はてなキーワード: 既得権とは
「女性の社会進出を妨げているのは、男社会の既得権を初めから持っている男たちだ」、とよく批判される。しかしよく考えてみると、男たちの中でも意見が真っ二つになっているんだよね。よく女性たちのキャリア志向か、そうでないかの論争を見かけるけど、それはあまり重要ではない気がする。女性の社会進出が進むかどうかの可否は、社会の半分を占めている男たちの選択にかかっているからだ。大きく分けてみると、
1.女性の社会進出に真っ向から反対する男。主に、男社会の恩恵を受けてきた古い世代
2.女性の社会進出に反対していない、むしろ積極的に後押ししたいと考えている男。バブル以降の若い世代が多いかも。
この二つについては、個人の主義主張、思想信条の問題だから、どちらが正しくてどちらが間違っているとは言えないんだけど。ある意味、女性そっちのけで男たちがこの政治的話題について真っ二つに分断して、永遠に終わらない議論を30年以上続けている状態だ。1の反対派の人たちの気持ちもわからなくはない。日本を発展させたのは、男社会の仕組みの上で全員が努力してきたからだ、という意見。そして、それへの反論も想定できる。
女の人たちには、男を全部一緒くたに批判するのではなく、男同士の間を分断させることもやり方の一つだとアドバイスさせてもらう。
※ちなみに私は2の積極的推進派。理由については、ここで書いてしまうと「お前は女社会の恩恵を受けられる男だから、賛成できるんだ。強者の論理だ」と批判されると思うので、書かないよ。
つまるところ、数を絞ったほうが、既得権も守れるという意図は誰でもわかる。
既得権はとにかくとして、競争原理にさらされれば質が上がるという政府の理屈は無理筋で、獣医師会の言い分はもっとなところがある。
ここで獣医師会が主張を突き通せないのは、これまで、
と強く主張しすぎたことだ。
公衆衛生分野、これが微妙で、狂犬病予防員として保健所が獣医師を抱える必要性がどれだけあるのか、鳥インフルエンザの水際防疫が獣医じゃないと無理なのか、と思うところはあった。
もちろん、獣医師会がそれを他資格者に開放するはずはないのだが、
「俺たちのシマだ!人が足りない!」
とこれまでこんだけ言い続けていたのに、新設すると言い出した途端に、
「いや、新設しても増えない!数の問題じゃない!」
というのはさすがに苦しい。
公務員獣医師の待遇改善をしたら、当然獣医師が公務員を目指すはずなんだが、そもそも、獣医じゃないと出来ない公務員の仕事というと
もちろん、公務員就職した場合、その他の雑務一般に追われるわけで、時にはフォークリフトを操り、時には糞尿にまみれ、様々な仕事をするわけだが、
本当に法律の上でも獣医師かできない業務となると、狂犬病予防員と食肉検査くらいに限定される。
それ以外の業務は、トレーニングさえすれば、牛の採血だろうと、食中毒菌の分離でも、免許は不要だ。
いっそ、公衆衛生分野から獣医が撤退したら、大学教育もペット診療と家畜診療の教育に専念できるわけで、教育のレベルも卒業生のレベルも上がるだろう。
今連日連夜騒がれてる問題って、①人手不足どうすんの?、②マイナス金利政策の弊害どうすんの?、③社会保障費支出の増大化どうすんの?、④消費が増えてないようだけどどうすんの?、⑤教育無償化どうすんの?、ってとこなんだよ。
ヘイトスピーチとか保育園とか、些末とは言わないがこれらに比べたら解決はそれほど難しくない。何でかって言えばヘイトスピーチを禁止するにせよ、保育園を増設するにせよ、巨大な既得権者の反対に遭わないから。
①~⑤をどれだけ解決できるか(切り込めるか)が安倍さんの政治家としての資質の試金石だろう。
id:kutabirehateko 従来は男だけが持っていた自由を女にも与え→ 性別問わず人権回復であって「男」の既得権を女に「与える」のではないし、オタクにもリベラルはいるし、ポルノではなくヘイトが批判されている。男女論ポルノ脳か。
http://b.hatena.ne.jp/entry/340550627/comment/kutabirehateko
人権は与えるものじゃなくて、人が天賦で持っているものだから、"回復"という表現が妥当ということですか?
なるほど。よーく分かりました。
じゃあ今後、リベラルが人権問題で「権利を与える」っていう言葉を使ったら、イチャモンをつけまくりまーすwww
それと、この理屈でいけば、「権利を獲得する」っていう言い方もアウトっぽいですね。
左翼やマイノリティは、「与える」(付与)という表現が上から目線になっているのを嫌って、勝ち取るというニュアンスの「獲得」を使いたがる場合がありますけど、今後はそれも禁止してやる!!
