2020-08-05

GoToキャンペーン愚策か?

新型感染症が未曾有のパンデミックを起こしている今、外出を促すような施策愚策とも取れる。

しかしそれはミクロ視点で現状を捉えた時の話だ。

外出者が減ったことで、観光業交通業に従事する人や観光で保っている街は死に向かっている。

それを支え続けるにもこの国の財産では限界がある。

そもそも観光資源が大きな収入の国なのに観光が死んでいるのでなおさらである

 

ここで非情残酷な天秤が出現する。

「新型コロナ死ぬ人を救うか、収入が無くなって死ぬ人を救うか」という最悪の天秤である

 

人命を天秤にかけることに嫌悪感を感じる人はいるだろうが、かけているのではなく、すでにかかっているのだ。

天秤の存在から目を逸らすのは安易ストレスからの逃避でしか無い。

 

この天秤でできるだけ多くの人を救うにどうしたらいいかを考えた時に、

収入が無くなって死ぬ人」を見捨てる場合、その収入生活している家族経済圏を丸ごと見捨てることになり、

その経済圏死ぬことで観光とは直接関係のない経済圏にもダメージが及び、回復不能ダメージが国に残る可能性がある。

それらの経済圏保障を出し続けるにも、この国はアメリカ中国のように土地資源豊富大金持ちの国ではない。限界は速い。

 

逆に「新型コロナ死ぬ人」というのは、ある程度の隔離規制などの強制力を伴う対策でどうにかすることができる。

新型コロナは「死ぬ恐れがある病」だが、逆に言えば「死なない可能性の方が高い病」であるし、治療法が確立されてないにしてもある程度のことは医療でできるため、「収入が無くなって死ぬ人」を救いつつも、被害をなるべく抑えることが可能だ。

 

どちらも「どうしても出てしま被害者」になってしまうが、被害が出た時のダメージの差や被害者量を考えると、「収入が無くなって死ぬ人」をメインで救いつつも「新型コロナ死ぬ人」に気を使うことで被害を最小限に抑えられると言えるのではないだろうか?

 

「お年寄りなどの弱者を見捨てるのか!」という意見が飛んできそうだが、その意見を言っている時に、「今苦しんでいる弱者」に視点が全く行っていないというのはあまりにも軽薄に感じる。

 

どちらかを救えば全てを救えるほどこの世界簡単にはできていないが、被害を最小限に抑えることはできる。

怒りや悲しみ、恐怖を感じるのはしょうがないが、反射的に感情論で騒ぎ立てて、最悪の結末を導いてしまっては元も子もない。

  • 思うに、 ①新型コロナで重症化したり死んだりしやすい70代以上の高齢者に外出自粛をお願い(あるいは法改正して強制)すると同時に、健康維持のために毎月いくらか給付金を出す。 ②...

    • これめちゃ理想系なんだけネックとしてメディアが偏見なくちゃんと説明しないといけない気がする。

  • 観光業のためだと思うから無くてもいいじゃんと考える奴が出てくるんだろうけど、観光業が潰れることで融資していた地銀が連鎖的に逝くのを防ぐためって部分もあるよなあ。 このま...

    • だったら地銀なり旅行代理店なりにウイルス拡散サービス抜きで直接お金あげればいいでしょ

  • 収入がなくなるのはもう既定路線だよ 日本人のせいでもない、コロナのせいでもない、AIだのコンピューターだの物流だのの発達がホワイトカラーとされていた「事務」「管理」の仕...

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