はてなキーワード: 気づきとは
長くて誰も読まないと思うので3行で:
・運営が信用できなくなった
・価値観が変わった
なお、このようなアンチ的な記事を書くのはこれが最初で最後になると思う。
一番大きかったのはこれだ。そもそも私はソシャゲに向いていなかった。
私が直近までやっていたのは音楽ゲーム(以下Xとする)と、疑似対人要素のあるノベルゲーム(以下Yとする)だった。
→Xの嫌だった部分
ガチャで高レアリティのカードを引き、引いたカードをデッキにセットして楽曲をプレイし高スコアを狙うのが一つの遊び方として確立されていた。
カードはそれぞれ固有のスキルを持ち、そのスキルが発動すると獲得できるスコアがより高くなるという仕組みである。
Xは、この確率があまりにも低すぎたのである。運が絶望的にない人間は9万を投じなければ手に入らないカードを5枚も要するのに、スキル発動率はつい最近まで50%すら下回っていた。
カードの性能が異なるから最終的なスコアで負けるのは承知の上だったが、それでもたまに16分が降ってくる単純なリズムの譜面で20近くもGREATを出す人間に多くて3程度しか最高判定未満の評価をもらっていない私が負けるのは苦痛でしょうがなかった。
→Yの嫌だった部分
YはXと異なり、そこまで確率にヘイトを重ねたことはなかった。ノベルゲームが主なゲームモードであるという性質上、疑似対戦に手を出さなければ確率に悩まされることはあまりなかった。
・運営が信用できなくなった
Xは度重なる不具合に加え、著作権周りで起こしたかと思えば何やら目的もよく分からないコラボをしだした。
Yは追加されるゲームモードがことごとく面白くなく、声優のスキャンダルが世に知れ渡ってからも繰り返し虚無を追加する。
両方に共通しているのは、ユーザ側に得をさせまいとする守銭奴志向と不誠実さだった。様々な要因が山のように積み重なった結果、ゲームが崩壊する前に私のモチベーションが崩れてしまった。
・価値観が変わった
モチベーションの雪崩が発生してから半年間はほぼログインもしなくなった。私この間に、ソシャゲに費やしていた時間と金を他のことに使うようにしてみる。
ソシャゲと違って、5千円もあれば自身の所有する自動車に30L近くも給油できた。1万なんて出した暁には伊豆半島や大洗までいろいろな景色を見ながらドライブして帰ってこられた。
この他にも、食べたいものを食べてみたり、欲しい物を買ってみたり、はたまたソシャゲではないゲームをプレイしてみたりした。
そしていつの間にか、私はそれぞれのゲームのアカウントを削除していた。
・まとめ
まだこの世の中にサークルクラッシャーという言葉がなかった21世紀のはじめごろ
その女子大では「一橋男子にあらずんば彼氏にあらず」という風潮があったので、
女子大生は、マウンティングしたくて東大のサークルに入りました
まだそのころ、マウンティングなどという言葉はありませんでした
男子高卒が多いので女子とまともにコミュニケーションできる人は多くありません
そのくせ、お勉強ができるというだけの理由で女子はなびくと思っています
でも中がちらっと見えるゆるめの服を着て、
官僚君は遊び慣れてたな。上手でした
なのに、サークルの人間関係とかあるし絶対しゃべっちゃだめだよ恥ずかしいって言ってたのに、
よりによって夏合宿中に同級生の経済学部のバカが童貞喪失の自慢話をしたら
体の特徴とかで私のことだとバレてしまい男性同士が本当に殴り合いのけんかを始め、
付き合ってた男の子は「君がそんな子だなんて知らなかった」って言って去って行って
このことはすごく反省して、やっぱりいかにモテようとも男の子がちょろくとも、
一つのグループの中で複数の男性と付き合うと男性は壊れちゃうんだなってわかったので、
就職して男女混合のグループに入ってからも、職場では付き合う男性は一人にしなきゃねって思って
たくさんの男性にモテると自分の価値が上がったような気がするけど、
それで就職したら社内では絶対に複数の男性とは付き合うまいって心に決めて
で、就職してすぐに付き合ったのは、最初に配属された部の部長でしたw
ちょろい東大生DNAはしっかり受け継いでいて、難なく落ちました
新入社員はだいたい周りの男性からいろいろな誘いがあるようで、
私のところにもいろいろあったんだけど、
部長にその話をすると、次の人事で私に近づいてきた男性はみんな飛ばされてました
そういうことで不満を持った若手が結束して人事部に恣意的な人事を訴えて、
結局人事部にヒアリングされて5年にわたる不倫関係がばれて、部長(役員になってたけど)失脚
なんでこうなっちゃうんでしょうね
で、私はそのあと、大学の同級生の紹介で某総合商社に勤める一橋の男と結婚して、それなりに幸せな専業主婦してます
思い出したからちょっと誰にも知られないところで思い出話を書いてみました
子供の中受の手伝いに疲れちゃったのよね
ただの自慢話
まあゴミはゴミでもうまく使えば(災害用や緊急用など)使い捨て的にいいのかもしれないが、
かなり乱暴に言うと日本製のものは2倍の値段するかもしれないが、5倍長持ちする
このプラスのところを忘れて安さに食いつくのが日本人だけでなく世界中が盲目的だったところだろう
そういうことに気づいたのが日欧米をはじめとする先進諸国である
なんだかすごく腑に落ちました。
なんであの人たちもっと勉強して働かなかったんだ、恋愛するにしてもしっかりしなかったんだ、なんでそんな人たちを私が助けなければならないんだと不満があることに気づきました。
でも、外から見たら仕送りで家族を助けるというのは優しい行為でしたね。
私にとってはこんな両親が他人様に迷惑かけないように祈る気持ちで送金していました。
あっ確かに、そうですね。気づきませんでした…ありがとうございます。
彼氏からすると、結婚したら私の年収も家庭のお金になるのでその一部が実家に行くことが損する気持ちになるかな?と思っていました。
「今いい?」どう見てもよくないだろ
「ちょっと見て欲しいんだけど」目に水入ってて見えると思ってるのか?
ちょっと待って下さいって言ったら意外なこと言われたみたいな顔された
「明日でいいんだけどさ」じゃあ明日言えや。もう片付けちゃったからメモも取れないんだわ。上着着て鞄背負ってるのが見えないのか?
