はてなキーワード: 担保とは
物理学で Ph.D. を取ってドロップアウトして、しかしそれでもなおも文筆を続けている者として。
正直、現代においては査読の立ち位置があんまり良く分かっていない。勘違いして欲しくないけれど、要らないとか価値が落ちたとか言いたいのではない。
査読でアカデミズム的価値が担保されるとか絶対に嘘ですし。そもそも良い論文は良いし、その良さは適切な教育を受けた者なら分かる。グレゴリーベレルマンのかの論文はアカデミズム的価値がないとでも言うのだろうか。そうでなくとももはや arXiv 的なものに注目が移っている趨勢において、学術的価値の担保として査読が必須であるというのは欺瞞を孕んでいると感じる。査読って性善説ですしね。
査読がなんで必要か?って言うと、研究費を貰うためとかポストを得るためとかそういうあれなんですよね。指標が必要だから指標を作っているってだけ。
そして分野を限らずに査読や賞の価値ってここ10年で本当に変化したと思う。少し前までにはマスコミュニケーションが大きな部分を占めていてその紙面はいつも限られていたから、査読や賞というものが必要だった。それを通過してはじめて紙面にスペースを割くことができた。でも今は学術論文なら arXiv があるし、小説や詩なら note やなろうに投稿すればいいし twitter でもいいし、もっと言えばどんなものでも Amazon Reading で自力出版すれば良い。費用負担がないから自費出版ですらないのだ。
行は為替業を行う商
実質等価交換 金本位制でなくなった後は金以外の国家管理財も担保の扱い
銀は代替通貨で債権や証券といった信用(担保に貸付を含む)を銀行の判断によって発行する商なので銀行
銀行は企業などの営利活動について金になるとか返してもらえそうといった所を選び抜いて金を貸す
信用はその企業の成長や結果に合わせて返済する旨を契約しその契約は国によって保証されその履行のために税金が集められるもの
銀行の貸付が返ってくる率は6~8割で実際それだけで利益が出せてるとは言い難い所が多い
そのため銀行は保険商品や金融派生商品を取り扱い預金目的の個人からも銀行資産を集める
信用金庫は金庫 現金を持ち歩かずに取引をする手段(預金や手形)を利用するための商
ほか金融業務もできるので貸付やローンなどもある(信用も扱う)
地元の少年サッカーチームの運営や町内会の趣味の集まりなどにも団体名で口座を作ったりできる
かつてはどこでも作れたが振り込め詐欺対策によって個人でない口座の作成難易度が
となっている
【信用について】
信じてくれと訴えることや信じるということを利用した何かといった日常的な自分の価値基準の表現のそれではない
信用というのは「取引において現在不足している分を最悪の場合法的な手段(国家の助力)によってでも解決することで貸付側が負債を持つこと」
信用を受けるというのは「貸付を行う側がその条件なら約束が出来ると見込んで貸し付けをしてくれるもの」
信用があるというのは実際には意味的におかしい いうなれば「与信枠が高い」
与信とは「貸付側が信用を与えてよい枠」
貸付側が「もし約束が破られたなら損失を被るリスクを被って自分の金庫から通貨を貸し出す(帳面上目的を明記した貸付だが現金の利用は借受側の判断に沿う)」ものが信用 実質現金
現金に時間経過で補填されるべき約束を含んだ金融商品が「信用(担保+不足部の約束)」
簡単に例えると
A「金かしてくれ」(与信)
A「2万借りたい 財布には200円だが財布はブランドもので15000円はする 返せないときは財布とあわせてうちのゲーム機(3万円相当)をあげる(担保)」
B「じゃあ来月までに返してくれるなら貸すよ(審査)」←信用の発行
A「ありがとう」←信用の借受
Aには信用があるわけではなく「Bの信用という名の現金」を「借り受けた」事になる
Bは自分の持っている「信用」をAに貸し付けている(Bはリスク)
信用がある人にお金を貸すことができる 信じることができる という意味ではない
信用という取り立て約束の名前であって「本当に返してくれるかまたは担保を譲渡してくれるか」どうかという想いではない
取り立てを確実に行うためには司法や国家機関の助力を要する その取引を確実なものとするために税金を払って国内の治安や司法を全員で支えているのが国家
【マルチ界での信用】
→借金のリスクは「貸す側の返ってこないかもしれない可能性」のリスク 借りる側は破産をすればいいだけでノーリスクといっても過言ではない
