はてなキーワード: 首長とは
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujiiryo/20160806-00060801/
意見の大勢をみると、広島平和記念公園の目的は広島で亡くなった無辜の民の鎮魂や慰霊をおこなうための
施設であり、利用者は遺族および原爆の悲劇を哀しむ心を持つ人でなくてはならないということのようです。
過去に被害にあった人たちを悼み、安らかに眠ることを願うことは平和を記念する行為のひとつに該当すると思いますが
71年経って今なお犠牲者へ哀悼の意を捧げるのみというのであれば、それは平和を記念する行為にあたるのでしょうか。
万人に開かれた公園として、平和を祈る場所として平和記念公園という名前を掲げているのであれば、
いまを生きるあらゆる人と向き合い、過去に起きた悲劇を知り、これからの平和について考える機会を持ってもらう必要があると思いますが
平和を望むはずの側が「この人は入っていい」「この人は駄目」という区別をする行為は、平和を願う主体者が自ら新たな争いの種を生み出すという
また例年、平和記念式典で首長が過ちを繰り返さず、核なき世界と平和を求めるという声明を出すことが恒例となっていますが
上述の状況からこれは犠牲者や遺族の心を癒やすための有名無実の口上にすぎないということのようですので、
平和記念式典という名称もまた広島慰霊式典とでも名前を変えるべきでしょう。
今回のポケモンGoの一件は単なる企業の経済活動であって、一方的に相手方が始めたことだとしても、
平和を求めるのであれば平和的に向き合う必要があるのだと思います。
奪われた十数万人の命の重みに対し、それを忘れず悼む心を持ち続けることは人として尊い行為であり尊重されるべきであると思いますが、
71年という時間もまた重く、平和や過去の悲劇や、マナー・ルールを理解していない人に対して排除や区別の論理を適用するのであれば
(http://anond.hatelabo.jp/20160724235331)
こちらを書いた増田です。
これはそりゃそうだよ。だってさ、首長族なり、纏足なりっていうファッションは日本人には分からないけど、その文化の奴らは皆理解できている。これを先天的だと言い張るのはおかしい。
ただ、俺が言いたいのは「女がファッションを規定している」ってこと。男がしたいファッションを女が評価するのではなく、女が評価するファッションを男が矯正されているってこと。女が先天的に持っている「こういうファッションの男とならコミュニケーションしてやるよ!」っていう上から目線の押し付けがウザイってこと。
そりゃ、言葉には出さないけど、女はリア充向けファッションでリア充男だけとつるみ、清楚系ファッションでお兄系のファッションをできる男をセレクションしてる。つまり、女側が暗に男にファッションを要求しているわけ。
これができない俺みたいな男に対して、「あいつはヤバイ」という目を向ける(生理的嫌悪感でハゲを馬鹿にしたり)。そういう目を女が向けると、女のシグナリングを受け取れるつるんでいる男達も俺みたいな奴を「やばい奴として扱う」わけだ。
よーするに、不可触賤民とかそういう差別なんだよな、ファッションって。
やってることが首長族が首長くない奴に差別するのと同じ。論理的じゃないでしょ、首が長いからどうこうって。文化でなんとなく規定されてるだけで根拠が無い話なわけで。
本質的に俺が言ってることって、「えた・ひにんみたいな差別やめろよ」ってのと同じ。文化的な差別って論理ないから異常だよって。
科学的発見は世の中変えるけど、ファッションは何も変えないから。ファッションがレベルアップしても人類のレベルアップにならないけど、科学のレベルアップは人類のレベルアップにつながる。
昔は人口の95%以上が農民だったらしいが、緑の革命で肥料改革や遺伝子組み換えで人口の2%以下の農民で人間が養えるようになった。こっちのほうが圧倒的に人間として素晴らしいとしか俺には思えない。
http://blogos.com/article/184531/
全国の首長でこんなことを言い出すのは鳥越氏だけ。不効率な役所直営の保育所をいかに減らし、民間保育所をいかに増やすかが首長の最大の悩みなのに。鳥越氏、公立と認可の違いも分かっていないのでは?」
某推薦候補者が東京都行政のことに興味を持ったのは、7月下旬に入ってからなんでしょ?宇都宮さんのような、党是と合っていて、何年も本人が本腰を入れてきている人を、テレビ中毒票狙いで寸前でもあっさり虚仮にできる党なんだということが、今回の件で良くわかったよ。今後もこの党はいろいろな時にやるんでしょうね。尖閣の件のはじまりがこの党によるものであったことも忘れないよ。
民進党は民死党にしたいのかな?
