はてなキーワード: 人種とは
社会が求めるのは優生思想の観点から見て欠陥のない人間である事はもはや動かない。
頭だけはいいが尊大型ASDの人格破綻者を追い出したら業績も会社の雰囲気も良くなったnoteなんか典型だし、リスク回避型社会では結婚相手にも遺伝的に欠陥のない事が暗に求められ、精神疾患や発達障害は余程条件が良くない限りアウト。
じゃあデザインベビーの研究推し進めて欠陥のない子供を産み出す技術を追い求め、人種改良を進めて誰もが健康な子供を授かる確信を得られる社会を作るのが筋なんじゃねえの?
46歳手帳持ち年収390万独身全裸男性としては、自然な意味での我が子でなくとも、自分の欠点を受け継がず美点を掻き集めて生まれて来る我が子なら相手も結婚に同意してくれるだろうかと虚しい期待を抱いて今日も満員電車に乗るよ
素顔が分かりにくいということで、何かと買い物がしやすくなった側面がある。
例えば、ガチャポンが大量にあるようなコーナーに行きやすくなった。
別におっさんが行っても問題は無いのだが、家族連れや女の子が多いところだと肩身が狭いという思いをした人もいるだろう。
だが、マスクつきなら素顔が晒されないということで、じっくりと吟味が出来る。
おっさんがガチャポンを買うなんて恥ずかしい…というのは、自らが抱く幻想かもしれないが、その恥ずかしさを打ち消す効果がマスクにはあるのだ。
例えば、マスクが当たり前の世界なら、おっさん一人でディズニーランドだって行けるのである。
マスクが恥ずかしさを打ち消してくれるのだ!
マスクが恥ずかしさを打ち消してくれるのだ!
個人が受ける印象は解釈論でしかないからどうでもいいが、批判と中傷の違いはわかっているか?
批判は対象の良いところと悪いところを分けて、検討を加えて評価する事。つまり物が対象。
中傷は根拠のない事を言いふらして、他人の名誉を傷つける事。つまり人が対象。
敬意の有無は関係ない。例えば丁寧な物言いだったとしても、人の名誉を傷つける発言だったらそれは中傷になる。
歌は人じゃない。だから歌には人種もないし、何かの宗教に入ってるなんてこともない。まぁ当たり前だわな。だから歌に対する批判は批判でしかない。歌手に対する批判は、名誉毀損すれば中傷だ。
発言っていうのは基本的に自我の延長線上に存在するわけだが、今はメディアが発達しすぎて容易に発信できる。これが一番の理由。
発信する前に発言内容を一考すれば良いだけの話だが、多分不可能だ。職場に必ず嫌なやつが一人いるのと一緒だ。みんなそれが出来てりゃ日本の自殺率はもっと低い。
君に出来る事は、異常発達したメディアと距離をとって、それらが自分とは別の存在だという事を認識する事だ。
実際彼らは自分と今後顔すら合わせない他人だ。スピーカーから出る音が耳障りだと思ったときには、スピーカーから距離を取るといい。
朝起きると、障子の隙間から雪が舞っていた。またお前か。もうお前の顔は見たくない。叱りつける様に、障子をピシャリと閉めたい衝動に駆られるが、布団から抜け出す気力がない。
そうはいっても、仕事である。雪に備えて、目覚ましはだいぶ早くにセットしてある。布団から出て、長靴を履いて、車に積もった雪を落としにいく。道路が混むから、早くに家を出ないといけない。気忙しく身支度を整える。鬱屈とした心情とは裏腹に、自分の行動は手馴れ、随分と雪国に調教されたものである。そんな自分に、どこかで嫌気が差す。
車を走らせながら、私は、1月前半の大雪と、その時に出会ったある女のことを思い返していた。
1月の3連休は、ひたすら雪をかいた。前半は家の周りの雪かき、そして後半は除雪のための休日出勤である。集中除雪を行うため、対象の道路を一時通行止めにする。信号や曲がり角に人が立ち、入ってこようとする車を迂回させる。そういった作業である。
