はてなキーワード: 回生とは
https://bunshun.jp/articles/-/45862
近鉄の採用担当者・X氏に、不適切な行為を迫られたことを証言するのは、就職活動中の大学4回生、A子さん。X氏から「エントリーシートの添削をしてあげる」などと繰り返し誘われ、今年2月23日夜、大阪市内の和食屋で一緒に食事をすることになったという。その後、酔いが回った彼女がX氏にタクシーで連れて行かれたのは、ラブホテルだった。
A子さんが振り返る。
「『エントリーシートは中で見るから』と言われて……。行為に及ばないようソファに座っていたのですが、ベッドに寝転がったXさんは『こっちに来ないと見られないよ』と言ってきた。採用に影響が出ると思った私は断れず、肉体関係を持ってしまいました」
いやせめて通過させろよ
エロいのが大好きなんだわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!俺は!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
濁酒や密造酒とか殺菌してない搾りたて生牛乳(搾りたて生牛乳って『搾る』『生』『牛乳』の三つでクソエロい)みたいなのと同じだもんな!!!!
自己責任で楽しめばそれがメチルアルコールだろうが何も言われねぇ!!!!ポリシーに抵触しないもんな!!人間の脳の中は自由であるべきだからだ!!それを紙の上に起こしても1人で楽しんでバレなきゃなんの問題もねぇもんな!!
チクショーー!!フォローしてる絵師が「描いてる」って匂わせたんだーー!!チクショウが!!
俺だって創作者の端くれ、エロ描きの1人さ!!やろうと思えばできるさ!!でもな!この世界には『自分の描いたエロじゃ抜けない』『満足できない』って百万回生きた猫コラ状態の人間だっているんだぜ
俺はそうなんだ…………………………………………………………………
エロ以外の全年齢向けウマ娘創作は毎日楽しんでいます。創作者のみなさまありがとうございます。ギャグに寄ってたり、またラブコメちっくな演出のある絵、心を掴んで離さない一枚のイラスト、ウマ娘とトレーナーのやりとりから信頼が見えるような小説、本当にありがたいです。
前に「キャラ名で検索してもエロが出なくていい」という意見を見ました。僕も怪獣8号で検索したら肥満ケモ清掃員のチンポ丸出しエロイラストが出てきたので、おこがましいですがその気持ちが少しわかる気がします。
僕は二次創作ではエロを好みますが、僕が単に異常性欲勃起オタクなだけで
「エロが必ずしも要するわけではない」
「そもそも全年齢向けコンテンツでエロ創作するのはどうなのよ」
しかもウマ娘は多くの人の協力、尽力、許可があってのもの。ここまで積み重なってきたものを崩すようなものはしてはいけないのだと理解もしています。
エロが見たい、というのは僕の単なるエゴ。ならそれは封殺すべきことなのです。
それはそれとしてエロは見たいんですけどね。太りたくないけどケーキは食いたいでしょ?そういうことです。
でもそれをダメなんですと諭す自分もいます。つまり半信半疑あっちこっち。
誰かこの二律背反で俺が間違いを起こす前に後頭部を思いっきりぶん殴ってから山に埋めてください。
最後にこれだけ。
『BLEACH』
私はすごく『BLEACH』が大好きで、人生の半分くらいは『BLEACH』とともに過ごしてきた。
もう4年以上前のことになるが、『BLEACH』は最終回を迎えた。
最終回では主人公の一護とヒロインの織姫、ルキアと恋次がそれぞれ結婚している。
結婚で作品の区切りがつくのかという驚きとともに、終わってしまうこと自体の寂しさを感じて、
それまでソシャゲはやったことがないのに、『BLEACH』のソシャゲである通称ブレソルを始めた。
あんなに頑張った部活を引退したときよりも、心に孔が開いたような気がする。
他の人はどうだったのだろう?
私は他の人の感想を読むのが好きだ。
Twitterを見てみる。
ひとことで言うと天国と地獄だ。
これを言うと「ジェンダーが~」「多様な価値が~」などと怒られるかもしれないが、
結婚には辛く苦しいこともあるが、それでも喜ばしくめでたいものだ。
台詞という一番明確な描写から分かるように、織姫はずっと一護のことが好きだ。
『BLEACH』をあまり知らない人でも、5回生まれ変わったら「5回とも同じ人を好きになる」と織姫が一護にいうシーンは知っているくらい有名だと思う。
それくらい想いを寄せていて、最終回ではそれが報われたということもあり、祝福ムードに包まれていた。
……既に知っている人がいるかもしれないが、一護とルキアが出来ていると考えるファンもそれなりにいた。
Twitterでは作者に対して罵詈雑言の限りを尽くしたり、「精神に不調をきたしたから集〇社に連絡を」などと言ったり、
正直、恐怖だった。
え……?こわ……。近寄らんとこ……。
けれど、受け入れられる範疇を越していた。
ルキアが死神の力を譲渡した罪で尸魂界に強制帰還させられていたときにはなかったけれど、
織姫が虚圏に連れ去られたときには、一護の目元にクマが出来ていたよね?
ウルキオラ戦でほぼ死にかけの状態だったのに、織姫の助けを求める声に呼応していたよね?
