はてなキーワード: インディーズとは
自転車操業が破綻してやばいことになってる人とそれに巻き込まれた被害者の話を見かけて、私もグッズで破産しかけたことがあったので増田に書き捨てることにした。
数年前まで私はガチめのグッズ厨だった。推しのグッズがでる度にはしゃいで買い求める、典型的なグッズ厨だった。
コラボイベントがある度に会社を休んで初日始発に店舗に向かい、推しが出るまでランダムグッズを買い漁り、新商品が出る度にアニメイトに箱で予約しにいき、ついでにおみくじ感覚で陳列されているトレーディング缶バッジなどを買う女だった。
そんな生活を過ごしてたら当たり前だが普通に破綻したので、この記事でグッズ集めるの辞めたいな。とかグッズ買うの止められない。 なんて思ってる人の参考になれば身を滅ぼした甲斐があるので嬉しい。
今でもこのジャンルは好きなのとやめ方が酷いのでジャンルについては敢えて伏せるが、多分読んでく内にあーあそこのジャンルね。と分かってしまうかもしれない。その時はそっと心の中に閉まってくれると嬉しい。
あとグッズを集めている人からしたら信じられないような最低な手段を用いてるのでそれだけを踏まえて読み進めてほしい。
十数年前に流行った作品の周年企画でトレーディンググッズを買ったことだと思う。
それまで缶バッジすら出ないようなジャンルや作品にしかハマったことが無かったので、初めてトレーディングに手を出した。
結果、推しがでた。
と言っても記念グッズなのでこれ以上グッズが出ることもなかったのでこの時点では問題なく終わった。
今まで商業的に成功してなかったり商業化すらされてないインディーズな作品など、いわゆるマイナーな作品にしかハマってなかったのが、ある日当時大人気だった作品のキャラにハマってしまった。
右を見ても左を見ても作品のグッズで溢れかえり、コラボイベントやコラボグッズがどんどん決まっていく。
こんなことは初めてだったので、このビッグウェーブに乗らなければと思い、ナンジャタウンでコラボイベントをやると聞きつけ初日に始発で参加した。
人生で初めて推しの名前があるメニューを頼み推しのブロマイドを貰い、推しのグッズを手に入れた。
さらにアニメイトカフェなるものもやると聞き、急いで会員登録をしてアニメイトカフェに応募した。当選した。
この時点でもうダメだった気がするけど、アニメイトカフェに行った後、さらに他のイベントで限定グッズを売るらしいことを知り、他の店でコラボイベントをやるらしいことも知った。
これらに全て参加し、上限まで購入したランダムグッズ全てに推しが出たりしてる間に、いつのまにか立派なグッズ厨が出来上がっていった。
・レート文化
何が出るかわからないランダム性のグッズをよく買う人はみんな知ってると思うけど、キャラによってレート差がかなりある。
期間限定販売のグッズなどはだいたい上限が決まっており、推しがでなくても追加で購入できない。そうなるとレート差はかなり深刻な問題になってしまう。
自分の推しもだんだんレートが高くなっていったので、交換ではなかなか手に入らなくなってしまった。
ただ上限が6個まででも推しが2個はでるような運を持っていたので、自引きが一番手っ取り早く確実に推しをゲットできる方法だった。
当時はめちゃくちゃラッキーな上に推しに愛されてるじゃんハッピー。などと思っていたけど、結果的に見れば買えば出るという成功体験が積み重なって、よりグッズにのめり込む要因となってしまったと思う。
・痛バ文化
痛バという文化は正直馴染みが無かったのだけど、池袋を歩けば何かしらの痛バをいっぱい見かけるので抵抗感はなかった。
それと公式で行われるイベントで痛バを持っていると反応してくれるケースが何度か起きたのだ。
ここまでされたので勿論作った。持って歩くだけでめちゃくちゃ楽しかった。
あと交換の時に説明が省けて楽だった。
色んな理由で痛バ作りにハマり、そうするとますますグッズが欲しくなる。
・やばいと気づいた辺り
人気作品だったので毎日新しいグッズがアニメイトに並び、毎週何かしらのコラボが発表される、それらのグッズを全部BOXで買っていたので、毎月最低10万円以上は確実にグッズに使っていたと思う。イベントで九州や関西に行ったりもしたのでもっと使ってたかも。怖くて記憶を封印している。
お金持ちだったら良かったが田舎から就職を機に上京してきて日々働いてるだけの人間にそんなに金はない。
なのでこんな生活を長く続けていると、当然目に見えて貯金が減っていく。
お金は減るが、一人暮らしのワンルームの部屋にはグッズが溢れ返り、表紙を飾ったり特集が組まれた雑誌が積み上がっていく。
ある日急に実家に帰る用事ができ貯金を確認したら、旅費分がこの貯金から無くなるのは痛い。と咄嗟に思ってしまった。たいした額ではないのにだ。ここらへんでようやく「もしかして買い物依存症では?」と危機感を抱いた。
しかしそれでも推しのグッズがほしい気持ちが強かったので辞めよう。という気にあんまりならなかった。
今振り返るとだいぶやばい。
・グッズ厨をやめる初めの一歩
推しのグッズはいっぱいあるといっぱい嬉しい!という気持ちはそのままだったが、物欲は無限でもお金は有限だったのでどうにかせねばならなかった。
とりあえずまず買うグッズを絞ろうと考えた。
その頃はらしんばんやkブ等で、情報を取りこぼして買えなかったグッズをこまめにチェックしていたため、アニメイト等の全国の店舗で売ってるトレーディンググッズや、ネット販売をしていたり、何度もコラボする店のグッズは値崩れしやすく定価より安くなりがちなことを学んでいた。まずそこを買うのはやめようと決める。
トレーディングで推しが手に入るか分からなくても、どうせ半年経てば定価以下で店に並ぶ。その時好きなだけ回収したらいい。今はこらえよう。
都内でしかも期間限定のグッズはあんまり再販しないから後々手に入り辛い。
みたいな色んな人の反感を買いまくる取捨選択の仕方で買うグッズや参加するイベントを色々選んでいった。人気作品だからできた酷いやり方だと思う。
その当時は自業自得で破産しかけるのをなんとかするのに必死だったため許してほしい。
・好きな絵柄のみを買う。
後々手に入りにくいグッズだけを買うと決めても、作品が本当に人気があったのでそれでもグッズは買いきれないくらい出てきた。
ひどい時は同じ日に別々の場所で期間限定のコラボが何個も重なっていた。
今までは相互代行などで手に入れていたがそれをやめようと思ったのだ。
なので、自分の中でのピンとくる推しの絵柄だけを買うことに決めたのだ。
グッズは基本的に原作絵のままだったので、推しちゃんどれもこれも可愛い〜!となり全部欲しくなったからだ。
デフォルメ絵のグッズを買うのを辞めるようになったくらいである。
予約商品をBox購入する時にツイッターで枠を譲る文化があることを知ってる人は多いはず。グッズ厨をやる上で利用したことがない人も少ないと思う。
私も勿論利用していた。しかしお金がどんどん消えていく中で未清算の取引がいくつも残っているのはリスクがでかすぎる。
余裕が少しでもあれば間違いなくグッズに使う。と自覚していたのと、いざ取引の時までにお金があるか分からない。という危機感があったので、予定を前倒して支払える取引は即座に支払い、まだ時間がかかりそうな取引分は全て現金に変えて名前を書いた封筒に隔離し、発売されるまでファイルにまとめて本棚に隔離することにした。
相手が取引を無視して飛ぶことよりも自分が注意喚起される立場になりかねなかったからだ。
それとお金がないストレスで先送り癖が復活してきたので郵送での交換や代行もやめた。
自論だけどExcelなどで在庫とお金の管理が出来ない人はお譲り側に回るのは向いていないのでやめた方がいい。私は向いてなかった。
あと郵送交換もトラブルが起こりがちなので心身が健康な状態でないなら控えた方がいいと思う。
単推しだったのと部屋を圧迫する原因にもなるので、購入した推し以外のグッズはその場で手放すことにした。
これはあくまで体感なのだけど、推し以外のグッズを手放したい時は初日が一番手放しやすい。
購入枠の抽選で外れる人も多い。購入枠が当たってもそれまでに売り切れることも多い。
そうなると買いたくても買えない人がでてくる。
そんな状態の中で現地で買った絵柄を定価で譲る募集をかければ比較的すぐに決まるのだ。
ただ購入の時間以外で会場付近でたむろするのは当たり前に迷惑になるので、近所で時間を潰せる場所をあらかじめ調べておいたほうがいい。