車のいなくなった道路に除雪車が流れ込み、集中除雪が始まった。作業が順調に進んでいるその時、女は家の前で喚いていた。70歳くらいの女であった。最初は、ぶつぶつと何を言っているのか分からなかったが、どうやら、せっかくきれいに除雪した自分の家の前が再び汚くなったことに腹を立てているようである。家の前の除雪を常に完璧にしておかないと気のすまない人間は少なからずいて、女もどうやらその人種であった。そのまま聞き流しておければよかったのだが、どうやら、怒りの標的は近くに立っている私にも向けられているようである。いつまでも背中を向けているわけにもいかない。
「すみません」振り返ってそう言ったが、そんな言葉では済みませんとばかり、女はさらに喚いた。除雪に来るのが遅い、今までなにをやっていたんだと怒りは違う方向へと広がっていった。「ご迷惑をおかけしています」そう言ったが、焼け石に水である。迷惑だ、本当に迷惑だと叫ぶ。焼け石に水ではなく、火に油を注いでしまったか。
このままでは埒が明かないと踵を返す。女はまだぶつぶつと何かを言っていたが、念仏だと思うことにする。思うことにしたかったが、途中でインパクトのある言葉が耳を衝いた。「あんたらは、雪が降って、じゃぶじゃぶのくせに」そう聞こえた。
「じゃぶじゃぶ」とは何だ?一瞬だけ思案するが、すぐに合点がいった。ああ、金か。雪が降って、除雪をすれば、金が「じゃぶじゃぶ」に入ると。そういう意味か。
たしかに、今回の出動により、懐には金が入る。じゃぶじゃぶという程には多くないが、金は入る。そのことも、女には気に食わなかったのだろうか。労働の対価がなぜ断罪されるのかはよく分からなかったが、自分はただで雪をかいている、お前らは儲けている。そんな意識なのだろうかと思った。さすがに、もう振り返る気は起きない。除雪車に向かって、「雪はこの家の前に捨ててください」と叫びたい衝動に駆られたが、心にとどめておく。ここで黙っておけば、後はじゃぶじゃぶ。後はじゃぶじゃぶ。
何だか、女を極悪人のように書き立ててしまったが、女の名誉のために言えば、こういうやり取りはどこにでも溢れている。雪国は陰湿で、鬱屈としている。除雪が遅い、怠慢だ。なぜ自分の地区には除雪が来ないのか。まだ雪が残っているではないか。道路だけでなく、家の前もついでに除雪してくれ。思い返したくはないが、思い返せばきりがない。迂回の指示に従わない者もおり、除雪車の間をすり抜けていく。急いでいるだとか、この先に家があるだとか、そんな言葉を吐き捨てていった。もちろん、感謝をされることもあるにはあったが、割合としては少なく、感謝をされると比喩でなく後光が差して見えた。
あえて雪国の名誉のために言えば、久方ぶりの大雪で、町全体が苛立っていた。雪をかけどもかけどもまた雪。怒りと雪のやり場がない。そんな状態であったから、女の物言いにそこまで怒りを覚えることはなかった。むしろ、「じゃぶじゃぶ」とは凄い言葉を口にするものだ、と感心した。そんなことに感心するのはおかしいが、感心した。
雪国とは陰湿である。東京で雪が降ると、なぜか嬉々とする人間がいる。あんなに少ない雪ですっ転んで、騒ぎ立てて馬鹿みたいだと罵る。馬鹿はどちらだ。そういうところである。こんな場所に、こんなことを書き込む人間がいる。そういうところである。己の陰湿さを呪えど、長年染みついたものはなかなか取れない。こういうことを繰り返して生きていくしかないのだろうか、と思う。人生は気の持ちようだという人もいるのかもしれない。しかし、大雪であり、コロナである。正直、気の持ち方が見つからない。
夜になって、また雪が強まってきた。雪の降る夜は雪明りで随分と明るい。しかし、心はどこまでも昏い。
相手に物を教えるときに、その日のうちに1から10まで説明して
補足をたくさんしたら、相手は覚えられると思うか?