明確な台詞はなくとも、一護が織姫を特別に思うような分かるような描写があるのに分かろうともしない。
いや~、思っていませんけど。
特に推しているキャラではなくても、中々に目を疑いたくなるようなものも多い。
全員が全員そうではないんだろうけど、
最終回に納得が出来ない多くの人がきっと織姫が嫌いだから、一護はルキアと結婚すべきと思っているのかもしれない。
連載終了して4年以上経つ。
けれども久保先生のファンクラブがあったり、最終章のアニメが決定されていたり、今でも人気は色あせていない。
気に食わないならもう『BLEACH』に関わらないで欲しい。
こういう人にはファンになって欲しくない。
わがまま丸出しで本当に恥ずかしいし申し訳ないが言わせてくれ。
本当は作品名を出したくなかった。自分の大好きな作品が汚れてしまうから。
でも、もう限界……。
※近年まれに見る気持ち悪い内容です。読後の苦情は不可、まあ匿名だから全然いいけど
さて、BLEACHの話をしようと思う。
と言ったけれど、多分その言い方はあまり適切ではない。これはある意味わたしの一世一代の大失恋の話なのである。そう、タイトル通りです。もう2度とあんな恋はできないと思うなあ、ほんとに。
彼(BLEACHのことですが)との出会いは中学時代だった。当時仲良しだった先輩に貸してもらったことがきっかけで読むようになり、なんだこれ面白い、とめちゃくちゃはまった。
多分本誌はまだ尸魂界編の途中だったかな。とにかく藍染はまだ柔和な笑みを浮かべてるような頃だったと思う。や、死んでたくらいかな。あいつの演技はほんとアカデミー賞もらえるレベルだったよ。
それこそ中学生なので、周りの友達はその頃誰が好きだとか、あの2人は付き合ってるとか、そんな話でもちきりだった。
今みたいに大々的にオタクが人権を持つ時代ではなかったので、わたしはオタクであることをひた隠しにして生きる他なく、恋愛の話題にもちゃんと乗っかり、それらしく擬態してはいたけれど、本当はクラスのAさんBくんの甘酸っぱい恋愛なんかより、わたしはずっと一護とルキアのことを考えていたかったのだ。てか考えてたけど。
驚きの気持ち悪さだと自覚はあるけれど、事実なので仕方がない。あの頃のわたしは、なにより一護とルキアの行く末を思って胸をときめかせ、涙を流していた。
それこそ自分の恋で泣いたことより、2人のことを思って泣いたことの方が多いくらいだ。人生トータルしてもそうかも。だって当時の日記には、一護とルキアの未来を憂う病みポエムまであった。まじでやべえな、我ながら。
作品も、現世編、尸魂界編、ここまではもう最高に大好きだった。今でも一護が白哉を倒し、そこから怒涛のように藍染が天に立つところまでの流れは凄すぎると思っている。
尸魂界編の最後、ルキアが現世には一緒に帰らないと言った時だって悲しくはなかった。一護、いい表情してたから。はいはい、強がっちゃってねとは思ってましたけど。
そしてその後始まった破面編。いやそれだって最初は良かったのだ。あまりに強い敵に心を折られる一護。そこではい登場!俺の光。最高でしたね。
だけど、少しずつ雲行きが怪しくなっていった。
そして忘れもしない、第237話『goodbye,halcyon days.』
もう無理かもしれないぞ?と思った。なんぞこれ?ってなった。でも、まわりの男友達は複数名あのシーン好き!って言ってたから男からしたらいいのかもしんない。5回生まれ変わっても好きになられたいのかもしんない。まじかよ。わたしはどうせなら毎回違う男と結婚したいですけど。
ちなみにその男友達たちにはどうせおっぱいだろ!って理不尽にキレといた。情緒不安定かよ。こんなキチガイと友達でいてくれてありがとう。
ちなみにもはや言い訳になるけど、織姫のことだって最初から嫌いなわけじゃなかった。初期の彼女はすきだったよ、ほんとだよ。
いやわかってる、単純に一護のことがめちゃくちゃ好きなんだってことはわかってる。いい子……なんだとも思う……思いますよ……だけどもう鳴き声みたいに黒崎くん黒崎くんといいだしてからは、どうしてもこれは無理だ……!ってなった。
でもまあ、その後もしばらく読んだんだよね。一応最終章に入るまでは追っかけてた。でもやっぱりどうしても段々と作品自体を愛せなくなり、勝手な批判ばかりが頭に浮かぶようになった。その時もうわたしはこのコンテンツのお客さんではなくなったのだと感じた。
嫌なら見るな、まさにその言葉通りだ。だから読むのをやめた。それでも大好きだった気持ちは忘れられなくて、漫画を捨てることはまだその時はできなかった。好きだったところまで嫌いになる必要はないと思ったし、そんな簡単じゃなかったから。
そのままずっと、みないままでいた。封印してた。
だけど、何事もそうであるように、BLEACHにもやはり終わりはやってきて。いよいよ来週最終回だという噂を耳にした。さすがにどうなったんだろうと思って、ネットを検索した。あれは確か会社からの帰り道、多分木曜か金曜か。そこでわたしはいわゆるネタバレサイトが何かを元にしたんだろうネットニュースをみてしまった。
そこには一護と織姫が結婚して、恋次とルキアが結婚した、と書かれてた。信じない、信じないぞと思いながらも、多分震えてしまってたと思う。
そして来る月曜日。いやーぜーんぶ本当に本当でした。そうして想い出は、粉々に砕け散った訳だ。
ほらね?これは一世一代の失恋と言っていいのでは??自分の失恋なんてもはやほとんど覚えちゃいないのにね。
その後、捨てられないでいた既刊は全てBOOKOFFさんに売りに行きました。わたしはもういよいよ作品の読者として相応しくない存在となりましたので。元々なってたけど!