・信用を買う事でその信用を利用することができる
→一旦借り受けたカラ資産をそのまま貸付や迂回融資や二階建てにするのは違法になる程度に「損が出ることは確実」
・信用で信用を売ったり買ったり
国語的にも内容的にも社会的にもおかしいのがマルチ界の信用(おかしいので言い換えが必要)
破産しとけば何億でも逃げて「マルチ界の信用」という「信じられる人間(意味もなにもかも謎)に資金を移動しておいてあとから”信用”で返してもらう」という使い方の「信用」
これは与沢事業者が信用という名目で自分の全財産を貸付(形上譲渡で自己資産は消滅)して貸倒した計画倒産に近い
言い換えが多いところが民事的に貸し借りではないとか約定に証明がないとか現金に所有権がないところをついている
移動させると反社会組織認定されて人員構成を抑えられでもしないかぎり異性や同性をパートナーとして金銭の授受を明確に追えないため成り立ってしまう
西村博之も払えといわれた金を払わなくてもすんでいる
それら本人に「信用」があるわけではない 取り立て側や貸し付け側の「信用」を払い出して損をしている
実際追訴しない金融庁や司法機関が「信用を失っている」わけで与沢や西村は借り受けたり支払い命令の信用をそのまま流用し損などしていない
税金を支払ってる国民の保証金を「お金はらえなくなりましたw」と宣言することで吸い逃げしていることになる
マルチ界のトップが繋がるのはいざというとき破産するためと相手がもっているパネルがそのまま金になるから
破産はせずとも経営難として身内に資産を売却することで「実際お金を使わずに買い物ができる(信用で信用を売ったり買ったり)」こともできるため
はっきりいてほぼ詐欺でやくざで違法だが意思や意図だけではそれを明確に記録してあっても違法とはいえない
実質やくざとかわらないがやくざを取り締まるのが反社会的であるということにつけ団体を構成しそこで違法な活動を隠蔽している可能性があるから操作を必要とするもの
個人で大金をもっていてそれを「ポケットにいれていたから無くした」といわれてもそれを捜査したり罪に問うたりできないのを利用して少人数で組織化している状態
酒を飲んで女性を殺害しても犯罪にはならないし交通事故でだれかが死んでも運転手の業務上過失致死なので15年もくらわないしだれかが代行したとしてもそんなものはわからない
検索エンジンってとても便利ですよね。
今は何かわからないことがあったときにGoogleとかで検索すればすぐに答えが出てきます。(とはいえ、正確性は担保されるわけではないので注意が必要。)
ここまで便利になってくると昔はどうやって疑問点の解消をしていたのか不思議になってくるレベルですね。
例えば、転職をしようと思っても転職ってそもそもどうやってやればいいのかわからないだろうし、他の人の体験談もわからない。
そういったことで、新しいチャレンジへのハードルが上がっていたのかもしれませんね。
ちょっと話がずれましたが、検索エンジンってGoogle以外にもいろいろありますよね。
日本ではGoogle検索やYahoo検索のシェアが高いですが、Yahoo検索の中身はGoogleらしいので、実質的には日本の検索エンジンはGoogleが寡占状態なわけですね。
今はいろいろな情報がネットで調べられるようになったので、信憑性がどうあれ、ネット検索をしたときに上位表示される記事に書いてある内容がかなり大きな力を持っています。
検索結果の1P目に表示されないウェブページはもはや存在しないに等しいレベルですね。
とすると、検索エンジンがどういったページを上位表示するかは、大衆を動かすレベルで重要なことになってきます。
だけども、そこは日本においては結局Googleが握ってしまっているところにときどき恐怖を感じたりします。
Google検索と、duckduckgoとかの検索エンジンが良い感じにシェアを2分していれば、どちらの検索エンジンがいいウェブページを表示するかで、競争原理が働きますよね。それが今はGoogle一択になってしまってなかなか難しい。
先日はトランプ前大統領もTwitterアカウント凍結されました。もはやIT大手の力は国家のレベルにも近いのではないでしょうか。
実はauとか、docomoなんかも検索エンジンを持っているようですが、中身はなんなんでしょうね。やっぱりGoogleなのでしょうか。
https://search.smt.docomo.ne.jp/result?MT=%E5%90%8C%E6%A3%B2%E3%80%80%E5%8F%A3%E5%BA%A7&SID=000
