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2021-01-02

anond:20210102141832

データはこの本で示している。

論文ってのはあくま査読を入れて質を担保するだけのもの

この本で示されてるデータが正しいか自分で条件を見て確かめりゃいいでしょう。

もともとは大学学長教授からデータのとり方はきっちりしてる。

まあ、難癖つけて無効。よって新自由主義の何もしないほうが望ましいってことにしたいってのはわかってる。

anond:20201231223736

論理的思考放棄という文章話題になったことがある。

あれは天才でなければ正しく理解できない、もしくは著者と同じ思考をしている人間でなければ正しく理解できないのだと思う。

しかし、凡才であっても、あの文章を参考にして天才思考に近づけるのではないかと考えるのが人情である

私は、初めてあの文章を読んで以来、何度も読み返し、また著者の当時のブログを読み進めて天才思考に近づこうと試みている。

しかし、どうにも天才には程遠い。

しかし、あの文章を読んで変化があったことは、文章を書くときの制約を取っ払ったということだ。

プログラミングと同様、文章論理的に正確に書こうとすることは、文章量を制約することになる。

書けなくなるのだ。

正しく書こうとすると、書けなくなる。

これは非常に重要ポイントである

例えば、この文章を書いているが、これは公開することを念頭に置いて書いている、すると途端に文章が走らなくなる。

失敗を恐れるからだ。

しかし、この文章は公開しないと決めると途端に文章は走り出す。

実際のところ、この文章は走らなくなっている。公開することが念頭にあるからだ。

正しく書こうとしてはいけない。

文章を日頃から書いている人には当たり前のことなのかもしれない。

まずはとりあえず書く。書けないと感じるときほど書く。

論理破綻だとか誤入力だとかそういうものは一切考えない。

しかし、思うのだが、文章を書くときに、しかし、を何度も繰り返し使ってはいけないという文章作法があるが、それはおかしいと思う。

しかし、などという接続詞はある程度、込み入った文章を書こうとすれば、何度も登場させたくなるものである

しかし、しかしは何度も連投してはいけなくて、しかしを何度も使いたいのであれば、言い換えをして他の接続詞に置き換えて、うまくやらなければいけない。

しかし、それでは本来文章の内容において頭脳を使うべきであるところを、文章自体構成することに使用するという本末転倒現象が起こる。

本来文章作法などというものはある程度の、読みやすさを担保すればよいだけの話であって、論理破綻していなければ、厳密にこれはいけない、やってはいけないと制限するべきではないのだ。

そのような制限があるから活動が制約されて、成果も収縮してしまうのだ。

ここで本論に戻ると、制限である

私達は普段日常的に制限する。

なぜかといえば、制限しないとミスエラーを起こして、失敗して大事故を起こすからだ。

しかし、同時に私達は大抵のことを制限しなくとも、正しく実行できる。

歯磨き粉と間違えて手洗い石鹸を塗るようなことはしない。

から制限などしなくともよいのだ。

しかし、アクセルブレーキを踏み間違えると大変なことが起こるから、私達は運転に集中しなければならない。

大切なのは集中するということだ。

正しくは制限することではないのだ。

しかし、我々は何故か制限してしまう。

アクセルブレーキを踏み間違えないためには集中することなのだ。

話が脱線した。

ミスを起こさないために、失敗をしたくないために、過剰に制限する。

から、何も出来なくなるのである

社会的迷惑行為でなく、自分範囲で収まることであれば、どんどんとやるべきなのだ

これは文章を書きたいと思っているのだけれど、書けない人に読んでもらいたい。

別に間違っていても、あとから読んで恥ずかしくなっても、しかし、を何回使っても、別になんだっていいんだ。

自意識制限邪魔して何も出来ない状態から脱却するのだ。

こういった考えを公表すれば批判があるかもしれないし、あるいはなんの反応もなくて苦悶するかもしれない。

でも、それでいいのだ。

我々社会は間違いを許容できない。

これは正しい面も多々ある。

しかし、間違いを許容しないことは、制限をすることだし、そのことで何も生み出されない無を生み出していることは留意する必要がある。

ブレインストーミングでは間違いを気にしない、などといいつつ、絶対的に制約があって、正しくブレインストーミング集団で行うのは至難である

そのような状況は脱却するべきだ。

間違っている、間違っている、間違っている。

そうだね、間違っているね、だから、どうした?

間違ってすらいない、無である君が、だからどうした?

2020-12-30

anond:20201230144735

電気代かかるのはそうだがそれで価値担保されてるわけじゃないでしょ

anond:20201230141448

要は貸し借りで出来てるからな。

国が発行した国債日銀現金を刷って買って、国が受け取った現金財政出動民間にばら撒いて、民間はその金で経済活動をして最終的に税金で国にそれが戻って、インフレが進みすぎて金が出回りすぎたら日銀金融引き締めをして……とぐるぐる回り続けることで経済活動媒介してるだけ。

国が返さなければいけない国債国民が払わなければいけない税金のようにいつかは誰かに払わなければいけないという性質があって必然的に回り続けることがお金価値担保してる。

から貸し借りを記述する台帳がお金価値を生む。

日本人借金嫌いだけどお金というのは窮極的には全て借金なんだな。

2020-12-29

「命だけはお助けを」って、お願いするのそこなの?

