はてなキーワード: ジャンルカとは
私もその引退した彼女(Aさん)も同じジャンルで、お互い長い間活動していた。7年とか8年とかそのレベル。
おそらく同世代。
長い間活動してたのに、突然同人辞める宣言をして、日常垢だけ残して消えた。
ジャンルのことは好きだし今後も原作は追うけど、二次創作はもういい。アニメや漫画や二次創作に以前ほど100%全力を注げなくなった。とのことだった。
日常垢を見ると、仕事のことや美容のことをたまに書いているくらいだった。普通の30代女性。
今までAさんの絵や考察ツイートしか見たことなかったから、当たり前だけど普通に生きてる人間なんだなーって感じた。
Aさんの作品見れなくなるのは寂しいけど、人生はそれぞれだし仕方ない。
今までも気が付いたらいなくなった人、他ジャンルへ移動した人など山ほど見てきたし。
そう思ってた。
それからしばらく経つが、私はAさんがいなくなったショックをなぜかずっと引きずっている。
絵や漫画はまぁ好きだったけど、カプ違いだからたまに見る程度だった。
熱心にツイートを追ってたわけじゃないから本人がどういう人なのか詳しく知っている訳でもない。
同世代で、同じジャンルに長くいて、同じように同人活動をしていた人間が自分の人生を優先して同人を辞めた。
じゃあ私は?
これがずっと引っ掛かってるのかもしれない。
私は同人誌を出すという行為がとにかく大好きで、仕事はそこそこに平日の夜はずっと原稿、土日の休みもどこにも行かずひたすら原稿、原稿が終わったら次の原稿はどうしようかと考える、みたいな生活をずっと続けている。
推しカプのことを考えると、頭が沸騰しそうになり絶対に私がこれを描かなければならないという使命感のようなものに駆られる。
本当に推しカプも原作も最高でこんなに何年も追ってるのにずっと楽しくて本当に神のようなジャンルと運命のカプなんだよマジで。
そんな訳で大して売れもしないのにずっと推しカプ同人誌を描き続けてるけど、Aさんの件があって以降、心に薄っすらブレーキが掛かっているのをそれとなく感じている。
人生で仕事以外特にやることもないし、オタク・同人活動以外特に趣味もない。
恋愛とか出世とかもあまり興味がなくて、ずるずるここまで来た。
自分について考える、つまりメタ認知が強く入るとスランプになりやすい性質ではある。
冷静にならずにずっと狂ってるべきタイプ。そうじゃなきゃ創作なんて出来ないよ。全部幻覚だし。
普通のことだ。
でも仕事や美容、まったりライフに憧れがあるかと言われると全然ない。
子育てや恋愛や仕事に生きれるのかと言われると、絶対生きれない。
じゃあ創作してればいいじゃん、が答えなんだけど。
収入を上げるために行動するべきなんだろうけど絶対苦しい人生になる。でも金は手に入るかも。金が手に入ったらもう少し安心できるのかな。
金なくて野菜買うのやめとこ、って精神は確かに少し悲しくなる。昨日なった。この歳で独身なのに野菜も買えんのか?
