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2018-03-13

コミュ力重視の世の中なら、なぜペーパーテストをやるのか?

子どものころからおしゃべりが苦手だった。休み時間に楽し気にぺちゃくちゃおしゃべりをしている人がどんな話をしているのか不思議しょうがなかった。それでも低学年のとき親友と呼べる人がいて、その子の家に遊びに行ったりしていたけど、彼女が転校してしまってから個人的にそんな付き合いをする相手はいなくなった。その傾向は高学年になっても続き、遠足かに行っても何となくぼっち感が漂い、バスの席を決めるにしてもなかなか隣に座ってくれる人がいないぐらいだった。

でもペーパーテストはわりとできた。特に記憶力がすぐれていて暗記物だけ成績がいいということでなく、中学時代までは数学とかもそれなりの成績を保っていた。でもおしゃべりが苦手なので暗いといわれていじめられた。3年生になってからようやく気の合うメンバーが見つかってそのグループの連中と遊んだりするようになった。

高校はわりと有名な公立進学校に行った。その中に入ると、私の成績なんて大したことはなかった。文系科目はそこそこできたが、理系科目は全然ダメだった。1年生のときから受験意識して塾に行っているようなクラスメートもいたけれど、私は特に大学に行って勉強したいことなんかなかったので、ガツガツと「東大に行きたい」とか「せめて私立なら早慶のどっちかじゃないと」みたいな連中についていけないものを感じた。

クラスメートとはそこそこ上手くやれている感じがしたけど、何となく疎外感もあった。卒業してから私は陰で「変な子」と言われていたことを知った。確かに表面的には優しかったけど、すごく親しくなれてる感じはなかった。皆大人というかうまく表面を取り繕うすべに長けていたようだ。

その後中堅の私立大学に進学。最初専門学校にしようかと思ったけど、親に大反対されたのと、自分のやりたいことをできるサークルのある大学が見つかったので進学することにした。普通私の高校だと私大文系なら早慶ぐらいは受けるものしかったが、入れるかどうか微妙な成績だったうえに、下手に受かると本命校じゃないところに行く羽目になりそうなので、他の人に比べて志望校レベルが全体的に低かった。この安全策のおかげで受験した大学には全部合格した。

大学サークルは楽しかった…と書きたいところだったけど微妙だった。結構うちの学年の人数が多かったので、私は要らない存在だったらしく、人数制限のあるイベントのみならず、普通なら全員出してもらえるはずのイベントでもメンバーから外されることがあった。基本的空気が読めないタイプで、「自分が要らない存在だ」と認めたくなかったので、それでもサークルは止めなかった。同じ学年の連中は優しいというべきか厳しいというべきか分からないけど、容赦なしに世間常識というものを教えてくれる存在だった。高校時代クラスメートと違い、私が変な行動をとれば笑ったし、露骨美人可愛い子に優しく、そうでない女に厳しかった。「どうせ私なんて…」と思ってしまうこともあったけど、「女の子は笑えば可愛いよ」と言ってくれる人もいた。社会人になってからは「こいつ常識ない」とか「こいつ使えない」という判定を下されると黙って私のそばを去っていく人が多かったことを思うと、変に取り繕わずにはっきり言ってくれた学生時代の友人はつくづくありがたかったと今でも思う。

そして半年サークルを休部して、ペーパーテスト重視の職場就職を決めた。私は文学部だったけど、普通法学部出身でないと入れないところにも合格したので、周りにびっくりされた。自分コミュ障で、空気読めないけどペーパーテストには強いんだなとその時も思った。当時は「コミュ障」とか「空気読めない」という言葉世間に流布していなかったので、何となく生きづらさを感じてもそれを表現するすべがなかったけど、変な行動をとって笑われたり、皆が暗黙の了解としていることがさっぱり分からなかったりしたのはまさに「コミュ障」「空気読めない」がゆえの症状だったと思う。

…本題にたどり着くまでに長くなった。人によってはこうやって時系列にだらだらと書かないで、先に結論を書けというかも知れない。就職してからコミュ障空気読めない病ゆえに私の評判は悪かった。先輩や上司が期待していることを察することができず、自分のやりたいように行動したので、宴会の席で当時の課長に「○○(私のこと)さんはいまいちですな。気が利かない」と言われて涙が止まらなくなったこともある。私の同期は優秀だと評判の人が多かったが、中には露骨に私のことをバカにした目で見るのもいた。基本的に口が達者で人脈作りが得意なタイプの人は、私のようなコミュ障かつ空気が読めない人間バカにした。

そんなにコミュ力が高い方が偉くて、空気を読める人が優秀だというのなら、なぜペーパーテストなんかやるんだろう?ある程度頭が良い人を採るためにペーパーテストをやるんじゃないのか?「ペーパーテストができる人」イコール仕事ができる人」でないのは分かるけど、だったら何かしらコミュ力空気を読む力を判定する採用方法を選んで、それで決めればいいじゃないかと思う。

就職からウン十年が過ぎ、当社比では多少世間常識が分かるようになってだいぶ仕事必要コミュニケーションはとれるようになったけど、相変わらず人付き合いや宴会での立ち回りは下手なままである。それでも給料を減らすこともなく、首を切る気配もない我が職場をありがたいと思う。でも、口が達者であちこちに人脈がある方が上手く渡って行けるこの仕事に対する違和感がずっと消えない。自分能力以上の給料をもらっていると思うので簡単に辞められないんだけど、ただ黙々と手を動かしていれば成果があがる仕事があればそういう職場に行きたい。そしてコミュ障でも空気読めなくてもバカにされない世界に行きたい。

anond:20180313075528

昔、現役で東大法学部合格したおっさんだけど公立のクソカリキュラムで難関校合格する人はすごい胆力だと思う

ワイも自学でかなり色んな参考書問題集やった方だけどスパルタ私立進学校のあの授業がなかったら合格できてた自信ない

2018-03-10

地方で一番の進学校東京うんこたれ私大

って進んだけど、高校の頃よりも同級生レベルが落ちててワロタ

そりゃ高校同級生結婚する先輩が多いわけね

2018-03-08

ドリフェス

はじめてドリフェスを目にしたのは2年前くらいだったと思う。TVCMでアプリの紹介が流れていた。キラキラしてるな〜と思ったが赤い子も青い子も緑の子もどこかで見たことあるようなキャラクターだなって感じたことを覚えている。

それからしばらく経ってアニメ放送されると聞いた。1話は見逃してしまってとりあえず2話をみた。絵は嫌いじゃない。くせになる。ただ声優が下手すぎる。聞いたことない声だし誰がやっているのか気になったので調べたら俳優しか声優を務めている俳優ユニットを組んでいるのか。とてもおもしろいなと思った。青の人がとてもイケメンだなと思った。

3話も見てみた。2032。びっくりしてしまった。こういう話を3話でやれるんだと。続きも気になった。だけど当時リアルが忙しかったのとどうしても声に慣れなくて4話以降の視聴を諦めてしまった。

そのとき私は病んでいた。高校二年生のとき自称進学校プレッシャー精神的な弱りからくる体調不良不登校になっていた。案の定進級できずに、4月から通信制高校に転校した。アルバイトを始めてほかのハマっていたジャンルお金を使うことで少し元気になっていた。

夏休み8月頭の頃だっただろうか。フォロワーさんがドリフェス布教をしていた。アニメの2期が始まるらしい。1期から見てみようかなと思いアニメイトチャンネル登録した。いざ見直してみると声優の荒さはあるもののそこまで気にならないカラダになっていた。なんだこれ。キラキラしている。こんなにキラキラした世界があったのか。佐々木純哉はアイドルになるために高校へ進学せずに上京してレッスンを受けている。惰性で高校進学した私に刺さりまくってしまった。そしてアニメイトチャンネル無料期間のあいだに最終回まで見てみごとドリフェスに落ちたのであった。

アニメ2期が始まった。キラキラしたアイドルはそこにいて、またKFのエピソードはとてもクるものがあった。毎週更新されるエピソードに私は元気をもらい病んでいたのも軽くなり、鬱ではなかったけど抗うつ剤みたいなものだったと今では思う。

夏の終わり頃にアプリダウンロードした。音ゲーはそれなりに楽しくてたまにドリカショップ課金もした。DCDも始めた。純哉のカートが出ると嬉しいしルーキーの子ちもとても魅力的だった。犬地鈴之助くんがすきだった。

