はてなキーワード: 風土とは
いわゆるバブルの頃までは、経済全体がおおむね右肩上がりだったので、労働環境が多少悪くてたって、給与もそれなり以上に上がってたように見えたな。
「低賃金で社員を擦り切れるまで使い潰す」っていうケチくさい会社はあんまり認知されてなかったと思う。認知度が低かったから名付けもなかった。
認知されてたら絶対ホイチョイプロダクションがネタにしてたろう。
「仕事はきついが給料は良いんだからしょうがない」って人が多く、今のような怨嗟の声はそんなに聞こえてこなかった。(そもそもネットがなかった頃なのでそういう声が伝わる術もない)
だから、ブラック企業的な企業風土が形成されたのは、バブル崩壊以降の九十年代以後、経済や企業の成長が約束されなくなった頃かねえ。
1日に飲む水の目安は大まかに分けて「1.2ℓ説」か「2ℓ説」があるらしくて
1.2ℓ説は厚生労働省が掲げてる目安からきていて、どういう理屈で算出されているかというと
・1日に体から排出される水分量が2.5リットル(尿や便から約1.6リットル、汗から約0.9リットル)
・この内のおよそ半分の水分は食事から摂取されたり、体内で作られたりする。
だから残りの約半分である1.2ℓは、水を飲んで摂取しようってわけ。
ただ、この「1.2ℓ説」では水分たりないんじゃないかって考えもあって
・日本の食生活は塩分を摂りがちなんで、もっと水分摂ったほうがいいのでは?
・必要な水分量は、激しい運動をしたり、お酒を飲んだりとかで個人差もあるので実際はもっと摂っておいたほうがいいのでは?
という感じ。
まあ、言われてみれば、そりゃそうだわな。
で、「2ℓ説」はアメリカで流行ったものが日本にも浸透してきたものらしくて、なんで2ℓかというと
・アメリカは日本より乾燥した環境で、体格も日本人より大きめなので失う水分量が多い。
・水分を多く飲むと肌が潤ったり、むくみが解消したりして美容にいい。
・定期的に水を摂取することになるから腸の働きが促されて、便も固くなりにくくてお通じがよくなる。
・水を定期的に飲むことで空腹感を減らし、結果としてダイエットにもなる。
なるほど、つまり水をたくさん飲めばいいと。
ただ、この「2ℓ説」は水を飲みすぎているって考えもあって
・アメリカで流行った健康法なので、日本の風土だったり日本人の体や食生活に合っていないのでは?
・水を飲みすぎると腎臓に負担がかかる(腎臓病のリスクが高まる)のでは?
・塩分とのバランスがとれなくて「低ナトリウム血症(いわゆる水中毒)」になりやすいのでは?
言われてみれば、そりゃそうなんだけど、なんか翻弄されてる気がする。
しかも、これが流行っていたアメリカですら最近では「水を2ℓ飲むんじゃなくて、水分の多い野菜や果物で補ったほうがいいのでは」って考え方にシフトしてきて、何なんだよ~っていう感じ。
と思っていたら、最近はてブで水はもっと飲んだ方がいいのではっていう記事がエントリにあがってきたりとか、もう何なん?
とりあえず体から排出される分の“水分量”は補った方がいいってのは確かなようだから、1.2ℓ説と2ℓ説の間をとって1日1.6ℓくらいで様子見してる。
1~2時間ペースで、100~200リットル位こまめに飲んでる(もちろん起床時とか、激しい運動をした後とか、風呂上り後は多めに飲んでるけど)。
あ、あと、野菜や果物とか水分のある食い物も摂るようにはしてる。
これでダメだったら俺はもう知らん。
江戸:
~~~明治維新
企業につとめてサラリーもらえてるだけですごくえらい(高杉晋作とか坂本龍馬のように藩主でもない人間が事業おこして社長やっただけで名前が後世にのこってる)。
女性が大学に行くとニュースになる。教員、医者、作家など汗を流さなくてよい職業を「先生」といって尊敬の念を抱く。給料が高いので書生・秘書・家事手伝いさんを雇える。
※ちなみにこの職業に貴賤をつけるやり方が偏差値教育をうみ、今の大学進学メインの学校にまでつづいている。
~~~第二次世界大戦
昭和中期:
団塊世代。オーモーレツ。サザエさん。企業につとめて三種の神器(洗濯機・冷蔵庫・テレビかな)をおいた団地にすむのが若い男女の夢。
家に自動車もあるとなおよい。女性が大学生になる事例が増えたが都市部のみ。
田舎だと高校うかっていかせてもらえただけでも頭いいね(実家も太いんだね)レベル。
頭がいいと、なんとか地方唯一の商業高校にいけて、そこをでてすぐ働く人が多い。
義務教育を終えただけの中卒で働くとか、中学卒業もだいぶお目こぼしされてた(本来なら卒業できてないけど義務教育には留年がないから卒業できました)という人も田舎には多い。
昭和後期:
労働者のサラリーマンが8割。景気がよくてどんどん元が取れるので私立高校や私立大学も増え塾もふえる。
そろそろクーラー・自動車などが標準装備になる。「二十四時間働けますか」
パソコンでいうとPC*801MK2が出た。ハードディスクなにそれ。記録といえばフロッピーディスクだよ?
