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はてなキーワード: 孤立とは

2024-03-25

米国との関係があるから表現の自由ではなく自制が必要」というアホ

https://b.hatena.ne.jp/entry/4740541318906116783/comment/esbee

中国的に欧州米国の顔色を窺わざるをえない現状を冷静に考えたら、表現の自由を振りかざすのではなく自制が必要だとわかんねぇのかな?という気持ち規制オタク批判されてもいいが、自分の首を締めてない?

このid:esbeeはこのコメント以外でも似たようなことをベラベラとくっちゃべっているわけだが、一番バカにされているこのコメントを挙げておく。

既にさんざん突っ込まれているように、これは単に「長いものには巻かれろ」以外の何物でもなく、主体性普遍性も全く考えていない、奴隷しかない生き物の口から垂れ流されるクソでしかないわけだが、

そうした批判とは別に、これは事実としても適当ではない。

こうした、日本文化面などで西欧のいうことを全く無視して行動したという例はちょっと前にも実例があるからだ。

それがIWC国際捕鯨委員会からの脱退である

約5年前に日本はついにIWCから脱退したのだが、その時には「国際社会から孤立」を心配するような声があった。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXMZO46772540Z20C19A6EA5000/

このブクマコメでもそういうのがしばしば見られる。

さて5年経った今、日本は「国際社会」や「欧米」などから孤立したのだろうか?

現実日本米国西側諸国安全保障経済的関係ますます強固になるばかりだ。

国民意識レベルでも、アメリカでは83%が日本に好感を持つという結果が出ている。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN1902G0Z10C24A3000000/

結局のところ、文化面での違いなんてもの安全保障をはじめとした国家間関係にはほとんど影響を与えていない。

自分奴隷根性からくるどうしようもないたわ言を、無理やり安全保障などに敷衍して正当化しようとするのは情けないだけだからやめた方がいい。

2024-03-24

anond:20240323200143

タイトルを思いついて中盤まではテーマに沿って書き進められたけど後半から関係ない話になっていった点が興味深い。

たぶん本当は動画なんてどうでもよくて後半が元増田本音なんだろ。

これ↓

あたらしい音楽理解できずノイズしか聞こえなくなる年齢ってのがあるらしい。分かってきたぜ。Spotifyから聞こえるヒットチャートノイズが混ざり始めてきたぜ。俺の小脳音楽として認識できないメロディー世界に溢れてきた。

俺は取り残されている。自覚があるだけマシなんだ!と叫び続けているだけで、変わる意識があるわけじゃない。偏見眼鏡をかけているんじゃなくて、むしろ裸眼でピントを合わせられないものが増えてきたんだ。

眼鏡をな、時代にあった見方が出来る眼鏡を手にする必要があるんだ。これはしんどいぜ。間違えて変な眼鏡をかけたらいよいよ世界から孤立する。眼鏡から使い分けないといけないってことも覚えなきゃな。新しいものにピントを合わせる能力の欠如か。想像してたより苦しいもんだな。中年ってこんなに無能になるんだなあ。体が臭くなるだけでもキツいってのに。



で、この文章を読んで自分が思い出したのは昨日ホッテントリで見かけた記事だ。

婚活アドバイザー漫画家の対談記事なんだが、二人ともヘアメイク服装が顔と年齢にまったく合ってなかった。私の記憶では、少なくとも漫画家のほうは若い頃は本当に美人だったはずなのだが。

だが今見ると、せいぜい20代から30代前半までしか似合わないようなメイク髪型をしていて、パッと見からして違和感しかない。

異様なほど伸ばしたアイラインと目元のハイライト、顔から浮いたやりすぎのマツエクグリングリンの巻き髪、のっぺりとした立体感のない厚塗りファンデetc.

一言で言うと「痛い人」に自分には見えた。

年齢を重ねた自分客観的に見ることができなくなったために生じた現象じゃないかと思う。

加齢によって、教える側から学ばなきゃいけない側にポジションが変わってしまっていることに気付けていない恐ろしさ。

あの記事は、こうなってはいけないという反面教師として優れた教材だった。

なんでこんなに孤立させられるんだろ

2024-03-23

動画文化に取り残されている

動画は遅い!文字のほうが早い」俺は今でもそう信じている。でもそれがおかしいことに気づいてもいる。二重思想

三倍速で動画見るのと文字を読むのって実際にはスピード変わらんよな。飛ばし読みを速読と言い張ってる訳でもないなら。

でも俺は文字で読みたいんだ。

動画情報のメインソースとすることに抵抗がある。

テレビを軽視して新聞絶対視していた100年前の時代遅れカスと同じことをインターネットでやっているのが俺だ。歴史を見れば、俺が取り残されているのは明らかだ。

有名配信者の名前を聞いても分からないし、Vなんて誰が既に引退してるのかも知らん。

俺は現代文化についてけてない。若者情報ソースがどこなのかも知らないし、老人にLINEDiscordが受け入れられているのかも分からん

職場も同じような人間しかいないから、世界の中心はツイッター崩壊とブルアカFGOが今一流行っているゲームだと信じて暮らしてる。

でも違うはずなんだ。俺の信じている世界時代から断絶しつつあるADSL時代インターネッツに取り残されたネット老害が住む因習村でエコチェンしてるだけなんだ。

それを知りながらどうしたら抜けられるのかも分からん

雨水ホラー動画を見たり、なんたらお嬢様バイオ配信を見たり、オランダ村宣伝動画を見たりをしたが、まーーーーーたっく刺さらんかった。

あたらしい音楽理解できずノイズしか聞こえなくなる年齢ってのがあるらしい。分かってきたぜ。Spotifyから聞こえるヒットチャートノイズが混ざり始めてきたぜ。俺の小脳音楽として認識できないメロディー世界に溢れてきた。

俺は取り残されている。自覚があるだけマシなんだ!と叫び続けているだけで、変わる意識があるわけじゃない。偏見眼鏡をかけているんじゃなくて、むしろ裸眼でピントを合わせられないものが増えてきたんだ。

眼鏡をな、時代にあった見方が出来る眼鏡を手にする必要があるんだ。これはしんどいぜ。間違えて変な眼鏡をかけたらいよいよ世界から孤立する。眼鏡から使い分けないといけないってことも覚えなきゃな。新しいものにピントを合わせる能力の欠如か。想像してたより苦しいもんだな。中年ってこんなに無能になるんだなあ。体が臭くなるだけでもキツいってのに。

2024-03-22

コミュママつええええ!!!!!