5:00 フォートナイト(オンラインゲーム)の時間指定で一度しか見れないイベントがあったので早起き
8:00 午前中に宅配便が来る予定なので玄関前でカップ焼きそば食って漫画を見ながら待機
9:30 宅配便を受け取ったのでエロゲを始める エロ要素よりもRPG要素が強くて面白い
13:00 お腹空いたので豚肉ともやしの炒め物を丼にして食べる そしてエロゲを続ける
19:00 夕飯としてインスタントラーメンを食べる そしてエロゲを続ける
20:00 明日着るものがないことに気づき洗濯する Youtube見たりする
22:00 朝早かったので眠いので寝る
みんなもこうならないように気をつけような。
私も家族の雑種の中型犬が悪性腫瘍で1人きりで亡くなりました。私が1番初めに帰ってきて、直ぐに亡くなっていた事に気づけませんでした。いつも通りものを片付けながら動けない彼女に話しかけて、最後に触りにいったら冷たくてやっと亡くなっていたことに気づきました。
朝は私が最後に出て、その時は行ってくるねと言ったらぐぅーってため息みたいな声で長く鳴いてくれて柔らかくて、温かかったのに帰ってきたらまだ柔らかさはあったけどありえないくらい冷たくて、本当に1人っきりで寂しかっただろうなと思います。看取れなかったので最後が安らかだったのか苦しかったのか分かりません。泡を吹いてたり、布団が散らかってたりしてなかったので安らかだったんじゃないかなと勝手に想像してなんとか心の安定を保っています。
本当に甘えん坊で元気いっぱいだったのでけがをしやすく、足を捻って痛かったら即誰かの傍に一生懸命行って痛いのを主張しながら撫でて撫でてってしにきていたのに、最後だれにも頼ることが出来ない状況にしてしまった事を今も後悔しています。
また、治療費やペットを診れる大学病院が遠方だったため満足な治療が出来ず、苦しい目に合わせました。私は主さんと違い、延命を選んだ側なのですが、こちらも辛いことばかりです。結局病気になった時点で長く最後まで苦しませて殺すか、まだ生きれたかもしれないが苦しみは少ない状態で殺すかしかないです。安楽死を選ばなかったからと言って後悔がない訳ではありません。私のように看取れない可能性もあります。苦しむ姿を見続けなくてはいけません。
どっちにしろ地獄なので、病気になってからどうしたかだけ見るのではなく、今まで幸せに過ごさせてあげれたならそれでいいと思います。
ワクチン接種から4か月弱。相変わらず頻脈・動悸のほぼ寝たきりでやらしてもらってます。
50ゴールドとひのきの棒すらもらえずに竜王の前に放り出された気分ですが、気持ちだけは前向きにフ~!
そんな中、海外掲示板redditにとても勇気づけられる投稿を見つけました。
投稿者のLadyBernVictimさんは2017年にMERSに感染していて、私たち後遺症者とまったく同じような症状が出ていたようです。
私も八割ぐらいの症状が一致しており、読み進めるたびに「あるあるwwwwwww」と相づちを打っていました。
LadyBernVictimさんはよくなるまでの12か月間をなんとか耐えて、今では100%回復したそうです
このお話をぜひとも共有したいなと思いましたので、稚拙ですが簡約したものを転載します。
(※本文中に栄養サプリ等が出てきますが、サプリメントの過剰摂取をすると重篤な副作用が出る場合があります。必ず専門家に相談してからご服用ください。)
こんにちはcovidlonghaulersサブレのみなさん! 私は2017年にMERSコロナウイルス(疑い)で苦しみ、コロナ後遺症に似た症状が出ていましたが、対処をした結果100%回復しました! AMAです!
(訳注:サブレは5ちゃんねるでいう「板」。covidlonghaulersサブレは長期のコロナ後遺症に悩まされている人たちの板です)
(訳注:AMAは”Ask Me Anything”の略で、5ちゃんねるでいうと「〇〇だけどなんか質問ある?」といったニュアンスです)
Hi!
でも、皆さんが質問できるようにAMAを実施したいと思います。
まず一つ目に、皆さん全員に知って欲しいのです。
あなた方がどれほど勇敢であるか、どんなに孤独だとしても、後遺症に対処するためにひとりぼっちだと感じていたとしても、あなたは一人ではないのです。
そして、あなたがどのように感じているかを少なくともこの私はわかっています。
私はフツーの人間ですから、あなたが身体に問題があるのだと真剣に考えているのなら、ちゃんと検査をして問題がないことを診断してもらうことが非常に重要です。
また、私がMERSの確定診断を受けていないということもお伝えしておきたいと思います。
症状が出ていた時にCFS(訳注:慢性疲労症候群)の専門家の所に行った際、「初期の症状がCFSを引き起こす他のコロナウイルスのものと似ている」と言われました。
さらに、感染源だと思われる人の感染場所が、おそらくイスラエル又はアラブ首長国連邦だったため、その専門家はMERSの疑いがあると言っていました。
もしそのような検査があるとしたら…ですが、MERSであったのか否かを確認するための抗体検査をいつか受けてみたいです。
だって私がこんなに重い症状になった答えは、まだ見つかってないのですから。
こうしたこともあり、私は「自分になにが起こったのか」ということについて書いてみたいと思いました。もし、長くなってしまったらすみません!
