はてなキーワード: 担保とは
社会は馬鹿ばかりで虚しいし、不幸はこの世からなくなりません。
みんなその場限りのことしか考えていないので、いつまで経っても全体の幸福度は上がらないから、くだらない娯楽で馬鹿を支配するシステムが発達して、オーウェルの小説のようなディストピアまでまっしぐらでしょうね。それがある意味で本当に平等な世界なので。
『水が上から下に落ちるのが当たり前』という表現がありましたが、その通りでこの世界はエントロピーに支配されています。
壊すのは簡単ですが作るのは大変ですし、継続するのはめちゃくちゃ困難でも諦めてだらけるのは秒でできます。
何かを始めるにはエネルギーが必要ですが、そのエネルギーも積み重ねによる貯金や、将来への希望という不確定な報酬を担保にしているので、負の連鎖に陥ればもう手に入りません。
やってもどうせ意味ねえし、どうせ報酬だってたかが知れてるし、昔同じものを手に入れた時は確かに嬉しかったけど、終わってみたら大したことねえなと思えるし、そんなもののためにまた頑張るのなんてアホくせえし…
ちなみにエントロピーは割れたグラスを元に戻すことはしませんが、時折好循環が起きて何もないところからエネルギーを起こすということもあるらしいですよ。まあ負の循環の方が大きいのですぐに掻き消えてしまいますが。
この世って頑張ることを前提としてるくせに、頑張って手に入るものたかが知れてて、しかも頑張んなくても存在することはできるとかいうよくわかんねえバランスなんすよ。
でもそんなの当たり前じゃないですか?
そんな当然のことに虚無を感じてるんですか?
私があなたの文章を読んで思ったのは、フェアな視点が圧倒的に欠けているということです。
建設的な議論を歓迎したいのなら、まず自分の思想の反対意見を全肯定してみてください。
その上で両者の思想を比較検討し、デメリット、メリットを把握した上で最終判断を下してみたらいかがでしょう。それが知性ある人間の行為だと私は思います。
社会は虚しい
→テレビやツイッターの議論を見て、世間のくだらなさを実感しているのなら、そのくだらなさを大前提とした上で、それでも人間はゴミなのか?できることや考えられることはないのか?と思考している人たちにも目を向けるべきです。
一歩引いて世間を見ることができるのなら、世間と自分という構図からも一歩引いてメタ化することもできるはずです。
そういった思考をしている人々は、漫画、絵画、プログラマー、音楽、科学や数学など様々な分野にいますが、一番わかりやすいのは文学だと思います。
あなたは人間をシステマチックに見ているくせに、小さい命にも、弱い立場の人間にも情を寄せていますね。
全ての人間が救われるべきだとか、
命は平等に扱われるべきだとか考えているのでしょうか?
でも周りを見れば人間は愚かで救いようがないし、現実的に真の平等を目指すと全人類思考せずにバーチャル世界で家畜化するしかないのではとか考えて、虚無になっているのでしょうか?
それ単純に考え方がクソ真面目なだけじゃないですか?
もし人間の平等を考えるのだとしたら、人間の不真面目な欲望も尊重するべきです。
戦争は楽しいし、いじめや差別は気持ちがいい。浮気はダメだと分かっているけど魔がさしてやってしまうし、結婚したら幸せが保証されるかもと思いながら三人に一人は離婚している。
でも全部欲望でそういうのも人間に必要です。背反理論であり、片方を全て取っ払うとか無理な話で、それも含めて人間として扱うべきでは?
それでも自分の理想を追うのだとしたら、それは理屈ではなく感情的な判断です。あなたの理屈を否定しきれないように、反対の理屈も否定しきれないので結局は感情に頼るしかありません。感情的な判断を下しているという意味では、あなたから見える世間の人たちと同レベルですね。
私もあなたも結局感情のレベルでしか判断できない豚で糞虫です。
脱線しますが、20世紀にウィリアム・フォークナーというアメリカの作家がいました。
彼は南部アメリカの架空の土地を舞台に、将来に絶望するしかない生まれも育ちも最悪な人間や、恵まれた人間も贔屓目なしに平等に描いてます。
いいことも悪いこともフェアに、淡々と現実を綴った彼は、ノーベル文学賞受賞講演でこう語ったと言います。
「人間は単に生き永らえるのではなく、勝利すると信じます。人間が不滅なのは、人間が生きとし生けるものの中で唯一疲れを知らぬ声を持っているからではなく、人間には魂が、憐れみを感じ、犠牲的精神を発揮し、忍耐することのできる精神があるからなのです。詩人に、作家に課せられた義務は、こうしたことについて書くことなのです。人の心を高めることによって、人間の過去の栄光であった勇気と名誉と希望と誇りと思いやりと憐れみと犠牲的精神を人に思い出させることによって、人が耐えることの手伝いをすることが、作家に与えられた特権なのです。詩人の声は、単に人間を記録したものである必要はありません。それは人間が耐え、勝利を得るための支えの一つ、柱の一つになることができるのです。」
こんな偉大な人物が人間を信じているのですから、大して考えてない行動していない我々が諦めてしまうのは早すぎると思いませんか?