物の量にもよるが、大抵は頭パンクする。
「俺は頭が良い」と思っている奴ほど、説明が異常に長いんだ。
説明が長すぎて、聞いているうちに「こいつ何が言いたいんだ?」と混乱してくる。
自信満々に語りたいだけだろうが、ついてくるのはお前と同じ人種だけだ。
大抵は「話なげー、早く終われ」って思ってるぞ。
新型コロナウイルスの影響で孤独問題が深まっていることなどを挙げ、首相に「孤独担当相」を設置する必要性をただした。首相は「まず、今ある組織でも孤独問題に対応する組織はあり、どのような状況にあるかを早急に調べたい」と応じたが、伊藤氏がさらに「今はどの閣僚が担当なのか」とたずねると、首相は「厚労相」と回答した。
事前の根回しはなかったようで、田村氏は「えっ」と驚きの声を上げた。
自分は人生の大半の時間を一人で過ごしてるから、別に孤独であることに何の苦痛も感じないし、むしろ、心平穏に過ごせて快適だと思っているのだけど、世間ではそうではないのか。。
そういえば、毎日会食しないと生きていけない人種も居ると聞いたが、彼らは孤独であることに耐えられないタイプなんだろうか。。
スポーツにおいてトランス女性を女性枠に入れるべきかどうかっての、そもそも男女で分けるところの妥当性ってどうなってんだろね。くさるほど議論されてるんだろうけど。男女で分けるなら人種でも分けるべきなんじゃね?アジア人が体格で白人や黒人に伍していけるわけないじゃん。
白人の身長が今より10cmくらい小さかったら、奴らは黒人のスポーツ参加をしばらく認めなかっただろうし、その後認めたとしても別枠にしてたんじゃないかな。正当な区別とかなんとか言って。
一部の好事家に快楽を与えることと引き換えに対価を得ることを生業としていて、その商売のためなら社会に損害を与えることを厭わないもんね。
常連客になればなるほど周りを巻き込んで人生が破滅に向かうリスクが高まることを分かっていて通い詰める連中に対して、ニコニコした顔で破滅への片道切符を差し出し、その渦中で自分こそがまさに最も破滅的な結末に向かっていくことを知りながらも辞められない。
金が、生活が、自分にはこれしか、今まで積み上げたものが、そういった言い訳を積み上げては、他の職業で真っ当にお金を稼ぐ道を頑なに拒否し続けている姿なんてまさにそのものだよ。
客も自分もそれぞれの身内もまとめて人生終わっていいし、社会だって丸ごと巻き込んだって差し支えないんだよね?
目先の承認と利益のためなら、全てを差し出せるなんて「カッコイイ」よね。
そうだよね、そういうのが「カッコイイ」んだよね。
ごめん。
言い過ぎた。
忘れもしない高校2年の春、人生の転機となる出会いがありました。シンガポールへ家族旅行に行った時に、偶然出会った現地の日本人起業家です。緊張で何を言われたのか覚えていませんが、世界で事業を興す楽しさについて語りかけられた時、全身に鳥肌が立ったことを覚えています。心が震えて、その日の夜、一睡も出来ませんでした。
帰国すると、「世界で事業を作りたい」という想いを止められず、高校に行くのをやめて、海外に出ることを決めました。同時に、学校に自分の居場所を見つけられず、そのプレッシャーから逃げたかったのだと思います。英語圏で物価が安く、日本人がいなさそうな場所を探して、フィリピンのダバオという町を見つけ、ここに住むことを決めました
その後、2017年に事業作りの拠点を探してシンガポール、カンボジア、タイを周り、マレーシアを選びました。
東南アジアの英語圏で、シンガポール・香港は既に成熟して物価も高い。それに比べてマレーシアはまだ発展途上ですが着実に成長している、かつ様々な人種・宗教が入り混じる多国籍国家に魅力を感じました。
また、高校もろくに通っていないような自分が普通の正攻法を辿っても、大きな結果は生み出せないだろうと思いました。これから伸びる、成功例のまだ少ない場所から勝負する必要があった私にとってマレーシアは最良な国に思えました。
マレーシアの首都クアラルンプールに降り立ち、電車に乗ると、顔にターバンの様な布を巻いた人(ヒジャブと言います)に溢れており、中国語やヒンドゥー語、英語が飛び交うまさに異国の地でした。
こんな場所で本当に事業は興せるのか、不安でしたが、やれるという根拠のない自信だけはありました。