2017年、私は倉庫ビルの地下にある新しい職場に行きました。
マネージャーは二日前に休暇から戻ったばかりで、イスラエルとアラブ首長国連邦に旅行していました。
彼は飛行機で熱が出たと言っていたのですが、業務があったので病気が出ているにもかかわらず仕事に来てしまいました。
その結果、職場で私以外にも二人が感染しました。その二人については数日あるいは数週後にすぐ回復したようですが、私はそれほど運が良くなかったのです。
最初の症状は最悪の状態で40℃に達する高熱や、首と肩のリンパ節が激しく腫れたり(人生でこんなこと初めてです)、ちょっとした息切れでした。
私は毎晩恐ろしい寝汗をかいて、高熱は約ニ週間続きました。イブプロフェンを使っても37.2℃-39.4℃の間をいったりきたりしていました。
いちばん熱が出ている時は48時間ほど乾いた咳も出続けました。咳はやがておさまったのですが。
二週目の終わりに緊急治療を受けることになりました。医療関係者は「伝染する可能性があるぞ」と私にどなって、急いでインフルエンザと感染性単核症の検査をさせました(両方とも陰性でした)。
三週目にもなると、高熱がやっとおさまりはじめて、イブプロフェンで私の体温は平熱である36.1℃になりました。
それから一週間ほど経ってまた37.7℃ほどに上がった後、最後には高熱がなくなって気分が良くなったように感じました。
間違いなく「終わったんだ」と感じていました。ただ、それを説明することはできませんでした。
しかし、その後二週間が経過し、私の身体に向かって突風のように“奇妙な症状“という名の風が吹き始めたのです。:
痛みは時々出てきて、続くのも数分なのですが、その後私の脚は文字通りゼリーのようになりました。階段を降りようとすると膝が震え、歩くのが難しい。この「脚の弱点」はなくなりませんでした。
激しい頭痛を伴い、窓や画面のすべてを避けるようになりました。
fitbit(訳注:心拍数が測れるスマートウォッチ) を見ると、就寝前の臥床時には、140bpm(訳注:個人差はありますが「きついと思うレベルでジムでランニングし続けている」のと程度です)を計測していました。
いちばん悪い時には1〜2時間の睡眠をとるだけで、たびたび動悸を起こし何回も目が覚めて不安になり、それが永遠にくり返されように感じていました。不眠症は調子に波があり、「強いだるさ」と「アドレナリンの上昇で覚醒させられ続ける」という状態の板挟みで、倦怠感に押しつぶされていきました。
足や脚を交差させると、数秒以内に眠りに落ちたように動かなくなるという、循環器に関する奇妙な問題がありました。
理由はよくわからないのですが、胃不全麻痺だったのではないかと確信しています。その症状は非常に激しい便秘を引き起こしてくれたので、2回か3回ほどERへの旅行に連れて行ってくれました(毎回何も見つかりませんでした)
また、片方の瞳ともう片方で瞳孔の膨張が均等ではありませんでした(これは本当に家族を怖がらせて、膨張が起こっているときには家族からよく指摘されました)。
私は他にも多くの症状がありましたし、身体のシステムほぼすべてになんらかの症状がありました。
ERにも合計3回行きましたが、次に記すこと以外には異常はみつかりませんでした。
①検査一回目の時のかすかに高いDダイマー値(訳注:血栓の凝固マーカー)
②非常に低いフェリチン(鉄不足)
③低ビタミンD
④高いEBウイルスの抗体値(アクティブな感染を示している、かろうじて陽性になったIgMを含みます。緊急ケアを受けた時に、感染性単核症検査が迅速に行われて陰性だったのですが、EBウイルスの高抗体値はその二ヶ月後に発見されました)
⑤妙に低い電解質です。
私の最初の発熱から「良くなる」までは約十一か月から一年ほどかかりましたが、最初の数ヶ月は回復するためのことはほとんどせず、「答え」を求めて医者から医者へと受診してまわっていました。
以下の箇条書きがやったことです、
主に抗ウイルス性食品と抗炎症食品です。果物や生野菜をほぼ毎日たくさん食べました。ブルーベリーやキュウリ、セロリの茎など。また、病気になる前にすでにセリアック病(グルテンフリーダイエット)がありました。私は病気の時にもグルテンフリー食品を食べていましたが、そもそもグルテンフリー食品を食べていた状態で、私の症状が起きたわけですので、そこはご承知おきください。
アシュワガンダ、クルクミン(ウコン由来成分)、マグネシウム、魚油の丸薬、ビタミンD、L-リジン、ラクトフェリンを混ぜた鉄(もし低鉄を処方されていた場合は、鉄のみを服用)。マグネシウム浴もやりましたし、粉末の電解質も摂取しました。
そして、「戦うか逃げるか反応」から抜け出してリラックスするためにできる限りのことをしました。病気になってからは理由もなく不安な状態にありましたが、以前はそんな人間ではなかったのです。私は「瞑想」をはじめました。ええ、多くの人がそのことを馬鹿にしていることを知っています。ですが、瞑想は体調を60%の状態から90%以上にするのにとても役立ちました。理由のない不安とやらは私の脳にレバーがあるようで、最初の感染はそのレバーを「ノーマル」から「幻覚状態にして常に不安を引き起こす」に切り替えてしまうのです。レバーを切り替えるために、瞑想であったりアシュワガンダのような「リラックス」サプリメントの組み合わせを利用する必要がありました。いかにして瞑想が脳を文字通り「再配線」してくれるのか、ぜひ調べてみてください!
私は自律神経系を制御する脳や脳幹の領域に、なんらかの神経損傷があったのだと強く信じています。重度の自律神経機能障害を抱えているのは間違いない状態でしたし、直接的(例としては胃痛を引き起こすような消化器系に関する自律神経機能の欠陥)にせよ間接的(例としては免疫システムを介するようなもの)にせよ影響し、私の症状の大部分のものをしめているように思われたからです。自律神経系が免疫システムをある程度コントロールしているのだとすれば、身体に出ている症状は免疫応答が過剰に継続しているというシグナルだったのではないでしょうか。適切な栄養やリラクゼーションを通じてこの自律神経の損傷を癒すことが、救いの恵みであったのだと真剣に信じています。そして、自律神経の損傷を癒すことは、すべてを「正常」な状態に戻すための、つまり交感神経による「戦うか逃げるか反応」から副交感神経による「休息と忍耐(rest and digest)」に切り替えることであったのではないでしょうか。
私は、「日々笑うこと」についての研究を読んで、大笑いをする事は脳を「戦うか逃げるか反応」状態から切り替えて、副交感神経系を活発化させ、よりよい睡眠をとることを助けるという事を知りました。だから、毎昼食後、思わず笑ってしまうような面白い映像を検索していました。私はそれを自分の美しい母親の名前にならって、「笑顔のシンディプロトコル」と呼んでいます。当時の私の彼氏(今は夫(良い意味で)になりました!)もまた、陽気な人だったので、この「笑顔のシンディプロトコル」の手助けをしてくれました。
とにかく、これらすべてのことをしながら時間が経つにつれて、ゆっくりと良くなっていきました。
私の症状はひとつずつ治まっていき、症状について考える時間もどんどん少なくなっていきました。
慢性疲労症候群とウイルスの後遺症についての「永遠」と続く恐ろしい物語のすべてから、私は抜け出したのです。
だから何でも聞いてください!
できる限りの力で、私はあなたたちを助けたいのです。
パンデミックが始まり、感染者たちの症状がかつての私の症状と同じであることに気づきました(信じられないことに長期コロナ後遺症は私の症状と本当に本当に同じだったのです)。
だからこそです。あなたたちを助けるために、私はできる限りのことをしたいのです。
追記(午後4時30分)
少し休憩を取ります!
このコミュニティは本当に特別で、タイムスリップして「あなたが経験していることを理解してくれる人が、こんなにもいるんだよ。見て見て」と言うために、過去の自分に見せてあげたいぐらいです。
追記2
追記3
私は一週間ずっとここにいます!
続けてください!