いやーーーでもさあなんでああなったかなあ?真咲と織姫が太陽として描写されていたから、こうなるのでは?っていう考察ブログもあったんだけどさ(いやそのブログはまじで凄いんだけど)
結局黒崎一護はお母さんを護りたかったあの日からなにも変わらなかったということでしょうか。井上織姫は母の代わりの太陽ですか?男の子は母親に似たひとを好きになる理論強すぎか??そりゃマザコン男による離婚騒動が永遠になくならないわけだよ。しかもなんだかんだ同じ世界に生きるもの同士でくっついちゃうんですか?お互いに背中を支える月のような彼女ではだめだったんですか?
うん、だめだったんだね。少なくとも、男女として生きる相手にはならなかったんだ。いやしかし、男女の辿り着くゴールが必ずしも性愛であるというのも逆に古いのか?もしかしてわたしの方が固定概念に囚われているのか?
でも最後に負け惜しみを言わせていただくと、わたしはやですけどね!!自分を護ってくれるけれど。そのために何度でも立ち上がってくれるけど!女として愛してくれるけど、家族になったけれど、それでも彼の後ろにはあの小さな背中が一生ちらつくなんて。
ふんだ。
あ、でもね!ただひとつ言っておくけれどBLEACHという作品は今でもすごいなあと思っている。めっちゃ面白い。
わたしはわたし特有のめちゃくちゃ気持ち悪い理由で読めなくなってしまったけれど、あのポエムといい、キャラデザといい、唯一無二にも程がある。
世界の多くの人よ、もしもまだ読んだことなかったら、そして暇だったなら、この何もできないGWにはぜひともBLEACHを読むといいと思う。
あの〜ところで白猫コラボやったら、唯一織姫だけがガチャで出たんですが?これは何かの嫌がらせでしょうか?しかも意外と使い勝手いいじゃねーか、育てちゃったよくそっ
過去50年間を遡って考えても大学というものからこれほど遠い年代は無いと思う。
増田は今のところ毎日大学に通えているが、某友人は一週間に一回しか通えていないらしい。先輩は二回生になったのにも関わらずサークルに何も参加していないと語っていた。先輩のような存在はこのご時世稀では無い。
増田の大学も去年のように全面オンラインに切り替わるかもしれない。
「モラトリアム」
その言葉の意義を考えさせられる。
全面オンラインでの授業、サークル活動の対面禁止要請、飲食業時短要請によるバイトへの影響、減らない授業料。
支払猶予は四年間の拘束に成り代わるかもしれない。
何が自粛だよ。なんで頼まれてんのに頼んでる側はあんなに偉そうなんだよ。この国のトップはイソジンでもキメてんのかよ。死ねばいいとまでは思わないけど誰だって土下座位できるだろ。
タイトルの通りである。今更感のあることを偉そうにと思われるだろうが、自分の気持ちの整理のためにも映画を「観る前」の記録として残しておきたかった。もちろん本作については、何のネタバレも含まない。
私は30歳である。エヴァンゲリオンの第一話はリアルタイムでテレビで見た。見たが、なにせ当時5歳である。新しいロボットのアニメが始まるんだ、という程度の認識しか無い子供が観て楽しいお話しでは全くなく、なんかこわい、という感想とともに一話でドロップアウトした。私はあまり子供のころのはっきりした記憶はないのであるが、これについては、不思議と覚えている。そこから時が流れ、大学生になってようやく本格的にエヴァを観始めた。そういう意味で歴は浅いし、リアルタイムで熱狂した人間ではないかも知れないが、アニメ版、旧劇場版、漫画版など様々な作品を何度も観て、いろんな考察を考えたり見たり、サウンドトラックやフィギュアも買ったりと、一つコンテンツを深く楽しんできたという点において、自分にとっては、かけがえのない作品の一つである。
その中でも何か一つ取り上げるとすれば、私は旧劇場版「Air/まごころを、君に」が好きである。鬱々とした展開であり、非常に難解、いや難解というより、もしかしたらそもそも解は不在なのかも知れないが、それでもこの映画を観た後の心の感覚が好きで、何度も観てしまうのである。一般的には、謎を解き明かすことなく抽象的な展開とともにぶん投げた、後味が悪い、観客にダメ出しするなんて何様だ、などと酷評も多いが、この映画が自分には響くのは事実である。もしかすると、決められたレールの上で、常に自身を大多数の側に置くことで安心してきた自分が、周囲の人間の声とは無関係に自分はこれが好きでいいんだ、と声を大にして言える作品に出会えたことが嬉しかったのかもしれない。
そういう思い入れがある作品だけに新劇場版ももちろんチェックしてきた。破については劇場で3回ほど観た。旧劇場版とは確実に別のベクトルの話であるが、これもまた自分の大好きな作品である。しかし、そこから急にエヴァンゲリオンに対して、距離ができた。Qが公開されたときは大学4回生で、公開日から1か月ほどは海外におり物理的に見れなかったが、帰国後もまだまだ上映期間中だったし、お金も時間も余裕があったので観ようと思えばいくらでも観れた。しかし、この時は世間のあまりの酷評に足が向かなかった。勢いで公開と同時に観てしまえばよかったのかもしれない。しかし、破があまりに好きすぎて、その続編に対して勝手に抱いていた自分の「こうなって欲しい」という期待を大幅に下回ってそうだ、ということを受け入れられなかったのである。この子供じみた感情によりそれっきり観ることがなくなってつい最近まで至ってしまった。仲の良い友人と些細なケンカをしたとき、どちらともなくすぐに謝ればまた仲直りできるのに、どっちも意地を張って謝らないと、どんどん謝るタイミングを失っていき、ついには口も利かなくなってしまう。そんな風にして、エヴァンゲリオンに触れることもどんどん少なくなっていった。さすがに漫画版の完結は見届けたが、それでもQを観る気にはならなかった。