とはいえ、右も左も分からない状況だったので、現地で結果を出している起業家の元で働き、事業の作り方を学びたいと思い、気になった企業へ手当たり次第メール/電話をしてみることにしました。
https://imperial.instructure.com/courses/15737/pages/123movies-watch-minari-online-2021-full-hd
https://imperial.instructure.com/courses/15737/pages/watch-minari-2021-f-dot-u-l-dot-l
https://imperial.instructure.com/courses/15737/pages/watch-the-little-things-2021-full
格安SIMなんかが出てくるずっと前から日本通信とかが出してたb-mobileだのAirH"だののCFカードをノートPCに挿してユビキタス社会を夢想してた人種のはずだよな
バイデン大統領、政府の資金援助を受けている学校は、トランス女性を女子スポーツや女子奨学金などに受け入れろとの大統領令に署名 - Togetter https://togetter.com/li/1656939
こいつぁひでえや。
「この前の最高裁判決で性差別の解釈が変わった(性的マイノリティへの差別も性差別に含まれるようになった)ので、関連する法令とかプログラムとか洗いなおして、新しい解釈と合わないのが見つかったら修正しといて。よろしく」
今回の大統領令の根幹をなす米最高裁のランドマークケース。公民権法における性差別の解釈が更新された。
ジェラルド・ボストック氏はジョージア州アトランタがクレイトン郡、少年裁判所にて“good performance records”を10年間とり続ける優秀な職員であった。しかし2013年にゲイ・ソフトボールリーグに参加したのち、管理している資金の浪費が激しい(横領とかではない。念のため)という理由で「職員として不適格」として解雇されることとなる。
ボストック氏は資金の浪費など言い訳で、本当は同性愛者だからクビにしたのだろう、と元職場を訴えるが、下級裁判所では「同性愛差別による解雇は法律で禁じられていないためOK」として敗訴。(※1)
それでも彼はめげず。最終的に類似の訴訟2つ(1つは性的指向、もう1つはトランスジェンダー関連)と合体して最高裁判所まで持ち込まれることとなった。
そして最高裁。公民権法タイトルVIIの「人種、肌の色、宗教、性別、妊娠、または出身国に基づく労働環境上の差別の禁止」について、“性別に基づく差別”が女性差別or男性差別の二択だけでなく、性的指向や性自認に基づく差別も含まれるという判決が賛成多数(6-3)で下された。
ちなみに多数派意見を上奏したニール・ゴーサッチ判事はトランプ前大統領に指名された人物だったためそれなりに話題になった。
※1: 州ごとに違う。ジョージア州には同性愛者差別から労働者を保護する法は無い。アメリカ全土に適用される連邦法では「人種、肌の色、宗教、性別、妊娠、または出身国に基づく労働環境上の差別」は禁じられているがそこに性的指向は含まれていない(いなかった)。ちなみに「法律で禁じられていないならやってヨシ!」がアメリカという国である。
Bostock v. Clayton Countyは公民権法タイトルVIIに関する判決だけど、此度の大統領令ではこれが他の差別禁止法における性差別の解釈にも連鎖的に波及するものと認定した。“性差別”の定義を一貫させるのだ。
大統領令で具体的に触れている法律は教育修正法タイトルIX、公正住宅取引法、移民及び国籍法セクション412。雇用や解雇の時のゲイ差別は性差別で違法だけど、家買う時のゲイ差別は性差別じゃないから合法ね、なんてナンセンスという判断。
そして様々な関連する法や規則、ポリシーやプログラムなどがこれらの法律を参照して制定あるいは実行されており、その参照元に変更があれば修正の必要も出てくる。
此度の大統領令では、各連邦機関の長に対して各種チェック後その修正もやるように要請しているわけだ。