~~~平成3年リーマンショック…じゃなくて「経済のバブルがはじけた」か
平成前期:
ICチップは産業のコメ。インターネットがそろーりそろりとはじまる。電話線のメタル回線のテレホーダイからですね。
ポケベル、ISDN、PHSなどスマホの前身になる技術がどんどん発達。テレビゲーム(据え置き型家庭用ゲーム機)が盛ん。
パソコンが市販されるけどたいていの人はまだキーボードそのものに慣れてない。ダブルクリックムズカシイ。
ていうかワープロ(word機能と感熱紙プリンタだけが入ってる機械。ファックスのような通信機能はない)が現役だった。工業めちゃさかん
平成後期:
ご存じIT革命。スマホ世代。リーマンショックって平成20年だったのか
令和
今だよ
さて
・過重労働
↑昭和はスマホパソコンがないので仕事に即時対応することが物理的に不可能。
小学校で習ったそろばんや電卓が使えればパソコンのかわりに足し算という単純な仕事を延々とやっていられて感謝もされる。のんびりしたもの。
あとは人脈と移動力がものをいう。つまり電車に乗って駅弁たべて「出張してました、〇〇さんに会ってきました、こういう感じでいってました」といえばかなり働いたことになる。営業職つよつよ。
※ちなみにメタル回線の電話はすべて従量制課金だよ。長電話すると営業でも怒られるんだよ。長い話をするときは紙にまとめてファックスにしておくろうね。←令和になってもこれやってる不動産多い
・残業代が出ない
土曜日は半ドンといって昼までで家に帰る職場もけっこうたくさんあった。
まあ最初はリーマン・先生たち、週休1日だったりもしたけど、どうしようもなくみんな貧しいんだから仕事もそうそうこないだろ的舐めプしてた。
あくせくせずに遊びながら席に居るだけ居て、上のものがきたときにだけへこへこしようぜみたいな集団サボりが許されてた感。
・ハラスメント多め
↑ハラスメントなどという横文字言葉そのものが日本の企業風土にないが、
そのかわりネクタイしめて会社に通ってるエリート、だの、美しいお嬢さん、という型にはまってくれる人間にたいする親密さや敬意はあった。
要らないのにお見合い写真をもってこられたり、寿退社必須だったり、お子さんもっと産めばいいのにとか。今でいうハラスメントだが本人たちは親密のつもりでやってる。
今でいうとさしずめ銀盾ユーチューバーくらいじゃないだろうか。
「一般人の皮をかぶった厄介ファンがつくのも予測できてたはず。
自ら選択してなったのだから、サラリーマンやOLは、人格者でなければならない。」みたいな。
ブラックでもなんでもなく、昭和の人の言うところの「あら~いいところにお勤めですね」だよ。
管理職になったらもう社長もすぐそこですねって取引先からつけとどけのお中元・お歳暮、お世辞がバンバンとどく。
そんななかでちょっと残業したり経営が苦しかった時期の苦労をいえばもはや美談、自慢話なんだよ。プロジェクトXだよ。
農業だの家業の手工業だのをやらされてない当たり前のサラリーマンという時点で勝ち組なんだ。
まあ、あとは令和でもそういう「ブラック以前に自営業ばっか」の田舎については「セケンのハテまで」という漫画でもよんでくれ。今でも都市部以外はそんな感じだから。
それこそ「まだ東京で消耗してるの?」は事実の一面は突いてた。
平成令和はやっぱインターネットでオリンピック級に仕事ができる人が可視化されちゃったからな。
荒木飛呂彦とか、AKBとか、どうみても常人じゃない人が「だれにでも見える」「目標に据えられる」「自分でもできるかもとおもわされる」。
昭和ってのは全員知らぬゆえ仏だったよ。
学生闘争で活動してた人が頭いいから背広きて社員になって労組に入って労働闘争して、
何も知らずに搾取されてる同僚たちを企業経営陣の搾取から守ってくれてた部分もあった。
そういう労組から会社への指摘は「ブラック」だなんてふんわりした色だけの言葉ではなく「労基法違反」だの「経営陣は社員Aに残業代と労災を払え」のような、
きちんとした要求になるから、「ブラック企業」に直接相当する言葉はやはり労組にもなかっただろう。「弊社経営陣は違法」といった、長めの告発タイトルならあったかもしれない。
元弊社を「ブラック企業」って命名してことたりちゃうのって、SNSでの、素人にもわかりやすい内部告発や私的労働闘争のほうが労組より効力が強くなったから、それで「ブラック」がようやくなりたったんだろうな
ツイッターがこのまま崩壊したらやっぱり労組が力をとりもどすのかもしれないけどどうだろ。
社員からすると労組か経営かって結局どちらも選べない。どっちも歯車になれる強者おっさんの理論なんだよな。
今は労組から管理職いける不思議な労組ばっかりのこってる。結局企業論理に染まり切ったバカしか企業には残れない。
労基法だの業界基準だの行政だのも、結構いろいろ詳しく仕事のやりかたを(外部のくせに)指図してくるから、
労組があっても経営と手を組んで黙って身内だけで法律をかいくぐることに必死になってるタイプのブラック企業もある(不祥事とかでしょっちゅうバレる。大成建設とか)
社員としては時間や魂を売り渡してる以上、金と地位くらいは見返りとして欲しいわけだからどっちのいうこともわかる。
経営陣はお客様の代弁者だし、労組は「こんなやり方では迷惑だ」と社員やセケンを代弁してる。
でもどっちもそもそも働きたくない個人(今でいう発達障害とか個性のある一人一人の人間、お気持ち)の味方ではないんだよ。
労組弱体とかそういう問題じゃなく、お気持ちを吐き出せるところとして現在最強なのがツイッターだという話。
「黒=悪」というイメージを植えるのはぽりてぃかりーコレクト違反だとしてアメリカなどではもうだいぶ禁止されていると思う。
まあ昭和だと「赤=労組、テロ、共産、悪」というこれも悪口ひっくるめた扱いだったし。
色にイメージをつけてわかったつもり・けなしたつもりになるってのはわかりやすくて訴求はできるけどやっぱり頭は悪いわな。