おおむね良いことだと思うので大筋同意なのだけれどすこしだけ、二つだけ加えさせてほしい。
まず一つ目は信用について。
「信用」とは本人が保持するものではないということ。
これの量が信用であり多ければ多く信用がある。少なければ少ない。
これは本人が持っている信用を一次的に具現化しているものだからそうだと言える。
ならば「信用」の本体はどこにあるのか。銀行の台帳に書いてある名前が「信用」そのもの。
ネットでは顔と名前を出した時点で銀行に口座をつくったようなものになる。
そこから、その口座にいくら入れたか出したかの記録が信用となる。
銀行から出した金が当人の口座に入ってる、信用が口座に振り込まれているということは銀行が帳簿の上では貸付として信用をマイナスというリスクを背負って、口座の当人に現金という信用をプラスにしている。
もちろん、借金が出来る前提はあり借金ができない人もいる。もともと信用がないものには貸し出さない。
これだけで伝わる頭の良い人たちばかりで良ければよいのだけれども、念のためにもう少し信用について話したい。
小切手が現金に変わる信用として出てくるが、これは銀行振り込みを手動で行っているのと同じ。
現金持ち歩いてないけど今すぐ振込をしてあげたいが端末がない、現金持ち合わせもない、銀行にはあるのだが、という時に使うもの。
その紙切れが信用を使って現金にできる、というわけではない。
日本の硬貨には日本国と書いてある。これは政府発行通貨でその資本は日本にあるもの全てがそうだ。担保がある。
これを交換するときにわざわざ土地と船を交換するときに土地を持って行って船を持ってきた客と交換するのかというと無理があるから金に変えている。
小切手みたいなものだ。その商品の換わりに政府がそれの価値を保証している日本のものだ。
日本の価値そのものなので、それを偽造することは日本で起きる事実や日本がそれを事実とみとめるその基準を歪ませることなので重大な罪になる。
その他に日本銀行が発行している券がある。いわゆるお札だ。これは「信用を価値とする」ものだ。
担保がない。可能性について、未来について、予定について価値をつけるものだ。
等価交換から貨幣の話に入ることもしばしば見受けられるとおもう。しかしそれはすぐに理論が破綻する。在るものを交換しても経済は成長しないからだ。
1年かけて工場を建設し、5年かけて生産を伸ばし、そこでイニシャルコストを償却して純利益を伸ばしていく、という事業計画があったとする。
するとまず最初に5年分の出費と収入分の現金が必要になる。そんな金があったら工場なんかつくるより投資したほうが得なのでは。
そもそもそんなに土地や物資や資産を持っている人間がいるわけがない。純粋にそれらを損失させて事業を成す人間などいない。
なので少ない資金から事業を「借金して」始めるわけだが、どこにその「借りてくる金」があるのか。そんなものは存在しない。
なぜなら未来へと時間が経過していくにしたがって誰かが何かの事業で増えていくもののそれであって「現在には存在していない」からなのだ。
ではその「架空の未来に存在するであろう価値」をどうやって現在に持ってきて現金とするのか。それが信用なのだ。
その未来分を持ってきて現金として発行するのが「日本銀行券」なのだ。そのお札そのものが信用であり履行されるべき約束であり生産されるべき未来なのだ。
つまり、信用というまだ実っていない未来を現時点の価値として、銀行の担保で現時点の価値へと「銀行がリスクを背負って」物資と交換する貨幣つまり日本の価値保証と変えているのだ。
その信用を託された人間、借金をした人間というものに現金として具体的に目に見える形で「信用」が移るので、まるで借金をした当人に信用が移っている、あるように見える。
人間に信用が付くわけではない。信用という銀行が前借したリスクを、誰を使って回収するかという選別によって一次的に価値を借り受ける人間には、実質「リスク」はない。
貸倒というものがある。貸した金が帰ってこないということだ。これは何のリスクなのか、少し考えればわかると思う。
言い換えて現金を手にもっているそのお金の重みが信用だと、上記を理解したうえでなら言っても問題ないし言葉としては同じだ。
もし仮に「信用を買った」というのであれば、それはだれかの未来を履行されるべき内容のもとに買い取ったということになる。
誰かに恩を受けたからそれが信用として、といった形で信用をつかうのはいわゆる信心である。個人的に個人的なポリシーのもと可能性を信じるのはそれぞれの勝手だ。