追記4
数か月が経ちましたが、この記事が役に立つことを心から願っています。
ただ、メンタルヘルスについてのことだけちょっと追記させてください(警告:自殺についての話になります)。
この最悪な状態のストレスによって、自らの命を断ってしまう長期コロナ後遺症者についての話があります。とても心が痛いです。
希死念慮がある場合は、誰かに相談してください。あなたには誰かがいます。友人がいます、愛する人もいます、私のような見知らぬ人に対して手を伸ばすことさえできるのです。
私は、長期コロナ後遺症者のための医師たちの研究が遅れを取っていることを知っています(訳注:日本は海外と比べても桁違いに研究費が少ないです)。
そして何人かの友人はあなたがかつての自分を失ったことについての悲しみを理解してくれないかもしれません。
ですが、このコミュニティはあなたが経験していることを理解してくれますし、私も理解しています。私たちはあなたを愛し、あなたのことを気にかけています。
Hi r/covidlonghaulers! I’m the one who suffered a suspected case of MERS Coronavirus in 2017, dealt with long-hauler like symptoms and recovered 100%! AMA!
https://www.re〇〇it.com/r/covidlonghaulers/comments/loe10t/hi_rcovidlonghaulers_im_the_one_who_suffered_a/
https://ja.wikipedia.org/wiki/reddit
戦うか逃げるか反応(Wikipedia)
https://www.komei.or.jp/komeinews/p208406/
「〇〇」のところは「it」を置換してください。
増田はいまだに「red〇〇t」がNGワードになってる・・・? ブクマでは直っていたような・・・。
俺も母親からの性虐待サバイバーだけどさ、そして性虐待受けた理由も割と似ている。増田よりはいろいろとずっとましだったとは思う。
男性の性被害への認識は干支一回り、二回り分くらい女性に遅れてついてくるってイメージかな。
かつては女児の性虐待もそんなことを真面目そうな親や兄弟がするわけがないと、存在しないこと扱いだったらしい。
フロイトはその壁に阻まれて、カウンセリングした女性に性被害があると気づき、そういう論文を書いたが世間からは無視されたという話があったはず。
まあ、そもそも昔は虐待自体が親による「しつけ」や家庭内の問題とみられていて、認知すらされていなかったんだけど。
福祉行政についての統計でも、児相が対応した相談件数は平成2年で1000件くらい、今は10万弱くらいとこの35年弱で100倍違う。
性虐待の認知数も同じように増えていき、今は存在する虐待だと認識されていると思う。
いまだに男性用のシェルターはないし、男性用の相談ダイヤルも大抵明記されていないので、増田の言う通り女性に対してずっと遅れているとは思う。
まあ、増田もさ、たまに書いてくれたら俺も読むよ。
昔の話。
もう20年以上前の話。まだ、いじめの問題が社会問題ではなく、学校内で解決しないといけない課題、みたいな扱いだった時代の話。
当時は、中学校(場合によっては高校も)どこのクラスにも1人や2人、リーダー的存在っていたのよ。学級委員とか生徒会とかとは別に、運動部のエースとか、まあ、これは僕らの世代と地域だからかもしれないけど、ヤンキーのトップからも一目置かれてるみたいなやつで、そいつが提案したものは、割とクラスの中でも無条件で通ってしまうみたいな人物。チープな言い方をすれば学年やクラスのカリスマみたいなやつ。今はそういうやつ、いるのかなあ。
スクールカーストの頂点というと、実はちょっと違っていて、カーストは無くて、そいつとほか数人が中心人物みたいな感じで。
ちなみに言えば、家が金持ちとかなわけでもない。
で、うちの学校にももちろんそういうやつがいました。文化祭のテーマとかも、なぜか実行委員長がそいつらに個別に「これでどうだろ?」とかお伺い立てるみたいなやつで。
そいつ(以下、カリスマ)は、まあ、友達も多くて、面白いやつなんだけど、ちょっと調子にのりすぎるきらいがあったんだよね。それがめちゃくちゃ悪い方向に出たって話。
ある時、文化祭の準備がありました。文化祭で、カリスマのクラスは演劇をすることになっていました。オリジナル脚本の劇で、クラスの秀才がシナリオを書いていました。で、カリスマが主演兼演出みたいな感じ。
その劇のわき役をやる男子(以下、Aくん)がいました。かれは普段は目立たないタイプで、クラスの中でもおとなしく、部活も入っておらず、成績は中の中、運動神経もまあ普通、みたいなタイプでした。
実は彼にはめちゃくちゃに芝居の才能があった。脇役でセリフの数も少ないんだけど、ものすごく的確な芝居をした。本番の後、大人が口をそろえて「Aくん、すごく上手いね、劇団とか入ってないのかしら」と言っちゃうくらい。
しかし、運悪く、彼が立った舞台はクラス演劇。まあ、仕方ない話だが、カリスマも含めて演技は良く言えばナチュラル、悪く言えば棒読みみたいな大根役者たちだったんですね。つまり、Aくんの演技はめちゃくちゃ浮いた。それこそ、一人だけ劇場の床が5メートルくらい上なんじゃないかってくらいに浮いた。
その結果、どうなったかといえば、彼の演技は「こっけいでくさい演技」みたいな評価になっちゃったんですね。カリスマもAくんの演技を鼻で笑う。それだけならよかったのだけど、カリスマは彼の演技をさらに誇張して、モノマネみたいにしはじめたんですね。演技のけいこの場じゃなくて、普通の授業の休み時間とかに、取り巻きの友人たちといっしょに。そして、取り巻きの友人はゲラゲラ笑うわけです。
Aくんは笑われてるのに気づきつつ、多少困惑もしつつ、まあ、勝手に言ってろ、俺は俺の芝居をするんだくらいに思ってたみたいです(って、本人に聞いてるわけではないので、本当のところはわからないのですが)
カリスマの取り巻きが、徐々にダイレクトにAくんをいじりだしたんですよね。
それは、文化祭が終わった後、さらに顕著になりました。なんせ、文化祭が終わったら、Aくんの華々しい演技はもう終わりで、彼はもう地味で目立たない中学生なのですから。
カリスマはもう、彼の演技の真似なんかしていません。だって、文化祭は終わったのですから。でも、取り巻きはAくんをいじり続ける。
べつに演技なんか関係なく、かれの一挙手一投足をいじる。だって、前にカリスマはいじってたんですから、AはいじってもOKなお墨付きがあるんですから。取り巻きにとって。
それが徐々に波及するとどうなるかというと、文化祭が終わって数か月もすると、彼はすっかり、いじって良いキャラになっちゃったんですね。本人の意思とは全く関係なしに。