・1桁ブクマが今さっきみたら2桁も後半になっててびくーりした。俺増田史上5本の指に入りそうだね。
・バブルはじけとリーマンショックまちがえてたり、PCの名前(買ってもらえなかったからどっちでもええんじゃコラ)まちがえてたのでちょこちょこと訂正した。
もうどっちでも新入社員にとっては恐竜と大差ない大昔だからなぁ。
というか「バブルがはじけ、第一次就職氷河期がはじまった」というのを歴史家はいつまでも一言でいえる言葉にしないんだな。
1971が石油ショックで、
2008がリーマンショックなら、
およそ18-20年に一回なんかそういう失業・氷河期祭りがあるんだな。
次は2025あたりにAIショックとかあるんじゃねえの。
・理解するための漫画の追加ありがとう。たしかにそういうのもあったな~とおもった
・フジ三太郎・東海林さだおやコボちゃんなどのサラリーマンもの
(絵柄が大体あの感じのやつ)
※ただ、結局漫画家ってのはサラリーマンを途中でドロップアウトしてるし編集に「こんなのモデル企業に訴えられる」といって差し止められるので正確にはかかない。
島耕作もプロジェクトXも、イメージ向上してるからというだけで訴訟は乗り切れてるけど。
金と社員だけみれば現実はもっとド汚ねえ。だから読める程度には美しく書くんだけどさ。やくざ漫画でいう「ザ・ファブル」みたいなもん。売れるのは毒抜きしたものだけ
一番サラリーマンの本体をしってるのは父親・母親をみていた子供だよなとおもう。(なので一番最初にサザエさんをすすめたし、「セケンのハテまで」もおすすめする)
俺は、ここ二十年タバコの吸いすぎ闘病でずっとおまる使っててママ氏に介護の世話ばかりかけてるうちのパパ氏、
外からみると島耕作に、だいぶ近いことをしていたんだなと改めて感じている。
(部長には一時期なってたんじゃないかな。取締役とかはなってない)
ちなみに俺のなかでは釣りキチ三平の作者(市役所…じゃなくて銀行、のだいぶえらい人だったのが「ドロップアウト」して漫画家に)と手塚治虫(医者を「ドロップアウト」して漫画家に)が出世頭からの転身組漫画家の双璧だとおもいます
・俺史上2本の指に入った
・PC買ってもらえなかったっつってんだろ、ワイルドカードじゃコラ。最初は8801って書いてたんだぞちゃんと。マッきんとっしゅクラシックよりは安いけど、あのくそたかいのに数MBしかハードディスクがなかったおもちゃ買ってもらってたやつは今頃何してんだ、まさかブックマーカーなんかしてないよな。
・しゃぶでもやってるのかっていったやつは大成建設にでもつとめてんのか
・うちのパパがいよいよ危篤。結局あまり企業については話せなかったけど、まぁなんとなく雰囲気はわかるよ。
花々しい企業づとめも、「宮仕え」「エリート」も、社内政治も理系にとっちゃ全部ひかえめにいってクソでありうんこだよな。
腰かけ程度に中小につとめてすぐやめたママはわかってないお嬢様OLだったんだなとおもうことが多々あった。
というか子供からみて高校以降のママのアドバイスは全部見当違いだったんだが、社会人ならとおもったらやっぱりだめだった。
ママには大きな組織に働いてすりつぶされる感覚を愚痴れないなとおもったのは就職して半年もたたないうちだった(見当違いな対処法を提案され余計につかれる)。
しばらく弱小スタートアップなどを転々とした後にどうにかWEB制作の正社員の職を見つけた
そこは正社員とはいいつつ客先常駐の特定派遣で薄給なうえ5年間昇給も賞与もなしで
待遇はひどいもんだったが楽だったし安定はしてたし
しかしコロナで色々な案件がぶっ飛んで、ワークシェアリングの名を借りた減給もあり
アラフォーの管理職経験もなくスペシャリストでもないWEB制作者、俺でも雇わん
それでも数撃ってるうちに良さそうな会社に当たった
もともと印刷物ベースの会社がIT化をすすめるとかで、社内初のWEB担当者を探していると
年収は450万、これは前職の倍近くになり、魅力的だった
何より、小規模でいいから一人で何でもできちゃう人が欲しいということで
分煙が不完全で会議室はタバコの煙で相手の顔が霞んで見えるほどだし、
あと「飲み会での働きが出世にも影響する」ともはっきり言われた
しかもこの会社の飲み会、コロナ前はたびたび救急を呼ぶほどの乱れ方だったらしい
社員たちは野球・競馬・パチンコ・風俗・飲み会の話をずっとしており
若手へのパワハラも横行している
増田は幸い「俺たちがよくわからないネット?関係のことをやってくれる人が来た」
みたいな扱いになってておおむね好意的に受け入れられたので攻撃を受けずに済んだが、
3人いたほぼ同期の新入社員はみんな病んで辞めていった
その結果なのか、年齢層が異常に高い
「盛り上げ役の若手」みたいな立ち位置の社員が50手前という地獄
ここまで読んで既にまともな人間が働く場所ではないと感じた人も多いと思うが
印刷物ベースと書いたが、これは要するに老人の名簿を入手してダイレクトメールを送って怪しい商品を売りつける商売だった
身バレが怖いので商品は書けないが「魔法みたいに病気が治る」系統のものだ
架空の公的機関とか、富裕層の団体とかが登場して「あなたが優遇対象になりました」と言って引っ掛ける
「あなたを助けたくてご連絡しています。今、私の父をはじめ偉い人たちにたくさん声をかけて、あなたに特価で商品をお譲り出来るよう動いています」
と恩を売る
「〇〇さん、優遇対象に選ばれたって本当ですか?羨ましいです」
「△△協会に認められるなんて、未来は明るいですね!早く連絡したほうがいいですよ」
それだけだと当然断られるのだが
「えっ。もう偉い人たちにたくさん動いてもらって、ようやく〇〇さんのために在庫を確保できたんですよ!いらないなんて言われたら、私どうすればいいんですか〜…涙涙涙…」
ととにかく泣き落とし
このやり取りは数日に渡って行われ、雑談から人生相談みたいなことまで話すので情が移るのか、
更にエグいのが、こういう営業活動が二ヶ月スパンのローテーションで行われているってとこ
そう
こんな無情なことある?
