はてなキーワード: ネットゲームとは
自分はSNSではなく、ネットゲーム(FF11)にはまっていた。
子供が生後8カ月くらいで、子育て主婦の多くが肉体的にも精神的にも追い詰められているという時期の話。
自分が会社から帰って真っ先にやることは、PCの電源を入れること。
軽く2ちゃんのスレを確認したのち、すばやく飯を口に放り投げ、ネトゲの世界に旅立つ。
子供が覚えたてのつかまり立ちで近づいてきても、その手を払いのけてネトゲ。
そうなるとネトゲ以外のことは、すべて興味が無くなる。
家族のことであっても例外なく。
嫁さんが何を考えているのかなんて、これっぽちも興味が無い。
今の状況が子供の成長にどんなに悪影響かなんてことも、興味が無い。
お前のやってる家事なんて楽なもんだろ?
「なんでお前みたいなヤツが結婚したんだよw」って思いますよね?
ここまでの重症者は希少かもしれないけど、似たような旦那は多いんじゃないかな。
SNSやネトゲだけじゃなく、パチンコや競馬、その他もろもろの趣味の中毒者で。
人ってのは変われるもので、ネトゲを捨て家族中心の生活になった。
子供が泣いていたら抱っこでヨシヨシ。
子供と一緒にご飯を食べる。
子供がご飯や飲み物をひっくり返したら「どうせないかんかね~?」と考えさせる。
子供が近づいてきたら頬ずり。
嫁さんとケンカしたら、聞き役に徹する。
嫁さんは泣かせない。
嫁さんとの会話が増えた。
(だがセックスレスw)
ネトゲ中毒からの転機になったのは、仕事で認められるようになってきたことかなと、今になって思う。
それから少しずつネトゲから遠ざかり、最終的にはアカウントを削除した。
仕事中毒になり、時間が無くなったからネトゲを捨てたのではない。
ネトゲへの執着が薄れていった感じ。
最近考えてたのは「なぜあそこまでネトゲに執着していたんだろう?」ってこと。
たぶん誰かに「自分を認めてほしかった」んじゃないかと思ってる。
家庭ではATMとして、それなりの地位があった。
だけど仕事は、ペーペー真っ盛りの頃で「オレって何の役に立ってるんだろう?」っていつも思ってた。
その気持ちをネトゲの世界に求めてしまっていたんじゃないかと。
人の持つ承認欲求てのは、家族とかの身近な存在からだけじゃ満たされなくて、自分の所属する集団とか世間一般からも求めようとしてしまう、欲深くて厄介な存在。
世の中から認められず、時間をかければ簡単に「仮想の承認」を得られるネットの世界に逃げてしまう。
ネトゲを捨ててからは必然的に家族と関わる時間が増えていき、育児や家事をやるようになって気付いたことがある。
主婦に対するイメージは、午前中に家事を軽く終わらせて、昼ドラを見て、子供と昼寝をして、ストレスの無い羨ましい身分だった。
これが全然違う。
たまに嫁さんが用事のあるとき、自分が仕事を休んで子育てと家事をやるんだが、半端なく仕事量が多い。
通常の家事だけでも大変だが、役所の手続きや料金の支払いなんてのがあると、軽く午前中はとぶ。
さらに子供は予定外のことばかり起こしてくれるので、午後の時間さえもあっという間に無くなるってこともあった。
これらを嫁さんは、バグの無いプログラムのごとき正確さと計画性でこなしつつ、予定外の処理もマルチスレッドでこなしてしまう。
どんなに完璧に家事をこなしても、誰にも誉められないし、認められない。
それどころか、少しの落ち度でもあろうものなら、非難の的にさらされてしまう。
おもちゃが散らかっている。
Yシャツシワがある。
「買っておいて」と頼んでいた物を買ってない。
がんばっていることは見向きもせず、ミスばかり指摘する。
嫌な上司の典型例w
上でも書いたけど主婦って超忙しいから、人と会う暇も話をする機会も少ないから、本当に孤独だと思う。
友達とランチなんてのは、時間が無いこともあるが、何より子供がいると周りへの気疲れに悩まされるので、まさに幻想。
子育て主婦は、世間から孤立するっていうニュースをよく聞くけど、まさにその通りだと思う。
子供以外の誰とも関わらず1日が終わる。
誰にも気にされず、誰にも認められずに。
1年や2年なんて短期的な話じゃない。
主婦である限り「誰にも認められない」なんて悲しいことが半永久的に続く。
行きつくのは「自分の存在って何なんだろう?」っていう感情じゃないかな。
マンガやドラマで沢山使われすぎてて安っぽく感じられてしまうフレーズだけど、これを思わない子育て主婦はいるんだろうか・・・?
「誰かに認めらたい!」って切望する旦那も、嫁さんの承認欲求には気づけない。
それは致命的な間違い。
そんな社会から隔離された絶望的な状況で耐えている嫁さんの精神力はすごいと思った。
それを素直に嫁さんへ伝えると、嫁さんは号泣した。
オレもつられて泣いた。
増田さんの旦那にとって、twitterやFacebookは仮想空間ではないってことです。
他人には何の価値もない「家族サービスでお出かけなう」や「きたくったー」なんてコメントでも「いいね!」してくれる変な人が沢山いて、「良い父親」「仕事を頑張ってきた」っていう旦那さんの承認欲求は満たされるから。
「人に認められる」
フリーゲームやネットゲーム、エロゲをやっている人は多いと思う。
多分、ものすごくいる。
一方でテレビない人も増えてる。テレビないと据置ゲーム機導入のコストにテレビ代が上乗せされるから、そういう人のゲーム機導入負担感は高い。
開発する側もPCだと開発費が安くなる。
さらには少子化で、子供はPCが使えないというデメリットが薄まってきた。
スペックの問題はオンボード性能(最近はオンボードですらないようだ)の向上で解決されつつある。
ガチガチ豪華の3Dゲームならともかく、ありがちな2Dや微妙な3Dなら、各種エフェクトのカットとフレームレートの低下でかなり対応できる。
それでもダメなのは絶対的なソフト不足と露出の少なさでスパイラルに陥ってるのかな。
何故嫌うのか、という元エントリだったので、ネットゲーマーから見てソーシャルゲームはどのように見えるのかから、嫌う心理を説明したまでです。
かつて乱立したクリゲーの中でもライト向けという方向性を生かして良質化したものは生き残っており、そういった層向けのゲームが必要なのもネットゲーマーは理解していますよ。僕のようなネットゲーマーはよく言えば古きよき、差別的に言えばオールドタイプだと言っても良いし、自覚しています。
人付き合いのない軽いなんとなくで遊べるゲームが求められてるというのは同意です。それを否定する気は全くありません。個人の好みとしては好き嫌いはあるでしょうが。
ただ、ユーザーを消費する課金コンテンツ→天井には差を付けず時間やアバターを売る方向へというのがソーシャルゲームで革命的なもののように言われても(コナミ云々のツリーの流れ)、「今までが酷すぎただけでしょ。そういう方向に成長するのは自明だし。MMO の課金だってそうだったし。それに今もまだまだ酷そう」「ソーシャルゲームのユーザーはまだまだ搾取されてる。ユーザーもいつまでもバカじゃないから変化していかにないとまずいんじゃ?」と見えてしまうわけで、集金モデルやそれによる影響への嫌悪感は、拭いきれない所です。(~みたいな重課金チョンゲーはユーザーを食い物にしてるからやる気しないよ、と MMO 内での壁もある)
例えるなら、オールドタイプなネットゲームとソーシャルゲームは全く業種が違うけど悪徳商法は使いまわされているので、そこが気になるといえばわかるでしょうか?