私は幼稚園ママ友を作らず孤立してるママなんだけど

ママ友がいるママって送り迎えのとき、会う人によって態度を変えなきゃいけないのが疲れるんだって

つきあい薄いママ挨拶のみ

ママ友挨拶プラス軽い小話する

この軽い小話もやりたいからやってるときもあるけど、「あっ、この人とは小話しなきゃ」って意識してやってるときもあるんだって

ママ友グループになって、ぺちゃくちゃしゃべってるのってやりたいからぺちゃくちゃしゃべってるんだと思ってたけど

いったんママ友達になってしまったら仲良く会話することが義務化されてしまうんか

ママ友いる人ってよくもまあそんなに毎日話題があるなあと感心して見ていたけど

私には無理っす。他人と会話せずにボーーっと突っ立って子供まってるほうが楽だもん。

2024-03-20

原口沙輔「イガク」ってモロに医療デマ皮肉る歌だよね。

誰も明言しようとしないからここに書き散らしとくけど。


https://www.youtube.com/watch?v=F38EuG2dAyM


そもそもこの曲、タイトルが「イガク=医学」で歌い出しが「ドクターキドリ=医者気取り」なんだからそれ以外にどう読み解けって話なんだけどな。

たぶんヘビロテしてる奴らはみんな気付いてる。気づいた上で誰も言ってないんだろう。そりゃこんなセンシティブな話その辺でできるわけねえもんな。分かる分かる。


勿論それ以外とのダブルミーニングもあるんだろうが、それは一旦置いといて。

ここらで一回「医療デマ、ひいては陰謀論全般風刺する歌」として「イガク」の歌詞解釈してみようと思う。


勘違いしないでほしいのは、これって別に他の解釈否定したいわけじゃない。

というかむしろ全然違う解釈を聞きたいんだよな。だから「こっちの解釈のほうがいい」とかあったらどんどん言及してほしい。


以下、本編。



ドクターキドリです 愛・爆破ッテロ

先にも書いたが「ドクターキドリ」とは「医者気取り」つまりデマ屋のこと。

「愛・爆破ッテロ」は「あいばくはってろ→あいはくばってろ→愛は配ってろ」じゃねえかな。

ここで言う「愛」は寄り添いとか共感とかそういう類のこと。嘆きに寄り添い優しい言葉をかけるのは詐欺師常套手段だ。


簡単になれば 埋まった マター マター

簡単になる」のは単純化するから。わざと間違った方向に単純化させてだまくらかすのもデマ屋の手法

「マター」は事例の「matter」であり再びの「また」だと考えると

「今回の事例もまた、単純化すれば埋もれていった」となる。

たぶん、「ドクターキドリ」の理論に疑問を持った奴がいたんだろう。

それを「ドクターキドリ」が単純化詐術でだまくらかして、デマの山の中に埋もれさせた。

そういう流れがなんとなく見えてくる。


ドクターキドリです 愛想良いか

「愛想良い」のは詐欺師重要資質の1つだ。


朦朧 オオトも 埋めた メタ メタ

前半は流石に分からん

メタ」ってのは俯瞰とか高次とかの意味

「埋めた、メタ」ってことは「客観視点を見えなくした」かな。

自身客観視させないことが陰謀論へ嵌めるコツらしい。


何処にも無いから寝ていたら
壊れて泣いてるユメを診たんだよ
次期には
嘘に診えてクルゥ

ここ、映像では一見リズムを取ってる」ように見えるけど、個人的には違うんじゃないかと思う。

「次期には嘘に診えてクルゥ」つまり「じきに嘘に見えてくる/狂う」で物を投げている=物に当たってること、それと異常な速度でスタンピングしているのを見るに、あれは苛立ちのメタファーなんじゃないだろうか。

そうすれば前半の意味も読み解ける。

「ユメ」とは睡眠時の夢じゃなくて将来の夢。

未来展望か今のやりたいことかできる仕事か……とにかく何か大事ものが今はもう「何処にも無いから寝ていた」ら、「将来の夢が壊れてしまったので泣いている子供の頃の自分」が見えた』。

「じきに(現実が)嘘に見えてくる/狂う」──つまり、「デマ陰謀論にハマる人間」の、典型的パーソナリティである


カオが→鈍器になっちゃうヨ

「顔」とはシンボルであり旗印のこと。顔役や作品の顔なんて表現はよく聞くと思う。或いは誰かのプロフィールアイコンのことかもしれない。

SNSで「鈍器」と言えば叩き棒のこと。「ポリコレ棒」のような、「他人批判非難するのに便利な思想理論」を指す。

作品事件他人思想を振りかざして誰かを非難しようとするやつ、割とよくいるよな。


偽が→権利を取ったんだ

ニセ科学医療デマ市町村政治マンション自治会ルールに入り込む、なんてのは最近よく聞く話だ。


無くなってほしい煩悩
ウヤラ生き延びてしまった
生き延びてしまったんだ!!

自分の受けている評価が不当に低い」「もっとお金をかければもっと良い治療が受けられるはずだ」といった「煩悩」を社会から排除しきれず(=生き延びてしまった)、結果それらが陰謀論医療デマの温床になった。


足が→タガメなっちゃうヨ

なるわけないやろがい……!

と、普通なら思ってしまうようなことを上手く騙して信じさせてしまうのが詐欺師の恐ろしいところ。


嘘が→動機になったんだ

デマ陰謀論(=「嘘」)を信じた人は自身の行動指針を変える。


疑ってほしい本能
ウヤ本心だと思った
本心だと思ったんだ!!

直感(本能)的には正しくないように見えることでも科学的には実は正しかったりする。疑うべきだった直感的な視点デマ陰謀論肯定してしまった。


クチョォ

韓国語で「そうでしょ?」の意味、という説を見かけたのでそれを採用


「彼は夢破れて希望もなくして現実を全部嘘だと思いたくなった。だからドクターキドリ」になって今日デマを吐いている。でしょ?」

というのが前半の歌詞なんだろう。


ドクターキドリです 全部辞めろよ

ここに来て「ドクターキドリ」に否定的な言葉が出てくる。

良くも悪くも客観的というか「ドクターキドリ」に近い視点だった前半から、ここから視点が交代しているように見える。


ティチュードが
動物に届く猛毒

ティチュード=態度。

動物(を現実にも求めるような騙されやす人種)には、詐欺師の人の良さそうな態度はまさしく「猛毒」だろう。

ここで「猛毒」なんて強い言葉が出てくるところも、視点の変化を感じるところだ。


損得の得の方ダケ
回った 割った 割った

メリットデメリット、利点と欠点の前者のみを(触れ)回った、までは読み解けた。

「割った」は割れ厨(正規料金を払わないフリーライダー)のことなのか孤立者(立場が「割れ」て無くなった人)のことなのかそれ以外なのか、いまいち判断がつかない。


カオが→鈍器になっちゃうヨ
偽が→権利を取ったんだ
無くなってほしい煩悩
ウヤラ生き延びてしまった
生き延びてしまったんだ!!

繰り返し部分


音が→機能になってしま

音楽芸術ではなく、主張のための道具になってしまう、という意味だと思う。

嘆かわしいことだけど、創作者が身を崩して陰謀論に染まるのは定期的に発生する悲劇の1つだ。


人が→偽りに集まる

ここからの一節は他にもまして直接的だ。

ここは「人々は陰謀論に惹かれる」ぐらいの理解で十分だろう。


塞がってしまえよ耳
ウヤラ届いて居ない診たい
届いて居ない診たいネ゛

「『耳を塞げ=あいつらの言うことを信じるんじゃない』という家族や友人の言葉も、どうやら届いていないようだ」


クチョォ

「そうでしょ?」



マニア考察記事で「(この曲は)とても論理的歌詞が作られている」と言っている方がいたが、確かにこうして読み込んでみると納得感がある。

……ところで、氏はこの次にどのようなアングラ題材を持ってくるのだろうか。正直、既に怖いのだが。

愚痴

この時期、社内の送別会や懇親会等の催しが多くなる。

普段交流の無い人や別部署の人たちと一緒に親睦を図ろう、というイベントで、いろんな人に会えるのを楽しみに参加するのだけど、

浮いてしまって会話の輪に入れず孤立してしまう。何かを話すのではなく、傾聴に徹していてもそんな状態なので、絶望的にコミュニケーション能力が無いということになる。

ただ、参加しなかったらしなかったで、今度は寂しくて辛い想いをしてしまうし、参加したらしたで前述のとおりなので、本当に面倒くさい性格をしているんだと思う。

また、参加して上手く立ち回れたと思っても相手との関係性が継続しなかったりで、結局俺なんかいてもいなくても良いんだと思ってしまう。

「寂しさ」という感情がなくなってしまえば良いのだけど、残念ながら俺はそんな風にはできていない。

気兼ねなく交流したい。会話したい。でも、どれだけ場数を踏んでも上手くいかない。

「小さい頃から行く先々でいじめられて、人と会うことに怖さを感じているから、緊張して上手くコミュニケーションが取れないのではないか」という意見を貰ったことがある。

かにそのとおりかもしれない。脳に焼き付いて消えることがないいじめ記憶と、学歴に失敗して人に話せないような学歴を未だに引きずっている。

それが、コミュニケーションを阻害しているのかもしれない。それならそれで、もう仕方がないのだと諦めるしかいか

懇親会に参加している人たちは、キラキラして見える。俺よりもまともな人生を送ってきたのだろうし、何の悩み事もない毎日を送っているのだろう。

そんな人たちと同じ空間交流することが、俺にはできない。

面接で何の問題もなく、スキルも充分やる気もある。そういう人を入れると受け入れられずに孤立して辞めていく。大体悪く言われてるけど、人事から見てると元々いた人が有能いじめしてただけだなってことが結構ある。で、今回また1人辞めていく。