そして俺はこのビジネスモデルのWEB版を作ってくれと言われている
無理だろ
※追記
450万で妻子持ちは地獄、流石に嘘だろ?
みたいなのが1番こたえた…俺はこれでも生活が超楽になった〜って喜んでるのによ…
ほんとにみんな高収入なんだな
正直妬ましいよ
弊社はコロナ禍以降ずっとリモートワークを継続しているのだが、実はPCの稼働状況をモニタリングしていたようで、ここ3ヶ月ほどの私のPCの稼働状況が明らかに何もしていない状態を検知したそうだ。
技術的なことはよくわからないが、平均的な弊社でのPC稼働率が70%程度のところ、私の稼働率は15%程度だったと言われた。
実際のところ、ここ3ヶ月ほど私はほとんど何もしていない。
始業時刻にPCを立ち上げ、社内チャットのステータスがオフラインとならないようにマウスだけ適当に動かしてはいる(5分ほど無操作だとステータスが"離席中"となってしまい動いていないのがバレるため)ものの、1日中YouTubeやTwitter、増田になんJ、挙句にはまとめサイトなどを適当に巡回しているだけの日々を過ごしている。
今日に関しても、サボりがバレた件の連絡が来た15時の時点でメールとチャット以外のソフトは立ち上げてすらいない状態だった。
元々どうしようもなく怠惰な人間で、例えば大学でも授業など殆ど出席せず、テストのみを受けて単位だけを回収するような人間であった。その方が効率的だ、等と考えていたわけではなく、ただ単に朝起きて大学に行くという行為が面倒でできなかったというだけだ。同時に入っていたサークルも、幹部の代になって運営が面倒でフェードアウトした。
だからといって何をするでもなく、毎日昼過ぎに起きてはダラダラとSNSやアニメなどを観て、気がついたら日が暮れて、なんとなく深夜3時くらいに眠りにつくような日々だった。
弊社は良くも悪くも成果物主義であり、十分な成果物さえ出していれば特に何も言われないし、逆にアウトプットが芳しくなければ、何時間働いていようが関係なく低い評価を付けられる。
実力主義といえば聞こえはいいが、その実態は単に人材の管理や育成に力を入れる風土がないだけの会社であった。
そんな会社への入社と同時にコロナ禍に入り、全業務がリモートワークになった。元々個人プレーの多い職場であったため、日常に戻りつつある現段階でも原則リモートワークを継続している。
リモートワークではあったものの、「この成果物を何時間で作成せよ」という形式でタスクが降ってくる弊社のシステムとは合っていたようで、達成すべきゴールが明確かつその業務にかかる時間の目安まで明示してくれていたため、うまく自分の怠惰さを出さずに業務に取り組むことができていた。
しかしながら、最近いくつかのプロジェクトの主任を任されることとなったところから歯車が狂い始めた(もちろん狂わせたのが自分であることは承知の上であるが)。
主任の名の通り、現場レベルでのトップとなったことで上記のタスクの割り振りが私の担当となり、また、プロジェクト管理が主な業務となってしまったことで、サボる余白が生じてしまった。
余白と言っても業務量が減ったことにより余裕が生じたというものではなく、正直なところサボっている余裕など全くない。
しかしながら、当該管理業務自体は期日感や所要時間が明示されて割り振られたものではなく、プロジェクトの最終段階までに全てを完了させていれば良いという性質のものであることから、自身の怠惰な部分が遺憾無く発揮されてしまい、今もやらねばならぬ業務を先延ばしにし続けている状況である。
進捗を確認するような場が存在しなくなったことで、ビハインドにも歯止めが効かなくなってしまった。
具体的には、プロジェクト自体は12月ごろからスタートしており、1日サボったことでビハインドが8時間生まれた。それが積み重なって3月頭の現時点で100時間近く管理業務がビハインドしており、それを今月中になんとか巻き取る必要がある現状である。
が、当然にその間も新規の業務は増えていく一方であるし、ここまで来るともうどうしようもないよな〜などと思いながら、YouTubeを観ることしかできなくなってしまった。
というわけで、もう無理かもしれないな〜などと漠然と思いながらYouTubeを見ていた折、急に部長から着信があり、応答すると上記の通り、「サボっているよね?」という旨を至極回りくどく確認されるに至った。残念ながら咄嗟に上手い嘘など出てくるはずもなく、素直にサボっていることを白状した。
正直、もうすでにどうしようもないくらいにサボってしまっており、これだけのビハインドを今月中にどうにか丸め込めるだけの方法もないので、遅かれ早かれこうなっていたのだろうなとは思う。
とはいえ、サボりを正面から指摘されてなお開き直って会社に居座ることができるほどメンタルは太くないので、おそらく仕事を辞めることにはなると思う。この先どうしようかという点については未だ何も考えられていない。
発信源の情報が差別となりえるかどうかといえば「どこのだれが発信したかわかった」としても差別になる場合もならない場合もあると思うよ
鉄鉱石をどこから掘ったかで包丁になって人を刺したという話の原罪をもとめたら鉄鉱石かもしれんがそれは関係ないっしょ
包丁を刺す目的で使ったやつが刺すという罪を作った張本人であってそれ以前には人を刺すという罪は発生していない
最終的に使った人間と被害者がいたら「差別」が発生してそれが差別だと思うよ