国政も地方行政もその荒廃ぶりは目にあまり、容赦の限度を超えている。とは言え代案なく感嘆するばかりでは、現実の世界は微動だにするはずもない。
この窮地から脱するため、憲法改正により大政奉還を実現し、天皇を国家君主として戴き、内閣総理大臣は摂政として天皇を輔弼し、さらに都道府県知事も県令として国家君主天皇を輔弼することを提案する。
天皇は総理大臣を含む内閣、国会議員、公選首長、地方議会議員の罷免権を持ち、また国会決議に対する拒否権を持つ。また現憲法に定める国事行為は、内閣の助言と承認を要することなく、衆議院解散を含め、国家君主として行うことができる。
これ以外は基本的に現行の仕組みを踏襲する。私は法律の専門家でないが、大筋は憲法改正だけでも実現可能なのではないか。
現総理も、元都知事も、国会や委員会や記者会見で大喜利をやっているその言葉を、もし国家君主であり罷免権を持つ天皇の前に出ることになったとすれば、はたして正々堂々と言えるのか?ということである。この歯止めがあるだけで、凡そすべての日本人にとっては核兵器なみの抑止力になるのではないか。
私は右翼ではないし、皇居の一般参賀にも行ったことはないが、一般に報じられる天皇の言動と姿は、日本国民統合の象徴というにふさわしく、この大政奉還案は相当多数の国民の支持を得られるのではないか。
どうしたら天皇に喜んでもらえるか、こうしたら天皇は悲しむのではないか、というきわめて明解な価値基準を内閣、国会議員、公選首長、地方議会議員が持つだけで、日本の行き詰った現実世界を大きく変えられるのではないか。
今頃こんなこと言ってるってことはTV版見てないんだなー
追記で見てるって書いてあるけど見てないわこれ
(好きではないのに劇場版見に行ったってのもよくわからんが 文句言うためか?w)
「批判すんな」つってんじゃないよ
ガルパンは設定やシナリオ自体にツッコミどころかなりあるから批判大アリだw
だが悪いが、的外れだと感じた批判にはツッコミ入れさせてもらうw
ジョージ・ミラーの世界観を説明するのに1、2(ロードウォーリアー)、3(サンダードーム)、フューリーロードの4つも撮ったってのが重層的という意味ならそうなのかもしらんけど
笑った
そんなのTV版のときさんざっぱら言われてたんだけど
ストーリーが進むにつれてそんなんどーーでもいいわってなってった
むしろ「紹介します」があと2回ある(「紹介します!3」が11話と12話の間にもある、だったか?)とか10話と11話のブランクの方が話題だったわw
確かに劇場版パトレイバーの黄瀬和哉絵に慣れてる人には違和感ありまくりだろうな
まあグラフィックがしょぼいからってドラクエ1や2(まあファミコン・スーファミゲーね)が楽しめなかったかっていうと楽しめたわけで
黄瀬キャラ押井演出でガルパンのようなスポ根やって面白いものが出来るかなあと考えれば答えは出るんじゃないの
「謎カーボン」で死人出ませんよみたいなギャグ、黄瀬キャラじゃムリだろw
ついでに言っとくと劇パトは2が好きだな
劇パト1はゆうきまさみの漫画準拠なアニメって感じでまあ普通、廃棄物13号の劇パト3も往年の刑事ドラマを踏襲しつつの怪獣映画だから好きだね
髪の毛もピンクだったり紫だったりにするはず
キャラ原案にフミカネ使ってるんだからストライクウィッチーズみたいな作りにするに決まってる
基本的に地味で今風じゃないキャラデザイン及び制服他小物のデザインなのは、オッサンかつそんなにアニメ見てるわけでもない世代に合わせてるからだ
(↑この意味で言えばオッサン世代に媚びてるキャラデザインと言えるかもしれない)
売りは戦車
それも小さいころ戦車とか戦闘機のプラモデルでブンドドやってたおっさんの夢かなえましたよ的なね
(3DCGのモデリング及びレンダリングと納期の関係もあったんだろうが)
実車と見まごうばかりのCGもできるだろうが、大元がブンドドなギャグアニメにそぐわないだろ
シナリオが弱いのもしょーがない
50人とか登場人物がいるのも戦車動かす人員のためで12話しかない深夜アニメで甲子園優勝!みたいな結末にする以上キャラの掘り下げなんか無理に決まってんじゃんね
だが軍事考証は正確性を期してるって点から見てもこのアニメの売りは戦車であることが分かると思うんだがな
岡部いさくがエンドカードまで描いてるってとこでどんなアニメか分かるんじゃないのwww
「お前ん中じゃそうなんだろう」的なw
そんなもん内容によるとしかw
ガキの頃模型でブンドドやってたオッサンが仕事から帰ってきてビールでも呑みながら見るようなスポ根の深夜アニメに難解なストーリー要らんだろ
シナリオに凝ったところでキャラがついてこれないってのは分かるはずなんだが
ついでに言っとくと俺は逆で「大衆娯楽にはわかりやすさが重要」だと思っている
だからこそ大洗町の商店街の人たちにも理解できて今に至る展開になったんだと思ってるんだがな
映画に限らないが熱狂的なリピーターを生み出す作品ってのはとっかかりこそシンプルながら、ギミックとかプロップとかの仕掛け・演出がマニアックだよな
ガルパンの場合は画面情報量がとにかく多かったことと音響にも凝れたことで4DXとの親和性が高く、アトラクション的な映画になったのがロングランに繋がったと思う
前売り券商法(及び色紙・フィルム特典商法)は正直どーだろって冷めた目で見てたが、3回は見ないとダメだなって初回のとき思ったもんな
よくわからん
どういうレイアウトなら良いのか描いてみてくれよ
具体的なシーン挙げてもらって、この構図にした方がいい、てな赤ペン先生みたいな感じでな
ついでにゆがんでないガルパンキャラってのも描いて( http://imgur.com/ )にあげてみてくんねえかなあ
「普通にデッサンが崩れてる」って言い切ってるから描けるんだろ?