逆に言えばソーシャルゲームは過去に MMO が通ってきた道を考えると、もっとユーザー満足度が高く嫌悪感を抱きにくい集金システムになる余地があるとも言えます。
http://anond.hatelabo.jp/20120303021419
コンシューマーメインの方だとハード論争もありそうなので僕とは意見が違いそうです。
ネットゲームを長年やってるゲーマーとしては、あなたの疑問は以下のツリーでよく解説されていると思います。
http://anond.hatelabo.jp/20111017115231
つまり、MMORPG ではソーシャルゲームの手法というのは既に過去に経験した悪夢であって、それが本来のゲームの面白さやコミュニティを破壊したので、嫌悪されているということです。極端にゲームバランスに影響する有料コンテンツがあるのであれば、MMORPG に限らず FPS 等でも同じことが言えます。
現在は、ゲーム性やコミュニティを破壊しないように、単純にゴールでの有利に差をつけるのではなく、アバターや時間やサービスを売るような手法にシフトしてきているのは、上のツリーの通りです。
コンシューマーでは違うかもしれない、と始めに書きましたが、コンシューマーでも DLC に嫌悪感を持つ層はいます。単純な嫌儲から批判している低年齢のユーザーもいますが、DLC によって本来のゲームバランスの破壊が行われている、なにより、DLC 重視の収益モデルによってゲームとしての面白さへの開発コストが割かれにくくなっているのではと疑念を持つユーザーがいるからです。
ネットゲームでは 10 年以上継続しているものも複数あり、5 年程度なら珍しくもありません。本格的なネットゲームを経験したユーザーには、いかにもテンプレートな量産型のゲームを嫌う傾向があります。言い換えれば、「良いネットゲームとは、作って終りではなく、終わらない変化と進化があり、大きく豊かなコミュニティを育むものだ(であってほしい)」というイメージです。
しかし、MMORPG にも一時期はテンプレート化されいかにも低コストで生産されたようなタイトルが乱立しました。そういったものは、チョンゲーやクリゲーと多少差別的に呼ばれました。そのようなテンプレ化されたゲームを好むユーザーがいることも含め、議論されてきた過去がネットゲームにはあります。一方、ソーシャルゲームはチョンゲーやクリゲーよりも更にテンプレート化され、低コストで量産されているように見えます。
ネットゲームに長くうまく付き合っていくと、ゲーム内のアイテムやレベルのようなものよりも、プレイヤースキルや人間関係、ギルドなどの仲間関係といった経験に重きを置くようになります。 (まあ大体長く続ける、またはゲームが変わっても同じメンバーで遊んだりする理由ってのはそれです) 高額課金による高額課金以外の手段では到達できない、ユーザーの経験や技術を無視した有利不利は、そういった彼らのプレイヤースキルや仲間意識の価値をゲーム世界が否定するということですから、なんというか水と油なんです。
合わせると、MMORPG もしくはそれに類するネットゲームを経験したユーザーにとってソーシャルゲームは、古く安易で問題の多い課金モデルと、散々に議論されてきた使い捨ての低コストな量産型のゲームの特徴を悪い方に集約した、旧時代的なモデルに見え、批判的になりやすいのです。
男で登録すると1通も来なかった
女で登録したら写メがないにもかかわらず20通ぐらい来た
某掲示板で太っていると判定されるレベルのプロフィールを登録したけど、それでもくる数は変わらなかった
化粧する圧力がうざいという女がフェミクラスターの中にいるけど、裏を返せば、男のようなキモオタにはなりにくい
どんなオタクでもあっても化粧の仕方と着こなしを覚え、魅力のある人間になることができる
化粧後
http://imepic.jp/20120109/760720
化粧前
http://imepic.jp/20120109/760580
この写真の人たちは顔面偏差値で言えば40位の不細工な人たちばかりだ
でも、この人たちですら、縦ロールをまき、つけまつげをつけ、アイシャドー・チークなどをいれることでここまでかわいくなれた
ためしに元の写真を隠して顔面偏差値を聞いたところ85がついた
男だったら、ここまではすることはできない
某モバゲーでは女の人に対してはアイテムがわんさか送られるのでお金をかけなくてもプレイすることができる
ラグナログオンラインでも女プリーストに対しては装備品が山のように送られ、比較的楽にプレイできたらしい
セックスするまでならどんなことでも我慢する男しかいないので、多少コミュニケーション能力に難があっても、出会いにつながりやすい
男は好意を持ってもらうために相手を楽しませなければならない。
それには高度なコミュニケーション能力が要求されるので、アスペルガーや自閉症の人が女とセックスするのにいたるのは非常に難しい
それに対し女の場合、発達障害であっても天然とみられるし、女を見るだけで恋に落ちる男が山のようにいるので、恋愛するのは比較的容易だ
(ただし、セックスしたとたんと冷める男が多いので、恋愛関係を維持できない人が多いらしい)
アスペルガーの館の掲示板でも何人かの人と付き合ってると告白した女の人はいたけど、男は0人だった
#見れないと言われたので訂正
大学を出てから定職もつかず、家でネットゲーばかりやっている。
・かわいそう
・○○のクーポンを教えてくれたり、あれで少しは役にたっているのよ
とのこと。
わたしは、大学を出て男も出来ず作らず、気がついたら10年も働いているというのに、
弟は8年間、なんだかよくわからないネットゲームに没頭しているだけで正直いって
『あなた30歳になったら、この家でていきなさいよ』
「姉の家ならともかく、おねーちゃんに言われたくないよ」
『稼ぎの無い者が偉そうに言わない』
「俺、働かないんじゃなくって、ほら、病気だからさ・・・・・・無理なんだよ・・・・・・働くの・・・・・・」
『それじゃ、せめて家事ぐらいしなさい』
「家事は無理だよ、せいぜいタバコの不始末でぼやを出すぐらいで」
『ふざけるな!あなた誕生日になったら絶対に出て行ってもらいますからね』
「・・・・・・。」
それから、1ヵ月が経ち弟も30歳になった。
