はてなキーワード: P.S.とは
仕事内容を簡単に言うと、そこでずっと使われているアプリケーションの保守(改善・機能追加)で、そのアプリの開発統合環境を私は知らないけれども、そこも教えていくので一緒にやりましょうというもの。
業務自体は1日8時間で、残業もなくやらせてもらってる。(実際ものを覚えても残業は少ないみたい)
出向先になる職場の人も優しくて分からない点は教えてくれるし、興味があればでスポーツやFPSの誘いもあって、それに乗らなければならないというわけでもない。
何が問題かといえば、手取りが15しかないこと。(ボナは0.5ヶ月)
出向先の方が2~300万クラスの車乗ってて「車持たないと不便じゃない?」と言われたり、スポーツも金のかかるスポーツを誘われたりして生活レベルに差を感じる。
正直私もスポーツ(ゴルフとか)したいし車も持ちたいとは思うけれども、それをしたらもう貯金はできないよね。
大企業から受注を受けている会社に派遣で入る社員。つまりは出向SEだが、ここで頑張っても給料増える気がしない。40代になっても手取り20超えないのではないかと思ってしまう。(いくらなら妥当なのだろう?)
http://anond.hatelabo.jp/20160228001028
あれを書いた意図ははもちろん、「ニッポンがんばれ」だ。日本のITを取り巻く状況は変わらないといけない。だからこそディスったのだ。
(保育園落ちた日本死ねと書いた人もおそらく、日本もっとちゃんとしてよ!という意味で書いたのだと思う。)
ありがたいことに非常に多くの反応があり一通り全部読ませていただきました。
しかし本当に見たかった「いや、ニッポンはIT大国になれる」という説得力のあるコメントや記事は見つけることはできませんでした。
エンジニアリング的視点といえば、機能を削る、過去を捨てるという視点が欠落しているケースは大抵うまくいきません。「新しい」ものを作るのに、「あれもこれも」持っていこうとすると大体破たんします。「いや、今までこういう風にやってきたから」というのが唯一の理由ならば恐らくその機能は必要ありません。妥協も当然必要なのです。
自分は魔人さんには程遠い普通のおっさんですが、今はアメリカのBIG 5の一つでエンジニアをしています。
成果を出さないといけないというストレスは強いですが、それ以外の余計なストレスは極力少なくなるように配慮されていますので、純粋にモノを作る楽しみを味わうことができています。
一度は国内ITベンダーに就職し嫌になってやめました。心身も壊したりもしました。(仕事だけが原因ではないですが。)
純粋にソフトウェアを作って世の中に届けて対価を貰いたい(できればたくさん)、という単純な願いを日本で実現するのは難しすぎました。
製造業のコアはどんどんソフトウェアにシフトしていっています。大事なのは材料よりもレシピです。レシピを考案して組み立てを外注するのはまだわかります。ただ、レシピを外注するのはやめるべきです。そんな当たり前の事を口に出すと白い目で見られてしまう場所で幸せに働けるでしょうか?私には無理でした。
日本には輝ける「はず」のエンジニアがたくさんいるのです。(小中高での算数・数学教育のレベルは高い)その人たちが自分を殺して働いたり、心身を壊さないといけなかったり、国外に脱出するハメになったりしているのは悲しすぎます。冗談ではなく、国家的損失だと真剣に思います。
あれから一年しかたっていないけど、ニッポンはIT大国を目指して進んでいるだろうか?エンジニアが十分報われるようになっているだろうか?
ITベンダーは何も変わっていないでしょう。ただ、見聞きしたところだと、Web 系のスタートアップとかには優秀なエンジニアが楽しそうに仕事をしているところがあるみたいです。まだ世界を席巻するようなサービスは生まれていませんが、可能性はあると思います。(英語でサービスを提供することがネックになっているのかもしれません。)最近某スタートアップのCTOと話す機会があったのですが、日本のIT産業構造の問題を解決するのを会社の大きな目標にしていると言っていました。オッス!オラ、ワクワクしてきたぞ!
ニッポンがんばれ。超がんばれ。
ニッポンのココがすごい!という趣旨の番組が最近多いけど、ニッポンのここがダメだという番組も作ったほうがいいと思う。
(自画自賛ばかりしている会社と、自社の問題点を探している会社。伸びるのはどっち?)
(追記)
なんか最後のP.S.のせいでテレビ番組に関するコメントがいっぱいになってしまった・・スマン。IT業界の話がしたいんだ。
1) ところで、IT業界の問題の根本原因は「平等主義」「リスクを取らなすぎ」に加えて「顧客第一主義」が大きいのではないかと思う。
リスクを取りたくないので、自社製品開発よりも受注生産を選ぶ。(そうるすことで作ったけど一つも売れないということはまずない。)
顧客第一主義なので、詳しくない客の言うことにも真剣に振り回される。(もし自社製品を作って世界中の顧客に届けるモデルならば、他の客を優先するという選択肢もある)
本当に革新的なものを作るには、ユーザーの意見をいくら集めても無理である。ユーザーは自分が何が欲しいかは往々にして知らないのだ。(タッチスクリーンのスマホがまだなかったころ、ユーザーはそれが欲しいと知っていただろうか?)