良い人だから裏切るはずはない、などと信じるのは個人の勝手だ。金が絡むと親族でも豹変するなどの事はあるだろう。個人が信心をもとに行動すると結果はそんなものだ。
証書をとり担保をとり連帯保証人を立てる、それくらいは信用について必要なことだという事は個人間取引をするのならわかるだろう。
重ねて、信用とは貸出側の帳簿にあるもので、個人が持っているものではない、買えるものでも譲れるものでも人から得るものでもない。
信用についてはここまで。
次に、マルチにハマって経済回してる気になってる事についてなのだけれども、経済学をやっているのならまず帳簿をつけていないのではないか。
帳簿をつけてほしい。
まず、クラファンで金が入ってきてるってそれは「乞食をしている」だ。
金をくれとしかいってない。そんなものは銀行に事業計画書を持って行って借りたらいいものだ。なんなら信用金庫でもいい。
なぜしないのか。返さないからだろう。返す当てがないから。現金が欲しいだけだから。
「信用」ではないのだ。その金は。
未来に発生するバリューがないことがその時点でわかっているのだ。
発生した利益を還元しますと言えないのだ。生産をしていないのだ。経済活動をしていないのだ。ただ消費して消耗しているのだ。
そして何を売っているのか。それが価値があることなら、損失をしていても価値があるのならNPOになるべきだ。
それならば寄付が受けられる。プペルトラックなんて価値はないと初めから決めつけて事業を開始するのは心苦しいだろうけれども収益があがらないとはじめから予見されているのだからしょうがない。
それでも絵本を見せたい。子供たちに笑顔になってほしい。そう思うのなら寄付を募るべきだ。前後したがクラファンでもいいだろう。
NPOともなれば各業界から支援が受けられる。事務に必要なもの、決済や運営に必要なもの、数多くが無料で得られる。活動がさらに有益であるとされるのならば公益もとれるだろう。
営利活動目的をしている団体、いわゆる一般企業もCSRの観点からそういう協力は惜しまないだろう。
なぜすばらしい活動に自費で挑むのか。
さらに言うなら、良いことを損失覚悟でやることについて商材そのもの本体の提供者が割引をしないわけがないだろう。
定価で商品をサロン生に卸して勝手に売って個人の収益にしてもいいよ、なんて言うわけがないだろう。
仕入れの値段、借入金、事業計画、収益、帳簿はエクセルでも100均のメモ帳でもいい。簡単なものでもいい。覚書として数字だけ書いていてもいい。
簡単に言うとP2PのWebサイトを立ち上げる、あるいは利用する際に関わるプロトコルらしい。
中央サーバが存在しないことが利点だが、その代わりにコンテンツの保証というか担保がない。
このためIPFSの解説にはインセンティブを発生させるためにFilecoinが用意されているとしている。
が、普通に考えても不要になったコンテンツは分散型ファイルシステムから消える運命で、
個人的にはこれだけで世界中のインターネットが運営されることに懐疑的。
例えばWikipediaがあるい需要を終えてほとんどの人がアクセスしなくなったとして
いわゆるシードに当たる存在がいなくなった時点でWikipediaは消え去ってしまう。
これ、解釈としては間違ってるんだろうか?
もし、ネットDE真実に目覚める経験を積むことなく、今になってからQアノンやプペルや反コロナに騙されていたと思うとゾッとする。
きっと俺は癌の手術も受けることなく、代替医療に手を出して死んでいただろう。
世の中に広く普及した普通の手段というのは、8割方間違いがない。
残りの2割のうち、半分が主流ではない側が正しかったパターンで、もう半分は人類が未だに正解を出せてない場合だ。
つまり、ほぼ9割方主流な考えを選んで間違いがないということだ。
自分だけが真実を知っているという立場で優越感に浸りたいという秘密基地的な願望に振り回されても、大抵の場合はババを引くだけで終わる。
俺はあの頃ネトウヨとして、2chで何百何千と韓国人を蔑む書き込みを繰り返し、ある時ふっと「翌々考えたら別に俺がネットDE見つけた真実が本当に真実であることを担保するだけの根拠ってねえわな」と気づき、足を洗った。
安易に裏話に飛びつかなくなった。
多くの人間はまだ真実に目覚めていない!と騒ぎ立てたい欲求を一生分使い果たした俺は、ネットやリアルに飛び交う無数の隠された真実話に対して冷静な目で根拠不足であることを見抜けるようになっていた。
