はてなキーワード: 非情とは
"^" はマッチングアプリで公開している情報を意味する(嘘はついていない)
^年収: 800 ~ 1000万
^身長: 171cm
^体重: 72kg
^勤務地: 横浜
顔面: 病的ではないが、ブサイク。フットボールアワーの岩尾よりマシで、南海キャンディーズの山里よりもブサイク
すでに始めた頃の記憶は相当に薄れている。
Dine の説明はめんどうなので省こう。 基本料金以外の課金はしなかった。
マッチング自体は多数成立していたものの、メッセージをことごとく無視され、 2/2 にはじめてメッセージ交換&居酒屋での食事の約束を取り付けた。
まったくもって見た目はタイプではなかった。整った顔立ちなので若い頃は美人だったのかもしれないが、年相応に老けていた。
しかし素人の女性とサシで食事したことがなかったので楽しかった。
翌々週に2回目にあうことになる。
しかし結局のところ相手に興味がないこともあり、2回目の食事は盛り上がらずそれっきり連絡を取らなくなった。
前回の反省を活かし、タイプの女性以外とは予定を組まないようにした。
3人はこちらが望んだとしても2回目はなさそう・2人はこちらが望めば会えそうだったが、結局誰とも2回目は会わなかった。
この頃のアプリの履歴をみると、マッチングをしてもメッセージの返信をもらえるのは 4人に1人程度、食事に行くのは月1~2程度でよく心が折れなかったと我ながら思う。
8歳年下で、今まで会った中でダントツでかわいく、社会人として自立していた。恋愛経験が豊富そうであった。
彼女がリードする形でトントン拍子に進み、最初は1時間強の簡単なディナー、2回目は夕方から終電まで飯屋とバーをはしごし、3回目のお出かけデートで告白しOKをもらった。
4回目のデートは食事中に足を絡めてきた。もちろん食事後にホテルに誘った。断られ、数日後に電話で振られた。
積極的な Line もスキンシップも、私を好きになるための努力であったのだと思う。それに気づかずただ舞い上がり、本当に好きになってもらう努力を怠った自分を呪った。
クソみたいな長文で腐女子のお気持ちではあるがカツカレーとかハンバーグカレーの比喩とかでなくストレートに捻りのないマカロンそのものへのお気持ちということはあらかじめ言っておきたい。
マカロン、名前だけはポピュラー思うものの、食べたことのある人はどれぐらいいるのだろうか。
マカロン、プリキュアでも言及されていたような気がするが基本的にさほど美味いものではないと思う。デパートによく入っているような有名なマカロン専門店のマカロンも食べたが、やはりその認識である。
マカロン、それは誰かが言っていた、仏壇に供える砂糖菓子とさほど変わらないという表現がぴったりで、見た目だけのファッションスイーツと言われても仕方がない存在である。
私自身も長らくそう思っていたが、弟にもらった神戸のある店のマカロンだけは、はっきりと次元が違っていた。
さくっ、しっとりとした優しい食感に、濃厚で複雑な味わいがぎっしりと詰まっている。
噛むほどに、極小の絶品ケーキが舌の上でほどけていく。ベタベタな表現だろう、だが、味の宝石箱や!と言いたくなるほどの素晴らしいものであった。
そこには、従来の単調な甘さのマカロンはなく、食感、香り、味といった複雑で高次元の味わい、いや食体験をもたらすそんなマカロンが存在していた。
私はすっかり、マカロンが好きになっていた。
あの食体験への驚きをなんとしてでもまた味わいたいと、帰省する弟には毎度あのマカロンを土産にするようにとお願いしたりした。
他にもそんなマカロンは存在するのかとマカロンを見るたびに買って食べ比べたりもするようになった。冒頭の有名店への評価はこのときに感じたものであるが……意外にもシャトレーゼがなかなか頑張っていると感じた。
そしてマカロンを食べ比べて感じたことは、やはりあの店のマカロンは別次元だったということだ。
そして別次元のマカロンと私の蜜月は、残酷にも唐突に終わりを迎えた。
それは直接遠方のあの店に、マカロンを買うぞと勇足で行ったときのことだ。ショーケースにマカロンが並んでいないことを確認して、店員さんに尋ねると「マカロンはもうやっておりません」と、非情にもあっさりと全ての終わりを告げられたのであった。
もう二度と、あのマカロンが食べられない。
私は絶望感でいっぱいになった。しかし大好物の食べられないこの世界でも、生きて行かなければならない。
おぼろげに面影のあるシャトレーゼのマカロンを食べては、あの店を思い出しながら自分を騙して数年を生きてきた。
……そして、再会は突然にもやってきた。
一年前、辞令が出てすこし遠くに転居した。私は軽度ではあるがアトピー持ちで定期的に皮膚科に通わねばならない身である。たまたま新しい職場で勧められた皮膚科にはじめてかかったときに、皮膚科の隣がオシャレな感じのケーキ屋であることに気がついた。
皮膚科の待ち時間というものは、何故かどこの地方のどの皮膚科に行っても大抵の場合長い。クソほど長い。半日が無駄になることもザラだ。暇にあかせて隣のケーキ屋のクチコミを調べることにした。
なんということだろう。店のオーナーは、神戸の……あの店で修行した人だということがわかった。皮膚科の待ち時間というにもかかわらず、胸がはずむ。そして、居ても立っても居られなくなって受付に「外で待ちます」と告げてケーキ屋に駆け込んだ。
マカロン。
ああ、マカロン。
ショーケースに、きっちりと色とりどりのマカロンが整列している。
あの店からも遠く離れたこの街にお前は暮らしていたんだな。奇跡が幾重にも連なったこの再会に、謎の感動が呼び覚まされる。いや、まだだ。このマカロンがあのマカロンと決まったわけではない。まずは、食べてみるほかにはない。
それだけあれば、きっと別人なのか本人なのかわかるはずだ。裏切られてしまうかもしれないのにこれ以上ないほどにうきうきとしながら私はそれを購入した。
皮膚科の順番が終わって、車のなかで包みをひろげる。見た目は、やわらかく不揃いのところもあるすこし素朴なフォルムで、有名店にありがちなシュッとした綺麗なものではない。でもそれが逆に、あの店を思い出させる。
