたいな思いは勿論あるが。
あと、書き手について。自分は大学4年生だ。大学は私立で、専門性も学費もかなり高い。入学時から東京の外れで一人暮らしをしながら通っている。就職活動中で、無い内定。
「死にたい」という気持ちは、複合的な理由から生まれるようだ。
【就職活動が上手くいかないこと】
正直なところ、自分の就職先は才能がものをいう世界のため、実力が無いと就職をするのが厳しい。勿論専門とは関係のないところに行っても良いのだが、どうにも夢を諦められない。しかし、才能が無い。ひとつの手段として、一般的な職に就き、専門のことは趣味に抑えることも考えた。しかし、そもそも職に就けないのだからどうしようもない。
自分は、大学生である今が一番幸せだと思っている。したいことができて、時間をゆっくりと使うことができる。しかし就職すると、自分の時間はぐっと減ってしまうだろう。さらにもし、仕事にきちんとした意味を見いだせなかったとしたら。それは長い苦しみの末死ぬのと同じではないのだろうか。だったら今、楽しいと思える段階で死ぬ方がよほど合理的ではないだろうか。
【やる気がでないこと】
自分は努力厨だ。努力すれば大体の物事は叶うし、努力出来ないのは自分がたるんでいるからだと考えていた。しかし今、その気持ちが首を絞めている。やる気が出ないから自分を責める、しかしやる気が出るまでやってみるも、うまくいかない。そしてまたやる気が無いからと自分を責める。責めてばかりなのでやる気も潰える。結果は出ない。そもそも褒められるようなことをしていないので、自己嫌悪のスパイラルに陥るのだ。
【その他諸々】
たとえば、臼蓋形成不全という病を患っていること。大掛かりな手術をしない場合、早くて10年年後、痛みで足が動かせなくなるらしい。あとは、数百万の奨学金という名の借金を背負っていること。中学のとき一度自殺を図った(方法はとても死ねるようなものではないお粗末なものだったが)ことによる人生の延長戦感。今まであまり必要とされてきたことがないこと。何をやっても感動しなくなったこと。ネット依存がひどいこと。今日は新学期の授業があったのに寝坊で出なかったこと。などなど。
自分の場合は全体を通して「理想と違う自分への嫌悪」が気持ちとして大きいが、やはりちいさなきっかけが積み重なってこうなってしまうのだろう。
○最終的な決め手
最終的な決め手は、自分でも笑ってしまうが「Twitterの退会」だった。
【依存による退会を決意】
自分のアカウントは、現実の知人とは一切繋がりを持たず、漫画やゲームの趣味でつながるものだった。アニメ化の話でリプライを飛ばしあったり、ちょっとした日々のことをツイートしたり。しかし、最近どうにも依存が過ぎた。リプライが来ないことにそわそわし、つねにタイムラインを監視しつづける日々。ひょっとしたらやる気がでないのは断続的にTwitterをやるせいでは無いのだろうかと思った自分は、思い切ってアカウントを消すことにした。アカウント連携を外し、理由は述べずに明日で退会する旨のツイートをする。これにはとても勇気がいった。(余談だが、同時に今まで積み上げてきたものをぶち壊す高揚感もあった)
【アカウント削除という擬似的な死】
Twitterを止めることは、つまり「ネット」社会的に死んだことに他ならない。「ソーシャル自殺」と言っても良いだろう。ネット世代の馬鹿な考えに思えるかもしれないが、直接的な繋がりのないソーシャルネットワークでは、消えたアカウントとは(新しくアカウントを作らない限り)永遠に会えなくなる。そしてこの擬似的な死を体験することが、死にたいという気持ちをはっきりと持つ決め手となった。漠然とした感情であった自殺を、バーチャル的にでも体験してしまい具体化することで、形を持ってしまったのだ。
自分も例に漏れず、孤独だ。孤独は嫌いじゃないし上手く付き合ってるつもりだが、「死にたい」という気持ちを加速させる力を持っている。
【何でも話せる友人がいない】
自分は昔から誰ともペアになれなかった。「AとBっていつも一緒にいるね」と思われたことは一度も無かった。そもそも、固定のグループにいることがなく、クラスのグループの3,4つを転々としていた。だからグループ全体での遊びに誘われることはほぼなかった。そういうわけで、周りに人がいるのに大して仲のいい人はおらず、ましてや「死にたい」などと言おうものなら中二病かと一笑に付されること請け合いだった。(そう思ってしまうくらい、プライドが高いということも理由のひとつだろうが…)
【親にも話せない】
バイトもしておらず、サークルも似たような有様だったので、自分は一人暮らしを始めてからずっと親にだけ相談をしてきた。しかし、「死にたい」という気持ちは親にも言えなかった。勿論生んでくれたから申し訳ない、という気持ちからでもあったが、それよりもっと大きな理由があった。まず、父はこのご時世珍しくはないが、心の病気を患っていた。母はそんな父の言動から「人生の希望」を失ってしまった。今の母は、ネットゲームを生き甲斐にしている。そんな彼らに「死にたい」とは言えまい。
というか先日、実際に「辛い」ということを電話で母に相談したのだが、「そんなこと言われても」「そうは言ってもやるしかないでしょ」「アンタは頑張ってるよ」と、返答した。
その間ずっと、受話器越しにキーボードを叩く音が聞こえていた。
そういうわけで、「死にたい」ということを話せる人間がいなかった。カウンセリングも対して役に立たなかったし、心療内科には毎週薬を渡されるだけで終わった。一番心が軽くなったのは横浜中華街の占い師だったなんて、いっそ笑えてすらくる。
ともかく、きっかけを与えられた「死にたい気持ち」は、孤独によってより膨らんでしまうということだ。
○で、自殺するの?