でも、自分でも心のどこかでそういう普通じゃないルート歩んでるのがコンプだから、Aさんが同人辞めたの気にしてるんだろうな。
あ、あと同人活動やってる人間が年下ばっかになってきたからか。
最近ジャンルに入って来てくれたありがたき新規の人、20歳とかだった。
ジャンルに数年いる年齢不詳だった人、この前大学を卒業してた。
同世代もなんとかいるけど、よく見たら同世代はイベント参加ペースが極端に落ちてたりしばらくオフイベ参加してなかったりだよ。
仕事忙しいのか、体力減ってきてるのか。
なんか、この歳でこんなに本出してテンション高く大喜びしてるの私だけなんだよな。恥ずかしいよ。
でもオタクなんてそんなもんだろとも思う。
年齢とか気にするようになったのほんとに馬鹿らしいともおもう。
趣味を楽しむのにそんなアホみてぇなことで悩むな。
でも仕事という現実から逃避しているのではないか?と聞かれるとそれはそう。
今後どうするか、こんなに考えてない30代この世にいない気がしてきた。
中身が幼稚なんだよな。発達が15年遅いのは自覚ある。
普通の人生への憧れを振り切らないとずっと心にブレーキかかったままな気がする。
※ 始めにこの文は現在公開されている映画「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」の内容やSEED本編には全く関係が無い、ただの人生の半分以上を同人という世界に身を浸してきたオタクの同人懐古話である事を注記する。
20年越しでのSEED映画公開に対して某先生がコメントしていたというのを見て、走馬灯のように思い出した昔のBL同人界と同人誌の話をする。
まだインターネットが一般に普及しきっておらず、当然Twitterやpixivも無く、2ちゃんねるも出来たばかりぐらいの2〇年前の話だ。
当時の情報媒体はまだ雑誌が主体であり、同人誌の頒布方法はイベントか通信販売だった。
書店委託(当時はアニメイトかまんだらけ)で買えるのは一部の大手だけであった。(書店委託できるサークルは大手の証であった時期)
では大多数はどう通信販売をしていたかというと「自作同人誌の情報を雑誌(ぱふ・アニメーシュ・COMIC BOX ジュニア・ファンロード等)に掲載・ペーパーを配布(イベントかアニメイトかまんだらけ)し、欲しい人は記載された住所に手紙を出し、サークルと直接取り引きをする」だった。
前述通り、住所で調べたら行き方や家の画像が出てくるNAVITIMEやgoogleMAPは勿論無い時代で、むしろ住所は載せなければ通販はできない時代だった。(個人情報保護の考えや法案等は勿論無い)
この「サークルと直接取り引きをする」というのは、つまり当時通販作業は殆ど全て作者本人の手作業でやっていたのである。同人誌の梱包作業の為の資材準備から、何十・人によっては何百・何千件の郵送手配まで全て。
当時は資材準備に便利な百均や郵送を遅い時間や土日祝でも受けてくれるコンビニも無かった(コンビニ自体はもうあったが郵送受付は2004年以降)為、生まれた同人界のマナーがあった。
「通販を頼んだ同人誌は1ヵ月以上待つ事もある、だからと言ってサークル主さんにせっつくのは辞めよう!貴重な時間を使わせているし様々な事情もあるだろうから」
ここまで前提として話した上で、当時同人界隈の問題の一つとしてあったのは「サークルで予告された同人誌が出ない」だった。
中には予約まで受付して代金を徴収していたにも拘らず、作者がやる気を無くした、または別ジャンルに移る等様々な事情で発行できなくなったケースがあり、仲間内で話されるも表沙汰にはなかなかならなかった。