物語によくあるセリフだけど、加害者に対し「命だけはお助けを」なんて言いたくなるシチュエーションって、

仮に命が助かったとしても、確実に死に値する痛い目に合うわけじゃん。そんな目に合ってまで生き残りたいと思わないんだけど。

から、正しい主張は「命を断つつもりなら、速やかかつ痛みなくお願いします」とかなんじゃないの?

生き残れる確率が高いなら、命以外のもの担保にする必要がないから、主張は「(命に限らず全て)お助けを」だけでいいわけだし、

生き残れる確率が低いなら、個人的には、別に殺していいから、痛いのはやめてねって旨の主張をすると思う。

anond:20201229034306

Webベンチャー企業は、将来への過大な期待を担保ファイナンスすることが事業の根幹だったりするから

若い有能そうな人材ポテンシャル価値評価の中核

増田が挙げた7つの項目はポテンシャルを過大に評価してもらうためのKPI

35歳以上は経営ポジション以外では先行きが短くて伸びしろが小さいとみられてしま

2020-12-28

あのね 兄さん XPでもXでもWidnowsならうごくしLinuxうごくよ っていうのはね

あのね 動くは動くと思うんだけどね とくにバージョン判定もしてないけど うごいているから 大丈夫 そうだね バージョン判定とか機種判定とか一切ないのに 発売されているすべてのAndroidで動くから 互換性はOS担保しているか大丈夫 というニュースに対して

そんなわけ・・・あるなぁ という 案件がね またうまれたよ 3回目

2020-12-27

クックパッドからレシピ本に戻った

ネットでなんでも検索できるから本なんて買う必要ないっていう人もいるけど、

ネット集合知ってノイズが多すぎて玉石混交の中から玉を拾うのがとてもむずかしい。

クックパッドでいえば料理苦手だからクックパッドに頼ってるのに料理苦手な人には有用レシピゴミレシピ区別がつかない。

なので調理師料理研究家として一定知名度や実績のある人が著者の出版されてるレシピ本に戻った。

これってWikipediaでも知恵袋でもネット集合知メディアはなんでもそうだよね。

素人も参加できるゆえにノイズが多すぎて素人には扱えないものになっている。

そこでキュレーターの出番になるかといえば、いかがでしたかブログ象徴されるようなゴミキュレーター蔓延

出費と引き換えにやっぱある程度の信頼性担保される本も大事にしていきたい。

2020-12-26

anond:20201225104649

人は生きてるだけで他人に影響(迷惑)を及ぼしてるってだけやぞ

社会にとって何か貢献してる前提があってこそ、関係を結ぶ事が迷惑込みでも相手にもメリットになる

小学生は将来性があるから挨拶を邪険にされないだけで、ホームレス挨拶は明確な加害

女は女というだけで30位までは価値担保されるから自分迷惑だという自覚がないまま迷惑ババアになりやす

男なのにこれが理解出来てないのやべえよ

2020-12-23

義理の弟が話した偏見に満ち溢れた話

最近義母他界して旦那の弟3人も来てくれた。

ついでに義母が遺したゴミ……ならぬ遺品や壊れた家具解体してトラックで直接クリーンセンターに持っていく算段になった。

それが終わったあと、未子が凄く険しい顔をして

「嫁ちゃん、本当は言っちゃいけないんだろうけど、僕が我慢できないから言わせてくれ」

と言ってきた。

いいよ、と気軽に返事をした。

未子が言うには、2番目の弟と一緒にトラック乗ってたら、彼が

「なあ、メンデルの法則だと劣性の遺伝子同士をかけ合わせたら優性の遺伝子が出てくる筈だろ?あの家族、何で4人とも劣性なんだ?」

と言ったと

「嫁ちゃん傷付いたかもしれない、でもこれを言わないとアイツの本性とか警戒とかをしなきゃいけない理由説明できないし、何も言えなかった僕自身が悔しくて」

と泣きだした。

かに私はうつ強迫性障害を併発していて、子ども2人は発達障害だし、旦那普通とは言い難い。

ひるがえって、2番目の弟は正社員地位に就いて、嫁も専門職だし、定型の娘が2人いる。

でも、弟家族みたいなのが幸せとは限らないし、旦那がそんな性根の人間だったらぶちのめすし、子たちがそうなっても鼻血が出る程度にはぶん殴るだろう。

人格社会的地位担保しないし、親族であろうが偏見の持ち主は存在する。

わかってはいるが、弟家族にこの家の敷居を二度と跨がせたくない。

2020-12-21

それでもコロナワクチンの量産はハードルが高い

以前にこんなネタ日記を書いたメーカー量産エンジニアです。

https://anond.hatelabo.jp/20201207220950

数日前に朝日新聞社が「急造ワクチン」と言う表記を使ってネット上で医療関係者に酷く叩かれていおり、割と問題ないと言う一方的な流れになっていたので再び自分意見を投下したい。量産エンジニア視点から見るとやはりリスクがあると。

初めに断っておきたいのは、私は承認プロセスワクチンの効き目自体は信頼していると言うことです。ワープスピード作戦のことも知っている。その上で懸念があるのはあくまでも量産体制

ワクチン承認をすでに英米で得ているファイザー製薬が年内に出荷すると言っている数量は5000万回分、だけどあと10日で2020年が終わるんだが公約している数量の生産は間に合うんだろうか?