ダブスタは許さんぞ。(#^ω^)
追伸
彼女と一緒にされたら、さすがにリベラルもかわいそうなので、このことは忘れてください。
最近マシになっていた男性嫌悪と日本社会への嫌悪の気持ちが出てきたので吐き出す。
ネトウヨは韓国を叩くけど日本も同じ。男尊女卑で年功序列(儒教のせい)で目で見てわかりやすいもの(学歴や収入や性別など)で差別して、その結果、両方とも自殺率が異様に高い病んだ国。
・見た目で判断することを当然と思っているところ
自分たち男が視覚に頼りすぎな生き物だからって、女もそうだと思うな。「ただしイケメンに限る」って、女はお前たち男みたいにそこまで見た目にこだわらねぇよ。
男尊女卑が強い国ほど見た目を気にする、日本でも美しくないダメという男の理想の女であるための呪いが日々垂れ流されてるし、韓国なんかもっとひどくて整形しないといけない。
なんで、男の欲望を満たすために女が綺麗でいなきゃいけないのか、学生は化粧するな、社会人は化粧しろっていうダブルバインドも、社会人になったら女として男の欲望を満たせと言われてるようなもの、気持ち悪い。
化粧するもしないも自由だろ、と。
男に消費されるために見た目を着飾ることが気持ち悪い。男ウケってなんだよ、オシャレは自分のためにするものだろ? なんで男に媚びなきゃいけないんだ。
これは、見た目を重視する男の価値観+劣悪な労働環境で大人が不自由だから、なのかもしれないけど、子供を美化しすぎる男が多すぎる、その結果がロリコン大国、気持ち悪い。
仮にも先進国なら、未成年への性的な欲求は良しとしない社会的コンセンサスがあるべき、なのに日本は、JKなる言葉を作って女子高校生をカテゴリとして消費するほど未成年への欲望が容認されている、気持ち悪い国。
消費する側がいるから、JKビジネスとやらが減らないんだろうが…
小中学生は犯罪だけど女子高校生への欲望ならそこまで隠さなくてよいという認識が気持ち悪い。
女子高校生をヒロインとした創作物が多すぎる、女子高校生と同年代の10代の少年をターゲットにした作品でそうなるのは仕方ないにしても、30代以上のおっさんをターゲットにした作品でも女子高校生のヒロインが出てくるの、病みすぎだろ。
良い年をしたおっさんでも若い子を選ぶのが当然という、若さ至上主義の価値観が気持ち悪い。
おっさんなら社会人や熟女に憧れろよ。熟女って言葉も差別的だけどな、なんだよ、熟女って。
ロリコンが多すぎるのは、実際に子供がターゲットにされる犯罪が増える危険性があるという社会的な損失もあるのに、未成年を性的な対象として見ることへのタブーがなさすぎる。
もっと、18歳未満をそういう対象で見る人間はクズと後ろ指さされるぐらいになればいい、これが容認されるのも、男の性欲が肯定されてるからか?
・男の性欲が肯定されすぎる
男の性欲が肯定されすぎた結果、レイプ被害者へのセカンドレイプや、痴漢被害に対する無責任な発言を目にする。
男は全員、義務教育段階で、20代・30代の屈強な男に組み伏せられる経験をすれば、力で敵わない相手に好き勝手される恐怖を理解できるようになるのか?
想像力がない男が多すぎる。
家事や育児って大変なことを全て女に任せてて、そのくせ、その差別は解消せずに、労働力が足りなくなったから女も男と同じように働いてくれと、家事や育児をやりながら仕事までやらせようとする。それが今の政府が目指す、女性の活躍する社会。ふざけるなよ、男と同じように働けというなら家事や育児や介護を男が女と同じようにやれ。
そんな、女ばかりに要求される社会だから子育てとかも無理、と少子化も進行。(少子化の原因には、過去の、主婦が非正規で夫が正社員でというモデルが原因の男の非正規化、それゆえの貧困化もある)
・女嫌いな男が多い
このような男女差別があるからこそ、男と女の分断は大きく、男嫌いな女と女嫌いな男が多い。
差別される側の女が男嫌いになるのは仕方ないにしても、既得権益を貪ってる側の男が女を叩いているのは理解できない。女に個人的に嫌な目にあった人間か、社会に出たことがないニートや学生が男尊女卑を実感せずにアファーマティブアクションだけを見て叩いているのか?
女優遇とかふざけんな、それだけ差別されてるからこその優遇措置だろうが。
こっちだってアファーマティブアクションがなくても問題ないような平等な社会が良いわ、それなのに、そこだけを見て女は優遇されてるとかぬかす奴、バカか…。
婚外子を認めれば(婚内子と同じ権利を与えれば)少子化だってマシになる可能性があるのに、女に自由を与えたくない社会では、婚外子を認めないという子供を産みにくい状況を作っておきながら、家事育児という仕事は女にやらせておいたままで、子供を産めという。無理だ。
そのくせ、少子化で労働力が足りないから、家事育児をしながら男と同じように働けという、更に無理だ。
政治家の男女比率が半分半分ぐらいになれば、こんな無茶な要求をしてくる政策じゃなくなるのか?
女の方が優秀だと言うつもりはないが、経営者や政治家という舵取りをする立場に男ばかりで、偏った考えで上手くいかないとは考えないのか?
それほどまでに男は優秀だと女は足手まといだと信じているのか? 理解に苦しむ。
女には男を立てて欲しいという気持ちがある男が多いから(これは男の生まれつきなのか、社会的な背景で男の方が偉いと思っているのか)、自己主張する女じゃなく、子供っぽい女が好かれる、フィクションの登場人物とか見てても。
見た目だけではなく、中身まで子供っぽい方が良しとされて、気持ち悪すぎる…。
男をターゲットにした作品で、内面的に自立した女性が好意的に描かれることは少ない。そもそも、男向け・女向けとターゲットがわかれていることが既に分断の現れなんだが。
男が好む女と女が好む女が違うゆえに、女に支持される女キャラと男に支持される女キャラが違う、だから作品はどちら向けか考えて描く必要がある、のだが、そもそもそれがおかしくないか?