未だに働いていないが、流石にごろごろばかりしているのはまずいと思ったのか、
漬け物だけ漬けるようになった。
近頃、ゲームを全くしなくなった事をよく実感する。学生の頃にはまっていたMMORPGをはじめとするネットゲームは勿論、Xbox360やPS3にも滅多にゲームディスクを挿入することなく、もっぱらDVDやブルーレイの鑑賞機器として稼働している。PSPやDSに至っては一年以上電源を入れていない。
と言っても、ゲーム自体が嫌いになったわけではない。今でもレースゲームやRPGにはわりと興味があるし、最近読み始めたライトノベルの影響か、ネットゲームに対する興味もやや増してきた。多分、これから先もゲームから完全に意識が遠ざかる事は難しいだろう。また、ネット上ではよく「体力が続かなくなった」という声を聞くけども、それも何か違う。確かに昔の様に丸一日をテレビやモニタの前で過ごせるほどの体力は無いとしても、半日くらいなら問題なく向かえるはずだ。
要するに、モチベーションの問題なのだと思う。ゲームなんてただのお遊び。そういう考えが板に付いてしまった。こんな事を言うと「仮想と現実の区別がついてない」という類いの批判を受けるかもしれないが、それに乗っかって言うなら、ゲームというものは仮想をもう一つの現実として扱うからこそ楽しかったんじゃないだろうか。少なくとも、子供の頃はそうだったと思う。勝った負けたに真剣に一喜一憂し、難題が持ち上がると全力で解こうとしていた。今の様に「暇だな。ゲームでもしようかな」ではなく、学校から帰るやいなや、ランドセルをほっぽり出して友人の家に駆けつけてはコントローラーを取り合っていた。
あの頃の俺にとってゲームは特別な存在だった。当時を思い出す度にその一端は感じられるだろう。しかし、今はもう違うらしい。では「今の自分にとって特別なもの」とは何なのか。ゲームに限らず、同じ様な事を感じた時は特にこの点を思い出して欲しいと思う。
うーん、確かに。
ブログが出来てから、どんどんMMORPG外での接触が増えていって、MMORPGのサブセットとしてゲーム内コミュニティがあった昔の時代とは何もかも変容してしまったのは確かだ。
MMORPGに限らず、昔はネットと言えば殆ど完全にリアルと隔離している人が多い印象だったけど、今じゃリアルのサブセットと化してるもんな。
仮想世界を思い込ませるというか、結局のところ、コンシューマゲーム業界でDSやWiiが起こしたライトユーザーをゲームに引き込むという戦略が、ネットゲーム界でも発生しただけなんだろうな。
ソーシャルゲームが儲かっていることにはちゃんとした理由がある。
MMORPGをやったことのある人間からすると、今GREEやらモバゲーの手法として騒がれているのは、確かにMMORPGではかなり昔から行われていたこと。
俺自身、もうかなり長くMMORPGをプレイしてきたから、それは分かる。
MMORPGをプレイしてきた人ならなんとなく分かると思うが、ネットゲームの本質ってさ、まんまソーシャルなんだよね。
勿論、ゲームシステムが面白いものもあるんだけど、プレイしている期間が長くなると、戦ったり、冒険する時間よりも、チャットしてる時間の方が長くなることがそんなに珍しくない。
それゆえにMMORPGの欠点は、先ずゲームがあって、その後にコミュニティが出来る、ってことなんだよ。
昔はゲームを離れると、つまりコミュニティから離れるってことだった。
コミュニティを維持するには、揃って他のゲームに引っ越すか、個人的にメールアドレスを交換する必要があったが、話題は基本的にゲーム内で完結するので、話は限界がある。
それに人集めも難しい。ゲームを作った段階では、手持ちのコミュニティは(他のゲームが無い限り)ゼロだからね。
コミュニティが主体なのに、コミュニティを維持するためにはゲームを続けないといけない。これがMMORPGの欠点。
勿論他にも、ポートの開放だったり、スペックの問題だったりと、色々とあるんだけど、メインはこれ。
ソーシャルゲームはその逆をやった。先ずコミュニティを作って、そこにゲームを落としたわけだ。それも、沢山ね。
可愛い衣装、格好良い衣装なんか、見せる相手が居ないと買っても無駄だし、強いアイテムも然り。そりゃ、売れるわな。
コミュニティの維持はSNSでやって、一つのゲームに飽きても、他のゲームに移ることが出来る。
基盤となるコミュニティがしっかりしてれば、何の問題もないわけよ。
スポーツも競技になるものはレギュレーションってのがあってね・・・
子供の遊びのゴムとびだって勝ち負けのルールやこれをやったらダメってのを決めるよね。
古いモデルの焼畑式チョンゲーMMOや殆どのソーシャルゲームは例えるなら、レギュレーション違反の道具を買えたり、勝負で八百長したり、自分だけ外人選手入れたり、勝ちをお金で買えたりするくらいのチート感があったんだよ。そもそもお金払わないと遊ぶ場所を確保できないとかね。
人が複数集まる以上、それは競技としての性質を帯びる。大多数が楽しいと思うためにはバランスを崩さないことが必要。アイテムなどよりも、プレイヤーの腕や経験や人脈やらが勝敗に関与する割合を増やす。そうしないと、交流したり競争したり協力することが楽しいと思えないし、ゲーム自体が短命になる。
その方向性を究極まで突き詰めて、プレイヤーの腕だけが差になるのが FPS。これらは eスポーツといって、スポーツの一種という扱われ方もされてる。プレイヤースキルやチームワークが大事というのは、たかがゲームでもその楽しさの根源はスポーツやチェスなどと何らかわらない。
そこまで削ぎ落としたモデルにしなくても、ネットゲーム全般にだってその要素はあるし、「交流したり競争したり協力することが楽しくて、自分で工夫したり努力することが結果に繋がる」という根本を崩さないようにしながら、アイテム課金も両立するというのはもう常識になってきてる。まぁ、大量生産ハンコ型クリゲーは初期動員さえ稼げればいいのでレギュレーションもクソッタレもない焼畑式が多いけど、そうじゃなくてまともな MMORPG は随分前から変わってきてる。
まあ、MMO もユーザーはずっと前からこのことに気付いていて「こうしてくれたら気持ちよくお金を払うのに」と 10年位思っていたけど、製作側が頭が固すぎたつーのがあって。ソーシャルゲームも同じ歴史を繰り替えすのだろうなと思う。