テレビでのアニメ放送が始まった。放送後にドリフェス研究室というものをやっているらしい。見てみたら最高だった。みんなおもしろかった。純哉の声をやっているトミーがとても愉快で5人の中では1番好きになった。アニメOPCDを買った。MVもかっこよかった。2次元寄りに応援していたけど3次元もとても好きになった。

高校三年生となると進路関係が忙しいわけで、ツアーがあるので遠征したいと親に言ったら一蹴されてしまった。東京は近かったがセンター試験直前だったためダメだと言われた。パシフィコ横浜だけ行けることになった。

ツアーファイナルサイコー超えてた。始めて生で見た3次元ステージキラキラが溢れていて涙が止まらなかった。

終了が発表されて緊急配信を見た今、原因はお金アミューズバンダイ契約なのかわからないけれどこの半年間私の心を支えてくれた感謝もっと早くからドリフェスにハマっていなかったことへの後悔しかない。決して私が出せたお金は多くなかった。アプリへの課金が少しとDCDカード100枚あるかないかCD数枚は買ったが、クロスドリームツアーは行かなかったしアニメ円盤も買わなかった。グッズを大量に集めていたわけでもないし、3次元キャストドリフェス活動外で追うこともなかった。本気でドリフェスを追っていた人たちからしたらムカつくのかもしれないが、これが私の精いっぱいだった。今まで他ジャンルに入ってたお金ドリフェスに流れたことは確かであり私はこの使ったお金に後悔もしていない。

2次元が先に停止することには本当に疑問しかない。武道館に行きたいとは思うが、アプリが終了してから当日まで気持ちを保っていられるかわからない。3次元イベントをやる日のアプリ特別ボイスがとても楽しみだった。武道館はきっとそれがないのだろう。

ツアーファイナル佐々木純哉のボイス

応援ありがとう!ほんっとに、俺はアイドルになれてよかった!」

自分応援しているアイドルに、アイドルになれてよかったって言われることはファンをしていて1番の喜びなのではないだろうか。もっと応援していたかった。好きだった。

まだ凸バクぜんぶ開けられてないがキャンブロ欲しいので通常楽曲やるしかなくて本当に苦しいけど残された時間を精いっぱい楽しみたいと思う。

2018-03-05

コンプレックスに勝てない

まれた時から人と違った。上唇と上顎の一部が欠損した口唇口蓋裂という形で生まれた。

この欠損は特別珍しいものでもなく、500人に1人くらいの割合で起こるものらしい。また現代医療は素晴らしく、成長期までに複数回外科手術をすることで本当に目立たないようにしてくれる。でも目立たないのと自分の中のコンプレックスは別。物心ついた頃から、「自分は人と違う。出来損ないだ」って思ってた。思春期の頃はアルバムを引っ張り出して赤ちゃんの頃の写真ビリビリに引き裂いて捨てるほどだった。普通になりたかった。だから将来の夢はサラリーマンだった。

中学校では、「普通の人たち」に認められたくて、たくさんの友達を作った。ギャルっぽい女子も暗い男子ヤンキー関係なく話しかけて100人くらい友達がいた。大人に認められるために良い子を演じてたから授業も真面目に聞いて、成績も良かった。でも、どこか劣等感を抱いていたので、少しでもコンプレックスを取り除くために進学校と呼ばれる偏差値の高い高校に行けた。

高校では、それなりに運動ができるようになりたかたから、体育会系部活一生懸命取り組んだ。

すごくキツい部活で何度も辞めたくなったけど部活動加入率が90%超える高校だったので帰宅部普通じゃないと思ったので耐えきった。部活必死にやってたので学力は落ちた。周りの奴らは部活勉強もできる奴らばっかで、みんな早慶とか国公立に行く人ばっかだった。相対的バカな私は一浪して、自分の中でまぁ納得出来る大学までいった。

大学生コンプにならないためにサークルバイトも人並みにやったと思う。相変わらず友達をたくさん作ったのでレポートとかテストもいろいろな人の力を借りて乗り切れた。留年はしなかったけど成績は良くなく、下から数えたほうが早い席次だった。自分のいた大学では理系の8割くらいは大学院に進学した。普通を求める自分は、とくに何も考えずに進学を希望した。

元いた大学研究界隈ではコンプレックスを抱きかねないくら設備に乏しい。だから大学院では東大に行った。ちょっと残ってた学歴コンプ研究能力コンプも払拭するつもりだった。研究室での2年間はしんどかった。優秀で、勉強運動恋愛も遊びも就活も要領よくこなす奴らに囲まれた。かたや自分は、知識経験モチベーションも全て中途半端だった。周りの優秀な東大生はもちろん社会的にも評価されて、大企業から内定をもらってた。私は大企業だと生き残れないと思ったので、ワークライフバランスを重視している中堅企業に狙いを絞って、なんとか一社内定を貰えた。就活が終わって、久々に元々いた大学友達と飲んだとき、彼らも一流企業内定をもらってた。優秀な人たちだったから、納得は出来た。でもやっぱ彼らに対して劣等感を抱いてしまった。俺は東大にいっても変われなかったんだって悟ったのかもしれない。

ねじ曲がった心からまれサラリーマンという夢も叶えられたし、就職先もひっくるめて今までの人生に後悔はしていない。友達尊敬できる人にもたくさん出会えたし、自分のできる限りを尽くして生きてきた。しかし私は東大生に求められる能力を持っていない。コンプレックスも解消できなかった。どんなに頑張っても牛の尻尾にしがみつくのが限界だった。ESでは、なんでもできる努力家を偽っていた。しか現実は全て中途半端ADHD気質コンプ持ち落第生だ。来月から会社でやっていけるのだろうか。一生懸命頑張ってもいつも周りには「より優秀な人」や「もっと頑張れるヤツ」がいる。

どれだけ、いつまで頑張れば私はコンプレックスをなくすことができるんだろう?

どれだけ走り続ければ私は幸せになれるんだろう?

2018-03-02

3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話をしよう

突然だが私はアイドルマスターSideMのS.E.Mというユニット担当Pだ。

自分語りのような事が苦手なタイプなので上手く話せるかわからないけれど、とにかく今消化しなければと思ったので、これまでの話と、2018年2月3日、記念すべき3rdライブ初日に起こった事、感じた事をそのままダラダラ書こうと思う。備忘録のようなものなので、見るも見ないも自己責任でお願いします。

タイトルにもある通り私は現JK小学校の頃高校に上がれば自然にできると思ってた彼氏は勿論いない。ただのオタク

通っているのは中高一貫自称進学校と言われているタイプ学校偏差値釣り合わない勉強スピード、量。それに加え人間関係重要になってくる部活。(詳しく書くと知っている人にはバレそうなのでやんわり言っておく。)

中学に入ったばかりの頃はそれまでと違った環境にわくわくしつつ必死にくらいついて勉強していた。受験後の先取りもあり成績は中の上。この時既にアイマスには出会っていた。真ファン律子Pをやんわり続けていた。突然だけど初星二日目の律子ヤバかったな。その調子で2年が過ぎた。

段々あれ?と思いはじめたのは中二の冬。勉強モチベが上がらない。(この時、SideMにも出会っていた。元某サッカーアニメオタクショタコン私、ホイホイWともふもふちゃんに釣られました。かわいい。)

英語文法なんて覚えなくても教科書の例文を丸暗記で最低限必要な点数が取れる。

数学は、担当教師が某有名大卒業生プライドエベレスト質問しても何故か違う話に飛躍する。(私達の偏差値が某有名大学に間に合ってないのもあると思うが)教え方は教室満場一致でド下手という評価しかも間違いを指摘すると逆ギレ…という人間性で、単純バカな私は数学のもののやる気が削がれていた。

その他理科社会etc…もただただ暗記。理科はもともと苦手意識があったのでこの頃から少し逃げていたかもしれない。

ぼやぼやと今やってる勉強って意味なくね?と思い始めてしまっていた。

キツイな、と確信したのは中3入りたて。(ここらへんで趣味嗜好が180度変わったヒゲおじさん大好きウーマン私、本格的にS.E.M&山下次郎Pに。)

学校教育方針で、数学英語中学の間に高1の内容をほぼ終わらせる事が目標だった。

そのおかげで内容は急加速、もともと集中力も無く勉強理解人一倍時間を要する私は秒で置いて行かれた。

成績はほぼほぼ地に落ち、補習、小テストの追試常習犯夏休み3分の1を奪われるらしい特別補習はなんとか免れたものの、遅刻もしばしばしていた。

一つできなくなると全部芋づる式にできなくなるタイプなので普通にヤバかった。

担任もそういったことにとことん追い討ちをかけるような人で何度も「このまま進級する気ですか?」「あなたがこのまま高校生になれるとは思えない」と面談等で散々言われた。ちくしょう、思い出してちょっとカムカしてる。