ちょこちょこ説明口調なセリフもあったのによ どーこ見てたんだよコイツwww
そこはせめて「FURY」とか「タリ=イハンタラ1944」とか「ホワイトタイガー」なんかを挙げろよw
チラン戦車対アフガン民兵(とソ連脱走兵)の映画 戦車兵の描写もアフガン民兵の描写もかなり好みだが
パットン大戦車軍団の戦車戦も資料映像的なロングショットで戦車戦も米英軍とドイツ軍はカット別だし、戦車は出てくるが戦車内の描写はほとんど出てこないよな
同じ古典でも戦車の魅せ方なら「バルジ大作戦」の方が「大戦車軍団」より上だし(個人的な好みで 「大戦車軍団」好きの方スマン)ガルパンと比べるならこっちを挙げるべきだろう
ガルパンはキャラのデッサンが狂ってるから見るに耐えないってんなら「大戦車軍団」登場のチャーフィーとかブルドッグとかパットン戦車が北アフリカやヨーロッパ戦線でドカドカやるのはもっと見るに耐えないんじゃねーの?w
はEXCELが「文句のつけようがないくらい良いってことじゃなくて、作り手を超える知識がないから「ガルパンはいいぞ」って言うしかない」って漫画にしてたが
https://twitter.com/EXCEL__/status/738015382884126721
↑が正しいな
??
近年、なでしこジャパンや
全世界に多大な感動を与えてきましたが、
名を刻もうとしております。
彼の名は、、、
「岡崎 慎司」
優勝など夢のまた夢と言われた弱小チーム、
「レスター・シティ」
に所属し、並み居る強豪チームを抑え、
とうとう優勝を目の前にしております。
これがどれだけ凄い事かと申しますと、
現地イングランドでは様々な賭け事と比べられ
「エルヴィス・プレスリーが生きていた」
とまぁ冗談はさておきと言いたい所ですが、
それぐらい凄い事が、今や現実になろうと
そんな“ありえない話”が今まさに、
起きようとしているというのに、
来ないのではないのでしょうか。
それもまぁ仕方がない事なのでしょう。
スポーツ・競技を取っても
比べようがないのでございます。
島国にはなかなか伝わりにくいのでしょう。
この話の痛快さは、その感覚を肌で感じて、
その凄さが腑に落ちてくる所にあるわけで、
するのが難しい話でもございます。
しかし、しいて上げるとすれば、
団体競技と個人競技の差はあれど、
大相撲を例に話を聞いて頂くと、
とまぁ、前置きが長くなりましたが、
少々お付き合いを。。。
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「まったくこの忙しい時にあいつは
なにやってやがんだい。
もう昼にもなろうってのに、あの野郎は。
まったく。。。
やっと来やがった。
何してたんだい!
それに狐の紋なんて入れちまって。
それになんだい、月も沈んでるってのに、
目の下にクマなんてつくっちまって、
その眠そうな顔は!」
「いゃいゃ大将、“ツキ”が沈んだどころか、
“ツキ”が回ってきたんですよ!」
「何言ってんだい!
それになんだい、
そのいでたち、そのトゲトゲしい履物は?」
「これはスパイクってもんでして」
「あぁもういい! スパに行こうが、
八百屋に行こうが構いやしねぇ!
えぇ!しかしなんだい、
こんな遅くに来やがって。え?」
凄い事が起きたんですよ!」
「近い近いよ!なんだい!なんなんだい!
そんなに興奮して!え?
狐を馬に乗せたような」
「え?何処ですか?
馬の上に狐が乗ってるなんて
サーカスみたいですね!」
「馬鹿野郎。“狐を馬に乗せたような”
ってことわざがあるんだよ。
ほんとにお前は。。。
で、何があったんだい?」
「そうなんですよ!大将! とうとう
“れすたあ関”が今場所で
優勝しそうなんですよ!
あれよあれよと、
「そりゃあ凄いじゃねえか!
俺も相撲には興味ねえが、
その“れすたあ関”っつう横綱は!」
「大将はわかっちゃいないなぁ〜」
「なんだい、虎の威を借る狐みてえに!
何が違うってんだい!」
「大将!虎の胃を刈るなんておぞましい、、、」
「お前のその、人の話で威張った態度を
表したことわざだよ、、、
で何が違うってんだい?」
「大将この“れすたあ関”ってのが、
実は横綱じゃないんですよ!」
「そしたら、大関か?」
「いゃいゃ」
「それが、前頭!
それも、この“れすたあ関”は、
それはそれは長い下積み時代を
足袋すら履く事を許されない年が何年も続き、
履けるようになり、、、」
「それで、そのトゲトゲしい履物を
履くようになるのか?」
「・・・」
「話の続きなんですが、前頭に上がっても、
なかなか日の目を見ない日々が続いた、
苦労人なんですよ。
それが今場所は違いましたよ!
半分を折り返した時点でも、
なるだろうと、、、
待遇差があった“れすたあ関”が、
幕下になってまだ間もない
“れすたあ関”が!」
「次の大一番で優勝が決まるかも
しれないんですよ!」
「おう!それは目出度い!
それで!それで!、
それで次の相手は誰なんだい!」
「雷電関なんですよ!」
「雷電関って、、、
雷電関、、、」
「大将!やだなぁ、まだまだ早いですよ!