人間を男と女、はっきり二分できるものでないことは科学的にも明らかで、世界に男と女しかいない前提の制度の運用を続けるのも人権上問題が大きい。
スポーツで女が男に勝てるわけがないというのはそれこそ固定観念、偏見というもので、軽量級の男子が重量級の女子に勝てないことは当然にあり得ることだろう。
つまり男女関係なく体重や筋肉量などフィジカルの客観的な数値で階級を分けて競技させるよう制度を改善すればいいのだ。
結果的に軽量級の大半が女子が占めるとしても異性を排除するという理屈がそこに働かない以上そこに性差別が介入する余地はない。
また一般的な女性よりも素質的に並外れて筋肉量の多い女性は男性が多く占める階級で競うことになり競争の公平性も担保される。
いま仮に体重と筋肉量といったが現代のスポーツ科学であればもっと細かく競争の優劣に影響するフィジカルの能力値を測定して適切な階級を設定することもできるだろう。
男性よりも肉体的に劣っているに決まっている女性でもメダルが取れるように女流枠を儲けるなどそれこそ性差別の産物だ。
必要なのは公平な競争をするための階級制度であって、劣っている方の性に花をもたせるための差別的な区分けではない。
人々が公平な競争に真摯に向き合い、レギュレーションを詰める煩瑣を厭わないのであれば、パラリンピックを廃止して、障害者も1つのオリンピックで健常者とともに競い合うことができるだろう。
人類はもう誰もが同じ場所で競い合うことができる。必要なのは公平に競う合うための仕組みだけとそれを作ろうとする意思だけだ。
Pマーク(or ISMS)が批判されているが、皆どんなチェックがされるのか知ってるの? 内容を知らないのでイマイチ批判の波に乗れないんだよね。自分の検索能力が低いだけかも知れないけど、公開されていないようで文書が見つからず真偽を確かめられないし。
なので、ここから先は自分の推測。間違っていたら指摘して欲しい。
PマークやISMSの認定では「パスワード付きzipしろ」と明言されているわけではなく、「メールでファイルを送るなら暗号化しなさい」くらいの話だと想像している。
もちろん、「パスワード付きzipで送付します!」に対してダメと言わないPマークが悪いとも言えるが、以下が担保されればセキュリティとしては問題ないように思う。
審査がザルなんだろうとは思うけど、受ける側が嘘ついてたらどうしようもないし、PPAPが手間が掛かる/非効率である点はPマーク側がどうこう言う話ではない(本当はコストを考慮した上でのセキュリティであって欲しいけどね)。
あと、別ソリューションとしてよく挙げられる外部ストレージサービスの活用について、Pマーク側が禁止しているわけじゃないよね? 禁止していないなら、それを採用しないお宅が悪いのであってPマークを批判するのはお門違いなのでは?と思っている。
とりとめもなく書いたが、思っていたことをぶち撒けられてスッキリした。
じゃあな。
自分が担当していた大口取引先の会長から、「友人が起業することになったので相談にのってあげて欲しい」と持ち掛けられた
創業関連の融資というのは銀行はあまりやりたがらない 計画があてにならずリスクも高いからだ
通常なら「起業資金だったら政策金融公庫ならすぐに出してくれますよ」と受け流すところなのだが、会長直々の相談なのでとりあえずその友人と面談することになった
銀行の応接で面談し話を聞くと、今既に和菓子店を複数店舗展開しており、今回そこを辞めて新たに会社を設立するので資金を出して欲しいという
その和菓子店は地元で人気の店であり私も知っていた 地元の果物を使ったフルーツ大福やフルーツ葛饅頭などが人気でいつも行列が出来ている
ただそうなるとなぜ上手くいっている会社を辞める必要があるのかという疑問が出てきた
「今の会社ではやりたいことが出来ないので、一から新しくやり直すことにした」というが、自分が社長なのにやりたいことが出来ないというのはやはり納得がいかない
「今の会社のメインバンクはどこなんですか」「A銀行だけど」「喧嘩別れとかでないのであれば、A銀行に相談するのが一番手っ取り早いと思いますが」と私が問い詰めたところで、社長はようやく白状した
社長は新商品などの開発は非常に得意で仕事は出来るのだが、その分夜遊びも酷くほぼ毎日のように他社の社長友達たちと飲み歩いていたという
キャバクラの女の子と平日にゴルフに行くなど散々遊びまくった結果、副社長である妻がついにキレて社長を解任され会社から追い出されてしまったということだった
会社設立の際に妻の父親に一部出資してもらっていたため、株式保有割合が社長40%、妻40%、妻側の父20%となっており、実質的に株式の過半数を握っている妻に追い出されてしまったわけだ