お世辞にも信じ切れる、と言える先生には出会えていなかった。

5月頃、既にリリースされていた「ST@RTING LINE-06」を購入した。SideMのはじめての担当の曲が入ったCDだった。

キドキしながらCDケースの蓋を開け、pcに取り込み、はじめて「Study Equal Magic!」を聴いた時。

私はただただひたすら驚きで固まっていた。

こんな世界もあるのか、と単純にびっくりしたのだ。小学校私立で、受験が確定していたため、小学一年生から塾に通い受験勉強をする毎日。結局行ったのは六年間の努力虚しく落ちた第一志望では無く全く今まで知っていた校風と毛色の違った滑り止め。

それでもなんとか喰らい付こうと頑張るも突然虚無感に襲われ全く手をつけられなくなった、「それ」=辛い、という私の中のイメージが、一瞬で粉砕された気がした。

けれど、私の中に根付いた勉強から離れた習慣、実際相手をする教師、そんなもの達はなかなか簡単に私の苦手意識を振り払ってくれなかった。

成績は若干持ち直したものの、それ以上もそれ以下も無く、ずるずる引きずったまま高校に上がってしまった。

高校に上がるとついて来たのは単位。進級。受験

そんな話を新しいクラスにもまだ慣れていないような時期にされ、あまりそういった事に実感が湧かなかった。

しかし割と直ぐに嫌という程実感する事となる。

一学期勉強どころでは無く新しい環境に慣れるのに半分ぐらい要したが無事終了。

そして、2017年6月4日

グリーティングツアー東京公演、私の初めての、現地でのSideMライブ参戦だった。最高だった。生のS=Mを聞いた時、初めてCDを聞いた時の鳥肌が返って来た。夢中になってペンラ振ったし、タケノコ生やしたし、しゅくだい!わすれない!!もした。山下次郎も中島ヨシキも最高だった。産まれて来てくれてありがとう。そのあと一週間は余韻が抜けきれなかった。現地って最高だな……

悪い方に進展があったのは夏休み中盤だった。思わぬところでダメージを受けた。部活合宿だった。

はじめて思うような結果を出せず、目標を果たせなかった。追い討ちをかけるように、新学期になり練習に対する価値観の違いによる部活内の対立と、その中立的立場になってしまった事。

ぶっちゃけ死ぬかと思った勉強も、二学期になり急に難易度が上がり例の如く取り残される。受験の重圧、周りの去年とは段違いのやる気。

そんなものが一気に重なり、私は学校に行く日が少なくなった。

メンタル弱いなとか思われてても仕方ない。というか私も自分で思ってる。

学校に行けなくなったというのは朝起きて、「学校行きたくない…」と震え、結局その日一日結局動けなかった…というような感じでは無く、単純に、朝早く起きれないのだ。

精神科に行くと、精神病と診断され、自覚がないままメンヘラJK突入かよぼんやりとか思っていた。

親にもお前の気持ちが弱いから、とだけ言われ続け、午前の授業の欠課数だけ増えて行く。

科目を二つ落とせば留年、今のところあと欠席可能回数が一桁しか残っていない科目が二つ。

今年に入って朝のHRから出席した日は一日しかない。なんというか、疲れてしまったのかもしれない。

勉強に追われ、部活に追われ。大半は自分責任だとわかってても、もう考えるのも疲れていた。

さて、めちゃめちゃ長くなったが2/3。

3rdライブも、お金問題遠征はできず幕張を狙ったが落選。それ以降は実はSideM自体アニメは見ていたけれどゲームをあまり開かないぐらいには、私の中では薄れかけていた。そんな中、ギリギリで取れた3rdライブLVチケットを握りしめ、豊洲pit以来出していなかったS.E.Mのペンラと共に友人と映画館へ向かった。

そして開幕した3rdライブ。久々に見る担当の姿に感動しつつ夢中になってペンラを振った。全員揃ったのはマジで感謝しかねえ…

S.E.Mの最初の曲は、S=Mだった。やっぱり、最高に楽しかった。

恭二に唐突に求婚されたり所々爆弾を投げつけられながら、合間のトーク

次の幕に移ろうとしていた。しゅごんが話の流れを持っていく。

先生達の指導必要だな!(うろ覚え)」みたいなことを言ってたきがする。S.E.Mだ、と思って大急ぎでペンラを持ち替える。

めちゃくちゃドキドキしながら待っていた。

会場が暗転。ピンクの光がちらほら増えていく。

ドン、と太鼓の音が聞こえて、あ、と思わず声が出た。

会場からも歓声が上がる。

S.E.Mのアニメでの新曲、「From Teacher To Future!」だった。

先生が歌い出す。るいが続く。次郎ちゃんもそれに続く。そして全員でこう言った。

「君は出来る 何だって出来る

君はなれる 何にだってなれる」

瞬間私は泣き崩れていた。そこには確かに中学生の時始めて私の背中を押してくれた、あの先生達の姿があった。

それまでごちゃごちゃ考えていた事が一気に流されたような感じだった。

S.E.Mがずっと私たちに伝えようとしていた事が、本当に今更だけどその時はじめてわかった気がした。

「頑張ろう、一緒に行こう!」と言ってくれた先生達に、私はたぶん、一生感謝するだろうなと思う。大げさかもしれないけど、それぐらい、今の私はS.E.Mというユニットに救われた。

ペンライトもロクに振れないぐらいボロボロに泣いて、「がんばれ」って横でずっと支えててくれてた友達にはマジで感謝しかない。

受験休みが終わって、明後日からまた学校が始まる。ちゃんと朝から行けるか不安もあるけれど、少しでも前に進むためのエールをあの時S.E.Mから貰ったので、私はその分、頑張ろうと思う。

以上、3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話。

2018-02-27

都内大学って言っても

MARCHとかなら猿しかいないぞ

進学校でいなくなったはずの猿にまた出あうことになる

増田が居場所得られそうなのってむしろ地方国立とかじゃね

大学デビュー頑張れ

2018-02-25

自分クズだと気付かずに生きてきた

中学ではどのテストもいつも一番だった。

運動部文化部を兼部し、どちらも県で優秀な成績を収めていた。秀才と呼ばれていた。

高校地元じゃ有名な進学校に入った。

その高校出身だと言うと、地元人間は目の色を変えた。優秀だと言われていた。

大学受験あたりから暗雲が立ち込めていたが、自分の目には全く映っていなかった。

大学受験はろくに勉強しなかったが、滑り止めの私立大学合格したので、そこに行くことに決めた。親は現役合格というだけで喜んでいた。

その時点で学歴勉強に対して価値を見いだせていなかったにも関わらず、自分が選んだ学部猛勉強必要なところだった。

大学生活は悪夢だった。というより、自分悪魔のようだった。

自分勉強しなかったために行くことになった私立大学ではプライドが満たされず、「こんな私立に推薦で来るやつ(笑)」と同級生を見下していた。

適当に決めた学部だったので、猛勉強必要なことを知って驚き、自分に合っていないと考えると楽になった。だが、退学する勇気はなかった。

進級するための最低限の勉強を続け、ギリギリながらも結局最終学年までたどり着いた。

そこまで来てしまうと、自分は最低限の努力物事をこなせる要領の良い人間なのだ勘違いするようになっていた。

周囲もいつの間にか自分を賛賞する人間ばかりになっていた。

その理由はただ一つ、自分の周囲に居たのは、口先に騙されてくれるような、善良で純粋無垢で心優しい、自分とは正反対人間たちばかりだったからだ。

そして、ついにいかづちが落ちた。

大学卒業できなかったのだ。

理由は単純、やる気がなかった。だが恐ろしいことに、それに全く気付くことができなかった。

自分勉強に集中できないのは何か重大な理由があるのだと考え、もっともらしい理由をつけ、周囲を納得させた。周囲が納得したので、自分は責務から解放されたような気分になった。

高卒プライドが許さなかったので、留年して卒業だけはすることにした。

プライドのためだけに将来を決めていることを隠そうと、常識ぶった物言いで親を説得した。親は納得し、自分学費のために病体に鞭打って働くと言った。

だが、相変わらず勉強へのやる気は皆無。勉学への情熱もなく、親の首を締めて学んでいる危機感もない。あるのは義務感、老いへの焦り、価値のない時間から早く過ぎればいいのに、という意識のみ。