先日、我が家に来た人がうちのゲーム機を見たからか「自分も以前はネットゲームにハマっていた」という話をしてくれた。
PS3のミリタリーもので、みんなで協力するタイプのゲームという。友人と協力プレイをよくしていた。しかしあまりにハマりすぎて危険を感じ、ある日決意してゲームショップに売ったそうだ。
「コールオブデューティー?」と聞いてみると「タイトルは覚えていないが」という。
あんまり突っ込んで聞くことでもないかと思い、別の話題に移った。
しかし、そこまでハマっていたゲームのタイトルを覚えていないというのは不自然だと感じた。
あとで考えてみるに、これは一種のリップサービスだったのではないか。
見込み客と共通の話題でひとしきり話すことで共感を得て、受注に繋げやすくしているのではないか。
引越し屋は競争が激しいだろうから、そういうテクニックがよく使われるのかもしれない。
それをけしからんとは思わないし、だからどうしたいということはない。それを理由に断るつもりもなかったのだけれど、そんなことを考えた。
職場で英語話すことは一切要求されないけど、最新の技術やサービスのこと調べるのに英語読めないと話にならない。高校時代は英語赤点だったけど、社会人になってから必要に迫られて読んでいるうちに、読むだけならあまり困らなくなった。
ちなみに低学歴。田舎の公立小中高卒。今は高校でもっと真面目に英語の授業うけて置くべきだったと後悔してる。ただ当時の英語の授業がいいものだったのかはわからないので、授業がダメと感じたら独学で英語を勉強したい。田舎の貧乏家庭だったので塾や習い事なんてありえなかったけど、こんなに英語が必要だと知って子供の頃の自分に戻れるなら、小学生から図書館に通うなりして勉強したい。
まず言語やソフトウェアのリファレンスが英語オンリーなことが多い。日本語があっても誤訳が多かったり古いバージョンの翻訳しかなかったり、Webサービスの API の仕様書は英語しかなかったり。
流行ってるWebサービスや技術が英語圏から来る。Twitter だって 4sq だって過去グーグルラボにあった技術だってまず英語しかなかった。日本語サービスは一年後なんて珍しくないし、サービスでさえそうなんだから、技術関係の文書や仕様書は英語しかないのがざら。何かトラブルあって解決法探したら日本語での情報は皆無で英語でならあるなんてしょっちゅうだし。
ちょっと方向性は違うけど、英語だからって避けてると勿体無いネットゲームもある。当然そういう所でバグ報告や要望あげるには英語書けないといけない。知り合いには学校では全然ダメだったが UltimaOnline や EQ や MtG で英語を覚えたってやつが結構いる。チャットとはいえ英語全然ダメってところからネトゲ内の英会話に困らないくらいの英語力になる人がいるのが実践の面白いところ。
このネット使えて当たり前の時代、日本語での情報量 <<<<<<<<<<<< 英語での情報量 なので、英語避けてると全ての情報量において損する。だから直接英語に関係ない仕事でも英語全くダメというのはそれだけ損する。
大げさにいえば情報格差。最近の例でいえば、エジプト、今ならリビアの状況なんか英語圏のメディアのサイトではリアルタイム更新で情報量もすごいのに、日本だと全然報道されねーとかよくある。大震災の時でさえ英語圏のメディアの方が図とか写真とかすごくね?って事があったのは記憶に新しいと思う。
世の中には、英語わからなくても困らないゲームでも UI が英語なだけでプレイできない、インストールの途中で日本語選べるのに言語選択までが英語だから怖くてインストールしない、仕事で DropBox 使いましょうってなったのに英語だから使えないとダダこねる、英語だけのサイトに飛ばされたら何かいてるかわからないから全部危険なサイトに見えてすぐブラウザ閉じるので仕事に必要なソフトウェアを SourceForge から DL してくれない、なんていう人が本当にいる。
俺にはとりえが無い。
学も無い。親は英語も読めない中卒、俺は田舎の公立高校卒。生まれや家庭環境の悪さを自覚しつつも、全く努力して来なかった。
生活で精一杯だった。勉強するなら金を稼いで来いという大人に暴力でがんじがらめにされていた。愚かさと生活の厳しさに甘え、若いうちに勉強をする一生に一度の機会をドブに捨てていた。まあ、それも今だから思えることだ。当時は本当に金と生活で精一杯だった。高校を卒業して稼ぎが多くなるまで、マンガの本一冊でさえ買ったこともなく、ドラクエもポケモンも触れず、好きな音楽も無く、ただ必死に生活していた。
年月を経て、自由なお金を手にして同世代の人々を眺めたとき、人には色々と特技やこだわりがあるのを知った。同時に、自分には何も無いのだと気付いた。
趣味も、好きなことも、得意な事もない。好きな音楽、好きなデザイン、好きな小説、好きな観光地、好きだったアニメ、子供の頃に夢中になったこと、そういうものが何一つ無いということに気付いたのだ。
俺以外の人間は、好きを語るとき楽しそうにする。逆に嫌いなものに対してぶちまけたりする。俺にはそのどちらも精神を燃やす眩しい行為に思われた。自分以外の全てが上の階層にいるように感じられた。同じように見えて違う仕組みの動物なんじゃないかと思える程だった。
社会に出てからも、何をやっても人並みにできない、自分の力が及ぶ所なんてどこにもない、そうずっと思い続けていた。
そんな俺でも、いくつかの仕事を経て、少しだが自分に向いていることがあるのに気付いた。それは人に教えるということだった。多少できることを人に教えるとそれなりに成果を上げてしまう。教えるのが上手い訳ではなく、人が伸びそうな糸口を見つけるのがちょっと人より早いだけだ。人を好き嫌いで見ないからかもしれない。
人というのはあんなに活力と熱意に溢れ、感傷的で精巧な中身ある生き物なのに、全く中身のない俺に騙されてしまう。
この増田だってそうだ。仕事での実体験や少しかじった技術を元に、多少カッコつけながら最小限の推敲をして文章を書いてやれば、ブクマなんて簡単に稼げてしまう。適当に書いた文章でも二桁、それなりにかりそめの熱意を込めて書いた文章なら三桁稼げることも珍しくない。何故こうも簡単に人は騙されてしまうのか。本当の聡さも学も熱意もセンスも俺には無いというのに。