いや、間に合わない(断言)

報道ベースで数量を追いかけていくと、治験ワクチンを投与した対象者は5万人。

アメリカですでにワクチンを接種された人が先週1週間で55万人。

現在ワクチン承認を得て量産を進めているファイザー及びバイオテックモデルナ、それに承認間近なアストラゼネカは全て欧米企業欧米キリスト教文化圏の会社12/19(土)からクリスマス休暇に入っています緊急事態なので休み返上生産しているだろうと言う声もあるでしょうが製薬会社けが営業していれば製造は進むと言うわけではない。原料となる薬液や、検査用の試薬製造装置メンテナンス。これらのサービス提供する会社も全てフルで営業していないと生産スピードは早くならない。果たして欧米文化圏の国でワクチン製造必要な全てのサプライヤー不眠不休で今現在仕事をしているだろうか?しか欧米ではコロナが絶賛大流行である。原料のサプライヤー物流施設集団感染が起こると、量産ペースはさらに低下する。

それだけではない。年間10億回とかのオーダーで作ろうと思うと、前回も言ったように物理的に単一会社製造仕切るにはキャパが足りなさすぎるので協力会社ライセンスして委託製造するしかない。(例えば日本のように製薬産業一定レベルにある国の分は自国で作ってもらう等)だが、別工場製品を作る限り完全に同じものは作れないのであるジェネリック医薬品が原料が同じでも完全に同等にならないように。その安全性はしっかり担保できるのだろうか?最悪の場合最近睡眠薬の混入で問題になった小林化工のように医療事故が起きることになる。

ネット上の議論を見ていると、量産の話を無視して薔薇色の将来予想ばかり聞こえてくるので気になって再度書いてしまった。皆さんの考えはいかほどだろうか?

anond:20201220022238

他の度量衡、いや大切な基本が死ぬ

人間精神活動担保する「自由」「平等」「博愛

重要経済上度量衡である基軸通貨制」「経済活動自由」「私有財産権」

ざっと思いつくだけでここら辺が死ぬが、元増田を含むお前らそれで生きてける?

ブルマー起源障害者スポーツブルマー

ブルマーは紺色とは限らない!

先週はブルマーの紺色の起源について調べた。ブルマーアメリカでも紺系統の色だったが、現在の色になる過程日本の伝統色の影響を受けた可能性について検討した。本記事では、臙脂色小豆色・赤色ブルマーがいつごろから存在しているかについて調査する。また、他の色のブルマーについての情報があった場合はそこにも触れる。

調査方法

主として https://www.buruma-joho.com/という個人サイト掲載された、映画ドラマに出てくるブルマーの色について調査し、おおよそ何年までさかのぼれるかを検証する。ただし、あまりにも近い年代のものは省いた。すべてを引用しても年代特定の役には立たないし、2000年以降のブルマーはほぼファンタジーに属するからだ。ブルマーにまつわる映画作品を網羅したい方は、ぜひ上記サイトをと参照していただきたい。どうして個人の記録ではなく映像作品確認するのかといえば、ブルマー日常的に存在していた当時の映像作品には、コスプレ的で奇抜なブルマーは出てこないと考えられるからである。また、個人サイトツイートは消える可能性があり、文字による証言だけだと正確さが担保できないためである。また、盗撮画像を使うわけにはいかないのはもちろんだ。

なお、バレー部ブルマーとそのほかの学生ブルマーについては、分けて考えたい。

加えて、プロバレー選手映像は多くなるので、赤ブルマーについては泣く泣く割愛した。

ブルマー情報

「美しきチャレンジャー1971年

ビートたけし学問ノススメ」1984年

台風クラブ1985年

スケバン刑事1985年

「もしも、学校・・・!?」1985年

「オシャレ泥棒1989年 https://www.youtube.com/watch?v=COpUgdGuoLE

ブルマー情報部活編)

「としごろ」1973年 https://www.youtube.com/watch?v=zRDoJFgS_wA

青春の構図1976年女子大生乳房露出があるので直リンはしていない。各自で探してください)

燃えろアタック1979年 https://www.youtube.com/watch?v=qHFnZx0LT6Q

時をかける少女1983年

スクールウォーズ1984年

「転校少女Y」1984年 https://www.youtube.com/watch?v=li46Tlzuz_w&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=37

赤い衝撃1976年陸上選手という設定)

和っこの金メダル1989年

そのほかの色

「挑戦」1963年 https://www.youtube.com/watch?v=krbJ1MBYXTo&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=5赤、青、緑三色ブルマー

「典子は今」1981年 https://www.youtube.com/watch?v=Eh-8MVOJ6Ig濃緑で、芋ジャージの緑とは違う。障害者社会参加を訴えたドキュメンタリー

「蘇れ魔女1980年バレー選手)。Youtube動画はあるが緑ブルマー確認できず。

オレンジ

「われら青春!」1974年バレー部

あさひが丘大統領1979年

生徒諸君!1980年バレー部

ビートたけし学問ノススメ」1984年バレー部

白(!)