「とはいえ社長だったんだから退職金は貰えたんでしょう それに株式だって40%持ってるわけだからそれを買い取ってもらえるんじゃないんですか」と聞くと社長は項垂れながら答えてくれた
「退職金として2000万円、株式は税理士に評価してもらって4000万円で買い取ってもらったよ だけどこれまでに会社の金を流用して個人的な飲み食い等に使っていた分を穴埋めさせられた
それから離婚時の慰謝料も払わされたので手元に残ったのは1000万円足らずしかない」
銀行は決算書上で会社側から役員個人に対する貸付金があるケースを酷く嫌う 会社に融資したはずの運転資金が社長個人に流用されてしまっては困るからだ
そんな状況では内情を良く知るA銀行が社長に対して融資をOKするはずがない
ただこの社長には商品開発力はある デパートのバイヤーとも繋がりがあるので、商品を取り扱ってもらうことも恐らく可能だろう
私自身新規取引先開拓のノルマがあり、あと1件増やせばノルマ達成だったこともあり、この融資案件について採り上げ方向で検討することとした
支店内での稟議は金額が融資金額が1000万円と少額であったこともあり、比較的すんなりと決裁になった
社長が有名和菓子店を経営していたことも一つの材料になったのだと思う(社長が追い出された件はただの夫婦喧嘩という説明に留めておいた)
稟議承認の際、私は支店長に「増田君、中小企業は会社=社長だよ 増田君が面談して信用出来ると思ったのであればやってみればいい」と言われた
すんなり決裁が得られると思っていなかった私は、支店長の言葉で逆に不安になってしまった
悩んだ私は最悪この案件が流れても仕方ないという覚悟で社長に対して最終の条件提示を行った
融資金額や金利、融資期間については当初の提案通り、但し不動産担保として社長の実父が住んでいる実家を取らせてもらうことを条件として出した
実家は築50年以上経っており建物の価値はほぼゼロだ しかし立地が良いので更地にして売却しても相応の金額にはなるだろう
社長は担保提供について抵抗したが「嫌なら他の銀行で相談して頂きます 当行では対応出来ません」と突っぱねたところ最終的に社長が折れた
さすがに実父の自宅を人質にとれば社長は夜遊びを多少は控えるだろう、そう考えての対応だったのだが、結果としてこのときの私の判断は甘かった
融資実行後、工場兼店舗となる物件を契約し2ヶ月ほどの準備期間をおいて店はオープンした
社長が開発した新商品は地元のTV局の情報番組で取り上げられたことなどもあり、開店当初から売上は順調に推移した
とはいえやはり不安が拭いきれなかった私は社長に対し「決算書は税務署に提出する前に必ず私に見せて欲しい」と何度も念押しをした
そして決算期を迎え、社長の飲み友達である税理士から渡された決算書のドラフトを見て私は愕然とした
確かに黒字にはなっている 数十万円程度のお情け程度の黒字 しかし問題はそこではない
「決算日に店舗の金庫の中に現金が800万円あることになってるんですけど」
「社長は忙しいから毎日銀行に入金に行けないんだと思うよ ある程度まとまってから行くんじゃないかな」
「800万円って何日分の売上に該当すると思います?先生は現金があるのを確認しました?」
「…」
預金残高をいじればさすがにすぐに銀行に見抜かれる だからといって現金を膨らませるとかもう小学生並みの発想だ
恐らく毎日の店舗の売上現金はそのまま社長の遊興費で消えてしまっているのだろう
「こんなバレバレの粉飾に手を貸したという話が広まったら困るのは先生でしょう、うちの銀行出入り禁止になりたいですか!」
と税理士に罵声を浴びせ、現金項目について原材料や前払金等の適当な項目に振り分けるよう指示した
クリスマスケーキ用に前もって大量の原材料を発注した 保管はメーカー側の倉庫でしているとでもいえばなんとかなるだろう
翌日社長と面談し、「これ以上はお付き合いできないので、すぐに他の銀行で肩代わりして頂きたい 出来なければ担保である実家を処分する」と通告した
その後税理士が新たな決算書を作成し、その決算書を持って近隣の信用金庫へと相談へいってもらった
事前のうち合わせ通り「今の銀行から大幅な金利引き上げを通告された、なんとか借り換えさせて欲しい」と社長は信金の窓口担当者に泣きついた
そして3週間ほどたち、粉飾決算を見抜くことが出来なかった信用金庫は融資を肩代わりすることとなった
他行で借り換えされることになった旨を支店長と上司に伝えると「自分の担当先だろ しっかりグリップしておけよ」と怒鳴られてしまったのだが
下手をすれば融資先の粉飾決算で信用事故に巻き込まれるハメになっていたわけなので、それに比べれば上司からの叱責など軽いものだった
信用金庫からの振込入金を確認し、借入返済手続きを終えた私は返却書類一式を持って和菓子店を訪れた