ただ熱意があるふりをして書いただけの文章なのに、人は熱意ある反応を返す。不思議だった。
しかしこうも思えた。たとえ本物の意思を持って成したのでなくとも、抜け殻のようなものであっても、それが人に影響を与えたのなら、そこでそれは表現になりえたのではないだろうかと。
随分甘い考えだな、と思う。
ネットで匿名をいいことに、俺は抜け殻を撒き散らした。動画やイラストを作った。ネットゲームでTAに参加して記録を残したりもした。人々から返って来る反応、ゲームで競いチームワークを育んだ相手の熱意・・・ それらは本物に思えた。次第に楽しさは感じられるようになった。それでも、空しさは変わらなかった。仕事でも同じだった。自分以外の全てが上の階層にいるように感じられ、本物はあそこにしかないという漠然とした距離感は今も無くならない。
俺はずっと人が怖かった。そんな怖い人たちが、中身のない俺に反応を返してくることも怖かった。理解できなかった。人々はみな俺に騙されたふりをしているのかもしれない。なのに、俺は誰かから反応をもらう時だけ、自分の中に本物があるような気分になれた。
最低だな。俺は、人を恐れながらも、自分の精神に価値を感じるために人に依存している。そうしなければ、自分に何かあると思えないんだ。
たとえ本物の意思を持って成したのでなくとも、抜け殻のようなものであっても、それが人に影響を与えたのなら、そこでそれは本物になりえるのだろうか?
その空しさを抱えながら、今も抜け殻をここに書いている。
http://anond.hatelabo.jp/20110721143713 の趣味を男から見た場合
酒癖の悪い奴(暴れる・泣く 絡む 意地汚い どれか一つでも当てはまると誘わなくなる)
風俗(病気うつされるのは自己責任。無理やり誘われるのは勘弁)
ギャンブル馬 (借金は自己責任 誘われても悪い気はしない たかられるのは勘弁)
ギャンブル・パチンコ・スロット(借金ry たかられるry 自慢をするなら飯でもおごれ)
ギャンブル麻雀 (自分が負けたことをくよくよ言い続ける奴は勘弁)
ネットゲーム(生活に支障が出るくらいはまってると心配。激しく誘われたり、意味のわからない自慢をされるのは勘弁。意味がわかるように面白い話にしてくる奴は楽しい)
凌辱系アダルトゲーム(個人の自由 いろんな人がいる場所で声高に叫ぶのは勘弁)
ロリ系アダルトゲーム(個人の自由 いろんな人がいる場所で声高に叫ぶのは勘弁)
泣き系アダルトゲーム(他ジャンルのエロゲーを何故か下に見るのは勘弁)
年上のお姉さんに責められる系アダルトゲーム(おすすめを教えてほしい)
声優(自分の愛する声優を際だたせるために、他の声優を蔑む行為は勘弁)
同人(面白いものを作ってる人は尊敬に値する。ファンだった人がプロになったことをワシが育てたと自慢され続けるのは勘弁。2回くらいなら言われてもいい。)
萌えライトノベル・萌えアニメ(イメージで萌え分類されるのは勘弁 大勢人がいる場所でブヒられるのは勘弁。仲間内でのブヒりが芸の域に達する奴は最高)
猫オタ・犬オタ(動物大好き。動物愛護団体とシーシェパードを一緒にしている時点で…)
特撮(面白さを伝えてくれるのは楽しいが、昭慶爆発とか言われても困る)
格闘系orシューティング系ゲーム(上手い人のプレイはすげえ、ただプレイするのは好きじゃないので巻き込もうとする人は嫌)
鉄道(濃くても常識的なオタなら歓迎、情熱のあまり一般人に迷惑をかけるようなオタはどの分野のオタクでも底辺)
バイク(事故だけには気を付けてほしい、子供が出来たらバイクに跨るかっこいいお父さんをやってほしい)
熱帯魚(水冷PCの冷却水で熱帯魚を飼えるかチャレンジしてほしい)
オーディオ(良い音を確認させるために、好きじゃないジャンルの曲をかけられても困る)
お酒(楽しく飲めれば。自慢するなら俺にも呑ませてほしい)
料理(美味しんぼみたいに人の作った料理を片っ端からけなしまくるのは嫌だけど、来週に呼ばれて本物の〇〇をご馳走されたい。)
非萌えアニメ(自分が好きじゃないアニメを面と向かって否定する奴は何と戦っているのか不思議。2chとか匿名で煽り合うのは全然OK)
スポーツ 旅 楽器演奏 カラオケ 読書 (王道だと思って舐めてると、ものすごい痛い目に合う趣味)
テーブルゲーム(弱かろうと強かろうと、遊びを本気でやらない奴は嫌い)
歴史(何かにつけ故事を言うけれど何もしない奴がいて、過去ってあだ名が付いてた)
登山(死なないでほしい)
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
以下に紹介するのは海外のblogに載っていたクリプトンの伊藤社長と佐々木氏のインタビューだ。ミクノポリスの3日後、ホテルで2人をつかまえて話を聞いたものらしいが、単なるボーカロイドファンの視点にとどまらずエンターテインメント・ビジネスの有り様まで踏み込んだ、なかなか面白いインタビューである。ボーカロイド現象が単なる一部音楽ファンの世界にとどまらなくなっている現状を示していると看做すこともできそうだ。
urlは以下の通り。
http://lorenz-myanime-reviews.blogspot.com/2011/07/interview-creators-of-hatsune-miku.html
初音ミク、及びヴォーカロイド現象がどんなものであるかについて説明する必要はあるまい。ファン、コスプレイヤー、さらに未来の創造者たちは必要なことを既に知っているだろう。だがもう少し深く踏み込みたいのなら、このインタビューも役に立つ。
7月5日、ヴァーチャル・アイドル初音ミクがアニメ・エキスポ2011でアメリカでのデビュー・コンサートを行った3日後、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之と佐々木渉はサンフランシスコを通りかかった。
・伊藤博之はクリプトン・フューチャ・メディアのCEOであり、冗談交じりに「初音ミクのお父さん」と呼ばれている。
・佐々木渉はキャラクター・ボーカル・シリーズ01初音ミクの開発者であり、ボーカロイド・ソフトの開発を続けている。
ホテルのロビーに潜入したところ、彼らは寛大にもいくつかの質問に答えてくれた。まず……
問:ロサンゼルスのミクノポリス・コンサートはいかがでしたか? 思ったとおりでしたか?