できることなら好きなことだけして、好きなことで食っていきたい。でもも結構な歳だし、真剣勝負は怖い。人生を棒に振るかもしれない。

清々しいほどのクズだ。つい最近まで全く気が付かなかった。

自分は優秀で、才能があり、与えられたものに甘えず、目標をしっかり持ち、現実的物事を考え、自己実現に向けて努力し、自分の芯を持っている。

そう信じて疑わずに今まで生きてきた。なんてひどい人生なのだろう。

当たり前のようにクズを見下して生きてきた。

クズクズなりにクズらしく、クズを貫いて生きているというのに、自分の有様はなんだ。

クズにもなりきれず、優秀な仮面をつけるのも息苦しく、好きなことに情熱を注ぐ勇気もない、クソの中のクソが産んだクソみたいな人間じゃないか

最初から自分についてなにもかも諦めていたらよかったのだ。最初からクソらしく生きていたら、ここまで悲惨なことにはならなかった。

だが、今やるべきことは嘆くことではなく、これ以上更なる悲劇を産まないことだ。

いか、よく聞け、お前のようなクソがすべきことは、今からでも遅くない、自分についてなにもかも諦めることだ。

自分がクソであることを受け入れることだ。クソはクソらしくとっとと濁流に流されることだ。

自分についてクソと書くことで悲しくなっているようじゃ、お前はまだ自分のことを人間だと思い込んでいる。

泣くなクソ。これは罵倒じゃない。事実を書いているだけなんだ。お前は人間じゃないんだ。何らかの手違いで産み出されたクソなんだ。

本当はお前以外の人間らしい人間が産まれてくるはずだった。お前は間違って人間として産まれしまたから、クソなりに人間の真似をして生きてきただけだ。

人間モノマネばかり上手くなっても、お前はクソだから人間にはなれない。お前はかわいそうなやつだ。必死人間になろうとしてきた。

提示された課題をこなし、期待に応え、善良で、常識的で、聡明で、才能ある人間に憧れ、そんな人間モノマネに尽力してきた。お前はクソだが、人間の真似はクソ一倍上手い。それだけは認めてやろう。

楽になることをちょっと教えてやるから泣くなクソ。クソであることを認めれば、お前はクソだから、誰かを幸せにする必要はない。一般的幸せ迎合する必要もない。誰かを無理に愛そうとしなくてもいい。なんにも頑張らずにのたれ死んでもいい。誰とも喋らなくていい。ずっと一人で居てもいい。スマホも捨てていい。お前はもう人間らしく生きるために生きなくても良くなる。

でもお前が本当に人間になりたいと思ってたのは知ってる。だからクソだと認めたくないって渋ってることは分かってる。だからこそ、これ以上ひどいクソにならないために、クソだと認めなきゃならないんだ。これ以上信念もクソもないクソにならないために。クソなりに恩を感じてる人間たちをこれ以上失望させないために。騙さないために。

から泣くなクソ。お前が申し訳ないと思っている大切な人間たちが愛しているのは、お前が演じていた人間であって、クソじゃない。お前は不幸にも優秀な人間モノマネが上手すぎたことによって、クソのままで愛される術を失った。これからちゃんとクソとして生きていくんだ。そうしたら、数は少ないけど、スカトロ好きなやつが褒めてくれる時が来るかもしれない。お前はクソだ。人間のふりをしなくていいんだ。

クソであることを認めれば、お前がクソである事実に変わりはないが、お前が過ごすクソ生はクソじゃなくなるかもしれない。いいな、クソ。

2018-02-24

anond:20180224150405

中学受験進学校に受かったけど落ちこぼれちゃった人にはよくある話。

もし全落ちしたら浪人するだろうけど自宅浪人も選択肢に入れた方がいい。

塾だとまた学校みたいに拘束されることになるからな。

宅浪人なら自由時間がたくさんあるから自分を見つめ直し中学受験でできた無駄プライドを捨てる努力ができる。

私大全落ちした現役の話

まだ現役合格を諦めきれなく、後期私大の申し込みを行いました。

プライドが高い為周りの友人には話せずこのような形で1度気持ちの整理をつかせたいと思います。乱文になると思いますがお許しください。

中高は私立の一貫校でした

偏差値60程度の自称進学校です

私は小学生の頃塾に通う=携帯電話を持たせてもらえるという安易な発想で中学受験塾に強請って通わせてもらいました

運良く頭はそれほど悪くなかったため、週5日塾に通い多分余裕で今の進学先に合格しました

中高一貫は良く言えば6年間自由勉強が出来る

裏を返せば何もしなければ入学当時のまま

私は完全に後者でした

なんとなく高校生になってから塾の講習へ行き、進路に迷ったりなんだりして結局志望校を固めて本気を出しはじめたのは高3の秋ごろだと思います、今考えると遅すぎる開始ですよね

一応冬には自習室に篭り、過去問を解くという日々でしたが私立専願のくせに私大より簡単センター問題ばかり解いていたり毎日現実から逃げていた気がしま

センター英語8.5割国語7割歴史7.5割

受験したことがある方ならわかると思います早慶目指しているレベルには足りない結果でした

もちろんここでセンター利用全滅です

滑り止めもダメでした

その後滑り止めの学校も受けた感じはまあ受かるだろうって自分では思ってました

今でも滑り止めに関してはなぜ落ちたのかわかりません

一校も合格を得られないまま入試本番へ

早慶第1志望としていたから合わせて5学部受けました

手応えとしては歴史が苦手だった為歴史が足を引っ張った気もしたが1学部は自信があり、2学部はまあ最低点は取れているだろって感じでした

1番自信があった学部不合格

まあの2学部はまだ合否出てないんだけどこの調子だと受かった気がしない

敬語疲れたからやめる

問題マーチ

明治青学立教中央法政マーチ

正直これの全落ちは予想外だった

田村淳と同レベルじゃん

これはちょい歴史ミスったなとは思ったけどそれ以上に国語は常に満点だと思っていたし英語も良い結果だったと思う

マーチも片手分受けたからそれ全落ちは結構ダメージ食らう

先に書いたけど自称進学校の進学先内訳はトップ50人ぐらいは早慶行ってあとはマーチ

マーチでもへぇって見られてマーチ以下は人権ナシの状態

就職や専門に行ってる人は5年に1度くらい

でも去年先輩めちゃくちゃ浪人してた

後期私大入試卒業式の後行われる

まり進学先未定のまま卒業式に向かわなければならない

どうしようかな〜いきたくないな〜っていうのか本音

これは全落あるあるだと勝手に思う

ちょっとでも進学先のこと聞いてきたやつ殴りたくなると思う友達少なくて良かった

とりあえず後期私大まであと1週間、2週間?

それも全滅したら浪人するってさっきようやく口に出せた

というかニッコマ以下は行く価値ないって私は思う

プライドだけで上位校受け続けるとほんと後悔しか残らないし毎日泣く羽目になるから後輩たち、もしこの記事を読んだりしたら模試の結果を見て、自分の成績をよく考えて、志望校決めてね

大学へ行く意味は私もよくわからない

けど高卒プライドが許さな

どこまでも面倒だね

だいぶ落ち着いてきたか勉強しま

学歴コンプ人生はほぼ決定してるけどつよく生きます

良かったらこんなクズ受験生いたなって思い出して応援してください

予想以上に励みになります

最後までありがとうございました

anond:20180224112628

もっと田舎だと私立中中高一貫進学校底辺私立二極化する

進学するのは意識の高い親もしくは子、または小学校に馴染めなかった子

2018-02-23

浪人確定ガチャ現役国立受験生叫び

ヤケになった受験生の色々な方面への愚痴

支離滅裂文章になってしまっているので訳が分からいかもしれない。ただただ、僕の状況を思い出しながら書き連ねただけの文章

まず、僕の状況から説明する。某都道府県トップレベル進学校に通っている地方国立大理系志望の受験生。判定はセンターで無事爆死して、出願大の二次試験で満点かそれ以上の点を取ってやっとボーダーに乗るか乗らないかのところ。なお、私立大はMARCH受験はしたけれど受かっても行けない。親が行かせてくれない。現役ではダメ、と言われたため国立に受からなければ浪人早慶ならいいと言われたが残念ながらそのレベルには達せなかったため受験をしていない。

こんな所に書き込みなんてしてないで、最後最後まで諦めるな、って言われても残念ながら、この状況でいけると思えるほど強靱な意思を持ち合わせていない。

どう言っても敗者の言い訳しかならないから気にせず言うが根本的に高校選びから間違えたと思っている。

親、周囲の「できる限りレベルの高いところに行きなさい」という言葉の言いなりにしかなれなかった自分が悪い。自己分析が不十分で、頭のいいやつがいっぱい集まればその中での序列が更にできる、ということに気づけなかった自分がただ悪い。