・クレカの利用をやめる
頑張れ来月の自分!などと言いながらクレカをばかすか使っていたので使用をやめた。
買い物依存症に陥ると、クレカは魔法のカードになりリボ払いで地獄に直行する。という話をよく聞いていたので出来た判断だった。
心のストッパーが壊れていてもヤバイ仕組みを分かってさえいたら止まれる時もあるので、教育は大事だなと思った。
クレカを封印してもネット決済などでクレカが必要な場合もあるので、代案としてデビットカードを利用することにした。
その場で引き落としなので使いすぎることを防ぐ目的だ。デビットカード専用の口座を作ってそこに5万円だけ入れてその中でやりくりするように心がけた。そしてその範囲で3ヶ月続けてやりくりをできたら5千円単位で予算を減らしていくことにした。
アプリで残金をすぐ確認できるので数字に弱くても管理がやりやすいのも良かった。
私は作品のキャンペーンがきっかけでマルイでエポスカードを作り、そのままグッズ購入用のカードとして使っていたので、万が一使った時は決済額が確定したら即座にマルイのカウンターに行き、現金で利用分を清算することにした。
数字に弱いため、引き落としではどれだけ使ったかピンとこなかったためである。
・推しがでなくなる
それまでずっと何を買っても上限さえ購入したら推しが複数でていたのに、ある時から全く出なくなったのだ。
たまにでても1個。交換はレートの問題でなかなか決まらない。転売はもちろん利用しない。
そうなるともう一度上限まで買うしかないのだが在庫がそこまでもたない。
この辺りで「買った中に私の推しがいる」という快感を求めてグッズを求めていたのでは?ということに思い当たった。
気付いたら何故か気が楽になり飢餓感も薄れていった。
・引越し
上記のことを行っている時に諸事情で都内から隣県に引っ越すことになった。
思うにこれが一番効果があった気がする。
23区内ならどこでコラボをやろうが始発で5時台につくような場所に住んでいたので、物理的に距離が遠くなると現地に行く億劫さがすごかったからだ。
今まで徒歩込みで30分で行けたところが電車で1時間以上かかり交通費も倍以上かかる。
現地についても抽選で外れるかもしれない。
そうすると一気に億劫になったのだ。
けれど一度行かなくなると、どんどん冷静になることができた。
あと今買わなくても過去に手に入れた推しがこんなにある。そう思うとかなり気が楽になった。
・新しい趣味を見つける
しかしグッズを買いまくった後遺症か、お金を使っていない状況に違和感も出始めた。
おそらく依存症の症状の一つだったと思う。
なので気を紛らわすために新しい趣味を作ることにした。
新しい趣味ならやはり推しに関することがいいな。そう思い、絵を書いたり文章を書いたり色々チャレンジをしてみた。
ソシャゲや限定グッズの絵で推しが色んな服を着ていたのをフェルトの生地で再現することにハマったのだ。グッズ厨だったので家に資料はいくらでもあった。
依存症になりやすい人間は依存先が多い方がいいとは思うけど、私は著しくズボラなので趣味すら管理ができなくなるのを考えて数個にしている。
・最後に
私は依存心が強いタイプだったので、手っ取り早く別ののめり込み先を見つける選択肢をとったが、本来ならしかるべき施設に行って適切な治療が必要な症状だったと思う。
一応、もしまた似たようなことに陥った時は病院に行こうと近隣の精神科をピックアップしている。
最初は私がルーズで自制心がないのが全てダメだと思っていたが、自転車操業で破綻した人や、流れてくる色々な注意喚起を見るに、私のような人はかなり多いのではないかと思うようになった。
推しがかわいいことに夢中になると人生踏み外してることに普通に気づかないよね。崖の底に叩きつけられてから気付くよね。
幸い私は後戻りできるギリギリの位置でやめることができたのだが、多分きっかけがなかったら間に合わなかったと思う。
なので書き捨てのつもりで書いたこの記事がグッズ買うの辞めたいと思った人の参考になってくれたり、やばいと気付いてない人がやばいと気付くきっかけになってくれたら普通に嬉しい。
新型コロナが蔓延して世の中が規制や対策だらけになった今、私の趣味であるライブ鑑賞もその被害をこうむっていた。
新型コロナの脅威が世間に広まってきた頃のイベントは悉く中止になり、高額なチケット、倍率が高いチケット、当日にでも買えるようなチケットも含めてそのすべてが払い戻されてしまった。
新型コロナをひどく恨んだが、受け入れる他にない。
大阪のライブハウスでクラスターが起こって問題にもなり、特に私が好きな音楽ジャンルはモッシュなど人が激しく接触しあうことが多いため、よりコロナ禍での開催は絶望的であった。
ライブから距離を置かざるを得なくなった私の休日はただ引きこもるだけのものとなってしまった。
それで困っているのは当然、私のようなライブを見に行くことを趣味にしている人たちだけではない。
ライブが出来なくなって一番困っているのはそれを食い扶持にしているアーティストたちやその関係者である。
お客を呼ぶことができず閉店したライブハウスは少なくなく、私は目にしなかったがコロナを理由に解散せざるを得なかったバンドもいたかもしれない。
だが、ライブが出来なくなってしまってもバンド業界はまだ諦めてはいなかった。
配信ライブや物販、新曲のCDやそのサブスクの収益によってなんとか食いつないでいる印象であった。
ライブに行けなくなったものの、好きであるバンドやアーティストをフォローしたい一心で配信ライブも見たし物販でたくさんのグッズも買った。
単純に自分が見たいから、欲しいからといった理由もあるが、いつかまたライブが見れるようにとその投資の意味も込めていた。
趣味のほとんどをライブにつぎ込んでいたためライブに行かなくなれば財布が潤うかと思ったが、上記の理由でライブがあったころよりもさほど支出は変わらなかったほどである。
そんな生活もすでに半年以上が経ったが、コロナの感染拡大は抑えられ徐々に有観客ライブも開催されるようになってきた。
配信ライブではやはりどこか物足りなさを感じていた私にはそれはとても喜ばしいことで、しっかりと対策をして安全にライブを遂行して見せたイベントの報告がSNSで目に入るとまたライブが見れるんだと心躍った。
そんな矢先、私の好きなバンドが一度に集結するイベントの告知がSNSで流れてきた。
開催するライブハウスはキャパが300名ほどの小さなライブハウスだが、コロナの対策は徹底しているようだ。
マスクの着用はもちろん、体温チェックやコロナ追跡システムの利用も必須であった。
そう思った私はすぐさまチケットを購入した。
そしてその当日。
ライブイベントの参加は実に10か月ぶりで、コロナ禍前ならば1か月に2回以上は見に行く私にとってやっとここに戻ってこれたという思いであった。
目当てのバンドはその日出演する4組その全て。
私より年下である彼らが音楽で頑張っている姿はとてもかっこよく、強く憧れていた。
そんな彼らの音楽がまた生で聴ける。
この日のために諦めないでいてよかったと大袈裟にそう思えた。
ライブハウス前に並ぶと予告の通り体温チェックもされ、コロナ追跡システムの利用もお願いしていた。
他のライブ仲間から聞いた話によると、普段スタンディングが主なイベントでも今は対策により席が設けられていると聞く。
今回のイベントのページにはその類のことは記載はされていなかったが、いざ会場に入ってみるとそこに席はなく格子状にシールが地面に貼られているだけのものであった。
特に場所の指定もなく間隔もやけに狭い気がするが、会場に入った観客たちはそれぞれ好きな場所のシールの上で待機している。
規制も緩和されたことだし、小さいライブハイスだからだろうか。
席があったところで恐らくライブ中は立ち見することになるから、別に構わないか。
などと楽観的にそれを受け止めた私だったが、それが最初の違和感であった。
特に観客とステージの間にはテレビで聞いていたような透明なパーテーション等もなく、ボーカルは最前の観客の間近で歌い上げる。
ここにも若干の違和感を感じたが、1組目から容赦のない爆音が浴びせられ私は先ほどの細かい違和感などすっかり忘れてしまっていた。
他の観客たちもいつもなら激しく走り回り、腕を振り、歓声をあげるところだが、それは各々で自粛しながら音楽を楽しんでいる。