そして、彼に施されるいたずらの数々。取り巻き(すでにそのころには、取り巻きだけではなくなってましたが)たちは、彼のリアクションが見たいわけです。
いたずらが続いて、2,3か月、Aくんは学校に来なくなりました。まあ、端的に言えば、いじめが原因の不登校です。
ところが、学校がいじめがあったかを把握するアンケートをやってみたら、誰も彼がいじめられていたなんて認識してないわけです。
いたずらしていた取り巻き「Aくんとは仲良く遊んでいた。あいつは面白いやつだった。」
カリスマ「なんで、彼が不登校になったのか全く分からない。あいつは文化祭を経て、一目置かれるようになって友達(とりまきのこと)もできたみたいだし。」
それ以外の生徒「なんか、Aくん、文化祭が終わったら、何人かと遊ぶようになったみたいで、笑ってるところをみるようになったし、なんで学校に来なくなったかわからない」
学校も困ってしまい、結局、親御さんには「いじめらしい、いじめがみつからなかった。本人が気にしすぎてそうなったのかもしれない」なんて無神経な返し方をしてしまうわけです。
結局、学校も信頼できなくなったAくんの家は、市の教育委員会と相談をして、新学年で転校させてもらうことにしました。
カリスマや取り巻きやそのほかの生徒たちは「あいつ、なんで学校に来なくなって、新学年で転校しちゃったんだろ」と首をひねるのでした。
こういう、関係性の勾配が結果として、いじめにつながる話、当時はいたるところにあったのですよ。
被害者の子は、マスコミの情報レベルだとここでいうカリスマみたいなタイプの子だったんだろうなと思います。彼がもし、一時期、加害者をからかったことがあったなら、それは加害者の彼にとって一つのターニングポイントになっちゃったんじゃないかなと思うのです。現状、情報がほとんどないので、この辺りは推測でしかなく、もしかしたら、加害者は単なる逆恨みかもしれず、もしかしたら本当に被害者は加害者を陰で大人の見えないところでいじめていたのかもしれませんが。
そして、僕はこの件にどうしても福岡IT講師殺害事件と同じ構図を思わずにはいられないのです。犯人(有名な仮称はここでは使いません)にとって、Hagex氏はここでいうカリスマであり、我々は取り巻きだったのではないかなと。事件の後「Hagex氏が彼を取り上げる前にすでに問題は大きくなっていた」という論調をいくつも見たのですが、犯人はあの記事が表に出たとき、「日向にさらされた」と思ったのではないでしょうか。そして、犯人をあの仮称で読んでいた我々(ブクマカたち)は、彼からHagexの取り巻きみたいにみられたんじゃないかと。
つまり、僕らは加害者の彼を単純に同情することも非難することもできない立場なんじゃないかと思うのです。それは、福岡の犯人に対しても。
なぜ自民は支持されるのか、立憲その他野党は支持されないのか、が選挙以来ずっと議論されている。
露出度だ、後援会だ、年季だ、経済だ、色々言われているが、結局「国民が現状に大きな不満を持っていないから」と言うのが最大の理由だろう。
立憲ですらだいたい議席数は二割。他の健闘したという国民やら維新やらだって、前回比では大幅増だけど、議席数や支持率は一割程度でしかないし、今回みたいなペースで支持が増えるなんて誰も思ってないはずだ。
世間の人たちは、とりあえず今のまんまでいいのさ。
そりゃあ多少の不満とか、癒着しやがってという怒りとか、将来の不満とかはあるけど、それらはそんなに激しくない。
問題や困りごとはあるけど、昨日や今日と同じ明日が続くならそれでいいし、問題解決の為に大胆な変化を加えてほしくはないって考えてる。
でも左派は、「現状に不満や怒りを持っている人の声を結集して世の中を変えよう」という運動をやっている。
構造改革だの、違う道だの、世直しだの……それって、今は魅力的には響かない。
非支持者への説得方法も、「あなたたちは自覚がないだろうけどこんなにひどいことされてるんですよ、あなたは不幸なんですよ、気づきましょう!」という論調だ。
ほどほど楽しく生きてる人間が、お前は不幸だ、お前は楽しめてないと気づけ、なんて言われても大抵はうんざりするだけだよ。
でも、これまで左派になった人たちは、誰かからのそういう説得が響いて「そうか、私は不幸だったんだ、許せん!」と強い怒りに目覚めた人たちばかりなので、他の人たちについても、怒りを煽って不幸を自覚させれば説得できると思い込んでいる。
現状に強く不満を持っている人、ひどく困窮してる人にとってはすげー傷つく話になっちゃうけど、個人ではなく大衆の話をするとこうなるのはまあ仕方ない。傷ついた心は身近な個人にケアしてもらってくれ。
同棲婚だの夫婦別姓だのも、「どっちでもいいけど、やりたい人がいるってんならできるようになっていいんじゃない」という消極的賛成が多数派だろうけど、「でもその為に政権交代やら改革やらのデカい変化が必要ならやんなくてもいいや」って感じ。
経済も、右肩下がりだけどまあまだ食っていけてるし、どんな立場もそれっぽい理屈は唱えてるし、だいたい経済なんて世界のトレンドに左右される運ゲーみたいなもの。
ちょっぴりだけ政治に興味ある人が一番「このままじゃやばいよなあ」を感じてるものといえば少子化だろうけど、誰が舵取りをしようが、今の個人の人権尊重トレンドを保ったまま少子化解消と両立するのは無理そうってのは明らかなので諦めてる。
そういうわけだから、野党やその支持者が全然世の中と噛み合わない感を解消したいなら、「世の中問題だらけだからビシッと変えよう」という感覚を捨てたらいいと思う。
とりあえず現状は良い世の中だととらえ直して、若干のメンテナンスを加えるって考え方&態度じゃないと、世間の感覚との乖離は縮まらないんじゃないか。
まあ、十年二十年先のことを考えるならそれだとヤバいかもしれないから、現代の世間感覚という短期的なフィールドは諦めるのも手だと思う。
でもその場合も、「多数派の現状への不満は小さいけど、あえて多数派と違う道を行く」という自覚と覚悟は持った方がいいだろう。
経営者なりたての新参者だけど、とても興味ある話題だったので書いてみる。
うちは今年創業の、まだ出来たてほやほやの会社。業種はWeb関係。
スタッフは6名、20代~30代前半がメインで、ITツールを使いこなすスキルもある。
コロナ禍真っ最中の創業当初、リモートワークをフル活用して新しい働き方を目指すぞ!と意気込んでいた。
スタッフ全員にMacbook proを配布し、ヘッドセットも用意し、オフィス内にはGoogleMeet専用のiPadを設置して、
いつでも気軽にオフィス内スタッフともコミュニケーションしやすいようにした。
リモートワーク中はMeet接続推奨だけど、必須では無く、カメラやマイクも必要に応じてONにするルール。
クラウドサービスも駆使した。Googleカレンダーで予定を共有し、Trelloで細かいタスクの進捗をリアルタイム可視化した。
普段のやり取りはSlackでスピーディに行い、業務データは全てDropboxとGoogleDriveで完全共有。申請等もほぼペーパーレス。