伊藤博之:思ったとおりだったかですって? そんなことはないでしょうね。コンサートは[思った以上に]上手くいきました。
佐々木渉:ファンの期待に添うものを提供できたと思います。何より、あまり「アメリカナイズ」されず、アメリカ風のエンターテインメントとして提供されなかったと思います。それほど洗練されていなかったのがかえってよかったんじゃないでしょうか。
問:コンサートで使われている技術を改良する何らかの形の試みをしていますか?
伊藤博之:コンサートは「完成」していません。まだ理想的なフォーマットは存在していません。あれは手の内の一部に過ぎません。それに観客がどう反応するかについても予想できません。ミクに関連するあらゆるもの同様、実験的な側面があります。
問:初音ミクを使ったトヨタの降って湧いたような広告キャンペーンに、多くのファンが驚かされました。あのコラボレーションは何がきっかけですか?
伊藤博之:計画自体はトヨタから持ち込まれました。私たちは彼らの申し出を受け入れ、いくつかの忠告を返しました。そうやって広告が始まりました。
問:アニメ・エキスポで米国のミクファンと話す機会はありましたか? どんな印象を受けました?
伊藤博之:AX[アニメ・エキスポ]では多くのファンに会いました。彼らはアニメの大ファンだったので、全体的な反応は好意的でした。多くの人が「凄かった、またやってほしい」と言ってました。
問:ボーカロイド・ソフト関連の仕事をする前のクリプトンはどんな会社でしたか? その時からどう変わってきたのですか?
伊藤博之:クリプトンは音に関連したソフトを制作しており、日本国外で製造された音楽ソフトの代理店の仕事もしていました。これらの製品を日本市場のために輸入し、販売し、日本語化していました。ボーカロイドを始めてからはより広範囲なサービスも追加しています。今では大半は初音ミクに関連した音楽の販売、出版、そしてイラストやキャラクター、動画の製作者に対するサービス提供を手がけています。ミク以降、音楽以外の製作者へのサービス提供も始めたことになります。
問:初音ミクの最終版が販売される前に放棄された面白いアイデアや構想はありましたか?
伊藤博之:ええ、衣装や音楽など最初のころには多くのバリエーションがありました。ですが単に充分な時間がなかったため、いくつかの音楽については諦めざるを得ませんでした。
問:初音ミクの声にユーザーがどう反応するかについて何らかのリサーチをしましたか?
佐々木渉:とても特殊な嗜好を持つ人、ロボット風の声を好む人が間違いなくいることは確信していました。ボーカロイドはロボット風の声を持っていますが、普通の人は「この不自然な声は何だ?」と思うに違いありません。声優の声――それ自体が「普通じゃない」声ですが――を使い、ロボット風の声とミキシングすれば、もちろん最終的にとてもユニークな音になります。逆に優れた歌い手の声にロボットの声を加えれば、それはもっと普通に近い声に聞こえます。私が狙ったのは可愛い、でもロボット風であり、それでも仕上がりはなお可愛い声でした。
問:ボーカロイドのアニメを本当に見たいというファンの声がある一方、他のファンは特にストーリーがなくてもキャラクターは充分にいいと考えています。キャラやその世界を広げるうえでどんなアイデアに立脚していますか?
佐々木渉:アニメはおじさんが作るものです。ミクファンのイマジネーションやミクの様々な歌やスタイルを考える人々の方が、アニメよりずっとクリエーティブだと私は思っています。私は若い世代に多くの期待を抱いていますし、彼らのエネルギーを注ぐ容器にミクがなってほしいと望んでいます。アニメより、ファンの創造性のレベルの方が高いと思っているので、アニメは必要ありません。ファンにもその事実を承知していてほしいと思います。
問:多くの人が英語を含む他の言語でのボーカロイド販売を待ち望んでいます。そうしたものを作り出すうえでの課題は何ですか?
佐々木渉:異なる言語に変換する際に、文脈と意味が簡単に変わることがあり得ます。他の言語であっても、その意味が日本語と同じである限りは大丈夫でしょう。ですが意味が根本的に変わり、結果として「可愛らしく」なくなってしまうのなら、違う言語に無理やり変換しようとは望みません。それが課題です。
伊藤博之:人々がインターネットを使い始めてたった10年ほどです。そして私たちはまだそれを使って何ができるかを見つけ出す途上にあると思います。人々にインターネットが行き渡る間、多くのものと産業が新たな形態に取って代わられるでしょう。例えば音楽、電子商取引、あるいはフェイスブックのようなソーシャルネットワーキングサイト。おそらく電話のような古い設備はいずれ近いうちに完全に新しい産業にシフトするのでしょう。初音ミクが音楽産業を破壊するのかどうかは分かりませんが……ある種のインパクトをもたらすであろうとは予想しています。どうやら私たちはとても新しい何かに巻き込まれているのでしょう。ミクが産業の変化を示すある種の象徴またはイコンになってもらえればと望んでいます。輝かしい未来のため、ミクがそう評価されるようになればいいですね。
問:あなたがたは以前、「初音ミクがなぜ世界中の若者に人気があるのかを理解することは、エンターテインメント・ビジネスの未来に対する理解も与えてくれる」と話していました。エンターテインメント・ビジネスの将来はどんなものになると思っていますか?