その時、私は一見ルールがないようで危険だらけのカオスな空間の中でも"思いやり"が垣間見えるこの音楽シーンの空気が大好きであったことを思い出した。
これならライブがまた見れる。また通うことができる。
これほど嬉しいことはないと、この時までは本当にそう思っていた。
こんなこと、いつものライブイベントではよくあることで慣れていたはずだが、この時ばかりは完全に意識をしていなかった。
振り返ると、そこにはサークルピットが出来ておりその中では数人の観客が所謂ハーコーモッシュをしていた。
この音楽ジャンルのシーンでは当たり前のことなので普段ならその行為に苛立ちを覚えることもないし、むしろ普段なら自分もあの中に混ざっていっただろう。
周りの観客の反応も少し驚いた様子であったが、これといった嫌悪感を示しているわけでもなさそうに見えた。
しかし、この時の私はどうしてこんなことをするんだと思ってしまった。
やっとのことで規制が緩和され、これから徐々に、少しでも元のライブの姿に戻したい気持ちは痛いほどわかる。
だが、モッシュなど他の観客と激しく接触するには時期尚早だと私は思っていた。
本当はモッシュが見たい、させたいのだろうがイベントを安全に遂行するためには致し方なく、こういった規制の中でやることを余儀なくされて、またそれを了承したと勝手に思っていた。
今起こったのは興奮した観客のただの身勝手な行動だと。
しかし、モッシュをしていた観客が放った一言でそれは私の勘違いだと思い知る。
『広がれ!』、それはよくバンド側がモッシュピットを煽るときに使う言葉だ。
観客は自分の興奮を抑えきれなくなったから起こしたわけではなく、バンド側がやれと煽ったと主張したいようだ。
(どういう成り行きでその観客がその一言を放ったのかよくわからないが、大体予想はつくし子供じみた言い訳のようで癇に障る)
爆音の音楽が流れる中でその言葉を聞き逃していた私だったが、恐らく本当なのだろう。
バンド側が興奮して抑えきれなくなって放った言葉なのか、いつもの癖で叫んでしまったのか。
そのどちらにしても、観客同士の接触を煽ったのには間違いない。
それは『このイベントではモッシュを黙認しているのか?』という疑問である。
ただ実際のところそれは黙認されており、ライブハウスの場合だと事前にモッシュ禁止とすら周知されていない。
今回のイベントでも特にモッシュ禁止との記載は特に明記されていなかった。
私はこのコロナ禍で、規制や対策をしている中でモッシュはさせないだろうと高を括ってしまっていたのかもしれない。
しかし、まだ始まって1組目。
もしかすると、以降のバンドではモッシュ禁止の注意喚起をしてくれるかもしれない。
そんな不確かな希望をもって私は2組目のバンドのライブに挑んだ。
2組目のバンドも激しい音楽をするが、1組目と比べるとモッシュが起きにくい仕上がりであった。
このバンドのライブを過去に何度も見たことあるが、このバンドだけモッシュが起きなかったイベントは多々見たことがある。
ただそれは音楽的魅力に劣るといったわけではなく、むしろ私としてはこの日一番の目当てでもあった。
1組目と同じく、ライブの中盤にかけては観客に大きな動きはない。
皆、その場で体を揺らすなり拳を突き上げるなどして楽しんでいる。
先ほどのは何かの間違いだ、そう思えるような私が思い描いていた理想の形としてライブが進行していく。
だが、再び終盤で1組目と同じことが起きた。
ボーカルが両手を使い、扉をこじ開けるようなジェスチャーをする。
その煽りに乗せられてフロアの中心が開き、両サイドから観客の波が押し寄せてフロアの中心は再びモッシュピットと化した。
この時、1組目のことでまたモッシュが起こるかもしれないと身構えていた私は後方に下がっていたので誰かと接触することはなかったが、
そのモッシュで何人もの人が激しく接触しているのを私はただ眺めていた。
2組目が終わり、次に3組目が始まるまでの時間で私はこのままイベントに参加するべきかどうか考えていた。
モッシュがー、接触がーなどと異常にコロナを恐れるなら出ていけばいいと言えばそれまでである。
私も正直なところコロナの脅威に対しては懐疑的であり、本当はこれほどの規制をするほどではないのではと普段は考えていたので今に思えば不思議なくらいどこか神経質になっていた気もする。
私個人の及ばぬ考えでコロナ禍におけるライブのモッシュの有無など決めつけれるはずもない。
ならばモッシュをしたい人はすればいい。私は人と距離を取って、意地でも安全にライブを見て帰る。
そう決めた私はそのまま3組目の開演を待つことにした。
そして始まった3組目。このバンドも私の大好きなバンドの一つだ。
他の観客からの人気も絶大であり、これまでの2組と比べて登場した瞬間からその熱量は段違いであった。
この時から、他の観客は大きな歓声をあげるようになる。
10か月待ったライブイベントを、複雑な気持ちを持ったまま終えたくないとそれだけを考えていた。
そして、そのバンドが颯爽と1曲目を終えると突然ボーカルが叫び出した。
「お前ら!動画を消せ!」
それはスマホで彼らのライブ姿を撮っている者たちに向けての言葉であった。
撮影禁止は珍しいものではなく、モッシュ禁止が無視されていても撮影禁止が無視されることはないだろう。
撮影禁止のライブでスマホを掲げていればスタッフが止めに入ることが多いが、
バンドのボーカルがステージ上でそれを叫ぶのは少し珍しく感じた。
また、小さなライブハウスでやるインディーズバンドだとライブの撮影を禁止しているバンドは少ないためより違和感があった。
「ネットに上げたやつも全部消せ!」
そしてすぐにその焦りの正体がわかる。それはモッシュだ。
予想でしかないが、観客がモッシュをしている姿を、またはバンド側がそれを煽る姿をネットに晒したくはなのではないだろうか。
そう勘繰らざるを得ない。
ボーカルは続けてこう発した。
「これは俺たちのカルチャーだ」
もはや、その言葉をまともに受け止められる精神状態でなかったため彼の主張したいことを
ちゃんと理解しているか不安ではあるが、以下の主張になると考える。
『だが今は公にはできない。だから動画は削除して、自分たちの居場所を守ってくれ』
『動画を消したことでバンドと観客はコロナ対策を謳っているにも関わらず、
実態は過剰な接触を繰り返していることを一緒に隠蔽している関係になる』
私の中の彼のイメージが大きく崩れた瞬間であった。
モッシュがこの音楽シーンの文化であるということは私もそう思う。
残していきたい、守っていきたい対象だ。
だが、今は全く状況が違う。新型コロナの感染を考えれば、その場にいる人間だけの話ではないのは誰でもわかる。
それはバンド側もわかっていることだろう。だからこそ、動画を削除させる。
カルチャーという言葉を使えば無条件に守ってもらえると思っているような口ぶちだが、自由とは他人に害を与えない範囲で有効であるべきで、今のこの状況で隠してまで行うものではないはずだ。
それでも、仮にモッシュをしたい人たちだけでやるのであればそれはイベントのページに明記するべきであり、そうすれば私のように意図せず共犯者に仕立て上げられる人も減るだろう。
そして最後に、彼はこうも続けた。
「俺たちは今回のイベンターに『ライブ』をさせてもらうと宣言して、了承してもらってます!」
今回のライブはとあるイベンターが主催したイベントであるため、バンドたちはそれに呼ばれた形となる。
そして彼のいう『ライブ』とは、観客がその場から微動だにせず声もあげない状態を指すものではない。
彼らからすればモッシュがあってこそのライブ、それを言いたいのだろう。
そしてそれを主催者側が了承したということは、この隠蔽も了承したということだ。
恐らく20代が大半を占めるバンドメンバーたちで決めてやったことならまだ青いところがあったなと思えるが、主催者側もそれを了承しているのはどうかと思える。
そのままライブは続行されたが私は他の観客と違い動き回ることもせず、シンガロングすることもせず、ただ腕を組んで地蔵状態でライブを傍観していた。
無表情を貫いている私と違い、他の観客は大いに盛り上がっている。
モッシュをしていた。ダイブをしていた。シンガロングをしていた。
彼の言うこと、やること、その全てに賛同していた。
本当に彼らのやっていることは正しいのだろうか。
自分の考えが間違っているのだろうか。
自問自答を繰り返しているうちに、曲が耳に残ることもないままそのバンドの演奏は終わった。