リスクをとってユーザーを「作る」。このチャレンジを繰り返すことが革新を生み出す唯一の道だと思う。(そして銀行もリスクをとってそういう会社にお金を貸そうね。まる。)
2) IT大国じゃなくてもいいじゃん?みたいな意見も結構多かったけど・・
石油がジャンジャンとれる資源大国とかならそれでもいいかもしれない。けどそうじゃない。だから日本は資源を輸入して製品を作って輸出するという加工貿易モデルで今まで生き延びてきたのだ。
その主役は今までは製造業で、日本はその世界でもかなりのシェアを誇ってきていた。けど、製造業のコアはソフトウェアにどんどんシフトしていっている。今の世界時価総額ランキングを見てみると上位はほとんどアメリカのIT企業。これが今の花形産業だ。(ひと昔前は日本の企業もたくさんあった。松下とか)。今ではようやく30-40位ぐらいにやっとトヨタが入ってきているぐらい。Space X の例をブコメで書いている人がいたけど、ロケットだろうがなんだろうが最先端機器の性能はソフトウェアに大きく左右される。「ソフトウェアを作る力≒モノを作る力」になってきつつある。(実際の加工工程だって3Dプリンタ等のソフトウェア技術が大いに使われるようになってきています)
しかもこのあと来るのは大幅な人口減少と老齢人口の増加。これはどうしたって避けられそうもない。それでも日本のソフトウェア業界が弱くてもいいじゃん?って言えますか??
ハルキストだ。
目覚めたのは高校生の頃。
たまたま手にしただけなんだ。嘘じゃない。
ちょうど年頃だったので恋愛やらセックスやらの話が読みたかったんだ。
1q84は楽しかったし、多崎つくるは80点くらいで正直あの話題になったアマゾンレビューの方がクリエイティブだったかな。
彼女には俺がハルキ好きなこと伝えている。好きになった経緯も、好きなところも。
でもだめだ。
もうハルキをディスるのが体に染みついているみたいで、ご飯食べて仲良しムードになった帰り
「どこが楽しんだろうね」
とディスってきて、俺は「そうだね」と返した。
それ以外返せなかった。
「ハルキストの男たちはみなセックス下手って友達と言ってるw」
「ハルキストは厨二」
そういう言葉に俺は心えぐられてきた。
もう、たくさんだ。
どうやら俺はここまでだったようだ。
あとは任せた。
本当に好きだったんだよ、嘘じゃない。今でも目をつむればあのころのことを思い出せる。
でも思い出すのに時間がかかるようになっただけなんだ。
フェラーリの比喩とかああいうの結構手垢のついたものだろ、文章うまいとかいいすぎじゃないか?
「ADHDだけどがんばってます。」っつう前置きがなければ叩かれるかスルーされててもおかしくないと思うんだが
それにしても本人降臨って中々ないよな
さっき、テック系ブログのRSSと一緒にホットエントリのRSSを外して、アプリを削除したよ。何年の付き合いだろう?サービス開始からだから・・・悲しくなるから確認せずに行くよ。
最初はダイアリーに書いて、反応なんて全然なくて、広告コメントばかりだったな。いまでもはてなの知り合いはいないんじゃないかな。
ネットコミュ障なんだ。Twitterとか色々やってるけどやりとりする相手なんて誰もいないよ。
僕は君になにもできなかったね。本当に君の事が好きだったのかな?本当に村民になりたかったのかな?多分、違う。本当はブクマされて、スターつけられて、承認欲求を満たしたかったんだ。
意識高い系を笑えないよね。何年も異性にお金を注ぎ込む人を笑えないね。僕もずっとホットエントリを見て、色んなものを買ったりしたんだ。
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どうしてこうなったか?聞きたくもないだろうけど、最後だから言わせてくれよ。
初めて君を見たとき、天国に見えたよ。最新の技術トレンドがここにあってさ。自分の理想郷はここなんだって。技術力をつけて、認められる人間になって、ここの住人になる事が幸せなんだって思ったんだ。
そうやってさ、次々流れてくるトレンドに耳だけが年増になっていって、それを知らない周りの人たちをバカにしてたな。
でもさ、肝心の技術力は全然つかなくてさ、大学生になれば、就職すれば、東京に出れば、新しいマシンがあれば、お金があれば、時間があれば、やる気があればって制約条件がなくなる度に新しい言い訳を考えてたな。
結局、生半可な知識じゃ参加できないってチンケなプライドのせいで勉強会に参加せず、ブログも書かず、なれたのは一番軽蔑するExcelとにらめっこしてるSIer。おいおい、Web系のベンチャーでテックブログ書くんじゃなかったのかよ(笑)
耳年増で、周りをバカにしてたクセに仕事が全然できない自分とのギャップに10年耐えてきたけど、年末に休職したんだ。自律神経失調症。
眠れるんだよ?ごはん食べられるんだよ?ただ、会社の人みんなが怖くなってさ、朝だるくってさ、すげー疲れてさ。苦しくて。仕方ないから受け入れて。っていうか、甘やかして。つまるところ、ズル休みなんだよ。
時間が出来たから、ずっと積ん読になってた技術に正面きって立ち向かってみたんだ。すぐ投げ出したね。理由は分からないけどただ苦痛だった。
作りたいものなんかなかったし。多分、技術を使いこなしてスゴいって言われたかったんだね。
部屋にはPerlやRoR、SQLite、jQuery、node.js、AWS、Haskell、Hadoop、Docker、Raspberry Pi、R、Reactのホコリを被った本がある。彼らはブックオフ行きかな。
最近は時間はあるからさ、はてブばっかやってたんだ。見るのがホットエントリから新着エントリーになったな。いつもみたいに100文字制限ギリギリのコメントだけじゃなくて、10文字くらいの一言コメントも書くようになったんだ。その10文字コメントのうちひとつが100スターくらいもらえてさ。
そのとき分かったんだ、これはずっと片思いなんだって。叶わない恋なんだって。自分が住める世界じゃないんだって。おかしいよね、小学校の頃のプロ野球選手の夢だって、中学生の頃の小説家の夢だって、高校の頃のパンクロックスターの夢だってすぐ諦められたのに、この夢は35歳の今だって諦めきれないんだ。
応用情報取った時も、ネスペ取ったときも、オラクルブロンズ取った時もLPIC 2取った時も全く達成感なかったよ。コレ取るのに何年かかってんだってさ。村民は1ヶ月あれば取れるぞ。同期のアイツだって3ヶ月で取ってるぞ。何が言えるんだってさ。
銃・病原菌・鉄読んだ時もそうだった。で、お前はそこから何かアウトプット出来るのか?ってさ。読むだけなら幼女でも出来るんですけどwって。
伝わる?伝わらないだろうな。みんな高IQですぐに色んな技術を理解出来るじゃない?すごいよ。自分は二浪で駅弁大学しか行けないくらいのバカで、リアルでもネットでも知り合いを作れないコミュ障で自己承認が全然出来ないんだ。
ADHDって言葉を知った時、これだーって思ったけど違ったね。ITの勉強してても過集中が全然ないんだ。
話が逸れたね。認知療法してて、気づいたんだよ。何をしてても自分を認められないんだよ。はてなに受け入れられる事を成し遂げられてないからね。
だから、自分を認めるために、君のことを自分から切り離さなきゃいけない。自分の世界を作らないと。一方的になっちゃうけど、さようなら。勝手だけど、今にも泣きそうだよ。
これからどうしようかな。匿名で好きな事書けるのはココだけなんだ。自信のない間違ってるかもしれない事を書いてもいいのはココだけなんだよね。ここなら見たくないコメントを見なくてすむんだ。
でも、前に進まなきゃ。夢の世界への憧れは終わりだ。目の前の現実世界に適応しなきゃ。また逃げ戻ってくるかもしれないけど、いまはさようならしなきゃ。
最後に何か残せるとしたら・・・スタバのハチミツ、あれ何に使うと思う?あれ、ワッフルを食べるときに使うんだよ。
・・・スベったね。
さようなら。このエントリも2時間すれば次のページ行きだ。そうすると、誰かの目にも触れなくなる。単なるはてなの磁気データになる。
最後にブコメとかつくんじゃないかって浅はかな期待を持ちながらこの内容を登録するボタンを押します。じゃあね。
P.S. 認知療法について書いてくれたこの増田には本当に感謝しています。まだまだ自分について書く事が苦しいけど、正しい道を向いてると信じています。
とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。
それは原作が推理小説にカテゴリーされているからとか、原作者が江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。
私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。
もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ。
なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。
本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。
また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。
(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)
つまり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。
本作はDVDの発売が決定しています。
公式DVD予約サイト:http://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/
(発送日未定。予約は3月末まで)
めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。
「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。
こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通の演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。
たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。
https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660
高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)
原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作の本質を描いている』けど、ある意味『原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。
そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。
一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)
ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。
あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足の神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。
そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。
また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しましたか?
公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。
本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。
できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)
この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩の原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。
私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。