営業時間中は忙しいだろうということで、閉店間際に行ったのだが店内にいるのはバイト店員だけであった
「社長は外出中なのでお預かりしておきます あと銀行さんが来たらこれをお渡しするようにと言われてましたので」と和菓子の箱を渡された
外出といってもどうせ飲みに出ているだけだろう まあ最後にお礼の菓子を渡すくらいの常識は持ち合わせているのか…
私は菓子箱を受け取り銀行へと戻った 箱の中身は葛饅頭だったので残業している同僚たちと食べることにした
「あーこれは美味しいわ 売れるはずだよ」と同僚たちが言う
昔、ABCのすんげーBEST10で中川家がいとしこいしのモノマネという体で彼らの見た目、しゃべくり、ネタごと漫才をカバーしていた。まだ若手とはいえ実力派の中川家が大御所のネタをそのままカバーしているから当然のように面白くて、いとこい世代ではない若い女性層で占められた客席は普通に笑って普通にオチで感心していた。その直後に司会の千原兄弟が「君らオチで感心してたけど、いとこい師匠のネタそのままやで」みたいな言及をしていたように思う
ベテランの漫才というのはたいてい作家が書くものだし、特定のパフォーマーが独占しなくてもいい気はする。とは言え漫才の面白さというのは、台本のみによって担保されるのではなく、その特定のパフォーマーのスタイルと強固に結びついている(ホンもそれをあてにして書かれる)のであって、上述の中川家の場合であれば、彼らがいとこいを完全に真似ているからネタの面白さがどうにか保たれていたのかもしれない
そういや水曜日のダウンタウンでサンドウィッチマンのハンバーガー屋のコント誰がやっても面白い説というのもあったね
【ジュネーブ共同】北大西洋および環太平洋保険機関 (NAPHO) のジェームズ事務局長は 17 日の記者会見で、北大西洋および環太平洋地域における COVID-19 の終息を宣言した。先んじて 2041 年 10 月に中国保険機関 (CHO) の出した終息宣言に遅れること約 2 年、2020 年に世界規模での爆発的な広がりを見せた COVID-19 は 23 年の時を経て全世界的な終息宣言がなされたこととなる。
ジェームズ事務局長はまた、2042 年 3 月より 3 度に分けて世界規模の調査を行った結果、地域や世代によってばらつきはあるものの平均して 89% の人々に COVID-19 の感染歴および T 細胞の免疫記憶が確認されたと発表。この度の終息宣言はこの調査に基づくものであり、COVID-19 の罹患リスクおよび重症化リスクが旧来のコロナウイルスと同程度になった事を宣言するもので、人類が COVID-19 を克服したことは意味しないと強調した。
≪COVID-19 および大域国際保険機関に関するこれまでの主な経緯≫
エビデンスと海老男子って微妙に似てるよね。まあそれはどうでもいいとして。
女性間におけるエビデンスという概念はつまり、「そんなん嘘松やん」とか「対立煽り乙」とかそういう批判を喰らわない為に作り出された考えで、要するに、「世の中のアンチが何を言おうが現に私は現代社会において理不尽な経験をしてきたのであり、それが私の批判におけるエビデンス(根拠)になってるんです」ってな考え方のことである。まあこんなことは今更説明しなくても分かるだろうけど
で、問題はこれが主に女子だけに使用が許可され男性には使用が基本的に見送られている概念であるという点である。こう書くと、「いやいや、一部のどちらかと言えばホモソーシャルに参加していない男性陣の中からも、生きにくさを自分の体験に照らし合わせながら、つまりエビデンスに照らし合わせながら訴えている人もいますよ? 何言ってるんですか?」みたいなことを短絡的に書いてくる人間がいるんだろうけれど、いや違うんやと。
率直に言って、主にこのエビデンスと呼ばれる概念によって訴えられる事の内容は、「クソオスがいた!」ってものに限られているのに俺は疑問を感じる、ってことなんです。女子は言う。「クソオスがいた!」「セクハラするクソオスがいた!」「性犯罪に加担するクソオスがいた!」「パワハラするクソオスがいた!」「ホモソーシャルへの同調を押し付けてくるクソオスがいた!」「クソオスがいた!」ってな具合で、基本的にこのエビデンス、ってな考え方は「クソオスがいた!」という発言に終始しているんですね。少なくとも、エビデンスと銘打たれた発言、あるいは、エビデンスを自称する人間の、エビデンスと自称するに至った理由についての発言は、畢竟「クソオスがいた!」という発言に終止することが多いんです。そこが明らかな問題で、何でこれは主に女性から男性に対する「クソオスがいた!」って発言に大勢を占められなくちゃいかんのかな、ってことを率直に疑問に思うわけです。