こりゃ「我々はトランプとは違う」ってアピールだね。他の大統領令でも似たような意図を感じる。
トランプの大統領令は、法や判例ガン無視して乱発してたもんだ。大統領令を裁判所が止めてたのは記憶に新しかろう。
それに比べて此度の大統領令はえらい穏当。最高裁判決を下敷きに、それを無理のないレベルで拡張する内容。「横紙破りはしませんよ。法や裁判所を我々は尊重しています」というメッセージがひしひしと伝わってくる。
まあその分パワーは小さい。悪意的に言えば“パフォーマンス”なんだが、私は評価したい。
大統領令では特にスポーツについての言及はない。一応、話の枕で一回だけsportsという単語を使っているがそれだけ。
では「バイデン大統領、政府の資金援助を受けている学校は、トランス女性を女子スポーツや女子奨学金などに受け入れろとの大統領令」はどこから出てきた話なのか。
おそらく教育修正法タイトルIXである。教育修正法タイトルIXには「米国内のいかなる人物も、性別に基づいて、連邦政府の財政援助を受けている教育プログラムまたは活動への参加から除外される、給付金の支払いを拒否される、あるいは差別的な扱いをされることがあってはならない」とある(※2)。
これがトランスジェンダーにも適用されれば、まあご懸念の事態が絶対に起こらないとは言えない。だがはっきり言ってナンセンス。
断っておくが、女子スポーツにおけるトランス女性の問題を軽視しているわけではない。一つの重要な議論として認識している。
しかし非常に包括的かつ広範囲に及びしかし最高裁判例に準拠したこの大統領令をその一点のみの話に矮小化するのは余りにもナンセンス。しかも直接の言及すらなく「そういうことが起こる可能性もないとは言えない」レベルの話である。
さらに言えばこの大統領令があってもなくても、最高裁判決がある以上遅かれ早かれ起こること(※3)。大統領令は言ってしまえば“念押し”でしかない。である以上「大統領令のせいで女子スポーツが云々」というのはやはりナンセンスと言う外ない。
※2:もちろん、十分な合理性があれば別。例えば公費で子宮頸がん検診をするさい、対象者を女生徒に限定しても差別にはならない。子宮を温存しているトランス男性がいれば、彼が検診を受ける権利はあるが。
※3:タイトルIXの“性差別”がタイトルVIIのそれに準拠するという判断は過去になされているし、トランスジェンダー差別に限定すれば“性差別”に含まれるという下級裁判所レベルでの判決がある。今は最高裁判例がある以上、大統領令が無くても訴えられたら敗けて解釈変更となろう。
トランス女性(MtF, male to female)は何故女子チームに入ってはダメなのか?それは偏に肉体的アドバンテージにある。トランス男性(FtM, female to male)が男性チームに入る分には問題視されない(ホルモン投与を受けている場合は別)。だってアドバンテージないから。
トランスジェンダー or notではなく、不当にマッチョ or notである。
それに生まれも育ちも女性だけどアンドロゲン過剰症でめっちゃ強い人もいるわけでな。ことはトランスジェンダーだけで済みはしない。
「○○は××だから問題だ」という時、まずは××の解決を模索するべきで、○○を排除して問題をナイナイするべきではない。それが「○○と△△は××だから問題だ」なら尚更。○○だけ排除しようとするなら勘繰られる。
特定の人々に身体的アドバンテージがあるなら、その代理指標を用いたレギュレーションを作ればいいのだ。いや既にある。テストステロン値による制限が。まだ完ぺきじゃないけど。
じゃあ残る問題が何かっていうとそのレギュレーションが州どころか学校単位でバラバラなこと。まったく制限がなく参加できる州/学校もあれば、出生時性別で判断される州/学校、ホルモン治療などでテストステロン値を下げなければ参加できない州/学校もある。
全米大学体育協会(NCAA)とその加盟大学では、トランス女性が最低1年間のテストステロン抑制治療を完遂していることを女性チームで参加する条件としている。ちなみにホルモン治療をしていない(テストステロンの投与を受けていない)トランス男性(FtM)は男女どちらとしても参加してヨシ。
