はてなキーワード: 回生とは
元・友人は今でもVtuberをやっている。私は性根が腐ってるので供養としてここに書き散らす。
【追記】思ったより読まれていて自分の悪文が恥ずかしくなったので、半分の長さに整えた。1万文字バージョン読んでくれた人ありがとう、書き殴ったの読ませてごめんなさい。
スポーツをやってた。サッカーってことにしておく。(例えに良いので)
そいつがVtuberになって活動をはじめて、練習をすっぽかすようになり「サッカーの大会にはもう出なくていいのか?」と聞いたら「がんばる」と言っていたが音信不通に。
「サッカーがんばろーぜ!」って盛り上がってたのは私だけだったようだ。つまり片想いでフラれて今これを書いている。
長文読みたくない人向けに、↑ただこんだけの話だとお伝えしておくな。
あとはこれを書いてる私の性格の悪さだけが感じられる、くわしーい仲たがいの流れ。
私は新卒カードをブラック企業に切る→給料未払い起こされて退職→生活保護手前のフリーター。
履歴書のみで見れば(成人してからまだ若いのに学校や会社のリタイア経験があるという点で)お世辞にも優良とは世間から思われないであろう2人。私はCに仲間意識を持っていたし、時々将来のこととか生活の行く末を、チームの中でもCだけと語り合うことがあった。
私とCのなりたい職業は同じで、昨年私がなんとかその職業につけた。サッカーコーチの職だ。
それをきっかけに年齢やら職業を意識したCは、私に「まだ募集があるようなら、私もその職場で働きたい」と、場合によっては紹介を希望する発言があった。私もCが同じ職場で働けたら楽しいだろうなと思ってた。
履歴書の内容がよろしくないので、せめて面接で話せる経験を増やそうとCと話し、田舎の大会より少し大きい大会に出ることにした。サッカーコーチ目指してます! とか言って、アマチュアのサッカー大会すらほとんど経験したことないってどうかと思ったので。
Cは大学でも寝坊やレポートのギリギリ提出をするタイプで、普段も大会1か月前からしか本腰の練習をはじめなかった。しかし今回は大会の半年前からしっかり体づくりや練習をしたい、サボりそうであれば声をかけてくれと本人も意気込んでいた。
Cは他のメンバーへの教え方がうまかったり、良いテクニックを持っていたのでチームでも慕われていた。チームの皆は「体力づくりやってますか、先生?」「先生は今がんばってる最中ですもんね~」とか言って声をかけてた。
正直にいえばその時点でメンバーの皆が「ん????」と思った。
Cには幼なじみがいて、バーベキューが好きな人らしくCを含めて「バーベキューの会」を開いていた。手先が器用なその人は、最近Vtuberにはまったのをきっかけに、自分でもVtuberモデルを作ったのだった。そして「バーベキューの会」のメンバーにもモデルを提供し、Cもモデルを貰っていた。
Cは「基礎体力作りとか、モチベがあがらないからさ。筋トレ動画とか、ドリブルとかシュートの練習動画を上げることでモチベを維持しようと思う」とチームにV名などをLINEしてきた。
CのVじゃない個人Twitterのつぶやきが私のタイムラインに流れてきて、生活の合間の時間は全部、機材の調達や撮影、動画資料作りに費やしているのが垣間見れた。週に3~4本は動画を投稿していた。
キャラのプロフィールには「大会に出るのですが、体力がヤバめ……。一緒に体力づくり&もっとボールと友達になりましょう!」と書かれおり、キャラとしての定番挨拶も「みなさーん、ボールと友達してますか~?」だったが……。
肝心の動画では「30分、筋トレします!」→自分の筋トレグッズ語りを25分、残りの5分で「雑談多めになりましたね。ちょっと集中!」と、ゆーっくりとした有酸素な腹筋を数回して終わり。
ドリブルやシュートの練習動画では、自分が憧れてるプロ選手のフォームの美しさを語る以外は、ほとんどボールは蹴らずに鏡を見ながら「体の重心が……」「いやもうちょっと足を……」と時々つぶやくのみ。30分間ほぼ無音・無言。ボールと友達、おまえが一番できてないぞ……という感。
ちなみに動画説明欄には「ボールを蹴る音、ASMRにもどうぞ」と書かれていたため、ASMR好きの私はASMR(をがんばって撮ってるYoutuber)をなめるなと静かに怒っていた。その怒りは一番どうでもいいのだが、その内、「#30日間おすすめのプロテインについて語るチャレンジ」「ホラーゲーム実況します!」という、定番のYoutuberな流れになっていった。
しかしモデル作者の幼なじみさんやそのフォロワーがCを褒め、グッドボタンを押していくので、Cは大満足の様子。
チームの私たちは黙って静かに見守っていた。逆に誰も何も言わなかったからか、Cはなぜかチームの私たちは、誰も動画を見てないと思ってたようだ。
チームのメンバーは呆れはしたが、「でも今回はCもちゃんと大会に出たいはず、本当にがんばらないといけない状況になったら、Cもさすがにがんばるでしょ」「やればできる子なはずだし……」と、まだ『仲たがい』まではいかなかった。
甘かった。
決定打になったのは、全部で3点あってその1。
Cに「私たちも動画を見ている、このままでは良くないと思う」と伝えた。
「もともと就職の話もあってCをメインに予定を組んでたから、このままだと大会への出場キャンセルも考えることになる。大会4日前のキャンセル期限までに決断したい」「できないことはできないと言ってほしい。それで友達やめるとかはない」と釘をさした。
Cは「こういうことをはっきり言ってくれる友達を持てて良かった。今、LINEを読んで泣いてます。動画の投稿頻度は落とします。できないならできないって言うし、正直に素直になります。私も自分の人生をかけるつもりです」と返してきた。
このやり取りの翌日。
「大会が近づいてきたので、実況プレイはお休みして、練習動画だけにします~」とは言っていたが、いつも通り筋トレという名の雑談動画を上げたCがいた。
更に数日後に投稿された動画では、よりによって家の階段から落ちて足をくじいたと告白。家の階段から落ちたのも、実況プレイをしていたゲームをやりこんでいて、徹夜して、寝不足が原因で足を滑らせたそうだった。
「全治2週間ぐらいなんでまあ……大丈夫です!」と語るC。
「いやいや? それなりの怪我で、大会出場に関わりそうなのに、なんでこっちに一言も報告してくれないんだ?」となる私たち。
これでCを心配するよりも、その誠実性の無さ(&先日LINEで泣いたとまで言ったのはなんだったのか)に抑えようのない怒りを持ってしまった。
更に数日後。Cは夜更かしをしていることをTwitterで語っていた。
足をくじいたからどうせ練習できないしと言って、生活リズムがおかしくなるレベルで、ずっとぶっ続けで野球のドラマを見ていた。
そしてくじいた足が治った頃(※大会6日前)に動画を上げ、「野球のドラマなんですけど、体力づくりの練習法が出てきてて、ありだなと思ったんですよね。今からこれやって、体づくりはじめます!」と動画で言った。
まず大会2週間前~1週間前の貴重な時間を、ドラマの視聴でつぶしたという事実。
