はてなキーワード: 人種とは
ダル〇ッシュが語った家庭時代の思い出みたいに、家で図書館で借りた本読んでるだけでコケにされるような底辺家庭に生まれても負けずに勉強して這い上がれるし
金持ち以外はスポーツさえできないほど規制がちがちにされたって、アフリカとかブラジルの土人みたいにサッカーボール手作りして這い上がれるだろ、日本なんて泥水啜って土粥食わなきゃいけないアフリカの土人とかに比べたら恵まれてるといっていいのにさ
ITだって本当に才能があるならパソコン買えなくても図書館で借りたTCP/IPの本やAWSの試験問題だけ読めば
実機を触らなくとも完璧に理解して、いきなりパソコン触っても構築出来て「俺またなんかやっちゃいました?」ってできて、web系企業やGAFAから三顧の礼でテレワーク年収1000万でオファーくるだろ?
それで人材が育たないのなら、日本人はその程度のアフリカの土人とかブラジルの土人にも負けるような民族としてカス以下のスペックしかない人種ってことでしょ?
最高に糞みてーな気分になるな
こいつらやたらと切り抜きがどうこう言ってるけど本当にこいつら自身が全文読んでるのか?
そもそも糞みてーになげー挨拶の一部であり、他人の発言と前置きして女性という属性をこき下ろしてるし
しかも後任がより爺で韓国などの諸外国を貶める発言をTwitterで繰り返してるキチガイだろ
真偽不明だけどこいつも森が叩かれてるのを不当だと思ってるような記事出てたけどさ
そんなに難しい事言ってないわ
2- 人種、宗教、政治、性別、その他に基く、国もしくは個人に対する差別は、いかなるかたちの差別であっても、オリンピック・ムーブメントへの帰属とは相入れないものである。
https://yt3079.hatenablog.com/
◎日本人は毎年数十万人単位で急減の一方で、移民(外国人住民)は毎年増加(コロナ渦で数年はずれるが)を続ける
→日本人と移民の人口比逆転は時間の問題「40年後の40才以下の3人に1人は移民?」
(出生率に変化がなければ、将来の人口動態もほぼ推計通りになる)
◎約90年で人口が半減するスピード(しかも子供が少なく老人が多い)。人種単位の持続性の観点では有事であり、危機的非常事態。それなのに対策は後手後手
→例えば、ウイルスの蔓延は現在進行形で悪化のスピードが早く、人権を制限してでも効果的で思い切った対策をとる機運も生まれやすいが、少子高齢化はダメージの時間的スピードが遅いために、切迫感が低く、結果、対策が「常に」後手に回る。
◎現状の育児支援中心で自由意志に期待した少子化対策は30年以上、毎年失敗の連続。政府自治体の対策の対象世帯である「産みたくても産めない人。結婚したくてもできない人」はどれだけ存在するのか。被害者感情に流される対策は効果が出ていないのが現実。
→本当はお金ではなく、大変だから子作りをしたくない。面倒だから結婚したくない。だから育児支援で保育所をいくら作っても、育休を増やしても結婚に結びつかず、子供は増えない。(平均年収の倍で待機児童のない東京都千代田区の出生率は全国平均以下)
◎出生率低下の要因は未婚率の上昇と多産の減少。その原因とされる「格差拡大説」はどこまで正しいのか。
→独身に低所得者が多いのは「原因ではなく、結果」。1970年代までは、低所得者(年収200万円以下)でもほぼ結婚して子供がいたが、現在は戦時中よりもはるかに低い出生率。日本を含む先進国は生活が多様化しており、コスト要因の結婚の必要性と優先順位の低下により、低所得者から結婚を回避するようになった。
◎子作りしたい人への環境支援ではなく、子作り「したいと思っていない人」に子作りを促す対策が重要
→既婚者の完結出生児数は約2人であり、現実として子作りをしたい人は支援に関係なく、子供を作っている。問題は出生率低下の要因である未婚者の急増であり、結婚を諦めている人、意欲に乏しい人にどう働きかけるかがカギ。結婚は個人の自由だが、その自由により、社会の持続性を大きく損ねている。