そんななかでついにシン・エヴァンゲリオン劇場版が公開されることになった。「これでエヴァは完結」という点だけで観に行くしかない、という気持ちになった。大仰に言うと、自分の中で大切な作品にちゃんと区切りをつけるにはちゃんと見届けるしかないと感じたのである。今や家族がいるので好きに観に行けるわけではないが、許しを得て序から復習を始めた。まだ自分が一人暮らしだったら、アニメ版の一話からだらだら総復習したのだろうな、などと思いながら。序、破、ときて、いよいよQである。完結作続いていて、もうすぐ観れるのだ、という心の余裕もあり、落ち着いて観ることができた。結果、旧劇場版とは別の意味で難解な展開であったが、思っていたほど支離滅裂とは感じなかった。むしろこれまで気になっていた新劇場版の世界観に対し、ある程度の解が提示されたことで、次が期待でき、悪くない、いやむしろ良い、と思った。同時に、自分としてもエヴァンゲリオンの完結にちゃんと近づけたような気がした。もちろん今日シン・エヴァンゲリオンを観るまで話は完結していない。ただ、それまで勝手に喧嘩別れした気になっていた作品に対して、自分があれから歩んできた人生でもって改めて向き合い、理解し、申し訳ないという気持ちになり、整理をつけた、ということである。これで心置きなく物語の結末を観ることができるのだ、という思いになれて嬉しかったのである。そしてそれをここに記したかった。
シン・エヴァンゲリオン劇場版を観終えた後は自分の中でゆっくりと咀嚼して、完結した事実を受け入れていくのだろう。今はただその時が楽しみである。30歳にもなって楽しみで眠れないことがあるだけでも、幸せというものだ。
「お前のいい所……一晩考えたけど『体が大きいこと』か『毎日風呂に入ってること』ぐらいだな」
まあ5年も前のことなんですけどね。
今は普通に就職して普通に年収400万で東京で一人暮らししてる。
当時、自分は社会学系の大学生で大学ではいわゆる真面目系クズをしてた。
自分の志望校に入れず滑り止めの滑り止めに入学することになった理由を『高校時代に部活で遊びすぎたせい』と決めつけ、大学では交友関係を狭めて勉学に励もう、そう考えていたが上手く行ったのは最初の1年半だけ。
2回生の夏休み明けぐらいから自分はひたすら引き篭もって遊んでばかりいた。
バイトをするのは学費を無駄にしてるだけだとバイトもせず家に籠もって、結局その時間は全部ネットゲームに消えていった。
レポートもテストも適当に赤点スレスレをすり抜けるだけだったし、ほとんど出席点だけで単位を集め4回生になった。
そして大学時代の思い出も、学力も、得意なことも、バイトの経験もないまま、就活が始まった。
本当になにもなかった。
「学生時代に力を入れたことはなんですか?」という在り来たりなフレーズが、一時期有名になった麻生太郎の「お前、今まで何してたんだ?」という恫喝まがいの嫌味としてしか頭に入ってこなかった。
就活本を読んでも「バイトリーダーを~~「サークルリーダーを~~「理系の大学で立派な研究を~~「立派な趣味があって~~「友達からは~~」と自分とは全く無関係な言葉がかりが並んでいて、参考にできるのは「カジュアルな服装と指定されてもスーツで行ったほうが無難ですね」といった就活クソトンチの模範解答集ぐらいで終わった。
今になって思えば、『とにかく自己分析が完全に詰んでいる』という事実を直視せざるを得なくなったこと自体が収穫ではあったのやも知れない。
とにかく身近な人間に聞いてみれば『自分で気づかない自分の強み』とやらが見つかるかも知れないと思い立って、親に相談した結果が、この増田の1行目である。
「お前のいい所……一晩考えたけど『体が大きいこと』か『毎日風呂に入ってること』ぐらいだな」
「体が大きいのは実際便利だよ。とっさの時に倉庫の荷物運びとかゴミ出しとかで戦力になるしな」
「風呂入ってない奴と一緒に仕事するのは無理だから。そうじゃないってのはアピールになるんじゃないか」
本当にショックだったよ。
20年同じ屋根の下で暮らした相手に、「お前は体がデカくて風呂嫌いでないことしか取り柄がない」とハッキリ言われるのは。
泣きそうだった。
自分だって高校時代の友人達に対して強みがとっさにポンポン思いつくかと言われれば難しいのかも知れないけど、それにしたって親が子供に対して思っていたことがこれかよ、と。
それにしたって、外見的特徴と風呂嫌いじゃないことしか思いつかなかったって……愛情を持たずに育てられているペットだってもうちょいマシな評価が貰えるんじゃないのか?