またその練習法をやってるメンバーは実はチーム内に既にいた。そいつは1年前からコツコツやってて、やっと実践に活かせるようになってきた感じだった。そういうメンバーがチームにいるのを、Vtuberとして生活しすぎて、忘れたらしかった。
なんというか……本当にチームの人間が動画を見ているのも忘れているらしかった。そういう言い方をするのは、そのメンバーの努力を軽んじてるようにも聞こえた。Cはメンバーに対して、悪く受け取るなら『自分が参考にするところはない』と軽い見下しを持ってるのかと思った。
空しかった。Cとチームをやっていることが空しかった。また心が離れた。
大会の5日前にチームのLINEで「動画とか全部見てるよ。とてもメイン選手で出れる状態じゃなさそうに見えたけど、Cはどう思ってる?」と訊いた。
でもそのLINEは、いつもより既読が1足りなかった。Cの既読が付かなかった。
日付が変わる深夜0時までまった。絶対にキャンセルできない日にもなった。チームのメンバーが知ってる連絡先に連絡したが、応答はなかった。
これで、チームの全員が怒った。Cとは7年ほど付き合いがあって、人生のそれなりの相談もし合う仲だった。Cが自分の向き合いたくないことと私たちを天秤にかけて、私たちを無くす方を選んだ事実がそこに転がってた。
最近の世界の流れで、2030年代に内燃機関を積んだ自動車の新規販売を禁止しようという動きが盛り上がっている。
ただなんというか、どうもコロナ後の経済対策をかねて強引に需要創出したいからだろうか、電気自動車=エコ=ガソリン車をなくすのが社会正義的な短絡的な思考回路が気になっている。
またマスコミ等の、1日でも早く電気自動車に舵を切らないと電動化による部品点数削減のあおりを受けて、PCやスマートフォンで電機業界がやらかしたように日本の自動車産業は壊滅するといったパニック的な論調にも違和感を覚えるので思うところを書きたい。
ちなみに筆者は非自動車業界のエンジニア、ただし工学部出身なので自動車業界の友人は多く、友人経由で業界の話はよく聞いている。
新し物好きなので2010年代の日本で市販された電気自動車である三菱のi-MiEVや日産のLeaf、トヨタのMIRAIは乗ったことがある。
残念ながら、テスラはレンタカー代が高すぎるのでいまだに乗ったことがない。
・電気自動車が必ずしも内燃機関を積んだ自動車よりもエコであるとは限らない。
・内燃機関を積んだ自動車が電気自動車に置き換わることが即部品点数減になるとは限らない。
・パソコンの自作のように簡単に自動車が作れるようになって新興国のメーカーにすぐに置き換わられることはない。(スマートフォンのHuaweiのように、研究開発能力の高い企業が台頭してくれば話は別)
Well to Wheelって言葉がある。ざっくりいうと、化石燃料を油田から掘り出して、自動車のタイヤを動かすまでのエネルギー効率がどれくらいになるかという話である。
例として、最新のガソリンエンジン車と現在の日本で最大の電力源である火力発電所の電力で電気自動車を駆動させた時を比較してみる。
議論の単純化のために、ガソリンや、発電用の重油やLNGを精製するまでの効率は一旦無視する。
現在、市販車の中で熱効率が最も良いガソリンエンジンはリーンバーンエンジンだが、一番効率の良くなる回転域で熱効率40%程度である。
それに対して、2020年時点で最も効率の良い火力発電所やリチウムイオン電池の効率は下記のようになる。
送電ロス:3%
0.6*0.97*0.9*0.9 = 47%
日本にある火力発電所のなかで、熱効率60%を達成しているものはまだ少数であること、リチウムイオン電池の特性は経年劣化することを考える。
発電効率が50%、充放電効率が80%に低下してしまえば、エネルギー効率は0.5*0.97*0.8*0.8=31%まで悪化し、内燃機関に効率の上で勝てなくなる。
現状の発電所の電源構成をとる限り、電気自動車にエネルギー効率上のアドバンテージはない。
火力に代わる安定的なベース電力といえば、現状原子力の比率を上げるしか選択肢がないわけだが、果たして社会的なコンセンサスが取れるのだろうか?
余談だが、電気自動車にはエンジンの排熱が存在しないので冬場の暖房効率が悪く、ものすごく早く充電量が低下する。
(レンタカーで電気自動車を借りたときに、上記現象を経験して効率の悪さに驚いた。)
逆に、下り坂などでのモーターの回転を利用して充電できる回生充電という内燃機関にない特徴があるので、この辺りは一長一短か。
自動車の動力が内燃機関からモーターに代わると、エンジン、トランスミッション、ブレーキの油圧機構等が不要になり、
現在5万点といわれる自動車の部品点数が1万点程度に減るのではないかといわれている。
代表的なGPUメーカー、NVIDIAの最新GPUであるGeforce RTX3090のTDP(熱設計電力)は350W。
10年位前まではハイエンドモデルのGPUでもせいぜい200W以下であったことを考えると、世代が進むごとに熱問題が深刻になってきていることがわかる。
実用的な自動運転が実現可能なレベルまで性能を上げていけば、冷却用の機構部品が新規に必要になるのではないか?
例を挙げるならば、プレイステーションが新しい世代になるごとに冷却機構が大げさになっていくように。
一昔前にはバックモニター程度にしか使われていなかった車載カメラ。最近では自動ブレーキやドライブレコーダーの普及によって1台の車に複数積まれるようになってきている。
これに加えてドアミラーがミラーレス化されたり、自動運転が進歩するとさらにカメラやセンサーの台数は増える。
ちょっとしたドライブレコーダーでさえ、1つ1つのチップ抵抗やチップコンデンサを部品1つとカウントしていけば、トータルの部品点数は100を超えるだろう。
こうした車載電子機器の増加は、同時に電力や信号を伝達するためのワイヤーハーネスの増加も引き起こす。
少し考えただけでも上記2点のように部品点数が増加する要素が考え付くのだが、本当に自動車の電動化がすすめば劇的に部品点数は減るのだろうか?
動力源が内燃機関だろうが、モーターだろうが自動車が自動車である限り車体の構造は大きく変わらない。
燃費向上のためには車体を軽く仕上げないといけないが、十分な剛性を確保するためには強くしないといけないので、相反する要求を満たすため、車体に使用される鉄素材に占める高張力鋼の比率は年々上がっている。
一般的に、高張力鋼は加工性が悪いので、より高性能な工作機械を新規に導入したり、プレスや溶接の手法を研究していかなければならない。
また、自動車の安全性能に対する各国の基準は年々厳しくなっているため、横滑り防止安全装置等の機構を新規に搭載する必要が出てきたり、様々な角度からの衝突試験に耐えうるボディ形状を設計開発しなければいけなくなったりで開発や試験の工数が増加しているため、世界最大手のトヨタでさえ車体開発コスト削減のために車種数を統廃合しているご時世である。
この現状に対して、パソコンの自作のようにモーターを買ってきて車体に乗せれば誰でも電気自動車メーカーをつくれる状況が来るのだろうか?
自動車開発のノウハウも資金力も不足している新興国の新興企業が、日米欧の主要メーカーに対抗できるだけの設備投資と研究開発が実現できるのだろうか?