女に支持される女キャラは自立した女、男に支持される女キャラは内面が幼稚な女キャラ、本来なら、男も女も自立した女キャラを支持するのが自然なのに(男キャラであれ女キャラであれ自立した人間の方が魅力的)男尊女卑ゆえに、男に支持される女キャラが幼稚な女ということでそれを支持できない女が自立した女キャラを支持する。
大体の男は、自分たちが既得権を持っていて女を下に見ていることに気付いていない。生まれた時からの環境で差別を当然のことだと思っている。
女をお人形扱いしたいやつ、可愛ければ良い、言うこと聞いてくれたらよいという意識、家事育児をしてくれたら良い、性欲処理してくれたら良い、などなど…下に見て対等な人間として見ていない男が多い、自分が差別していることに気付いていない人間も多いが。
気付いていない人間は、こういう主張を「女性目線すぎ」とかのたまう。
だったら普段私たちが目にしているものは全て男性目線すぎることになる、新聞もテレビも。ネットは作り手に男が多いかは知らないが、女でも発信することが可能なので、既存のマスメディアほど男性目線ではない、その分、男叩きや女叩きが多いが。
これも男叩きということになるのだろう、男嫌いの女が増えたと言う奴はわかっていない、昔から男に不満を抱く女は多かった、差別される側なのだから。ただ、その不満が可視化できるようになっただけ。
金沢は最近新幹線が停まるようになったことで、小京都風なる謎の小洒落オーラで転入者が増えています。そこで、転入者に対する百万石まつりのガイドをしたいと思います。
石川三大祭の一つに数えられる軍事演習です。藩民皆兵の理念に基づいて大行進や閲兵式が行われます。一応建前では前田利家が石川県へとやってきた出迎だか歓迎だか言われていますが、本質的には示威です。
参加は強制ですので、町内会に問い合わせてください。町内会によって対応は様々ですが、一般的に郊外のほうが要求が厳しいです(というか中心部は転入者が多いのでマニュアル対応が進んでますが、郊外だと若手が引っ越してくると言うだけで舞い上がってたりします)。あまりにもきつかったら市役所の振興地域課へ相談してください(観光課への相談は逆効果です。いつまでお客様気分なのだとだらけあつかいされます)
一番ハードルが高いのが鎧の準備です。県民男子は当然一式は備えているのですが、県外からの移住者は鎧所持率が低いです。また、住んでいる町内ごとに様々な決め事(色や武装など)があるので結局新調することになるでしょう。町内会によっては貸出用の鎧が備えられているところもあるという話なのですが、家の近くの場合メンテも悪くて実用じゃありませんでした。ぶっちゃけ、在住者の着古したお下がりなどなので、臭いし使わないほうがいいと思います。
鎧を新調するのが一番の問題なのですが、とりあえず、町内会に相談してください。相談しないとこじれます(後述)。しかし相談するにしても予算の目星はつけておきたいです。ピンきりなのですが転入者のひとは30万円前後のものを目指すのが良いと思います。
と言うか、とりあえず相談+価格さえおさえておけば多くのトラブルは防げます。
高いものは緋糸威+二枚胴とかで150万コースとかも有るのですが、そこまでは必要ありません。町内によるのですが、出入りの業者と結託して高額の鎧を斡旋し、キックバックを受け取るようなところもあり、知識なしだとぼったくりにあいます。
一方で変に安いものだと毎年修繕が高くついたりしますし、再購入にもなりかねません。30万前後(25万くらいで十分)がいいと思います。子供が男子で高校生以上なら、セット価格で20万円x2とかでも良いものがあります。
業者さんは町内会に相談して決めたほうがいいです。インターネット通販でも購入できるのですが、大抵の場合、町内会の老人集の機嫌を損ねて揉めます。田舎なのでその辺出入り業者筋とか謎の付き合いがあるのです。あとは、隣近所の人と色が合わなくて浮いてしまうとかもあります。鎧の細かいデザインはずれてても問題ないですが、槍を保つ場合は長さを合わせておいたほうが目立ちません。刀や小太刀は好きにしてください。
乗馬訓練は必要なのか? というのも悩むと思います。町内の懇親会などで勧められたりすることも有ると思いますが、基本はおつきあい程度であとはスルーでいいです。百万石まつりの行列で馬に乗るのは、大学の乗馬クラブのひととあとはかなり限定された有志です(ぶっちゃけ既得権です)。
飲み会で「馬くらい乗れないとねー」というのは年長者のマウンティングで、実際の祭りでそんな声はまずかからないので無視していいです。「車の免許がやっとなんで馬なんて恐れ多いですよ!」とか言っておくと老人は喜ぶので、適当に振りまいてスルーして下さい。
4月と5月に合計4回位の練習が有ると思うのでそれは出ておいたほうがいいです。実際には二回も出れば進行はわかるので十分ですが、最初の一年は鎧になれるために多めに出たほうがいいでしょう。鎧で肌が擦れるので、適切な下着が必要です。ユニクロ系は布地が薄くて使い物になりませんが、そのへんは体格にもよるし値段も安いので探してみてください。通販しても問題にはなりません。
一方で「打ち合わせ」や「士気高揚」などと称する練習(?)の予定がたくさん入る町内会も有るのですが、それは百万石まつりにかこつけたただの飲み会なのでスルーしても問題ないです。最初の一回行っておけば良いでしょう。
(ただし下手に酒に強いアピールをすると、加賀の利き酒とかいってつれまわされます)
寝坊しなければ注意点はあんまりありません。県内企業であれば公休扱いも有ると思いますが、めったにないでしょう。鎧は家で着用じゃなく集合する体育館で着てください。年寄りがトイレは我慢するか垂れ流せとかわけのわからないことを言いますが、集合場所で済ませておけば問題ないです。
昔の道路の写真や警察の資料を見ると、気付くことがある。免許を持つ若者が少ないということだ。徒歩が多くいたほか、自転車を使う人がかなりいたし、駐車場や駐輪場はコンパクトだ。今の日本のように、公共交通かマイカーかオートバイかの構造はない。寛容性があるから、選択肢も多かったのだ。
また、今では考えられない程に車やバイクを持つ若者も多かったが、たとえばそれで通学する者はいなかった。もし今のような非寛容主義の論理を昭和に当てはめれば、都市部の一部を除いて学校の駐輪場が学生の乗り物ばかりになっていなければおかしい。しかし当時の若者は空気を読むことの前に普遍的な価値があることをわかっていた。
今の自転車乗りが四六時中ずっと子供か貧乏人だらけで、理由が「持つものにふさわしくないから」というのは、そもそも気がくるっている。若者向け二輪車の数が減ってるにもかかわらずユーザー数が2012年以降突然増えたのも、今時の風潮の影響だからだろうが、そもそもその前に普遍的な倫理や常識や文化の価値に立ち返るべきだ。