中1の終わりの時点で義務教育分の学習はだいたい済んでいた。

僕は一小一中の地元学校に通って成績でトップ位置していた。先取りをして進める勉強は楽しかった。トップに居れることの快感からだと高校入学して気づいた。

高校の内容を学習し始めてからは進度が遅くなって中学卒業の時点での進度はぎりぎり高校二年の内容に入るか入らないかくらいだった。先取り学習の進度が実際の学年に追いついてしまった事が少し怖かった。

高校で様々なテキストを渡されて気づいた。常に渡された教材を解き続けることで勉強していた僕は一学年分の教材を渡されてどこから手をつければいいか見当がつかなかった。

今思えば、そんなの最初から片していけばいい、ということくらいすぐに思い至る。でも、当時の自分は通学時間も、周りにいるメンバーも大きく変わった状況で混乱していたのだと思う。

そして、高校にぎりぎり、滑り込み入学した自分は多分周囲から1歩か2歩出遅れていた。そこで勉強を始められていたら今が違っていたかもしれない。

僕はどうしたらいいかからなくなって勉強をやめた。やめたと言うよりはしなくなった、が正しいかもしれない。表現はともかく勉強時間ゼロに等しくなった。

勉強時間が無くなった僕と初めから少しリードしていて少しでも勉強時間を確保した同級生格差なんて一気に広がった。

模試の全国偏差値が初め65あったものが2年の夏には30まで落ちた。校内偏差値なんて気にするものではないと言うけれど、数字があるのなら気にしてしまう。

トップであることが勉強モチベーションになっていたような人間にこの状態から受験勉強普通に始められる、と思う方が失礼だがどうかしていると思う。

偏差値が最低を記録した2年の夏頃から鬱の様な症状などの心の方の不調が出た。特に親にも言わず、言えず、病院にも行かなかったから断言はできないが鬱だったと思うし、自律神経もおかしくなっていたと思う。2年の夏休み明けから学年が変わるまでは、大体保健室にいた。

3年に無事進級してから受験が迫ってきたこともあって荒療治に出た。自分勉強せざるを得ない状況に置いた。塾の授業の出席状況は親に筒抜けだったし、塾の希望制の特訓に参加したりもした。

はじめの頃は机に向かうだけで吐き気頭痛腹痛のオンパレードだった僕も調子に波がありつつも、休憩を挟みながらも一日机に向かえるようになった。

ちょっとやれば成績は上がる。その通りだった。V字回復とまでは行かなくとも『へ』の字をひっくり返したくらいの傾きで成績は上がった。模試の全国偏差値が55になるくらいまではすぐだった。秋以降になると伸び悩んだがまだモチベーションがあった。

冬になってセンターが終わった。数学で序盤にミスを連発したため数学だけで約80点を落とした。この時点で出願した大学に受かるのは絶望的になった。

僕は、進学と浪人、どちらでも選べるようにしたいと出願大のレベルを下げる事を親に提案した。親は僕の提案を認めて次の日学校先生候補大学を出して貰いなさい、ということを言った。

次の日、先生面談して幾つか候補国公立大学を出してもらって親に見せた。そこで、意訳するとこう言われた。

あなたセンター得点率で行けるような大学に行かないで。」

意訳ではある。もしかしたら違うことを意図して言葉を発したのかもしれない。でも、受け取る側の僕はこう受け取った。びっくりした。同時に今年度の試験に対するモチベーションゼロになった。

昨日と言っていることが違う。訳が分からなくなって僕はその日の話し合いを打ち切りにしてふて寝した。もしかしたらその場で真意を問うて意思疎通を図るべきだったのかもしれない。そうは言っても、センターが思わぬ結果に終わってショックを少なからず受けた受験生がそんなに冷静でいられるか。否である

自分の事は、他の誰よりも自分が分かる。僕は勉強の事で大きなスランプに陥ったから、そしてまだ完全に回復したわけではなくて状態に波があるから、どちらの選択肢も用意したくて提案をした。僕にだって無駄に高くはあるがプライドのようなものもある。出来ることならできるだけ上位の大学に進みたい。でも、心身の状態がそれを許さないことも起こり得る。最悪の事態にならないためにも避難先を用意したかった。

出願を行ったのも自身であったか勝手に出願先を変えることもできた。しかし、しなかった。できなかったのかもしれない。そんな親の言いなりになっている僕が悪いと言われるのならそうなのであろう。

親は自身体験から僕に苦労して欲しくないと思って様々な事を言ってくれている。そのことには感謝しているし、言う通りにすれば一般に言われるような幸せが訪れるのかもしれない。

でもその途上で僕の人生が絶たれたら?親が辿った時代現代事情が変わっていたりもする。親は親で、僕は僕だ。その先にあるものが万が一にも僕の幸せでなかったら?全てとはいわなくとも多くのモノが無に帰すのではないか

僕はリスクを減らしたかった。ぎりぎりまで行きそうになったことがあるから分かる。もし、もう一度心が壊れたら多分ダメ理系から院にまで進学もするつもりでいる。大学と別の院に進もうと思えばそれもできる。そういう選択肢も教えてもらった。先延ばしにして猶予が欲しかった。自分体制を整える猶予が。

残念ながらその機会は失われた。僕には、高い確率でもう一年死にそうになりながらやる道しかない。もう腹は括った。やるからには自分が許す限りやってやろう。

書いてみるとこうすれば良かったのではないか、というのが出てくる。でもそれは客観的に見た最善策であって当時の選べる最善策ではなかった。勉強の悩みなんて親に話せるはずもなかった。もし、話せたのなら理解もされただろう。日本語は通じるはずであるしかし、そんな事を許すような親ではないと思っている。僕から見るとそう見える。

他の人から見れば何をやっているんだ、と言われそうだが僕がその時に尽くせるベストを尽くした結果である

内容が飛躍するが、親への不満、入試の仕組みへの不満、何より自分への不満がとにかくある。

もちろん、親に関しては自分金銭時間投資をしてくれた事への感謝もある。けれどもいつかは不満を、一覧にしたものを、突きつけたい。突きつけられるようになりたい。自分意見をきちんと突きつけられるようになりたい。

出る杭は打たれるような所ではあるが打たれてなお出ていよう。自己で決定ができるようになろう。

かなり長い文章になってしまたから、最後まで読んでくれた方はいいかもしれない。もし、ここまで見た方が、この文を読まれたのであるならば感謝を伝えますありがとうございます

2018-02-22

anond:20180222192205

お前の高校進学校か?

普通進学校なら教えてくれるぞ?

ただし、東大や、自治医科大学などを目指せる実力がある人にこそっとな。

高校にとっても優秀な意欲ある学生お金のために進学できないなんて、って考えて先生たちも親身になってくれるよ。

進学率あげた方が学校の評判も上がるしね。

自分無知を恥じなw

2018-02-15

anond:20180215032409

三浦瑠麗夫婦同時受賞した経済学

・ともに佳作

・他の受賞者なし

・その年でこの賞は廃止




三浦瑠麗は、東大農学部にいた時は旧姓の濱村瑠璃と名乗っていた。

 1980年生まれ湘南高校出身で、東大在学中にベインキャピタルミット・ロムニー共和党大統領候補所属していたファンド)に現在務める、福岡出身三浦清史(親族がどうもアメリカ人生物学である)と結婚している。

 湘南高校エリートといえば、石原慎太郎岡本行夫浜田宏一戦後は輩出した進学校であり、戦前海軍兵学校予備校的な存在だった。

湘南高校出身者のネットワークとして、「湘友会」があり各地方海外クラブ別、企業別の支部存在するという。

 三浦女史の兄弟金融庁勤務を経て今はシカゴ留学中の妹がおり、弟は東大国際関係論を学んでいるようだ。

 

要するに、現在日本の「東大パワーエリート」とはこういうものだ、という見本のようなファミリーである

 私が三浦女史がアメリカ日本のそのカウンターパートの受け皿としてかなり計画的に、かつ組織的に育てられた人材であることを直感したのは、

彼女と夫が東洋経済主催した「高橋亀吉賞」という経済学論文賞を同じ年に夫婦で同時受賞していることだ。

 しかもともに「佳作」。

 他に受賞者がいないというのも驚きである

 このような夫婦同時受賞というのは普通有り得ないことである

 この論文審査体制に疑問が生じるが、やはりというべきか、2014年を持ってこの論文賞は廃止されている。

 