一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。
最後に公式各位。
ネタバレにあたる部分は私の個人的なミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。
と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉がスムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理。
ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。
ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。
p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。
それでははじめます。
無人の屋敷に風が吹き込む
暗転
まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる
「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本とかいうものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界や日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」
暗転明け
無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。
彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。
http://anond.hatelabo.jp/20170206104211
ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。
当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人と動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。
作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。
『認知を歪められている感覚』なんて中途半端なものは見過ごせない。
そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。
そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。
それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある『真意』を隠しているということにある。
しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。
そのために以下のことを行った。
そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業。
二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。
これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。
しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。
そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。
冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。
後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。
これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。
では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)
箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである。脱出できた時なんて笑いあっていたりする。
これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。
『生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。
諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。
ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。
これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある。
あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。
しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。
そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。
実はこのセリフ、原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ。
「君は浅間しいと思うだろうね」と。
箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。
そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。
もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?
あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。
大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪の感情を見せるが、石田箕浦は同性愛を嫌悪していない。
諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線(性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。
(スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態。熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)
原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。
簑浦と箕浦、原作とは名前の漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。
石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。
「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」
諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……
石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。
しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。
諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身も不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。
我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。
諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。
箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識の刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。
石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在…
これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。
彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。
井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。
そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。
よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドルは恋愛しちゃいけない』理論だ。)
ではなぜ超自我のポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。
箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。
佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。
そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。
握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから。石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。
諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。
一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。
しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。
逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。
諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。
井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的に同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。
そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。
先述の通り、私の推理動機は叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。
からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのままを最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列で観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。
で、共に推理していた友人が先に原作の叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。
しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだと確信してしまう。
これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリックの説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。
本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。
さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?