しかし色々試行錯誤する中で不都合が多いことに気づき、今では事情がある場合を除いて、オフィス勤めとしている。
よく言われることだけど、やはりこれが最も課題だった。私の力不足と言われればそれまでなんだけど、管理職ってほんと難しい。
スタッフ一人ひとり、能力も性格も、欠点も得意分野も、好き嫌いも全員違う。たった6人のスタッフに気持ちよく動いてもらうだけで、毎日必死だ。
そう、管理職って、スタッフに気持ちよく動いてもらう場作りが仕事なんだと思っている。
そのためには、スタッフ一人ひとりをしっかり観察して特徴を把握し、活躍しやすい場を提供することが大切なんだと。
例えばあるスタッフは技術的にベテランなのだけど、仕事に過剰なくらい真面目に細やかに向き合ってくれる。
一方で、放っておくと細かい部分で悩みすぎて手が止まってしまうことも多い。
であれば、ちょっとでも悩んでいるようならすぐに声をかけて、私がスピーディに判断を行っていけば、さらにパフォーマンスを上げられると考えた。
一方で新卒で入社したスタッフもいる。社会人成り立てで、当然ビジネス上のルールなどをまだ理解できていないので、つきっきりで教える必要があった。
遠方から引っ越してきたために友達もおらず、唯一人とコミュニケーションが取れる機会が、うちの職場だった。
ちなみにうちの会社はいわゆる「コワーキングスペース」に入居しており、他社や学生など色々な人が出入りする。
この地で心地いい人間関係を作ってもらい楽しく生活してもらうためにも、リモートだけでは難しかった。
このようにスタッフによって全く異なる条件を踏まえて、彼ら彼女らがもっとも活躍できる環境を「早急に」組み立てていくには、リモートワークはハードルが高かった。
もちろん潤沢な時間があれば、スローペースでも問題ないだろう。
けど、創業したてで事業が安定していない中、最短で利益を上げられるようにならなければ会社の未来は無いと判断した。
あるスタッフは、大都市の大手企業のもとでバリバリ経験を積んできた方だった。
その会社では、大手広告代理店直下の過酷な環境の中で利益を上げることを最重要視したビジネスを行っていたと聞いている。
しかし、ウチは少し「ソーシャルビジネスの要素」が入ったビジネスモデルを志向している。
そのためクライアントにもそういう団体等が多く、うちも利益「だけ」を目指す仕事の受け方をしていない。
全く利益にならなくても、社会益があると判断したら受ける案件もある。
そのためには、うちの会社がどこを目指して歩んでいくのか、という「ビジョン・ミッション・バリュー」の共有がとても重要だった。
ベクトルを合わせて目標に向かって進んでいくのは、立ち上げたばかりの会社にとっては死活問題だ。
しかし、いくら標語を掲げても、全体MTGで話をしても、そういうものってなかなか伝わらない。
日々の雑談のはしばしや、経営者の働き方や姿勢をフルタイムで見せていって、やっと伝わるものだと思う。
目指したい価値をチームで生み出すためには、単に決まった時間に仕事をスタートさせて、
数字で表現できる成果を上げて、定時まで働けばOK、というわけには行かなかった。
人間関係って、相手のことを理解するまで不安にさいなまれることが多いと思う。
この人は本当は何を考えているんだろう、裏切ったりするんじゃないか、とか。
スタッフ側もそうだと思う。
この会社は本当に信頼して自分の人生の一部を預けることができるのだろうか、と。
そういう不安を払拭するには、沢山コミュニケーションをとって、さらには態度で示していくしか無いと思っている。
私は、あなたを信頼している、だからあなたも信頼してほしい。そのために、こんなに色々あなたのためを思って考えている。そういう態度。
そういう安心感があると無いとでは、仕事へのモチベーションも変わると思うし、
もし会社がピンチな状態になったとしても信頼があれば力を合わせて乗り切れると思う。
ちなみにうちではスタッフごとにノルマのようなものは設けておらず、「みんなで協力し合って案件を達成する」ことに重きを置いている。
新卒の子でも得意分野ではベテランスタッフを助けることもあるし、もちろんその逆もしかりだ。
そういうしっかりした人間関係に基づいた信頼感、安心感の醸成には、やはりリモートワークオンリーは厳しいと感じた。
他にも細かい理由は沢山あるけど、そういうわけでうちはリモートワークを非推奨にしている。
ざっくりまとめると、「ビジネスとは言え、ビジネスライクなだけでは組織は成り立たない」ということだった。
例えば、体調が優れないとき(本当に調子悪いときはもちろん休暇を取らせる)、子供が調子悪い時、
重要な荷物が届くなど自宅にいる必要があるとき、年末年始の混雑を避けて帰省したいとき、など。
そのくらいの柔軟性があったほうが、社長自身にとっても都合がいい。
ちなみにスタッフの感想によると、オフィス環境も居心地が良いように気を配っているためか、積極的にオフィスに来たいと思ってくれているようだ。
集中できるし、スタッフ間で相談もしやすいし、おやつ食べ放題だし、地方なので満員電車に揺られることも無いし。
定型業務が多く数字で成果を出しやすい業態、ベテラン揃いでスタッフが自立して動ける環境、出勤するだけで満員電車等でエネルギーを消費する環境、など。
それであれば、諸々考慮してもリモートワークのほうが成果が出るかもしれない。
逆に言えば、どんなに働き手にとって都合が良かったとしても、事業として成果を出せなかったらリモートワークは選択できないとも思う。
なるべく柔軟にいくつもの選択肢を用意して、結果としてスタッフが成果を出しやすい働きやすい環境を作るのが重要なんだと思っている。
異論反論、質問、歓迎です。色々な人の意見、聞いてみたいです。
そうですね、権限移譲はとても大きいと思うけど、強いチームを作るには後者の3点が欠かせないが故にリモートワークオンリーは難しいと思っている。
意思統一については、本文には書かなかったけど、引っ越しを期に完全リモートで遠隔地にいるスタッフがひとりいて、
その子とは1年以上毎日膝を突き合わせて議論を重ねていたので、例外的に成り立っていると思っている。
音声チャットは考えていなかった!ちょっとやってみるよ。電話にせよLINE通話せよ、もちろんZOOMも、それなりにハードルあるんだよね。
へええ、こんな考え方あるんだ。勉強することたくさんあるなぁ。組織が一丸となって目標達成させるためのもので、ちょっと高めに設定するのね。
ガチガチに目標設定して、結果マイナス評価になりがちなものより、ポジティブに機能しそうな気がする。
ちなみに今でもざっくりとしたチーム全体の目標売上とかはちょっと大きめに共有している。もうちょっと深堀りしても面白そう。
確かにそれが理想。いずれそういうふうにシフトしていきたい。今は創業初期でメンバー少ないゆえの一枚岩戦略なんだなーと改めて自己認識した。