リファラルで入れた人はすんなり馴染む。でもスキルは足りてない。仕事は前と変わらず全然回ってなくて、人が足りない人が足りないと言われる。上は人を入れたのに何で改善してないんだと言う。

ついでにいうと辞めた有能の残した実績で仕事してる。

採用無理ゲーじゃね?元々の奴総入れ替えして辞めた有能に戻ってきて欲しい…

2024-03-19

ヤバい人がいた

中途入社採用されたEは一見出来る人の様に見えた。

第一印象で言えば、増田で見かけがちな『挫折したエリート』『やたらと小難しい言い回しを好む人』と言った所か。

Eは「自分は以前いた会社イジメられた経験がある」と言っていた。

何でも新卒入社した会社イジメ退職、次に入った会社もその事を弄られた事がきっかけで

おかし人達に目をつけられイジメあい、一時期は精神を病んでしまったという。


そんなパーソナル且つコメントし辛い事を入社うそう言うのもどうかと思いつつ

イジメられた事自体可哀想だと思うし、周囲も最初は同情していた。

今まで辛い経験をしてきたであろうEには配慮してあげよう、という事になった。


ところがEは、とんだ人間だった。


まず、相当に口が悪い。

正確に言えば口調「だけ」は丁寧だけど物言いが酷い。

例えば仕事ミスをしてしまった新人や若手に対し、ミスを注意するだけに留まら

「こんな事(ミス)をする為の教育を◯◯大学(その人の出身大学)はしてるんですかね?」

「◯◯大学幼稚園なのかな?あっ失礼、◯◯さんの頭の出来が悪いだけでしたね」(実際は大したミスでは無い)

「不出来な人間を育てたあなた(新人)の親御さんも可哀想ですね」

などという、社会人としてはあまりにもあまりにもな物言いを平気でしていた。まさに慇懃無礼


勿論周囲や上司から注意されるけど、「私は先輩として注意・指導しただけです」と平然とするだけ。

当初のイジメの件もあり、周囲や上司はEにはあまり強く出れなかった事も災いした。

Eからの口撃に疲弊したのか、Eと同じグループ新人や若手はEが退職する頃には何人か退職してしまっていた。


目下(Eによる主観からしたら)の人間だけでなく、年長者にも同様の態度だった。

ある社員(N)は事情があって大学中退だったのだが、これもどこから知ったのか本人から無理やり聞き出したのか知らないけど

EがNの中退事実を把握した途端、露骨馬鹿にしたり挨拶を無理したりする様になった。

NはEとは別部署管理職に当たるのだが、部署からの依頼でもN経由だと露骨スルー

Nさんが怒ってEに直接問いただした所

あなたみたいな所詮大学中退の欠陥品、いえ欠陥人間仕事を優先する理由があるとでも?」

といった事を言った。本当に言った。


Nさん当然激怒してEに「何故そんな事を言われなければいけないのか?」と怒鳴った。怒って当然だと思う。

しかしそれが不服だったのか、EはNに「周囲の面前一方的糾弾されパワハラされた。精神的苦痛を受けた」

として、人事を巻き込みN所属部署の上の方にまで被害を受けたとある事無い事騒ぎ立て、結局NさんがEに謝罪する事で決着。

しかしNさんはその事を不服に思ったのか、程なくして退職転職してしまった。


Eは高学歴である事を散々自慢していた。

一方で、「その事が一方的嫉妬されて前にいた会社では迫害され、イジメられた」と言っていた。

Eは自身を優秀であるかの様に自負していたが、残念ながら自己認識ほどに優秀では無かった。(寧ろ無能寄りだった)


業務知識「だけ」はあるが、それを実務に活かせない場面が多く、典型的頭でっかちタイプだった。

また手抜きする上に確認を怠る悪癖があり、既存コピペを多用するが変更すべき所も変更しないでそのまま出す為

結局は誰かが確認修正時間を取られ、修正もEには出来ないしやらないので、尻拭いをする羽目になった。

Eにその事を指摘しても

業務のやり方が非効率」「自分効率的に仕事しただけ」

上司指導が悪い」「自分ミスをしたのは不可抗力であって私の責任では無い」

などと騒いで回り、決して自分の非を認めなかった。

尻拭いさせられた方が、Eから勝手にEの仕事を盗む、ケチをつける」「(Eの成果物ケチをつけるのは)私に嫉妬しているんですか?」

などと逆ギレされた事もあった。(自分もされた)


また、先の通り普通に無礼千万で、取引相手にも失礼なメール(ダラダラと持論を書き連ねた無駄な長文メールや、相手会社の偉い人を呼び捨てにするなど)

を平気で送り付けたり、対面でも失礼な言動を重ねていた。

例えば、相手会社でもMT途中で退席し、そのまま戻って来ず、勝手に帰社しており

理由を問いただすと「あいつ(取引先の担当者)の説明が退屈だったのでお付き合いする価値は無いと思ったので」と平然と言い放った。

その取引先は割と大きな所だったので、後日上司自分が平謝りに行ったが、Eは同行をするとすら言わなかった。


一事が万事そんな調子だったので、Eが入社して数ヶ月経つ頃にはすっかりEは腫れ物扱いになった。

挨拶ぐらいはするし業務上のやり取りはするけど、それ以外は一切ノータッチ

会社や課としての飲み会には一応誘う程度。(Eは酒なんて飲めないので行きません!って感じだったけど)


するとEは「周囲の連中にイジメられている!」と騒ぎ始めた。


「私の優秀な学歴嫉妬している」(そんな事実は無い)

飲み会に一人だけ参加出来なかった!」(あなたが断っただけ)

自分飲み会などの集まりから省いて孤立させようとしている」(勝手孤立しているのはお前)

ランチ複数人飲み会自分だけ誘われなかった」(当たり前)

「そういった場で自分の根も葉も無い悪評を捏造している!」(そんな事実は無い)

「周囲に無視されている。雑談をしようとしても避けられている!」(当たり前では…)


本人が騒いでるだけならスルーするだけだったが、Eは本社の人事に事実無根のイジメ被害通報するだけでなく

更にその上の上層部にまで「イジメ被害」の直訴のメール書類を送り付けたり

労基だのに通報するだの仕事そっちのけでずっと騒いでいた。


周囲は疲弊したし、問題が大きくなったのもあって、最終的にはEの所属部署上司責任を取って退職

同様にイジメ加害者だの騒ぎ立てられた何人かの社員退職した。

Eも最後には「こんな幼稚なイジメをしてくる会社なんて居られない。地獄に堕ちろカス共」

というメールを本当に送って辞めていった。



多かれ少なかれEみたいな被害者様的なタイプはいると思うんだけど(増田でもちょこちょこ見かける)

さすがにEみたいな『ヤバい人間は初めてだった。

後にも先にもEみたいな人間には出会った事が無いし出会いたくもない。


Eの自称を信じるのであれば、Eは優秀な学歴で、両親や親族も優秀な経歴の持ち主でそこそこのお金持ち家庭のご出身

E自身も自慢しつつ何故か親を下げていたが、Eの年齢・ポジション給料では明らかに釣り合いな

高級腕時計を何個も所有し、高価な電化製品も事ある度に買い替え

便利な立地の高級マンション一人暮らしで(親が家賃出しているらしい、と聞いた事はある)