4組目も、私の本当に大好きなバンドだった。
存在を知って3年も経っていないが、すでに5回以上はライブを見ている。
彼らにはつい最近出した新曲がある。私はそれのシンガロングが歌えるほどすでに聴きこんで準備をしていた。
だが、今の状態ではまともに聴くことができないのは明白だった。
また1,2組目のようにモッシュを煽ったり、3組目のボーカルのように何かを主張してくれば自分の中のイメージが壊れるのが怖かった。
このイベントに参加しているということ自体がすでにそういうことなのだろうが、
それを突き付けられるのが怖くて私は4組目が始まる前にこの会場から出ていくことにした。
帰り道、泣いてしまうかもと思ったが意外と涙は出ず、ただぽっかりと心に穴が開いたような感覚だった。
いつもの帰り道ならイヤホンをして電車に揺られているはずが、その日はイヤホンもせずに少しばかり離れた駅まで無駄に歩いた。
ライブを取り戻したい。その思いは自分もバンドも同じなのにどうしてこうも食い違ってしまったのか。
https://www.tyoshiki.com/entry/2020/10/17/011237
とりあえず一番ツッコミたいのは「作中における」東京芸大を過大に評価してるところ。カナメが神崎に仕事をオファーしたのはあくまで絵がうまいからにすぎない。東京芸大云々はその根拠付けと神崎の唯我独尊的な性格に根拠を持たせるための背景にすぎない。なので神崎が東京芸大生だから、
神崎さんの方が格上だろうと思って読んでた
というのはさすがに読み間違ってるとしか言いようがない。
リンク先が根拠に挙げているのは神崎が同級生と話すシーンだが、あれは普通に読めば「本来チョロいはずのゲームイラスト制作仕事が相当クソめんどいことになっている」ことを表現するシーンだろう。強調されているのは「ゲームの仕事ってめちゃくちゃチョロいよなっ」というセリフであり、神崎はそうじゃないから図書館くんだり資料を読み込みに来ているのだ。つまりあのページで表現されているのは「神崎のクライアント=カナメの要求レベルが並外れて高い」ということ(と神崎の学内におけるヒエラルキーの高さ※)である。それをどう読めば東京芸大の学生の方がクライアントより力関係が上という話になるのか。
なぜこんな思い込みが発生するかはリンク先が自ら告白している。
私は「ブルーピリオド」を読んでたせいか、最初から神崎さんの方が格上だろうと思って読んでたからパワハラという認識が全くありませんでした
つまり関係ない他作品の影響によって最初から思い込みがあったということらしい。「対象を丁寧に理解せよ」などといいつつ、作品外の論理で本作を読み込んでいるのだから話にならない。
そもそも論カナメが神崎のことを上に見てるかっていうと見ていない、と読むのが普通だろう。見込んではいるし、あわよくば仲間に引き入れたいと思っているだろうが上には見ていない。神崎が降りれば別の人間を探すだろう。それぐらいの態度である。なので、
むしろ、クライアントであるカナメさん側はなんとかしてこの自分たちのことをなんとも思ってなさそうなこの優秀な神崎さんにたいし、ただの通過点としてではない、一筋縄で行かないやつだと思ってもらいたかった。
この辺も完全に思い込みである。具体的にその根拠となるシーンがどこかにあるだろうか? いやない。カナメが策略をもって神崎を落とそうとしているのなら、「言い方考えよ?」というミノリ(音楽担当)との会話で「あれは作戦ですよ」ぐらいの話があってしかるべきである。「めっけもん」とは思っているけれども、わざと圧力をかけて籠絡しようとはしていない。「ふつうすぎます」と言うのは作戦ではなく単に要求クオリティを満たさなかったからである。カナメが裏表のないキャラクタだということは終始一貫しているためこの辺は争う余地がないところだろう。
以上のことや、インディーズとはいえ外注を雇えるぐらいの社会人サークルと、初めて仕事として絵を描く大学生という勾配もふくめて、
ちなみに例の漫画がパワハラかどうかは言及しない。別にどうだっていいからだ。
ただあまりにも的外れなことを、あたかもこれが正しい解釈だ、みたいにイキリちらされると「いやいやwww」となってしまう。この増田はそういう種のものである。以上。
※「肉奢ってくれよ肉」というセリフはちょっとおもしろい。発言者は「チョロい仕事」で5万を得たばかりで懐は潤っているはずだ。なのに「肉を奢れ」と要求している。これはふだん紙の資料なんて見に来ないお前がそこまでする仕事なんだからたんまりもらってんだろ、という意味だ。これは発言者が神崎に一目置いている(神崎の学内ヒエラルキーが高い)ことを示すと同時に神崎が請け負ってる仕事の難度を端的にあらわしている。なかなかハイコンテクストなセリフで趣深い。
読んでないけど、売れてるインディーズで金払いもよいという設定らしい。
大昔、同人ゲームに興味をもってたころにサークル募集をよくみたけど、だいたい一作も作ってないのに上から目線で「使ってやる」みたいな口ぶりの募集分が多かった。
「自分らはプロを目指してるから甘えは許しません!」みたいな。
募集してる側の役職は、監督、ディレクター、ゲームデザイナー、アドバイザーとかで、募集するのは、プログラマー、グラフィッカー、音楽、シナリオとか実作業が発生する職種。
こういう話をして「ゲームのディレクターが簡単だと思ってるのか!」とか反論されたことがあるけど、一作も作ってないサークルで専業のディレクターなんて「僕の考えた最強のゲーム作って」って、スタッフを急かせばいいと思ってるだけでしょ。
報酬も「利益がでたら」で、ゲームの権利は「サークルのもの」とかだし。
利益がでたら渡すというのはまだ良心的なほうで、次回作の製作費にまわす(サークルが全部もらう)とかもあったし。
思い出しただけで、例の漫画がどうとかって話ではない。
プレステ5の転売問題が色々世間をにぎわせているが、東京ゲームショーが終わってプレステ5がかなり危険な状態であることが明るみに出ている。
そもそも論として、日本においてプレステの求心力がかなり低下している。読売新聞上でのシェアは30% これはCS機のみであり
携帯電話を含めた市場規模は9%程度である。しかし、実際のところの販売シェアは任天堂に大きく水をあけられており、
今年発売のプレステ4のソフト総数があつまれどうぶつの森に負ける珍現象まで起こっている。別のソースではCS機ゲームソフト売り上げベースの
ここにプレステ5の価格が水を差している。メディアはディスクを使用しないデジタルエディションの価格を宣伝しているがこれは悪手だろう。
なぜならプレステの市場が中古市場を前提とした市場形成になっているためだ。そしてプレステ5は制限付きながらプレステ4のゲームが動く構造だ。
デジタルエディションでは中古ソフトを使用することができない。これは致命的だ。デジタルエディションでも本体価格は決して安くないからだ。
しかし、それでプレステ4の新品が売れることは先ずないだろう。日本においては殆どのユーザーが中古ソフトに流れメーカーに還流されることはないといえる。
またメディアを駆使した戦術もここにきて効果が薄くなっている。そもそもプレステの強さの源泉はメディアの活用であり、それは他社ハードを平気で貶す
かなり過激な手法であるのだが、それを行っているメディアの影響力が壊滅し、ハードベンダーが自前で行う宣伝が重要になってきたのだ。
現状ではユーチューバーを使用した宣伝や他社ハードのネガティブ発言でお茶を濁しているが肝心のプレステ5のゲーム体験がとてもお粗末になっている。
言い方は悪いがこれではかつてのメガドライブのロンチレベルである。メガドライブのロンチでも獣王記などの高品質ゲームは確かにあったが、ソフトラインナップの
厚みはお粗末なものだった。メガドライブのロンチで出たおそ松くんのお粗末ぶりは語り草になっている。
プレステは映像面に極振りしたハードであるため、映像の美しさだけでしか訴求できない。
困ったことに、これら映像面がプレステを苦しめている。特に2D表現において表現技法が飽和してしまっているからだ。プレステ3までなら、解像度の増加や
使用できる色数 オブジェクトの増加、動画再生能力向上の恩恵があったがプレステ4以降では2D表現で差をつけることはほぼ不可能となっている。