何故かというと前述した理由により、何ヶ月でも待つ方が多かったというのと、予告はサークル側の口約束であり、法に問える可能性は少なく、被害額も一人何百円程度が殆ど、そもそもが同人活動という一種のグレーゾーン社会の中での出来事と有耶無耶になってしまい、結局は通販を頼んだ側の泣き寝入りになっていたことが多かった。
某先生の話に戻す。
某先生は既に商業誌で活躍されていらっしゃる中、漫画ジャンルのかなりマイナーなカップリング(A(攻)×B(受)と表すると、B受自体が少数派の中、B受の主はC×Bだった)の同人誌を出されており、高い画力と美しい表紙で人気だった。
シリーズ長編として銘打たれた分厚いA×B本を発行し、「続きは次のイベントで発行します!」と宣伝。
売り子さんだったとは思うが発行延期になったという話にガッカリはするも楽しみに待ち続けた。
Bはその当時、最愛キャラとして推していた(当時は「推し」という単語は無かったが)のと、某先生の美しい絵での貴重なカップリングでの重厚な物語にすっかり虜になっていた。
友人も某先生の大ファンであり、その本については予約もしたと得意気に話していたのを覚えている。
自分の中での妄想を(今でいう三次創作になるだろうか)ノートに綴ったりもしていた。
その後、ペーパーにて「発行が遅くなってすみません」の言及で、出す気はあるんだと少しの安心と、「○○の本は出すのにこっちの本は出さないんだな」とモヤモヤした思いを抱き続けていた。
月日は経ち、ペーパーからはその本の発行予定は消え、ガンダムSEEDが放映され人気ジャンルとなり、人気サークルの中に某先生の名前をお見掛けし、ガンダムSEEDの推しキャラAへの愛を綴っているのを見、自分の中で
「あの本はもう出ないんだ」とやっと諦めが付いた。
あの当時同人誌を出されていた方々で、今では一般誌やBL商業誌で活躍されている方も多数いる。
この件についてはとっくに時効でもあるだろうし、自分も今更問い質すつもりは毛頭無い。
当時の同人界隈ではサークル規模の大小拘らず「良くある事」だったのだ。
ただ、某先生の名前を見かけるたびに未だに思ってしまうのである。
「あの本は出なかったな、せめてどんな話だったかは見たかったな」と。
※2〇年前の話なので勿論齟齬や記憶違いも多分にあるかとは思うが、記録として残したいとも思い投稿した。訂正、指摘は歓迎する。
勿論、「某先生を侮辱するな、あの本は発行されている」の話があれば喜び勇んで検索の旅に出てこの文は全消去する。
※また、蛇足ではあるが、当時同人誌の通販をした人が何ヶ月でも待つ方が多かったというのは、決して我慢強い方が多かったという訳では無いと言っておく。
そしてその経験があるからこそ、自分は今の同人文化については「良い時代になった」という思いでほぼ占められている。自分の欲しいカップリングやジャンルの同人誌を探し手に入れる為に作者本人に手紙を出し、通販希望のみだと作者に失礼に当たるからと感想を捻り出し郵送を時には何ヶ月も待つ、あるいはイベントでのパンフレットのサークルカットの絵やジャンルカップリング表記だけを頼りにするしかなかったあの頃になんて戻りたくない。
公安警察や公調の現役職員が愛読してる月刊誌があるらしい(書店には置いてなくて定期購読前提)。
大っぴらに社員採用を全然やってないような零細出版社が出してる雑誌で、警備局あたりの30代キャリア警察官僚がペンネーム使ってバイト原稿書いてるんだと。
試しに、
ニュース番組、YouTube動画、下手すりゃ全国紙にすら名前出てこないけど知る人ぞ知る某民族団体超大物幹部のフルネームでGoogle書籍検索かけてみたら、まさにこの公安系月刊誌の記事がいくつかヒットして驚いた。
クソ面白そう。
業界誌は幅広いジャンルカバーしてるっていうけど諜報活動に関するネタ専門の雑誌まであるなんて全く知らなかった。
せいぜいラヂオプレスを知ってたくらいで。
俺が知らないだけで意外とそこらへんの一般市民も読んだりしてんの?