◎動機に働きかけ効果だけ求めた少子化対策は次の通り。「3大義務同様に子作りの努力義務化の指針」「第3子以降に1000万円超など、多産ボーナス」「子作り負担のなく福祉を受ける40才以上の独身は増税(実質的独身税)」
→早婚に金銭的メリットが生じて、相手の理想ハードルが下がり、これまで結婚できなかった層も結婚相手の対象に。育児放棄など社会問題の増加より、少子化放置で起こる社会問題の方がはるかに深刻。消費性向の高い育児世帯と若年人口が増えれば内需が復活。
◎少子化対策の失敗は、効果でなく倫理的視点(受け入れられやすい育児支援のみ)で選ぶから失敗する。本来、負担の大きい子作りに対し、反発のない対策は効果も期待できないはず(作用反作用の法則)。先祖の多大な負担があったからこそ、現代人が存在する。現代人が身勝手な倫理やモラルで負担回避を正当化すれば、将来世代は先細りの一方。
→目的(少子化解消)は手段(人権に問題があるが効果を見込める対策)はを正当化するのか。メリットがデメリットを上回れば導入すべき(人が減り続ける悲惨な社会になっても、子供を作らない自由意思尊重が大事なのか? 倫理観や同義性の遵守より、手段が受け入れ難くても「問題解決を優先」すべき)
★本稿のポイント
少子化対策の「思い込み=(人権やモラルは少子化解消よりも重要)」を解消し、少子化対策にのみ人権やモラルを我慢すれば、効果的な対策を実行でき、少子化問題は解決可能。昔の子沢山を成立させていた周囲のプレッシャーや後継、労働の担い手などの子供が生まれる要素が無くなった現在、「法律一本の施行」で制度を作り、子作りに動機を与えて出生率の上昇に繋がる具体策を提案する。それを実行するには、いかにしてハードルとなる人権や倫理観を我慢してもらうのかの説得が少子化対策の本質にして、本稿の最大のテーマだ。少子化が解消し子供が増えれば、内需が復活し日本経済も回復する。本書では、このままの少子化状況が続いた場合の日本人に訪れる悲惨な運命とそれを回避するための、効果を優先した対策を提案、解説する。
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近代社会学の祖オーギュスト・コントは「国の未来は人口構成で決まる」と見抜いたそうな。人口を減らしながら常に高齢者が多い逆ピラミッド状の人口構成では、衰退は避けられません。合計特殊出生率1.36(2019年)と低迷を続ける日本。このまま人口が減り続ければ、国の発展以前に現日本人が将来的に存続できなくなります。存続できない可能性が高いのではなく、日本人の出生率が2を切り続ければ将来的に存続できなくなるのは物理現象です。それに対し、どこか他人事の日本社会と政治に問題意識を投げかけたいと思います。
問題は解決するより、発見する方が困難です。個人も組織も、自ら気づかない潜在的な問題により、傾いていきます。少子化問題は極めて深刻な問題にも関わらず、政府の少子化対策関連予算は先進国の中でも総予算に占める割合が低く、口では声高に危機感を高めていると言っても、財政支出の観点からは本気度が極めて低く、問題視していないレベルと明確に言えるでしょう。2019年末に決まった26兆円(真水4.3兆円)の経済対策でも少子化関連には1円も使っていません。使い先は電線の地中化など。。
現状の少子化対策は育児支援など環境整備の観点しかなく、30年間も同じような方向性の政策しかとられておらず、改善の兆しが全くないのに、「地道にやるしかない。環境整備が大事だ」と言い続けています。一方、日本人が減り続ける中で、近年の政府は実質的な移民政策に大きく舵を切りました。100年後の日本列島は日本人と移民の混在する国になっています。さらに、それ以降も出生率が大幅に回復しない限り、容赦無く日本人は減り続ける一方で移民の割合は増え続け、その時の日本国籍のルーツは海外由来になっている可能性が物理的に極めて高くなります。公用語が中国語などに変わっている可能性も十分あるでしょう。