優勝を決めた後にして下さいよ!
そんな“きつねにつままれる”顔するのは。」
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いくつかあるそうです。確率で比べると、
がしっくりくるのではないでしょうか。
結果を残してきたと理解していただければと
思います。
この文書が1人でも多くの
サッカーに詳しくない
老若男女の方々の元に届き、
今世紀最大と言っても過言ではない
共有するキッカケになれば幸いと存じます。
せっかくの夢物語。
青い狐軍団に化かされるのも悪くないのでは?
いいのではないでしょうか?
あなただけのウリはと訊かれ)
完全なる首長竜の日を読んだ。ちょっぴり幻想的な雰囲気があって、なおかつミステリアスな内容になっていて、なんというか神秘的な読書感というか、不思議な感覚が味わえた。
深刻なことには深刻なんだけど、表立って深刻ですよ―ってアピールしない深刻さが清々しいというか、おどろおどろしくないケイゾクを見ている感じ。
スラスラ読める文体も相まって良い読書時間を得られました。ごちそうさま。
重大なエッセンスとしてタイムリープや繰り返し系を扱う物語が多い中、程よく、と言うより基礎となる味わいとして据えた作品を手に取るのは久々だったので新鮮な気がした。
考えてみると、筒井康隆の時をかける少女もそんなに深刻にタイムリープを扱っていないのかもしれない。
細田守び時をかける少女はそこら辺ちょっと違ってて、タイムリープを物語の核として扱ってる気がする。筒井康隆は土台なのだ。その上に物語が出来上がっている。まあ雰囲気だけしか分析できないんだけど。
気を見て森を語るようだけど、昨今の物語は核を中心に物語を広げていくスタンスが多い気がする。基礎や土台の上に築く物語とは違った味わいがあるから上下を決めるつもりはないけれど、個人的に今現在は基礎や土台の上に築く物語のほうが面白いかなあって思う気がする。
まあ、完全なる首長竜の日を面白く読んで、それが基礎や土台の上に築いた物語だと勝手に解釈しているからなんですけども。
バイロケーションでは哲学的ゾンビが、紫色のクオリアではタイトル通りクオリアが描かれてたけど、意識のハードプロブレムって創作意欲を掻き立てるキーワードなのね。シュレディンガーさんなんて漫画とかラノベでも大活躍な感じするし。ミステリーでも扱われるんだなあ。まあ不思議だから当然か。
今度は奇書に挑むぞ―
ちょっと前にキャバクラでライトなネトウヨみたいな若い女の子が付いた。地方から出てきた高卒で二十歳間もない女だ。
ちょうど北条かや似でキャバにしてはめずらしいヲタに好まれそうな清楚風メイクの子だった。
俺は酒席で政治関係の話をするのは好きではないのだが、どうもオッサンは政治ネタに食いついてくると思い込んでいるのか、
自己紹介から早々に国際政治の話をふってきた。「お客さん最近の中国どう思いますか?」と。
ネトウヨっぽいと書いたとおり、近年の中国の政治動向について批判まじりにしきりと話し続ける。
俺は辟易としつつも話に付き合っていたが、しばらく会話を続けいてると、彼女がどうも奇妙な誤解に基いて話をしていることに気づいた。
彼女は第二次世界大戦で日本は中国と戦い(それ自体は事実だが)、米国と一緒に中国を打ち負かしたと思っていたのだ。
俺は少し意地悪な気持ちで歴史の事実を伝えた。日本は(統治下の朝鮮と共に)米中と戦い、そして負けたのだ、と。
この点に関しては左右を問わずに是とする事実だろう。太平洋戦争は、決して日米と中韓の戦いではない。
だが、彼女は食い下がった。日米は同盟国で中韓は反日だ。それに日本が米国と戦うはずがない。米中が仲がいい訳がない、と。
不思議と「日中戦争」や「上海事変」といった言葉だけは知っているらしい。また、思った通り南京事件は捏造だとも語った。
俺は更に突っ込んで、だったら広島と長崎に原爆を落としたのはどの国だ、と訊いた。すると、彼女は北朝鮮だという。
この答えにはさすがに閉口させられ、俺はそれ以上突っ込むことはやめた。議論する価値もない人物だと思ったからだ。
さきほどネトウヨと書いたが、これは実際のネトウヨ連中に失礼な物言いだったかもしれない。
ネトウヨを自認する連中が太平洋戦争の顛末と、原爆投下に関してそこまで誤った認識を持っているとは信じがたい。
彼らは歴史の事実というより、事実の解釈をめぐって闘争しているのだと思う。
他方、キャバクラ嬢はそうした珍妙な歴史観を家族や友人から教わったという。
(驚くべきことに)北朝鮮から原爆攻撃されながらも、辛くも勝利を収めた話として認識しているようだ。
(ちなみに、天皇はイエス・キリストとブッダの血を引いているとも主張していた。天照大神を知らないらしい)
なるほど、それならば北朝鮮に対して激烈な怒りを持つのも理解できるし、中韓を見下すのもよく分かる。
彼らにしてみれば、北朝鮮は国家の怨敵、中韓は敗戦国にも関わらず日米に楯突く負け犬といったところだろう。
最近のテレビで大流行の日本礼賛は、こうした層を狙い撃ちにしているのだろうか。
彼らが戦時中の主要敵国は米国であり、原爆は米国によるものだと知ったらどう思うだろうか。