AIが自由に組んだ文章で差別とされた文章がはいっていても風土とか歴史とか研究している人間の論文に差別的な表現が入っていてもそれは差別にはならんと思うよ
景観賞受賞の新興住宅街などを見ていると地域の独自性というものが重視されていないものも度々見られるように思う。
https://www.mlit.go.jp/crd/townscape/keikan/pdf/keikanhou-gaiyou050901.pdf
良好な景観は、地域の自然、歴史、文化等と人々の生活、経済活動等との調和により形成されるものであ
ることにかんがみ、適正な制限の下にこれらが調和した土地利用がなされること等を通じて、その整備及び
保全が図られなければはならない
歴史、文化のデザインというものも良好な景観には必要だが重視されていない例が見られるように思う。
しかしA市の街並みなのに、A市らしさがなく、世界のどの地域でも良いんじゃね?と思うような街並みでは地域の個性や歴史や文化が生かせていないと思う。
近年では気候風土適応住宅のガイドラインを制定する動きが見られる。これにならい、気候風土適応住宅に限らず地域の歴史や文化的なデザインをガイドラインとして整理していただきたいと思う。
地方に就職する 追記あり https://anond.hatelabo.jp/20200116084637
の元増田です。
ここから3年経つが、この会社を辞めて再び東京で働くことになったので、また備忘録を書く。
辞める理由は1つではないけれども、最も大きいのは全く異なる職種を2つ、ときによっては3つ、同時並行でこなすのがしんどいからだ。
次に大きいのは、自分に向いていそうな職種(社内SE)が見つかったので、そちらで金を稼ごうと思ったからだ。
元々は英語を営業に活かす方面で採用されたのだが、コロナであまりすることがなくなり、会社にRPAが導入されるも誰も使えないので私がいじっていたら「パソコンなら増田さん」ということになり、基幹システム開発の自社側の担当を入社2年目でやることになった。
コロナが世界から段々無視されるようになり、元々採用されていた海外方面でも仕事(貿易実務と営業)が増え、基幹システム開発の方は楽しいものの自社側担当者は上司はいるがメインは私なので残業が続き、疲れてしまった。
けれども、転職活動ではこの一人に何でも任せる企業風土(中小企業あるあるなのか?)のおかげで、年数のわりに体当たりの経験があるということで思ったより評価された。
東京に戻ることにした最も大きい理由は、実は東京が感覚過敏的につらかったのは実家の位置に因るところが大きく、場所を選べば静かだしそこまで電車も混まないと知ったからだ。
もちろん感覚過敏者に向いているのは今住んでいる地方なのだが、転職に際して、社内にシステム部があるような大きい企業で、今より給料が高く、休みも多く、となると東京で探すのが圧倒的に効率が良かった。
現職には色々思うところがあれど、とにかく人が良かったので(「いい人」しか残らない環境だとも思うが)、元々抱えていた異常な人間不信をまともなレベルに戻すことができたし、自分は給料分働ける人間だという感覚も得ることができた。
人間不信で、面接前に抗不安薬を飲み、エビリファイ無しでは生活できず、合同説明会で泣きながらトイレにこもって帰り、まともに働けると全く思っていなかった私を採用し、育ててくれたことはとても感謝している。
こっちでシステム関連のことをやりながら飛行機をバンバン使えるくらいの収入が得られたら、こっちに住み続けたかった。
またね。
私達は、日本国の風土や人々に好感をもって移り住んでくれる方々を出迎えたいと思っています。
しかし、日本国への思い込みや雰囲気だけで移り住まわ れることには不安も感じています。移住者、国民双方が 「知らない、聞いてない」「こんなはずではなかった」などによる後悔や誤解からのトラブルを防ぎたいと思っています。
そこで、長く日本国で暮らし続けて頂くための心得や条件を「日本暮らしの七か条」として作成しました。ご理解をお願いいたします。
第1条 各都道府県の一員であること、日本国民であることを自覚してくだ さい。
○少子高齢化の進む日本国ではありますが、私たちは47の都道府県において相互扶助を土台に安全で豊かな共同社会を目指しています。
第2条 ボランティア参加、税負担を求められる地域行事の多さとともに、出身国にはなかった面倒さの存在を自覚し協力してください。
○日本国の風景や生活環境の保全、祭りなどの文化の保存は、市町村毎に行われる共同作業や各市町村独自の活動によって支えられています。共同して暮らす場を守るためにも税負担に協力ください。
○日本語は必需品です、回を重ね使い込むことで技術上達が図れます。
○このことを「面倒だ」「うっとうしい」と思う方は、日本暮らしは難しいです。
第3条 町内会は小さな共同社会であり、支え合いの多くの習慣があることを理解してください。
○生活の基盤は町内会であり、長い年月に渡って様々な行事や集まりを通して暮らしを支えてきました。
第4条 今までの自己価値観を押し付けないこと。また出身国の暮らしを地域に押し付けないよう心掛けてください。
○町内での生活は、ご近所などとの密な暮らしの日々があります。出身国では見られなかったルールや仕組みもありますが、皆で折り合いを付けながら培ってきたものです。
○出身国での暮らしと違うからといってポリコレ風を吹かさないよう心掛けてください。