ハッキリ言って『恵まれている』側の人間だ。


にも関わらず、あそこまで攻撃的且つ他責性が強い割に被害者意識は異常に強烈な人間になってしまうのは

まさしく『育ちが悪い』としか言えなかった。


さすがにもう関わる事は無いだろうけど、Eが辞めてから結構経ってるのに未だに覚えてるし

たまに夢に出てきてうんざりさせられるぐらいに強烈な人間はEで最初最後にしたいなって思う。


本当に、二度と会いたくないし関わり合いになりたくない。


E「イジメた」という前会社人達とやらも、きっと似たような気分だったんだろうな……

2024-03-18

男女比1:9みたいな環境に長年いると段々心壊れてくる

馴染めなくて孤立

2024-03-16

anond:20240316165336

ひどい性的虐待性犯罪より軽く評価されてるのは納得いかないわな

組織的犯罪というけど、心身へのダメージがより大きく孤立させる性的虐待への科刑が小さいこ自体国家ぐるみ組織的犯罪助長と言っていいよな

2024-03-12

anond:20240312113951

縁、それは現代では捨て置かれ、顧みられなくなったもの

人々は利益契約での明白な接続を望み、それは個人主義となって人々を孤立させた。

人々は利益契約説明できない愛を恐れ、距離を取った。

人々は光を望み、影を消そうとする。

どちらも、マナ女神が生み出したものなのに。

マナ女神は光。光そのものであるマナ女神自分の姿を見ることができなかった。

自分の姿を見るために、光の一部は影となり、その陰影で女神自分の姿を知った。

そこから創造が始まった。

宇宙の全ては、もとをたどれば光から出来ている。

全ては一つにつながっている。

ただ、自分の姿を知りたいと欲した、その気持ちけが、影となり、我々を隔てた。

(聖剣伝説 Legend of Mana)

影は我々であり、我々は光である。全てに因果がある。

人の意識は個にあらず。人の意識は、関わった人々への影響という形で存在する。繋がりが、ネットワークとして存在する。

人が続くなら、あなた永遠でしょう。

2024-03-10

anond:20240309140810

原文をポイントをまとめて読みやすリライトしました。

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精神障害による生活保護受給者からの訴え:苦しみと安楽死への願い

1. 自己認識と苦悩

精神障害による生活保護受給者であることを自覚し、社会的に無価値であると感じる

遺伝子レベル先天的欠陥を抱え、多重障害者である

恋愛を望むも、自身の欠陥が相手を不幸にすると考え、断念

・将来は孤独死ぬことを覚悟

2. 安楽死への希望

家電製品のように人生を静かに強制終了したい

自殺を試みるも失敗

自治体による致死量ペントバルビタール投与による安楽死希望

オランダなど安楽死合法化された国への羨望

日本での安楽死合法化に向けた陳情方法の問い合わせ

3. 人生狂わせたいじめ社会への不信

中学受験第一志望校合格するも、中学でのいじめによって人生が狂う

加害者責任を問われず、幸せ人生を送っている

理不尽社会価値を見出せない

4. 訴えの背景にあるもの

精神障害による苦痛

社会的孤立

・生きる希望喪失

安楽死への切実な願い

5. 私たちにできること

精神障害者への理解を深める

安楽死に関する議論を深める

・苦しんでいる人々に寄り添い、支援する

まとめ

原文は、「精神障害による苦痛孤独を抱える生活保護受給者からの訴え」です。安楽死への希望は、生きることへの絶望の表れであり、社会に対する深刻な不信感の表れでもあります社会としては、このような訴えを真摯に受け止め、精神障害者への理解を深め、安楽死に関する議論を深めていく必要もあると言えるかもしれません。

上辺だけ良好に取り繕われるも修学旅行の班選びで顕在化する孤立

2024-03-09

ダメJTCで中途採用してる人間です。

有能な人が欲しいって言われて希望聞いて募集かけるんだけどさ、全然うまくいってない。

デキる人は大体色々強い。採用しても、正直会社がうまく使えない。デキる人目線だと本当にストレスなんだろうな。あれもこれもない(物もスキルも)だから

勿論デキる人だから解決のために動いてくれる。でもそうするとプロパー達が頼りまくって、てか押し付けまくって潰してしまう。それか、妬み嫉みで孤立させる。人格的に問題ないと思った人も段々荒んでいくんだよな…それでこの度また退職者が出ます。あーあ。

無能だけど居座ってる古参が癌なのは分かってるんだけど、そういうのに限ってコネ入社だったりするんだよなぁ…

2024-03-08

Claudeのテスト: 量子力学における観測問題意識

Q: 量子観測すると状態確定してエントロピーが減少する。これは具体的に何を意味し、現実世界に何をもたらすのか。

A:

量子力学では「測定問題」または「波動関数崩壊」として知られており、量子の世界私たち経験する古典的世界とどのように相互作用するかについての基本的かつ非常に不可解な側面です。

量子力学では、電子のような粒子は、測定または観測される前に、複数可能状態を重ね合わせて存在します。

この重ね合わせは、すべての可能状態とそれぞれの確率を含む波動関数によって記述されます

しかし、観測や測定を行うと、重ね合わせが崩れ、粒子の状態可能状態の 1 つに「崩壊します。

したがって、たとえば、測定前にスピンアップまたはスピンダウンできる電子がある場合、その波動関数は両方の状態の組み合わせになります

しかし、そのスピンを測定すると、波動関数崩壊し、スピンアップかスピンダウンという 1 つの明確な結果が得られます

この「崩壊」、つまり測定時の状態の決定は、量子システム進化ランダム確率的な要素を導入しているように見えます

また、測定後にその明確な状態が分かるようになったため、システムに関するエントロピーや不確実性も減少すると考えられます

このことの意味は深く、物理学者によって何十年にもわたって議論されてきました。

1) 不定の量子領域を明確にする何か特別なことが測定や観測にあることを示唆していますしかし、「測定」とは何でしょうか? 私たち意識的認識は? それとも環境との相互作用でしょうか?

2) 古典物理学支配する決定論法則矛盾する固有のランダム性または予測不可能性を量子事象に導入しているように見えます

3) 観測とは独立して存在する客観的現実についての私たち概念に疑問を投げかけます観測するだけで結果が変わるようです。

4) 巨視的な世界では、このランダム性は通常平均化されますしかし、ランダムな瞬間に起こる自然放射性崩壊のような小さな観測可能な影響はあります

コペンハーゲン解釈客観的崩壊理論のような解釈は、このランダム性を自然基本的な側面として受け入れています

多世界解釈のような他のものは、波動関数崩壊を完全に排除しようとします。

しかし、この測定問題量子力学現実のもの理解に深刻な課題を投げかけていることに全員が同意しています

Q: 多世界解釈であろうと、意識特定の枝にの存在し、重ね合わせを認識しないように見えます。 では意識とは何でしょうか? 意識はどのように枝を選び、選択するのでしょうか?

A:

意識量子力学における測定問題関係は深い謎であり、物理学ではまだ完全に解決されていません。

ただし、あなた質問に対するいくつかの視点は次のとおりです。

 

[この文脈における意識とは何でしょうか?]

意識とは、認識し、認識された現実を持つという主観的一人称経験を指します。

量子の用語では、意識は、測定/観測が行われる前に、可能な重ね合わせ状態範囲のうちの 1 つの明確な状態のみを経験するように見えます

 

[意識はどのようにして枝を「選択」するのでしょうか?]