ひとかじり、口にする。
マカロン。
マカロン、間違いなく、これはあの店の……別次元のマカロンだ。その深みのある美味しさもさることながら、マカロンと離れ離れになって、面影を探し求めて彷徨っていた期間や、そして再会に至るまでの偶然の全てが、特別な食体験となってまた戻ってきてくれたのだ。
例えてよいのかわからないけれど、ペルシアで起こって滅びてしまったマニ教が遠い中国でまだ生きているのを見つけた人も、このような気持ちだったのだろうか。そんな気持ちすら沸き起こるのだった。
マカロン、基本的に美味しいものではない。しかし、私にとってはものすごく美味しいものだ。願わくばこの店がマカロンをやめないように、私はこの店で定期的にマカロンを買おうと、残りのマカロンを噛みしめながら考えたのだった。
誰に話す気にもならないが、溜め込んでるよりは書き捨てたほうがまだしも供養になるかもしれない。
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非情と思われようと、もう関わり合いになりたくない。
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そいつは、もう何年も拒食症かなんかなのか、骨と皮だけのガリガリで、
死相が出てるというか、もう長くないだろうなって思ってた。
余りの痩せ方に周りが心配してなにか食べろと進めても、水の一滴すら口にしなかった。
ウチの親がそいつを指して「あれじゃきっとセイリも来てないと思うわ」
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しかし、私とそいつが小学校の間ずっとベッタリの親友だったのは、
同じグループの子からぽっちゃりだから、ポチャみたいなニックネームで呼ばれていた。
でも、別にそんなに太ってたわけでもなかったように思う。
それより、真っ黒でまっすぐでツヤツヤの長い髪をしていて、
綺麗で羨ましくて、もうやめてと言われるまでしつこく触らせてもらったような記憶がある。
さらさらと指から髪が流れていく感触がどうしようもなく心を惹きつけて離さなかった。
私は、天パだったし髪を伸ばしたことがなかった。
小学校も中学校も、ずっと短髪だった。髪が肩にかかったことは一度もない。
私の母親は「子供の髪は短いものなの」という絶対のルールを持っていて、
泣こうが喚こうが逃げようが、最後には床屋の椅子に座らせられた。
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三年生になる前には短髪になっていた。
どうして切っちゃったのと惜しがって何度も聞いたけど、
小学校でも中学校でも、そいつはもうずっと同じ短さに髪を揃えていた。
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髪型だけじゃなくて、そいつは成人式にもチェックのスーツみたいな服を着ていた。
周りじゅう華やかな振袖だらけのなかで。
誰も表立って虐めたり笑ったりはしなかったけど、
なんだか異様というかヒソヒソはしていた気がする。
でも、あれはそういうのじゃなかったと思う。
皆はそう思ったかもしれないけど。
私とそいつは、母親による女性性の抑圧、を受けていたんだと思う。
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私はまだ生きている。髪を伸ばし、好きな服を選ぶ。
私の母は矛盾した信条というか、娘の髪を結うことは一度たりともなかったが、
ピアノを習わせたり、フランス人形を買い与えたり、籐家具を与えたりした。
別にいらない、嫌だと言ったけど、母自身が子供のころ欲しかったものなんだってさ。
あ、ピアノは祖母が孫娘に買いたいというから、じゃあ習わせようってことだったのかな。
まあ、ウチはその程度だったけど、
ウチと違って、どこもかしこもさっぱりと片付いていた。
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GジャンにGパンという恰好だった気がする。バイクとサッカー観戦と甲斐バンドだかが趣味だと言っていた。
毎週少年ジャンプの話をしていたような気がする。
家にない本や図書館の児童書以外の本を読むようになったのは、そいつが教えてくれたからだ。星新一とか筒井康隆とか。
私の母は、皮肉な作風、ひねくれた作風が嫌だと言ったけど、本を取り上げたりはしなかった。
母の回りくどい意向を汲まないと、「あんたは可愛げがない、態度がかわいくない、子供は素直じゃなきゃ」とかは、よく言われたが。
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そういう子は、少年ジャンプじゃなくて、りぼんやなかよしを読んでいた。
ぬいぐるみをたくさんもっていて、男性アイドルや流行りの歌の話をした。
その子たちは髪型をしょっちゅう変えていて、かわいい髪飾りを持っていた。
遊びで私の髪を梳いて、結ってくれた。
その子たちのことが嫌いではなかったけれど、
ずっと一緒にいると、多分私は羨ましくて辛かった。
私と同じに、ずっと髪を短く切られていて、スカートを持っていないそいつと一緒にいるとラクだった。
母親に疑問や不満を抱かなくて済んだ。
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そいつは、成績も良く、イラストもかわいらしかった。中学からは疎遠になったので伝え聞きだが、
旧帝大に行ったらしい。マイナー学部だったらしいが。ググッたら、そいつのホームページがまだ残っている。
今だったらピクシブやってたんだろうが、当時はあれが流行りだったものだ。
日記もあるが、悩みや病気、内面に関することは何も書かれていない。
中学から疎遠になったし、高校は別だったので、その頃のことは知らないけど。