可能性はゼロではないだろうが、通信業界におけるHuaweiのように、国家の資金と研究開発リソースをぶち込んだほんの一握りの企業しか台頭できないのではないだろうか?
授業とかはさすがに変わらないけど、部活とか文化祭とかは参加する権利がなかった。
だって9割女だからね。部活はスポーツ系はそもそもないし。そりゃそうだよな。1人で何すんのって感じ。マネージャー?男一人で?(笑)キモがられて終わりだよ。
一回生物部に入ったけど無理だった。輪に入れないんだよね。ナチュラルにハブられるし。連絡されないから行事に参加できないし。1ヶ月くらいで幽霊化ですわ。
クラスに男3人くらいだから文化祭とか意思決定権がないよね。参加権もない。普通に頭数からは省かれる。「文化祭でクラス一緒になって~」とか言ってた女がいたけど、当然参加してない俺らはクラスのメンバじゃないんですよ。
スポーツ大会とか体育祭も同じ。一応競技には割り当てられたけど、練習は連絡がなかった。当日は女が体育祭やってる横で、クラスの男3人で集まってずっとゲームしてたな。
イベント系はだいたいこんな感じ。
後は単純に施設がなかったな。更衣室は無かったから体育の時は毎回物置で着替えてた。男子トイレは2つしかなかったから、昼とか男十数人しかいないのに混んでたな。
こういう設備とか、イベントとかで、お前らは邪魔みたいな感じの事を暗に言われるんだよね。他のクラスの男もほぼこんな感じで、なんていうか個人のスケールじゃなくて「男」というスケールで存在が無視されてるんだなと感じる。
まぁこういうの言うと「行事に参加しなくていいじゃん」とか言われるけど「参加しない」じゃなくて「参加できない」だからな。他校で普通に部活とかやってた奴の話聞くと羨ましいわ。
私は現在��大学��学部の��回生で、��を専攻しています。そろそろ周りが就活に動き出したので私もその流れに乗ってせっかくだし就活してみるか!と思い������社の選考をつい先日受けてみたわけです。そこは一年ほど前にかなりの情報流出をしでかした会社ではありましたが、ホームページは結構いけている感じでした。
昨今は��が流行っていることもあり��を使用した面接となりました。面接官の方は��歳で、非常に��そうな方でした。しかし、面接が始まると一転、��面接まがいのような態度をとってきました。なるほど、こういう人間が面接官をやっている会社だから情報流出するのですね。
自分で頭を使って目標を設定した事もなければ、何かを勝ち取る為苦悩した経験もない。
だから自分の中に確固たる自信がない。求め得るゴールをそもそも定義できていないからだろう。あるはずのない理想を追い求め、そのくせに他人との「差」ばかり気にしてしまう。
思い返せばこれまで、その他自分が「これをやっている」と思っていた事全て、自分の価値観ではなく他人の価値観の下設定された目標を「やっている感」を得る為になぞっているに過ぎなかった。
自分の内面からあふれた「やりたい事」ではないしそれを元に設定された目標でもない。
だから辞める事なんかいとも簡単にできたしありたい姿がないのだからそれに向かって苦悩し努力する事もなかった。
思い返せば自分がこれまでの人生で心から好きでやっていた行為…絵を描く事ぐらいである。
絵を描くという行為は中学生という思春期真っ只中の社会においては気持ち悪さの象徴だった。
俺は小学生から中学生に上がるにあたり、自分の性格や行動、人との接し方を変えたつもりはなかったが、
だから俺はやめた。自分の好きな事や考え、価値観を貫く、守る為に戦わなかった。
その時点で俺の負け犬根性は完成されたのかもしれない。
小学生のころからお前はすぐ人に流される。自分の考えがないのかと母親に言われた。
俺はその言われている意味すらわからなかった。仲の良い友達とただ自然に楽しい遊びをしているだけだった。何も考えていなかった。
物心ついた時から太っていた俺は基本的に他人よりも人としての価値が低いと思っていた。
人間ではなくデブとカテゴライズされて15年程生きたので、自分が自分を人として認識できるまでにずいぶん時間がかかった。
俺は彼女を愛していたし彼女も俺を愛していたと思う。大学1回生の時に俺が彼女への興味が失ったので別れた。
なぜ興味を失ったのか?恐らく自我を手に入れた。自分を人として認識できた事で、広い世界に出たかったのだろう。
その後できた彼女に対し俺は狂った。
彼女の行動を監視していたし日常的に説教していたように思う。当時はそれが正しいと思っていた。
今となっては、何もない自分を埋める何かが欲しかったのかもしれないと感じている。
就職活動を通じて俺は自分の虚無さに絶望した。やりたい事もなければ、人様に誇れるような能力も知能もない事がわかったからだ。
当時もやはり自分の頭を全く使わず、先輩やネットの言葉を鵜呑みにしながらもなんとか某企業に入社できた。
入社した会社は最高だった。ただ最高という評価は後から振り返ってみてできた感想なのであって、当時は辞めたいと言っていたし思っていた。
その会社は体育会系長時間労働のブラック企業で、毎日7時~23時ぐらいまでは働いていたし、パワハラ・暴力も当たり前の環境だった。
週末は同僚と上司の愚痴を肴に朝まで飲むような、絵にかいたようなクソ会社員だが、今考えるとこのころが一番楽しかった。
なぜなら、会社は一部上場で成長中、それなりの金がもらえた。それでいて一部の有能による指示の下、頭を使わず管理だけされてればよいのだから、低能労働者には最高の環境だろう。
実際に何も考えていないのに何か考えているつもりになりながら、長時間労働に精を出した。
その環境で俺はそこそこ評価されていた。俺は完全に従順だったし、恐らくこれまでの新人よりは根性があったのだろう。
俺のような低能にそれなりに飴を与えてくれていた上司や先輩も、俺と同じ様に軍隊式の環境に飼いならされた兵隊だった。
数年後異動した。これまでと打って変わって何も指示されない環境下となり、俺はやはり低能だった。
しかし運良く評価はされていた。俺は自分の頭を使って目標を設定し責任をもってそれを実行する能力はないが、言われたことをそれなりに見せる能力と、コミュニケーションにおいてなんとなく良い奴に見せる能力はあった。なので環境が味方し、俺は昇進試験に受かり、小さな自尊心は満たされた。
だが、つくづく俺は低能なので、転職・副業ブーム、アフィリエイターのカモになった。
何も考えられないのに何も考えずに転職し、年収が数百万下がった。
そこそこの会社の正社員という宝を自ら手放し、俺は底辺になった。
俺は今、生きるのが苦しく、しんどく思っている。
この状況を変えたいと思っている。でも、なにもないのである。自分が何を追い求めたいのかすらわからない。そんなことをしたことがないので。
おそらくこういった事に悩み、思いを巡らし、何かしらの答えを見つけ、歩みだす行為は、大学生までに終わらせるか、一切気づかずに生きるか、どちらかであるべきなのであろう。
ただ俺は28歳というええ年もええ年で気づいてしまった。自分がいかに低能で、頭を使ったことがなく、自分の人生を生きたことがなかったかを。