意識が重ね合わせをどのように解決するかについては、いくつかの解釈があります

1) フォン・ノイマン・ウィグナー解釈は、意識客観的波動関数崩壊を引き起こすことを示唆しています私たちの心は、重ね合わせから何らかの結果を特定します。

2) コペンハーゲン解釈は、波動関数崩壊が起こったとき、観察者の意識は単に確率的結果の 1 つを目撃しているだけであり、波動関数崩壊引き起こしているわけではないことを意味します。

3) 多世界解釈では、真の崩壊存在しないとされています。 考えられるすべての結果は、現実の別の枝として存在し続けます意識は実際に選択することなく、それらの分岐のいずれかに留まるだけです。

4) 意識自体は、観察された状態を引き起こすのではなく、根底にある量子状態から生じる高レベル創発特性である可能性があると主張する人もいます

正確なメカニズム不明ですが、ほとんどの解釈は、意識は測定後に可能状態のうちの 1 つを主観的経験するだけであることに同意しています

観察者兼参加者として、私たちは単に自分意識が枝の 1 つにあることに気づきます

重要な謎は、意識分岐選択する際に積極的役割を果たすのか(フォン・ノイマン・ウィグナー)、それとも多数の同様に現実的なもの(多世界)の中の 1 つの分岐に単に自分自身を見出しているだけなのかということです。

これを解決すれば、意識形而上学性質量子力学との関係が解明される可能性があります

 

Q: ではなぜ多世界解釈で、意識特定の枝に「留まる」のでしょうか。

A:

量子力学多世界解釈 (MWI) では、意識特定の枝または世界に「留まる」または持続するように見える理由は、デコヒーレンス概念と、枝がどのように本質的相互作用せず、それぞれの枝から孤立するのかという考えと関係しています

1) MWI では、測定が行われるとき普遍的波動関数は実際には崩壊しません。 代わりに、それは直交成分に分解され、それぞれが異なる可能性のある結果を表します。

2) これらのコンポーネント時間の経過とともに進化し続け、より多くの差別化された状態、つまりさまざまな結果が実現される「世界」に分岐します。

3) ただし、これらの分岐コンポーネントは、環境相互作用もつれにより、非常に急速に動的にお互いかデコヒーレントになります。 これにより、異なる世界相互干渉する能力を失います

4) したがって、すべてのブランチが異なる既存現実として共存しますが、動的デコヒーレンスは、それらが相互作用しなくなり、それらの間に測定可能相互作用や遷移が存在しないことを意味します。

5) あなた意識は、コヒーレントな量子状態自体構成されており、デコヒーレンス後の 1 つの枝の中に完全に存在します。 別のブランチと再結合したり、別のブランチに移行したりすることはできません。

6) 実際には、すべての枝が等しく現実であるにもかかわらず、デコヒーレンスプロセスにより意識がその枝内に閉じ込められ、他の枝の並行現実体験できなくなります

したがって、意識積極的分岐を「選択」するのではなく、デコヒーレンスプロセスによって、最終的には完全に 1 つの分岐した現実の中に存在することになり、多重性を直接経験する能力はありません。 このため、意識は一貫した 1 つの軌道だけをたどっているように見えます

いいじゃん女の中二病漫画があったって

[B! 漫画] 女の友情 - めんちれんじ / 【コミックDAYS読み切り】女の友情 | コミックDAYS

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/comic-days.com/episode/2550668105997208149

なんかブコメですごく叩かれてるけどさ

これは教室の隅にいたタイプ女子妄想漫画なんだよ

同級生バカだし

大人無理解だし

女は差別されるし

毎日イライラ

田舎理解者もいない孤立した日常

そこに現れた最高の友達

自分たち以外はみんなモブ

悲しいこともあったけど最後はやり返してスカッとして終わる

そう、どこかで見たようなベタお話

でもジャンプ+の読み切りで元殺し屋主人公が俺ツエーみたいな

これ中学生が考えたんか!?みたいな絵も内容も拙い漫画がよく載ってるじゃん

あれの女版なんだよ

中二病女子漫画なの

こういうのがあってもいいじゃん

作者は10かせいぜい二十歳ぐらいじゃないか

四十五十のブクマカが読むような漫画じゃないんだよ

ノットフォーユー

四季賞名前ハードル上がってるのかもしれないけど藤島康介特別賞だからいわゆる審査員特別賞でしょ

藤島康介は『ああ〜女神様』の人でベテラン作家から作品の完成度より青さを買ったんだと思うよ

それに全体的に画面はかなり凝ってるよね

影の演出とか

見開きの新聞配達コマの対比もすごく効果的だと思う

2024-03-06

ぬいペニも好きでペニを出したいわけではない

※長い前置きです※

同僚にかれこれ20年以上一緒に仕事をしているアラフォー独身女子がいる。

事務職員ということ以外の詳細は伏せるが、これだけ長く一緒に仕事をしていても恋愛に関する話題を一度として聞いた試しがなかった。

ルッキズムの話をしたいわけではないのだが、お世辞にも見た目に気を使っているとは言えず、先天的容姿についても恵まれているわけではない。

個人的な好みを抜きにして、この女性は異性にモテそうにないなと8割の人が思い浮かびそうな見た目と思ってくれれば良い。

彼女の特徴は、そうした第一印象恋愛候補になりづらい以外に、会話の一言目が下手という特徴がある。

基本的枕詞を使わないで、さら疑問形式で会話を始めてくるのだ。

例えば「〇〇の請求書の件ってどうなっていますか?」という感じだ。

ところが、聞かれている側としてみれば、この〇〇について、自分担当でもなければ手伝っているわけでもなく、場合によってはその時が初耳だったりすることさえもある。

それなのに、さも「あなた責任ですよね?」みたいな聞かれ方をするので、大抵の人間は会話の一言目で気分を害する。

それでもはじめのうちは耳を傾けていたのだが、彼女にしてみれば自分責任のない問題なので自分では解決しようとしないし、そのくせ相手対応を求めてくるので途中からまるで相手を責めているように聞こえてきてしまうのだ。

相手にしてみても当然責任はないので、そんなもの押し付けられれば最初はよかれと聞いていても、途中から苛立ち始めてしまいには怒り始めてしまうなんてことが彼女の周りでは当たり前に起こっていた。

これの難しいところは、本人にしてみれば悪気がないので、仮に冷たい反応が返ってきた場合相手が悪いという認識になってしまうところだ。

「私は真面目に仕事の話をしているだけなのに、相手勝手に怒り出して困る」

それが彼女認識なのだが、その結果、彼女は社内で孤立する存在になってしまった。

自分もそんな彼女に対して辟易して早々に距離を置いた一人だったのだが、この度の社内人事によって結構仕事量を彼女連携する必要が出てきてしまった。

入社して20年も経てば自分もいい大人でもあるので多少のことは受け流せるようになった。

感情を殺して彼女が何を求めているのか、多少時間をかけて傾聴をしてみるとそれまで見えなかったことが見えるようになった。

有り体な言い方をすると、彼女に不足していたのはいわゆる「Iメッセージ」で、「私が」が欠けていたのでいつまで経っても相手にはまるで自分が責められているかのように感じられていたというだけだった。

それがわかってしまえばしめたもので、「それについてあなたはどう思いますか」「それについて私がやるべきことはなんですか」「それによって予測できる生じるであろう問題点はなんですか」といった内容を聞き返すことで、彼女自信が何を求めているのかを紐解くことができるようになった。

こちらとしては結構仕事量を連携するためにまずは彼女とのコミュニケーションスムーズにすることが第一目標でもあったので、真面目に取り組まざるを得ない問題というだけであった。

そうなれば自然コミュニケーションの回数は増え、時間も増えていった。

いつものように、彼女から不機嫌そうな疑問が投げつけられる。

それに対して感情フラットにして、彼女の言わんとする事を傾聴しながら紐解いていく。

そんな事を繰り返しているうちに、ふと気がついた事があった。

※前置きここまで※

彼女の中でこんがらがっていた問題が紐解けた瞬間に、瞳がキラキラに輝くことに気づいてしまった。

大げさに言えば、推しの子のアイのように瞳がキラキラに輝やいて表情がぱーっと柔らかくなるのだが、それがエグいくらいにかわいいのだ。

先述の通りお世辞にもルッキズムには恵まれていない、そんな彼女がふと見せるそうした表情がどれほどかわいいのか、わかってもらうことは難しいかもしれない。

でも、事実自分にはそれがどこかのアイドルなんかよりもよっぽどかわいく見えてしまった。

理解してもらえるかわからないが、この表情は中毒性がある。

毎回確実に得られるわけでもなく、引き出そうとして引き出せるものではない。

こういうとき決まって思い出す鳩の実験があるのだが、押せば必ず餌が出るボタンはそのうち飽きて押さなくなるが、たまにしか餌が出ないと狂ったようにボタンを押しまくるというのだ。