後ろ姿を見た時、「ずいぶん髪のきれいなおばあさんがいるな・・・?」と思った。
ぶかぶかよれよれのメンズのウインドブレーカーか何かを着ていて、
息子の服を頓着なく着ちゃう系のおばさんっぽかったのか。
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成人式のスーツもそうだけど、ほんとにメンズの服しか持ってなかったのかな。
小柄だったけど、デブとかブスってことはなかったと思う。
髪質も恵まれてるし、手入れすればそれなりに映えた容貌だったはずだ。
でも、そういえば、
我が娘の不器量さを嘲笑ったっけな。
「お前は顔がでかいねえww」みたいな。
その時の、居心地の悪い気持ちはよく覚えている。
私の隣で、私の友人が、私をダシに、実の親に貶められている。
いや、地獄かよ。
しどろもどろになにかフォローをしたような気もする。
私のほうがずっと成績が悪いですし、とか。
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その経緯から、ずっと抑圧や自己否定が鬱陶しく付きまとっているが、
流行りの服を買うこともできたし、趣味や私生活に口出しされることもなかった。
周囲の友人から学んで少しづつ、女性らしく装うことを覚えていった。
オタク気質は生来のもので変わらなかったが、脱・喪女はそれなりに出来た。
そいつは多分、そうではなかった。
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昨今の性の多様化からすると、そいつの髪型、服装、趣味嗜好はそれほど奇異なものでもない。
髪を短くし、メンズの服を着て、ミリタリーやバイクやサッカーを愛していたなら、
それはそれで良かった。
でも、そいつは多分そうではなかった。
生来の女らしさを抑圧され、取り上げられ、
そしてそれが自分だと思い込まされていた。
コンフリクトがあって、それが体に出た。
病名は知らないが、拒食でなければああはならないって気もする。
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そういえば携帯のアドレスや番号の交換をいつしたのか記憶にないが、
就職先のイベントを新聞か何かで見たと、そいつは私に会いにきた。
私としては、髪を切られ続け男子のような恰好をしていた時代の記憶ごとまとめて、
折角小奇麗になることを覚えたのだ。
陽キャグループに入ってしまえば、陰キャ時代の友人は格下であり、
プライベートで会いなおしたりはしなかった。
それても痩せこけてしまって遊びに繰り出す体力はなかったのか、節度を持って訪れ、帰ってくれた。
いや、水の一滴も口にできないんだから、食事や飲みに誘われるはずもなかったのか。
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しかし、一度ならず数回ほどそいつはイベントに客としてやってきた。
ヒマだったので話をしたが、内容はほぼ覚えていない。
ああ、人混みでぶつかられてコケて顔ぶつけて、総入れ歯になった話だけは、
もう回復不能の分水嶺越えちゃってるな、もう死ぬんだろうな、と思ってしまった。
しかし、そんな話をそいつは世間話、笑い話のトーンで話した。ような気がする。
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私になにかを聞いて欲しくて訪れていたのかもしれないが、
私が迷惑そうにしていたから切り出せなかったのかもしれないし、
物知りで成績優秀者だったプライドが邪魔をして切り出せなかったのかもしれないし、
同伴していた母親や、周りの人間が気になって突っ込んだ話ができなかったのかもしれない。
しかし、そいつが自分の日記にさえ書けないことを人に相談できたかというと、できなかったかもな。
藁にも縋る思いだったかもしれないが、
疎遠になった旧交を温めに来るより、「毒になる親」系の本でも買ってみて
カウンセリングとか行けたら、生き残る道があったかもしれない。
というか、そいつは自分が病んでいる原因が母親だと疑ったことがあっただろうか?
気がつきたくないまま、気がつかないまま、体力が落ち、考える力もなくして死んだのだろうか。
いや、そういえば鬼電がかかってきたから訃報と決めつけているが、
フツーに峠を越して生きてるのかもしれないな。
もう、それを知りたいとも思わないのだが。
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既に超長文だけど、続きもあって御免。
若社長と会長からのありがたーいお説教のお言葉がどうにも心に響かねぇなぁ。と思った理由がわかった。
もともとこの会社で財務・人事関係の仕事をしていた父親が体調をくずし、引き継いでほしいと頼まれてこの会社に入社した。
調子の良い性格の若社長と会長に良いように使われる気配しかしない。ゆえに、はじめは断っていたのだが、父親の体調がどうにもこうにもならず、他の候補もなく。
一生懸命頼んでくる父親に、親孝行の一つもしなければならないかと、苦渋の決断で入社した。
結果は半分成功、半分大失敗だ。
ただ、ある程度裁量が出来る立場と、奇跡的に今までの職歴がいかせて、周りや、自分自身が驚くほど色々な仕事をこなす事ができている。
幅広い仕事を振られて、成長ができたのは事実だ。そこは感謝している。
世の中の流れに反して、ウチの業績は右上がりだ。
その結果、何が起きているのか。
表面上は良いのだが内部は成長が無いのだ。
昔いた資格者がどんどん定年で辞めていく。
やる気があった若者が「もう頑張れない」と辞めてゆく。
若社長と会長は、当然やる気がある若者を引き止めようとするが留めきれない。
当たり前だ。
私は立ち場を利用して強気に無理だと言うが、それでも「頑張れない」と思うくらいだ。
真面目に、がむしゃらで頑張っている彼らはそんな事を言えない。それに気が付かず、休ませる機会を作らずに「大丈夫、もっと出来る頑張れるお前なら出来る」と言う馬鹿にどうして付いて行けるのか。