このように経済安保農政と様々な人脈があって、東大国際政治学者・三浦瑠麗は準備されていた、ということだ。

そしてイスラム国事件を論じる「ニューリベラル論客」としてデビュー

https://blogs.yahoo.co.jp/kinakoworks/13112404.html

2010年度 第26回 高橋亀吉記念賞 佳作 2点

三浦 清志氏 経営コンサルタント

社会保障分野を成長エンジンにするための戦略文化改革

三浦 瑠麗氏 法学博士東京大学大学院法学政治学研究科 ポスト・ドクトラル・フェロー

「長期的視野に立った成長戦略 ― ワーキングマザー倍増計画

選考委員

武藤敏郎大和総研理事長

大田弘子政策研究大学院大学学長

若田部昌澄 氏 早稲田大学 政治経済学術院教授

http://www.toyokeizai.net/corp/award/takahashi/2010/

安倍マリオ森喜朗会長総理提案五輪組織委の武藤敏郎氏が語る

http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/22/abe-mario-and-mori_n_11657360.html

平成29年11月29日規制改革推進会議 大田弘子氏と安倍総理

https://www.kantei.go.jp/jp/content/29kiseikaikaku01.jpg

金融緩和積極的リフレ派として知られる早稲田大学の若田部昌澄教授

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-12-13/P0VQ9Q6TTDS001

2018-02-13

学歴ロンダリングして思うこと。

良い環境研究したいと思ったので、結果的学部より高い偏差値大学に来ちゃった。

高学歴の世界を見て思うのは、優秀だなあ、ってのと、恵まれ環境で育ったんだなあ、ということ。

高学歴の人の平均って、親がきちんと働いていて、塾に通い、ピアノを習い、進学校に通う。塾の講師家庭教師アルバイトをする。その後は大手企業入社し、そこで出会った同じような家庭レベルの人と結婚…みたいな感じ。

まり低所得の人と関わることがあんまりない。

あと、やっぱり勉強って金持ち道楽なので、院進は慎重にね!貧乏人は大変だよ!

2018-02-12

褒めるのが得意というのが幻想だった話

店の店長として、若者を中心としたアルバイトスタッフをまとめる仕事をしている。

前職で実績ができ、「褒めて伸ばすのが得意な店長」というお墨付きをいただいた。

それを見込まれ、同業種の店に転職して1年半が経った。

転職先では散々で、かなり自信を失った。

分かったことは、私は褒めるのが得意なのではなく、自分より優秀なスタッフに対してすごいすごいと言っていただけということだ。


前職のスタッフはかなり優秀だった。

名門大学大学生院生が中心で、意欲があり、飲み込みが早く、スキルも高く、育ちが良いので性格も良かった。

学生以外の人たちもかなり優秀で、年下の私の話を尊重してくれた。

「本当はこの辺りまでやってほしいけど、大変だろうからここまでやってもらえれば良いか」という指示に対しても、その先を読んで期待以上の動きをしてくれる人が多く、感動しきりだった。

私は高校進学校だったが、芸術系大学に進んだため、勉強では彼女たちにとても敵わない。

だが、その業種での経験が長いので、スタッフが困ったことは大体解決できたので頼ってもらえた。

また、学校では教えないようなことを伝えられるので、慕ってもらえたと思う。

退職時の寄せ書きには「大好き」という言葉がたくさん並んでいて、とても嬉しかった。

自己分析なので間違っているかもしれないが、おそらく私は他人を羨んだり妬んだりすることが無い。

そのため、相手が年下だろうと「すごい」と思ったことは手放しでよく褒める。

褒めると相手もやる気を出してくれて、好循環が生まれる。

ただそれだけのことだったのだが、「褒めて伸ばすのが得意」だと勘違いしてしまった。


転職先では、スタッフ教育が足りていないのが目に見えていて、時間が空くと個人的作業勝手に始めてしまうような、意欲の低いスタッフが多かった。

前任の店長は、お客様が来店しても困っているスタッフがいても気づかないような人だったので、そのためだろう。

前職のスタッフほどではないが、頭の良い大学に通っている人が多く、能力も高そうだったが、やる気のなさを感じた。

「すごい」と思えるところが前職ほど見つけられず、あまり褒めることができなかった。

しばらく経ってから、別の店も兼任することになった。

その店のスタッフは、前職のスタッフよりも平均偏差値20以上低かった。

事務作業が無いため学力特に気にしていなかったが、失敗した後に対策する力や、先を読んで行動する力が足りないと度々感じた。

また、笑顔接客することすらできないスタッフが多く、笑顔お客様をお迎えする必要性を説いても響いていない様子だった。

お客様が来店してくださった時は感謝気持ち自然に湧いてきて、自然笑顔になるものだと思っていたので、それが分からない人にはどうすれば良いのか悩んだ。

それぞれに頑張っていたかもしれないが、「すごい」と思えるところが見つけられず、ほとんど褒めることができなかった。

だが、最近とても優秀なスタッフが何人も入った。それはもうしょっちゅう褒めている。

それまで、なぜ「褒めて伸ばす」ことができなかったのか考えた。


「すごい」と思ったこしか褒めることができない。それが私の能力限界なのだと思う。

上司には「人の良いところを見ようとせず、悪いところばかり気にしてしまう」という欠点を指摘された。

もっともだと思うが、前職の上司なら「そんな点は見受けられなかった」と言ってくれる気がする。

前職でスタッフに恵まれすぎていて、きれいな水でしかイキイキと動けない魚のようになってしまったのだと思う。

現職では心身ともに疲れてしまって、スタッフに対しての言い方がキツくなってしまたことがあった。

私の存在ストレスになったスタッフもたくさんいたはずだ。本当に申し訳なく思っている。

また、上司と相性が悪く、お互いの言い分と受け取り方がひたすら平行線になってしまった。


私はもうすぐ退職する。

尊敬できる人が多い環境に身を置ける人間になれるよう、努力していきたい。

2018-01-30

俺は、EXILEを許さない俺を許せない

弟の話をしようか


すみません調子ノリました。させてください弟の話。もうほんとまじで頼むから

増田、この前は聞いてくれてありがとう存在してくれてほんまありがとう増田。圧倒的感謝だよ。増田以外に頼れるやつがいないんだよ俺みたいなのには。

これはあれ、EXILE TAKAHIROをねえちゃんと呼ぶ弟がいる俺のあれです。真偽をどうこういいたい気持ちはわかるし何て言われても構わないって言うか正直圧倒的多数がこれを嘘だと言えば俺のこの目の前の現実も嘘になるんじゃないかと思うので嘘説を支持して。お願い。俺の分まで嘘だと言って。

anone。

結論我が家がとうとう破局をむかえました。みたいな、なんか今そんな感じの地獄にいる。

ここが地獄刮目して見ろ。見てくださいお願いしま

事の発端をどこに求めればいいのかはわからないが、まあ恐らくは弟がファンミに行けてしまった(2回くらいは行ってた、たぶん)ことが大きいのではないかと俺は思います

1回目のファンミ参加の後、弟は2年は付き合ってた彼女と別れた。たぶんこの前のにも書いた気がするけど。

理由はもちろんあれです。

お姉ちゃんのことが好きだから

彼女のことももちろん好きだけど、彼女お姉ちゃんを天秤にかけたときお姉ちゃんをとってしまうから、とかそんな感じの理由だったと思う。真面目かよ。後、なんかこれはちょっとプライベートな話だけどあれが機能不全になった、かもしれないとかで、そういうのも含めて別れた。と別れた後に聞かされた。いわゆる事後報告って奴。

そのときの俺の気持ち想像してみてほしい。正直夢だと思ったよ。だってこっちは今まで結婚視野にいれてる相手だって聞かされて会わされてきたわけで。弟が向こうに挨拶に行ったのかは知らないけど、うちには挨拶にって彼女を連れてきたりしてたわけで。なのに別れるってあい正気じゃないんじゃないかな。ぐらいは普通に思った。

しか彼女さんと2、3回くらいしか会ったことはない俺からすると、めっちゃうまくいってる感じしてたし。

お互いのことなんか好きなんだなぁってオーラが出てて、俺は、リア充乙!とか思いながらやけにしょっぱい彼女手土産ケーキ食べたりしてたんだよ。どこのケーキ屋のケーキか聞いときゃよかった。あのチョコケーキもう二度と食えないんだろうな。