そうはならない為の少子化対策。現状の育児環境改善策以外にも、視点を変えれば効果のある対策はあるはずです。出産育児は個人の権利に関わる問題ですが、残念ながら環境支援だけで結婚、子作りの有無を自由意志に委ねた現在の少子化対策では増えていない現実があります。それを改善するためには、より、子作りの動機付けに導く政策が必要であると考えます。しかしそういった対策は、個人の自由意志に反する可能性のある対策であり、モラルや倫理観の問題で実行に大きな障壁があります。しかし、動機付けの対策に有効性があって少子化が改善される可能性があっても、現代人のモラルや人権を優先すべきなのでしょうか。その優先順位がどうあるべきか、問題提起したいと思います。
少なくとも現状の育児支援中心の対策より、効果が見込めそうな対策を、モラルや現代人の自由や権利を理由に放棄してもいいのか。現代人のモラルや価値観はその人種の存続や持続性以上に重要な価値観なのかーー。
このように、少子化対策の具体策だけでなく、タブー視される少子化対策問題に対し、「どう向き合って、どう考えるべきか」。そういった観点を問いただすような内容になります。現在出尽くしている対策や論点とは違った観点と具体的な対策を提案し、実効性のある少子高齢化対策に繋げたいと思います。
【要点・トピック】
現状の少子高齢化が改善しないまま、実質的移民の外国人労働者を受け入れ続けると、いずれ日本人と移民が「人口比で逆転」する事になる。日本人の為の日本ではなくなり、多民族国家に変わる。日本人と外国由来の国民・住民の人口構成逆転に繋がる現象はすでに進行しており、人口構成比の逆転は時間の問題。不可逆になる前に手を打つべき。
政府、自治体の育児環境支援ばかりの少子化対策は結果が出ておらず、失敗との結論付けが必要。国民の自主性に任せれば、少子化は進行する一方。少子化の構成要素である未婚率の高まりは少子化現象の原因ではなく結果。日本を含む先進国が直面する少子化の原因は文明化による価値観の多様化で、結婚と子作りの優先順位が下がった事による晩婚化、非婚化が進んだ影響。現状の育児支援中心の対策の方針を「大幅に変えないと」今後もさらに日本人は減り続ける。子作りの動機付けをアメとムチの両面でやるくらいでないと解決は難しい。効果的な対策を打てば「翌年から」出生率は著しく反応する事が過去の事例からも分かっている。子供が増えだし、出生率が2を越えれば、日本の将来は明るい。
モラルや倫理観、自由意志を優先して、負担感のある少子化対策をせず、現状の効果が上がってない対策をなおもやり続け、その結果このまま滅びるか、逆にモラルや人権をある程度我慢して、有効性のある対策を実行し、安定した持続性のある社会にするかーー。
続きは以下にて
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◆このまま人口が減り続けると、どうなるのか
政権に関係なく、労働や消費の担い手不足という現実問題に対応するため、政府や経済団体は、外国人労働者という形態で、実質的な移民(国連の定義では1年以上住む外国人)の受け入れをさらに推し進めるようになるだろう。実際、2018年の「骨太の方針」でも外国人労働者受け入れ拡大の方針が決まり、2019年4月には改正入管法が施行された。彼ら外国人が高齢者になった時、どうなるか。もちろん追い返す事はできず、いずれは外国人移民の高齢化問題も出てくる。
このまま、日本人の人口減少分を外国人で補おうとすると、コロナ渦で数年はずれ込むだろうが、基本的には時間の進行とともに、日本人と外国人の比率が相反し、やがて逆転することになる。この点ははるか先の未来の事として、ほぼほぼ論じられていない。このままでいいのだろうか。すでに東京都内ではかつて外国人が多かった街は新大久保と観光地くらいだったが、今や主要繁華街で昼夜問わず、その割合は静かに増え続けている感がある。
◆出生率の数字は「人口が減っていくかもしれない」危険指数ではなく、数値が2.0を下回る状況が続けば「いつまでに人口がゼロになるか」の確定年数を導ける指数。内戦中のシリア、アフガンや北朝鮮より先行きが危ない少子化日本。