そのため、本来なら性能が低いとされているニンテンドースイッチと比較しても、インディーズゲームを中心に表現レベルがほとんど変わらない事態となっている。
日本での商売が難しい場合海外の販売が重要になるがここでもかなり厳しい状態になっている。
ニンテンドースイッチは相変わらず強いうえに、マイクロソフトが対中政策の影響で大手ソフトハウスを傘下におさめているためだ。さらにマイクロソフトはゲームソフトの
サブスクリプションモデルを早々に構築してしまった。ソニーは技術面で先行していたのだが、プレイステーションプラスのフリープレイ程度にしか応用できていない。
もちろんフォールガイズ アルティメット ノックアウトのような名作をフリープレイに出来たことは僥倖だが、それこそプレイステーションプラスを拡充したサブスクリプションモデルを
作らないといけなかった。たとえば初代プレイステーションのゲームやプレイステーションポータプルゲームが遊べるサブスクリプションモデルでもよかったのだ。プレステ3で
出来ていたのだから不可能ではない筈だが、それが出来ていない。プレステ5を購入する価値が何処にあるのか提案することすらできていない。
プレイステーションプラスの月額をあげて フォールガイズなどの期間限定を廃して、「チートが少ないゲーム機」として などの提案が必要だと思う。
正直な話、この調子ではプレイステーションが何処かに買い取られるシナリオまで出てしまう。
そうならないためにも定期的にお金がはいるサブスクリプションモデルを拡充するしかない。プレステプラスの利益を考えれば客単価をあげればまだまだ戦えると思われる。
コロナ禍でアンチャーテッドコレクションを無料配信した会社なのだ。このまま倒れるのは惜しいし、何とか戦ってほしいと思っている。
Spotifyで各国のIndie漁りが楽しいんだけど、海外のレベルが高いと思う。
Popsはやっぱりアジア圏の曲がなじみやすい。中国は言うに及ばす、韓国、フィリピン、タイ、インドネシアあたりもいい。
インドネシアなんて、民族音楽じゃないの?なんて思っている人は一度聴いてみて。ぜんぜん普通です。
中国の楽曲レベルはもう、はるか先を行ってると思う。とりあえず、音楽大学の数が半端ないもの。
そんなアジアで、日本は置いてけぼり。夢破れた人が、惰性で音楽続けてる感じのバンドが多い。
トップ層のメジャーアーティストはどの国もすばらしいと思うし、日本も負けてないと思う。
この日記を読んでいる人へ。
そうだな、とりあえず最初に聞くなら『発光体』(https://www.youtube.com/watch?v=IOa-nZiIeiw)『ズックにロック』(https://www.youtube.com/watch?v=GXqZ5EXE9ho)『ゆらゆら帝国で考え中』(https://www.youtube.com/watch?v=M9CM44MohAs)らへんがおすすめ。
どの曲もそんなに長くない。ストリーミングでも聞ける。
さ、早く。
聞いた?
ほんとに聞いた?
「なんだ、増田民の提案になんて乗らねえぞ」って人にも一度は聞いてほしい。
というわけで、以降の記事は「ゆら帝を一度でも聞いてくれた人」に向けて書く。
というか、日本人の大部分が上ふたつに当てはまると思う。
私の周りの友達もみんなそうだった。
ただ、心をぐっと掴まれて、早送りボタンを押せなかった人もいるはずだ。
誰かの心にズドンと響く音楽っていうのは、諸刃の剣みたいなものだと思う。
ある人にとっての神曲が、他の人に全く響かないなんてこと、日常茶飯事だし。
もしこれを読んでいる人の中にゆら帝のファンがいたら、こんなに嬉しいことはない。割合的に厳しいと思うけど。
新参がイキってすみません。でもね、このバンドがもっともっと広まってほしい。
正確にいうと、ゆら帝を聞く星のもとに生まれた人たちが、ゆら帝を知らずに死んでいくという事態を防ぎたい。
もうね、頭の中では今たいへんなことがおこっています。
手と足と胴体がそれぞれバラバラに動き出しそうで、それを押さえつけてジッとしているだけでやっとの状態です!
再結成とか、メジャーシーンでの再評価とか、どうでもいいんだ。
届くべき人に彼らの曲が届いてほしいだけ。これは完全に自分のエゴ。生温かい目で見守ってください。
私がゆら帝の存在を知ったのは2020年夏。彼らが解散して10年が経っていた。
私だけでなく、同世代でゆら帝を知った人の大部分がそうだと思う。
外出できない夏休み、オンデマンドサイトを見漁っているうちに、奇天烈なOPが耳から離れなくなっていた。
コロナ自粛がなければ、ゆら帝には出会えなかったかもしれないということだ。人生というのは分からないものである。
私は結構ロックが好きで、メジャーからインディーズまで広く浅く聞いてきただけに、ゆら帝の曲を聞いたときは、衝撃を隠せなかった。
分類的にはサイケデリック・ロックだのオルタナティヴ・ロックだの言われているけれど、このバンドは「ゆら帝」というくくりでいいと思うくらい特殊である。
ゆら帝の魅力。
まずメロディがいい。前期の渇ききった感じも、後期のしっとりと美しい感じも、最高だ。
個々の技量も素晴らしい。特にベースが好きだ。亀川千代氏のベースラインには中毒性がある。
そして歌詞がいい。非の打ち所がない。
「もう一度頭絞ってにじみ出てきた緑の液体がぼくの全てさ バカだろ?」
「雨が降る日は何もしない 髪がベタベタするから 風が吹く日も何もしない どこか消えたくなるから」
どういう人生を送っていたら、こんなにクールな歌詞を書けるんだろうか。
昨今の音楽はメロディ重視というかなんというか、文字数合わせが目的の物足りない歌詞が目立つ(もちろん例外も存在する。サカナクションの山口一郎氏は歌詞に真摯に向き合っていると思う。私は高校生のときからサカナクションの大ファンだ。魚民諸氏はゆら帝にも興味を示すのではないかと思う)。
ライブもいい。クッサイMCも余計な演出もなく、淡々と音楽だけを届けてくれる。
生で見たことのある人は本当に羨ましい。
とまあ凡庸な言葉で色々述べてきたが、はっきりいってゆら帝の魅力はこんなもんじゃない。
言葉では言い表せない。
サカナクションのライブの理想形はゆら帝らしい。なるほど、と腑に落ちた。
サカナクションのライブは、それ自体芸術作品と言っても差し支えないほど完成度が高い。演奏レベルもCD音源レベルだ。彼らは安っぽい感動でも変な共感でもなく、「音楽」という体験を私たちに提供してくれる。
ゲスの極み乙女。の川谷絵音氏も、『タコ物語』(https://www.youtube.com/watch?v=qbkxCVNsFsY)に影響を受けたとか。この曲はMV含めてとても狂気的だ。ぜひ聞いてほしい。
ゆら帝という存在は、ロック界の『AKIRA』のようなものなのかもしれない。
凡庸な感性しか持ち合わせていない私でも、心を揺さぶられるのだから、大したものだ。
きっと、人間の奥底にある普遍的な何かに響く音楽なのだと思う。
私が心配するのとしないのとにかかわらず、ゆら帝は100年後もその色を保っているはずだ。
色を保てるバンドなんて、昨今それほど多くない。
あまりにも多くの音楽が、産生されては飽きられ、時代とともに消えていく。
彼らが再結成しようものなら、私は大きな失望を抱くだろう。最終回の再放送は無い。ゆら帝はすでに完成してしまった。完成とはまた、終わりを意味するのだ。
もちろん、生で見てみたかったという気持ちはある。こればかりは生まれた時代を恨むしか無い。
ゆら帝が完璧なロックを生み出したことと、私たちが生きている間に彼らの音楽へたどり着けるかということは、全くの別問題だ。
私自身、番組のことを思い出さなければ、絶対にゆら帝を聞こうとは思わなかっただろう。運良く名前を目にしたとしても、有象無象のバンドと判断し、スルーしてしまうと思う。
だらだら書きすぎたせいで主旨がぶれたような気がするので、もう一度。
『昆虫ロック』(https://www.youtube.com/watch?v=MX2W1kNiOcc)も『夜行性の生き物3匹』(https://www.youtube.com/watch?v=n_dk8ChdCA8)も『空洞です』(https://www.youtube.com/watch?v=mKUhq7SYouA)も『グレープフルーツちょうだい』(https://www.youtube.com/watch?v=SaP6Ui93iUM)も最高だぞ!!!