こういうこと言うとよく飛んでくる詭弁なんですが、「全てがクソオス批判じゃないよ?」って批判でございます。今のうちにそのクソリプを封殺しておきたいんだけれど、いや「全てがクソオス批判」だなんて一言も言ってねえわ。それが大半だっつってるの。
こういうこと言うと「私の身の回りではクソオス批判に終始してるわけじゃないよ?」いやお前の身の回りとか知らんわ、可視化されるエビデンス関連の発言はクソオス批判に終始してるのは明らかだろうが。
「でもこれが私のエビデンスなんで」もうええわ。
みたいな感じの詭弁が飛んでくることとなるんですね、詭弁の見本市かな? お腹いっぱいになりそう。
それはそれとして、とにかくエビデンスというと「クソオス批判」に終始しがちです。勿論、世の中にクソオスがいることは否定しません。加えるに、クソオスに関しては僕だってクソオスだなあと思うし、僕の身の回りにもクソオスはちゃんといます。男性が女性より理性的だとも優れているとも言うつもりもないし、逆に女性が男性よりも優れているという意見を担保するつもりもないです。繰り返すように、世の中にはクソオスがちゃんといるし、そして僕の身の回りにだってそれはいる。つまりは僕だってエビデンスを共有しているし、そこを否定するつもりはないんです。つまり、僕の意見はごくフラットなものだということです。
だからこそ、もう一度言います。「可視化され周知されるエビデンス関連の発言は、クソオス批判が大半を占めている」まずこのテーゼを認めて下さい。イエス・ノーか。イエスだろうが。
(書いてる内にまた予想しうる詭弁的反論に対する反論を思いついてしまったのですが、流石にこれは後回しにします)
とにかく、エビデンスっつーのは固定されきってて――女性による男性に対する批判という形式に大体固着し過ぎていて――まあ早晩陳腐化するのが目に見えている概念なわけです。概念は固定化すると大体陳腐化します。その陳腐化の流れに介入しようとかそんな大それたことを考えているわけではないですが、とにかくこういう陳腐化が早晩発生するだろう概念(あるいは既に陳腐化しているところの概念)を見ているのは忍びないのに加え、純粋に「エビデンス」という概念に対して、それほど好意的な印象を持っているわけではない(クソオスにとかく終始しがちなため)のもあって、ちょっとこの辺りで一石を投じたくなったのです。
つまり、男版エビデンス。海老男子があってもいいんじゃね? ってことです。
いやね、クソオス、クソオス、と最近では盛んに囁かれていますが、クソメスはおるぞと。
そう、ここに男女の不均衡がある。女性が「クソオス!」と叫ぶと女性はそれに対して全面的に擁護し受け入れる体制を取る。いや分かるんですよ、仮にある女性の訴えるエビデンスが事実だったとして、その時ほかの女性がそのエビデンスを否定してしまったら、クソオスの禍に晒されてしまった女性の感情に持って行き場がなくなりますからね、そういう女性は保護しなくちゃいけない。それは分かります。
でもね。
不均衡。そう、つまりはこういうことです。男がネットの増田とかのスペースで、「クソメス!」って叫ぶと、女性はほぼそれを否定しようと掛かるってことです。
「は? お前が悪いねんそれは、責任転嫁するなボケ」みたいなこと平気で言いますよね女性は。同じこと女性に言えます? 言わないですよね?(言う人もいる、とかそういうのはいいです。)
(つーかここで仮に女性が女性に対して、「お前それ自分の責任ちゃうん? 自分が悪いの棚に上げてるだけちゃうん?」ってスタイルを取ることが恒常的になってしまうと、そもそもその時点で「エビデンス」が陳腐化してしまうんですよね。頭ごなしに他者の体験を否定しないことがエビデンスの理念なんですから)
(こんなことを言うと、「いやいやエビデンスって考えは誰かの訴えを無制限に認める立場を示しているものじゃないよ?」とか言われそうだけど、無制限ではないにしろ少なくとも、頭ごなしにすぐ相手の意見を否定する行為は、エビデンスの理念には背きますよね)
え? エビデンスはどこに行ったんですか? と言いたい。だって、例え世の中の不特定多数の人間の、「いやいや君は社会における女性の立場が適切に扱われていないって言うけれど、そんなの思い込みでしょ?笑」みたいな無神経な意見が存在していたとして、「でも!」と唱えることができる、っていうのがエビデンスの理念だったんじゃないんですか? 「でも! 現に私は被害に遭ってる! 私が理不尽な扱いを受けたのは事実だし、それは簡単に否定されていいことじゃない!」って訴えることのできる権利こそが、エビデンスじゃなかったんですか? 何で、ネットの苛烈に振る舞う女性たちは、そのような立場や権利を男性にも認めようとしないんですか?
言うたら悪いんですけど、クソオスと同じくらいクソメスはいますよ?