そもそも、日本こそが敗戦国であり、天皇は(一時期を除いて)日本土着の宗教共同体の首長に過ぎない。
それとも、現状を鑑みてアナクロニズムから、それは中韓による捏造、宣伝工作の類だと思うのだろうか。
どちらにしろ、この国には予想を遥かに超える誤った歴史認識を持った層が存在することは確からしい。
みなさんの知恵を貸していただきたい。
悪いといっても、それはお前にとってだけだろ、と思われるだろうけど、
独自で調査をしてみたが、いろんな人から、よくない噂しか出てこない。
実際に過去の議会の議事録などもだいたいすべて目を通したが、有権者が政治に興味がないのも
悪いんだけど、住民を馬鹿にするような発言を平気でしたり、そのようなチラシを平気でくばったり
している。(このチラシは保存しています)
過去には一度不正をしてそれがばれ、その時に追放されそうになった。
議会で辞職勧告があったが、辞めずに残り続けた。地元の名士などとつながりがあるので、
それ以後も当選しつづけている。これも有権者が興味がないのが悪いんだけど。
確保している票田をつかって、自分の都合の良い方に話を進めるために、首長と取引をしたり、やりたい放題。
その議員の名前でぐぐっても、すぐに問題の記事などが出てきますし、2chとかでも悪く書かれています。(2chのソースはあまり信用できませんが)
どうも、土建屋・やくざなどとつながりがあるので、新聞記者にも話を聞きましたが
つっこんだことは命にかかわるのでかけないと言ってました。
野々村議員みたいに、テレビに取り上げられるようなことがあればいいんだが、
そうしたボロはださない。
どうしたらいいだろう。
追記:
たとえ給料が良くて国際関係部署でも公務員を選んだ兄を凄いと思った。
地方公務員っても関西で唯一給与を低く抑えられ、かつ首長のせいで公務員が
最も敵視される所の業務に就いてるのだから、その覚悟のほどは計り知れない。
毎日23時過ぎに帰って来て、今日もサービス残業だったと嘆いて電気点けっぱなしのコタツで
スーツ姿でダウンする姿を見てたら、地方公務員で本当に良かったのかと傍から見て特に思ったが、
兄曰く、東大出て中小企業に行くのは親に申し訳ない。といってどこか行く宛てもないから
地方公務員でも我慢しないといけないってのは分からなくもない。
行く宛てがないから公務員に行く東大生も最近は少なくないんだと。
ゴミ回収する人が京大院だったという話もある位、今や地方公務員に東大京大が就く事は決して珍しくなくなった。
だけど、それでも中小企業に行くよりは自分の矜持を守れるある程度の余裕や優越感を味わえるのは公務員以外何もないというのも
時代背景の為せる事だろう。
悲しいかな、たとえ中小企業に受かっても東大京大である以上そこに行くのはプライドが許さない。
中小の人事には逆に頼みたい。
そもそも地元の、ムラの民たちはこれまでずっと交付金を受け取ってきた。
もっと言えば「事故が起きるリスクを受け入れること」に対する補償だ。
つまり事故が起きた時にさらに賠償金を求めることは二重に補償を受けることになる。
交付金に加えて原発がもたらす経済効果も享受しておいて「東京の電気を俺たちのところで作ってやってんだ」とか言うのはおかしい。
事故は起きるかもしれない。起きないかもしれない。起きなければ交付金や経済効果は単にプラスだけど、起きればすべて吹っ飛ぶ。
その上で、交付金と同時にリスクを引き受けたのだ。賭けに負けただけだ。ただそれだけだ。
「原発は危ない」と言う学者もいたのだから国が安全だと言ったことは言い訳にしかならない。単に自分たちに都合のいい話だけを信じたのだ。
しかし、自分たちで首長を選んだ大人たちはともかく、生まれた時からすでに原発があった人たちにとってはまったく迷惑どころの話ではない。
そういう人たちに事故を押し付けたのはこれまで原発を許してきた住民だ。責任は彼らにもある。
文章が下手でごめん
都道府県や市町村、もちろん国家だとか、公共性の高い観光協会だとか商工会だとかもそうですが、そうした団体が、アニメやゲームとタイアップとか、さらに言えばツタヤとタイアップとか、こうした事象が「社会問題化」しています。
なぜ問題になるのかその原因はというと、私は「デモクラシーが成立していないから」だと考えるわけです。
例えば市町村が、「萌えキャラ」にしろ「ゆるキャラ」でさえも、そうした広報、というかむしろ広告宣伝ですが、そういう行政をします。そうすると、市町村の構成員であり最も基本的な利害関係者(ステイクホルダー)は、そこの市町村民です。そこではたして、そこの市町村民の意思が、その広告宣伝活動に反映されているのでしょうか?
例えば武雄市などがツタヤと「タイアップ」したわけですが、これも市民の意思が反映されているのでしょうか、また、市民の利害に目を向けられているのでしょうか。
「選挙で勝ったから」という理由で、首長が何をしてもいいという風潮になっていますよね。その選挙でその候補者に投票した人がどのくらいの割合なのでしょうか? そもそも、全員一致で当選したとしたって、個別案件で市民の意思を完全無視していいという理屈は立たないと思います。
それに、投票の拒絶されている人(例えば未成年者)の利害に目が向けられていますか?