資格取得の支援や、稼ぎたい者や、家族との時間を優先したい者等を確認して、今後の体制を整えないと行けない。
別に給与が貰えれば会社がどうなろうとどうでも良い。と、割り切りたいところだが、なかなか人間、そう簡単に非情徹することもなれない。
立場的に、偽善もあるのだが、若社長と会長に苦言を言わざるを得ない。
その結果が「お前の言い方はキツイ。そんな言い方を俺達(会長、若社長)に対して言ってるのを聞いたら、他の社員からお前はどう見られるのかわかっているのか」である。
……言い方がキツくなっているのは認めよう。
何故なら若社長と会長に嫌悪感を抱いているからだ。きっとそれが滲み出てしまっているだろう。
「もっと思いやりを持って、優しく言ってくれたら聞くのに。周りの社員はできてるのにお前は…」と、彼らは言うが、他の社員は貴方がたが怖いから言えないだけである。
正直な話、私は社員から会長と若社長が話を聞いてくれない、言ってる事がコロコロ変わる、支持が曖昧で分からないと、愚痴をずっと聞かされ続けている。
何故こんな愚痴が自分に寄せられるのかと言えば、私だけが若社長と会長に物を堂々と言えるからだ。
父親には悪いが、私はもうこの会社を辞めたくて仕方がないので、会長と若社長の機嫌を損ねる事に躊躇いがない。しかしながら会長と若社長は、私が不正を働いたり、怠ける程の度胸が無いからと重要な仕事の大半を私に引き継いでしまったので私を手放せないのだ。
何故自分は、こんなにも会長と若社長の言葉をスルー出来るのだろうか。
もちろん退職したい気持ちがあるからもあるが「お前は冷たい、周りにも冷たいと思われているぞ」と言われて、普段の自分ならもっと傷つくところである。
そして気がついたのは彼らの言葉はあくまでも私を慮って言葉に気をつけろと言ってるわけではなく「だから俺たちに優しくしろ」が後ろにつくからだろう。
また「私は従業員に冷たくしたり、理不尽なことを言っていますか?」と尋ねれば、彼らが「それはないが、きっと周りはお前を二重人格者だと思ってる!」と端切れ悪く答えるからだろう。
結局、彼らは自分を、甘やかしたいという事しか考えていないと思って私は苛立ち、そうして傷つくことが無いのだろう。
怒りというのは強い盾だと最近思う。
私は常に彼らに「私に対して〇〇をしろ」と言ってるわけではなく「もっと従業員の言葉を聞け」と言っている。
何故私は自分では無く、他人の為にこんな事をしているのか、しばしば不思議な心地になる。
まあ、結局は己がいる環境を快適にしたいゆえの行動なのだろう。
とりとめのない話になった。
平行線の様な会話をいつまで続けるのだろうか。
彼らは変わるのだろうか。
私の言い方を変えれば、彼らは変わるのだろうか。
苦言を辞める事が出来れば、徒労を感じて疲労する事も無いのだろう。
それが出来無いのは、所詮、自分は従業員に頼られていると言う優越感と負い目を感じているのだ。
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追記しておく。
しかしながら世にいう外様と言うもので、立場は上記のとおりである。果たして会社が潰れた時に、法的にどの位の経営責任を取らされるやら…その前に退職できる事を願う。
問題は会長も認める若社長の営業力はあるのに経営力の無さだ。会社内での求心力の低さや、散財の多さを、どうにかできるか、それに今後はかかっているだろう。
親族経営は私の場合は身内だからこそ余計に耐え難いが、どうしても他人より、謎の甘えが働くのも良くわかる。
そして、仕事なのに家族と接すると言う状況に使った結果、不思議な事に従業員の事を家族と言いだし、家族と同じ様に従業員に甘えが出始める。
淡水魚を飼っている。
魚を飼っている人はわかると思うが魚は可愛い。各々性格があり、陰キャなやつからアホなやつまで同種でも色々いる。
特にコリドラスはとてもとても可愛い。水流にのって遊んでいる姿やお行儀よく餌を咀嚼している姿は他のペットに引けを取らない可愛さだと思う。
ただ、魚を飼っていると言う話を魚を飼っていない人にしても非情に反応が悪い。
いつだかリモート飲み会をしたとき、自宅のペットを見せる流れになった。抱き上げられるネコチャンや何か喋っている鳥。なんだかよくわかっていない犬。皆とても可愛くてカワイイ!イイナーなんて言葉が飛び交った。
そういうわけで我も我も!と、水槽をうつしたものの、「自然」「癒やし」みたいな声しかなかった。まあ水草が綺麗だからね。癒やしだね。でも魚に「可愛い」はないのだ。というかそもそも魚へのコメント無かった。何の魚?とかすら。
可愛いペットなのでSNSに写真をアップしたりアイコンを魚にしたりしても、基本的に無反応だ。まあこれは自室にポスターを貼るような感覚なので別に反応されなくても構わないが、ネコチャンだったら全然反応が違うのになあとは思う。
場合によっては魚を飼っている、というと「ネコや犬は?」と聞かれる時すら有る。魚はペットじゃないかのようである。
自分の親がペットを飼いたいと言ったときにも魚をすすめたけど、「魚は懐かない」と嫌がられた。気持ちはわかるが。そもそもなついてほしいがためにペットって飼うものなのか。とちょっと違和感を感じた。あと厳密に言えば哺乳類でも懐かないペットって結構居るし。
確かに魚はあんまり頭が良くないので芸を仕込んだりはできないが、餌をくれと言う仕草もするし、家に帰れば声を聞いて寄ってくる(餌がほしいだけではあるが)。知らない人が家に来ると怖いのか皆隠れてしまう。ちゃんと人間を判別する。可愛い。
ただまあ、実のところ自分も魚を飼うまで魚が寝るということすら認識していなかった。今は水族館でも寝ている魚がすぐわかるが、以前はわからなかった。ちなみに魚も夢を見るのかはわからないが、寝ぼけて突然泳ぎだして石に激突していることがある。可愛い。
つまるところ皆魚のことをよく知らないから可愛いのがわからないのだ。実際魚を飼う人は魚可愛いねぇ~!!なんてテンションを上げてくれるものだ。もうちょっとペットとしての魚の可愛さが知れ渡るといいと思っている。