クソオスが多いことは僕も分かっています。どっちかと言うと、僕もホモソーシャルから脱落する側のオスだったので、オス特有の倫理とか価値観とかそういうものについては当然触れてきたし、それらについてはかなり深く熟知しています。勿論、そのようなホモソーシャルにおける固定化された倫理が女性に対して時に苛烈に、時に理不尽に襲いかかることがあることも承知しています。でもね、と僕は言いたい。
クソメスもかなりいる。
クソメスもホモソーシャルの原理で動いてクソな行動を取ってるし、それは男性におけるクソオスの絶対数に劣るものでもない。
それが僕のエビデンスなんですよ
ね? 僕の意見を認めることが、普段苛烈に発言をして、女性のエビデンス的発言に対して最大限の擁護と担保を行うネット論壇の女性の皆様には可能ですか? 本当に平等で公平な、男女同権的な振る舞いというものが、貴女達には可能ですか? と私は問いたい。
いやあ、こんなことを言うと反論が来るんでしょうね。「お前のエビデンスなんか知るかボケ」を精一杯オブラートに包んで、僕の確固たる現実をあの手この手で否定しようとする意見が来るんでしょうね、と僕は予感する次第です。「ホモソーシャルからあぶれてるとか言いつつも、お前は男性なんだし既得権益側で普段から女性に対して加害的に振る舞うことが『可能な』立場だろ? だったら自分を女性と同列に語って擁護を求めるような真似をするんじゃねえよ」とか、「お前の人間性の劣悪さがお前の現実に反映されてるだけだよ、多分お前の普段のコミュニケーションに問題があるのがそもそもの原因だろ? まずは自分のあり方を矯正するところから始めろよ」とかね。
いやいや待てや、と私は言いたい。
結構典型的な男性側のエビデンス発言に対する反論として、「お前の方に問題があるからお前のあり方を矯正しろ」って多いんですけど、いや、周囲の圧力によって理不尽に自分のあり方を変更させられることって、フェミニストやフェミニズムが最も警戒しなきゃいけないことなんじゃないんですか? と言いたい。
つーかぶっちゃけ↑に書いた予想反論は、単純な予想ではなくて実際にはてブ界隈を見てれば無数、とまでは言わなくともしばしば見かける女性側からの苛烈な意見なんですね。実際に、そういうことを言われている男性側の人間がたくさんいることを、僕はこの目でしっかり見てるんですね。そして、僕はそういう客観性と公平性と熟慮を欠いた意見を見る度に、「彼女たちに議論というものは無理なんだろうな」ってことを思うんです。恐らくは、苛烈さと理知を混同している彼女たちには、根本的に議論をすることは不可能なんだな、ってなことを思ってしまうんです。要は彼女たちは、世間の(ネットの)女性たちが訴えるクソオスの対義語であるところの、クソメスなんですよ直截に言ってしまえば。
ただ、あくまで「議論は無理なんだ」と思ってしまうような女性がネットには「散見される」、ってなだけで。勿論理知的で客観性と公平性を兼ね揃えていて、男性が切々と訴える自己の傷にまみれた体験を頭ごなしに否定したり否定こそしなくとも嘲りまじりの対応をしたりとか、そんなことをしない女性だって、たくさんいるでしょう。そういう女性の存在を否定しているわけではないんです。
ただ、マジでクソオスがこの世の中に溢れているように、クソメスも同等の数いるんですよ。勿論僕は自分に人生において、公平で客観的でまともな女性にだってそれなりに出会ってきたんですけれど、実際には男性にしろ女性にしろ、まともな人間って結構少ないんすよ。
僕自身にしたところで、本当にまともな人間なのかと問われると、正直狼狽えてしまう。まともであろうとしているのは事実なんですけどね。
だからね、女性に対して言いたいのは、「まともじゃない女性がいる」って男性が発言した時に、その発言を頭ごなしに否定したり、あるいは否定しなくとも嘲笑ったりしないで欲しい、ってことなんです。否定されても嘲笑われようと、それは僕らの現実であって、否定しようのないエビデンス。つまりは海老男子なんですから。
ここでいうコンサルは大手コンサルファームでもなければ、ITコンサルでもなく、〇〇弁護士事務所みたいな企業再生を手掛ける法律系コンサルでもない
町の中小零細企業を相手にした経営コンサルタントだ 地方都市には元銀行員だったり大手企業ドロップアウト系の個人コンサルがわらわらと居る
社長に対し何か提案するわけでもなく、毒にも薬にもならないようなことだけを言ってフィーだけを受け取っていく彼ら
この手のなんちゃってコンサルたちが生き残っていられる理由は何なのだろうと常々私は考えてきた
まず最初に思いついたのは「税理士が果たすべき仕事を果たしていない」ということだ
大抵の場合、中小企業の担当税理士は税務署上がりで税務申告だけに特化した税理士だ 当然財務や経営のアドバイスなどするはずもない