駄目だ。
この増田を書く前は「いっちょ過去の思い出を整理して完全に乗り越えたアピールしたろ」と思っていたけど、乗り越えられてないな。
今でも傷口が膿んでいるのがよく分かった。
20年食卓を囲んできた相手が自分の内面や後天的な能力について何のプラス評価も持っていなかったという事実はデカすぎる。
これは一生引きずりかねないな。
とりあえずこの経験から学ぶべきは、「親は子供なんてロクに見てなくても子供は育つから子作りは金以外の面でそんなにビビるな」「こういう相談を受けたら嘘でもいいから『センス、いいぜ、服とか、効いてる音楽とか』適当に抜かして返すのがいくらかベター」ってことだな。
いやー他山の石ってなあどこにでも転がってるなあ。
カヲルくんのとこは、カヲルくんはアダムの魂を持った存在だから多分何度やり直しても地球でアダムがはじめての生命体ということになるんだよ。人類(リリン)の祖はリリスだけど。
だからカヲル君がこれから地球作ってこか〜っていう前に書く設計図が生命の書であり明言されてないけどこれがゼーレの持つ死海文書。
TV版から旧劇での人類補完計画とか(新劇の時間軸でも何度かなんらかのミスが起きて)で地球という星の誕生から何度もループやり直して再生してるけどカヲルくんはその円環の中で出会った人類補完計画の要にされてるシンジのことが気がかりで毎回生命の書に名前を書いて救おうとしてた
と解釈してる
3月も後半にさしかかろうとしている。まずは大学に合格して、新生活に胸を踊らせている人も多いのではないだろうか。顔面レベルが高い、または普通であれば楽しい大学生活を送れるかもしれない。だがブサイクかつ女である者、恐らく思い描いているキャンパスライフは送れないかもしれないと忠告しておく。
大学生になると顔面ジャッジが高校の時よりも如実になる。例えばサークル。まず新歓ビラを貰えない。もしインカレに入ろうとすれば、まず大学2回生以上の男たちに品定めされる。顔面レベルが高い女子以外は断られるなんてことはざらだ。新歓にいってもまずブスに周りの人間は興味が無い。美人な同期はちやほやされて自分は見向きもされないなんてこともある。当たり前だブスなんだから。こういうことはバイト先でもある。自分より可愛い子が自分より確実にいい扱いを受けて、幸せそうなところをブスはじっと指をくわえて見ているしかない。就活だってそうだ。1番大切なのは中身などではなく外見なのだから。
大体のブスは大学に入りこれらの洗礼を受けている訳だが、死にたいと思いつつなんとか生きている。女は人生イージーモードだと言う人がいるが、それは美人か普通レベルの顔面の女の話でブスは関係ない。女でありかつブスならばハードモードもいいところだ。
専門家じゃないので授業で習ったり友達同士で話したりTwitterで得た情報とか個人の体験などが元です。個人差があります。
超前提として、生理はコントロールできるものではありません。低用量ピルとかで生理を軽くしたり時期をずらすことはできても来ないようにしたり失くしたりすることはできないです。
そして一回生理が始まると途中で止めることもできません。ある一定の期間(5日〜7日がスタンダード)ずっと毎日一日中経血が出続けます。
大体1日目〜4日目くらいはたくさんの量が出て、5日目〜7日目にかけてだんだん少なくなっていくっていう感じ。(個人差あり)当たり前だけどこの期間ずっと生理用ナプキンつけてます。
生理前はおりものが出るっていうけど私はあんまりアテにしてない。生理の周期は大体把握してるけどずれることもあるので生理が来る時は本当にわからないです急にくる。完全に把握してる人もいるのかな?
そしてさっき低用量ピルのところで生理を“軽くする“ことができるって書いたけど、生理は程度が重かったり軽かったりします。この重い軽いは重症軽症って意味だと思う。これは人によって全く違う。体質もあるし遺伝だっていう子もいた。
生理が重い人は体調が悪くて一日中ベットから起き上がれなかったり、腹部の痛み、吐き気、頭痛、腰の痛みなど症状も様々でこの症状が全部ある人もいる。薬を服用しないと立てないって友達もいた。
対して軽い人は本当に軽い。私も軽い方だけど生理中でもジョギングとか筋トレとかできるし生理じゃない日と同じくらいの生活が送れる。症状としては腹部に軽い痛みがあるくらい。
私の経験上生理が重い人の方が多かった。生理中は腹部を冷やさないように貼るカイロをつけたりその上から腹巻してる子もいた。市販の薬を常備してる子もいて、生理重くて気持ち悪いしんどいっていう子がいたらその薬をあげてたりもした。
中学生の時に、親しい子が生理が重くて学校を休んだことがあって学校帰りにお見舞いに行ったら一日中ベットから起き上がれないでうずくまった格好で安静にしてたとその子のお母さんから聞いた。
上記の通り、同じ女でも生理の重い軽いで見える世界が全く違う。女同士でも重い子の辛さをわかることは難しいことなんだよね。言っちゃあ全くの別物って感じ。体験できないんだもん。
私も生理が軽いから中学の時重い人の辛さを理解できなくて部活中に休ませてあげなかったことがある。本当に申し訳ないことをしたなと思う。(超個人的な意見だけど体育教師や部活の部長は生理軽い人が多い)
だからといって重い人の生理中の辛さを理解できないなんてことはなく、考えを巡らせて申し訳程度にサポートするなど。
次は生理前の話。生理前も生理の一環なので書く。生理前の症状も人それぞれ。食欲が異常に高まったり、普段より眠くなったり、イライラしたり、胸が張ったりする。これはホルモンバランスの乱れなのでコントロール不可能。争うこともできません。私は月1ランダムで2つの症状が合併して起こる。ある時は食欲とイライラ。またある時は眠気と食欲、イライラと胸の張り的な感じ。今回の生理前の症状としては眠気と胸の張りだったんだけど、ここ1週間12時間ぶっ通しで寝てた。寝ても寝ても眠いしどうしようも無い。中高では授業中本当に眠くて寝てたし。胸の張りは張りすぎてうつ伏せになると痛いくらい張る時もある。
食欲は本当に止められなくてお腹いっぱいなのに食べたくなるし食べれちゃうし。イライラが個人的には一番嫌かな。思い通りにいかないとすぐイラついてモノにあたっちゃうし対人関係とか今までなんとも思ってなかった友達の行動に無性に腹が立ったりしてストレスも溜まる。もちろんこれも個人差あり。生理前の症状に重い軽いはあんまり聞いたことないけどどうなんだろう?あるのかな?