また、その施策が実行された後、将来になってその施策の利害を負わされる人への眼差しにも欠けています。典型的には、日本の「借金」の件もそうです。世代間の「支えあい」モデルの破綻した公的年金もそうです。だから率直に言って、「こういう無責任な人たちには人間の血が通っているのか?」と思いますよ。強権的(ポピュリズム的)な思想と、儒教的な(年長者を尊敬し、子孫に責めを負うという)思想が混在し、致命的な矛盾を起こしていると思います。
さてともかく、「選挙で勝ったから」という発想でさえも問題があるし、「俺が責任をとる」と云われても、損害が出てからお前が腹を切っても損害が無かったことにはならないわけですね。
ましてや、具体的で個別的な施策決定はむしろ、首長ではなく職員が決めていることが多いと思われます。首長は、上がってきた案にサインするだけかもしれませんし、ましてや「聞いていない」ことすらありうるのではないかと思います。そうするとつまり、その施策には住民の意思を反映するプロセスがあるのか、ということが問題であるわけです。
例えば、東京オリンピックのエンブレム問題もやはりそうなんですね。東京都がやるんだったら、東京都民の意思を反映しないといけないのに、むしろ密室的に行われていたわけですよね。
このような問題はですね、そのまま、「日本国」の問題でもあります。政策決定にしろ、道路を敷くだのダムを建てるだの原発を建てるだのもそうですし、「消費税」を上げるとかいうのもそうです。さらには、広報ポスターやCMに誰を採用するかというところにも、1件あたりならばたかが個別案件でも、継続的に、特定のタレントとか広告代理店とかを使っていくことが慣例化するともう、個別案件だといって済むとは思えないと感じます。(ちなみに、こうした問題点を軽減するための手法に「パブリックコメント」の制度があるわけです。)
そして、例えば、市町村だとか商工会や観光協会が特定のアニメとタイアップすると、当該市町村はそのアニメのイメージを負うことになります。そうすると、市町村民もそのイメージと影響を負うことになってしまいます。市町村民は意思決定プロセスに関与していないのに、利害を負わされるわけです。
それがかりにどっかの中小企業が宣伝でタイアップしたというのならば、それはその企業の「自由」だということになるのでしょう。上場企業だったら株主に責を負いますが、少なからぬ株主は「儲けてくれればいい」と思っているので、実際に収益が出れば文句は出にくい、つまり問題化はしにくいかもしれません。
それでも例えば鉄道事業者がやったら、その列車に乗る人みんなが、その作品だかなんだかを(事実上強制的に)見せられたり、さらには車内アナウンスまでも差し替えられて聞かされたりするわけです。そうすると、たとえ私鉄、「民間事業者」であったとしても、無難な選択にとどまって、「大冒険」はすべきではないというのが原則だと思われます。
ですから、事業の性質や規模によっては公共性が高くなり、決してプライベートでは済まされないことがあります。
話が長くなりましたが、昨今の騒動をみると、「大冒険をするな(最大公約数的であれ)」という主張と、「大冒険を許さないと社会が改まらない」という主張の二極対立、デジタル的・バイナリ的なコンフリクトになっているように思います。
しかし問題の本質は、「大冒険」をしても良い場合でも、その決定プロセスで構成員や利害関係者の意思を聴き反映させなければならない、ということにあるのです。
それを言い換えればデモクラシーだというわけです。
問題の本質は通底しているのに、そうした事件一つ一つを分断して個別化し、洞察や反省をしない習性が今の「日本人」にあるように思えます。
武雄市のようなことが起こると、矛先が一斉に全体へ向いてしまうので同業者は本当に迷惑していると思う。
今回、明らかにCCCが悪いので即刻とまではいかずとも、契約の更新はすべきでない。
赤字垂れ流し確定の中、いけしゃあしゃあとあんなものを図書館に送り込むことを認める人間が権力を持っている組織に信用はない。
それで指定管理者制度がなくなればいいという機運が起こると、それはそれで大変なことになる。
なぜなら直営管理をする場合、専門知識を備えてプロデュースやディレクション等を行える人材なんて役所にはほぼいないからだ。
また、予算は使い切るが原則なのでゴミのような出費が生じる。お金の使い方が分からないのは罪だ。
では、専門職を委託契約的に結ぶのか、権限はどの程度になるのかということにもなる。
(今回は図書館であり司書がいるので、気の毒という言い方では生ぬるいくらいにかわいそう)
最後に、今回の原因は株式会社などの営利法人だからという理由ではない。いい仕事をしている事業者は多い。
その中で何を提供できるか悩めない事業者に管理を任せたものは図鑑の角で頭を打たれて○ね。
このケースは非公募だから、ざっくりとした相見積はとった上での「ありき」でしょうね。
あと、競争がなくてもマーケティングが出来ればよいサービスの提供はできるので、メリットがないとは言い切れません。
入札なり公募なりすれば少なくとも見た目上の競争は見せられますし、それがない場合の議会の追及等の方がデメリットでしょうけどね。
砂に埋もれてくしゃくしゃ
地は侘しく平らかに均された
跡なき力強い御手によって
遺跡に遊び
ポリ袋を叩いて鳴らした
勇敢なる男たちと女たちは神を敬愛し
朽ちた襤褸たちの知るところとなった
口ずさむ:私を愛していますか?