たとえば1990年代~2000年代がそうであったように、バイク所持そのものを止めさせるのもいい。道路交通の数を減らし、当然公共交通への負担は増えるわけだが、今はバスがあるので誰も困らない。
そして、大人の交通も、例えば自転車は制限されても誰も困らない。どうせ今の大人は貧しい人や自転車すきでもない限り自転車やロードバイクなんてみっともないから乗らないんだし。自転車は全部若者に渡したほうがいいし、実際アジアの自転車乗りの大人は一部地域を除いて少ない。欧米は危ういけど。
平民ないし持つ層も、公共交通の混雑や車内での外国語の多さに辟易する暇があったら、そんな風習を改め、自転車やオートバイやマイカーで移動した方がいい。
鉄道交通業界も商売根性の件のようなことがあるくらいなら、鉄道の既得権を守ることは無謀で限界なので諦めるべきで、公共性ありきに回帰することでゆるやかに最適化していくほうがいい。そうして他の公共交通などでカバーしつつインフラへの負荷を緩やかに減らそうよ。
2011年に原発業界と同時に鉄道公共交通ビジネスは突然死した。福島の原発が地震や津波や爆発で死んだら、日本各地の原発が止まり、原発だけでなく、鉄道みたいな電気に依存する交通インフラのバブルも一端全て終わった。2012年に「所謂暴走族がほぼ撲滅状態になった」という建前の元にバイク3ない運動が事実上死んだ。いまはJR九州のあの列車の成功でバブルが復活し、一部の原発も運転再開したが、多分この状況も決して安泰ではないだろうと思う。
今度、突然死が起きるとしたら、それだけの話ではなく、社会が、文化が、そしてそれらすべてを束ねる現代の文明が倒れるリスクがある。というか、日本の右派と立憲君主制度が倒れれば連鎖的にその庇護にある日本の伝統的社会が一気に終わる。これは本当に怖いことなので、「終活」と「進化」を始めてほしい。
法事で会うたびに酔ってブツブツ下向いて、ネットでしか見かけないようなネトウヨ電波と
東日本はフクイチ汚染で人が住めないって妄言を放つニートの従兄弟がいるので、
ネットで見かける極端な右翼的発言は、従兄弟の顔を思い出して気の毒な気持ちになる
みんな従兄弟が悪いんや。
いや、従兄弟をニートにしたままほっぽって外では威張ってる従兄弟の父親が悪いのかな。
従兄弟のネトウヨ発言を注意深く聞いていると、エディプスコンプレックスを強く感じる。
示威的で父権強者そのものの実の父は憎んでいるのに、一方で、ネトウヨ特有の強い父権へのあこがれはあるんだ
強い父権=うつくしいにほん=国家主義的なもの=その実は実の父と一緒のハリボテの父権風、実はただの威張りん坊の既得権者なのに
それが分からず、頭の中の理想の父親を日本会議的な似非右翼コスプレに重ねてころっと騙されちゃうのが、引きこもり歴約10年のキャリアのなせる悲劇。
従兄弟を観察していて分かるのは、自分が社会で認められることがないからこその、父権的なものへのゆがんだ憧れ
自分で努力して力を手に入れようとはしない、自分も他人の父権を借りて威張りたいだけだから、コスプレ右翼の日本会議と親和性が高いんだよね。
を読んだ。刺激的な内容だが、もやもやしてたのが言語化された感じで「はっ」とした。
と、同時に現状コピペプログラマが生まれるのは仕方ないことだとも思ってしまった。
1つは、根底の意識。もう一つは日本という環境が原因だと思っている。
私は縁あって外国人が多い会社で働いている。そこでWebエンジニアをしている。
一緒に働いている外国人エンジニアが、まぁ優秀なのだ。最近大学を出たばかりの人もいるが、優秀になるレールを歩んでいる。
一緒に働いてると日本人(俺)ってヤベーな。と思うことが多々ある。プログラムに関する意識が出発点から違うのだ。
彼らは以下の共通認識があるように思える。
3. 英語ができるのは当たり前
海外ではソフトウェアエンジニアは、医者に次ぐ人気職であるそうだ。今は帰国したが、一緒に働いてたインド人エンジニアは、大学受験をした際、医者とエンジニアで迷った。と言っていた。
彼ほどではないが、同世代の中でも優秀な若者が、明確なエンジニア希望をもって専門の過程を経てエンジニアとなる。
Linuxやネットワークなどの底レイヤーから、自分の興味ある分野(バックエンドやフロント、アプリ開発)まで、ある程度できる人がインターンを経て入社する。
私の経歴はというと、かなりお粗末なものだ。お世辞にも良いと言えない大学の文系卒で、大きいプロジェクト動かすマネジメントカッケーって思ってSIerを就職口の一つとして選んで入った。大学卒業時にはJavaとJavaScriptの区別がつかなかった。
そんな私でも独学と、勘と、経験によりある程度のことはできるようになったとは思っている(思いたい)のだが、優秀な彼らを見ると、コンピュータサイエンスを学ばずしてエンジニアを名乗ってる自分が恥ずかしくなる時が周期的に訪れる。
つまり、0ではないと思うが、文系卒、更には未経験が就職でプログラマを選ぶという選択肢は日本に比べると圧倒的に少ない。
そのため、外れプログラマは少なく、腐ったリンゴが少ない彼らは腐る確立が低いのだと思う。
私自身もその口だったし、今も抜け出したとは言えない。
しかし、彼らは違うように思える。その根底にあるのは、コンピュータサイエンスを学んできたが故、プログラムは難しいという意識と、造詣の深さだと思う。
もちろん、彼らとてExampleなく出発することはできないが、コピペで済ますことは極力しない。
ちゃんと手を動かして、表面だけでなく、どうやって動いてるかを理解しようとしている。1つの機能実装する時は、3つほどルートを探したり、必要なパラメータ、オプション以外もちゃんと調べてコーディングしている。
そのため、簡単にできます。とはあまり言わない。例えば、form一つ作る時も背景を理解して実装を行う。様々なセキュリティリスクを考慮して、フレームワークを選択している。
自分なんて、必要な部分しか見なかったし、そもそも調べる意識がなかった。ある時、私は仕事が早くなったと息巻いてたが、今思うとなんてことはない。単にググるのが上手くなっただけだったのだ。
3. 英語ができるのは当たり前
少し変わった環境で、いろんな国籍の人が働いている。スペイン、イタリア、聞いたことのない国の人もいる。しかしながら、彼らは一貫として英語がしゃべれるし、書ける。「え、公用語でしょ?」と言わんばかりだ。
だからなのか情報のキャッチアップが早い。わからないところはissueを漁るし、質問する。まず当たるのは公式だ。英語を英語のまま取り入れる。