「俺を採用しなかったローソンで新人バイトを見かけると粗探ししてしまう癖」っていう増田が消えてたんだけど
今同人でもそんなふうなのが見えるから大変そうだなって思った話。
絵師Aさんと小説書きBさんが仲良くしてるのが気に食わない人がしつこく毒マシュマロおくってるようだ。
その毒マシュマロを送ってることによってAさんとBさんがとても親密にみえる。
なんならいずれ合同誌でも出しそうなふうに目立って見えてる。
AさんもBさんもそれぞれ人気ある人でジャンルカプとも同じだがジャンル歴と作風がよくみるとちょっと違う。
AさんならBさんのための表紙くらいなら書けるだろうけど、正直Aさんの作風は万人向けに訴える小説表紙向きではない。
ただ、普段の作風や事情を知ってればAB合作はたまらんものになる可能性はある。
Bさんも丁寧な描写でエロくなくても字数が伸びるタイプで似てるといえば似てるし着眼点も似てるんだろう。けど。
結局毒マシュマロを通報でいなせずに表面に出して生真面目に怒ってくれる、イジりがいがあるってのがこの人たちの最大の共通点なんですよね。
いくつか「毒マシュマロに対していっておきたいこと」をタイムラインで発表した中には、
温和な傍観者である私にさえ刺さる(それはちょっと違うでしょうと反論したくなる)ものがあった。
AさんBさんとも「慰めマシュマロも多数頂いている、それはありがたい」とのこと。
Aさんに毒マシュがきたらBさんがタイムライン内で「そういうの信じられない」といいBさんに毒マシュがきたら「ダメですよねやっぱり」という。
大手が弱ったところにつけこむかまってちゃん行為みたいで逆に顕名のほうがわずらわしくない?って私なんかは思っちゃうんですけどね。
片方とは直接タイムライン内でリプ応答したことがあったけど、今は私なんか目にも入ってないだろうし
顕名なぐさめするほどそもそも毒マシュも正マシュもきてない。ジャンルの空気です。
なんだかんだなぐさめあいながら結局やっぱり毒マシュのみに過敏に反応して
(悪くいうと)それをサカナにオープン垢でいちゃついてみせるAさんとBさん。
私は今はどちらになにをなげつけても毒マシュに受け取られる可能性があるなと判断して
加勢?はげまし?したくても一切手を出さないことにしているんだが、そもそものそもそも。
マシュマロ公式早くきづいてあげてほしい。これマシュマロでやるべきことじゃないんだよなぁ。
「空気でいいや」って態度で、
控えめに地味に前ジャンルで創作してたらなんかブロックして去られることがつづいたんだよね。
ドマイナーカプだから、他の人がどう動いても加勢と受け取って味方でいよう、
ネタぱくられたら「ばんざい、新作一冊ください」って言おうって。
増田でしかできない、増田だからこそできる話をしようと思う。「苦しんでいる人はこういうふうにがんばって」というよりは、苦しんでいる頃の私がもしこういう文章に出会っていたら少しは救いになったのかも、という話。
もう大分長いこと、二次創作を続けている。絵を描くのも文章を書くのも、どっちも昔から好きだったけれど、私は文章を選んだ。生まれて初めてWebサイトを作ったのが小学六年生のとき。当時PCは高級品で、クラスでも家にPCがある子は少数派だった。内気で友達の少なかった私は定年退職した祖父のPCを(怒られながらも)使って、二次創作にのめり込んでいった。オリジナルも書かなかったわけではないが、余程の技量がない限り誰にも読んでもらえないオリジナルより、多少拙くとも萌えさえあれば読んでもらえて、反応がもらえる二次創作が好きだった。続けるうちに、友達が増え、引っ込み思案な性格も徐々に変化していった。二次創作は私の承認欲求を満たし、自己肯定感を与えてくれた。Web拍手の解析ページに毎日毎日アクセスし、コメントが来ていると飛び上って喜んで、ますます執筆に入れ込んだ。筆が早い事もあって、評判は上々だった。
ところが、書いても書いても全く反応がもらえない時期が訪れた。どんなに心を砕いて、言葉を尽くして、魂を込めて書いたところで感想が来るどころか読んでももらえない。つらかった。本当にしんどかった。マイナージャンルのマイナーカプ、しかも地の文濃いめのシリアス。負け戦なのは分かっていた。それでも誰かに届けたくて、この熱い思いを分かち合いたくて、書き続けた。しかし、変わらず反響は無い。毎日欠かさずチェックしていたアクセス解析を見る事もできなくなった。あるとき完全に心が折れた。半年かけて書き上げた本が、全く売れなかった日のことだった。サイトを倉庫化してpixivからも姿を消した。悔やんでくれる人さえいなかった。私は途方に暮れた。