伊藤博之:難しい質問です。そもそも「エンターテインメント・ビジネスって何だ?」と問うべきでしょう。それはエンターテインメントに関する仕事でしょうか? おそらくエンターテインメント・ビジネスの未来はもはやビジネスではなくなっているでしょう。例えばすでに今、多くの人がユーチューブを楽しんでいます。そのコンテンツは利用者が作っています。供給者は仕事だからそうしているんじゃありません。コンテンツを作るという作業自体が既にエンターテインメントです。そんなに多くの金がかかわらないだけです。ですが消費者は、コメントを返し「好き」ボタンを押すことで製作者に反応を示しています。最終的に製作者や提供者はある種の評価または価値を得て、最終的にはそこからビジネスをすることもできるでしょう。コメントを残し、交流することで、消費者は単に消費するだけではなくなります。彼らも今やエンターテインメント・ビジネスを形作っています。つまりエンターテインメントを消費することはエンターテインメントを作り出すのに等しいのです。ですから私たちはエンターテインメント・ビジネスとは何かについて意味を再定義する必要があります。それこそがエンターテインメント・ビジネスの未来です。そして初音ミクはその実験体の一つです。
佐々木渉:今や多くの若者が栄養ドリンクを消費しネットゲームをプレイしていします。ですが彼らがプレイしているゲームを作っているのは誰でしょう? ゲーム・プロデューサーです。では最終的に儲けるのは? おそらく企業オーナーです。より多くの子供たちがゲームを楽しみ、そのために金を使えば、彼らのエンターテインメントを作るのに何も寄与しなかった年寄りのところにそれだけの金が積み上がるのです。こいつは単純にクールじゃない話です。あなたの知らない誰か、ゲームユーザーが何の関係も持っていない誰か、あなたが金を使えば使うだけ、彼らがあなたの金を手に入れるんです。それが事実です。その結果クリエーターが生計を立てるのがどんどん難しくなる状況が生まれます。従って、クリエーターとプロデューサーにとっていい状態を生み出すことは、多くの若者が楽しめるよきエンターテインメントを提供することを意味します。今「エンターテインメント・ビジネス」の意味を再定義する必要があるのは、それが理由です。それは世界を変える必要性の一部です。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
ギャンブル全般(ゲーセンとかのパチンコは見てて楽しそうだけど)
ネットゲーム(ハマるとリアルをないがしろにすると聞くので怖い)
アイドル(全く興味が持てないので一緒に楽しめそうにない)
低年齢アイドル(同上)
お酒(飲めない)
オーディオ(今のところ興味がもてそうにない)
テーブルゲーム
旅
凌辱系アダルトゲーム(凌辱ゲー最高)
萌え・エロフィギュア(エロ系は子どもができたら隠してほしいけど、人形は好き。作ってみたい)
萌えライトノベル・アニメ(とあるって萌え系に入る? 上条さんかっこいい!)
猫オタ・犬オタ(動物大好き! 話が合うとうれしい。でも爬虫類はちょっと苦手かも)
格闘系orシューティング系ゲーム(上手い人のプレイを見るのは好き)
映画鑑賞(全然知らないけど好きな作家さんが映画好きなのでおすすめを教えてほしい)
歴史(学問知識が増えるのが好きなのでいろいろ話を聞いてみたい)
めちゃくちゃじゃねえか!
三国志ファンがなにしたっつうんだよ。
精神的にも穏健だし三国志ファン活動って金もスペースも取らない地味ーなもんだぞ。本読んだり調べものしたりするぐらいじゃん。
軍事がSランクなのもわけがわからん。三国志ファンと同じで、せいぜい丸を購読するぐらいだぞ。
ほぼ机上で本読むだけ、たまに船や基地の写真取りに行く程度の軍事と、
その趣味に関心の無い伴侶から見てどっちがうざいかは議論するまでも無い。
SFファンに至ってはほんとにただ変な文庫本集めて読んでるだけじゃねえか!
あとネットゲーマニアがシャブ中と同じ意味で悪質なのには同意するけど
S ネットゲーム アダルトゲーム 同人誌 フィギュア SF 三国志 軍事 声優 風俗 オカルト
A アイドル アニメ サバイバルゲーム アマチュア無線 鉄道 競馬 切手 腕時計 パチ○コ
B 漫画 バイク カメラ ライトノベル 特撮 民族学 自作PC 女子アナウンサー 麻雀 オーディオ機器
C 携帯電話 ラーメン 深夜ラジオ 映画 サブカル 自動車 ファッション テレビドラマ 熱帯魚 釣り
D ビリヤード ワイン 自転車 ダーツ テニス サーフィン ギター 純文学 クラシック音楽 アウトドア
私女だけど、Bまでなら許す
それより上はさすがに…
昔2ちゃんのどっかで見かけた男の趣味ランクのテンプレだが、このうちどうしても理解できなかったのが、
でも実際ネトゲをやってみて、Sランクはものすごく妥当だと思った。
正確にはネトゲ廃人に対する評価として妥当という感じ。
というか男の趣味に貴賎をつけるとしたら、あいつらはエロゲオタを差し置いて
間違いなく最下層と言わざるを得ない。
「大っぴらではなく影でこそこそやれ」とは思うけど、個人的には
そんなにキモいと感じない。
そもそもネトゲ、特にMMOは↓の記事にあるように「自己顕示システム」として強烈な麻薬性がある。
http://lovelove.rabi-en-rose.net/blog.php?n=227
廃人はこのシステムに取り憑かれ、自己顕示欲に溺れてしまった人達と言える。
欲望の赴くままに俺TUEEEEE俺SUGEEEEEを貪る。
その姿がどうしようもなく嫌らしく、気持ち悪い。
そして俺TUEEEEE俺SUGEEEEEは他者との関係無しには成り立たない充足感なので、
周りをあまねく不快にさせる。
しかしよく訓練された廃人だと、そうして周りからウザがられても
「なーんかまたザコが負け惜しみ言っちゃってるよーでも実際俺超かっけーから仕方ねーわ、
あー嫉妬されるマジつれーわw」
まさしく「ギルド一番の誇り高き戦士」の面目躍如といったところか。
特に10代からいくつもいろんなネトゲやってるみたいな、MMO経験が長い人ほど要注意だ。
文字通り頭狂ってる奴が結構いる。
もちろん初心者のうちから廃人傾向の言動する奴もいるけど(リア充のダークサイドとも言えるか)。
こういう奴らに比べたら、こんな所でヘイトスピーチまがいのクズ日記書き捨ててる