私は彼らに救われた。才能も取り柄もない私が、ちょっとでも頑張ってみようと思えたのは、ゆら帝のおかげだ。
親から暴力を振るわれたり、好きな人が死んだり、正直散々な人生だ。
もしこの記事が奇跡的にバズって、世の中にゆら帝ファンが増えてくれたら、頭ひねって書いた時間も無駄じゃなかったんだなって思える。
作者がメンヘラじゃなきゃふーんあっそだけど
作者がメンヘラだとヒヤヒヤする
ミュージシャンもそう
ガチメンヘラなので活動に支障が出たら嫌なので名前あげるのやめるけど
メジャーで活躍してたけどいまインディーズでポツポツ活動している某ミュージシャンは
アンチガーっていってすげ〜長い間(10年くらい)信者と引き篭もってロクに活動してなかったぞ
私はかつて元KAT-TUNの田口淳之介ファンだった人間だ。(釈放時に派手に土下座して法廷で公開プロポーズしたあいつだ)現在も別の男性アイドルを応援しているので、Twitterでいわゆるオタ垢を動かしている。そのオタ垢のTLで今年私をざわつかせた一連の流れがある。
手越祐也のジャニーズ事務所退所と、そこからのファンの動きだ。
何がざわつくかって、かつての田口のファン層の変化と共通する点が多いからだ。
先にトピックを列挙しておく。
・私生活の切り売り
当初たまたま目にしたファン...というより降りたくても降りられない人たちのつぶやきがあまりにも既視感があって、愚痴垢界隈からしばらく目が離せなくなってしまった。自分でもはちゃめちゃに気持ち悪いと思うけれど、自分のトラウマと向き合って過去を冷静に振り返りたい自分がそこにいたのだと思う。
はじめに書いておくけれど、これはアイドルファンに対して「こうあるべき」と言いたいのではなく、手越くんをはじめとするアイドルたちに「残ったファンがこういう状況になったら危険」とどこかにメッセージを吐き出したくなったそこらの限界オタクの呻きです。オタクたちに石を投げるつもりは一切ございません。
また、「逮捕されたアイドルと一緒にするな」というご意見もあるかと思いますが、正直逮捕の有無に関わらず、逮捕前の田口の状況はいわゆる下降線をたどっていて、あまり芳しくなかったと思います。メジャーとの契約が切れたりして。(現在はリセットされて少し良くなったと思う。この辺りは末尾にて。)知名度も人気の規模も手越くんとは差がありますが、あくまで「アイドルとファンの関係」が悪化すると活動が衰退する可能性があるぞという個人の意見ですのでご了承ください。
田口といえば世間一般的にオラついていたKAT-TUNの中でもマイルド担当で、育ちとスタイルの良さ、ダンスの美しさからクラシカルな王子様的ポジションとして愛されていた。(寒いギャグも言う三枚目キャラでもあったけど。)
ジャニーズ時代は比較的需要をまっとうしていたけれど、退所してソロ活動を始めてからは、本人のリアルな嗜好が垣間見れるようになってきた。
今でも「田口淳之介 ロゴ」と画像検索すると一部ヒットするが、ゴリゴリのワルなストリート系のロゴなのである(語彙力、、)。
インディーズで発表した1stシングル「HERO」のジャケも完全にらしからぬワルでマッチョなフォントでタイトルが描かれていたし、続いてリリースされたメジャー1stシングルのロゴもストリートアート風で、本人のファッションもとてもカジュアルなものだった。
活動のかなり初期から、熱心だったファンからも「これじゃない」「田口くんに似合う服はもっとこういうの(画像つきTweet)」といった類の意見が頻出していた。
音楽性に関してもちょいちょいジャパレゲテイストを出してきたり、ウェイ度の高いラップにチャレンジしたり、イカついテイストの楽曲が目立った。(全てではないが)
はっきり言って、目指している方向が「理想とちょっと違う」というよりファン達が「なんなら苦手」と感じるジャンルだった印象だ。地雷を踏んでいたのだ。
アー写も「強い自分」を打ち出したい意図がわかりやすいものを長らく使っていて、「もっと穏やかな空気感の写真の方が田口くんの良さが出ていいのに」なんて言うファンの数は決して少なくはなかった。あれだけ言われていたのだから、ファンレター等で直接進言した人だっていたに違いない。
逮捕前の田口は、ファンの需要を理解していながらも「自分が表現したい自分」との大きなギャップに苦しんでいたのではないか。
(ライブの衣装しかり、写真集の衣装のチョイスしかり、需要に応える場面もそれなりにあった。けれど、本人が持たれたい印象と差があることがあまりにも明確だったので正直見ていて苦しかった)
独立して個人で活動していくのだから、アイドルが自分のやりたい表現をやる権利を行使して当然だ。それは美しく言えば信念とも言える。だけど、ファンのツボを押さえていないとファンが減るのは当たり前の結果なのだ。
かつてのファンが一番切望しているであろう音楽活動が手薄なまま、YouTubeにボランティアに脱毛サロンにと活動範囲を広げている手越くんを見て、そんなことを思い出した。
ただここまでは本人がリスクを覚悟してどこまで天秤にかけるのか次第の話だからまだいい。ここまでなら未来に期待して残るファンはそこそこいる。
芸能人の実名をあげまくった手越くんの自伝とは影響力にだいぶ差があるが、田口もしばしば私生活の切り売りと称されても仕方のない活動があった。
いくつかの媒体で、退所から現在までを振り返るインタビューで結婚をいずれ考えている主旨の発言をしたり、吉本芸人がたくさん集まる関西ローカルの番組でも同様のことを語ったりしていた。
長年交際を続けている恋人がいるのはファンなら周知の事実だったし、退所理由を濁された時点で結婚を見据えての退所なのだろうと多くのファンが推察していたせいなのか、ソロ活動の開始当初から田口のファンには恋愛に寛容な人が多かった。
だが、週刊誌から情報が流れてくるのと本人の口から語られるのとではダメージ全く異なるのだ。くだりの関西ローカルから一気にファン離れが進んだ印象が強い。
「アイドルだって恋愛は自由だ」という考えは正論だし、どちらかといえば私もその主張に近いが、一方で「恋愛して欲しくないというより、アイドルの生々しさに触れたくない」というファンの気持ちはわからなくもない。そういうファンが良い悪いというより、アイドルが実生活の恋愛の話をすと、一定の耐性がある人でないと応援しづらくなるのが実情なのだ。
また、生々しい恋愛を語りファンに耐性を求めることで、”とあるリスク”が生じるのだ。
現在手越くんを純粋に応援するファンの方も、どちらかというと高齢の方が目立つ。
田口はジャニーズ時代から元々マダムキラーの傾向があったが、1stアルバムを出したときに池袋のサンシャインで行われた特典握手会には本当に若いファンがたくさんいたし、握手して感激して目をはらして会場を後にする人で溢れていた。
それが、いつからか会場には自分の親世代のファンの割合がどんどん増えていって(つまり若い子が減った)、スタンディングの密集した現場なんかでは誇張ではなく本当に加齢臭が漂うようになってしまった。
アイドルの恋愛に耐性がある人とはどういう人なのか。全員ではないが、自身が結婚を経験している人ほど、その傾向は高まるように思う。