組織が大きくなったらそうもいかなくなるし、逆に多様な考え方の中から価値あるものが生まれてくると思う。
経営者に発信力があって(多分魅力的なビジョンやフィロソフィーが明確にあって)、増田さんもそれにしっかり向き合っているのだろうな。
そういう事柄の重要性を相互に理解しあっているというか。リモートでも強い組織を作っていけそうな環境ですね。
ほんまか!ありがとう~嬉しい
すまんな・・・。ちなみに以前会社勤め(銀行系SI)していたとき、多分私も増田さんと近い感覚やった。
やりがい搾取、サービス残業、業務外の付き合いとか、無くなればいいって。
雇用契約で9~18時働くことになっているんだから、それで十分だろうって。
(今も大体そう思ってるけど)
経営する立場になって気づいたんだけど、信頼できる関係性内での多少の融通は、人生を変えるほどの大きな変化を生むってことに気づいた。
おれ30歳過ぎてから一度うつ病を患ってて、数ヶ月寝たきりで、それまで勤めてた会社も辞めて信頼できる仲間も友達もだれもいなくなって、
けど、たまたまPCやウェブに詳しかったから、知り合いの知り合いとか、頼ってくれる人が周りにいたんだよね。
少しばかり無理して頑張って要望のちょっと先を目指してみたら、クライアントがめちゃめちゃ喜んでくれて、びっくりするほど感謝されて、差し入れまでもらえて。
そこから地域での居場所や信頼関係が強固になって、困ったことがあったら助けてくれるような関係性が生まれたり。
それが、会社、スタッフ、クライアント、その他ステークホルダーを超えて、広がっていった。
そうこうしているうちに、うつ病は完治してしまった(何年もかかったけど)。
そして会社を作ったわけだけど、個人事業主時代から一度も宣伝広告を打ったことがない。
口コミとリピートオーダーだけで法人化してスタッフ6名まで成長できた。(まだまだ極小零細)
会社勤めしていた10年間、会社に言われた通りに仕事をしていたけど、自分自身が価値を生み出すべきだ、なんて考えたこともなかった。
みんな惰性で働いているか、上司のパワハラやクライアントのクレームが怖いから、仕方なくがんばってた。
そこで理解したのは、どんなに時間通りに真面目に働いても、価値を生み出さなければ意味が無いし、そうなったら会社組織は存続できないってこと。
けど、経営者と被雇用者はもちろん立場が違うから、スタッフをおれと同じようにさせるわけにはいかない。
なるべく自由で居心地のいい環境でパフォーマンスを出してもらうことを毎日考えている。
顧客に対してぼったくることもしない。取引先を無理に叩いて値下げさせるようなこともしない。
そんな中で考えたのが、ビジョン・ミッションを明確にし、チームが一丸となれる体制づくり。
限られた労働時間の中で成果を生み出すためには、色々な物事を価値を生み出すために最適化・効率化しないといけない。
(リモートワークチャレンジもその一環だった。うまく行かなかったけど)
ビジョン・ミッションはスタッフも含めてみんなが幸せになれるような理想を描く。と言っても全く手が届かないようなものではなく、
頑張れば少しづつ実現できそうなもの。そのために、みんなで頑張ろう!それも、楽しくやっていこう!って。
ドライに仕事をして責任を全うし報酬を得ることだって十分立派だと思ってる。
けど、それだけでは生み出せない価値を、うちのチームでは生み出したいといつも願っているし、それがスタッフやクライアントや地域の利益につながると信じている。
それでタイトルみたいな疑問を思ったわけですよ。
大抵のメディアミックス作品って核となる作品があるものだと思うんです。
らき☆すたやガルパンはアニメ、艦これやウマ娘はゲームみたいに。
まぁ「らき☆すたは原作が」とか「ウマ娘は先にアニメが」とかそういう異論反論はあると思うんですが、
「中心になる大きなコンテンツがあってそこからノベライズやアニメ、ゲーム化みたいな派生作品やキャラソン、ラジオCD、ライブみたいなおまけコンテンツがある」
みたいな構図になると思うんです。
で今回話題になった温泉むすめにも核になる作品があるだろうと思って調べたんですが、これがわからない。
Twitterなんかでも「今回の炎上で初めて知った」「まだあったの?」「dポイントもらった思い出がある」みたいなコメントが割とありました。
でまぁ、じゃぁ温泉むすめって今何やってるんだろうと思って調べてみると、現地で声優呼んでトークイベントとか、声優がライブとか、Twitterで漫画あげたり、声優ラジオやったり、あと公式サイトで小説アップロードしてるそうです
「いやそれ声優呼べばよくない?温泉むすめいる?ほんとに集客能力あるの?」
でしたが、よく考えてみるとこういう声優頼みみたいなやり方って自治体や温泉街側にしたら
まず事前に全国各地の温泉街の名前を付けたキャラを量産しておいて町おこしに使えますよアピールをする。
そして
「町おこしで若者誘致したい。それにはやっぱ昨今流行の萌えだ。でもどうしたら」
予算がない(もしくはやる気がない)地域については立て看板に缶バッジ、あとお土産や既存のサービスにもらった萌え絵貼り付けるだけのお手軽コラボをやる。
それで客がどれだけ増えるのかはよくわかりませんが、予算はかかりませんし女の子の絵が貼り付けてあれば喜んで買ってく大きな子供たちがいるから黒字になるし、売れなくてもそもそも経費かけてないから大赤字にはならない、
予算がある(もしくはやる気がある)地域は声優呼んでイベントでもしたら声優のファンが来るわけでまぁ大抵黒字になる。
温泉むすめで町が救われたとか、温泉街の観光客倍増みたいなことは起きないでしょうが、声優人気で客は来るんだから大赤字になるほど大失敗ってこともない。
よくも悪くもまぁまぁな黒字は確実に狙える手堅いコンテンツなわけです。
そう考えるとメインコンテンツ不在って強みなんですね。
(今回の炎上で批判された設定が即変更されてましたが、あれにしても下手にメインコンテンツで深堀とかしてないからできるわけで)
そんな感じで「予算とやる気に合わせてお手がるな萌え町おこしを温泉街や自治体に提供するショッピングカタログ」として温泉むすめはかなり有能なんじゃないかという気づきをタイトルの疑問から得たって話です。
これはフィクションです。
相互フォロワーに一つ年下の、文字書き創作者の天才(以下創作者)がいました。大元は某有名ゲームに影響を受けてはいましたが彼女の一次創作は非常に面白く、私は創作者のファンでした。私自身絵も文字も書くタイプのオタクだったので、創作者のキャラの絵を描き、キャラの二次創作小説を書き、創作者にずっとファンだと伝え、自分の一次創作と同じくらい創作者の一次創作を愛していました。今でも、創作者自身より私は彼女の創作を愛している自負がありますし、今だって彼女がしなくなってしまった創作をずっとし続けています。公式は私自身が無くしてしまいましたが……。