毎日のように就活を辛い辛いと言っているが、よくよく思ったらなんで辛いのかよくわからないので言語化してみることに。
以下つらみポイント
就活は大学四年生の3~4月くらいから始めるものだと思っていたが、どうやらwebエンジニア志望だともう動かなければいけないらしい。ということを私は2週間前くらいに知った。
急いで就活サイトに登録し、アドバイザーの人にカウンセリングをしてもらったが今から準備をするのは遅い方だと言われてしまった。
特にweb系だとポートフォリオは必須らしく、急いでポートフォリオを作成しているのだが後述するようにこれもつらみポイント。
web系に就職するなんて考えてすらいなかったので、ちゃんと勉強してなかったのも後悔している。特にセキュリティとネットワークに関してはちゃんと勉強しておけばよかったと後悔・・・
上でも述べたが私は自分の専攻に全く興味がない。じゃあなんで受験したんだと言われると「東京で二番目に偏差値の高い大学で二番目に入りやすい学部だったから」以上の理由はない。カスである。
大学3年生となれば講義もより専門分野に踏み込んでくる。幸いというと不謹慎極まりないが、コロナ禍で講義がオンラインになったことにより録画を見返せること、評価が期末テストから期末レポートへ変更する講義が多いことにより平常時よりは楽だが、それでも普通に興味がなく、さらにそこそこ難しい分野を勉強しなければいけないのは辛い。
特に実験はまじで辛い。わたしがポンコツすぎるせいでペアの人にも迷惑をかけてしまうし、合成はめっっっっっっっちゃ時間かかるし、録画して見返せないし・・・
そこそこのweb系企業でフロント/バックエンドエンジニアとしてインターンをしているのだが、それを週三も入れてしまっているのである。アホ。
私はマルチタスクが得意な方ではないのだが、まともな企業でインターンをしておかないと就活で苦労しそうだなと思いたまたま見つけた企業のインターンに申し込んだ。それが間違いかどうかはまだわからないが、少なくとも8h/dayを週三は馬鹿すぎる!授業は聞かない前提で後で録画を見直さなきゃいけないし・・・
あと強強webエンジニアでもないのに初っ端から特に構成の説明もなく開発に参加しなければいけないのは辛かった。今はなんとかやってるけど一ヶ月前とかひたすらコード読んでたわ!Reactとか触ったことなかったのに!
上記でポートフォリオを作らなければいけないと知ったのが先週だが、こんな忙しい状況でポートフォリオとか無理!しかも自分はあまりフロントエンドを触ってこなかったので、かなり辛いところである。tsを前の企業で触っていたのは不幸中の幸いだったが・・・
でも知らないことを学ぶのは楽しくて、特にフロントエンドは自分にとって新しいことばかりなのでポートフォリオ作成は今一番楽しい(現実逃避しているだけかもしれない)
私の大学は学部生の90%以上が院進学するやばい大学なので、必然的に学部四年で就職する人間は少なくなる。そのせいで友達と有益なこと、辛いことを共有したり、傷をなめ合ったりすることができない。
今までレポート課題など辛いことはあったが、それは友達もみんな辛いので一緒に教え合いながら(一方的に教わっていたかもしれない・・・)乗り越えてきたが、就活はそういう相手がいないので本当に辛い。
相談できる相手が親と就活カウンセラーしかいないのはめっちゃ精神的に辛いです。
どこか私を雇ってくれ!!!webアプリ開発なら新卒という枠組みの中で中の上くらいできると思うし、モバイルも少しかじってますよ!
悪趣味かも知れんが、大好き
「ドキュメント 気象遭難」は、ほかの作品に比べて、ものすごく人が亡くなる。
吾妻連山の楽しい仲間たちでの中高年の登山から、道迷い、天気の悪化、体力がないことにより、一人また一人と欠けていく。
すごく怖い。
絶対山には登らないぞと思う
トムラウシのツアーによる大量遭難が有名だけれど、その前にほぼ同じ場所で類似の気象遭難事故があったことも知る。
悪天候なのによろよろと山頂を目指したのはどういう気持ちなんだろう。
間近で友人が絶命するとはどういった状況だろう。
こわい、絶対山には登らない
山岳部に所属する高校生が、近所の山で遭難する、「空と山のあいだ」も恐ろしい。慣れ親しんだはずの山が、突然牙をむく。
年末年始、剱岳に挑戦し帰ってこなかった3人のメンバーを、同じ登山会の人が目撃証言を辿って、行動を推測し、遺体の場所を特定する「いまだ下山せず」も面白い。
証言や性格から、足跡を辿って答えに至る様は、ミステリのようでもある
後者は、高度8000メートルを超える、その場所にいればいるほど死に近づくデスゾーンで、ほかの仲間のサポートをしていた、若い男性登山家が力尽きてしまう
その人が生き残ったのは、何がよかったのか、逆にそういう苦境に陥ったのは何が悪かったのか、が知りたいのかな、と思う。
何度も思い出してしまうのは、羽根田治「ドキュメント 道迷い遭難」にあった、遭難者が行き合った、犬を連れたおじいさんの話だ。
遭難者は不安になりながらも、「こちらだとおもう」と進んでいた。
そこでおじいさんに出会い、話す。
「この道で合っているか?」と尋ねられ、遭難者は「合っているとおもう」と返した。おじいさんは犬を連れて道を進んでいく。
その後、遭難者は迷っていたことに気が付き、生還することができた(自力で下山までできていたと記憶している)。
しかし、そのあと犬だけが戻ってきて、おじいさんの姿を見た人はいない。
そのエピソードがずっと胸に残って忘れられない
この前ツイッターで
「なんで運動や他の特技はアピールしても、それほど嫉妬されないのに、学歴だけ妙にみんな過敏に反応するんだろう」と
つぶやいていた御仁がいた
言いたいことはわからんでもない。
でも、学歴を他のスキルと同等に扱えないのはそれなりに明確な理由がある。
全入時代で、定員割れしてる大学も多いから、全員がガチで勉強して進学する訳でもない。
それでも中卒・高卒・専門卒・大卒(四年制・短期)・院卒と、基本的に誰もがどこまでの教育を受けたか区分けされる。