また、アイドルの親目線で「幸せになって欲しい」と願うファンもこの傾向が強い。(言わずもがな親世代の人たちに親目線のファンが多い)
「自分が結婚しているのに、アイドルの恋愛や結婚を咎めるのは後ろめたい」と思う人、「アイドルの恋愛を許容する心の広い自分が好き」と思う人たちが生き残る。
高齢なファンが全て悪いとは言いません。年齢を重ねて穏やかに応援していて、マナーを大切にする素敵なファンの方もたくさんいました。
・SNSが苦手
SNSが苦手。これが単に「拡散力が低い」だとか「他界隈を沼に落とすのが下手」といった特徴であれば、単にプラスの影響が少ないだけで、害はありません。
SNS慣れしてない、SNSしてない世代の特徴は、<自分のSNS上での振る舞いで他者からどう見られるか>という視点が欠如した行動全般を指すのです。
わかりやすい例でいうと、愚痴をつぶやくときに検索避けが出来ていなかったり。アイコンやプロフィールがダサかったり。使っている絵文字や顔文字など表現全般が古かったり。内容を垢分けせずに無駄に日常を垂れ流したり。
高齢な女性ってなんですぐ「○○ちゃん〜❗️」とか言ってすぐリプライで絡むんでしょうね。あとすぐ「○○同盟」とか「見守り隊」とか言い出したり。
きっと若い世代以上に良くも悪くも<いかに標準的であるか>に気を遣う世代だからすぐに群れたがるのでしょうか。
アイドルのディープなオタクになるための2大行動として「ファンクラブに入る」と「SNSで専用垢を作る」だと思うのですが、後者の専用垢を作る前段階で、新規の若いファンは大手垢を中心に、界隈のファンがどんな発信をするかをチェックします。そして、安心できるコミュニティーだと判断してようやく壁打ち垢からスタートするものです。
SNSが下手なファンばかり増えてしまうと、残念ながら新規のファンはどんどんつきにくくなります。
あとこれは田口のファンだけかもしれないけれど、高齢のファン、気持ちが昂ってても遠慮してなのかライブ会場であんまり声出さないから、パフォーマンスの素晴らしさの割に現場の熱狂が薄くて悲しくなることが多かったな。。。
よく愚痴垢界隈や降りかけのファン、ひいては批判を投げかけるファンに対して投げかけられる意見として、「嫌なら見なければいい」という言葉があります。
特に逮捕直後は当然ながら田口ファン界隈のSNSも荒れに荒れ、結果として擁護派からこの言葉が発せられました。
少し前にAKB48の柏木由紀ちゃん(この人選で傷つく手越くんファンいたらごめん)も自身のYoutubeチャンネルで、「全肯定してとは言わなけれど、アイドルを自分の理想に変えさせるのは違う。見ていて自然と応援したくなる人を応援すべき」という主旨のことを話していた。全肯定まではいかないけれど、比較的近いスタンスの発言だと思う。
こうした類の意見は、ファン自身が精神を病まずに応援するという観点では大正解だ。
だけどアイドルから見て、本当にこのスタンスは望ましいのだろうか。
アイドルに限らず、認知度がものを言う世界では、無関心こそが最大の脅威だ。愚痴を言われながらフォローを続けられているならまだマシで、チャンネル登録やフォローを一度外されてしまったら、そのファンが戻ってくる望みはほぼゼロに等しい。
だいたいアイドルが何をやっても許すならば、そもそもなぜそのアイドルを推しているのかという根拠が揺らいでしまう。だんだん応援するのが習慣になってしまったとしても、元はといえば応援したくなる決定的な要素があったからファンになったはずだ。本当に全肯定になってしまったら、それはただの宗教か依存か自己陶酔だ。
今私が推しているアイドルの界隈は、ことによっては批判も行われ(批判はアイドルだけでなく運営に向けられることもある)、少なくともファンの間では正当に議論が交わされることが多い。批判も決して押しつけではなく「次は気をつけられるといいね」「反省できる○○くんは素敵」といった具合に幸いにもポジティブに着地するのをよく見かける。こういう意見が見られる場所で応援してこそ、自分の推しているアイドルを好きだと日々自信を持って実感しながら応援出来るのではないか。
そして現在の手越くんの愚痴界隈は、見切る勇気がなかったり、まだ期待しているというだけでなく、ファンが減ってしまう恐ろしさを察知しているからこそ、健気に意見を言い続けているのではないでしょうか。
かつての田口担から見ても、彼女たちがいなくなってからが本当に切ない事態を招いてしまう予感がします。Twitterを見た感じ、若いファンが多いし。
少し前に現在応援しているアイドルグループのメンバーの一人が、新しいレギュラー番組を始めるにあたって、「今まで見せたことがない一面を見せるかもしれない」と事前にブログで発信していてとても感心しました。ファンが離れる恐れのある新しい挑戦の際に、先回りしてファンをケアしたり、活動の幅を広げるにしても、ファンが理解できるような筋を通すことでいかに安心感が得られるか、と実感した体験でした。手越くんもよかったら参考にしてみてください。
最後にこのブログで散々貶めてしまった元自担の田口淳之介さんに関して補足。
私は逮捕が原因でファンをやめたというより、逮捕後、ファンクラブの会員だけが見られるブログでは「法廷で語ったことが全て」と言っていたくせに、そのブログの後で家族との仲が原因で小嶺家に助けられて絆を深めた、などなど余計なことをベラベラと週刊誌に語ったのに呆れ果てて応援する気をなくしてしまいました。
ですが、私がファンをやめる前より、現在の方が状況が良いように思います。
逮捕されたことで以前よりプライドがなくなったのか、自身のオリジナル曲だけでなく「踊ってみた」に積極的に挑戦して動画を投稿したり、逮捕前からラジオ番組を通じて交流があったボカロ界隈の方と楽曲を作ることで、クリエイターを押し上げつつハイペースに作品を出すことに成功しています。
正直、逮捕された後にここまでアクティブに活動してくれると思っていませんでした。
ボカロ曲が私の音楽的嗜好に合わないので、応援はしていませんが、SNSのフォローは続けています。
たくさん傷つけられましたが、今でも幸せになって欲しいという気持ちには変わりはありません。
何より、「歌って踊ることが好き」であるということにしっかり軸を置いて活動しているのが見て取れるのが嬉しいし、どうかこのまま続けて欲しい。田口氏に関しては、いつの日かまたファンに戻る日がくるかもしれません。
勝手に比較して勝手に書き散らしましたが、どうか手越くんのファンやかつて手越くんファンだった人たちが幸せに心穏やかに暮らせますように。
もとよりアイネクライネをはじめとしてLOSER、ピースサインなど若者を中心に認知はされていたけれども、Lemonがこんなにも幅広い年代に聴かれる曲になるとは思っていなかった。音楽といえば昭和歌謡で止まっている私の母でさえもCDで何度も聴きライブDVDを繰り返し観た。その母よりもさらに流行りに疎い父でも、とりあえずは「米津玄師」の名を知っているというほど、Lemonは彼の存在を世に知らしめた。
そして8月5日、米津玄師の3年ぶりとなるアルバム『Stray Sheep』がリリースされた。Lemon、flamingo、馬と鹿など数多の人気曲を引っさげた「最高傑作」と評価されたアルバムだ。