まさにギャンブル中毒者のように。

それからというもの彼女の瞳がキラキラするのが見たくて、理由を作っては話しかけてしま自分を止められなくなってしまった。

今の自分にとって一番の楽しみといってもいいくらいで、まさか自分がこんな気持になるだなんて思ってもいなかった。

しかし、そうして彼女の瞳がキラキラと輝く瞬間、同時に自分は間違いなくペニが出そうになっているのを抑え込んでいる自覚もあった。

もちろん物理的に出したいわけではなく、彼女を抱きたいという性欲が湧き出てくるという意味でだ。

ぬいぐるみという自覚で接していたつもりも当然ないのだが、彼女に対して性欲を自覚するとは思ってもいなかったことなので戸惑っているというのが素直なところでもある。

ただ、このとき少なくとも”ぬいペニ”という言葉が、呪縛のように自分の罪悪感を刺激したことは確かだった。

ここでもし仮に、自分のペニが飛び出てしまうのは不意をつく彼女キラキラの瞳が原因だと彼女のことを非難し始めたら、それがどれほどおかしいことかは考えるまでもないことだ。

それならば、それと同じように、欲情する男が決まって悪いとされることも間違いなのではないだろうか。

男性の性欲は長くの間”暴力性”として扱われてきた。少なくとも自分はそう理解してきた。

から、責めるべきは相手ではなく自分の性欲であると、自分はそうやって言い聞かされてきた。

でも、今の時代においてはそれももう間違いだというべきであろう。

形は違えども子孫繁栄のための性欲はお互いに存在して、それに伴う生理現象から目を背けることはできないのだから

そう考えれば、ぬいペニという言葉男性一方的暴力性を押し付け差別的言葉しかない。

言葉の響きで濁されているだけで、それがどれだけ低俗暴力であるかは考えればわかることだ。

目の前にいるのはぬいぐるみでもなんでもなく、一人一人の人間なのだから

自分がこれ以上進むべきか決断できないことにぬいペニは関係いかもしれないけど、彼女から「ぬいペニだった」とがっかりされるかもしれない恐怖はやっぱり否定できない。

ぬいペニという言葉を使うことは否定はしないけど、使う以上は自分差別主義であるという自覚は持ってほしいと思う。

正直、ぬいペニがカジュアルに使われていることには恨みたい気持ちしかない。

そういう目的を持って使っている人は仕方ないけど、知らぬ間に差別主義に加担していた人は間違いに気づいてくれると嬉しいです。

近頃のランドセル事情について現役子育て世帯視点でまとめる

[B! 教育] ワークマン初のランドセルは税込8800円、「低価格・高機能・軽い」バランス重視の開発の裏側
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fashionsnap.com/article/2024-03-05/workman-school-bag/

なんだかブコメが粗ぶっていたので、今まさに小学3年生の現役子育て世帯として、現代ランドセル事情(東京都下)についてまとめる。
高齢者は今時の常識アップデートしてほしいし、これから出産・就学する親御さんたちの参考になれば幸い。

ここからの話は東京都下の公立小学校での話なので、私立都心部のリッパな学校地方の話はまた違うんだろうと思うけどね。

まずランドセルの色と形の話

まぁ、あちこち言及されているように、ランドセルと言えば本革の黒と赤、男子は黒で女子は赤、というのは全く持って時代遅れ
もちろん黒・赤の保守層一定割合いるが、もう半数前後かそれ以上がこの二色以外のパステルカラーアースカラーブラウンなどカラフルランドセルを使っているのがふつう。黒・赤でもアクセントカラーが入っていたりおしゃれ要素がある。

うちの子もなかなかに目立つ色のランドセル自分でチョイスしたので、入学前は多少気をもんだが、無印のランドセルの話でも出ていたように、「同じ色の子」「あの子は~色のランドセル」などとそれぞれの種類や色が個性識別きっかけとして受け取られる時代であるらしい。目立つ色で孤立していじめられるとかそういうことは滅多に無さそう。嘘だと思うなら近所の小学生の通学風景をよく見てみるといいんじゃないかな。
それと、女子ピンク・パープル・スカイブルー男子モスグリーンマリンブルーなどはそれぞれプリキュア仮面ライダー等の影響を感じるのは別の意味日本の子育てならでは。

そんなのこじゃれた東京学校から、と思うないなら、ランドセル大手ホームページを見てみるといい。

例えばシーズンになるとTV-CMもよくみかける「天使のはね」のセイバン
https://store.seiban.co.jp/shop/pages/instagram_user.aspx

それぞれ男の子女の子商品ラインナップを見れば真っ黒・真っ赤なモデルはかなり少数派、色以外の要素もめちゃくちゃ多様なのがなのがわかると思う。ふつう古典的ランドセル型の製品だけでもこうで、さらに今回話題になったランリュック的なモデルを使ってる子もいる。そういう時代なんだよね。

次に、ランドセルを買う話

よくあるのは「祖父母にリッパなランドセルプレゼントしてもらう」って奴。
あれはほぼ子供のためよりも祖父母に対する家族サービス
孫と一緒に買いに行って「これはおばあちゃんに買ってもらう」というシチュエーション祖父母に楽しんでもらうイベントなわけ。

まぁ経済面で助かる、というのもあるが、安い製品は2万円台で買えて十分に丈夫で見た目も良いデフレ時代そもそも高くて高級なランドセルを買う必要性って今ほとんどなくて、金銭面での理由付けは順位が低くなっている。

さらに、本革でオシャレなランドセルを背負わせたいという親の気持ちもわかるし、そこで親同士の見栄の張り合いとか、量産品をけなしたりする親もいるんだろうけど、それは完全に親のエゴ子供にはあまり関係ない。まぁ、都心の立派な学校お受験するような世界ではなんか違うのかも知れんけど、自分的にはそういう世界ちょっと嫌だなと思う。

それから子供ランドセル専門店に連れていくと、5歳児のセンスなので、当然派手なカスタムモデルや、くるくるの革細工で装飾されたモデルなんかに食いついたりする。そしてそれらは当然いいお値段になる。だから、実際に連れていくのは結構順番を慎重に考えた方がいい。「今日は色を選ぼう」とか「「ここでは買わないと思うけど見てみよう」などの予防線を張ってみるのもよいかもしれない。カタログも同様。本気で親の本命モデルがあるなら、偵察は親だけで行き、子には敢えていろいろ見せずにまっすぐ行った方がいいかもしれない。

あとは購入時期、一時期「ラン活」などと言われ、入学前年の夏ころには売り切れる、などと話題になっていたのは上記のような贈答用や見栄用の高級品の話。
それこそ一品物に近いような手造り製品からヨーカドーニトリで買える大量生産工業製品までピンからキリまで選択肢があるのが今の日本の豊かさと言えると思う。
量産品なら入学直前の3月に駆け込んでもまー多少選択肢は限られるけど買えないなんてことはない。

ランドセル検索すると、先ほどのような大手メーカーから専業メーカー、皮工房など様々な製品が並ぶ。実際、幾つもショップを巡ったり子供を連れて行ったりしたが、本当に様々だし、質感や使いやすさなど今のランドセルはよくできている。

けどさ、使うのは小学一年生なわけ。ボッコボコにぶつけるし、床や地面に放り投げる、あまつさえランドセル座布団替わりに使ったり、踏んづけたり、ソリ替わりにして斜面を下ったりしかねないわけ。
で、「だから、6年間使える丈夫な本革」というのは多分かなり時代遅れな発想で、そもそも今の量産品のランドセルは合皮でめっちゃ軽い。というかそれ以前にランドセルデカい。

ランドセルの使い方の話

なぜランドセルデカくなったか、というと

1. 教材が増えた

2. プリント教科書がB5→A4に変わりつつある

3. 学校に教材を置きっぱなしにできない(全くではないが)

4. タブレットChromebookなどを持ち歩く

等の要素が大きい。

そして、ランドセル以外に手持ちで運ぶ習字セットや絵画セットも立派でデカい。

とにかく、今の小学生の荷物の量は自分ら親の世代から見ると異常なレベルで、自分の頃の倍ぐらいの荷物持って歩いてるんじゃないかな?
正直、親から見ると子供がかわいそうだし理不尽さを感じるレベル。ただ、この辺りは学区や校風等さまざまな要素で変わるとは思う。