勿論、大卒の中でも、というより大卒の中でこそ、旧帝早慶・駅弁March(最近はSmartなんだっけ?)・日東駒専~なんやらかんやらと、細かいヒエラルキーというか、序列意識が存在する。
そりゃ、義務教育・高等教育期間と、正味12年(以上)かけた上でのレース結果である。
でもこれだとある意味、全員に"学歴"という属性が強制付与されてるようなものだ(非常に気持ち悪い表現だが)。
紙切れ一枚に夢託す
実際、紙切れ一枚で頭の良し悪しなんて、簡単に判別できるものではない。
そんなの、みんなわかりきっている。
わかりきってるし、学歴信仰・偏差値信奉者は一般的にはクソダサいので、学歴で頭の良さが決まるなんて、皆さん口に出して言わない。
でも、実際の所はどうだろう?有名企業の就職率は技術職の理系ならまだしも、文系でも明らかに全体のうん%しかいない一定以上の高偏差値層で固められている。
場合によっては、就職後の研修まで大学のランク別に分けられている。なんだよ、企業なのに、予備校と一緒かよ。という感想である。
学歴=頭の良さではないが、高学歴の方が勤勉性が高かったり、論理的な(座学的な)思考能力が高かったり、まあそれらを測るシグナルとしてはそれなりに信頼性は高いわけだ。
人間外見より中身のが大事だが、これだけ肥大化した社会ではそこまで丁寧に中身を見ることはできないので、大数の法則的に学歴を足きりの条件として使わざるを得ない。
これだけでも、お勉強できましたアピールは、運動できた、楽器弾けますという類のアピールとは、殊更性質が違うことはお解り頂けたであろう。
(優秀で高学歴な増田諸氏からはわかりきったことほざくんじゃねーよ、と切れ味鋭いツッコミが返って来そうであるが)
そして学歴がコンプレックスを非情に拗らせやすいのは、加えてややこしい要因があと二点程挙げられるからである。
増田のような過ごした田舎の公立校では、若くて楽しい青春時代に、机に齧りつくのはダサいと考え、学業に重点を置かなかった層も一定数(というかかなり)いる。
就職やその後、たかがテストの点数でこうも扱いが違うの?阿呆じゃね?ということを痛感したときには既に遅いのだ。
もう少しだけ、勉強にステ振り分けてれば、後の人生もっと楽だったのに。妥協して滑り止めに入るべきではなかった。
働きながら、資格を取ったり、通信などを含めて学び直すことも可能ではある。
が、正直それは、学業に集中することが許された時期に比べると、かなり余裕を持つことが難しいと言わざるを得ない。
特に通常の大学進学なら、合格後も4年間まるまる勉強に専念することになる。
結婚や育児、職場で責任あるポジションを任されると言った事情があれば、尚の事これは難しい。
なんだかんだで家庭環境や出身地など他のデリケート要素が絡んでくるからである。
文科大臣が新受験制度における教育格差について指摘されたときに、「身の丈発言」で物議を醸したことは記憶に新しいだろう。
だが、失言だったには違いないが、家庭環境及びその収入、或いは予備校や進学校の多い都市圏で暮らすか否か
都市圏に多い私学の中高一貫校は、難しい試験を課して入学者を選別する。
その試験を突破するにもやはりある程度家計に余裕がなければ、合格は厳しいだろう。
そしてレベルの高い生徒が集まる環境で、難関大学合格を目標に塾や学校で、合理的で進度の早いカリキュラムが組まれる。
無論、地方だろうが、世帯収入が低かろうが、ストイックに学習に励むことは可能だし、賢い子どもは幾らでもいる。
だが、都市圏でかつ富裕層の方がそれだけ選択肢に恵まれている。この点は否定のできない事実である。
そして、何よりデリケートな問題なのが、やはり不向きな人はそれなりにいる、という点だろう。
「ケーキが切れない非行少年たち」という児童精神科医が書いた本が話題になったが、
境界知能と呼ばれる、IQ70〜84の知的障がいに該当しない人の割合は実は人口の約14%に当たると言われている。
IQと学力の相関性は、増田は実際のところ門外漢なので、少し言いづらい部分もあるが、スポーツがどうしても苦手なタイプがいるように
勉強がどうしても苦手だという人もそれなりにはいるような気がする(公立小中で過ごした時期を振り返って)。
増田はスポーツがどうしても苦手だが、かろうじて学業だけは人並の成績ぐらいはおさめられた。
スポーツが苦手なのは、子供の頃からのコンプレックスだが、歳を重ねれば、学生の時に比べ、そう比較には出されない。
勉強だって基本的にそうだ。だが、別に努力しなかったわけでもなく(あるいは努力する機会がなかったために)、勉強が不得手であった人に
そうしたコンプの瘡蓋を刺激するようなことをすれば、話がややこしくなるのは当然である。
加えて、社会的な記号として、長い期間付いて回る問題でもあるから、二重にややこしく、なるべく人と比較しない方が無難な話題である。
昨日、僕の人生を大きく変えてしまうかもしれない一つの決断をした。中学生から夢に見ていた教師になるという未来への道筋を己の手で断ち切ってしまった。そのために勉強し、そのためにバイトをしてきたこれまでの僕の人生は全て無駄になってしまったかのように感じた。今、僕は僕がとても許せない。教師という職の現実を僕の目で垣間見たその瞬間に「あぁ、僕には出来ない仕事だ。」と思ってしまったのだ。これまで5年間僕を支え続けてきた「教師になってこれからの未来を支える生徒を育てていくんだ。」という決意は、ほんの少しの非情な現実を目の前にして消えてしまうほどの些細なものであったことが僕の小ささや無力さを体現しているかのようで。
私自身が理系萌えで工学部に進んだものの、憧れと自分がそれになりたいかは違うことに在学中に気づいて就職時に専攻から離れた人間なので、他人事とは思えなくてね…
とりわけ情報系の男性が好きだったが、私の場合はお付き合いとか結婚とか、増田よりもう少し推しに近づきたい願望があった。
そうなったときに専門が同じだと、お互いの専門への思いの熱さが災いして、どの実験手法を採用するかとかで軋轢が生まれ、離婚の危機とかになったら嫌だなあ…と妄想して、