税理士に相談出来ないからコンサルに相談する、ただだからといってなんちゃってコンサルに金を払って相談をする理由としては弱い
次に思いついたのが「銀行員が果たすべき仕事を果たしていない」ということだった
最近になって地方金融機関は「担保に頼らない融資」だの「決算書の数字だけにとらわれない事業性の評価」だのと打ち出してきているが、ちゃんと機能しているところを見たことがない
社長を捕まえて1~2時間質問した程度で事業性の評価など出来るわけもない 本腰入れてやろうと思えば、担当の1社に1週間くらい常駐するくらいのことが必要だろう
ところが銀行は「今月1ヶ月で各自最低10社の事業分析をすること」なんてノルマを課して、事業性評価を「手段」ではなく「目的」としてしまっているので論外である
ただ銀行員に相談出来ないからといってやはりなんちゃってコンサルに相談する意義はどこにも見当たらない
そういった疑問をずっと抱いていたのだが、先日地元で活動するコンサル2人と話をして、自分の中でようやく答えを見つけることが出来た、ように思う
まず最初に会ったのがコンサルのAさん 東大を出て大手メーカーに入社し数年して退社 「地元の地方創生の手助けをしたい」という高尚な目的でコンサルとなったらしい
ただ地方自治体はリスクをとりたがらないのでそれなりに実績のあるコンサルにしか外注を出さない まずは実績を積むため、中小企業の経営支援を行っているらしい
Aさんの話はすごく分かりやすく、分析資料も凄く丁寧に出来ている ただクライアントとの契約が長続きしない
Aさんはクライアントの社長に対して遠慮なくズバズバ厳しいことをいうので、恐らくそれが契約が長続きしない理由なのかなと自分なりに察した
次に会ったのがコンサルのBさん この人は外資系生保のセールスマンとして節税目的の保険等を売っていたのだが、そのときに築いた社長人脈を活かしてコンサルをしている
BさんはAさんと違って時間をかけて分析資料等を作ったりはしないらしい ただ生保セールスマンだけあってトークスキルは抜群だった
私は名前を伏せてAさんの話をし、なぜ契約が長続きをしないのかを訊ねた ここになんちゃってコンサルが生き延びていられる理由があると思ったからだ
「例えるなら企業は人間で経営コンサルは医者なんですよ そりゃごく一部には外科的手術が必要な企業もある でも大半は軽い風邪とかそんなものなんです
ひょっとしたら風邪ですらないかもしれない 長く生きていれば朝起きて頭痛がしたり体がだるかったりとかそういうことだってあるでしょう
それを医師に相談して“じゃあMRI検査しましょう”とか“すぐに精密検査を受けてください”って言われたらどう思います?
彼らが求めているのはそういうことじゃない 話を聞いてとりあえず適当な薬を出してさえくれればそれでいいんですよ」
この話を聞いて私はようやく理解出来た なんちゃってコンサルがなんちゃってコンサルとして存在していられるのはクライアントが望んだ結果なのだ
提案もしなければ提言もしない、財務分析もSWOT分析もしない、適当に雑談しながら適当に相談出来る相手、それがなんちゃってコンサルの存在意義なのだ
新型コロナの影響で中小企業が苦しむ中、国は地方の中小企業を救うべく色々な予算を組んで、そして助成金を出すのだろう
予算だけつけられても県や市に中小企業を救うノウハウを持った人間はいない
そうなると県や市はなんちゃってコンサルに外注し、予算が無駄遣いされていく
ただそのような状況を作り出してしまった原因の一部は中小企業の社長たちにある
Bさんがいうところの外科的手術が必要なのは中小企業ではなく、こんな構造を作り出してしまった日本という国自体なのではないか
これ読んで「嘘だ」と思う人は恵まれた環境で育ったんだろうなと思う。元増田の住んでた地域のことはよく知らないけど、自分も地元の環境じゃダメだと感じて高校で遠く離れた場所に飛び出した身だからなんとなくわかる。
地方格差ってその土地に住んだことが無い人じゃなきゃ絶対にわからないし、たとえそこに近い地域に住んでいたとしても小さな町や村単位で結構雰囲気も違う。
田舎に行けば行くほど「高等教育を受ける必要性はない」と擦り込まれていくし、その土地から大学進学者なんて出ようもんなら大騒ぎなんて場所が今でも無数に残ってる。
この増田の言い分が完全に正しいとは言い切れないけど、正直幼稚園・小学校・中学受験を経験出来る人は小さな頃からある程度将来を担保されてて羨ましいなと思う。
そりゃ最終的には本人次第だけど、小さな頃からトップクラスの教育を受けさせてもらい、潤沢な資金によって様々な文化的体験をさせてもらい、その辺の田舎で育った子どもとは全く違う世界の見え方の中で育っていく。