この件について私は非常に貴重な体験をする。
本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。
友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)
当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快な感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。
不快感を分解していく。
友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。
友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。
増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」
結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。
さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」
感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。
私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブな体験談がバンバン出てくる。
共に推理し原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。( Permalink | 記事への反応(0) | 22:47
ちゃうねん。別に13万仕送りもらっている事自体に問題があるわけちゃうねん。
13万仕送りもらっていることに突っ込んでるやつもおるけど、本質はそこちゃうねん。
だって、別に金持ってるやつ(親)が何使おうが勝手やん。むしろ娘(息子)が学生の本分である学業に専念できんのやったら仕送り結構やん。
Twitterで晒し上げられてるやつが叩かれている理由はな「誰にも甘えられない環境に身を置きたかった」って太字で堂々とコメントしてるからやねん。
「13万もろてて、甘えられない環境て。ほんま何を言うとんねんコイツは!」ってことやねん。
まぁ、折角バイトとかせんでもいい、えー環境におんねんから、しっかり勉強しーやー。
失意の中、遺品とか、記念写真を整理していた。そんなときに気づいたことがあるからメモ。変な言い方だけど、生きてるカップルさんは参考にしてほしい。
肉声を残しておこう。
ボイスメッセージとか、動画とか、スマートフォンで簡単に記録できる時代だから、残しといたほうがいいよ。なんかの記念にLINEでボイスメッセージで「お誕生日おめでとう」って言い合ってみたり。
亡くなって時間が経つと、どんな声だったか、じわじわ忘れ始めててくんだよね。思い出そうとしても難しい。
重い病気とかであれば事前に死ぬことがわかってるから手紙とかビデオメッセージとか用意したりするけど、健康体だったら、まさか死ぬと思ってないから作らないもんな。明日も会えるし、って。
二度と声が聞けないのと、音声ファイルが一つでも残ってるのは全然違う。
マジで。
録っておけよ。
P.S.プリクラとか、寝顔でもなんでもいいから、顔が写った写真はできるだけたくさん撮った方がいいよ。最後に会った日ケーキの写真しか残ってなくて顔写真なくてすげえ後悔した。
id:aukusoeのブコメを見て実録レズセックス音声を探しにDLsiteまで赴いた我々は
トップページに表示されるゲイ向けカテゴリーのイメージがマッチョな熊さんであることを発見した
前々から思ってたけど何故にゲイにはケモ好きが多いんですかね?あるいはケモ好きにゲイが多いというのか
かの細田守監督もショタとオスケモ大好きですし、テディベアやら野獣やらゲイとケモノのイメージは一般的にも隣接していますね
これは野生動物におけるホモセックスが動物としての能力の高さを示すマウンティングであることに由来するのでしょうか?皆さんはどう思いますか?
件のものは見つかりました。
現在ハイレゾ対応のスマートフォンへの買い替えを検討していますがauの冬モデルは魅力的なものが少ないですね。
では、ごきげんよう。
去年、某会社の某社員をヒエラルキーの一番上において炎上したことがあったが、アレの上に書いてあった「 某するなら、まず人脈♪」はあながち間違ってもいないと思う。
プログラミング””自体””には人脈はそこでも必要はないが(詰まったときに人脈があるとTwitterで「これできないなあ、どうやるんだろう」と言ったら優しく教えてくれる人がいるかもしれないけど、大体の場合googleでしつこく検索すればなんとかなる)、
プログラミングの””成果””を褒めてくれる人はいたほうがいいと思う(非職業プログラマーの場合)。
なにかプログラムが出来ても、人脈がない、宣伝も下手だと、(人脈がある)〇〇さんはあんなに人気出てるのに、どうして俺は・・・みたいなことになる(俺はなった。他の人は知らない)。
職業プログラマーはそれで飯を食ってるから、自己顕示欲が満たされなくても(あるいは給料が自己顕示欲を満たしている?)給料もらってるから・・・ってなって、プログラミングは飽きないんだろう(推測)けど、
非職業プログラマーはプログラムを書いても飯が食えないので、どうしても、飽きる方向に向かっていってしまうのかなあ・・・
まあ、非職業プログラマーでも、Android StudioとかXCodeとかで自分だけ用のアプリをポチポチ作ってれば案外飽きないのかもしれない。
となると、人脈がないのにユーザー1万人ぐらいくると思ってWebサービスを作ってたのがいけないのかなあ。
p.s. どうやって人脈得るんですか?
大学受験で以前こんな感じの記事を書いた。一応、その続きです。
一浪で受験に失敗した人の末路は
http://anond.hatelabo.jp/20130311000638
結論から言うと来年から東大の大学院に行くことになった。
表題で結構煽ってる感じするけど、書きたいのは「学歴コンプは院ロンダで発散しよう!」みたいなやつじゃない。
まあそういうの書いた方が反響がありそうだが。
んで、じゃあここでなに書くつもりなんだよwって話だけど、院ロンダの話より前の記事の続きで、ただ切り替えが大事って話。
上の記事の後、失意のうちに大学に入ってずっと引きずって、仕方なく入ったサークルにも顔を出さず。無為に過ごしていた。
そうして一年終わる頃、友達に誘われてちょっと企業の説明会に行った。そこで聞いた話は覚えていないが、様々な仕事はやけに面白そうに感じた。
そしてその時に「ああ、この先の人生って今よりずっと長くて、ずっとやっていかなくちゃいけないんだなあ。」と理解した。
サークルに出て部長をやったり、バイトを始めたり、気になったことを自分で勉強したり、そこから大学生らしい大学生をし始めたと思う。
くだらないがやはりそこから様々な学びを得た、これは前を向いたからこそ得られたものだ。
理系にしては珍しく就活もし、より環境の良い外部の院を受けるというのも、この先自分がどうあるべきかを考え続ける積極的な姿勢が作られたからだろう。
学歴コンプはそのうちに消えていた。奇しくも東大の大学院に入学することにはなったが。
失敗をしない人間など正規分布の2σより上の層みたいに思っておけば良い。
多くの人間は失敗する。
失敗したときに次に行動をできるか、失敗の中から成功を見出せるのか、これが僕が体験したこと。愚者は経験に学ぶは正しい、こんなの早くに気づけばよかった。
P.S.