出生率を人に問うても、いまひとつ危機感が薄い。出生率低下と言っても、「人口がゼロになる事は無いだろう」「単なる警告信号のような数字だ」と、漠然と認識する人は多い。しかし、出生率の1.41という数値は男女2人の親から約30年後の次の出産サイクル時の出生数は1.41人しか生まれてこない計算だ。これを分かりやすく1人に置き換えると約0.7人になる。1年間の出生数が87万人(2019年出生数)だとすると、この世代が、第一子を生む頃の30年後は87万×0.7の約60万人、その30年後は約42万人。その30年後は約30万人とどんどん減り続ける。そんなバカなと思うかもしれないが、実際、第二次ベビーブームの1973年は209万人の出生数で、彼らが出産適齢期になった30年後の2003年あたりは不景気の影響もあって、出生率が1.26程度まで減っており、その結果、113万人と親世代の半分程度の出生数に落ち込んでしまった。団塊ジュニア世代は就職氷河期世代で不況と重なる運の悪さがあったが、現実的に、出生率が2を切ると、容赦なくその数値の割合だけ、出生数は減り、人口が減り続けるのである。
この危機感の無さには、「出生率」と言う単語にも問題があるのではないか。2018年に国会を通過した「働き方改革」も「残業代カット改革」なら法案は通らなかっただろう。それほど名前は大事だ。言葉は悪いが「人口半減期」のような数字で、出生率を人口が「半減する期間」で示した方が分かりやすいのではないか。例えば、今の出生率が続くと人口の半減期はおよそ80~90年だ。つまり、2100年ころには日本の総人口は6000万人に半減している計算だ。今の出生率が続いた場合に、半減するまでの期間を書いた方が、危機感は伝わり易いだろう。
内戦のシリアやアフガン、独裁政権下の北朝鮮ではいずれも出生率が2を上回る。いくら、内戦や政治不安で経済状態が悪くても、それにより大規模な内戦に発展しない限り年間1万人も死亡する事はない。しかし、日本では団塊世代が平均寿命を迎える2030年頃は年間170万人程度の人口減を経験することになる。そして、今後70年かけて日本の総人口が6000万人に減少すると予測されている。結果的に早く滅びる国がいい国と言えるのだろうか。
◆現日本人が外国人(実質的移民)に徐々に置き換わり、日本人はやがて少数派に転落して、いずれゼロになる・・・100年後に純粋な日本人は消滅へ。アメリカではすでに16歳未満で白人が過半数割れ。
「移民が来ても、混血化するから日本人の血は残るはず」というのは大きな誤解である。出生率が2を割っていれば、人口減少は続き、その減少を補うために、時間の進行とともに、外国人移民が入り続け、日本人の血はゼロになるまで混血化しながら希釈化され続けていく。
2020年6月には国勢調査局の統計を基にAP通信がまとめた情勢によれば、アメリカではすでに16歳未満で白人人口が初めて半分を割ったという。流入が急増するヒスパニックや黒人、アジア系に対し、白人人口が増えなかったためだ。アメリカでは1990年に75%だった白人の割合は2020年現在は60%に急減。たった30年で約20%も人種割合が低下したことになる。さらに2045年までに白人人口が半分を割るという推計がある。白人の出生率が2を切り続けて増えず、白人人口がゼロに向かい減っていく一方で、ヒスパニックとアジア系の流入がその穴を埋めているためである。アメリカの出生率は2を上回っているが、それはヒスパニックを中心に移民の出生率が高いためである。現在、アメリカは多民族国家だが、そのうち白人が減り、やがて黒人とヒスパニックだけの国になり、逆に多様性は少なくなっていく可能性が高い。
マジすげぇなって思う。
入社以来「いつかこの資格を取ってもらうからな」と言われて「仕事が忙しい」を理由に(実際マジで忙しかった)逃げてたんだけど、ここ一年ほどコロナ禍で仕事も減って、その言い訳が通じなくなってきた。
一昨日は1時間11分、昨日は3時間26分(在宅勤務時間を含む)、今日は1時間2分。
スゲー孤独。自分との戦いじゃん。勉強とか学生の頃からロクにしてなかったからさ、偏差値45の高卒だし。
そんでさ、スゲー出来る先輩に聞いたらさ、「結局みんな3年くらい毎日4時間勉強してたりするよ」とか言っててさ、ああもう人種が違うわーーーーーーー!!!