そもそも、人がそういった隠された真実に飛びつくのは、自分が特別でありたいという欲を揺さぶられて冷静さを失うからだ。
ネットで突然1000000人目の訪問者だからIphoneあげちゃう!と言われた時、免疫のない人間はその特別感に冷静さを失う、そういう類の騙し方なんだ。
1度騙されればパターンは見えてくるし、夢から醒めた理由が飽きならば火をつけられようにも燃えるものが何も心に残っていない。
俺はこの人生においてすっかりそういった、自分たちだけの真実を広めようと情熱を燃やすだけの余力を使い切ることが出来た。
俺の人生はお前らに救われたのかも知れない
学歴や役職で信頼が担保できるなら、モリカケサクラ問題なんて起きていない。
「学歴」は前提、「役職」は結果なので同列に並べること自体も間違い。
基本は「学歴」や「資格」を前提として「仕事をやらせてみる」のであって、その結果としてうまく言っていたら次のトライアルに向かわせるために「一つ上の役職」をつけるのである。なお、欧米では「学歴」と「資格」で自動的に「役職の上限」が決まるので、出世が行き詰まると仕事辞めて大学に行ったりする。
民間病院のコロナ患者受け入れ率が低い状態で医療崩壊などというのはけしからん、といった風潮を感じるようになった。
実際民間病院のコロナ受け入れ率は2割程度で、8割近くベッドがあいてるじゃん、そこに入院させなさいよ、という事であるが、これがどれだけ荒唐無稽か説明してみたい。
コロナの治療自体はこういった病院でも概ねできるだろう。ecmoみたいな特殊技術じゃなければ、最近の若い医者はみんな人工呼吸器の使い方くらい知っているし、そもそもコロナに特効薬はないので、薬の使い方も決め打ちで頭を使わなくても済む。じゃあ何故受け入れないかといえば、戸田中央総合病院の例を見れば明らかで、感染対策が難しいのだ。万全の対策には相当頭を使うし、ルールが決まっても皆が守らない事には意味がない。職員全員の練度が求められるのだ。そんなクオリティを担保できる病院がどれだけあるかといえば、今コロナを受け入れている病院以外は軒並み非適当だろう。
あなたが飲食業だとしよう。高級店で働いていれば問題ない。市井の大衆店で、そこの席空いてるなら、じゃあ料理は高級店が指導するから、客に高級店と同じような満足度を与えろと急に言われるようなもんだ。
あなたが運送業だとしよう。普段家庭向けの配送をしているところに、トラックが空いているなら、指導するから高級絵画を美術館間で配送しろと言われるようなものだ。
国内のルート取引がメインの商社マンに、指導するから中国ルートを新規開拓しろ、というのだ。
もちろん出来るところは出来るのだ。しかし、できなかった時、つまり院内クラスターが発生した時、こんな病院で働いてられるかとスタッフは一定数離職するだろうし、あそこの病院はやらかした所だから、といった噂はしばらく病院経営に陰を落とすだろう。ただでさえ病院が潰れてもおかしくない時代に、あえてそんなリスクに手を出す民間病院が2割もいる事に驚きつつも、受け入れている病院への畏敬の念に堪えない。
コロナを受け入れていない8割の病院も、コロナ以外の病気を治療するために、コロナ受け入れ病院から流れてくる患者を普段の業務に加えて受け入れているのだから、人的にも物資的にも余裕があるわけでもない。どこぞの教授が言っているようにインセンティブさえあれば受け入れるというものでもない気がするのだが。
現状コロナによって確実に医療は崩壊に向かっていて、これはどこかをチョチョイといじればなんとかなるというものではない。唯一確実な方法は、新規感染者を減らし、感染の収束を待つしかないのだ。
念願叶ってプログラマとして生計を立てるようになって、はや8ヶ月。
アラフォーでの思い切ったキャリアチェンジを後悔したことはないし、毎日楽しいことの連続だけれど、俺はいまプログラマとしての伸び悩みを猛烈に実感している。
具体的には、オブジェクト指向とかデザインパターンとか単体・結合テストとか適切なエラーハンドリングとかアルゴリズムとか、納品物としてプログラムに一定の品質を担保するスキルが圧倒的に不足している気がする。
一応日々勉強はしているものの、納期に追われているとどうしても手癖でコードを書くようになってしまうし、社内にコードレビューの文化がまだ根付いていないので添削してもらう機会もなく、なかなかスキルが身に付いていかない。
プログラマのみんなはどこでそういった知識を得て、どうコードに活かすのだろう?