しばらく経って、私はアクティブな書き手が自分しかいない古いジャンルカプにいた。楽しかった。感想の数なんか気にしなかったし、アクセス数すら目に入らなかった。実際に、長い間やっていたのに反応はほとんどなかったし、pixivに上げたところでブクマなんか付かなかった。それでも私は楽しく書き続けた。のびのびと、「部屋中にらくがきをしていいよ」と言われた子どもみたいに、好きなものを好きなだけ書いた。
書くのが楽しくなってくると、もっと良い文章を書きたくなって、トレーニングの一環として詩を書き始めた。その頃、実生活でもいろいろと変化や発見があり、詩にすることには事欠かなかった。はなから誰にも見せないつもりだったので、私は自分のためだけに言葉を紡ぎ続けた。言葉は溢れて、私はいつも言葉の渦の中にいた。
それから、勉強。「ホモ小説を書くのに、なんで勉強?」と思われるかもしれないけど、現役大学生の頃に難しくて放り出した本をもう一度読んでみると、面白いほどするすると頭に入ってきた。難解な本を読んでいると脳がぴりぴりと痺れるような感じがして、アイディアが次々に湧いてきた。レヴィ=ストロース『神話の構造』、キャンベル『千の顔をもつ英雄』、ベンヤミン『複製技術時代の芸術』、バシュラール『空間の詩学』、ユング心理学など。映画もたくさん観た。コメディからサスペンスまで、代表的なものをひととおり。物語の骨組みを分析し、レビューや批判にも目を通した。
本や映画、実生活から小説の種を見つけ出してはつぶさに書き留めた。2,3も合わせればすぐに1本書けた。ジャンル原作に関連する情報を求めて国会図書館に赴き、英語の情報を辞書片手に必死で読み込み、舞台となった街をこの目で見たくて海の向こうへも出かけて行った。どっぷりと原作世界に浸り、原作世界を愛し、原作世界に遊んだ。誰にも構われなくても、誰にも褒められなくても、こんなに楽しく幸せなことは他になかった。
そんな紆余曲折があって、現在、比較的人口の多いジャンルにいる。今も変わらず、感想も反響もアクセス数もブクマも全く気にならない(もちろん、あればすごく嬉しいけど、以前のようにはいちいち心配しないという意味で)。すると、私の小説を好きになってくれる人が徐々に現れ始めた。風化しつつあったメールボックスに熱のこもった感想メールが連日届けられ、そこには「○○さんの本は宝物」「○○さんのABが一番好き」「何度読み返したか分からない」「読んでいると幸せ」「○○さんは私の神様」など、およそ信じられないような言葉がたくさん並んでいた。なんだか「幸運のネックレス」みたいな話だけど、実際に私の身の上に起こった話だ。
そして、それはおそらく、誰よりも私が私の作った本を宝物のように思っていて、私の書くABが一番好きで、何度読み返しても飽きなくて、読んでいると幸せで、私の世界では私が神様だからだ。……と、自分では思ってる。私は技巧や内容云々というより、時間をかけて心を込めて書いたというだけで、自分の文章を我が子のように愛することができた。
私を"感こな"の暗闇から連れ出してくれたのは、「書いても書いても読まれることさえない」経験、「何物にも囚われず楽しく書きまくった」経験、それから地道なインプットの積み重ねだった。誰かに見て欲しくて認めて欲しくて藻掻く日々から抜け出してみると、枷が取れたように心と体が軽くなって、自分の書くものを初めて自分のものにできたような気がした。そして思うのは、「苦しみたくないから、誰からの評価もジャッジも受けない」と引きこもるのではなく、苦しみながらも書き続け、晒し続けることを選んで本当に良かった、ということだ。私の場合、その過程を経たからこそ、「苦しまずに書き、楽しく共有する」現在がある。
文章(絵)がうまくなりたい、感想が欲しい、自萌えできるようになりたい、褒めてもらいたい……二次創作に限らず、そんな欲求に苦しめられて創作を心から楽しめなくなってしまう人は少なからず居るはずだ。そんなときは一度、思い切ってそれらの欲求を手放してみて欲しい。つらく寂しい道だと思うかも知れない、けれどそれはきっと「つくること」のごくごくシンプルな楽しみへとあなたを導いてくれる、そういう明るい道のはずだから。