生理用品の話もするか。
生理ナプキンは昼用と夜用があって、その中にも32cm〜40cmくらいまでのサイズと羽付き、羽なしがある。今は羽付きがスタンダードだと思う。羽なしはずれるから嫌なんだよね。まあ羽付きもずれる時あるけど。
そして昼用は多い時用と普通用があって、多い時用は普通用よりも多く吸収する。
ナプキン付けてる時は蒸れるしズレが気になるし長時間交換ができない時は溢れてパンツに着いちゃってないかとか不快感や不安がつきもの。
タンポンっていうのもあるけど私の周りではあんまり使ってる人いなかったな。(言わないだけで使ってる子もいたかも)私は小学生の時に水泳やってたから1年くらい使ったけど結構痛くてつけたくなかった。痛いっていうのもあるけど膣内に入れるっていうので抵抗ある子もいた。
そして今は生理パンツと生理カップっていう新しい生理用品が出てきてる。生理パンツは特殊な素材で出来ててナプキンを付けなくてもパンツ自体がナプキンの役割をしてくれるという優れもの。だけど生理期間は必ずナプキンをつけることが当たり前なのでナプキンを付けないことが経血が漏れるのではないかという不安になっているよう。
次に生理カップ。これはシリコンでできたカップを膣内に入れて剥がれ落ちてくる経血を受け止めるっていう感じだと思う。私もあまり知らないのでどうやって捨てるかとか交換はどうするのかとかわからないので気になる人はYouTubeで生理カップって調べると出ると思います。(人任せ)
上記2つとも洗うことで繰り返し使用が可能で今まで使い捨てだったナプキンと比べると(生涯計算で)安く済むというものです。日本ではあまり普及してないけど海外では結構使われているらしいです。
最後に、女性の生理は人によって症状が様々なので女性と付き合う方は元カノや周りの女性の生理が軽かったからといって生理の症状が重くてしんどい人のことをないがしろにしたり仮病とかひどいこと言わないでください。
いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。
大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトとサークル活動であっという間に過ぎていった。
記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶の水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。
こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業に入社できた。この業界では一流とされている。
会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。
私自身を殺したい。
子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメやドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。
大学3回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学のレベルの低さを。
志望していた企業は説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。
うすうす分かっていた。
学際サークルに所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。
どうして私はあの時、浪人を選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。
あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。
もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学に合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。
朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去の自分に鞭を打つ。
こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。
もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。
つまらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……
エピソードをひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェントの見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。
その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。
課題というのは、転職希望者リスト(履歴書+職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである。
「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」
先輩が椅子に腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。
お昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。
勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。
「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人も留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。
私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強を半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。
でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生と麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。
部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。
彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。
「こいつの見てみ」
こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。
「お前も」
先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。
……整然としていた。業界、職種、特技、資格、学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。
「参りました!」
芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。
「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」
そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。
「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」
声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。
「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」
彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。
「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」
ほら、やっぱり。
もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。
先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。
先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。
先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。
彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。
行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手と食事はできない。
彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分の意思を実行する力に欠けている。
甘えたい私に負けて、自分で自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。
これからも自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。
私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。
転職できる可能性順だ。社内にある過去の転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランク、ほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。
クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。
なのでこの場合、優先順位は、①学歴、②社会人経験(特に新卒で入った会社)、③希望する業界・職種・企業名になる。
①学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。
②も大事だ。どんなレベルの会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測しやすいこともある。
③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。
詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。
結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。
その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。
今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。
『嘘』を吐かれたからだ。
講義とか、就職関係の行事などで、大学の先生や事務職員から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。
とある文学部の先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験に合格して法務省に採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学を卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業に必要な単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。
とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事に内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売の仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。
私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校の先生だった。
見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部の先生方から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元の教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。
相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学の先生が、どうしてはるか年下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議な光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。
すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。
大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格がおかしい人が多かった。
①常識のない人
健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会の部活が支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険極まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人の利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかにも危険な行為をしていた。
②精神的に幼い人
講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人のレベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。
私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋を強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルームで危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子のそばで震えていた。
すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情を説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。
大学を卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織に所属したことはなかった。
大学だけでなく、中学・高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。
数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検本試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。
高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。
このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。
学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。
私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流であると認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。
飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ちに抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。
嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分で自分を許せない気持ちになる。
どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?