非情報系の専攻にしたのも良くなかったと思う。(方向性は違うけどかなり拗らせていた)
大学の専攻も学問としては面白かったが諸処の事情で仕事にしたいとは思えなくなってしまった。
で、いくつかの転職を経て叩かれがちな所謂職業プログラマになったけど、これが思ったより自分に向いていて、
今は理系男子よりも、とは言わないけれど理系男子と同じくらいプログラミングが好きなので充実した日々を送っている。
同時に、18のとき妙なことを考えず、普通に大学で情報系の専攻に進んでおけばどれだけ良かっただろうと後悔したし、情報科出てないコンプレックスは今も消えない。
思えば、普通に自分自身が好きなものと向き合って極めようとする過程で挫折することへの恐怖心が強く、
「理系男子萌えが理由で自分も理系になっちゃう私マジヤバイ女~」というメタ的視点に立つことで自分を守ろうとする意識もどこかにあったと思う。
別に増田がそうだとは言わないけれど、私はそれで自分が本当に好きなものを見つけるまでに30超えてしまって人生遠回りしたので、もし増田にもそういう部分があるなら自分を省みるのは早い方がいい。
親に頭下げて転科/文転が可能ならそれもいいし、学生やり直すのが現実的じゃないなら、就職時は分野を変える大きなチャンスだし、第2新卒ぐらいまではまだまだ全然やり直しもしやすい。
増田は人生を楽しむ力が強そうなので、別に今のままでも上手く生きていけそうな気はするけれど、ちょっと似ているババアからの小言でした。
というか増田は、勉強と違って仕事なら楽しめる可能性も大いにある。研究職は知らないけど、一般的な仕事なら良くも悪くも大学の勉強とはベクトルが違うから。
新型感染症が未曾有のパンデミックを起こしている今、外出を促すような施策は愚策とも取れる。
外出者が減ったことで、観光業や交通業に従事する人や観光で保っている街は死に向かっている。
そもそも観光資源が大きな収入の国なのに観光が死んでいるのでなおさらである。
「新型コロナで死ぬ人を救うか、収入が無くなって死ぬ人を救うか」という最悪の天秤である。
人命を天秤にかけることに嫌悪感を感じる人はいるだろうが、かけているのではなく、すでにかかっているのだ。
天秤の存在から目を逸らすのは安易なストレスからの逃避でしか無い。
この天秤でできるだけ多くの人を救うにどうしたらいいかを考えた時に、
「収入が無くなって死ぬ人」を見捨てる場合、その収入で生活している家族や経済圏を丸ごと見捨てることになり、
その経済圏が死ぬことで観光とは直接関係のない経済圏にもダメージが及び、回復不能なダメージが国に残る可能性がある。
それらの経済圏に保障を出し続けるにも、この国はアメリカや中国のように土地や資源の豊富な大金持ちの国ではない。限界は速い。
逆に「新型コロナで死ぬ人」というのは、ある程度の隔離や規制などの強制力を伴う対策でどうにかすることができる。
新型コロナは「死ぬ恐れがある病」だが、逆に言えば「死なない可能性の方が高い病」であるし、治療法が確立されてないにしてもある程度のことは医療でできるため、「収入が無くなって死ぬ人」を救いつつも、被害をなるべく抑えることが可能だ。
どちらも「どうしても出てしまう被害者」になってしまうが、被害が出た時のダメージの差や被害者量を考えると、「収入が無くなって死ぬ人」をメインで救いつつも「新型コロナで死ぬ人」に気を使うことで被害を最小限に抑えられると言えるのではないだろうか?
「お年寄りなどの弱者を見捨てるのか!」という意見が飛んできそうだが、その意見を言っている時に、「今苦しんでいる弱者」に視点が全く行っていないというのはあまりにも軽薄に感じる。
・牛肉300g(オーストラリア産とかアメリカ産でいいから絶対牛肉 豚はやめろ 美味しいけど食べたときの心へのバリューが違う)
・にんじん 1本
・玉ねぎ 2個
・カレールー(好みでいいけど横濱舶来亭のフレークが一番良い これはステマなのでステマに嫌悪感感じるものは別のでもいい でも聞いてくれ このカレーフレークはバーモントカレーとかこくまろに比べてちょいっとだけ高い 100円ぐらいだ でも食べたときの心のバリューに関してはその差額は100円なんてものじゃない500円いや600円下手すれば1200円ぐらいのバリュー差がある だから横濱舶来亭にしろ ブラック辛口がいいがそれ以外でもいい 大切なのは値段に対して心へのバリュー)
・サラダ油
たまねぎはスライスしろ おまえが「みじん切りのほうが良い」っていうならそれでもいい
でも俺はスライス派 みじん切りのときの仕上がりがどうなるかは検証していない
飴色になるまでって奴 主婦層なら「あら?おかしいわね…普通は時短のためにたまねぎをレンチンして水分飛ばすのが普通ザマスわね」と思われるかもしれないが自分はレンチンはボタンに書いてある自動設定しかできない人間なので愚鈍に炒めるのみ
方法をしっている のと 実際に出来る には大きな差がある やらないんじゃないできないんだ
3:飴色になったら炒めた玉ねぎを鍋に移す
ここに来るまで多分30分はかかっているはずだ もうそれだけで一丁前に料理した気分になるだろ
4:にんじんをすりおろす
すりおろさなくてもよい 俺はカレーに後入れ以外の固形物があると心底許せない人間なのですりおろす
あれは幼少期だった 母親はなにをトチ狂ったのかカレーにナタデココを…いや この話はやめよう
良いからすりおろせ すりおろしたほうがカレーはドロドロになって美味しい
牛肉をいためて色が付いてきた頃にすりおろしたにんじんを投入する
ある程度軽くでよい
炒めた終わったらたまねぎを入れた鍋に同じく投入する
灰汁はとらなくてよい めんどくさいだろ
7:火を止めてルーを溶かし弱火で煮込む
火を止める理由は諸説あるが自分は若き頃に鍋をダメにしたので火を止めたほうが良い
以上で完成
しかし実際に出来上がったものはこころに2000円ぐらいのバリューを差し込んでくれる
時給1200円のバイトをしたようなもんだ
だったらカレーを作ることを我慢して店で1200円ぐらいのビーフカレー食べたほうがバリュー高いな!