とにかく毎日書きまくって手癖を克服あるいはブラッシュアップして、あとはコードレビューしてもらえるように社内環境を整えるしかないんだろうか。
Twitterは規約違反全開だったからいいんだが、他の便乗BANしてった各種SNSは本当に規約違反でBANしたのか疑わしいのだが、詳しい人いるのだろうか。
例えばShopifyは報道だけ見たらBANされる基準の事をしたか分からんのだが。
〉〉
オンラインショップ・プラットフォームのShopify(ショピファイ)は、トランプ関連商品を扱うオンライン・ショップを閉鎖した。
〈〈
疑問に思った理由として、本当にショップでそんな言動してたのか?という所だ。
未然にBANしました。が許されるとしたらトランプが犯罪者として逮捕される見込みがあってギリギリじゃないのか。そのあたりの検証はどうなっているのだろうか。
今回の騒動でトランプ追放の圧力を受けてトランプ追放しない企業は正義にあらず。のような状況じゃないかということだ。
トランプ排除しないとGAFAから企業が追放刑を受けてただろう。それはスマホからの追放に他ならない。
リベラルはトランプの追放を喜ばず、メルケルの言うように、公正さが担保されてたのか検証するのが正しい姿勢だろう。
•言ってないこと
SFでよくある、なんか隕石が増えたとか、疫病とかで、地表で暮らせなくなったので地下暮らしになった。みたいなの多いけど。
それって昨今のリアルご時世を見ると長続きしないような気がするんだけど、どうやって持続可能性を担保してるんだろうなあ。って。
いや、絶対に地表に出て死ぬバカがコンスタントに発生することになるだろうなーって。
残念ながらそういうのは淘汰されて、性質が偏った形で存続していくのだろうか。
リアルご時世に照らし合わせると「陽キャは滅び、インドア陰キャだけが生き残り、人類はコロナ歴200年を迎えた・・・」みたいな?
いうて日本も当時の人口ピラミッド見ればわかるけど、若いのは全部戦争に駆り出されて死んだので、若い男がゴッソリ凹んだからなあ。
そんな感じの淘汰が発生することになるよな、何年も長期化すると。「ニューノーマル」に適応できないものは社会的死になるわけじゃん、コロナ特措法も罰則付きで改正するそうだしさ。
大企業ではほとんど採用されていると思うが、メールゲートウェイ型のセキュリティアプライアンスで、添付ファイルが
ついていたら暗号化解除して中に含まれるファイルに悪意があるマクロ、プログラムが含まれるものがないか検査して
OKだったら送信許可、NGなら削除されましたの通知だけを送るなどをしている。
従いスキャンできないと、一律でメールは削除、若しくは添付ファイルは削除されましたの通知のみ送られる。
企業のセキュリティポリシーとしてこうしているところはあります。ウイルス感染対策の検知対策確度を上げるため。
さらに、ローカルPCにウイルススキャンが入っていて添付ファイルをローカル保存するとき、開くときにスキャンが
メールゲートウェイ型アプライアンスで、企業のインバウンド/アウトバウンドメールを一律、
チェックしたいんじゃないのかな。それなりに意味はあると思いますが、例えばgmailだと、
これまで暗号化解除(解析&解除)でチェックしていたと思われるが、CPUリソース食いまくりな事
や実効性への疑問(ほかの対策若しくは、複数対策を組み合わせる事での効率化)があって、
添付ファイルはチェックされず送られるか、削除されて何も通知されないみたいです。
> 3、なんで毎回同じPWじゃないの?
同じパスワードだとそれが漏れたり、第三者に知れたら容易に暗号化解除して見れてしまうから。
> これは1の通り、プロキシサーバーでスキャンできる仕組みを作る必要があるってことでいい?
プロキシーサーバではなくてメールゲートウェイ型アプライアンス(古くはオンプレでInterscanなり、、最近は知らんけど)
> この場合既存の仕組みを使えないし、クラウドサービスにロックインされるし
> 腰が重いのもわかる気がする
なにか同等のサービスがあると思う。
とりあえず、G Suite(旧google apps)だとgmailのメールフィルタ機能が標準装備でゴミメールはだいぶ減る。
メールソフトへの実装があまりはやらなかったのもあるし、暗号化強度の問題もあったのでは。(推測)
公開鍵暗号方式の実装したもので使いやすいもの、若しくは この手の送り手/受け手が正しい人かつ、
悪意を持ったプログラムが含まれないことを担保できるメール送受信の仕組みを作ればよいと思う。
インターネット自体は、自律分散系システムなので送ったものが必ず届くという確証もないし、