私の学生時代の頃を、ふと思い出した。
もう16年程前になる。
心の底に蓋をして閉まってあった、古い心の傷が、ようやく今になって癒えてきたみたいだ。
私の学生時代は、(男性からの)女性への容姿差別が酷い時代で、ブスだと壮絶に苛められた。
ブスは女性ではない。ブスはブスで、人間としての扱いはなかった。
私はブスを理由の苛めで悩み、リストカットを繰り返していた。なので醜形恐怖の苦しさから逃げるようにしてプチ整形を行った。
当時は、整形した人間は犯罪者のような言われようだったので、後ろめたい感情の伴う勇気がいる行動だった。
だけど、リスクカットを繰り返す辛さと比べたら、たいした勇気も必要なかった。
学生時代だったので、バレる人にはバレていたのだろうけど、
今思うと、思いきった行動への感覚というのは、虐めという日常の中では麻痺していたのだと思う。
整形は傷が残ってしまって、それもショックで、私の人生は終わったと思った。
行ったのではないか?と私は思っている。その当時、美容整形外科は大もうけをしていたから。
整形を隠して結婚した妻に、慰謝料を請求して離婚する事ができるか?という裁判が起こったのだ。
通常、整形というのは心の傷と密接に繋がっているので簡単にカミングアウトできるものではない。辛い過去で蓋をしているトラウマだから。
整形のカミングアウトは、怖くて言えない。ブスだと差別される恐怖と、犯罪者としての非難をダブルでされることになってしまうから。
けれど、整形の問題がなくても、社会に出てから、男性の心の醜さにはうんざりしてるので、結婚はできなかったと思う。
本当に醜い。頭の中にあるのは、女金名誉面子。心の成長が小学生で止まっている男性がほとんどだ。
40~50代の年齢になっても女性を内面では見れず、容姿でしか判断できないのだ。
顔だけではなく、胸が大きい小さい、形がどうだこうだともよく言っていた。
私の人生計画は、結婚する気はいっさいなく、社会で自立して女一人で生きるつもりだった。
小学生レベルの精神年齢なのに、経済力があるというだけで男が上というのは、