ロンダしたい人、まあ勉強頑張って下さい。僕は過去問3年分解いただけでそんなしてないです。
ロンダは認めねえ!って人、認めなくてもいいです。東大の良い研究環境を僕が寄生虫としてしゃぶりつくすだけなので。
仮面浪人、二浪を考えている人、失敗したらしたですぐに次を考えるだけのことです。ひょっこり院で東大入れるかもしれません。
くだらない記事書きやがって!って人、僕もくだらないと思っています。
ただ注意して欲しいのは失敗を肯定しているわけじゃない。京大は今でも入りたい。
ただ、失敗を引きずって無為に過ごしてはダメだった。再受験だろうがなんだろうが、次に目線を合わせなきゃいけない。時間は過ぎるのだから。
飛行機に乗るために自腹で金を出し、1週間もの訓練をしますか?
せめて1年ごとやらないと、まともに降下は出来ませんが。
降下のためにパラシュートに装着するハーネスは、個人の体格に合わせて調整が必要です。
降下するためには機体後部から順番に飛び出さなければならない。前部とかだとエンジンに吸い込まれたり翼に引っかかって身体はバラバラになります。
もし、エンジンに吸い込まれた場合は、正常なエンジンであっても破壊されますので、墜落が早くなります。
後部にだけ重量が偏った場合は、バランスが崩れて墜落を早めます。航空機の荷物や人員はバランスを考慮して積載されます。
誰かが尻込みをしたらそこからは誰も出られません。後ろから押したら殺人未遂です。
小さな子供や障害者にはパラシュートハーネスが取り付けられません。
子供や障害者は置き去りですか? このような弱者を最初に保護しなければならないのに。
よしんば、パラシュートを装着して飛び出そうとしても、旅客機は時速800km/hで飛んでいます。出たとたんに何も装備していない生身の身体はバラバラになります。
水平飛行を保って飛ぶためには300km/h以上の速度が必要です。
それでも相当な衝撃を受けます。訓練されていない場合、確実に意識を失います。
旅客機が飛行する高度は1万m以上です。
また、温度も零度以下です。冬だと-40度以下にもなります。
生きて降下できても、地上にたどり着くまでに手足などは凍傷によって四肢切断となります。
生き残っても地獄ですね。
五体満足で降下するのなら500mから1000m程度でしょう。
で、高度が500m程度、速度300km/h以下で水平飛行が30分以上できるぐらいコントロールできるのなら、墜落せずに空港までたどり着ける程の能力が残っていることになります。
この条件にならない限り、パラシュート降下できる条件には無い。
また、旅客機などの運賃は、運行費用を旅客人数などで割ったのが料金だと言うことです。
自重に燃料の重量及び必要なクルー、装備品等を足したモノを最大離陸重量から引いた物が、運搬できる重量になります。
つまりは、パラシュートを装備すると、運べる重量 つまりは、乗客の人数が減る。 と、いうことは、乗客が払わなければならない運賃は確実に倍になります。
国内の飛行の場合は、燃料を減らせるので人数を増やす事ができます。
国外に飛ぶ場合は、燃料を減らせないので、人数を減らします。だからその分料金が上がるんです。
1年に1回は展開して、点検をして、たたみ直さなければなりません。
と、言うことは、何百個も余分を持っていなければならないと言うことになります。
パラシュートもそれなりのお値段です。
パラシュート降下をやったことがない人は簡単に考えるんだろうね。
100ktそこそこ何じゃない?
旅客機からのパラシュート降下のためには、軍の空挺隊員並みの体力と装備、たゆまぬ訓練が必要と言うことになります。
その資格があって、初めて旅客機に乗る資格があると言うことになります。
おい、どんだけ無駄か分かるか??
心の傷が癒えたのでその記録を、、まさか自分が書くことになるとは。
07:00、起床した時点ですでに若干の腹痛を覚える。元来、私はあまり胃腸が強くないので、あまり気にしていなかった。
07:30、朝食後、大便をする。ややゆるいが、この時点であまり危機感はなかった。
07:45、腹痛があったが、これ以上トイレに篭っているわけにもいかいないので出勤。今思えば、この判断が間違っていた。
07:50、家を出てから5分、急に腹痛がひどくなる。家から最寄りの駅まで徒歩15分ぐらい。駅近くまでコンビニ等はない。「こりゃ遅刻かな、、」と思いつつ、渋々一旦家に戻ることに。
腹痛はどんどんひどくなる。朝に大便をしたせいか、括約筋もやや緩み気味。「やばい、、漏れる、、」「歩くべきか走るべきか、それが問題だ。」朦朧とした意識の中、自宅が見え始めるが、朝の下痢の時点でややヒリヒリしていた私の括約筋にあまり粘る力は残されていなかったらしく、ここでジ・エンド。茶色い魔物が括約筋をこじ開けて顔を出し始める。こうなるともうおしまい。一歩一歩、歩くごとに徐々に顔が出てくる、下着の中に拡がっていくことを感じる。
「いい歳して何やってんだ、、」と思いつつ、自宅の玄関を開け、トイレに入る。ああ、神様。どうして私がこんな目にあわなければならないのでしょうか。
よく分からない感傷にひたりつつ、とりあえず、上着を脱いでベルトを外す。便が水便ではなく、またボクサーパンツとヒートテックという密着した下着類を着ていたのが不幸中の幸い、下着を超えて侵食している様子はあまりなかった。便座に腰掛け、用を足す。一段落したあとは、パンツを拭く。そして次に尻を拭こうとしてびっくり。紙以外の素手やシャツなど、想定外の箇所に便がついてしまった。迂闊だった。パンツの中で拡がっていた便は、肛門付近だけにとどまらずケツの広範囲に広がっていた。まさかと思い立ち上がると、便座にも茶色い物体がついていた。「マジかよ、、」これで完全にやる気を失った。汚れていない方の手でケータイを取り出し、上司に午前休を申請。そのあとは、ゆっくりケツを拭いてからトイレを出て、風呂に入った。
それから着替え、風邪でもないのにマスクを付けて出社した。あまり体調が悪くなさそうなのに、午前休を取得して午後にマスクをして出社してきた人があなたの会社いたら、、ひょっとしたらそれは私かもしれない。