何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。
シロクマ先生ほか、有名なブロガーの記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは、自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我が生まれる。
私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。
今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。
満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代の努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去の自分を許せないんだと思う。
最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。
だったら、この、昔の自分が許せない気持ちに感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。
ここまで聞いてくれた人、ありがとう。
涙が止まらないんだ。
昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。
「諦めないでくれてありがとう」って。
いろいろな猫好きによるアンソロジー
中学の教師に迷い込んだ猫による先生の家族や友人を猫目線にしている
なにかに夢中になってる猫は何かの仕事をしているようだと思いついた人間による猫へのインタビュー本
100万回しなない猫がいたんですよ・・・
猫と二人暮らししていた人が余命わずかになってしまって、この世界から一つ消すかわりにあなたは一日だけ命を得ることができると悪魔から取引される話。
唯一の身内である母を突然なくした主人公のもとに一匹の猫がやってきて、母がやっていた食堂を主人公が再オープンする話
いろいろと思い出すととにかくなにか声を出さないと死にそうになる瞬間というのがあって、今でも時々自室の布団であーとかうーとか叫んだりしている。
ただなんとか立ち直ってちょっとづつ他人と交流できるまでメンタルが回復して、今年修論を書けた。
今では上記の悪癖も月1程度におさまってくれた。
やったことは簡単で、自分にとって不都合な人間関係を全部捨てて逃げた。これだけである。
入っていたサークルで後輩と同期のごたごたやそもそもちょっと態度の悪い後輩への応対をなんとかやっていたが、
結局それで得られたものは同期からの「面倒ごとの引き受け役」というレッテルとめちゃくちゃどうでもいい後輩からの「頼れる先輩」が大半だったのだ。ただただそいつらの顔色をうかがう日々だった。
それらへの応対であたふたしているうちに助けられたはずの別の後輩一人がその人間関係に悩んだ末に大学を休学してしまったのだ。具体的な経緯やらは誰も興味がないだろうし本質ではないので割愛する。
要は、自分がおかれた状況がその中で頑張れど頑張れど自分への利益が全くない環境で、気づいたころには自分とその後輩の二人、鬱病患者が出来上がっていた把握していただければいい。
そもそも人間関係で利益を考える時点で頭がおかしいのだ。誰しも人のためになんぞ動くものではない。
そもそも自分が率先して動かなければ、なんぞ考えた時点で馬鹿なのだ。誰もあなたのことなんぞどうでもいい。
それがいわゆる「友達」というもので、自分と退学した後輩の二人は休学してからも時々一緒に遊んだ。一緒にうまいものを食いに行った。
その人のために動きたいから動く、そこには利益の計算はないではないだろうが、その人のためにしたいことをしている時点で自分にも一定の利益が保証されているのだ。
では、このような感情は上述のサークルにいたときはあっただろうか?
当然なかった。だから捨てた。
一年とたたずにどうでもいい輩はこちらに連絡をよこさなかった。やはり「そこになんか適当に都合のいいのがいるから使ってやろう」であって、「この人でないと」ではなかったのだろう。
友達に含めそうなサークル内部の人間以外との連絡方法は今では一つも残っていない。
それからは、気心知れた友達とだけ会い、院ではあまり人に会わない実験系の研究室に入った。なんなら最後の年にコロナが流行って他人と無理に対面しなくなってよくなったのもこちらには追い風だった。
じゃあ最初からそうすりゃいいじゃんという話である。おっしゃる通りで。
ただなかなか内側からは自分がアリジゴクの真ん中にいることはなかなか気づきにくいらしかった。
なので、簡易的に自分がいる集団に本当にいたがっているのかをチェックするための基準を考えてみた。
・まず自分がその集団に入れる前に戻れたとして、もう一度この集団に入りたいと思うか
・その集団の人間は本当に自分を必要としているか(なにも自意識過剰などではなく、例えば上述の自分の例だとトラブルの緩衝材はあった方がいいだろうが、それは必ずしも自分でないといけないわけではないはずだ。苦しいが誰かがやらないと、というのであれば「誰か」でいい。自分である必要は微塵もないはずだ)
とりあえずぱっと思いつくのはこの2点である。ただそうでなくても正直自分がなにかしらの集団にいることで精神的につらいと感じるならやめちまえと思ってしまう。
でも……とかではない。あなたの心の健康の前に何を優先せよというのか。友達とかいうなら優先するに値するかもしれないがそれは本当に友達なのだろうか。
あなたの心より自分を優先せよなんぞ言ってくる人間が友達だというのであれば友達の定義を見直したほうがいい。
あなたと一緒の悩みがある人ならばともすればよっしゃ一緒にやめようとなるかもしれない。
とにかく自分を優先して生きろ。波長の合う人間とうまくやっていけばいい。
あなたを人間関係で苦しめる人間がいたとしてそういうやつはたいてい他に友達がいるのだ。そいつから見て都合のいい人間を一人減らしてやれ。
人間関係が減ることなんぞ恐れなくていい。そもそも人間最初は父母以外に誰とも知り合いではないのだから。
そもそもそんな最低なやつらと人間関係続けたくないだろ。損切りというやつだ。
案外世の中は広く、自分のことを本当に必要としてくれる集団は存外こちらが礼を払い尊重の意志を見せればいくつかいるらしい。少なくとも幸運にも自分は見つけられた。
これが必要としてくれる人に届いたら僥倖である。誰にも届かなくても自分の気は収まる。
人は他人のために自分から苦しむ必要なんてない。自分が好きな人間のためだけに……ただし嫌いな人間にも自分からは害を与えずになりふり構わず生きよう。言いたかったことは主にこれだけだ。
TB1eは、ブリジストンから販売されている電動クロスバイク。
クロスバイクというは、ロードレーサーとママチャリの間にある、カジュアルにスポーティーな自転車のこと。
通勤通学などに推奨されている。
ここがいいよ!TB1e!