カレー作れよ
豚肉について
言いたいことは大体トラバの返信にある
肉に関してのこだわりは人それぞれあるから「うるせぇゴミ虫が 俺は豚でいく」というのであればそれは構わない
「焼き鳥屋でビフテキを食べてもよい」という人もいるし自分も実際そうだとおもう
だが焼き鳥屋はあくまでも鶏肉を炭火で炙ったものを食べる場所でありビフテキが食べたいなら肉バルなりステーキハウスで食べたほうが美味しい事は否定できないだろう?
宗教関係上食べられない、アレルギーの関係上食べられない 俺はそれを変えたり直したりする力は一切ない 空々しい宣言ではあるが
豚肉には豚肉の 鶏肉には鶏肉の 羊肉には羊肉の サンは森で、私はタタラバで
そういう「輝けるステージ」があるのだ
長々と言ったが結局は「俺はカレーはビーフカレー」という押しつけでしか無い
好きな肉を使え そして少しでも「やっぱ牛肉のほうがいいかも」と思ってしまった時もう一度ここに帰ってきてくれれば良い
ただ個人的になんで豚や鳥じゃだめなのかを示しておく
豚肉:色が薄くなる 豚の油のせいだろう 黒々としたカレーではなく茶色になる そして脂が出すぎて「うお ポーク」となる この「うお ポーク」感がバリューを欠損させる 見た目、肉の香りの面で牛肉より優れていないといえる ただ味だけは本当に良い そして身も美味しい そこは何を重視するかだ 俺は見た目と香りで牛肉を推す
鶏肉:なんといっても鶏肉の「身」がもったいない 鶏肉というのは罪な存在で旨味成分と脂が非常に強い 牛を遥かに超える だが だがしかし カレーにするには「身」がもったいなすぎる 旨味成分や脂が抜けた鶏肉はパサついており30分程度しか煮込まないと非情に中途半端な存在となる
だからスープをとったり出汁を取る時はガラや胸肉という「身にバリューがそこまでない部位」を使う もも肉というのは焼いたり揚げたりもも肉に内包された全てを食すことに向く 残念ながらカレーに関しては鶏肉は向いていないのだ 美味しいチキンカレーの専門店だとそこまで煮込み時間を作らないか鶏出汁でベースを作り身は後入れにするかもしくは身が崩れるぐらいまでに煮込むはずだ 美味しいゆえに適切に調理しないと「終わった身」を作り出してしまう バリューを生み出すのに技術が必要な諸刃の剣 素人にはオススメできない
上述の調理方法は鶏肉にバリューを引き出すどころか逆にダメにしてしまう調理方法であるがゆえにここではオススメしない
牛肉はある程度ぶれた調理しても勝手にボロボロになって勝手にいい具合に肉の旨味成分をカレーに溶け出してくれる バリューの総合力なのだ
誰もが子供の時分から大人になってまでも疑問に思っていることについて考察してみた。
まずこの曲に出てくる動物は2種類のみであるので、そのどちらかであると考えるのが妥当だろう。
「にんげんっていいな」という言葉は羨望の意が表現されていると考えられるため
羨望の対象である「にんげん」の言葉とは考えにくい。よって「くまの子」の目線の歌であると仮定される。
くまの子はにんげんのするかくれんぼを見ながら「にんげんは家に帰ったらおやつにごはんを用意した親が待っててくれて羨ましい」と考えている。
そして「僕も帰ろう」と"歌う"のである。
ましては親が帰りを待ってもいないおうちへ、である。
いや悲しすぎるだろ。
かくれんぼ中ににんげんのうちの誰かがでんぐり返ししたんだろうなあ。
かくれんぼは難しそうだけどそれなら僕にもできるとか思ったんだろうなあ。
無理だから。
起き上がれなくなるやつだから。
ということで
あまりにも非情な歌ということになってしまうため「くまの子の目線」という説の立証は難しそうだ。
であれば「にんげん目線」の曲ということになってくる。
「あ、くまの子が見てやがる。かくれんぼもできないくせに見てやがる。」
「あいつ、家に帰ってもおやつもないしご飯もない。帰りを待ってる親もいないんだぜ。」
「にんげんっていいだろう...?」
「さあ、帰ろう。」
「そうだ。最後に見せつけてやろう、俺の華麗なでんぐり返しをな!」
「あばよ」
と。
おそらく途中から声に出しているだろう。
くまの子に聞かせているんだろう。
人間って恐ろしい。