サークル内で煙たがられてる後輩を追い出したいけどどうしたらいいかわからない。
A:2回生(女)。大学進学で地方から上京。忙しい他サーに軸を置いてるからあまり活動には参加していないけど学年をまとめてくれるので助かってる。顔はまあ(察し)
B:2回生(女)実家暮らし。ヒラだけど活動は割と参加してくれてる。顔は普通〜そこそこ。こいつを追い出したい。
うちは音楽系のサークルで男女比はだいたい1:1。時々学内のイベントに参加して、メインイベントが学祭って感じ。
去年の夏頃からずっとBはAにいじめられてる(Bをハブにして悪口言ってる)んだけど、Bはちょっとアレな人だしぶっちゃけいじめられるのも仕方ないと思っている。
AとBの代が入った当初は女子が8人くらいいて、Bと特に仲良い女子が2人いたけどなんか2人とも早々に辞めた。(今は女子5人。Bは孤立している)(以下Bがハブられてる主な理由)
①空気が読めない
去年の夏に親睦会も兼ねて飲み会をした。1次会は参加必須、希望者のみ2次会に行くことになった(当日流れでやることになった)。でもせっかくの親睦の場だしAとBの代は全員2次会に来るように言った。
だけどBは「明日授業早いので……」とか言って22時過ぎくらいに帰った。(1限あるのは仕方ないけど空気くらい読めよとは思った)
1次会で先輩から気に入られてたAは「2次会出ないとかBはお嬢様ぶってる」とか「空気読めてない」とか飛ばしてて先輩もそれに同調してた。実際1次会でもBは話を振られてもぎこちない感じで話してたし自分のことをあまり話さないし、(ABの代の皆が酒を頼むなかでBは普通にソフドリ飲んでたし)誰もがBは空気読めないって思ってたと思う。
②協調性がない
外部の指導者の先生が交代するので、先生にプレゼントを贈ることになった。プレゼントは学年ごとで話し合って贈ることにした。
プレゼントを渡す会の1ヶ月前になって、Bがプレゼント選びに入れてもらえないと相談に来た。自分もちょうど忙しかったし、大学生になってまで小学生みたいなこと言ってんじゃねえと思ったので、Bの代のリーダー格のAに聞けって言って突き放しておいた。でも結局Bはプレゼント選びに参加できなかった。後でAが学年ぐるみでBをハブにしていたことがわかったけど、リーダー格のAに歩み寄れないのはまあ協調性のないBが悪い。(Aには後で軽く注意しておいた)
有志はサークルと並行して他大学の有志が集まってる楽団や社会人楽団に入っている。なお今のメンバーでは他のコミュニティに参加しているのは少数派。
Bはそこそこ上手いのもあって他大学の有志の楽団に参加している。もちろんうちの大学のサークルの練習には参加しているけど他大学の楽団の方に軸を置きつつある。うちのサークルに所属していなくてもその楽団に参加できるんだから、Bはサークルにいる意味があるんだろうかと思う。
長々と書いてきたけど要はBはうちのサークルに合っていないと思うから辞めてほしい。(やり方があまりよくないとは言え)Bは同期からハブられてるし、Bの同期のリーダー格のAをはじめサークル内のほとんどからよく思われていない。
ぶっちゃけBさえいなければサークル全体の雰囲気が良くなるし面倒事が減って楽ではある。Bが自発的に辞めてくれるのが一番だけど辞めろとは強く言えないし、どうしたらいいだろう。
中学二年生の頃に英語の先生が話す海外での留学経験や文化の違いなど海外旅行にも行ったことのない私にはとても新鮮で魅力的に写りました。
海外在住時に付き合っていた外国人男性のジェントルマンさ、ボリューミーなご飯など田舎者の私にとって特殊な経験が羨ましかった。
そこから英語学習が海外の人とたくさん話せるチャンスになると分かり、あっという間に得意教科は英語。高校は珍しい国際コースが選択できる公立高校に進学。その当時二週間のカナダとの留学プログラムがあり、海外の学生をホームステイ先として受け入れることで自分もカナダに行けるプログラムをしり、もちろんとびついた。母親にねだるも4人兄弟が家にパンパンにいるのに、受け入れる事はできないと拒否。そもそも月四万円ほどのバイトでは金銭的にも二週間でさえカナダに行く事は厳しかった。
大学進学を目指すことにしたのは高二の11月あたり。今思えばかなり無理な志望先だったけど、交換留学で相手校の学費を払わなくていいという大学だけをしぼり、もう勉強した。結果は第二志望に入学する。第二志望は留学が卒業要件であり費用が安い以外何も知らなかった。入学後、なんと半年以上の留学が必須と書いてあるサイトを鵜呑みにして一年間留学できると思い込んでいた私に驚くべき情報。本学部の留学は半年のプログラムです。一年行きたい方は他学部もお応募できる交換留学制度を利用してください。つまり一年留学を全員ができると思い込んでいた私にとって最初の後悔が生まれる。他学部が応募できるという事はライバルが増えるからだ。
二回生の後期に2020年九月出発のイギリス留学のスコアを獲得し合格する。中学生からの願いがやっと叶う。
しかし2020年3月日本でもコロナウイルス拡大により、7月に留学延期を言い渡される。というか、パンデミックで来年もいけるか保証できません。留学延期か中止どっちにしますかという選択を迫られる。半年の留学のオンライン留学が進められる。ここまできて引くわけにはいかない。私は延期を希望する。ここで大きな問題。コロナが11月になっても収束しない。もし来年留学できない場合、2022年の、つまり5回生の前期(留年生の就活期間)に留学するといういつ就活したら良いのか状態に。将来のことを考えると先が見えない留学生活に希望を抱くよりも、就活を優先し経済不況の中で確実に就職先を見つけた方が良いという判断。
留学辞退届けをワードにダウンロードし、当時の志望理由、辞退理由を書き込む。途中、何度も手が止まるも、今回は選考していただいたにもかかわらず、関係者の皆様にはご迷惑をお掛けする結果となり、申し訳ございませんでした。全部かけた。
この結果は大学選びが間違っていたのか、コロナが流行したときに迅速な対応を取らなかった政府を恨むべきか、高校の時に留学ができない自分の経済状況や、計画性の無さ、受験に落ちたこと、努力不足、中流家庭に生まれながら海外留学を望んだ事、奨学金を利子有と無利子の両方をフルで借りている不甲斐なさ、劣等感を感じた毎日、どう頑張っても帰国子女の友達には勝てない現実、大多数の友達みたいに卒業するための100万する半年の留学をパンデミック前にしとくべきだったのか、人生初の留学に浮き足立つ何ヶ月間、留学先では勉強だけに集中したいがためにバイトに明け暮れた日々、留学を中心とした生活はオンラインで繋がる大学生活をつまらないものに、全ての選択や行動を間違えからでしょうか。
海外留学のたった一年にそこまでバイトするほど価値はない、留学に行ったからって何か得るわけではない、泣くほど悲しむことではない、コロナで経済的に苦しく食事もまともに取れていない人もいる。すいません。行ったことないので留学の価値というか留学がどういうものか語る事すらできません。