時をかける少女1983年 ttp://wainn.jugem.jp/?eid=1364

まとめると

ブルマーは、90年代よりもずっと前から存在している。

障害者スポーツブルマー

ところで、先ほど両腕のない女性映画を紹介したので、せっかくだから話そうと思う。以前NHKで「アニ×パラ」と称して https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/81d717ec76b544d8922c17f10889dee6/ 車いす少女陸上選手になるショートムービーを放映していた。また、警視庁か何かのポスターでも、ブルマー姿の義足選手被写体として用いられていた。義足陸上選手を扱ったポスターイラストも実写も検索すればいっぱいあるし、中西麻耶選手セミヌード披露している。

僕は素直に美しいと思ったし、義足機能美にも魅力を感じた。義足は隠すべきもの障害隠蔽すべきもの、そうした空気がなくなっていくのを感じるのは、僕としても嬉しい。しかし、そこに難しさがないわけではない。美しいと思うこと、セクシーだと思うこと、障害者に対する態度、こうした扱いの難しい問題がぎゅっと凝縮されているからだ。障害のある選手自分身体努力を誇りに思う気持ちと、そうした選手に憧れ、称賛すると同時にどうしてもブルマー姿に萌えしま自分の率直な気持ちとの間に、どのように折り合いをつけていくか。あるいは、特にアスリートではない障害者に対してどうふるまっていくか。特段「美しい」わけではない多くの障害者にどんな態度を取るか。様々な障害を抱えた人々と関わりながら生きていくうえで、考え続けばければならない問題だ。麻痺した身体公共の場で堂々と見せた、とある活動家のことを思い出す。特段「美しい」わけでなく、それどころか「痛ましい」という印象すら与えてしま身体。痛ましいと思うのはこちらの上から目線だが、スポーツ称揚される「美しい」身体とは別の身体が、隠蔽されてはいないだろうか。

今の職場身体障害聴覚障害のある人、あるいは精神障害のある人と働く機会があり、毎日が学ぶことの連続である。意外と「普通」だなと思ったり、逆に思いがけないところにつまずきポイントがあったりで、どうやったら一緒に働けるかは調整の連続だ。でも、いろんな人と働ける機会があると、気づかなかった偏見から自由になれる機会も多く、ダイバーシティってそのためのものなんじゃないかって思う。みんな仲良く、というきれいごとよりも、もめたり話し合ったりして、どうやったら一緒にやっていけるかを考えるのがきっと大事だ。そうしたら、道ですれ違った障害のある人により上手に配慮できるんじゃなかろうか。

本当のバリアフリーとは、障害があっても普通に隣で働くことだけでなく、ブルマー義足の組み合わせに何の屈託もなく素直に萌えことなのか。茶化したような問いだが、パラリンピックにおける障害のある身体宣伝的な側面も含め、真剣に考えたい。パラリンピックに出ることのない、大多数の障害者パラリンピックをどう感じているのだろう?

結論、今後の発展

前回の記事では、スク水ハイレグ化した90年代(ttps://www.footmark.co.jp/about/id001575.html)に臙脂ブルマーが生まれたのではないかと推測していた。だが、実際にはそれ以前に臙脂ブルマー存在していたことが確認できた。その後、バレーボール選手ブルマー学生ブルマーに影響を与えたのか、さらブルマーの色が自由になる雰囲気があり、それが同時にスク水ハイレグ化を生んだのか。おそらく前者は正しいと推測されるが、後者確証はない。そして、ファンタジーだと思っていた白ブルマー存在確認した。

今後は、同じ赤色でもどのような幅があったかについて調べたい。臙脂、赤、小豆色は少しずつ色が違う。現に、個人アップロードした写真には、蛍光色に近い青・赤・緑のブルマー確認できるものがあり、上記映像作品には登場しない色のブルマー一定範囲分布していた可能性が検討できる。また、企業公式情報新聞紙などの証言から上記内容を補足し、フィクションからデータだけに頼らない、実際の臙脂ブルマー誕生した年代についても調べたい。新聞は白黒が多く、苦労しそうではあるが。

さらに、イギリスなど諸外国には赤ブルマーがなかったか調査せねばなるまい。

加えて、身体障害憐れみ対象スティグマではなくなっていく過程についても気にかかるところである。美しかろうがそうでなかろうが、「健康」であろうがそうでなかろうが、そして「猥褻であるかどうかにもかかわらず、自分身体を見せる権利を改めて問い直したい。

また、上記サイト管理人及び編集者各位に感謝を。

メリークリスマス

2020-12-19

[] #90-8「惚れ腫れひれほろ」

≪ 前

「そういう個人的な内実を知るのって、一定信頼関係を得てこそだと思うんだが。お前達のやっていることは順序が逆だ。信頼回復のためにやっているのなら、こそこそ探るようなもんじゃない」