青春時代をインターネットの匿名掲示板に費やした私は16才の頃からネトウヨに嫌悪感を抱いていた。どんな話題ですら韓国や中国、その国民を誹謗中傷するための踏み台に利用し、それを指摘すればお決まりのように“在日認定”されることに飽き飽きしていた、というのは自分を冷静に捉えすぎた表現かもしれない。実際には、そういったネトウヨの一連の言動に遭遇する度に底知れぬ不快感が胸の底で淀んだ。
しかし自分を冷静に鑑みると、私は彼らに憤る資格があるような人間ではない。政治そのものには全く関心がなく、選挙権を得てから五年間一度も投票にいったことがないし、恥を忍んで言えばその仕組みに対する理解も曖昧である。かといって歴史に関しても知識すらなければ調べるだけの知的好奇心もない。当然何のポリシーも正義感も持たないし、街で政治的なデモや演説に出くわせば、“自分はまともな人間ですよ”という顔で素早くその横を通りすぎていく。では中国や韓国の文化等に興味があるのかと問われれば、ありていに言って全くの無知無関心である。
私のような浅い人間が、何故ネトウヨという人種をこれほどに嫌っているのだろう。自問すれば、答えを出すのに難くはなかった。私が底知れぬ程不快なのは彼らの主体性、客観性の無さである。おそらく彼らの殆どは中国人や韓国人に直接何かをされたどころか、その個人相手にまともなコミュニケーションを取ったことすら少ないだろう。“国家”という脆弱な概念に自己の全てを委ねて、虚偽に溢れたインターネットの見せる甘美な情報を一切の疑念を捨てて信用し、脳内で形成された完全に不均等の世界で溺れきっている。
私がネトウヨを憎むのは政治的ではなく人間的な理由ということだ。同じように流行りの深夜アニメだけを見て、猛虎弁を乱用しハイテンションでツイッター上のお仲間と同じやり取りを繰り返すキモオタや、未だに血液型で性格が決まると信じているアラサー女も心から嫌悪している。でも結局、考えれば私も彼らも同様に浅い人間なのだ。ただその純粋さが吐きたいくらいに煩わしい。
金がなくてブサイクでハゲあがってる男よりも旦那にぶら下がってヌクヌク生きてる専業主婦や社会的地位のある女性の方がポリコレ戦闘力は高くて、
白人(多数派人種)女性よりは黒人男性の方が更に上で、黒人女性は相乗効果でそれより若干上。
障害者とかは病名により高かったり低かったり。
多分そんな感じでできてる。
これは実際に現代社会で苦しんでる度合いとかとはあんまり関係なくて歴史の都合とかで弱者リストに入れたものだけが戦闘力を与えられる。
黄色人種は白人より戦闘力が高いから白人の真似事をすることは許されるが、黒人は黄色人種より更に戦闘力が高いので黒人の真似事は許されない。
善悪の概念は全て戦闘力の大小で判断されて、同じ行動でも属性によって被害者にも加害者にもなりえる。
異を唱えるものがいたとしたら理由を後付にしてとりあえず差別主義者として糾弾されるんだろう。
リベラルっていうのは、この弱者属性リストとポリコレ戦闘力の数値を丸暗記してる人間だと思ってる。
社会的には苦しんでいるはずの生まれが悪い低学歴低賃金労働者や無能はどれだけ苦しんでも弱者属性リストに入ってないのでリベラル様にすら見下され弱者にすらなれない。
世の女性たちは性犯罪リスクがあっても女子更衣室や女子トイレにトランス女性を入れるべきだし、女子スポーツの世界もトランス女性の参戦を受け入れるべきで、反発するものは差別主義者みたいな風潮。
自分は反発の声は当然だと思うけど、結局”女性”が”LGBT”に戦闘力でバトルして敗北したって話だよねーって。
話は変わるけど、何年か前に見たBBCの特番で日本のダッチワイフ工場を取材した女性リポーターが悲しんで涙を流していたんだよね。
当時見てた自分は「一体この人は誰の何に対して泣いてるんだろう」ってよくわからなかった。
ダッチワイフや性産業に頼らざるを得ない性的弱者な障害者とかもこういう”女性”に敗北して好きな人形でオナニーする権利すら奪われるんだろうなーって。
私は独身の一人暮らしで、勤務先が先進的な素晴らしい企業であるおかげで昨年4月よりずっと在宅勤務を続けている。
約10ヶ月の間、生活必需品の買い物と、朝夕の散歩を除いて外出せず、対面では全く他人と会話したことが無いが、全く苦痛を感じていない。
(仕事のオンライン会議やオンライン忘年会やオンライン帰省はしているが、オフラインの対面では感染を恐れて店員相手にも全く口を開いていない)
しかしこのコロナ禍に適応した「新しい生活様式」における対面コミュニケーションの欠如に耐えられない人間が多くいるようである。
これまで世間は我々のように日がな一日家でパソコンに向かっていても平気で過ごせる人間を引き籠もりだのアスペだのと病人や障害者扱いしてきた。
しかし、現在の環境では上記の記事に出てくるような対面コミュニケーションが無いことに苦痛を感じる人間こそ、環境に適応できない障害者と扱われるべきであろう。
これほんとそうおもう
日本じゃ無いけど海外じゃ下記のような事件もあったりするので頭の良さと関連付けたくは無いけど
(厳しい状況の時こそ安易に自由を制限する主張に対してはしっかりと声を上げなければならない)
下記の ツイート はフィレンツェでマスクをしていなかった男性が警察官に乱暴に逮捕される様子の動画
Florence Italy, a guy is savagely arrested for not supplying details after being caught without a mask.