初めて長文をネットに投稿するので、不備があったら申し訳ありません。また細かい部分は匿名性の保持のため一部改変してる可能性があります。
タイトル通りですが今年の9月に某国立大学を中退しました。現在24歳です。大学には理工学部に5年半在籍していました。1回生、2回生までは普通に進級できたのですが、3回生でつまづき(後述)、そこから休学を挟んで3年半3回生を繰り返して最終的には中退しました。
幼少期から勉強は非常にできる方でした。勉強するという点においては他の子と比べてあまりに要領が良かったのだと思います。勉強時間はそんなに取らずとも吸収力はすさまじいタイプでした。両親の学歴はともに平凡でしたが教育熱心で幼稚園から公文などの学習を始めていました。小学校4年生から学習塾に通い、中学受験もして難関中高一貫私立校に合格、入学しました。
ただ私自身は勉強自体が好きだったというよりはゲーム感覚で解けるのが楽しかっただけでした。そして中学受験までは良い大学に入って良い企業に就職するということが当たり前の幸せ、人生の目標といった感じでなんの疑いもなく勉強していました。しかし入学後にその考え方は複数の理由で消え去りました。この「良い大学に入って良い企業に就職する」という考え方は、後に両親が一種の洗脳に近い考えを私に植え付けていたのだと感じました。もちろん前述のようなレールに乗っかる人生設計は社会的に成功する可能性を高めてはくれるので他の人から見れば贅沢の浪費だと考える人もいるかもしれません。しかし当時の私はそうは思えませんでした。
中学入学以降私の成績は落ちていきます。中高一貫校に入ったおかげで高校入試もなく、生徒の自主性を重んじる校風もあり強制されて勉強させられることもありませんでした。自由な時間が増えたので私は遊ぶことに費やしました。テレビゲームだったり部活仲間とのカラオケ、ボウリングなど、一般的な中学生でした。成績は落ちたと言っても有名私立校で真ん中くらいの成績でした。これは高校3年生まで変わりませんでした。勉強時間も日頃は宿題をやる程度でテスト前だけ範囲分おさらいするくらいでした。
しかし、勉強好きだった(ように周りからは見えていた)私が勉強しなくなった一番の理由は、周りの圧倒的な天才集団を目の当たりにしたからでした。もちろんそれは一部の生徒でしたが、数学オリンピック金メダリストだったり、論文コンテスト最優秀賞だったり、とにかく次元の違う天才がゴロゴロいました。もちろん彼らも類稀なる才能の他に血のにじむような努力はしていたに決まってるのですが、当時の私はその才能に嫉妬し、「とてもじゃないが敵わない」と感じ、トップオブトップを目指すのをやめてしまったのです。そこから勉強するのが苦痛になりました。「どうせあいつらには勝てないのになんで勉強する必要があるんだ」と。
その結果勉強の方はなあなあで高校3年生まで過ごしてしまいました。それでも一定の学力は維持していたので効率よく勉強する才能だけはあったようです。
とにもかくにも高校2年生になった私は自然と大学受験を意識し始めます。将来の夢もそれのために行きたい大学もなかった私はとりあえずどちらかというと得意だった理系を選択します。大学受験しないという生徒は周りに1人もおらず、仕方なく周りに合わせて大学受験する、といった感覚でした。
高2のときは一応東大を目指していましたが本気で勉強しないで行けるほど甘くはなく、高3の夏にはランクを落として某国立大学を目指すことになります。その大学ですら日本ではベスト10に入る有名大学で、企業からも高く評価されている大学です。「この大学にならほとんど勉強せずに入れるぞ」と感じ、それでいて社会的に一定の評価を得られると思ったのです。
実際高3の夏以降の平均勉強時間は、平均1日5時間もなかったと思います。
そんな舐めた私ですが、センター試験、2次試験ともに無事終了し、結果は合格。
世間一般の受験生からすればほとんど勉強せずに有名国立大学に入って「しまい」ました。自分の受験に対する計算がぴったり合っているくらいの小さな努力とそれなりの結果の相関があり、割と満足してました。
大学は自宅から通える範囲ではなく、ひとり暮らしをはじめました。大学生になってからは自由を得たこともあり、誇張なしに全く勉強しませんでした。1回生、2回生まではほとんど単位を落とすことなく進級できましたが、そのあたりで異変に気づきます。「授業についていけない」と感じることが多くなってきたのです。大学の理系科目の高度な授業を勉強せずとも理解ができるほど私は天才ではありませんでした。同級生に過去問などをもらったりして単位を拾ってはいましたが次第に大学の授業に出られなくなりました。最初は自分が怠惰なだけだと思っていたのですが次第に大学に向かうだけで動悸、めまい、嘔吐などの症状が出始めました。これはもしやと思い心療内科に行くと案の定うつ病と診断されました。
これだけ見ると「何だこいつ甘えてるだけじゃないか」と言われそうですが私は自己分析していました。メンタルの弱さと完璧主義です。
もともと完璧主義者のようなきらいがあった私はできない事があるとすぐ嫌になってしまう性質がありました。小学校の頃は図工や家庭科などの副教科が苦手でうまくこなせないと授業中泣いてしまうことも多々ありました。周りの子に主要教科では負けたことがないのにです。また中高時代の天才に出会ってからトップオブトップになれないという挫折を引きずっておりそれが数年たって限界に達したとも考えました。
私は4回生にあがれず留年しました。2度目の3回生を始める4月に休学をして、2年間大学に行きませんでした。その間将来に対する不安が募りました。大学すらまともに行けず、しかも自分の努力不足であるという自己嫌悪に陥り、社会人としてやっていける自信もなくなっていたのです。死にたいと思ったことも何度もありました。
しかし大学から離れたことでうつ病の症状は緩和され、バイトを始められるまでになりました。
そのバイト先で評価され社員にならないかという打診を受けて、大学を中退し今年の10月から社員になりました。大学にこれ以上在籍しても勉強・研究する気は全くないし、自分の将来にプラスになることはないんじゃないかと思い思い切って中退しました。現在は後悔は全くないです。
長くなりましたが一応まとめを書きます。この話から皆さんに伝えたいことは人生は辛いことから逃げていいということです。
私自身いわゆるエリート街道を歩んでいましたが、挫折し、レールからは外れました。少年時代描いていた未来とは大きく異なっています。高卒ということで今後大企業に就職できる可能性は大きく減りました。昔ならそれに耐えきれませんでしたが今は非常にポジティブに生きています。
しかもイレギュラーではありますがコロナ禍の現在、就職できただけでもありがたいと考えていますし、現在の仕事にやりがいも感じています。人生一度きりだし後悔のないように楽しく生きる。これが今の私の人生観です。
アラフォー。元増田と同じプログラマではないが元プログラマで今も IT エンジニア的な何かをやっている。肩書には シニア の文字があるが社内で特別シニアが貴重というわけではなく管理職ではないのでぺーぺーである。