第5条 プライバシーが無いと感じるお節介があること、また多くの 人々の注目と品定めがなされていることを自覚してください。
○どのような地域でも、共同体の中に初顔の方が入ってくれば不安に感じるものであり「どんな人か、何をする人か、どうして日本に」と品定めされることは自然です。
○干渉、お節介と思われるかも知れませんが、仲間入りへの愛情表現とご理解ください。
第6条 町内や地域においての、濃い人間関係を積極的に楽しむ姿勢 を持ってください。
○静かでのどかな日本国ならではの面白さとして、ご近所や色々な出会いの中での会話を楽しんでください。
第7条 時として自然は脅威となることを自覚してください。特に大地震は暮らしに多大な影響を与えることから、ご近所の助け合いを心 掛けてください。
○日本国は 2011年の東日本大震災で大きな被害を受けて以来、復興増税を行い、地域防災力を高める取り組みを推進しています。
○また、日本国には「郷に入らば郷に従え」という教えがあります。地震災害時、台風時での譲り合い、助け合いを心掛けてください。
私達は、池田町の風土や人々に好感をもって移り住んでくれる方々を出迎えたいと思っています。
しかし、池田町への思い込みや雰囲気だけで移り住まわ れることには不安も感じています。移住者、地元民双方が 「知らない、聞いてない」「こんなはずではなかった」などによる後悔や誤解からのトラブルを防ぎたいと思っています。
そこで、長く池田町で暮らし続けて頂くための心得や条件を「池田暮らしの七か条」として作成しました。ご理解をお願いいたします。
総人口の少ない池田町ではありますが、私たちは 33 の集落において相互扶助を土台に安全で豊かな共同社会を目指しています。
池田町の風景や生活環境の保全、祭りなどの文化の保存は、集落毎に行われる共同作業や集落独自の活動によって支えられています。共同して暮らす場を守るためにも参加協力ください。
草刈り機は必需品です、回を重ね使い込むことで技術上達が図れます。
このことを「面倒だ」「うっとうしい」と思う方は、池田暮らしは難しいです。
生活の基盤は集落であり、長い年月に渡って様々な行事や集まりを通して暮らしを支えてきました。
集落での生活は、ご近所などとの密な暮らしの日々があります。都市では見られなかったルールや仕組みもありますが、皆で折り合いを付けながら培ってきたものです。
これまでの都市暮らしと違うからといって都会風を吹かさないよう心掛けてください。
どのような地域でも、共同体の中に初顔の方が入ってくれば不安に感じるものであり「どんな人か、何をする人か、どうして池田に」と品定めされることは自然です。
干渉、お節介と思われるかも知れませんが、仲間入りへの愛情表現とご理解ください。
静かでのどかな池田町ならではの面白さとして、ご近所や色々な出会いの中での会話を楽しんでください。
池田町は 2004 年の福井豪雨災害で大きな被害を受けて以来、集落防災隊長を設置し地域防災力を高める取り組みを推進しています。
また、池田町には「雪で争うな、春になれば恨みだけが残る」という教えがあります。積雪時、大雪時での譲り合い、助け合いを心掛けてください。
以上、共同する社会の豊かさの充実のため、ご理解ご協力ください。
https://www.town.ikeda.fukui.jp/pick/pickjukyo/p002780_d/fil/nanakajou.pdf
日本共産党が民主主義的な変革を通じて、ゆくゆくは社会主義を目指している政党だというのは知っていた。
ソ連や中国の方向性に異を唱え、社会主義の前に、まずは民主主義の確立を目指すという意味では、共産党は憲法の擁護者であったし、自由と議会制民主主義の擁護者としてふるまっていると思っていた。
そういうことを知っていたつもりだったけれども、このたび、異論を許さない態度で党首公選制を訴えた党員を除名処分にするニュースはあまりにも自由や民主主義の考え方と乖離する、という違和感が強い。もちろん、50年代、60年代に、ブントからさまざまな新左翼党派が生まれた経緯を反省すると、党の結束重視、分派につながる動きへの警戒は理解できるものの、なんとなく民主主義を擁護している風の皮をかぶりながら、やっぱり統制好きな人たちなのか?という印象はぬぐえない。
そこで日本共産党綱領を民主主義というキーワードがどういう文脈で使われているかを改めて読み直してみた。
まとめると、以下の特徴が読み取れた。
・民主主義的な変革(革命)は専制政治や覇権主義との闘いである
・変革(革命)の担い手は労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生からなる統一戦線である。
民主主義は設計された所与のプラットフォームというより、【変革】により戦った【主体】が勝ち取る動的な運動と認識されている。その主体が定義されリスト化されており、その【統一】には社会構成員全員が含まれているわけではない、というのも注目に値する。はっきり書いてないが打倒されるべき悪しき存在の匂いがぷんぷんする。昔よりマイルドになったとはいえ、人民が戦って勝ち取るぞ的な歴史観がすごい。
綱領は最後に、現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容として、国の独立・安全保障・外交の分野から憲法と民主主義の分野、そして経済的民主主義の分野で目指すべき方向性を示している。