私をおぼえていますか?
私のうえに雪がつもる
幾重にも幾重にも層を成して:
これも神の掌のうちなのか
他の娘たちは埋葬される
無縁墓地*4の土のなかへ
日々を刻んで通りすぎる
二万の死者たちがあなたの歩みに寄り添うところ
気だるい鳥達のさえずりのなかで失われていった彼らの死因
彼らの残した記録はどうしたって謎めいている
すべては廃れて消えた
蛍光なしではね
私もがんばってきたんだよ でも
私の愛していたものを思い出して、私を抱きしめて、なんて言わない
なんどもなんども医者を呼んだ
そして絵の中に生きる
彼は言った:
「大丈夫」
「もう終わったよ」
そして飛行機に乗った
ベルトを締めずに
彼はとんでもない向こう見ずで有名で
“ぼうや”と呼ばれ
落下へと突き進んでいった*7
そして私たちは水準をあげる
狩人たちは
そして驚きをもって見つめて
私たちの髪をピンと逆立てると誓って
慈悲を! 神よ!
出て行って、狩人が石碑を解読するのを待って*9
この街の下に何が横たわり、去っていったのか
見よ、そして絶望せよ
見よ、そして絶望せよ
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1 シェリーの詩『オジマンディアス』より。古代エジプトの「王のなかの王」オジマンディアスを詠った詩。このあと続く砂漠や遺跡のイメージはシェリーの詩に準じている。全体をつらぬくモチーフでもある。
3 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作の絵画についてのエピソード。この作品は長いあいだ、旧約聖書外典トビト記を下敷きにしたポピュラーな宗教画モチーフ「トビアスと大天使ラフェエル」の絵だと信じられてきたが、のちの研究でもともと「母親と子供」の図として描かれたものをティツィアーノの弟子が宗教画へ改変したものと判明した。
ちなみに「トビアスと大天使ラフェエル」はこんな話。ユダヤの盲人トビトの息子トビアスは、父親から昔貸した金を回収するように命じられてメディアの地まで旅をする。そのとき同行者として大天使ラファエルがトビアスについてくる。トビアスは旅から帰るまで、自分の同行者がラファエルだと気づかなかった。
4 歌詞では「potter’s field ポッターズフィールド」。無縁墓地を指す。語源は新約聖書のマタイの福音書。銀貨三十枚でキリストを売ったユダは自責の念からクビをつって自殺。ユダから押し付けられた銀貨のあつかいに困った祭司長たちは陶器職人(potter)の地所を購入し、行旅死亡人の墓地に定めた。
5 ワシントン・スクエア公園のこと。パリの凱旋門をモデルにしたワシントン・スクエア・アーチが建っている。もともとは貧困者用の無縁墓地で、今もその下には2万人以上の遺体が埋まっているという。
6 オーストラリア人画家アーサー・ストリートンの絵『Spring』の元ネタになった人物のこと。ストリートンの恋人だったらしい。
7 「ニューヨークの市長坊や」の異名を取ったジョン・パーロイ・ミッチェルは1914年から17年までの三年間、ニューヨーク市の市長を務めた人物。彼は当時ニューヨークを仕切っていた悪名高き集票マシーン(一種の政治団体)タマニー・ホールと激しく対立し、17年の選挙で落選するや第一次世界大戦に参加するため空軍へ入隊した。入隊の翌年、彼は飛行訓練中の事故で死亡。原因はシートベルトを締めなかったことによる落下事故だったという。
元記事 http://www.sankei.com/politics/news/150725/plt1507250002-n1.html
要するに知覧の町おこしじゃなかった特攻隊関連資料の世界記憶遺産登録を目指す動きの中で出てきた話だと思うよ、たぶん。はてサの俺が言うんだ、間違いない。
上の記事読めば以下の引用切り貼りクソ文は読まなくて済むよたぶん リンク踏むの面倒な人むけに俺の論旨に沿うよう二つの記事を恣意的に抜粋しつつ書くよ
特攻隊員の遺書や手紙だけでなく、交流のあった女子学生や子どもたちなどの住民による記録も合わせ、『「知覧に残された戦争の記憶」1945年沖縄戦に関する特攻関係資料群』として総力戦の恐ろしさを後世に伝えるものだと、その主旨を説明した。
私たちの目的は、特攻を賛美、美化すること、正当化することではございません。
悲惨な戦争の記憶を後世に伝え、二度と戦争を繰り返さないために申請するものでございます。
(霜出勘平・南九州市長)
プロジェクトアドバイザー、M・G・シェフタル静岡大学教授、もうちょい具体的に語る
今回の申請の中核的な概念に、総力戦の問題があります。(中略)第二次大戦のあらゆる悲惨なもの、火に包まれた都市、陥落した街に兵士に入っての破壊行為、強制収容所、原爆…本当に狂気であり、残虐です。これらは人類全体の失敗を意味すると思います。狂気が私達全体を覆ってしまった時期です(中略)また、それが国家のプロパガンダによって推進され、人々が相互に憎悪しあい、愛国的なレトリックの虜になってしまいました。知覧の資料はそうしたことを示すタイムカプセルだと思います。