気づけばチーム内のみんなが全員後輩で年下。なんだかやることなすこと空回りしていることに都度寂しさと難しさを感じている。
・仕事の仕方やキャリアの話にマジレス → なんだか問題提起したメンバーを詰めているみたいな空気に。
・怖いのかなと思ってオヤジギャグ → 気を使った笑い
どつぼにはまっていく感。なんというか自分が現場にいてプレイヤーとして若者と一緒にやっていても実は全体の生産性を下げているだけなんじゃないかという気がする。自分がいないほうがコミュニケーションもスムーズだしみんなのびのびと働けるんではないだろうか。
・技術的な間違いを指摘して正しいことを言ってるんならいいじゃ? → 分かる。でもそれでチームやみんなの生産性がホントに上がってるかは別だよね。
・レスの仕方が悪いんじゃ。要は言い方、伝え方 → 分かる。しかし、それを考えるのも大変だしうまくできない。若い頃はむしろ少し噛み付くくらいの意見で上司にも先輩にも積極性を評価された成功体験?に甘えてきたのかも。スキル不足。
体力的・技術力的 限界というよりは、プレイヤーとして横並びの仕事をチームで担ってもうまく歯車になれないんだよな。なんなんだろうなこれ。かといって管理職になれるかと言うと会社もちゃんと人を選ぶので難しい。今の職場は転職して4年。ようやく仕事になれてきて子供らはまだ小さくて手がかかるし転職はなー、できれば避けたいんだが。まあもう活動し始めてしまっているんだが。
大学時代の同じ研究室に2留か3留かの4回生の先輩(同級生?)がいて、その人自体は真面目で優秀なんだけど要領悪いというか運が悪いところがあって、長く学部に在籍されていた。研究室の飲み会にかならず1分遅れくらいで登場する。時間ピッタリではなく2分遅れでもなく毎回必ず1分遅れぐらい。ある日軽く「なんでいつも1分遅れでくるんですか?」聞いたら「おれみたいなの5分前とかに着いてたらみんなくつろげないだろ」と言っていた。今なら分かるような分からないような。どっちにしても時間ぴったりに来りゃいい。
わかりづらくなってしまったのだけど、いいたかったのは自分の実力や技術力やその成長が維持できていたとしても年をとる、ということで周りと食い違っていくのだよね。自分は変わってないつもり、それが一番やばいよね。なんつーか老害には老害の居場所があるんだろうな。自分の職場なんかドツボにはまった結果いまなら咳をしただけでやたらに気を使われる感じで、もう取り返しがつかないよね。元増田は遺言という表現を使ってたので自分は 辞世の句 を。
私は元増田さんよりもっと酷かったです。元増田さんはこれでも読んで元気出してください。
・バイト初日、店員の顔色を伺いすぎて10分前に着いたにもかかわらず遅刻
・バイト2日目、前日に教わった事を覚えきれず怒られる。
・次のバイトはレジ打ちメインだったのだが、入力ミスで誤差3000出す(自動レジなのに)
・レジ締め作業がなかなか覚えられなかった(3回目くらいでやっと覚えた)
今大学4回生だけど、恵まれた環境とそこそこの運と愛嬌でやり抜いてきたから、今詰んでる。専業主婦目指してたけれど、パートナーに頼り切るのは申し訳ないし、子供産むもんなら子供が可哀想。人生詰んでる。マジ。
そして大阪から東京へ上京するために貯金を貯めとかないといけない。そのために私は居酒屋バイトを始めた。
始めたキッカケは前回の記事(anond:20201009124045)で私の金沢弁をバカにした友達(以下の文からA君とする)に「俺と同じ居酒屋でバイトしなよ〜」と誘われ今年の4月に某居酒屋チェーン店にアルバイト入社する事になった。
しかしそれと同時期に就活やコロナの影響でバイトに入ることが出来ず、7月の時点で店で働いたのは数回しかなかった。
そしてそこから店はコロナ休業したのだが、つい先月また新たに開業したのだが人件費の問題上、私のようなまだ数回しか働いていない人よりベテランで動ける人を優先的にシフトを入れるようになり私は7月から3ヶ月以上居酒屋バイトをしてこなかった。
しかし、一昨日ついにシフトに入れてもらうことが出来て私は3ヶ月ぶりにバイトをすることになった。
そのメンバーは店長、A君(バイト歴4年)、同じ学校の女子大生(バイト歴3年)、私(バイト歴6ヶ月、実際働いたのは数回)の4人だった。
私以外のメンバーはコロナ明けからはバリバリ働いており、さすがベテランという動きをしている。
しかし私は本当に久しぶりに働くのでメニューや店のシステムが変わっており、最初は何が何だか分からず"何をしたらいいのか""どんな風に働けばいいのか"が全く分からなかった。
しかし、時間が経つにつれて徐々にやり方を思い出していき中盤からは久しぶりの出勤にしては割と動けてる方だと私は感じた。
実際、お客さんからのクレームは無くむしろ「店員さん元気でいいね」と30代くらいのサラリーマン集団に褒められたくらいだ。
そして店は閉店時間になり締め作業もやり方を忘れていたが店長に教えてもらい、無事に締めることが出来て私は「久しぶりにしては本当によく頑張った」と自分を褒めながらルンルンと帰宅した。
しかし次の日、私が入ってる学科のクラスのLINEグループでグループ通話が始まっており私は何となくそれに参加した。
するとその中に昨日一緒に働いてたA君もいたのだが、そのA君が「そういえば昨日一緒にバイトしたけど全然働いて無かったなw」とみんなが通話を聞いてる中で言われた。
私は「え?そうー?」と軽く流したが、A君は「なんか悪いことは何もしてないんだけど良いこともしてなかったよなw」と言ってきて私含め周りの友達も「どういうこと?」と聞いた。
するとA君は「食器とかを片付けるときに女子大生の子が片付けてる横で君が料理を提供してそのまま片付けを手伝わないまま戻ったことに女子大生の子がキレてた」という密告をしてきた。
いや、手伝って欲しいなら「手伝ってください」って言えばいいし、食器の片付けを手伝うというのがルールならそれを知らなかったから教えてくれればいいものの、なぜ人に愚痴る?しかもそれを本人に言う???
私はA君に言った。
「いや手伝って欲しいって言えばよくね?」
するとA君はこう言い返した。
「いや手伝うのが店の常識だし、他にも動きとか鈍いし忘れてること多かったし正直全然ダメだったよww」
てか、ほとんど働いてなかったんだからそもそも"分からないことが分からない"でしょ!!!!!!!
なのに、こんな新人みたいな私に対してお前らみてぇなベテランと同じようなレベルを最初から求めんなよ!
てか、こんな居酒屋バイトっていう小さいコミュニティで偉そうに威張るなクソが。
…と私は思ったが口には出さずに「そうだったんだ〜じゃあこれから気をつけるね」と言い私はグループ通話を抜けた。
久しぶりのバイトが憂鬱だったのに上手く動けたと思ってたからまた働きたいと思ってたのに、なんで行きたく無くすんだよボケ。
おめえが誘ってきたから入ってやったのになんで偉そうにすんだよ。せめて来てくれてありがとうぐらい言えバカ。居酒屋バイトってなんだよ。社会の底辺みてえなバイトで新人をいびるなよ。女子大生もムカつくわ!
普通にやってほしいことがあるなら言えよ!!