この中には安保破棄といったおなじみのものから、ジェンダー平等など最近になって共産党自身が認識を改めたものも含まれている。
経済的民主主義の分野においては、労働規制、食糧安保などが強調されているが、自由主義経済の擁護はやはり、というか、やっぱり記載がなかった。
憲法・民主主義の分野の記載で、もうひとつ特徴的だと思ったのは、民主政にとって、ある重要なメカニズムが全く記載されていないことだった。
ははあ、と腑に落ちたところがあった。なぜ民主政にとって、もっとも重要な概念が抜け落ちてしまうのか。
共産党の考え方では、民主主義は、戦いと表現されることから象徴されるように、そもそも主体的に、イデオロギーの進歩として達成されるべきものと認識されており、しかもそれは社会主義革命に至る途上の段階とされる。
民主主義が革命に向かう運動と理解され、この革命の担い手「主体」がキーワードになるんだな、と改めて気が付かされた。運動主体が【統一】されるべきである、という共産党員の自画像が、今回の件で、党外発言を攻撃とまで罵る背景にあるように思えた。
というのは、いわゆる自由主義社会においては、「主体」について全く異なる理解をしている。多様な主体のもとで、社会が進展するという考え方のほうが支配的だからだ。
広い意味でのリベラリズムでは、リバタリアニズムやレッセフェールなど完全放任まで幅があるものの、経済や社会の進歩は、特定のイデオロギーによって達成されるのではなく、優れたものが自然に選択されるという淘汰圧が客観的な社会のダイナミズムとして理解されている。
表現の自由についていえば、特定のイデオロギーの正しさは、歴史が自然に結果を出すものであって、教会や政府が真理として押し付けるものではない、というのがヨーロッパでもアメリカの政治体制でも共通の前提となっている。
そのような認識の下では、多数の目から一見すると正しくない言論や行い、考え方についても、その考えが社会に存在することを排除しないのが美徳となる。
差別的言論しかりであり、正しくないと思えるものが一定程度、社会に蔓延するのを認容する、というのは、長い目でみて、社会が進歩するための副産物と考える。
したがって、雑にまとめれば、自由主義社会の制度設計では、ブルジョアやプロレタリアートといったイデオロギー的な主体の覚醒は必要とされないし、イデオロギー的な主体の覚醒や人民の団結を呼びかけるような政治体制は、資本主義的な搾取構造以上に、暴力装置である、というのがリベラル側からみた共産主義の問題点といったところだろう。自由主義では、イデオロギー的に多様であっても、そして無自覚であっても成立し、発展しうる社会設計を構想しているのに対し、共産主義では、変革の主体が強く意識され、その主体が統一(戦線)されることが変革のキーだと考えられている。
民主という言葉が登場するたびに、それは専制によって奪われてきた歴史であり、覇権主義との闘いであり、それに抗い変革を進める担い手が強調される。
そして、ひとたび担い手に注目するやいなや、担い手の気づきというか覚醒が求められる。革命は待ってても自然には起こらないということだ。
これは共産主義独特の進歩史観だ。ここに、担い手を教育し、同じ価値観やイデオロギーを共有させようとする契機がある。
これは、党首公選制を唱えた者を破門する、という最近みられた動きと表裏一体ということになる。
綱領に言論の自由の記載が一行も存在しないのも納得である。言論の自由のもつ社会のダイナミズムを理解しつつ、イデオロギーを啓もうすることは自己矛盾だ。
というわけで、社会の変革にとって、イデオロギーに共鳴する主体醸成を重視するか、
それとも自由のダイナミズムを重視するか、ここに分かれ道がある、というありきたりな結論に至ってしまったな。
政治体制 | 言論自由 | 進歩史観 | プレイヤー |
---|---|---|---|
自由主義 | どちらかというと放置 | 蓋然的・客観的 | 多様性重視 |
共産主義 | どちらかというと統制的 | 必然的・主体的 | 一体性重視 |
みたいなイメージになった。
しかし、共産党の皆さんに是非、戦後の世界の歴史をもう一度振り返ってもらいたいと思うのは、
言論表現の自由がもたらす社会の不協和音、暴力という副産物をある程度社会が許容できたからこそ、社会運動が大きく広がった。
この運動はもちろん差別と闘う社会変革の主体抜きには語ることはできないが、過激な言論を民主主義の副産物とする社会のプラットフォームがあることによって、運動の価値が昇華された。
暴力性という点では労働権の暴力性(争議権)も社会改革の進展のかぎだ。今では自明性に埋没して疑いもしない労働者という言葉、実は【労働者の概念】とその暴力性は、革命の概念と地続きり、出自はもちろん自由主義ではありえない。
異なる出自をもつ二つの権利、争議権と言論の自由は、社会変革のダイナミズムに伴う暴力という意味では実は共通項だ。
他者危害原則が基本の社会において、なぜ規範からの逸脱という暴力、そして異端の存在を、広く多様性という価値を認めて、一定程度、許容する仕組みを自由主義社会は構想しているのだろうか?同一コミュニティに閉じている限りは進歩も進化もない、という、それはやはり、進化のプロセスに対する直感が働いているといわざるを得ないだろう。