動揺が一旦落ち着き、風呂に入りながら最初に思いついたのは「とりあえず、増田に書くか、、」ということでした。私にとって増田は、そういう場なのかもしれない。
相手の男は就活等で散々お世話になった40代の会社員。過去に彼女に対して好意を持ってアプローチしており、ブランドもの等も買ってもらうパトロンのような存在だった事もあるらしい。
俺と同棲し始めてからは、俺の存在を相手の男にも伝え、好意を持たれても恋愛関係にはなれない事は伝えているらしい。彼女は、相手の男には友人として感情しかなく恋愛感情は一切ないと言っている。今はプレゼント等ももらっておらず、数ヶ月に1度食事に行っているだけとの事。
これが本当かどうか、確認するといい。たぶん、本当だろう。
だとしたら、「別れない方がいい」と忠告しておく。
過去がどうだったかじゃない。これからの自分たち二人がどうかが問題だ。
ここで別れたら、のちのち、ずっと後悔するだろう。彼女に匹敵する女性は、たぶん現れないだろう。
相手の男と彼女との関係みたいなことは、長い人生ではしばしばあるんだ。
増田はそれが理解できないのだとしたら、たぶん非モテ人生だったのだろう。
長い人生で、最初に出会った一人だけを生涯愛し続ける、なんてことは、あまりない。
増田の彼女はたぶんその男性を(少し)愛したことがあるのだろうが、
その愛情を増田が捨ててしまうのだとしたら、あとできっと後悔するだろう。
増田は彼女が嘘をついているのではないかと疑う。今後も寝るのではないかと疑う。
それはある意味、仕方ないかもしれない。また、その可能性は皆無ではない。
彼女が増田を裏切っていないのに、増田が彼女を捨てたとしたら、
それはたぶん取り返しの付かない人生の大失敗となるだろう。
「たとえあとで裏切られてもいい。自分はこの女を愛する。だから信じる」
と思ったのなら、その言葉を彼女にはっきり告げるがいい。真っ正面で。
オマケで一つ言っておく。
「自分は愛されていないのかも」という疑心暗鬼が、真の愛情をぶちこわす。
どれほど愛しあっていても、疑心暗鬼があると、愛情はあっけなく壊れる。
トラバに答えておく。
彼女がその男性をいくらか思いつづけるということは今後もあるだろう。というか、きっと思いつづけるだろう。
だけど、それは、「寝る」というのとは違うよ。
相手の男もそれはわかっているはずだ。
まあ、恋愛経験の少ない男には、違いはわからないだろうけどね。
※ 特に、知性的な男女の場合には。(知性の低い男女を除く。)
我が子たち、つっても二人しかおらんが。
上が中一娘で下が小五息子。
兄弟喧嘩はどこの兄弟でもあるわけだが、ヒートアップすると娘の方が弟に「お前なんか死ね!今すぐ死ね!」って絶叫するんだな。
家風ってのがあって、嫁もかなり言いたい放題言うし、夫である肩身の狭い私は修羅場からは避難する(だって仕事から帰った時にはほぼ毎回既にヒートアップ状態で原因すら分からんもん)人間なのだけど、私までヒートアップしたらダメだからってのもある。
なので、口論してる間は放置してるんだが、流石に「死ね!」はないんじゃないかと思って、子供たちをきつく怒ったんだ。
実際、死ねって罵られる方の息子は何しでかすか分からないところがある。
あるいはもっと前には台所から包丁まで持ち出した。その時は包丁で切りつけるとかはなかったそうだが、こっぴどく叱っている。
なので、マンションは4階だけど万が一飛び降りられたらと思うとぞっとするものもあった。
で、「死ね!とか絶対言ってはいけない言葉。他にも殺すとかそういう言葉は絶対ダメ。カッカして喧嘩してしまうのは分かるし喧嘩したらダメとはいわないから、もっと言葉を選びなさい」って。
そしたらですね・・・・
「お前なんかデスだ!」「デス!デス!デス!デス!・・・」と娘は息子を罵ったんだな。
英語の分からない息子は「お姉ちゃんおかしくなってる!あはははは!」とかって嘲笑っぽくしてたけど、目の前で見てた私はおかしくて噴出しそうになった。
娘よ、私も英語はよく分からんけど、それも言うなら「ファックユー」とかじゃないのか?と思った。
200以上もコメント付いて焦りました。
確かに包丁の件は書かなくても良かったし、恐い話です。但しこれ、煽ったのは娘です。
売り言葉に買い言葉って奴で、死ね→お前が死ね→死なねぇーっつの→じゃぁ殺すからな!→出来るわけねーだろ。やれるもんならやってみろ、バーカ→こうやったら出来るぞ!、みたいな流れで包丁に辿り付いたらしい。
もっとも、台所から取り出したのは子供が使うプラスチックの包丁でして、怪我はするだろうけど、殺傷力は低いと思います・・・ってそんな問題でもないですね。
その包丁のすぐ隣にはマジものの包丁もありましたから、ちょっと間違えたらほんとにぞっとする話です。
息子は、出したもののすぐ引っ込めて、娘に空のペットボトル投げつけたそうです。
テレビ壊したのもペットボトルです。どうもペットボトルなら大丈夫と思い、人に投げる場合は手加減してたんだけども、テレビなら大丈夫と思って強く投げたらしい。で、液晶画面がぶっ壊れてしまいました。どうやら硬めの蓋の部分が当たったらしい。
かなり以前、息子は手足を出して殴ったり蹴ったりする事があり、苦労してそれをやめさせたのです。
でも、手足の代わりに怪我の可能性の低いものを投げるようになってしまったのですね。
ともかく、ちっちゃい頃から暴力だけはダメだという方針でして、その代わりに口論は多目に見るようにしたのです。
でも、やっぱりというか男の子はやんちゃで、どうしても実力行使したがるところがあります。お姉ちゃんの方が口が達者だし(で、「デス」かよwってのもあるけど)。
まー、でもテレビくらいならいいかな。今のところですけど、喧嘩で怪我はありませんし、言いたい放題言い合った後は意外にケロッとしてたりします。
これがいいのかどうかはよく分かりませんが、ともあれ子育ては大変ですね。
みなさんは移転賛成/反対どちらでしょうか?聡明なはてな界隈だとさっさと移転しろ(賛成)が多数なのでしょうね。うーん、正解!