「分かってる。それでも知らなきゃダメなんだ」

そう押し通すしかなかった。

兄貴屁理屈で言い包めるなんて俺たちには無理だ。

もちろん審査を通るような担保なんて持っちゃいない。

そんな要領があったら、そもそもこんな状況にはなっていないだろう。

から信用を得るには、もはや情に訴える他なかった。

「掘り起こしたせいで土壌が崩れる、なんてこともあるんじゃないか? かえって関係悪化するかもしれない」

「それで怪我するなら、僕たちの不注意だよ」

俺たちは“自分が考える最も真剣な表情”をして、兄貴情熱的な眼差しを向けた。

だけど兄貴の目には大分“クサく”映ったようだ。

「はあ……どうせ開けてみるまで分からないしな」

兄貴は溜め息を吐きながら、呆れ気味にそう言った。

俺たちの真心は伝わらなかったようだけれど、なぜか話す気になってくれたらしい。

「そうだな昔の話をしよう……っていうほど昔でもないが」



俺がドッペルに初めて会った日だ。

正確に言えば、俺が始めて認識した日というべきかもしれないが。

独特な天気だったか記憶に残ってる。

俺は帰路の途中だった。

空には暗雲が立ち込めていて、今にも降り出しそうな湿気を感じる。

まあ傘を持っていたか別に問題なかったんだが、なかなか雨が降らないのがもどかしくてな。

ときどき小さな水滴が肌を掠めるような感覚はあっても、傘を差すようなレベルじゃあない。

いっそのことドシャ降りにでもなってくれたらいいのに、なんて思う程だったよ。

そんな状態が続いたまま、家に着くまで残りわずかってところかな。

前方に弟の、お前の後ろ姿が見えたんだ。

「え、俺?」

回想に割り込んでくるな。

当然、実際は弟じゃなくドッペルの方だ。

その時は変装してなかったようだが、霧が出ていたせいでボヤけてたんだよ。

あいつは当時から立っ端は同じくらいあったし、遠くからだと見分けなんてつかない。

それで同じ学生鞄を持ってて、俺の家近くを歩いているってなったら、勘違いしてもおかしくないだろ?

俺は懐疑なんて全くなく、小走りで駆け寄ったさ。

「よー、弟よ!」

そう呼びかける段階で、俺はやっと明確な違いに気づいた。

その時には、もはや手遅れ気味だったが。

次 ≫

2020-12-18

23区容積率を2倍にしたらたいていの問題解決しそうな気がする

従来100%場合は200%、500%の場合は1000%にする。そうするだけで、従来の2倍の高さの建物が建てられるようになる。

建築費も高くなればなるほど非効率に向上していくが、もともと土地が高い23区に絞れば、大多数の大家は目一杯の高さまで建てそうな気がする。

 

 

そうすると、23区土地価値が一気に高まる

銀行土地担保に金を貸すだろうし、建築をはじめとする各種産業にも金が流れ込み、景気も良くなるだろう。

仕事いくらでもあれば、23区に流れ込む人もさらに増加するに違いない。

  

大家だけではない。店子にもメリットがある。

一戸あたりの建築費が下がるので、それにつられて家賃も下がる。人口増と過剰供給のつり合いもあるが、少なくとも現状よりは安くなるだろう。

人口が増えれば自治体の税収も上がり、育児教育交通などの環境も向上する。

従来、住むところではないと言われている港区千代田区にも手ごろな価格の中層マンションが増えれば、職住接近で満員電車通勤することも少なくなるだろう。

 

 

一方、割を食うのは、東京都下やそれ以外の地方だろう。都心への人口流出は拡大するが、ますます過疎化が進むに違いない。

だが、既に最低賃金ギリギリ給与技能実習生頼みでまっとうな産業も維持できず、東京等の企業市民が稼いだ地方交付税交付金でギリギリ存続している地方存在意義はあるのだろうか。

そう言うと、「食料自給率がー」と批判されるが、農業必須原油を輸入に頼っている時点で食料自給率など意味がない(それか、単なるポーズ)。

 

大都市の足を引っ張って大都市、そして日本全体を国際競争で負けさせるのではなく、いくつかの大都市に集約することで、国際競争力を高めなければならないと思う。

残念ながらこの国は、80年代のような上り調子&成果有数の富裕国ではなくなってしまったのだから

2020-12-17

anond:20201216222715

人気コメントより

"一年間の勤務" と勘違いしている人

neko2bo ブコメで指摘されている様に緊急的な給付金に近い位置付け。という事であれば良い取り組みなのでは?出来る事なら一年の後の身の振り方の手助けに迄つなげ得るものになればベターではあるが。まずは転落させない事。

privates 最低賃金でも、一年間食い繋ぎ、そこで又考える。FAX止めない保健所入力を教えに行くとか、掃除の手が足りない病院派遣とか。優先順位は着けたが良いね~。批判する人、なんでだろうね。

placeinsuns 同じ予算で1人でも多く救うなら最低賃金以外ありえない。1年の期間限定で、1000人の質の担保も難しく、採用管理コストで明らかにマイナスになるのによく踏み切ったなと思う。素晴らしい。