言わねぇで、他の人に愚痴るのはもはや私じゃなくてお前が悪いだろ!!!!!!!
居酒屋じゃ動けるかもしれんが、他のバイトやってみろ。私は吉野家で4年バイトしてたぞ。
【追記】
私の中では本当に悲しくムカつきすぎてたのですが皆さんのコメントで自分の中ではこの話は消化出来たと思いました。
海外のサッカー選手の毛根を観察するのが趣味なんだけど、見てるとオフに植毛して1年くらいはいい感じだけどそのあとリバウンドみたいに激しく抜けるのが多く、でもたまに定着する奴もいる。あれってなんで?
一つ予想としては、手術後の薬がドーピング検査で引っかかるから飲めないのでは?というのを考えたんだけど現役でもフサフサを維持してるセスクとかを見るとそれだけでもないような気がする。
あとベッカムみたいに全スカの大失敗と思いきやもう一回生えた?手術?して復活してる奴もいる。面白い。
失敗例:
https://images.app.goo.gl/LZNksWDhiH1TcEXn8
https://images.app.goo.gl/8g2kSXayVV5C3SWe7
成功例:
https://images.app.goo.gl/uZEPVravW1aBDwnA6
https://images.app.goo.gl/Yjag1x7ZR9Kafuut7
一回失敗して再手術した?:
生理自体は軽いし4~5日で終わるんだけど、生理が来る前兆がとにかく長くて、1週間から10日間ほど続く。
①微熱(~37.3度くらい)がずっと続く。一番始めに来る前兆がこれ。今の時期、運が悪いと検温に引っ掛かってお店に入れなくなったりする。
②腹痛が来る。大体下腹全体が押し潰されるような鈍い痛みか、おへその斜め下辺りが針を刺されるような鋭い痛みが来る。交互に来たりどっちかが連続で来たり同時に来たり色々。しかしマゾヒストなので痛いのはノーダメージ。むしろこれに興奮するときもある。
③とにかく性欲が強くなる。何故かは分からないがかなり強くなる。普段は専ら凪なのに、前兆が来ると荒波に。
④食欲がなくなる。元から食べる量は多いわけではないが、大体マックのバーガーひとつが一気に食べきれないレベルで食欲が減退する。ご飯を用意しても食べようという気持ちになれない。これは結構辛い。
⑤とにかく汗が出る。微熱が出てるからなのか、じっとしてるだけでも体内から熱が沸き上がってきてとにかく暑い。汗かく。人前でこれが起こると辛い。冷房ガンガンなのになんで汗かいてんだコイツみたいになる。
⑥眠気が強くなる。普段は睡眠時間6時間程度で昼寝いらずなのに、8時間寝ても昼寝してしまう。(寝ようとしてないのに強烈な睡魔のせいで寝てしまう)それに伴って集中力が続きづらくなるのが悩み。
⑦胸が痛くなる。階段降りるだけでも痛い。そこそこサイズがあるから歩いてるだけでも揺れて痛い。物がぶつかったときには悶絶する。しかしまあマゾヒストなので平気。
動いてない・触ってなくとも常に張ってる感じ。あと乳首で感じなくなる。
⑧イライラする。些細なことでかなりイライラが募る。これに関してはコントロールすれば楽勝に抑えられるからそこまで辛くない。
⑨頭痛がする。偏頭痛のような痛みよりは、緊張型頭痛に近い感じ。頭全体を握りつぶされるような痛みって言えば伝わるかな。まあマゾヒストなので余裕。
⑩浮腫む。手も足も浮腫む。酷いときは対策をしないと歩きにくくなるレベルで浮腫んじゃうから着圧系が必須になる。対策忘れは地獄のような動きにくさ。
と、まあこのくらいかな。生理中は常に下着の中が濡れてるわけだし不快感はそりゃあるけど痛みはそこまでない。ただ生理前は痛かったり辛かったりするから、生理中でなくとも痛むこともあるんだよ、と伝えたい。(大体の人が生理中しか辛くないと思ってたりする)
文中にもあるけど、自分はマゾヒストだから耐えれてるんだと思います。これがそういった傾向のない子や痛みに弱いタイプの子だと、相当キツいと思う。
あと、前兆なのに前兆だと自覚してない人もたまにいる。体調がおかしいと思ったら日付と症状をメモしておくと、数ヶ月分見返せば「あれ?これ毎回生理前になってるな」とか分かると思う。
辛い人も辛くない人もいるだろうけど、まあ頑張ろう。
さかさまにいうこともあるけど、基本 さかさまは好きじゃない。
人を苦しめるから
だめじゃない。必要な人もいる
だが、おれにとっては さかさまにいうのは 好ましくない。
じゃぁ、女が男かないいのか?
NOといった
おまえにとっては
YESなんだろうな。
みたいなNote記事を書きたいが、仕事の原稿に追われがちでそっちのけだ。
なんなら今も他に締切があるからちゃちゃっとまとめる。気が向いたらあれこれ詰める。
撮り鉄歴15年だが、ここ5年の人口増加とトラブル具合はなかなか酷いと思う。
そりゃ昔っから変なことはごまんとあったけど、特に若年層が起こすSNS炎上と中高年がやりがちな非常停止騒ぎが目立つ印象。
若い子の口だけが達者でトラブル起こす現象は結構興味深い。彼らって結局数で勝負してるから面倒なんだけど、基本弱そうだから体育館裏とかに呼び出したらデコピン一発で卒倒しそう。
ただ、中高生…百歩譲って大学サークルで現役の三回生くらいまでは痛いことしてもいいのかなとも思っている。SNSの世界では総スカンだけど、リアルの撮影地なら良識ある大人が救ってくれる可能性も僅かにある。
昨日今日燃えてるのはオッサンだけど…就活控えるようになった頃からは仕事と直結するわけだから危ないことは普通出来ないはずなんだけどね。カタギの仕事をしてない、って認識されてもおかしくはないわな。でも大手私鉄の内定者の撮り鉄がJRの駅員にキレているシーンを見たときはドン引きを通り越した。
良識ある大人って出したけど、おそらく20代後半から40代までの、節度を持ちながら丁寧な写真を撮れる人たちって生活もまたきちんとしているから、そうしょっちゅうは撮影に出てこなかったりするんだよね。現に結婚した友人は最近は子育てでご無沙汰だし、仕事が忙しくて撮影行けてない人もざら。
現代的な物言いじゃないのは承知だけど、鉄道と心中してもいいくらいの狂った熱意を持っている人は、人生でやるべきことをおなざりにしているよね。
なんというか慶大生起業家の記事に対する反応で思ったんだけど、教育格差とか出身家庭の年収だの教育資本だのの話したがるのそろそろ秋田。
東大生の出身家庭の平均年収が世間全体のそれより高い話とかマジで耳タコなんだよ。
そりゃみんな持って生まれたものは違うよ、確かに教育格差や遺伝による知能の差は厳然として存在するし、その差がさらに開いていってるのが今の世の中ですよ。
それはそれで由々しき問題だし、格差を縮めたりすることも福祉も支援も必要でしょうよ。