そういう状況でランドセルに求められるのは「収納力」と「軽さ」なんだよね。そこで「本革は時代遅れ」という話に繋がっていくわけ。大きいほど重くなる本革は今のランドセル要求仕様に向いていない。

もう一つ、ランドセルの使い方でポイントになるのはランドセルカバーの使われ方。
学校自治体・学区によって変わるだろうけど、低学年はランドセル黄色安全カバーを付けさせられる学校が少なからずある。
そしてその延長線上で、黄色カバーがなくなると、様々なデザインのオシャレカバーを付けるという話が出てくるんだよね。
ランドセル自体カラフルから、おしゃれ要素としてカバーを付けていても全然違和感が無いので、当然女子の間では「~ちゃんが~なカバー付けてる」みたいな話がでてきて、友達と仲間外れも気の毒だから親も買わされるわけ。そんなところもランドセル多様性に繋がる。逆に、ランドセルと言うフォームファクターが決まっているからできる要素ではあるかもね。

ランドセル寿命

ランドセルは本当に乱暴に使われる、乱暴に使わせないのが躾だというかもしれないが、まぁ、そういう家は頑張ってお受験してよい学校に行けばいいのではないか?
上で述べたように、今のランドセルは軽くて丈夫だしデカい。なので、6年間はまぁ使われても問題ない強度だと思うのだけど、一方で安い製品は本当にお手軽価格で買える。

なんで、そもそも6年間1つのランドセルを使い続ける、という事自体発想が古いのではないかと思うんだよね。
ここまで説明したように、皆で同じもの最後まで使う、という均一なコミュニティ時代ではなくなっているのだからボロボロになれば、高学年になれば新しく買い替える、ランドセルを止める、というのができる時代になっていると思う。
そもそも小学6年生まで大きくなればほぼ中一なわけで、その背丈でランドセルおかしくね? って子も出てくる。

ランドセル専門店カタログを眺めていると、6年間大事に使ったランドセル海外寄付しようとか、リフォームして思い出のアクセサリーに、なんて話も色々載っていて、それはそれで楽しいね、とは思うけど、例えば中一になった男子がそんなこと考えると思う? たぶん、それはそれで親の楽しみなんじゃないかな、と思うんだ。

から、これからランドセルを買わなきゃという親御さんも、そんなに気張ったり焦ったりする必要はないんじゃないかなと思う。
やりたい風にすればいい、色々なやり方がある、今の日本多様性選択肢があることを喜ぶべきなんじゃないかな?
ランドセルを作る側にしたって、色々なアプローチを試してみればいいと思う。売ってみて売れなければ撤退すればいいじゃない? 安いランリュックいじめられたら買いなおせばいいじゃない? 外野がとやかく言うような話じゃないと思うよ。

2024-03-04

「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」の元ネタ探求をしましょうね

いくつかバリエーションがある

無人島に[ジャンル制限]をn個だけ持っていくなら?」

無人島に[本]をn個だけ持っていくなら?」

無人島に[レコード]をn個だけ持っていくなら?」

……のような

[本]の場合に「聖書」という回答が西洋メジャーなことから元ネタ日本以外なのだろうとあたりをつける

調査の初手はとりあえずこれ

Desert Island Discs - Wikipedia

Desert Island Discs is a radio programme broadcast on BBC Radio 4. It was first broadcast on the BBC Forces Programme on 29 January 1942.[1]

Each week a guest, called a "castaway" during the programme, is asked to choose eight audio recordings (usually, but not always, music), a book and a luxury item that they would take if they were to be cast away on a desert island, whilst discussing their life and the reasons for their choices.

Desert Island Discs は、BBC Radio 4放送されているラジオ番組です。1942 年 1 月 29 日に BBC Force Program で初めて放送されました。

番組中「漂流者」と呼ばれるゲストは毎週、8 つの音声録音 (通常は音楽ですが、常にそうとは限りません)、本、そして船で漂流された場合に持っていく贅沢品を 1 つ選ぶよう求められます無人島での生活とその選択理由について話し合います

このラジオ番組存在から1942年時点で「あるあるネタであることは確認できる

アメリカ一コマ漫画で「無人島もの」というジャンル存在する……が、それが特に流行ったのはだいたい19世紀初頭頃の出来事なので"Desert Island Discs"とそう時代は変わらない

普通に考えれば『ロビンソン・クルーソー』以降なのよ

ロビンソン・クルーソー』は1719年4月25日出版された

これが売れて多くの人に読まれたからこそ"Robinsonade"というジャンルまで生まれ

Robinsonade - Wikipedia

Robinsonade (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) is a literary genre of fiction wherein the protagonist is suddenly separated from civilization, usually by being shipwrecked or marooned on a secluded and uninhabited island, and must improvise the means of their survival from the limited resources at hand. The genre takes its name from the 1719 novel Robinson Crusoe by Daniel Defoe. The success of this novel spawned so many imitations that its name was used to define a genre, which is sometimes described simply as a "desert island story"[1] or a "castaway narrative".[2]

ロビンソナード (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) は、主人公が突然文明から切り離され、通常は難破するか人里離れた無人島に置き去りにされ、手元にある限られた資源から生き残るための手段即興で考えなければならないフィクション文学ジャンルです。 このジャンル名前は、ダニエル・デフォーによる 1719 年の小説ロビンソン クルーソー』に由来しています。 この小説成功により、非常に多くの模倣作品が生み出されたため、その名前ジャンル定義するために使用され、単に「無人島物語」[1] または「漂流者の物語」[2] と表現されることもあります

ということは、探すなら18世紀か……

一応シェイクスピアの『テンペスト』も孤島が舞台になる物語だけど…

1611年頃

一応英wikipediaの"Uninhabited island"の"In literature and popular culture"の項にはもっと古い作品について言及がある

Uninhabited island - Wikipedia

The first known novels to be set on a desert island were Hayy ibn Yaqdhan written by Ibn Tufail (1105–1185), followed by Theologus Autodidactus written by Ibn al-Nafis (1213–1288). The protagonists in both (Hayy in Hayy ibn Yaqdhan and Kamil in Theologus Autodidactus) are feral children living in seclusion on a deserted island, until they eventually come in contact with castaways from the outside world who are stranded on the island. The story of Theologus Autodidactus, however, extends beyond the deserted island setting when the castaways take Kamil back to civilization with them.[8]

無人島舞台にした最初小説は、イブン・トゥファイル (1105-1185) が書いた『ハイイ・ブン・ヤクダン』で、次にイブン・アル・ナフィス (1213-1288) が書いた『テオログス・アウトディダクトゥス』が続いた。 両方の主人公(『ハイイ・ブン・ヤクダン』のヘイイと『テオログス・アウトディダクトゥス』のカミル)は、無人島で人里離れて暮らす野生の子供たちだが、最終的には島に取り残された外の世界から漂流者たちと接触することになる。 しかし、テオログス・アウトディダクトゥスの物語は、漂流者たちがカミル文明に連れ戻す無人島の設定を超えて広がります。 [8]



こういうmeme的というか、とりとめのない雑談あるあるネタがいつから存在するかって探すの超大変だ

残念ながら"Desert Island Discs"の1942年以前ではっきりと「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述発見できなかった

何故調べる事になったかって、なんもかんもこのツイートのせい

https://x.com/Circle_Halberd/status/1762628685679464845?s=20

有名な「無人島ひとつだけ持って行けるなら何?」という問答の元ネタ坂本龍馬

坂本龍馬は「国ぜよ」と答えて勝海舟を驚かせたという。

……という嘘豆知識

正直フフッと笑ったが、それはそれとして本当の元ネタが気になるのじゃわしは

wikipediaの"Uninhabited island"の以下の記述

The term "desert island" is also commonly used figuratively to refer to objects or behavior in conditions of social isolation and limited material means. Behavior on a desert island is a common thought experiment, for example, "desert island morality".[3]

無人島」という用語は、社会的孤立し、物質手段が限られている状況での物体や行動を比喩的に指すのにもよく使われます無人島での行動は、たとえば「無人島道徳」などの一般的思考実験です。