でも我らが余貴美子、じゃなかった小池百合子さんも当然移転したいだろうに、今回ペンディングということで、少しだけ、猶予期間を作りましたね。これには事情通なみなさんから批判がかなり上がっておりますが、私(都民、築地周辺)から見ると、みなさんが言うほど愚策ではなかったのではないかなと思っています。
というのも、前提としてこの移転、誰が主役なのか、誰が一番影響を被るのかということなんです。
a. 都民
c. 築地で働く人
誰が一番影響あります?ボリュームで言えば a > b > c ですよねー。でも、2020年あたり限定で言えば重要なのは c > b > a で、2020年を超えると、c > (超えられない壁) > b ≒ a くらいな感じでしょうか。cがいないと成り立たないですもんね。
結局今回の猶予期間、都民の金でまかなうんだろ!無駄無駄!とお思いでしょうが、それはそのとおり。というものの、それで移転強行ってのはいささか短絡的ってもんです。2020年以降、日本、というか東京がある程度プレゼンスを発揮するためには絶対に「食」が重要です。これまでどおり東京の「食」にお金が落ち続けるためには「築地的」なものが必要なんす!
ではその「築地的」なものってなんなんでしょうかね?私思うに、それは、「ある程度豊かな漁場に恵まれた小国、日本の選りすぐりの魚が、トーキョーという大都会に集まり、それが激アナログな市場に集まっている」状況かなと。でも今回の移転で激アナログなところが変わる、これはいたしかたないこととしても(老朽化!)、市場を作っていた参加者がいなくなったら、どうなるでしょう?おそらく多様性や競争はいずれ失われ、質は必ず低下します(これは2020年とかの話じゃないですよ!もっと先!先!)。結構壊滅的(築地的でない)なんじゃないでしょうか。要はc、築地で働く人が超重要なんす。
みなさんどれくらいの築地市場関係者が移転賛成だと思います?これちゃんと調べたわけじゃないですけど、感覚的には半々ですよ。(どこかの報道でも言ってたけど)大きな卸/仲卸は賛成派、小さいところは反対派に偏ってるんです。当たり前ですよね、引越し料金超高いし、いままで小さくても目利き一本で毎月十分おまんま食べれていたものの、やっぱり数百万〜1千万とかの単位で一気にお金払うのはキツイですよ。特にこういうところは従業員5人くらい、トップの年齢が60オーバーとかざらなので、まあ残念だけど廃業するか、ってなりますよね。
でもね、こういう状況だと統廃合が起こりえるんです。自分たちだけだと難しいけど、他と一緒にだったら引越し料金も半分で済む。こういうのがまとまったというのを実際にいくつか聞いています。当然破談のケースが多いんですけど、どうも結局タイムリミットで終わっていたようなんですね。今回の移転ペンディング、もしこの猶予期間だったとしたらどう思います?
統廃合にかけてみたくないですか?
