2018-03-05

コンプレックスに勝てない

まれた時から人と違った。上唇と上顎の一部が欠損した口唇口蓋裂という形で生まれた。

この欠損は特別珍しいものでもなく、500人に1人くらいの割合で起こるものらしい。また現代医療は素晴らしく、成長期までに複数回外科手術をすることで本当に目立たないようにしてくれる。でも目立たないのと自分の中のコンプレックスは別。物心ついた頃から、「自分は人と違う。出来損ないだ」って思ってた。思春期の頃はアルバムを引っ張り出して赤ちゃんの頃の写真ビリビリに引き裂いて捨てるほどだった。普通になりたかった。だから将来の夢はサラリーマンだった。

中学校では、「普通の人たち」に認められたくて、たくさんの友達を作った。ギャルっぽい女子も暗い男子ヤンキー関係なく話しかけて100人くらい友達がいた。大人に認められるために良い子を演じてたから授業も真面目に聞いて、成績も良かった。でも、どこか劣等感を抱いていたので、少しでもコンプレックスを取り除くために進学校と呼ばれる偏差値の高い高校に行けた。

高校では、それなりに運動ができるようになりたかたから、体育会系部活一生懸命取り組んだ。

すごくキツい部活で何度も辞めたくなったけど部活動加入率が90%超える高校だったので帰宅部普通じゃないと思ったので耐えきった。部活必死にやってたので学力は落ちた。周りの奴らは部活勉強もできる奴らばっかで、みんな早慶とか国公立に行く人ばっかだった。相対的バカな私は一浪して、自分の中でまぁ納得出来る大学までいった。

大学生コンプにならないためにサークルバイトも人並みにやったと思う。相変わらず友達をたくさん作ったのでレポートとかテストもいろいろな人の力を借りて乗り切れた。留年はしなかったけど成績は良くなく、下から数えたほうが早い席次だった。自分のいた大学では理系の8割くらいは大学院に進学した。普通を求める自分は、とくに何も考えずに進学を希望した。

元いた大学研究界隈ではコンプレックスを抱きかねないくら設備に乏しい。だから大学院では東大に行った。ちょっと残ってた学歴コンプ研究能力コンプも払拭するつもりだった。研究室での2年間はしんどかった。優秀で、勉強運動恋愛も遊びも就活も要領よくこなす奴らに囲まれた。かたや自分は、知識経験モチベーションも全て中途半端だった。周りの優秀な東大生はもちろん社会的にも評価されて、大企業から内定をもらってた。私は大企業だと生き残れないと思ったので、ワークライフバランスを重視している中堅企業に狙いを絞って、なんとか一社内定を貰えた。就活が終わって、久々に元々いた大学友達と飲んだとき、彼らも一流企業内定をもらってた。優秀な人たちだったから、納得は出来た。でもやっぱ彼らに対して劣等感を抱いてしまった。俺は東大にいっても変われなかったんだって悟ったのかもしれない。

ねじ曲がった心からまれサラリーマンという夢も叶えられたし、就職先もひっくるめて今までの人生に後悔はしていない。友達尊敬できる人にもたくさん出会えたし、自分のできる限りを尽くして生きてきた。しかし私は東大生に求められる能力を持っていない。コンプレックスも解消できなかった。どんなに頑張っても牛の尻尾にしがみつくのが限界だった。ESでは、なんでもできる努力家を偽っていた。しか現実は全て中途半端ADHD気質コンプ持ち落第生だ。来月から会社でやっていけるのだろうか。一生懸命頑張ってもいつも周りには「より優秀な人」や「もっと頑張れるヤツ」がいる。

どれだけ、いつまで頑張れば私はコンプレックスをなくすことができるんだろう?

どれだけ走り続ければ私は幸せになれるんだろう?

  • 他人と自分を比較してる限り一生幸せになれない。

  • 『俺』か『私』で統一しような

  • 他人と自分を比較して一喜一憂するのをやめたとき、コンプレックスから解放されるのではないでしょうか?   COMPLEX「1990」 https://www.youtube.com/watch?v=fnjfKMEEfWA 今すべての思い出を ...

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