これの出典がOEDになっている

ひょっとしたらOEDに私の欲しい情報があるかもしれないが、OEDをすぐさま読める環境にないな……

人々が「無人島にもし漂着したなら?」というIFを雑談ネタとして共有できるということは大航海時代以降……"Robinsonade"というジャンル一般認知されている環境……であるはず

しか調査頓挫、有力情報がひっかかるまで塩漬けにする

へたすりゃギリシャ神話時代までさかのぼることが出来るネタかもしれん

オデュッセイア』とか……アルゴー船の冒険の話とか……船旅のエピソードがあるので、無人島に関するなんらかのミームの源流がそこにあっても驚かない

そうなったら手に負えん

日記

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改めてこれを参考に探し直すか……元気な時に

元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter

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ちょっと方針を変えてみるか

19世紀後半〜20世紀前半ごろがこの問答が定番になった時期である、という可能性を探りましょうね

近代的なレジャーとしてのキャンプとか、ボーイスカウトとか……サバイバルスキル知識一般に広まったのがおそらくこの時期

その知識がないと無人島何持ってく問答は発展定着しにくいかもしれない

いやーでも聖書って回答が多いって話があるならサバイバルスキル知識関係なさそうに見える……

聖書って回答が多いってのはどこ情報ソース無いですやん

→初期の定番問答は本を問う形式だった可能性もある、なんともいえん

サバイバルガイド的な本が19世紀刊行されてないかを調べてみるか

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"Desert Island Discs"の1942年以前で「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述発見

無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば: ケペル先生のブログ

このことを最初に明言した人はだれだろう。明治期にドイツ系ロシア人哲学者東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのものベートーベン楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。

発言時期が不明だが、この方は1923没なので"Desert Island Discs"よりおそらく古い

ケーベル博士随筆集』という本に記載があるらしいが……図書館に行かないと読めない類の本だな

しかしやはり『ロビンソン・クルーソー』が念頭にある発言か……

見立ては大外れしていなかったか

さて、さらにこれ以前に遡れるだろうか?

もうちょっと古い時代にも言及がありそうな雰囲気はある

ケーベル博士ロシア出身日本にやってきた人で、"Desert Island Discs"はイギリスラジオ番組

20世紀初頭には世界中で認知されている定番ネタということじゃないか

しかインターネットだけでの調査はそろそろ限界

本があるならいくらでも読むが、どの本を読めばいいかのあたりをつけるのが難しい

ここらで再び調査打ち切り、有力情報がひっかかるまで塩漬け

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ん……なんか別のバリエーションを見つけてしまったな

ゲーテが『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。』という言葉を残しているらしい

この発言の出典元文書ちょっとすぐには見つけられていないのだが

偉人名言は「実は言っていない」ってことが往々にしてあるから疑ってかかるスタイル

ゲーテの生没年は1749~1832

無人島に持ち込むものは何問答と直接の関係はないかもしれないが、一種クローズド環境に何を持ち込む?という発想はこの時代からあったということ

Robinsonadeの流行で便利なクローズド環境として無人島一般認知された?

元々「閉鎖環境に一冊本を持ち込むなら」という発想が存在した(その一冊とはたいてい聖書、なんというか最初から聖書という答えありきの仮定に見える気がする)
↓
Robinsonadeの流行で閉鎖環境として無人島が定着した
↓
メディアの発展で本以外(レコードなど)も問われるようになった
↓
さら時代下り、持ち込めるものジャンル制限になった

みたいな流れという仮説を立てれそうだが……

まあまあ、結論を急ぐことはない

頭の片隅エリアにこの疑問を保管してこの疑問は一旦クローズ

2024-03-01

anond:20240229135444

これ系の話は「子育て一世帯でやるな」という話に尽きるわ。

男も女も仕事子育てどっちも頑張りゃええんや。でも時間は有限だし社会はお前らやお前らのガキのママ違うわ。

から回らん分は両親なり義両親なり頼ればええねん。

なんで今は子育てしづいかってみーーーーんな核家族自分らで何もかも回すしかないと思い込んでるからや。そんで実際にはできもしない「僕が私が考えた理想のチームワーク」を押し付けあって逃げてるからや。

有史以来で今ほど家族が細分化した時代はないんや。昔なんてハナクソみたいな労働生産性カスみたいな食い扶持を得ていたわけや。孤立は死やで。

そんな中でも人間が増えてきたのは地域やら親族やらみんなで次世代をなんとか明日1日生かそうとしてきたからや。

せやけどそれはしがらみが面倒やら自由やらが足りない言うてバラけて行ったんが今や。

昔よりガキを育て上げるのに必要資源が物的にも心的にも増えてんのに育てるチームを減員したらそら破綻するやろ。その状態を続けていったらガキなんざ減るに決まってるやろ。世の中お前らより能力低い人間の方が多いんや。

少なくとも子育てキャリアを語る程度の能があるお前らならチームのタスク量と人員配置に例えればすぐ想像できるはずや。

そんな能あるお前らがなんで子育てになった途端に自分らで何でもやらなきゃと勘違いを起こすのか。

簡単な話や。お前らはこの期に及んでまだ自分人生主人公だと思ってんねん。頑張ったら認められるべきだと思っとるし苦労は報われると思ってるし誰かがどこかで自分の辛さを分かってくれると思ってんねん。

そのつまら自己愛プライド邪魔をして「自分ら回らんから助けて」の一言すら言えなくしてるんや。

なんでお前らよりキャリア賃金も低い田舎家族が楽しそうに子育てしてるか知っとるか? この一言が言えるからや。

お前らの人生はお前らのガキに自分人生主人公だと思わせる為のものに今、変わったんや。

anond:20240301140459

少なくとも新しい地図の3人は仲良いんやないか

キムタク孤立してたけど

2024-02-29

anond:20240229224839

好きな人自分の嫌いなやつと関わってるのを見るだけで好きな人のことも嫌いになりそうになりまた孤立を選びたくなる

え、え、自分は同じように他人から関わるべき人間ジャッジされても平気なの?

自他の境界なさすぎん?

他人はお前の脳内世界登場人物じゃないんやで?

在宅勤務、人と関わることがないかDiscord作業通話を始めたけど

人と関わったら関わったでめちゃくちゃストレスだよ、自分みたいなどーしようもない社会不適合者はどうしたらいいんですかーーーーーーーー

仕事中、仕事とは別に昔言われた嫌なことばかり思い出してしんどいからDiscordで人と関わろうと思っても今度はそこで嫌なことは言われるしーーー

あと人として好きな人自分の嫌いなやつと関わってるのを見るだけで好きな人のことも嫌いになりそうになりまた孤立を選びたくなる

学生時代からこれなんだけどみんなこれどうやって乗り越えてるん??

なんでみんなあんな顔も名前も知らん他人と仲良く話せるんーーーー

もうむりどこも居場所もないんだなぁーーーー

ほんとうに社会不適合者、笑える

こんな自分に向いてるコミュニティあったら教えてください^^

ヤングケアラー児童労働、よって人権侵害から駄目」という議論は少し雑だ。

児童労働人権侵害とされるのは、子供健康な発育の妨げになるのと、教育機会を奪うから

なので、15歳未満の子供が、心身の健康を害するような強度のケア労働学校に行けなくなっているような場合は、児童労働同等の人権侵害があるとみてもいい。

ただ、ヤングケアラーには児童労働とは別のリスクがある。

社会から孤立しがちなこと、孝行扱いされて苦悩が無視されること、外で働ける年齢になっても就労できないこと、いざケア労働から解放されても就労経験がないとみなされて就職できないことなど。

たとえば、高校三年生ヤングケアラーになって大学進学を断念、そのまま何年も家でケア労働してました、というようなケースは児童労働の枠組で救済できない。

というようなことを元当事者としてつらつら考えていた。

なおILO児童労働問題に関する手引きが分かりやすかった。

https://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/---asia/---ro-bangkok/---ilo-tokyo/documents/publication/wcms_854875.pdf

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