なんというか慶大生起業家の記事に対する反応で思ったんだけど、教育格差とか出身家庭の年収だの教育資本だのの話したがるのそろそろ秋田。
東大生の出身家庭の平均年収が世間全体のそれより高い話とかマジで耳タコなんだよ。
そりゃみんな持って生まれたものは違うよ、確かに教育格差や遺伝による知能の差は厳然として存在するし、その差がさらに開いていってるのが今の世の中ですよ。
それはそれで由々しき問題だし、格差を縮めたりすることも福祉も支援も必要でしょうよ。
でもさあ、この慶大生みたいなちょっと目立った人の話を全部そういう「あいつは生まれ育ちがイイから成功した」って方向に持ってくの、マジで不毛というか、ずっとそういうこと言ってると自分の生きている意味とかわからなくなってこない?「あいつは奥さんが支えてくれたから成功した」「あいつは運がよかったから成功した」ってのもよく見るんすけど、そりゃそれもあるけど大前提として当人が考えて工夫して頑張ったから成功してるんじゃないの?そういうの評価する声最近本当減ったよね。そもそも生まれ育ちがいいからそれだけで成功するわけなんてなくて、普通にドロップアウトする人間だって大勢いるわ。
別に他の人間の頑張りが足りないとかの自己責任論にしたいわけじゃない、みんながみんな生まれ育ちがいいやつと張り合う必要なんてないと思ってる。生活も個人の特性にかかわらず保証されるべきだとも思ってるし、全員が頑張る必要なんてない。それと同じように、ちょっと目立った成功者を捕まえて毎回生まれ育ちを云々するのもそんなにやらなくてよくない?別に張り合えって言われてるんじゃないんだし。
格差の話はそれはそれで引き続き考えるとしても、毎回この話だとちょっとうんざりしちゃうよ。それぞれの持ち場でとりあえず暮らしていこうよ。
でもキモくて金のないおっさんが成功しないのを自己責任とみなすのはうんざりしないし張り合おうと努力しなかったことを問題にするんですよねわかります
そーゆーのうざくないっすか?っていう話をしてんすよね。私は。