築地っぽさがずっと生き続けるために。
http://anond.hatelabo.jp/20160829171356
のブクマページ http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160829171356 を見たら、
「いくら不自然でも、石原さとみがかわいければいい。米国人受けなんか気にしなくていい」
という声が圧倒的に多かった。
しかし、市場規模で言えば、日本市場は世界のなかで圧倒的に小さい。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160829-00061607/
数字で言うと、世界全体で 383億ドルで、そのうち日本は 18億ドルだ。比率で言うと5%弱だ。
http://www.animeanime.biz/archives/22585
こんな小さな市場で、こんな小さな売上げだけを得ていれば満足だというのは、あまりにも肝っ玉が小さい。怪獣は史上最高のでかさだが、東宝とファンの肝っ玉はミジンコのごとく小さい。ノミのキンタマというべきか。
こんなふうに日本国内における自己満足で、「泉ちゃんはかわいい」「さとみかわいいよさとみ」なんて言っているようでは、先が思いやられる。まともな CG の開発費用も出ない。
まあ、彼らは自己満足しているだけでおしまいなのだろう。世界的規模で 20倍の市場をめざすという発想には馴染めないのだろう。それならそれで仕方ない。
シン・ゴジラは、国内版とは別に、海外版を作るべきだ。そうすれば、外国人俳優を多用することで、多額の興収が海外市場で望めるだろう。
いや、いっそのこと、製作権を丸ごと海外の会社に売り出すべきだ。そうすれば、製作権を 10億円ぐらいで売れて、東宝は濡れ手で粟で大儲けできる。
その一方で、海外の映画会社は、10億円の代金を支払うことで、200億円ぐらいの興収を得ることができる。日本専用の庵野版シン・ゴジラは、海外ではたいして興収を得られないだろうが、内容はそのままにして、外国人俳優と外国版 CG を使った海外版のシン・ゴジラなら、200億円ぐらいの興収を得ることができる。いや、ひょっとしたら、300億円になるかも。
シン・ゴジラの脚本には、それだけの魅力がある。なのに、東宝には、それを生かすだけの資力もないし、配役能力もない。だったら、海外の会社に製作を任せるべきだ。自分で製作ができなければ、海外の会社に製作を任せるべきだ。そして、海外の会社に百億円規模の大儲けをさせた上で、東宝も1割ぐらいのおこぼれをもらえれば、それで満足できるはずだ。(コバンザメ商法)
無能な会社は、無能なりに、製作権を他社に渡すことで、少しは儲けることができる。おこぼれを。
石原さとみ役は、google:image:ナタリー・ポートマン で。興収 200億円なら、高額ギャラも払えるだろ。
【 ブコメ 】
Borom ナタリー・ポートマンにしたら「日系人のカヨコが祖母を不幸にした原爆投下を二度と行わせないために立ち上がる」ってシナリオ破綻するんじゃない?
ナタリー・ポートマンは、菜食主義で、ハーバード卒で、ユダヤ人。「虐殺されてきたユダヤ人の痛みがわかるから、原爆で虐殺されないように努力する」でOK。完璧だよ。
ニューヨーク版作ればいいのでは
何を以って海外版『シン・ゴジラ』なのかよく分かりませんぬ。単にゴジラを海外(ハリウッド?)で作れっていうことならそれはもうレジェンダリーピクチャーズ版がある、けどそういう単純な話?
ハリウッド演出ではないリアルなアメリカ版シン・ゴジラも見てみたい気がするが、日本版とはまったくちがうシナリオになるだろうね / リスク評価によっては、核利用は十分にオプションとしてあり得るかも
海外版は、シン・ゴジラの翻案やリメイクではなくて、現状のまんまです。翻案やリメイクなら、いくらでも勝手にやればいいが、別物となります。また、ヒットする保証もない。庵野版をそのままで、俳優の一部を欧米人にするだけだからこそ、成功が保証される。
なお、米国版だからといって、場所の設定を米国にすることはありない。場所の設定は日本に限られる。なぜなら「核爆弾を落とす」という可能性は、日本だからこそありえた選択肢だからだ。
庵野版では、核の使用について、「そこがニューヨークでも同じことをする、と彼らは言っていた」というセリフがあるが、実際にはありえない。同じことをするわけがない。仮にゴジラがニューヨークに出現したら、ゴジラがニューヨークを出たあとで核を使用するに決まっている。ニューヨークを出て、東京(など)に到着したら、その段階で核の使用を決断するはずだ。それが最も合理的だからだ。(自分たちが死ぬかわりに、他人が死ぬのだから、その方が合理的だ。)
というわけで、ゴジラが米国に出現したら、「核の使用」というオプションがなくなるので、映画全体の緊迫感はなくなる。だから、ゴジラが出現する場所は、「核の使用が可能な地域」つまり「白い人間の住んでいない地域」つまり「黄色い猿の住んでいる地域」に限られる。結局、ゴジラが出現する地域は、日本しかありえないんだよ。ゴジラが米国に出現したら、ゴジラ映画そのものが成立しなくなる。「ゴジラがニューヨークに登場する形でリメイク」なんてことは、絶対にありえないんだ。(少なくとも、シン・ゴジラに関しては。)
※ ついでに言うと、東京に核爆弾を落とすというのも、現実にはありえない。東京を出て、群馬か福島あたりに行ったあとで、核爆弾を落とすに決まっている。東京に核爆弾を落とすなんて、ありえないだろ。
わかっている。だから日本向けの会議場面は大幅にカットして、ゴジラのアクションシーンを増やせばいい。脚本にさらに加筆はしないが、一部は大幅にカットしていい。
いやいや。全部作り直したら、金がかかりすぎる。石原さとみのところと、CG のところだけを変えるだけでいい。あとはそのまま使う。(ただし大幅に短縮する。)
これだったら、撮影のコストはギャラ代プラスアルファぐらいで済むし、CG のコストは必要経費だけとなる。全部作り替えるほどのコストはかからない。
※ CG は現状のままでもいい。しょぼいけど。
なお、「細かすぎて伝わらない」というのは、問題ない。細かいところは伝わらなくてもいい。映画として失敗していなければいい。ちなみに、千と千尋や、もののけ姫は、日本丸出しだったが、世界中で受けた。日本的だとしても、普遍性があるものは、受けるんだよ。
(「国民性ジョーク」というのがあって、「米国人はこうした、日本人はこうした」という話をすると、世界中のどこの国でも爆笑を得る。日本人の愚かな国民性は日本人にしか理解できないということはない。世界的に有名だよ。)
【 参考 】
評判は? とても好評だ。詳しくは下記のトラバ。