総意の認識であると思うが、プログラムの1次ソースは英語だ。私たちの目に触れる多くは優秀な日本人エンジニアが翻訳した情報である。そもそも張っているアンテナが違う。
あと、上手くは言語化できないのだが、そもそも降りてくる情報自体が綺麗に整ったもの、絞られたものが多いのだ。そのため、泥水をすすることが少ないと思う。だからなのか、過程をすっ飛ばして答えを求めるサイトが多いような気がする。
では、この意識の違いはどこから来るかというと、日本という環境が大きいのかもしれない。
まず日本は、他国に比べて内需で食っていけるような環境である。
企業の発展にはエンジニアは必要不可欠。そのため専門知識を学んでなくとも、大量募集 - 大量採用が行われたのだと思う。
その後、海外の優秀なエンジニアが入ってテコ入れするかと言うとそうではない、日本語という既得権で守られているからだ。
なので私たちは気づきにくい。世界のトレンドとか、プログラムの書き方とか、考え方とか。そのためコピペエンジニアは自分をコピペエンジニアと知らないまま成長し、なまじ仕事ができて自信を覚え、次のコピペエンジニアを育てる仕組みが出来上がっていると推測する。
ここ数年でエンジニアを主体とする会社が増え、そのような意識が変わってきていると思うが、浸透するにはまだまだかかるはずだ。
根本的な解決となると、日本のあり方、教育を変えていく必要が出てくる。一例あげると、新卒一括で学部関係なくなんでもなれることはそもそも間違いなのだ。(自分はその経緯でエンジニアにならせてもらったことは棚にあげる)
年末に2ちゃんねるの東洋医学板、日盲連VS私学あはき養成校について考える(あはき法19条論)のスレに書き込み。
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/kampo/1476413457/
104 : 名無しさん@お腹いっぱい。2016/12/27(火) 17:44:41.58 ID:dmaRhxk0
>>103
高齢者って何歳までのこと言ってるのか知らんけど
あと医業類似行為の件は、70代以上の人達限定だということを忘れてないか?
そういうのを解ろうともせず主張が支離滅裂だから議論しようにも平行線になるんだよ。
障害者と健常者の垣根を取り払おうと尽力している団体には迷惑千万な話なんだわ。
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と「障害者と健常者の垣根を取り払おうと尽力している団体」らしき人が登場。
レス番127
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再三申し上げているように、あはき法19条死守論者は
一部の既得権者が盲人あはきの「生活が向上すると都合が悪い」のです。
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と主張。
レス133
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>再三申し上げているように、あはき法19条死守論者は
>一部の既得権者が盲人あはきの「生活が向上すると都合が悪い」のです。
彼らは日盲連に騙されて傍聴に来ていると思うのかね?
>障害者と健常者の垣根を取り払おうと尽力している団体には迷惑千万な話なんだわ。
と言っている以上、そういう団体に属していると思うが、あなたは晴眼と視覚障害者、
どちらなのかね?
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レス138
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私は19条を廃止すべきと考えている視覚障害者の意見を知りたいのだよ。
君が視覚障害者ならその旨を明かして意見と根拠を述べればよかろう。
晴眼者であっても、そういう団体で19条廃止の意見を持っている視覚障害者から
と扱っているわけではあるまいな?
裁判の傍聴に行ってればわかると思うが、盲人の方々は傍聴後に19条を守るための集会にも行っているぞ。
http://nichimou.org/activity/161110-jouhou-1/
http://nichimou.org/activity/161213-jouhou-1-2/
http://nichimou.org/activity/161215-jouhou-1/
以前のレスにも書いたように、日盲連会長の竹下先生は盲人にあはき師しか道が無いのを疑問に思って弁護士になり、19条死守の音頭を取っているわけで。
>>127
で君が書いた
>一部の既得権者が盲人あはきの「生活が向上すると都合が悪い」のです。
を証明するために日盲連がどのように末端会員の盲人を騙して、傍聴にいかせ、19条を守るための集会に参加させているのか、理屈を説明してくないかね?
それとも自分たちの生活向上を妨げる目的の集会に行くぐらい、盲人は頭が悪いということかい?
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しかし以後、19条がなにゆえ視覚障害者のデメリットかを19条廃止派は説明せず。
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yahoo知恵袋より
目の不自由な人たちを利用してマッサージの仕事を独占して訪問マッサージの甘い蜜...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10151879810
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私がこの釣り質問に回答するうちに、障害者を雇用する事業者側にとって、19条廃止により盲人あんま師の雇用が脅かされ、助成金が増額する可能性が出てくることに気づく。
レス192
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192 : ◆1zxBDDXZ3s 2017/01/03(火) 19:00:57.74 ID:uCxrZ4Z5
>>191
>目の不自由な人たちを利用してマッサージの仕事を独占して訪問マッサージの甘い蜜を吸い続けている、
>あん摩マッサージ指圧師業界を懲らしめる方法はありますか?
この場合、訪問マッサージ会社が盲人あん摩師を雇用しているのだろう。
そうなればドライバーを用意する必要のある盲人あん摩師を雇用する必要性が薄れるのではないか?