東京都記事が分かりづらいというか、わざと誤解させる書き方だと思う。

会計年度任用職員として、原則、1会計年度任用の非常勤職員となります

"1会計年度" = 4月1日~翌年3月31日 一年間ではなく来年の3月末まで。

実際の募集を見ると

令和3年1月1日~令和3年3月31日 が多いが

令和3年3月8日~令和3年3月26日 週2日  ひと月未満の募集もあり

2020-12-16

anond:20201216164612

株売っちゃう経営権に関わるから前澤氏みたいに保有株を銀行担保に入れて

調達したお金会社へつっこむというやり方がわりと一般的かと

2020-12-12

anond:20201212100150

そうだね

不良は公立から排除して、私立に入れて私立多様性担保しよう

女性身体障害者雇用義務付けるように、私立にも一定数の不良の入学義務付ければいいよね

2020-12-10

から受け継いだ不動産会社倒産させてしまった話

大学卒業後に入った会社を2年で辞め、その後は父が経営する不動産分譲会社で働いていたが、父が病死自分が跡を継ぐこととなった

住宅分譲には注文住宅(顧客希望するデザイン建築)と建売住宅(こちらで設計して建築し完成品を売る)があるわけだが、父は「建売でまとめて建築してコストを下げて安さで勝負する」というやり方に拘っていた

ただ自分には「安さで勝負するのではなく、クオリティの高い住宅を建てればもっと高い値段で販売出来て利益も出る」という考えがあった

そこで自分社長になったあとは、これまでの「同じような住宅を安く建てる」という方針はやめ、有名デザイナーとのコラボなど高価格路線に切り替えた 結果として、この方針転換は大失敗に終わった

より良い住宅を求める人たちは建売ではなく注文で購入することが多く、またそもそも地場業者ではなく大手ハウスメーカーを選ぶ

これまで父は安値路線勝負していたか全国区大手ハウスメーカーともバッティングせず結果として成功していたのだった

従来は土地建物合わせて総額で2000万円台だったので申込後に住宅ローン審査NGとなるケースはあまりなかったが、3000万円台に引き上げたことでローン審査で不可となるケースが増えたことも売上低迷の一因となっていた

住宅分譲は仕入販売を回転させていかなければ成り立たないのだが、古い在庫を抱えたままで新たな土地を購入しようにも銀行側がOKしない

仕方なく新たな仕入のため売れ残った住宅を大幅に値下げして損切りするということが続いた結果、業績はみるみるうちに悪化していった

このままでは月末の決済資金すら手当出来ないと金策に走り回っていたところ、知り合いの社長が「銀行で借入出来ないとき短期資金を融通してくれる人がいるよ 高金利だけど」といってとある経営コンサルタントを紹介してくれた

これまで様々な企業経営再建を支援してきたというそコンサルに現状を説明し、このままだと月末の支払が出来ない旨を伝えた

コンサルは当社が販売中の物件謄本を見ながら「販売中の建物5棟を担保に5000万円融資しましょう」と言った

土地銀行担保取得しているし、もう担保として差し出せる物件は無いですけど…」と困惑する私にコンサルはこう説明した

建売住宅建物が完成した時点では登記せず、購入者が決まった時点で登記をするのが一般 現に御社建築した建物も未登記のままだ そこで銀行には無断で建物登記して譲渡担保を設定しましょう

 私が広告屋を紹介しますのでそこへ広告発注したことにしてください その費用が5000万円です そんな資金は今無いでしょうからその対価として譲渡担保を設定させて頂きます

書面上は当社が広告屋広告発注し、その対価として販売中の建物譲渡担保取得したことにする ただこれはあくま架空発注なので、「当社が建物譲渡担保差し入れしコンサルから5000万円借用した」というのが実態

形式上は商取引に則った担保設定であり、広告屋善意第三者(を装った悪意の第三者)なので銀行側は対抗出来ない

手数料プラス金利前払分として5割頂く」といわれたときはやはり止めようかとも思ったが、「不渡りだけは避けたい 物件が売れれば窮地を乗り切れる」と考えOKしてしまった

私は5000万円から手数料分を差し引いた残りの2500万円を現金で受け取り、その一部で各種の支払を行い、なんとかその月とその次の月を乗り切ることが出来た

しかし翌々月、銀行担保物件再調査として不動産謄本を取得閲覧したため、私の行ったことがバレてしまった

すぐさま銀行担当者会社へ乗り込んできて説明を求めてきたので、私は事前にコンサルと打ち合わせていた通りの説明を行った

銀行側はこの取引架空取引だということは薄々勘づいているだろう、ただそれが架空だと証明することは極めて困難だ 私は広告発注した対価での担保設定だという主張を只管繰り返した

だがこれで私は銀行を完全に敵に回してしまった 会社銀行借入については私個人連帯保証人となっているので、銀行が全額回収に走れば私の自己破産は不可避である

私がコンサルから調達した資金は残り1000万円ほどになっていたので、自分の当面の生活資金として100万円を手許に残し、残りは妻に慰謝料としてキャッシュで渡しとりあえず形式的離婚した