総力戦の惨禍の諸相を記録したものの一つとして特攻隊員らの手記などを捉える、それは世界が記憶にとどめるべき遺産たりうる、というところですかね、アウシュビッツと知覧の差異ではなく共通項にこそフォーカスし連携しようという発想もここから出てくるわけですたぶん。個人的にはその志には賛同するものであります。それが実をともなったものになるかどうかはまだ分かりませんが、昔見た知覧特攻平和記念館の展示に特攻作戦の立案者指揮者どものケツを蹴り上げる内容なんて無かった記憶しかないので個人的にはいまいち期待薄ですがまあうっすら期待はしなくはないです
なお、オシフィエンチム市とのやりとりがすんで9/21(国際平和デー)に先方の市長を招いて友好交流協定を締結するという段になってからの地元の反応
「特攻の母」と呼ばれた故・鳥浜トメさんの孫、明久氏は「戦争の“狂気”といえば共通する面もあるが、アウシュビッツと全く違う。知覧は知覧で良いと思う」と話した。
http://www.sankei.com/politics/news/150725/plt1507250002-n2.html
党県連関係者は「地方自治体の取り組みに干渉はしないが、アウシュビッツと異なり、知覧は決して『忌まわしい過去』ではない。(以下略
いや、そもそもプロジェクトアドバイザーに「人類の暗い過去」呼ばわりされてるんですが、それは
これは人類の暗い歴史を賛美するもではなく、そこに光を当て、決して戻ってはならない、とするプロジェクトです。特攻を決して繰り返してはならない、そのためにこの資料が必要なのです。
ちなみに以前の会見での「お前んとこのリヴィジョニストどもは元気してるよなあ?」と言わんばかりのツッコミには
ー私は平和会館を10年ほど前に訪れました。先ほどのご説明では、このような戦争は二度と起こしてはならないとおっしゃいましたが、では、誰がその責任を持っていたのか、ということも言うべきだと思います。平和会館の中ではそれには全く触れられていません。(中略)そういうことについては議論されているのでしょうか。(ドイツの記者)
桑代参事:南九州市は、遺族から寄贈された資料を保存している、いち地方自治体です。そのため、戦争責任については答える立場にないというところです。
シェフタル教授:(前略)取り組むのには時間がかかると思います。このプロジェクトが推進力となって、平和会館を世界各国からより多くの方に訪れていただくためにも、個人的には戦争責任について扱うべきだという、その考えには賛同します。
ー中国が慰安婦関連の資料や南京事件の関係の資料を登録しようとしています。それについてみなさんのご意見はどうでしょうか。(ロイター)
シェフタル教授:私の個人的な意見ですが、歴史家としては、どこの国が努力すべきとかではなく、人類の不幸な時代の歴史についての資料でキチンと検証されたものであるかぎりは、どのようなものであれ登録すべきだと思います
霜出市長:これは大きな問題でありまして、いち地方都市の首長が言及すべきものではないと思います。お許しを頂きたいと思います。
この時点で自治体さんサイドは右巻きの連中のケツ舐めてる認定を下す事に吝かではない(はてサ的には)のですが、大丈夫でしょうかと不安になるところですが、
ー(前略)おっしゃったような精神をこれからどうやったら維持できると考えますか。違う見方を持った、歴史修正主義的な圧力があったとしたらどうしますか。(スイスの記者)
霜出市長:そういう懸念もあろうかと思いますが、これは我々の平和会館としての方針でやっておることでございますので、いろんな方々から圧力があっても断固として我々は、これまで縷々お話したような主旨に基づいて頑張っていきたいと思っております。
おう、頑張れよとささやかなエールを送らせていただく次第であります。
単に「南九州」て言うと熊本宮崎鹿児島の三県だよ、でも何か鹿児島で「南九州最大の」みたいな謳い文句だと「九州最大規模(福岡除く)」みたいなイメージが個人的にあるだよ、ちなみに鹿児島の地元紙は南日本新聞だよ、福岡あたりが西日本名乗るのと同じようなもんだよ!「南九州市」って大雑把過ぎね?って言われても、北九州市だってじゅうぶんおおざっぱだしそもそも川辺郡の川辺市知覧町と指宿寄りの頴娃町の合併で生まれたクソ地名の一つに過ぎないんであまり気にしないでね!加世田あたりが先に「南さつま市」名乗っちゃったから大きく出ないとね、仕方が無いね。ちなみに南さつま市にも万世っていう「最後の特攻基地」があったけどまああんま有名じゃないよね、いまでも航空自衛隊基地ある鹿屋なんかも特攻基地だったんだけどね、知覧だけが群を抜いてメジャーだよね、ていう話は「「知覧」の誕生」に詳しいからみんな読んでね!っていうか知覧と言えばお茶ですよ鹿児島県って静岡に次ぐ茶生産県なんだけどみんな知ってた?溝辺空港から鹿児島市内に向かう高速バスからも霜防止のでかい扇風機が立ち並ぶ茶畑が見えるよ、あと知覧は全国津々浦々にある小京都ズの一員でもあるよ、まあ知覧で一番のおすすめは薩摩英国館だね、トライフル食おうぜ