障害者雇用で補助金がどのくらい給付されるかはわからないけどね。
助成金がドライバーの人件費を賄えると仮定しても、助成金は19条とは全く関係ないからね。
逆に助成金で余計にかかるコストを賄えない場合、晴眼あん摩師を雇ったほうがコストを削減できるようになるから、
と挙げられているけど、19条廃止により盲人あんま師の雇用が失われる状況になれば助成金が
増やされる可能性もあるわけで、助成金目当ての企業にとっては19条は廃止してもらったほうが
都合が良い。
なるほど、19条廃止で助成金増額となれば盲人以外の障害者にとってはメリットかもね。
盲人あん摩師の生存権を無視したら、他の障害者にとってはメリットを期待できるのか。
こんなその他大勢のために一部を犠牲にする考え、まともな人間ならそりゃ公言はできまいよ。
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2ちゃんねるですから発言している立場が事実かどうかはわかりかねますが、19条廃止で障害者雇用の助成金が増える結果になれば障害者全体の雇用にはプラスかもしれません。
特にあん摩マッサージ指圧師を雇っている施術所・会社にしてみれば晴眼あん摩師が増えて採用が楽になる、盲人のあん摩師を雇用したときの助成金も増える(かもしれない)ので、19条廃止はメリットです。
あ、19条廃止派はこんなふうに請願者である私の発言を封じようとしましたね。
視覚障害者のふりをして、発言を封じるなど、19条廃止派が散々言っている「弱者利権」そのものだと思うんですが。
レス番174
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174 : 名無しさん@お腹いっぱい。2017/01/02(月) 17:17:23.47 ID:aFN1s3Px
もう一回言うておくが、このコテハンは
年末から正月まで酒飲んで酔うてるのか、己が本当に晴眼のあはき師ならば
おそらくは突如としてコテハンに変えて参戦してきたのは、この糞キチガイが
19条廃止されると一番困るであろう張本人であることも明白であるのも間違いないだろうよ。
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私の学生時代の頃を、ふと思い出した。
もう16年程前になる。
心の底に蓋をして閉まってあった、古い心の傷が、ようやく今になって癒えてきたみたいだ。
私の学生時代は、(男性からの)女性への容姿差別が酷い時代で、ブスだと壮絶に苛められた。
ブスは女性ではない。ブスはブスで、人間としての扱いはなかった。
私はブスを理由の苛めで悩み、リストカットを繰り返していた。なので醜形恐怖の苦しさから逃げるようにしてプチ整形を行った。
当時は、整形した人間は犯罪者のような言われようだったので、後ろめたい感情の伴う勇気がいる行動だった。
だけど、リスクカットを繰り返す辛さと比べたら、たいした勇気も必要なかった。
学生時代だったので、バレる人にはバレていたのだろうけど、
今思うと、思いきった行動への感覚というのは、虐めという日常の中では麻痺していたのだと思う。
整形は傷が残ってしまって、それもショックで、私の人生は終わったと思った。
行ったのではないか?と私は思っている。その当時、美容整形外科は大もうけをしていたから。
整形を隠して結婚した妻に、慰謝料を請求して離婚する事ができるか?という裁判が起こったのだ。
通常、整形というのは心の傷と密接に繋がっているので簡単にカミングアウトできるものではない。辛い過去で蓋をしているトラウマだから。
整形のカミングアウトは、怖くて言えない。ブスだと差別される恐怖と、犯罪者としての非難をダブルでされることになってしまうから。
けれど、整形の問題がなくても、社会に出てから、男性の心の醜さにはうんざりしてるので、結婚はできなかったと思う。
本当に醜い。頭の中にあるのは、女金名誉面子。心の成長が小学生で止まっている男性がほとんどだ。
40~50代の年齢になっても女性を内面では見れず、容姿でしか判断できないのだ。
顔だけではなく、胸が大きい小さい、形がどうだこうだともよく言っていた。
私の人生計画は、結婚する気はいっさいなく、社会で自立して女一人で生きるつもりだった。
小学生レベルの精神年齢なのに、経済力があるというだけで男が上というのは、
http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014
老害高広とか自称ジャーナリスト気取りの藤代とか老害レベルがドヤってるけど、はっきり言って彼らは終わってる人間。
玉川っつーじいさんに至ってはまったく無名、あんた誰状態。老害がガタガタ言ってんなって感じ。
あ、ちなみに自分はJIAA加盟社の人間で広告PF関係者だけど、あのハンドブックが読みにくい文章なのは事実だろ。
あと現役のWeb広告屋でマクルーハンがーとかいう馬鹿はいない。この業界長い方だけど、正直聞いたことねーし。
保身のためなのか既得権を守りたいのか知らんけど、古いってだけで上から目線で語る老害は消えろ。
「広告・マーケティング業界って、どんどんレベルが低くなってきてる感じがするわ。」
って高広が言ってるけど、正直お前には言われたく無えよ。
君の名は。人気はまだ続くのだろうか。自分は公開2週目位に一度見たきりなのだが、Web上で展開されている
様々な解釈を念頭に置いて、もう一度くらいは劇場に足を運ぼうと思っている。
新海監督の作品は「ほしのこえ」からの自分だが、その中では前作「言の葉の庭」が一番好みである。
50分弱という過不足無い尺。今作では少し鳴りを潜めた、現実よりやや過剰に高められた光の輝き。
ヒロインを失意の闇から救済し、精神的な絆を結びつつも、直接の対価を得ることが無い幕引き。
どれをとっても、新海誠という人物が長年その心象世界に持つ純粋な「私の世界」。
君の名は。を彼のベスト盤であると評した人がいた(本人?)ように思ったが、自分は「言の葉の庭」こそが、
最も正確に彼そのものを表しているように思う。
ただ、そういった作品性とは別に、自分が言の葉の庭を特別なものとして見るのにはもう一つ大きな理由がある。
全くもって個人的な体験に基づくもので、それを他人と共有する事に価値は無いのだとは思うのだが、
40を目前とした今、その記憶がゆるやかに風化していくにつれ、どこかにその記憶を刻んでおきたいという欲求に駆られ、