でもさあ、この慶大生みたいなちょっと目立った人の話を全部そういう「あいつは生まれ育ちがイイから成功した」って方向に持ってくの、マジで不毛というか、ずっとそういうこと言ってると自分の生きている意味とかわからなくなってこない?「あいつは奥さんが支えてくれたから成功した」「あいつは運がよかったから成功した」ってのもよく見るんすけど、そりゃそれもあるけど大前提として当人が考えて工夫して頑張ったから成功してるんじゃないの?そういうの評価する声最近本当減ったよね。そもそも生まれ育ちがいいからそれだけで成功するわけなんてなくて、普通にドロップアウトする人間だって大勢いるわ。
別に他の人間の頑張りが足りないとかの自己責任論にしたいわけじゃない、みんながみんな生まれ育ちがいいやつと張り合う必要なんてないと思ってる。生活も個人の特性にかかわらず保証されるべきだとも思ってるし、全員が頑張る必要なんてない。それと同じように、ちょっと目立った成功者を捕まえて毎回生まれ育ちを云々するのもそんなにやらなくてよくない?別に張り合えって言われてるんじゃないんだし。
格差の話はそれはそれで引き続き考えるとしても、毎回この話だとちょっとうんざりしちゃうよ。それぞれの持ち場でとりあえず暮らしていこうよ。
盆だし、コーヒーの飲みすぎで眠気が来ないので自分語りを投げる。カジュアルにでも死にたいなあと思う人は読まない方がいいと思います。
1桁歳の頃、通学路に踏切があった。
カンカン鳴りながら降りた遮断機の前で電車が通り過ぎるのを待つ時、なぜ自分は毎回素直に待っているのか、なぜ1度も鳴り響く踏切の中に入って電車に跳ねられるという選択をしないのかを不思議に思うことがあった。
もちろんそれは私に意思が、思考があるからだが、私に意思というものがなければ、踏切の警告音が鳴り響く時、1/2の確率で私は遮断機の中に入り、電車に跳ねられて死ぬ。
この仮定の場合、私が今まで1度も死なないでこれたのは、1/2の、今までの人生で踏切の警告音が鳴った回数分乗の確率で起こる奇跡であるわけで、私の「死にたくない」という意思ははたしてそんなに強いものだろうかと、大学生になっても思っていた。
警告音が鳴り響く踏切の前で素直に待つ時、私はいつも踏切に自分が立ち入らないように必死だった。明確に死にたいというわけではなく、ただ、ほぼ無意識のうちに積み重なっていった、「私は生まれてから1度も死ぬほうの選択肢を選んでいない」という奇跡が奇妙に感じられて、ぶち壊したくなるのだ。
死なないように必死に踏みとどまるといっても、明確に「死にたくない!」と思えはしないから、死なない方がいいらしいよという規範を意識する程度のことしかできない。スカートを腰元でたくさん折らなくても短い丈にできるよう裾を切ってしまいたいが、式典とかで教師の目が厳しくなった時に取り返しがつかないから切らないでおこうと踏みとどまる、みたいな軽さだった。その軽さに生死がかかっていることに対する妙な緊張感はある。不快である。
こういう状況が発生するのは踏切に限ったことではなく、自転車に乗っている私を右後ろから大型トラックが追い抜こうとするときも、いきなり右に進路変更しないようにするのに必死だった。
私は幸い死の危険を感じずに生きてきたし、私が物心ついてから死んだ知り合いも100歳越えの曾祖母1人だけだから、死というものに対する具体的な恐れを知らないことも、上記のような状況を生む原因だったと思う。
これは希死念慮でない気がする。
なお、刃物を持った時に周りの人間を1度も刺しに行ったことがないのも自分にとっては奇妙な奇跡で、誰かを刺してこの奇跡を壊したいという気持ちが発生していた。別に誰かを殺したいほど憎んでいる訳ではなかった。
大学生の頃、適応障害になった時期があり、その際は上記の現象に加えて、死ねる環境を見るとそこに吸い寄せられるような感覚があって苦労した。
具体的には地下鉄のホームや落ちたら死ねる高さのマンションの共用廊下及び部屋のベランダでそれが発生した。
地下鉄のホームにホームドアが設置されていく時期と被っていたのだが、最寄り駅にはなかなか設置されずつらかった。
やはり単に1歩踏み出せばいいいいのと乗り越えなければいけないのでは必要とされる「死にたいという意思の量」が違う。ホームドアを乗り越えてでも死にたい人はいるだろうが、私はそこまでではなかった。ここで「私はホームドアを乗り越えないという選択を常にしている」などと考えると乗り越えたくなってしまうので、考えを逸らす必要はあったが。
当時の心境としては、死にたいか死にたくないかでいえば死にたかったのだが、死にたいというよりは、生きるのを休憩したいという表現が正しかった。しかし一度死んでしまうと二度と生きることができないので(いやほんとのところは誰も分からないが、二度と生きることができない可能性はたしかにある)、死なない方がいいだろうとは思っていた。私は幸せに生まれ育ったから漠然と未来に少しは楽しいことがあるだろうと思えたのでよかったが、そうでない人は大変だろうと思う。
生きるのを休憩して、今関わっている人間がみんな意識を私から逸らしてからなら、もう1回生きるのを再開したいな、という気持ちだった。これを縮めると、生きていたくない、死にたい、にならんこともなかったし、実際つらさが瞬間的に来た時は「死にたい」「死のう」「死ね(自分に対して)」と小声で口に出すことで感情の圧を逃がしていた。
精神科で薬が出たことで自分が今メンタルを悪くしている人であると自覚し、色々検索できるようになり、界隈の語彙も増えて、「希死念慮」という言葉を知った。
果たして私は希死念慮持ちなのか?そうだとしたらいつからなのか?そもそもどこからが希死念慮であるとか明確なラインを定めようとするのが無意味なのかもしれないというか、おそらくそうなのだが。
自殺するために首をくくる用の縄を買ってくるとかは明確な希死念慮な気がする。
私のあれは希死念慮だったのだろうか。
それとも、希死念慮にならずに済んだ、ただの幸運な願望だったのだろうか。
こんなところに書いても答えは得られない。私はただ単にどこかにこの疑念を吐き出して、限られた思考時間を他のことに使いたいだけである。それだけ何度もこのトピックについて考えてしまっているのだ。
今は適応障害も治ったし、通勤ルートに踏切はなく、大通りはひとつあるが併走ではなく横切るだけで済むから信号さえ守ればよいので気が楽だ。地方であることもありたまに使う電車はゆっくりとホームに入ってくるから、身投げしても死にそうにないので私の気持ちも穏やかである。穏やかな気持ちでいるために、身投げしても死なない速度だと思い込もうとしている節はある。バイクはまだ乗れないかな。ちょっと進む向きを変えただけで死ねるので。
自分に希死念慮があるかとか、希死念慮があったかとか、もう考えなくてもいいと思えるとこまで来た気がするので、ここに投げておしまいにしようと思う。感情の墓場みたいな使い方だな。おしまいです。生きているうちにやりたいことを考える方に舵を切りましょう。面白い漫画を作りたいな。面白い漫画を作って、架空のキャラの架空の人生エピソードで人を泣かせてみたい。