自分のほうがまだマシだと心底思う。
人間が都合のいいものだけを求めて都市を作った。そこまでは良かったのだが、あまりに都合がいい世界が出来上がってしまったがために、逆に都合の悪いものが目立ち、それに若者は怯えている。
人間の存在そのものが、人工物だらけの都市にとっては都合が悪い。
しかしそう思う自分自身も人間であり、自然物だ。この耐えがたい矛盾から逃れる方法はただ一つ、引きこもること。
実は引きこもるという選択は現代人にとってとても合理的で正しい選択なのだ。
だがここで疑問が生じる。人間を避けるために引きこもっているはずの人々が、こぞってネットをやりたがる理由は何?暇つぶしのネタが欲しいならマンガでもアニメでもテレビでもいいのに。
ご存知の通りネットというのは単なる情報が膨大にある場所ではなく、人間が暮らす場所の一つである。ネットを使う人間は時には一緒にゲームをし、掲示板で誰かの悪口を書き、動画にコメントを投稿し、オフ会をして盛り上がる。なぜ現実の人間が怖いはずの人々がこんなネットの世界にハマるのだろうか。
「人間は人間といるのが一番楽しいから」と思った人は、惜しい。概ね正解ではあるが足りない。答えはこうだ。「人間は"都合のいい"人間といるのが一番楽しいから」だ。
都合の良い人間とは、とても極論すれば「自分の悪口を言わない人間」のことである。自然物としての人間は、都合の良い人間であり都合の悪い人間である。だから、一緒にいて楽しい時もあれば楽しくないときもある。仲良くしていたと思ったら悪口を言われ喧嘩してしまうこともある。それが自然物としての人間だ。
しかし、彼ら、つまり人工物に囲まれて生きてきた人間にとって、普通の人間の「都合の悪い面」というのは恐ろしくて恐ろしくてたまらないもので、関わりたいとは到底思えないものなのだ。
それは彼らがひたすら都合のいい環境でだけ生きてきたからに他ならない。自然と共に生きる人間は自分の思い通りにいかなくても案外すんなりと妥協するし、それをいつまでも記憶に留めていたりはしない。しかし彼らは違う。彼らにとって都合が悪いことというのは、そもそも「ありえない」「あってはならない」ことで、存在そのものが許されないのだ。
人工化の過程にある現代ではここまで極端な考え方をする子供は珍しいかもしれないが、レベル的には近い人間はごろごろいる。引きこもっているのはそんな人間達だ。
話をネットに戻すと、ネットというのはじゃあどのくらい都合のいい人間がいるのか。
たとえば同じ趣味を元に集まったグループであれば、「自分の趣味を理解してくれない」人間は排除されている。つまり、自分にとって居心地のいい世界がそこにあるわけだ。
また、ニコニコ動画では不都合なコメントをフィルターで隠すことが出来る。自分の好きな動画をけなす「不都合な人間」は排除できる仕組みだ。ネットゲームでも、自分が嫌いな人間は簡単に「ブラックリスト」に登録して消すことが出来る。
現実世界では、こういうことはなかなか簡単には出来ない。フィルタリングのように存在を見えなくするためには「殺す」しかないだろう。殺すという行為は、ネット上でのフィルターをかけるという行為と比べてあまりにもリスクが高い。これも、不都合なことは簡単には出来ない現実世界の不自由さであり、彼らが社会に出るのを嫌がる理由でもある。
ネットでは自分の見たいものだけを見ることが出来る。そもそも人間は見たいものしか見ない生き物だが、そこで待ったをかけるのが自然物であった。だから、人間は心の底から「見たいものだけ見る」のではなく、不都合なこともどうにか許容してきた。この許容の精神こそが、社会で言うところの大人に求められる能力であり、これが出来ない人間を世間では子供と呼ぶ。
しかし一方で、「大人」たちは子供のために安全で快適な人工環境を作り続けてきた。学校というミニ社会で子供は自然物たる人間と出会うが、彼らが自分に不都合なことをした場合、親が学校に殴り込み、不都合を解消しようとする。子供は何もせずに、まるでネットゲームの不具合が解消されるのを待っているだけだ。親はなぜ学校ではなく不都合な子供自身を責めないのか。自然とは制御出来ないものだからである。人工環境の中にいる人間には自然を「なんとかする」という気持ちはそもそもなく、不満を言ってそれが解消されるのを待つだけだ。もはや自然=不具合であり、不具合だから誰か(サービス提供者)がさっさと直してよということになる。一見すると学校に殴り込み教師に向かって怒鳴り散らすモンスターペアレントは異常だが、彼らの行動原理は「レストランで座っている席が汚れているから文句を言う」のとほとんど変わらないものであり、サービスを受けているのは自分なのになぜテーブルを掃除(=息子をいじめた子供に説教)しなきゃならないのかということなのだ。そして、学校の教師というサービス提供者は自然物たる人間ではなくただの「サービス提供機械」なのであり、人間扱いする必要はないということになる。コンビニ店員に代表される第三次産業従事者が時に非人間的な扱いを受けることがあるのはこういったものの考え方をする人間がいるからだろう。
これらを「おかしい」と思うのはもう古い。
人間にとって都合の良い環境を「人間が」作っていることを忘れた人間がいても、それは都市の副産物であり何ら驚くに値しない。
不都合な出来事がなくなり都合の良い世界にだけ暮らす人間はとてつもなくわがままで自己中心的で傲慢でとてもじゃないが一緒に付き合おうとは思わないだろう。
しかしそれでいいのである。そもそも人間は「誰かと一緒にいなければならない」環境を改善するために文明を発展させてきた。本来、自分の生命だけを第一に考える人間が手をつないで仲良く暮らすことなど出来るはずがない。過去の人類はその不都合を「仕方なく」受け入れてきたに過ぎない。よって、人と人との繋がりを修復しようとか、過去つまり現在よりも人工化が進んでいない時代に戻ろうとする思想は全てまやかしであり自己満足である。誰も真の意味で分かりあいたくなどない。必要なのは「自分を完全に受け入れてくれる」「自分の思い通りになる」人間だけであって、それはすなわち自分以外にありえないのだ。
人間は不都合な出来事にはそろそろ耐えられなくなってきた。大いに結構なことだ。引きこもり達よ、君たちは未来の人類のモデルケースとして存在している。自分を否定する必要はない。大いに受け入れよ。