こうしておけば私がのちに自己破産した際、資産調査をされても問題ない コンサルの指示通りにやれば全てが上手くいく…はずだった

その後銀行側は担保としていた物件を全て競売にかけた 私の背後に整理屋が居ると察知したので回収に手間と時間をかけたくなかったのだろう

市場相場で1棟3000万円、5棟で計1億5000万円程度の鑑定評価がつけられた担保物件競売での売却総額は9000万円ほどになった 鑑定評価の6掛けなのでまあ妥当な線なのだろう

本来ならその9000万円は全て銀行の回収分となるはずなのだが、譲渡担保が設定されているせいで半分は広告屋の取り分となった

競売での回収額4500万円と私からせしめた手数料の2500万円で計7000万円、今回の案件コンサルは2000万円もの利益をあげていた

会社を潰し、取引先や銀行迷惑をかけ、妻は音信不通… 会社を潰すまいと必死努力した結果はあのコンサルを儲けさせただけであった

自宅も銀行担保であったため自宅からも追い出された私は古いアパートでの生活余儀なくされた

何か新しい仕事を見つけなければ食べていけない、そう考えていてもなかなか行動に移すことが出来ない私は気晴らしでデリヘルを呼んでみることにした

スマホ適当デリヘルを見つけ電話し待つこと45分ほど、予想よりも若くてかわいい子がやってきたので私は酷く緊張してしまった

シャワーを浴びたあと、私は父から継いだ不動産分譲会社を潰してしまたこと、自己破産し妻には逃げられてしまたことなどを話した

初対面なのにいきなり重たい話をしすぎたかなと思ったが、女の子は「私はおうちは建てられないけど、おちんちんを勃ててあげるのは得意だよ!」と言って笑いながら抱き着いてきた

私も笑いながらこう答えた 「担保を入れるのはもうこりごりだけどちんぽを挿れるのは大歓迎だよ」

2020-12-06

anond:20201206114038

それは激遅回線ではないという担保にはならないよね

2020-12-05

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い


巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である


私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。


主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。


例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。


『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』


数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、


『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』


と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである


要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。


ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。


画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。


ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。


コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである


気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い

巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である

私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。

主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。

アニメーション、画面上の動きの一つに、こうした共通言語や構図の時間的変化から読み取れる言語で感じて欲しい叙情性に補完を入れたいのか。

例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。

『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』

数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、

『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』

と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである

要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。

ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。

画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。

ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。

コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである

気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

2020-11-29

コロナ関連で「大切なのは人の命」って綺麗事言ってるけど、いちばん大事なのは自分生活」だろ

まず自分生活の安穏が担保されて、はじめて見も知らぬ誰かの命じゃないの?

2020-11-28

スズメバチコロニーシステムとしての死

 スズメバチ一年間のサイクルを繰り返す。つまり女王が生まれ女王が巣を作り、滅びる。これを繰り返すのである

 いやしかし滅びるってなんなんすかという話であって、勿論字義通りスズメバチの巣は最終的に滅びるんですけど、その時に一体何が起こってるのかについてはあんまりよく知らない人もたくさんいると思うわけです。実際のところ、スズメバチの巣が滅ぶ際には色々常識を超えた現象が起こっています


巣が設置されて発展するまで

 女王蜂が巣を作り始めるのは四月とか春の時期で、まあ色々とその時にも障害がありますそもそもきちんと巣を作ってコロニー形成できる女王複数いる女王の内の数%程度に過ぎないという説もあるくらいで、巣作りが失敗する理由としては、例えば純粋病気とか栄養不足のほか、天敵に狙われてしま場合など色々あります原理的にコロニー形成したスズメバチには殆ど天敵はいないのですが、つまりは翻って言うならば、彼(女)らの天敵になり得る存在スズメバチ自身です。

 面白い生き物がいまして、これをチャイスズメバチと言います

 チャイスズメバチ女王基本的自分で巣を作らずに、他の巣を作ろうとしているスズメバチ女王を襲い、巣を乗っ取ることによって勢力を持つのです。チャイスズメバチキチン質の硬い表皮(カブトムシなどと同質)を持っており、よほどのことが無ければ他種のスズメバチの毒針はチャイスズメバチの表皮を貫通しません。勿論その他の噛みつき攻撃などにも耐性があるので、少数の例外はあれどチャイスズメバチ女王はなんなく他の女王から作りかけの巣を乗っ取り、あげく成長した働き蜂をフェロモン支配してその後の巣の運営の為に馬車馬のごとくコキ使ったりするのです。怖いですね。

 いずれにせよ色々な障害のために巣作りが失敗することもあるのですが、上手く発展の軌道に乗る巣も当然存在しています。で、そういう巣は爆発的に発展して人間の目の敵になったりするんですけれど、上手くいけばその巣は十月頃まで発展します。逆に言えば、十月が彼らの滅びの始まりとなるのです。