つまり今後の課題は統一ルールの制定。難しいだろうが頑張ってほしい(無責任)
先述した通り、トランス女性の女子スポーツへの参加が問題になるのは、彼女らに身体能力上のアドバンテージがあるからだ。しばしばそこには“不当な”あるいは“不公平な”という形容詞がつく。
しかし、上でも少し触れたが、それはトランス女性に限定されたものではない。
アンドロゲン過剰症(※4)という症候群が存在し、これの発現者も身体能力上のアドバンテージを(女性の中では)持つと言われている。ちなみに国際シーンではむしろこっちの方が議論されている。まあ結果出しちゃってるし。
そういうわけでいくつかの国際組織では既にレギュレーションが敷かれている。
(例)
国際オリンピック委員会(IOC):競技の少なくとも4年以上前から女性であり、競技前12カ月間の血中テストステロン濃度が10 nmol/Lを超えていないこと。(ちなみにこれは2015年に設定したもので、↓のIAAF基準に合わせて5 nmol/L未満に変えようという話もある。東京オリンピックの後に新ガイドライン出すらしいが……)
ワールドアスレティックス(国際陸連;IAAF):血中テストステロン濃度が5 nmol/L未満であること。ただし、適用対象はXY型性分化障害および/または睾丸をもつ女性に限定。トランス女性に対する規定はまだない。(※5)
自分の意志で性転換したトランスジェンダーと先天性疾患のアンドロゲン過剰症を同じ扱いでいいのか?競技に参加したければ副作用のある薬を飲み続けろというのはアリなのか?“才能”と“異常”の線引きはどこですればいい?そもそも血中テストステロンは適切な指標なのか?etc.
しかしその困難を厭って、安易に特定の属性を切り捨てるのはいかがなものか。女性はかつて“切り捨てられる性”であった。そのことを思い出してトランスジェンダーとも向き合って欲しい。
※4:アンドロゲンは男性ホルモンとも呼ばれる内分泌物質のカテゴリ。テストステロンも含む。これが様々な理由で(女性としては)過剰に分泌されるのがアンドロゲン過剰症である。先天性疾患や腫瘍などで引き起こされ、生殖年齢の女性の5~10%がこの症状を呈するとも言われている。
いくつか例を挙げると…
5α-還元酵素欠損症:主に外性器の発達に異常が生じる。程度の差があるが、精巣および陰茎(一部)が体内に陥入し女性器に類似した形をとることがあり(pseudovaginal perineoscrotal hypospadiasというらしい。機械翻訳で
偽膣周囲陰茎下垂体。なんとなく意味わかるっしょ)、その場合、女性として育てられることが多い。世界陸上金メダリストのキャスター・セメンヤ選手が有名。ちなみに氏は金メダルのはく奪こそなかったものの、IAAFの現規則により大会への出場が制限されている。
部分型アンドロゲン不応症:アンドロゲン受容体に変異があり、アンドロゲンを不完全に受容することで性分化に異常が生じる。表現型は様々だが女性寄りの場合、極めて小さい陰茎および体内に停留した精巣、陰嚢のある辺りが陥入して女性器様になるなど、出生時に女性として判断されやすい。ちなみに完全型アンドロゲン不応症というのもあり、アンドロゲンを完全に受容できないため、不妊(不完全な精巣が体内にある)以外は正常な女性と区別がつかない(でも血中テストステロン値は高い)。
※5:2019年(だったかな?)の会談では言及している。トランスジェンダーの女性を女性のカテゴリーに含めることは、それが許容し得ない不公平を生み出さないという条件であれば、適格な資格基準下で促進されるべき。血中テストステロン濃度を基準に使用するなら、5 nmol/L以下の固定しきい値を採用する必要がある。等
アメリカにきたらいっしょくたに黒人として差別されるのはわかるけど、差別してくる奴や社会の一部分が井の中の蛙な馬鹿なクソヤロウだと体験で知ってるのと、渦中にしか居たことがなくて、家族共々被差別の鬱陶しい記憶や代々の社会的扱いを背負いこんでるのではかなり違うんじゃないだろうか?
で、有能だったり著名であったりで社会からの信用がある人間も数多く含んだ人種というカテゴリーの成功譚をKKOが倣うとして、どの辺りをどのように参考にするのかな?