その当時の身内に、世間のテンプレートのような二次創作腐女子(以下腐子)が参入しました。私は、腐子が苦手でした。苦手な人類でした。R18話題の連発、二次創作こそ全てだと言わんばかりの傲慢な態度、所謂声デカタイプのオタク所作。私自身二次創作でカップリング物を読んだり書いたりすることもありましたが、基本はプラトニックなものばかり。カップリングも大多数がNL物、それも公式で付き合った、結婚した実績がある、公式が好きだと明言している、ほぼ確実な匂わせがある(周囲からネタノリではなく持て囃されている、周囲に早く付き合えと言われている、告白シーンは切り取られているが「××さん、私──」等告白に繋がっているのだろうと想起されるシーンが入っている、そもそも恋愛もの)等のものばかりで、とても少ないものでした。一切BLを読まないわけではありませんが。
しかし腐子が苦手だからと言って私の好きな人達が腐子を嫌ってくれる訳ではありません。それどころか身内は皆、彼女に好印象を抱いているようでした。……共感は出来ませんでしたが、皆に好かれるのはまるで私と正反対のこういう人間なのだろうと理解は出来ました。
そのうち、創作者は一等腐子と親交を深めるようになっていました。創作者は腐子を慕い、腐子も年下の創作者が可愛かったようで、仲良くしている姿がよく目に入りました。私が彼女の言動に違和感を覚えるようになったのもこの頃からだったと思います。
いえ、私が見抜けていなかっただけで前兆はあったのかも知れません。イキリとまとめてしまえば簡単ですが、もう少し言えば、腐女子のノリ、害悪な声優厨のノリ、互助会村長のようなノリ……とにかくネットでよくいる女オタク(偏見)をごちゃ混ぜにして割ってしまおう!という感じのツイートをよくしていました記憶があります。その頃彼女の信奉するコンテンツも堕落の前兆を見せ始めていたので、こちらも影響していたのかもしれません。その頃、私はそのソシャゲを身内の中でいち早く辞めていました。数ヶ月後、私の同い年で特に仲の良いの身内が腐子と内々で仲違いし縁を切ったのと同時に、私も腐子と縁を切りました。創作者は我々が腐子と縁を切ったのにも気づいていない様子で、変わらず腐子と仲良くしていました。鈍感だな、と思ったのを覚えています。
時間は飛んで、季節が一巡りした頃です。その頃、創作者は一次創作の話を殆どしなくなっていました……と言えば語弊があります。正確には「私の好きな」一次創作の話を、殆どしなくなっていました。彼女の新たな擬似一次のような二次創作に馴染めなかった私が悪いのかもしれません。でも、歴史モノ、前述ゲームの世界観のみを前提とした二次創作、完全BLクソデカ感情前提、(鍵垢でとはいえ)あけっぴろげセンシティブ……。私には受け入れられないものでした。あとそのBLの片方が好きな人間だったのでキツかったです。TLに流れる地獄のような創作。すり減る心。また私の好きな、あの面白い一次創作の話をしてくれるかもしれない希望。私はやはり大好きなキャラを描くため机に向かうことしか出来ませんでした。
きっかけは、私の書いた一次創作の小説が爆死したことです。私が彼女のキャラ単体絵小説を書いた時、彼女はいつもRtといいねをして「○○さんめちゃくちゃ絵上手くなったね」「これのどこどこすごい良い!」「○○さんの××めちゃくちゃ好き」……そう言ってくれていました、思い返せば、それで自惚れる私も私でした。
辛くて悔しくて、r18や愚痴、醜いものを吐き散らす鍵垢に逃げ込みました。彼女はその垢もフォローしてくれていましたし、表向きは大作が爆死して悲しい、で逃げたことにしていました。でも実際は違います。
そう自覚してしまった、辛かった。匿名掲示板に書き込んだりしてみたりもしました。創作者が元最高の創作者じゃなきゃ縁を切れたのに。そんなことを何度も考えました。私はその鍵アカウントにしか顔を出さなくなりました。縁を切る前、1度だけ彼女ともくりをしましたが、彼女が私の苦手な思想を喋る中、私がそれに相槌を打つ。お互いに地獄のような時間だったでしょう、そうそうに切り上げたのを覚えています。
縁を切ったのは、本当に些細なことでした。他のゲームで、私と創作者の推しは同じでした。その推しのPUがやってきた時、彼女が「俺の(某声優)がやってきた!」と言いました。
本当に些細なことです。
それが、私には許せなかった。
具体的な話をすれば、先程の歴史BL二次創作のメインキャラ、かつ彼女が最も愛していたキャラクターのイマジナリー声優がその某声優だったのです。また、私自身推しを好きになったきっかけがストーリーで出てきた姿やコーデ、彼の語る内容が好きだったのもあったと思います。声優とか、正直どうでもいい。それが本音でした。結構近場の頃に推しの声やってるカスが不倫したり推しの声やってるクズが二股したりしていたのもありました、そも声優自体に好印象を抱けてはいませんでした。
私はただ声優ばかりを取り沙汰されるのが気に食わなかったのでしょうか。それとも私は、心の内で彼女から離れる口実を探していたのでしょうか。自分でも分からないままです。
私はその日に彼女をブロ解しました。勇気が足りなくて、メインで存在していた鍵垢だけ、ブロ解しました。でも彼女がすぐ気づいてくれたなら……まだ戻れたかもしれません。でも彼女が私の鍵垢にフォロリクを送ってきたのは、それから4日後でした。それも、彼女のキャラクター単体を描いた時でした。RTといいねをして、彼女が褒めて、それに私からの反応が無く違和感を覚えたのでしょう。……呆れました。そして気づきました。私だって彼女のことが大切ではなかったことに。
それに気づいて、私は元々稼働していた……今は倉庫になってしまった垢以外の全てのアカウントで彼女をブロ解しました。後悔は、ありませんでした。
今も時々、版権や自らの一次創作をしながら、彼女の一次創作を描くことがあります。絵を上げ続けているアカウントでも、もう彼女からのRTもいいねも無くなりました。私はフォローを解除して、何故彼女がフォローを解除していないのか分かりませんが……態々こちらからブロ解する義務はないと考えました。
世間的に見れば私は意地悪なんでしょう。他人の一次創作を乗っ取って、我がもののように描き続けている。でも、先にそのキャラクターを愛さなくなったのはどちらでしょうか?そのキャラクターを一番愛しているのはどちらでしょうか?キャラクターの名前や設定すら忘れているくせに、本当にキャラクターを愛しているとほざけるのでしょうか。
私は悪者です、所詮二次創作、著作権法違反がどこまで効くかは分かりませんが、訴えられれば否応なしに負けます。それでも、誰がどう見ても悪者でも、私はキャラ達を愛しています。金を払って正式に彼ら彼女らをうちの子にできるのならば、ええ。払いましょう。札束で思う存分、頬をぺちぺちしてやる。そう思いつつ、私は今日も、創作者のキャラクターを書き続けています。
私はこれからも創作者のキャラクター達と生きていくでしょうが、もう二度と、彼ら彼女らを描く時に彼女のことを思い出さない。その決心のチラ裏書き散らしとして、この文章を〆とします。