ここまで書いておいてなんだが、おそらくすぐに自殺することは無いだろう。勿論今も死にたいという気持ちはかわらない。未来に希望も持てないし、内定も無いし、やる気もでないし、自己嫌悪もひどい。しかし吐露したことによって気持ちの整理がついたし、少しすっきりもした。それについさっき思い出した、母に言われた一言が、自分の自殺をかろうじて止めてくれている。
「旦那が心の病気になったのは、自分の責任でもある。もしアンタもそういう病気になったら、私はもっと自己嫌悪が酷くなる」
だから自分は心の病気にもなれないし、自殺もできない。もう死ぬしか助かる道はないと分かっているけれど、両親の死や自我崩壊など、更に大きな決め手ができるまで、自分は「死にたい」という気持ちを心に持ちながら、生きていくしか無いようだ。
○朝の話
朝目が覚めたとき、隣の人が自分のことを警察に通報した声が聞こえて、捕まるんじゃないか? という恐怖感でいっぱいになってしまった。
30分ほど慌ただしく身辺整理をしていたが、ふと薬を飲むことを思いつき飲んでからしばらくすると。
何を恐怖していたんだ? と冷静になれた。
そもそも、何で隣の人の声がそこまで詳しく聞こえたのか、警察に捕まる所以なんと何もないなど、ツッコミ所が多すぎた。
やっぱりデパスは最高だぜ!
○ハッピーウォーズ
まあ何にしろ一週間無事に終えれてよかったよかった。
○洗濯
朝食のまえに洗濯。
○朝食
○お薬
レキソタンが本当によく効く。
よく感じていた「天井が落ちて来る感じ」も極端に少なくなった。
○ポケモン
悪タイプで砂にかからない、バルジーナ、ノクタス、ワルビアル、キリキザンを入れる予定。
イッシュ地方のポケモンが多く、僕はBW時代にほとんどやってなかったので新鮮な感じ。
ポケモンはこの考えている時間が一番楽しかったりもするかも(笑)
○Warface
現代戦争物のFPSは苦手だけど、無料なのでチュートリアルまでプレイ。
うーんなんか普通。
僕はネットゲームで僧侶をするのが大好きなので、メディックには興味があるけど、
とりあえず新しい世界を生成した。
早速村を発見し、取引を持ちかけるとなるほど色々な村人がいて意味があるようだ。
とはいえ、マインクラフトは実績コンプまでやったしなあ、これからも遊ぶかはフレンド次第って感じかな。
○ブランチ
目玉焼きって日本が誇る素晴らしい料理のひとつだよなあ、と常々思う。
○お薬
○午後の予定
急にJRPGがやりたい欲が出てきたので、ブルードラゴン辺りをやろうかなあ。
お、面白い!
キャラクタもわかりやすい造形で、猪突猛進に知的に紅一点、これこれこういうのがやりたかったんですよ私。
ブルードラゴンのコマンドRPGで程よくアクションしたい欲がわいたので再開。
悔恨の予言者を倒すのは珍しく工夫が必要そうに思えてそうでもなかった。
まあFPSならこの程度で十分。
それにしても本当に道に迷うゲームだなあ。