The Police are off their heads in Italy, any force needed is acceptable. We are fighting evil here people, we must unite, as times nearly up.👊
https://twitter.com/riseupmelbourne/status/1323405372309164033?s=21
文責は無いので100%信じて良いかはわからないが、イタリアではマスクが都市部・大通りで義務化されてから(現在は全国で自宅以外は室外含めて義務化)、
マスク未着用者への些かやりすぎ感のある警察官の対応、逆にマスクルールを徹底させようという警察官へ対するの嫌がらせや暴行が多かったそうな
[The Local] Italian police report rise in attacks on officers enforcing mask rules
https://www.thelocal.it/20200827/covid-19-attacks-increase-on-italian-police-enforcing-mask-rules
まぁ9割は単なるアホだろなって思ってる
出た出た
付き合えない時点でツラと性格が壊滅的という偏見とレッテル張りでしか会話できないクズですよこれが
性格なんてむしろ壊滅的な奴の方が付き合ってること多いだろうがクソが
これが一度でも付き合ったことがあると、付き合ったことがある人間=人として優れているとかいう勘違いしちゃう。特に付き合ったことぐらいでしかマウントを取れない人種とかまさにそう。
ただただ環境に恵まれていただけだろうが。そんなことも自覚も考えも至らないクズどもマウントをされる苛立ちったらない。顔面に硫酸浴びてからもう一度人生やり直してお前のいう「中身」だけの魅力で生き抜いて見せてから言え。
なんでみんな男女の平均寿命について触れないんだろう
基本的に先進国では女性の寿命の方が長いけど、日本は特に長い(男女の差が大きいという意味で)
男性と比べ妊娠出産という「命がけ」のイベントを経験し、犯罪被害にも会いやすく、ジェンダーギャップ指数先進国中最低水準で
女性がめちゃくちゃ生き辛いはずの日本が女性自身の平均寿命も、男性との平均寿命差も世界トップクラスなのは何故なのか
もちろん長生きできてるので差別は無いはずだなんて言う気はないけど
文字通り「生き辛い」なら早く死んでいるはずなんだよね
平均寿命が全てじゃいけど、平均寿命って特定の属性の「生き辛さ」を顕すスゲー客観的な指標の一つだと思うんだよね
アメリカで黒人と白人の平均寿命差が縮まってるのも象徴的だよね
繰り返しになるけど、平均寿命差が大きいから女性差別がないって言うわけじゃないよ
別に日本の平均寿命差の原因が「日本人男性がクソ雑魚過ぎてイージーモードのくせにハードモードの女性より早く死ぬ」ってのが答えでもいいんだよ
でも、平均寿命を無視して男女差別について語ってるの見ると、本当に肝心な部分に触れないで議論が進んでいくような気がするんだよな
いい加減みんな気づいてるだろ・・・?