1日だけの日記としてここに記しておこうと思う。
創作では無い為物語の構成は酷く、起伏にも全く欠けるが、偶然目にする人がいたら、息抜きのつもりで読んでみて欲しい。
20年ほど前、自分は地方の私立大学に通う大学生だった。高校を出て何となくの流れに乗って通う大学生活は、
地方であること。理系であること。あまりハイブロウな属性でないことなどから大きな刺激も無く、
かといって腐ってしまうという程の退屈さもなく、毎日がそこそこのルーティーンとそこそこのイベントによって消費される、
卒業校は大学とほど近い場所にあるため、自分は時折高校時代の恩師の元を訪れ、近況の報告や、
(当時のPC弄りが好きな学生がしばしばそうであるように)師のPCメンテナンスなどを請け負っていた。
ある日いつものように師の元を訪れると、師の隣席に初めて見る顔があった。
師は、新任の先生だと言って彼女を紹介してくれた。
「今度新しく入ったH先生だ。」
「どうも初めまして。Sといいます。」
学校行事でスーツを着ていた自分を、おなじ新任か関連業者の人間と思ったのかもしれない。
彼女…H先生は突然勢いよく椅子から立ち上がり、コンシェルジュのような角度でお辞儀をしながら
と、およそその完璧なお辞儀からは相応しく無い焦り具合で挨拶をしてくれた。
少しだけ長めのボブカット。
そして何より、整った、育ちのよさそうな顔立ち。
(ははぁ。これは生徒に人気がでるだろうなぁ…。)
そう、思った。
「そう言えばH君、パソコンの調子が悪いと言っていたじゃないか。せっかくだからSにみてもらったいい」
これをきっかけに、ほんの短い間ではあるものの、自分とH先生に関係が生まれた。
その後数か月間、自分はH先生のPC周りの面倒を見ることになった。勿論、数か月といっても頻繁では無い。
実のところは、精々5・6度の話でしかなかったと記憶している。そうとは言え、ほんの少しだけ年上の
とびきり可愛らしい女性が相手だ。いつもわくわくしながら通ったのを覚えている。
見かけ通り、H先生はとても可愛らしく純粋だった。
明かりの落とされた職員室。
冷陰極管の青白い光に浮かび上がる横顔。
買ってくれた缶コーヒーの温もり。
年下の自分に中途半端な敬語交じりで話し、ソフトの使い方を教えたり、FEPの不調をメンテしたり、
壊れたFATテーブルをエディタで書き直す程度の事で、H先生はとても喜んでくれた。
見かけによらず、頑固でもあった。
突然の夕立に「いい」と言うのに頑として聞かず、駅まで車に乗せられた。
エアコンが効かず、少し蒸した車内。
一度、何かの為にソフトを借りに実業系科目の教師の所へ顔を出したとき、
と、冗談とも真面目ともとれない顔で言われたこともあった。
…その通りだと思った。
あの時自分はどうして恋に落ちなかったのだろう?
高校時代淡い好意を持っていたクラスの女の子を忘れられなかったからだろうか?
卒業校とは言え、教師という立場の相手に対しての遠慮だったのだろうか?
今となっては思い出すことができない。
ただとにかく、会いに行く時間の胸の高鳴りとは裏腹に、
自分がH先生に対して恋心を抱いたことは無かったように思う。
時が経つにつれて、H先生とは疎遠になった。卒業からしばらくOBとして顔を出していたやつが
いつの間にか顔を見なくなるという、ごくありふれた、普通の流れだった。
勿論、心のどこかで気になってはいたが、明確なきっかけも無いのに顔を出すのも気恥ずかしく、
また、自分という存在が順調に過去となっていく高校に窮屈さを感じ、足が向かなくなるにつれ、
しばらくの後には思い出すことも無くなっていった。
大学生活は相変わらず少々退屈で、授業とバイトの日々が続いていた。バイト先にはコケティッシュに笑う
年下のあざと可愛い女子大生が入り、自分はその子に相当入れあげていた。
そんなある日。
高校の「部室」へ顔を出した。
自分は高校時代ややヲタクなサークルに顔を出していた。それはよくあるアニメやゲーム好きが集まるような
内輪志向の趣味サークルで、正規の部員でこそ無かったものの、殆どコアメンバーのような立場でメンバーとつるんでいた。
先輩も、後輩も、同級生も、自分の高校生時代の交友の半分は、そのサークルに由来している。
部室にはYがいた。
Yは自分が卒業する年に入学した後輩で、少々エキセントリックな性格ではあるものの、
当時の世相でそういったサークルを志向していた女子には珍しく、並以上とは言える容姿と、
その予測不能な反応を示す性格から、OB現役を問わず大層人気があった。当時から近い表現はあったように思うが、
ヲタサーの姫がベターなワードチョイスだ。正確にはサークラ的要素も多分に混じるのだが、
方々穴兄弟にはなったものの、サークルはクラッシュされなかったので、二択であればやはり姫の方が無難であろう。
Yや他の部員たちと軽く挨拶を交わし、部室に置き去りにしたPCエンジンで縦スクロールシューティングに興じていると、
「先輩先輩。先輩はH先生知ってますか?」
驚いた。彼女が新任教師として赴任したのは自分が卒業した後であり、現役生であるYもそれは承知だろう。
卒業後に赴任した教師を話題にあげるという事は、普通滅多なことではしない筈だ。
「ああ、実はちょっとした絡みがあって少しだけ知ってるよ」
事実を答えた。Yが続けた。
「H先生、辞めちゃったんですよ」
公立高校と違い、私立高校では異動というものが殆どない。私立が主体の都会では事情が異なるかもしれないが、
地域内に同業が少ないこともあって、転職という選択をする教師も(教師という手堅い職を選ぶ本人の性向もあってか)
滅多にいなかったと思う。とにかく、短期での退職というものはあまり例が無さそうに思えた。
Yは表情を変え、ゴシップ好きの主婦のような声色を作って次を継いだ。
「それがね、聞いてくださいよ先輩。H先生寿退社…ってことになってるんですが、本当は…」
…
…
「本当は、生徒に強姦されて辞めたんです。」
それから数年の年月が過ぎた。
大学卒業後、氷河期のどん底という頃に地元の小企業に就職したが、ワンマン社長の横暴に嫌気がさし2年と少しで退職。
しばらくアルバイトをしながら職を探したが、高卒でブルーカラー職についたり土建業に入るならともかく、
大卒が志向するようなサービス業的業種にまともな就職先はとても少なく、わずかにある条件のよいポジションは
新卒で滑り込んだ者が既得権化しており、あとはそれこそ公務員くらいしか不満の少ない就職は困難だった。
それを期に、意を決して東京へ出た。