争議権というのは、学校が停止したり電車を全面的に止めたりと経済に甚大な被害を与える超暴力的な行為を時に伴うが、そのような痛みを社会が許容することによって社会が改善することがある。自由主義社会はこうした社会変革に伴う暴力を一定のコントロールに置いたうえで社会の進歩を進めてきたといえる。
ちょっと余談になるが、日本での社会権の受容はGHQ改革に始まって、やや独特の経緯をたどって欧米とは異なる展開となった。
敗戦直後、それまでの動員される勤労者から主体的な労働者へ突然、主体の変換が起きた。その結果としての、労働者階級の過剰な希望、そして暴力に伴う社会的な混乱は、失望と社会秩序維持へのさらなる圧力を生み、やがて国労と新左翼だけが残った。そして秩序を乱す奴イコール、テロリスト、という空気が蔓延した。
日本は国労が新左翼と一緒になって調子に乗りすぎた結果、争議権は骨抜きになった。日本では社会秩序と暴力が明確に対立概念となり、争議はなれ合いとなり、労使協調という言葉に象徴されるように、労使間の秩序模索にすぎなくなった。ただ一方、ヨーロッパではそんなことはなく、社会権の潜在的なラディカリズムが広く受け入れられている。病院だろうが航空機だろうが、誰が困って死のうがストが決行される暴力性が顕在なのだ。なんなら革命で政府を転覆させるぜくらいの勢いで。
ともあれ、自由主義社会が社会主義的な発想でラディカルな主体の考え方を一部取り込んでいる、という動きは、自由主義VS社会主義と単純に括ることができないことを示している。
絵画にトマト投げみたいな環境急進主義しかり。ヨーロッパになぜあれほどラディカリズムがパフォーマンスを繰り広げられる余地があるかというと、そもそも自由主義社会は社会変革の萌芽を言論統制などによって政府の力で摘まない社会設計になっているからだ。彼らはヨーロッパのニュース上ではResistantと表現されてもテロリストと表現されることは少ない。それは「労働者」という主体を仮構したうえでの争議権の意義とパラレルなのだ。
なんなら、「LGBT」しかり、なのだ。共産党は実は、長い間、同性愛者を差別してきた歴史がある。かつては「労働者」という概念が主役で争議権という武器が社会変革上、最重要な部分だったので性的マイノリティに考えが及ばない時代だった。LBGTというイデオロギー的な主体の意義に気が付き、公式に考えを修正したのはつい3年前の2020年のことだという。
https://www.sankei.com/article/20210706-L4MJ2RSGZFLHJLGW2LWKXILBGI/
LGBTの存在に気が付き、こうした修正が可能になるのは、自由主義社会が、ラディカリズムも含めて、多様な言論を放置できる社会だからだ。そのくせ日本共産党がLGBTをあたかも自分たちの応援団かのように仲間に入れようとするのは、労働運動が退潮し、運動の屋台骨が骨粗しょう症のようになってしまった日本の文脈を思い起こすと、図々しいという気もする。皮肉なことにこの記事を執筆した元板橋区議の男性も、党本部から除名処分を受けている。
結局のところ、共産主義においては、社会変革のための主体を重視し、その統一をもとめるがゆえに、主体そのものの議論が決定論的なものになってしまい、議論されにくい。
その結果、主体自身の変革は阻害される、というジレンマというか自己矛盾をはらんでいるといえるだろう。社会を変革したがるくせにね。これはある意味自らの正義の禍々しさに苦悩するヒロイズムのジレンマだ。自由主義社会でダークヒーローのドラマや映画のプロットが西部劇の昔から最近ではジョーカーに至るまで一定の需要があるのは変革の萌芽は必ずしも正義によって見出されるものではないという世界観の違いに由来する。
でも、自由主義社会にいる日本共産党としても社会の変化にも気が付かざるを得ない。
その過程で、弱体化した【労働者】を補完するべく、新興の主体、LBGTグループを統一戦線の一員として、ちゃっかりと追加したりする、ということが起こったりするわけだ。
であれば、社会主義革命を目指す共産党においても、内なるノイズをある程度、コントロールしつつ許容し、社会変革への考え方をより確実にする、という方向性もありうるんじゃないだろうか。その結果、やっぱ内ゲバをコントロールできなくなって、この調子じゃ人を教育して主体構成を前提とした社会主義化って無理じゃね?となって解散するならそれもよしなんだよ。
今回の除名騒動を受けて、党内で議論すべきことは党内で、というのが統治の基本、という主張が共産党から強調されているようだ。
一見正論だが、しかし、俺はちょっと違うと思う。それは、つまり【寄り合い】だ。
なぜなら、そのようなガバナンスの考えこそが組織の硬直化を招来し、日本の労働運動が労使間の秩序模索に堕落した一因であるし、日本的組織風土に風穴があかない最も大きな要因だからだ。寄り合いといえば、かつて日本の農村漁村を調査した宮本常一は、寄り合いによる時間をかけた合議の意思決定を観察し、他者の信頼醸成のプロセスが共同体のしきたりにない、外部社会の新しい事柄の受容のキーとなっていることを見抜いた。宮本はまた、共同体を飛び出し、放浪の旅を経て戻ってくるようなアウトローの存在を外部の知識をもたらす【世間師】として共同体が受け入れる様子も描写している。寄り合い的なコミュニケーションにおいても、異物を内部化するプロセスはあるということだ。
民主主義という視点に戻ると、言論の価値、そして、争議という変革の手法が組織どころか社会に迷惑をかけることを前提に行われることの意味をもう一度振り返ってもらいたい。