自分に正直になろうや
差別をなくすなんて土台無理な話なんだよ
女は男と比較して生産性低いし、人種によって頭の出来は違うし、老人は若者に対して身体能力や脳の機能が劣るよ
無能・ブサイク・ハゲ・チビ・臭い奴は気持ち悪いから同じ空間にいたくないし
この中の誰かを救っても、じゃあなんであいつは救わないんだってなるし、結局誰かが割を食わなきゃならない
もうすべての差別を許容しようぜ
差別しちゃいけないなんて一体誰が言ったんだ
誰も言ってないぞ
学歴差別は普通にしてて恥じることすらないと調査で明らかになってる
自分はちがうとしても誰一人として周りのインテリ差別主義者を告発したりしないんだよな
もちろん女性、人種、民族、宗教とかの差別問題については積極的なのに
一体なんでかなぁw
なんでだと思う?
人種によって抱き心地割と違うんだよな
整理したくなっただけなので、そんなこと皆わかっとるわいと思うかもだけど勘弁してね。
ある属性・集団の人間に対して、その属性であることを理由に不当な扱いをすれば差別である。
ある属性・集団の人間に対する偏見を語ることは、その偏見を持たない人からすると白い目で見られる。
例)男は××、老人は××、最近の若いのは××、関西の人は××、東京もんは××、金持ちのボンボンは××、貧乏人は××、高卒は××、院卒は××
偏見を語る対象の属性・集団が被差別を受けている実情・過去がある・被差別属性である
という社会的合意がある場合は社会的に糾弾される。差別的言動であり、差別意識が表出したと見られる。
例)女は××、○○人種は××、etc(あまり具体例だしすぎるのもよくないので)
上記において、その偏見を語る話者が制度を決定する、人を雇用する、採用するなどの権力者の位置に近い場合、
差別意識があるということはその意識が実際の人間・集団に対する意思決定に影響させたと見なされる場合がある。
・一切外部に表出しなくとも、差別意識を内心に持つ時点で差別者であると認識する人
・立場のある人間が差別意識を表出するのは具体的差別に限りなく近い、すなわち差別であると認識する人
・具体的・実際的な差別のみが差別であり、内心の偏見・差別意識の表出は差別そのものではないと認識する人
・その上で、だから表出して良いと認識する人と、表出すべきでないと認識する人
・差別と呼ばれるものは正当な評価であり、糾弾されるようなことではないと認識する人
ぐらいに分かれるのかな?当然グラデーションはあるとして。
でもさあ私スポーツあんまり興味ないし今のコロナにまつわるJOCの姿勢に納得できたこといっこもないし森元ほんと擁護できるとこいっこもねえけどさあ
けど大河の「いだてん」は好きだったんだよ
金栗のさあ国の威信とかどうでもいいとこでただ走りたくて走る喜びとかさあ
良妻賢母になるために女学校に行った子達がはじめて砲丸投げるときにくそったれーー!って言ったとことかさあ
オリムピックは平和の祭典なんだよ!からだひとつでスポーツで競いあうんだ!って話とかさあ
身体を動かす、ってことのそもそもの喜びみたいな奴が根本にあってさ
私は運動嫌いだけど、ああ、いいな、こういう風に思ってみんな打ち込んできたんだな、って思えたんだよ
そんなキレイキレイなスポーツ最高~みたいな話では全然なかったし
むしろ政治も金も戦争も国の面子もどんどん入り込んでくるのが露悪的なくらい克明だった
前半の主人公の金栗はただなんとなく走ってたのが
走ることに意味を与えられた瞬間私は日本を背負ってるんです!みたいなこといい始めて
他の選手たちもどんどん追い詰められて徴兵されて国の面子とか背負わされて女であることに苦しんで疲弊して
オリンピックがどんどん利権になっていくようすがこれでもかこれでもかって描かれて
でもさあそれもこれもひっくるめた根本のとこでスポーツの喜びみたいなさあ
音楽でいうならただ歌をうたう喜びみたいに
いまある有形無形の圧力や差別や憎しみに抗うことができるんだみたいなさあ
なんかさあ
そういうもんがあるんだと
そういうスポーツ讃歌なんだと思ったんだよ
それをいだてんは描いてくれてたと思うんだよ
はーーーなんであんなこというのかな。
悲しい。
私がいだてんというドラマから受け取ったメッセージが踏みにじられたようで悲しい。
なんかよくわからんが今書きながら涙ぐんでいる。