じゃあ自分も受験しろと言われても、そもそも私立の幼稚園や小学校なんて地方にはないし、そもそも増田がいるような土地の大人は教育に金を使ってくれない。
そんな環境下でも必死に頑張った人は東大にだって入れるけど、都会のお受験組とはスタートラインがあまりにも違いすぎるのは事実。
と、ここまで羨ましいと書いては来たが、自分は将来金持ちの世界に入りたいとは思わないし、実際大学に入ってそういうタイプの人と出会っても「自分はこの世界に居て幸せになれる人間ではないな」と思うので、これで良かったかなと思う。教育を受けさせてもらえることは何かしら必ずメリットにはなるだろうけど、金持ち育ちの子にはそれはそれで辛いこともあるんだろうしね。
ひとまず、元増田は頑張ったと思う。自分が言えた立場じゃないが、そういった環境から東京の国立に入れたことは本当に誇っていいことなんじゃないかと。
意味も分からず手順だけ真似て約分するのが数学的ゾンビなら、我々はみんな科学ゾンビだ。
「二酸化炭素が増えると地球温暖化が加速する」という文は科学的に正しいというのは一般常識である。
しかし、なぜそうなるのか答えられる人がどれだけいるだろうか。
少し気の利いた人なら「二酸化炭素は温室効果ガスであり、地球から放射される赤外線を吸収してしまうから、地球の気温が上昇する」と答えるだろう。
しかし、二酸化炭素がなぜ赤外線を吸収するのか、具体的に二酸化炭素分子に赤外線の光子が当たった時に何が起こるか説明できる人がどれだけいるだろうか。
二酸化炭素分子に赤外線光子が当たった時に何が起こるか説明できる人も、なぜその説明を信じているのか説明できるだろうか。
自分は二酸化炭素に赤外線を当てて、それが吸収されることを実験で確認した、という人もいるだろう。
しかし、その実験で使ったガスが二酸化炭素分子しか含んでいないということをどうやって確認したのだろう?
実験で使用した機器から出ているのが赤外線光子だと、どうやって確認したのだろう?
自分は科学的な観測でその現象を確認したと主張する人は、多くの場合、実験で使用したガスや機器が本当に言われている通りの代物であるかどうか、自分で確認してはいない。
実験の前に自分は他の機器も使って校正を行ったという人もいるかもしれない。しかし、その校正に使用した機器が正しく動作していることはどうやって確認したのだろう?
このように突き詰めていくと、あらゆる人は、どこかのレベルで自分で確認していないことを、額面通りに受け取り事実として受け入れていることになる。
こういう意味において、世間一般の人にとって、科学知識というのは宗教上の教義と変わらないものになる。
世界は平らで巨大なカメが支えていると信じていた昔の人々と、二酸化炭素が増えると地球温暖化が加速すると信じている現代人は、誰かに言われたことを自分で確認せず信じているという点で本質的には同じである。
再現可能な実験手順とその結果の公開と相互検証によって担保されている科学の正しさは、世間一般の人にとっては関係ないものだし、科学の営みに携わる人々も、自分の専門外の分野については常識とされる知識を天下りで受け入れるしかない。
放射線でDNAが損傷することや、風邪の原因がウイルスであることを、実際に実験で確かめたことがある人間は世の中のほんの一部に過ぎないし、世の中で常識とされるすべての科学知識を実験で確かめることは、一人の人間には一生かけても不可能なことだろう。
我々が科学知識を正しいと信じるのは、基本的にはみんなが正しいと言っているから、信頼できそうな本や学者がそう言っているから、ということになる。
現実にはここに経済的な利害や政治的意図が絡んでくるので更に面倒になる。
「福島原発から出る汚染水にはトリチウムしか含まれていないから海洋放出すれば十分希釈されて安全である」と東京電力や日本政府が言っているとき、これを信じることはどれだけ妥当だろうか。
「汚染水にはトリチウムしか含まれていない」、「十分希釈したトリチウムは安全である」、「海洋放出することで十分に希釈される」、このそれぞれが世間一般の人にとってはなじみのない内容だし、個人が自ら実際に確認できるようなものではない。
特に、汚染水の処理の実態や、海洋放出が実際にどのように行われるのかについて、世間一般の人々と、東京電力や日本政府が持っている情報の量には大きな差がある。
そして、最も重要なのが、東京電力と日本政府には、危険性が低いと嘘をつく経済的・政治的な動機があり、いままでも嘘をついてきた前科があるということである。
このような状況で、東京電力や日本政府の説明をそのまま鵜呑みにするのはむしろ非科学的な態度である。情報公開の要求や、利害関係のない第三者による自由な検証や監視が実現して初めて、「福島原発から出る汚染水にはトリチウムしか含まれていないから海洋放出すれば十分希釈されて安全である」という説明が信じるに足るものになるのである。