2021-02-06

森元首相発言から考える差別認識の切り分け

森元首相発言きっかけなのであんまり関係ない。

整理したくなっただけなので、そんなこと皆わかっとるわいと思うかもだけど勘弁してね。

 

ある属性集団人間に対して、その属性であることを理由に不当な扱いをすれば差別である

具体的・実際的差別基本的には自明

 

ある属性集団人間に対する偏見を語ることは、その偏見を持たない人からすると白い目で見られる。

が、社会的糾弾されるようなことではない?

例)男は××、老人は××、最近若いのは××、関西の人は××、東京もんは××、金持ちボンボンは××、貧乏人は××、高卒は××、院卒は××

 

偏見を語る対象属性集団被差別を受けている実情・過去がある・被差別属性である

という社会的合意がある場合社会的糾弾される。差別言動であり、差別意識が表出したと見られる。

が、これは直接的な差別ではない?差別のもの

例)女は××、○○人種は××、etc(あまり具体例だしすぎるのもよくないので)

 

上記において、その偏見を語る話者制度を決定する、人を雇用する、採用するなどの権力者位置に近い場合

差別意識があるということはその意識が実際の人間集団に対する意思決定に影響させたと見なされる場合がある。

 

まり差別認識としては

・一切外部に表出しなくとも、差別意識を内心に持つ時点で差別である認識する人

差別意識を表出した時点で差別である認識する人

立場のある人間差別意識を表出するのは具体的差別に限りなく近い、すなわち差別である認識する人

・具体的・実際的差別のみが差別であり、内心の偏見差別意識の表出は差別のものではないと認識する人

・その上で、だから表出して良いと認識する人と、表出すべきでないと認識する人

差別と呼ばれるものは正当な評価であり、糾弾されるようなことではないと認識する人

ぐらいに分かれるのかな?当然グラデーションはあるとして。

 

今回は森元首相個人キャラクターは置いておいても、認識の違いが出やすいということかもしれない。

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