滅び/女王殺し

 秋から冬にかけて純粋スズメバチの食物がなくなるので巣は滅びへと向かいます。その過程では女王殺しが行われる場合もあります

 女王は年老いてくると新しい女王に据え替えられる場合もあり、その際に働き蜂から追放され、悪ければアレされます。この女王殺しが起こる条件には色々あるようなのですが、一説には遺伝子多様性の確保のために女王殺しが行われるそうです。つまり複数女王血統からなるコロニーでは女王殺しが行われないのに対し、単一女王血統のみからなるコロニーにおいては女王殺しが起こりやすいのだそうなのです。どうやら、単一女王のみが働き蜂を産み育てることで、遺伝子多様性崩壊するのを恐れる傾向が、働き蜂にはあるのですね。子の心親知らずというか。逆に言えば、遺伝子多様性担保されている場合にはある程度円満コロニー運営されます

 いずれにせよ冬に掛けていかなるスズメバチの巣も滅びへと向かいます基本的には、その際に生き残るのは新しい女王蜂のみです。この新女王蜂は木の虚とか比較的越冬しやす場所で来春までの時を過ごします。翻って言うならば、そのような女王としての素質を持っていない働き蜂は皆滅ぶことになるということです。

 ここで疑問を持つ方もいるかもしれません。つまり女王蜂と同じように働き蜂も越冬すればええやんけという話です。何なら女王が木の虚とか堆肥とかそのテの越冬しやす場所で年を越せるのであれば、コロニー内の風通しの少ない場所で働き蜂らもある程度なら越冬できるはずなのです。しかし、そこがこのシステムのミソで、要するに新女王を除いて全ては滅びるようになっています


死というシステム

 スズメバチ社会昆虫なので、一度コロニー形成してしまえば基本的に大型の猛禽クマなどの肉食動物を除いて天敵が存在しなくなります。例えばオニヤンマやシオヤアブ、雀などの鳥類一時的スズメバチを打倒できるとしても、数百匹の群れを成すスズメバチに対抗できる動物はさほど多くありません。つまり、繰り返すように基本的スズメバチにとって天敵は存在しないのです。

 となれば、何故スズメバチ個体数はそれほど増加せずに、ある一定の値を保ち続けているのだろう――そういった疑問を持つ方もいるかもしれません。勿論、季節のサイクルにおいてスズメバチ生存が難しくなることは先述の通りなのですが、女王蜂が越冬できる事実から言って、他の働き蜂が皆滅びる運命しかないと断じてしまうことには些か違和感を持つ方もいるかもしれません。女王が生き残れるのであれば、全体とは言わずとも一部であれば来春まで越冬する働き蜂もいるんじゃねえのという話です。

 とは言え、それは現実には殆ど起こりません。全く起こらないというわけではないのですが、まずもって起こらないのです。

 それは、スズメバチの一生のサイクルには死というシステムが組み込まれてあるからです。

 次に話すのは周知の事実ですが、基本的に子孫を成すのは女王だけで、一般の働き蜂は子孫を成すことができません。当然交尾のための行動も行わないのです。何故ならば、彼女たちは女王の分泌するフェロモンによって生殖能力制限されているからなのです。女王の持つ権能はそれほどまでに及びます

 しかし、女王もまた定命のものです。時を経れば経るほどに、その肉体的な能力は弱体化します。つまり、その際には女王の出すフェロモンの分泌能力にも翳りが生まれるのです。

 女王の出すフェロモンには色々な種類があって、まずは先述の生殖能力制限する目的のものそれから、働き蜂らを統制するためのフェロモンです。彼女らが何故馬車馬のようにあくせく文句も言わず働いているかと言えば、女王の出すフェロモン彼女らを統制しているからに他ならないのです。では、そのフェロモンを出す能力に翳りが生まれるとどうなるのでしょう?

 そう、スズメバチの巣には内乱が起こります。巣の内部にいる働き蜂は、万民万民に対する闘争状態さながらに攻撃を開始します。その攻撃対象は、女王、幼虫、蛹、全てに及び、そこに見境などありません。彼女らは暴走し、一切を食い尽くし、全てを破壊していきます。新女王蜂だけが先見性を持ち、その内乱から脱出し次の巣を作るという使命を持って行動することができるのです。つまりスズメバチの巣においては、仮に気候条件が彼らの味方をしようとも、女王フェロモン効果が薄れるにつれて必ずや内乱が起こるようになっているのです。そのため、彼らは気候条件の云々によらず、必ず滅びる運命にあるということなのです。


まとめ

 そんなこんなで、彼らは新女王を除いて滅びます。その血統レースは一時中断し、新女王が次のコロニー制作に低確率成功するまでは、その成否は保留されることになるのです。

 スズメバチ基本的世界最強のハチであり、さしたる天敵さえも持っていません。それにも関わらず彼らがその個体数を爆発的に増加させないのには、そのような理由があったのです。言わば、彼らの生命サイクルには、内乱と死が含まれているのです。その死が彼らのシステムに含まれていることによって、その個体数は増加せずに済んでいると言えるかもしれません。


 以下の文章私見となるのですが、あるいはこれは自然生態系というシステム破綻を来さないために設けた、一つの安全装置のような気がします。ある種の強大過ぎる種類が個体数を増やしすぎないという、生態系必要機能のコア部分が、スズメバチの生態というシステムには凝縮されているように思えるのです。

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