1.価格が安い
それなのにこのTB1eは最安値で14万円を切る。電動ママチャリと対して変わらない金額で買える。
2.ほどよくスポーティー
ここは賛否分かれるところだけど、まずタイヤがママチャリと同じで少し太い。
タイヤが太いということは最高速度が低下するデメリットがあるが、タイヤ自体が衝撃に強くなるので段差などで最徐行する必要がなくなる。
街中はむしろ車道歩道の行き来にストレスがないのでメリットのほうが大きいことに気づいた。
今まで乗っていたクロスバイクと比べると巡航速度は3km/hくらい落ちたけど、40kmの街中テスト走行では坂道と段差での減速が減った分トータル時間はほとんど差がなかった。
(距離や速度はサイクルコンピューターを別途取り付けて計測。)
ペダルを止めて惰性走行しているときとか、下り坂のときに充電してくれることによって、電池が長持ちするという仕組み。
ただ、よほどの長距離でなければ今の所そんなに必要とは思えない感じ。
バッテリー保護のために残量90%以下からしか機能しないのだけど、40km走っても85%残っていた。
まずハンドルの高さが3段階変えられる。高いほど姿勢が楽で、低いほど空気抵抗が減って最高速度が高くなる。一番低くしたところ、巡航速度で1km/h早くなった。
ハンドルグリップもデフォルトの筒状のものより、クッションのついた断面が卵型みたいなグリップに変えたほうが長時間乗るなら手のひらの負担が減って楽になる。
サドルも割とクッション強めのものが載ってるけど、amazonで2,000円くらいのに変えただけで全然変わる。先端が細いと漕ぐときの抵抗が減るので単純に速度維持が楽になる。
その結果、平地巡航速度は28km/hまで出せるようになった。
こうなるともともと載ってたクロスバイクと1~2km/hしか差がない。
なんでもOKは嘘。でも、原付免許で走れるキックボードとかに比べたら走れる場所の自由度はめちゃくちゃ高い。
もちろん法令遵守の上での話。
電動キックボードなのにナンバーつけないで違法走行してるの多すぎるし、違法モペットも本当に滅んでほしい。
前輪はパッドブレーキなので交換すると改善されるかも知れないけど、基本的には急ブレーキを必要としない運転を心がければそれほど問題はない。
歩道や見通しの悪いところではいたずらに加速しない。坂道も途中途中で減速するようにする。
電動アシストの良いところは再加速にストレスがないこと。それはつまりいつでも躊躇なく減速できるということで、結果的に運転が安全になるということがわかった。
もちろんその人に安全に運転する意識がないと歩道を暴走するような危険運転を生んでしまうものでもあるので、全てがそうというわけではない。
自転車好きだけど、年齢や体調的なもので半引退状態な人はまーじーでおすすめ。
【#にじクイ】にじさんじのクイズ番組、スタート!初回生放送SP【QuizKnock協力】 - https://youtu.be/tfS01BpGFIc
【新番組】にじさんじのB級バラエティ(仮)#1【はじまるよ】 - https://youtu.be/Oc_r8BhGM9E
ちょっと観てもらえればわかるけど、地上波バラエティのフォーマットをそのまま持ってきた内容。
にじバラなんて中井正広のブラックバラエティの完コピとも言えるほどそのまんま。
この方向でいいんですか?衰退メディアのコピー番組をやってることに危機感は無いの?というのが個人的な感想。
にじさんじは去年辺りから「ツキイチ!にじさんじ」や「ヤシロ&ササキのレバガチャダイパン」等公式番組に力を入れてる。
このあたりの番組の好評を受けてなのか、公式番組を次々とスタートさせている。
特にレバガチャダイパンの制作会社はテレビ村バリバリの共同テレビジョンということで、
随所に地上波バラエティ的なフォーマットや魅せ方が取り入れられている。
でもそれは長年こすられ続けた地上波バラエティのお約束をなぞってるから。
フォーマットの力であって、出演者そのものの魅力はあんまり関係ない。
地上波バラエティと同じ。予定調和的だし、出演者のファンが観れば楽しめるかもしれないけど、
初見の視聴者にはイマイチ興味が持てない。結局内輪向けの番組作り。
ちょっと前に話題になったnoteの記事でも触れられてたと思うけど、
この手の公式番組増加に伴って個々のライバーの魅力がどんどん落ちていっているように思う。
最近のにじさんじをつまらないと感じる理由。箱推しが無理になった話。 - https://note.com/ppoch/n/n816eaad71dd8
運営は囲い込んだタレントを利用してもっと効率的に金稼ぎしたいという話なのかもしれないが、
センスの古い人々が企画運営しているんだろうなという内情が透けて見える。
もしかしたら運営は、Vtuberというものが一過性の存在であると諦めて、
とっとと売り抜けてサヨナラする気なのかもしれない。