でもまあ、当人である弟が別れたくて別れた以上、しかもかなりさっぱりした顔をしてたから俺としてはあんまり色々言えもせず、でそのときは終わって。終わっちゃいけなかったんだけど、終わって。

問題はここからだった。

その彼女がうちの母親に泣きついたのだ。

なんと弟は別れ話をするとき、別れよう。くらいしか言わなかった、らしい。

それで納得できるか、っていったら彼女さんは無理だった。まあ普通に考えると大学で2年以上付き合ってうまくいってて家族の紹介までされてた彼氏にある日いきなり別れようって、しかもなんの説明もなしに言われても納得できないよね人間だもの。俺も無理だと思う。彼女できたことないけど。

それで、彼女さんと仲がよかったらしいうちの母親は怒り狂って弟につめよって、なんとか復縁させようとした。うちは男兄弟から母親的にはなんか彼女さんははやくも娘も同然、って気分だったらしい。理想の息子理想娘。最高の気分だったんだろうな。

それで一月くらい諦めず毎日だってネチネチネチネチしつこく言った母親にさすがの温厚で優しい弟もブチ切れた。

俺だったらそんなことされた日には仕事以外引きこもってでも逃げまわる。なのに、弟はいい奴だからゴミ捨てとか家事とか色々してたこともあって母親と顔を突き合わせること多かったし、1ヶ月は正直めっちゃ耐えたなって感じだ。

ブチ切れた弟は、なんか、もう、すごかったらしい。筆舌に尽くしがたいとはこの事だと思う。

うちの両親は体面大好き人間から高校は有名進学校!で大学も国公立会社は一流大手!!みたいな、それいつの時代人間だよみたいな価値観の人たちでまあ俺はものの見事に失敗したんだけど、弟はその期待に見事応えてきてて、だけど鬱憤はやっぱり溜まってたらしい。当たり前か。

就職したら家を出ること、結婚する気はもう一生ないから孫は諦めてほしいということ、だから彼女とよりを戻すつもりもないし、そのことで親子の縁を切ってくれても別に構わない俺には姉ちゃんがいるから。

だいたいこれぐらいを母親にぶちまけたという弟は、次の日には家からいなくなってた。荷物も、あいほとんど持ち出してた。元から綺麗好きだったし荷物まとめてても正直誰も気づかないから、計画的反抗だったのかもしれない。

弟がどこに行ったのか俺は知らない。というかわからない。弟の交遊関係に詳しくない俺にはちょっと難しすぎます

俺はちょうどそのとき仕事デスマーチなうだったこともあってこの現場には居合わせられなかった。いたのは父親母親と弟だけだ。だから俺は弟とまともにお話しできてない。顔も合わせられなかった。

それに、後から父親に聞いて事の次第をやっと知ったので正直今でも現実味あんまりない。LINEは、してたんだけど、俺経由で母親が連絡してきそうで嫌だから、と断りを入れられた上で今はブロックされてるから、連絡もろくに取れずにいる。たぶん元気にしてるんじゃないかとは思うんだけど、思うだけだ。

母親はなんとか弟と連絡を取ろうとしていて、だからまあ俺のLINEブロックした弟はめっちゃしかったわけなんだけど、でも連絡がとれないからか八つ当たりがすごい。家にいるのは期待外れの俺だし。父親はそんな母親放置することで弟のことからも目を反らしてるし。家にもあんまり帰ってこないし。俺はというと明日仕事だし、明後日仕事

弟一人いなくなっただけでうちはぐちゃぐちゃになった。惨状がと参上って感じで目も当てらんない。

でもそれって当たり前のことなんだなって思う。弟は、すごかった。すごい奴だった。弟がいたから、今までうちは表面上は何の問題もないような顔してやってこれてた。だけどそれで、俺は弟にどれだけの負担をかけてたんだろう。

から兄的な呼び方で呼ばれたことがあんまりなくて、だからまあ正直言うと、だからお姉ちゃんって呼び方ででも弟に言ってもらえるTAKAHIRO嫉妬してあんもの書いて、でも、弟が俺のこと兄として見てなくても普通ことなんだよなそれってって、ようやく思えるようになった。遅いか。遅すぎか。今思えば今まで弟のこと庇ったり助けてやったりできた覚えがないし、むしろいつも俺の方が助けてもらってきたし。

からEXILEを許さない、なんてあのときはああ言ったけど俺は俺が、自分のことが一番許せない。

しろこれさあTAKAHIROさんには感謝しなきゃなんだよな。

俺は長男なのにこれまで何にもうまくやれなくて頭も悪くて親が言うように進学することも就職することもできなくて、なのに弟は親の期待っていう重たいものに俺の分までずっと耐えて応えてきてくれて、その辛さとか苦しさとかを癒してくれたのがきっとTAKAHIROさんだったんだろうな。だから俺は弟のお兄ちゃんになれなかったしTAKAHIROさんはあいつのお姉ちゃんになれる。羨ましいよ俺は。お姉ちゃんでもいいからなんか弟のためにしてやれる人間になりたかった。まあいっつも口だけ野郎からこんなことになってるんですけど。

なので、なのでまあ俺がちゃんと弟が頼れたり甘えたりできるような人間だったら、弟はこんなにならなかったんじゃないか、とかなんとか思うわけなんですよ。今となってはもう思うだけですけど。それしかできないじゃん。後の祭じゃん、これもう全部。


これさあ俺どうしたらよかったんだろ。どうしたら正解だったんだろ。

増田はどう思う?

あとさ、来季アニメなんかオススメある?来季じゃなくてもいいや。今季ポプテピ見てんだけど、できれば現実逃避に向いてる奴。母親のブチキレ無視できそうなの。






追伸

弟へ

しかしたらお前が見てくれるんじゃないかちょっとだけラッキーに期待して書くけど、

今までいいお兄ちゃんになれなくてごめん。まあ今度のことくらいは兄貴面させてくれ。親父と母さんのことはこっちでなんとかうまくやるから安心しろそれからLINEはまだブロックしてた方がいいと思う。母さん俺のスマホここ最近ずっと狙ってるから。諦めてほしいよな。

でもまあそのうち、飯行こうな。就職祝いもできてないしさ。

後、ハイローの新しい映画とかあったらそのときはまた一緒見に行きたいなって思ってるよ、俺は。映画感想話してるときのお前、めっちゃ楽しそうだったし。いい映画だったし。

それと、次お前に会うときのためにEXILEを少しは履修しておこうと思います

俺は大丈夫。なんとかなる。

からお前はもう、自由に走れ。琥珀さんみたいに。

インフル風邪にだけはまじで気をつけて。





追記

ハイローは全部一応見ました。俺はロッキーと尊龍さんと琥珀さんとスモーキーが好きです。

2018-01-24

教室テロリスト妄想亜種

高校生の時、自称進学校の授業についていけなかった俺はこんな妄想ばかりしていた。

政治行政の腐敗。資本主義による金が金を生む現実。みんな触れたがらないが明らかにある階級格差。過剰な対米従属

現代日本の現状を憂いた俺はこの国を変えるために立ち上がることを決意する。

そしてネット反体制活動をしているうちに憂国の同志達と繋がり彼らと革命軍を結成。発足時メンバー86人。

闇市場から武器を買い集めるなど着々と準備を進め結成2年後ついに実力行使に出る。

2001年2月20日革命軍東京六本木にある米軍施設赤坂プレスセンター攻撃を加え一時占領することに成功

その後、米軍自衛隊攻撃され撤退。俺はなんとか生き残る。

多くの同志が殺害または逮捕され革命軍解散危機に瀕するかに思えたがその勇敢さに感動した憂国の同志が日本中から集まることによりむしろ兵力は増強された。

その後、警察公安、軍による掃討作戦に抵抗しながら蜂起の時を待ち続ける。

そして2008年1月16日新宿渋谷池袋などで革命軍は一斉に蜂起。永田町霞ヶ関へも侵攻。

国の中枢への攻撃民間人大量虐殺により日本は大混乱する。

その混乱に乗じて革命軍臨時政府樹立宣言を行う。

しかし次第に自衛隊米軍の態勢が整い体制側の反撃が始まる。

革命軍ゲリラ戦で抵抗するが相手の圧倒的な火力と人数、練度の差により次々と駆逐されついに一時解散を決定。

池袋戦線にいた俺は奥多摩へ逃亡を始めるが途中で自衛隊に遭遇。近接戦闘になり首を折られて死亡。38歳だった。

俺は死んだので革命軍がその後どうなったのかはわからない。

2018-01-16

分かる

制度改定の利点・欠点をきちんと把握しないで、現象面だけで否定するな、というのはもっともだ。

https://anond.hatelabo.jp/20180116095356

参考までに、少し自分経験を述べる。東京ではない道府県の、似たような制度があった公立進学校入学した生徒を対象に、一度リサーチした結果だ。

 A入試点数と、一年後の校内偏差値との相関

 B中学校内申点と、一年後の校内偏差値との相関

 C内申点入試点数と、一年後の校内偏差値との相関

校内偏差値大学入試の結果は、かなりよく相関していることが進路のデータから分かっていたので、じゃあ高校入試の成績と校内偏差値との相関はどうだろうと思って調べてみたわけだ。Cが従来型の入試方法妥当性、Aが新型選抜妥当性、Bが内申点自体信頼性をはかるのに役立つと考えた。そして2~3年にわたって調査した結果、A、Bには実質相関が無く、Cにのいくらか相関が認められるということがわかった。