友人の家に転がり込み、転職エージェントを頼りにいくつかの会社を受けた。東京での活動は思いの外順調で、
面接したいくつかの会社から採用通知を受け、そのうち、条件はあまり良く無いものの、基盤の堅い中小企業に入社した。
入社後上司との性格の不和に苦しんだが、前職の事を思えばその程度の問題に対処することは苦労のうちには入らなかった。
給料はとても安(250程度だったと思う)かったが、それも前職に比べれば不満は少なく、初めての東京生活をエンジョイし始めることができた。
そんな矢先。
当時の秋葉原メイドカルチャーは黎明期の出店ラッシュがひと段落し、金の匂いに感づいた風俗業の面々が
続々と出店を始めた位の頃だったと思う。高校を卒業したYは東京の大学へ進学したが、
生来の不安定な性格故順調にメンヘラ属性を手に入れ、真面目な大学生という路線は早々に離脱。
生活の為か趣味かは聞かなかったが、アルバイトとしてメイドを始めた、ということだった。
メールには多少面食らったが、Yの人と成りからすれば、想像には難くなかった。
自分の秋葉原に対するスタンスは単なるパソコンショップ詣の場所で、メイドカフェへ行くことに多少の
戸惑いはあったのだが、後輩に会いに行くと思えばいい。了承の返事を送信した。
「おかえりなさいませ、ご主人様~」
Yの働く店は正確にはカフェではなく、バーだった。
万世橋を渡り少し裏手の路地の扉を開けると、今では手垢どころか擦り切れて表皮が
やや珍しい青と白の照明で彩られた店内(まるで自作PC筐体のようだ)は、多少の安っぽさはあるものの、
常連客との適度なゾーニングもされていて、居心地は悪くなかった。カウンターの向こうで客の相手をする
隣では、この場所にはやや不釣り合いな女性が独り呑んでいた。
「君、初めて?」
声をかけられた。
「そうですよ。高校時代の後輩がいるんで、まぁ付き合いです。」
「そうなんだ。じゃあ私と一緒ね。」
女性(T)は銀座でホステスをしていた。非番の今日は、ここで働く自分の彼女の仕事が終わるまで待っているのだ、
と教えてくれた。自分も自己紹介をし、それからしばらく話をした。ホステスの会話術は流石に巧みで、
後輩に会いに来たことなどすっかり忘れ、仕事の話や高校時代のことなどを話し込んだ。
2杯目のジントニックの氷が溶けるころ、Tがはたと気付いたように自分に聞いた。
「そうですよ。Yは3つ以上下だから、直接一緒になったことはないですけどね」
「そっか。そしたら君…」
…
…
「H先生って…、知ってる?」
ドキリとした。
自分の中で風化し、消えかけていた「H先生」という単語の響きが、急速に記憶の色を取り戻させた。
しかし、こんな偶然があるのだろうか?ここは00年代も半ばの秋葉原。しかも場末のメイドバーだ。
100歩を譲って、自分達の高校が埼玉や神奈川にあったとすれば分からなくもない。
だが、自分達の高校は十分に遠方にあり、増してや、彼女がH先生であったのは6年も7年も前の話なのだ。
ボブのかわいい初々しい先生だったこと
人の消えた職員室で一緒にコーヒーを飲んだこと
大した話ではない。読んでくれている人がいたら申し訳ないが、当事者以外が聞いても何の感慨もない日常の出来事だろう。
Tは、そんな自分の話を穏やかな顔で聞いていた。ひとしきり話を聞いてから、話をしてくれた。
髪型が全然違うこと 化粧が派手だったこと
プレリュードに乗っていたということ
…そして、1年程前まで、自分の彼女だったということ
少しジメジメした夏の終わり頃だったように思う。
日付なんて全く覚えていない。
でも、それくらい、自分にとって忘れられない日の出来事である。
「言の葉の庭」は、ヒロインである雪野先生が、想いを寄せられた男子生徒への対応を誤ったことを
きっかけに物語が構成されている。劇中、男子生徒を奪われ、腹いせに雪野先生の退職を画策
(そしてそれは成功する)した女生徒に主人公が抗議をするシーンがある。
客観的に見るとやや時代錯誤と青臭さがあり、本作で唯一落ち着かない場面ではあるのだが、
このシーンを見ていると、雪野先生とH先生をどうしても重ねてしまう。
勿論、自分が孝雄になる妄想を出来る程今の自分は若くない。ただ、物語は悲恋として終わるものの、
孝雄の存在は、雪野先生の人生において彼女のレールを想定の範囲内におさめる為強力に機能した筈だ。
では彼女は、H先生はどうだ?
H先生に関して一つ書き忘れたことがある。彼女は県下一の、ある業種の創業家の息女である。
名士の娘が地元の高校で教壇に立つ。頃合いをみて結婚。家に入る。
時代錯誤ではあるのだろうが、そんなルートが彼女の想定の範囲だった可能性は高い。
もっとも、実はそれが嫌で飛び出したということも考えられる。
これを読んで、「だからだよバーカ」と舌を出しているかもしれない。
それならそれで、構わない。彼女が想定の範囲の人生を受け入れていたかどうかなどわかるはずもないし、
想定されたルートが幸せだったなど、他人の人生の価値判断を想像でするべきではない。
ただ、人生のターニングポイントにおいて、1人の人間の存在が他の1人の人生に与えうるインパクトの大きさというものは、
現実であっても、いや、現実こそ想像以上に大きい。花澤香菜がワンテイクで録ったというクライマックスを見る度、
そこに感情をぶつける肩のあった雪野先生と、もしかしたら無かったのかもしれないH先生とで、
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…自分語りはこれで終了だ。
最後に少しだけ、素人の新海誠評を書いてみたい。
あくまで想像だと前置きするが、新海監督は幼少から無理目な恋愛ばかりをしてきたのではないだろうか?
恋愛という通常とは比較にならないエネルギーを必要とする行為において
その力を一方的に放出し還流を受けることのできない状況は、人を極端に消耗させる。
ある者は力尽き、ある者は別の誰かから力を得た。
またある者は、運良く力の循環に出逢えることもあるだろう。
監督はどうだ?
監督は恐らく、無から力を生み出すことを選んだ。それが新海誠の作品性の源流であり、
君の名は。の2人は、時空を超えて尚力の循環を得ることが出来たように描かれている。
これをもってして彼の心象世界との乖離を突き、不安視する声がある。かく言う自分も少しばかりは、心配だ。
だが、監督は既に力の循環を知っている。言の葉の庭の2人は、実態としての結末こそハッピーではなかったかもしれないが、