当然私も買った。そして全曲聴き終わった後、脱力してしまった。「みんなのものになってしまった」と、ほんの少しの絶望と寂しさを感じたのだ。
私は彼の大古参ファンという訳ではないが、それでもハチ時代の曲はそれなりに聴いてきたし、米津玄師の名でメジャーデビューしてからはずっと彼を追いかけていた。ボカロPとしては伝説級の人物で、ボカロ全盛期と言われたあの時代を生きた人間にしかこの感覚は分からないと思う。多分この感情を持っている時点で、これからの米津玄師についていける人間のふるい落としにかけられていた。
「ハチ(ボカロ)の曲をバカにしていた友人が米津玄師の曲を褒めているのを見るとムカつく」というのはLemon以前、もっと言えば一回目の転機になったであろうアイネクライネ以前から応援しているファンの中でのテンプレ感情である。「応援してたインディーズバンドがメジャーデビューしてちょっと寂しい現象」と似たものなんだと思う。かくいう私もLemonが大ヒットを飛ばしている最中、自分の事のように誇らしい気持ちの裏にどこかそれと同じ感情を抱いていた。それを拗らせに拗らせた結果がこのブログだ。(そのようなテンプレ感情を患わせた古参米津オタクのみんなにはなるべく新規ファンに優しくしてくれることを祈る)
ただ、それはある種仕方の無いことだ。ハチから米津玄師初期、アルバムでいうとdioramaやYANKEEあたりの曲と、BOOTLEGやStray Sheepの曲の雰囲気はまったく異なるから。新海誠で例えると『秒速5センチメートル』と『君の名は。』くらい違う。
それでも私はあからさまに変わった彼の音楽に対して感じる寂しさを拭えきれなかった。
音楽の専門的なことはよく分からないので「この曲のこの音が〜」などと詳しい話はできないが、単純に昔の彼の音楽が大好きだった。好みの別れそうなおどろおどろしいサウンドや、少し毒々しい歌詞、名前も付けられないような感情を代弁してくれたような優しい歌詞も。米津玄師は私にとって、教室の片隅にちょこんといる人間を、誰も知らないアミューズメントパークにこっそりと連れ出してくれる魔法使いみたいな存在だった。そこで集まったみんなは似たもの同士だった。一種の選民思想的なものさえ感じていた。
だけど今では「好きなアーティストは米津玄師です」と言うのがはばかられる程の人気者になった。好きであろうと嫌いであろうと、とにかく新曲の情報が入ってくる。そんなポップアーティストとなった。
「米津玄師」の名のついたものはなんでも売れる。それくらい、彼は彼自身のブランドを築き上げた。もう小学生が適当に作った曲でも、米津玄師が製作と銘を打てば売れるんじゃないかって、そんな意地悪なことも考えたりするほど。
そして彼を好きであることはアイデンティティでもなんでもなくなった。
みんなが彼の曲を聴くから。彼の音楽が大衆文化として消費されるようになったから。純粋に彼の心地よい魔法にかかっていたのが一変、彼の噂を聞きつけた野蛮な人間に土足で村を踏み入られたように感じられて、なんだか居心地が悪くなった。
米津玄師は度々インタビューで「普遍的なものを作りたかった」と語っていた。そしてそれがLemonであった、と。
その言葉を聞いたときに、「みんなの歌」じゃなくて「私たちの歌」を作ってよ、と叫びたくなった。しかしそれと同時に勘違いしていたことに気づいた。私は勝手に自分のエゴを押し付けていたのだ。彼を自分の代弁者だ、「こっち側」だ、と祭り上げていた。彼が見ている世界は、そんな小さなものではなかったのに。だけど、どうしてもそれが、置いていかれたみたいで嫌だった。
よくよく落ち着いてみると、こうして純粋に彼の曲を楽しめなくなってしまったのは、私が本当に好きだったのが「あの頃の米津玄師」ではなく「あの頃の米津玄師を好きな私」だったからかもしれない。それはそれでかまわない。
どれだけ私が寂しがったところで、彼はこれからも素敵な曲を書きもっともっと愛されるアーティストになっていくだろう。コンサートで「誰一人この船から落としたくない」と語ったように、これからも米津玄師という船は正しく真っ直ぐ平等に、より多くの人を救うような、より多くの人が楽しめる方へと舵を切っていくのだ。
彼の素晴らしい旅路に祝福を。無惨にもその船から零れ落ちて溺れ死んだ人間から、ささやかな反逆心を持って言葉を送らせてもらう。
NTR願望あるんだけど、妻とはNTRどころか数年レスの状態。
妻は個人で仕事をしていて年中多忙で、タイミング見て迫っても「疲れている」、「時間ない」で断られ、毎日子供と一緒に寝るので、寝るタイミングでも無理。世の中の子あり共働き夫婦は性生活どうしてんの?
が、ちょうどよい動画がなかなかない。完全な創作物含めてもなかなかない。
理想としては、
・女もまんざらでもない感じ
のどちらか。
当人が恥じらいながらもまんざらでもない感じでいってくれないと、なんかイマイチなんだよなあ。
で、理想に近かったのがネットで見つけた「睦美38歳、寝取られ4P編」。個人撮影をうたっているけど、まあインディーズのAVだと思う。けど、そんなことはどうでも良い。
ぽっちゃり体型だけどそこまで巨乳じゃないのが少し残念だが、雰囲気はとても良い。徐々に脱がされていって4Pに持ち込まれていったあとも少し恥じらい感を残してて良い。
台湾の音楽にハマってから約10年、KKBOXの台頭もあってアジア圏の音楽をよく聴くようになり、さらには全世界の音楽を漁る様になった。
アジア圏に関しては、台湾を始めとして、タイとかシンガポールの音楽も探すととにかくバラエティに富んでるし飽きない。
意外にもC国もアンダーグラウンドやインディーズのシーンは熱い。
はっきり言ってつまらない。
能動的に聴かなくてもまぁテレビとかがゴリ押ししてるので耳にしたことはあるけど、曲もグループ名も何一つ全く記憶に残ってない。まじで。
なぜだろうと考えてみて、オリジナリティとクリエイティビティの欠如という理由に至った。
アジア圏に限らず、どこの国も、ポップスでも現代音楽でも意外と伝統音楽や民族音楽の名残があったりする。
音階とか和音とか、聞けば大体どこの国あるいは地域の音楽かってのは大体分かるけど、そういうのが全くない。
そういやK国の伝統音楽って聞かれても無くない?
だからこそ「これがこの国の音楽です凄いでしょー」って主張しないと周りに見出されることもないのかもしれないけど。
関心を持った人は積極的に聞いたり調べたりするから自分から主張する必要無いじゃんね実際。
曲調もパフォーマンスも、洋楽なり邦楽なりの何か売れたものの焼き直しというかn番煎じじゃん。
集団ごとの違いも見た目すら区別できないけど、それ以上に音楽の違いは何も無い。
「俺達・私達の曲を聴けや、おりゃー」ってのが音楽アーティストだと思うんだけど、「どうせあんたらはこういうの好きでしょ?」って感じで、音楽に対するリスペクトがまず無いよね。
あとは単純に見た目がキモい。
女はハンコ絵、男はハンコ絵+古臭い+顔もガタイも男らしくない+ナルシストのコンボで見るのも生理的に無理。
長々述べたけど一言で言うと音楽にもパフォーマンも関心を向けるほどの価値が見出せない。
洋楽はともかく、他の地域の音楽はテレビが絶対に取り上げないけど、そういう海外の音楽の方が絶対に面白いから漁ってみるのお薦め。