個人的には、地頭の良さは高校では大きいと思っていたので意外だった。どうも、公立高校での「学習成績」は、地頭とかだけではなく周囲との社会生活をうまく送れるかどうかにも左右されるということらしい。私立出身自分には意外だったが、確かに、生徒達を見ていると、公立高校では周囲とうまくコミュニケーションを取りながらやっていく「公立タイプ秀才」が多いようだ。ピーキー能力の持ち主はあまり場所がない様子だった。まあこれは地域にもよるのかもしれないが。

自分のいた所では、その後すぐこの制度がなくなってしまったが、結局Cによる判断が一番無難であることが分かったので、自分としてはそれなりに納得している。

内申点廃止すべき

そうすれば、教師は生徒の保護者から意味不明文句プレッシャーさらされずに面倒な仕事が一つ減るし

虐められて不登校だった虐め被害者学業さえできれば進学校入学する可能性が出てくるし

虐めをしていたゴミクズ学業さえできれば中学時代の悪行をきれいさっぱり洗い流して心機一転、新たな気持ち高校で気弱なヤツを虐めることができる。


とまぁ、くだらん皮肉はこれぐらいにして、下記の記事の反応を見ててびっくりしたことがある。

http://anond.hatelabo.jp/20180115220235

トップブコメはもちろん、ほかも流し見した限りでは「不登校で一時期学校に行けなかったのに学業成績が優れている」という

どこをどう見ても学業意識的観点から最良の評価しかしえない事が評価悪くて当然、という糞みたいなポイントに誰一人異を唱えてない。

これが「学校行かなくたって勉強できるからサボりまくり」とかだったら評価が悪くなるのも当たり前だけど、

上記記事内容ホントだとしたら、そもそも内申点評価自体が最大の問題点

そして冒頭の皮肉でも書いたけど、内申点をなくすってことは、元増田の書いている「哀れな不登校秀才を虐めてたゴミクズ」を高校側が排除するネタをも

同時に葬ることになるってわかってて「内申点廃止しろ」とか言ってんの?理解できない。


なんか痴漢冤罪記事ブコメが誰一人「満員電車解消」に言及しないのと同じように、見てて不思議で仕方ない。

anond:20180116003324

「とりつくにたちこうこう」な

超難関の進学校だぞ。

anond:20180116005525

よく「進学校を出て医学部に入って医者になるなんて夢がない、人材無駄遣いだ」といわれるけど、こういうの読んじゃうとそれこそ筑駒灘ぐらい出てもらわないと不安だって思うわ

2018-01-15

東京都の「不登校中学に復帰するな」こんな指導をしなきゃいけない現状を知ってほしい。都民ファースト公明党都議会自民党などの皆さん

学校に行きたい中3生に「学校に行くな」と指導する辛さ

皆さんは、長期欠席からの復帰を望む中3生に「学校に行くな」と指導することができますか。

この辛さが分かりますか?

東京都のある公立中学3年生の話です。

温厚すぎる性格が災いしたのか、イジメが原因によって、一時期、学校にいけない状態に。だから内申点は著しく低いものでした。

でもこの子勉強がすごくできる。塾で受ける模試で、偏差値70オーバー。将来の夢は大きく科学者

中学2年生の時、地元の難関校、都立国立高校文化祭で見たクラス演劇に感動。

地元で最難関の都立国立高校に進学したい。そこでもう一度、リセットして再出発をしたい。」

今までだったら、このような生徒であっても、都立進学校に行くことができました。

それは、特別選考枠といって、募集定員の1割を「内申点を見ないで当日の筆記試験得点だけで決める」という枠があったからです。

この枠のおかげで、学力はあるけれども、病気、ケガ、イジメ……様々な事情学校に通えない時期があった中3生の多くが救われてきました。

不登校オール1の内申しか付かなかった生徒が、都立最難関の西高校合格したという例は伝説として語り継がれています

もう何年も前の話だけれども、この実話が、どれだけ多くの生徒達に勇気希望を与えてくれたことか。

私立中学校の数が日本一多い東京都。さまざまな事情から外部の高校受験希望する生徒も東京にはたくさんいます

そういう生徒は、外部受験意向学校に伝えると、嫌がらせのように内申点を大きく下げられたりすることがあります

残念なことですけれども、事実です。

でも、特別選考枠があったおかげで、救われてきました。

舛添前知事時代に突然廃止 多くの人達批判をまったく聞かず

それが、舛添知事の時に、突然に廃止された。理由は、「入試制度が複雑になりすぎる」「あってもなくても同じ」とかだったと思います

この制度がなくなった今、東京都内の多くの生徒達が本当に困っています

東京都には、本当に様々な生徒がいるのだ。内申点がなくても、卓越した能力を持つ中学生がたくさんいます

そういった生徒を一様に排除したのが、特別選考枠の廃止です。

ある生徒は唖然とし、廃止を知らなかった人の中には、泣き出す親子もいました。

東京都教育委員会電話をしてみました。困っている生徒がいるのだと。

反応はこうです。「現行の制度ではこうなので、仕方がない。」と。

では、救う手はあるのか。一つだけあります

それは、中学校には一切通わない、ということ。

たとえ中学校に復帰できる状態になっても、絶対に復帰しないということです。

なぜかというと、1度でも学校に行ってしまうと、その時点で、学校内申点が付いてしまます

内申点がついた時点で、終わりです。もうあなたは、学力相応の都立高校へ進学はできません。

1度も学校に行かなければ、内申点は付きません。判定不能です。こうなれば、高校側は内申点を除外して合否判定をしてくれます

舛添前知事特別選考枠を廃止した結果、今、東京都内では、実力相応の都立高校への進学を希望する生徒に、

中学校絶対に登校するな。1度でも登校すると、都立高校へ進学できなくなるぞ。」

指導しています

中学校に行きたいよね。復帰の意欲もあるもんね。

でもね。ダメなんだ。君は勉強ができる。だから都立進学校へ行って、たくさん勉強して、大学へ進学してほしい。

君が中学校に1度でも通った瞬間に、内申点が付いて、君の進学への道はすべて閉ざされるんだ。

ごめんね。ごめんね。

皆さんで東京都意見を出してほしい 都民ファースト公明自民、皆に声を届けたい

本当にひどい制度です。

そして、その制度を、都民ファーストの会公明党小池都知事は未だに継続しています

みなさん、ぜひこの現状をぜひ拡散してください。広く知ってください。

小池都知事都民ファーストの会の皆様、都議会公明党自民党共産党、だれでも構いません。

この状況が早急に変えられることを願います

ちなみに、都教委の意見箱はこちらです。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/mail.html

2018-01-13

私はそれなりの進学校に行った。

四年制大学を目指すことが当たり前だったから、当たり前のように勉強して、念願の国公立合格して、やっと卒業だよ。春から社会人だ。

同い年の友達は、数名がすでに結婚し、子供を産んだ人もいる。

私もいつかは結婚し、子供を産んで、幸せな家庭を築きたい。

でもそれはいつの話だ?

会社バリバリ働くまでに最低3年かかるとして、25歳。

波に乗ってきた頃に結婚出産を挟んだら

職場で上を目指すことは出来ない気がしている (わからないけれど)

だけれど子供を産むのがあまりに遅くてはいけない。

最低2人は欲しいかな。

一生懸命大学のために勉強して、一生懸命就活を経て入社したって、

全て上手く行かせることはできないと いま気づいた。

高校時代の、「四年制大学へ行きましょう」という波に流されてここまで来た。

高卒で働いて20過ぎに結婚して、20代前半で子供を産んだ同級生たちの方が、よっぽど幸せなんじゃないかと思えてくる。

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